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索引 2009年4月


書斎でほくそえむ確信犯 2009-04-30 | アウトドーア・環境TB0,COM0
植生のみならない生態系 2009-04-29 | アウトドーア・環境
集中して投薬を開始する 2009-04-28 | 生活 TB0,COM0
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感 TB0,COM0
シネマよりもテアタァーだー 2009-04-26 | マスメディア批評TB0,COM0
酸い匂いの源を求めて彷徨う 2009-04-25 | アウトドーア・環境TB0,COM0
ローマ人居留地遺跡に吃驚 2009-04-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
憎めない配達トラック野郎 2009-04-23 | 生活 TB0,COM0
実に羨ましい伯爵の一日 2009-04-22 | 女 TB0,COM0
俗物図鑑のための閻魔帳 2009-04-21 | 試飲百景 TB0,COM2
フラインツハイムを散策する 2009-04-20 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
未だ覚醒しない兄弟との確執 2009-04-19 | 歴史・時事TB0,COM0
セーター羽織ると筋肉痛走る 2009-04-18 | 生活 TB0,COM0
デフレにサケの甲乙を比べる 2009-04-17 | 生活 TB0,COM0
傷だらけになって力尽きて 2009-04-16 | アウトドーア・環境TB0,COM0
復活祭の葡萄における展開 2009-04-15 | 暦 TB0,COM0
独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎 2009-04-14 | 歴史・時事TB0,COM0
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事TB0,COM0
情報の洪水を汲み尽くす阿呆 2009-04-12 | マスメディア批評TB0,COM4
麹の絞り粕を舐め栄養補給 2009-04-12 | 料理 TB0,COM0
蕎麦アレルギーに冒されると 2009-04-11 | 料理 TB0,COM4
回峰途上に見た鯉のぼり 2009-04-10 | 暦 TB0,COM0
褌を締め直して車を走らせる 2009-04-09 | 雑感 TB0,COM2
グッと我慢してバーと放出 2009-04-08 | 女 TB0,COM2
非難仕様がないエコ生産品 2009-04-07 | ワイン TB0,COM2
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評 TB0,COM2
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事 TB0,COM0
いよいよ四月本番の空気 2009-04-04 | 暦 TB0,COM3
宵越しの金は持たないと嘯く 2009-04-03 | 歴史・時事TB0,COM0
ゴミで咳き込んで酷く咽る 2009-04-02 | アウトドーア・環境 TB0,COM3
酸に中ってふにゃふにゃな軀 2009-04-01 | 料理 TB0,COM3

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by pfaelzerwein | 2009-04-30 19:52 | INDEX | Trackback

書斎でほくそえむ確信犯

待ちに待っていた罰則への準備の伺いが届いた。先日の速度超過のネズミ取りの結果である。その時から、無性にいい訳がしたくてしかったなかったので、「訴えるなら訴えてみろ」、「出るとこに出ようじゃないか」と放言するのである。

先ずは運転手の特定からで、当然の事ながら早速名乗りの狼煙を上げた。41KM超過は、三点の減点で一月間の免停である。罰金は160ユーロほどなのでスイスのように肉体労働で返済しなくてもよい額だ。

「やれるならやってみろ」と力んでみても、法廷闘争となるとそうはいかない。ここは、一人相撲のような逸る気持ちを押さえて、冷静に考える。駐車違反とか速度超過違反などはかなりの数になるが、ここ十年ほどは全く罰金を払っていないので分かるように、違反に縁遠い人間が始めて不可抗力の違反を犯したのである。

事実認定では、裁判闘争ではスピードメーターの測り方などは問題となるかもしれないが、基本的には時速70KM制限の場所を100KM時速と勘違いして走りきってしまったのは間違いない。つまり標識を見落としたのは事実である。

しかし、無罪を主張する。不可抗力である。詳しくは既に来るべき事情説明のための原稿を準備しているので、出来る限り他の言いまわしはここでは控える。原稿はA4一枚の分量となった。その格子は次ぎのようになる。

先ずは、速度標識を見落とす直接の原因となったその追い越しにおける事情説明である。つまりその追い越しを安全に完了するためには速度標識の見落としは致し方ない事情説明である。

