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索引 2008年8月


新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30 TB0,COM0
赤い葡萄を摘んでみる [ ワイン ] / 2008-08-30 TB0,COM0
長夏の陽射しに期待する [ 暦 ] / 2008-08-29 TB0,COM2
継続的に体で覚えるもの [ 生活 ] / 2008-08-28 TB0,COM0
迫る清金曜日の音楽 [ 文化一般 ] / 2008-08-27 TB0,COM0
徐々に遠くなる二十世紀 [ 音 ] / 2008-08-26 TB0,COM0
強い者が勝つオリンピック [ マスメディア批評 ] / 2008-08-25 TB0,COM0
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24 TB0,COM2
鬱陶しいスポーツ観戦 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-23 TB0,COM0
ほっそりとした背の強さ [ 女 ] / 2008-08-22 TB0,COM2
姉妹関係の如何わしさ [ 雑感 ] / 2008-08-21 TB0,COM2
品質の悪い靴に涙する [ マスメディア批評 ] / 2008-08-20 TB0,COM0
待てば甘露の日和あり [ ワイン ] / 2008-08-19 TB0,COM2
夜中に北京の町をみる [ マスメディア批評 ] / 2008-08-18 TB0,COM6
スポーツを逸脱する卓球 [ 雑感 ] / 2008-08-17 TB0,COM0
重量挙げに向いてる体質 [ 暦 ] / 2008-08-16 TB0,COM2
君が代はおろかしく厚顔 [ 雑感 ] / 2008-08-15 TB0,COM4
青いブルマに魅了される [ 女 ] / 2008-08-14 TB1,COM5
軽蔑される浅ましい輩 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-13 TB0,COM4
コインの裏表の女らしさ [ 女 ] / 2008-08-12 TB0,COM2
昼から幾らでも飲める味 [ ワイン ] / 2008-08-11 TB0,COM2
筋肉痛に豚の腹肉 [ 料理 ] / 2008-08-10 TB0,COM0
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09 TB0,COM0
出稼ぎ労働者の行方 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-08 TB0,COM12
適度な汗を掻く垂壁 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-08-07 TB0,COM4
十分に性的な疑似体験 [ 音 ] / 2008-08-06 TB0,COM2
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05 TB0,COM2
日蝕を経た真夏の週末 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-08-04 TB0,COM0
日本人は惨めっぽい? [ 女 ] / 2008-08-03 TB0,COM0
旨過ぎる話にはのるなか [ ワイン ] / 2008-08-02 TB0,COM4
真夏日にはお薄に菓子  [ 料理 ] / 2008-08-01 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2008-08-31 01:13 | INDEX | Trackback

新自由主義社会の道程

ドイツ第二位のドレスナー銀行の吸収問題が話題となっている。伝統的な銀行なので、業界によっては当然の如く使われていて、当座口座を開設している。しかし、アリアンツグループに吸収されて、人員整理などされた数年前から当座には殆ど利子がつかなくなっていた。だから必要最小限の額面しかそこには置いていない。

公認会計士は、どの銀行もヤクザ組織だからと言うが、どの銀行も大なり小なり特徴があって、一概に何処がどうとも言えない。ドレスナーは、最もヤル気のなさそうな銀行に見えるので業績がますます芳しくなくても全く不思議ではない。

証券部門が切り離されてアリアンツのお荷物になると、中共銀行がこれを吸収すると話題になって、やはり第三位のコメルツ銀行が吸収するとか紙面を賑している。いずれにしてもフランクフルトに立ち並ぶ高層ビル群は無駄の象徴として映るようになって来たのはいた仕方ない。実際、フランクフルト市内の業務は合弁のあり方によらず大幅に合理化されるようだ。

FAZ新聞に日本政府の景気振興政策が紹介されているが、あまり評判がよくない。福田政権のそれは、新たな債務を生まなくとも効果もないとするのが市場関係者の観方のようだ。政治的経済政策と呼ばれている。それも立派な政治ならばまだしも、その場限りの政治政策の表れのようにしか捉えられていない。

日本から歴史学者が来ていて、先日我々の会合で様々な批判に曝されていた。マルキストとして厳しく問い詰められる一方、正反対に日本人の情動性のようなものにも厳しい批判がされていた。ここでも再三に渡って日本文化批判を繰り返しているので、これ以上詳しく語る必要はないが、そうした文化面だけでなく経済面でも門外漢ながら批判されるべきは日本社会ではなかろうか。

原油価格が暴落したあとにもその小売価格は上昇するもしくは三週間以上してやっと末端価格に反映するような自由市場が何処にあるのだろう。そして日本は至る所に無駄な人員が配置され溢れているのだという批判も多い。企業の損益がその市場のメカニズムよりも重要視されるような統制経済のような自由主義社会は日本にしかないのではなかろうか?



