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索引 2008年10月


黒光りする掘り出しもの [ アウトドーア・環境 ] / 2008-10-30 TB0,COM0
ジーンズの裾の綻び [ 生活 ] / 2008-10-29 TB0,COM0
湿り気の多い薄暗い月曜 [ 暦 ] / 2008-10-28 TB0,COM0
情報巡廻で歴史化不覚 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-10-27 TB0,COM6
文明のシナ化への警告 [ 文学・思想 ] / 2008-10-26 TB0,COM0
世界を雪崩で洗い落とす [ マスメディア批評 ] / 2008-10-25 TB0,COM3
穴が開いたからの電話 [ 生活 ] / 2008-10-24 TB0,COM0
太地イルカ猟とKorus [ 文化一般 ] / 2008-10-23 TB0,COM0
老練の老齢なレトリック [ 文化一般 ] / 2008-10-22 TB0,COM0
難しい食感の栗入り胃袋 [ 料理 ] / 2008-10-21 TB0,COM0
未熟な食品危機管理 [ マスメディア批評 ] / 2008-10-20 TB1,COM2
賞味保障、期限2025年 [ 試飲百景 ] / 2008-10-19 TB0,COM2
中空に曝け出される意識 [ 女 ] / 2008-10-18 TB0,COM0
男なら運転前に一寸一杯 [ 生活 ] / 2008-10-17 TB0,COM0
葡萄の園の観天望気 [ 暦 ] / 2008-10-16 TB0,COM0
頭を腐らせない判断 [ 暦 ] / 2008-10-15 TB0,COM0
味わい深い葡萄の樽 [ 試飲百景 ] / 2008-10-14 TB0,COM2
湿っぽい紅葉狩りの週末 [ ワイン ] / 2008-10-1 TB0,COM2
伝えられた十一日の急死 [ 生活 ] / 2008-10-12 TB0,COM4
真面目なスパムメール [ BLOG研究 ] / 2008-10-11 TB0,COM0
TV大衆をカモにする胴元 [ マスメディア批評 ] / 2008-10-11 TB0,COM0
リスク管理の平衡感覚 [ 暦 ] / 2008-10-10 TB0,COM0
懐かしい米国人の名前 [ 生活 ] / 2008-10-09 TB1,COM4
We do not sell wine..... [ マスメディア批評 ] / 2008-10-08 TB0,COM4
目の鱗を落とす下手褒め [ マスメディア批評 ] / 2008-10-07 TB0,COM3
未だ健在なお隣の地所[ 試飲百景 ] / 2008-10-06 TB0,COM4
不都合な交通システム [ 生活 ] / 2008-10-05 TB0,COM0
F・芸術家と名乗る醸造所 [ 試飲百景 ] / 2008-10-04 TB0,COM6
個性が塗り潰された音響 [ 音 ] / 2008-10-03 TB0,COM5
躓きそうになるとき [ 生活 ] / 2008-10-03 TB0,COM2
買ってしまうグランクリュ [ ワイン ] / 2008-10-02 TB0,COM4
食が太くなる今日この頃 [ 生活 ] / 2008-10-01 TB0,COM2

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by pfaelzerwein | 2008-10-31 03:53 | INDEX | Trackback

黒光りする掘り出しもの

d0127795_233193.jpg近所に玄武岩の砕石場があった。だから面白いリースリングが育つ。ペッヒシュタインと呼ばれる区画である。

その谷の入口附近に新しい石碑が建っていることに気がついた。岩に掘りものがしてあるのだ。兎に角写真にとって持ち帰った。

ペッヒシュタインの名前が掘られているからワイン摘みの意匠かと思っていた。良くみるとどうも違う。石切り場で黒っぽい石を掘り出しているようだ。

また向こう側では、二種類の石の石畳に気がついた。左側がこの一帯の地盤である雑食砂岩と、右側には黒光りする玄武岩が並べてある。玄武岩は雨に濡れると益々黒色を増すので、スペインなどでは石灰岩の白色とモザイク模様が作られる。d0127795_24215.jpg
タールの石切り場訪問 [ アウトドーア・環境 ] / 2007-03-28
やまなみのしたにどじょう [ 試飲百景 ] / 2007-05-25
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by pfaelzerwein | 2008-10-30 02:04 | アウトドーア・環境 | Trackback

ジーンズの裾の綻び

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ジーンズを二年振りに購入。その前に買ったものが異常に長持ちしていていて、古いものが長持ちして、新しいものが早く痛んだらどうしようかと思っていたが、古いものを普段履いていると流石に内股部分が破れてきた。五年目だから仕方がないが、またまた足が太くなってきた可能性がある。

二年前に買ったものも擦れ方が酷くなってきた。元々長めなので、他人は気がつかないのだが裾の綻びが気になって来た。お店では、前々回のものと同じ一つ大きいサイズを薦められてそれにした。より長持ちするだろうか。89,95ユーロは決して安くはない。色目は、前々回、前回とだんだんと明るくなってきた。どうもその方がよいと感じるのは何故だろう?

