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索引 2008年11月


パリへと航空郵便を発送 [ 雑感 ] / 2008-11-30 TB0,COM0
ろくなことはない万引き [ 生活 ] / 2008-11-29 TB0,COM2
とても そこが離れ難い [ 音 ] / 2008-11-28 TB1,COM2
石きり場、転落注意 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-11-27 TB0,COM0
フランス風名産品の味 [ 料理 ] / 2008-11-26 TB0,COM0
初雪後の陽射しの中で [ 暦 ] / 2008-11-25 TB0,COM0
更衣室で呟く前大統領 [ 生活 ] / 2008-11-24 TB0,COM0
塀の中に零れる泡銭文化 [ マスメディア批評 ] / 2008-11-23 TB0,COM2
折伏に負けた互助の心 [ 生活 ] / 2008-11-22 TB0,COM2
押し寄せる不景気の煙 [ 雑感 ] / 2008-11-21 TB0,COM0
胃に沁みる夕べの祈り [ 料理 ] / 2008-11-20 TB0,COM3
神の手に手を出すな! [ 生活 ] / 2008-11-19 TB1,COM1
朝から一杯、力を誇示 [ ワイン ] / 2008-11-18 TB0,COM0
女性的エレガンスを求む [ 試飲百景 ] / 2008-11-17 TB0,COM2
分かりの良い下らない人 [ 雑感 ] / 2008-11-16 TB0,COM4
忙しい時はいやに忙しい [ 生活 ] / 2008-11-15 TB0,COM4
如何わしいワインのかい [ ワイン ] / 2008-11-14 TB1,COM2
脱いだ下駄箱の靴がない [ 雑感 ] / 2008-11-13 TB0,COM2
鎖国ありえるデジタル界 [ 雑感 ] / 2008-11-12 TB0,COM0
無成長経済は可能か? [ マスメディア批評 ] / 2008-11-11 TB0,COM0
年間一千五百万円不要 [ 料理 ] / 2008-11-10 TB0,COM6
I'm asking you to believe [ マスメディア批評 ] / 2008-11-09 TB0,COM5
柔らかいゴムの心地よさ [ 暦 ] / 2008-11-08 TB0,COM0
初冬の力強い気持ち [ 暦 ] / 2008-11-07 TB0,COM5
自信と確信へ超克の勝利 [ 歴史・時事 ] / 2008-11-06 TB0,COM6
ネットでも価値ある買物 [ 生活 ] / 2008-11-05 TB1,COM2
私の一週間の仕事表 [ 生活 ] / 2008-11-04 TB0,COM9
ボルドーの最も美い一角 [ ワイン ] / 2008-11-03 TB0,COM2
抑圧から解放される為 [ マスメディア批評 ] / 2008-11-02 TB0,COM5
観光地で銭を潰す楽しみ [ 雑感 ] / 2008-11-01TB0,COM4

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by pfaelzerwein | 2008-11-30 18:51 | INDEX | Trackback

パリへと航空郵便を発送

社会学者アドルノを引き立てたのは、映画評論の創始者クラカウワーだとは良く知られている。今週、その二人の往復書簡集が発売されて話題となっている。様々な二人の見解が読み取れるらしい。ヴィーンにて博士号修得後アルバン・ベルクの弟子となり作曲家として修行を始めるころの裏話なども面白いようだ。なるほど当時の写真をみると後年からは考えられないような美青年振りで、厳つい如何にも青年趣味のある粘着質の顔の親仁と幾ら親しくても肉体関係には及ばなかったのは納得できる。

久方ぶりにパリのケネディー大統領通りの住所に物を送ったが、日常茶飯に郵便物を世界中に送っていた頃とは違って、ルーティン作業になっていないせいかエアーメールのシールを貼るのを忘れた。誰もが欧州内で何をエアメールかと思うだろうが、貼っておくと早く優先して配送されると言われたものだが、今でもやはり効果はあるだろうか?

