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ペトレンコ記者会見の真意

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日曜日の文化会館でのコンサート直後の会見について、南ドイツ新聞の特務記者の報告である。因みに19日付のコンサートについてのそれは有料にしてある。そちらの方は当初からの反響、バイエルンのローカル紙の報告で概ね分かっており、更にヴィデオで断片で音響として確かめられる。しかし会見の方は音声による一部と写真でしか知らない。この報告では、特にキリル・ペトレンコの表情を追っている。

記者は、限られた時間の顔見世のその盛況ぶりに、一瞬上野のパンダと飼育師のようだと思ったと書く。キリル・ペトレンコ音楽監督とバッハラー支配人のことらしい。そして笑顔を終始絶やさずに、自らの使命を弁えての会見だったと感じている。その背景には、欧州では会見の機会がないのにこうして特別にお目見えすること、そして広告塔として歌手陣が居並んだことを考えたようだ。

その売券の状況には触れていないので、知ってか知ってぬかは不明である。それでも一流の管弦楽団としての技能を示したコンサートが終わったところで、楽団員を差し置いてなぜぜ歌手陣が出てくるのだと訝るが、ここから初めて上演されるオペラ公演の宣伝を兼ねてであると綴る。そして歌手陣の中でも日本通のアネッテ・ダッシュが、「センシティヴな歌に聞きこむ心構えの出来た日本の聴衆」について語り、ヴォルフラムを歌うマティアス・ゲルネは、「初めから批判を準備しているような聴衆でない」と日本のそれを語り、記者はミュンヘンで評価の割れたカステルッチ演出の「タンホイザー」への言及と取る。つまり、バッハラー氏の導入同様、端から警戒線を張っているのだと理解する。

そして、質問が集まるペトレンコは、「コンサート形式での一幕だけのヴァルキューレ公演は次善の策で、ヴァークナーの意思からすれば甚だ間違いだ。」と語った。当然のことであるが、それでもこうして最終的に指揮をする訳だから、質問が無ければ決して話さなかったことだろう。記者は、このような会見でのその笑みの裏にペトレンコの居心地の悪さを感じ取ったようだが、それはどうだろうか。この天才指揮者は、喋り出すと何処までも本当のことをペラペラと話してしまうから会見はご法度になっているのだ。正しくこの「ヴァルキューレ」の裏話はそのもの本音トークなのだ。もしこの指揮者が語り続けると業界の全ての構造は一挙に壊れてしまうだろう。悪戯坊主が爆弾を抱えているようなものなのだ ― そしてその本音は、その真実みと凄みで、故チェルビダッケのそれとは影響力が全く異なる。

そして話題の「指揮者の秘密」というのを誰も質問しなかったと嘆いている。稽古やらその他のことを語っている訳でそれほど意味のある発言ではなく、冗談ごかしだと思うが、この記者は一体何を知りたかったのだろう?もう一つの「指揮者は楽員が自主的に演奏できるほどまで練習で意思を合わせておいて、本番ではその作品と演奏者と、聴衆の仲介の役を果たせばよいだけ」の言葉も「指揮者はコンサートでは意味をなさない」とやはり話した通りを挙げておく方が良いだろう。要するに翻訳すると意訳になりかねない危険性があるからだ。やはりこの人は一般大衆に向かっては何も語らない方が安全だろう。

引き続き合間合間にタブレットを弄っている。漸くPCの新しいHDDにSDKソフトを入れ直し、PCから制御出来るようにする。それ自体はDLなどに時間が掛かり容量が大きいものの一度インストールした経験からPATHを通すだけで比較的容易に解決したが、実際にリカバリーモードでのADBとかで制御可能なコマンドは限られていて、ルートが見れないので、出来るのはレノボのサイトから落とした純正のROMファームウェアーをPCから送り込むしかない。同じことはSDRカードでやっているのだが、どうしても二つのZIPがインストール出来ない。それ以上バグを調査して弄るとなるとアンドロイド開発者の知識が必要となりそうなので、到底無理だと思い、結局は工場出しまで戻す決心をする。それでも一度はアンドロイドがインストールされたようだったが、先には進まなかった

朝早くから弄っていて、雨上がりの誰も居ない森を走り始めて、手順を考えていたのだが、その時にはPCからどれほどのことが可能になるかは分からなかった。結果思ったほど使いこなせなかったが、少なくとも所謂文鎮化はそれで避けられるだろうと思った。しかし実際に工場出しに戻してもループするところが一つ先に進むだけで、アンドロイドのシステムをインストールし直さなければいけなかった。それでも数限りなく再稼働するうちにアンドロイドが開いて、少しづつ安定する気配がある。



