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細川候の持続的環境意識

久方ぶりにワイン地所を散策した。僅か三四十分であったが、それなりに気持ちが良かった。最近は時間があれば走っているので、このようなほっとする時間があまりないのだ。ゆっくり走りながら考え事もすることも出来るようになったが、やはり歩くときとは大分その思索内容が違う。

地所を歩いていてそこの新たな変化に気が付くこともあるが、なによりも驚いたのが、マリア塔の下の土手の草木が刈られていることだった。なるほどその斜面一帯は一切手が入っていなかったので、密生した蔦や木など生い茂っていたのだ。その一部は野鳥の憩いの場所となっていたのは知っているのだが、恐らく全て刈り取られるのではないかと思う。

これを見て直ぐに細川候の外国人記者クラブでのインタヴューを思い出した。それは、氏のスローフード哲学の内容を吟味してからだった。今回の都知事への候補での意味合いは文化的にはそこにあるからでもある。

予てから、なぜ欧州の森は下木が整理されていて歩きよく、なぜ日本のそれは原生林でなくとも歩くことも出来ないほど密生しているかに興味があったのだ。その理由は、欧州の森に放牧地のアルムのように手が隅々に入り伐採と植林の営みがあるからだということは十分に理解しているのだが、この僅かな場所で手つかずにおかれると車道の横でもこうした密集が生じるということを目の当りにすることはあまりないのである。

そこで細川候の自然エネルギーや日本人と自然の繋がりの哲学に典型的な日本のそれを感じて、所謂再生可能の持続的環境の保護の運動とは異質のものを感じたのである。論文盗作で失脚したツ・グッテンブルク大臣の父君である指揮者のエノッフ・ツ・グッテンベルクは保守環境保護ブントの創始者の一人であったがで、その運動が環境政党「緑の党」が左派政党から現実路線へ、そして保守緑の党へとの流れの過程で大きな意味を持っている。そして、そこで明らかになるのは緑の党の環境意識はカトリックのそれであり、プロテスタントのメルケル首相の持続性社会の構築はまた強い環境意識の表れであるということである。

つまり、細川候の自然観はなるほど保守的な環境意識であり、一つの哲学とすることは可能であるが、それがなかなか政治的に社会的に大きな運動とはなりがたい意識であることは明らかなのだ。上の密集の例は、その典型であり、自然をこよなく愛すとして、無為自然を貫くことの結果なのである。成程放っておいても野鳥などの住処となって自然に貢献するのだろうが、荒れ放題になって少なくとも人間の経済に貢献するというようなことは無い。要するに持続可能とは正反対の事象なのである。

経済、細川候は経済重視の政策を批判するが、持続性のある経済、つまり環境こそが構築されなければいけない自然なのである。緑の党などの運動が、それどころか「環境」という言葉が十分に咀嚼できない素朴過ぎる日本文化の中で、スローフードの本質がどこまで多くの人に伝わるのかどうか、とても疑問なのである。

それに比較すれば、スターリニズムのポピュリズムやTPP見解などの閉鎖性は、島国文化の特徴と思考には分かり易く、それが容易に受け入れられる素地があるのだ。環境やグローバリズムや新自由主義の本質はそのような次元にあるのではない。反原発運動の市民運動と政治思想については改めて考えよう。



参照:
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
移民政策 (Hodiauxa Lignponto)
黒雲覆い始める中、マン「ファウスト博士」の下巻へ (壺中山紫庵)
万能細胞なんて要らない (猫のひとりごと)
ドイツワインの復活を期した最高の造り手達の挑戦を記載した本です。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
「脱原発」の意思を明確に! (唐松模様)
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by pfaelzerwein | 2014-01-31 19:58 | アウトドーア・環境 | Trackback

