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期待膨らむ冬に向けた環境の

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週末に暖房の環の元栓を取替えに来た。密閉が悪く、閉まらなかったので、暖房用のメーターが交換出来なかったからである。今は未だ湯を止めてそうした仕事が出来る。しかし、秋も深まるとフル回転の暖房の湯を止めることは無駄も多くなかなか出来ない。

冷たい空気がドイツ上空に遣ってきて十分な冷たい雨を齎している。最低気温はまだ摂氏六度ぐらいなので寒くはないが、火がますます弱くなってきている。昨日のワイン街道自転車天国の一日も時折の秋雨の故か例年に比べて静かだったような気がする。

この時期の山間部での雪は珍しくは無いが、このワイン街道付近の天候としてはやはり秋の深まりが早い。九月に入れば秋晴れも期待出来るだろうが、それまではひたすら夏を惜しむことになりそうだ。

生まれてこのかた今年ほど夏を惜しんだことはない。その理由は、サッパリ思い当たらないのであるが、間違いなく太陽暦以上に陰暦の暦を感じさせるような天候にあるようだ。

更に、自宅のLAN設置から、北向きの寝室で過ごす時間が長くなっ た。もともと北向きの書斎や寝室は、自分自身にとってある理想の住環境であって、今の住まいに移るときにも逸早く「その部屋の構想」はあったのだ。屋根裏部屋であるので、太陽に葉を見せる木々の葉っぱは見えないのだが、兎に角光の入り方や時の移りは落ち着いて快適である。

今までは就寝のためにだけ使っていた部屋なので、座っているといろいろな細かなことが気になって、少しでももっと快適にしようと思って、細かな改良に暇がない。片付けはほとんど終了しているのだが、そこここに塵た埃の溜まっていそうなところを気がつくと思わず掃除機を取りに行きたくなる。それも我慢してという按配である。

これでヒーターをつけてフル回転させるようになると、それはそれで快適な北向きの部屋となることだろう。その寝室にはトイレもバスも設置されていないので、水場もない。そうなると、どうしても温かい飲み物などを冷えないように手元に置いて、読書の時などを楽しみたいのである。

本当はヒーターの上にポットをおきたいのだが、屋根裏部屋で天井が迫っているので出来ない。そこで、そこから大を少し突き出させて、置く場所が作れないかと考えた。先ずは針金で簡単に設置場所を拵えておいた。そうした適当な小道具も売っていそうにも思うが、先ずは暖房が必要な時期にそれを使ってみようと思っている。

過ぎ去る日を惜しむと共に、訪れる冬がとても楽しみなのである。今年は少しは読書も勉強も例年以上に出来るだろうかと期待が多い。なんでもないことの積み重ねなのだが、明らかに自らを取り巻く環境に変化があることを強く感じている。
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by pfaelzerwein | 2010-08-31 02:32 | アウトドーア・環境 | Trackback

疲労困憊した朝飯前の一万歩

走って帰ってくると、目の下の隈が取れていた。何故かは分からないが、ここ数年はなかなか取れることが無いのに不思議である。そして今はまた疲れた顔になっている。

今日ははじめて万歩計で一万歩を一千歩も越えて朝飯前の運動をした。水曜日の疲れが残っていて、更に空模様がもう一つであったので室内に閉じ篭っていることが多かったので、昨夜就寝前から機を狙っていた。

何時ものように日曜日のパンを取りに行って、森の中の駐車場から直ぐに走り出すコースである。今日は意識して平地になったところで歩幅を短く、殆どジョギング状態で小走りに苦しまないように走った。それでも前回の時よりも四分以上も早く着いて、更に五十メートル先へと走り続けた。ここまで十一分である。そこから山を登り、谷を越えて駐車場に戻ってきて、六キロ弱、約八千歩、五十分経過していた。そこから今度は短いコースを反対側の斜面を登り、十二分ほど走って降りてきた。流石に最後の下りの走りは何時も以上に時間が掛かった。足の裏が加熱しだして、殆ど裸に体温を奪う風を受けて全身疲労もあった。起床後朝飯前の運動としては限度であろうか。

