<   2014年 05月 ( 32 )   > この月の画像一覧

索引 2014年5月


初の13年ラインガウ試飲 2014-05-31 | 試飲百景 TB0,COM0
疲労困憊の継続性 2014-05-30 | 雑感 TB0,COM0
リースリングの賞味期限 2014-05-29 | ワイン TB0,COM0
普遍性に欠けるR・シュトラウス 2014-05-28 | 音 TB0,COM0
ひりひりするほどの痛み 2014-05-27 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
関節技のアナアブの地獄 2014-05-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
我慢の軟着陸の連続 2014-05-25 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
先駆けの合理的判断 2014-05-24 | 文学・思想 TB0,COM0
憧れの移民国ドイツ 2014-05-23 | 歴史・時事 TB0,COM0
ファスナーのしめ方次第 2014-05-22 | 雑感 TB0,COM0
遠隔操作真犯人の二面性 2014-05-21 | テクニック TB0,COM0
前日のリヴェンジで片付ける 2014-05-20 | アウトドーア・環境
体を解し、頭も解す 2014-05-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
大きな成果は無かったが 2014-05-18 | アウトドーア・環境
福一バイパス放水の影響 2014-05-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
フィッシングメールをかわす 2014-05-16 | 生活 TB0,COM0
一体どうなっているのか? 2014-05-15 | BLOG研究 TB0,COM0
乾いて動的な爽快感 2014-05-14 | 試飲百景 TB0,COM2
世にも奇妙な鼻血の社会 2014-05-13 | 雑感 TB0,COM16 
ナチスの母親崇拝の成果 2014-05-12 | 暦 TB0,COM0
活性化とは被曝すること 2014-05-11 | アウトドーア・環境 TB0,COM4 
詰め将棋のような運動 2014-05-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
細かな仕事が出来るのか 2014-05-09 | ワイン TB0,COM0
ダイオードに右往左往する 2014-05-08 | テクニック TB0,COM0
クリーンインストールをする 2014-05-07 | テクニック TB0,COM0
十分な合格点に満足 2014-05-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
キールからの燻製小魚 2014-05-05 | 料理 TB0,COM2
朝から青ざめる日々 2014-05-04 | 生活 TB0,COM0
湖面に映る北欧の女神 2014-05-03 | 女 TB0,COM0
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活 TB0,COM2
木に纏わる汚れの数々 2014-05-01 | 暦 TB0,COM2

[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-31 15:35 | INDEX | Trackback

初の13年ラインガウ試飲

ロベルト・ヴァイル醸造所の初めての春の試飲会であった。御目当てはグローセスゲヴェックスの注文で、そのためには試飲して情報を集める必要があった。結論からすると、2013年は素晴らしいの一言に尽きる。恐らくこの十年のトップクラスであろう。2001年を髣髴させる。

リッターリースリングは価格に合わないが、グーツリースリングは若干石灰のようなカルキ味が傷だが、昨年よりも良い感じだ。瓶詰めを三月始めに終えているので落ち着いてはいるが、今まで飲み慣れた秋とは若干異なるにしても新鮮さは良かった。

オルツリースリングのキートリッヒャーが良かった。なによりも新鮮さが魅力だったが、ミネラル風味も適当で、価格も15ユーロ前後のものとしては十分に勝負になる。ビュルクリン・ヴォルフ醸造所の三種類のオルツリースリングと比較すれば、培養酵母の点で明らかの劣り、その土壌の多様性で単調であるが、これはこれで悪くないだろう。15ユーロでこれよりも遥かに優れているリースリングはそれほどないかもしれない。8.6Gの酸、7.6Gの残糖。

ラーゲンヴァインつまりPCのクロスターベルクは、土壌も重ければ味も重い。8.3Gに対して8.2Gの残糖は心地が良いかもしれないが、兎に角雑味があってロベルト・ヴァイルの良さが消えてしまっている。

