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索引 2012年2月


福袋CDエディション 2012-02-28 | 暦 TB0,COM0
反照の音楽ジャーナリズム 2012-02-27 | 音 TB0,COM2
屋根裏のジェットストリーム 2012-02-26 | テクニック TB0,COM4
空前絶後の収支決算 2012-02-25 | 歴史・時事 TB0,COM0
緑の趣味の原風景 2012-02-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
無知蒙昧の大鉈の前に 2012-02-23 | マスメディア批評 TB0,COM2
ダブリナーからの電子メール 2012-02-22 | 生活 TB0,COM0
教えたがり面倒くさがり 2012-02-21 | 生活 TB0,COM0
牛フィレの赤い香ばしさ 2012-02-20 | 料理 TB0,COM0
非被逮捕権まで剥奪 2012-02-19 | マスメディア批評 TB0,COM0
アウトドーアに必要な経験 2012-02-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
小出裕章の虚の権威 2012-02-16 | マスメディア批評 TB0,COM0
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理 TB0,COM2
高めるべきは経験値 2012-02-14 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
目前の時を越えた空間 2012-02-13 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
今年最後の氷瀑日和 2012-02-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
歴史的毛皮の争奪戦 2012-02-11 | 文化一般 TB0,COM0
犯罪行為のオール電化 2012-02-10 | 生活 TB0,COM0
利き腕の氷瀑モンスター 2012-02-09 | 雑感 TB0,COM0
滝場への冬の長い旅 2012-02-08 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
明治の叶わなかった正夢   2012-02-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
凍りも滴るいいおとこ 2012-02-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
冷え込んだ体が火照る 2012-02-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
上を向いて歩こうよ 2012-02-03 | 生活 TB0,COM0
熟成するから偉大なのか? 2012-02-02 | ワイン TB0,COM2
初雪で漸く冷えてきた 2012-02-01 | アウトドーア・環境 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2012-02-29 01:34 | INDEX | Trackback

福袋CDエディション

恒例のCD注文である。最初の四半期終了には一月あるが、来月末は復活祭であり、奉仕品に気に入ったものを見つけたときに発注しておいた。

BLOG「日々雑録 または 魔法の竪琴」でDHMの安売り盤を知っていたので、この独レーベル「ドイツェ・ハルモニア・ムンディ」の中で落穂拾いをする心算はあった。既に数枚程度は安売り商品を購入しているのだが、今回食指が動いたのはユングへーネル監督のカンテュス・ケルンのエディション十枚組みである。よく調べてそのうち二枚は廉価版としてすでに所有していた。

このメムバーの演奏では、バッハファミリーの小ホールでの演奏会の印象が最も強い。何と言っても言葉のアーティキュレーションの素晴らしさに、その小さな会場で息を呑んだのである。リュートの演奏家として、ルネ・ヤコブスとのアルモニア・ミュンディのアナログ録音などで馴染み深いが、合唱指導者としてもその実力を確認したのだった。

そして現在保有しているルッソーの一枚とモンテヴェルディのマドリガルの一枚は、必ずしもこのグループの独壇場などではないのだが、仏レーベル「アルモニア・ミュンディ」のブクステーデのそれは前述のバッハの演奏と同じほど素晴らしい。やはり、ドイツ語を歌わせるとこのアンサムブル以上のグループはなかなか見つからない。自然な息遣いと感情移入は母国語のそれと言う以上の芸術的な心情の発露なのだ。

そのようなことで、既に所有している上の十枚組みには含まれていないG・B・グアリーニ作品集もドイツ語の歌唱ではないが、今回のお目当てはそのものシュッツの作品集なのである。シュッツの作品では「白鳥の歌」をヒリヤードアンサムブルのもので昨年入手したが、それ以上の成果を期待しているのである。

その他もバッハ以前のドイツバロックの曲は必聴ものだ。ドイツ語歌唱でなくともモンテヴェルディの「夕べの祈り」などはガーディナーのLPしか所有していないので、利便性の高いCDで所有できるだけでも喜びである。