索引 2014年1月


笑窪が嬉しいダウントー 2014-01-30 | 雑感 TB0,COM0
07年産を吟味、11年産を試飲 2014-01-29 | ワイン TB0,COM0
ドイツ経済の社会的機動力 2014-01-28 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
春に向け足元を整える週末 2014-01-27 | 生活 TB0,COM0
後ろ向きに考えてみれば 2014-01-26 | ワイン TB0,COM0
腕がパンパンになる日々 2014-01-25 | 生活 TB0,COM0
印象に残る追悼文の数々 2014-01-24 | 雑感 TB0,COM0
原発なんてどうでもよい? 2014-01-23 | 文学・思想 TB0,COM0
見苦しい日本国大使の反論 2014-01-22 | 歴史・時事 TB0,COM0
日本の情報統制の進行? 2014-01-22 | 歴史・時事 TB0,COM0
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般 TB0,COM4
すべては金で動くのか? 2014-01-20 | 雑感 TB0,COM0
今週も燃焼しきれるか? 2014-01-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
数えきれない小役人的味 2014-01-18 | ワイン TB0,COM3
二つめのチョークバック 2014-01-17 | 生活 TB0,COM0
身体の、「村上春樹」の変化 2014-01-16 | 文化一般 TB0,COM0
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事 TB0,COM0
日本人の心理と思考 2014-01-14 | 生活 TB0,COM0
六級に誘うための疲れ方 2014-01-13 | 生活
電装系の弱いドイツ車 2014-01-12 | 雑感 TB0,COM0
もう一つ、2007年産 2014-01-11 | ワイン TB0,COM0
バルコンからの冬籠り 2014-01-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
愈々佳境のプラトー現象 2014-01-09 | 雑感 TB0,COM0
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事 TB0,COM2
年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン TB0,COM0
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評 TB0,COM0
安全を内部留保するために 2014-01-05 | 雑感 TB0,COM0
EUのエネルギーミックス 2014-01-04 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
麹の扱い方だけではない 2014-01-03 | ワイン TB0,COM0
大した名誉市民の元旦 2014-01-02 | 暦 TB0,COM0
大晦日も静かに更けて行く 2014-01-01 | 暦 TB0,COM0

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by pfaelzerwein | 2014-01-31 05:49 | INDEX | Trackback

消えた踵のエラ張り

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続いて靴の話である。注文したトレイルランニングシューズが二種類届いた。双方ともスイスのマムート社製である。一つはMTR201MENと呼ばれる最初期の製品で、昨年の四月に購入して、既にメッシュに穴が開いている。丁度左足の小指の付け根の下ぐらいである。プロフィールも擦り減って滑りやすくなっていた。半サイズ小さなものが83ユーロと出ていたので飛びついたのだった。そしてよくよく考えるとやはり小さいので、もう一つ現行と同じサイズであるUK8のMTR201ProLowという95ユーロで出ていたものを急いで注文したのだった。

後者は前者の後継商品であるが短期間に後継商品を出したのは前者に十分な自信がなかったからでもあろう。しかし、そうした過渡的な商品らしく数少ないネット情報では靴の重量が重くなっているような記述がみられた。そしてその名前と丈夫になったということぐらいの認識でそれほど興味は湧かなかったのであるが、オファー価格があまりに魅力的だったのだ。

さて、同時に両方が届くと真っ先に後者の新しい方の商品を試着した。大きさも形状も同じで、材質が固くなっている分足に丁度のサイズであった。そして重さをはかると、なんと片足326Gということで、現行の靴の334Gよりも僅かにだが軽くなっている。これならば全く迷うことなく最初からこの商品を狙うべきだった。

形状が同じと書いたがそれは足入れ部分だけで、シャモニの氷河で最も問題となった踵部のエラが完全に消えていて、その波状からイボイボ状になったプロフィールと共に丸くカットされているのである。これで雪の上のツボ脚歩行でも完璧である。更に、切られて二つにカットされた底の形状と共につま先の屈曲点がより先端で明確になっている。これこそ、我々つま先走りと岩場の歩行で求めるシューズの特徴なのである。

また踵の支えも強化されている様で申し分ない。そして何よりも破れた場所がカヴァーされるような補強が張られていて、私が偶々どこかで引っ掛けて破ったのではないことを示している。B787ではないが、工業製品は所謂新生児疾患があるのは当然で、それを如何に直していくかが工業家の腕次第なのである。

そして、最も最初に発注して送り返したUK7.5のミシン仕事の粗雑さは殆ど見られなくなっていて、スイス人が漸くシナ人労働者を教育できていることを知るのである。今や安物のローレックスも中身はシナ製であり、シナで最も売り上げを上げる訳であるから、スイスとシナの共同作業は欠かせない。

