<   2013年 08月 ( 30 )   > この月の画像一覧

索引 2013年8月


ルーティンな生活と刺激 2013-08-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
2009年産の過熟成速報 2013-08-29 | ワイン TB0,COM0
レンズの違いがあってこそ 2013-08-28 | 生活 TB0,COM0
歴史的な感動のその時 2013-08-27 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
嘗てのモダンなクラシック 2013-08-26 | 文化一般 TB0,COM0
ドイツロマンティックのメッカ 2013-08-25 | 文化一般 TB0,COM0
実りの季節も間近 2013-08-24 | 暦 TB0,COM0
新Aクラスのターゲット 2013-08-23 | 雑感 TB0,COM0
持続性の無い文化の担い手 2013-08-22 | 文化一般 TB0,COM0
神話に繋がる夢物語 2013-08-21 | 文化一般 TB0,COM0
完全に終わったその伝統 2013-08-20 | 試飲百景 TB0,COM0
神々しい微笑に映る魂胆 2013-08-19 | 女 TB0,COM0
週末の仕事と満足感 2013-08-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
恋文ならず招待状を認める 2013-08-17 | 女 TB0,COM0
フランス美人へメール送付 2013-08-16 | 女 TB0,COM0
完全に夏は終わりそう 2013-08-15 | 文化一般 TB0,COM0
ぺドフィリア合法化の綱領 2013-08-14 | 文化一般 TB0,COM0
ブルゴーニュらしいピノノワール 2013-08-13 | ワイン TB0,COM0
しなやかに口説きたい 2013-08-12 | 女 TB0,COM0
精力絶倫へ一直線 2013-08-11 | 生活 TB0,COM0
菜食日制定への公約? 2013-08-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
名人E・コミーチの影を慕う 2013-08-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
イタリア女性観察日記 2013-08-08 | 女 TB0,COM0
ヨーロピアンテーストとは 2013-08-07 | 文化一般 TB0,COM0
スピード即ち安全の登山 2013-08-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
天気予報で一喜一憂 2013-08-04 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
キャムプ用リースリング 2013-08-03 | 試飲百景 TB0,COM0
欲しかった大人の玩具 2013-08-02 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
早落としの村名ピノノワール 2013-08-01 | ワイン TB0,COM3

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by pfaelzerwein | 2013-08-31 00:00 | INDEX | Trackback

ルーティンな生活と刺激

朝起きして、16分ほど走った。往復2500歩ほどである。川沿いの往路は頑張って、1178歩、7分である。これ以上早く走ろうと思えば、完全に800M走ペースになってしまうかもしれない。そこからすると往復で12分は不可能なので、距離は3000m以上あるだろう。これ以上は限界が見えてきたが、それでも復路をしっかりと走れるようになったのだから、習慣とは恐ろしいものである。

昨日は久しぶりに最先端技術の基礎的な原理について少し勉強した。基本はケミカルの反応であるが、これによって連邦共和国だけで原発二基分つまり2テラワット時の節約になるというから、将来の環境技術として大きな意味を持ちそうで、いずれは世界の大都市の環境を改善できるの違いない。それだけでなく生活の隅々に関わってきそうであり、その市場は途轍もなく大きい。

私自身は夏が終わり、気候が良くなって、気が引き締まってくるとこうした基礎的な思考に集中する気持ちが高まるのだが、平素から毎日のように習慣化することが無くルーティン化しないので、アマチュアー仕事を繰り返しているばかりなのである。日本の夏の痴呆の生活を無駄と感じて移住した訳であるが、習慣と言う意味ではどうも季節労働者的な傾向は一生涯変わりそうにもない。

それでも、ルーティン化していないからこその刺激と言うか、生活のアクセントとなる独自のライフスタイルがそこに実現する訳で、こうした幸福感はまさしく至福なものであると感じるのである。同じように、身体を動かすこともあまりルーティン化してしまうと生活のアクセントとはならないので喜びが薄くなってしまうに違いない。

