<   2008年 09月 ( 31 )   > この月の画像一覧

食が太くなる今日この頃

d0127795_22202266.jpg気温も相俟ってか、腹が減る。ここ数年は、胃の幽門の緩みのためか心臓の辺りが痛むなどからり弱弱しい状況が続いていて、食が細くなったのは加齢のせいかと考えていた。

嘗てなら、満足のいくまで暴飲帽食出来たのだが、それが出来なくなってから数年経ち、その前のダイエットの時期から既に十年近くなる。

六月ごろから機会があれば毎週本格的に筋力を使う状況は、徐々にであるが筋力を再び回復させている。現時点で、本格的に握力が入るようになってきたのは、なんといっても成果であり、ダイエット以降は力が入らなくなってきていたのを思い起こさせる。

週の内に複数回岩場に取り付くのは、昨年のスイス・イタリアアルプス以後はじめてであるが、筋肉痛が癒えた所で再び筋肉痛の状況は流石に疲れる。

減量も同時に求められる状況なのであるが、筋力の増強は先ずは何よりも果たしたいのである。食生活において、比較的蛋白質の摂取が図られると同時に、新たな問題も再び出て来やすいが、運動量を減らさないように留意すればなんとか目的を無事達成することも可能であろうか。

ダイエットや筋肉増強などの一つの目的だけならば短期間に達することが出来るが、全体のバランスを取りながらの体質改善はなかなか難しい。ホルモンバランスもどうしても変化して、新陳代謝は明らかに活発になって来ているようだが、流石に十代の身体には戻りようがないのである。

しかし、ニキビ面にはなることはないが、あの当時出来なかったことがまだ今後出来る「伸びしろ」を経験から予想していて、元々無かった体の柔軟性や復活力などが、十代の当時よりも今上回る可能性があるかと思うと心躍るのである。d0127795_2221307.jpg
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-30 22:22 | 生活 | Trackback

索引 2008年9月


視差を際立せる報道 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-29 TB0,COM0
欠けて補われる存在 [ 文学・思想 ] / 2008-09-28 TB0,COM0
ゲゼルシャフトの刻む時 [ 雑感 ] / 2008-09-27 TB0,COM4
興味ある良心的偽装工作 [ ワイン ] / 2008-09-26 TB0,COM2
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25 TB0,COM0
疑問を投げ掛ける認識 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-09-24 TB0,COM0
多極性文化土壌を求めて [ 文学・思想 ] / 2008-09-23 TB0,COM0
ロリータとザイルシャフト [ 女 ] / 2008-09-22 TB0,COM2
いつの間にさくらに変身 [ 試飲百景 ] / 2008-09-21 TB0,COM0
冗談じゃない共産主義者 [ 歴史・時事 ] / 2008-09-20 TB0,COM0
バイケンの猪の肝臓料理 [ 料理 ] / 2008-09-19 TB0,COM0
バイケンでぬかるむ [ ワイン ] / 2008-09-18 TB0,COM2
野暮な男はお呼びなし [ 女 ] / 2008-09-17 TB0,COM0
何故善意で助けないか! [ 生活 ] / 2008-09-16 TB0,COM2
自由主義経済の米騒動 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-15 TB0,COM0
2004年の夏のお天気 [ 暦 ] / 2008-09-14 TB0,COM0
郵便貯金の分け前と負担 [ 雑感 ] / 2008-09-13 TB0,COM0
自嘲自虐的アリバイ映画 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-12 TB0,COM0
土地の利を生かす者 [ 試飲百景 ] / 2008-09-11 TB0,COM2
屑茸の愉しみ、追剥対策 [ 料理 ] / 2008-09-10 TB0,COM0
誇り高き試飲の口実 [ 試飲百景 ] / 2008-09-09 TB0,COM2
液の滴る贅沢な晩餐 [ 料理 ] / 2008-09-08 TB0,COM5
淘汰されるグロバル社会 [ 歴史・時事 ] / 2008-09-07 TB0,COM0
出版記念の贈り物 [ 料理 ] / 2008-09-06 TB0,COM0
チーズの付け合わせ葡萄 [ ワイン ] / 2008-09-05 TB0,COM14
買えるときに買う投資 [ 雑感 ] / 2008-09-04 TB0,COM2
中庸に滴る高貴な雫 [ ワイン ] / 2008-09-03 TB0,COM7
三夜「神々の黄昏」二幕 [ 文化一般 ] / 2008-09-02 TB0,COM2
市民を犠牲にやってみた [ BLOG研究 ] / 2008-09-01 TB1,COM4