結局全体で十二キロ弱を九十分で走破した。最初と最後の約二十三分ほどを走った。十時から始まるドイツワイン街道筋の自転車開放を前に急いで帰宅して早速暖かいシャワーを浴びる。腹が減っていたので、パンを二個たっぷりと肉と野菜を挟んで齧るが、それでも足りない。直ぐに眠くなるので、一時間ほど横になってから、お待ち兼ねのポークステーキとした。

飲み物は昨晩開けたバイケンのシュペートレーゼ2008年物で、エルステゲヴェックス審査に落ちたフォン・ジンメルンの辛口である。残糖感が気になるが、スレート土壌の2008年物としては決して悪くは無い。これよりも残糖の目立つグランクリュは幾らでもある。落ちた理由は、未だに分からない、飲み心地も酔い心地も悪くは無く、順調な熟成をしている。なるほど先日飲んだロベルト・ヴァイル醸造所のグラーフェンベルクのそれと比べると清潔度やその強さで至らないが、味わいではそれほど落ちない。

付け合せにスペッツェルを添えることからセロリーでソース状に拵えて、それをまぶして食した。ステーキが足りないぐらいに腹が減っていた。幾ら飲んでも酔いが廻らないのも運動後の特徴である。食事前に寝ておいたのが良かった。もちろんケーキと桃のデザートも欠かせない。グレーフェンベルクよりは強さや清潔感で落ちるが、味の多彩さでは引けを取らない。但し、どちらが長持ちするかというとやはり強いリースリングの方に違いない。

上体は水曜日の疲れが今でも残っているが少しは解れただろうか。それにしても、やはり全身が疲れた。ある程度筋力に力が入るようになって無理が利くようになった分、直裁に疲労困憊するようになった。その分回復も早い。そして幾らでも眠れるようになった。山は雪になるそうだ。早く安定した中秋へと移行して欲しいものである。しかし、夏から秋への体の対応は出来てしまったようで、温度が下がれば下がるだけ運動能力を上げることが出来るようになりつつある。それでも背中まで張ってしまっている。



参照:
切れ悪い体と密接に付き合う 2010-08-26 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2010-08-30 02:48 | 料理 | Trackback

棒にあたり牡丹餅が落ちてくる

青空が出たり、雨が降ったりの典型的な秋の空となっている。昨晩はまたネットからいろいろなものをダウンロードしていた。そのお蔭で、富士通・ジーメンスのノートブックのためのソフトウェアーをダウンロード出来た。興味があったのは、ラウンチ・マネージャーと呼ばれる、ボタン式コマンドのソフトウェアーなのである。ボタンを押さなくてもオートスタートで、WLANに入る方法がないかと、調べてみたのである。

オートスタートのコマンド計画の中にそのEXEを入れても動かなかった。だからアップデートの可能性を検討した。結局それの新しいものは見つからなかったが、WLANのソフトを見つけた。日付が2004年になっているのでまさに新しい暗号システムのそれだと直ぐに分かった。

ここにも書いたが、従来のの2003年リリースのソフトではWEPという如何にも素人にもハッカー出来そうなそれにしか対応していなかったのであるが、当然ながらその後のソフトではWPAに対応している。

早速、WPAで入れてみるとちゃんと繋がる。そしてWPA2でもWLANにアクセス出来た。これで、今日のスタンダードな安全性は確保できた。WLANでオンラインバンキングは控えていたのだが、これで先ずは普通に使えるだろうか。犬も歩けば棒にあたるというか、棚から牡丹餅というか、思いがけずに気になっていた安全対策が解決出来て喜ばしい。無駄に夜中まで起きていたのではないとなるのが嬉しい。

古い電化製品をいじっていると、メモリーのボタン電池が切れていて十分に作動しないことが殆どである、腹立たしいのは取扱説明書にその電池の存在すら触れておらず、取り替えにくい位置に設置してあるような製品である。十年以上は使わせる気がはじめからないのである。

昨晩ダウンロードをしていてまたまた驚いた。ハリウッドのB級映画どころかフランス映画などのDVDの売れているものも殆ど無料でDLできるようになっている。一体こんな状態ではその合法性の確かめる余地もない。音楽のDLには縁遠かったので、ゴーグルをはじめとする「表のサイト」でこれほどの材料があるとは知らなかった。

その裏にはゴーグルなどや使われるソフトウェアー開発の企業体の戦略も見え隠れするので、通常の著作権侵害よりも性質が悪いような印象がある。そして何故か、当方のDL速度も上がり、ニュースサイトの映像がすんなりと見れるほどになって来ている。映画であると五百MBほどなので、ものによっては二十分ぐらいでDLが完了してしまう。