金曜日にしか発送出来なかったので、月曜日にはまだ中央舎の郵便受付に到達しているかどうか分からない。相手方のデスクの上に廻されるのは水曜日ぐらいだろうか。電子メールを貰ったのが先週の木曜日であるから、二週間後にやっと手元に渡るという欧州時間そのものである。こちらから送りつけるのとは異なり、むこうから要請があるのは、いづれにしても喜ばしい限りだ。

そのような事をやっていると流石に待降節突入で、加入している協会からの払い込みの通知が郵便桶の入っていて僅かばかりとは言いながら、昨年よりは増えている感じで貰うものは少しでも多い方が嬉しい。協会の集金体制がドイツ国内だけでなくフランスなどを含む外国にも広がった影響があるのだろうか。

パリにもご無沙汰しているので、また用件を作って出かけたいものである。そう言えば、より近いミュンヘンにすら何年も出かけていないような気がする。個人的事情と燃料費高で全く動かなくなってしまっていた。
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by pfaelzerwein | 2008-11-30 03:45 | 雑感 | Trackback

ろくなことはない万引き

万引きの世界調査の記事が載っている。万引き防止のシステム会社が資金を出したようである。ドイツにおいてもこれほどの被害が出ているとは思わなかった。道理でスーパーでのチェックが厳しい筈だ。

従業員による千ユーロ以上の誤魔化しの多い北米と、ドイツなどとは状況が違い客が物を持ち去る場合の被害が多いらしい。百貨店などでは衣服類に磁石が埋め込んであるのは知っているが、食料品などはなかなかそうしたシステムがつけ難いようだ。

ドイツで最も盗まれているのは、ワインやシュナップス類というから恐れ入る。なにやらこちらにも容疑がかかりそうになる筈だ。そして、化粧品、女性衣料、香水類と続いている。女性が主には違いないのだろうが、盗まれる剃刀などは男性ものだろうか女性ものだろうか?

兎に角、その被害額は、一消費者辺り年間で52ユーロ余分に補填して支払う勘定だから馬鹿にならない。

スーパーのレジで手提げ袋の中を見せても、冬のコートのポケットに押し込んでしまえばなかなか発見し辛いと思った。店内のVIDEO監視システムは経費が高くつくので、日頃行っているスーパーにはなかったような気がする。

それならば、そこのスーパでポケットに入れて誤魔化したいと思うものは何かと考えると、高級スコッチぐらいだろうか?しかしポケットに入れるには箱付きで大き過ぎる。まさか、チーズや肉類をポケットに入れる気もせず、長いままのスパゲティーなら袖にも入らない。

トイレットペーパーなどは幾らあってもよいとは思ってもこれは隠しようがない。お菓子類などはその場で我慢できずに封を開け購入前にむしゃぶっている者がいるのを見るとなんともやるせない。

電球はかさばるので厭だが、電池などは結構高価であり適当に持ち出すのも良いかも知れない。しかしそれほどの倹約はちょっと工夫すれば出来るのである。

僅か売り上げの一パーセントの盗難が大きな影響を与えるほどの価格競争をしているスーパーマーケットで、それほどの盗みを働くよりも廉いものを見つける方が断然お徳なのである。どうせろくなものはないのだから。

二ユーロ少々の焼き豚の塊の残り半分とその焼けたラード部分が週末の献立の材料である。料理がなかなか愉しみな材料である。
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by pfaelzerwein | 2008-11-29 03:03 | 生活 | Trackback

とても そこが離れ難い

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もう少しセンチメンタルな気持ちになるかと思ったが、決してそのような会ではなかった。今後ともこれほど長い期間に渡って舞台の上と客席側で対峙し続けるピアニストはいないだろう。アルフレード・ブレンデルは、特別な演奏家であった。

プログラムがつまらない感傷を起こさせない大変粋なもので且つ大変真面目なものであった、だからこれはこれで、いつの機会であっても素晴らしい演奏会であった。惜しむらくは、二十年ほど前はまだまだ多かった戦前世代を知っている聴衆というのが少数派になり、ヴィーナークラッシックが殆ど文化的な意味を持たない聴衆が増えたことであろう。このピアニストの引退に、氏の個人的な決心とは異なる、その時代の終焉を感じた。こうした演奏家に付きもののまるで天然記念物を評するかのような形容詞「最後のなんとか」とは全く掛け離れた、それである。それは、クラウディオ・アラウがリストの直系であったとか、アルトューロ・ミケランジェリが、ルービンシュタインがホロヴィッツはとかではないのだ。