それに比べると斜面上部のテュルムベルクの酸が美しい。8.8Gの酸は現時点では8.3Gの残糖に比べて、勝ち過ぎているが先が楽しみである。

ここまで来れば、醸造親方が答えたように8.6G見当になるグレーフェンベルクの酸が悪い訳がないのである。長持ちする立派なグローセスゲヴェックスになる予定だ。

小柄な女性が話しかけてきた。「一度お会いしましたね」、思い出せないので「何処ででしたか?」と答える。「御名前は?」と聞かれる。最近は試飲会で御声が掛かるのが普通なので、試飲社交界の名士としてはいつものことかと勘違いした。あとで考えると、度忘れしていたが、ロシア人女性を連れて行ったときに会ったヴァイル夫人であった。如何に同行女性の方に気を使っているかの証明だ。旦那の方はちょくちょくと顔を合わせるだけでなく、写真でお馴染みなので覚えていたのだが、どうしても小柄な女性の顔立ちは忘れてしまうことが多い。特徴が少ないからだろうか。



参照:
ストレス開放の収穫 2014-03-29 | ワイン
予想以上のお湿り具合 2014-02-24 | 生活
嗚呼、グレーフェンベルク 2013-09-26 | 試飲百景 T
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-30 20:31 | 試飲百景 | Trackback

疲労困憊の継続性

d0127795_19485054.jpg
月曜日の朝に身体を解すために少し走った。しかしその後も解れた様子は無かった。火曜日に漸く入浴できたので、水曜日には若干改善したが、それでも疲れが出切った印象はない。兎に角、今まで経験したことのない疲れなのである。

夕方になってボールダーを覗きに行った。雨勝ちであったのでなにかを期待する心算は無かったが、捻挫した足首の調子もあり、少しでも身体を動かしておくのが目的であった。

そこで、斜面上部の車道に近いミットゾンマーブロックで乾いた、雨にあまり影響しない蟻地獄の屋根を目指した。クラッシュパッドのお陰で力が尽きたところで背中から着地できるのが嬉しいのだが、快適に何度も挑戦できるほど容易ではないのだ。それでも繰り返すうちに疲れてくる。それでも中々解決しないので、精神的にも疲労する。

横になっていると、疲れの源には先週のボールダーのそれがあるのではないかと考えた。なぜならば首の裏側のつりである。そこに緊張が残るのは明らかに通常のクライミングではなくて、先週試したここのぶら下がりであるからだ。そのように考えると、足の疲れも先週試した開脚にも遡れそうである。すると四月の肩の故障もその前に行ったボールダーの疲れが影響している可能性もある。

筋肉痛などが直ぐに出ないで、その後の運動を切っ掛けとして、故障として発覚することはあるかもしれない。以前に比べると運動量が多いので直ぐに疲れが出るようには活性化してきているのだが、疲れの上に疲れを重ねているので、実は分らなくなってきている可能性もある。

そうすると肩の故障などは筋肉でカヴァー出来なかった箇所である。胴体の胸から腹筋そして腰への負担は、続けて練習することで強くなることは分るのだが、足首の故障など思い掛けない怪我にも気をつけなければいけない。室内壁で馴染みのティーンエィジャーなども怪我との戦いのようだから、ある程度のスポーツ的な成果を得ようとすれば怪我の危険性はつきものなのかもしれない。クライミングの墜落の危険性とはまた異なる怪我を如何に防ぐかが重要なようだ。マクロに考えればあまり焦らずにゆっくりと継続して続けていくことが防止策となりそうである。



参照:
ひりひりするほどの痛み 2014-05-27 | アウトドーア・環境
関節技のアナアブの地獄 2014-05-26 | アウトドーア・環境
我慢の軟着陸の連続 2014-05-25 | アウトドーア・環境
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-29 19:50 | 雑感 | Trackback

リースリングの賞味期限

バーデン・バーデンへの途上、いつものようにスーパーに寄って買い物をした。冬でもないのでピノノワールへの気持ちは薄かったが、新しいものが出ていた。オーコートドニュイはなぜか高価で、前回購入して気に入ったフィクサンに並んでサントネがあった。価格も若干安いぐらいの2012年ものである。これを購入した。当然の事ながら安い南仏のロゼを二本購入。

