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薄ら寒い夏時間への移行

ドイツの夏時間が始まった。今回は一時間の時差を感じないですむ。その代わり旅行による時差ぼけを観察している。自身としては比較的珍しい経過である。旅の初めから回想すると、ドイツ時間で火曜日の夜12前には床につき朝5時ごろには何時ものように目が覚めた。それから肉屋などに行き、10時に自宅をあとにした。そして、水曜日の午後2時前にテークオフ、そして翌朝の未明1時過ぎには日本に到着した。

日本では午前中である。機中の飲食の悪さが祟って、頭痛と消化不良であった。その後、シャワーを浴びて町へと出かけ、知人の事務所で話し込むが何時も以上に頭が冴えない。なるほど動き回って飲んで夜中である。当然である。

夕食にざるそばを食し、ビールを飲んで、機内で買ったスコッチをやると夜10時には起きていられなかった。しかし、目が覚めたのは12時ごろで、それから一睡も出来ずに、金曜の朝を迎えた。ドイツの木曜の夜である。

朝から風呂に浸かったに関わらず眠くならない。結局、その日もそのまま過ぎて、夜9時過ぎには立ちながら眠っていた。丁度、徹夜明けの午後1時の感じである。10時には熟睡していた。

そして土曜日は朝早く目が覚めてしまった。そして、午後には急に眠くなったが、飲酒後も気持ちよく、やっと夜半を過ぎて眠りに入った。そして、朝も通常の感覚で目が覚めた。体温が始めて上昇した気がした。土曜日の晩餐会が功をそうしたのだろうか。

そして今、ドイツならば夜中である。ブランチを終えて、初めてヒータを入れた部屋で、また急に眠くなってきている。
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by pfaelzerwein | 2008-03-30 12:25 | 生活 | Trackback

経費節減お粗末さま

今回の飛行では、飲食も不満足であった。もし高額のチケットを購入する者がいたとして、現在のレヴェルなら苦情が出るに違いない。

そのメニューには、ファーストビジネスクラスの献立は二ヶ月ごとに異なる著名調理人に作らせているとある。今回は、ヴァイマールのホテルエレファントのチーフ、マルチェロ・ファブリが担当していた。

同ホテルには宿泊したことがあるが、マンの小説でつまり「ヴァイマールのロッテ」で有名な、第三帝国時代は象徴的なホテルであり、なかなか素晴らしいホテルである。

さて、このたびのメニューは、離陸後の歓迎ドリンクに続き、日本食を全く無視すれば二種類の前菜・メイン・デザートが選べる。

前菜には、子牛肉のスライスをツナソースであえたヴィテロ・トナートとスモークド・ザイブリンクのフェンチェルオレンジソースと芥子がついている、肉と川魚の選択で、前者を選んだ。

そしてサラダをつけたメインは、ラムの背肉とジャガイモのグラタンもしくはティラピアから前者を選択。

それに合わせて、ワインを選択する。先ずはアペリティフにシャンパーニュで、、ピノノワール・シャドネー・ピノムニエーのキュヴェーにてスルリーの二度目の発酵の酵母臭さが特徴である。そのためか、ストローの色付やヘテアローマにりんごやウイリアムス梨の味とあるが、シャンペンに求められる爽快さはない。うがった見方をすれば、これならば前回の飛行のように一人で何本も空ける私のような乗客は出ないに違いない。全く嘆かわしい。

それを確かめるように少なくとも四杯ぐらいは飲んだのだが。

そして、前菜には、ケープタウンからシャドネーを試す。燻製香と噛みながら味わうが、なるほど機体はこれをケープタウンで積んできたのだろう。それにしても食前酒と同じ傾向で余り杯が進まない。

そこでやっと楽しみにラインガウの名門シュロース・ラインハルトハウゼンの2006年産辛口QbAリースリングを所望する。これがまた甘くていけない。どうも出す方も分かっているらしく、明らかにコスト削減に奔っている。名前だけ名門だも質が悪いものを安く納入させているのだろう。しかし、こうした商品を出していると、醸造所の名に関わるのではないだろうか?