最終的には走ってみなければわからないが、ネットに書いてあるように走行感は大分違っている筈だ。とても楽しみである。もう一つの安売りの古い商品は足入れしてみて、小さいことを再確認して早速送り返した。実はその業者はネット上での名前は異なっていても、昨年発注した業者と同じようで、商品自体は同一ではなかったが同じ商品の同じサイズを二回も送り返すことになった。

今回安売りで購入できた新しい靴の業者はベルリンの業者で、支払いを間違って直ぐに電話をすると、なかなか機転が利くようで、素早い対応をして呉れた。ネットショッピングは基本的にはこちらから電話をすることは殆ど無いのだが、こうした対応を経験すると次からもそこのオファーに興味が湧くようになる。なにせ、過渡的な商品ゆえか流通している数も少なく、近々発表される新製品との狭間になっていてほとんど話題になっていなかった商品だけに自分自身で試すのがとても楽しみなのである。さて、一年もってくれるだろうか?



参照:
新製品試着の歯痒い気持ち 2013-04-12 | アウトドーア・環境
靴を雪上で徹底テストする 2013-07-22 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2014-01-30 19:45 | 生活 | Trackback

笑窪が嬉しいダウントー

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クライミングシューズが届いた。イヴォルヴの「シャマン」である。朝から晩まで試着の連続だ。先ずは履き心地を確かめると、店頭で試着した夕方とは違って、大分心地が良い。二足で立つと普通に立てて、痛みが走らない。店頭では、UK8.5では暫くしても立ち上がると痛くて、びっこでしか歩けなかったのである。届いたのと同じUK9はそれ程ではなかったが、薬指当りの傷みは起立すると気分が悪かった。

それだけで、UK9ならば問題なく履けることが確認できた。そうすると今度は大き過ぎないかという心配である。そこで、手元にある新品のポンテスIIのUK7を履くと寧ろ指先が押さえられるのだが、一年前に店頭で朝晩と二回試着した経験が甦った。

最初はつま先のゴムが固くて痛かったのが、足を着地して指を突っ張る感じにするとゴムが延びて応えてくれるのを感じて、頑張って足を広げると靴が広がる感じになったので指が当たっても決断したのだった。そして今回のシャマンもつま先はゴムである。もしかすると伸びて、現在使っているポンタスIIと同じように長い距離でも登れるようになるのか?

そして、箱をじっくりとみる、ポンタスIIの方には、「人工皮革はほとんど伸びないので、常にフィットし続けるようになっている。」に続いて、「ラインの無い本革は半サイズほど伸びる可能性がある。」と言い訳してある。しかし、今度の箱には、「人工皮革は伸びない。」とあり、「先ずは、運動靴のサイズを試して、その辺りを試してから決めろ。」とある。しかし、箱の製品が対応しているかどうかを差し置いても、この二種類の靴の材料の使い方はそれほど変わらない。

運動靴のサイズは、まさに今私が新しいトレイルランニングシューズ選択に頭を痛めているところであり、明日二種類の靴が二種類の大きさで配送される予定である。基本的には、EUR41の靴下で、EUR42ならば使えるということなのだが、靴の形状によって当たり方が異なり、からなずしもどちらが良いとは限らないのである。今回もそれに匹敵する、UK7.5とUK8を発注したのであった。前者は現在使っているものより小さいのでどうしても指が当るが使えないことは無い。後者は、発注した商品が現在使用中の物と足形が変わっていないならば問題なく使えるのだ。

それからすると、現在使用中のポンタスIIは、出来る限り小さいものを購入したのであった。そのお蔭でこの靴の能力を完璧に引き出している心算だ。勿論、発案者のクリス・シャーマのように、5.15が登れる訳ではないが、とても素晴らしいあらゆる技術を駆使できる靴なのだ。

