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索引 2011年4月


それでも収束に向かわなかった 2011-04-30 | テクニック TB0,COM0
高まらない緑の運動の背景 2011-04-28 | マスメディア批評 TB0,COM0
生の流れに流されたのか 2011-04-28 | 雑感 TB0,COM0
原発銀座で息を吸えるその幸福 2011-04-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
物乞いとしての福島の被害者 2011-04-26 | 文化一般 TB0,COM0
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評 TB0,COM0
復活に関しての二種類の証言 2011-04-22 | 暦 TB0,COM0
受難報告における言葉 2011-04-21 | 暦 TB0,COM0
最高評議会にての事前審議 2011-04-20 | 暦 TB0,COM0
オリーヴ山へ出かける 2011-04-19 | 暦 TB0,COM0
大司祭の祈りの背景 2011-04-18 | 暦 TB0,COM0
イエスの終末論的説話 2011-04-17 | 暦 TB0,COM0
エルサレムへの入城 2011-04-16 | 暦 TB0,COM0
死ぬも地獄、生きるも地獄 2011-04-16 | 文学・思想 TB0,COM0
敗者に裁かれる特攻隊崩れ 2011-04-15 | マスメディア批評 TB0,COM0
なぜ今頃の感の疑心暗鬼 2011-04-13 | 雑感 TB0,COM0
福島なんて取るに足りない事故 2011-04-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
計画通りにならない核分裂 2011-04-11 | 雑感 TB0,COM0
原発廃止後のエネルギー貯蓄 2011-04-10 | テクニック TB0,COM0
原発の水蒸気塔の見える町 2011-04-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
予測可能な環境の修辞法 2011-04-08 | マスメディア批評 TB0,COM0
天皇陛下!万歳!万万歳! 2011-04-06 | 雑感 TB0,COM0
倫理委員会初会合の召集 2011-04-05 | 文化一般 TB0,COM4
備えあれば憂いなしとは 2011-04-05 | 歴史・時事 TB0,COM0
収容所送りとなる人たち 2011-04-04 | 雑感 TB0,COM2
前近代に生きる日本の自己欺瞞 2011-04-03 | 文化一般 TB0,COM8

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by pfaelzerwein | 2011-04-30 23:59 | INDEX | Trackback

高まらない緑の運動の背景

資料・データーとかを並べても部分的なことしかわからない。全体的にものを見れる者は歯車として働いている技術者や科学者の中にもほとんど居ない。常識のほうが重要である。だから、市民はそのような学術的な見解など気にせずに運動をしなければいけないのだ。そのような大切なことを教えずに、うまく飼いならすような教育が明治以降もしくは寺子屋時代から日本では推進されてきた。

一号機だろうかドライの気圧が一気圧以下になろうかとしている状況は常識的に、溜まっている水の吸引力でしかない。水棺などとあまりに水を入れ過ぎたものだから、いよいよ水漏れが激しくなったのだろう。そうなると窒素を注入するよりも酸素が入り込む量の方が増えて、所期の目的どころか、いよいよゴールデンウィークあたりに、もっとも恐れられている決壊となる事象も近いかもしれない。水が貯められなくなれば、冷却どころか壊れた燃料が一挙に飛び出てしまう。

FAZ新聞のクロンコ女史が東京から伝えている。反原発運動が大きく盛り上がらず、緑の運動として国政を左右しないその日本の構造を説明している。実際には多くの活動家がいて各地で反原発運動が繰り広げられているのだがあまりにも欧米のそれから比べると微小でしかないその背景である。

日本人の特性とかそうしたもの以外にも、行動的な活動家が少ないのは、通常の活動は労働団体が主体となって組織されているので人数が集まり大規模になるというのだ。しかし、民主党の支持母体である連合は、経営者側以上に原発推進派であって、地元の未組織労働者を含む地元民は原発に経済的に依存していることが指摘されている。貧しい地域に喜ばれて原発が誘致されたその社会背景が改めて浮き彫りにされている。まさに嘗ての自民党政治のやり方であり、日本の官僚主義はもしくは江戸幕府以来こうした民を育んできた。そしてその頂点に将軍もしくは近代的天皇が座したのである。

