<   2012年 04月 ( 25 )   > この月の画像一覧

ポストプライヴァシーの良識

海賊党の大会が週末に無事終わったようだ。注目されていた代表選挙には、反極右を明確に掲げた41歳のベルント・シュレーマーが選ばれた。それはなにもイデオロギーとしての方向を示すものではなくて社会学的な見地からも興味深い現象かもしれない。

問題となった26歳の前任者ネルツのボトムアップからの大船に乗るような優柔不断の態度は、勿論カテリーナ女帝を手本とするメルケル首相の為政者の立場ならば政治力学の物理学的考慮として十分に力を発揮するのだが、なんら党是も決まらないような2009年に二千人から一万人へと拡大してそして今回は三万人へと党員規模の拡大した政治的影響力のある公党としては受け入れられるものではなかったであろう。

それでも党大会に訪れた僅か1500人の党員は同じ権利で同じように演説してその旨を党員に問う直接民主制をなんら混乱なく遂行したのは前回のビンゲンの大会における混乱とは一線を隔していたようである。アウシュヴィッツ修正主義者の立候補には明確にレッドカードが掲げられてと、ある意味連邦共和国の戦後教育の成果がそこに表れているとしても良いかもしれない。

しかし、そうだろうか?なるほど反国家主義教育は教育の根幹であったかもしれないが、反ユダヤ主義や外国人排斥も必ずしもタブーではなくなってから大分経っている。むしろ一昨年の連邦銀行副総裁の書籍がベストセラーとなったようにそうした考え方に確かな根拠や言い分が存在することを多くが認めており、完全にそうしたタブーから開放されている。

それゆえに、こうしたヴァーチァル世代の良識をそこに見出せるのではないだろう。恐らくそれはネットの威力であり、なにも自国やEUからの視点だけでなく全方位な視野を居ながらにして見せてくれるヴァーチァルの利点でもあろう。

専門店の政党であるべきか百貨店へと進むべきかの議論もあったようだが、それ以上に既成政党とは違う政党を堅持することで、こうした一般良識を政治へと反映させる政治結社としての価値が生じる可能性もあるのではなかろうか?要するに政治は、一般良識では御せない政治力学の中でのプロフェッショナルな領域と見做されてきたが、メルケル首相ではないがネットのオピニオンを上手に吸い上げて纏めていくことで直接民主主義に近い政治も出来るかもしれないという希望も生まれる。

ポスト・プライヴァシーもしくはスパッケリア政治つまりプライヴァシー無き社会を目指した社会作りは決して過半数の支持を得ないとする考え方がある。所謂ヌーディズム運動とこれを置き換えれば分りやすいのであるが、ヌーディズムの醍醐味の開放感と平等意識はその反対の所有やその隠蔽への誘惑と相反するものであり、なんら隠し事がないことへの開放感は隠し事をすることが前提となっている。ゆえに主従を考えれば過半数とはならないということなのだろう。これは同性愛運動が過半数を超えることがないのと同じであろう。

その一方で、シュレーマー新代表は外交政策として国際的な海賊党のネット作りなどを考えているようで、政治結社として各地で定着すれば、所謂無党派層という大きな割合を海賊党が世界中で占めるようになるかもしれない。要するに一般社会市民の良識の党なのである。環境なんて専門家のものでアルゴリズムのように抽象的なものだとする一般良識とは、既成の構造や観念を打ち破るスパッケリア結社となるのだろう。



参照:
Schlömer neuer Vorsitzender der Piratenpartei,
Angebot zum Andersein,
Strurktur statt Spielerei, Marie Katharina Wagner,
Der aufhaltsame Aufstieg einer Partei, FAZ vom 30.4.2012
Wahlkampf einer digitalen Seele, Melanie Mühl, FAZ vom 27.4.2012
降臨の気配に天国作戦 2007-12-29 | 雑感
立ち入り放題のユートピア 2005-04-22 | アウトドーア・環境
民主性が問われる勃興政党 2012-04-24 | マスメディア批評
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-30 23:43 | 文学・思想 | Trackback

