<   2010年 09月 ( 24 )   > この月の画像一覧

商品展示と夕食の物乞い

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ロカルノの旧市街の中で面白い商品紹介を見かけた。中庭に商品を吊るしてあるかばん屋である。写真を写していると仲間が言った。「チップを取りに来る前に行こう」と。商品展示の方法はやはり大切である。

クレッターシューへを直しに出した。思わずボルトの上の立ったので予定通り爪先が裂けた。更に具合悪いことにその瞬間をパートナーに見られてしまっていたことで、靴の傷みが全て所謂チョンボに起因するとされてしまうのであった。

靴を新調する必要も明確になり、更に古いのを見破られた安全ベルトまで購入しなければいけなくなった。更に金物も幾つか必要になり、ヤッケも買わなければいけない。来年のシーズンまでの山道具の購入リストは伸びるばかりである。

古い山道具は、穴が開いて破れたパタゴニアブランドの長袖ポロシャツまでがオークションに掛けられるものになっているようで、当時は先人のラフマ社の革張りのリュックサックを羨ましく思っていたのだが、今や自分が使っていたラフマまでがそうしたものになってきているのを思い知った。

本日は石切り場まで行って、結局クリを拾ってきた。食材が殆ど無いので夕食のためにそれを集めたのであった。これで実っている葡萄までに手を付けるとまさに物乞いであるが、葡萄の生産品だけは最高級品まで十分に在庫がある。
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by pfaelzerwein | 2010-09-30 04:34 | 料理 | Trackback

そこから始まる上級志向

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怒涛の如くのグランクリュ試飲をして、明くる日の早朝ロカルノへと向った。可也の量をゴックンした筈だけれども、それは最高級のドイツリースリングである、不調をきたすようなことは全く無い。準備もあって前夜が睡眠不足であったので、夜もよく眠れた。

試飲のついでに購入した単純なリースリングを六リッターと三本、お迎えの車に詰め込んだ。現地でも赤ワインを購入したので、ビールと合わせて延べ七人で十分に飲んだ。飲み専門の者が居れば足りなかっただろうが、スポーツ的能力を追及する者にはこれで十分であった。

カビネットの三本は小ワイン試飲会となって、これもそれなりに皆に楽しんで貰った。意外に評判の良かったのがフォン・ブール醸造所のリッターリースリングで、その清潔感溢れる飲み口がやはり地元の者にはその名前といい大変に高級感としての実感を与えたようだ。流石に地元民の質への感受性は恐ろしく高い。

逆に、ミネラルなどのテロワーを強く出すカビネットはその複雑さがある意味の難しさとなったに違いないが、その意味合いは十分に実感して貰った。上の評判の良かったリッターリースリングも毎日のように飲んでいれば、飲み飽きするところから所謂高級リースリングが始まる。

簡単に整理すると次のようになるだろうか。先ずは初心者は「美味いとか不味い」で判断するが、直ぐに愛飲家は「質」に気がつく、そしてそれを繰り返しているうちに初めて「深みとか旨み」に意識が到達するのだろう。要するに、気に入ったワインを最低半ダースぐらいは飲まないことには、高級リースリングは理解できないに違いない。

今回は谷間を登っただけなので日本の岩壁と似ていて特に感慨は無かった。その一つは穂高の屏風岩や谷川岳程度の大きさであったが、上部と下部の岩質が異なりその登攀の内容のキャラクターが全く異なっていたので面白かった。決して難しくは無いのだが、黒っぽい安山岩的な下部と白っぽい千枚岩的な上部の花崗岩摂理の違いは、特に馴れない岩質に気を使いながらまるでダンスのステップを踏むように登る心身ともに気が抜けない下部の後の上部での疲れを感じさせた。そして最後の関門自体が下りの崖道にあるとなると、谷に降りてきたときには冷や汗びっしょりであった。

同じような下部斜面を上へ上へと歩みを進めるのはまさに耐久戦であり、爆発力の必要な上部のそれを十分に楽しむにはそれなりの力の配分が必要だと感じたものである。
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by pfaelzerwein | 2010-09-29 02:53 | ワイン | Trackback