その他はいつものようにキッシュやチーズを物色。魚のテリーヌはアイスを持ってきているが暑さが怖くて今回は止めにした。同様に生の魚類も遠慮した。そこで焼いた細い伝統パンも他のバケットなどと並んで僅か1ユーロ、手作り商品ではないが安くて結構明くる日も楽しめた。〆て30ユーロほどであったので、通常の買い物と変らない程度の出費だった。

やはり、フランスのワインは生産量が多いので、ドイツのそれに比べて安い。質は、ある程度の価格まで居たらないとあまり良いものは見つからないのだが、それでも良いものにあたる可能性は低くない。

さて、地元のヴァッヘンハイマー・リースリングが出た。瓶詰め二週間後の評価は、2013年産はこの十年間で可也上位であることが確認された。まだまだ開ききっていないリースリングであるが、その味筋の微妙さは、例年の酸が勝っていて新鮮さと硬さを感じるものとは大分異なっていた。直ぐに印象したのが上質のフランスのシャルドネである。それも手練手管の粋を集めてのたっぷりと内容の詰まったそれである。しかし、リースリング自体は果実味が豊富で、エレガントな清涼感が充満している。まだ開いていないので香りは足りないが、このワインのいつもの上に突き上げるそれとは全く異なる落ち着いた品の良さはどうしたことだろう。フランスの仲間に飲ましてやりたくなったぐらいだ。

結論からするとビュルクリン・ヴォルフ醸造所の2013年グーツリースリングは培養酵母と鋭い酸で魅力的に飲ましていたが、この天然酵母と木樽も使ったオルツリースリングは2013年のその成果を的確に表していた。味筋も今まで感じたことのないものでその2013年の特別さを示していた。酸とアルコールと残糖などのバランスも良さそうで、完全に期待出来る年度となった。

もう一つ今年からこのオルツリースリングもグーツリースリングと同様にコルクからスクリューキャップとなった。これは少々事件であり、要するに寝かしてリースリングを飲みたい者は、最低ピュリミエクリュを購入せよと言うVDPの非公式方針に近いものだ。実際にこの手のリースリングを二年以上寝かしたことのない我々からすれば当然のことで、そうした正しい瓶熟成のあり方を広く一般にも示唆することになる。

JJピュルムのリースリングなどを飲んでも認識を新たにしたことだが、甘口であれば五年過ぎたあとの清涼感のなくなった味の劣化は分りにくいだけであり、何年経っても飲めないことが無いだけで、リースリングの熟成の本質はその液体が開くことに尽きる。要するに色々な要素が御花畑のように咲き乱れ香り始めるのが瓶詰め後五年ほどで、その後酸や残糖の助けでフィルンのように急激に落ちてしまわないことだけが狙いである。十年後、二十年後も液の色もあまり変らないで綺麗に熟成していればそれが素晴らしいだけで、実際には味の質はその時点から向上するということはないだけである。反対に言えば四五年の時点で駄目なワインはいつまで経っても悪くなるだけだと請合う。



参照:
乾いて動的な爽快感 2014-05-14 | 試飲百景
質の独、量の仏の13年 2013-11-22 | ワイン
後ろ向きに考えてみれば 2014-01-26 | ワイン
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-28 23:11 | ワイン | Trackback

普遍性に欠けるR・シュトラウス

ヴィーナーフィルハーモニカーを聞いた。メーター指揮のブルックナー交響曲第八番以来である。どうしても期間が開きがちになるのは指揮者の選択とそのプログラムである。本来ならば小澤指揮でバーデン・バーデンで華やかな演奏会が開かれる筈だったが、叶わなかった。

