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索引 2012年5月


ああ、バーデン・バーデン 2012-05-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音 TB0,COM0
胸がムカつき痛み嗚咽する 2012-05-28 | マスメディア批評 TB0,COM0
事故続きの無傷の一週間 2012-05-27 | 生活 TB0,COM2
岩峰に立つフリードリッヒ 2012-05-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
エコノミラートとは農業顧問官 2012-05-25 | ワイン TB0,COM0
音楽が先か、詩が先か?の回答 2012-05-24 | 音 TB0,COM2
決して侮れないネットワーク 2012-05-23 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ブロキュパイの週末を終えて 2012-05-22 | 歴史・時事 TB0,COM0
連邦共和国文化大使の死 2012-05-21 | 文化一般 TB0,COM2
何処までもついて行くわよ 2012-05-20 | 試飲百景 TB0,COM0
とてもちぐはぐな一週間 2012-05-19 | 生活 TB0,COM0
シェーンレーバって一体? 2012-05-18 | 文学・思想 TB0,COM0
泥酔が愉快でないライフスタイル 2012-05-17 | 試飲百景 TB0,COM0
批判的に処する冷静な感覚 2012-05-16 | 雑感 TB0,COM0
香川真司の沈黙を読み取る 2012-05-15 | マスメディア批評 TB0,COM0
雑食砂岩で新しい靴を試す 2012-05-14 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景 TB0,COM0
アドルノ先生とすべき議論 2012-05-12 | マスメディア批評 TB0,COM0
貧相な幕府小役人の写真 2012-05-11 | 歴史・時事 TB0,COM0
政治への強硬な姿勢 2012-05-10 | ワイン TB0,COM0
第八交響曲をキャンセル 2012-05-09 | 文化一般 TB0,COM2
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活 TB0,COM0
肌理細かな高CPピノノワール 2012-05-08 | 試飲百景 TB0,COM0
割れ目を攀じ登る楽しみ 2012-05-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
原発零でも電気零ではない 2012-05-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
量子力学的跳躍の証明 2012-05-05 | 雑感 TB0,COM0
変遷しない社会の危機管理 2012-05-04 | 歴史・時事 TB0,COM0
音の鳴らし方、緊張と緩和 2012-05-03 | 音 TB0,COM2
カジュアルと手軽さのシャルドネ 2012-05-02 | ワイン TB0,COM0
ポストプライヴァシーの良識 2012-05-01 | 文学・思想 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2012-05-31 19:32 | INDEX | Trackback

ああ、バーデン・バーデン

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バーデン・バーデンは一時通っていたぐらいである。南に走るときは大抵ここを通るのだが町の中に乗り入れるのは久方ぶりである。注意書きが入っていたトンネル工事の渋滞は連休の初日であるから全くなかった。ただアルザスからドイツへと渡るラインの発電所の橋が道路工事中なので工事中通行止めの表示が表れた。知らない者は遠い回りを強いられる。

工事中の箇所は信号の一方通行になっているので待たなければいけないが、二分も待たないで順調にドイツへと再入国した。ここまで自宅から一度も信号無しである。七十キロも走っていない。

祝祭劇場の駐車場へ乗り入れて一時間ほどで、フランクフルトのアルテオパーへ行くよりは距離も短く、交通状況もとても静かなものである。

祝祭劇場の周りもザルツブルクの夏のそれとは比較にならないほど静かであり、観光客も聖霊降臨祭時期であるから真夏よりは少ない。来年の第一回復活祭音楽祭の賑わいが期待されるところである。

少なくとも表玄関の旧駅舎の雰囲気などはザルツブルクの新しいそれよりは趣があるが、あのフェルゼンライトシューレなどを抱く塩岩の湿った駐車場が無いのが残念だが、バルコンからはアルテスシュロースに並んでバッタートフェルツェンが仰げる。これは見方によると、ザルツブルク祝祭劇場ののクラブハウスからの景色に比較できるかもしれない。d0127795_2222713.jpg