また、追い越し自体が必要に迫られた安全対策であって、少なくとも当方はその逼迫した必要性を一貫して主張出来る。そして、その追い越し自体は合法的であり、追い越しが出来なかった場合の危険性は、その必要性として少なくともその時点では強く確信していたことを述べる。

その危険性への認識が、仮に結果としては誤まりであったとしても、同じ状況に遭遇した場合には、やはり他の回避の方法はない事を主張する。

以上より明らかに不可抗力であり、概ね責任はその特定出来ない他者にある。当方には事故回避における標識見落としに伴う速度超過の責任は一切無い事を主張したい。

自動車クラブの司法保険に入っていることであり、万が一先方が当方の主張を受け入れなかった節は、法廷に出向かないけないようだが、それも良いではないか。足代は保険で出るのだろうか?争いの焦点として、そもそも騒音保護のための速度制限と、まだ若い二輪車野郎の人身の重要さを考えるならば、憲法裁判所までも争そうぞとまたもや鼻息が荒くなる。

それにしても状況説明書の原稿作りは一寸したエッセイを書く様で結構楽しいのである。最近はドイツ語の文章の読書量は増えても書く量は減っている。久しぶりに厭に詳細に渡っている紀行文風ものを書くと、こうして毎日のように文章を書き殴って入るお蔭で昔のものと比べるとドイツ語でも饒舌になってきていて面白い。

こうした事務的な文章では要らぬことまで筆を滑らしてはいけないのは重々承知しているが、全く卑下する所の無い確信犯なのでどうしても筆が良く滑る。原稿に充分に手を入れて、一寸した読みものにしてしまう魂胆で腕を奮っているのだ。



参照:
非難仕様がないエコ生産品 2009-04-07 | ワイン
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2009-04-30 02:49 | アウトドーア・環境 | Trackback

植生のみならない生態系

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去る土曜日、天気も良く気分も悪くはなかったので、ワインを取りに行く前に一時間程歩こうと思ったのである。そして、先日パン屋の帰りに立ち寄った山の上の駐車場から下っている谷を下からつめようと思ったのである。

その谷の入口に着いて驚いた。十年以上前は家庭菜園になっていた所が、今や隣町の取水口と自然公園の草原に変わっていたのである。永くご無沙汰していると感じた。昔は知り合いが其処で店をやっていたのでしばしば立ち寄ったのだった。

車道も土道ながら整備されて当時の車の泥刎ねの苦情も解決されていた。そして谷筋の林道はジョギングや通常の自転車でも滑走出来るように未舗装ながらしっかりと固められているのだ。巾一メートルもない小川の左右にはハイキング道が延びて、とても気持ち良い緑陰のせせらぎの道となっている。

登りにとても大回りしてしまったようでその谷を大きく高巻きする道を進んだ。どんどんと高度を上げて行くので谷から離れて不安になる。一向に谷へと降りる脇道が見つからない。そのように思って谷の方へと別れ道を選び進むと、木陰に岩がごろごろと突出している斜面を上方に見つける。

それに見惚れながら登りかけた所が、谷へと降りる見落とした分かれ道だったようで、結局名所のような岩へと出てしまった。町の観光パンフレットで観たことがある、その奇岩を初めて実際に見ることが出来た。

ただの奇岩ではないと、その岩肌に挟まれている石ころなどに侵食に洗われた岩肌であることが伺える。岩の上から遠く離れた町やワイン地所を見て浮かれているうちに先ほど別れた谷へと降りる道の存在をすら思い起こさなかった。そして更に先へ先へと「出口」を求めて無心に林道を奥へと進むが、益々谷から離れるだけで、道一つ交差しない。

その道には深く刻まれた足跡があり、暫らく行くと馬糞が落ちている。こんな山奥へと馬を走らせる人がいるのである。やっとのこと登山道が交差する頃その時点で既に歩き始めてから一時間程経過していて、風が吹き出し徐々に夕方の気配が見えてきた。急いで松林の中の道を谷へと降りて行くと、暫らくして、沢が堰き止められた池から小川が流れ出している。

自信はないものの川の流れに沿って降りて行くと、後ろから親子連れが自転車で追い着いて来る。呼びかけて谷を確認するとやはり戻る方向であった。そしてやっとの事先日道に迷った場所へと出くわす。なるほど、谷筋のその場所からその時車を止めた駐車場まではまだ一キロ近くある。