参照:
"Es sollte noch etwas von einem Geheimnis haben", Egbert Tholl (Süddeutsche Zeitung)
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
文化会館でのリハーサル風景 2017-09-19 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2017-09-21 02:17 | 雑感 | Trackback

ハイナー・ガイスラーの訃報

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爪先が冷たくなった。靴下を履いても駄目なので内履きをサンダルタイプからスリッパタイプに替えた。冬でもサンダルを履いていたことを考えると今年は寒いのだろうか。仕事机に座っていても半袖では寒くなってきた。内履きを新しくする必要もありそうで、レープホルツ醸造所に行くときなども計画しなければいけない。

室内を閉め切るようになって、ノートブックのファンに気が付くようになった。夏の間、プリンターの上に置いていたので、やはり下に風通しの良い状況を作るべきだったかと思う。冬篭りの体制が整っていないことから、何とも言えないが、出来るだけノートブックの場所を動かさないようにして、遠隔で使用したいとも思っている。モニターをどのようにするかなど解決すべきことがありそうだ。

庭の木が屋根に当たるようになって久しいが、流石に放っておけなくなった。このままならばいつか屋根雇が壊れる。そこで早速管理会社に連絡しておいた。一年ほど前から注意喚起していたのだが、これ以上放っておいて破損などしたら責任問題だろう。丁度陽射しが弱くなることであり、葉刈り枝刈には都合が良い。夏の間はこれで大分涼しかった。

イゴール・レヴィットのサイトにハイナー・ガイスラーの記事が引用してあったので何かと思ったら、新聞一面トップに顔写真が載っていて、亡くなったようだ。ドイツ山岳協会の顧問のような大政治家で、コール政権の大番頭として、また後年もリベラルな保守政治家として、丁度現在の連邦共和国政治を体現するような人物だった。十数年前にもツーグシュピッチュェの岩壁を登攀していて、同じ年齢で同じクライミングが出来るかどうか、とても目標となるアマチュア―アルピニストでもあった。

想い出の映像で気が付いたのだが、南ワイン街道のガイスヴァイラーに居を構えていて、1980年から南プファルツの奇岩地帯の中心であるダーンに事務所を構えていたとある ― 内履きを買いに行くところだ。なぜか今までそれについては知らなかった。元々プファルツの人ではないので岩登りも雑食砂岩よりもドナウの石灰岩でならったようで、実際に岩場でもアルパイン協会関連でも一度もお目にかかったことが無い。ランダウ支部に入会していたのかどうかも知らない。

その雰囲気や喋りからしててっきりシュヴェービッシアルペンのヴュルテムベルクとバイエルンの間ぐらいのイメージがつよく、プファルツの大臣時代など全く分からないので、訃報を読んで今回驚いた。それにしても狭いようで広いワイン街道で、まだまだ知らない人がまだたくさん住んでいるようだ。

ソウルでのコンサートが開催されたようである。可成り入っているようで、最終的にはつまったのだろうか?会場のアートセンターの会館の屋根が朝鮮の帽子のような形をしていて面白い。韓国も日本と同じように録音媒体からの影響が強そうで所謂オタクといわれるような人が殆んどのように感じる。さてどのようなコンサートになるのだろうか。反響が楽しみだが、台北とはまた異なるのだろうか。楽団長のゲルトナーが、台北には二種類の聴衆がいて、一つは音楽に没頭してしまう聴衆と、一つは演奏後に歓声を送るコミュニケーションの出来る聴衆、原語は無いのでそのように理解した。所謂オタクは前者で、エンターティメントを楽しむ層は後者となるのだろうか?

正直、欧州で催し物に行くようになって気が付いたのは、日本ほど静かな会場は珍しく、それはドイツ語圏でさえ日本とは異なる。要するにメディアに根差したオタクが少ないということになる。自分自身もその立場がら集中度は誰にも負けなくなった。また分析的な耳が鍛えられているので、没頭して聴く必要などは無くなって、どんなに遠いところからズームの耳でその経験と脳で音を補えるようになっている。だから、昔の大フィルの笑い話ではないが、「半音ぐらい負けえといてーな」ならず「一小節ぐらい聞こえなくても良い」ぐらいなのだ。さて、どうなることであろうか、木曜日に愈々東京入りで、日曜日にコンサート初日、更なる木曜日オペラ初日までにプローベということなのだろう。



参照:
#바이에른슈타츠오퍼오케스트라 (Instagram)
twitter.com/pfaelzerwein
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by pfaelzerwein | 2017-09-13 23:28 | 雑感 | Trackback

