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索引 2011年12月


よーみよドイツワインガイド2011 2011-12-31 | ワイン
ヴァイオレンスは爆発だ 2011-12-30 | 生活 TB0,COM0
ゴミを棄ててしまう日々 2011-12-29 | 生活 TB0,COM0
とても単純なことを思う 2011-12-28 | 雑感 TB0,COM0
Hop, Step by Step & Jump 2011-12-27 | 文化一般 TB0,COM2
高度な抑制と認知の文化 2011-12-26 | 文化一般 TB0,COM0
中共が辞さない宣戦布告 2011-12-25 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
ニュートン物理に環境を知る 2011-12-24 | 数学・自然科学 TB0,COM0
「絆」に結ばれる日本の心情 2011-12-23 | 文化一般 TB0,COM2
筋力を上手に休ませる方法 2011-12-22 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
気に入るということは 2011-12-21 | 料理 TB0,COM0
信用が第一のクレジット 2011-12-20 | 歴史・時事 TB0,COM4
ストレステストの一年 2011-12-19 | 歴史・時事 TB0,COM0
とんでもなく腕力が強くても 2011-12-18 | 雑感 TB0,COM0
無責任なリセットの構造 2011-12-17 | 歴史・時事 TB0,COM0
様々な集客法の研究 2011-12-16 | 文化一般 TB0,COM0
力の抜けない未知の領域 2011-12-15 | 生活 TB0,COM0
ここぞのときの葉隠れ術 2011-12-14 | 生活 TB0,COM0
理性的な振舞いの滑稽さ 2011-12-13 | 雑感 TB0,COM0
セシウムか、カリウムか? 2011-12-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ライン平野上に昇る月蝕 2011-12-11 | 暦 TB0,COM3
ケシの実を育むように 2011-12-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
そこかしこで出会った親爺 2011-12-09 | 生活 TB0,COM0
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活 TB0,COM0
ハレルヤ!晴れるや? 2011-12-07 | BLOG研究TB0,COM4
Fuck you, everybody!  2011-12-06 | マスメディア批評 TB0,COM0
客観を装うあくのある「中立」 2011-12-05 | 料理 TB0,COM0
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事 TB0,COM0
年末が見えると春ももう直ぐ 2011-12-03 | 生活 TB0,COM0
年末までのクレジット 2011-12-02 | 試飲百景 TB0,COM4
旨味を増すBGM環境 2011-12-01 | 音 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2011-12-31 19:14 | INDEX | Trackback

ヴァイオレンスは爆発だ

可也怖い夢を見た。何度かあるように諜報部員ものというか、今度もミッションイムポジブルの主役である。高層ビルの窓から飛び出したり壁を登ったりはしないのだが、大きな会社の本社ビルのようなところから脱走するのである。地下へと降りる駐車場から上の受付カウンターのような場所での潜入風景があって、最終的には強引に緊急脱出なのである。エレヴェーターを降りて敵を蹴散らして、一人の男の頭を壁に割れるほど叩きつけているのである。完全なヴァイオレンスものである。流石に気が引けて目が覚めた。

昨晩のクライミングで可也いらいらしたことが原因と知ると余計に怖くなった。いらいらするにはそれなりの理由があるのだが、相手に殺意にまで結びつくような敵意を持っている訳ではなく、寧ろ永くよく知っている人間であるからまさしくいらいらさせるものが良くも悪くも彼の個性であることは分っているのである。

それにしてもあまり長くない時間を熱心に集中して登るのは良いのだが、十分に登れる困難度のところをみっちりと登るのに付き合っていると結構以上に疲れた。そもそも彼のクライミング上の問題はここぞの爆発力がないので、どうしても下のレヴェルでしか登れなくて、それが年齢的なパワーの無さかどうかが分らないところで歯痒いのである。