相棒の町医者から電話が掛かってきて、帰宅したということだった。そのコルフ島での二週間の滞在延長の顛末は殆ど想像がついているが、本人に言わせると「ドラマだ」となるのだ。それはともかく、またこれで週末から平常通りとなる。既に今週は、火曜日と木曜日の二度走っており ― この一週間で四回 ―、水曜日のクライミングはお休みにしたが再会できる準備は出来ている。



参照:
潮流を正しい力に換えるには 2011-07-30 | テクニック
時間当りの変化量の問題 2007-02-06 | アウトドーア・環境
発汗による体温の調整能力 2010-07-22 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2013-08-29 16:59 | アウトドーア・環境 | Trackback

2009年産の過熟成速報

ラディオで日本のロケット打ち上げが中止になった速報が流れていた。これの固形燃料型によって日本は商業化に拍車をかけるという紹介であったが、それだけに関心は強かったようである。SWR文化波の切り口は、FAZ紙のそれとはまた違う意味でその背後にいる聴視者の専門性を感じさせるそれがある。だから、最初から分っていた福一の地下水汚染に関しては他のメディアほど騒いでいないのかもしれない。ソチオリムピックボイコット問題はどうなったのか?西側諸国による代替地は決まったのか?シリアはサリンを使用したのか?

2010年に感動したロベルト・ヴァイル醸造所のテュルムベルク2009を開けた。既に瓶詰め後二年以上経過しているので過熟成が予想された。開ける機会を逃してしまっていたので仕方が無い。しかし知りたかったのはその香りの有無であって、変化であった。当初のような素晴らしい香りが存在しているならば、所謂酸化法での醸造の成果を示す結果となるからだ。

ヴィルヘルム・ヴァイル一行がヴァッヘンハイムを訪れ、本格的なグランクリュとブルゴーニュシステムを検証したのは既に二年以上前のことであり、正しく香り溢れる辛口リースリングの長期瓶熟成醸造こそが、ヴァイル一行がブリュクリン・ヴォルフ醸造所で習うことであった。

結果からすると、土壌特有の所謂ペトロール香が既に出ていて、2009年の特徴である早熟を表わしていた。それでも試飲会で感じた香りはその果実風味として確りとかもし出されていて、なるほど少し峠は過ぎたようであったが中々立派なリースリングとなっていた。もう一年ほど寝かせると完全に完熟のリースリングとなったであろう。

要するに果実風味の薄い蒸留酒のようなリースリングを高品質に提供してきたこのトップクラスの醸造所も新たなシステムの中で俗受けするワインも提供できるようになったのである。勿論、グレーフェンベルクのグランクリュが更に香味溢れる高級リースリングとなることは間違いなく、これで完全にその新設備とともにグローセスゲヴェックスでも上位クラスに君臨するだろう。

その反面、今回のそれが示すように、その果実風味は甘さ感となっていて、本格的なグランクリュからは遠い。少なくとも四五年の時点でそうした甘さを感じさせないのがブリュックリン・ヴォルフ醸造所のグローセスゲヴェックセであるのに反して、二年ぐらいで頂点を迎えてしまうのが最大の問題なのである。勿論それはラーゲンヴァインであり、価格は20ユーロ前半となっていて、その比較対象は下位の醸造所のグローセスゲヴェックスである。今後この地所のリースリングを購入するかどうかは分らないが、試して決して損はしなかったワインである。



参照:
余裕が全く無くても冷静な元旦 2013-01-01 | 料理
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2013-08-28 21:49 | ワイン | Trackback

レンズの違いがあってこそ

眼鏡屋に行った。二年前に新規購入を考えて、検眼の後、枠もレンズも選択した。そしてオファーも貰ったのだが、金額が前回よりも二百ユーロも高くなっていて尻込みした。そしてなによりも、眼鏡マイスターがあまり強く勧めなかったのが気になって断念した。

そして今回親方を訪ねると休暇中ということだった。日曜日にひょっこりとドロミテの写真のCDRをもって家をを訪ねてきた山仲間の親方とは別人であるが、その人がいないと駄目なのだ。休暇明けを待って改めて訪ねることにした。今度はこちらも覚悟は出来ているが、先方がどのような態度を示すか?