満を侍したかのように、賢明で秀逸した楽器使いでもあるアンドラーシュ・シフのベートーヴェンの全曲録音が発売されているが、もしくはアルフレッド・ブレンデルを傾倒して踏襲するかのようにこれらのプログラムを演奏する者もいなくはないが、その意味するところは全く異なると言いたいのだ。

そのクラシックなプログラムとは、演奏会を聞く前から、ハイドンにおける減二度を軸にする所謂ナポリ六度により変化する幻想ソナタ風の二つの主題をもつ二重変奏曲ヘ短調Hob.XII:6に、モーツァルトの晩年の歌劇に相当するような肌理の細かいこれほどない程の洗練した情感の移り行きをソナタKV533/494の変ロ長調二楽章アンダンテの短調への変化に味わい、更にベートーヴェンの幻想風Op.27,1と呼ばれる月光ソナタと対を為す曲において、プログラムの最後を飾るシューベルト遺作変ロ長調D960の転調の妙に、前のカデンツァ構造の面白さを対比させるかなどと十分にわくわくとさせるものであった。

そして、当夜そこに沸き出でるものは、 ― 普段は訪れない最後に見ておけという物見遊山の聴衆の動き回り立てる音のけたたましさに ― 疾風怒涛でも後期の俳諧でもないハイドンの真面目な表情の世界そのものである。つづくモーツァルトにおいては、理想的な空間での素晴らしい録音に比較すると、楽器の相違すらそのヘ長調の響きにはもうひとつという感じで、特に大ホールでの左手はどうしてももそもそとしてしまう。それは、なにも今回に限った事ではないのだが心なしか左手の打鍵の速度などが嘗てのそれではないと感じたといっても、昨年の今頃氏の引退を予想した永年の聴衆として許される発言だろう。なるほど、今回はシューベルトを含めて、嘗てないほどに音を外していたが、そんな低俗なことよりも現代に受け継がれ発展した楽器を未だにいかに芸術的に鳴らすかに職業的使命を賭けたピアニストとしては、むしろそうした体力的な衰えこそが引退を決意させたに違いない。

それでも、ベートーヴェンが作曲二年後に速度をアンダンテからアレグレットへと上げてソナタの終楽章に組み込んだ ― ほとんど原曲に戻ったような速度感で弾かれるとき ― ロンド主題のあの軽やかさとまろやかさを、なんと形容すれば良いのだろう!そしてシューベルトの第四楽章の慈しむような足取り。そして第二楽章の交差する手によって齎される多声の隙間から、また第一楽章での主観から客観へと渡された存在がやっと姿を垣間見せるとき ― それはまるで霧の中を向こうからやってきた影が自らのそれとはたと気がつくときのように ― 、私達はマルティン・ハイデッガーが止揚した問いにはたと出くわすのである。

それは、その六の和音の上でのホルンのオクターヴであったり、同時に二度の音程の異名同音への長調・短調への転調が、近世以降に発展して来た西洋音楽の偽りのない究極の存在として、十二音平均率という究極の楽器にて奏でられる ― 特にシューベルトにおける大会場を変調させ鳴る響きに ― このヴィーナークラシックのプログラムに発見する存在なのである。

そして今、三十年以上前に壮年期のこのピアニストが響かせたシューベルトのこの曲が語っていたまたは欧州の音楽文化の真髄を啓示し続けたフランクフルトの会の真の意味が、ここにあからさまにされたのである。

間際に会場に押し寄せた聴衆の教養や、ベートーヴェンの同じ曲などで子供のように力むマウリツィオ・ポリーニの打鍵や一生涯なにもはじまらない稚拙なランランや、そのようなものに感心する一生涯なにもわからない老人の存在についてなにひとつ語る必要はない。こうした音楽芸術が、芸術が存在したことさえ示せたならば、それだけでなに一つ加えることなどないのである。

ヘルダーリンから一節を繰り返して挙げればそれで事足りる。

「とても そこが離れ難い
源泉の辺に留まっているものよ」

(さすらい IV、167)

"Schwer verläßt
Was nahe dem Ursprung wohnet, den Ort"

Die Wanderung IV, 167.