索引 2012年4月


とても小さい万単位の需要 2012-04-30 | 女 TB0,COM0
攻撃的な身体にしたのよ 2012-04-29 | 生活 TB0,COM0
見捨てられた市民の義務? 2012-04-27 | マスメディア批評 TB0,COM0
ドイツの疑心暗鬼と恐怖心2012-04-26 | アウトドーア・環境
長い道程も先ず経済性から 2012-04-25 | 歴史・時事 TB0,COM0
民主性が問われる勃興政党 2012-04-24 | マスメディア批評
鰻上りの高品質を堪能 2012-04-23 | 料理 TB0,COM6
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般 TB0,COM0
お運びから学んだ治療法 2012-04-21 | 生活 TB0,COM0
小細工では動かない大波 2012-04-20 | 雑感 TB0,COM0
聖霊降臨祭のミサは如何に 2012-04-19 | 音 TB0,COM0
今年だけの薄切りの春 2012-04-18 | 料理 TB0,COM2
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般 TB0,COM0
権利と死の義務の日本人 2012-04-16 | マスメディア批評 TB0,COM0
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活 TB0,COM3
ホップステップ蛙飛び 2012-04-14 | 料理 TB0,COM0
911の創造者の死を受けて 2012-04-13 | 暦 TB0,COM2
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事 TB0,COM2
破局に通じる原発銀座の道 2012-04-11 | 文化一般 TB0,COM0
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般 TB0,COM0
地中海の海岸に遊ぶ 2012-04-09 | アウトドーア・環境TB0,COM2
原発銀座の四つの水蒸気塔 2012-04-08 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
間違いやすい外国語 2012-04-05 | 生活 TB0,COM0
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般 TB0,COM0
付け焼刃のフランス語学習 2012-04-03 | 文化一般 TB0,COM2
花冷えから新緑の季節へ 2012-04-02 | 暦 TB0,COM0

[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-30 17:56 | INDEX | Trackback

とても小さい万単位の需要

日本からのバイヤーがフランクフルトの博覧会「テンデンス」で再生資材の商品を見つけた話が紹介されている。フクシマ以降、日本では再生可能の持続性のある広義のエコ商品が求められていることから、メードインジャーマニーのエコ製品であるケルシュティン・ランク作で展示していた救命胴衣を廃物利用し縫い込んだ手提げバックに注文が入った。

それは、広告デザイナーであったバイロイトに住む女史が、近隣に住む経験豊かな縫い子ボッヒング夫人の才能を借りて完成した手提げ袋である。その手縫いの技にその商品の成功があって、またブリティッシュエアーウェーズと材料となる廃棄処分の胴衣の入手契約を結ぶことも大変だったようだ。航空会社にとっては廃棄料金が必要な備品を売ることが出来るのは大変喜ばしいことなのだが、そうしたものが故意にアフリカの航空会社などに流されて再生利用されることを恐れるから慎重なのである。こうした廃棄処理されたものがどこかに流れることが数限りなく存在する。

IKEAの製品の材料がロシアの切り株から作られているのが明らかになろうとも顧客が逃げないのと同じように、エコのアイデアを表に出すことで新たな市場が開かれた好例であろう。

さて、日本人との契約であるが、最大のネックとなったのは昨年は2000個の商品を仕上げて販売したのだが今年は更に需要が上回るところで、日本人は万単位の個数の供給を最低条件としてきた。こうした事象はありとあらゆる欧州製ブランドの日本への供給時には起こることで、これをクリアーすることで大きな商売となる。それは製作者にとってもそうであり、扱う販売者にとっても同様であり、市場という意味では当然の成り行きである。

その一方、大きなグローバルな市場を目指して必ずしも大量消費品でないものを大量に供給するとなると、当然のことながら欧州での高級品は大量商品としてその内実をどこかで摩り替えてしまわなければいけない。それは自動車などでももはや大衆消費品はドイツでは生産されていないのと同じことである。

今回の場合は、ルーマニアの安いお針子を使ってなんとか供給体制を整えたようで、更にその輸送のエネルギー消費とガスの放出を抑えるために、往復しているトラックに便乗して製品を載せることにしたようである。そうやって、持続性のある社会のための製品のコンセプトを変えることなく日本へも供給できるようになったということである。

日本市場へのこうした動きはここ40年ほど全く変わらなかったのだが、その規模とは比較できない中国市場が出来たことから、もはやそうした応急処置的な供給体制では多くの欧州ブランドは対応できなくなってきており、出来る限りどうせ品質などの分らない俗物の中国人の消費のためには中国国内での生産をそれに充てて、日本へもそれをお裾分けのように配給するのがここ十年ほどに通常化した配給事情であろう。