リーヴァイス・ストラウスを買うから何時ものようにユダヤ人を思い出すのではなくて、ドイツユダヤ人協会がまた批判することが起っていた。経済研究機関の代表が、恐慌になるといつも悪者探しが始まるとして、「昔はユダヤ人、今はマネージャー」と発言したからである。

批判を受けて、直ぐにユダヤ人迫害と現在の状況を比べたのは不謹慎だと平謝りした事から、これまた直ぐにユダヤ人代表はこの謝罪を受け入れた。

差別や迫害の歴史は、後々までこうした歪な社会を作ってしまい、どうしても綻びが気になる。



参照:三年振り新調のジーンズ [ 生活 ] / 2006-12-29
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by pfaelzerwein | 2008-10-29 03:21 | 生活 | Trackback

湿り気の多い薄暗い月曜

週末に夏時間が終わった。これで朝は少し過ごし易くなるが、夜が長くなる。月曜日から雨に降られ、紅葉もこうして直に落ちて行くのだろう。

今晩はフランクフルトで音楽会があったのだが、未知の演奏者の演奏をネットで判断して取り止めにする。燃料費は、嘗ての価格に戻っており、車を走らすのも悪くはないが、天気が悪いとあまりろくな事もない。

それよりも何よりも、フランクフルトの大音楽堂は今日もがら空きなことが予想出来て、寒さよりも湿り気ですっかり意欲を無くしてしまった。金融の町フランクフルトのナイトライフが振るわないのは当然であろう。

友人から電話があって、底の見えない市場が心配でどうかと聞かれたので此処に書いたような銀行での取り立ての話などをしたが、短期的には軍資金がなければ動く手立てなどない。

金曜日に映画に行ってから、やはりどうしても町のおかしな菌を貰うのか、動くとおかしな汗などを掻く。此処は注意深く、ボルドーワインなどで身体を温めてじっとしているのがよかろう。

それにしても今年ほど時差を感じたことはないのだが、何故だろうか?特に夕方の一時間が、腹時計とどうも上手く合わない。朝食時刻も今一つおかしい。
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by pfaelzerwein | 2008-10-28 02:13 | | Trackback

情報巡廻で歴史化不覚

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承前)つまらない映画「ノルトヴァント」において、ただ一箇所声が上がったシーンがある。ナチスドイツのミッテンヴァルトの第百山岳部隊の男便所を素手でタワシする場面である。雪の中でも冷たくないのだ。根性を鍛えなければいけないのだが、主人公の二人は、衛兵の「ハイルヒットラー」にも「サーヴス」としか答えない。

アルピニズムは、未曾有の近代戦争ではつまり将棋の駒が配置され嘗ての戦雄がもはや存在し得なくなったが如く、そうした時の流れを経てその質が変貌して行く。しかし、それ以前にユダヤ人であるパウル・プロイスの試みとして既に近代批判が書き加えられていた。それは、彼の辛辣な近代的用具への制限で、それによってアンチモダーンへと純粋に自然と対峙していく騎士的でスポーツの掟の尊重であった。1911年にはドイツアルプス新聞にハイパーモダーンな登攀技術による歴史の進展を宣言して、その発言は「まるで山に丸腰で向うようだ」と、その初心者への危険な影響などが物議を醸し出した。つまり、1910年の時点において山岳リゾ-トには山用品産業の広告が用意されて、「ただ一人山に挑む」とする哲学は文明社会から既に忘れ去られていたことを裏打ちしているとされる。

時を同じくして登攀上の技術は、反作用を利用する突っ張り技術(レイバックス)などの進展をみて、摩擦を利用する懸垂下降技術(肩絡み)共々ミュンヘンのアカデミカーハンス・デュルファーによって開発されるが、同時に登攀の難しさが五段階に格付けされて、更に上へと階級が開くことで当然の如くより困難な方向へとの心理的欲求から技術的要求が課される。