ベートーヴェン、リスト、バッハ-ブゾーニの三曲のアンコール曲をもって、このピアニストの歩んできた芸術家としての一筆書きのような軌跡がこうして閉じられ、そこに離れ難い存在を見いだすのであった。



参照:
Alfred Brendel: Zu meinem Programm (Frankfurt, 25.11.2008)
十分に性的な疑似体験  [ 音 ] / 2008-08-06
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
明けぬ思惟のエロス [ 文学・思想 ] / 2007-01-01
大芸術の父とその末裔 [ 音 ] / 2006-11-24
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-3
形而上の音を奏でる文化 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-21
趣味や自尊心を穿つ [ 生活 ] / 2006-02-26
Phantasiestücke oder Das Ende vom Lied, Julia Spinola, FAZ vom 15.05.2008
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by pfaelzerwein | 2008-11-28 03:04 | | Trackback

石きり場、転落注意

d0127795_3263836.jpg雪が残っていると流石に誰も登っていない。仕方ないので操業中の石切り場の方へと足を伸ばす。コンテナほどの砂岩が沢山切って並べてある。それをどうやって切り落とすのか一度みてみたいと思うが、電気鋸のような音が下から響いている。

あれでは砂岩とは言え鋼鉄の消耗も機械の消耗の激しいだろうからコストが馬鹿に出来ないだろうと思う。水圧で切るのか、何かで切るとしたらやはり高くついてしまうのだろうか。

いつも登っている石切り場の上には、転落しないようにやはり柵が張ってあって、尚且つ「下で人が登っているから物を投げないように」と注意書きが書かれている。

なるほど他の場所とは違って上にハイキング道路が上にあるのは気がつかなかった。温度は低いが陽の射す中を二時間ほどゆっくりと歩く事が出来た。二週間ほど風邪気味だったのがこれで吹っ飛んで呉れると助かる。d0127795_3282114.jpg
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by pfaelzerwein | 2008-11-27 03:31 | アウトドーア・環境 | Trackback

フランス風名産品の味

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トリノで毎年デリカテッセンの博覧会「サローネデルグスト」が開かれているらしい。所謂スローフードを掲げているデリカテッセンの博覧会である。確かチャールズ皇太子が音頭を取っていたような気がする。

最近は国外からの展示者も増えているようだがやはり地元のイタリア勢にはかなわないと言う。ドイツ人は車などには金を掛けても食事となると財布の紐は堅い。

その反対がフランス人やイタリア人なのだろう。なるほどいつもに肉屋には自家製のザウマーゲンなど以外にはドイツ風やオーストリア風のものよりもイタリア製のサラミなどが並ぶ。

先日は、パンに塗る手作りのフェット煮込みを買った。ストラスブルク風ガエンツァ・リレッテと呼ばれるアヒルの肉を油と煮たものである。ドイツでは豚のそれが一般的であるが、これはフランス風で流石に高価であった。
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by pfaelzerwein | 2008-11-26 16:47 | 料理 | Trackback

初雪後の陽射しの中で

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昨晩は余所の地域に一日遅れて初雪を見た。朝には残っていた雪も午後には消えてぬかるみながら散歩日和となった。山の上は大分積もっていたようだが、この辺りにあまり雪がまわないのは、西側に屏風のように立ちはだかるプフェルツァーヴァルトのお陰だ。

精々600メートルにもみたない森であるが、北海・パリを抜けてやってくる湿った空気も向こう面の上昇気流で雪を落とし乾燥した空気をこちら側に落とすに違いない。

天気配置によってその条件は変わるが、パリから殆ど一日遅れでやって来る天候は、この屏風のような森にぶつかってからワイン街道へと降りてくる。だからこの地方は一年を通して最も気候が良い。もっと涼しいところも、もっと暖かいところもあるが、それとは少し違う。

ダイデスハイムの地所ヘアゴットザッカー周辺を散歩すると、陽射しの中を早速枝刈に興じている地所が多かった。毎年のように、これから新春を通して枝を揺らすのどかな音が方々から聞こえる。
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by pfaelzerwein | 2008-11-25 04:09 | | Trackback

更衣室で呟く前大統領

線路が二方向から合流している。大変な量の水が右側の地下水道へと注ぎ込んでいて、次のトロッコに乗らなければ、その濁流に水道へと流されてしまうであろう。

人が溢れているので、トロッコが合流するどちらからかのトロッコに直ぐ乗らなければ乗り残される。プラットホームを向こう側に廻ったりこちらへと戻ってきたりと、乗り遅れないように右往左往する。

