カテゴリ:生活( 552 )

ぼちぼち週末の準備

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ぼちぼち週末に出かける準備をしている。ミュンヘン往復だけなのだが、少しでも無駄無く通おうと思うと燃料費一つでも大きい。1,309ユーロは安くはないが先ずは20Lだけ入れた。残りは前日まで待って一番安いところで満タンにする。

白いブリーフを新たに下した。何時購入したのが記憶にない。最近は違うタイプのものを多く使っていたので使わず仕舞いにおいてあった。調べると少しタイプが違って、先月穴だらけのスポーツ用を捨てたものに近い。これならばその代わりに使えるかもしれない。

何も「指輪」四部作に出かけるのに新しいブリーフは要らないのだが、四回通うとなると衣服のことも考える。出来れば同じシャツで通したいが、四回とも同じ顔ぶれが周りに座るのでそれも少し気になる。前回「三部作」の時に着用していたシャツは洗濯屋に出したので、これも回収に行って予備に置いておきたい。

エンジンオイルもまあまあだから、なんとか問題なく移動可能か。あとは18時始まり20時25分終了なので、遅くとも零時半には帰宅可能だ。ブランチを摂ってからゆっくり走れると思うのだが、休憩がないものだからやはりピクニックの用意はしておくべきだろう。なにを車に乗せていくべきか?兎に角、疲れが残らないように配慮しないと翌週がしんどい。

今回は再演にも拘らずキリル・ペトレンコ指揮最後の「指輪ツィクルス」ということだけでなく玄人筋の関心も強いのだろう。前回の上演が2015年3月のようであるが、当時の初日の批評などを読み返すと歌手が弱く、ポストモダーンの演出が気に入らなく一層のこと幕が壊れて開かなかったらよかったというようなことをヴィーンのプレス紙が書いている。大して参考にならないその新聞らしい程度の低い批評であるが、メムバー表を見ると、玉石混合のようなキャスティングになっていた。クリーゲンベルク演出「神々の黄昏」を観た感想からすると、四部がばらばらの印象という評も記憶にあり、まさしくバロックオペラ風「ラインの黄金」はそれでよいのではないかと、密かに舞台を期待しているのである。

前任者ケントナガノ指揮2012年初日シリーズのキャスティングを見るとやはり弱い。因みに「ヴァルキューレ」はフォークトとカムペがペアーを組んでいた。「神々の黄昏」には、グールトとシュテムメがペアーを組んでいて、映像が残されていることから凄いキャスティングと思っていたが、初日シリーズの期間が離れているので今回のように統一した配役とはなっていない。その点からしても今回はツィクルス上演形態になっている。実際それがバイロイトと同じような効果があるのかどうなのかは経験してみないと何とも言えない。分かっているのは、最後になると四日も通ったなと感慨深く思うだけだ。

日本からの訪問者が同じような時期に行われるドレスデンのゼンパ―オパーに出かけるとあったので、なぜ態々と思ったが、なるほど一週間ほどの間に四部作を立て続けに行うようになっていて旅行者向けになっている。如何にも地元の聴衆よりも世界からの音楽旅行団からの経済が重要な劇場らしく、その構造は東ドイツ時分から変わらないのだろう。ヴィーンに比較すると西ドイツからの国内観光団が主な対象になっていることが異なるかもしれない。一年前から発券していたようだが、一日足らずで売れたようで、旅行社が特別価格で買い付けているのだろう。それにしても価格がミュンヘンの倍以上する。因みに今回の四部作には一晩当たり11ユーロしか払っていないのに、舞台への視界付きのロージェの椅子が付いている。駐車料金が倍近くになる。

二国の料金が安くない ― 着工前は二国と呼ばれていたと記憶していて、その建設予定地を覗いた覚えがあるが、今は相撲場のように新国と呼ぶらしい ― と書いてあったので、HPを見ると27000円までとなっている。換算して235ユーロとしてもなるほど高額だ。昨年秋のNHKホールでの「タンホイザー」公演の60000円も高いと思ったが、足台を別にして倍以上の価値があったのは当然だろうと思う。それからしてもゼムパーオパーのそれは旅行者向け価格になっている。

週末にお湯が出なくなったお陰で体調を壊した。あれぐらいと思っていたが体温を調整するために血圧が上がったりしたのだろうか、気温が高くなると更に体調管理が難しくなって、喉がぐずぐずするようになった。