FAZ新聞は、だから少々の規模のデモンストレーションが各地で行われたとしても大スポンサーである電力会社の前にマスメディアのみならず地元のメディアでさえ地元民にインタヴューをしておきながら放映されることはないというのである。

こうした社会体制を崩壊させるには、直感で、地元エゴで、そしてそうした卑怯な地盤の上に過ごす生活を変えようとする大規模な活動しかないだろう。今回の福島を受けて、そのような国民運動が高まらない限り、経済的にも社会的にも日本には将来はないとみる。

一言触れておきたいが、極東に長く住みながらいつまでも欧州中心の左右が尻下がりにひん曲がった地図を見て、「西」を「南」と表現するな。もう少し地理を勉強しなさい。



参照:
Vom zähen Kampf gegen ein Tabu, Petra Klonko, FAZ vom 26.4.2011
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by pfaelzerwein | 2011-04-28 21:20 | マスメディア批評 | Trackback

生の流れに流されたのか

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ここしばらくはPCが大分やられていた。まるで福島の設備の様にである。しかし人に迷惑はかけていない。

原因を考えると生放送のUストリーム経由でやられたようで、ワークステーションなどはBIOSまでが書き換えられていたようで、マザーボードからインテルのWプロセッサーを抜き取る必要があった。しかしそこまで行き着くには、挟まれた休暇を抜いて十日間以上掛かった。

BIOSの調整などしなければまだ安定しないが、少なくとも画像がでるようになったので使えるようになった。そこまで弄ったので、この機会に念願のLINUXもインストールことにする。上手にXPとLINUXを併用して使えるかどうかはわからないが、BIOSまで調整するならそこまでやる価値はあるだろう。早速、最新のLINUXのセットを注文しよう。

昨日のラジオは、このところの乾季でモーゼルの水が枯れて、トリアーの小規模の水力発電が動かなくなっていると聞いた。増水すれば冠水して、枯れば枯れたで問題なのだ。

そのあとソニーのプレーステーションの情報漏えい問題が伝えられていた。もう子供には使いさせられないということだった。被害が起こったときにソニーの責任かどうかを証明することは難しいことが多いということで、その管理責任が問われる一方、被害請求も難しそうである。日本のものはやはりあまり頼りにならない。
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by pfaelzerwein | 2011-04-28 15:31 | Trackback

原発銀座で息を吸えるその幸福

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すがすがしい空気を胸いっぱい吸って、軽やかな空気の中で重力から開放されるような気持ち。それだけで他になにも要らない。本来ならば、電気も金も要らず、税金も掛からない、誰でもが平等にもちえる生きる権利である。

それが日本人特に関東以北に住む者にとっては今後とも不可能になっている。とても言い尽くせない悲しみを感じるしかなかった。なんて惨めな人たちなのだろう。なんて頭の悪い人たちなのだろう。世界中に悪名が知れ渡っているペテン師東電や日本政府の者だけでなくて、それを支えている日本に住む全ての人たちのことなのである。

とてもささやかで、かけがえのない環境であるそれを、邪念なく感じることの出来ない日常生活に、そもそも何の意味があるのだろうか?疾病の増加でいづれ忌憚をきたす健康保険に益々お世話にならなければいけない生活に。精々、なにも気にしないで、大きく深く息を吸えるその幸福を思い起こすのが良い。

高圧電線の行く先には原発が立ち並んでいる。しかし、南フランスのコートダジュールではまだ福島のような大事故は起きてはいない。起きてしまってからでは遅いのだ。頭が良いか悪いかは、只その違いだけなのである。



参照:
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評
物乞いとしての福島の被害者 2011-04-26 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2011-04-27 06:34 | アウトドーア・環境 | Trackback