それならば冬の間にトレーニングを積んで爆発力をつければよいと思うのだが、どうもご本人はそこにも考えが及ばないようで、困難度五級を丁寧に登ることに全てを掛けているようにしか思われない。人間的にもそうであるように信頼性をもって丁寧にと表現すれば聞こえは良いが、要するに自らが限界を決めているようなところがあって、自らの枠を一歩も超えないことを人生哲学としているような風である。まあ、彼からするとこちらは、「思いのほか、本番に強い」と言う印象と共に、「誇大妄想」と思っているのかも知れないが、それだけの準備はこつこつと積み上げているのである。

そのような按配で、何時もはトップロープで簡単に登ってしまう四級ほどのオーヴァーハングもお付き合いでロープをリードしながら登らされると、まるでお仕置きのようで無駄に疲れるのである - 四級の場所とは一般的に息抜きがどれだけ出来るかが鍵なのだ。流石に何時ものパートナーとは違ってザイル捌きの信頼度は高いのだが、それだけに心理的には窮屈なのである。ご本人は手掛かりが良いとご満悦だったようだが、要らぬことに力を使っているようで余計に疲れた。

クライミングも結局は六級をこなしていかないとスポーツ的な意味では駄目なのであり、スポーツクライミングとして身体的に太り過ぎでない限りは練習量でマスターできるものであるが、これも動機付けにおいて個人差が大きいようである。

明日は、今年も共に長い距離を一緒に登ったライヴァルが合流するという。それはそれでお互いに火花を散らさなければいけないのだが、これまた性格が全く異なる人物であり、三人三様で賑やかになるだろう。兎に角、こうした仲間で大きな壁で代わる代わる六級以上を何時でも登れるようなメンバーが二桁ほど集まるのが理想的であり、そうになると様々な可能性が広がるのである。

先ずは栗入りザウマーゲンの最後の二切れを食して明日に備えたい。午前中に仕事納めとして、晩に備えたいものである。野菜は既に購入した。それにしても火曜日の疲れが腰に来た。この冬シーズン初めてである。



参照:
とても単純なことを思う 2011-12-28 | 雑感
中共が辞さない宣戦布告 2011-12-25 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2011-12-30 03:50 | 生活 | Trackback

ゴミを棄ててしまう日々

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何時来るのか、もう来たのか、待ち望んでいたカレンダーが郵便桶に入っていた。昨年は11月ごろに来ていたのを棄ててしまったようで、一年間後悔し続けていた。

そのカレンダーとは、ごみ収集のカレンダーで、地元の自治圏が発行しているものである。そこに、何月何日は何々の収集と年間のスケジュールが書いてある。自分でゴミを出すのではないのだが、そこへ棄てるのは自分自身であり、出来るだけその日に合わせて新聞やワインの瓶、石油製品、台所等のゴミも処理してしまう方が都合がよいのである。

さてじっくりと研究すると、この地区は今までと同じように、火曜日が収集の日である。先ずは一年の最初に「三人の博士」の一月六日にあわせてクリスマスツリーが処理される。これは所定の場所へと自分でその期間中に運ばなければいけない。

その前に黒色に色つけられた雑種ゴミと再生ペットボトル類が集められ、次の週に緑色のバイオゴミ、ダンボール、グラス類と、その後一週間毎に交代に進んでいく。

二月十四日になって赤字で危険物かなんとかまた荒ゴミの日とかボーイスカウトとか四週間毎とか書いてあるが、詳しくは分らない。誰かに聞いてみなければ分らない。

以前TV番組で分類ゴミを結局一緒に処理している風景が映されて問題となっていたが、結局そうしたものなのでこちらも適当に受け取り拒否されない程度にゴミを出してしまえばよいのである。丁寧に細かくやっていてもそれだけの労は報われないということなのである。

それでもゴミを出してしまえることだけでも助かるのである。もともとごみ収集代金を払っているのだから当然と言えば当然の共同体の公共サーヴィスなのである。
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by pfaelzerwein | 2011-12-29 06:15 | 生活 | Trackback