参照:
「ラインの黄金」のお勉強 2018-01-11 | 文化一般
ヤホに表現の可能性を 2017-12-20 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2018-01-12 01:24 | 生活 | Trackback

どうも初走りだったようだ

どうも初走りだったようだ。降雨が続いて頂上往復が出来ないとなるとなかなか走る機会が無かった。洗濯に出したワイシャツを取りに行くのと、もう一つの余所行きシャツを出すのとを兼ねて、銀行に寄ってからいつもの森へと車を走らせた、閉まっているパン屋の前を通って。

洗濯屋に走らせる車中のラディオで、マルティン・シュタットフェルトの弾くシェーンベルクのマーラーを送る曲作品19‐6に続いて、アルバン・ベルク作曲未完のオペラ「ルル」が流れた。興味深かった逸話は、例のツェルハによる加筆への流れの中で、早死にしたベルクの未亡人ヘレーネは、作曲家の死後43年間、この曲の補筆完成を求める要請に対して、その都度他界した作曲家に尋ねるとして霊媒師を通じて判断を求めたというのである。この話しは知らなかった。判断しかねる未亡人としての苦悩の様なものは浮かぶが、現生の金儲けを考えれば、完成させて「ヴォツェック」並みに早めに人気レパートリーになっていた方が良かったのかもしれない。しかし現実にはなかなか容易で無かったのもこの番組の不協和音特集に係っているのかもしれない。

そのパリ初演のLPは重要な文化財だと思うが、その時にドイツ首相だったヘルムート・シュミットが訪問滞在を伸ばして、ジスカールデスタンと共に初演に臨席したとは知らなかった。以前ならばこの録音やヴィデオはなによりもの資料であったが、その音楽に関してはもはやキリル・ペトレンコ指揮の2015年のミュンヘンでの新制作とは比較にならないように、歴史的な価値は変わらないがその芸術的価値が半減した。

大晦日以来運動していなかったので、こうして身体を動かすとスッキリした。運動量が減ると食事量などは減るのだが、やはり体に張りが無くなるだけでなくて気分が冴えなくなる。気温が高く、再び雨が振り出して体が濡れたが、シャワーを浴びてその後の体の張りが気持ちよい。週末も同じように雨が一休みしそうなので、頂上往復出来たら嬉しい。月曜日からは新鮮な肉類が楽しみになる。



参照:
初買いでの野菜の高騰 2018-01-05 | 生活
はんなりした初夢心地 2018-01-03 | 暦
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by pfaelzerwein | 2018-01-05 23:44 | 生活 | Trackback

初買いでの野菜の高騰

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夕方に初買いに行った。強風で雨が吹き付けるような合間にスーパーと八百屋に立ち寄った。購入したかったのは白菜などだが、年末年始ゆえか野菜の値上がりが激しかった。通常の二倍ほどするものも少なくない。そのなかで通常の価格で購入できたのは三色ピーマンぐらいだった。八百屋も同じで、フェルトザラタぐらいで、同じ価格ならイタリアンパセリを購入しておいた。ジャガイモは変わらない。まあ、これで来週になれば落ち着くだろう。

そもそもクリスマスから年末年始で食材が溜まっている。どこの家庭でも同じようなものなのだろう、だからそれほど緊急の買い出しはなかったのだが、シャワーのための水石鹸が無くなっていた。これが無いと通常の薬用を使うことになり無駄になるのでどうしても必要だった。その他ではコーヒーの紙フィルターがあまり残っていなかったので補充した。肉屋もパン屋も開いていない限り朝食に不自由なのでバナナやヨーグルトも購入した。

昨晩にリースリング煮凝りとグローセスゲヴェックスを合わせたので、続けてトリフとヴィールのミニザウマーゲンとしたいと思ったから、コール類を探したのだがヴィルシングもなく、初日は獅子唐ぐらいで誤魔化しておこう。場合によっては、バルサミコソースで、シュペートブルグンダーを開けてもよいかなと思っている。二回目から少し炒めるようになったら、ピーマンを付け合わせばよい。三回は食せるので週末で片づけられるだろう。

昨日新しいジーンズを下ろした。一年ほど寝かしておいたことになったが、サイズが更に小さいので太もも当たりのフィット感が何とも言えず気持ちよい。やはりジーンズは少し引き締まった足にフィットが一番良いのだなと改めて感じた。胴回りを絞っただけでなくて、走りこんで太ももが痩せたお陰だ。