マッジョーレ湖の風が快い汗

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ロカルノの町の上からマッジョーレ湖を望む。二日目木曜日の午前中に比較的大きな壁を登って頂上から下る途中この風景に出会った。とても穏やかな光の加減は、いつかイタリア側のその湖畔の宿で一泊した時のことを思い出させる。そのときはこの湖の一角でこうして汗を掻くことなどはあまり想像もしていなかった。

今年初めてのグリルも楽しみ、ワインの試飲も楽しんだ。金曜日の雨とそれに続く冬の訪れをこの地で体験できたのも、晴天が続いた後ではおつなものだった。特に火曜日、水曜日は晩夏の趣で、日曜日までの間に三シーズンも過したようなお得感はとても良かった。

晩夏から秋にかけてはアルプスの高山では一度雪が降ると、岩登りは出来なくなるが、こうした南側の谷間は乾燥した晴天に恵まれてとても素晴らしい気候である。

今回延べ七人の参加者の中で。最も体格的に恵まれているミヒャエルの運動能力はとても目を見張った。まだまだ五十歳にはならないが、贅肉も無く、その堂々とした体格の前では、身長185CM以上ある警察官であるリーダーですらひ弱に見えた。彼とは今回は殆どザイルを組まなかったが、今まで一番良く組んでいる男なのでその充実振りが良く分かった。

恐らく来年も同じように一緒に遊ぶことになりそうである。心理的な弱さよりもその並外れた体格から来る体力に立ち向かうには、こちらは大分精錬しなければいけない。それにしてもあの年齢帯でとても羨ましいばかりの爆発力があるのは驚きである。先方もこちらの汗の掻き具合や上腕の筋肉などを触って確認していたが、正直正攻法ではとても適わない。

オリンピックなどの超一流スポーツ選手でもそうであるが、同じだけの運動の力があって、体格が途轍もなく優れているとなると、その基礎体力の優位は揺るがない。今でも紙巻タバコを持ち歩いているそのライフスタイルがああした若さを裏づけしているようにすら思われる。

参加者のもう一人は同じように少し年上であるが、中肉中背で数年前からすると経験値は明らかに高まっているが体力などは完全に頂点を過ぎた感がある。要するに私自身が過去十年間で敢えて推移させたような加齢が進んでいるようで、そうした長期退潮の波の向きを戻すのは、私自身が爆発力を取り戻すよりも困難そうである。

その意味からは、嘗ての十代の頃を髣髴させるような状況や力を感じることも出来、要は動機付けが出来、集中力さえ途切れなければ、上のミヒャエルともここ数年はかなり良いライヴァル関係を続けられるように想像している。
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by pfaelzerwein | 2010-09-28 05:07 | アウトドーア・環境 | Trackback

秋を偲ぶテッシンの栗

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スイスのイタリア語州テッシンに滞在した。五泊六日のテント生活で、これだけ長いシュラーフザックでに就寝は十代中期以降始めてであった。そもそもキャンプファンではなく、前回も冬の岩壁での数日間であったと記憶する。

借りた空気マットレスの具合は悪くはなかったが、やはり毎晩背中が痛くなり、やはり畳みと布団の生活とも違うようだ。それでも雨の日は一台あったキャンピングカーに集ったりで、それ程寒い思いをすることもなく過せた。

飲み代だけは十分にあり、拾ってきた栗などを十分に楽しめたのも、山頂に初雪を迎えた谷間の秋を偲んだ。
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by pfaelzerwein | 2010-09-27 17:30 | | Trackback

もう直ぐ「結果」が表れるだろう

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世界最大のワインファストが開かれているバート・デュルクハイムの山の上の住宅街から撮った写真である。谷に即席の大観覧車が見える。あと一週間もすれば影も形もなくなる。

昨日からスーパーの駐車場で車から降りて、歩くときに右足を引きづった。どうも強化トレーニングの疲れが出たようで、気温の低下と相俟って、そろそろ「結果」が表れてくるかと思われる。昨年は腕の病みがなかなか取れなかった筈だ。今年は下半身に来るかもしれない。

そのような配慮もあって少々控えていたのだが、今朝は写真の場所を通過して、パンを購入して、森へと向った。時刻が既に九時を過ぎていたので車は多く駐車していたが、走っている間に三組と歩いているときにマウンテンバイクに出会っただけであった。六十六分で八キロは必ずしも早くはないが、摂氏一ケタ台の冷たい空気を胸一杯吸ってなかなか気持ちが良かった。

そろそろ冬のトレーニング計画を考える時分となった。本当は氷河スキーに頻繁に出かけると良いのだが、経済的にも時間的にもなかなか難しいかもしれない。
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by pfaelzerwein | 2010-09-20 01:20 | 生活 | Trackback

そこには何でも埋まっている?

