カテゴリ:雑感( 315 )

引けてから一直線

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パン屋が開いた。気温も下がったが今年初めて沢沿いを往復した。それはそれで気持ちが良かった。その前に燃料を入れた。ミュンヘンの往復704㎞で残りが殆ど無くなっていたからだが、金曜日に出かける前にもう一度満タンにしなければいけない。今回もナヴィのCDRも発見されておらずシステムが上手く動かなかったが、帰りにはニムフェンブルク城に近づく感じで昔のようにアウトバーンにアプローチ出来た。結局シュパルテンビーアの工場の前を通るようでないと、どうしても北へ北へと導かれてしまうので北側のリンクに出てしまう。中央駅前を通ってと混雑時には走り難いのだが夜中は信号もあまりない。距離的には有利で、往路のようにダッハウワーシュトラーセからどこかで北寄りに侵入してくる必要もない。兎に角、右折右折と度々北側へと導かれるのだが、シュパールテンを通り過ぎるまでは直進して我慢するのである。漸く土地勘が出てきた感じがする。以前はもっと簡単だった。

それでもアウグスブルクを抜け切るまでに一時間ほど経過していた。21時前に駐車場を出て、帰宅したのは零時前だった。比較的早く走れた。駐車料金も先払いで14.80ユーロと安くついた。但し土曜日の夕方で駐車場が混んでいたので階下まで降りて停めると、隣の車でごそごそしていた。親爺とばあさんだった。明らかに劇場に出かける前に準備していた。カーテンコールの最後まで居て、引けてから戻ってくると、隣の親爺とかち合った。ナムバープレートから「ヴュルツブルクまでですか」と聞くと「三時間以上掛かる」ということだった。「プファルツで、こちらは3時間半で少し遠いな」と答えて、「また来週」と言うと、「またここに停めるか?」とか話していた。

先方さんは上着を脱いでセーターに着替えてという感じで、全く世の中には似たような感覚の人がいるものだなと思った。ばあさんの方も靴をビニール袋にいれたものを履き替えてといった感じで、「あんたも好きね」と思った。引退している感じでもなかったので、何とか師の感じだが、態々四回来るだけの時間と気持ちがある人なのだ。自身は、最近は帰りはそのままで車を動かすことの方が多い。以前はネクタイを緩めて、お隣さんと同じように上着を脱いでと儀式があったが、これだけミュンヘン往復になれると必要あり無しがよく分かり、先ずはアウトバーン、アウグスブルク、ウルムまで、そこまで来ると残りの燃料、喉の渇きなどを鑑みて、走らせながらのバナナやお茶などを取って、帰宅までを計算する。今回は道路も乾いて、週末の交通でとても走り易かった。冬タイヤでの最高時速走行も暫くありで、その割には何とか無給油で帰宅も可能となった。それでも夏タイヤと冬タイヤの燃費はやはり違うようだ。

バイロイト祝祭の場合は殆どがお泊りなのでまた違うのだが、遠方から四回通勤はもう一つきつい数寄者である。なるほど前夜祭では並びに一つ空きがあったが、「ヴァルキューレ」ではお休みはないだろう。「ラインの黄金」のハイライトについても書かなければいけないのだが、楽譜に目を通さないといけないので、そして「ヴァルキューレ」の準備で一日一幕づつ進めても時間が掛かるので、始めなければ間に合わない。昨年の日本での一幕上演の録音も詳しく聞きたい。



参照:
ペトレンコが渡す引導 2018-01-14 | 文化一般
ポストモダーンの波動 2018-01-15 | 音
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by pfaelzerwein | 2018-01-15 23:36 | 雑感 | Trackback

スキー宿をキャンセル

未明から走ることは出来なかった。前日はお湯が出ていなかったから仕方がないが、ここいらで体を動かしておかないと病気になる。結局15分ほど走っただけだ。ワイン地所の上辺をぐるっと回ってきた。それでも全然違う。季節外れの降雨量の泥濘に足を取られて膝が疲れた。復路が塗装路だったからだろうか。降雨量と言えば久しぶりにモーゼルが沈みそうになっている。水位が上がっているからで、また一部の醸造所の蔵が浸かってしまう危険が迫っている。ハイデルベルクのネッカーも水位が上がっているようだ。