さて今回はリヒャルト・シュトラウス年に伴う夕べをクリストフ・エッシャンバッハ指揮で比較的安い価格で購入できたので出かけた。この指揮者を聞くのは初めてであるが、ピアニストとしては結構放送などで聞いている。評判は、昨年のザルツブルクでも散々であったが、何が悪いのかラディオ等ではもう一つ確認できなかったので、生で聞いてみたかったのである。結論からすれば、ピアニスト時代のモーツァルトのソナタなどの印象をその指揮に思い出した。

ソナタ形式を尊重しないようなその構成感が、その通り組曲やロンド形式などで長所として表れることで、その短所や音楽性を思い知ることになる。一般的にまとまりを感じにくい「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」は、そのはっちゃけ感やメルヘン性で見事であった。何がよいかといえば、やはり部分部分のテムポ感やそのブルレスク性で、嘗てのそのソナタにおける演奏を思い起こせた。その見事さは、プログラムの終わりを飾る「バラの騎士組曲」にもよく表れていた。なるほどカルロス・クライバーなどの崩壊の音楽にはならないが、オペラの情景を思い起こさせる以上に音楽的な出来を申し分なく示していて、この作曲家が書いた数少ない意味のある小節を再認識させるのだった。

それに比較すると、この座付き楽団のいつものスロースタートも影響があるのか、休憩前の「メタモルフォーゼン」などは、シェーンベルクの「浄夜」と比較するまでも無く、同じ作曲家の「紀元2600年」の曲と比べても何処まで真面目に書いたのか疑問に思わせる。同じように冒頭の「ドンファン」もソリストなどは上手に演奏していたが、いつもの按配のフィルハーモニカーであった。

興味深いのはこうした曲では大編成でも、第二ヴァイオリンが右側に並ぶことが多くなっていて、ここ何年ぐらいの回帰傾向なのかと改めて感じるのだった。

それにしてもバラの騎士のヴァルツァー演奏はやはりヴィーナーフィルハーモニカーの十八番であって、既に書いたようにラヴェルのボレロ並みの崩壊が無くとも可也独特の空気のある音楽となる。アンコールに応えてポルカを演奏していたが、こうした小曲のプログラムがこの指揮者にあっていると改めて感じるのだった。

幸か不幸かR・シュトラウスの記念年でその作曲が演奏されることが多い。そのオペラにおける意味ある小節が、どれほど他の曲で聞かれるかは分らないが、あの独特の飄々とした後年の人格と、その音楽が、オペラにおけるほど普遍的な価値をもって広く理解されることはないだろう - しかし続く世代のコルンゴールトなどの作曲家に比べるとポピュラー音楽への影響だけでなく、なんと言っても出来の良いオペラレパートリー群で圧倒している。

書き加えておかなければいけないのは、当日の会場に珍しくいつものロシア人や日本人らしきに加えて、七割に満たない集客の中で若い聴衆を見かけたことで、それも学生風よりも中年も少なくなく、比較的バランスが取れていた。やはり嬉しがりも含めて、有名管弦楽団となるといつもとは異なる聴衆層もあるようだ。その反面、立錐の余地の無いと言うことにはどのような管弦楽団でもならないのは致し方ないのだろう。



参照:
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
交響する満載の知的芸術性 2013-04-03 | 音
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-27 19:06 | | Trackback(1)

ひりひりするほどの痛み

d0127795_23454740.jpg
一晩中痛みで苦しかった。日曜日に朝から登っていたからだ。それほど厳しいところでも難しいところでもなかったが、今年になって最も厳しかったクライミングで、初めて全身を使い果たしたからだろう。足から首までこれほどの筋肉痛と手足の傷がひりひりという記憶はない。そこに肩の痛みが厳しくて、苦しい夜を過ごした。

朝起きて一っ走りの形だけをとって、体を解すが、それでも歩くのも腰掛けるのも厳しい程、全身の疲れが甚だしい。まるで性質の悪い病気のようだが、日曜の晩は口の中がひりひりして喉が痛むと、通常の日射病や栄養不足とも異なる強い症状が出ていた。