日本の中共との国境「釣魚島・尖閣諸島」問題は見ものである。新外務大臣が早々に一発かましたようで、これは日本外交の新基軸と思えるほど新鮮な戦略的対応であったのではないだろうか。中国国内に於いても、挑発に対して日本の外務省がどのような明確な態度を示すかが興味の焦点だったに違いない。明確な態度を示さないのを観れば、一寸づつ一寸づつと相手の譲歩を引き出して、南朝鮮がやったような竹島実効支配などへと駒を進め、地下資源や海産資源などだけでなく軍事的支配にも結びつける戦略なのは明白である。

政財界において親中とか親韓とか呼ばれる連中は自らの懐にキャッシュバックが戻ってくるかどうかだけのつながりであって、実際に表向きの保守的な性格は殆どカモフラージュのようなことも少なくはない。まさに戦後の保守政治家の外交とか利権とかはそうした所にあって、自国の国益よりもそれが優勢されていたことは、未だに田中角栄のお零れを弟子の小沢何某などが継承しているのでも分かる。こうした重要な国益に係わる事件において、おかしな政治家が政治主導と叫びながら国益を損じるようなことにならないで良かっただろう。

中国に於いてもつい先日までは日本旅行ブームであり、その消費欲と国の経済発展を国民が身を以って謳歌できる状況になっていて、こうした重要な外交問題が勃発した訳である。つまり、幾ら江沢民治世の影響が残っているとは言っても、今やシナ人もそう簡単には「理想の国日本」を心底攻撃できる状況にはないだろう。まさにここに資本主義社会の猛威があって、一度豊かな生活や消費に馴染んでしまうと通常の人民は前進するしか方法はないのである。

旧共産主義のポーランドなどにも見られるが、全体主義的な社会からナショナリズムの嵐を通り越して自由主義的な社会へと移行していく過程がそこにある。外交に於いても国境を巡っての中共の「試み」の背景には、まさにこうした社会の特徴が見え隠れしているのではないだろうか。

日中の間にも南京虐殺に代表されるような意識の隔たりが横たわっていて、まだまだ共通認識を得る所までは至らない。それだからこそ余計にこうした外交局面においてぶち当たりする必要がある。先ごろ亡くなった先代若乃花ではないが、相手を殺すつもりで取り組まなければいけないのである。そこには、何でも埋まっているらしい。

軍事的にも経済的にも当事者両国ががっぷり四つに組める最後の機会のように思われるが、どうだろうか。外相は威勢良く発言したのは良いが、実際に日本の自衛隊は軍事的に中共軍を圧倒するだけのシュミレーションは成り立っているのだろうか?自衛隊発足後厖大な防衛費が費やされたが、こうしたときに外交の基礎としてそれが役立たない限りどうしようもない。国境線も護れないような国防軍は不要である。



参照:
三角測量的アシストとゴール 2005-07-01 | 歴史・時事
馬鹿は死んでも直らない 2010-09-16 | 女
日本族インディアン国酋長の感謝と詫び状―――歴史のカリカチュア (作雨作晴)
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by pfaelzerwein | 2010-09-19 02:15 | 歴史・時事 | Trackback

古い名前で未だに出ています

隣国といっても世界観とまでいかなくとも思考方法や趣味が異なる。ジブリ制作の最新アニメ「ポニョ」がドイツではやっと公開されたようである。日本と殆ど同時に公開され、評価も高く、興行成績も良いフランスに比べるその上映時期が全てを語っているのではないだろうか?それでも日本趣味者に係わらず多くの知人がジブリ映画のファンであり、少しでも批判するとても厳しい反応が戻ってくるのはどうもこのアニメファンの世界共通の特徴のようだ。