物乞いとしての福島の被害者

フランスとドイツでの福島に触れた。それらの社会的もしくは政治的な背景は良く知られているが、それがどのような実感となっているかはなかなか分からないだろう。

その一つとしてラジオ番組などの報道姿勢にその差異をみた。もう一つその内容について考察すると次のようになる。例えばドイツにおけるそれは神学者がプロテスタンティズムを語ることで、そこに自省と共に現在の最先端の考え方が散りばめられる。要するに日本人が百年ほど前に習ったこととは何世代も先を行くものである。

言葉を変えると近代化と呼ばれるプロテスタンティズムが推し進めた近代とその反省としての脱近代への考え方である。つまり「最終処理」のない原発の理不尽と「近代を習った日本人の制御できると言う傲慢さ」への反省である。どこかで制御を利かせるための自省である。

そのためには「過剰な消費生活を改め、少々の不便さは受け入れるべきだ」と言うのだ。

日本人の知的水準が低いのは、まさにこうした本質的な考え方を抜きに効率主体に習うことの出来る知能の低さであり、その懲りない姿勢である。西欧人は、そもそも家元であるから米国人のように、12歳の頭脳とは言わないが、徒弟がやらかした誤りにはとても自嘲的である。

それはフランスのそれにも良く表れており、日本人音楽家の学習能力や完成度を通して、そのしくじりにとても深い同情と哀切を示して、カトリック国では当然ながらの反応を示している。丁度、物乞いに喜んでコインを握らしてやるかのようである。
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by pfaelzerwein | 2011-04-26 17:07 | 文化一般 | Trackback

フランスにおける福島の影

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南仏コートダジュールへの、またからの車中で幾つかの原発を見かけた。ローヌの谷はフランスでも原発銀座である。セーヌにいくつかあるが、パリ近郊でなくともリヨンとマルセーユだけでも大変な人口域となる。もちろん関東平野とはその人口密度は比較にならない。

兎に角、国道から一キロ満たない所に格納路がある情景はドイツでもなかなか見かけない。小規模の事故でも通行する車に可也の放射線が当たるのではないだろうか。このトリカスタンの四つの圧力式窯でも2008年に百人の従業員が除洗を必要とする整備中の事故を起こしている。1980年以降の比較的古いものであるが如何に頻繁に事故が起きているかである。通りがかった二度は一つの水蒸気塔からしか湯気が出ていなかったので、他のものは一時停止していたのだろう。前部に見える四角い建物はタービン建屋であろう。

車中のラジオ特にフランスのムジックは日本人演奏家の特集をやっていて、小沢からミドリまでを鈴木を含めて扱っていて、まるで日本讃辞と底知れぬ同情が満ち溢れていた。その背景にはフランスでは日本人の原発推進の痴呆を笑い飛ばせない社会背景があるからで、できる限り福島原発をまるで何事もなかったかのように扱う報道姿勢が感じられた。まるで東京の報道機関のようにである。

そのような事情からもう東京は全滅しているのかなと思ったぐらいだが、まだその情況は更に悪くはなっても大きな変動はないようで、一週間ぶりにドイツの戻ってくると急に将来の見えないその日本の空を感じさせる番組ばかりが耳に入る。ドイツの急激な脱原発には必ずしも賛成しないが、起こってからでは遅すぎるのだ。日本のような地震国では倫理的に断然許されない。
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by pfaelzerwein | 2011-04-24 21:17 | マスメディア批評 | Trackback

死ぬも地獄、生きるも地獄

今朝はじめて、「最初の時点で突入作戦が必要だった」と気が付いて、その後身震いがして、そして確信した。原発は非人道的なものだと。少なくとも先日のラジオの公開座談会ではないが、ドイツのそれは理に適っている政策であるが、日本の「地震を待ちながらの原発推進は低能の遣ること」だと。