日曜日は完全にKO状態であったのは確かである。なぜそこまでなったかは自分でも分らない。登りだしたのは、厳しそうに見える割れ目のルートからで、その悪いところだけは嘗てトップロープで登った記憶があるのだが、それほど難しいところではないので身体慣らしに選んだのだ。やはり、その出っ張りの鼻の乗り越えが面倒であった。なによりもザイルが流れるような中間支点を架けていくのは結構経験を有する技であった。それ以上にその作業に腕力を使った。それから面倒なところを登るのだから息絶え絶えになった。朝一番の北面で汗だくにならなかったことだけがよかった - 夕方登っていた若者がザイルが伸びずに最後まで登れずに降りてきていた。彼女の視線もあるので慰めがてらに「この難易度にしては厳しい」と話しておいた。

朝食も十分でなかったので若干疲れ感もあり、一リットルの飲み物を大半飲み干してしまったことから分るように、可也堪える兆候はここで出ていたのだ。そこで、懸案の南面の割れ目に向かった。並行して二本走っているので、どちらを選ぶかは決心が付かなかったのだが、評判のよい方を避けて、あまり良くない左側の凹角に向かった。理由は、評判の良い右側の上部へと左側から繋ぐことで、次に真っ直ぐ右側を下から上まで登るときに更に完璧に登れると考えたからだ。下半部が結構厳しいのではないかと考えたからである。

そして実際最初のハング気味の登りだしからして、中間支点を作り、乗り越していくのが大変だった。その前のそれのように力を掛けるところも無いが、立つのもそれほど容易ではなかった。その上の張り出しの下に手掛かりがあるのだが、それに右手で摑まりながら左手で楔を出来るだけに上の押し込んだ。これがないと乗り越しが不安であるが、捻じ込むのにも足を開いたままで結構苦労したのである。そうした連続がクライミングそのものだ。やっとのことで大庇の下の最初のボルトに辿り着く。その上は1975年に西部ドイツで最初に登られた7級のオーヴァーハングの割れ目が続いている。当時は大変有名だったが汚れていることもあって最近は殆ど登られていないようである。なるほど下部も砂っぽかった。そこからハング下を右にトラヴァースして右の割れ目の上部に出て、二つ目のボルトを中間支点とする。

そこから登り始めると、下からお声が掛かった。ザイルが伸びないのではないかと言うことだ。その感覚は無かったのでだが、なるほど問題の生じるケースである。そこで一端区切ることにして、クライミングダウンすると、またもや作業中にカメラを落とした。色々と考えて、比較的経験の無いパートナーの確保などを考えていると、我々の仲間でもっとも実力のある当日のリーダーが代わって登ることになった。昨年二つ三つ左のルートでKOして仕舞った彼である。可也息をあげて苦しそうに登ってくるのが分った。意外に難しかったことがこれで確認できた。一時は8級を登っていた彼に最近は実力的に迫っているのだが、やはり上手い彼の苦労を見れば分る。スピード性や便利性を考慮してそのまま上部を行って貰う。傾斜は落ちていたがそれほど容易ではなかった。しかし自分自身はここでふらふらになっていることに気が付いた。理由は分らないが、体力がいる厳しいルートだったのかもしれない。

その後、右の割れ目を人が登るのを見ていると、左手の大きな手掛かりや、容易に立てる穴などがあって、技術的にはなるほどバランスをとらなければいけない箇所が多かったが、そちらの方が技術でカヴァーして体力を使わないで登れたかもしれないと思った。技術難易度だけでは分らない難しさである。なるほど左右の割れ目の推移を比べると被っているところの二箇所とも左よりも容易そうなのである。最初は凹角とは異なって外に広がっているので、立って作業するのが難しいと思っていたのだが、凹角で無ければ当然かもしれない。割れ目を好き好んで登るタイプでもないのでその推測がまだ十分に出来ないのである。

