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索引 2015年1月


一言、独裁者安倍晋三に 2015-01-31 | マスメディア批評
モスリム生徒解放への教育 2015-01-30 | 文化一般
軽々しくギアーチェンジ 2015-01-29 | 生活
首尾万端抜かりなく! 2015-01-28 | 生活
合わせものの楽しみ 2015-01-27 | 生活
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
積極的手法のパートナー 2015-01-25 | マスメディア批評
玉に瑕のメードインチャイナでも 2015-01-24 | テクニック
パラドックスの近代社会解析 2015-01-23 | 歴史・時事
ライン中州の冷却水の恐怖 2015-01-22 | アウトドーア・環境
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事 TB0,COM2
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
お利口さんの市場価値 2015-01-18 | 雑感
初結ところの親爺さん方 2015-01-17 | 暦
啓蒙されるのは誰なのか 2015-01-16 | 文学・思想
殆ど痴呆で気楽な浮遊感 2015-01-15 | 雑感 TB0,COM3
己の文化程度を試す踏み絵 2015-01-14 | 文化一般
目的となる修正主義との闘争 2015-01-13 | 歴史・時事
大台を割る時への期待 2015-01-12 | アウトドーア・環境
年末年始のプローザ一抹 2015-01-11 | 文学・思想
永遠のゼロを求める聖戦 2015-01-10 | マスメディア批評
抑制不能の衝動の確信 2015-01-09 | アウトドーア・環境
DAX企業法人税平均税率 2015-01-08 | マスメディア批評  TB0,COM2
ログインする緊張感 2015-01-07 | 料理 TB0,COM3
実体感溢れるSACD再生 2015-01-06 | 音
情報量の微分係数への思い 2015-01-05 | 生活
風邪ひきになりそうだった 2015-01-04 | 生活
氷葡萄酒の名匠のお屠蘇 2015-01-03 | ワイン
2015年の飛び石正月休み 2015-01-02 | 暦
オフラインの年末年始 2015-01-01 | 暦

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by pfaelzerwein | 2015-01-31 23:14 | INDEX | Trackback

一言、独裁者安倍晋三に

正月休みだったのだろう。便りのなかったFAZの東京特派員が、慰安婦問題を報じている。朝日新聞への8700人の集団裁判について報じるとともに、彼らの主張の理不尽さを伝えるとともに、世界から見たその無意味さを説明する。

キリスト系大学のソフィア大学退官教授渡辺昇一が先導して13000人に上ろうかという原告団の主張は、リベラルな朝日新聞の吉田報道に関するものである。その捏造証言の記事に関する謝罪云々などは、日本以外の世界の歴史家においては全く議論にもならない。性的奴隷の歴史学の前では全く意味をなさないものとなる。

つまり、彼らが主張するような朝鮮人の慰安婦はそもそも売春婦であってそれ以上のものではないとする主張は、二十万人にまでに上る婦人や少女たちを日本が第二次世界大戦中に性奴隷としたことには議論の余地がないというのである。それを現に日本政府は90年代に、不正の責任があったと表明している通りなのである。

しかし、安倍晋三は、この件を内政の道具として、即ち日本の絶えず攻撃的な振る舞いの歴史修正主義と安倍の国粋主義を強化するために利用しようとしていると断言する。国会で安倍が主張した「朝日新聞は日本の面目を強く傷つけた」とするが、東大の林教授の分析によると、彼ら「修正主義者こそが日本のイメージを傷つけている」として、それでも原告団は全く気が付いていないとその分析を記す。

安倍が、朝日が謝罪をする前に、その幹部に圧力を掛け、それによってリベラルな声を押さえつけようとしたとする。それによって、日本のメディアは、「安倍が戦時下の日本の蛮行を白紙にしようとしている」ことを殆ど伝えないのだという。それどころか、ここでとても重要で興味深い情報を記している。

日本の外務省は、安倍のこうした姿勢に関して批評したり、攻撃的な国粋主義の修辞法を伝えたりする外国の特派員に抗した態度を取っているというのである。正直、これには私も驚いた。日本はもはや安倍独裁政権であるとドイツ高級紙が東京から伝えているのだ。