こちらはその価値も楽しみも良く分からないのでなんともいえない ― なるほど出世作がTVアニメ「ハイディ」だとすると、手塚の「アトム」や赤塚とは違い、はじめから違和感のあった作家に違いない。しかし、ハリウッドにはなかった可能性を示した十年前の「千尋」などに比べるあと、今は特に新鮮さもなく、態々手書きで復古調を目指したその制作も「昔の名前で出ている」老巨匠の手になるものと言うのが分かる。さらに巨匠よりもスタッフの活躍が目立つのも、ウォールト・ディズニー亡きあとの気の抜けたィズニー映画に似ているとするのもなんとなく理解できる。

その記事の横に同じようにフランスで人気のある老知識人エイヴラム・ノーム・チョムスキーを迎えたフランスでの歓迎振りが扱われていて、とてもではないがドイツでは今や受け入れがたい古い左翼人だと理解できるのである。アニメの巨匠のごとく彼の地では英雄的知識人であり、そのタブーを破る「表現の自由」への熱望は殆ど日本の芸能レポーター程度の信念の様にすら思われる。

修正主義擁護はフランスの極左と極右の両陣営共同じくして、こうしたチョムスキーの主張を受け入れる素地があるようだ。七十年代を思い出すまでもなく、左翼はパレスティナ解放のアンチシオニズムであり、右翼は反ユダヤのアンチセミティズムであるから当然であるのだが、こうした左右対決の思想の葛藤が未だに現役である共和国の思潮は既に前世紀の遺物に違いない。



参照:
Fisch gewagt ist nur halb gewonnen, Andreas Platthaus,
Sein Kampf, Noam Chomsky tritt für Holocaust-Leugner ein, FAZ vom 15.9.10
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by pfaelzerwein | 2010-09-18 05:12 | 雑感 | Trackback

馬鹿は死んでも直らない

小柄な二人のドイツ女性が「日本は良い、中国は臭い」と、日本人男性がドイツ女性と結ばれているのを知らないと間違った認識を吐露していた。日本人は、教養があって、礼儀正しく、節度があって、ドイツに友好的で、それに小さな女性を馬鹿にしないと続くようだ。

どうも彼女らの日本贔屓は一寸違う視点から始まっているようだが、その文化的な背景を知れば知るほどああした態度は採れないに違いない。なるほど中国批判は、世界一の輸出大国を抜かれた憂さという反対側からの見解もあるようだが、中華思想をシナ人を知れば知るほどこれまた中共ですら容易に非難出来ない。

上海でケルンのオペラの引越し公演で指輪が上演されるようだ。大阪万博のその付随文化公演の質を思い出せば、経済的に急成長した消費社会の中国でも当時の西欧文化の日本の受容とは全く次元が違うことで、その差異は明白である。神々の黄昏を以ってシナ人にバビルの塔である上海に注意を契機したいようであるが、そんなことは端から分かっていても全く世界観が異なればお話にならない。
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by pfaelzerwein | 2010-09-17 01:13 | | Trackback

儚い感興の表現の現実感

昨晩はヴルストマルクトの花火大会であった。毎年のことで爆発音を聞いて窓から外を眺めるだけである。大した数が打ち上げられたわけではなかったがそれなりに演出の出来た花火であった。

その花火については何年か前にもここで扱っている。先ごろ逝去したシュリンゲンジーフのパルシファルの演出を思い浮かべたこともあった。花火のどこか儚い感興もさることながら、現実感をそこから観るのが花火の芸術的価値といえるかも知れない。そしてなぜパルシファルのそれを思い出すかと言えば、やはりあの映像表現が如何に現実表現のそれとして最高域に達していたかと言う傍証でもあるのだろう。
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by pfaelzerwein | 2010-09-16 06:38 | 生活 | Trackback

挑戦を受けながらの武者修行

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ルネッサンス時代の建造物と雰囲気に囲まれてその時代の音楽で始まった二十周年式典であった。父親の死亡後に息子のハンスイェルクが学校を出るまで母親が醸造所を預かっていたレープホルツ醸造所が、樽売りワインしか出来ないような南ワイン街道のやせた雑食砂岩のリースリングで有名になったのはやはり現在の当主ハンスイェルクの力によるどころがおおいのだろう。