参照:
ポスト儒教へ極東の品格 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-05
豚とソクラテス、無知の知 [ マスメディア批評 ] / 2007-08-14
同志を愛せ、君と等しく [ マスメディア批評 ] / 2007-06-20
天皇陛下のための硫黄島 [ マスメディア批評 ] / 2007-02-23
福音師の鬼征伐 [ 文学・思想 ] / 2006-10-14
理性を超える人種主義 [ 文学・思想 ] / 2006-10-13
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28
- キーワード「自由主義」の検索結果
"Japans Regierung will die Wirtschaft stützen", FAZ vom 30.8.2008
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by pfaelzerwein | 2008-08-30 18:25 | 雑感 | Trackback

赤い葡萄を摘んでみる

上半身やら下半身や腰などに血が固まっているようにだるい。夕方早めに散歩に出る。葡萄の中を犬を連れてやってくる女性は、白っぽい服装をした娘である。五十センチほど上からやってくるので、その距離感や背丈などは判らないが、なんとなく若々しい匂いがする。

近づいてきても、南から北に歩いてくるので髪の毛の影になってか、なかなか顔が分かり難い。十メートル以下の距離になって初めてティーンエイジャーであると気がつく。それでもなんとなく表情が判りにくくて、挨拶をしてすれ違い様に初めてその顔付きを見る。

なんとなくアジア系の顔付きで暗い茶色の頭髪である。コーカサス地方から東欧にかけた中央アジアくさい人種に感じた。その表情がやはりどうしても読み取り難い。

帰り道を行くと再び先の小鹿に出会う。今度は、ペッヒシュタインの北側からゲリュンペルの方へとかけて行く。この小動物が生息している場所の目星をつける。次回は、カメラを構えて上手く写してやろうと思う。

先日に続き、今日は赤い葡萄を摘む。なかなか糖分は高くなっている。摘み取りは間近だ。今年のリースリングは2004年産に似ているだろうかなどと大胆予想をしてみる。



参照:
ほっそりとした背の強さ [ 女 ] / 2008-08-22
継続的に体で覚えるもの [ 生活 ] / 2008-08-28
夏の陽射しに期待 [ 暦 ] / 2008-08-29
葡萄の味を自主研究 [ ワイン ] / 2007-08-15
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by pfaelzerwein | 2008-08-30 02:14 | ワイン | Trackback

長夏の陽射しに期待する

d0127795_5554443.jpg先週の散歩時の写真を見る。葡萄の蔓が茂って摘み取っているところや生やし放題のところなど様々であった。機械で作業を行なうところに比べて、一切そうした物を使わないように努力しているところの方が手が行き届いていない。

特にA・クリストマン醸造所のモイズへーレはあまり手が入っていない様に見える。少なくとも下草が一連おきに異なるはずなのだが、そこはその違いがない。

その地所のリースリングはどのような味がしていたか今一つ思い出せない。

それにしても本日は、筋肉痛が酷い。流石に少し負荷を強くすると疲れになる。暑さが戻った。もう少し陽射しがないと葡萄は十分に熟さないだろう。d0127795_5572649.jpg
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by pfaelzerwein | 2008-08-29 05:58 | | Trackback

継続的に体で覚えるもの

昨晩は何時ものように少し岩場を登って来た。だんだんと力の必要な場所に挑戦するようになってきた。その分、登れないことも増えてきている。

夜の八時過ぎには暗くなりかけて来るので、夕方から始める機会もあと精々五週ほどが限度だろうかと思う。

そうなると習慣的に力や感覚を身につけてきても冬の時期に休んでしまうと、また元の木阿弥になってしまう。それを防ぐためには、室内で同じように研鑽を積むしかない。そうすれば来年は必ず一ランク上のレヴェルからスターと出来るに違いない。