前回祝祭劇場に足を踏み入れたのはいつの事だったか思い出せないが、少しづつはそれらしくなってきている。残念ながらその奥で避暑をしていたブラームスはオペラを作曲していない。納税者のピエール・ブレーズや地元のヴォルフガンク・リームの創作などがこの町の雰囲気を形作るようにならない限り本格的な祝祭とはならないであろう。
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参照:
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音
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by pfaelzerwein | 2012-05-30 02:24 | アウトドーア・環境 | Trackback

歌心のないドグマの響き

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「なにか最初おかしかったけど、まあ」と休憩中のこの言葉に鈴木のバッハの全てが表れていた。欧州で少なくともドイツで通じるようなバッハの演奏実践ではないことは分っていたのだが、評判の良い録音や日本での評価などを聞くとある面での秀逸さを期待したのだった。しかしそれは恐らく演奏旅行の疲れが影響しているのだろう肝心の合唱団にも管弦楽にも裏切られた。少なくとも千人以上は集まったかのように見えた聴衆の気持ちは同じだったと思う。

我々が期待していたのは、斉藤記念のような完璧にディテールまで磨かれ考えつくされた技術と、明晰に実践される解釈だったのだ。それは監督の鈴木のコープマン批判やその他の発言などで裏打ちされているかのような錯覚を覚えていたのに裏切られたのである。

それ以前に古楽の演奏団体として、それ以前にアンサムブルとして可也問題があったことも事実で、特にティムパニーなどの叩きには皆耳を背けるほどであって、あれは普段から余程デットな音響の場所で練習や演奏会を行っているとしか思えないようなアンサムブルで、同じようにせかせかして、響きを解放できない演奏様式は当日のバーデンバーデンの祝祭劇場に責任があるとは思えないのである。

なるほど世界中の様々なアンサムブルはおかしなバッハ演奏を繰り広げているわけだが、別な視点からするとドイツのアンサムブルでまともな今日のバッハを演奏している例も殆どないのである。それでも鈴木のそれが受け入れがたい以前の問題であることは別の問題であるように思われる。

十分なフレージングも息づかせずにまるで息を止めたような詰まるようなせかせかした調子は録音で確認済みであったが、少なくともそこでは綺麗にアタックが揃うことでまるで素晴らしいアンサムブルかのように聞こえている録音編集の技なのか実態なのかは生で確かめるしかなかったのである。それにしても古楽器をぽきぽきと重量感無く鳴らすこと自体はそれは一つの表現方法と認めるとしても ― まるでトヨタのレクサスでアウトバーンを飛ばすような感じで心地よい慣性に欠けているとしても ―、ドローンまでとは言わないが少なくとも必要最小限の通奏低音 ― 鈴木の息子さんがオルガンを弾いて、ファゴットもチェロも慣性の反対の運動性すら十分に示せていない ― を響かさないことにはまともなハーモニーも対位法も浮かび上がらないことは自明であって、全ての聴衆はこの訳の分らない音楽に度肝を抜かれた。最初の数分で出て行った人は「一を聞いて十を知った」のかもしれない。

なるほど通奏低音を歯切れ良く運動性をもって鳴らすこと自体はここでも紹介していてそれ自体はなにも特別なことではないのだが、一部始終同じ按配でそれ以外の演奏方法を拒絶するドグマがそこに存在することに追々皆が気がつく頃には会場は冷え切った。当日は幾ら教会の日と言ってもドグマに敏感な連邦共和国国民である。文化的な不理解か?ライプチッヒのバッハ賞受賞って一体なんだ?