とても単純なことを思う

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パンを取りに行って、谷沿いの道を走った。往路7分、復路8分で、15分掛かった。いつものようにウォーミングアップ無しといっても2.5KMほどの距離であるから、12分で走りたいのだ。それでも帰ってくると足がふらふらになり、腕も振りで病める。余計に肩が凝った。

郵便桶を覘くとザルツブルクからお知らせが来ていた。来年のプログラムである。大分ご無沙汰しているので、体制が変わったのか何が変わったのかは知らないが、そのプログラムをパラパラと見ると特に何らかの芸術性を感じなかった。ベルント・アロイス・ツィンマーマン作曲のディ・ゾルダーテンをヴィーナーフィルハモニカーが演奏しても特別な価値は無いと思うのだ。

ザルツブルクは遠く、同じような内容のものがバーデン・バーデンでベルリンの管弦楽団がオペラを演奏してくれればそれで十分である。一杯ビールを引っ掛けて帰ってこればよいのだ。

その意味では、ルツェルンは近いのだが、交響楽団を聞くならば価値はあるだろう。少なくともフェスティヴァル期間ならばフランクフルトとは異なる内容である。夜中飛ばせば、二時間半ぐらいで通える。

2013年にはバイロイトに行く予定にしているので、オペラなどにも少しづつ通おうとは思っているのだが、碌な芸術活動が歌芝居でなかなか経験できる訳ではなく、劇場空間の意味を改めて考えさせられるのである。

クリスマス二日目は、フォンバッサーマン・ヨルダン醸造所の2008年ホーヘンモルゲンを開けた。クリスマスらしい名前である。全開なのであるが、ステンレスらしさがあってデキャンタしても柵を超えてもう一つ広がらない。苦味のような後味は、まるでパイナップルに蔕がついているような趣である。内向きの2008年のペッヒシュタインの方が高級ワインとしては上質であったかもしれない。しかし、これはこれで、おおらかさとジューシーさがあるので、多くの皆さんが満足するだろう。それに簡単に残糖感などが出て崩れそうに無い。後二年ほどして完熟すれば谷も無いだろう。しかし大化けをすることも無いのである。経済的に余裕のある人は日本で一万円弱らしいので試してみても悪くは無いだろう。しかし、我々のようにそれ以上の付加価値を求める強欲な者からするとまだまだ物足りない。並々たる親方諸君を叱咤激励していくのが引き続きこれからの務めと思っている。グローセスゲヴェックスの間違いなく上の部類である。後を引く旨さである。苦旨である。

パンに切ったシュヴァールテンマーゲンを挟んで食べた。久しぶりに食すると美味い。やはり一汗流した後の朝食が美味いのである。とても単純なことなのである。



参照:
旨くない途轍もない将来性 2009-09-03 | 暦
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
自分へのご褒美にこのPfalzの名門の高品質の辛口Rieslingを購入しました。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
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by pfaelzerwein | 2011-12-28 04:03 | Trackback

Hop, Step by Step & Jump

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山から走り下りて、石灰の露岩へ向かう。ワインの地所ヘアゴットザッカー上部の二重十字架の立っている露岩である。コーヒーを飲み、乾いたシュトレーンを頬張り、隠し持って来ていた破れたクレッターシューを履く。通常の靴では細かい凹凸に立てなかったが、これであるとコケの間の岩肌に立てる。石灰岩特有の凹凸と手掛かりが容易で、課題としていた小さな庇から登った。これで殆どの課題は登り終えてしまった。それでも数少ない近所の石灰岩である。

帰宅後、シャワーを浴びて、フルーツパンなどを摘みながらの恒例の栗入りザウマーゲンのディナーの準備である。先ずは2008年産イエズイーテンガルテンを開けた。フォンブール醸造所のグランクリュである。この年の特徴の下品なまでの果実風味とふくよかな酸のお陰で全開である。栗の甘さに合うふくらみ感とそれでいながらの押しの強い黄色の果実風味が、しばしば表面に溢れる2008年の酢酸的な個性が、とてもバランスよく調和している。このワインをして文句のつけようは無いだろう。勿論このワインにボディー感や広がり感や複雑さを求めるのは間違いだろう。少なくとも最初の二年間の安定度は抜群であり、後は四年後ぐらいの本格的な熟成後の肯定的な加齢を希求したい。