なによりも車の運転での近視が進んでいるようで気になっているのだ。事務仕事の効率などは落ちたままで、慣れで済ましているが、運転事故となると後悔ではすまない。少々の投資は仕方が無い。

勿論、度が合うようになると、クライミング中の危険防止だけでなくて、じっくりと若い女性の表情を観察できるようになる。一寸した心理的な動きを見逃さないようにしたいだけでなくて、要は鼻の下を長くして見つめたいのである。それゆえに、ここ二三日中に発注してと思っていたのだが、それは適わなかった。

クライミングでは、花崗岩のような細かな襞を読み取る必要は雑食砂岩では無いが、遠近感や影などは下から観察しやすいようになるに違いない。問題は、二月も登ればグラスや枠に傷が入ってしまうことだろうか。今更ガラスには出来ないが、禁物である。

新しい小型デジタルカメラを探している。ドロミテで皆が持っているキャノンのそれを改めて比べると、最近のものは大分軽くなっているのに気がついたからである。少なくとも使用している十年以上前のサイバーショットの初期のものが200グラムを越えているのに対して、現在のものは140グラムを切っている ― 250グラムほどでミラーレス一眼レフもあるという時代だ。その差は安全冠つきカラビナ一個に相当する。こうなれば買うしかないのである。そもそも機能は比較にはならなかったが仕事にも使って、大きさは兎も角重量ではそれほど不利ではなかったからである。

今回は、重量以外にもポートレートなどにも力を発揮するものが欲しい。その最大の理由は、子供のときから被写界深度と絞りを学びまたライカM3などを触ってきたが、結局は今までそれをそれほど使いこなせずにいた。しかしここに来て、デジタル処理やその他の経験も積んで初めてデジタルカメラの機能が飲み込めてきた。所謂バカチョンカメラを使っているのだが、そうしているうちに初めて雑多な知識などが技術的な解析として役に立ってきたのである。恐らく今後も本格的にカメラを弄る時間も機会もないように思われるが、デジタルの機能を生かす方法が漸く見えてきたからである。

そして今、アイフォンとこうした小型デジタルカメラが競合になってきているという。なるほど一台で全てが済めばそれに越したことは無い。しかし現在のIPHONEレヴェルではまだまだ仕事には使えないと感じている。そもそも新車を買うまでは十分な移動事務所とはならないと考える。そしてこの十年ほどは現場で仕事をしたり現地で資料をあさったりする仕事から離れているので、その必要もあまりないのである。

基本的には、風景写真などが主体となるのであるが、そうしたバカチョンカメラの制約の中で写し込める自信がついてきたのである。そして携帯電話のレヴェルとは全く異なる写真や動画を撮るのが目的である。特に最近の多機能の写真モードのような考え方はマニュアルの可能性をなくしている反面、それに勝る機能性や速写性能を加味していて、今までの知識や経験を活かしてとても面白い構図を狙える可能性が見えてきたのである。その中でもポートレート的な撮影は、言うなればもともと知識や技術があっても素人が素人を写す限り限界があった分野で、証明写真に準ずるものさえ技術的に困難なものであった。その裏をかいた写真撮影を試してみたいと思ったのである。



参照:
ガブリエリ・ルッペに学ぶ 2013-07-23 | 文化一般
ライカ社のエルンスト二世 2007-03-12 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2013-08-27 20:17 | 生活 | Trackback

歴史的な感動のその時

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承前)七月に横から撮影したドロワット北壁を単独登攀したときのラインホルト・メスナーの文章を読んだ。メスナーの記録の跡を追いかける機会は今までなかったが、いづれはその経験を得ることはあるに違いない。そのようなことが可能なのは、彼が活躍した時期が既に時間の流れの中で歴史化していることによる。アルピニズムの鉄の時代からその後の転換の中で、ボナッティーなどの時代を経て、そこへ受け継がれるのだ。

当該の文章を読むとその技術的な経過の中でもアイスクライミングに関して、完全にメスナーの時代は歴史になっていることを感じた次第だ。メスナーの「第七級」などを手に汗して精読していた我々世代には、特に原本が翻訳されてという過程でその内容自体が過去のものになっていることには中々気づかない世代には、余計にその歴史化を強く感じるのである。

