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索引 2011年1月


奇岩地方を一日中歩いてみて 2011-01-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
セメントが柔らかくなるように 2011-01-29 | 試飲百景 TB0,COM0
複雑な構成要素を対極化する 2011-01-28 | 文化一般 TB0,COM0
今日は今日で、明日は明日で 2011-01-27 | 生活 TB0,COM0
合衆国発、虎の子落とし 2011-01-26 | マスメディア批評 TB0,COM2
あっと驚く、びっくり水 2011-01-25 | 料理 TB0,COM0
空気バネの車が欲しくなるとき 2011-01-24 | テクニック TB0,COM0
今も現役の襤褸着について 2011-01-23 | 文化一般 TB0,COM0
波状攻撃に耐えられるか 2011-01-22 | 生活 TB0,COM2
滝の流れに身を任せて 2011-01-22 | 生活 TB0,COM0
津波のように打ち寄せる 2011-01-20 | 生活 TB0,COM0
第二思春前期の真っ只中で 2011-01-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
体験するとは爆発だ! 2011-01-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
想像することと体験すること 2011-01-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般 TB0,COM0
春めいてきたこの一週間 2011-01-15 | 暦 TB0,COM4
財政再建無ければ未来も無い 2011-01-13 | 歴史・時事 TB0,COM0
廃校間近のガイセンハイム 2011-01-12 | ワイン TB0,COM2
スポーツと呼ぶ不健康なもの 2011-01-11 | 雑感 TB0,COM0
末恐ろしい夕刻の舟歌 2011-01-10 | 雑感 TB0,COM0
安心で健康に良い冷たい食事 2011-01-09 | 料理 TB0,COM6
雪よ、山よと彷徨いてしまう 2011-01-08 | 雑感 TB0,COM0
政治課題としての環境認識 2011-01-07 | マスメディア批評 TB0,COM0
出歯の亀太郎の初夢日記 2011-01-06 | 女 TB0,COM0
品質の向上となるような基準 2011-01-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
東での四人の識者の遣り口 2011-01-05 | マスメディア批評 TB0,COM0
天候の急変のような日食 2011-01-04 | 暦 TB0,COM0
長過ぎる買い物・出費リスト 2011-01-03 | 生活 TB0,COM2
新雪雪崩を起こすのは貝毒だ 2011-01-02 | 生活 TB0,COM4
寝正月で会得したことなど 2011-01-02 | 料理 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2011-01-31 19:54 | INDEX | Trackback

奇岩地方を一日中歩いてみて

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なんだかんだと一日、寒い中を南プウファルツ奇岩地方を歩いてきた。二万五千歩ほど四時間をかけてゆっくりと歩いた。今日ほど寒いと感じたことはなかったのだが、なぜだろうか?最近は運動不足と食べ過ぎで脂肪が腹に浮いてきている感じがあるのだがら、寒くは感じない筈である。

しかし昨日からの食事量を見るとなるほど赤ワイン以外にはあまり食べていない。昼はトンカツにしてビールを二杯も飲んだが、それでも最後まで寒かった。やはり皮下脂肪の全体量が減少しているのだろうか。しかし、良く考えてみると、歩いているときの運動量が少な過ぎるので、寒さが堪えるのかもしれない。

年寄りのばあさんなどが多いのだが、親仁が話しかけてきた。良く知っている顔なのだが今まで面と向かって話したことはなかった。夏に同じ計画に参加する心算だという。今までどのような登山をしているか尋ねると、ピッツベルニナの有名なクラシック氷雪ルートであるビアンコグラートをやっていると言う。なかなか大したものである。彼のパートナーと同じようにフリークライミングには従事していないらしい。

我々からすると、ああした長さの持久力だけでなく技術力も必要とされるルートをやるのに、なぜクライミングの技術的洗練を目指さないか全く分からないのである。フリークライミングの技術とアイスクライミングの技術は異なるのであるが、基本的にはあまりかわらない。特に、こうした奇岩地方を地元に持つアルプスへの登山者が日夜フリークライミングの技術を磨こうとしないのはどうしようもなく愚行である。体力があればそうした技術をカヴァー出来ると思っているのは、丁度経験の薄いフリークライマーが力づくで大きな壁を登れると思っているのと丁度相対している。
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by pfaelzerwein | 2011-01-31 04:09 | アウトドーア・環境 | Trackback