[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-30 01:14 | INDEX | Trackback

視差を際立せる報道

オバマ候補とマッケイン候補のデュアル第一夜を生放送で観てしまった。後者の狡猾な政治家の雰囲気が印象的であったが、外交問題が討論されるところに冒頭から金融破綻の米経済が話題になった。

ドイツ連邦共和国は、合衆国の金融管理政策を厳しく批判して、社会民主党の財務相シュタインブルックなどは政府による監視を更に強化して行く方へとEUのガイドラインを越えて勧めていくと宣言している。

その点からすれば、マッケインの政策は殆ど受け入れる余地は無いように思われる。実質経済ではなく金融が担う経済をこの時点において主張出来る根拠は薄い。

大多数の市民の現在を優先して、社会保険などの充実を図り、外交においても協調を軸に進めて行くことは、なにもキッシンジャー元国務長官の名を借りずとも、今後も成長していく合衆国改革へのチャレンジであるのだろう。

ロシアのグルジア介入も話されていたが、西側で批判された占領地ツヒンワリでのペテルスブルク・マリンスキー劇場管弦楽団の凱旋公演を率いた指揮者ゲルギーエフがベルリン公演を前にインタヴューに答えている。

要は、自分はオセッテ人だから励ますのが当然だと、独立などはもともと挫かれていると主張する。そしてそこで選んだプログラムのチャイコフスキーの五番は「生甲斐の交響曲」であり六番は「ミステリアスな死の予感の交響曲」で、その間に挟んで演奏したショスタコーヴィッチの第七番第一楽章と共に疑いのなく大芸術だと豪語する。

特にレニングラードの攻防を描いたその交響曲は、スターリンとヒットラーの野蛮のプログラムが本筋にあらず、欧州やソヴィエトのそのおぞましい事件などを越えた、さまようメロディーによって平和な生活を目前に展開すると、当夜の散々たる町の情景でのプロテストの音楽であると明言する。

オバマ候補は、ロシア軍のグルジア介入に大しても決して冷戦時のように孤立させてはいけないと、黒海へと繋がるパイプラインの存在を挙げて欧州の立場を見るマッケーイン候補とは差異を見せる。



参照:
音楽の「言語性」とは?(112) (Musikant/komponist)
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-29 12:26 | マスメディア批評 | Trackback

欠けた部分の存在

承前)存在という言葉をもち得なくては、環境も存在しないのだろう。

蜜蜂が、右往左往しながらするっと小さな穴へと入っていくように、必ずしも思考の方法は一般に論理的と呼ばれるような定まったベクトルをもっていないことを、蜂学者達は連邦共和国の方々に置かれた蜜蜂の家を見て、その方法論に思いを寄せるに違いない。

ホメロスの「イリアス」にしても、各々の部分が組み合わされて再構築されていることが述べられたが、そこでそれらの部分もしくは韻の音調を素材としているとすると、まさにそれが蜜蜂の家のパターンやシンメトリーのように組み合わせられてはじめて「創作」になるとする考え方にも遡る事が出来る。

そこに存在介在するものが「創造力」であることは間違いないが、それではあまりにも当てはまらない例外が多過ぎるのである。もしかすると、「天然」の蜂の巣の著作権が問題になるかも知れ無い。

先日入手したマルティン・ハイデッガーの著書をぱらぱらと捲る。そこでは、「創作の起源」が述べられているのだが、所謂「存在」と「生成」が「素材」と「創造」の代わりに登場して来る。