さて、目的である四半期ごとの自動車クラヴの6ユーロの割安券を使うためにはたとえ十枚組みでも18ユーロもしないのでは30ユーロを超えない。そこでフランスの小さなレーベルのいくつかを物色したのだが、ネット視聴してみて録音サウンドは良くとも演奏家の癖や曲目の価値を見ると若干購買意欲が失せた。

そこで同じエディションシリーズからフライブルクのバロックオーケストラの十枚組みを調べた。こちらの方は、バイロイトに登場したハーゲンブロック指揮のものが少なくないようであるが、それ以上に幾つかの興味深い曲を見つけた。未だにそれほど馴染みが多くないゼレンカの作曲のものもその筆頭で、その他テレマンやヘンデルなどの一部、またヴィヴァルディ、バッハにも未知の曲を見つけた。シュメルツァーなどもバッハがどのような作曲がであったかを知る上に欠かせない。額面を合わせる為に質より量で注文した福袋的な商品であるが、もしかすると大福が当たるかもしれない。楽しみである。

日曜日は、やっと標高516Mの頂上まで走り抜けた。所要時間は歩くのとそれほど変わらない37分であったが、体のあちこちに強い負荷を掛けた。最初の急坂を駆け上がっているときに膝の下部の下肢の筋肉と膝上部の脹脛下部に賦課を感じていたが、流石に堪えた。

更に下りの腕の振りから上腕から胸に掛けてと、下腕も十分に毛細血管が切れているようだ。そこにクライミングの後遺症である脱臼気味の右手首と左手中指の間接の違和感が加わる。しかし面白いように腰の若干の違和感を除けば殆ど他の箇所には問題を感じないのである。

先週スポーツ医が語っていたように意識なしに動く呼吸などとは丁度反対に、意識しなければ動かせない筋力などを運動を通して動かせるようになってきたような気がする。要するに運動能力運動調整力というものなのだろう。決して運動自体が必ずしも健康な行為ではなくとも、少なくとも自己の肉体に敏感に対話が出来るようになるとやはり有利に違いない。

登り16分、13分、8分、各々の箇所を降り11分、10分、6分であるから、其々降りの方が5分、3分、2分づつ早い。どこで時間を短縮できるかは皆目分らないが、負荷をあまり感じないように毎週繰り返せるようになれば可也の効果が出る筈である。逆にどんなに早くなっても27分掛かるのである。



参照:
旬の音楽を格安で発注する 2011-03-06 | 生活
手を出さずにおれない特典 2009-03-23 | 生活
復古調の嘆き節の野暮ったさ 2010-03-30 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2012-02-28 00:15 | | Trackback

反照の音楽ジャーナリズム

室内クライミングを終えて駅前のビアホールで食事をした。そこで、相棒が一週間の過ごし方として、クライミング、ランニング、タンゴ、ギターに加えて、癒しのために態々カールスルーヘまで通っていることを知って驚いた。

課題は真実の追求で、エゴを取り去ってと言うことなので、瞑想かと聞くとそれ以上だと答える。そこで、五年前ほどに取り上げた脳神経学者の話しをした。子供離れのためにクライミングをはじめたクリストフ・コッホ教授のことなのだが、紹介がてらに読み返してみると、厳格なカトリックの生い立ちなどの共通項をなんとなく想像させた。

一般的な日本人にとってはエゴを意識することの方がエゴから開放されるよりも先に解決しなければいけないのだが、カトリック社会の者にとっては、プロテスタント社会でのエゴとの葛藤・克己以上に、それは厄介なものなのかもしれない。

オーストリアの交響作家アントン・ブルックナーの最新の合衆国からの論文は、そうした19世紀終わりのヴィーンの社会環境からそうした文化的な背景を具体的に解析することで、その交響作品を読み取っているようである。

つまり当時の世紀末の環境とは、ホフマンスタール、ヨハン・シュトラウスらがシュニッツラー、クリムト、フロイト、ゼッセッションを含むモダーンの実験へと対峙しており、カルナップからヴィットゲンシュタインまで割拠した環境を指す。

こうした社会背景の中で音楽芸術の論壇を捉えるとシューマンの流れを汲んだ「反照の哲学のエリートのジャーナリズム」と、民主的に社会的に解放された社会層に啓蒙によって「自己の判断を齎すジャーナリズム」が存在した。