参照:
Ehrensache, Melanie Mühl, FAZ vom 21.4.2012
相変わらずの分かりにくさ~フランク・パスカル サジェス NV (ワイン大好き~ラブワインな日々~
ほどほどのボディーのKernerです。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
架空のクラフトマンシップ 2005-01-13 | テクニック
政治的棲み分けの土壌 2005-09-22 | アウトドーア・環境
化け物葡萄の工業発酵 2005-12-23 | ワイン
剰余商品価値の継承 2006-05-05 | BLOG研究
減反政策と希少価値 2006-05-18 | ワイン
三年振り新調のジーンズ 2006-12-29 | 生活
緑のシンプルライフ推奨 2007-03-04 | 女
モデュール構成の二百年 2008-01-19 | 文化一般
量から質向上への経済 2008-12-23 | マスメディア批評
天を仰ぐ山寨からの風景 2009-01-12 | 文化一般
オペルなんかどうでも良い 2009-03-07 | 歴史・時事
ハンブルク娘のカムバック 2009-03-21 | 女
友達の道具を使い続ける 2009-07-01 | 雑感
実験資材の激しいバラつき 2010-11-16 | テクニック
屋根裏のジェットストリーム 2012-02-26 | テクニック
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-29 23:13 | | Trackback

攻撃的な身体にしたのよ

金曜日は南仏から返ってきてはじめて石切り場で登った。乾燥しておらずソールが左右で違う靴で登ったのでとても不安に感じたが、それはそれなりに得ることがあった。やはり難しいところを登りつけるようになっている自信だろうか。以前は指が攣るように感じた場所も余裕を持って対処できるのは有り難い。暫く運動不足気味とは言いながら、体重と筋肉のバランスが良くなって来ているのだろう。

最後に新しい靴で今まで遣りたくても手をつけられなかった箇所をトップロープで処した。核心部の二箇所を登り直す必要があったがなんとかなることが分った。大抵のところは受験の試験と同じで難しさが分れば回答も殆ど準備されているようなもので、何が出来れば綺麗に登れるようになるかも確認した。そこまで行けば遠くないうちに克服出来るに違いない。

ファイヴテンのアナサジのヴェルトは素晴らしい靴である。早く南プファルツの奇岩で試してみたい。兎に角立ち込めるのが嬉しくて、靴を履き替えたとたんに体に力が漲るような感じすら覚える。垂壁にはこれ以上ない靴で、金曜日に試した場所も左右に小さな突起に突っ張ることも容易で、体を少しづつ摺り上げるような動作にも向いている。困難度七級もしくは6bを超えるような垂壁ではもはや手掛かりを下に容易に加重できるような場所は殆ど無いので、如何にあらゆる方向への手掛かりを使って体を引き上げていくかは、様々な足がかりの加重方向を巧く使うかに掛かっているのである。

翌日は独日協会でのハイキングをして、日本にいる妹さんが伊豆などで岩登りをしていると言う人に、「三点支持」などの懐かしい言葉を聞いた。基本中の基本であるが、あれはやはり三点でしっかりと体が支えられると言う基本で、三点で支えられない限り次への移動も無い訳である。南仏で課題となって登れなかったのはまさにそうした場所で、四点でなんとか支えられてもそこから動けなかったのである。要するに三点支持でバランスがどうしても取れなかった。そうした状況は縦の手がかりなどを使って横方向への加重が絡んでいる場合が多いであろう。ダイナミックに蛙跳びをするか、両足でバランスを取る技術を強化するかだろう。解決策はまだ見つからない。金曜の課題も一箇所は完全に縦長の三本指先の浅い手掛かりの使いこなしが二つ目の核心であった。そこに至る下から上への手掛かりは手首の故障を感じさせないぐらいに上手に使えた。

さて、そのお姉さんは私を評して「お元気ですね?」と言うから、私は「それは還暦の退職者への評し方と違う?」と反応したら、「それなら、ガンガン行く感じ」と言われた ― バリバリでないのが味噌。それは最近の筋力増強に基づくホルモン増強か喧嘩腰の態度ゆえか日頃から身の回りで揉め事が絶えない状況を良く示している。どうしてこうも攻撃的な身体になってしまったのか?

温度が高く、残念ながら熱中症を出してしまった。特に危ない可能性が高いと思った人には注意を喚起していたのだが ― つまり若い世代の人は日本でも水の補給の重要さは身についていると思ったのだ ―、見落としてしまっていた。乾燥しているので、本人は摂氏三十度近い暑さに気づかなかったのだろう。後を引かないで呉れたら良いのだが、短い意識喪失はあり、嘔吐もあったようだが、痙攣などは観察されなく血の気も直ぐに戻り全身状態も悪くはなさそうなのでそれほど悪い症状ではなかった。



参照:
時差ぼけが続く春である 2012-03-29 | アウトドーア・環境
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境
お運びから学んだ治療法 2012-04-21 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-29 18:43 | 生活 | Trackback

見捨てられた市民の義務?