金曜日にNHKから「タンホイザー」の初日の中継録音が流されるようだ。初日の生中継の一幕だけは録音が上手く行かなかった。その原因は先日分かった。バイエルン放送協会のストリーミングで、準備している前番組のままそのまま続けて再生していると、ある程度の時間が経つと再び再再生してしまうことが分かった。つまり生中継の時は前番組から本番組に変わるときにリロードしておかないとリピートしてしまうことが分かった。実際には開演前のナレーションが緊迫してくるところなので忘れて仕舞いがちとなる。そのようなことから生放送の一幕は駄目だったので、その後にオンデマンド以外にもベルリンからの再放送も録音したのだが、音質的に生放送には敵わなかった。NHKのものがどの程度になるか試してみようと思っている。どうせ朝早くから仕事を始めなければいけないようなので、夜中に起きて準備可能だ。初日のものはAudacityでは残していないので丁度良い。ハイレゾ録音の価値がある受信ができるだろうか。

承前)ミュンヘンのプッチーニ「三部作」初演シリーズが終わった。誰かがフランス語で書いたものによると最後は再び第二部のヤホの歌が中心になっていたとある。そうなのかと思った。今回の大成功したプッチーニ公演を見ると、これでプッチーニの新演出は打ち止めなのだろうと感じた。残りの「トリスタン」意外にはヴァークナーの新制作もないだろうから、あとの可能性が限られてくるだろう。ロシアものかスラヴものがもう一つ来るかもしれない。

兎に角、湿った空気が入って来て、気温が急上昇し、可成りの降雨量になっている。到底山登りコースを走るところではないと運動量が落ちていて、気温の変化とともに過ごしにくい。頭も重く、眠気も上手く取れない日々となっている。



参照:
楽匠の心残りから救済されたか 2017-05-23 | 音
ビオデュナミへと根回し 2014-07-09 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2018-01-04 23:48 | 生活 | Trackback

暮れの夜のロココ劇場

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シュヴェツィンゲンから帰宅した時には11時半を回っていた。最近はミュンヘンのそれも早めに終わり、帰宅走行時間で三時間以上長く掛かってもそれほど遅くはなっていないことを鑑みると、11時近くまで公演が続いていたのは珍しい。イゴール・レヴィットのレートナイトコンサートに近い。車を停めて正門から入場したのが19時前だったろうか。だから駐車料金も4.80ユーロになった。田舎の町としては比較的高額だ。

そのお陰で予定していなかった公演前のガイダンスを聞けた。話し手はハイデルベルクの劇場の支配人で、ざっとした作品に纏わる話とあらすじそして出演者についてであり、無料で最後の一つを貰ったプログラムの内容を超えることはなかった。しかし反復することでより頭に入る。とは言っても訳の分からぬ出場者の何人もの名前を把握するのはいつも厄介だ。昔から日本では翻訳本のそれもロシア文学などについて語られるカタカナの名前というものがあるがそれはアルファベットでもあまり変わらないように思う。特に異なる言語圏発祥の名前は覚え難い。

ロココ劇場の定員は500名ほどらしいが、ガイダンスにはそこに既にいる人はほとんど入ってくるので、大広間が一杯になった。流石にどこの大劇場もこのような大スペースは持っていないので全く並べられた椅子の数が違う。

幕開けまではそれほど時間が無かったが、一口口を濡らして、劇場に入る。久しぶりの入場で記憶にはあまりなかったが、少なくとも椅子や床は改良されていて、ギシギシなるような事は無くなっていた。2004年ほどに大きな改修工事が行われたようだ。これならば古楽器演奏団体などはもう少し使えばよいと思う。但し、今回の席も柱の裏で足が長過ぎる人は困るかもしれない。視界は目の前が塞がれるが、左側から右サイド舞台縁を除いては問題が無かった。そもそも奈落はほとんど見えないのは、何もここだけでなく昔の歌劇場では最前列を除いては同じである。

だから昔の広島カープの監督古葉さんのように柱の陰からそっと見てといった感じなのだが、決して音響は悪くはなかった。一度だけ右端に立って歌っているのか左端なのかが確認するまで分からなかったぐらいである。会場の大きさと収容人数からすると全く問題が無いのである。休憩時にいろいろと覗いてみると、むしろバルコン席の四列目なのの方が天井が低い分音響はよくないかもしれない。