その後、上のリーダーに誘われてまたもや割れ目登りに付き合わされたが、正直蜘蛛の巣の張っているようなものは食傷気味で、疲れ果てているので苦労だけさせられた。彼も割れ目に苦手意識を持っているとは思わなかった。



参照:
牡鹿搭からカメラを落とす 2014-04-20 | アウトドーア・環境
半端でない技術力を理解 2014-04-26 | 生活
泣きべそで「この豚!」 2012-07-09 | アウトドーア・環境
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-26 23:49 | アウトドーア・環境 | Trackback

関節技のアナアブの地獄

d0127795_13382288.jpg
森に寝転がっていると、赫々と音がする。関節技のような音である。岩屋根の下の、寝転んだ頭の先に広がっている蟻地獄の砂漠で、安倍公房の「砂の女」の情景のように、きっと私が壊した地獄を再整備しているようだった。

その姿を見た。子供のときに見たウスバカゲロウの幼虫ではない。どちらかと言うと蟻のような形をしているので下の主に引っ張られているのかと思った。調べてみると、この蟻地獄の主たちはアナアブの幼虫のようだ。

WIKIによると、馴染みのウスバカゲロウとこのアナアブ、そしてハエの一種が同様に地獄を作るようだ。天敵は鳥の一種らしいが、簡単に騙されて這い出してくることは子供のときに友達に示して貰って知っている。

しかしそのときもそっと戻してやったように、人間にとってはあまり捕獲しようとは思わない姿などをしているのも特徴で、かといって悪戯で仕留めようとも思わせない風貌なのであった。そして今回のアブもそれに近い風貌と動きで、特に関節技のような動きと音は人間にとってはなんとなく煩わしいのである。もう一つのそれもハエであるから人間は関心を持たない

またこれらがカメムシなどのように攻撃的な武器を持っているとは書いていないのだが - アブは刺すかもしれないが -、鳥目がこうした巣を容易を発見できないのだろうか?それともこれを好む鳥が少ないとすればやはり食に適さないのだろうか?なるほどあの関節音と技は鳥にとっても嘴に馴染まないのかもしれない。


参照:
ケロイドの皮膚感を覚える 2007-08-06 | 暦
ザントマン娘への贈物 2013-06-15 | 女
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-25 13:37 | アウトドーア・環境 | Trackback

我慢の軟着陸の連続

d0127795_2381288.jpg
水曜日にクラッシュパッドを初めて使ってみた。なるほど背中を下にして両手両足を挙げた体勢からでも軟着陸できるので快適ですらある。傷みや恐怖心があればとっても続かない。部分部分一通り試してみたのであとは繋がりを詳細に研究するだけである。しかしそれよりもなによりも素晴らしいと思ったのが、夕方の光の中で背中を地面につけて空を見れることで、ああしてテントも張らずに地面に寝転ぶなんて雪上以外では長くなかった感覚である。森の中から空が広がり、鳥の動きが見える風景はなんと素晴らしいことだろうか!

これだけで投資の価値があったと喜んだのも束の間、課題の終了地点を試みて、飛び降りると傾いたパッドの上に着地した。その瞬間その右足首がパッドの傾斜に沿って外に90ほど曲がった。捻挫である。飛び上がるほど痛かった。久しぶりの痛みであるが、そのまま歩けた。整地の上に足から着地する場所では使うべきでないことを学んだ。

その後、クラッシュパッドを将棋の駒のように背中に担いで、前にはリュックサックを下げて斜面を降りていく。目下課題のボールダーまで、枝葉に当たりながら歩く。やはり森の間を抜けるのは厄介だ。実際、その場所で使ってもあまり価値が無かった。

翌木曜日は雷雨が来るまでの束の間、足首の捻挫のことも心配で走らなかったので、再び斜面の下の課題を訪れた。VIDEOで研究すると自分が使おうとしているものと違う足掛かりに乗っているからである。詳しく観察したが、それほど確りした足場などは無いのだ。なるほど右に外れた場所のそれは強く加重できる。しかし以前に試したようにそれは私には遠過ぎるのである。せめて片足づつ五センチ長ければと思うのだ。しかし、VIDEO等を見るとそれを使わないで登っている人もいるようだ。その足場が厳しいのだ。