セメントが柔らかくなるように

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明日日曜日はハイキングに出かけるので、昨晩の買い物で、本日は余裕が出来た。思い立って懸案の2009年産のピノノワールをハイデルベルクに取りに行った。白を三種類と、赤を三種類試飲した。それ以外で現在購入出来るのは白三種類で、新旧赤六種類だけなので、精神衛生上良い気持ちである。春には全てを試飲出来る機会もある。

さて、昨年秋に蔵出しレストランで飲んだリースリングが格段2008年よりも勝れていたので、それとピノグリ、ピノブランを試した。本当にこの質の高さでこの価格は信じられないばかりである。マルクに換算しても決して悪くない。ドイツの醸造所で土壌の悪さにめげずに立派な仕事振りを見せる三つの二つにレープホルツ醸造所と並んで入る醸造所がこのゼーガー醸造所に違いない。つまり、おみあげとしてそこの土地の特産物として購入するワインではなくて、まさにワイン街道から態々購入しに行くワインなのである。この価格で地元で何が買えようか?

リースリングはその価格からしても買えるのだが、ピノノワールの美味しさも格別で、ピノグリの薄く掛かった樽味がまたまた素晴らしい。昨晩飲んで感動したシャルドネを髣髴させる手練手管と、更に美しい酸を見せ付けられると、好きでもない葡萄であるが買わずにはいられなかった。レープホルツでさえピノグリは今ひとつであるからだ。

さてお目当ての赤は、シュヴァルツリースリングとレムべルガーのキュヴェーは甘みがちょっと多く丸過ぎたが、如何に2009年産が2008年産よりも勝れているかを如実に語っていた。そしてそれを奥さんにも認めさせた。レムべルガーも悪くはないが、この程度ならヴュルテンブルクにもないことはなく、醸造所にとっては銭函的存在なのだろう。さて、お目当てのピノノワール、甘みの多いそれ以外のあとに飲むと厳しさがあるが、2008年のどうしようもない硬さのそれとは全く違って、気持ちよく幾らでも飲める気がつくとアルコール13%がボディーブローのように来るワインとなっている。d0127795_38922.jpg

なるほど2008年産と比べると明らかに酸が効いているのでアプリコットやカシス系の味につながる糖も残してあるが、そこにミント系の味とハーブが強く押し出されるので、安物シュペートブルグンダーと一線を隔している。早速、裏山に上って地所や土壌を確認に行った。

流石に、ドイツで最も有名な1895年から稼動するセメント工場があるだけに、その地所は固まっている所はコンクリートの如く硬く、濡れている所は細かからドロがとても滑りやすい極端な土壌である。石灰の含有量は知らないが、貝殻石灰交じりの黄土である。フランスのそれを思い浮かべても不思議ではなく、ブルグンダーのそれはやはり良い。

昨晩に引き続き考えれば、如何にリースリングが種の主張の強い難しい品種であり、手軽に本当に勝れたワインがなかなか当たらないことも不思議ではない。ゲテモノのリースリングを十本飲むぐらいならば、シャルドネを一本飲んだ方が簡単にワイン通になれる。同じように、少々の価格でピノノワールのまともなものは当たらない。しかし、ここにスーパー価格でブルゴーニュの十倍ほどするピノノワールの品質が楽しめるのである。d0127795_385748.jpg
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by pfaelzerwein | 2011-01-30 03:10 | 試飲百景 | Trackback

複雑な構成要素を対極化する

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指揮者イヴァン・フィッシャーがブタペストの祝祭楽団を振って、ドルトムントで四つのコンサートを開き、それが新聞批評に載っている。昨今話題となっているハンガリー問題が色濃く、芸術的にアピールとして表現されたようだ。そこでは、管弦楽のための協奏曲の終曲で「自由への謳歌」への意志を強調された作曲家バルトークの楽曲が中心に据えらた。1939年以降に勇敢にナショナリストに立ち向かい、1940年には不幸にもニューヨークへと亡命しなければいけなかった作曲家の音楽を理解するとは何かと提議される。

つまり、民俗音楽を採取して各々の民族を対峙させ、ルーマニアの民族舞踊曲などの直裁的な表現だけでなく、それを芸術音楽として創作することで、ハンガリーにおけるスラブ的なもの、ルーマニア的なものを、ハンガリー的なものと同じようにそこから止揚して統合することで「ハンガリーの音楽」を高度な芸術としたのである。それを、青髭公の音楽の輝かしい光に闇にと、抽象化して明示していることを納得させてくれるのである。