世界中の古楽の演奏団体を数々聞いてきたが、このような演奏する団体は始めてである。延原武春の管弦楽団でもこんなおかしなことはしていなっかったように記憶する。これならば二十年以上前に本格的な古楽器で自然音階のピュアーなラッパを吹かせていたエリクソン指揮のスェーデンの楽団の方か遥かに凄かった。

宜しい、サウンドや音楽の響き方を別にして、当日の演奏前のレクチュァにあったような「Et in unum Dominum」における鏡面構造のカノンエコー効果や「Et incarnatus est」の天から地上へ降下のラメント旋律や「Crucifixus etiam pro nobis」の輪廻するパッサカリア効果などの神学的な象徴の解読が感覚的に感知できるものとしてどれだけ示されていたか?少なくとも音響的にそれが明白に示された場面を意識させたことは皆無で、寧ろモノクロな空虚を響かせ続けた。

しかし、多くは鈴木とそのアンサムブルに責任があるとは思わない。同じような問題は全ての日本の音楽家が持っている問題であり、多くの日本人が西洋音楽を奏でられない理由をそこで追及することになる。嘗て日本の演奏家などとの付き合いでドイツ語の発声法と同じで深い響きの出し方というものは楽器の場合も共通しているというのも聞いていたのだが、今回の東京からの楽団を聞いてなによりもそれを思い起こした。

因みに当日の演奏は、写真で分るように地元のSWR2が中継録音していたので、六月七日九時三十分(日本時刻同日十六時三十分)からネットでも試聴出来る。



参照:
聖霊降臨祭のミサは如何に 2012-04-19 | 音
ハレルヤ!晴れるや? 2011-12-07 | BLOG研究
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評
聖なるかな、待降節の調べ 2009-12-14 | 音
西洋音楽をどこまで「訓読」できますか? (考える葦笛)
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by pfaelzerwein | 2012-05-29 05:15 | | Trackback

胸がムカつき痛み嗚咽する

吉田秀和の訃報に接した。第一報は聖霊降臨祭初日起床直後のBLOG「庭は夏の日ざかり」だった。さて、今まで散々貶してきたのでその範囲内で最後にもう一度この機会に批評を書こうかと思い、金曜日の疲れが残っているもののパンを取りに行く序に体の様子を見ながら森を歩き出した。吉田秀和について何を語ろうか書こうかと考えながら、故人の幾つかの文章などを思い出していた。欧州旅行記でも兼常清佐などの高度な文化批評とは比較にはならないなどと考えていた。

暫くすると心臓のところがむかむかして重くなるのである。これは完全に調子が悪いと思って走らないで山道を歩き出すとそれでも息が上がる。そうして足が潜る落葉で足元の悪い前半を歩いた後、その後走って峠まで出るとまだ22分しか経っていなかった。2650歩。全然遅くないペースなのである。

そして帰ってきて汗を流して幾つかの同じ訃報の記事を見た後に、夜のバーデン・バーデンでの鈴木のロ短調ミサ曲に備えて早めに食事をして、ワインを少し飲んだ。それでも食事の用意をしながら、吉田氏と言葉は交わしたことは無いのだが何度も遭遇していて、ヴァイツゼッカー元大統領のような特別な出会いでは無く、そこに平凡で凡庸な人間性を感じていただけなのを思い起こした。

食後の昼寝のベットに這入り、BLOG「TARO'S CAFE」で訃報の中に、吉田氏夫妻を見かけた丁度同じときのことがそこに記されていた。不覚にも嗚咽してしまった。朝からの胸の痞えを一気に嘔吐するかのように。予想だにしていなかったことである。

なるほどミドルティーンの一時期は吉田のエッセイーを熱心に読んでいた。ハイティーンになる頃にはもはやその内容を批判していたが、その後ドイツに移り住み最初に日本へと飛んだ節に、幾つかの山の本などと一緒に全集などは出ていない頃の吉田の単行本を全て廃棄した、一冊を除いて。手垢にも汚れていないような綺麗な本を二束三文で購入したのは専門書で有名な古本屋であった。それでも廃棄したことで凄く心が休まった気がしたのだった。