そして、「三月に東京を訪問するメルケル首相には、安倍に歴史の扱いに関して一言二言明確な言葉を投げかけるべきだ」と強い調子で締めくくっている。



参照:
Japans Sexsklaven, Nationalisten deuten den Zweiten Weltkrieg um, FAZ vom 27.1.2015
„Trostfrauen“ erschüttern den schlechten Ruf, FAZ vom 29.01.2015
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
NHK問題の本質の矮小化 2014-02-13 | マスメディア批評
四面楚歌の安倍と日本 2013-05-26 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2015-01-31 05:00 | マスメディア批評 | Trackback

モスリム生徒解放への教育

先日のモスリムへの啓蒙活動は連邦共和国の重要な教育指針となっている。これがモスリム教徒を少なからず抱える国の教育であり社会的に欠かせない対し方なのである。勿論そこで目されているのは、啓蒙ではなくて、イスラム主義の区別とイスラム過激主義サラフィズムから生徒を護ることにある。

連邦共和国の場合、教育は州に委ねられているので、州によってその政権によってその処方箋も大分異なるようだ。一番多く輩出していて、300名のモスリムが要注意人物とされ、41人がシリアから帰国しており、そのうち10人は凶暴化しているとされているのがノルトライン・ヴェストファーレン州である。そのために二年ほど前から64人の教師が92の学校で6500人のモスリムにイスラム教育を施している。ドイツ語で、現代的な宗教教育がなされている。緑の党のレェールマン教育相は、ドイツでのイスラム教育の認知と意義を示すものだとしていて、同時に過激派養成予防教育となっているようだ。

先日のパリでの事件を受けて、七歳から十二歳までのフランス語の授業の中で、イスラムとイスラム主義の違いが議論されて、正しい信仰が報告されたが、モハメッドのカルカルチャーについては、「センスがない」とか「行き過ぎだ」との意見があっても、誰も「報道の自由に関して制限すべき」とはしなかったようだ。

ドイツでは1990年代前半には、生徒の服装などをして極右などとは誰もわからなかったが、今日も教師はそのような判断材料を持っていない。誰がジハディストになる恐れがあるのかなど、予防教育に力が注がれていて、バーデン・ヴュルテンベルク州などは警察と学校の協調作業が進んでいる。そのためには、警察のみならず、教師もイスラム過激思想を学ぶ再教育が受け、緑の党と社会主義者の政府でモデルケースとしてイスラム教育も行われている。

スイスとの国境のボーデン湖のコンスタンツにあるギムナジウムの15歳の少女サラが、アルカイダとしてまたISISのメンバーとして、ワッツアップに声明して話題となったように、このアルジェリア移民の娘のようなことを防がなければいけない。パリの事件後に教師たちに教育相ストッホから五ページにわたる警告と予防教育への協力が呼びかけられたのである。バーデン・ビュルテンベルクからは約30人の生徒がジィハドに参加しているというから、当然の処置であろう。

ライランドプファルツの社会主義者と緑の党の政権は、今まで問題となるような事例は幾つかあったとしているが、イスラム主義の情報はないとしている。その背景には、イスラミ主義の問題を他の過激思想などと区別せずに、教育においては自主独立と自己批判を予防としていることがある。ここ十年、宗教教育にも宗教的な生徒には特別なプログラムを提供しており、そこでは違う立場の見解や理解を養成して、過激思想への免疫としているという。これが、イスラム主義を扱うばかりに嫌モスリムへと導かないための処方箋でもあるに違いない。要するにフランスのライシテに近づく。

先日、解放の日に伴ってメルケル首相の声明と今後生徒が授業の一環としてアウシュヴィッツなどを訪れるようにするという意見がラディオで流れた。ドイツの若者にとっての教育はそれほど難しいことでもなく、それでも極右へのシンパシーを皆無とすることなどは出来ない。その意味からも、モスリムを教育することで、イスラム主義から解放することなども完全には出来ない事だろう。あり得るのは、イスラムの教えが近代化されて、丁度カトリックがその教義を譲歩することから弱体していったように、モスリムを啓蒙していくしか方法はないのであろう。



参照:
Alternative zum Dschihad, FAZ vom 27.1.2015
Das Land der Meinungsfreiheit zensiert sich selbst, FAZ vom 8.1.2015
己の文化程度を試す踏み絵 2015-01-14 | 文化一般 
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by pfaelzerwein | 2015-01-30 00:35 | 文化一般 | Trackback

万端抜かりなく!