恐らくその壁は、1955年の初登攀から十四年、丁度54年前の七月当時は単独どころか殆ど登られていなかったようである ― それ以前に弟ギュンターと挑戦していて敗退している。それに数日をかけて当時は登るようなことがまだ考えられていたのには驚いた。その最大の理由は、アイスクライミングの技術的な進歩が深く関わっており、メスナー自身もピッケルは一本で、もう一本はアイスピックを使っている。要するに1970年代になって登場するピオレトラクションの二本のピッケルを使っての技術は開発されていないどころか、メスナーは「バランスを崩さずにステップを切れる傾斜ではない」と書いている。

我々の世代では殆ど氷にステップを切ることはしなくなったので、まさしくメスナーはまだまだその技術で活躍していたことがそこに示されていてとても興味深い。それゆえに、朝一番では出来るだけ傾斜の強い場所を避けるよいうにして登り始めているのは当然であろう。しかし実際には、上部岩壁での小さなハングの乗り越しや花崗岩のリスに苦労していて、氷の詰まった場所を避けるようにして、上り下りを繰り返してルートを探し出している。勿論そうした岩の場所であるから初期の残置ハーケンに核種の長さのザイルを引っ掛けて確保手段としていて、自らも持参の二本のハーケンも打ち込んでいる。

この単独初登攀を読ませるのは、なによりも、その重圧感とその開放の時の記録だ。久しぶりに嘗て「第七級」を読んでいたときのように引き込まれた。その文章内容自体が、1980年代に綴られたとしても、その後の「ヒマラヤの涅槃の世界」の表現とは異なっていて、当時を回想するには荒々しさを感じさせるほどに十分に率直な筆致である。久しぶりにアルピニズム文学を楽しんだ。

日曜日は、どんよりした朝から、昨晩の水滴が車を濡らし、地面を湿らしている中を走った。パン屋への人並みは十分であったが、いつもの駐車場へというと一台しか停まっていなかった。暫くすると犬の散歩を兼ねてジョギングする男性が一人やってきたが、とても静かな日曜日である。道が濡れていて、何時降りだすか分らないので、峠往復のコースを取った。前日は川沿いの長めの取水井戸までの道を片道だけ1840歩、11分で走った。その疲れが若干残っていて、ゆっくりと走った。足の疲れや、金曜日の石切り場での上体の疲れもあって、テムポよりもピッチにまた呼吸に気を使って走ってみた。途中長めのピッチを切れた成果か、3130歩、21分は丁度一週間前のテムポを気をつけて走ったときと殆ど同じであった。何を意味するのか?下ってきて、5352歩、35分で先週よりも足元が悪いにも拘らず、なぜかピッチが伸びている。この二回の走りを通して感じるのは、腕の振りがよくなって来て、走る身体つくりが徐々に出来てきていることである。ランナーの上体には独特なものがあると思うが、少なくともクライミングの肩の解しには役立ちそうである。一時感じていた下腕の筋の張りよりも、上腕のそれを感じるようになったのはなぜなのか?

この週は、比較的低調だった。理由は分らないが、天候の変わり目で多くの人がその影響を受けているに違いない。さて、いよいよシーズンのラストスパートである。石切り場では、難しいものを登るよりも自身の限界を試すために違う登り方で、様々な身体の動きを試している。技術に関しては、可也のところにきているのを感じている。もう一息、身体の軸を作れれば次の段階にいける。そうした練習の一つとしてクライミングダウンも戸外でやる練習に加える。限界域での登攀とこれらのボルダーリング張りの練習を併せていけばなんとかなりそうな気がしてきた。

なによりも動機付けも重要であり、確りとぶれない指針を持たなければ時間が足りないであろう。夏のシャモニやドロミテでの体験は、とてもその目標を現実味を与えてくれたのである。それでもこうした基礎練習の積み重ねで、やれることとやりたいことも益々明確になってくるのである。



