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索引 2009年11月


議論出来ない情報社会問題 2009-11-30 | 歴史・時事 TB0,COM0
快気祝いのガチョウ二匹 2009-11-29 | 暦 TB0,COM0
ヘドロ塗れになる午後の一時 2009-11-28 | 生活 TB0,COM0
解放的に市民サーヴィス 2009-11-27 | 生活 TB0,COM2
豚に克つ奴だけが生き残る 2009-11-26 | 生活 TB0,COM0
豚インフルエンザに違いない 2009-11-25 | 生活 TB0,COM6
今日もゾクゾクする一日 2009-11-24 | 生活 TB0,COM0
豚ステーキに揺り起こされて 2009-11-23 | 生活 TB0,COM0
多義的ではない多様性の焦燥 2009-11-22 | 女 TB0,COM2
トンカツで流感感染に備える 2009-11-21 | 生活 TB0,COM2
印象深い精神器質像 2009-11-20 | 雑感 TB0,COM0
耐えるか、白物家電のBMW 2009-11-19 | 生活 TB0,COM0
贖罪してなにを祈祷しよう 2009-11-18 | 暦 TB0,COM2
フランスに掛かる強い圧力 2009-11-17 | 雑感 TB0,COM0
将来への都合の良い感覚 2009-11-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
気象温暖化の具体的な影響 2009-11-15 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
醜悪を隠す被り物を取れ 2009-11-14 | 歴史・時事 TB0,COM0
不公平を避ける方へ究極の選択 2009-11-13 | 雑感 TB0,COM0
アウトバーン利用者負担の議論 2009-11-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
選りすぐった特産品に舌鼓 2009-11-11 | マスメディア批評 TB0,COM0
ローマ人の醸造所跡に立つ 2009-11-10 | 雑感 TB0,COM0
オープンに対応出来るとは 2009-11-09 | 試飲百景 TB0,COM2
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般 TB0,COM0
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想 TB0,COM0
季節の変化に順応する苦労 2009-11-06 | 暦 TB0,COM3
ドイツ語で喋るということは 2009-11-05 | 女 TB0,COM3
婿殿、天晴れで御座います 2009-11-04 | 試飲百景 TB0,COM2
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評 TB0,COM0
感性の嗜好を認知する行為 2009-11-02 | マスメディア批評 TB0,COM0
啓蒙されたユダヤ人と大俗物 2009-11-01 | 文化一般 TB0,COM0
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by pfaelzerwein | 2009-11-30 16:30 | INDEX | Trackback

議論出来ない情報社会問題

基本的に人の懐具合や金の絡む政治的な動きには興味がないのだが、久しぶりに政治の話題を取り上げる。まずなによりも選挙を控えているラインラントプファルツ州のニュルブルクリンクのい大スキャンダルである。今年になってから同じF1などで有名なホッケンハイムのリングの存続問題が出ていて、応急処置的にもバーテンヴュルテンベルクの援助で運営は継続された。同様にモータースポーツの低迷によるのかどうかは判らないが、歴史的なコースであるニュルブルクに纏わる三億ユーロに上るプロジェクトが水泡化したことから政治的に重要な話題となった。

クルト・ベック首相ら社会主義者達が考えた案は、モータースポーツの衰退に関わらず直進走行性に問題のあったポルシェの911開発をも支えた歴史的な土地とそのコース自体を文化財ならず余暇施設として開発してそうしたテーマパークに集まる観光客を誘致しようとするものであったようだ。これだけ聞けば、本来あるべき地方自治と地方行政から離れて、民営化という一見合理的な経済運営の一貫として行なわれる国民経済から逸脱した経済主義が浮き彫りとなる。

実際、この計画にはスイスの投資家が斡旋する合衆国からの大量の資金誘導があり、その仲介人として現在は趣味のポーカー師であるボリス・ベッカーが暗躍している様である。そして、ベッカー氏を利用した広告活動などがプロジェクトとして組み入れられようとしていたことから所属しているであろう企業体や投資家グループがそこに暗躍していたことは明らかである。