承前)プッチーニ「三部作」12月30日公演の批評が出ている。エルモネーラ・ヤホのリツイートでそれを読んだ。やはり私の想像したように公演日によっての差異を自覚しているのだろう。イタリア語のオペラ専門の「オペラクリック」と称するBLOGで、結構詳しく評している。イタリア語なので行間までは分からないが、この筆者もヤホとペトレンコの間の音楽的緊張関係に留意していて、恐らくオペラ通としてはなんともそこが面白さなのだろうと思う。既に述べた通りだ。私もミュンヘンに住んでいたならば初日シリーズに通ったかもしれない。オペラフェストもカメラを入れても面白いだろう。

そしてマエストリを大書きしているのはよく分かる。そしてシュスターの歌が続く。そしてワーストに再びヴェストブロックが批判されていて、場違いの配役とされている。劇場生中継では押さえていたから更に良くなっていたかと思えば、やはりあの荒っぽい歌唱に批判が集まり、その響きとその中心のハイC域でも不安定な歌唱だとされている ― 流石にあの手の歌唱はオペラ業界でも受け入れがたくなって来ているのだろう。今回の中で唯一傷となったその歌唱であるが、あの体格で声があるのだから、せめてレオニー・リザネックのような名人芸のヴィブラートぐらいをマスターしていなければ少なくともドイツでは成功していなかった歌手だろう ― 如何にサイモン・ラトルが二流のオペラ指揮者で二流の歌手と仕事をしているかとなる。一本調子の歌唱のヤンフーリーはまた管弦楽と音量勝負をしていたようだが、こちらにはあまり批判が及ばないのも如何にも昨今の器楽的な正確さを期待されるオペラ界らしくて面白い。

三部作を読み別けつつ、一夜に描くということで、ペトレンコは、管弦楽に一部毎の音の響きを意識させたという。響きを弾き別けさせるような示唆を与えたという。この事も第三夜に女性陣を集めたことなどと共にとても興味深く、将来とも語られる公演になったようだ。

年初めに2014年産グローセスゲヴェックスをもう一本開けた。ミュラー・カトワール醸造所の「ブロイメル」である。その格下の「ビュルガーガルテン」が話題のリースリングであったのでこれにも期待した。最後の一本となったが前回開けた夏頃よりも更に瓶熟成が進んでいた。やはり二年経つと通常のグローセスゲヴェックスは飲み頃になる。ミネラルの出方は若干弱いが開いた感じが良かった。但しこの先の瓶熟成を考えるとやや重くなってくる感じがした。20数ユーロのリースリングとしては十分ではなかろうか。

どうも暖か過ぎる。「ラインの黄金」への準備も出来ていないので、金曜日にスキー場に泊まる宿はキャンセルした。雪も無く、天候も冴えないとすれば態々足の悪いところに泊まっても仕方がない。なによりも時間的余裕が無さそうだ。



参照:
ペトレンコ劇場のエポック 2017-12-22 | 音
はんなりした初夢心地 2018-01-03 | 暦
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by pfaelzerwein | 2018-01-08 21:58 | 雑感 | Trackback

二種類目のヴィデオ

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土曜の朝から配湯の調子がおかしかった。自分が一番高いところに住んでいるので、いつも最初に気が付く。今回も恐らくそうだが、ヒーターだけでなくてお湯の問題だったので誰かが気が付いて手配をするものだと放っておいた。寒い週末を過ごすことになった。気温は高めとはいいながら、暖房が無くて暮らせる訳ではない。更にお湯が無いと温まりようがない。

「タンホイザー」のヴィデオを落とす序に2015年の新制作だった「ルル」のファイルを落とした。これは初日に劇場にいたので、ストリーム放送のコピーしか持っていないのだが、十分な音質のそれをもっていなかった。MP4で音声が160kbしか出ていなかった。もう一つは126kbしか出ていないが映像はFullHDで3GBを切っている。今回見つけたのは10GBを超えていた。どうも世界中で発売されたDVD二枚組のようだ。画像はてっきりブルーレイをイメージしていたので失望したが、音声はPCMが組み合わされていたので良かった。