「ファースト」とは少数派のもの

車が快調で喜んでいる。新車の時とは比較できないが、それでもその辺りを走っている車の多くよりも静粛性が高そうだからだ ― ただしバネはロールスロイスやBMWのようにはいかないので、次は空気バネが欲しいと思う。だから警告が点くとがっくりする。忘れたころに点いたのはエンジンオイル不足だ。まだ量を測ってはいないが、前回の交換から時間が経っているので、その燃焼と共に粘度が高まって来たのだろう。走り出して暫くして下りになると警告が点いたりする。先ずはいつも使っていたエンジンオイルの三本目を発注する。ここ二三年で僅か3リッターの購入であるが、ランニングコストとして計算しないといけないので新車にはない古い車の維持費には違いない。幸い乍ら油漏れは無く滲み出す位なのでその面では気分が良い。送料込みで10ユーロぐらいだ。

気圧配置が悪くなると雨が降らなくとも最近は朝からぐったりとする。夜中もぐっすりと長目に眠っている筈だが、目が覚め難く、中々血圧も上がらない ― 十代の時には朝の血圧の低下などは感じたことが無かった筈だ。無理してパンを取りに行って、森の中を走る。兎に角身体も重く頭が冴えないのでジョギングするしかないのだが、それでも走っているうちにやる気も出て来る。気温も低く、復路の日差しで漸く汗が噴き出してきた。そうなれば本気になるが、なんといっても歩みが遅すぎる。まだまだだ。

そのような塩梅で10月以降の準備も始めなければ遅くなるが、中々始められない。いずれにしても、この木曜日金曜日までにある程度の見通しをつけて置かないと、秋から冬の計画が立て辛くなって来るので、何とか無理をしてでも気を盛り立ててやって仕舞おう。

不思議なもので、夏の間は夜中に目が覚めて頻尿の夜があったのが、涼しくなって戸締りして早めに床についても朝まで起きられなくなってきた。全ては太陽の日照時間の影響だと思う。陽を浴びる機会が少なくなっているので、意識して陽に当たらないと駄目なようだ。例年はこのように感じたことは無いのだが、今年は何か事情が異なる。影にいた時間が例年より長く、年間の量が足りないように感じる。

選挙の張り紙が方々にある中で、みすぼらしいAfDのそれに初めて目が行った。ドイツの何とかのためだったが、殆んど意味不明だった。「何とかファースト」と言うのと一緒で、そもそもそのキャチフレーズには意味がない。選挙権を持っているのは「何とか」だけだからである。それでも態々「何とかのため」を強調するのはそれ以外の市民の排斥でしかないことは少し考えれば誰にでも分かる。

ポピュリスト政治として「何とか」を掲げるならば、その「何とか」は少数派であるべきで、選挙前から多数派である「なんとか」を強調するのはやはり排斥運動でしかないである。法務大臣がAfDのプログラムは憲法違反の疑いがあり、信教の自由などを奪うものだとAfDの危険性に注意を促した。

同時にSPDは、ここに来て「大連立でメルケルを入れてやっても良いが、こちらが出向いてもいい」というような大口をたたくようになっている。新聞はこれによって野党になるSPD支持者の棄権を避けたいようだとしている。またCDUは「FDPが連立を成立させずにSPDとの所謂緑赤黄色の信号連立を考えている」というのに対して、FDPは「緑との移民政策が上手くいかない」と言明して、同時に「SPDとの其れは実際上あり得ない」としている。政治的な有権者への駆け引き合戦だが、そもそも移民に厳しくしてもAfD票をどこまで削れるかはとても疑問で、なにがなんでも連立入りするぐらいを強調しないでも再び全員落選にならない自信があるのだろう。下部組織が確りしているということだろう。



参照:
謝謝指揮大師佩特連科! 2017-09-12 | 文化一般
Digitalisierung ändert Alles!? 2017-09-08 | BLOG研究
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by pfaelzerwein | 2017-09-12 23:54 | 雑感 | Trackback

土曜日から日曜日のハイ

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前日のことがあるので朝目が覚めると同時に、タブレットを弄った。どうも日曜日であるだけでなく、台北では前日の打ち上げのためか動きが無い。それでもコンサートが終わってからの幾つかの写真などが上がっている。

何よりもオーケストラと花束を抱えたキリル・ペトレンコとの写真の表情が良い。このようなオーケストラの表情の写真は珍しい。それを伝えていたイゴール・レヴィットの報告だけでなく、道理で、主催元のフェースブックに書き込まれていた聴衆の反応でその状況が知れた。

それによると、弦楽団員だけでなくお互いに抱き合っているのは初めて見たと、驚いていて、成功を祝しつつ、男よりも女を抱く機会を求めているのがみえたと、とても好感がもてたと結んでいる。

ベートーヴェンの練習風景でも分かるように、楽員が夏休み中に ― 恐らくバイロイトなどで小遣い稼ぎすることなく ― 充分に準備をしていたのが窺い知れる。そして時差ボケで殆んど興奮状態のままに予定が進んでいるのだろう、その高揚した雰囲気がよく伝わるのだ。