そして今回計画が座礁に乗り上げて、その背後に詐欺グループが存在していたとして破棄されたことで州政府の面々に背任の容疑が掛けられるような自体になった反面、極秘資料を入手しようとした野党キリスト教民主同盟側にも事件の飛び火が散る事となった。社会主義者に対する国民の信頼の失墜は脱構造化の「構造的」なものだが、同じ国民政党たる保守党への支持の凋落もなかなか止まりそうにない。

九月のアフガニスタン誤射事件の余波である辞任劇においても、現防衛大臣のツグッテンベルク氏などが誤射自体を「止むを得ない」軍事行動とすらしていたのだが、実際には明らかにテロリストでもタリバンでもない民間人が照準の中に映っていた事を前防衛大臣は報告を受けていたのにも拘らずそれを公表しなかったことが分かった。そしてその報告を一晩もおかずに右から左へと危機管理の頭にいるメルケル首相にも相談することなく公表したのが現大臣である。そして、首相の後押しで引き続き保険大臣の椅子を温めるユング前防衛省を一旦否定はしたものの解任へと追い遣った。僅か三週間での大臣辞任は現政権を揺さぶる。

今回のスキャンダルは、総理大臣候補である現防衛大臣の態度も通常を逸脱しているが、メルケル首相が政権に居座り鎮座するその調整力だけでは裁けない政治がそこにあり、まさに専門家が語るように死者が出る軍事行動自体こそが戦争であり、聖戦どころか清潔な軍事行動というものは机上の空論でしかない事を明らかにした。ドイツ軍の放った爆弾は民間人を含む虐殺行為でしかなく、他国に派兵して民間援助をするなどという行為自体がありえないことを政治は明確にしなければいけないことが判明した。ソヴィエトがアフガニスタンから撤退したように、合衆国を中心とするナトー軍はこれ以上そこに留まる政治的な正統性は消え失せた。

社会主義者は、現実主義の掛け声の元に行われたシュレーダー一派の軍事力を持った紛争解決策を否定して嘗ての革新の姿勢を改めて築こうとしているようだが、今更そのような思想は通じない。問題を広く開かれた議論とすることも出来ずにセクト間の闘争としか出来ないような社会主義者が国民政党でありえる訳がない。



参照:
Bundeswehr Luftangriff auf Tanklaster bei Kundus 2009 (YOUTUBE)
Die Herrschaft des Inspekteurs、Von Eckart Lohse, Berlin FAZ vom 29.11.2009
Billen verlässt Untersuchungsausschuss, Von Bernd Freytag FAZ vom 27.11.2009
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by pfaelzerwein | 2009-11-30 01:59 | 歴史・時事 | Trackback

快気祝いのガチョウ二匹

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態々、ネッカー川沿いの町ラーデンブルクまでガチョウを食しに行った。折からの最初のアトフェント前のクリスマスマルクトの賑わいで、駐車には梃子摺った。そのお蔭で前菜を抜いて仕舞ったが無事メインは食せた。ガチョウ二匹に十分な付け合わせで十三人前だから足りない事はない。一人13ユーロはこれまた美味い価格である。ビールを二杯引っ掛けてチップ込みで19ユーロ。態々出かけた甲斐がある。なによりも十分に脂などを愉しみ、これで快気祝いである。
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by pfaelzerwein | 2009-11-29 06:35 | | Trackback

ヘドロ塗れになる午後の一時

元気になると、パンを取りに行くことも、陽射しの下を散歩しに行くことも出来なかった。一日中雑用に追われた。そして発病一週間になる。

朝から、事務仕事を片付けて行くうちに、午後に少しの時間が出来た。思いきって洗濯機の点検修理に取りかかる。Vベルト交換は全く問題ないのだが、その前に懸案のフィルターの塵取りをしようと思った。これが、水浸しになる可能性があってなかなか手をつけられなかった要因なのである。確か二年ほど前にはじめて執り行った時は、そのヘドロも凄かったが、水で床が水浸しになり、ヘドロ臭がバスルームに充満したのを覚えている。だから掃除の前にどうしても片付けておきたかった。