石切り場を岩場に改造して行くにはやはり多くの交渉を持って許可を取っていかなければいけないようだ。まだまだ候補地はあるようだが、現在の石切場も十分に素晴らしい。

石切り場に向う前に、A・クリストマン醸造所に新しいシュペートブルグンダーを試飲に行くと、八月に売り出しの予定だったものがまだ発売になっていないという。当日はプレス関係者が来るので試飲も可能だったようだが、二週間後の発売を待つことにした。リッターリースリングもまだ残っているどころか新たに瓶詰めされたと聞くと、如何に2007年産の生産量や質が優れていたことが知れる。このリッターヴァインも購入する予定であったが、二週間ほど待とう。

ワインと時間は切っても切れない関係である。春に購入したシュロース・ザールシュタインのシュペートレーゼを試しに家で飲んでみた。試飲時には甘みがあって辛口とは云えないと思ったが、奥さんが太鼓判を押していたように、その甘さが薄くなってきているのである。通常のリースリングは、瓶詰め時の香りや酸が、夏を越すことで落ちて来るのだが、どうもこのリースリングは違う。

表面に浮いていた甘みが酸の量感の中に取り込まれて、酸とミネラル成分の拮抗が表面に出てきたのである。あの糖分は、瓶熟成でアルコール化しているような感さえある。アルコールの強さも十分に感じたのである。

この古樹から作られたシュペートレーゼは、素晴らしい2007年の収穫を反映しているのは間違いない。その価格13.50も将来性を考えるととても割安である。さて、それならば何故この価格なのかと考えると、やはりスレート土壌の旨さとは裏腹な少し平板な味覚である。風味も素晴らしく単体でも楽しめるワインであり、今後徐々に熟れて来て、バランスが良くなるのは十分期待出来るのであるが、これを食事の相伴としていくらでも飲めるかというと少し違うように思われる。

ミッテルモーゼルの清涼感は、鱒料理やある種の食事にはとても素晴らしいと思うが、ザールヴァインはどうだろう。現地でもう少し食事をしてみないと分からない。ただ、熟成が進んで丸くなってしまわないと今一つ食事には合わないような気がする。それだけ三味一体のような比較的単純なバランスがザールリースリングにはあるようだ。

これも継続的に試していかないとなんとも云えない。
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by pfaelzerwein | 2008-08-28 16:56 | 生活 | Trackback

迫る清金曜日の音楽

ヴォルフガング・ヴァーグナーの正式な監督任期切れがこの金曜日に迫っている。それまでに、ヴァーグナー家から過半数の三票を集める次期監督への統一候補が擁立されないかぎり、九月一日の総会にて新たな監督選びが開始される事になる。

そして先週末までは、四月に退任表明した作曲家の孫に当たるヴォルフガンク前監督の推薦する後妻の愛娘カタリーナと、そのお目付け役となる腹違いの先妻の娘エファー・パスキエー女史が推薦される事となっていたと言われる。

しかし去る日曜日高名なモルティエー博士は、ヴォルフガンクの兄で高名な演出家ヴィーラントの娘で実力者ニケ・ヴァーグナー女史と共同で次期監督に立候補すると、財団にファックスにて書類を提出した。

これによって、一気に情勢は変わり、親族間での合意は難しく、不適任とされるカタリーナの監督就任はなくなったとするのが一般的な見解である。

更に、モルティエー博士とニケは、エファー・パスキエーとの共同作業の可能性を示唆している。カタリーナを飾りにして実質的に実権を握る構想のあっただろうエファー・パスキエー女史は、昨年12月に立候補した祭の従姉妹ニケと連携を破棄して、バイエルンの文化大臣トーマス・ゴッペルの勧めに応じて、連携相手を変えて腹違いの妹カタリーナと立候補したのであるが、本人次第ではカタリーナ外しの体制も可能となる。

その場合も ― 闇約束の噂があり ― 本人の意思の尊重を配慮する事を条件に年老いたヴォルフガンクに引導を渡したとされる財団理事会としては、所定の手続きを経る事になると言うのだ。しかし、ドイツ連邦政府を代表するインゲボルク・ベルクレーン=メルケル女史は、ヴォルフガングの無条件退任を記者会見にて言明している。

そのカタリーナ・ヴァーグナーの評判は、経済的な支援組織であり選考の票を保持しているバイロイト友の会においても、自身の楽劇演出でつまらない挑発をした事から地に落ちている。ゆえに連邦政府・バイエルン州・バイロイト市や三大ドイツ歌劇場の代表などの不支持の前に、お目付け役との組み合わせによる妥協策すら、対立候補によって、その影すら薄くなってしまった。