川の縁には生態系を図示する看板があり。道沿いの植生を説明する表示と共になかなか素晴らしい。なるほど谷の入口には、子供シャベルで川に手をいれて水遊びをしていた親子づれがいた。眼鏡をずらして水遊びに興じている親父さんに挨拶をすると、照れくさそうにばつの悪そうな笑みを湛えた。母親は草原に座っていて、子供よりも親父の方が完全に童心に戻っていたところを、ふとその時虚を突かれたのだった。

後ろから、ジョギングをする娘が近寄ってきて何をするかと思えば、泉の出ている所で水を求めているではないか。なかなか自然の遊歩道と人々の生活が自然に結ばれている風情が良い。川面の生態系や植生だけでなくて人々のそれがまた学習出来る谷である。
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by pfaelzerwein | 2009-04-29 05:19 | アウトドーア・環境 | Trackback

集中して投薬を開始する

咳き込んで、赤い顔をしていると怪しまれそうである。TVを観た人は、豚インフルエンザに対する日本の水際対策の映像が出てきたと言う。新聞にはソウル空港の熱関知の映像が一面に掲載されている。

元気な年齢層が襲われる疫病らしい。朝早くから精を付けるために豚の鼻やほっぺたや腎臓を取りに行った。これだけ煮豚を食して置けば十分に免疫力がつくだろうか?それとも免疫力が無い方がこのインフルエンザに感染し難いのだろうか?

合衆国やメキシコの豚が感染したと聞くとどうしても遺伝子工学によるクローンの病気かとも想像してしまうのだが、二三日内にインフルエンザの詳細が解かるらしい。

オーゼルタミフルの備蓄は十分にあると言うが、伝播と発病を十分に押さえられるのだろうか。いずれにしてもあまり動き回らないほうが良さそうである。

急いで、抗生物質と抗炎症剤を集中して投薬する。先ずは、おかしな病気を疑われないように取り繕うほうが先決である。
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by pfaelzerwein | 2009-04-28 03:46 | 生活 | Trackback

循環する裏返しの感興

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谷を歩いて戻って来た。気持ち良く食事をして気持ち良くいつものように十時過ぎには床へ向ったが、飲み残しだけでは足りずに新たにシュペートレーゼを開けたのが悪かったのか、夜中二時に目が覚めてトイレへと駆け込んだ。胃腸の具合が悪い。良く考えれば昨年の今頃も試飲会で苦しんだ事もあった。ストレス性の消化障害とも思うが、どうも花粉症による影響もあるようだ。兎に角、ここ暫らくまだ十分に身体に力が入らない。

映像作家で、バイロイトの音楽祭でもエポックを築いたクリストフ・シュリンゲンジフが年男である昨年、肺癌のために片肺を切り取った事はファンならば良くご存知かもしれない。そして、先日の映画賞の審査委員としての選考も終わり、今闘病生活を描いた日記が発刊された。昨年の秋には、残っている方の肺にも転移が見つかった事から、決して穏やかな日々を送っている訳ではないだろう。

しかし新聞記事を読むと、その内容はとても面白そうなのである。題して、「ここほど天は素晴らしい筈がない!」と闘病生活を描いているのだが、新たな視座が開ける喜びに溢れているようである。

当然の事ながら、明日にでも腸に少しでも不調が感じられた時点で、全く異なった視座が用意されている訳で、懐疑・情念・歓喜・怒り・押さえつけられたデモーニッシュな期待・機知・押さえきれない理知が隣り合わせていると言うのだ。

そうした感興を把握することがどれだけ大切であり、各々の感興が相対的なものであり他のものの裏返しになっているから、思考において安定した座標が存在しない事になり、循環する思考がその根拠を見い出すと言うのである。そして闘病がシュリンゲンズィーフ氏に齎した最大の成果は、思考と感興の絶頂の真っ只中においての自らの価値基準からの解放であると言う。

同じように、麻酔から醒めた彼が得たのは、自らの存在に対する不思議ではなくて、身近な近親な者達が自分をどのように待ち受けているかという全くの客観視であると言う。そのような成果を踏まえて、「クランクウントアウトノーメン」という病人同盟組織だけでなく、手術傷を付けて裸で森を彷徨うヴィデオを制作しているようだ。