この商品が販売になった経過は知らないが、この画像の質からするとそのまま劇場のアーカイヴが使われているようで、Arteの制作とは無関係なのだろう。確かArteかARDが中継したのは「影の無い女」、「南極」と「タンホイザー」しかない筈で、それ以外のこの制作に承諾が得られたのは興味深い。指揮者のキリル・ペトレンコ自身も当初は再演を振る予定が無かったぐらいであるから、この収録日辺りで一先ず完成形と考えていたのだろうか。

詳しくは改めて聴き通さないと駄目だと思うが、前後や中番組は異なる以外に映像のカメラアングルも中継ものとは違う。それも近接遠景などが異なるものやカメラアングルが異なるものが多い。どちらが芸術的な価値があるかは一部では判断出来ないが、それにしてもこれをリッピングしてアップロードした人の判断かもしれないが、なぜ画像がFullHDでないのだろう。これならば画像は上の3Gb切れるファイルの方が遥かに良い。何かこの辺りにもその商品化への事情があったのか、それとも違法コピーのアップロードでのトラブルへの配慮かもしれない ― 否、三時間超をFullHDで二種類の音声を入れるとなると二枚組では収まらなかったとなると、DVDのメディア自体がネットに比べて時代遅れになっている。いずれにしてもこれも生中継ストリーム版と編集版との二種類が存在することになる。後者のオーディオの編集個所は細かく聞いていかないと分からない。

手洗いに行くとお湯が出ていたのでそのうちに急いでシャワーを浴びた。もう一つ通常の量感がないが、少なくとも土曜日のシャワーの生温さは無くなっていた。ようやく通常に戻るかと思ったがヒーターに温かさが戻るまでに小一時間掛かっていた。諦めがちに厚着をして、熱いショウガ入りの餡かけでもと作っているとヒーターが温まってきた。これで助かった。シャワーが出ないので頂上まで走れなかったが、明日は天気も良くなるので、肉屋に行く前に一っ走り出来るかもしれない。

この暖かさではミュンヘン郊外でのスキーは難しいかもしれない。週明けにでもキャンセルを判断しよう。兎に角、「ラインの黄金」のお勉強が出来ていないので時間がない。



参照:
録画録音した中継もの 2017-08-31 | 音
腐臭と紙一重の芸術 2018-01-04 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2018-01-08 01:00 | 雑感 | Trackback

まるで億万長者ゲーム

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車両保険の掛け金額が安くなっていた。無事故年数が溜まったからだが、数年前から二年ごとに減るような制度が見直されて、数年に一度ぐらいしか掛け金額が減らなくなっていた。だから強制自賠責保険と車両保険とも5%減額されたのは嬉しかった。

なにがいいかというと、新車を購入した時にどうしても保険金額が大きくなるので、その時もこの5%が大きく活きてくる。現在の車で車両保険に入っていても、壊しても盗難でもほとんど金が貰えない。古い車に車両価値がないからだ。だから少なくとも車両保険は止めてもいいのだが、そこは損得勘定が入る。目的はこの掛け金の減額で、新車を購入したときはそこから続けられる。

勿論新車価値のより低いものを購入するならば車両保険額はそのままでも低くなるのだが、今回5%落ちたことで、ある程度の車両価値があるとなるとこの5%減額が大きいのだ。要するに新車購入時の車両維持費を算段する場合に大きな意味を持つ。喜んでいたのである。来年以降、プラス何百ユーロだ。

冬タイヤに変えた。予想通り乗り心地が良くなった。車も足回りが草臥れてくると、タイヤでのショックの吸収がものをいう。週末からシュヴァルツヴァルトなどでは谷にまで雪が降るようなので、これでベストタイミングと喜んでいた。

冬タイヤも2013年10月に最後のものを安めにアマゾンで入手したのが、最後まで使えて、乗り逃げると思っていた。タイヤだけでまだ使えても車を下取りしてもらうときにそれほど金にならない。だから上手く乗り逃げたいのだ。いつもよりも長く待っていてそろそろと思っていると、いつもの親爺がやってきて、車のあるところまで来てくれという。「何回も空気を入れても抜けてしまうのでおかしいと思った」とそして上げてある車のタイヤを指さす。釘が刺さっていた。そもそもタイヤを預けてあるので、その間に検査済みな筈なのだが、目視で見落としたということになる。これじゃ金を払っている意味があるのかどうか、不安になるのである。