それに比較すると今回の靴は、ダウントーと呼ばれる爪先が下がっている靴であり、土踏まずが湾曲しているだけでなく、先端は太く厚くなって、指を曲げて収まるようになっている。つまり、足も指も伸ばせないのである。その分、スペースが取ってあるのだが、それでも小さめの靴であると、曲がったままの指の背が靴の合成皮革に当たって痛い。だから店頭では、無理して指を押し込むものではないとアドヴァイスを受けた。なるほど、UK7辺りから何とか足は入るのだが、指が特に薬指当りが押し付けられて、しっかり起立できないのである。曲がった指の背で比較を外へと押し込む力は全くと言っていいほど働かず、指骨が曲がったまま当たるだけなのだ。

そこで、外側の長さを測ってみた。荷重していない湾曲した状態では、24.5CMと到底足の大きさに至らない。因みにポンテスIIの方は24.5CMある。荷重した状態で漸く同じぐらいの長さになる。つまりその状態で指が伸びきっていると考えても良いのだが、実際は若干異なる。それは、底の親指の付け根の当りに笑窪が入っていて、どのような状態になっても親指は曲がった形で荷重するようになっているからなのだ。そしてその状態で親指が靴の爪先にしっかりと食い込んでいれば良いと思われるが、どうだろう。少なくともその状態で骨が当たるようであると小さ過ぎるだろう。

それでも、親指以外の爪先は基本的には曲がったままで靴先に捻じ込まれているので、足形によっては当たり方が異なるに違いない。いずれにしても力が先端に集まれば問題ないのだが、最初から傷みも少ないようなものはズカズカにならないかも気になるのである。

少なくとも足の荷重の仕方は、現行の乗り込むものとは異なって、庇の下で爪先で突っ張るような突くような感じとなるのだろう。だから爪先で立つというようなことはあまり考えないで良いのではないか。兎に角、室内壁では全くこれで問題は無いだろうが、ボルダーではどうなのだろう。現行の靴が箱のように騙しが効きにくいので、扱いやすそうだが、サイズを含めて上手に使えるだろうか?使ってみなければわからない。

定価約130ユーロが103ユーロであるから、一足室内壁用に必要であり、ポンタスIIを大事に使いたいので、どうせ強い靴を買う必要があった。店頭で試したUK8.5を再び試してみるのも悪くはないだろうが、その価格差16ユーロと駐車場料金を考えると、今回手に入れたメードインUSAで決断しても良い。どのような靴でも百ユーロでぐらいはするので、本格的なダウントーを先ずは庇で試してみよう。



参照:
ゴムの柔らかさを変えてみる 2013-03-27 | 生活
新しいゴムでの雑念など 2013-10-17 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2014-01-29 22:29 | 雑感 | Trackback

07年産を吟味、11年産を試飲

2007年産のリースリングを開けた。今回はPCのダイデスハイマー・ランゲンモルゲンである。結論からすると先日のゲリュンペルよりも物足りなかった。理由は、柑橘系の酸ではなく、独特のミネラルが魅力であるリースリングであり、今までも楽しめたそれが瓶熟成として大きく開花した印象を与えなかったからである。

なによりも石灰の影響が丸くなってしまっているので我々リースリングファンからすると物足りない。こうなれば完全にフィルンになって落ちこぼれそうな色香を放つまで寝かせる方が良さそうである。2008年春の瓶詰めであるから、現時点で六年弱なので、もう二年ほどで開き切るだろうか?

その前に開けたのがゲオルク・モスバッハー醸造所の「雑食砂岩」の2011年物である。先日、レープホルツ醸造所の2011年「雑食砂岩」が殆ど出来上がっていたので、試してみたくなったのである。全くコンセプトも製法も異なる醸造所であって、後者の2011年物は弱いアルコールの「オェコノミラート」が悪い年とされているので、余計に早めに開けてみたのである。本格熟成には少し早かったが、十分な可能性を確認できたので、春以降の楽しみである。

さて、モスバッハーの方は、土壌がヴァッヘンハイムの一部など比較的低地のものが多いと見えてミネラルには十分な魅力は無かったのだが、アルコール13.5%の分厚さは十分に楽しめた。アルコールを感じさせない果実風味と2011年の完熟葡萄を堪能できた。そして記憶では比較的安価だったのだ。レープホルツと価格と質でとても良い勝負をしていた。これで、2011年を徐々に開けていけることを確認できた意義が大きい。