私の三列目は正面横乍らその柱のお陰で20ユーロしかしなかったが、隣の席は36ユーロともう少し高かった筈だ。ミュンヘンの劇場と比較すると、勿論出し物も違うが立ち見の17ユーロとどちらが価値があるかということになる。

管弦楽は、キリル・ペトレンコ指揮のものに馴染むと古楽であろうがなんであろうがなかろうが、あまりにも下手で歌手はいったいどこに合わせているのかと思うときが少なくないが、やはりよくはなかった。それでも歌手が上手く歌うところだけは断然更っているようで聞き違えるほど緊張感のある演奏をしていた。ドイツの劇場で仕事をしているフェリーチェ・ヴァナンツィオーニという人だが可成りのお調子者のようである。やれば出来るらしい。(続く



参照:
いったいどこに行った 2017-12-29 | 生活
年の瀬はロココ劇場へ 2017-12-13 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-12-30 00:26 | 生活 | Trackback

いったいどこに行った

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夜更けから要らぬ仕事をした。先ずは、先のミュンヘン行で問題になったナヴィゲーシヨンのCDRを焼き直した。しかしオリジナルからではなく、コピーのコピーだ。オリジナルは未だに行方不明である。ISOイメージを焼き付けた。早速車で試そうと思ってパジャマの上にコートを羽織ってガレージに行く。寒いので早く終わらせたかったが、上手く読み込んでくれない。そもそもオリジナルのコピーではないので不安があったが、やはり駄目だった。二枚目は別のコピー指令で焼いたがこれも駄目だった。

そこで冷えた物置で探す。秋にそこに移動させたCDの箱の中にお目当てのケースも、後に購入したパリでの仕事の際にお世話になったフランス版も見つかった。なぜかドイツ版が見つからない。CDのスピンドル類も探したが見つからない。想像がつかないのである。17年も経過しているから、当時はWIN95を使っていたかもしれない。つまり最初のコピーはWIN95で焼いた可能性が強い。それが手元にあり、読み取りが悪くなっている。試しにXPでコピーしたが上手く行かない。

再びオリジナルを探すが、なぜ箱から出て保存されているのかが分からないのだ。こうした場合PCのCDROM読み取り機に飲み込まれている場合もあるのだが、そもそも傷むのが嫌で最初からコピーを使っていたぐらいだから、用が無いのに読み取ることはなかった。オリジナルの箱だけが仕舞ってあるということは、やはりそれよりも安全なスピンドルか箱に収められている筈だ。もう少し捜索を続けてみるしかないが、ありそうな場所は一通り見たので、次に探すとすれば要らぬCDROMを処分がてらにゆっくりと一枚一枚整理するしかなさそうだ。何を維持するべきかは判断が難しい。今更古いシステムのアプリケーションが必要とは思わないのだが、不可逆になって困ると嫌だ。

そうこうしているうちに物置に使っているアパートの横のバスルームの水漏れの音が気になった。お馴染み便所の浮き問題である。その格好で寒い暗闇に電灯を照らして水仕事となった。不完全な形で止水したがなんかの拍子に外れると大変なことになると夜も易々と寝れなかった。結局明るくなってから同じ方法でもう少し水が噴き出すことのないようにしておいたが完全な修理ではないので適当な時にもう一度弄らなければ安心できない。さもなくば元栓を閉じて貰う。

そのようなドタバタやら未明の仕事を考えているうちに、夜鍋の寝不足となった。時間があれば、ポルポーラの「ミトリダーテ」の準備をしたかったのだが、殆ど叶わなかった。せめてモーツァルトの同曲を観て比較対象にしたかったが、それも精々流すだけだ。少し横になる時間が取れるだろうか。自宅を18時前に出れば間違いなく30分前の19時にはロココテアターで寛げる。駐車場の細かいコインも用意しておかなければいけないかもしれない。

ナヴィが使えない可能性が高いので、知っている場所とはいいながら ― そこに住もうと思ってアパートを探したこともあり、城前のホテルに滞在したことがある、ネットで調べると三通りぐらいのお勧めが出てきたが、やはり自分が一番なじみのあるルートを取るだろう。距離は40キロほどで所要時間はそれも40分弱である。駐車場から少し歩かなければいけないので夕刻から晴れて冷えてくるようだ。足元が濡れなければよい。