知能程度では済まなくなっている。少なくとも一方には推進のグループが居り好い加減な情報を流し続けている。福島の関係者やまた広範囲に渡る住民にとっては、死ぬも地獄、生きるも地獄となりそうである。決死の突入隊の判断は、津波救助のこともあって決断が出来なかったとしても、こうした状況は想定内であって、まさにカール・シュミットの「絶体絶命の決断の原理」が指す超司法処置が取られるべきだったのだ。自衛隊のようなそんな腰抜けのおもちゃの軍隊で駄目ならば、原発発電所や納入メーカーがそうした決死隊を準備しておくべきなのだ。

今回の事故が中国で起きていたならば、死刑囚に作業をやらせていたかも知れない。自らのことならば米軍が自らの手で片付けただろう。要するに原発などは日本人が玩具にするような小市民的なものでは一切ないのだ。

今後議論が繰り広げられる原発を巡る攻防にて、是が非でも原発を推進させようとする者はその素性を明らかにすべきなのである。そのような宣言無しに何かを語ろうとする者の推測や意見などを一切信じてはならない。日本人は、そうした非人間的で小汚らしい営みこそが原発であることを肝に銘じておくのが良い。それでも原発を利用しなければならないとすれば、それなりの根拠が求められる。



参照:
死んだ方が良い法秩序 2007-11-21 | 歴史・時事
キルヒホッフ税制の法則 2006-12-24マスメディア批評
痴漢といふ愛国行為 2007-11-26 | 雑感
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
芸能人の高額報酬を叱責 2007-12-28 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2011-04-16 03:53 | 文学・思想 | Trackback

敗者に裁かれる特攻隊崩れ

とても酷い状態だ。水蒸気爆発の破局などなくても、当初のドイツでのシュミレーションを越えてしまっている。もはや日本人でなくても誰も積極的に現実を直視出来なくなった。来週開かれるキエフでの学会では、政治的な圧力の下チェルノブイリを凌ぐ史上最悪の福島が議論されるに違いない。

水質調査のヨウ素131やセシウム134濃度や割合からすると、常識的に考えて穴が大きくなり連鎖反応が起こっていることを如実に示している。格納容器毎の水冷機能が話題となっているようだが、そのような状態でポムプが廻せるのかどうか一度身近にいる特殊ポムプの専門家に聞いてみよう。フィルターどころの話ではない。

一号機だけでなくて、二号機も同じような状態である。三号機も同じような状態であるのが明白になるのは時間の問題だろう。一体あの温度の値はどうなのかと思わせる。殆ど後だしジャンケンのようなパラメータ解析で後付けにしかなっていない。四号機でも殆ど使用停止直後の燃料棒のようで危険度は途轍もなく高いことが証明された。一から四までどれも同じようにどうしようもないのだ。条件さえよければ、四号機の使用済み燃料を取り出してしまおうとしたようだが、これで途轍もなく難しい作業となった。そもそも壊れた燃料が水に冷えて固まっているならば、給水して以降生成されていない筈のヨウ素131の濃度が上がる訳がない。少し考えれば誰でも判る。抜け抜けと好い加減なことを誰が言ったか覚えておくが良い。国民裁判か国際人権裁判の場ではただでは済まないだろう。

しかし同時に嘘はつかない筈の役人の様子が変って来ているようにも感じている。恐らく、合衆国や国際機関の後押しで原発全廃をどうしても引き止めたい大きな力が生じているようだ。日本国会の大連立への燻り騒ぎなどはその証明で、日本の行政官僚システムはそれ自体の死守への本能と同時に合衆国主導のその体制を固めつつある。特に讀賣新聞を筆頭にその他のマスメディアの論調に目を見晴らす必要があるだろう。東京裁判を云々論じるのと同じで、裁くのは勝者であり、だから今原発を巡る世界大戦の熱線が飛びかっている。国民の健康や生命、財産などは二の次なのだ。福島県の大半とそれに準ずる関東・東北の一部は今後とも永く住めなくなるだろう。大移住計画は進行しているのか?