参照:
アルプスで最も過酷な壁 2013-07-21 | アウトドーア・環境
環境、ただそこにエゴがあるだけ 2010-01-23 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2013-08-26 17:23 | アウトドーア・環境 | Trackback

嘗てのモダンなクラシック

先日車中のラディオでザルツブルクからの報告を聞いた。やはりなくてはならないモーツァルトのオペラでの大失敗の報告だった。エッシェンバッハの振ったコシファンテュッテが、その演出、音楽ともに大不評であったというものだ ― 新聞を見ると強調があっても十分に劇にあった音楽づくりが出来ていなかったようだ。その触りを聞いたが、それほど酷くは無いが、なるほどテムポも遅く引きずるような運びは皆が期待するロココのそれではなくて、クレムペラー指揮のようななにかがないと評判が悪いのは当然だろう。中々実践するのがとても難しいオペラだと思う。レコーディングされている幾つかの名演に比較できるようなものはなかなか遭遇できないだろう。ありえるとすれば古楽楽団のものかもしれないが、そうなると会場の大きさも問題になりそうである。

兎に角、モーツァルトのオペラやヴァークナーがどうであろうともそれほど芸術的な話ではない。そもそもザルツブルクのそれに観光や商業的な意味以上の芸術的な香りを嗅ぐのは益々難しくなってきている。そのような中でこの夏の頂点は、八十六歳のミヒャエル・ギーレンが振るマーラーの六番であったとする記事を読んだ。大きな写真は楽員や関係者が祝祭劇場前でプラカードを掲げて、合弁と解消に危機感を訴えかける様子である。

SWRバーデンバーデン・フライブルクのこの状況に対して、ザルツブルクの音楽祭は団結を示して、マーラーツィクルスを催すことになっているようで、老体は鞭を打ってこれに参与することになっているようだ。まるで、バーデン・バーデン音楽祭やバーデン・ヴュルデンベルク州にあてつけのようにザルツブルクが動いているのはとても面白い。しかし、この記事ではそうした皮相的な意味ではなくて、今回の芸術的な成果が必ず新たな管弦楽団編成への大きな影響を及ぼすであろうとする点である。

ギーレン指揮のそれが芸術的に頂点にあったかどうかは議論の余地があるが ― それにもう十年ほど前からその統制力に衰えが散見されていた ―、戦後六十年の歴史はシュツッツガルトのそれとは全く意味が異なるのは当然で、そのアンサムブルの個性は、ドイツの放送交響楽団の中で抜き出ている。なるほど技術的な技量に関しては、世界のトップと比較すると見劣りするかもしれないが、放送交響楽団の中では決して悪くは無いであろう。シュツッツガルトのそれはなくてもあってもどちらでもよいので、合弁はとても惜しい。



参照:
Vorschein künftiger Katastrophen, Gerhard Rohde, FAZ vom 24.8.2013
土壌の文化性の問題 2012-12-26 | 文化一般
朽ちる第一報を耳にする 2012-09-29 | 文化一般
ゆく河の流れは絶えずして 2005-08-01 | 音
無知蒙昧の大鉈の前に 2012-02-23 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2013-08-25 17:34 | 文化一般 | Trackback

ドイツロマンティックのメッカ

九月に入るとグローセスゲヴェックスの受け取りや試飲が相次ぐ。特に今回は最初の週末に試飲会が重なっているために、金曜日から日曜日で四回以上の試飲会をこなさなければいけない。南北で二百キロほどの距離を移動するのも大変だ。なんとかなりそうだが、さてどうだろう。

新聞の文化欄を覗くと、「ゲーテヴァイン」でマーケッティングされているブレンターノ家の全てが宙に浮いているという。現在の当主は、文化財として残すために州政府に買取をオファーしているのだが、結論は九月末まで出ないということで痺れを切らしており、選挙がらみでそれの扱いも問題となっているようだ。外から見ても分るように、一億円ほどのオファーで三十年間払いならば大した物件ではないのだが、シナ人やロシア人からの関心を武器にして、州に圧力をかけているようだ。