木曜日に、先日紹介したポテンタ女史の朗読CDを注文した。皆が挙って書籍を買うので、それでは面白くないから殆ど書籍と価格の変わらない三枚組みにした。女優作家が、簡潔な文章を全文を朗読する録音を買わないわけにはいかない。



参照:
あまり暗号化出来ない暗号 2010-07-31 | テクニック
バルコンでPCで寛いだ午後 2010-08-02 | アウトドーア・環境
ラーメン屋の掘り炬燵での風情 2010-08-17 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2010-08-29 01:46 | テクニック | Trackback

同じ穴の狢が議論をすると

死刑場が公開されたようだ。その報道陣への公開は今週の火曜日にFAZで報じられていた。保坂代議士の記者会見模様を中心にその記事は構成されていて、その下にある中共での死刑制度改正案と同時に扱っている。

先進工業国のただ二つの死刑制度をもつ民主的な国としてアメリカ合衆国と日本が挙げられている。その基本的な報道姿勢は、反死刑制度であることは明らかであり、議論を呼び起こそうとした千葉前法相の執行命令までを非難している。更に今回の公開によって死刑制度への議論が高まり、死刑廃止へと動くことに関しては懐疑的な意見を書いている。

しかし、その社会的背景や問題点にまでは全く踏み込まれていない。この女性記者の記事は大抵このようなものなので、それ以上期待するのが間違いだろう。日本を訪れる海外からの要人が日本の死刑制度を人道的な立場から批判しようとしてもなかなか出来ない事情ゆえか、あまりにも容易にこうした批判記事に纏めるのは感心しない。

その社会背景として、日本人の教養と教育問題があるが、それは元鳩山法相が傍証しているようであり、特に複雑な問題ではない。要するに死刑囚となる犯罪人も死刑執行を求める被害者側も同じ社会背景を持った同じような考え方の同じ穴の狢であるということである。その記事が伝えるように状況次第によっては死刑執行の停止から終身刑へと「減刑」する制度や臨機応変な対応が出来るように改良していく必要はあるだろう。

八割近い死刑制度存続を求める世論がある限りは段階的に死刑判決を削減していくしかないのだろうが、オバマ大統領の意見のように何らかの形で極刑の可能性をおいておく必要はあるだろう。それでも抑止力どころか自殺志望の凶悪犯を推奨するような強迫観念に訴えかける死刑の執行は直ぐにでも裁判の過程で死刑判決を避けるべきである。同時に疑わしきは罰せずの基本と、死刑判決の場合は素早い執行が組み合わされるのが良心的である。

一方中共は、国際的な人道的批判を牽制するためか、死刑判決への条件を厳しくして、経済犯罪犯罪などには適用しないとか、七十歳以上には適用しないとか、まるで共産党の高級役人の破廉恥犯に死刑判決が下りないような条件付けを試みている。死刑制度を含む厳罰が如何に国の権力の行使に他ならないことをそこに余りあるほど示している。



参照:
Nach zehn Minuten Hängen wird der Todfestgestellt, Petra Klonko, FAZ vom 24.08.10
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by pfaelzerwein | 2010-08-27 21:24 | 文化一般 | Trackback

Das Beste oder gar nichts!

メルセデス・ベンツの日本でのコピーがダス・ベステ、オーダー・ニクスと知って面白かった。何よりもドイツ語で表現しているので、何処まで日本人に分かるかどうか疑問である。しかし、メルセデスを購入するようなお客さんは高学歴のドイツ語を第二外国語にしたような社会層なのだろう。しかし、ネットでの写真はCクラスの欧州では見られない赤い色の塗装の写真なので生産地に因んだ赤色信仰があるのだろうか。

そのドイツ語も確かにベストは英語でも似ており、オーダーもオアとの関連もあり、ニクスもナッシングと連想出来るかもしれないので、上客さんであるヤクザボスにも馴染みのある言葉かもしれない。

それにしてもトヨタが、ニクス・ウンメーグリッヒとドイツ語圏でのそのコピーが成功したので、それに対抗してドイツ語をそのまま持ってきたところが面白いのである。

もちろん、ごろからすれば、ダス・ベステ・オーダー・ガー・ニクスとした方が良いのだが、どうせ日本人は目で読むから関係ないと計算済みなのだろう ― どうもネットを見ると世界戦略のようであるが。