五十年前ほどに、自殺した作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマンが残した遺作「若き詩人のためのレクイエム」がベルリンのフィルハーモニーで上演されたようである。そこでは、様々なテープ音源などがコラージュされて唯物的な鏡が当時のありのままの社会を映し出している。そして、そこに何一つ希望は残っていない。一体なにゆえにこうした曲が創造されて、そして今演奏されるのか?殆どの客は途中で会場をあとにしたという。ライヴエレクトロニクスなどは前世紀後半の楽曲では日常茶飯であり何一つ避けられるものではないが、まさに作曲家自身が否定した自らの戦中までの作品だけでなく、「そこで否定されている世界そのもの」がそこに映される。僅か52年の生涯で希望を断ち切ったケルン出身の作曲家もカトリックの家庭に育ったのであった。

上の新刊、実に月並みな境遇ながら世界に百万人と言われる闘病の人々に連帯を示しつつ、その百万人から取り残された人達にも同じように大変面白そうだと感じさせる。ただ惜しむらくは、こうした形でなく彼の著書を開きたかった。



参照:
Ich gehe mit meiner Narbe spazieren, Christian Geyer, FAZ vom 23.04.09
Endzeitmusikgetuemmel, Jan Brachmann, FAZ vom 25.04.09
蕎麦アレルギーに冒されると 2009-04-11 | 料理
ゴーストバスター請負 2007-12-18 | 文化一般
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2009-04-27 04:25 | 雑感 | Trackback

シネマよりもテアタァーだー

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フランインスハイムを見学した際、芝居を観た。芝居と言っても町の壁の小さなカジノ塔の中にあるとても小さな「テアタァー」の一人芝居である。出し物は、ロンドンの貧しい12歳の少女が海賊として成功する子供向けのメルヘンであって、就学前の子供達に混じって時節柄大人達にも楽しめる内容であった。

二十人そこそこしか観れない、室内劇場と言うよりも家庭劇場の大きさなのだが、今回はマストあり船首ありのなかなか気の利いた具象的な舞台装置が良かった。芝居自体は、もぎり、バーテン、子守を旦那に任せた奥さんの芝居であるが、台詞は朗読のように十分聞かせ、客席との受け渡しも見事で、一時間ほどの長丁場を子供達に飽き指せない手腕は見事であった。

ベルリンの文化大臣などはPISA試験の低調を子供への劇場通いで補おうとしているが、就学前の英語や読み書き計算などのお稽古事よりもこうした劇場体験の方が、文化教養を養う価値はなるほど高い。子供達の想像力や台詞に秘められた力や、客観的にものを観る力は、こうした体験で言語的のみならず鍛えられるに違いない。なによりも劇場空間の体験は、現実や世界観への大きな鏡を与えられるようなもので、知的な創造力に必ず影響力を与える。俗に言われる情操教育などは、それと比べると意味不明の概念である。一体全体、ギリシャ的なカタリシスも存在しない所で、主観的などんな感情を高揚させようというのだ?

昨晩ベルリンでは、ドイツ映画大賞の授賞式があった。八部門でノミネートされていた映画「ジョン・ラーベ」が同じく四部門でノミネートされていたライヴァル作品「バーダーマインホーフ・コムプレクス」を完全打破して大賞を含む四部門のローラ像を勝ち得た。特に後者は、有名なドイツ赤軍RAFの二人の獄死者からの大変興味あるタイトルに関わらず、余程稚拙な映画だったのだろうかと想像させる。

兎に角、ジョン・ラーベを演じたウルリッヒ・トュクールは主演男優賞を授与され、「中華料理から護ってくれた奥さん」に謝意を述べたとある。また映像賞、衣装賞が授与され、大賞受賞に際して、「我々はこの映画のために長く戦って、限りなく嬉しい」と監督のフローリアン・ガレンベルガーに代わってプロデューサーのミーシャ・ホフマンは語ったようだ。