そこにあったレストランも借り手がないようで、歴史的なブレンターノの家の保存状況もあまりよくないらしい。離れに息子夫婦が住んでいて、もはや持ちこたえられない状況は変わらないらしい。

そもそもブレンターノ家は、ロンバルディ出身の貴族であり、フランクフルト界隈にその軌跡があったのだが、ゲーテハウスの近くのその本拠も戦災で、駐車場となった。それゆえに、管理をしているゲーテハウスと同じ財団は、どうしてもこのヴィンケルにあるブレンターノハウスを護りたいようで、SPDは芸術と文学のメッカにしようとしているようだが、その予算の裏づけが無いところでは選挙向けの花火としか思われない。

いづれにしても、パパラッチを避けゲーテがお忍びで九月にはここに滞在して、その葡萄の並木をパジャマで散策して、グリム兄弟や、ピアノを弾いても男たちを魅了したベティーナの後の旦那となるアーニムなども頻繁に訪れたそのサローンの幾重が決まるというのである。

シナ人がそのワインで商売をしようとするのは分るのだが、実際のそのワインの質に関しては、ラインガウの場合は可也厳しい状況であるのは、より良い筈の地所であるヨハニスベルクの現状を見れば明らかだろう。



参照:
万霊節への静かなざわめき 2011-11-02 | 暦
馭者のようにほくそ笑む 2007-10-22 | 文化一般
ベッティーナ-七人の子供の母 2005-03-16 | 女
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by pfaelzerwein | 2013-08-24 22:26 | 文化一般 | Trackback

実りの季節も間近

人恋しい季節となってきた。今年の天候の特徴がここにも表れていて、とても移り変わりが激しい。葡萄を観察するのを忘れたが、そのような気配は全く無かったが、昨年なら摘み取りもブルグンダーを中心に始まるころだ。その前にノイヤーヴァインの摘み取りだろうか?ここ三週間ほどの話である。

ラジオを聴いていると、2011年産のアイスヴァインの収穫が規定に達していなかったとしてマインツの州政府とワイン農家の間で抗争になっているようだ。つまり今年一月十六日から十八日に収穫されたアイスヴァインは気温摂氏零下七度以下での収穫とはなっていなかったという判断を五月に下したからである。

そして、そのアイスヴァインとして申請された九割がラインヘッセンからのものであることを考えれば、緑の党のワイン大臣が語るように、「禄でもないワインをアイスヴァインと称して高額で扱う詐欺行為」となる。そもそもカナダと並ぶアイスヴァインの産地での市場は小さく、亜細亜と北米に向けた輸出品となっているので、大臣の弁明も「消費者保護だけでなくて、市場での競争力」を考慮しての判断だということになる。

しかし、零細農家でまともなワインを醸造していない生産者にとっては、文字通りドル箱商品なので、一年に一回徹夜作業をするための報酬に喉から手が出るのである。私見では、まともなアイスヴァインが収穫できるのは精々十年に一回なので、毎年のように収穫しているのが不思議で仕方がないのである。上質のアイスヴァインなんて殆ど存在しない。若しそのようなものがあれば試してみたいとは思うのだが、地域も醸造所も本当に限られてしまうのである。

さて、収獲した筈のアイスヴァインが、全て認められないとすると、その出来上がったワインは全く価値が無くなる」。なぜならば腐ったような葡萄のエキスを集めた亜硫酸が大量に含まれた飲み物なんて不健康極まりないからである。



参照:
氷雨が予想されていた日曜日 2013-01-28 | アウトドーア・環境
世界で最も高級なワイン市場 2012-07-28 | ワイン
祝!厳寒のアイスヴァイン収穫 2009-12-20 | 暦
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2013-08-23 15:50 | | Trackback