個人的には、ザルツブルク時代のモルティエー体制の支援者の一人であったので、その芸術的な可能性にも期待したいが、なによりも先日指揮者のクリストフ・フォン・ドナーニが語っていたような総括を期待したい。

要するに、反ナチズム・反人種主義で絞首刑にされた法律家で政治家の高名な父親や親戚を持つこのスター指揮者は、ヴァーグナー家とナチとの関係が今だに資料的にも十分に明かされていないことから、なによりもそれを願っているのである。

今回、仮にモルティエーが監督に就任することで、ヴァーグナー家の人々と共にそれが清算出来るようになれば、それは芸術的な創造と殆ど等しい行ないになるのではないかと思われる。何れにしても既にここ暫らくの公演計画は決まっているので、じっくりと新体制を検討すれば良いことだと言われている。


追記:24票の内5票を有する連邦政府の副代表者トーマス・シュテックは、文化放送3SATの番組にて、現在囁かれている「間違いなく良い将来性のあるコンセプト」以外の要素は、重要ではないと述べ、ただの基準でしかない前監督との合意のもと、そのコンセプトとヴァーグナー家の提案をもって、来週月曜日以降監督人事が決定されると語る。前監督が再び退陣を覆す可能性を否定しながらも、人事への合意があったかどうかには触れないとした事から、先の無条件退陣の言明とは矛盾するとされている。



参照:
"Gérard Mortier und Nike Wagner bewerben sich",
"Wende in Bayreuth" von Patrick Bahners,
"Die Situation ist da" von Julia Spinola,
FAZ vom 25.08.2008
"Bayreuther Lage" von Julia Spinola, FAZ vom 26.08.2008
ジェラール・モルティエがバイロイト後継レースに名乗り (「おかか1968」ダイアリー)
妻フリッカの急逝とその娘 [ 女 ] / 2007-12-01
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-
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by pfaelzerwein | 2008-08-27 01:16 | 文化一般 | Trackback

徐々に遠くなる二十世紀

スイスのベックメッサーこと音楽評論家マックス・ニフェラー が、作曲家生誕百周年を記念してオリヴィエ・メシアンの二人の高弟にインタヴューしている。

残念ながら紙面一面弱に大きな二人の作曲家の写真が載っているので内容は少ない。それでも、つい最近亡くなった印象のある20世紀を代表するフランス作曲家の面白い話を読めた。

二つの重要な見解があった。

一つ目は、創造力に身を任せるときに、自然がメシアンには有ると語られるとき、作曲家にアイデアを与える鳥達の歌を意味していた事への質問である。その特に有名な鳥の歌声の採譜法に関して弟子のブーレーズは師匠のメシアンに問う。「鳥の歌は12音階によって支配されるべきでしょうか?」それに、メシアンは答える:「それは一つの芸術的な書き換えである」

その共感覚に関する二つ目の質問に対して、要するに青色やオレンジ色とかの和音については明確な回答をせずに、それは全く個人的なイメージでしかないと語った事である。

それに対して英国の作曲家ジョージ・ベンジャミンは、「メシアンの色彩と言うのは、ハーモニックスの差異を組織化する一つの道具であっただろう」として、自分にはそれで以ってどうしようもないのだが、師匠が意味していたのは「ムソルグスキーやヴァーグナーやショパンなどの音楽の事で、メシアンの場合は光とか白熱と呼んだ方が良いのではないか」との見解を示す。

鳥の歌の採譜は、「アシシの聖フランソワ」の全体を貫いてその音楽のポピュラリティーの源泉となっていて、後者の音の色彩やモードについても解説のみならず論文としても、また一般的なイメージにおいてはメシアンの音楽をそれが司って来たものである事から、この二人の発言に明らかな 意 図 が感じられるのである。

それは、メシアンの授業について述懐するとき、ラヴェルの「マーメールロワ」の音楽を先ずはテキストなどを読むことから初めて四手の版管弦楽版へと仔細にマクロに分析して行く事から、作曲行為を明らかにしていく手法が採られていたり、一向にドイツ語圏の音楽の分析は得意ではなかったことが語られる。

グスタフ・マーラーの「大地の歌」の音楽は、「トリスタンとイゾルデ」ほど調和していなくて、シェーンベルクよりもベルクの表現力をかっていた事などはなるほどと思わせると同時に、ブーレーズの主張であるリズムの構造としてはストラヴィンスキーにまで至らないのを挙げる事で、フランス音楽の伝統の中での個性として位置付けている。