ホメロスにおけるギリシャ神話やその歴史を見て行くならば、遥かにこうした考え方の方がシックリと来るのである。というか、ハイデッカーが好んで取り上げるヘルダリーンの詩などを語ればそれしかないのに気がつく:

「とても そこが離れ難い
源泉の辺に留まっているものは」

(さすらい人IV、167)

なるほど例え門外漢であっても、口述の伝達などにこうした生成の過程を見る事が可能だろう。しかし、同時に二つの著を残す偉大な存在は同時代に二人と存在することはありえないとする事から、「オデッセー」も「イリアス」もホメロスによる作品とされるのである。

今月冒頭に「創造力など存在しない」とする主張に対して反論を試みたが、九月も終わろうかとする今、その辺りが傾いた長い陽射しに照らし出される。

20世紀を代表する哲学者の文章を見ていると、あまりにも不自然に合成語がスラッシュで結ばれて頻繁に出てくる。それをそのまま「翻訳」して使うのが業界の常かも知れないが、我々から見るとまさに言語の思考表現の限界をそこに見てしまうのである。もちろんのこと、学者は「それを示す事がその欠けた部分を示す事になる」ことを熟知していて示しているに違いない。(終り)



参照:
市民を犠牲にやってみた [ BLOG研究 ] / 2008-09-01
活字文化の東方見聞録 [ マスメディア批評 ] / 2006-05-12
周波の量子化と搬送 [ テクニック ] / 2007-02-26
モデュール構成の二百年 [ 文化一般 ] / 2008-01-19
引き出しのグラフ配列 [ BLOG研究 ] / 2008-02-03
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
影の無い憂き世の酒歌 [ 音 ] / 2006-09-08
言葉の意味と響きの束縛 [ 音 ] / 2006-04-15
フラッシュバックの共観 [ 暦 ] / 2007-05-29
教皇無用論のアカデミスト [ マスメディア批評 ] / 2007-05-10
教皇の信仰病理学講座 [ 文学・思想 ] / 2006-09-18
どうも中沢氏はいいとこもあるけど (たるブログ)
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-28 00:45 | 文学・思想 | Trackback

ゲゼルシャフトの刻む時

全身、首まで筋肉痛である。寝ていても動かすとつらい。昨晩ゆっくりと風呂桶に浸かっていたので一気に解れてしまったのだろう。全身アルコール漬けにして痛みを麻痺させる。外気温が大分下がっているので、アウトドーアでのスポーツは、筋力を思い通り使い易い分、あとでその限界にはじめて気がつく。

「このような生活を続けていると、かなり体が筋肉質になってくるな」と思っていると、それとなく仲間に言われた。

「一寸上達したようだけど、体重を落とすと、クライミングは大分違うよ」

「いや、ダイエットして落としたことがあるが筋力も直ぐに落ちてしまったから、寧ろ筋力をつけるようにして居るのだけれど」

いずれにしても、週一回程度のクライミングではスポーツクライミングの領域には到底届かないが、週二回ぐらいだと大分上達するようだ。

BLOG「壺中山紫庵」の記事「腕時計を買いました」を読んでいて、先日の石切場ゲレンデでのことを思い出した。自分自身が腕時計をするのは冠婚葬祭の時ぐらいであるが、他の者も今や殆ど腕時計をしていないことに気がついた。

「今何時だ」と騒ぎ出す者が多い。なるほど岩登りのゲレンデでは昔から幾つも時計を傷だらけにしたものだった。デジタルのスウォチ形式のものになってからは被害は少なくなったが、それでもやはり邪魔になって直ぐにボロボロになる。

BASF勤めの若いのが「今何時だ」と騒いだので、「教会の鐘の音を聞けよ」と親仁が言い、四半時に一つづつ、各自毎にその数だけ鳴らされる鐘の音を説明していた。

いつも教会の近くに住んでいるのでお馴染みなのだが、田舎の部落出身でもあまり馴染みの無い若者もいるのには驚いた。今まで暫らく滞在した場所で、鐘の音が聞こえなかったのはシュヴァルツヴァルト郊外の友人の宿屋だけである。スイスのカトリックの谷で村の時計台を勝手に止めたりの悪さをした事はあるが、鐘の音の無い生活は今や想像し難い。