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最後のメッセージがISISの人質となっているジャーナリストから放たれたようだ。明日の今頃にはすべてが終わっている。日本は一体どのようになっていることだろう。一人目の犠牲者は仕方がないとしても、二人目の犠牲者までを出してしまうようでは、安倍政権は大きく揺すぶられるに違いない。

このジャーナリストが無事に解放されるかどうかで、世論を大きく左右するだろう。そのようなことは安倍政権でも分かっているだろうが、本気で解放に向けて、本人のメッセージのようにヨルダン政府にありとあらゆる政治的な圧力を掛けて解放できるかどうかで、その政治手腕が問われることになる。これでなにも出来ないようでは、ただの掛け声倒れの無能な政治家でしかないことが証明されてしまうからだ。幸か不幸か、安倍政権は合衆国からではなくISISによって、その基盤を大きく揺すぶられることになった。

スーパーに行って替えのゴムを買ってきた。84CMあるウェスト用のものである。これを二つ折りにして、スキーパンツの袴状の裾に縫い込んだ。そもそも裾は雪が入らない様に二重になっていて、内側がスパッツのように靴に雪が入らないようになっている。外側はスキー靴の下まで垂らして閉めてある。しかしそこにはゴムが入っていないので裾が絞られていない。今まで深い雪の中に入ると、そこに雪が入って内側のスパッツとの間に雪が溜まってしまうことが頻繁にあった。

今回は雪とは関係なく、登りの足の屈伸時の膝の摩擦が減少するように、裾を靴に巻き付ける形にして、脛から膝へと弛ませることが目的である。スキーのエッジが当たっても破れにくいように補強してあって、その部分がとても重い袴となっているからである。実際に靴を履いて、少し裾を上げて靴に巻き付ける感じにすると、膝から裾が自由になった。これで最新式の恐らくストレッチが膝に入っているものと変わらないぐらい使い易くなっただろう。パンツ自体の自重はバカにならないが、必要のない金具などを外して、サスパンダ―などを縫い付けたので若干は改良されただろうか。登りの摩擦を減少させるために、裾を絞った形となったが、深雪の中に入り込むときにもゴムで閉まっているので以前よりは雪が入りにくくなるかもしれない。

兎に角今回はこれを問題なく使えるだろう。裾の一部はスキーのエッジで亀裂が入っているが、使い方によってはつぶすまでまだ暫く使えるかもしれない。スキーにもその他の雪中のクライミングにも使えるパンツが欲しいのだが、ハードシェルは可成りの額になるので、おいそれとは購入できないのである。またスキーツアーを経験して、板や締め具を購入するとなるとこれでまた数百ユーロが飛んでしまうのだ。



参照:
合わせものの楽しみ 2015-01-27 | 生活
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2015-01-28 03:31 | 生活 | Trackback

合わせものの楽しみ

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2013年産のカルタヴァインを久しぶりに開けた。酸が鋭く、2013年産特有のスパイシーさが素晴らしかった。これまたミネラル豊かで、ロベルト・ヴァイル醸造所にとっても記念すべき年となったと感じる。実はその前に、シェーンレーバー醸造所のフリューリングスプレッツヒャエンを開けた。これまた朽ちた木のような香味が、リンゴやベリーに続く。しかし最初に感じるのが石灰風の粉っぽさであり、その土壌のミネラル以上のものを感じさせる。しかし、昨年中感じていた蜂蜜系の貴腐味が引っ込み、寧ろいつもの果実味が広がってきている感じで、予想以上の変化を見せている。2012年の清潔さの凄さには至らないが、早めに熟成へと向かっているのでとても分かりやすい。こうした進展にシェーンレーバー家もご満足ではないだろうか?それでもヴァイルのカルタには、石灰風のそれがなく、とても洗練されたリースリングとなった。これは、様々な地所からのキュヴェーの合わせものなのだが、石灰の弱みを持ち合わせていないのが、地所の差なのであろう。