そして、1926年にアイスハーケンを開発したヴィロ・ヴェルツェンバッハによってルートや登攀の難しさの第六級が提唱される頃から、今までに設定していた安全や難しさを越える領域がエリートによって目指されることになる。

またシュテファン・ゲオルク一派でありトーマス・マンに多大な影響を与えたエルンスト・ベルトラームが1911年に「ニッチェと山」と題してアルペン新聞に書いていることからも分かるように、丁度第一次世界大戦後の極端な近代主義の反作用である表現主義やノイエザッハリッヒカイトへと、あまりにも冷徹なミリタリズムが神秘主義的な方向と同時に一種の「死への憧憬」の発展を加速させる。

余談ながら、先ほどパリにてエミール・ノルトの個展が初めて開かれたようで、エルンスト・ユンガーのフランス文学殿堂入りと、ドイツ表現主義への彼の地での無視は大変に興味深い文化現象である。

そしてここにおいてようやく武器をピッケルに持ち替えて、敵味方に別れ、自らを「死の領域」へと追いやるイデオロギーが強化されるのだが、その実は「死への憧憬」も「集団主義」も少々力のある本物のアルピニストとは全く相容れなかったのはその歴史的発展から考えれば自明のことなのである。

今回の「つまらない映画」の価値はまさにそこにある。我々の多くは、当時の新聞が書きたてたような何の将来性も無い田舎者の名誉欲と一発勝負の神風野郎が大きな目標であるアイガー北壁を登る事によって、第三帝国でナチスの官僚のように出世しようとしたかの印象とその悲惨さを思うのだが、実力ある若い登山家がそのような人種であるかどうかは冷静に考えれば判るのだ。それはなぜかと言えば、登攀という行為自体に「ある種の冷静さ」が根底にあり、ゲマインシャフトから遠ざかるほど働く「帰巣本能」が存在しているからに違いないからである。勿論、前者をしてそこにザッハリッヒカイトの冷血さを見て、後者に土着的な気風を見るからこそ、メディアの視点が広く社会に影響を与えることになるのである。その両者の融合こそがこの映画監督の基本コンセプトであり失敗なのである。

つまり、上の論文にもある様に映像化などのメディアの話題性が、そもそも見られる側と見る側の双方に影響していて、知らず知らずの内に ― 例えばエヴェレストでのグロテスクな大量遭難事故で ― 商業主義を批判してそれを批判の矛先と商業的な目的化するように、またそうした商業的に注目される場所であるからこそ一見アルピニズムに準拠しているような錯覚をもって集まる登山者が多く存在していて、そこで起っている本当の姿はメディアを通じて何一つ伝わっていないと言うメディア自体の問題こそが議論の対象なのである。

要するに、我々の認知は、情報を通じて形成されていて、その分析された情報によって新たな認知が生じる。もちろん、その認知自体がヴァーチァルな情報の洪水とルーティンのなかに溺れてしまっているとすれば、その情報を分析することすら不可能となるのではないだろうか。

論文は、「冷徹な現代批判や、危険神話や、前衛的なダイナミズムや、情報の基礎命題化において、極限志向の時代が既に歴史化していることを覚えさせるような瞬間などない」と結論している。



参照:
Gegen das sieche Chinesentum von Gerald Wagner, FAZ vom 21.9.08
Nordwand, Kritik von Marcus Wessel
ヒューマニズムの挑戦 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-29
エゴの覚醒と弁証の喧騒 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-08-19
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活 ] / 2005-01-25
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
自殺志願の名誉死選択 [ 歴史・時事 ] / 2008-07-20
暖冬の末に灯火親しむ [ アウトドーア・環境 ] / 2007-02-18
菩提樹の強い影に潜む [ 文学・思想 ] / 2007-06-16

でも、それ折らないでよ [ 文学・思想 ] / 2007-01-26
民主主義レギムへの抵抗 [ 文化一般 ] / 2007-08-25
呵責・容赦無い保守主義 [ 文学・思想 ] / 2007-11-19 
肉体化の究極の言語化 [ 文学・思想 ] / 2007-11-25
民族の形而上での征圧 [ 文学・思想 ] / 2007-12-02
即物的世俗と主観的宗教 [ 文学・思想 ] / 2007-01-18
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
世界を雪崩で洗い落とす [ マスメディア批評 ] / 2008-10-25
映画『NordWand』日本公開&映画チケットプレゼント (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
「日本の生徒は教室を掃除するの?」 (お茶妖精)
児童生徒にトイレ清掃をさせるべき? (Yahoo! JAPAN - 意識調査)
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by pfaelzerwein | 2008-10-27 03:05 | アウトドーア・環境 | Trackback