平等党のカタルシス中継のアーカイヴで、櫻井よしこ記者会見をみた。嘗て日本TV放送網でキャスターをしていたその容姿は記憶にあり、昨今はネットでもしばし見かける顔である。それどころか回顧主義の論陣として有名な方のようでネットで扱われることが多い。その容姿は三十年ほど前とあまり変わらずもともと若年寄りだった女性の特権であろう。その物腰も軟く殆ど女形かと思わせるのはご本人が日本女性を演出しているからに違いない。それはそれで見事なパフォーマンスなのだ。

さてその主張は、一言で言えば「無学の薦め」といった按配で、現在の日本の問題を全て体現しているようで興味深かった。憲法改正の必要として、十七条の誓文のようなものに日本人の憲法のあり方見るとするのには苦笑するしかない。現在の世界でも、ポルポト政権やイスラム原理派のようにとんでもないことを言い出す民族派が世界中に存在するが、そのような一つとしてみれば朝鮮人が「全ては朝鮮から」と主張するのと同じく、荒唐無稽なお話には議論の余地すらない。なるほど脱近代のポストモダーンの声としてはそれはジャーナリズムでは無いポストジャーナリズムと呼べるような戯言かもしれない。

しかし、肩書きをジャーナリストと名乗る人物の発言として、やはりそれは批判されなければいけないだろう。なによりもその核心的な考え方の事例として東北の震災者市民の互助の態度を挙げて、国際的にも評価されたとした。なるほどそれは事実でもあり、大きな混乱が起こらなかったのは事実である。それをして日本国民が上手に飼い馴らされた民族と言うのも事実であろう ― 自主独立の民族はそもそも為政者の判断など待たずに蓄えられた知識と情報で素早く行動するのである。しかしそれは同時にフクシマ禍における政府や地方自治体が市民を見捨てて大きな被曝を招いたことの事実でもある。

まさしく、彼女が主張する天皇陛下から部落民までがむつまじく共生する民族などは、共産主義者のユートピア思想と全く変わらない。彼女は宗教家でもなく思想家でもなく三島由紀夫のような作家でもない。その高名な作家の「非武装中立の先にあるものは玉砕だ」とした優れた見識を期待する読者がやはりこの女流ジャーナリストにもいるのだろうか。

この短い会見内で大変手際よくその主張を整理して核心を披露した。そして、彼女の理想とするようなユートピアが現在の日本政府や官僚機構では期待できないことをジャーナリストとして示した。それならばそうしたユートピアはどのように実現可能なのだろう。そのために憲法改正であり、改正への法的な緩和との主張なのだろう。

しかし、為政者と市民との契約としての憲法なくして、そうしたユートピアが現出することはないことは、― 社会学的な心理である以上に科学的真理である ― 大日本帝国憲法の欠陥とその結果としてのヒロシマ・ナガサキでの敗戦で全てが証明されている。市民の権利こそが全てであり、市民は偽りの加護など政府に求める愚かさを知らされたに違いない。東京の独全権大使が語ったように、被災者が頼れたのは身近な地方自治組織と象徴天皇でしかなかったのである。

如何に愚かに教育された日本国民にでも一目瞭然に化けの皮が剥がされた訳であるが、残念ながらそこに居合わせた記者たちの詰問によってではなかった。自らの化粧が剥げるように厚い化けの皮が外れてしまったのである。

流石の日本国民ももはやこうした懐古趣味にも黴の生えたマルキズムにも騙されないだろう。しかし、権利の裏面の義務などと馬鹿げたことを考えているようでは民意は全く上がらない。先ずは権利と自由を勝ち取るために立ち上がるべきなのである。それが、為政者への依存から解放されて初めて自立への道を開くべき自主独立の市民のあるべき義務なのである。



参照:
櫻井よしこ記者会見「憲法改正について」 (平等党カタルシス中継)
4月28日(土)のつぶやき (作雨作晴)
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
強い意思と「努力」あるのみ 2012-03-12 | 文化一般
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-27 20:39 | マスメディア批評 | Trackback

ドイツの疑心暗鬼と恐怖心

バイオエタノールがガソリンに混ぜられてから一年以上経つ。石油会社は6.25%の割合でこれを売り上げないと罰則金を支払わなければいけないため躍起であるが、E10と呼ばれる10%のバイオエタノールの混ざったガソリンは全ガソリンの13%しか使用されていない途中経過が出た。