新Aクラスのターゲット

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車がピット入りした。すでに六月には距離超過していたのだが頑張って引き伸ばしたのである。既に1800KM以上超過している。当然の事ながらオイルは下限限界の域で、ボードコムピューターは注意を喚起し続けている。それ以上にシャモニ往復の前から、ABSなどの車両安定装置が故障ということで、即車庫入りを警告されていたのだが、始動時には警告が消えていてスタビライザーが効きそうな状態でブレーキを踏むと警告を発するので、明らかにいつもの電子系統の不具合と見抜いて、様子を見た。すると、自動巡航装置が警告に伴って作動しなくなることに気がついて、今度は自動巡航装置の方から様々試してみた。シャモニからの帰宅時には、出来る限り長い距離を自動巡航装置で走ってみると、もはや車両安定装置等の警告が出さなくなった。

警告を出さないということで、調べさせることもしなかった。恐らくマイスターも気がつかないであろう。調査させるとそれだけで結構な額となるからだ、そもそもドイツ車の電気系統の信頼度はその程度でしかない。

さて、今回代車として一日借りたのは、新しいAクラスで、初めての試乗となる。スポーツチューニングの為されているA200のマニュアル車である。座ってみて直ぐに完全に新しい車となっていた。最初のアイヒテストでの転倒が話題となったAクラスからすると別の車となっていて、その欠点の多くは修正されている。例えば乗り込むときの腰高感はなくなっていて、完全にスポーティーな車となっている。それどころか、車高が低くなっていて、後部座席などは子供向きで、ポルシェに近づいている。

走行感は、太く薄いタイヤのせいもあるのだろうが、撥ねる感じも強く、その点でも以前のイメージのBMWの3シリーズを越えている。加速感も可也のものでこれも911に近い。現行の3シリーズを試してみないと不公平であるがこのシャーシの硬性感ならば、十分にスポーティーさでBMWに対抗できる。それ以上に若干緩いが十分に操舵駆動性もよく、ブレーキもかみそり系でありながら、調整力もある。これならばダイムラー社の本格的なスポーツカーも試してみたくなる ― 高速走行に関しては、返す前に限界域で走らせて、感想を追記しよう。

そして、オートクルージングが方向指示器のレバーの下についていて、常時使える感じになっている。とても使いやすくて、自分自身の車より明らかによい。さらに、マニュアルでありながら、一度セッティングすると、その速度で走りやすいようにとても細かに出力を制御しているようで、スピード違反にならないほど、巡航速度が保たれる。とても素晴らしい技術である。

とても素晴らしい走行感は、静かなエンジン音をタイヤの走行音が完全に打ち消していて ― これは昨今のメルセデスの音つくりのひとつであり、それなりの上質なタイヤを想定してある ―、如何にもドイツ車らしい雰囲気を備えているので、最高速度が時速130KMほどの日本などの高速では十分な満足感が得られるであろう。

反面、がたがた道などを走ると可也はじくので、衝撃を十分に抑えておらず、乗り心地は悪く、更に助手席なども横にならないとヘッドスペースが無いので狭い。更にハッチバックの窓も狭く、殆ど、戦闘機並みの閉塞感である。911などよりもはるかにタイトな移住空間である。若夫婦と赤ん坊で、精々片道二時間ぐらいの走行が限度だろうか。

価格も、借りた車が二万八千ユーロであるから、二十代から三十代の若い人向きの車で、まさしくそこに市場ターゲットを組み立てた車なのだろう。なるほど、これならばBクラスを選択する別な市場もあることは分る。

運転の心地などは決して悪くは無いのだが、我々の感覚からすれば、もう少しの高級感が欲しい。例えば振動で音を立てる内装などは、明らかにスペインなどの外国産であり、メードインジャーマニーでないことを示している。

序ながら、この車には、車載カメラがついていて、バックの操作が一望できる。とても面白い、次の車は、パーク補助を付けるならばバックカメラも付けた、ネットシステムとしたい。夜間赤外線カメラも是非装備したい。