文明のシナ化への警告

商業映画業界などTV界と同時に早く潰れてしまえと思っている。駐車料金を入れてあまりにもつまらない10ユーロの投資だったので、その腹癒せの勢いを借りて鬱陶しくて今まで目を通していない本を風呂桶に浸かりながら開いた。

「チベットの七年」で有名なダライラマの友人であった登山家ハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」と題するペーパーバックである。十年以上も昔スーパーの投売りの籠から掴んだものだ。子供の時に読んだ時以来の再会でそのなんともパトスに溢れる重苦しさのアイガー北壁の歴史に手が伸びなかった本である。しかし、つまらない映画化のお蔭でか、1938年に初登攀をした著者の読み物として随分と愉しめる。

その現地での聞き取りの事実関係から、先の映画の横着なドラマ化については触れるのは腹立たしいだけなので措いておくが、著者ハラーの謂わんとしようとする事は、あの映画の背後に潜んでいるのは間違いない。

そこで方々で話題となっているミュンヘンのミヒャエル・オットの小論文「死の領域」― 古の極限のアルピニズムにおける極限の思考領域に関してと副題が付けられているものをネットに見つけ読む。雑誌「思想史」2008年II / 3号に載った16頁の論文である。

これの特徴は、近代アルピニズムの歴史として社会史や文明論として捕らえられることが多かった分野を極限への志向として、もう一度有名なマロリーの答えである「そこに山があるから」の質問形として捕らえているところが面白い。

極限とする意味には、今日の競技化しているフリークライミングに通じる近代五輪の発祥時期の議論が加わっている。つまりその副題が示すように、要旨は極限への志向の分析にある。

それが、なんら報酬も観衆もないアルピニズムの歴史において、英国で始まったプチブルジョワによる植民地主義感覚によるマッチョ的征服感から受けた大陸での影響として纏められる。

19世紀後半の啓蒙主義的なアルプス観光の流れは、新大陸における西部開拓に相当する教養主義的フロンティアー精神の助長である。それは、丁度音楽芸術におけるそれと同じく、客観的価値が主観的でエゴイスティックな愉悦と取り違えられる(情操)教育的体験への価値でしかないというのである。

そしてこの取り違えが、そのもの生死を掛けた困難を強い精神と意志で乗り越えてという道徳的な価値観を、その理想像として生むことになる。そうなれば、英国人がやっていたようなガイドつきの登山から離れていく経過を辿るのは道理である。

近代オリンピックに見られたようなこうしたアマチュアリズムは、当然の事ながら谷の掟からの解放であり自己鍛錬とより困難な目標への向上心へと向かう。そうしたパイオニア的存在としてエミール・ツィグモンディが居たのだが、1885年に23歳にしてラ・メイジュで帰らぬ人となった時、ウインパーのマッターホルンでの破局をフィードバックさせるかのように、その危険性が正当性を疑問視させることになる。つまり、市民層の勃興として捉えられていたものが同時に退廃的な匂いを醸し出すようになる。

その歴史的発展が英国のアルパインクラブとは異なるドイツ山岳協会では、社会的な正当性がより以上求められ、アルピニズムの理想が希求されることが、現在においてもその組織がゲゼルシャフト的な社会性を強く帯びていることでも継承されているかもしれない。同時にこれは、現在も組織的にサミットクラブとして活動するヒマラヤにおける商業登山への道へと繋がっている事を見逃せない。そこに見出すのは先にあげた極限へのモラールでしかなく、それは教育として捉えられる。全く笑止千万であるがドイツ山岳協会のリーダーには教育指導者検定が科せられていることでもそれが示されている。

ヴィーンの高校教授オイゲン・グイド・ラムマーなどが1896年に記すのは、「ガイド無しの登山行為を批判するが、そもそもルソーが140年前に総ての吐き気を催すようなものから逃れる美をアルプスに見い出し、ここに来てはじめて文化的な疲労や洗練や過度の神経質や複雑な機械の歯車から、騒音から逃れ、我々の苛まれた神経を最も早く容易に取り戻せるのは高山にしかないのではなかろうか」との問いかけである。