時間の都合がついたと思ったら、振替を忘れていた。クリスマス前に出来たのだが、不注意で伝送番号表の入れ替えを行わずにいたので、使えなくなっていた。クリスマスを挟んで本日初めて郵送されたので、これも済ましておかないと年内決算が不可能になる。朝一番で済ましてしまう予定だったのを完全に忘れていた。イライラすることばっかりの一年だ。残りのものは帰宅後にやっておくしかない。今年は29日が金曜日というのが大きい。



参照:
年の瀬はロココ劇場へ 2017-12-13 | 文化一般
クリスマスの買い溜め 2017-12-23 | 暦
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by pfaelzerwein | 2017-12-28 23:07 | 生活 | Trackback

カロリーだけでなく栄養も

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雪は止んで、想定通り少し暖かくなった。それでも湿気っていて雨が降って肌寒い。週末に購入しておいたパン屋のシュトレーンを朝食代わりにする。バターが充分に入っていて比重が高いので比較的腹持ちがよい。ナッツ類も入っていてカロリーだけでなく栄養もある。

時間がある限りタブレットを弄っているので、食事などの時間が割かれる。目下の問題点は、前回の脱文鎮化では補助的な意味しかなさなかったPCによる制御であるが、これがなかなか難しい。PC側にドライヴァーをインストールなどした。それでもまだ充分にコマンドが可能となっていない。タブレットは再起動のループになっているものだから、もう少し弄って、電池を使い切った方がよいのかもしれない。時間を掛ける必要がありそうだ。

日曜日の夜は作業片手にベルリンからの放送を聞いた。引退するペレスがピアノを弾いたモーツァルトは大きな崩れはなかったようだが、その後のインタヴューは興味深かった。要するに彼女が語るに「ピアノを舞台の上で弾いていてもちっとも面白くない」というのだ。プロのピアニストとして、技術的破綻がないように一日中ピアノの練習をしているだけなのだろうから、もともとの技術的限界もあり、これ以上弾いていてもなんら希望が持てないということなのだろう。その理由にブラジルでの家族との時間を挙げていたので、要するにプロとしてピアノに向き合って技術を維持するための苦しい時間などは無駄ということらしい。ピアノを弾いているよりも貴重な自分自身の時間を大切にしたいということのようだ。その天分を考えるとそうなるのも分かるような気がする ― アルフレート・ブレンデルもいい時期に辞めたと思う。それでもインタヴューで、「チューリッヒでもう一度弾いて、日本に行って終わりだ」と語っていた。キャリアの最後に日本人の歓迎を受けて、たらふく寿司でも食してというのがこの手の演奏家のお決まりのようになっているようだ。それほど日本人は優しい。

日本で愛されている指揮者ブロムシュテットの演奏とインタヴューそしてナレーションはそれ以上に面白かった。先ず「座って指揮してもそのカリスマ性は変わらない」とナレーションが入るので、流石に東ドイツの名前でベルリンでは出ているのだと確認した。そのように評するのは東ドイツでのほかにはないだろう。更に驚いたのは息絶え絶えのインタヴューで、如何に極東ツアーで全力を使い果たして完全に弱っているのが声からも分かった。あの年齢になると、今日と明日、昨日と今日では随分と健康状態が異なる。

演奏自体は譜読みとその原典版の面白さは確認したが、演奏自体はまるでザールブルッケンの放送交響楽団が弾いている様な響きで、ベルリンのフィルハーモニカーはゲヴァントハウスなどとは違って、ここたった十年ほどの付き合いらしく、その稽古と指揮通りにしか演奏しないので、その指揮の技術的な粗さが見えるような演奏だった。ヴィーンのフィルハーモニカーとの演奏でもなかったことなので、如何にこの指揮者は客演には向かない指揮者だと思った。それも超一流ところに客演するような指揮者で無かったのはその経歴の示す通りだ。特に演奏前に流れた声を思い出すと殆ど気の毒にさえ思った。要するに90歳を超えたこの指揮者に高いアヴェレージを期待する方が間違っているのだろう。



参照:
待降節は四拍子だろうか 2017-12-10 | 生活
神無しに美は存在しない 2017-12-06 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2017-12-12 04:57 | 生活 | Trackback