録音などをして冷静に審査すると荒があるのだろうが、生の公演では数少ない玄人しかあまり気にしないような傷はあっても、なによりも皆が満足できるような音楽会であれば大成功である。終演後にビールを傾ける写真なども上がっていて打ち上げの雰囲気がよく伝わる。

こうしてみるとやはり日本での初日の文化会館でのコンサートはかなり期待できそうだ。最初は時差ボケが取れる一方、こうした興奮状態から旅行の疲れのようなものが出てどうかなとも思ったが、ミュンヘンでの演奏会から五回目の同一プログラムの演奏会であり、その楽員の準備から見ると録音が欲しいような演奏になりそうである。

土曜日のコーダの一部の映像が出たが、予想通りの熱狂で、一寸ハイの感じは否めないが、流石にテムポも落ち着いていて、寧ろ台湾の人達にとっては物足りないぐらいなのかもしれない。

土曜日は、朝から雨が降っていて、走ることも出来なかった。前日の試飲会の疲れも残っていたから仕方がない。それでも運動不足となると、下腹の具合も悪くなって気持ち悪い。夕食にアルコールを抜こうかと思ったが、結局金曜日に購入したリースリングを開けた。

そうしてちょこちょこと出て来ている台北での反響を横目に、パン屋に出かけ峠攻めに行く。森の中は摂氏10度で涼しく、前日の湿り気がある。パンツを脱いで走り出す。体温が上がらないので蒸かせることが出来る。これならば久しぶりのタイムを狙えるかと思う。上りはどうも駄目だったようだが下りて来て34分を切ったのは4月以来のようだ。まだまだ56秒だから33分割りには上りの記録が必要であるが、ようやく調子が戻って来た。

しかし帰宅後体重を測ると74㎏もあって、春よりも5㎏ほど太っている。これには驚いた。夏太りは毎年の傾向だが、我慢して走る距離も増やしているぐらいなのだが、クライミングが減っているのか、肉食が増えているのか、ビール消費量かは分からないが太った。様子を見て方針を決めないと困ったことになる。



参照:
台北での第七交響曲練習風景 2017-09-10 | 音
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-09-10 21:16 | 雑感 | Trackback

外から見計らう市場

テュイッターを見ていると、DACAの復活が話題になっていて、再びトラムプの政策が合衆国の分断を招いているようである。要するに違法移民の子供として育った合衆国市民の権利の問題である。トラムプ支持者を纏めてレーシストと十羽一絡げにするのは、先のシャルロッテンヴィレでの一件があるからでもあろう。それにしてもオバマ政権の救済策などを全て元に戻そうとする政策とその支持者が多いということは、トラムプに票を投じた人たち全てがオバマには票を投じてはいないと思わないので、いつの間にかそれら全てが不満に変わってしまったのだろうか?

スイスから先ごろ亡くなったクラリネットの名人エドワルト・ブルンナーを偲ぶ会へのお知らせが入っていた。ハインツ・ホリガーも一曲吹くようだ。スイスは音楽の拠点も幾つかに分かれているが、その人脈などは外からは正直分かり難い。要するに邑なのだ。

ミュンヘンのオペラ座のアジアツアーが始まろうとしている。中国語や韓国語のネット情報を見ていると面白い。台湾と大韓民国を比較したことが無かったのだが、大体台湾の二倍が大韓民国ぐらいの感じのようである。それでも大管弦楽団演奏会は一度しかない。台湾出身の音楽家は殆んど知らないが、韓国出身は多彩である。

その代わりソウルでは、ゲーテインスティテュ―トが係っている室内楽演奏会が行われる。選り抜きメムバーで、ハイドンの弦楽四重奏、リヒャルト・シュトラウスのティル、モーツァルトのクラリネット五重奏曲が演奏される。何時も第三プルトで弾いている金さんも二曲目のリーダーのようだが、彼女がデュッセルドルフ生まれと知って興味深かった。もしや日本企業に関係していたのだろうか?

室内楽は相乗り企画のようで、BMWのスポンサーリングとは関係が無い。つまり、BMWは台北で二回公演をする価値をしっかり計算しているということだろう。少し考えればソウルなどではBMWが売れるわけがなく現代で充分で、自国産業のない台湾は期待できる市場なのだろう。地図で見る限り沖縄とは違って、車を走らせる場所もあるのだろうし、なんといっても経済がいい。少し無理してでもイスラエルぐらいでしか行っていないベートーヴェンプログラムをペトレンコが指揮して、レヴィットが弾くだけの市場があるのだ。90年代の日本にも似ている状態なのかもしれない。

劇場の台湾向き、韓国向きの宣伝ヴィデオをようやく見つけた。ピアノのレヴィットが国名を言い直させられているのが面白いが、映像の一部にマーラーの交響曲五番のフィナーレがあって、これは初物である。