しかし、フランスのグランクリュであるかのような安定感は、それがある程度保証されればそれはそれなりの価値があり、なにも偉大なリースリングだけがグローセスゲヴェックスでなくてもよいのである。実際に評価がこれ以上に難しいのが前日に開けたペッヒシュタインであった。瓶詰め当初から二年後の今までの安定振りも見事であるが、勿論上位の醸造所の偉大なグローセスゲヴェックスと比較することは出来ない。その差異は、玄武岩特有のミネラル風味の熟成の深みである。しかし少なくとも2007年産の時点ではバッサーマンヨルダンのグローセスゲヴェックスより良い。

弱点は、恐らく培養酵母の選択で、薄造りといえる基本的な味筋に変化も深みも無くて、その範疇で土壌感やミネラルを綺麗に出して、その一方で年毎に異なる果実の熟成を反映させているのである。もう少し丁寧な葡萄園管理と葡萄の手入れをすれば、更に立派な実りとなるのであるが、適当に収穫して尚且つ文句のつけようの無いリースリングを提供出来るのは如何に素晴らしい土地を所有しているかということでしかない。そうしたあらゆる点を評価して、フォン・ブール醸造所のグローセスゲヴェックスは、2007年産以降は間違いなく上の部類に含まれる。また分りやすいと言う意味で最も美味いグローセスゲヴェックスなのである - 食事にはこれで十分かもしれない。

バッハの待降節・クリスマスの三枚組みアルバムから三枚目のCDを鳴らす。クリスマスの二日目のために作曲されているBWV57「その人は幸いなり」の苦悩や死への憧憬の世界は17世紀の「ステファニウスの殉教」に源があるようだが、もはやこうなるとリヒャルト・ヴァークナーの世界にも近い。バッハの念入りな書法を指揮のヘルヴェッヘが殆ど躊躇いがちに音化している。

そして最も喜ばしい瞬間としてBWV「われらが口を笑いにて満たすべし」の導入合唱がある。これは周知のように管弦楽曲第四番ニ長調に手を加えたものであり、フランス舞曲のグラーヴの堂々感と共に優雅さもその内容として示している。一般的に経済性ゆえの自曲の流用が行われる転用であるが、ここでもマグニフィカート由来の「デュエット」と同様、なかなかどうして芸術的な転用である。それにしても最後のアレルヤの終局の合唱といえなんと渋いクリスマスカンタータだろうか。北ドイツのシュッツなどにまけない渋さである。

序に、件の管弦楽曲の音盤を回し比べした。カールリヒター指揮の1961年当時の録音を聞くとテムポも落ち着かず只荒っぽい印象しか受けない。踊れるものも踊れなくなる。カール・ミュンヒンガーの二つ目の録音はテムポは落ち着いていてフランス序曲らしいのだが、ここぞの時にはヴィブラートで流麗な音響と化してしまっている。極端なテムポ運びとして有名なアンティークケルンの録音が、古楽器奏法の恩恵で早くとも落ち着いていて、決して悪くはないのである。



参照:
玉も、胃腸もごろごろ 2009-09-07 | ワイン
土地の利を生かす者 2008-09-11 | 試飲百景
高度な抑制と認知の文化 2011-12-26 | 文化一般
気に入るということは 2011-12-21 | 料理
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by pfaelzerwein | 2011-12-26 23:47 | 文化一般 | Trackback

高度な抑制と認知の文化

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落ち着いたクリスマスイヴを過ごした。例年に以上に静かな夜を過ごした。例年通りホワイトクリスマスでもなく、物理的な静けさは変わらなかったのだが、静かだった。

なにもマーケットでテリーヌを購入して、それなりの食事にして、それに合わせたワインを開けたからでもないだろう。やはり明るい部屋の向こう側に横たわる漆喰の闇の彼方の原子力炉の熱を振動をどこかで感じて、想いが福島へと連なると、まさしくその今置かれている環境に覚醒するからだ。