室内で汗拭う週末

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雪に閉ざされた。日の出後は晴れていたが、予定通り降ってきた。明日は暖かくなるようだから一日だけだろう。

先ごろからタブレットのポップアップアドヴァタイジングが問題になっていた。いろいろ試したが改善しなかった。そして漸く対処出来たようである。特別危ないものをDLした訳ではなさそうだが、所謂大手のテレコムなどの全面広告が突然流れ込んで不愉快極まりなかった。そこで解決方法を纏めて置く。これに対処する方法が見つかって、無事に最新のAdChoicesを抑え込むことに成功したかに見えたが、挙動がおかしくなってリセットすることになりそうである。だから結果を待ってからしかないようには踏み込めない。さてどうなるのか?ネットビジネスのグーグル一派のアンドロイドの一部を壊したことになるのだろうか。

早朝4時前に起きた。楽しみにしていた「アインドイツェスレクイエム」の初回放送を見損なったからである。前回まではオンデマンドになっていたが、クレームがついて生だけになったようだ。とても良い放送だけに残念で仕方がない。文句をつけたのは、デンマーク放送かブロムシュテット側でしかない。宗教放送局としては泣く泣くだろうが、デンマーク側だとしたら誤った判断だろう。少なくとも生放送の期間が終わるまでは置いておいても管弦楽団などの宣伝にはなっても何ら被害は出ない筈だ。まあ、この放送を見てしまうとNHKでの実況放送録画を見る人は少なくなるかもしれない。オンデマンドでないと上手く再生できなく、音声だけは聞いていたが、折角ピアノを弾きながらのお話しだっただけに残念だ。

その代わり同じネットの文化放送で、「タンホイザー」制作の裏側を扱った番組が上がっている。カステルッチの「タンホイザー」を体験した人だけでなく、キリル・ペトレンコファンやフォークトファンにも見逃せないだろう。題名が「目に入る弓」となっているが例のおっぱい丸出しのシーンを裏側からというような期待にはそぐわない、しかしペトレンコの未公開のプローベシーンが50秒弱、またフォークトの一言があり、更にカステルッチへのインタヴュー、そしてバッハラーへのインタヴューに重要な情報があった。

それによると、「パルシファル」のあとは「トリスタンとイゾルデ」になっているようだ。1998年のコンヴィチニー演出は、フィリップ・ジョルダンが2015年に振っている。既に時代遅れの演出だろうから新制作になるのは当然かもしれない。疑問は、2019年になるのか、2020年になるのかだろう。バーデンバーデンとの絡みがあるのでとても気になるところである。



参照:
キットカットにリカヴァリー 2017-09-22 | テクニック
電話ケーブルの再敷設 2017-01-17 | テクニック
身震いするほどの武者震い 2017-09-27 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-12-10 23:29 | 生活 | Trackback

待降節は四拍子だろうか

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更に寒かった。積雪の方はなかったが、その分放射冷却で冷えた。就寝時にはヒータ-を切っていたが、薄く入れておくべきだった。零下になるかどうかが指針だろうか。夜中に目を覚ますことはなかったのだが、切ると余計に水音が圧の掛かったようになって良くない。少し流しておく方が静寂性が上がる。いろいろ試してみるべきだが、エネルギーを如何に抑えるかだ。

九時を過ぎても駐車場は零下だった。足元も緩むことなく風も強い。足音が凍てついた地面に鋭い音を立てる。流石にパンツを履いて手袋をした。バンダナは考えたがまだ必要な寒さではなかった。

日曜日は気温は上がっても吹雪が予想されているので、峠攻めで今週の走り締めとする。冷蔵庫よりも冷えていると吸気が難しかった。勿論鼻で対応しなければいけないのだが、鼻の奥がツーンとしてよくない。深くは吸えないので数を増やす。ジョギングテムポなので、呼気4吸気4の八拍子にしてみる。呼気は問題がないが、吸気の最後の四が苦しい。下りもあまり変わらなかったので、やはりテムポが落ち過ぎると吸気が続かないことが分かった。八拍子はアレグロ以上でないと厳しいことが分かった。