現在のドイツ車の99%は全く問題なく安いE10で走れるに拘らずである。この結果には驚いている。ドイツの合理性はその経済性から生じるのと昨日書いたが、それならばこうした消費者の需要傾向は理解できない。初期に入れたときに知人にそれを話すと、「エンジン壊れるぞ」と驚かされ、「メーカーは責任を取らないから」と聞いて、先ず大丈夫だろうと思いながらも、自身の車にE10は自動車クラブもメーカーもなんら問題のないことを示していることを確認した。

E10で走るとエンジン音が変わることも確認しており、吹きが悪いことも気がついているが、燃費は決して悪くない。なによりも安いのが嬉しい。そのような訳で、E10が無い時は仕方ないがそれ以外はE10で十分に満足している。そもそもハイオク価95以上が求められているので、それ以下のノーマルガソリンは使っていなかったのだが、このE10が登場してからはそれ以下の商品は消えた。スイスはもともとノーマルがオクタン価95だったのでスイス水準になったのである。

それにしてもである、倹約家のドイツ市民が態々高価なスーパーガソリンを給油して、エンジンの損傷を間逃れたいと考えているのは興味深い。それほど複雑なエンジンの車を皆が所有している訳でなく、その四気筒の極単純な2L少々のエンジンへの悪影響を恐れているのである。これもドイツの機械好きがなせる技か?

仏紙ル・フィガロの見出しを見ていると、またもやフェースブック騒ぎが問題となっている。一昨年ほどにドイツでもあったので驚かないが、自らの14歳の誕生日に招待した数が五万人となると恐ろしい。町中ひっくり返す騒動となるのは当然で、ドイツのときも暴動になり大きな経済的な被害が出た。

フェース・ブックの問題は様々あるが、参加していなくても自らの名前などの情報が世界中にばら撒かれているのを見ると不思議な感じ以上に恐ろしさを感じる。上場したようであるがいづれフェースブックは淘汰されると見ている。その元々のアイデア自体が、世界中にいるユダヤ人親族を結びつけるような目的があったようで、我が名前がそこに載っているのも世界中に根付いてしまっていることと、全く関係ないところに業務上の知人などが生息していることによる。

いづれにしてもあらゆる情報がセンターで集められて利用される可能性は否定できない一方、利用者が得るものがなにかを秤に掛ければ良いだろう。使用したことはないが、自身の場合は損得プラスになることはないと確信している。

フェースブック上場後の株価が暴落したと聞くが、そもそもこうしたネットビジネスは実体のあまりないサーヴィスであり、引き続き大きな問題が起こると特定のサーヴィスは閉鎖などへと追い込まれやすく、その多くは消滅していくものと思われる。


追記:ライヴドーアレーダーを使っているがそこで、FAZを購読している人数は8件、ル・フィガロが5件、ザ・ガーディアンは48件で、流石に英語紙との差は大きい。因みにザ・ガーディアンでは小沢無罪が速報として出ていた。



参照:
Die Deutschen kaufen kein E10 - obwohl sie’s könnten (F.A.Z.)
50.000 invités Facebook à la fête d'anniversaire d'un ado (Le Figaro)
長い道程も先ず経済性から 2012-04-25 | 歴史・時事
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-26 22:30 | アウトドーア・環境 | Trackback

長い道程も先ず経済性から

泣く子も黙るフレンツブルクは連邦共和国国民にとってはおなじみの地名である。それは交通違反の反則点数センターがあるからだが、この共和国の北の端には同様に連邦車両局があって全ての登録がそこで管理されている。そこの発表によるとそこに登録されている電気自動車の数は5000台にも至らないと言うのである。思いのほか少ないと言うしかない。全登録者数の0.01%で4541台しかないのである。ハイブリットの方は普通にアウトバーンも走れることから47,624と多いが、これは全体の0.1%となるから電気自動車の十倍の普及率である。

もう少し多いと思ったがスイスの町の中のように公共の自動車が電気で走っているのもそれほど見たことがないのでこの程度にしか至っていないのは当然なのかもしれない。二年前は電気自動車は1588台しかなかったことからすると三倍の普及であるが、担当局の目標は2020年には百万台を掲げている。

ドイツはエコ先進国などと呼ばれるが経済的に合わないことは一切しない。電気自動車には経済的なメリットが生じてくるようになって初めて普及する。原発を即時止めてもあまり経済的な価値がないからこそ、予定通り時間を追って脱原発を計っていくのがその考え方でもある。どうせ、原発零になってもその核廃棄物はとんでもない問題であり続け、まだまだ今後社会政治的な問題として再臨界を起こすに違いないのもその理由である。