そうした音楽を少しでも理解する者は、少なくともバルトークという作曲家が、特別に偏狭な民族主義者でもなく、ただ只管に民俗音楽を採取していた収集家でもなかったことを認識する。それどころか、この作曲家が身を呈してファシストに向かい合っていた意味を理解するだろう。芸術における政治性を酷く不純なものとして受け取る純粋耽美主義の向きもあるが、そうした芸術愛好家は、自らが芸術の本質を理解していないか、さもなくば商業主義の中で芸術とエンターテイメントの差異を理解していないかのどちらかである。まさにアンドラーシュ・シッフがハンガリー国民をしてその無関心さとその鈍感さを批判する所以なのである。

2006年に試飲して購入した最後のシャルドネを開けた。今回が最も熟成が上手く進んでいて、こんなにも手頃な価格で美味いのかと驚愕した。新鮮なときにはこれほど美味くなかったのだが、玄人はその手練手管をしてなかなかやっているとはじめから評価していた。自分自身は早飲みしないと飲めなくなると思っていた。しかし、ドイツのリースリングではこうした石灰土壌の旨みはなかなか出せないのである。石灰土壌であると先ず輪郭が暈けてしまい、リースリングの美味さが加齢するほどに落ちてしまうからである。なるほどシャルドネにはフランス女性のそれのようなコケットな甘さが残るのだが、決して残糖感が分離している訳ではない。マコン周辺の2006年はこちらのそれのように悪い年ではなかったのだろうが、同じ価格帯で2006年のリースリングに飲めるものは殆ど無いのである。更にまだおかしな熟成感が出ていないことを鑑みると、まだ少しは成熟しそうなのである。

正直、フランスの手練手管には頭が下がった、最初は良くなかったが、酸も洗練されてきていてだんだんと良くなってきている。少なくともグランクリュリースリングには、最初があの程度で後にこのように成熟するものは皆無である。グランクリュリースリングは、双葉より芳しくつまり最初から酸が美しいか、更に辛口で男性的で遥かに攻撃的である。フランスのそれに最も近い繊細さは、ドイツ広しといえどもフォルストのペッヒシュタイン以外にはないであろう。これもバルトークの音楽のようにその本質を理解しようとしない者には理解出来るまい。フランスの手練手管による堅牢度、天晴れである。



参照:
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
中庸に滴る高貴な雫 2008-09-03 | ワイン
価値のある品定め 2008-05-07 | 試飲百景
とても幸せな葡萄の光景 2008-05-05 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2011-01-29 07:06 | 文化一般 | Trackback

今日は今日で、明日は明日で

今日は今日で草臥れた。昨晩クライミングをした疲れでもあるのだが、その後のそれほど遅くもなかった夕食のせいか、あまりにもの疲れすぎのせいかは知らないが、午前三時には目が覚めて、結局朝早くまで熟睡は出来なかった。朝がまた早い用事があり、それをこなして、午前中に次のようを済まして、更に午後に挑む予定であったが、大分予定が崩れて余計に草臥れた。

明日が見えないまま、つまり週末から週明けが見えないままで金曜日を迎える。こうなれば欲張らずに出来ることから片付けていくしか仕様がない。それにしても昨日の疲れは、気温の急下降のゆえかあまり開放的でなく、今一つ発散していない。

水曜日のメンバーが流石に週に二回登っているだけに上達していると誉めるが、その実感はあまりなく、少しづつ課題を見つけている気持ちしかない。なるほど、簡単なところながら弱いオーバーハング所謂被り気味のところを続けて登ることが出来るようになっている。もう少し足が上手く使えるようになればよいのだが、外で登るときも傾斜に躊躇するようなことは今後は少なくなるだろうか。まさにこれがインドーアでのトレーニングの目標に挙げていたものである。

明日は明日でまた異なる課題が立ちはだかって来るのだろうが、体が音を上げない限り必ずや少しづつでも前進している限りは、何事も飽きずにやるしかないのであろう。我ながらこんなに単純な人生を送っているとは思いもよらなかったのであり、それはそれなりに明日への希望も限りなく拓かれていくものなのである。
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by pfaelzerwein | 2011-01-28 05:00 | 生活 | Trackback

合衆国発、虎の子落とし

元々中国から来たスパゲティーにびっくり水をかけるぐらいで驚いていてはいけない。なるほど安いものは世界中中国製と決っているが、原料はともかく製造も中国だろうか?