走りながら、管楽器の特に木管のことを考えていたのだが、多拍子になるとテムポが遅いと生理的にも厳しくなるのだなと思った。日本人などが六拍子を刻むのが難しいとか言われるが、意外にこうした生理的な原因があるのかしらとか、フレージングなどとは違うことを頭に描いた。今年は走る際に昨年ほど呼吸を意識していなかったが、ニ拍子でもなくてワンサイクルの四拍子をもう少し意識すると上手く行くのかなと思った。ゆっくり走ったので40分近くも意識して呼吸しているといろいろと勉強になる。

来週も放映されるNHKホールでのキリル・ペトレンコ指揮のラディオ放送の録音を流してみると思っていたよりも素晴らしい音が録れていた。ヴィデオを観た時にはそちらの方が鮮度が高いように感じたのは視覚的な錯覚だった可能性が強い。我々の様な人間でもそのような錯覚があるのだから、やはり映像が与える影響は少なくないと思った。

そう思って昨年のマイスタージンガーの初日のラディオ放送を流した。なるほど秋のヴィデオの時からするとザックスのコッホも十分ではなく、ポーグナーもツェッペンフェルトではなく、エーファーもあわわの歌唱でいけないが、アイヒのベックメッサーもカウフマンのヴァルターも魅力的で、銃撃事件さえなければオペラフェストでの映像が残っていたのにと残念である。恐らく五回目ぐらいの公演でカメラリハーサルをしているのではなかろうか?兎に角、貴重な資料が残っていることだけでも喜ばしい。こうしたヴァークナー演奏を聞くともはや大抵の公演の奈落の管弦楽などは聞くに堪えないことになってしまう。

週末は、「アインドイツェスレクイエム」の続きと、ユロウスキ指揮「ジャンニスキッキ」の動画で勉強の予定だ。金曜日は、累計5時間ほどオンラインが不通になった。ルーターが壊れたかと思ったが、そろそろ第二の回線を準備しておかないといざというときにこのようなことになると悲惨だ。日曜日は、ブロムシュテット指揮のブルックナーの実況中継ヤコブ指揮の「コシファントュッテ」などの放送がある。どちらが面白いだろうか?女流ピリスのピアノは内田光子のモーツァルトとは比較にならないのは知っているので興味が無い。

車中のラディオで聞いた、ビゼーの「アルルの女」で有名なフランドルと重ねられる主題がクリスマスソングだと初めて知った。なるほど歌詞から「三博士」なのだが、民謡をビゼーが流用しているだけで、リュリのそれでも思い浮かばなかった。オリジナルは四拍子なのか?



参照:
足風邪をひきそうになった 2017-12-09 | 生活
じわじわ迫ってくる感 2017-12-04 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-12-09 22:53 | 生活 | Trackback

足風邪をひきそうになった

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風邪をひきそうになった。このシーズン初めてだ。理由は分かっている。裸で外気温が氷点に近いところを走り回っていたからだ。流石に上着はTシャツの上にフリースを着たが、下はショーツで走った。地面が固いと膝や腰にも堪える。それ以上に足腰が冷えた。これは以前はそれほど感じたことがない冷え性だ。暖房の効いた室内で机に座っていても膝から下が冷えた。こうなると足風邪である。二三日は元気が出なかった。

子供は風の子とかの言葉を知っているが、子供の時にも氷点に近いところを裸で走っていたかどうかは記憶がない。パンツを履くとどうしても走り難いのだが、注意しないと駄目なようだ。足風邪で全身の寒さの様な微熱感を感じるようになった。足腰の筋力は強化されている筈なのだが。

新聞の経済欄にEUに非協力的な税務当局のブラックリストに入っている国の名前が挙がっている。スイスだけではなくて、所謂パナマに相当する諸国の名前である。要するに以下の国とおかしな付き合いのある個人や法人は脱税まがいのことをしていると疑って間違いない。

先ずはパナマの中南米から、バルバドス、セント・ルチア、グレナダ、トリニダッドタバゴ、アフリカに移ってナミビア、チュネジア、バーレーン、アラブ首長国連邦、アジアに移ってマカオ、大韓民国、モンゴル、南太平洋ではマーシャル列島、グアム、パラオ、サモア、米領サモアとなっている。

韓国が脱税天国になるとは知らなかった。それどころかモンゴルとなると、日本ではいったいどのような人物がその黒いルートにいるかが想像出来る。明らかに広域暴力団などが入ってそこから彼の国に黒い金が流れているだろう。