ミーレ洗濯機の取扱説明書が、まるで役所ドイツ語のように読み難い。その理由は研究してみないと判らないが、部分部分の名称の与え方がドイツ語に拘るゆえに現代人には判りにくくなっているに違いない。そうした部品自体を昔からのドイツ語で表現する難しさは、特殊な工業技術書のようだ。

それでも先ずは、水が溢れ出すのを防ぐために、水抜きの仕方が書いてあって、これを試みた。思ったように水は噴出してこなかったが、やはりヘドロ混じりの水が流れてくる。それを足拭きやトイレットペーパーなどで受けて、容器に入れて水気を抜いた。

そしてフィルターを回し開けるとやはり紙コップ一杯ぐらいは水が流れ出し、フィルターの周りの黒い紙のようになったヘドロが流れ出し臭いを発する。そして、そのフィルターをバケツにいれて洗うのだが、どんどんと不織布状にヘドロが剥がれてくるのである。それらをバケツで便器に流しながら、鳥の羽なども見つけて、羽根布団のカバーからとその出所が分かる。それにしても前回に掃除してからそれほど経っていないのにこれほどにフィルターリングされているとは思わなかった。

どれぐらい頻繁に掃除をすればヘドロ化せずに容易に掃除が出来るのだろうかと思うのだが、やはり水仕事であり面倒になって、次ぎは何時になることだろう。なんとか格子状のフィルターも綺麗になり、再び元へ戻す。

そしていよいよベルト交換である。手順は知れたもので、途中掛かってきた電話やらなにやらに邪魔をされながらも問題なく設置できた。さて、予想通り回転数は上がるのだが、浴槽の回転自体はやはり揺れが大きく、いずれはベルトを傷つけるようなことになるのではないかと想像する。浴槽の設置や器具の経年変化の問題をもう少し観察してみないと分からない。兎に角、洗濯干し時に脱水後の洗濯物の乾いた音が大分異なっているのに気がついた。



参照:
豚ステーキに揺り起こされて 2009-11-23 | 生活
今日もゾクゾクする一日 2009-11-24 | 生活
豚インフルエンザに違いない 2009-11-25 | 生活
豚に克つ奴だけが生き残る 2009-11-26 | 生活
解放的に市民サーヴィス 2009-11-27 | 生活
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by pfaelzerwein | 2009-11-28 06:40 | 生活 | Trackback

解放的に市民サーヴィス

昨晩は眠くなるまで頑張って一気にベットに潜りこんだ。首の圧迫を避けるために枕を外した。それでも一時過ぎには、やはり右肩から右ひじまでが強く病めて目を醒ました。我慢出来なくなり起き出して、シップがあるのを思い出した。期限切れのそれを裸になってぺたぺたぺたと貼ると効果が表れたのが、枕をしてグッスリと朝まで眠れた。寧ろ頭痛などは感じるが体調は随分と回復した。

そうなると予定していた役所参りなどに出かけて、課長時代からの顔馴染みの市長さんに会釈をしたりと、市民受付に行った。以前にあった閉鎖的な雰囲気から一挙に改革していて、ロビーで何もかもか済ませるようなオープンな市民サーヴィスになっていて驚いた。

午後は一休みすると少し疲労感がやってきて、晩に買物に出かける頃には咳などが出てきた ― 昔から人にうつすと治るのが風邪という。インフルエンザの症状が解放的になってきたようだ。人に移るかも知れないが、他の人もそのようなのが多い。これは殆どエピデミーの前症状である。雨が振ったり湿気があるので空気感染は少ないかもしれないが、普段着に上着を羽織って微熱気味ながら買物を済ませたが、やはり汗を掻いた。今晩辺り再びグッショリと汗でも掻きそうである。