参照:
BAYERISCHES STAATSORCHESTER IN KOREA (GOETHE INSTITUT SOUL)
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-09-07 00:11 | 雑感 | Trackback

死亡事故20年で解消した疑問

筋肉痛が酷い。それほどの負荷を掛けたわけでもなく、無理な姿勢を取り続けたわけでもない、地べたに座ったりして塗料を塗ったり、拭いたりしていただけである。どこか身体が悪いのかと思うぐらいに肩から足まで筋肉痛である。少々仕事をして思ったのは自分には職人的なことは全く向かないということで、椅子に座って歩き回ってソファーに寝そべる以外の仕事は辛いものでしかないということである。誰もやってくれないから自分でやるだけでそれ以上のことはやはりしない。それはものを直したり、達成感とかなんだかんだの悦びとはまた違うことで、仕事となるととってもやっていられないということだろう。

それだから椅子に座って、10月に迫る演奏会のお勉強をしようかと思えば、またそれはそれで中々億劫なものがある。まず最初に、マーラー作曲「子供の不思議な角笛」とブラームス交響曲第四番ホ短調である。前者も後者も楽譜が手元にあるが後者は真面目にお勉強したのは十代の時ぐらいだろうと思う。生で体験するのも二度目か三度目かでしかない。前者は全曲は初めてではなかろうか。

パリの人々には忘れ去られているダイアナの死亡事件であるが、二十年で漸く疑問が晴れる話が新聞に載っていた。疑問は、何よりもSクラスメルセデスでの死亡事故で、安全ベルトを締めていなかったことと助手席の用心棒はエアーバックで助かったということだ。もう一つは速度120㎞ほどでの三人の死亡と、その車が僅か2.8lほどのエンジンしか積んでいなかったことである。

事情は、記事によると、ホテルリッツからパパラッチを避けるために大型リムジンを二台囮に使ったので、事故車はホテルのカウンターで都合したもので、その前歴はスクラップ同然の事故車だったということだ。盗んだ薬中者が大事故を起こし、また直前にも盗難にあって分解されていてと究極の訳有車だったということである。これならば全ての疑問が解ける。

元オーナーが語るように時速60㎞ほどでの直線走行性に問題があったということならば、運転士がアルコールと薬を飲んでいなくても、初めての車で突然の車特有の反応に対応不可なのは当然であり、高低差のある地下道で時速120㎞ならば素面でも事故を避けるのは厳しい。そもそも加速性能の悪い車でそこまで加速するのにも時間も掛かっているので、簡単に事故を起こす筈はないと思っていた ― 後輪にトルクが掛かるフルスロットル状態である。要するにフランスの車検に通るほどの車両の不都合は、シャーシの歪みなど事故後の調査でも事故原因とは解明されないのだろう。

そして当時の乗り物としては、BMWの潜水艦に対し戦車と呼ばれた最高の安全性を誇る車両であり、三人死亡には大きな疑問があった。所謂陰謀論が世界中を駆け巡ったのにもそれなりの理由があったのだろう。それにしても事故直後に通りかかった緊急医が見た時は「オーマイゴット」と意識があったが、直ぐに意識を失い、心臓が右側に移動するほどの大きな衝撃だったという。内出血による典型的な交通事故死のようで、車両は完全に操舵性を失なって柱に激突したようだ ― ブレーキを踏み込むチャンスは無い。安全ベルトに関しては、運転手を別にすると、護衛と後部座席などは1990年代はまだ締めていないことは充分にあり得た。流石に最近は後部座席も着用が義務付けされているが、当時はまだ街中では締めていなくても当然だった。全席エアーバックやサイドエアーバックなどもまだまだなかった時代である。



参照:
民主主義の品格の欠乏 2014-11-18 | 歴史・時事
出稼ぎ文化コメディー映画 2008-02-14 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2017-09-01 20:26 | 雑感 | Trackback

乗り逃げ切れるように算段

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ヴィースバーデンから深夜帰って来て、翌日パン屋から移動して走るために駐車場に停める。先日ブレーキディスクを取り換えて、タイヤを交換した後輪の上の塗装が剥げていた。錆が浮いていたから洗車したことで脱落を早めたのだろう。これは流石に駄目だ。新車の購入を検討しなければいけない。折角修理したのだから、それほど慌てて処理したくはないのだが、カウントダウンである。