追記:アウトバーンで本格的に走らせてみた。恐らく最高速度は190KMほどで、現在の水準からすれば遅く、180KMからの加速は時間が掛かり、185KMしか出せなかった。安定性はレクサスなどと比較して悪くはないが、肝心のブレーキが高速ではあまり鋭く効かなくなる。タイヤが良いためか、ハンドルの切れも悪くはないのだが、もう一つ正確さに欠ける。一日90KMほど乗って、10Lの消費は多過ぎる。再び自らの車に乗り換えると、何時ものようにそれほど硬性感を感じないのは、この車が如何にスポーツ仕様になっていたかと言うことである。しかし、暫くすると、ハンドルやブレーキの扱いの精妙さが全く異なることに気が付き、騒音や居住性だけでなく、走りそのものの質が違うことに気が付く。十年以上前の車でも、価格が全く異なることからすれば当然と言えば当然なのだが、ワインと同じでそれを必要とするかしないかは、そもそもその差異を知っているかどうかの違いであって、「高級」な市場はそれほど拡大していないだろう。



参照:
安定と静粛の乗り比べ 2008-05-09 | 雑感
誤まった制御装置プログラミング 2010-02-15 | テクニック
空気バネの車が欲しくなるとき 2011-01-24 | テクニック
市場が見え難い車Bクラス 2012-08-14 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2013-08-22 20:00 | 雑感 | Trackback

持続性の無い文化の担い手

事件の陰にはシナ人がいる。シナ人の世界での「活躍」からすれば当然のことで、特に合衆国やニューヨーク周辺ではシナ人が居なければ成り立たなくなってきているに違いない。シナ人は既に影の主役である。

ここでも既にアートランドホテル蓼科に併設のマリー・ローランサン美術館閉館の話題に関連して、その偽作騒動の影響の疑惑を伝えたが、まさにその偽作の主役が判明しそうだというのである。

ニューヨークのクイーンズに住む73歳になるシナからの移民が、その偽造に勤しんでいた板可能性が高くなっていて、例年とは違う事情で奥さんとともに里帰りしているというのである。移民四十年のこの男は、言葉も不自由で生活も儘ならなくて、近所の人によれば、あまり見かけることも無く、室内で仕事をしていたという。そして、時々高級車で人がやってきて、絵を持ち出すのではなく絵を運びこんだと言うのである。

恐らく彼が多くのモダーンな絵画、それも合衆国で十五の屈指に含まれるような作品を偽造していたに違いない。そしてそのような作者は、欧州におけるベルトラッチだけでなく、世界中にこうした類例がたくさん似るに違いないのである。本人は一作品について数千ダラーしか受け取っていなかったというが、末端価格は六十億円にもなっているのである。

そしてマンハッタンのアッパーイーストサイド19のクノエドラーギャラリーに、マザーウエルやポーロックらの新発見の作品を持ち込んでいたのが依頼主とされるメキシコ女性グラフィラ・ロザレスで、スイスに居住する息子などによってそれらの絵画は欧州でも売買されていて、スペインの口座の脱税容疑で既に起訴されている。

しかし、そうした犯罪構造には、なにも悪徳商人のみが暗躍しているのではなく、フリードマンやヴァイスマンと呼ばれるようなロバート・マザーウェル本人が創立したデダルス財団の専門家がこうした偽物を紹介して売りつけていて、そうした中間マージンですら40億円相当になるとすると、扱う人物の社会的信用などはこうした金額の前にもはや意味を持たなくなる。当然のことである。

なぜこうした偽作売買の犯罪に興味が湧くかは、新聞が伝えるように、そもそもベルギーのヘッジフォンド代表のラグランジェラが投機的な興味を示したことで、ポーラックやマルク・ロスコ、クライムらの現代絵画が高騰した背景があり、それをして実の無いところの価格変動として絵画と株価が並行して挙げられる。そのことが本質的な問題なのである。

マクロ経済学では、そうした架空の需要をどのように定義するのか知らないが、市場における需要や経済的な実質が無くとも、投機することで基礎価格があがり、その売買でその利鞘がそれに伴って拡大するから、実質などは全く関係がないのである。こうした経済や文化に持続性がないことは明白なのである。



参照:
偽造する人、商う人、騙される人 2012-01-22 | 文化一般
市中で鬩ぐ美術品 2006-08-29 | 文化一般
Beltracchi auf Amerikanisch, Niklas Maak, FAZ vom 20.8.2013
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by pfaelzerwein | 2013-08-21 20:02 | 文化一般 | Trackback