思えば、ブーレーズ自体が半世紀前の作曲家であり、二十世紀も徐々に遠くなってきている気配すら感じさせる。



参照:“Obwohl man nicht rückwärts hören kann“ von Max Nyffeler mit P.Boulez und G.Benjamin,
FAZ vom 15.8.08
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by pfaelzerwein | 2008-08-26 03:10 | | Trackback

強い者が勝つオリンピック

夜中に観たマラソン中継は想像以上に素晴らしかった。なんといっても、後先知らずのように飛び出すアフリカ人の先頭集団は大変見物であった。

マラソンなどの長丁場を観るのは、もっともつまらないと思われていても、独第二放送がナレーションするようにスリル溢れるレース展開であった。北京のオリンピックは、張芸謀監督の時間空間感覚の欠如した開会式から盆踊り大会風の閉会式まで冗長な中国時間が支配していたようだが、これだけは違った。

それにしても張芸謀の「マスゲームで中共より美味くやる国は北鮮しかない」とする言葉にはどのような意味が含まれているのだろう?中共芸術家の対外に、将来にと向けられた ― なんと立派な時空間! ― アリバイにしか思えない。

世界記録に匹敵する高速の第一集団が何処かで崩壊していく事が判っていた。それを見届ける時空間への予感が、女子マラソンのテンポの上がらない牽制し合う集団の場合とは違って、― 背景となる北京の町並みの真夏を過ぎた陰影にもそれがコントラストを伴って ― 気配として漂っていた。

随分とその歴史の流れが感じられたのである。何よりもあれだけの揺さぶりのなかで生き残り、36キロメートル過ぎで二人のライヴァルの様子を確認してからスパートして走りきったワンジル選手のレース振りは驚異的に映った。

六位に入ったシャフハウゼンのヴィクトール・レェトリン選手は、ゴール直後に殆ど疲れも見せずに、「今回は大気汚染も酷くはなく、流石にあのハイペースには押さえる決断をした」、「温度の割には比較的その湿度から走れた」と笑顔で語っていた。日本での試合で自己記録を伸ばしているように、サンモリッツなどでの高地順応や北海道などでの調整を行なったのだろうか、力強い体格と柔らかな人当たりが印象に残るスイスの逸材だ。

オイロスポーツは、スポンサーであるのかトヨタ九州の事から選手の持つ三種類のトヨタの車種まで詳しく伝え、第二放送ともどもバルセロナ五輪銀メダリスト森下広一監督の下で日本の駅伝出身のマラソンランナーとしての研修を伝えていた。

TV観戦でのマラソンの名勝負は幾つか記憶にあるが、今回のような二時間六分台のレースを目のあたりに見るのは初めてだったので度肝を抜かれた。「鳥の巣」に入る手前、「頑張れ」とワンジル選手に大きな最後の激励をかけていたのは大阪の阪神ファンで有名な道上洋三アナウンサーだろうか?

ネット情報によると、トヨタ社は退職を保留していると言われるが、これだけの時間をTV宣伝させたのであるからこれ以上に下請虐めのように搾り取らず、今や世界中に知れ渡った金メダリストの更なる日本を本居とする活動のために快く送り出してやるべきであろう。

独第二放送は、今回のオリンピックの政治性とそれに屁理屈を繰り返す中共政府を話題としていたが、正直なところアテネで手渡された北京への期待は遥かに大きかった筈だ。一体、IOCはどのように総括するのであろう。

オリンピックとは、少なくとも負ける者が弱く、本当に強いものが勝つと言う単純明快なレースを最終日のマラソンにみて、大変納得して、再びベットへと向った。



参照:
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
鬱陶しいスポーツ観戦 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-23
ほっそりとした背の強さ [ 女 ] / 2008-08-22
品質の悪い靴に涙する [ マスメディア批評 ] / 2008-08-20
夜中に北京の町をみる [ マスメディア批評 ] / 2008-08-18
スポーツを逸脱する卓球 [ 雑感 ] / 2008-08-17
重量挙げに向いてる体質 [ 暦 ] / 2008-08-16
君が代はおろかしく厚顔 [ 雑感 ] / 2008-08-15
青いブルマに魅了される [ 女 ] / 2008-08-14
軽蔑される浅ましい輩 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-13
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
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by pfaelzerwein | 2008-08-25 01:09 | マスメディア批評 | Trackback