賞金の二百五十万ユーロはどこに行くのかは知れないが、現在までのロードショー三週間ほどでたった僅か八万人の入場者数というあまりにも惨澹たる興行成績の慰めになるだろうか。どうも、「善いナチ」と言うあまりにも逆説的で皮肉に満ちた映像が嫌われているようである。ジーメンス社はアンゲラ・メルケル首相に対中関係の見直しを書面にて要請したというが、中共への経済重視の賄賂と汚職が蔓延る好い加減な対応は有権者が許すまい。

笑わせる大作パロディー映画「ノルトヴァント」がコリヤ・ブラントのカメラと、あの笑わせてくれる効果音で二賞を獲得しているのはこれまたドイツ映画名物のお笑いか。



参照:
フラインツハイムを散策する 2009-04-20 | アウトドーア・環境
未だ覚醒しない兄弟との確執 2009-04-19 | 歴史・時事
独・ユダヤ・シナ・日本の愛憎 2009-04-14 | 歴史・時事
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事
情報の洪水を汲み尽くす阿呆 2009-04-12 | マスメディア批評
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
素朴さ炸裂のトムちゃん 2009-01-25 | マスメディア批評
情報巡廻で歴史化不覚 2008-10-27 | アウトドーア・環境
世界を雪崩で洗い落とす 2008-10-25 | マスメディア批評
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
ある靴職人の殺人事件 2006-01-04 | 文学・思想
開かれた平凡な日常に 2005-12-30 | 文学・思想
「南京事件を描いた映画「ジョン・ラーベ」の日本公開を求める署名 」 
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by pfaelzerwein | 2009-04-26 00:00 | マスメディア批評 | Trackback

酸い匂いの源を求めて彷徨う

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二時間ほど午睡できた。やっと、散歩に行く元気が出てきた。足取り重くゆらりゆらりと一時間半ほど歩いた。風が冷たく陽射しが強くてとも気持ちが良い。

酸い肥料の匂いやトイレの芳香剤の匂いが至る所でして、前者は明らかな匂いの源を容易に見つけることが出来た。後者は足元に乱れ咲く黄色い菊かと思ったが、良く調べて見るとホルンダーの白い花であった。あんな匂いがあれほどに素晴らしい味の元になるとは驚きである。ラヴェンダーもこれから見かけることが出来ると言うから、洋服箪笥の除虫に是非摘み集めたいのである。
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by pfaelzerwein | 2009-04-25 03:05 | アウトドーア・環境 | Trackback

ローマ人居留地遺跡に吃驚

相変わらず気管支が炎症を起こしているようだ。目の痒みも定期的に訪れるのが面白い。絶えず痒いなら我慢出来ないので、点眼液を買いに行くのだが、視力はなかなか戻らないが暫らくすると治る。頭痛もしばしば表れる。そのような按配で、昨晩は夜九時には起きていられなくなって眠りについた。

朝は四時までぐっすりと眠られたのだが、気力充実とはならない。朝から体が冷えるのでパスタうどんをかけ込み温まる。喉がい辛くてコーヒーがあまり美味くない。

午後は買物の帰りに町のローマ人集落を初めて訪れた。1980年に発見されたそれは想像以上に立派なもので、集落では風呂の施設から水洗便所まで、床暖房からセントラルヒーティングシステム、さらにジュピター像から給水ポンプシステムまで揃完備していて、また燻製施設や空気乾燥のビオ酪農など現代人がうらやむ健康な生活をしていたようで羨ましい。とても千七百年前の施設とは思えない。かなり快適な生活だったに違いない。有名なケルンやトリアーのように劇場などの娯楽施設が欠ける点は、千三百周年を越えた小さな町では現在もあまり変わりない。

小さな敷地に広がる遺跡であるが、買い物帰りにもう少し通いたいと思っている。特に興味を持ったのは地質と雑食砂岩や玄武岩の建造物への工作や利用である。
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by pfaelzerwein | 2009-04-24 02:43 | アウトドーア・環境 | Trackback

憎めない配達トラック野郎

昨晩も起きていれなくて早めに床についた。女性を口説く夢どころか、明け方頭痛や目の周りのまた喘息気味の呼吸器官の不調を覚えて目が覚めた。花粉の影響が今年は数年ぶりに酷いようだ。一斉に芽が吹いたように人間の身体にも大きな変化を与える。今日は、考えた挙句初めて毎週の岩登りを諦めた。風が強く、肌寒く、陽射しが虚ろである。こうなると無理をしてまた喉をやられる無酸素運動も、有酸素運動の散歩に行くのも憚られる。無理をせずに先ずは体調を戻すのが早道だろう。