そもそも地下の水を抜くことなどは出来ないのは明らかで、上の水が溶解して固まり反応し掛けている燃料と同時に広がる穴から落ちてきて、地下を更に強く汚染された水が満たすことになる。それを冷して元へ戻すにも限度があるのは当然で、そんなことが容易に出来るようなら心配は要らない。

時間稼ぎをして崩壊熱を落とすことで収束へと向おうとしたのだろうが、温度が上昇するようなことになり殆ど永遠に収束を向かえる事はないだろう。その間に人間が近づけなくなる可能性の方が強く、ソヴィエトが遣ったような少々の人命が失われても ― 神風特攻による千人近くの犠牲者を出す覚悟が必要だったかも知れない ― 最初に強行するだけの決断が必要だった。もはや米軍も誰も手出しを出来ない、百年経たなくてもこのままでは世界中が汚染されてしまう ― これも後出しになるが、初動において東電など無視して自衛隊に突入させて近辺にガスを放ち、「手動」で燃料棒を抜いてしまう必要があった、その時点で軍事命令で少々の死傷者が出ても本望だったろう、今の自衛隊では本当の神風を命令できる幹部もいない、腰抜けである。
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by pfaelzerwein | 2011-04-15 14:36 | マスメディア批評 | Trackback

なぜ今頃の感の疑心暗鬼

昨日のレヴェル7への昇格は世界に驚きを与えた。なぜ今頃?と言うものだ。一部には現在の被害程度ならいずれまた6に戻すだろうとの意見もある。急に日本政府の発言が変わってきたことにはいくつかの理由があるのだろう。政権と行政の中での権力闘争もかかわっているような気がするのは考えすぎか?そうした一貫しない姿勢は、普天間問題に仙閣列島事件にも顕著で、官僚組織を掌握できない民主党政権の政治の特長にすらなっている。今回の場合もなぜ最初の時点から菅首相が最高決断をしなかったか不可思議なのだ。

それ以上に急にIAEAが楽観的な見解をも流すようになったのがそもそも軍事的な核利用と拡散に反対しながら ― まさにこれはワシントンの意向に沿う、産業的な利用を推し進めている機関であるからだ。なぜそこの理事に日本人がなっているかを考えればよく分かる。

それよりも何よりも危惧されるのがやはり破局に近づいている状況証拠があるのではないかという疑心暗鬼である。四号機の半減期が八日のヨウ素131の検出量も気になり、水温も上昇していて予断を許さない情況となっている ― 水の量も確認した筈だがなぜ発表にならなかったのか?穴でも開いているのか?また一号機の温度や圧力や穴が気になるという、果てしないもぐら叩き状態と、益々悪くなる状況が伝えられている。

クリントン女史が東京を訪れると言うが、人命尊重を基本に思い切った作戦を連休中に秘密裏に要求するのではないだろうか?

関東のスーパーで出荷禁止の野菜が出回っていたのは、やはりいい加減な規制水準の緩和などを訴えている政治家がいるからで、基準が緩和されると言うことは日本の生活水準や品質管理を落とすと言うことに他ならないので、自ら産業と経済基盤を崩壊させていくのとなんらかわらない。如何に汚染や汚染地域を切り離して、水準を守ることも重要であり、その為には人命・人権の尊重を大儀に思い切り強引な政治決断が迫られる。

正直な話、使い済み燃料の発火などは第一報では伝えられておらず、全く話題になっていなかった。しかしその量や特に四号機の崩壊熱量からすれば予想以上の汚染の元となっている。ドイツの専門家の中で日本限定と捉えられていたその世界への影響が上方修正されなければいけないような情況には改めて驚愕するしかない。