子供のときから小さな足場に立つ練習を徹底的にやってきたのにそれに立てないのだ。勿論手掛かりの使い方との連携なのだが、一番良い形で手掛かりを使い尚且つ一番良い形で立っている心算なのだが、肝心の一歩が出来ないのだ。足場もはっきりしない今の時点ではまだ見通しが立たない。本当に突破出来るのかどうか、ここが我慢の為所である。今年はなぜか我慢我慢の連続である。



参照:
ファスナーのしめ方次第 2014-05-22 | 雑感
大きな成果は無かったが 2014-05-18 | アウトドーア・環境
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-24 23:09 | アウトドーア・環境 | Trackback

先駆けの合理的判断

PC遠隔操作事件を見ていて、誰でも犯罪者の心理を考えるに違いない。俗に言う愉快犯は何処にでもいるのだろうが、日本のそれらを見ていると、共通しているのはそれなりに合理的な判断が存在していない無償の犯罪が多いことだ - 所謂犯罪は割に合わないと言う損得勘定の欠如である。腹いせでも暴発でも何でもよいが、その社会自体が合理的な判断から目を背けて、場当たり的に刹那に生きているのが日本人でありその人生観と考えてもよいのか。

戦前戦中の大日本帝国の中枢部の決断過程がそのように批判されることがあるが、そうした合理的な判断をモットーとする昨今のドイツもナチドイツにおいては決して合理的な判断が支配していたわけではないだろう。

そうした非合理性が現在の日本社会の中枢部のあり方でもあるのが問題なのだが、遠隔操作事件の背後で田中龍作ジャーナルが山本太郎議員の質問としてそれを伝えている。そこでは「準内部被曝」として鼻血問題を追及しているのだが、科学的な検証を試みようとすること無しに、「考えられないと専門家が評価をしている」とする政府見解こそがまさしく非合理的な姿勢なのである。

同時に遠隔操作事件の被告は典型的な知的犯罪者であり、刑事コロムボファンにはお馴染みのように、殆ど完全犯罪が達成できたにも拘らず犯罪心理を観察することになって終焉を迎えた。更に「悪魔の経典」という作品を挙げて犯罪心理を被告が発言していることから、その映画化したものを観た。なるほど予想通りにそこでは金融市場やその心理構造が並行した現実社会として描かれているが、只単にそこにはヴァーチァルとレアルの並行関係だけでなくて、寧ろ情報とそれに伴う認知が主題になっていて、コミュニケーション理論などの考察もあるのだろう - 被告がまたしてもこのような情報を発信することで、それに伴う社会への影響を以って、本人自身の自意識を満足させるのである。

なるほど、その点からすれば、被告が八時間も掛けて登山して犯行を準備したり、観光の序に犯行を行ったりとする心理や、再収監時のシニカルな表情なども理解できるだろう。この種の認知力は、例えば三島由紀夫の作品の登場人物などにも描かれているのだが、そこでも嘘の構造などが重ね合わされていて、お馴染みのものであるかもしれない。

但し、現在の我々は、多くの学術的な解析などによって、そうした心理までを織り込むことで構造化された現実社会を生きていることが、嘗ての文芸的な示唆とは大きく異なるのであろう。恐らくコムピュータゲームなどの影響もありロールプレーなどは日常であり、その為には出来る限り自己認識などを希薄にするような作業が必要なのではなかろうか - こうした希薄化した自意識の先に、それを補う形での自己顕示欲の発露としての劇場型犯罪の動機付けが考えられる。

金融市場においても意志に基づく実体経済などよりも、市場心理こそがその実態であるように、こうして情報やその分析などから構造化された社会においても意志や合理的な判断以上に生じる場を予想すると言う作業に終始することになっている。