そうした枠組みの中で、音楽愛好家にも有名なハンスリックを筆頭とするグスタフ・デムーケら一派の反ヴァーグナーと、新古典主義のブラームスを叩く一派が対峙したことになる。

しかし現実にはブラームスもヴァーグナーも実際は同じ社会層に含まれていて、双方とも同じようにベートーヴェンの交響文化を継承しようとしたことには間違いなく、自由な市民社会の中で危うい対極化を示していたに過ぎないとする認識が表明される。

つまり、それは自由主義とそれに反対する陣営の中で生じたのではなく、その市民社会の中で生じた対極化であって、寧ろ、ドイツ的なプロテンスタティズムとハプスブルクのカトリズムの社会の中での現象とすることが出来る。

そこには、自由主義のスローガンとしての理性と啓蒙思想後の「資本主義の目的合理性」とマックス・ヴェーバーが呼んだ理性があり、一方にはそこで非合理的と考えられる危険な構造が、対峙することになるのである。

これで合点が行くように、正しくブルックナーの交響曲こそは非合理的で危険ですらあるからこそ、健全な市民社会への注意喚起がなされたと看做される。例えばその創作の中では最も理に適い無駄のない生前は唯一の成功作品であった第七番の交響曲の第二楽章にもその危険性を観る。

第二楽章のアダージョは、創作時期意図から楽匠リヒャルト・ヴァーグナーの逝去と重ねられるが、第二主題の提示へとの移行に於けるヴァーグナーチューバとホルンの不協和音の無重力な流れに ― 「酔っ払い」とデームケに処される ―、ハプスブルクの絶対性から浮遊して中世の神秘主義へのつまりヴァーグナーの狂気が自意識の非合理として捉えられる。それはハプスブルクの治世を軽視するばかりか、市民社会を危険に陥れると言うのだ。

勿論そうした経過の動きへは伏線が張られていて、また同様な例は他の交響曲に頻出してブルックナー愛好家には馴染みな現象であるかもしれないが、少なくとも対位法の教授の創作として、またその展開から、ブルックナーは無政府主義者であるとするのには異論がないだろう。

それゆえに、必ずしも美学的な視点からでなく、同時代の不愉快なフロイトの深層心理の分析への恐れが、オーストリアのブルジョア層や音楽批評のアイデンティティーに関する議論として、そこに投影されたのだとするのである。

それどころか、そうした背景にある危険性こそが、現在においてもアングロ・サクソンの文化圏ではグスタフ・マーラーの交響作品に比較して、全く受け入れられていないブルックナーの交響世界にあるとされる。

相棒のスポーツ医が早速メール受け取りの礼を返してきた。注意欠陥・多動性障害ADHS気味の人格であるだけに、それはそれなりに苦労があるのだろう。ドイツ語圏文化の少なくともルネッサンス以降の発展には、こうした躁鬱的な対極性と対極化による議論の発展が重要な役目を果たしたことは間違いなく、そうしたエゴと社会の関係から環境意識へとジャーナリズムとしての議論が止揚される。



参照:
Mit Dissonanz die Position des Kaisers unterminimiert?, Klaus Peter Richter, FAZ vom 15.2.2012
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
緑の趣味の原風景 2012-02-24 | アウトドーア・環境
復古調の嘆き節の野暮ったさ 2010-03-30 | 文化一般
ボルシェヴィストの鼻を折る 2009-08-12 | 文化一般
我が言葉を聞き給え 2007-02-09 | 音
生への懐疑の反照 2005-11-15 | 雑感
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
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by pfaelzerwein | 2012-02-27 07:55 | | Trackback

屋根裏のジェットストリーム

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初めて湯沸かし器を購入した。欧州ではそれが上手く機能することは知っていたのだが、ガスでやかんをかけて沸かす習慣が今まで抜けずに、電気コンロで沸かしていたのである。それどころか新しいケトルを購入したのは昨年のことだった。

電気消費を抑える出来る限りの方法として、また冬の篭り部屋での生活を考えて湯沸かし器を試してみたいと思っていたのだ。篭りの季節の終わりが見えてきた今になって漸く購入に相成った。