切手を購入した。145セントのエルブフィルハーモニーオープンの切手が無くなったから補充したのだが、序に宗教改革500周年も注文した。ルターの顔の切手は頻繁に出ている気がするのだが、75セントのものが欲しかったので購入した。メキシコとの協調発行である。しかし来年になると直ぐに価格が上がって頻繁に必要になる切手の種類も変わる。



参照:
寂しき春の想いなど 2016-04-06 | 雑感
ラズベリーのアップグレード 2017-03-13 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2017-12-08 20:04 | 生活 | Trackback

じわじわ迫ってくる感

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雪雲が迫っている。だから土曜日に走り納めしておいたのだ。それでも冷えていたものだからウォーミングアップしても冷えた車の様な足元だったので、腰に違和感が残った。スキーでも体を痛めるのはこの寒さなのだろう。新しいパンツを探しておかなければいけないかもしれない。そのような状態で零下5度の降雪の中で一時間近くの山登りコースを上下するのは体を壊す以外の何物でもなかった。

修理したもの二つ目は車のキーだった。キーのレンズ電池が弱くなって― 1.5二つ直列で2Vを超えるぐらいだった、ガレージに行って開閉ボタンをしても反応しなくなっていた。だから車に乗るたびに、差し込んであるメカニックなキーで鍵を開けて、しばらく乗ると充電されて使えるようになるというものだった。最初の時はバッテリーが上がったかと思って驚いたが、最初だけが問題だった。それでも冷えてくると電圧が上がらずに作動しなくなった。

そもそもキーは予備の二つ目を使っていて、一つ目も電池が弱ったころにあまりにも強く押してプラスティックが割れていたのだった。結局レンズ電池を取り替えずに二つ目を使っていたのだった。電池が当時は探さないと入手し難かったのだが、今はアマゾンで発注して無料で送ってくれる。価格もパナソニック製六個組3.18ユーロならば文句はないだろう。取り替えると新品の時のようにパイロットラムプも点き、使い勝手が全く違った。

承前)初日に向けての稽古風景が流れてきている。プッチーニ「三部作」の楽譜にざっと目を通して、スカラ座での公演動画も一通り流した。「アンジェリカ」はもう少し勉強してみないとわからないが、多段のシステムなどの本質的な意味合いを理解しないと、効果的なリリックな歌唱の土台の音楽的な工夫が分からない。

「ジャンニスキッキ」も線の書法も見えてきた。「ジャンニスキッキ」は音楽的には分かり易かったが、演奏は結構苦労するところもあるのではないだろうか。いつものように事故が起こりそうなところもありそうだ。特に有名な「いとしいパパ」までの重唱への場面が山だと思った。大変よく書きもまれている。

リカルド・シャイ―指揮の本場物のヴィデオは、そうした音楽的な面白味が最後までよく理解し難かった。ヴァレーズ全集録音などでもあれだけの指揮をしているのに、自国のこの作曲家の書法を通常以上には読み込もうとしていないのは不可解だった。デビュー当時からオペラにおいてはクラウディオ・アバドなどに比較すると効果的ながら月並みな表現をしていた指揮者だったが、そうしたところが一貫しているのだろうか?

プッチーニが楽譜に書き込んでいる情報の半分も音化していないだけでなくて、如何にも「おいしそうな表情」も無視するかのような指揮をしている。スカラ座の管弦楽団の稽古やその労務関係の難しさは想像するしかないのだが、そもそもオペラ劇場などはそうしたものでコンサート活動とは全く異なるものだと主張しているかのようだ。名門座付き管弦楽団とそれ以外の相違は何もしないでもある程度の上演が出来ることだと、まるでヴィーンの国立劇場の様な事になっているのだろうか。要するに芸術的、職業的な怠慢でしかない。

そのような訳で、楽譜を見ていなければ、プッチーニがそこに何を書き込んでいてどのような音楽が流れるかは月並みな演奏を聞いていても全く分からなかった。月並みなイタリアオペラの水準が分かったので、グライボーンでユロウスキーが指揮したものを更に探した。「スキッキ」はあっても「アンジェリカ」などは見つからない。まだ若い指揮者に任せたそのような上演だったようだ。結局17日の初日のラディオ放送を待たなければいけないのか。(続く



参照:
次世代への改良点 2017-12-03 | アウトドーア・環境
クリスマス向きのリスト 2017-12-01 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-12-03 18:02 | 生活 | Trackback