金曜日は久しぶりに室内壁でトレーニングした。落ちてしまった筋力をつける目的で、三時間登り続けた。もう二三回こうしたトレーニングを繰り返せば、筋力がある程度回復してこないだろうか?まだまだ本調子ではないが、若干開き気味に登っているきらいがあるので、もう少し閉じて登る意識をしないといけないかもしれない。結構明翌日も肩まできている。

スキーツアーに行く準備をしている。買い物として手袋を二種類発注した。スキー用の手袋は一つあるが、まだ破れていないので、もう少し使える。しかし替えの手袋がないので、先ずは絹製のインナー手袋を発注した。前から欲しかったのだが、買う機会がなかったので丁度良いと思った。Mサイズを注文した。その後、もう一つはどうしようかと考えて、結局ウィンドストッパーの薄手のものを発注した。普段使っている手袋と似たものだが、それは雪道などで直ぐ濡れてしまってあまり快適ではなく、乾きが悪いので邪魔になりやすい。つまりスキーには全く使えない代物なのだ。しかしマムムートで出しているものは、高山登山などに向いていてスキーツアーなどと書いてあるサイトもある。材質は殆ど変わらないが、自転車乗りが一時間ほどの雨ならば使えるとしているので、一度試してみたくなった。メードインチャイナの割には安くはないが、専門メーカーの製品を比較してみたい。

その前にスキーソックスを購入した。スキー用の靴下も、登山用の靴下もあるのだが、そのどちらも使いにくいのだ。前者は薄過ぎるか、もしくは発汗などは全く考えられていない。後者ば分厚すぎるか、もしくは毛が主体なので暑過ぎる。そこで購入したのはまだ使ってみたことのないコムプレションタイプのもので、血流を促して、乳酸化を防ぎ、疲れを取り除くタイプの靴下である。ご婦人方には人気のタイプで、平素から使っている人も少なくないようである。そして、エステル32%と主体で蒸れ防止なども謳われている。ウール10%、アクリル17%、ナイロン28%にエラステンやプロフィーレンが合わせて7%である。最近は高品質エステルが衣料の主体となっているが、冬の靴下でも使われるようになった。

金曜日に、元スキージュニア選手のスポーツ医に言わせると、スキーツアーは登りの踵のあたりが問題となるようなので、その辺りの擦れ方などもこの靴下の評価のポイントとなるだろう。これも新製品で、スキーツアーのために考えられている。個人的にはあまりトレンドに乗るような傾向はないのだが、靴もしかりそうした時期にはかつてなかったような新機軸の商品や道具などが市場に表れて買いやすい価格で提供される。この靴下もその一つと考えている。同時に滑りも板も靴も弱いので、どうしても上下動を荷重抜粋を意識して、エッジをしっかりと食い込ませることを意識しないといけないと言っていた。クライミングに関しては何時まで経ってもい素人であるが、スキーに関してはシュヴァルツヴァルト出身の彼の言うことは間違いないと思っている。

最大の問題は、スキーパンツである。二十年ほど前にシリングで購入したものだ。可成り高価だったと思っているが、ファースナーの金具が壊れているぐらいで、まだ全然破れていない。そのかわり、サスペンダーは延び延びになってしまい、最も人生で太っている頃に購入したパンツなのでだぶだぶで直ぐにずり落ちてしまう。そして、詰め物が十分に入っているのでとても重い。これを履いて山を登っていくには工夫しなければいけない。先ずはサスペンダーのゴムを二重にして、壊れたプラスティックの留め金を外して固定してしまうようにした。お針仕事の日曜日の午後である。固定は上手くいって、ゴムは伸びてしまっているが、それが切れそうにはなっていないので、先ずは今回は使えそうだ。

次に、腰のサイドの粘着テープ付の絞りの金具を外して、短縮させることでサイドでも閉めれるようにした。金具を外した素地の部分を縫い付けることで、十分に絞っても粘着面が綺麗に貼れるようにしておいた。これでいざというときにも下に落ちてしまわないぐらいにはサイドで閉めれるだろう。しかしその最大も目的は、補強してある裾が重いので膝を曲げにくいために、どうしても裃のようにぶらぶらさせたくないからである。実際に靴下を履いて、靴を履いて、パンツを履いて、裾を整えてもそれでも裾野締りが悪いことに気が付いた。脚絆を巻くことも考えたが、通常のものでは細すぎて巻けなかった。そこでアイデアが浮かんだ。先ずはスーパーに行って材料を調達して来よう。