参照:
免停になる前に注意目標 2012-03-15 | 生活
引きちぎられる携帯電話 2008-01-23 | 歴史・時事
サッカー場規模の表面積の吸着力 2011-02-21 | テクニック
その質に至っていない企業哲学 2010-05-20 | テクニック
緑のシンプルライフ推奨 2007-03-04 | 女
☆ 風信子の4月24日(火)のつぶやき & リツイート (風信子)
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-25 23:23 | 歴史・時事 | Trackback

民主性が問われる勃興政党

海賊党が日夜話題を提供している。お里がお里であるからネットでの話題が多いようだ。ベルリンの代表理事であるハルトムート・ゼムケンは、自らのブログにて、党の一人一人の党員に対しての対応をドイツ国家社会主義労働党と比較したことから解任を求められたが、それを拒絶した。そしてその内容を謝罪するとともに、その任を引き続き全うするとした。実際にベルリンの理事はその判断を支持した。

またシュレスヴィック・ホルシュタイン州もしくはノルトライン・ヴェストファーレン州で州の与党として政権に関わることは可能だと連邦代表のゼバスチァン・ネルツが語る一方、その可能性を緑の党のロート代表は否定している。更にそれに付け加えて、海賊党はまるでメルケル・チャイルドだとこき下ろす。それはメルケル首相の海賊党の勃興に対する様子見を批判してのレトリックである。

つまり首相は、最低収入性や出生率について語ったかと思えば、何一つ企てる訳でもなく、翌日には子供手当てについて語る有様だと、何でもできるという態度だとその無責任な言動を荒立てる。

そのような批判に対してネルツ代表は、批判の的となっていた嘗て自らが推し進めていた党執行部の独立性の考えを変化させて、執行部の中身を受け入れると言うことはその専断性を得ると言うことでもあり、キリスト教民主同盟を見ればよいとなる。そこでは、脱原発やユーロ救済などは、執行部の判断であって、党のボトムアップの判断ではなかったとする。だから、ボトムアップの政党の方が、メルケル首相の思いつきの党よりも安全だとする。

そうした背景には、党員の中に極右に近い党員が少なくないなどの問題が顕著化してきていることで、また同時に政治の激務から政党の重要な任務を辞退する向きが増えてきていることなどが関連しているのだろう。面白いのは、連邦執行部のマリナ・ヴァイスバントが心肺異常でであることを明らかにしたことに関して、ネルツ代表は「いつもキーボードに手を当てているような生活は健康に良くない」とその激務を思いやったことである。

民主的なイデオロギーだけではなく、民主的な党運営も問われ、その基本的な姿勢にも厳しい目が注がれる。それゆえに、もはや無視できなくなった政党であるだけに、こうしてその話題が絶えない。何処の馬の骨とも分らない政治結社に対して、国民政党へのそれとも変わらぬそれ以上の報道やあらゆる層からの賛否多数の見解を議論化させていくことはとても大切なのである。それは、支持が集まり公的な政党として期待も不安もあるからこそ、マスメディアの義務であり、学術的なジャーナリズムの対象であることには間違いない。

如何なる未来への期待の政治プログラムがそこに提示されていたとしても、その政治的手法が民主的な手順を踏んでいない限り、そこにはなんらのばら色の未来などはありえない。政治は革命や政権掌握とは全く異なるのである。そのようなことは繰り返すもない歴史的必然なのだが、それすら語らない知識人などの存在意義があるのだろうか?



参照:
Piraten-Abgeordneter vergleicht Erfolg mit NSDAP, FAZ vom 23.4.2012
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-24 22:42 | マスメディア批評 | Trackback

鰻上りの高品質を堪能

d0127795_22482565.jpg
満を持して最後の一本のリースリングを開けた。2002年産ペッヒシュタインでである。十年前には何度も垂直試飲させてもらったワインなのだが結局後にも先にも一本しか購入しなかった。理由は特別なリースリングであって、最後の一本しか購入出来なかったからだ。何度も何度も試飲のご相伴に与って友人には勧めて買わせたのだが自分はこの一本である。

理由は単純で、自らは2001年産の繊細さと新鮮さを好むから、垂直試飲するとどうしてもこの特別にミルキーで豊満なそれに手が伸びなかったのである。それどころかその香ばしさは、― ワインは食事のご相伴がモットーの愛好家として ― もはや燻製の鰻しかあわせるものがないという結論が導き出されていたからである。ワインをちびちびと飲むという習慣が全くないものだから仕方がない。ビール党の人間だから仕方がない。