様々な商品をネットで調べて同じ商品をスーパーで見つけたりしながら、小型の瀟洒なものが欲しかったのである。そしてテーファル社の商品に決定した。同社の製品としてはアイロンに続いて二つ目である。

世界的に家庭電化をリードするブルゴーニュのSEBグループの一つのブランドで、その規模ではサンヨーを吸収したチンタオのハイヤー社などには到底及ばないが気の利いた商品を出している同グループのなかでも特色のある中核ブランドである。

量は、お茶を飲むだけなので一リッターも必要ないのと思ったのだが、現物をスーパーで見て外形の大きさなどで問題なく、少なめに沸かせば全く問題なく消費削減が出来ると考えた。

二三日使用した印象では、沸く速度も十分に速く、丁度適量が湧かせることも確認できて満足している。2400Wの消費も時間を掛け合わせればコンロと比べて可也低くなるだろう。欠点としてアマゾンなどに挙げられていた、沸かすときのアダプター上での重心の高さと不安程度は、子供のいる家庭では返品ものであるが、通常に使っていてひっくり返るようなものではない。寧ろ、沸いたら直ちにアダプターから外して机の上などに置き換えることで安定しているので、周りもそれほど熱くならずに使いやすく安全である。煩わしさが皆無である。

ただし沸かすときの激しいジェットストリーム音で強烈で、まるでB737キャビンでのエンジンへと送られる燃料菅系の激しい轟音を想起させるのである。まさに離陸直前になると自動的にスイッチが切れてお湯が沸きあがる。

しかし、注ぎ口から蒸気が吹き上がる様子が確認できないので、正しく上の音の発生するメカニズムが発熱体とそのお湯の対流の加減から得られたものであることが推測されるのである。当然のことながら暴れ狂う水が口から飛び出してくるようなけれんも無い。

同様に注ぎ口から尻漏れする気配も全く無くて、流体を把握したエンジニアリングと見た。ドイツのエンジニアーならば、重心の安定と蒸気の処理などを考えて、中庸な商品となるところだろうが、やはり目的を貫くフランス人の思考回路は異なるのである。

そのように如何にもフランスらしい商品で、そこに魅力がある。なるほど同じような商品は半分ほどの価格の20ユーロほどでも購入できるが、機能的にも抜かりなく、湯沸しにも文化性を感じさせてくれるこうした商品はやはり購入した満足度が高いのである。SEBグループの世界的な高評価を裏切らない製品である。



参照:
ブルゴーニュ風味付けのアイロン 2010-04-02 | 雑感
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2012-02-26 04:11 | テクニック | Trackback

空前絶後の収支決算

車中のラジオが報じていた。BASFが空前絶後の収益を上げたと。ユーロ安の輸出攻勢、拠点中国の成長に加えて、フクシマ後の化石燃料の消費増加が自らロシアから取ってくるそれの売り上げを上げて、中間製品を作り出す原料費の値上がり影響とはなっていないことで ― 化学会社の基本原料は石油である、一・四半世紀以上の歴史の中で最高の売り上げとなったようである。

株主には一株2.70ユーロの配当と、それに加えて全従業員への割り増しのボーナスが計上されている。遺伝子工学部門の国内での停止と米国への移転の費用などはもはや腹に堪えないという様子で、とっても景気の良い話である。

それどころかポリメイドの新プラントを本拠地に3000億円以上かけて新設するようで、200人以上の新規雇用が生まれる。もはやジリ貧かと思った本社工場であるが、分らないものである。

我々地元にとっても景気の良い話が続くだろう。しかし大儲けをしたのはBASFだけでなくて、VWなども大増収で、ドイツ連邦共和国の自然増収は十分な額となるのであろう。健全な財政があってこそ効きの良いダイナミックな経済政策が行えるのである。もちろん我々にとってはインフレ懸念の物価が心配である。無駄な消費を削り、倹約あるのみ。

ここ数日の燃料の高騰は激しく、やっと落ち着いてきたようであるが、その他にも季節柄か野菜などは高騰していて、直接の家計の増収が無い家庭はそれなりに堪える。やはり健全財政とインフレ政策が国民経済の基本であろう。