今年最大の世界のベストセラーは、寅年生まれの五黄の寅ではない1962年生まれの中華系米国人二世のおばさんが書いた本「Battle Hymn of the Tiger Mother」であろう。昨年出版されて、全米で大反響を呼んだ。それゆえか近々ドイツ語版も出版されるというのでFAZがこの話題を取り挙げている。その母親である名門イェール大学の法科教授アミー・チュアと、ユダヤ人教授の間に生まれた女の子らとの格闘の物語である。

その内容は、通常の家庭内教育とその反抗の物語などではなく、常軌を逸した母親のスパルタ教育と当然の事ながら、娘たちまでを犠牲にして自らをおぞましく売り込む話である。米国のマスコミで彼女の所にインタヴューを申し込んでいないものは皆無と言われる。以下のエピソードだけでも挙げておけば、売り上げに態々協力する必要もないのである。

娘には学校の試験で最高の点を獲得しなければお仕置をする。強制的にピアノを習わせ、八時間の練習を課し、三度目に音楽的に演奏できなければ、屑とけなし、飲み食いをさせないどころかトイレにも行かさないというのである。そのお蔭が、既に娘はカーネギーホールで演奏を披露していると言う。しかし、「私はシナ人だから遊ぶ時間が無いの」とクラスメートに言わせていた娘に、「私はシナ人などじゃない。アメリカ人」と宣言させるに至った。それどころか中国の算術さえ身につけることを拒ませた。

なるほど母親の兄弟は、パラオリンピックで活躍したダウン症の末っ子まで全てアイヴィーリーガーの大学に通っている。こうした家庭をみると、個人的にはどうしてももう四世か五世に至る遠縁の家系を思う。決して大統領も、高名な人物も輩出していないが、知る限りこうした恥たらしはいない。品格とかなんとかのたまう大衆作家の息子ではないが、必ずしもその全てが十二分に裕福とは思えないこうした遠縁に殆ど誇りに近い気持ちを持つのである。

米国移民の話は多種多様であるが、一般的に語られる話は三人ぐらい人を殺めない限り頂点には至らないというものである。どの社会も成り上がりの構図というのは同じようなものであろうが、全てが金銭で片付いてしまうのも合衆国の社会に違いない。犠牲になった娘たちも、短期間ながら印税による厖大な資産の増加の恩恵を受ける。それでも、それゆえにか、これだけオープンにシナ人の実像を曝け出したと歓迎する向きもある。



参照:Wie die Tiegermutter ihre Kinder zum Siegen drillt, Sandra Kegfel, FAZ vom 22.1.2011
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by pfaelzerwein | 2011-01-26 23:27 | マスメディア批評 | Trackback

あっと驚く、びっくり水

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安いスパゲッティがスーパーのブランドで出ていた。以前買っていた安物イタリア物に代わるように提供されている。五百グラムで34セントほどのものだから、三回で食べても安く、四回ならば一食あたり七セントであるから、四合の米34セントと同じである。基本的には麺類の方が米よりも高い筈であるが、同じ価格となっている。

スパゲティの安いものは美味しくは無いが調理の仕方によっては十分に使える。今回のものも初めての購入であったので一袋しか買わなかった。しかし、袋に書いてある調理法通りにすると、前のものとは比べられないほど美味く、ブイトーニより美味い。バリラには落ちる。その秘訣がなんと驚くなかれである。

七分の茹で時間に続いてびっくり水をしろと書いてある。こんなスパゲティーは初めてである。そこで茹で上がりをさっと水に通してみた。びっくり仰天の麺の締まりで、まるでイタリアでのパスタと同じぐらいに美味い。ぴちぴちしこしこのスパゲティーで尚且つそー図が良く滲みる。

イタリアのお店でも調理場では乾麺を茹でてびっくり水をさせているのではないかと疑わせるほど上手に茹で上がった。追加で購入して、今度はどんなソースにするかが楽しみである。

テッシンで購入したメルローの高い方を飲んだ。数フランだけもう一つのものより高価なだけだったが味は大分上であった。スーパーの価格のつけ方は多くの人が何度も試飲して決めているので、こうした差が蔵出しを買うのと同じように出ることもあるのだ。その反面全く見当違いの価格設定は、蔵出しではありえないぶらつきである。スイスのメルローは、ポメロールのようなボディー感が無い代わり、ワインのロールスロイスには無い深みと複雑さがある。