更にヴァルター・ビーボなどとマイスターまで紹介されているとなると始末に置けない。説明には、長く置ける地所などと書いてあるが、もちろん素晴らしいリースリングを作っていてもこの商品とは殆ど無関係である。もう少し冷やさせるて注がせるべきだったか。

いよいよラム肉で佳境に入ってきて、ボルドーメドックを飲むが、これまた同じ傾向である。仕方ないのでスーパーの安売りで御馴染みのスペインのうティエル・レクアナに変える。

そして、最後にはチーズを食べるが、重い気分の悪くなるワインばかりで、家の冷蔵庫を片付けるために持ってきたベルクケーゼがもう咽喉を通らない。胸が一杯である。

そして胸が悪いのを我慢して一眠りするが、目が覚めると頭痛がする。悪酔いである。ワインを飲んで悪酔いなどは何年振りであろうか。

デル・マネゴのワインのチョイスであるが、きっと購入係は名前があって量が進まないワインを中心にチョイスしたに違いない。

朝食にも不味いチーズが出て、乗務員の知っている通り、何もかも落とし過ぎである。こうなると、飛行機の旅などは私のように出来るだけ避けた方が賢明である。

雑誌などの提供品も下がってきているとしか言いようがない。燃料飛行等分を経費削減して、料金競争に耐えているのだろう。
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by pfaelzerwein | 2008-03-29 16:10 | ワイン | Trackback

タクシー運転手への寸志

行き掛けにタクシーに乗ったことを書いた。何時もと違う運転手が来た。荷物を入れるときに、「重いよ」というと、「先ごろ手術して」と言うので、「悪いね」と手伝った。

二台の車の異なる方なのだろう。燃料費高騰のことを話していると、八年に一度の料金改正の次の時には再び燃料が上がっているかどうかという話となった。現在の高騰以上に進むとはだれも信じたくないのである。

しかし四年ほど前に比べて、値上がりしていたのが、50ユーロ近くになっていた。それでもバスの移動した発着場所まで走らせ、鉄道の切符を買うまで待たせたので、少しチップを渡した。

さて、日本ではシャトルバスが到着場所はホテルなので、タクシーをドアボーイに頼むと、重い荷物をトランクに入れてくれた。チップを渡すのを忘れたが、流石である。

手荷物とあわせて、全部で34キロほどあったので、小柄な日本人には大変である。

桜の季節は長く知らない事などや昔のその界隈のことなどタクシーの運転手と話しながら、一万円札から釣りはありますかなどと話して、到着した。ドアボーイに聞いていたタクシーの料金よりも安く、細かな金で間に合った。百円ほど足して払うと、日本のタクシーには珍しく車を降りてきて、荷物を出してくれた。重かったので、腰でも逝かしてないだろうか。
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by pfaelzerwein | 2008-03-28 07:35 | 生活 | Trackback

縁があるのかないのか

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飛行機会社の倹約振りは予想以上である。マンハイムやハイデルベルクからのシャトルバスは予約乗り合いタクシーになってしまっていた。それも八人乗りなので、もちろん座席はない。同じような間違いを犯した者がいて、そのトルコ人をそこまで乗ってきたタクシーに誘ったが、フランクフルトの空港までの100ユーロの三等分は高いといって断られた。

そこで急遽ドイツ連邦鉄道を利用することにした。乗車時間は三十分ほどなので、殆ど同じ時刻に到着した。

ターミナルのはずれの国鉄駅は始めてであったが、アップグレードには特別にボーディングカードを出してもらう必要があった。なかなか皆慣れていないようであったが、一列目を確保出来て、エアバス340-600が就航した当初に乗った反対側の座席であった。

飛行機もその時に乗ったニュルンベルクと名づけられた機体で、新車の車が古くなるような経年変化を感じた。19機ある中で同じのに乗り合わせるのは縁があるんですよと、パーサーやチーフスチュワーデスに言われて気分よく乗車した。

しかし、乗用車と同じく、内装などのがたつきが酷くなっていて、当初の静けさはさすがになかったがエンジン音やその他は少なく、やはり優れた機体には他ならない。

八年おきの改装というのでまだ暫くこの状態で飛ぶようだ。その日は、ケープタウンから飛んで来ていて、大阪へと向かい、大阪からフランクフルトへとトンボ蹴りをするので、再びケープタウンへ行くのではないかとお話をした。

そして客室乗務委員の方は48時間後に、操縦士は明くる日に、再び仕事をしながら、フランクフルトに戻ると言うことであった。時差を出来るだけ慣らさないうちに戻るのが最も身体に良いと聞いていたから質問したのであった。