そのコピーの内容は、実際に売る車種にかかわらず、なるほど「車を買うなら最高のものを」と拘りを見せる富裕層の市場をターゲットにしている訳で、必ずしも的外れではない。
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by pfaelzerwein | 2010-08-27 05:13 | 雑感 | Trackback

切れ悪い体と密接に付き合う

二週間ぶりに石切り場を登った。雨のためにあまり動かずに飲み食いだけしていたので 体の切れも悪く重かった。その分パワーはあったのだが、力を使い過ぎて疲れた。

特に比較的傾斜も弱い斜面が高度な技術を要求する所謂七級とか呼ばれる困難度があり、そこを登ると急斜面とは異なる疲れ方をした。特に核心部である場所は、足がかりは傾斜が弱いのでそれなりに押し付けられるのだが、手掛かりは細い岩の襞に横向き突っ張ったりしたり引っ張ったりしたりしないといけないので、上体に独特の力を働かせねばいけない。単純なパワープレーとは疲れが違う。
 
体の切れが悪いというのはそれなりに頭を使ったりして、ばたばたと勢いで体を動かすことはないので、じっくりと落ち着いて課題に挑むことが出来た。時々はこうした日があっても良いだろう。上半身はもとより、足腰にも、それどころか腹筋にも堪えている。

ラジオはテレコムのインターネットTオンラインのサーヴァーの不都合があって、全連邦的に電子メールが通じなかったと盛んに伝えていた。それで気がついていたのだが、こうした事故は今まであまり起こっていなかったことをこの報道姿勢が証明していた。

それにしても辛口の冷えたレープホルツの「ブントザントシュタイン」がその良く効いている炭酸と共に蒸して火照り気味の疲れた体に恐ろしく美味い。
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by pfaelzerwein | 2010-08-26 20:40 | アウトドーア・環境 | Trackback

ユダヤ啓蒙主義者の社会活動

クリストフ・シュリンゲンジーフの話題と共に伝えられていたのが、メンデルスゾーン・バルトロディーの未知の手紙の発見である。サザビーで三十二万ユーロで落とされたのが、今まで知られていなかった作曲家の手紙のその下書きであった。

1839年9月に、ライプチッヒ市の参事に宛てられた其れには、当時世界的な名声を獲得していたゲヴァントハウスオーケストラの楽団の報酬の賃上げ要求が書かれており、同時代の作曲家本人も移動を目指していたドレスデンのそれとの給料格差が社会背景にあるようだ。

ゲヴァントハウスのそれは作曲家が1935年にカペルマイスターとして指導者になってから急速に実力を高めていたが、給与面ではオペラの座付きや教会での演奏を兼ねて生計を立てている状況で、ドレスデンのクラリネット・ファゴット・ホルンの給与が管弦楽団全体の給与に相当するというからその格差は甚だしく、ゲヴァントハウスの音楽家の仕事量は増え続けていたというから尋常ではなかった。バッハの求人活動にも見られるように帝都ドレスデンと商業振興地ライプチッヒとの経済格差は我々現代人が考える程度ではなかったのであろう。さらにそれだけでは足らずにゲヴァントハウスの楽団員は旅籠でワルツやマーチなどを毎夜の如く演奏していたというから、現在の管弦楽団の演奏者が小遣い稼ぎに余興に精を出すようなものだろう。

さて、下書きの内容は五百ターラーの賃上げの他に、逝去した高等裁判長ビュルーマーの資産二万ターラーの使い道に関して、ライプッチッヒの音楽院を作るように要請するもので、アウグスト二世への直訴にも触れられている。

今回の競に共同参加した地元の博物館においても市当局の対応の裏側の事情が解析される貴重な資料となっているに拘らず、骨董的な価値の無いものとみなされ、一般からの寄付も含めて大成功裡に獲得したと言われる。

そして、音楽院の資料室にとってこの二十八ページに及ぶ下書きは、この作曲家が優れた技能を持っていただけではなくて、教育や文化をはじめとする社会活動に尽力した啓蒙主義者であることを示す今後学術的にも貴重な文献となるとされている。