一昨日開けたロベルト・ヴァイルのキードリッヒのオルツリースリングは大変素晴らしくて驚いた。2009年産のラインガウは素晴らしいが、その中でもヴァイルはスレート土壌のリースリングとして、そのテロワールの出し方は天下一品である。同じワインを秋に飲んだときと比べて、更に開いて来ており、鉱山でトロッコに乗って進んでいくような鉱物臭さが美しく広がる。熟成が進むと行き過ぎになりそうだが、新しいうちにこうして愉しめば、本当に品が良い。ナーへのシェーンレーバートは異なった意味で、ヴァイルのリースリングはスレート土壌のリースリングを代表する逸品である。2009年以降は、これなくして辛口リースリングやスレート土壌を語っても仕方なかろう。
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by pfaelzerwein | 2011-01-26 06:06 | 料理 | Trackback

空気バネの車が欲しくなるとき

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朝から晩まで十二時間は息つく暇が無かった。なんといっても車を見せに行くのが余分である。担当のマイスターを呼び出してガレージに落ちていた棒を見せると、髭面に笑みを浮かべた。

「何か分かりますの?」と問うと、

「ショックアブソーバーですよ」と即座に答える。

「ああ…」、

「偏ったり乗り心地がおかしくなかった?」。

なるほど、今朝も出来るだけ穴に当たらないように避けて走ったのだが、それでも反動はきつかった。しかし、そのものが折れているとは気がつかなかった。一昨日覗いたときにもバネが確り付いていたように見えたからである。

なるほど、それが下に落ちる前の金曜日の帰り道も反動が直裁だった。コイルの役三分の一周が折れて、短く達磨落としになっているから、別に問題なく走っているのであり、マイスターが言うように左の車輪が深く落ちている。深い雪の中に突っ込んだときに折れたのである。

確か以前の車でも十年ほどたったときに取り替えたような気がするが走行距離が大分違う。それでも代車代も出そうとしないところを見ると、通常の傷み方なのだろう。この車自体が、バネが深く沈んで、カーブでの傾きが強すぎるのが最初からその設計上の問題ともなっていたのだが、こうしたところにもその特徴が表れるようである。さて、夕方か明日の朝かと言っていたぐらいだから、手安く交換できることを願っているが、請求書の額がとても気になる。

ショックアブソ-バーであるから、舞台に上げて車輪を浮かせば、問題なく取り替えられるのだろうが、どのように固定してあるのだろうとまた興味が湧く。空気バネの車が最近は超高級車でなくても付くようになっているが、その量産化された機械的な安定性には疑問があった。しかしこうしてコイルが折れることを考えると、次の車は空気バネの方が良いかなと言う気がしてきた。

人の車を貶すのは良くないが、レンタカーのAクラスの新車は全然良くなっていない。最初からエルヒテストで問題が多かったが、完成度が高まった印象が全く感じられない。何よりも内側が小さいにも拘らず胴体が大きく、車庫入れが殆どSクラス並みである。特にサイドの鏡を入れると、車庫入れがとても難しく、舵もとても切りにくい。それでもスマートのように商業的に失敗はしていないようであるから大したものである。

代車代を払わなければいけないので、有効利用しようと思って、早速手が空いた午後に最寄のIKEAに車を走らせた。
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by pfaelzerwein | 2011-01-25 04:25 | テクニック | Trackback

今も現役の襤褸着について

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クリスマスプレゼントで貰った新しいイヴォン・シュイナードの本をまだ読んでいる。パタゴニアと呼ばれるアウトドーアブランドの創始者で、我々にとっては彼の作ったクライミングギアーや韓国駐留時代に拓いたフリークライミングルートで馴染みがある。一種のビジネス新書のような感じであり、環境ビジネスの師範書でもあるからか、2005年と今頃になって執筆されて、日本語版が2007年、ドイツ語版が2010年の発売となっている。実用新書として読めばサラリーマン諸君に好まれるその程度の内容である。しかし著者自体は商売人であることをきっぱりと否定しており、フリークライマーで、サーファーで、カヤック乗りであって、鍛冶職人でありたいと宣言している。

一番印象に残ったのは、子供のときの思い出から、父親に連れられた渓流釣の場面である。流れが強く足元が滑りやすいので流れに飲まれてしまう恐怖心に包まれておろおろしていると、父親から「集中しろ」と依存心から解き放たれて、禅の如く腹が座り、自信を持って先に進めるようになったことが語られている。まさに、逃げないことが、無駄な力を抜いて水圧に自然に体が対応出来るようになったと、もっとも大切なことを示している。