決して、最初に挨拶代わりに言ったように、「機体だけでなくて、客室乗務員も縁がある」ということではないのである。
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by pfaelzerwein | 2008-03-27 19:42 | 生活 | Trackback

三世紀を架ける思い出

d0127795_5483923.jpg遠縁の日系二世が亡くなったと知らせを受けた。いつの間にかメールアドレスがなくなり、本人から直接音沙汰がなくなってから、三年ほどになる。その後は、三世の娘さんの家族とのメール交換が主な付き合いとなっていた。

そして、昨年のクリスマスメールには、娘さんの家庭のツリーの横にいる母親である奥さんしか写っていなかった。それから、もしやメールを見落としたのか、それとも敢えて連絡がなかったのかと、ご本人の消息が気になった。

あとから考えれば、思いきって聞けば良かったと後悔している。メールには、一月ほど体調を壊し、たった四日間の入院で安らかに亡くなったという。享年94歳とある。

消息を聞くのを躊躇ったのには訳があった。それは2001年に義理の娘さんの実家のあったコルマーに寄って、シュヴァルツヴァルトを案内したときにも本人が主張していたことが頭にあったからである。神経科医であった彼に言わせると、「うちの家系にはアルツハイマーは無い」となぜか好い加減に確信に満ちて断言していたからである。

なるほど本人が電子メールを打てなくなっても決して老人呆けが急激に進んだとは思わないが、発信するものが少なくなっていた感じはしていた。本人の名誉のために好い加減なことは言えないが、果たしてどうだったのだろう。

実は昨晩、久しぶりにホームグラウンドのワイン地所を散歩して、最後に会ったときのことを少し思い出していた。既にその時86歳になっていた彼は戦後日本から迎えた幾らか若い奥さんと共にとても元気だった。

あの観光地のトリベャークの滝に連なる急坂を息を弾ませ、休みながら登っていた情景を思い浮かべる。昔、京都で習ったと言うドイツ語を駆使して、店などで交流を図る様子は、日本人観光客のぎこちなさとは異なり、またそこいらの野放図な米国人観光客とは異なり、ある種の親近感に満たされたものであり且つその年齢故かなかなか含蓄に富んだものであった。

Ich habe Deutsch in Japan gelernt.

とか、なんとか話し出していたのを覚えている。こちらがまだ三週間ほどしか経っていない新車を試し試し運転しているのを見て、歩道に乗り上げるように路肩に停める時は長く斜めに乗せなさいとか、細かな指示をしてくれたのを覚えている。

お互いに共に過ごした時間はとても限られたものであったが、彼にとっては、百年以上前に太平洋を渡って南米の日本大使館に潜りこみ、その後合衆国に渡り、世界大戦中は兄弟二人を故郷に送り教育させた、亡き父親の面影を私に見たのであった。

と言うことで、どうしても共通の先祖は三代前に遡るがするとさらに分家となってからの五世紀に渡る歴史のようなものを考えて仕舞うのである。それはまさに、昨晩葡萄の生育とその土壌を見た時に感じた、循環する歴史なのであった。

兄の方は戦後米国に帰国して、弟の方は日本に残り医学部を退官後十年ほどして亡くなった。四半世紀ほど前のことである。

故人と最後に会った2001年9月11日は個人的にも忘れられない日付となり、そのとき貰ったちょっとしたものが彼の形見となったのである。
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by pfaelzerwein | 2008-03-26 06:50 | 雑感 | Trackback

塩チョコにリースリング

d0127795_4473328.jpgワインを取りに行った際、間違った商品を手渡された。ばたばたしていることもあり、車を車庫に一度入れながら、そのまままた交換しに行った。

間違った理由は分かり、無駄足を運ばさないと、ワインに合うチョコレートを貰った。

各種洋酒などに合うように様々な種類があるようだが、嬉しいことにリースリングに合わすチョコレートというものがあるのには驚いた。

さて、家に持ち帰って早速リースリングに合わせて齧ると、独特な味がしてその南国の果物の味だけでなくなんとなく懐かしい味がするのである。

よくみると塩入チョコレートとある。なるほど懐かしい味は大西洋の海の塩であった。どうして大海は人類にとって懐かしい味とみえる。

ネットを観覧すると、BLOG「雑に」に「塩チョコ」と題して記事が投稿されているではないか。どうも愛好者がいるだけでなく、最近は流行しているようである。

昔から、チョコレートボンボンは当然のこと、ウイスキーやカルヴァドスなどにチョコレートを楽しんだ。以前は飛行機にもこれにコーヒーが組み合わされて勧められたものだが、最近はカルヴァドスは少なくともルフトハンザから消えた。