兎に角、おかしな所に内向していたウイルスが解放されて全身状態は飛躍的に回復した。昨晩に続き、残りのミニザウマーゲンを齧り、今日は一足先に全快祝いの祝杯を挙げて、就寝前に熱めの湯に浸かり、夜中に寝汗を掻いて、サウナのあとのようにさっぱりとして朝を迎えたいと思う。
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by pfaelzerwein | 2009-11-27 04:02 | 生活 | Trackback

豚に克つ奴だけが生き残る

三面記事に新型インフルエンザに関する最新の学術論文が紹介されている。ワクチンの効果よりも一度感染する方が効果が高いと言う結論である。つまり、通常の季節性インフルエンザと異なり、こうした野生のインフルエンザに罹ることで、今後予想される鳥インフルエンザなどのエピデミーに十分に備える事が出来るという発表である。ネズミによる実験でも豚インフルエンザに罹ると、鳥インフルエンザでも死亡しないという。その点、子供に対する接種においてもたとえ生まれたばかりの新生児に接種をしても、少なくとも一回りするであろう六十歳までは感染しなくてもその後に危ないと言われるらしい。例えば毎年定期的にワクチン接種を母親させている子供は、させていない子供を比べた場合、免疫学的に見て、こうした粗野なウイルスのアタックが激しくなると言う、極常識的な結果となっている。そもそも子供の集団接種の効果は、420人の子供に施して、ただ一人の老人の命を護ると言う日本の研究結果も紹介されている。

とは言いながらも、眠れぬ夜を過ごすと、容易にそんなことは言えない。初めからあれほどに苦しい思いをすると知っていたならば発症しないように手を打っていただろう。但し、少々の金でもこれで完治出来れば只で済むほど嬉しいことはない。それに次ぎのエピデミーでの生き残りチャンスが、金を払ってワクチンを打った者よりも高まるとなると、笑いが止まらないかもしれない。まあ、それだけ苦しい思いをしている。しかしそれよりも馬鹿らしいのは金を払って効く筈だったワクチンが効かずにといった、副作用の少ないワクチンを接種した場合の損得勘定であろう。これに関しては、メルケル女史でさえ薬の種類を選べないドイツ事情を既に書いたので繰り返さない。

昨晩の苦しさを知っていたら、月曜日の早朝にタミフルでも投与していたかも知れないが、あとの祭りである。今は胸の痛みは柔らみ、肩こりも右肩へと移り、その痛みは集中度を増しているが、なんとか我慢出来そうな様子で、お昼には今日の久し振りに強い陽射しの下で快楽椅子の上で一時間程深く眠れた。一昨日以来である。昨晩は、一時間起きに寝場所を変えるだけでなく、その間に部屋の中を歩いたりして気を紛らわして、疲れを覚えた所で、新たなベットや椅子に寝場所を見つけて背中に圧力が掛からないようにして時が経つのをじっと耐えた。

陽射しの中を散歩に出かけたが、血の気の引いた顔が真っ青で誰が見ても重病人にしか見えない。案の定十分も歩かないうちに腹具合が悪くなって、トイレに帰ると更に顔色は青ざめて殆どゾンビ化している。体温では一度ほどの上昇であるが、老廃物の代謝を考えると当然の結果と思うのだが、意外に豚インフルエンザで下痢を訴えるのは2%しかいない。一番多いのは咳の85%であるが、毎日アルコールでうがいをしているとウイルスもそこはルスになるらしい。
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by pfaelzerwein | 2009-11-26 00:31 | 生活 | Trackback

豚インフルエンザに違いない

胃が動く押し苦しさに眼が覚めた。熱がひいていたが眼がぐりぐりしていた。腸の調子は大分よくなったが、胃から肩にかけての胸部の苦しみは激しかった。もう一寝入りして、何日かぶりで洗髪する。午前中に幾つかの要件を済ますが、階段の昇り降りで呼吸困難になりかけた。全く今回のインフルエンザでは、一度パン屋で三度ほど咳き込んだ以外喉や鼻の呼吸路の通りは正常以上である。逆に、発熱後に痰の詰まりもないのが不思議に思った。