著者の人生哲学は、あのヒッピー時代のそのままであり、脱西洋である極東文化への傾倒がそれに芯を与えている。起業から成功までの道筋は、当時から彼の名をつけたクライミングの道具やルートを知っている者ならば、あの当時はまだそんなことを考えていたのかと言う意外感の方が強いのだが、逆に何気なく今でも着用しているクライミングシャツが、パタゴニアと呼ばれるブランドでそれ程重要なものだとは知らなかった。正直な話、この本を昨年秋に貰うまでは殆どゴミ箱に入っていた。まさか日本にはパタゴニアのオリジナルの古着を生業とする専門店があるとは知らなかった。当時、こういたシャツを日本で購入していたのは所謂山屋さんと呼ばれるこれまた特殊な人々であったのだ。丁度ワンダーフォーゲルに代わって盛んになってきたバックパッカーとかにはあまりこうした商品は注目されていなかったように記憶する。

懸垂下降をするのにも肩絡みなどということも泣くなり必ずしも長袖でフリークライミングを愉しむ必要がなくなった今日無用の長物となっていたのである。更に、多目的なアウトドーア商品がコンセプトであり、肘などにパッチワークが入っているわけではない。それでもこの三十五年ほど前の商品が今でも使えているのは、著者が主張するように自然にやさしい限られた材料で無駄にならないように作られた商品であることを証明している。なるほど怪我をしないように壊れないように、ボタンはゴム製のものが使われていたが、流石にそれは破れてボタンは全て付け替えた。それでも冬の間はこれを今来てインドーアクライミングに通っているだけでなく日ごろのトレーニングに使っている現役なのである。しかし、こうした事情を知らなかったならば、袖もほつれていて、決して外には着て行くことが無かったであろう。大変得した思いである。

染料なども高価な建て染め染料をBASFと有害なものを使わないように交渉しているようで、その中国の山奥での綿の原料調達とともにこれほどの熱意で商品を開発しているとは思わなかった。多くはスコットランドの文化を取り入れて商品開発に当たり、また日本の市場の特殊性などを研究して、一時は草鞋までを大量輸入していたようである。

その自然愛護への取り組みも、論理的なものではなく、一部には批判されるような環境思想を企業のアイデンティティーにしているが、我々の眼からすれば、著者がビッグウォールにおいて前述のような虚無に近い状態で無心に正しいルートを探し出していくような動物的な感覚がひしひしと伝わるのである。まさに企業の成功などは論理よりも生きる勘であると言うのがここにも証明されている。



参照:
社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論
復刻・復活 イボイノシン(Alpine PITON) (NEXT DREAM 記憶と記録)
本日をもちまして、パタゴニア日本支社を「カルト企業」と表記するのは止めにします。 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
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by pfaelzerwein | 2011-01-24 05:34 | 文化一般 | Trackback

波状攻撃に耐えられるか

まさに波状攻撃である。一難去ってまた一難。特に活動的に生活しているのではないが、最初の晦日を越えて来月までなんとか生き残れるかと思った矢先、車をガレージから出すと下に棒が落ちていた。直径二センチほどのずっしりとした錆びた鉄の棒が折れて落ちているではないか?まだ十年も経たない車であるから、錆で老朽化するはずがないのである。

なるほど先週辺りから異音がしていて、ハンドルを右に切るとそれが分かった。どうも方向蛇の小骨が折れたようである。先週、忙しかったのもあるがフランクフルトに行かなかったのもこれに不安があったからである。しかし多忙で少なくとも意識の表面から忘れ去られていた。操作蛇の低速での抵抗感はここ一年以上感じていたことだが、あまりに感覚的なことなので車屋にも話さなかったことである。実はこの車種を試乗したときにも気がついていた点なので、構造上の問題点でもあったのだろう。

いずれにしても壊れたことは不可解なのだが、考えられるのは鹿やウサギなどを跳ねたりしているので、そうした所に僅かながらでもひずみが生じていたのかもしれない。また積雪の中を乗り上げているので、そのあたりも強く当てている。車輪の内側なのでそれ程面倒な修理ではないと思うが、検査などの技術料込みで三百ユーロは下らないだろう。予想外の出費である。道で立ち往生したり、事故を起こしたのではないので良かったと思うしかないであろう。さて月曜日になんと言われるだろうか。

難局に直面して、強い意志を保てるかと言うような立派な話ではないのだが、耐えて忍ぶしかないような至難はまだまだ続くのである。
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by pfaelzerwein | 2011-01-23 00:36 | 生活 | Trackback