参照:
新調パジャマの裾直し 2007-11-23 | 生活
我々のライフスタイルを代表 2014-09-30 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2015-01-27 02:52 | 生活 | Trackback

主の居ない打ち出の小槌

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先週のピエール・ブーレーズ90歳記念コンサーツの模様を記憶が新しいうちに書いておく。三回のコンサーツの二回目と三回目に出かけた。流石に朝から一日中では辛いと思ったからだ。それでもアンテーム2(1997)、ルマルトーサンメイトル(1955)、エクスプロサントフィックス(1993)、プルミエールソナタ(1946)、デリーヴュ(1984)、ピアノのためのノタシィオン(1970)、大管弦楽のため(1984)と1960年代を除く創作が一望できた ― 1960年代は指揮者活動をして、丁度筆を置く時期に当たるのでこれでよいのだろう。

当日は、本来ならば本人が駆けつけるところなのだろうが、体調もそれ程よくはないのか、会場からそう遠くはない町外れの自宅で中継を見聞きしていたことになっている。何時頃まで指揮活動を盛んにしていたのかは知れないが、最近のインタヴューなどを聞いても可成りふがふがになってきている印象はあったので年齢を考えれば仕方がないのかもしれない。

午後のコンサートは、午前中に続きバーデン・バーデンの劇場で催されて、ベルリオーズがこけら落としをしたという劇場は小さいながらも、それなりの雰囲気と、室内楽などには悪くない音響であった。一曲目のヴァイオリンは曲を献呈された初演者のハースン韓の演奏で、流石に良く弾き込まれていた。しかしその曇りのないヴァイオリンよりもライヴエレクトロノクスの腕が素晴らしく、単純なディレーなどとは次元が違うことを改めて感じさせてくれた。嘗ては、大型のコムピューターでシンセイサジザーテクニックなどを駆使してしか表現できなかったことが、今では腕とセンスさえあればYAMAHAのプルトとノートブックでも容易に表現できるのだ。考えてみれば1997年と2015年ではデジタル音響技術もPCなどの差も甚だしく、これらのライヴエレクロロニックの音楽は今後一般コンサートの中で重要な地位を占めていくだろうことを今更ながら思い知らされたのである。今まで実感としてこれほど明白にその音響の斬新さを感じることはなかったのだ。プルトは、バーデン・バーデンの電子音楽スタジオが受け持ち、イルカムの初演者がやはり共演した。

インテルメッツォとして、作曲家と所縁ある人が舞台に登場しての話となったが、秘書の元DGの女性の話やピアニストのエマールの話はどうでもよいものだった。しかし、ヴォルフガンク・リームの話は、自分の創作と重ね合わせる話でとても興味深く、同じ道を何度も何度も追及している作曲家としてのル・マルトーの解説が秀逸であった。中声域の限定やヴィブラフォンの歌声などその独自の音響感を指示していた。

さて、この大成功作であり、シェーンベルクの「ピエロリュネール」を継いだ「ル・マルトー」は、今回生で初めて接して、その面白さと歌の重要性に改めて気が付いた。シェーンベルクの歌のついた弦楽四重奏曲をも想起させるが、いつものように録音ではとても早いテムポでまるで一筆書きで颯爽と響かすのとは異なって、今回はSWRバーデンバーデンの奏者のアンサムブルを音楽監督のロース氏が振った。その後、二種類の自作自演の録音を聞き直した。やはり、どちらも素晴らしかった。二十世紀後半の名曲であろう。初演は当日の会場から歩いてもそれほど遠くはないハンス・ロスバウト・ステュディオで1955年6月18日にあり、その時の同管弦楽団のパーカショニストが客席で紹介されていた。

セリアル音楽もパラメーターが増えるが増えるほど、もはや誰かが操作するという範疇を超えていく。この場合も少なくとも音域は制御されていることになるが、楽器の組み合わせなど十分なパラメーターが存在する。こうしたリズムや音程の対位法的な絡み合いをしっかりと手際よく組み合わせたりしていくには、そのパラメーターを数学的に処理するしかないのである。それにしても不思議なことに、そうした複雑性が、たとえばヴェーベルンの小曲のような極度の緊張を少なくとも聴者に強いらないのは、作曲家の音楽的な個性でもあるのだろう。そしてここまで行けば、次には電子音楽的な処理によって新しいサウンドをパラメーターとして加えていくしかなくなってくることも容易に実感できるだろう。(続く