アルピニズムというものがようやく近代社会においてその機能を果し始めると同時に都市と自然、騒音と静寂、洗練と質素が二項対立化するなかで、発展する観光資本に対してあらゆる文明的な手段を拒絶して、原始的な人間性をさすらい人的なそして剥き出しの素手でピッケルという男根に力漲らせることは、徹底的にゲセルシャフトの歯車から離れ、全身全霊をかけた自己克服への道へと向わせる。単独登攀を繰り広げ危険に立ち向かうこのランマーをアルピニズムにおけるニッチェと呼ぶのは、だから十二分に承知できる。

それのみならず世紀の変わり目においてラムマーは、社会におけるゲゼルシャフト的役割分担である役人や教師や会社員のそれをして拘束されその雛型を打ち破るのを益々困難にしている状況を喩え「救いようのないとんでもないシナ化へと舵を切っている」と警告している。

それをして、マックス・ヴェーバーやエルンスト・ユンガーの十年も早い近代の予測としている。そして、第一次世界大戦へと文明は突き進んで行く。(続く



参照:
Michael Ott: Todeszonen (Zeitschrift für Ideengeschichte: ZIG (2008) Heft 3: Extremes Denken)
名文引用選集の引用評 [ 文学・思想 ] / 2006-04-02
世界を雪崩で洗い落とす [ マスメディア批評 ] / 2008-10-25
自殺志願の名誉死選択 [ 歴史・時事 ] / 2008-07-20
素朴に宿る内面の浄化 [ 文学・思想 ] / 2007-08-11
近代科学の限界に向合う [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-04
右の耳が痒いから [ 歴史・時事 ] / 2005-04-23
ゲゼルシャフトの刻む時 [ 雑感 ] / 2008-09-27
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25
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by pfaelzerwein | 2008-10-26 15:51 | 文学・思想 | Trackback

世界を雪崩で洗い落とす

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封切映画を観た。ハンブルクで夜行待ちに入った「トップガン」以来だ。魔のアイガー北壁で1936年に起きた悲劇を扱ったフィリップ・シュテルツル作「ノルトヴァント」である。

独公共放送が係わったためか盛んに扱われるので早めに片付けた。帰りの車のラジオの座談会もアルピニズムについての話を北壁最短記録を作ったクライマーなどを交えて行なっていた。

結論から言えば経験のある制作者が作ったものにしてはどうしようもなくつまらなかった。本格的ドルビーサウンドのまだ新しいが身売りされたらしいマルチ映画館で、初めてその「効果」を150人入りの会場でたった五人の客で体験した。結局、音響も画面もお粗末としか言えない。

それはこの「事実に基づく」とするお決まりの効果促進前口上に導かれる映画自体ではなくて、現在の商業映画館のマルチメディアシステムであり、それを理想とするホームシアターのシステムのこけおどし「効果」を指す。まるで、世界を牛耳っていた金融経済社会のヴァーチュアルのみすぼらしさと稚拙そのものである。

こうした映画館に余暇を求め、家庭でDVDを観て、コンピューターゲームに熱狂する人種は明らかに退化しているのだ。

今回の映画は、その点からすれば直前に流されるアイスクリームやフィルムの痛んだ保険の宣伝以上に全く「効果」がないようにつまらなく出来ていて、アイガー北壁の上から落ちてくる雪崩の地響きに音響的なクライマックスをもってきていて、映像的にも精々便所の掃除のシーンぐらいが華であったろうか。

このドイツ風に大変生真面目なドキュメンタリー風映画は、簡単に掻い摘むとつまらないお涙も流れないメロドラマである。それをして本格山岳芸術映画アーノルト・ファンクを期待して、もしくはレニー・リーフェンシュタールのイデオロギーを燻らすミトス映画を期待して足を運ぶ者をがっかりさせるだろう ― そこにこそ、この映画の美学が存在しているのである。

それ以上に、このパートス抜きでは語る事が出来なくなっている悲劇の実話エピソードを上手に使ったトレヴェニアン原作「アイガーサンクション」のクリンスト・イーストウッド作品の「効果」をすら悉く舞台落ちのように暴いてしまうのである。

これほどつまらない劇場映画はないであろう。それだからこそ、数多の山岳映画や生TVやVIDEOの手に汗する「アルピニズム効果」を洗い流してくれる。その「効果」として、音響的にもブルックナーの交響曲やアルペン交響曲を思い浮かべさせ、ヴァーグナー効果をも想起させるのは台本においても意図されている。それが、このようにしか作れなかった理由なのであろう。