参考:
Majestät, wir brauchen ein Konservatorium, Jan Brachmann, FAZ vom 24.08.10
啓蒙されたユダヤ人と大俗物 2009-11-01 | 文化一般
ワイン三昧 四話'06年I 2006-04-03 | ワイン
我々が被った受難の二百年 2010-04-04 | 音
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by pfaelzerwein | 2010-08-25 17:47 | 文化一般 | Trackback

最も同時代的な芸術家の死

ラジオに電話出演したベルリン高等芸術学校長はシュリンゲンジフのアーカイヴを提供すると話していた。生前から身近な立場にあったようで、その人柄を語る声にしばしば気持ちの高まりが綯い交ぜと成っていた。癌患者にも二通りあって、「死の宣告」を聞いて、その自らの弱みを見せまいと閉じこもる人と、そうではなくてこの若くして逝った芸術家のように公にする者との両方があると語る。

先週末のクリストフ・シュリンゲンジフの死は、週明けも毎朝のようにラジオの文化波ではその余波が伝えられていて、FAZ新聞の第一面最上部と文化欄第一面を使った弔事を含む記事でも述べられていたように、まさに死へと至る最終幕の芸術的なメッセージは連邦共和国の文化界のみならず社会に残した余韻は大きい。余韻といっても本人が述べていたように「近世の宗教改革以降のロマンティック」なそれではなくて、改めて現代の生を浮かび上がらせたといっても過言ではないだろう。

本人のBLOGの最後の投稿などにも触れられているが、それ程特別な内実を吐露したわけでもないが、流石に死の二週間前には筆を折っている。痛み止めの処置をすればそれも当然かもしれない。しかしそこまでを含めて最終章と考えておかしくは無い。まさに現実の現代の生を映し出している。本日のTAZ新聞の記事によると最後のインタヴューが存在しているとされる。

先の教授も語ったように、テロ事件の前にニューヨークのワールドトレードセンターを訪れ、自由の女神へとユダヤ人の格好をして行ったパフォーマンスなどの賛否もありながら、ヨゼフ・ボイスと比べと比較を試みている。また新聞の記事では、映像作家としての手本であったファスビンダーのような虚栄心からではなく、その人柄がややもすると受け入れがたいパフォーマンスにも拘らず人々に理解されることを強く欲していたと、その殆ど一か八かに見えるパフォーマンスの数々を解析する。

また、ニューヨークのMOMAに逸早く取り上げた理事は、シュリンゲンジーフの作品の形式を語り、その社会の彫像化を指す ― なるほどバイロイトの「パルシファル」の表現がこの十年間で最も完成した造形芸術表現の一つであったとするのは納得できる。その文章の中で1997年のカッセルでのパフォーマンスにおいて踊り子の日本女性「はなよ」が嗾けられた犬に噛まれて怪我をする騒動となり、逮捕された事件に触れて、そのパフォーマンスの事実を当局に証明する必要があったとされる。

同じ日本関連では、ゲーテインスティチュートの招待で若い文化人として東京のドイツ映画際に参加したときの聴衆と一体となったパフォーマンスの力を追想するのはそこに同席したスイスの演出家ヨッシ・ヴィーラーである。

先のアーカイヴに関連しているが、こうした一面型破りにも見え、一方一種の亜流にもみえるパフォーマンスの危うさと、その最終章まで続く成功の背景に並々ならぬ才能が隠されているとする意見もあり、同情や共感を超えた次世代へと引き継がれるであろう影響を以って、連邦共和国で最も同時代的な芸術家であったとする見解が比較的的を得ているのではないだろうか。



参照:
Aus einem ziemlich zerschnittenen Herzen, Michael Althen,
Ungeheuerliche Begabung, Christian Thielemann,
Aufs Glatteis, Klaus Biesenbach,
Der Schalk in seinen Augen, Jossi Wieler,
Das Ganze im Blick, Susanne Gaesheimer, FAZ vom 23.08.10
SCHLINGENBLOG
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
なかなか死ななかった死 2010-08-22 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2010-08-24 22:00 | 文化一般 | Trackback

埃と戯れてフットワークを磨く

寝室を片付けている。主に旅行関連の資料と称する束を整理しているのである。なにも特に心境の変化があった訳でも、引越しの予定がある訳でもない。寝室で過す時間が多くなったので、あまり用事の無い資料を整理しているだけである。埃の量が少しでも減るであろう。