2007年産に戻れば、本格的な石灰の入っていない土壌のリースリングは偉大な瓶熟成を示しつつある。2001年と匹敵するだけの将来性が期待できるが、残念ながら手元にはペッヒシュタインなどそれほど在庫がある訳でない。石灰含有のホーヘンモルゲンもあるのだが、ブリュクリン・ヴォルフ醸造所も完全に天然酵母へ100%と移行する以前のものなので、追加購入は思案のしどころである。

ピート・シンガーが亡くなったと、情報が目に入った。日本は今漸く市民運動が定着してきたかに見える。要するに失われた二十年どころか、文化的には半世紀後を追いかけているのが日本なのである。このまま、亀とウサギの駆けっこであり続けるのかどうか、世界から注目されるところなのだ。



参照:
もう一つ、2007年産 2014-01-11 | ワイン
2007年に鼻を突っ込む 2014-01-07 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2014-01-28 22:50 | ワイン | Trackback

ドイツ経済の社会的機動力

靴を注文したりしたので、その現行の靴の大きさへの関心もあり朝駆けした。霜は降りていなかったが、昨夜からの霙で、また陽が射してきたので冷えていた。案の定、走行面は濡れていてとても悪かった。

靴下は何時もの通り厚めのものを履いていたので冷たくはないのだが、手袋と帽子は欠かせなかった。ゆっくりと足元を気を付けながら上がっていくと、結構足にしっくりと来ているのである。勿論薄めの靴下を使うと緩すぎるのかもしれない。それでも爪先が丁度触れるようなこの大きさはそれほど悪くないことを再認識する。一つ小さめの靴を注文したが、そのような感想から同じ大きさの新しいモデルも安売りになっていたので発注した。どちらかを返品しなければいけないが、室内であれやこれやと考えるには悪くない。

峠まで上がっても息が上がらないような走り方が出来るようになったのは我ながら天晴で、嘗てはそれが出来なかったのだ。要するにテムポやピッチをさほど意識しないでもスピードをコントロールする術が身に付きだしたようである。それに前日の急坂とは異なり余裕をもって登れる坂の傾斜なのだ。しかし峠への到着時間は、24分、3600歩とそれなりの速度なのだが、楽しみながら登れるのが嬉しい。

下りに期待していたのだが、結構疲れも感じてスピードは出なかったが、これも億劫になることなしに淡々と走れるようになってきた。最後の直線に至ると、下からMTBが上がってくる。地下づいてみると、なんと私の密かなライヴァルの白髪の老婆である。今まではノルディックウォーキングで、しばしばストックを持って走っていたのだが、ついにMTBに手を出したようである。年金を叩いて購入したのだろうか、それともいつも見かける息子のプレゼントか?

恐るべし高齢化社会である。実年齢は分からないが息子の年恰好を見れば七十代から八十代であることは間違いない。運動量や運動能力と健康は比例しないが、あんな老人がウロウロしている社会はやはり人類の進化と呼んでも良いのではないか。こちらもいい年して中学生の修業のようなことをしている訳で、もはや嘗ての社会的な意味の転換がライフスタイルを超えて大きく初まっていることを知るのである。

駐車場に着いたのは、40分、6140歩で、全く冴えないのだが、二日続けて良い汗を掻くことが出来た。明日辺りは、クライミングシューズも上手く行けばトレールランニングシューズが二種類届く。それらの靴次第でまたまた良い動機付けが出来るのである。スポーツ業界は今後とも侮れないと感じた。それも十分にドイツ経済の機動力となる。



参照:
春に向け足元を整える週末 2014-01-27 | 生活
せっせっと我慢の毎日 2013-09-02 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2014-01-28 01:39 | アウトドーア・環境 | Trackback

春に向け足元を整える週末

頂上まで走ろうと思ったが、足も疲れてきたので緑のベンチで折り返した。2480歩、17分は全然良くないが、走り方が良くなっているのを自覚してきている。要するに心肺の具合などでいつでも仕切り直せる強さがついてきた。そして下ってきて、4200歩、29分には驚いた。走っているときから下りなのに普通に走れるのに驚いていたが、もしかすると下りの走り方が本格的になったのではないだろうか。明朝、時間があればパン屋の帰りに峠越しで走り下りて来てみたい気持ちになった。