そこで、同じものがあるからとオファーを出すのが155ユーロである。「お宅で買うと高いからな」というと、それほど変わらないというが、あとで調べてみると約40ユーロ安く入手可能だった。それでも改めて夏タイヤを嵌めて、アマゾンに発注してそれを持って再び出かけてとなると時間の無駄も大きい。面倒なので早く遣らせた。これでマイナス40ユーロそれどころか155ユーロだ。

これも全く買う必要のなかった155ユーロなのだが、釘が刺さるのは仕方がないことで、使えるタイヤが駄目になったのは事故を除けば初めてかもしれない。まあ、慰めになるのは2013年に購入した分は前輪についていて、釘が刺さっていた後輪はその前年の五年前に購入したもので溝の深さ6ミリで、それ以上に古いものだった。つまり、年間2ミリほどの消耗で来年の冬には使えなくなる可能性があったものだ。預けて置いて明らかに得すると感じるのは清掃や保存方法などで、消耗が少なくなることである。これで一番溝が浅いのが、右側後輪で、それ以外は殆ど新品に近い感じなのだ。それだけが慰めである。




参照:
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
観念は自由、限りなく 2013-11-09 | 文化一般
ぼちぼちと冬の準備 2012-11-03 | 暦
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by pfaelzerwein | 2017-11-24 22:09 | 雑感 | Trackback

ネジを絞められない話

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オーストリアのインスブルックの谷から手紙が入っていた。町からブルンナー峠へと向かう旧街道筋にある靴屋さんからである。スキー靴の金具が取れたので部品を送ってもらうように手配していたのだが、とても長く掛かった。初めは取り付けに靴を送らなければいけないと持っていたが、レンチでネジ留めするだけで直ることが分かったので、ネジとボルトを送って貰った。

何処にでもあるようなネジだったがマイスターの方でもメーカーに注文したらしい。郵便桶を開けて何かおかしいなと思っていたが、開けてボルトが入っていた。しかしネジが無ければネジが絞められない。そこでメールを送ると、一緒に入れたからもう一度探してくれという。

パジャマに着替えていたが厚いコートを羽織って郵便桶をヘッドラムプで確認したが何も落ちていなかった。よく観察すると宛先の窓のところが破れていた。そんなにうまく外にはみ出すかと思って、中の便箋を見ると二つ穴が開いていて、そこに横にネジを差し込んでいたのが窺がわれた。封筒と合わせると、二つの穴の延長線上が窓の穴の開いているところだった。

なるほどまさかと思うが、そこからネジが外に落ちて紛失したのだった。その写真を早速マイスターの方に送った。現在のマイスターは、前任者の伯父さんの店を継いだのだが、正直職人としてはこうした細かないい加減な仕事は恥ずかしいと思う。本人はどのように思ったかは知らないが、仕事の雑さに通じるような性格を反映していると思う。

紙に挟むのもいかにもプロっぽい感じがするが、せめてテープで固定するかしておけば紛失は避けられた。工房ならば小さなビニール袋に入れるか、少なくともテープぐらいは巻き付けて置くべきだったろう。少なくとも素人の私でも同じものを送るならばもう少し工夫した筈だ。本人はどのように感じたか知らないが、次にはどのようにネジ一つを送ってくるのか?見ものである。



参照:
源流へと戻っていく 2014-12-29 | アウトドーア・環境
少し早めの衣替えの季節 2017-09-16 | 暦
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by pfaelzerwein | 2017-11-22 03:00 | 雑感 | Trackback

爺さん殺しの音楽監督

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そろそろ初日までに一月となった。プッチーニの三部作新制作の情報も少しづつ出てきた。先ずは、ミュンヘンの歌劇場最古参の男性の紹介だ。先ごろ日本で大歓迎を受けた指揮者と同じ90歳の現役で、舞台の背景を埋めるような通行人役が専門の団員である。