これは完全に豚インフルエンザに違いない。これは流石に強烈である。適当な高熱だったために逆に二日間ほど過ごせたが、その分予後が厳しい。そのウイルスが、十五年ほど前にうつされたヘルペスの水疱瘡で痛めた場所や、五年ほど前に胸の痛みを訴えた場所に一挙に押し寄せた感じである。逆に今年酷使した関節等からは痛みが消えて、上へ上へと照準が定まってきた。

ベットで横になって四五分すると痛みが和らぐのだが、体勢を変えると痛みの場所が変わって、それが同じぐらい続く。七転八倒の鈍痛である。喩えれば百キロ相当の重みを肩に担いだり、体の中で動かしているような按配である。痛みの中で考える。ベットの横で注射器を持っている人が立っていたら、タミフルでもなんでも副作用があろうが無かろうがお願いして打って貰うに違いないと。

更に想像は進んで考えた。これだけの力があるならば、核兵器よりもなによりも世界の権力を握ることは、ワクチンとそのウイルスで可能だろうと。我々が考える以上に、ビンラーデンファミリーもブッシュファミリーも既に製薬会社に十分投資しているのだろう。合衆国にはワクチンの公的な量産施設が出来たと言う。

兎に角、拷問のような鈍痛を我慢していると、暫らくして痛みが消えて、これならば耐えられるかもしれないと考え直す。クライミングハイ効果もあるかも知れないが、ハムレットの母親ではないがそう簡単に譲ってはいけない。

事務仕事どころか少々の力仕事まで手伝って仕舞い、完全にウイルスとの全面戦争に突入である。脈も毎分70拍程で微熱程度に落ち着いており、此方の士気は高い。しかし、これほどまでに強力なインフルエンザは今まで罹った覚えがない。なるほどエピデミー化で老人や子供など体力がない者には、ましてや瑕を持っている身体には死活の問題だろう。

殆ど汗も掻かず ― 既に木曜日にも美術館で汗を快適ているが、全く内向型の症状である。病院などで徘徊している入院患者を見かけるが、まさに肩に百キロのリュックサックがのしかってしてじっとはしていられないのである。さて、今晩は肩解しにぬるい湯に入って床に入ろうと思うが、その作用はどのように出るか?


追記:温熱療法も効果はなかった。どうも肋膜のようである。慢性的な疾患にウイルスと熱で横になる時間が多かったからだろうか、急変したのかもしれない。兎に角、横になれないのが厳しく、食欲も無く、このままでは衰弱する。うつ伏せで寝るには限界があり、安楽椅子で少しでも睡眠を貪りたい。
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by pfaelzerwein | 2009-11-25 02:33 | 生活 | Trackback

今日もゾクゾクする一日

インフルエンザは大分快方に向ったが、それでも微熱があり、下腹の調子が悪い。ゾクゾクするがなんとか午後は物事が処理出来るようになった。日が暮れるとまたぶり返しがないように願いたい。

21時過ぎに床に入ったので、1時半には眼が覚めた。トイレで老廃物を少しでも発散して、PCの前に座った。丁度2時になるかという頃疲れて、再びベットに潜りこんだ。寝る前に読んでいた本を開ける元気は全くない。

眼が覚めたのは7時過ぎだったろうか。今度は頭ががんがんするのはなんのその、腹の調子が悪くトイレに駆け込んだ。要件のメールをバロセロナに送って、それから朝食をゆっくり摂る。熱は下がっているが、それでも暫らく座っていると疲れが酷く、ものを読む元気はない。もちろん着替えをして新聞すら取りに行く気などは到底起こらない。