最高気温が二桁へと上昇して春の疲れが皆に出てきているようである。特に我々は水曜日の疲れが残っていて、調子は悪かったのだがぼちぼち登りだしているうちに、最高の能力に近いものが引き出せた。個人的には若干腹具合が悪く、天候から食欲も落ちて絶食気味にしているので、上手い具合に体重が落ちてきているのかもしれない。良いチャンスなので四旬節の絶食を本格的にしようかと考えている。大変良いダイエットのチャンスである。

どうも体重が少し落ちるだけでオーヴァーハングの傾斜があまり感じなくなってくるようで、本格的な走り込みを始めれば、漸くプラトー状態を抜け出せるようになるかもしれない。シーズン始めの目標に到達する可能性が出てきた。



参照:
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境
欧州の環境に従う経済博士 2012-01-18 | アウトドーア・環境
文化的な企業家の歴史 2012-01-03 | 文化一般
今も現役の襤褸着について 2011-01-23 | 文化一般
バソニール染料の色眼鏡 2010-12-30 | 雑感
待降節の漣のような忙備録 2010-12-18 | 暦
なんだかんだいってもはじまらない 2010-03-10 | 文化一般
なにもかもが安物臭い経団連 2010-01-24 | 文化一般
怠け者は旨い汁を吸わない 2009-08-29 | マスメディア批評
Fast In, Fast Out! 2009-06-08 | ワイン
押し寄せる不景気の煙 2008-11-21 | 雑感
冗談じゃない共産主義者 2008-09-20 | 歴史・時事
虹の立ち上るところ 2007-07-02 | 暦
解体への胸突き八丁 2007-06-28 | アウトドーア・環境
俺のものは俺のもの 2006-05-26 | 歴史・時事
ニューオリンズを聞いたボブ 2005-09-06 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2012-02-25 08:54 | 歴史・時事 | Trackback

緑の趣味の原風景

「マスダ名曲堂」のキーワードで過去記事に訪問があった。どうした事情かと思って調べてみると、村上春樹がそこの顧客としての思い出を漏らしているからのようである。我々そこの顧客として増田豊太郎の思い出を持つ者としてはこうした言及はとても嬉しく、それは思い出を共有しているという意識以上に、故人が繰り返して語っていた存在意義をそこに見出して確認する喜びからなのである。

個人的な感興とは別に、該当の過去記事でも触れた故人の「緑の思想」とでも呼べる日曜画家としての「趣味」のそれは、今でもしばしば考えさせられる文化芸術的な視点なのである。

実は改めて纏めて紹介しようとしているブルックナーの交響曲の捕らえ方に関する最新の論文と、この鳴らない交響作家への故人の否定的な視点とも、それがどこかで関連するようで面白いと感じた。

それとは別に、先日触れた原風景と呼べるような神戸のアルムの風景もこうした現存しない風景への憧憬とか記憶として表れるようで、先日通ったシュヴァルツヴァルトの風景にも感じるものがそこにあるようだ。同じような体験は1970年代のソウルからブサンに迫るセマウル号の車窓の風景にも感じたものであり、どこでどのようにそうした印象の記憶が繋がるのかとても不思議に感じている。

改めて増田豊太郎の絵を眺めると、松の枝がシンメトリーを乱す松陰へと、緑のカーペットが前景から後景へと導くのである。当時絵葉書状の複製を見せられて、ご本人からその前景へと喚起が促された記憶が読み返ってきた。花崗岩の赤みが勝った明るい土壌に生える雑草はアルムであり、神戸の原風景だったかもしれない。そのような草原の風景は、日本では芝生ぐらいでしか経験したことが無かったので、余計にその意味合いが分らなかった。

増田豊太郎をクラシック音楽愛好の師と仰ぐ者は少ないかもしれないが、同好の士としてなんとも懐かしく憧憬に満ちた風景を、故人の存在に描く者は少なくないであろう。彼らは、必ずしもあの店構えのように全く人を拒絶するような閉ざされた世界の住人ではなかったのだが、その実なかなか同好のエリートとしての顧客層であったのだ。増田が繰りかえした「学級で一人二人しかいない」選別されたエリート意識とは全く異なる教養のあり方の原風景の記憶をそこに見出す選ばれた人達なのであった。