齢が語ることはそれだけの説得力がある。若い頃にリヒャルト・シュトラウスの指揮を、その死の数年前に「ローゼンカヴァリエ」の三幕前奏曲で体験しているようだ。そして70年間劇場の聴衆として、ハンス・クナッパーツブッシュやヨゼフ・カイルベルト、エリカ・ケートなどを愛してきて、63歳で務めていた銀行の課長として定年を迎えたことから、憧れの舞台に通行人として応募することになる。それ以降、演出家に重宝されて、シーズンに幾つかの制作に登場しているようだ。ヨーナス・カウフマンとは傍にピッタリ離れずで登場したりしている。

それでも過去の時代を夢想したりすることはないらしい。それは、彼に言わせると、キリル・ペトレンコ指揮の現在のよリもよかったことは嘗て無かったからだそうだ。そして今、「無口な女」に続いて、「三部作」に登場して、手回しオルガンをひいて後ろを音も無く通るらしい。そのヴィリー・ブルンナー爺は、初めて指揮者のところに行き、その登場を音楽に合わせるために総譜に説明を受け取ったというのである ― キリル・ペトレンコからである。それを思い出しただけで鳥肌が立っているブルンナーさんは、長い劇場経験の中で音楽監督が時間を取ってくれることなどと感動しているようだ。

爺さん殺しの音楽監督だと思うが、恐らくこの爺さんが熱心に仕事をしているのは明らかだったのだろう。新演出までの四週間の稽古中に一キロ痩せるという。フィットネスであり、趣味であり、生活だという。演出家女史のところに行っても相手にされず、経験で適当にやってくださいとしか言われなかったのであろう。音楽的にはそれほど厳密ではない演出家なのかもしれない。この情景がどこに出てくるのか?そろそろお勉強をしていかなければいけない。

週末は、先ずは「アインドイツェスレクイエム」の第二回目放送だ。楽譜を見ながらブロムシュテットの解説とともに聞いていこう。プッチーニのお勉強もそろそろ始めるとなると、またあまり時間が無くなってきている。

週間に四回走った。日曜日に山登りが出来れば、先週分のなまけが取り返せる。体重も増加分を再び戻せるかもしれない。動機付けが出来るかどうか?リースリングを冷やして、出来上がりのローストビーフを購入しておいた。これぐらいか?




参照:
Der Dienstälteste, Milena Fritzsche, Süddeutsche Zeitung vom 14.11.2017
キリル・ペトレンコの十年 2017-11-12 | 文化一般
アインドィツェスレクイエム 2017-11-13 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-11-18 22:49 | 雑感 | Trackback

自分流行語「香辛料」の翁

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セヴンスデー・アドヴェンティスト教会の放送が面白い。そもそもこの教会にも管弦楽団の況してや爺さんの指揮者にそれほど興味がないのだが、卒寿の指揮者ブロムシュテットが登場して、音楽や身辺の話をしているのが面白い。日本で人気があり、馴染み深いこの音楽家への興味は、こちらでは先ず何よりも最初にその健康の秘訣への関心ということになり、それは世界のどこでも同じではなかろうか。日本や極東の儒教の教えから導かれる漠然とした気持ちはないかもしれないが、高齢者がこのように生き生きとして楽しそうに話すのを聞くと、少なくとも一体何がそんなに素晴らしいのだろうと関心を引き起こすのは当然だと思う。

二つのヴィデオを観て、芸術に関してはゲヴァントハウスの管弦楽団を称して、お勤めの日曜礼拝での任務が、キリスト者でない楽員の若者にも与える影響を語っていて、音楽に対する真剣なものを皆自然に持ち合わせるようになると言う。そして、「最もゲヴァントハウスの管弦楽団は、音楽に対峙する真摯なものを持っている。」と語る。