暫らくしてカーヴして入ってくる方からトロッコがやってきた。狭いプラットホームとトロッコの隙に挟まれないように急いで我々は車両に乗り込む。五人ほどの仲間なのだが、トロッコ最後部の車両のチューブ式車体に仰向けとなりまるでボブスレーのように身体を重ねる。

直ぐに水の中を滑るように、地下水道のチューブの暗闇の中へと吸い込まれて行き、速度を一気に加速させていく。様々な不安が過ぎるが他になすすべがない。

仲間の一人が長いスカーフを巻いていて気になっていたのだが、そのスカーフが二百キロも出ていようかとするトロッコの車内から外へと吸い込まれて行き、それがどこかに引っかかったかと思う一瞬もなく、彼の首は外へと引っ張られて無残にも吹っ飛んで逝ってしまった。

そうなると我々の不安はいよいよ募り、チューブの最後部の血生臭い首無し遺体を知り目に、なにやら喉を潤すものがいる。その男の使っている紙コップがこれまた都合の悪い事に速度が出ている車内の吸引力から前車両のチューブの中へと液体ごと吸い込まれてしまったので、喧々囂々と前車両の見ず知らずの乗客たちと一発触発の険悪な雰囲気となる。

今度は、我々の仲間の誰かがタバコに火をつけようとして、本人が突然酸素が強制供給されて充満している中部の中では爆発の可能性しかない事を悟り、そっと微笑みながらタバコを折る情景が、今度はこれだけの乗客の中に必ず同じような事をする馬鹿者がいるに違いないとまたまた心配になってしまうのだ。そしてびくびくと体を堅くする。

そうこうしている内にスロープの角度が弱ったのが減速へと至り、徐々に水量も減って乾いた地下構内へと辿り着いた。そしてそこで、仲間とは皆別々にされて、濡れた冷たい服を脱いで所持品と一緒にズタ袋に入れて審査官の前で名前や生年月日を申請させられる。

すると各々知らないものが年齢層が重ならないように、手く選別配合されて五六人のグループが形成される。そして、そのチームでなにかをさせられるのだが、もぞもぞと低く口元を震わせながら小高い声で書類に目を伏せながら各人を確認して行くのは前プーティン大統領である。そして、それがセレクションであったと気がつくのに時間は掛からなかった。

その決して目を合わせない虚勢を張った男は、敢えて不明瞭に発音する確認作業に、生来の賤しさを示していた。我々は各々の年代に別けられてきっと生体移植のために臓器を剥ぎ取られるのだと直感した。後ろづさりに後ろ手で境の戸口を開き出て行こうとするプーティンの声は聞き耳を立てても徐々に理解できなくなって、声が薄れていく。

あまりの恐怖心に暫らくは、目を覚まさずにその情景を思い浮かべていた。
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by pfaelzerwein | 2008-11-24 02:21 | 生活 | Trackback

塀の中に零れる泡銭文化

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音楽ファンや劇場訪問者がお世話になっていたのは労音や民音だけではない。なんといっても90年代は、アルベルト・ヴィラーの名のついていない大掛かりで話題となった新上演は少ないぐらいである。

メトロポリタンオペラ、コヴェントガーデンやザルツブルク音楽祭に通ってこの人のお写真をみた事が無い者は居まい。彼の潤沢な寄付が無ければ我々の入場券は更に高くなっているか、あまり人の集まらないモルティーエ時代の伝説的な上演は間接的にしてもそもそも成立しなかったのではないかと思われる。

そのパトロンの趣味の良し悪しなどよりも ― どさ廻りのゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団とか趣味の悪い連中がそこに集まる ― 金を出して呉れることが先決だったのである。このほど、彼の投資会社アメリンド・インヴェスティメント・アドヴァイサーズ・インクテットにおけるパートナーのギャリー・A・田中と共に詐欺容疑で逮捕されニューヨークで公判中であったが有罪となり、長期の服役となりそうだ。