バッハのクリスマスのカンタータは、そのものBWV91「イエス・キリストよ、汝は湛えられよ」でも短調に於いてこの世の環境を反映したクリスマスの意味を正しく描いている。同じようにBWV121「われらキリストをたたえまつる」に於いても短調で更に黙想を続けるのだ。そうした黙想の時であり、毎年のようにクリスマス消費に対して厳しい批判が巻き起こるところにクリスマスが存在するのである。馬小屋のその状況を思い起こさせるかのようにである。

黙想と追憶の一時、そして覚醒。バッハのカンタータについては十分な理解をもっていなかったが、流石に人生の半分近くをドイツで過ごすようになるとこうした高度なレトリックによる自己矛盾を内包する論争のプロテスタンティズムの華が身に纏わりつくようになる。BWV133「汝はわが喜び」、なんという高度な抑制と認知力の文化であろう。世界を牽引し続けるのが当然のプロテスタンティズムなのである。

蛸入道親爺に負けじと朝から今日は車も使って谷の上り口に立った。空荷で走ってみるためである。流石に最初の急坂は最後まで走り通せなかったが、5分走った後2分ほど歩いて、再び走り始めて合流路に15分着、そこから暫く走ってまた歩き29分で再び林道に出る。そこからが頂上斜面になるのだが、最後まで走って37分で到着。蛸入道親爺の28分には至らなかったが、大分短縮できる可能性が掴めた。下りも、8分歩き、細い走りにくい林間の小道を8分ほど走り続ける。登りに14分掛けた場所である。傾斜が緩いので10分ぐらいに4分以上は短縮は可能である。さて急坂は走り通すと10分掛かったので登りと5分しか違わない。要するにどんなに走ってもあまり短縮は出来ないのだろう。しかし、途中の見晴らしまでが下り4分なので登りに8分掛けた分をここで短縮できるだろう。つまり最初の急坂はどんなにがんばっても6分を切ることはないので、7分で登ったのは上出来だったのかもしれない。

先ず目指すのは、登り急坂8分、合流路まで4分、再林道まで10分、頂上斜面8分で〆て30分であろうか。下りは、6分、8分、4分、6分の〆て24分で、往復一時間以内で標高差500M弱を走り通せば十分である。距離は登りが4800歩、下りが3800歩ほどであるから、距離は八キロ弱ぐらいか。


追伸:昨晩イヴの晩にバイエルン州の各地で「ベツレヘムの星」形状の尾を引くUFOが目撃され煙が上がり、一部の共同体では消防などが緊急発進して落下物を捜索したようだ。原因は不明であるが、広範囲で目撃されたことからソユーズの落下など、なんらかの事実があったのは間違いなさそうである。



参照:
早くも秋の気配の夏休み 2011-07-22 | 暦
大掃除にはカール・リヒター? 2009-12-24 | マスメディア批評
伝統の体の一欠片 2006-12-22 | 音
地域性・新教・通俗性 2006-12-18 | 音
そこかしこで出会った親爺 2011-12-09 | 生活
そう言うことなのである 2011-11-21 | 暦
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by pfaelzerwein | 2011-12-25 23:50 | 文化一般 | Trackback

中共が辞さない宣戦布告

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昨晩のラジオが航空機排ガス税の話題を伝えていた。中共がそれに対して経済戦争宣戦布告も辞さないというのである。このEUの方針は、温暖化対策で宣言されているわけではなく、通商上の障壁としてガット違反に当たるという主張である。

しかし、EU市民にとってはこれは当然の処置であって、なるほど航空機からの排ガスの癌発生率などは十分に科学的な根拠も無く、更に温暖化などは科学的に不確かな原因しか分らないのであるが、EUとしての考え方を批判するEU市民などは有効な反対意見としては存在しないのである。