帰宅して車庫に車を入れて靴を調べると、足の外側の爪先に穴が開いていた。メッシュであるから破れやすいことは想像していたが、走りながら底のプロフィールがちびっているので購入は次のアルプス行の前にと考えていたが、流石に穴を開いた靴ではみっともないので、ネットを探した。マムートのMTR201MENである。

昨年購入したのが四月だったので一年ももっていないが、大分歩いて、走った。その時の価格は割引で119ユーロ越えであったが、見つけたのは84ユーロ以下であった。その差は35ユーロ以上と予想よりも安くなっている。そして、その時は発売されていなかった同じ色のUK7.5サイズが安売りとなっているのである。こうなれば飛びつくしかないのである。

UK7では少し窮屈で走りには使えてもアルプスでは使えないと考えていた。今年はこの靴で長い距離を歩く予定は入っていないので走れる靴があればそれでよいのだ。そして現在使っているUK8では分厚い靴下を履かないとしっくりこないようになっているので、大きさは先ずこれで間違いないだろう。

昨年ドロミテから帰って来てからそのプロフィールの摩耗の仕方が明確になってきたので安売りを探していたのだが漸く見つかった。先日も室内壁で人を確保していて足元が滑りそうになったので、気になっていたのだった。十か月使用で83.95ユーロは決して安くはないのだが、運動着と運動靴を履く時間が嘗てとは桁違いに長くなってきているので、少々の投資は仕方がないのである。シャツを着る時間が減ってきている訳でその分は節約できている。

金曜日には先日店頭で試したクライミングシューズを発注した。ネットで更に安いオファーを見つけたからであり、自宅で朝晩とゆっくり足を入れてみてそのサイズと履き心地を試してみたくなったからである。価格は店頭価格の119ユーロよりも16ユーロほど安い103.92ユーロなので、足さえ合えば韓国製でも購入する心算である。この二足が上手く使えれば、今年はもうどのような靴も買う必要はなくなりそうである。

シナ発信の金融経済への不安が表れてきた、週明け月曜日は更なるフォールが予想される。FAZなどによると10%ほどの修正の動きは盛り込み済みのようであるが、晩夏までと言われていたバブルも早めに修正が入ることで逆に長引くのか、それとも一挙に円高に振れて安倍政権崩壊がカウントダウンとなるのか、興味津々である。兎に角、二年間ぐらいで四割の値の動きを期待できる市場は珍しい。キャリートレードである。



参照:
新製品試着の歯痒い気持ち 2013-04-12 | アウトドーア・環境
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2014-01-26 23:02 | 生活 | Trackback

後ろ向きに考えてみれば

先日パン屋への坂道を走らせると、二人連れの子供がいた。夕方であったからあまりよくは見えなかったが、どうも後ろ向きに坂を上がっているように見えた。サイドミラーで確認すると間違いなかった。もしかして、彼らもちびまる子ちゃんにあるように、「後ろ向きで坂を上ると疲れない」と思って試していたのだろうか。

つまらないワインを飲むには、人生は短すぎると文豪は言ったが、つまらないにワインを書くのはそれ以上に無駄である。しかし、後ろを振り返ってみて過去の過ちを繰り返さないためにも、肝に銘じるためにも書き残す。2007年産シリーズである。ここで登場は半辛口のザールのリースリングである。当時、フォルストを訪れていた、離婚前のシュロース・ザールシュタイン醸造所の奥さんと初対面して、2007年産は特別だと言うことで対面販売で購入したものである。結論からすれば、時間が経てば辛口のようになるというのは誤りで、寧ろ甘くなっていた。酸が引っ込んでしまっているからである。

原因は、最早わかっている、酸が十分に分解していなくて、シュペートレーゼと呼ぶにはあまりに早めに収穫されていて、リンゴ酸などが飛んでしまうからである。要するに瓶熟成に耐えるようなワインではなかったということである。要するに、いつもの半辛口ワインで、安物のワインだった。

シュロース・ザールシュタイン醸造所が駄目な醸造所だと認識したのは最初で最後の訪問の時だったが、旦那はどうも葡萄の酸の分解や熟成には興味がないようで、寧ろ醸造所内でのケミカルの使い方に興味があるようだった。彼が習ったワイン醸造というものがそうしたもので、その後もあまりブドウの栽培には興味が向かなかったものと思われる。