日常生活を刻む鐘の音。モーツァルトの魔笛のメロディーに、教会の鐘の音を重ね合わせて思い出すのは嘗て紹介した名作映画ハインリッヒ・マン原作「嘆きの天使」の情景である。老教授が生息していた共同体の響きである。

天気の良い週末が始まった。日曜日には再び元気に岩に取り付くことが出来るだろうか。



参照:
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-27 02:44 | 雑感 | Trackback

興味ある良心的偽装工作

d0127795_1132340.jpg
昨日は赤ワインを試飲したが、岩場から帰る前に久しぶりに樽だしピルツナーを二杯引っ掛けて帰ってきた。そのあとは用意しておいたレヴァー団子と卵を生地にしたプフェルツァーピッザとジャガイモサラダでリッターリースリングを開けた。

筋肉痛が酷いので散歩に行った。成熟が完了する二週間程先からリースリングの摘み取りを始めるところが普通だが、既にやっている醸造所もある。

それも機械摘みしない普段の散歩道沿いでも手摘みをしている。大抵は農協さんなどなのだが、驚いたことにフォン・ブール醸造所の一級の地所ウンゲホイヤーの南端の下段でも摘み取りをしているではないか。

火曜日に出会ったのが、やはりその横に広がるビュルックリン・ヴォルフ醸造所の散水トラクターだったのである。バイオ・デュナーミック信仰であるからきっと化学物ではなく聖水に違いない。同じ派閥のA・クリストマン醸造所でも熟成までの期間の腐りを心配しているので同じようなお呪い?が行なわれているのだろう。

宗派の異なるフォン・ブール醸造所が早くも摘み取りに出た状況はこうしたところにあるのだろう。勿論、有り余る地所を有するこの醸造所であるから、その葡萄からなにが作られるかは分からない。少なくともウンゲホイヤーを名乗るものでは無いはずだ。

すると、簡単なワインにこれが混ぜられるのだろうか?なんとも興味ある処置である。

今晩は、筋肉痛止めにリッター瓶の残りを、ザウマーゲンブラートヴュルストとザウワークラウトを食事に、飲み干してしまうかも知れない。
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-26 01:15 | ワイン | Trackback

ゲマインシャフトの人種

d0127795_14291850.jpg
腕が病める。

八月から待たされてやっとA・クリスツマンで最も単純なシュペートブルグンダーを試飲することが出来た。岩場に出かける前の試飲だったので一口二口口に含んだだけであったが、2007年産の優秀さは確認出来た。赤ワインでも愉しみなヴィンテージである。今まで飲んだ中では最も良い年のようにさえ感じた。

酒気帯びになることも無く岩場へと辿り着いた。結構寒空の中を黙々と登るのも良い。比較的健闘した。四月からの初心者の親仁がその体格と腕力でなかなかやるのをみていると、危なかっしいなとは思うが、何れ小さな怪我をするまでは突き進んだ方がやはり本人のためになるだろう。

何処が初心者は違うのか、子供の頃から自然に身についたものも癖もある自分には分からないことも多いが、場をこなしていないだけに、最も安全で無理の無いポジションやモーションにもっていくことが出来無いのは知らなければ当然だろうと思われる。

逆に、経験があるとどうしても安全な方へと体が動くようになるので、もしくは苦手な動きを自然に避けてしまうような傾向がある。

それにしても毎週岩場に通う面子は、やはり会(ゲゼルシャフト)の他の面々とは全く違う人種である。なにがどう違うのかは判らないが、子供の頃からこうした人種に馴染みのある自分はまさにここに含まれるようだ。

一種の気侭さのような、組織立てたことよりも同志のパートナーシャフトを重要視するゲマインシャフト指向の人種と言えるだろうか。

また、日曜日にお誘いを受けたが、筋肉痛は引くだろうか?スポーツクライミングの域に達するには、機会があれば逃さずに、こつこつと続けていくしかない。

それにしても息が上がったのは口に含んだ赤ワインのアルコールの為と後で合点がいった。
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-25 14:41 | 生活 | Trackback