参照:
追懐の怒りのブーレーズ 2006-11-08 | 音
至極当然のことなのか? 2015-01-20 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2015-01-26 04:05 | | Trackback

積極的手法のパートナー

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日本人人質の晒首の写真がネットを駆け巡り ― 日本では写真の信憑性が話題となっているようだが、あのVIDEO中の写真では何とも言えないのは当然であろう、その新たな条件提示のVIDEOで、日本政府へと直球ボールが投げ返された。漸くこれで世界中が安倍政権を注目するようになる。ご本人としてはご満足ではないだろうか。外務省が描いた通りの事件の進展である。

金曜日の討論番組は、ユダヤ人問題が俎上の載った。ホロコーストの記念日を契機とする企画であったが、まさしく今世界で起こっていることを背後から説明するような番組となっていた。二人のイスラエル人が登場して、「ドイツ人はイスラエル人よりもユダヤである」と話すのがとても興味深かった。

彼女に言わせると、「イスラエルでは誰もそのような日には関心もなく、ホロコーストと関係がないのが普通だ」ということで、そのような活動をしているユダヤ系組織の異常性を、名前は挙げたがらないながらも、説明していた。要するに、ベルリンにある記念碑や各地に埋められた躓き石などはそもそもドイツ人のためのものでユダヤ人には関係がないもだと語ったのだ。

それほど、「戦後のドイツ人は、ナチの犯罪をこれでもかこれでもかというほど執拗に真剣に扱っていて、敬意に値するもの」だが、それがユダヤ的だとなる。そして、もう一人の女性も、強制収容所観光などは全くイスラエル人にとっては関心がなく、観光としてのそれには懐疑的だとする。当然の事であろう、あのようなところに好き好んで立ち寄るのは、ユダヤ人ともドイツ人とも地元とも関係のない物見遊山の外国人観光客だけであろう。

なるほど、シオニストが、ホロコーストの被害者を侮蔑していながら、いつの間にかそれらを政治的な道具として使うようになったのはよく知られている。シオニストとアウシュヴィッツへと送られたユダヤ人と間の葛藤は芝居等でも十分に表現されているが、イスラエルが政治道具化する限りは、ドイツは、ガザ虐殺であろうが、どのような非人道的な行いをイスラエルがしても、一言もコメントできない様になっているのである。

その意味から、このSWR2の放送内容は画期的なものだと直感した。高級紙のFAZなどは以前から高度な次元でユダヤ批判も繰り返してきていたが、公共放送の文化波が討論の形をとりながらここまで踏み込んでいたのには驚いた。今回の安倍のイスラエルでの演説やその反響が人質の斬首として表れたことには、この件には全く触れていない新聞に次のような記事が載っていた。

それによると、日本は、合衆国が安倍の国粋主義なポーズがあまりにも度を越しているとはしながらも、米日関係はかつてなかったほど良好で、尖閣の保護にもオバマ大統領が一言触れたことにも表れているとしている。そしてEUよってもNATOにとっても、年内締結の欧日の経済協定のみならず安全保障上の協調があるとなる。つまり、安倍が示すような西側の対応が欠かせない、アジア情勢であり、インドやオーストラリアの民主主義国、またヴェトナムへと広げられるパートナー構築が日本の役割であるとするが、とどのつまりもはやそうした国際的な安定が存在しないことであるとする。

積極的に自由と繁栄の欧州に寄り添う形で、地理的、地勢的また歴史文化的な制限を乗り越えて、この国際安全保障に積極的に係わることであり、アフガニスタンへの経済的な尽力に留まらず「イスラム過激派への戦い」に一層強く係わっていくことをブリュッセルで樫田外相が指し示したとある。そしてそれが、つまりドイツのように世界に貢献するということが、どのようなことになるかというと、丁度ブリュッセルでの会見中に明らかとなった、誘拐されていた二人の日本人への身代金要求であったとする。安倍はイスラエル滞在を切り上げ、東京へと戻ったのだとある。