日本の航空会社なども危機感を持っているというが、それならば欧州に飛行機を飛ばさなければ良いのである。結局は利益優先の商売でしかないのである。そのようなことよりも市民の環境は市民にとってはなによりも大切なのである。

クライミングは今シーズンレギュラーの前半を終えた。来週は違う弱いパートナーと違う練習をする。既に十一回の回数券を使い果たした。もう十一回で何処までいくか?間違いなく筋力だけは強化されていて、それに伴うダイナミックな動きも身につき始めている。

遅い夜食を取って午前様でベットに入り、夜中に目が覚めた。もう一眠りして八時前にはマーケット広場で魚のテリーヌを購入した。四切れ二種類で7ユーロ超えである。それからパン屋で少しだけ買い物をして、肉屋に行って注文していたものを回収した。

それから地下のワイン倉に降りて物色した。2007年産と2008年産のグランクリュのどちらを開けるかが今年の悩みどころである。結局、2007年産ペッヒシュタインを漁獲類に、2008年産イエズイーテンガルテンをザウマーゲンに選んだ。双方ともフォン・ブール醸造所のものである。さて両方とも綺麗に開いていてくれるだろうか?前者が丁度瓶詰め後三年になるので若干不安であるが、この醸造所のものは香りが十分にあるうちに飲んでしまいたい。

バイロイトのヴァークナー生誕200年祭の準備に苦労しているとの話題がラジオで語られた。バイロイト市との関係や劇場に倉庫の場所が無いことなど危機的状況にあるようで、協力者が得られないので経済的に益々苦しくなってきているということである。少なくともティーレマン指揮の歌劇「リエンチ」は当然のことながら祝祭劇場ではなくてスポーツスタジオで上演されるのは決まったようだが、ヴァークナー生誕の祝祭の実現にはまだまだ紆余曲折があるようだ。



参照:
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by pfaelzerwein | 2011-12-25 03:21 | アウトドーア・環境 | Trackback

ニュートン物理に環境を知る

ケムブリッジ大学図書館がニュートンの膨大な論文類をネット公開することになった。始まったばかりだが、数ヶ月中に出揃うようで、自然科学に興味ある者には見逃せないサイトとなる。

その四千ページの分量だけでなく、その自然科学における意味合いを考えるだけで、途轍もない資料とも思われる。

姪から子孫へと引き継がれて、古巣であったケムブリッジに寄贈され、その他の錬金術や神学の書物とともに集められているのがこの図書館であるようだ。

特に、ニュートン力学の基礎を形成する過程での数学的な試行錯誤の過程を追うことで、もしくはその思考過程の背後を覗くことで、この天才学者というよりも、我々が日常過ごしている世界のその環境を少しでも分りやすく理解できるようになるかもしれない。

トリニティーカレッジでの幾何の細かく書かれたノートは、丁度ライプニッツの微分のノートを見るような感じで、比較的容易に内容が理解できる。

居ながらにして、こうした恩恵に与れるのも、正しく大きな意味で自然科学のお陰なのである。



参照:
Newton Papers,
College Notebook by Isaac Newton (Cambridge Digital Library)
蜘蛛の巣と云う創造物 2006-04-21 | BLOG研究
序 トロージャンの不思議 2005-03-17 | 数学・自然科学
ゴットフリード・W・ライプニッツ 2004-11-18 | 数学・自然科学
ヨハネス・ケプラーのワイン樽 2004-11-17 | 数学・自然科学
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by pfaelzerwein | 2011-12-23 21:08 | 数学・自然科学 | Trackback

「絆」に結ばれる日本の心情

夕刻のラジオSWR文化波が伝えていた、「今年の日本の文字は絆である」と。「冷温停止」でも、「福島」でもなく、「絆」が選ばれたのは日本人の絆の気持ちというのである。