これは札幌公演でも感想の中にその舞台での態度などについて触れたものがあって ― 後ろを振り返るのは新ゲヴァントハウスで慣れているからだろうが、そのようなところまで見られているのかと思ったのだが、ブロムシュテットのこの言及はこれに通じるところがあると感じた。我々はどうしてもカトリックにおけるそれとプロテスタントにおけるその態度の差をどうしても先入観念として持っているので、プロテスタント圏のある種のふてふてしさを思い描くのだが、簡単に日曜礼拝の雰囲気と読み替えてもよいだろうか。ごく一般的な日本人が神社参る感覚と寺廻をする感覚の相違の様なものを想像して貰えるとよいかもしれない。恐らく仏教の家庭にとっても、神社のそれの方が国家神道的な権威をどこかに感じているかもしれないということだ。

そしてこの老指揮者は、「コンサートの前にはお祈りなどすることがない」と言っている。番組上その信仰との関係に触れるのは当然で、この教派がどのようなものかはよく分からないが、そのように簡単にあしらって、「自分自身の生活自体が信仰だ」と言うのはとても強いメッセージ性があった。その一方で、番組に配慮して、「お祈りはしますけど」と断っているのが、おかしかった。

もう一つは、ルツェルンの娘さんの多世代家庭の自宅からの風景で、お誕生日のプレゼントの料理本を手に語る場面だ。「ポルシェやピカソの絵画をプレゼントされるよりもこれに価値があるんだ」と言うのがまた面白い。なるほどあの爺さんならばポルシェでぶっ飛ばすぐらいお茶の子さいさいだろう。その朝食が簡単なオートミールの様なものに野イチゴ類の季節のものを混ぜるようだが、スェーデンの暮らしとか本人のルーツを強く感じさせて、これがまた味わい深い ― まるで、終止の音の後で立ち尽くすこの老指揮者が感じている、余韻の様なものだろうか。

そしてそうした贅沢品をして、ブロムシュテットは「それらは人生のただのスパイスにしか過ぎない」と、全く同じようにゲヴァントハウスにおける「19世紀以外のバッロックや近代音楽のレパートリーをスパイスだ」と断言する ― このあたりにこの人が18代首席指揮者をしていた時の管弦楽の冴えない響き感がよく出ている。

月曜日にはNHKホールから「アインドィツェスレクイエム」の中継がある。土曜日からデンマークでの同じ曲の演奏会中継録画が30分づつ放送される。11月の時期がらとても楽しみにしている。まさしく鬱陶しい11月の生活での香辛料だ。



参照:
Selig sind, die da Leid tragen,
Das Gewandhausorchester Leipzig,
Freude statt Luxus, (HopeChannel)
土人に人気の卒寿指揮者 2017-11-07 | 歴史・時事
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音 
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by pfaelzerwein | 2017-11-09 21:06 | 雑感 | Trackback

遠隔から取捨選択する

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ザルツブルク音楽祭2018年の詳細内容が発表された。数日前からハイライトは知らされていたが、これで2018年のベルリンのフィルハーモニカーのオープニングプログラムが分かった。交響詩「ドンファン」と「死と変容」、ベートーヴェンの交響曲七番のようだ ― 七番は台北でお披露目していたので、あとはブラームスが気になるところである。このプログラムで、キリル・ペトレンコはザルツブルクデビューとなるのだろう。どこかの新聞のバカ親仁が「2019年のデビューに向けて古典派を準備しなければいけない」などとデマ情報を流していたものだから、私も騙されていた。いつものように二つ目のプログラムは、四月のベルリンで演奏されるデュカ作曲「ラぺリ」、プロコフィエフ作ピアノ協奏曲三番、シュミットの交響曲4番となる。

こうして二つのプログラムの曲を合わせると多彩な内容となり、殆どこのコンサート指揮者のメインレパートリーの外堀を徐々に埋めてきている。兎に角、ベルリンにまで行かなくても手近なところで、二つのプログラムをよくさらった状態で、本拠地以上のその演奏を体験することが可能となる。こうして徐々にバーデンバーデンでのオペラデビューへと近づいて行っている。

クロームキャストが届いた。早速取り付けてみた。先ず、セットアップとアップデートに10分以上時間が掛かった。同じミュージックを使っているのだが、このような記憶はなかった。どんなデーターをグーグルに送っているのか釈然としなかった。そもそも精々YouTube程度でネットからのストリーミングには使わない。つまり自身のネット内だけの問題なのだが、煩わしい。