酸が十分に分解していない一般的な半辛口は、腐りも少ないから、リンゴ酸が当初は効いていれば新鮮な清涼飲料酒として楽しめるのかもしれないが、それだけの価値しかない。直に酸が落ちてしまうと、残された糖が目立つだけで、古い梅酒と同じシロップに近づくだけなのである。そこまでは甘くはないとしても、このようなワインをして、ザールリースリングだとか嘯いている者などがいることをあるのを考えると、如何にその酸の本質が十分に理解されていないかを知ることになる。

甘口のリースリングでも、貴腐とその酸の量感や分解などが見事に為されていない限り、瓶の熟成などはほとんど期待できなくて、倉庫の肥やしとなるだけなのである。本当に十年単位で瓶熟成の進む高級甘口リースリングを輩出する醸造所は実際は数えるほどしかなく、毎年その価値のある葡萄が収穫されているのではないことを知るべきなのだ。

半辛口は基本的には二年以内に消費すべきで、甘口の炭酸が残っているようなものも二年以内の消費が原則である。先ずは瓶詰め後二年以内に試してみれば、その耐久力は明らかになる筈だ。その時点で酸が引っ込んでしまっているものは飲み干すべきなのである。

その原則からすれば上のリースリングも、酸が十分に効いていたのは試飲した時ぐらいで、二年目に判断できなかったのは後の祭りである。この原則は辛口にも共通していて、二年目に酸が引っ込んでしまっているようなものは飲み干すべきで、最初に試飲した時にその酸の質で判断できることなのである。鋭く、鮮やかなリンゴ酸などが主体のリースリングは早飲みということで、試飲して比較すると誰でも分かるのである。そしてそのようなリースリングを買い込むと金をどぶに捨てるに等しい。更に倉庫の肥やしにすると含み損が増加するだけなのである。



参照:
新春の日常をじっくり味わう 2013-01-08 | マスメディア批評
古臭いことに拘るよりも 2012-11-19 | ワイン
継続的に体で覚えるもの 2008-08-28 | 生活
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by pfaelzerwein | 2014-01-26 15:25 | ワイン | Trackback

腕がパンパンになる日々

室内壁、27日、28日、29日目は、日、水、金曜日となった。日曜日は独日協会の新年会の前の午前中に二時間ほど登っただけだ。新しくなった屋根まで上がるオヴァーハングの長目のルートを登った。水曜日は、以前は腕力が尽きて二回目の挑戦でも最後のアンカーにザイルを掛けられなかった長いオヴァーハングが、同じ5.10でも大分容易になっていた。というよりも、チョークを使うようになって手掛かりが滑らなくなったので、楽になっただけかもしれない。

金曜日は、上海マラソンマンに付き合って、新しい庇を登ったが、結構きつかったのは腕力だけの問題で、ザイルを掛ける力量が大分付いた。庇の下の足場を使うのが腹筋が必要で容易ではなかったが、ザイルにぶら下ってしまっているので、それほど問題ではなかった。なるほどレッドポイントでは難しい。

彼に聞くと日曜日に「農民」が六級マイナス相当のところを、私が辞退した後で、登ったということで、とても素晴らしい進展である。日曜日に来ていた、私のライヴァルは途中で断念したというから、彼の力量の付け方はとても素晴らしい。

そのような話を聞いていたのは、農民とサファリクラブで知り合いの南プファルツで80年代に新ルートを開拓して名を挙げた、現在プファルツのクライミング協会の会長である。怪我をしたらしいが、それでも今でも5.12を登り、我がドイツアルパイン協会の養成室内壁の最も難しいルートを作っている人とその奥さんである。地元の一流クライマーである。彼らも同じセクションの仲間なので、彼らの主催するクライミングのプログラムに参加することも考えているが、先ずそれに応えるだけの実力を付けたい。

それが、5.10の克服であり、どのような状況でも登れるほどの実力、要するに私自身の最終目標である。庇でヘイヘイ言うのをじっくり見られたが、まあ、こちらの現時点での実力であるから仕方がない。水曜日に腕がパンパンになったが、またそこを使うことになって、全身が疲れた。