しかし、塩チョコレートにリースリングがつきものとなると、今後が楽しみである。間違いなく新しいリースリング愛好者の市場が広がるに違いない。
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by pfaelzerwein | 2008-03-25 04:51 | 料理 | Trackback

バロックな感性の反照

先日体験したテレマン作曲のブロッケス受難曲においても、信心の三重唱などがあって、ややもするとその扱いによってはかなり誤解を招き易い描写となっている。それを後期バロックとカテゴリー付けしてしまえばそれで終わるが、その中身を覗きこむことが肝要なのである。

そうした観察を難しくしている時代の流れと、謂わば当然のように連なる反動的な文化的進展は、同じく反動的な立場で議論を展開するアドルノのシェーンベルク擁護などにも見られる。そこで図られているのはハイドン以降の欧州の芸術音楽の美学の総否定的決算である。

先日来幾つかの好事家のブログ等でも話題となっているのが、ヴァイオリン協奏曲がその終焉にあたって歴史上初めて構造的に完成したとされる、シェーンベルクが米国亡命後に完成させた協奏曲の新録音である。

該当録音は未聴であり、その機会はないが、先ずはその新聞評などを読んで、この名曲であると同時に難曲を観察してみる。

この曲はハイフェッツを脳裏に描いて創作されて結局その難解さから断わられたように、その本格的なヴァイオリン演奏にブラームスやマーラーを聞くとするのが、若いヴァイオリニスト・ヒラリー・ハーンが録音した制作に対する新聞評である。

この若い女流ヴァイオリニストはお写真しかみた事がないのでなんとも言えないが、この評にて大体の傾向は想像出来る。そして、其処で比較として挙げられているルイス・クラスナーとミトロプウーロス指揮のケルンとミュンヘンでの録音は知らなかったが、それらよりはヴァイオリンの技術は優れていると言う。

さて、当方のリファレンスレコーディングとの比較では、ピエール・アモワイヤル演奏でブーレーズが指揮したものよりも速いテンポで演奏されているようである。この女流自身が語るように、伝統を逸脱したポジション取りや早いアルペジオの稽古に年月をかけたと、正しく発音することがなかなか伝統的な教育を受けた器楽奏者には梃子摺る代物であることを示している。

それがアモワイヤルの演奏では、恐らく奏法の相違からももたされているであろうフランス人の十二分に「弾ききれていない発声」に違和感を感じつつ、軽いテンポのブーレーズの指揮と相俟って上手く流しているのとは対称的に、ラファエル・クーベリックの支えを受けたツヴィ・ツァイトリンの録音では、この新聞評でも動機的な明晰さが指摘される。

特にこの一楽章においては、楽曲分析で度々取り上げられるカデンツァ後のヴァイオリンの連続する三連音による管弦楽の受け渡しに、ヴァイオリンでは十二分な音の積み重ねとそれに対応する管弦楽の対位法的な展開が然るべきフィナーレを形成するのだが、その部分におけるクーベリックの指揮はその精妙な面白さを十二分に伝えていない。

後年のピアノの協奏曲ではあれほどの効果を挙げたラファエル・クーベリックの演奏が12音の音列作法の分析的な繊細を活かしきれていないのが驚くに値しないのは、器楽奏者がそうした伝統的な技術教育を受けているのと同じく指揮者においてもどうしてもその楽曲解釈のよりどころが古典ロマン派的な調性機能が基本になっているからだろう。

それと比較すれば、女流を支えるエサペッカ・サローネンは、ロンドマーチなどでも、鳴らない音列にダイナミックスを与える事に全てを懸けている風情が容易に想像出来る。

その点から、シェーンベルクの編曲で知られるヘンデルにおけるバロック技法とともにこうしてテレマンのそれを平行して考えてみる機会となったのである。それをフランスのリュリからラモーへのまた当時の楽典議論によりどころを見つけても、ただ単にオブリガートによるその旋法を見ても良いが、音楽愛好家としては何よりも出来る限り後年の価値観に侵されていない音感覚を取り戻したいと期待するであろう。