疑問を投げ掛ける認識

d0127795_3592655.jpg
承前)文化を育む土壌とは?蜜蜂の巣を作る企画がラインラント・プファルツ州の援助で行なわれていて、ボイスの活動のように以前ここでも紹介した芸術家フリッツ・アイヒャーが参画している。

蜜蜂学の全国大会やその展示に先駆けて、自宅にてその一端が紹介された。今回は上海に近い地方出身の若い芸術家がパートナーとして共同制作を行なっている。

写真をみても分かるように、鳥箱のような一般的な巣箱の形をしていて、パターンが繰り返されている。そのシンメトリーを認識する力が蜂にはあると言うのである。そして黄色系の色がお好みだと。

その巣箱の形も下駄履き住宅から社会住宅のようなものまで様々で、居心地の良い日辺りと乾燥させる風を避ける事がもっとも空き部屋を減らす工夫であると言う。要するに、人が住んでも気持ち良いようなところに蜜蜂も好んで住むらしい。

ギリシャ考古学に引けをとらず蜂の生態研究もドイツにおいて歴史的に盛んで大きな成果を残している。誰もが知っている蜂の情報交換などはそのひとつである。しかし、そうした集団性から予想されるものに反して、同じ屋根の下に住みながらも、各々がシングルとして快適な生活を求めて居ると言うから面白い。

グローバル・アルバイトと題したこの芸術プロジェクトにおいて、どのような情報交換がなされるのか?

若い芸術家フー・タオカンの話は興味深かった。このプロジェクトのオブザーバーとしてベルリンから文化学者レジーナ・カズパース女史が参加しているのが、その彼女とはへーゲル流の見解とマルクス以前を理解できない中国文化概説を話したのだが、まさにそこへの認知こそにこの中国からの芸術家は参画していたように思える。

つまり、アイヒャー氏が言う「シンメトリーの認知自体があるからこそアシンメントリーが認知される」ように、こうした「環境」への認知こそがもっとも重要なので、蜂の家から我々が何かを得るのである。

それは、方言と標準語が文化のヒエラルキーによって始めて認知されるように、啓蒙思想を知らなければ反啓蒙意識を持つことも出来ないのである。自由民主主義があってこそ自由主義の限界が議論されて、民主主義の限界も始めて議論されることが可能となる。

これを機に11月に開かれる学術会議も、そうした示唆のみならず、その「考え方」こそが問われているのである。

文化学者は問う。「自然科学に世界観は必要か?寧ろ邪魔になるのでは無いか?」。世界観が無いところではそれを否定することも出来ないのである。要は認識なのである。

胡氏は言う。「中国人の考え方はあまり理論的に構築していく事が無い」とそして「感情的なものによって焦点が定まらず暈けて来るのだ」と。

「それは、ザッハリッヒカイトが欠けているからだ」、「そして、それがプロテスタンティズムから来ていると思うのだがね」と問い掛ける。

パターンの変化に「前進」を見てとるこの若い芸術家はその意味するところを改めて考えるだろう。

「日本の古代の美や蹲踞(つくばい)が美しい」と言うので「中国人には天地があるが、日本人には周りの環境しかないからね」と明確にしておいた。(続く)



参照:
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26
ミニスカートを下から覗く [ 文化一般 ] / 2007-09-17
白い的へと距離を測る [ 文化一般 ] / 2007-09-16
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-24 04:11 | アウトドーア・環境 | Trackback

多極性文化土壌を求めて

d0127795_415263.jpg
週後半から末にかけて、展示会や朗読会に参加したので忙しかった。とても見たり聞いたりしたことが多くて、それもあまりにも興味深かったので簡単には片付けられない。それでも、メモしたものを整理しておく必要はあるだろう。