新車発注から納車までの期間を考えると半年から一年ぐらいの感じで乗り続けなければいけないので、それなりの投資は必要なのかもしれない。一つの方法は、錆の色を目立たないようにして目立ち方を少なくするために、剥がれている部分だけ紙やすりで擦って、底塗りしてから色を付ける方法で、材料費は30ユーロぐらいだろうか。もう一つの方法は、近所の塗装屋で誤魔化す方法を尋ねてみるしかないだろう。300ユーロぐらいならば仕方ないかもしれない。このままにしておくともそれでなくてもこの数か月で駐車場で当て逃げされたり、ぶつけられたりで散々な状態になって来ているので、でもでも近くの路上であったら横転放火されても仕方ないような塩梅になって来た。ここはもう一年価値の無い車両保険も支払って、新車に備えて無事故年数を増やして、上手く乗り切れるかどうかである。

近所の人にこの惨状を見せたら、一昔前までは錆は日本車の特徴で車両価値がすごく落ちてしまうことが有名だったが、最近はドイツ車も駄目だということになった。イタリア車と変わらないということである。暫くこの状態でメーカー支店にも持ち込むようになると隠すように扱うようになるのではないかと思う。16年間洗車することなしに冬の雪道を走っていたのだから仕方がないのかもしれない。

ヴィースバーデンはレートナイトコンサートだった。ラインガウフェスティヴァルで初めて使った会場だったようだ。小ホール規模で音響も決して悪くはなかったが、場所を見つけるのに汗を掻いた。内容については改めて記すとしても、22時半まで集中してから帰宅すると、睡眠を十分にとっていてもとても眠い。夜遊びと音楽会ではまた劇場などの内容でも大分違うが兎に角眠い。



参照:
スマートに行こう! 2017-08-25 | 雑感
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-08-27 22:24 | 雑感 | Trackback

スマートに行こう!

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ブレーキディスクを交換した。後輪のタイヤも新しくした。ブレーキの利きの精妙さが増して、後輪の粘りが出来てハンドル捌きも精妙になって来た。BMWほどではないが精妙に車を制御できるのが嬉しい。d0127795_2032535.jpg
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半日間、スマートを借りた。久しぶりでカヴリオーレタイプである。印象からすると当初のモデルより質が落ちている感じがした。何よりもエンジンを掛けた時の振動と騒音は昔のスバル360並みである。今時このような車が許されているのが不思議だ。この価格帯では到底電気自動車化は無理だろう。

エンジンが騒がしい割には加速も悪いが、高速で135㎞超えると風切り音が轟音となって来て落ち着かない。到底二輪車走行の快適さには至らない。運転感覚も以前感じたものよりも悪く、車幅感が取りにくい。だから思うほど駐車が容易という印象も無い。燃費もそれほど良くなかった。

何かいい点があったかと考えてみるが、あまり浮かばない。以前はそれなりに面白い車だと思ったが乗っているのがうんざりする。操舵性が良くなく、走らせる悦びが全くない。これならばシトロエンぐらいの方が走りが良かった。




車中のラディオは、ドキュメンタという催し物で「砂浜のアウシュヴッツ」という展示が中止になったとあった。背後事情はこれからとあったが、FAZは二大政党だけでなくユダヤ協会からも懐疑の声が出されていてと報じ、車中で思ったようにAfDの仕業ではなかったようだ。

先日触れた前首相シュレーダーの反論に対して、メルケル首相は「政治家を辞めてからも経済界で役を得ない」と宣言して、シュレーダーの行いは間違いだと断言した。メルケルの個人的な立場とシュレーダーのそれは全く異なるが、何人もの別れた嫁さんに慰謝料を渡そうと思えば金に貪欲でなければならないのだろう。社会民主党の党首か保守党の党首がどちらがどっちか分からないようなことになっている。

夜はBR-KLASSIKでルツェルン音楽祭初日の演奏が流れていた。偶々だったのでリヒャルト・シュトラウスプロを聞いた。同音楽祭管弦楽団の指揮者になったリカルド・シャイーは頂点にいる指揮者であるが、なるほど管弦楽団は悪くは無くその指揮も立派だと思うが、このような音楽をこのように演奏してどんな価値があるのだろうかと疑問に思った。更にこの指揮者がこの管弦楽団を指揮することでなにか他とは異なる芸術的な価値が示せるのだろうかとそうも疑問だった。あれだけオペラを振る指揮者が、シュトラウスをこのようにしか振れないことにも失望する。

コンタルスキー兄弟のアロイスが火曜日に亡くなったとある。ブーレーズ作曲スチュラクチュア―でも有名なピアノデュオのお兄さんである。アルフォンスの更に下の弟が「兵士たち」の指揮で有名な指揮者である。手元には兄弟のブーレーズ以外にもリゲティやベルント・アロイス・ツィンマーマンのLPが手元にあるがソリストとしては知らない。シュトックハウゼンなどを弾いていたようである。



参照:
ライフスタイルに合わない 2015-03-12 | 生活
新Aクラスのターゲット 2013-08-23 | 雑感
正しく共有されない情報 2015-09-08 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2017-08-24 20:06 | 雑感 | Trackback