なによりも、一回り要するに中国の干支でつまり十二年以上上の者が片付けものをしていたのを思い出した。身軽になれるというのである。そうした心境になるにはあまりにも未練やら自分自身での柵が多過ぎるのであるが、やはりフットワーク軽く、活き活きとした日常を得るためには時々リセットのような行為が必要であると感じたからである。

とは言っても過去の記憶とか想い出をきっぱりと切り取ってしまおうとするのではない。どうせ整理する資料は旅行関連のものであり、何処そこへ行って、次に再訪するときに役立てようと思ったような資料を捨てに掛かっているだけである。

なぜこれほどまでにそのようなものが溜まったかははっきりしている。登山ガイドの舟橋氏が再三使うように、記憶と記録の前者の方の整理が出来ないからである。旅行関係に限っても嘗ての欧州旅行などは一度きりのこともあるのかも知れないが手許にスマートにファイル化されてその記憶が残っている。それに比較して近隣から島国まで走り回った記録は整理がついていない。

その一つにこの情報は次回の旅行に役立つかもしれないとかの、殆ど豆腐屋の舟のようなものが沢山溜まっているのである。それに目を遣ると今やネットに最新の情報が溢れており、記憶を刺激するキーワードさえ見つかれば殆ど無価値なものだと直ぐに理解した。嘗てのように泊まった町やホテルの領収書やパンフレットは記憶を呼び出すのに必要かもしれないが、それ以外一挙に処分することが出来た。

兎に角、身を軽くして、つまりリセットしないことには資料のみならず経年変化でフットワークが重くなって仕方ない。その反面、所謂記録に属する例えば山の行程を辿れたり、地図類の貴重な資料を整理することで、そのアーカイヴが一挙に活きてくる。現行の雑誌になる前のドイツアルペン協会の古い機関紙もページを捲ってみる楽しみが出てくる。もう少し埃と戯れる必要がありそうだ。
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by pfaelzerwein | 2010-08-23 23:12 | 生活 | Trackback

なかなか死ななかった死

クリストフ・シュリンゲンジーフが亡くなった。昨日21日土曜日にベルリンで家族に囲まれた最後であったようだ。第一報はARDの夜最後のニューで伝えられたようで、それを夜中に知った。十月に五十歳の誕生日を向える予定であった。しかし、既に五月には肺がんの転移が確認されて、ルールでの舞台仕事をキャンセルにするにあたって、引退届けが出されていた。

十月にはベルリンでのノーノのイントレランツァの上演がバレンボイム指揮での歌劇場の仮宿シラー劇場での公演が予定されていたという。それに先立ち九月には、昨年の癌闘病記に続いて、自らの集大成を綴った書物が出版される予定であった。しかし、執筆に時間が掛かったのか予定よりも遅れていて、自らによる完成を見ずに遺稿集となる予定である。

氏の芸術家としての業績の評価は未だ時を待たなければいけないが、少なくともドイツ語圏においては最も「騒動」を起した芸術家であることには異論は無く、それだけでも賞賛に値する現在の芸術家であったことには間違いない。

2008年当初に肺癌が発見されて片肺の摘出手術がなされたが、同時に限られた余命が与えられていた。周りに肺癌を宣告され手術をせずに過している人を称して、先日も「肺癌は、なかなか死なないね」と友人の外科教授と話していたのだが、そうした事象を見て、また癌患者が比較的最後まで精力的に仕事をしている様子を見て、健康と称される者よりは少なくとも集中的であっても同じような時が流れていると感じたものである。

しかし今回の場合も転移は、「若しかすると五パーセントの再発しない癌患者のアジア人の血を引くか」と期待した本人にとっても家族にとっても新たな次元となったようで、「残された時間が無い」とする悲痛な叫びを残して逝ったが、生前に語っていたように「母親をひとり残す」こと以上に病から開放されたたことが全てではなかったのだろうか。

香典は最後のプロジェクト「アフリカの歌劇場」に寄付される。



参照:
Christoph Schlingensief ist tot -
ARD/Tagesschau
ZDF/heute journal
ZeitOnline
SpiegelOnline
FAZ
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評 
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by pfaelzerwein | 2010-08-22 17:58 | 文化一般 | Trackback