その吉田の単行本で一冊だけ手元においてあるものは新潮社「現代音楽を考える」初版でその中に「ヴァーレーズの解放したもの」がある。これは、作曲家本人のニューヨークのアパートメントを訪ねた印象などがちりばめられていて、音楽ジャーナリストとして一級の仕事で、物書きを自称するこの作家を熟知している者としても唯一無二の翻訳しても世界に通じる文章であったに違いないと確信する。

要するに吉田は禄でもない文章ばかりで生計を立てていた物書きでしかなく、団鬼六にも及ばないスノビズムの作家で、その通り後に体制・翼賛新聞朝日新聞を飾っていた俗物でしかなかったのである。日本の文化どころかエロにも貢献していない物書きであったのだ。

そうしたことにミドルティーンのときに気がついて、丸山真男のフルトヴェングラーの書は知っていてもまだまだ氏の本業の論文を読むほどの知力も無く、この禄でもない文章を書く吉田は丁度反面教師のような存在であり続けていたのを思い掛けない嗚咽と胸の痛みで初めて思い知ったのだった。

九十八歳での大往生と聞く。とんでもない、それまでなにかを書いたりしながらの生活が自分に出来るのかどうか、そもそもそのような健康などは到底考えられないのである。つまらないものを散々読ませてもらったこの作家が、自分にとってこれほど大きな存在であったとは嗚咽が起こるまで気がつかなかったのだ。



参照:
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | BLOG研究
自己確立無き利己主義 2008-04-28 | 歴史・時事
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
読者層に合わせた興奮度合い 2011-11-22 | 暦
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
決して民衆的でない音楽 2008-12-09 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2012-05-28 06:39 | マスメディア批評 | Trackback

事故続きの無傷の一週間

事故続きである。先ずは注文したザールからのワインが近くまで来ていながら届かない。注文した翌朝早くヴォルムスに着いてそこで止まっていたのでおかしいと思ったら、割れて中身を点検したとある。濡れていて止めたのか、移し変えのときに割れたのかは分らないが、派手に割れたに違いない。着いてから液漏れしていたり事故が発覚するよりは良いのだが、未だに再発送の知らせが無いので、連休明けにしか届かない。連休中はなんとかワインを都合つけなければいけない。

輸送中の事故で考えられるのは一リッター瓶も入っているので梱包が悪く、衝撃で割れた可能性である。一昨年に送らせた時は輸出にも使える立派な梱包であったので壊れる可能性は無かったが、今回はお試しセットなので中途半端な梱包だったのかもしれない。若干その醸造所のワインの味とそうした醸造所のマネージメントやその他のことがなんとか想像できるような事件である。

金曜日は晴天に恵まれつつも午後は清々しかった。乾燥した日々が続いているからである。こうなれば石切り場に行くのは当然の行為である。電話に出ると、仲間が水曜日に事故をお起こしたと言う。トリフェルツの向かい側の岩場で昨年の登ったところなのだが、態々ロープを上から垂らしてトップロープにした所だった。なぜならば、途中に支点があまり無い上に岩質が脆く苔まではいている所だったからである。その一つ目の支点までに楔を掛けてその上から落ちて楔が吹っ飛んで地面まで落下、頭部を打った。相棒が携帯電話を持っておらず城の駐車場まで下ろすにも頭部から出血した本人の意識が朦朧として、苦労したらしい。駐車場脇の売店で偶々墜落の音を聞いていたようで、ヘリコプターが呼ばれて病院に運ばれた。

恐らくその墜落した67歳の男性は一度確保してあげたことがある人で、まさにその時のルートを当日の乾いた岩肌で登ろうとしていたのだった。実際に石切り場に行ってみると我がライヴァルがその隣を登っていて、ある程度の経験がある者は同じようなことを考えるものだと思った。彼らが登っている二つ先のルートの下に徐にザイルを置いて、狙っていたルートを攀じた。核心部はテクニックをフルに示せる場所でまだまだヴェテランのように完全に力を抜いてとは行かないながらも比較的華麗に登り、最後の最後に再び第三の核心部があることに気がついた。またもやカラビナを掛けるのに右手のアンダーホールドで突っ張って、左手で小さな穴に指を掛けて、突っ張り伸び上がった状態を保って右手でカラビナを掛けなければいけないのである。下からカラビナを銜えろと言う指示もあったのだが、なんとなく気張った拍子に落としそうである。そこで自己確保用のループにカラビナを下げて素早くそれを掛けた。