反対にシェーンベルクが、第四弦楽四重奏曲の作曲を挟みながら二年越しで完成させたこの音列による創作がヴァイオリンと言う宿命的な調性楽器のために作曲した意味を ― 後のいよいよ自由闊達な境地にその作曲家自身の境遇を垣間見せる12音平均率のピアノ協奏曲と比較して ―、考えるだけで、アカデミックな音列の分析をして府分けしていくよりもこの曲を理解する鍵を多く与えてくれるかもしれない。

今回の録音が、話題を提供して尚且つ、技術的な水準に達していることから、次世代の演奏実践に繋がる、それ以上に多くの音楽愛好家にこの創作の真価を少しずつ伝える契機になりそうである。



参照:
シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲 (♯Credo)
バッハの無伴奏ヴァイオリンおよびチェロのための作品 (西部戦線異状なし)
同じ考えの人が他に6人もいた (4文字33行)
ハーンのシェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 (ピースうさぎのお気楽クラシック)
ルソー
ルソー (現象学 便所の落書き)
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by pfaelzerwein | 2008-03-24 00:00 | | Trackback

多様な価値感を履く

靴を買いに行った。冬の間使っていたブーツが冬の間使っていたブーツががたがたになり、夏場使っていた同じく安売りの靴もボロボロで磨いてもしかたない。スーパに行くにも具合の悪い代物となってしまった。

そこでまた、この地方で靴街道として有名な南プファルツのレットアウトが集まる場所へと遠足をした。50KMを三十分もかけて高い燃料代を使った価値があったかどうかは怪しいが ― 途中の小山や古城に残る春の雪は美しかった ―、二時間ほど廻ってなんとか一足の靴を見つけた。

価格以上に、普段履きでありながら、ジャケットに履いてもおかしくなく、尚且つワイン畑を歩いても汚れ難い物を探した。十年ほど以前はそうした用途に英国のクラークスのものを愛用していたので、それを見ようと思ったのだが、価格はどれも90ユーロに近く高めで売れ行き不調なのか以前よりも品揃いが減っていて、奇抜なものかありきたりの物しかなく選ぶことは出来なかった。ドイツだけのことかも知れないが、あのような商品を出している限り、経営状況は決して良くないようにしか思えない。昔からの愛好者がいる銘柄であるが、なんとも高級車ジャグァーもしかり、こうした製品や産業を見る限り英国経済が好調な理由が全く分からない。

結局、ドイツで最も売れていると言う銘柄から、見た目は悪いがとても履き易い物を見つけた。これならば紳士物を別に旅行に持っていく必要がないので大変助かる。価格は、55ユーロとかなり廉いので、いつまでマトモに使えるかなどはあまり考えていない。少なくとも最初だけでも紳士靴として使えれば、後は突っ掛け代わりに気持ちよく使えると思っている。

クラークスの評価に戻れば、昔は直ぐ内装が破れたりしたが、あのなんともふてぶてしい感じが気に入っていたのである。しかし最近のデザインによらず、足入れなどがもう一つと気がつくようになってきて、こちらの靴文化が一ランク上がると、個人的評価ではその銘柄の靴も一挙に価値が下がってしまった。
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by pfaelzerwein | 2008-03-23 04:21 | 生活 | Trackback

食後のグランクリュ試飲

お誕生日会のグランクリュ・ワイン試飲はなかなか上手く行った。特に2006年のカルクオーフェンは、評判がよく、幾らでもすいすいと飲めるという評価が男女二人づつ一致した。

その次に2001年産のペッヒシュタインが講評されたのだが、その香りは最も気高く高評価であった。その期待に応え切れずに、味の方は少し抵抗があるとする意見が多数で、ただ一人朝から試飲したお蔭で口の中が荒れているに係わらずその特殊性を問い続けた。正直言えば購入の際の試飲の時とは異なり口内や喉に若干抵抗を感じたのは事実である。黒パンを摘んだが、それでは戻らなかった。

勿論、美味しいと誰もが言うのだが比較の中で若干、こぼれたようであった。おなじ年のウンゲホイヤーは、その点フローラルな香りが十分に受けて、「お花畑の中のよう」な気分を皆さんに味わって頂いた。