次ぎはお昼過ぎにベットを抜け出した。通常なら熱いヌードルでも食べたいところだが、腹痛のせいもあってか全く食欲が湧かない。虫の知らせか、土曜日に十分にケーキやら食料品を買ってきていたので、ミカンなどを食べる。そうこうしているうちに3時の時刻である。ロールケーキを食して慰めとするが、直ぐに腸が不具合を訴える。

さて、紅茶やバーブティーを飲みながらどうしたものかと考えているのだが、着替えて新聞を取りに行ったあとでもやはり寒気がする。目のぐりぐりやしょぼしょぼは殆ど抜けて来ているので、もう一息か。

外は曇天の小雨に強風が荒れ狂っている。
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by pfaelzerwein | 2009-11-24 00:29 | 生活 | Trackback

豚ステーキに揺り起こされて

数年ぶりに風邪をひいた。町の人が呼ぶインフルエンザである。先月にフランクフルトに行けなかったときはこのように熱はなかった。熱がなければ、氷河スキー場で滑って来れば治るのだが、今の状態では危ない。

体感の体温は摂氏38度に近づいているが越えてはいないだろう。越えているとこうして起きていられない。敢えて解熱剤を飲まずに様子を見ている。この体温からすれば危険な豚インフルエンザではないと想像する。

昨日は、朝八時前から買物に行ったように少し普通の感覚とは違っていて、更に食欲に異常を来たしていたのか、豚ステーキを食したのは二十一時を過ぎていた。それでも対処策として栄養を補給したのだが夜中中胃がもたついて十分に睡眠が取れなかった。更に二度寝をしてから起き上がると、軽い腹痛で食欲が出ない。熱いグリンピーススープにヴィーナーを二本いれて温まる。

そして栄養補給が大切と、黄桃がタップリ入ったトルテを紅茶で流しこむ。こうなれば観察体制で、熱が何処まで上がるかが決め手となる。二時間ほど午睡して起きてくると、頭痛も更に重く全く回復していない。それでも暫らくしているとこうしてなにかを出来るように少しは元気が出て来た。体温は殆ど同じようなので、これで高熱が出なければ直ぐに治りそうである。

明日の予定を考えて、その準備をして更に悪くなったときに備える。気分が良ければ出かけるところもある。少し赤ら顔をしていて怪しまれるかも知れないが、構わない。

さてどごで、誰から移ったかは不明である。逆に私の出回った場所で同じインフルエンザが蔓延するかもしれない。
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by pfaelzerwein | 2009-11-23 00:47 | 生活 | Trackback

多義的ではない多様性の焦燥

ボッティチェッリは、それほど興味がなかったのである。おそらくヴィーナスなどは何処かで見ているのだが、それ以上の印象がない。寧ろメディチィ家肖像画の方が印象深い。そのような訳で、最初の間に入った時は、人込みもあり、適当にそれらの肖像をみるとあまりにも決まりきった構図が大変気になった。殆ど、身分証明書となるバイオメトリックなテロ犯罪防止の写真と同じなのである。しかし、二階から戻ってきて空いた部屋でそれらを観察すると、どうしても女性の絵は15世紀のパロウイオロの描いたフィレンツェの貴族の女性を思い出してしまう。丁度その兄弟の描いた背景に青空などがしばしば見られる構造も全く同じで、なぜか左顔が描かれている。その理由は知らないが、そうした基本情報を持って改めて有名な暗殺されたメディチの兄弟ジュリアーノの没後のポートレートなどを見ると驚かされる。

なによりも、窓枠を使った構造であり、それが室内と天との構造的繋がりを明確にしているかと思えば、他の若い少年のそれなどは胸像の前にもう一つ窓枠を絵がいて少年を殆ど厚さ十五センチほどの空間に押し込んでいる。光の方向や影のつけ方などもそうなると大変気になるのだが、この画家が敢えて遠近などの技術を軽く見るかのように、そこで表現しようとしている手練手管が気になってくるのである。一通り見たあとでこれに気がつくと、なるほど少年の胸元の厚さや薄さ、もちろん女性の乳房の描き方など、ヴィーナス像などよりもそこに強調が多く含まれているのが分かる。