アンダーホールドのお陰で右手首をまた少し酷使してしまったようであるが鍋を洗うには問題ない程度なのでまずまずであろう。今シーズンに入ってからの課題の解決は五つ目である。自分には比較的御しやすいルートであったが困難度5.10cもしくは6bは決して悪くは無い。勿論上達度を褒められて周知となっている冬の間の練習量を言うのも嬉しいのだが、それ以上に初心者の年季の薄い者になにかを示して、やる気を起こして貰うことの方が遥かに嬉しい。クライミングの才能ある者、可也大化けしそうな者など、練習しなければいけない方向や可能性を知って貰うのがなによりも大切なのである。



参照:
岩峰に立つフリードリッヒ 2012-05-26 | アウトドーア・環境
エコノミラートとは農業顧問官 2012-05-25 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2012-05-27 01:10 | 生活 | Trackback

岩峰に立つフリードリッヒ

水曜日は午前中の雷雨や午後の30度になろうかととする気温上昇に拘らず早めに南プファルツの奇岩地帯へと出かけた。森の中は湿っていたが陽射しと温度と風のお陰で岩肌で手が濡れるようなことはなかった。

なによりも夕方の太陽が高い霧におぼろげな薄暮の風景はカスパーフリードリッヒのそれ以上に詩情豊かであった。誰も他のパーティーの居ない岩山の上では誰もが詩人となれた。カスパーフリードリッヒのザクセンアルプスの岩山も南プファルツの岩山も同じ砂岩で色が違うだけなのである。

相棒のザイルを率いる練習であったからノーマルルートしか登っておらず紺何度は全く無いながらも、腕に疲れを感じた。一つには全く中間確保支点が無いのにも拘らずそれ以外にもあまり十分な支点が取れないような場所があって、力が入っていたのだろう。特に二つ目の岩山への頂上岩壁はオーバーハングの上にある岩の背を登るので、手掛かりがある角に近づけば近づくほど真下の30Mの奈落が目に入るのだ。その上にまともな支点が無いのでうっかりすると奈落へと落ちてしまう。

なるほど技術的には困難さは無いものの度胸もいり、更に高所恐怖症を思い起こさせてくれるので、どうしても手掛かりの悪い方へと向かってしまう。するとどんどんと難しくなるのである。つまりやはり奈落へと近づくしかない。そして、そこを超えてやっと砂時計と呼ばれる岩の窪みに出来ている細い柱に支点を掛けるのである。

全体で四回ほどザイルで懸垂下降をしなければいけなかったぐらいで、直ぐに時間が経ってしまって、その大きなオーヴァーハングは試せなかったが、やりがいを起こさせる岩頭群である。細い柱状の岩頭も確保支点が取れないので有名で度胸が要りそうだが登攀意欲を湧かせるには十分である。

相棒の医者もアルプス風の登る練習が出来たので、若干意識が変わってくるだろうか。五感を全て使ってのクライミングは、やはり石切り場やクライミングホールのそれとは違って体験の深さや大きさが異なる。兎に角、僅か六時間の中でとても素晴らしいときを過ごせたのである。


写真:向かって左の二つの岩頭を攀じ登った。話題のエッジは右の岩頭の付け根の影と夕日の角の部分である。



参照:
切手の図柄に思いを馳せる 2011-02-27 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2012-05-25 23:36 | アウトドーア・環境 | Trackback