咽喉元を突く鋭い短刀

新聞の批評を読んでいて三島の映画「憂国」が復刻したことを知った。亡くなった未亡人によって、廃棄されていたものである。

その三島自身が演じるこの復刻作品とコッポラ制作の映画「MISHIMA」が今回修正されてDVD発売された。前者の写真は一時「憂国紀」などと書かれて町中の電信柱に貼られていたので覚えている人も多いだろう。しかし、恐らくTVか何かで少し見ただけで全編を観た覚えはなかった。そして、後者のポール・シュレィーダース作品で白黒写真からの再現フィルムで再会する事になる。

緒方拳扮するオムニバス四部形式の三島の作品が、作者の現実の切腹に向けて集約されていく形式をとっていて、この新聞評では1980年代の最も優れた映画作品となっている。その評価はさて措いて、その映画自体も憂国と同じように未亡人の「作家プロフィールの同性愛へ偏重」への異議から、その制作すら危うくなったとある。

東宝スタジオで日本人スタッフによって撮影されたにも拘らず現在までも日本国内では上映されていない理由は、同様な配慮であって、当然の事ながらだからこそ東宝はその事実をあまり明らかにしないと書かれている。

さて、二二六事件を扱った短編「憂国」について作家本人が語っていることで最も印象に残っているのは、新橋のバーのママがそれをポルノとして読んでくれている事に感激している云々であるが、他で書いているものなどを読むと川端康成作品の影響も見受けているようで、その作品自体よりも映像表現の方が優れているとする評価も少なくない。

実際1964年大映スタジオ撮影のこの27分の白黒作品は、撮影監督藤井浩明の意思で放棄処置指令に係わらず隠されていたネガによって復刻されている。特にクライマックスでの切った腹から腸が溢れ出すシーンは豚のそれを道具の工藤貞夫が用意したとある。黒いがその赤い血の色こそが強調されているそうだ。

そして興味深いのは、英語・フランス語・ドイツ語字幕版は日本語字幕版よりも、三島は外国人の読解力を危惧してか二分長いという。

いずれにしても二つの映像作品を改めて観比べたいと思うが、「MISHIMA」の終景の「日の出の元での切腹」の朝焼けの赤を血の色のように今回修正されたのは十分に納得出来る。この新聞批評が強調する「1970年11月25日の決行への道程」には今や興味はないが、こうして距離をおいて二つの昭和の事件やその描き方を考慮すると、三島由紀夫の行動は嘗て思われていたような政治思想や美学よりもその*文化表現で遥かに危険であったことが伺い知れる。

その真意を質せば、日本の近代化の基本構造を一瞬にして瓦解させるだけの威力を持っているに違いない。歴史の中で、三島の示した近代を十分に文化的に捉え切るのはまだまだ容易ではないだろう。なぜならば、それを今日の日本人が直視しようとすれば、自らの喉元に鋭い短刀を突きつけられるようなものだからである。 ― 二〇〇八、八、二三 ―


*前略...華美な風俗だけが跋扈している。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。...我々の生きている時代がどういう時代であるかは、本来謎に満ちた透徹である筈にもかかわらず、謎のない透明さとでもいうべきもので透視されている。

...どうしてこういうことが起こったのか、ということが私の久しい疑問であった。

...そこでは、文化とは何か無害で美しい、人類の共有財産であり、プラザの噴水の如きものである。

...フラグメント化した人間をそのまま表現するあらゆる芸術は、...その断片化自体によって救われて、プラザの噴水になってしまう。...われわれは単なるフラグメントだと思って我々自身に安心する。

...禁止は解かれ文化は尊重されたのである。...文化主義はこのときにはじまった。すなわち、何 も の も 有 害 で あ り え な く な っ た の で あ る。

...文化は、も の として安全に管理され、「人類共有の文化財」となるべき方向へ平和的に推進された。...しかしこれはもともと、大正時代の教養主義に培われたものの帰結であった。...後略 

三島由紀夫著「文化防衛論」(昭和四十四年四月)