顧客代表として挨拶したハイデルベルクの地質学女教授は、その当時を思い出しながら語った。まさにこの女性が現在のテロワールを反映した要するに土地のミネラル風味を活かしたワインつくりに大いに基礎知識を与えたようである。当日のワイン地所案内を引き続いて行ったハンスイェルクの弟もノイシュタットのワイン研究所に勤めているらしく、過去二十年ほどの葡萄の酸と糖比重の表をもって示唆に富む話を披露した。特に、今年つまり2010年の酸は現時点では二十年前に遡るほどの量感で、今後の天気に大きく左右されるとあり、実際にたまたま採取した葡萄がエクスレ61度しか示していなかったことでもそれは十分に理解できた。

あと六週間ほどの間に、例えばグローセスゲヴェックスに要求される95度に近づくかどうかは大変緊迫する状態になってきた。やはりこの程度の醸造所では、そうなれば酸を弱める醸造方法なども視野に入ってくるのが、まさに一流の醸造所との大きな差異ではないだろうか。必要な収穫と出荷は、例えば2006年を思い出せばよいように他所からでも葡萄を購入してきてでも売らなければ生計に係わるのである。当然の事ながらそうなればそれなりの極辛口リースリングは提供できてもそれ程の質が望むべくもないことは明らかなのである。

高級車で乗りつける古くからの顧客も多いのか、年齢層は平年に比べても高かったが、その中で本当にレープホルツ氏の目指すリースリングを本当に評価できているものは決して多くはないことが今回も知れた。要するにあまりリースリングの深みなども分からない者はむしろ名門の大手醸造所よりも少なくないと感じた。

もちろんのことすっぱくて旨みのないリースリングなどはお付き合いであって、香り豊かなムスカテラーや赤ワインなど、リースリングに於いてもプファルツでは唯一のロートリーゲンデス地所の味のあるそれを選ぶ人が少なからずいる。むしろ、本物の本物であるガンツホルンや今年からの新商品「ナテューアウシュプルング」の価値の分かる者などは殆ど居ない。

こんな所でブルグンダーやバリックのそれを愛でているぐらいなら南ワイン街道のどこの醸造所にでもそのようなワインは幾らでも安く転がっている。目が節穴なのか、なにかおかしな知識が彼ら彼女らのワインの選択眼を鈍らしているのかは分からないが、レープホルツ氏が言うように「お客さんがあってこそ遣りたいことが出来る」と言う感謝の弁には高尚なものを売る有名な古本屋の老舗が売るエロ本にも似ているところがある。

地元出身でシュトッツガルトに在住のおばさんと話をしていたのだが、ブントザントシュタインのそれは微炭酸が気に食わないが、「ナテューウアシュプルング」にはそれがないから良いと言うと、「微炭酸はあまり気にならない」と仰る。そうなると、ロベルト・ヴァイルで叱った話までしなければいけなかったのだが、「同じ金を出してなぜ炭酸割のようにステンレスで作って炭酸が抜けていないワイン」を買わなければいけないかという批判が分かっただろうか?

つまり口当たりの良い清涼感のある飲み物が欲しくて高い金を払っているのではないのである、ワインはワインの味がしなければいけないのである。こんな初歩的な話も分かっていないならばキャリフォルニアヴァインでも飲んでいれば口当たりが良かろう。

残糖で騙していた2004年産より良年2005年産ピノノワールを吟味していると、親仁が話しかけてきた。要するにその吟味である。最近は多くの趣味人から「挑戦」を受けるようになってきた。彼に言わせるとナーへはやはりデンノッフが良いらしい。「あんなのは甘いもの特化と違うのか」と正すと良い辛口も作っていると言う話であった。「辛口のリースリングはミッテルハールト」と決っているのは何時も繰り返しているのだが、上のおばさんがゲオルク・モスバッハー醸造所のことを知りたがっていたので推薦しておいた。恐らく彼女にはレープホルツのそれよりも遥かに好ましいリースリングに違いない。



参照:
VDP グローセス・ゲヴェクス試飲会 2010 (1)
VDP グローセス・ゲヴェクス試飲会 2010 (2) (モーゼルだより)
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by pfaelzerwein | 2010-09-15 02:32 | 試飲百景 | Trackback