福島第一原発での耐震の確認などは、全く役所らしい処置で、次の余震で炉がひっくり返って、大量の水が決壊しても既に指導はしていたと言い訳が出来るのだ。彼らは決して裁判で不利になるような不手際は行わない。時限をつけてもつけなくても、それで抜かりないのである。
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by pfaelzerwein | 2011-04-14 01:39 | Trackback

福島なんて取るに足りない事故

「温熱化の危機に比べれば原発なんてどうっていうことはない」と宣言して、「ドイツの過剰反応」を厳しく批判するのは合衆国で最も有名な自然環境保護運動家スチュワート・ブランドである。氏のウォールアースカタログは、1968年からそのヒッピー時代を契機に公表されて三十年間改訂され続けている。そこには、人類に不可欠な物としてシンセサイザーやPCなどがリストアップされている。

そのインタヴュー内容にはそれほど感心する事はなかったので詳しくはここでは触れないが、要するにオバマ政権が採用するグリーン政策なのである。つまりこれから環境問題が取り上げられるときに、これは大きな政治的な議論の衝突点となる。オバマ政権が二期目に突入するとは誰も思っていないが、ここが世界を二分する分水嶺となるかも知れない。だから重要なのだ。

その考え方には、人口政策、都市計画、遺伝子工学による食料品政策、核エネルギー政策の四つの大きな柱が建てられる。最後から二つ目はEUの統一理念として、最後のものはドイツや北欧におけるそれとしてその激しい抵抗が知られている。

温暖化問題は氏に言わせると今後長い人類の歴史において最重要項目であり、原発の死の灰の処理などは大した問題ではないと言うのだ。穴を掘って埋めてしまえばそれで終わりだと言う。また、原発の危険性などは取るに足らぬ事象であり、ハリスバークやチェルノブイリの事故を鑑みるほどもない程安全だと宣言している。「福島などは古い施設が如何に問題かを世に知らしめただけで、新しい原子炉ではこうしたことが起こらないかを、設計者や使用者が詳しく説明しなければいけない事故」となる。

その温暖化の科学的な真相は定かではないとしても、こうした意見に耳を傾けて議論とすることが重要なのである。特に日本の人はこうした意見を考察することで、今回の未曾有の事故を未だにチェルノブイリと比較して過小評価する官僚達のその脳味噌の中味を想像することが出来る。大電気会社をスポンサーにする大マスメディアが敢えて芸能ニュース様に鬘着用の真否を暴露しようとするのは、日本人の低能な能力を他に逸らそうとするだけではなくて、その思考態度の差異をヴェールに包もうとしているだけに違いない。恐らく背後にはそうした世界感を同一とする資本や第四の権力が控えている。

これは日本人の甘え構造にも通じる自分やとなりの親仁とTVの前で世界中に毎日露出する官僚が同じ社会に住んでいると思いこむ同族意識を利用した教化政策であるのだ。合衆国にとっては、広島・長崎は致し方ない処置であり続け、今後予想される甚大な福島禍も計算出来るものでしか無いのである。だからワシントンは菅政権に強い圧力を掛けているに違いない。これが日本政府の過小評価の真相だろう。

そして今回の日本政府と日本人を観察して、間違いなく共産圏で育ったりした者は、その全体主義的なやり方が酷似していると一様に驚きの声をあげる。日本は西側の民主主義的な社会だと思っていたと。議論の成立しない、ジャーナリズムの存在しない社会、自主独立精神の育まれない社会、同一の仮面を被っているだけの社会、それが日本である。

菅政権が何処に顔を向けて発言しているか、有名評論家と言われる連中の資金源、そうしたものを伝えるマスメディアを見つめることで、自分が「生かされている」もしくは自らを「死へと追いやる」環境に覚醒することの切っ掛けとなるだろうか?



参照:
Ihr Deutschen steht allein da, Stewart Brand, FAZ vom 9.4.2011
原発廃止後のエネルギー貯蓄 2011-04-10 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2011-04-13 02:35 | アウトドーア・環境 | Trackback