参照:
マスダ名曲堂のこと (Langsamer Satz
村上春樹を読む。、宮脇 俊文 (Amazon.co.jp)
松陰の記憶のカーペット 2008-02-17 | BLOG研究
明治の叶わなかった正夢 2012-02-07 | アウトドーア・環境
目前の時を越えた空間 2012-02-13 | アウトドーア・環境
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2012-02-24 00:15 | アウトドーア・環境 | Trackback

無知蒙昧の大鉈の前に

SWRのバーデン・バーデン、フライブルクの交響楽団は日本ツアーを成功裏に執り行っているという。その一方、シュツッツガルトの放送交響楽団とともに縮小合併の計画がコンサルタント会社からアドヴァイスされたようで計画に上っている。

もともと二つの放送局であった南ドイツ放送SDRと南西ドイツ放送SWFの二つが合併して南西ドイツ放送SWRとなったときから、各々の放送交響楽団の二つの組織の扱いが問題になっていたことは当然であり、只二つを一つにして仕事の度にヴュルテンブルクのシュツッツガルトへとバーデンのフライブルクへを移動させる経費が大きいので別個に考えられていたに過ぎない。

当然ながら二つの放送交響楽団の個性は全く異なり、歴史も違うので吸収合併などと簡単に考えるような野蛮なことはなされなかった。シュツッツガルトの方は大都市であり経済力もあるが、フライブルクやバーデン・バーデンはそもそも経済基盤が弱いことから様々な方策が練られていたのであった。

特にフライブルクでは立派な近代的なコンサートホールが完成して、そこを本拠とする上の楽団がバーデン・バーデンから本拠地を半分移したことで、将来を見据えることになったのである。

しかし、そもそもドイツの放送交響楽団の存在理由が、戦前から存続するフランクフルトのそれなどを含めて、戦前のクラシックの放送録音の録り直しとナチによって無視された楽曲の紹介、そして最新の現代音楽の演奏が三大柱となっているのである。

その点から、ハンス・ロスバウト、エルネスト・ブール、ミヒャエル・ギーレン、シルヴァン・カムブレランらに率いられて、毎年秋にはシュヴァルツヴァルトの山の上のドナウの源流であるドナウエッシンゲンでの音楽祭にて初演を繰り広げてきたその交響楽団は、上の二つの任務を誰よりも遂行してきたのである。

そもそも上の一つ目の任務は、もはやありとあらゆるクラシックの録音が殆ど無料のような価格で流されている、今日では歴史を終えている。ゆえに寧ろカール・ベームやチェルビダッケ、ショルティ、ジュリーニなどの錚々たる名指揮者が名演奏を残したシュツッツガルトの交響楽団の方が存続意味は小さい。

しかし、同時に交響音楽文化を考えるとこうした統合縮小の動きは、専門性の高い手術にも似ていて決して素人が牛刀で大鉈を振るってはいけないのである。そもそも第三点の現代交響音楽の初演などがどれだけ文化的な意味があるかなども専門的に考察していかなければいけない。

一方こうした公共事業の経費削減の大前提は ― ドイツの公共放送はPCからも徴収される視聴料で運営されていて公共社会性が高い ―、商業的に採算が合うものは自由市場の淘汰に任せ、決して商業的に成立しないものだけに集中して公共資金をつぎ込むことでしかないのである。

現在挙がっている案は、二つを百人以上のフルオーケストラを一つに合弁するのと、二つの八十人規模の二つの中規模のオーケストラに削減する案である。前者では移動経費が嵩み、後者ではマーラーやシュトラウス、メシアンなどはエキストラ無しには演奏できないことになる。

シュトッツガルトの交響楽団も様々な名指揮者で名演を聞いてきたが、弦楽部門を残して小編成にしてもあまり実力には影響しないであろう。そもそも大編成で圧倒的な実力を示す放送交響楽団はドイツには存在しない。