エコノミラートとは農業顧問官

「エコノミラート」と異なるレープホルツ醸造所の辛口リースリングを開ける。昨年までは雑食砂岩からのリースリングと名づけられていたが、それが無くなりグーツリースリング扱いとなった。最初の口当たりは試飲のとき以上に柔らかく、むしろ微炭酸が飲み心地を良くしていた。このシリーズのものには見られた傾向で、その価格9.80ユーロとしては寂しい。

味筋は、その後に押しの強い酸が押し寄せるようで、酸の分解も「エコノミラート」より落ちるのは明らかである。つまり酸の質が荒めなので、完全に以前の雑食砂岩からのカビネットより質が落ちているが価格は上昇している。

よって、価格差1.20ユーロは実質の価値よりも小さい。個人的には安い方ならば他の醸造所のものを買う。決して悪くはないのであるが、出来としては2009年の雑食砂岩からの方が遥かに良かった。しかし実りの年で糖を落とすと言うことはそれだけアルコールを上げると言うことで12.5%は糖が無い分軽く幸せである。

そこで「エコノミラート」に再び目をやると、アルコールが11.4%しかないのだ。やられたと思った。まるでモーゼルの辛口である。そして酸が8.1G、糖が0.4Gであり、エコ003指定葡萄を使用している。糖比重が84エクスレであったから、むしろ早摘みである。それであの肌理細やかな酸は?決して青っぽくないどころか深々として落ち着いていて、とげとげしさのない酸は?

一段落したところでザール地方のシュロースザールシュタイン醸造所のお試しセットを注文した。送料ともで大変お得なので、飲みたくない二本が入っていても料理に使っても損はないのである。

古い年度から2008年のアルテレーベンがそこに含まれているのだが、これは一年半以上前に飲み干しているが、今や絶好調の2008年産がどの程度の感じで飲めるかがとても興味深い。また、10ユーロ超えの「グラウシーファー」が強豪に太刀打ちできるか。



参照:
何処までもついて行くわよ 2012-05-20 | 試飲百景
品質向上戦線で勝ち抜くのは 2010-07-28 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2012-05-24 21:08 | ワイン | Trackback

音楽が先か、詩が先か?の回答

ベルリンの国立歌劇場の監督ダニエル・バレンボイムが大歌手フィッシャー・ディスカウの逝去に際して追悼文章を投稿している。短い文章ながら読み甲斐があるので紹介する。

歴史上多くの素晴らしい作曲家が存在して、その作品が音楽の歴史的発展にそれほどの影響を与えていなくとも私たちが大切にしている創作がある。幾人かの作曲家、バッハやシェーンベルク、ヴァーグナー、ベートーヴェンなどは、過去のものを集約して尚且つ同じように将来への道を指し示した作曲家で、そうした革命的な精神の秀でた例なのである。

全く同じようにクラシック音楽の演奏家においてもそうなのだ。例えばパブロ・カザルスは、一般的にチェロは綺麗なイントネーションを奏でられない楽器と見做されていたが、少なくともバッハの組曲を以ってこうした見解を変えてしまった。そして、コンサートの世界で永続性のある新機軸を創造したのである。ディートリッヒ・フィッシャーディスカウは、そうした一人の革命的な演奏家であった。24歳にて最初のリーダーアーベントを行った。それは当時としては決して普通のことではなかった。当時は、現在よりも遥かに多くの引き出しが用意されていて、歌手はオペラを歌うか、歌曲を歌うかであって、双方と言うことは珍しいことだった。フィシャーディスカウは、先ずその業界においてそうした強固な考え方を打ち破り、多くの分野において秀逸した技量を出せることを示したのである。

彼の芸術家としての最も大きな功績は、恐らくあの質問に一つの回答を与えたことだろう:「音楽が先か、詩が先か?」つまり、彼が示したのは、これは誤った質問であったということだ。フィッシャーディスカウは、彼以前にも以後にも殆ど為されていないように詩と音楽の統一を成し遂げた演奏家なのである。彼は、詩のアーティクレーションにおける新たな基準を与えたのみならず、言葉に準拠した音の響きを変えることで、その言葉を浮き出させた。そのように言葉の意味を明白化させたのみならず、其々の音節や音を合成して響かせ、ハーモニーと音色の合一化を可能とした。例えば、言葉「死」にアーティキュレーションの中で別な色合いを加味して、非日常性を意識したのみならず、この「死」と言う言葉が歌われる時、どのような音色であるべきかを意識していた。これによって、詩の理解と分別の新たな地平線を開いた。