参照:
二つめのチョークバック 2014-01-17 | 生活
六級に誘うための疲れ方 2014-01-13 | 生活
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by pfaelzerwein | 2014-01-25 19:10 | 生活 | Trackback

印象に残る追悼文の数々

クラウディオ・アバド逝去への追悼文章が沢山載っている。追悼記事自体も既に紹介した速報とは別に改めて書かれている。そのビューニック女史の記事内容はあまり面白くなく、それどころかライヴの良さを語っているのだが、その主旨は分からない。あれほどもさもさしていて、会場にアピールすることの無い指揮ぶりは視覚的に一般聴衆を魅了するものではなく、その演奏の自由度の選定もチェリビダッケのようなものではなく、あくまでも音楽的な技量を要求されるものであったと、ルツェルンでザビーネ・マイヤーのソロなどを聞いて良く分かった。

寧ろプローべなどでの徹底して聴き合う姿勢とプレッシャーの掛け方は嘗てのジョージ・セルなどのものと似ていて、あくまでも民主的な職業的な姿勢で行われたものという相違があるだけのものである。それほどやらなければプロフェッショナルでも至らない次元があるということだ。

それらを含めて、ルツェルンでの体験を考えると、上手く行かないことも珍しくはなく、それがライヴの臨場感ということになるようだが、資金さえ掛ければとても完成度の高い制作録音がなされたことも事実であった。そのような数々の録音を鳴らしていると、飽く迄も想像力を湧き立たせるような仕事やレパートリーしかしてこなかった可成りストイックな面も浮き彫りになる。

「シモン・ボッカネグラ」などのプロダクションはストレーラの演出と共に金字塔的なものであることは間違いないが、その録音自体も決して侮れない。また、「春の祭典」の和声感覚の鋭さは、チェリビダッケが同じ交響楽団を叱咤激励してやらせていたもの以上にシャープであり、完成度の次元が異なる。

さて、追悼文で特に印象の残ったのが、ベルリンの後任者であるサイモン・ラトルのそれである。要約するにはあまりに惜しいので全文を翻訳する。

引用始め

私たちは、一人の偉大な音楽家、偉大な人を失った。既に十年も前以上に、我々は話したものである、クラウディオ・アバドは病気を生き延びることが出来るのだろうかと、そしてその病気が彼を奪ったのだ。その代り、彼は、そして我々は類稀な彼の芸術のあらゆる側面を集約したような(人生の)秋を享受することが出来たのである。数年前に彼は私に言った、「サイモン、病気はね、とても恐ろしいものだったが、その結果は決して悪いことだけではなかったのだよ。なんていうか、まるで自分を聞くというのかな、胃が無くなった分まるで体の中に耳が出来たようなんだよ。上手く言えないが、なんかすばらしい肌触りなんだよね。そして、音楽が僕を救ってくれたのは間違いないんだよ。」。クラウディオ・アバドは時代を超えて偉大な指揮者だった。彼の晩年の演奏実践はこの世のものを超えていた、そしてそれを体験できて、皆とても幸せだと認知した。私には個人的に、いつも彼は太っ腹で愛らしかった。それは私の指揮生活の最初からで、その心からのユーモアあふれるお付き合いは、終最後の金曜日まで続けられた。彼は、深く私の心に、そして思い出に生き続けるだろう。

引用終わり

心の籠った追悼文で、こうしたところにラトルの人柄が表れている。そして、肌触り感覚はまさしくアバドの音楽に今一層感じる、音楽の力なのだ。ユルゲン・フリム、ミヒャエル・ヘフリガー、ヴォルフガンク・リームに並んで、ダニエルバレンボイムのそれも載っている。そこで興味深かったのは、彼がアバドに出会った1950年初めにはザルツブルクでグルダのもとでピアノを習っていたというのである。このことを全く知らなかった。後年ヴィーナー・フィルハーモニカ―を指揮してのフリードリッヒ・グルダとの共演は子弟共演だったのだ。



参照:
ドグマに至らない賢明さ 2014-01-21 | 文化一般
第八交響曲をキャンセル 2012-05-09 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2014-01-24 01:10 | 雑感 | Trackback