「オデッセー」などで有名なホメロスに関する展示会がバーゼルでの成功に続いてマンハイムのライス・エンゲルホルン博物館でこの14日から開催されている。

既に伝えたようにヘッセン放送のラジオ朗読のために新たにトロイヤ戦争を扱った「イリアス」を訳す過程でラオル・シュロットは、様々な発見から新たに仮説が立て、この春にそれを扱った書物を刊行して、専門家達の盛んな議論を呼び起こすに至った。

19日に行なわれた本人による新翻訳の冒頭の朗読に前後して、その件も質疑応答などされたが、基本的には伝えられている文学的な比較から芸術的な史実の再構築を行なったことが明確にされつつ、こうした議論や関心が今最もドイツ連邦共和国にて重要な課題となっている「教養」を呼び起こすことになるのが示されたのである。

簡潔に展示会で確認したことを纏めれば、紀元前八世紀に琵琶法師のように語られていたものが六世紀頃に文字化されて、ローマ支配になってからの紀元前二世紀には作者ホメロスは既に神格化されて通貨の図柄として、またそれ以前に制作されていた胸像などが複製されているのである。

もっとも重要な事は、もともとは語られていた詞が母音の豊富なギリシャ語によって文字化されていたことで、そこから近世のオラトリオに相当する豊かな響きが聞きとれることである。そして、その題材となる神話の世界こそは、訳者に言わせると、様々な語り伝えが再構築されたものであり、中世のトリスタンの物語に見るような地理的には必ずしも一定しない物語であるどころか、文化的にも寄せ集められたものであるとする考え方である。

そして、政治経済の変化によって変動する中央と辺境の文化圏との接触が、必ずしも一方方向へのベクトルとならずに同時に反照としてのベクトルが存在する事から、文化や言語においてもある種の地方性もしくは方言が、再構成される時点で重要な意味合いを持ってくる事になる。

それは、語りの劇的な抑揚に対して方言が、意味論的な芸術言語がそこでは対となっていて、単調さが構造要因であるヘクサメトロスの韻に対応しているのは、同時に動的な叙述に対して主観的な視覚を重視した叙述を対応させることが出来るようだ。

こうした辺から中への中から辺への流れは、異なる文化圏の接触によって生じる化学反応で、平衡状態に達する流れが生じてそして不可逆の進行として新たな接触を得る運動が繰り返されるのだろう。

ホメロスの書物を欧州文化の始まりとする企画は、シュロット氏によってここで新たなる視点が与えられた。その舞台として現在のトルコ東部の黒海に近い方面を推測する事から、これまた現在のEUのあり方であるトルコ問題に地理的なものだけならずもしくはイスラム問題に文化的な対案として一石を投ずる事になるのである。

有名なハインリッヒ・シュリーマンの発掘から刺激された実証的な考古学的な学説に、新たに文学的な印象を得る事が出来る。それは、今回の会においても「あなたは、重要な参考文献を都合よく取捨選択して利用している」とする反論が聴衆からも指摘されたが、今のドイツ連邦共和国で最も重要視される「教養」は、まさに「(大衆)教育」と呼ばれるこうした知識や情報の積み重ねでなくて、知的で自由な発想や創造力を形成する知力を養う土壌のことを指すと示しているのである。(続く



参照:
Raoul Schrott (ZDF-Porträt - nachtstudio)
HOMER - Der Mythos von Troia in Dichtung und Kunst (Reiss-Engelhorn-Museen)
想像力を働かせろ! [ 文学・思想 ] / 2008-07-07
序 トロージャンの不思議 [ 数学・自然科学 ] / 2005-03-17
自嘲自虐的アリバイ映画 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-12
淘汰されるグロバル社会 [ 歴史・時事 ] / 2008-09-07
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
何故に人類の遺産なのか [ マスメディア批評 ] / 2008-06-26
解消されるまでの創造力 [ 文化一般 ] / 2008-06-18
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
知的エリートの啓蒙芸術 [ 音 ] / 2008-03-17
改革に釣合う平板な色気 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-18
腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17
呵責・容赦無い保守主義 [ 文学・思想 ] / 2007-11-19
古典に取り付く島を求め [ 文学・思想 ] / 2007-10-23
豚とソクラテス、無知の知 [ マスメディア批評 ] / 2007-08-14
襲い掛かる教養の欠落 [ 雑感 ] / 2007-07-27
理性を埋める過去の美化 [ 文学・思想 ] / 2007-07-05
学校で習えないほど過激 [ 文学・思想 ] / 2007-04-29
暖冬の末に灯火親しむ [ アウトドーア・環境 ] / 2007-02-18
正書法通りに発音する [ 雑感 ] / 2007-02-15
教皇の信仰病理学講座 [ 文学・思想 ] / 2006-09-18
活字文化の東方見聞録 [ マスメディア批評 ] / 2006-05-12
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
シラーの歓喜に寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-12-18
吐き気を催させる教養と常識 [ 文化一般 ] / 2005-08-18
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-23 00:20 | 文学・思想 | Trackback