25年間ともに音楽をしてきたフィッシャーディスカウは、ドイツ人芸術家として最初にイスラエルの地を踏み、そこで最初にドイツ語でコンサートで歌ったことはひょっとするとそれ以上に画期的なことかもしれない。なぜならば、それまでは彼の地ではベートヴェンの第九も英語で歌われていたからである。彼の特別な芸で以って、ドイツ系ユダヤ人はイスラエルで再び音楽の中でドイツ語を戴けるようになったのである。

ダニエル・バレンボイム



参照:
Gefärbte Töne, Daniel Barenboim, FAZ vom 22.05.2012
連邦共和国文化大使の死 2012-05-21 | 文化一般
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
セクシャルな「福島」文化の本質 2011-07-24 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2012-05-23 20:56 | | Trackback

決して侮れないネットワーク

北九州市の瓦礫処理阻止の実力行使は速報としてネットで流れた。早速IWJの九州CH1に繋いで中継を見た。「なにもしとらんけね」と警察に拘束されたおばさんは語る。普通の善良な市民は公権力の存在を初めて思い知ったことだろう。

なぜ実力行使が必要かは、二クラス・ルーマンが論文で語る通りであって、こうして初めて大きく報道で取り上げられるだけでなく、その一部始終はネットを通して世界中に実況中継されて、自明のこととなった。

次は、こうした運動を如何にPCや机の前に座っている人々がどのように受け止めてどのように反応するかである。

なるほど瓦礫処理から出る放射能はその灰を除けばそれほどのものではないであろう。しかし、恒常的にこうしたものを運び込み、焼却処理するということは、折角フクシマの強い汚染から逃れた遠方の人たちに苦しみを擦り付けることになるのである。所謂戦後の日本がモットーとしてきた国民の平均化であり、汚染の平均化である。平均化の行く末は人類のゾンビ化なのである。

核実験やその他の事故等で汚染された量と、今も毎日環境へと流れ出る福一からの放射能汚染の量は比較にならない。もはや狭山茶だけでなく静岡茶などは当分飲めないことは分っており、それを薩摩まで平均化してどうしようと言うのだ。既に魚をはじめとする食料は偽装されて、九州産の米なども混ぜられていて、九州の食生活も到底安全とはいえないのである。

それでも平均化を許してはいけないのである。そのようなことをすればもはや何もかも無い。

フェースブックの上場に関してのインサイダー取引が捜査の対象となっていて、顧客は集団損害賠償を求めていると土曜日のラジオニュースが伝えていた。さてユダヤ人や華僑のインサイダー取引を何処まで追及できるだろうか?世界中に広がるそのネットワークは到底見通せるものではない。本日二日目はストップ安に続いて暴落した。売り逃した人たちはもう遅い。



参照:
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
市民を無視する政治社会背景 2011-06-05 | マスメディア批評
ブロキュパイの週末を終えて 2012-05-22 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2012-05-22 21:44 | アウトドーア・環境 | Trackback

ブロキュパイの週末を終えて

ブロキュパイ運動陣営は土曜日の二万人以上を集めてのデモは成功だったとした。各地からの助っ人を含む警官の総動員で、フランクフルトの銀行街は死の町となったようだが、大きな暴力沙汰とはならなかった。デモを許可しなかった市長ロート女史を代表とする当局の責任問題とすると、緑の党や左派党は気炎を上げている。