金ではない、そこにあるのは

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新聞に各国首脳の給与の比較が出ていた。トップはトラムプで半ミリオン以上、メルケルは360T、フランス、イギリスのメイがメルケルの半分で180Tある。少ないか多いかといえば、一般企業の重役からすればとても少ない。またその激務を考えれば決して多いとは思えない。勿論この後にプーティンなどが続くように、金脈を握ってしまえば給与などどちらでもよいことになる。

激務に拘わらず何期も務めるとなれば最早金の問題ではないとなる。長くやれば長いほど金脈を掴むことになるが、そもそも人の寿命などは分からないので結局は金の話しではなく権力の話しでしかないのだろう。公職などは多かれ少なかれそういった所がある。

涼しかったので夕方スーパーに出かける前にボルダーに出かけた。陽が欠けると寒いぐらいだったが、無酸素運動をしても汗を掻き難い。「ロッホムスター」を更に下から綺麗に熟そうと思うが、名前の通りの穴だけを使おうとするとバランスもとり難い。最初の一手が難しいのはその横の難しい課題でもよく似ている。その後に「ウォーミングアップ」を綺麗に熟した。それでも腕肩に掛かる負荷が大き過ぎる。

現在使っているクレッターシュ―「ソリューション」の爪先がそろそろちびてきた。ゴムを張り替えを考えると今でも爪先に力が入り難いので、そのサイズ38.5よりも大きめの39を購入した方が良いと思うようになった。靴自体はとても良いので、もう少し足が楽になると小さな岩場で限界までを登るときはそれでも使えるような気がしてきたからだ。

靴と同じ2015年春に購入したが、フランスのデカトロンで購入したシモンのクライミングパンツもお尻が破れているのを発見した。通常は下にショーツを履いているので問題がないが、街でも履けるということで使っているので、新調しなければいけない。割引で30ユーロで購入して二年間使えたので御の字である。標準価格で40ユーロ、但し今回は二年前に無かったサイズMがあるので、店頭で先ずそれに膝を通して見ようと思う。

翌朝の森は、摂氏13度ぐらいで、そして陽射しがあって気持ちよかった。前日の筋肉痛などもあって身体解しだけの走りだった。森には普段見かけない顔が敷物のようなものをもって林の中に入っていく。クワガタを落とす訳でもないので、なりかけた青い栗を集めているのだろう。

承前)セラーズの「ティートの寛容」を改めて流した。3Satの「ハイヴィション」で流すと肌の凹凸まで見える。デジタル技術は恐ろしい。1280x738で大きくはないが通常のモニターサイズでは十二分過ぎる解像度である。音響はCDレヴェルだが、音楽はどちらでもよい。それにしても通常の最後のフィナーレの扱いは見事だった。この制作ではその後にティートが倒れて、フリーメーソンの葬送音楽となるのだが、劇作的にここはそもそもこのオペラセーリアもどきが敢えて開いたままにしてある創作となっていて、所謂音楽劇場作品であり、ドイツ歌劇「魔笛」から更に一歩を踏み出しているところである。それがセーリアもどきにイタリア語で書かれているのだ。

この制作では具体的に、負傷したベット上の独裁者ティートがテロリストのセストらを恩赦する。しかしここは元来必ずしも単純なハッピーエンドに書かれている訳ではなく、重唱の中でティートは「(この裁定が)ローマの意思に沿わない限り、殺してくれ」と叫んで、生命維持装置を外していく。要するにモーツァルトはその寛容をも聴衆に問いかける形で、登場人物が各々現実の社会に降臨させる形になっている。音楽劇場の目指す、劇場の壁を乗り越える作品である ― 恐らく今回の指揮者を含めて、多くの人に天才モーツァルトを理解不能にしているのは、そのBGM的なエンターティメント性に他ならない。

その音楽的な構造や創作のその背景についてはまた見ていくとしても、今回のセラーズが指し示した劇場を超えるものは、一つには現在われわれが生きている社会での苦悩でもあり、オペラセーリア的な勧善懲悪や啓蒙思想に根差した理想とする古典的な世界観でもない。ドイツのこうした音楽舞台作品を見ていく上で、「魔笛」のみならずモーツァルトの作品はその礎となっているのが益々分かるようになる。オペラを知りたいと思えばバロックオペラを知ること無しには理解は不可能だが、音楽劇場を考えるときにモーツァルトの「魔笛」や「ティートの寛容」無しにははじまらないだろう。それを、エンターティメントの形としてセラーズは示すことになっていて、もしかするとザルツブルク音楽祭が始まって以来のモーツァルト再考の快挙ではないかと思うようになってきた。音楽自体はとても器用な指揮者が小憎らしいほどに上手くつけていて、この人こそが音楽芸術に何一つ貢献しなかったフォン・カラヤンの後継者ではないかと思う。とても二流の音楽監督に出来るものではない。