それに続いて、キャストをクロームブラウザーから送った。想定以上に上手くいったのは、音声をミュージックに送りながら、画像だけを送ることが可能だったことで、メディア再生にはVLCメディアプレーヤーの音声と映像のズレを調整することで問題なく使える。映像は若干落ち、HD再生となると動きが完璧ではない。

肝心の仕事には使えるのだが、最も具合が悪いのはマウスの動きが悪いことで、まるで昔のマウスを使って仕事をしているようなイライラ感がある。これが解決されない限りメインとしては使い難い。並行して入力しているラズベリーパイの方はマウスは使いやすいのだが、画像の動きにストレスがあり、キャストの方は画像が使えてもマウスが使い難い。一長一短だ。

纏めると、遠隔のドッキングステーションとして使うときもあれば、そのままHDMIで接続して使うことも可能なので、その間で陽射しとか気候や仕事内容によって使い方を変えてもよいと思う。



参照:
とうとう暖房を入れた日 2017-11-08 | 暦
ルツェルンの方が近いか 2017-10-12 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2017-11-08 23:39 | 雑感 | Trackback

パリとベルリンからの中継

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無料のデジタルコンサートを一週間分を使い果たした。今回は忙しくて殆ど使えなかったが、先ずはルクセムブルクの公演当日の零時過ぎにアップされたピーター・セラーズ演出の「利口な女狐の物語」を観て、最終日にはライヴで「ペトリューシュカ」1947年版、南鮮のウンスク・チンの初演とラフマニノフの交響曲三番を見た。

最初の曲は来年の復活祭で演奏される曲でこれまた先に聞けて為になった。二曲目の新曲は同じ楽器編成での短い曲との制限ながら中々今日的なサウンドで上手に書けていた。賞も獲っているようで、ブージーアンドフォークス出版契約なので、そうかなとも思うが、今まで聞いた南鮮出身の作曲家として卓越していると感じた。今回の極東ツアーに同行するらしい。

放送の伝送状態はあまりよくなく、何もこちらのネットの規格だけでなくて、どうしても込みそうなラフマニノフなどで落ちたので、供給側の問題だろう。いつものことである。お陰でチン女史の曲は完全に聞けた。ただし映像はよくないので初めからあまり観ていない。

前日にはパリからの中継があって、アンサムブルにはいろいろと感じるところがあった。やはり通常の意味ではベルリンのフィルハーモニカーは巧いのだが、その会場の特質もあってか上手に目立たないように管が合わせることもなく、弦も特徴である強い音が先だって、しなやかな合奏をすることはない。それは前日のパリ管の特徴である管でも弦楽奏法でも同じだった。

どうしてもクリーヴランドやゲヴァントハウスなどの合奏との比較になるのだが、結局はキリル・ペトレンコが振る時のようにもう一つ精妙な合奏をしていかないと管と弦は合わせ難いのかもしれない。そう思って、ラトルが内田に合わせるヴィデオを観た後に ― 内田のモーツァルトは更に普遍的な表現に近づいて来ていて、比較するものが見つからなくなってきたほどだが、ラトルの合わせ方には不満を感じた ―、大分以前にペトレンコがベートーヴェンの三番のピアノ協奏曲を振ったヴィデオを改めて観ると今まで思っていたよりも難しいことをしているのが分かった。やはり協奏曲の合わせ方は、棒が自由自在なので、どんなソリストを相手にも絶妙だと思った。

その後に時間切れまでに見つけたのは、ブロムシュテット指揮のブルックナー八番交響曲だった。残り時間がなさそうなので、先ずは四楽章から流して、その後に三楽章、そして一楽章に二楽章を流した。先ごろの誕生日のヴィデオコラージュにも使われたものだが、もはや無視出来なくなった。

早々に前日に発注したモニターのアームが届いた。先ずは寝室の机に取り付けてみる。気になっていた机への設置は無理があったが、奥においてあるガラス張りの置き机に設置出来た。予想していたよりも足などが大きめで、書き机に設置すると邪魔になるので丁度良かった。先ずは、仮にモニターを設置して、使えるかどうかを試してみよう。予想以上にパイプも太く、足元もしっかりしているので、送り返す必要はなさそうである。