日本の制裁外交は、ロシアのウクライナ問題に関しても欧米と一体となり、ロシアの孤立を諮るのだが、そこは北方領土問題があるから、ドイツと同じように譲歩の余地を残りているという。勿論欧州では、ロシアが日本の優先順位を同等に置いている訳ではないことを人は知っている。つまり、日本がやろうとしている地域では勃興する激しい国益政治の中国がその地位を独占しているという事実である。そのような状況下で、安倍は予想通り、国防費を増加して、特に海兵隊を重視する。

そのような日本のレトリックが欧州の安全保障や経済分野で示唆するところは、アジア太平洋において完全なものとなり、反対に欧州もアジアにおいてよりプレゼンスを増すこととなる。つまり日本の荒々しい隣人中国は日本にとってと同様に欧州にとっても欠かせない意味を持っているからと解説する。

これらを読んで、新聞が日本人人質について不用意に報道しなかった意味が分かった。私が知る限り、この記事が最初であり、それでもどこにも見出しにはなっていない。記事を読み進めなければ気が付かない様になっているのである。ドイツの報道は、公共放送やその他、公な議論が始まらないうちは記事にならないことが多い。今回の件もドイツの外務省などの動きが定まったところで記事になってきたのだと想像する。そして放送にあったようにイスラエル問題が、いよいよ連邦共和国でも公平に議論されるような状況に近づいてきているのかもしれない。



参照:
Vorzeigepartner, Klaus-Dieter Frankenberger u. Peter Strum, FAZ vom 24.1.2015
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2015-01-25 07:11 | マスメディア批評 | Trackback

玉に瑕のメードインチャイナでも

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入手したカメラを弄る。Sonyのサイバーショットにはキャノンのダイジェスト機能などが付いていないので、一長一短かと思ったが、よく考えてみれば、スポーツ中の撮影はVIDEOで十分だと気が付いた。20倍ズームで機能は高そうで、なんといっても録音される音がサイバーショットの昔からの伝統で素晴らしい。キャノンのそれでこんなものかと思っていたが、流石に音響メーカーである。

これならばアクションヴィデオ宜しくVIDEO主体に撮って、ここぞというときに構図を決めてスチールを撮ればよいと思った。最近はゴープロに代表させる広角ヴィデオが人気であるが、これもミヒャエル・シューマッハーのスキー事故以来、ゴープロが大けがのもとになったとして株価まで下がったらしい。シュマッハーがヘルメットをしてヴィデオを撮っていたことは知っていたが、頭につけてのそれを直ぐには思い浮かべられなかったのである。最近ラディオで耳にしてなるほどと思ったのだ。ああしたものを頭などに固定して、ひっくりかえるとヘルメットの横から頭蓋骨を砕くほどの危険性は容易に想像がつくのである。

こちらは、IXYを一年前に購入して三回合わせて高度百メートル以上落下させてしまったものであるから、自分は怪我をしなかったが、殆ど壊れてしまった。それでも使えるというのは大したものであるが、そもそもWiFiの接続が悪過ぎて、新機種はVIDEO録音がモノラルだというから、流石に見限った。ヴィデオの音質はどうでも、写真だけはマニュアルで撮れるとかならばよいが、素材も年々悪くなっているようで、パナソニックなどの対抗機種も検討したのだった。

結局WiFiもある程度使い良さそうでVIDEOが良い商品を購入したのことになる。実際に試してみるとそれほど繋がりが良い訳ではないが、ノートブックにデータを転送するのは比較的問題なく出来そうなので喜んでいる。先ずは壊す前に色々と撮ってみたいと思っている。電池を入れて164GとIXYよりも22Gほど重いが大きさはあまり変わりなく、重心が良くて素材も手に馴染んで持ちやすい。玉に瑕はメードインチャイナであろうが、品質に問題が無ければそれほど悪い仕事ではなさそうだ。

隣町の教会塔を20倍ズームで撮ってみた。どのような挟角でも撮って編集すればそれなりの写真になってしまうのが凄い。肉眼でもなかなか見えにくい構図を切り取ってみると、見慣れぬ風景が浮かび上がる。メードインチャイナということで価格は、ドイツでのそれと日本でのそれはほとんど変わりなく、為替相場の差の分日本は安いぐらいだろうか?要するに中国で作られているから安いのではなく、日本製ではないからそれほど安くないとなっている。まさしくアベノミクスの経済政策はこの価格に出ているようだ。