いくつもの現地インタヴュー取材を交えた十分ほどの情報であったが、なるほどと思わせると同時に、「絆」は「連帯」ではないと直ぐに思いつくのである。

番組の中でも一般の人が語っていたように家族の絆とか親子とかそうしたところから、日本全体へと絆が広がるのが自慢らしいのである。

なるほど、これはヘーゲル教授でなくとも、そうした共同体の強いては国の成り立ちが、地縁血縁の集合として成り立っていることを包み隠さずに吐露していたと理解する。

朝鮮人の哀悼の様子を見るといつもぱんそりなどの朝鮮の伝統文化を思い出し、そこから日本の近松や演歌などの文化へと思いをめぐらすのであるが、朝鮮人のそれはあまりにも形式化された醒めた意識がどうしても浮かび上がってくるので ― 同じ儒教の影響があっても毛主席の死去のときの中華人の泣きには遥かに厳しい圧力があったと文革世代から聞いた ―、日本の絆というような危うい関係ではないような印象を強くする。

なるほどと書いたのも、そうした危うい日本人の心情も分らないではないのだが、実際にそうしたものが社会を動かしているとするととても興味が尽きない。まだ十分に読みきれていない、レヴィ・ストロースの「福島後の日本」の頁を開かなければいけない気にさせる現象である。



参照:
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
見識の無いパラダイムシフト 2011-08-23 | 文学・思想
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
広島・長崎を相対化する福島 2011-08-06 | 歴史・時事
セクシャルな「福島」文化の本質 2011-07-24 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2011-12-23 04:00 | 文化一般 | Trackback

筋力を上手に休ませる方法

腕がだるい。本日は早く切り上げないといけなかったので、クライミングを断念しようかと思っていたが、スポーツ医者が熱心で連れ出された。あれだけ時間にルーズな人間が時間通りにやってくるだけでもたいしたもので、結局二時間みっちりと登った。聞くところによると先方も体調は優れなかったようで、まさに自分自身も風引き症状かなと思ったのと似ていて、バイオウェザーの影響なのだろう。おかげですっきりした。

月曜日には雪のうっすら積もっている中を、9分、21分、35分の悪い経過タイムで走ったのだが、その疲れがたまっている感じもしていた。しかし実際にはなかなか調子は良くて、先週の金曜日に殆ど先が見えなかった6級プラスに可能性が見えてきた。可也アクロバティックな姿勢は要求されるが、一つ二つのトリックを見抜けば何とか登り切れそうである。

もう一つの初挑戦の6級プラスも一箇所だけが動きが分らないので、これも登り方を見つければ解決できそうである。

先週同様に全身を使い切ったが、オーヴァーハング帯を避けて技術志向に走ったので、集中して練習できた。偶々、仲間三人組に出会ったが、お相手している時間は無かった。もう少しこのように集まるようになると喜ばしい。

医者に言わせるとあまりに難しい課題ばかりだと体に厳しいというのだ。いつも力で強引に登りたがりそうにしているのに、急に何を言い出すのか理解できなかった。スポーツ医学的に緩急を付ける方が効果的なのは分るとして、どうも本人が本当にそれを望んでいるようにも思えないのである。ありえるのはお互いに張り合っているうちに、限界を超えてしまうということなのだろうか?

個人的には少々難易度を下げても人工壁においては十分に筋力等を使うので、登りながら筋力を休ませることは難しいと思っている。登れば登るほど筋力を使うように感じるからである。

BLOG「つきみそう」の記事「フットセラピー 3」を読んで、一部を実施した。どの課題も皆経験したことがあるだろうが、片足立ちの難しさを改めて感じて、あれだけ走りこんでいても、限度があることにも気がついた。更に目を瞑ると殆どカタストロフである。片足立ちで十分ぐらいは耐えてみたいのだが、五分も動かずに立っていることはとても難しいだろう。逆にそれが出来るようになると、バランスがよくなり、クライミングだけでなくてスキーも上手くなりそうだがどうだろうか。



参照:
とんでもなく腕力が強くても 2011-12-18 | 雑感
力の抜けない未知の領域 2011-12-15 | 生活
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by pfaelzerwein | 2011-12-22 09:19 | アウトドーア・環境 | Trackback