左派のフランクフルター・ルンドシャウ紙によると、ギリシャやスペイン、フランスなどからも賛同者が次々と集まって、町の者も食事などを無料提供して支援していたと言う、一方FAZ紙がインタヴューしているオキュパイ運動家デーヴィッド・グレーバーも大西洋を越えて飛んできていた。

市内は、銀行関連の現金自動引き下ろし機などは全て閉鎖されて、市電は運行停止して、ターミナルでは活動家の荷物検査などが行われたと言う。それでも大きな事件とはならなかったのは、左派の各派やアタックなどの活動団体が所謂黒ブロックの黒装束で有名なオウトノーメンなどを説得したからだと言われる。

多くの破綻者に勇気を齎した「デット」の著者グレーバーは当日許可された唯一の講演会であったようだ。氏に言わせると、金融危機で世界中の納税者が銀行を救済したのは、歴史の終焉などではなく文化の斑気であるから、儲かる者は儲かるおかしなシステムになっているのを変えなければいけないとなる。

そもそもアナーキストには戦争をする能力は無くて、そのシステムをブロックしてしまうことで十分と言うことらしい。しかし、為政者が恐れているのは、この運動が68年の運動のように社会の変動へと盛り上がることであるとしている。

中国ではラフィト・ロトシールドなどの空き瓶が中身の入った蔵出し価格ほどで売れるそうだ。そこに赤い中国産のワインを詰めて売ることで経済が回っていると言われる。醸造所での出荷本数よりもはるかに多くの高級フランスワインが中国で販売されているそうだ。

そもそもシナ人に高級なワインの味などが分るわけが無いのだから、売る方がまっとうと言うか遥かに賢いのである。賄賂などで身につかぬ金が回る経済のバブル経済の中国であるからこその市場があるようだ。

12日付けの新聞の文化欄には、指揮者エノッヒ・ツ・グッテンベルクが自ら創立した自然保護団体ブントを脱退することを表明している。その組織的な姿勢や独立エネルギー企業の設立の金儲け主義どころか、2003年には風力発電計画に反対することで同和金を企業からせしめて金を活動費に回し、その額がミリオンユーロ単位であることを強く非難している。要するに環境圧力団体ごろつきになっていると言うのだ。前連邦大統領退陣の問題となった金子の額とは桁が違うことを強調している。

そもそもグッテンベルクの父親がキリスト教社会同盟の創始者であってバイエルンの保守の本流であり、エノッヒも保守の愛郷組織としての環境団体の理事として34年間活躍する。それゆえに、その脱退の弁の内容はとりわけ厳しい。

なによりも風力発電が気に食わないようで、その環境への影響を、美観や土地利用の観点から、また低周波による野鳥や蝙蝠などの種の減少として、厳しく批判する。

なるほど風力発電はその設備自体がたかが五十年ほどの寿命であり、殆ど一時的な代替エネルギー源でしかなく、そこには将来性が全く無いことは知られている。しかし批判はそれでは止まらずに太陽熱発電などへと事業化している部門へも矛先が伸びる。

そして、ブント自体の企画として「自然エネルギー発電」が話題となっていて、まるで素朴な日本人のように「自然エネルギー」という言葉が使われると、もはやその素朴さに失笑するしかない。

エントロピーの法則も考えずにそうした自然エネルギーなどと考えていたことが知れ亘るのである。そのようなエネルギーがそもそも存在する筈が無い。あるのは大気圏内においての持続性可能なエネルギー源でしかない。

結局代替エネルギーよりも節約のみであると言わんばかりに、電化製品のスタンバイ機能を禁止すれば連邦共和国内で56%の節電が出来るというのである。産業用もまだ16%の削減の余地があると例示する。



参照:
Wieso stellt sich das Bankenviertel tot?, David Graeber, Nils Minkmar, FAZ vom 21.5.2012
Ich trete aus, Enoch zu Guttenberg, FAZ vom 12.05.2012
Debt: The First 5000 Years (Wiki)
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by pfaelzerwein | 2012-05-21 21:29 | 歴史・時事 | Trackback