参照:
Die Kunst, als treuer Mann zu sterben, Andreas Platthaus, FAZ vom 20.8.2008
MISHIMA (YouTube)
妻麗子の幻影 (歌舞伎舞台の記憶)
憂国/思想と道徳と美学について (ミニシアター通信)
何故に人類の遺産なのか [ マスメディア批評 ] / 2008-06-26
既視感と焦燥感の恍惚 [ 文学・思想 ] / 2007-12-03
「ある若き詩人のためのレクイエム」 [ 文化一般 ] / 2005-01-30
鬱陶しいスポーツ観戦 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-23
君が代はおろかしく厚顔 [ 雑感 ] / 2008-08-15
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
蝸牛が殻に篭るように [ BLOG研究 ] / 2008-05-17
世界を支配する秩序感  [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-22
女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20
自由や世界観の体臭 [ 生活 ] / 2008-04-17
天下の場環境の把握 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-01-06
ポスト儒教へ極東の品格 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-05
肉体に意識を与えるとは [ マスメディア批評 ] / 2007-12-16
脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
民族の形而上での征圧 [ 文学・思想 ] / 2007-12-02
呵責・容赦無い保守主義 [ 文学・思想 ] / 2007-11-19
硬い皮膚感覚の世界観 [ 文学・思想 ] / 2007-11-15
自由の弁証を呪術に解消 [ 文学・思想 ] / 2007-11-05
「素朴に宿る内面の浄化 [ 文学・思想 ] / 2007-08-11
滅私奉公と勧善懲悪 [ マスメディア批評 ] / 2007-03-17
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by pfaelzerwein | 2008-08-24 00:54 | マスメディア批評 | Trackback

鬱陶しいスポーツ観戦

一寸鬱陶しくなったので、散歩終了後床屋に行った。色々な話の中でオリンピックの話をすると、あまり観ていないがと言いながら、アメリカチームのバトン落としの話が出た。

後ろで聞いていた奥さんが、「オリンピックは特別ルールだよね」と言うので、「何処も、大口かまし野郎が多くて、駄目だよね。あれはさ、広告機構とメディアが一体になって吹いているだけでさ、結果はもう一寸とか全然駄目とかの失望と失笑を呼ぶだけだよ」とぶち上げた。

今時オリンピックのアマチュアリズムを語る者は流石にワイン街道にも住んでいないが、意外にメディア絡みの可笑しな構造を解析する人は少ない。

ドイツの場合は、米国や中国や日本とは異なって、それほどスポーツ振興が徹底的にコマーシャライズされていないので、メダル数も伸びない。勿論東ドイツ選手の威光が消えてしまったのでこれが普通だろう。

現在の先進国では、一流選手スポーツ振興に税金を使ったり恩恵を与えたりするのは殆どないのが当然である。だから、中共や韓国のようなオリンピックを国威発揚に使う国はへんに目立つ。その反面、広告収入などとても税金では賄えない尋常ではない金額を、ただの広告塔でしかない ― そんな事も気がつかずにその収入の高額から自分は一流人だと自惚れている輩 ― プロスポーツ選手は勝ち得るのである。

しかし、だからこそ、大法螺を吹きながら一向に結果を残せない「かまし野郎」が続出するのである。彼らは、なにもその人格に徳が無くて大法螺を吹きまわっているのではない。法螺を徹底的に吹きまくる事が広告契約の条文化されていない基本条件であるからこそ、恥もなく吹き捲くるのである。

そして結果は、そうした大口叩きでメディア露出度が多く盛んに視聴者に期待させる競技ほど予想を見事に裏切ってくれるか、その広告契約の累積額の大きさに殆ど求道的に見えるほどの重圧に挑む挑戦者を見せるのである。後者の場合は、本来の競争や競技の醍醐味を見せる事からは甚だ程遠い不愉快な情景が ― これは毎日多額の空売りをして神経をすり減らしている専業投資家の姿と何も変わらない ― 世界中の茶の間に移し出される。お茶の間で民族紛争に端を発する戦争シーンを観戦するのとあまり変わりない。

だからこそ、床屋の親父が指す「幾らかの思い掛けない勝利」が対象的に清々しく殆ど純粋なアマチュアリズムを髣髴させるスポーツ観戦の醍醐味のように映るのである。



参照:
ほっそりとした背の強さ [ 女 ] / 2008-08-22
品質の悪い靴に涙する [ マスメディア批評 ] / 2008-08-20
君が代はおろかしく厚顔 [ 雑感 ] / 2008-08-15
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by pfaelzerwein | 2008-08-23 01:17 | マスメディア批評 | Trackback