バーデン・バーデン、フライブルクの方もコンサートマイスターをやめた者などにも話を聞いたことがあるが、なるほど独自の伝統を築いてきたがその核さえ存在すればよいのであり、また管楽器などは特殊編成になると優秀なエキストラを招集する方がよい場合も数々あって、そもそも新しいフォーマットで固定メンバーを揃えることなどは無駄なのである。

両方では大きく意味が異なるが、弦楽陣を核とした基本フォーメーションに準メンバーを中心としたエキストラグループを形成することで、その芸術的な格を落とすことなくより自由度に富んだ交響管弦楽団を運営することは不可能ではないだろう。

大阪では二つ目の管弦楽団がジリ貧になっているようだが、文化もなにも分らない無知蒙昧な政治家に大鉈を振り回させる前に、文化的な人種が活発な議論で自己啓蒙と共に革新していかなければいけないのである。聴衆の知識人が楽師さんのユニオンと一緒になって運動しても一向に文化的とはならないのである。



参照:
Rettet eure Rundfunksinfoniker! , Gerhard Rohde, FAZ vom 21.02.2012
袋が香を薫ずる前に 2005-07-14 | 文化一般
近代終焉交響楽 2005-06-17 | 文化一般
綾織の言葉の響き 2005-04-12 | 音
伝統文化と将来展望 2004-11-13 | 文化一般 2005-07-14 | 文化一般
煙に捲かれる地方行政 2006-12-12 | 生活
塀の中に零れる泡銭文化 2008-11-23 | マスメディア批評
四角い大きな子供っぽい男 2009-09-17 | 文化一般
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
様々な集客法の研究 2011-12-16 | 文化一般
文化的な企業家の歴史 2012-01-03 | 文化一般
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評
社会性の高い放送文化とは 2009-12-10 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2012-02-22 22:59 | マスメディア批評 | Trackback

ダブリナーからの電子メール

時々知らない人からメールを受け取る。今日はホームページ経由らしかった。IPアドレスを調べるとアイルランドのダブリンからのようだった。

名前を見るとフランス人かなと思ったのだがアイルランド人である。ダブリンに出かけたこともなく話を聞いているだけで友人もいないので苗字もなかなか浮かばないのだ。

用件からしてダダイズムに関心のある研究家か愛好家のようだが、書き出しがI am thrilledとなっていて、後で振り返ってみるとやはりネーティーヴスピーカーなのだなと理解した。こうした英文メールの多くは北米から来ることが多いのだが、欧州内の数少ない英語圏からであったのだ。

役立つように更にドイツ内のHPアドレスを張って直ぐに返事をしておいた。YAHOOが入っていないメールアドレスなのだがYAHOO経由でメール発信のようで、国によって様々なプロバイダー組織などがあるのだなと感じる。

そのようにメールを回答しているうちに、煮ていたジャガイモと大根が焦げ付いてしまった。それを鶏がらのスープで煮て食したら胸が焼けた、仕方ない。

アイルランドもEU圏のようである。つまり何かと便利なのである。フェースブックなど様々な未知の人とのコンタクト機会が増えているが、やはりこうして態々メールをよこしてくれるその行為や行為者の意識を想像するだけでも面白い。ジェームス・ジョイスを今読むとというような按配である。少々無理をしてでも共同体を保持しようとする動機付けはそうしたところにあるのかもしれない。ダブリンで朝食後に出したメールに昼飯前には回答として送られてくる。そうした日常なのである。



参照:
想像力を働かせろ! 2008-07-07 | 文学・思想
出世払いが利いた発展途上 2010-02-19 | 雑感
メールを待ちながら 2006-03-08 | 文学・思想
ヘンデルの収支決算 2005-03-20 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2012-02-22 06:34 | 生活 | Trackback

教えたがり面倒くさがり

世の中教えたがりは数多い。誰でも苦労して覚えた物事には一家言持っていてつい一言を発してしまうのが普通で、面倒がられても指導をしてしまうものである。

その人が意識していることを察するのも楽しく、なにをどのように解決しようとしているかを想像するのは必ずしも悪趣味ではなく、醍醐味ですらある。

しかし、ありきたりの手順や決まりきった工程を態々教えるには、忍耐強い精神すら必要である。そのようなことでそのような手ほどきをするのも面倒で、根気が続かない自分を知っているからこそ、幼少時代からそうした立場に就くことを避けてきたのであった。