それは、この映画の本当の存在価値に違いない。思想やアルピニスムの難しいことは改めて考えるとして、このようなヴァーチァルなミートスを、瓦解する大きな石の混ざる手の切れるような氷の雪崩が綺麗さっぱり一挙に奈落の底へと洗い落とす今日の世界に、その石灰岩の岩肌の溝の中に身を屈めて居る私達一人一人が対峙していることを実感させてくれるのである。



参照:
Nordwand (2008)
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
文明のシナ化への警告 [ 文学・思想 ] / 2008-10-26
情報洪水で歴史化不覚 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-10-27
アルペンスキー小史 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-03-29
慣れた無意識の運動 [ 雑感 ] / 2006-03-07
影に潜む複製芸術のオーラ [ 文学・思想 ] / 2005-03-23
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
オペラの小恥ずかしさ [ 音 ] / 2005-12-09
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by pfaelzerwein | 2008-10-25 04:57 | マスメディア批評 | Trackback

穴が開いたからの電話

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外から戻ってくると電話が鳴るが、ディスプレーに電話番号が表れない。

「xxx保険ですが。xxxさんですか?」と女の声。

「そうですよ。」

「保険に穴があることを見つけまして、例えばですね、保養保険などですが」

「なに、何の保険?

「健康保険です」

「二週間ほど前にも電話貰いましたが、今なんにもないって。」

「いや、直ぐに必要なことになるんですよね。」

「考えてないから」

「どの保険のことです?」

片手で擦り落ちるズボンのベルトを絞めながら、

「あんたが電話してきたんと違うの?」

「保養保険のことですが」

「要らん興味ないって言ってるじゃないの」

「はあ、、全然問題ないです」

「問題ないって、お姉ちゃん何抜かしてまんねん」とは言わなかったが、非常に腹立たしい。昨日は今年最後の「岩場の水曜日」を降られて、今日は快晴といらいらが溜まっている時に、肉食を増やし代替筋力強化で階段の裏のオヴァーハング登りで筋肉に張りがある人間に保養はないだろう。

25歳ぐらいの若々しい声で契約を採ろうとするならもう一寸頭を使わなきゃいけない。勝手なことを勝手に言いまくって、その立ち位置が良く分かっていない者が多い。

もう少しで、一発どやさなければいけないところであった。銀行からのお誘いならお話を聞きに行って向こうの動きを「探る」のだが、ドイツ最大のプライヴェート健康保険会社がここまで熱心に電話をかけてくるところをみると金融危機で穴が開いたのかもしれない。

しかし世の中にはあんな電話を貰って喜ぶ人もいるのだろうか?向こうから売りにくるものを信用した事は未だ嘗て一度もないが、ただ一度、電話で生年月日を漏らしただけで、ドイツェテレコムの何かに契約させられたことがある。苦情とキャンセルの電話代だけでも図らずも売り上げに貢献してしまった。
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by pfaelzerwein | 2008-10-24 01:22 | 生活 | Trackback

太地イルカ猟と韓米Korus

太地町のイルカ漁が十分ほどかけてZDFで放送されたようだ。日本でも明朝に衛星放送として流されただろうか?昨年に続いて毎年の事のようだ。その事実関係は、相当する日本語のネット情報で十分に想像出来る。

鯨なのかイルカなのか良く判らないが、年間三千頭の規模や鯨博物館を通しての売買などと聞くと、少々の駆除や学術調査の規模ではないのが知れる。

一般的には伝統的に鯨漁の町と思われているが、小振りのイルカと聞くと殆ど世界中の人が犬の食用と殆どかわらない感じを抱くに違いない。

鯨の肉に関しては何度も書くように、散々強制的に給食で食べさせられたので、金輪際食したいとは思わない。あれほど不味い肉は食した覚えがない。思い出しただけで胸が悪くなる。

そうした肉とイルカの肉と同じなのか、それともより違う味がするのかは判らないが、鯨と称してイルカの肉が売られているらしい。伝統的文化として大量に虐殺する情景は、英国のきつね猟などと同等の社会的批判を受けて当然であろう。

ネットなどをみると数年前から沿岸で猟される鯨が小さなイルカだと初めて知らされた日本人が驚いている様子が記録されている。沿岸であのような漁をしていたのでは、白鯨の世界とは大違いだと改めてその女々しい文化の矮小性を知ることになるのだろう。