参照:
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-11-04 23:46 | 雑感 | Trackback

新鮮な発見に溢れる卒寿

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ブルックナーの交響曲七番のお勉強である。ブロムシュテット指揮シュターツカペレの録音を聞くと、二分の二拍子の一楽章第三主題のアクセントのアレグロモデラートの中での躍動感で、いつも田舎の踊りのように聞こえていた主題なのだが、ここではもっと洗練されて軽快に奏される。これをこの楽譜の見た目通りに「組み合わせカムが連なって動いているよう」に印象するのが頓珍漢かどうかはまた改めて考える。

第一、第二主題、そして展開部、再現部、終結、更にラシドの動機などとても重要な働きをしているのは交響曲の構造として当然なのだが、この交響曲における対位法手法からの逆行・反行などの動機のカノンなどを対旋律として浮かび上がらせるではなく正しく配置されるかどうかは、特にこの交響曲の価値を吟味する場合にはどうしても重要な視点に違いない。兎に角、素人感覚では最も簡単で単純に見えるこの一楽章の二拍子をしっかり振れている一流指揮者があまりいないことに気が付いた。

二楽章の主題も昔から風変りと思っていたのだが、四度、五度の跳躍などが四分の四拍子の中でうまく組み合わされて七度の跳躍へと繋がり、例の都会的で装飾的な三拍子の第二主題と組み合わされている。後に第九交響曲へと広がりゆくのが目に見えるほどだ。

三楽章は、一楽章を試みた後に、このトリオのスケッチ、総譜が完成していったという。いつものブルックナーのトリオなのかもしれない。スケルツォのスタッカートのついた動機的な関連や二連桁の動機などがそこに見られる。

結局同じく二拍子の四楽章の第一主題で二楽章での動機や、また第二主題のコラール対旋律に二連桁などがまたまた用意されていて、それが第三主題へと次から次へとネタバレのような推移になっている。そこが、少しいつものブルックナー作曲とは違うという感じがするのかもしれない。しかしその直ぐ後の主要主題を想起させた後の「農民踊り」のような節は今度はトレモロまでを伴って明白になっている。それどころかこれは牧歌的なホルンを鳴らす経過句となっている。この提示部のぐっと圧縮したような構成はそれぞれに絵を描こうとすると殆どコラージュ紛いなのかもしれない。そのあと一気呵成にクライマックスへと辿り着いてしまうので、この曲がコムパクトというような印象を偏に与えているのだろうか。

評価の高いオイゲン・ヨッフム指揮のベルリンでの全集からのこれも聞いた。テムポも早めであるが、充分に音化されていない印象もあった。その他の多くの評価の高いブルックナー指揮の演奏も比較したが、結局この指揮者の制作録音が最も楽譜を反映していた。やはりこの作曲家の交響曲を熱心に勉強する指揮者は殆どいないということなのだろう。もしくは真面な演奏をして録音できるような環境にいる指揮者が殆ど存在しないということらしい。その数少ないギュンター・ヴァント指揮の録音がただただ喧しいだけでコントロールされていないので使い物にならなかったのは大変遺憾だった。

90歳のヘルベルト・ブルムシュテットは、最近ブルックナーを熱心に取り上げており、昨年のバムベルクなどでの出来の悪いものもあるが、管弦楽団が上手ければ楽譜の情報を充分に音化してくれると期待する。さてゲヴァントハウスはどの程度の交響楽団なのだろうか。

未だに楽譜を勉強していて初めて気がつくがあると感動した面持ちで語る指揮者である。なるほど芸術音楽とはそうしたものなのだろうが、その一方で暗譜で指揮するこの老指揮者に一言疑念を呈したくなることもある。一般的に老人になると記憶が薄れる。するとこの暗譜で指揮する指揮者が毎日のように同じように新しい発見をして毎日のように忘れているとしても決しておかしくないであろう。それでも毎日が新鮮な発見に溢れているとすればやはりそれほど素晴らしいことはないだろう。



参照:
Klassiker der Woche: Löm-tödödöm-po-popfff(Tagesanzeiger)
腕次第で高くつくかも 2017-10-26 | 料理
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-10-26 22:52 | 雑感 | Trackback