そこでその話をしておいたら、本当にその機会を作ってくれた。山仲間の兄が釣り名人で一週間前ほどに十分に淡水魚を釣ってきたというので、2002年産それと通常の川魚に合いそうな2004年産を持参したのであった。燻製の装置も新しく購入してお披露目となった。鰻も何匹もライン河畔で釣ってきており、コイ科の魚と山で釣ってきたマスの三種類が一週間以上にわたる準備の後燻製にされた。それ以外にもう一種類フリカデールにされてオードブルとなった。驚くべきことに全く臭みもなく砕けた骨が魚を感じさせたぐらいで、塩水につけていた分が残念ながら塩超過となった。

さて燻製の方は新しい装置だったので試し試しの部分もあったが、コイ科のそれだけが燻製が通らずにもう一度繰り返し煙にこめられたのを除いては完璧で、驚いたことにこんなに美味いマスを食したことはなく、やはり手間隙掛けた燻製の威力を感じさせる。そして、コイ科のそれはなるほど藻臭さをどこかに感じるのだが、丁度それは2004年産ペッヒシュタインのどこか曇った香辛料臭さに全く完璧な相性であった。

そして、お目当ての鰻である。これまた脂臭くしつこさの極みのようなこの長いものがこれほどミルキーでぽってり感があるのは知らなかった。やはり体験してみなければ分らない味の世界が幾らでもあることを知った。日本で食される鰻巻きや鰻鮨の程度ではないこの純粋な美味はどうしたことだろう?

それに寄り添う2002年産ペッヒシュタインには、これ以上の食事はないと思わせる相性であった。コルクを抜いてグラスに注ぐや否やその果実風味に確信を持った。幾らか不安があった鰻の油の灰汁にワインが潰されることもなく、ワインが強すぎて鰻の味を分離させることもなかった。このワインは全くフィルンと呼ばれるような黄昏には遠く、色合いも十年前と殆ど変わらない。そしてなによりも2002年の酸が心地よく口の油を綺麗さっぱり洗い流してくれるのである。なんという濃くのある殆ど燻製されたような果実風味だろう。

リースリングと魚の相性。先ずはここに完璧に示すことが出来た。そしてこのグローセスゲヴェックスに黄昏が訪れるのもまだまだ先の様子で万が一可能ならば十年ほど先に2001年産と比較して楽しんでみたいものである。それに比較すると冷夏の2004年産の限界は初めから定まっていたが、新鮮な香料味ではこれまた燻製魚の灰汁を綺麗に流してくれる清涼感がとてもよかった。2009年以降は完全天然酵母醸造となったビュルクリン・ヴォルフのペッヒシュタインであるが価格も上がったが、その質に関してはヒュージョンソンが自らセラーに買い込んだのも当然で、白ワインの最高峰に違いない。

次回は出来ればワインとは関連なく鰻の蒲焼に挑戦してみようかとなったので、色々と鰻の種類やレシピーなどを調べてみなければいけない。しかし、こうした高品質の燻製と比べれば蒲焼の味は殆ど野蛮としかいえないが上手に遣れば鰻そのものの味を引き出すことが出来るだろう。d0127795_22475739.jpg



参照:
摂氏零下の小夏日和 2012-03-07 | 暦
Hop, Step by Step & Jump 2011-12-27 | 文化一般
トロピカルかパッションか 2011-09-23 | 試飲百景
何が必要かが問われる 2011-09-19 | アウトドーア・環境
九月一日はグランクリュ解禁日 2011-09-04 | 暦
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
まさに春は虚の状態の季節 2011-03-05 | 生活
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-23 22:50 | 料理 | Trackback

海賊党が問題提議したもの

YOUTUBEが著作権管理団体GEMAに支払うように判決が出ている。著作権を保護するために、投稿者から徴収するのではなくインターネットポータルが支払うのは当然である。今後YOUTUBEとGEMAの間で契約が交わされて支払いを済ませることになる。とどのつまりネットポータルが投稿内容をチェックする義務が明白となる。

しかし、興味深いのは現在日本のそれなどで見れてもドイツでは著作権保護上GEMAによって許可されていないとするお断りは実は正しくないのだとGEMAは語っている。つまり本来著作権料を否応なく徴収できる権利を持つGEMAは一切そうしたことに関係していなくて、実際は隣接権を持っている音楽レーベルなどが削除要請を出しているというのだ。

これはなるほどと思った。特にCBSのソニーは過剰にネットでの音源の使用に過敏であり、一時は聞き触りのサムプルも提供しなかったのである。販促よりもコピーされる可能性を極力恐れているのがソニーグループである。今後こうしたコピーや科料の問題は更に海賊党などの躍進で取り扱われることとなると思われる。つまり特にエンターティメント分野でのビジネスモデルの変化が要求されている。