しかしそこで何かが暗示されていたり暗喩されていたとしても、決してクラナッハのニンフ像などとは一線を隔している。なにが最も異なるかと言えば、クラナッハのそれはプロテスタンティズムそのもの言語化がそこに横たわっているだけに、こうした芸術の言語化出来ないものが殆どないのである。その分、こうした芸術を ― なにからも煩わされることなく ― 気持ちよく鑑賞出来るかというとそれは違う。むしろそうした説明しかねる要素こそが、この21世紀の人々を苛々させる原因なのである。

例えば窓枠構造にしてもメディチ家の依頼で戸口の上に吊るすための実際的な楽しみなのか、芸術的な遊びなのか ― これは全盛期の芸術家が環境を取り入れる方法として、もしくは茶室の潜り的な効果にも通じる ― 、それとも前世紀の舞台芸術家が盛んにやったように「力の枠に嵌める込む」意図のためか、それとも19世紀の芸術家が好んだように「枠の中の枠構造(絵の中の鏡効果)」を表現したいのかなど、なんとでも理屈は捏ねられるのである。理屈の数だけパラメーターが存在すれば一対一の対象関係となって二項対立の枠組みは壊れない。如何に現代人がこうした構造主義的な思考に馴らされているかである。さらに、教養を抜きに、こうした教育を突き進めたのが現在の大衆教育の弊害となっている。

それでは、横を見ると飾ってあるニンフとされる貴族の純潔な少女 ― 実際にはジュリアーノの早死にした妻シモネッタ・ヴェスプッチがモデルとされる ― が自らの左の乳房を握り、乳を弾き飛ばす情景に我々はやはり穏やかではないのである。赤ん坊が欠けているだけで、それはまさに自慰するかのようでもあり、兎に角見るものを落ち着かなくさせる。それはアレゴリーの表現なのか、それともマリア像のための準備として見るのか、それは分からない。

同じように、古代のユーディットが描かれる一連の作品では、そうした緊張関係が更に他なるヴェクトルとして働いているのを知るだろう。それはややもすると、ミトスとか呼ばれる様々な時制の交差ともなって表徴される。そしてこれらを「多義的」と訳してしまうとやはり異なるのである。

このように順を追って見てくると、フォレンツェの守護聖人ゼノビウスの軌跡を時制をもった続き絵とする技法のみならず、晩年の宗教画化してくる作風が気になる。丁度社会的に、メディチ家からジロラモ・サヴォナローラへ政治権力が移り、更には教皇を脅かす権力構造をつけ、その危険極まりない権力者が最終的には火炙りで処刑されたあと、この画家は急に作風を変えて行ったと言われている。そこには直截な主観的な息吹きのようなものが感じられて、明らかに環境が変わって行った記録がそこに残っているのである。

しかし最後にはそこに集まるお客さんの反応やひそひそ話までが気になってくる。貴族の妖精の髪型や首飾りなどをみて、東京で話題となっている連続殺人が疑われている結婚詐欺女性のBLOGの写真をそこに重ねて鑑賞している人が居たって全く構わないのである。



参照:
印象深い精神器質像 2009-11-20 | 雑感
トンカツで流感感染に備える 2009-11-21 | 生活
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想
民族の形而上での征圧 2007-12-02 | 文学・思想
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評
モデュール構成の二百年 2008-01-19 | 文化一般
肉体に意識を与えるとは 2007-12-16 | マスメディア批評
花園に包まれていたい 2008-03-04 | ワイン
可憐なサクランボ (新・緑家のリースリング日記)
ボージョレ ヌーヴォーの「うんちく」!の巻 (Weiβwein Blog)
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by pfaelzerwein | 2009-11-22 05:37 | | Trackback