参照:
伸びる仏印ジーンズを購入 2015-04-09 | 生活
26CMで解決へのもう一歩 2015-03-15 | アウトドーア・環境
ボールダーで新技術習得 2017-08-16 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2017-08-22 22:16 | 雑感 | Trackback

秋雨で10月のような気配

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秋雨で10月の気配である。例年でもこの頃は夏が終わって天気が悪くなるが、今年は秋が早いので、晩秋の雰囲気すらある。それでも気温は摂氏17度とそれほど低くは無く、まだTシャツが使える。雨が上がるとまた夏のようになるらしいが、残暑である。とても過ごしやすい。長袖のパジャマが要らない位が一番嬉しい。

夜中に目が覚めたが、尿意を催しても運動をした夜はそのまま寝てしまう。なにが異なるのかは分からないが発汗量よりも交感神経の問題ではないかと思う。就寝前に幾ら水気をとっても、運動した後はそのまま朝まで小用に立たないでもよいのだ。運動をしていないと尿意となって起きることになって、完全に睡眠が中断する。ある程度の年齢の男性の尿の問題は良く見聞きするが、その中にはこうした影響もあるのではないかと疑う。

そう言えば音楽会などで、開演前にトイレで苦労している人は屡々いる。大昔は一時そのようなことが気になった時期もあったが、最近は全く無くなった。理由は分からないが、音楽会での音楽の聞き方が変わったからかもしれない。具体的には、例えば交響曲の音楽構造でもある時間の流れというものを積極的に把握しているのと、そうではなく流れる楽興の時に身を任してというのでは、全くその神経の働き方が異なるだろうという仮説が成り立つ。要するにあれは神経的なもので、生理的なものではないということになる。

ユーロの貨幣価値に伴う外国旅行でのその購買力比較がFAZ経済欄の第一面に載っていた。夏休み時期らしい記事である。それによると2015年からの変化ではアルジェンツィンリラなどが107%も落ちていて、この一年でも26.5%落ちて、旅行に良いとなる。二つ目がトルコのリラで、三番目が日本円である。二年前よりは高くなっているが、この一年では15.9%安くなっている。反対に高くなっているのはチェコのクロネ、ロシアのルーブル、ハンガリーのフォリントなどだ。

そしてその1ユーロの購買力は、ドイツと比べてポーランドでは1.88、トルコ1.84、ハンガリー1.74、メキシコ1.62、チェコ1.53などが続き、逆に購買力が無いのがアイルランド0.60、スイス0.64、ノルウェー0.74、オーストラリア0.79などで、英国が0.90、米国0.91、オランダ0.93、なんと日本が0.95となっている。デフレデフレとか言いながら日本はドイツよりも物価が高いとなる。

なるほど、このサイトを読んでいる人は如何に安く生活が出来るかと思っているかもしれないが、恐らくネットショッピングなどを含めてドイツは良いものが安く買えるのは事実だろう。以前ほどには日本の商業市場の複雑で無駄な構造は無くなったと思うが、ネット販売一つにしても欧州で生き残りを掛けていると言われる楽天のオファーを見ると話しにならないような高価な価格がついていて、全くイーコマースで勝負になっていない。だから一度も楽天経由で購入しようとしたことなどは無く、今後も無いと思う。この業者の欧州営業撤退は、その税金対策を除くと、時間の問題だと思う。

直に発注したタイヤが届くようだ。運送業者DPDが届けるがそのライヴトラッキングシステムが面白い。GPSを使って刻々とその運送者の動きを配信している。上手く作動すると、とてもうまく機能すると思う。

新聞の文化欄は、ザルツブルクからの評が続いている。「ヴォツェック」の公演に関しては、この秋に日本でも歌い、帰国後のミュンヘンでの演奏会でも歌うマティアス・ゲルネについて大きく触れられている。ミュンヘンでの「タンホイザー」を経験してしまうとどうしてもゲルハーエルと比較してしまうが、見た目とは異なってなかなか器用な人らしい。10月のコンサートでの「魔法の子供の歌」が楽しみになった。

それに比較するまでも無く、現在キリル・ペトレンコと技術的に双璧とされる指揮者のウラディミール・ユロウスキーについては最小限度にしか触れられていない。そこから窺えるのはなかなか手堅い指揮者のようで、経験を積むと可成りの大物になるだけの弁えがあるような指揮者のようだ。土曜日20時からのムーティ指揮アンナ・ネプレプコ主演のアイーダの放送も楽しみになって来た。



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-08-11 18:32 | 雑感 | Trackback