そこで広い支持を集めつつある海賊党への批判の投稿が文化欄第一面を使ってシナリオライターによって綴られている。要旨は、創造者とその創造物を価値化するプロデューサー間には純粋な経済契約関係があり、著作権管理団体GEMAなどと同じように当事者であることと、そうした契約関係を政治が正しく支持をしていないことが、海賊党の勃興を招いたとする。これだけをしても海賊党の主張は民主主義とは関係ないもので、欲求の満足と公用徴収でしかないと激怒する ナチ政権が勃興したヴァイマール憲章における個人の所有の限界設置を思い出せばよい。

そもそも海賊党の綱領自体に「知的創造物の公共への返還が正当なだけでなく、人類の創造力の持続性のために不可欠なもの」とあり、そこではそうした社会的関係を担う筈のプロデューサーと呼ばれるような仲介者の存在は綺麗に消されている。それのみならず、デジタル化した創作は技術的にコピーの制限をかけようとするのはそもそも無理であり、広く個人の使用に大きな網をかけるのも上手くいかないことは分っており、創作物の一般的利用と使用で貢献するべきだとしている。

正しくこの点は、先日スイスの友人にメールした点であるが、海賊党の主張は正しく一度デジタル化してネットに流れた時点で全ての著作権と隣接権は放棄された状態となって、ネット使用者がそのデジタル情報を自由に使えることとなるのである。そのような状況において海賊党が若い有権者の支持を集めるのは当然なのである。しかし我々はそもそもここで商業として市場価値を生み出すものが価値のある創作と限らないことを認識しておく必要がある。要するに、基礎的な科学や高度で先端にある芸術価値など市場価値のないものに目を向ける。

だから海賊党は、公共的に支払いが済まされた ― 例えば公共放送の視聴料として ― もしくは製品として生み出される創作への過程で社会が援助している場合は、これ全て創作は既に社会に無料で寄与すべきだとしている。この考え方から行くと、商業主義的に市場経済性を持つものでない創作は全て公共のものとなる。なるほど名画などはこのように公共性をもたさないことには公共の美術館が成立しないような状況も今後存在する。

しかし、ここで海賊党が先に全く無視したような商業的に市場価値を生じさせた仲介者には、ここにおいては公共的な経済支援として機能しており、同じようにここでも既に支払い済みだと主張している。明らかに、東ドイツ出身で早くからコムピュータを使いこなしてシナリオライターとして先日のZDFのロムメル将軍の番組を制作した投稿者が指摘するように、ここに大きな矛盾がある。彼らが最も忌み嫌い是正しなければいけないのはネットのポータルを運営している業者であったりフェースブックであったり、アマゾンであったりとこれらのネットビジネスこそが人々の情報を支配する情報の権力者であって、こうした創作者やその仲介などはそもそも敵対するものではない筈だとしている。

更に挙げられる文化政策への綱領には、コピーの弊害を極力少なくしていかなければいけないとだけ述べられていて、投稿者ニキ・シュタインが語るように、公共のために創作を無料で提供する意思があってそれを自らの判断で出来るなら決して悪くはないのだがと、海賊党が結局この問題の解決点が見出せないことを掘り起こし、せせら笑う。

それは、広義の文化行政の議論でもあり、決して技術的な科料システムの問題なのではない。一方において広く浅く科料するしか方法のなくなった公共料金システムがある。

来年から公共放送料金科料システムが変わり、これまでは機器ごとにその数から徴収していたのだが、もはや放送電波も衛星もケーブルもネットも同じように科料しないといけないことから、個人の世帯や法人ごとにその事業所の数と従業員数で科料するようになった。なるほど我々はドイツの公共放送にはそれ相当の視聴料を支払うのでネットにおいても同じようにその中身をいつでもダウンロードすることが出来る。

海賊党が社会の前面に政治として提議した問題は隙間政党の専門業者的なものではないことは明らかである。EUが個人情報保護法の観点からドイツ連邦政府の半年に渡る電話や通信の記録と保護の運用に対して制裁金を求めたことで、EUスタンダードに合わさなければいけないようになったこともまた違った議論の成果である。



参照:
Unter Piraten, Niki Stein, FAZ vom 20.4.2012
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
待降節を迎えるにあたって 2011-11-27 | 暦
六十禁が必要な場合とは? 2011-11-05 | 文化一般
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
[PR]
by pfaelzerwein | 2012-04-22 17:36 | 文化一般 | Trackback