本日も総重量180KG相当の配達があった。配達の約束は、前回同じ運輸業社の運転手が「この町は水曜日は午後と決まっている」と「午前中の約束はよく分かっているけど」と言いながら正午を一時間半も過ぎた弁解をしていたので、その件を説明しながら「14時までの配達」と運送業者本部と取り決めた。

結局、昼食を早々に切り上げて待てども訪れず、出かける用意も出来ずにいると携帯から電話が掛かってきて、「荷物があるけど、なんか知らんが高さが二メートルもあるから」と、トラックのエンジン音を背後に響かせ鷹揚に言うのだ。「14時まで待っているけど、今直ぐ来るなら来たらいい」と、既に15時を廻っているのを確認、本当に直ぐ来るだろうかと訝しく思いながら受け取り準備をしていた。

結局その後30分ほどして、大型トラックが横付けされたような気配があり、がたがたと深い荷物室で作業している音がする。来たかなと思ったのだが、なかなか呼び鈴が鳴らない。と思った頃、ようやく鳴った。急いで出て行くと、例の男が立っている。

「やあ、また来たか」と挨拶して、「荷物は向こうへ運んで」と指図すると、「もう持って行ってある」と悪戯っぽく言うのだ。

そちらへと向いながら「あんたにはアポイントメントなんて必要ないね。いつも遅れるんだから」と、奴のために14時までに約束していたのにと思いながら、待たされた文句を言うと、

「いやー、十何件も配達先があるから仕方ないんだ」とかまた言い訳をする。

「もう少し先に電話してくれていれば、まあ、良かっただけどね」と釘を指す。

荷物を置く場所を指定すると、「なんだったら重ねてあるものを下ろしましょうか」とか神妙な事を宣。

「そのままでいいから、まあ、また次ぎに来る時は午後に指定するから」とまたの再会を約束すると、電話を掛ける仕草をする。

しかし、そうなると彼は今度は一体何時に来るのだろう?



参照:
「おれを信じなさい!」 2008-12-16 | 生活
出来悪い企業の従業員 2008-07-18 | 生活
カード枚数分だけの信用 2008-12-13 | 生活
黄色の自動車で配送? 2007-03-29 | 生活
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by pfaelzerwein | 2009-04-23 02:54 | 生活 | Trackback

実に羨ましい伯爵の一日

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夜明け前台所にいる時にガツンガツンと音がしたのを思い出した。こうもりであったのだ。思いがけず、陽射しの強いバルコンの白い壁にぶら下がって伯爵は一日を過ごされた。

こちらは、何時になったら起き上がって、若い女の血を求めて飛び立つのかと気になって仕方がない。一夜ならず一昼の軒を貸した事でもあり、その女の口説き方なりとも教えを請いたかったのだ。

それにしても態々暗闇の中から、朝早く起きて電気を煌々とつけている我家を訪れた意味が分からない。余程疲れていたのだろうか、居城へと帰るのを諦めて、ふらふらでガラスに突き当たって、そのまま泥酔の酔っ払いのように眠りに落ちたのだろうか?

嘗てこうもりに出会ったのは教会の暗い塔の中とか洞窟の中であった。天井からマントを閉じてぶら下がる姿はなるほど格好が良い。しかし今回は写真で見るように壁にへばりついていたので長い耳と毛皮しか見れない。

それにしても向かい側の教会の鐘つき塔と間違って入って来たのだろうが、完全にいかれている。兎に角、眩しく温度の高いバルコンで過ごして、何時の間にか夜中に飛んで行ったようである。

此方は彼がやって来る頃には既に起きていたので、その夜は23時前にはベットに向っていて、恐らく零時頃にマントを翻して颯爽と出て行く姿を拝見出来なかった。実労五時間で、十九時間眠っているのは羨ましい。

なるほど若い女性を口説こうと思えば、朝まで喋っていても疲れ知らずだったときもあったなと思い出す。そう思うと前途多難である。その証拠に、今晩はふらふらとマンハイムに出かける元気もなかった。
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by pfaelzerwein | 2009-04-22 04:32 | | Trackback