ロリータとザイルシャフト

d0127795_17101087.jpg
先の水曜日は、温度は冷えて秋空であったが天気がよくクライミング日和であった。夜は会合があったので、早めに岩場に出かけて十分に愉しもうと思ったのだが、靴を忘れて取りに帰ったりして三十分ほど無駄にした。

それでも岩場にはいつもの面々が三人ほど既に登っていた。先ずは手軽なところを登らせて貰い。かなり厳しい場所に挑戦していると、いつもの者が三人の娘を連れてやってきた。

自分の娘が居たのだろうが、顔付きを見て印象するだけで、あまり観察して居なかったので分からなかった。年長のニキビ面の女の子が16歳ぐらいで、あとの二人は13歳ぐらいだったろうか。まさに思春期真っ盛りのロリータ娘を連れてきて、彼が面倒を見るのだ。

その年長の女の子にザイルで確保させて登って行くのを、本当は監視していなければいけなかったのを辞去して少し離れた所で、他の親仁と準備をしながら一緒に見ていると「あんな若い子、何するか分からんよ、それに体重差を考えたらあいつ冒険だな」と笑うのだ。

そして、前回に登れなかったところを再度挑戦させて貰って降りてくると、「一人面倒みろ」と命令するのだ。すると、小さい方の一人がやってきて「登るから」とチリチリ頭で歯にしっかりと銀色の補強の入っている口元を見せて言うのである。

先ずはザイルの結び方を確認させて、「まあ、好きなように登りなさい」と放任にやらせる。身軽な動きはまるでカモシカのようでなかなか良いのだが、直ぐにルートが判らなくなった。左へと向うように指示しておいて、今しがた自分が挑戦して克服したオーヴァーハングになった場所も行かせてみると、流石に「駄目」と言うので少し降りさせて、左へと登路を指示した。

なかなか鮮やかな身のこなしで、捲いたオーヴァーハングの上に出るところも怖がらずに我武者羅に登っていく。「いいぞ」と下から声をかけながら見ていると、自分が始めた頃のことが少し頭を過ぎった。

あの当時岩場には、女の子は、大人も含めて殆ど居なかったなと思い出して、ローティーンの女の子とザイルを組むなど始めてではないかと気がついた。男の子であってもなかなか親はロッククライミングなどは危ないものとして禁止することが多かった時代である。そしてあの当時の学友のあどけない表情などを思い出して、改めて目前のロリータパワーを感じるのだ。

お相手をした女の子も、広い足場に来るとちょこっと髪を直すので、「お櫛直しか」とからかう。そして、降りて来て、もう一度結び方を尋ねるので、「本当はね、ザイルをこう廻しておくともっと良いんだよ」と教えると、「分かった」となかなか飲み込みの良い反応を見せる。

そして自分のリュックサックから大きなスカーフを取り出すのを見ていると、それほど邪魔になるほど長くはない髪を結んで整えるのである。

引率の親仁に感想を尋ねられて、「少しルートが分からなくなったけど、親切に教えてくれたからよかった」とはにかみ勝ちな笑顔を向けられると、「どう致しまして」と心から反応してしまうのであった。



参照:ロリータな感覚の体験 [ BLOG研究 ] / 2008-06-09
[PR]
by pfaelzerwein | 2008-09-22 02:14 | | Trackback