TVでも紹介されていた博物館の商売や実入りのよい漁は、本来は少数民族保護などを前提として護られている事を考えれば、特殊な既得権のようなものがそこに存在して殆どタブー化しているのだろう。最近は、特殊外国人やその手の逆被差別は日本特有のものではなく、世界中でもそれが批判されることが多く、オバマ大統領候補批判への対応でも慎重に配慮されている。

大韓民国が米国との関税協定を結び、EU・北米Naftaの関税協定に続きKorus FTAと呼ばれる世界第三番目に大きい市場となったと言われるが、その修正作業の終わる前にEUとの間でも同様の関税協定の締結を狙っている。

またここでも朝鮮民族らしい独特な交渉があるようで、EUとの交渉においては既存するKorus協定の内容を基準条件として求め、それまでにEUと泡良くば更によい条件で協定できれば、米国との協定をさらに有利に修正しようと試みている。

国の破産が囁かれている大韓民国が、あのスポーツの勝負で見せるような粘り強くなりふり構わない猛攻でEUとの交渉に臨み締結へとひた走る。

三年か七年かとする締結後実施までの準備期間の長短以上に、例えば自動車産業では日本を倣って伝統的に試みているような独自のレギュレーションを振りかざしてそれを輸入障壁にする方法はEUにとっては認め難く、EUのレギュレーションを大韓民国がそのまま採用することが求められている。

独自のシステムを棄て、グローバル社会の中でそれを適当に繋ぎ合わせて生きて行くのも中小国のせめてもの処世術かも知れないが、反対にローカルの中の極少数の利益を少数民族の伝統文化としての建前で、その実は好い加減でさしたる根拠もない怪しい伝統文化に拘るのも同じように愚かしい国民文化である。



参照:
イルカの追い込み漁の中止について (ようこそ知事室へ 和歌山県情報館)
様々な銘柄への批評 [ ワイン ] / 2008-03-19
調査と云う似非文化問題 [ BLOG研究 ] / 2008-03-10
肉食をするなと主張 [ 料理 ] / 2005-09-28
蛇が逃れる所-モーゼとアロン(2) [ 音 ] / 2005-05-03
ヒロシマの生き残り [ 暦 ] / 2005-08-06
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by pfaelzerwein | 2008-10-23 00:52 | 文化一般 | Trackback

老練の老齢なレトリック

音楽評論家ヨアヒム・カイザーが娘さんと本「最後のモヒカン」を書いたようで、フランクフルトの書籍見本市でインタヴューを受けている。

戦後の有名な著作家グループに若くして加わることが出来た当時の社会事情を語っている。

改めて特に重要なことは語っていないが、若い時と今こうして年齢を経た時で好みが変わったたり意見が変わったものはないかとの質問に答えて、「バイロイト音楽祭に、自らいかなくなる事など考えてもみなかった」と、その「芸術の弱さ」を「今日レクチャーをして改めて」見出すのだと語る。

「それでも、マンの三部作やトリスタン、冬の旅をもう発見することはないものとまでは至っていない」と告白する。

カールツルーヘで指揮していた無名のフルトヴァングラーをプロイセンの文化相カール・ハインリッヒ・ベッヒャーがベルリンへ連れてくるような文化行政は今やありえないとして、「ヘルデンテノールも、よい指揮者も、アラウやホロビッツやルービンシュタインのようなピアニストも居なくなった」とする今日の「高度な文化」をしても、決して悲観的ではないとしてヴェンガロフやフィッシャーやハーンを挙げる。

そして、ヒルデ・シュピールの言葉を引用して、「知識人や老人にとって、自らの若かりし頃を、その後のジェネレーションによって曲解されたり蔑まわれるのはもっとも酷いことだ」と言い、ヴィルヘルム・フルトヴァングラーの名声が逆説的にも死後半世紀も経ってようやく鳴りひびいていることを指している。

かなり老練の老齢なレトリックをこうして展開している。



参照:
民主主義レギムへの抵抗 [ 文化一般 ] / 2007-08-25
半世紀の時の進み方 [ 文化一般 ] / 2006-02-19
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
吐き気を催させる教養と常識 [ 文化一般 ] / 2005-08-18
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-30
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
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by pfaelzerwein | 2008-10-22 01:19 | 文化一般 | Trackback