結局、最初の新鮮なワインの飲み口が良過ぎて、評価はひっくり返ることがなかったのだが、皆さんに楽しくワインの土壌を勉強して貰えて大満足であった。

そのことをこのワインの選択に智恵をかしてくれた醸造責任者に話してみた。すると、カルクオッフェンのそのあまりに飲み易いと言う高評価には若干異論があったようで、ペッヒシュタインの細身のクリアーさをやはり推薦していたようであった。これは試飲会前の予想であった訳なのだが、その結果は若干異なった原因は今一つ分からない。考えられる条件は、この試飲を始める前に食事に四種類ほどのワインを飲んでいたことであろうか。つまり、口内が若干食事などに影響されていた可能性である。

ワインの選定と食事、そしてその条件作りは途轍もなく難しい。だからその晩の食事もソムリエによって選ばれたものであったのだった。



参照:
誕生日ワイン会の計画 [ 生活 ] / 2008-02-02
花園に包まれていたい [ ワイン ] / 2008-03-04
倹約家たちの意思の疎通 [ 生活 ] / 2008-03-05
ワイン地所の王道を行く [ ワイン ] / 2008-03-09
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by pfaelzerwein | 2008-03-22 00:19 | ワイン | Trackback

世界平和へ改心を促す

冷たい雨のカーフライタークである。日蝕の空である。ヴァチカンでの昨晩の教皇の復古調儀式は大問題となっている。一貫した復古主義は、現在のカトリックの政治文化的な位置付けを考えれば必ずしも悪くはないと思われる。

今回のラテン語によるミサでは、「ユダヤ人への改心の促し」は宗教としては当然の行ないに違いない。しかし、ヒトラーユーゲントの過去をもつベネディクト16世がこれを行ない、ドイツのアウグスブルクなどの教会がこれを儀式とするとやはり大問題となるのである。

キリスト処刑の加害者ユダヤ人の日蝕の記載を大分修正してあると言うが、ユダヤ教会にとっては「放っておいてくれ」ではなく「許されない」事となるのである。年に一度の祈りの儀式的言葉であるが、ユダヤ人を屈辱したとされる。

この問題に対して、教皇のアドヴァイザーが記事を投稿している。それをみると若きラッチンガーが1962年から取り組んでいたテキスト改正の詳しい進展が分かるのだが、何よりもユダヤ人迫害の歴史が強制改宗としての過剰反応を起こさせているとするのは間違いなかろう。

ローマ人の使徒への手紙11章が根拠とされ、そこの「イスラエルの再興」に示されているように、「この計画とは、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、その後全イスラエルが救われると言うことです」。聖書に次のように書いてある。

「救うかたがシオンから来て、
ヤアコブから不信人を遠ざける。

これこそ、わたしが、
彼らの罪を取り除くときに、
彼らと結ぶわたしの契約である」。

要するにキリスト教信仰におけるユダヤ人と異邦人の関係はそのドグマに定められているので、容易には切り除くことはできないが、一神教内での対話が道を開くとするものである。

余談ながら、メルケル首相のイスラエル訪問は成功理に終わったようであるが、イスラエルとドイツ連邦共和国との歴史的な契約とは別に、偽りのない強いプロテスタント心情がこの女性宰相の胸には確信を持って隠されているだろう事も見逃せない。

今後の反響によっては、謝罪や訂正などに追いやられる可能性もあるが、所詮カトリックの教義自体が現代からすれば大きな問題を抱えていることであり、ドイツカトリックのヴァチカンに対する批判も、なにもこの問題だけに留まらないのは事実である。

反対に高度な議論を尊ぶ教皇とは言えども、最近になって出揃ってきたラッチンガーの私書「ナザレのイエス」に対する反論とは異なり、こうした儀式に関しては強い指導性を示していかなければならないに違いない。

カトリック教会自体がそうした微妙な伝統感覚のなかでしか生き残れないだろうから、こうした態度は仕方ないように思うのだがどうだろう。そして、チベット弾圧に関して中共政府を非難した教皇の発言に、「内政干渉だ、放っておいてくれ」と反論する中共政府がある。問題は、同じように対話を繰り返して理解して行くだけの共通の素地があるかどうかである。もし、そうしたものの存在に否定的な見解を支持するとすれば、そもそも各々が国際協調どころか平和や友好などという言葉を使うのも馬鹿馬鹿しい。

各々のドグマから容易に解き放たれる訳ではなく、ひっそりと仕舞われて各々の立場が出来上がっていることは確かなのである。聖金曜日の天候は、一時間おきに、霙交じりの悪天とカンカン照りが繰り返されている。
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by pfaelzerwein | 2008-03-21 23:52 | 雑感 | Trackback