それでも世の中巧く出来ているもので、そうした指導をすることを厭わないできた人も数多い。その背景には権威を持ちたいとか誇示したいとか言う助平な心があるのは確かであるが、やはり頭が下がるのである。

少なくともそうした権威如きを嫌う身からすれば、そのための忍耐力も根気も無く、同様に仮に子育てなどといっても可也異なった方向に進んでしまうに違いないのである。

連邦共和国の大統領にはそうした権威は求められないが、自由党の脅しでメルケル首相がガウク氏を推挙することになり、ラジオでは人気と人格についても議論がなされていた。さまざまな意見があるに違いないが少なくとも教養人であることは文化国である限り最低は求められる資質に違いない。知識人としてローマン・ヘルツューク元大統領は別格に違いないが、少なくとも最低の教養がなければやはり文明国の元首を引き受けるべきではないであろう。

日曜日の朝は起きるのも辛かった。しかし意を決して走りに出かけた。とても足などが苦しく、先週来の気管支炎気味の呼吸器にも堪えた。それでも途中経過9分、そして15分超えでなんとか緑のベンチついて、頂上まで上がるのを断念した。足のふら付きで下りに自信がなかったからである。下りは12分で無事降りてきた。

早めに帰宅後リースリングのニコゴリに昨晩あけたラインガウのバイケンを飲んだ。2008年産のエルステゲヴェックスにならなかったワインであるが、結構強さがあり、まだまだ完熟には至ってなかった。その分、押しが強く、青い麦わら味なども素晴らしかったが、結構疲れた体に良いが回った。

そして月曜日は、昨日の疲れがはじめて太ももに来た。どうも坂を上るときに膝が上がるようになったのだろうか?下肢よりも上肢に痛みが来るようになったのでなにか変化が表れるだろうか。少なくとも頂上まで無理して走らなかったのは正解であった。



参照:
非被逮捕権まで剥奪 2012-02-19 | マスメディア批評
疲労困憊した朝飯前の一万歩 2010-08-29 | 料理
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by pfaelzerwein | 2012-02-21 15:47 | 生活 | Trackback

牛フィレの赤い香ばしさ

木曜日にフィレステーキを食した。偶々肉屋に最後の一切れが残っていたので購入したのだ。平素は価格も高めで量を食べられないことからフィレを買うことは少ないのだが、その晩は少なく良質のものを食したかったのである。

ワインはピノノワールを考えていた。選んだのは2007年産クリストマン醸造所のシュペートブルグンダーSCである。これはカペーレンベルクなどのギメルデリンゲンのマンデルガルテン上部の土地のものでデリケートな味筋のものである。

2007年産を選んだのは、並ぶ2003年産や2005年産よりも前に開けてしまいたい年度であり、上位のオェールベルクの前に試したかったものである。要するに薄造りのピノノワールなのでそろそろと思ったのである。

2007年産は良年のうちには入るが、どちらかと言えば獣臭や毛皮臭が特徴で森の獣肉以外には合わせにくい。しかし、このSCはやさしいのでフィレに開けたのである。

結果は予想以上にハーブ香などに変わっていて完全に飲み頃となっていた。それを示すかのようにグラスの縁の色はかなり落ちてしまっていて、正しく空け時だったのである。

牛肉の方は、両面をさっとバターで焦がして、昨年に南フランスから持ち帰ったロズマリンの枝に乗せてオーヴンでホイル焼きにしたのである。これまた大変香ばしく、繊細なピノノワールにベストマッチであった。

最近は飲み代が無いので飲む量を減らしているが、食事とそのワインの質では可也のレヴェルアップが感じられる。それだけ厳選したワインを適時に購入して寝かしていると言うことになる。正しく最大の贅沢は、金銭の額ではなく、ゆとり感であるのだ。因みにフィレは、100グラムほどで6ユーロほどであった。



参照:
肉屋では歯が良いと嘯く 2009-07-12 | 女
液の滴る贅沢な晩餐 2008-09-08 | 料理
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by pfaelzerwein | 2012-02-20 01:30 | 料理 | Trackback