主な容疑は、ニューヨークの個人不動産への資金を書類偽造して横領していたとされる。今回の金融恐慌程ではない2000年におけるハイテクニュービジネス崩壊が投資の失敗を招いた結果のようだが、これは文化行政との絡みで考えるべきなのだ。

金を出しても「顔」を出すなとは批判しても、それはあれだけの資金援助をしたパトロンはかのルートヴィヒ二世バイエルン国王のように扱われたくても、それは当然であると思うが、どうだろう?そんな事は問題ではなかろう。

つまり先頃もモルティエー博士が計画していたメトロポリタン歌劇場に対抗するニューヨーク市歌劇場構想は、経済危機の大波を受けて頓挫してしまった。つまり泡銭の援助では、こうしたもともと泡銭が落ちない真っ当な公演や文化事業はやはり賄えないという事になる。つまり、堅牢な経済的後ろ押しがあってこその将来に繋がる文化事業であるという事を認識すべきなのである。



参照:
Schludig: Ein New Yorker Gericht verurteilt den Sponsor Alberto Vilar wegen Betrug von Jordan Meijas, FAZ vom 21.11.08
続・お大尽がこけた - 共犯者は数学博士のタナカさん (ロンドンの椿姫)
折伏に負けた互助の心 [ 生活 ] / 2008-11-22
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by pfaelzerwein | 2008-11-23 01:53 | マスメディア批評 | Trackback

折伏に負けた互助の心

先日お客さんを連れて久しぶりにイタリア料理屋を訪れた。二件目の兄貴の経営する店は一年前に出来たようだ。なかなか良い感じにしてあるが、食事を楽しむというよりも親仁好みのサロンのようなカフェー風の店である。

弟に譲った方の店では、特別お品書きなどがなかなか魅力的であるのとは幾分違う。兄貴は十年ほど前から熱心な法華経者でそのときから可笑しな事を質問されたが、今回はお仏壇をみせて貰った。日本からの竹で出来ている言う立派なものである。

朝に夕なに三十分づつ南無妙法蓮華経と唱えると力を貰うと、本当は一時間やらなければと言いながら、真面目にやっているようだ。日本にも是非行きたいという。池田大作先生に会うのだという。戸田や牧口が日本の飢餓の時に創立したという説明だ。

日本では、子供の時にロッテに勤めていた父親の居る家庭と、乗用車の運転手の家族などがその団体に加入していて、廻していたその資料取り上げて、それに目を通して内容を思い存分楽しんだ。初めは「学会に行く」と聞いて、てっきりこのような人も趣味で学問をやっていてアマチュアーながら「学会」に属して学術論文を発表しているのだと勘違いした覚えがある。

その二家庭を知っているだけだったが、しかしドイツでは、上の者以外にBASFを定年退職後暫らくして愛妻に亡くなられ悲嘆に沈むところを折伏にやられた親仁さんに、創価学会の評判を聞かれたことがあり、公明党を軸にその政治力を説明したことがある。彼は、近所の噂を聞いたことのある日本人女性に勧誘されて ― その折伏の経過が口止めされているかのように殆ど語られないのを不思議に感じた - ビンゲンにあるヴィラ・ザクセンに連れて行かれ、まるでモルヒネ療法の末期患者のように逝かれていた。そうなると何を言っても手遅れで、なにも恨まれてまで新興宗教に口出す馬鹿もいまい。そもそも、元々が創価学会向きの夫婦であったのも分かっていた。

ウィキペディアを読むと特に日本語のそこではかなり厳しい批判がドイツのメディア記事として載っている。しかし、ドイツ版はそれに比べると比較的落ち着いていて、藤原弘達や日本共産党のような天敵がいないという証拠なのだろう。しかし、ネットでビンゲンの近くには共産主義者の独日団体が存在しているのを確認したことがある。

日蓮上人自体の危険性やその教義から批判すればなるほどと思うのだが、所詮ドイツにおける布教活動は精神的な互助だけであって日本のそれのように経済的政治的な組織とはなっていないのだろう。上のイタリア人の信仰などをみるとなかなか通の趣味という感じも拭えない。どんな趣味でも道具を買ったり、場所を借りたり、月謝を払う必要があるからお布施を取られても似たようなものだろうか?
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by pfaelzerwein | 2008-11-22 06:27 | 生活 | Trackback