連邦共和国大統領ガウクの発言は、そうした場を予想した立ち振る舞いをするのではなく、正しく場に一石を投ずるような柔軟性と先駆けの必要性を説いているのだと思われる。しかしそうした合理性の追求が、実際に次期局面の場の形成に、どのような影響を与えれるのかは分らない。なるほど、脱原発の判断は大きな影響を与えているかもしれないが、大きな流れを変えたわけではなく、先駆けすることでの有利性の追求でもあるだろう。市場においても、先駆けすることでしかその有利性がないとすれば、そうした考え方はやはり合理的なのだろう。



参照:
憧れの移民国ドイツ 2014-05-23 | 歴史・時事
遠隔操作真犯人の二面性 2014-05-21 | テクニック
体を解し、頭も解す 2014-05-19 | アウトドーア・環境
活性化とは被曝すること 2014-05-11 | アウトドーア・環境
『美味しんぼ』言論弾圧事件 福島の母親たちが抗議 (田中龍作ジャーナル)
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-23 18:30 | 文学・思想 | Trackback

憧れの移民国ドイツ

連邦共和国の世界貢献に関する意識調査結果が出ている。先ほど外務省の主導で行われたもので、1994年のそれと比較される形となっている。この二十年で何が変わっているか?

二十年前にはドイツは更なる世界貢献をすべきとする声が七割り方あったが、この二十年でそれが反対になっているという意識である。もう十分であり、国内問題を先に片付けるべきで、過去の歴史を考えれば控えるべきだというものもある。

実質的に海外派兵などこの間に大きくドイツの立場は変化してきており、その問題点が十分に国民に知らされてきていることによるに違いない。特にその軍事的な貢献は、たとえそれがNATO枠内にあるとしても消極的な意味から積極的な安全維持へと変わってきていて、また一方にはメルケル首相のドイツのスイス化への憧憬という(武装)中立的な意識があるというのだ。また一方ガウク大統領の発言の「ドイツは世界に先駆けて決断して、実質的な存在であるべき」と、決して状況に応じた外交をするのではなく主体的なそれという積極的な意識もある。

いづれにしても貿易大国である連邦共和国は、その経済的な裕福さをそこによっているのであり、自由と安全に貢献して、経済におけるのと同様に政治においてもそれなりの貢献をするべきという意識が強い。

そこで、国際的に重要なパートナーは、一に61%のシナであり、56%の合衆国を抜いて、53%のロシアを大きく上回る。それどころか33%がワシントンとの協調を控えろとするのは、左派党の支持層などを考えれば当然であるかもしれない。

しかし、国際貢献として最重要課題に挙げられるのは、世界の人権と環境保護、気候変動対策であり、エネルギーの安全やテロとの戦いなどを上回る。経済的興味のための市場の維持や国内の労働市場維持などは末梢課題として追いやられているので、国際貢献の方法としても人道的支援、外交的努力が挙げられて、軍事的な世界貢献は最後尾となる。

同日の新聞にドイツは、世界でアメリカ合衆国に続く最も人気のある移民先となったとあるが、その経済的な強さだけでなくて、こうした政治社会的なリベラルな意識がその人気の源と考えても間違いないであろう。

実際自分自身、この二十年を移民者として振り返れば、当初あった労働市場での外国人排斥の気風から、EU内の労働の自由化を超えて、寧ろ調整された移民対策の中で、実質的な経済の安定化もあり、大分変わってきたような印象が強い。移民の記事を見ても、昨今の最大の問題はルーマニアなどからの季節労働者がドイツの子供補助金を祖国に住む家族にために取っていく総額などが話題になるだけで、移民者が容易に仕事を得られる状況が報じられているぐらいである。そもそも少子化でドイツ経済を支えるだけのドイツ国民が居なくなってきている現状があるからに違いないのである。



参照:
細川候の持続的環境意識 2014-02-01 | 文化一般
時代錯誤への対抗軸 2014-01-15 | 歴史・時事
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評
[PR]
by pfaelzerwein | 2014-05-22 15:28 | 歴史・時事 | Trackback