電池の充電が小さなミクロUSBを使うようになっているので、充電器を発注した。日本で売っているものよりも安くて安心できるような商品である。これに関してはIXYの方が充電器が付属していて使い易かった。充電池は予備を準備しているのでこれは問題ないであろう。

水曜日に沢沿いを往復した。あまり体調がよくなかったので峠登りを諦めたのだが、往路12分2055歩で最高記録には程遠いが、往復25分4029歩で標準記録内であった。零度前後でかなり寒くとも気楽に走って、軽く一汗かくのは気持ちよい。そのあとの朝食の美味いこと、極楽である。



参照:
暈けた写真を撮ってみる 2014-12-16 | 雑感
半端でない技術力を理解 2014-04-26 | 生活
牡鹿搭からカメラを落とす 2014-04-20 | アウトドーア・環境
デジタルカメラの高機能 2013-10-06 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2015-01-24 08:14 | テクニック | Trackback

パラドックスの近代社会解析

日本人人質の話題は大衆写真紙にしか見つからない。あまり正式な話題にはしたくない事情があるのだろうか?ドイツの人質は全て解放されている筈だが。だから日本のネットを見ていなければ今回のニュースにも気が付かなかっただろう。日本では、フランクフルターアルゲマイネ新聞は例の再発行の表紙を載せなかったというデマが流布しているようだが、なるほど私よりも先には載せなかったが、発売日の様子を伝える町の写真として第一面の一番上に大きくカラーで掲載された。これが恐らく真相で、ガーディアンにしてもFAZにしても高級紙と呼ばれるものは中身で勝負しているので、その例えば「イスラム教におけるキリスト教と同等の改革が可能か」のような本質的な記事が重要で、あの手の大衆紙とは異なるのだ。つまり、つまらないところで挑発して反発を食らうのではなくて、その内容を読め込めば少なくともドイツ語の教養があればモスリムでも十分に自動的に啓蒙されるようになっている。そこからはじめて議論が始まるのである。

それよりも話題になっているのは、カウンターがPEGIDA(ライプチッヒのLEGIDA然り)の何倍も動員力があって、PEGIDA活動が護られると同時に急に勢いが失せてきていて、代表のヒットラーのチョビ髭事件と辞任と連なったのだ。日本の新聞などは最後のチョビ髭を桑田佳祐と同じように扱うのであろう。これが日本の大メディアであり、ジャーナリズムでもなんでもないものなのである。

またモスリム同胞団の創立者の子孫で、フランスではリベラルの論者として彼の射殺されたシャルブなどともTVで議論をしている有名人タリック・ラマダンのインタヴューが話題となっている。彼はかなり厳しくシャーリエブドを批判している。そこにモスリムのリベラルの本心がよく表れているとされる。ジュネーヴでは、そのものヴォルテールの「モハメッド」の上演を阻止して、また合衆国への入国が禁止されている人物でもあるのだ。フランス首相ヴァルスは人種隔離を批判しているが、まだまだ議論の余地のある事象である。

ネットを見ると、チョムスキーが今回の「報道の自由」をして、NATOによるユーゴの放送局爆破を挙げて、その理屈を批判しているようだ。CNNなどの情報を見ると更にノルウェーでの虐殺事件も挙げているようで、イスラエルの左翼新聞によれば、それが全てイスラエルにも向けられているとなる。勿論それは西欧のメディア報道への批判であるのだが、この左翼のユダヤ人老人が語るような構図が今も通じるのだろうかと疑問に思われる。つまり、西欧の価値観とはどこにあるのかということでもある。ポストモダーンにおけるマルキズムである。

非西欧のジャーナリズムが解析しなければいけないのは、その価値観であろう。それをしっかりと捉えることなくて、ユーゴスラヴィア空爆とパリの事件を文化の衝突として位置させても仕方ないのである。そうしたまるで透明人間のような姿勢を取る前に、イスラム諸国の刑罰の在り方や女性の権利を筆頭とする人権について、イスラム主義についてもう一度振り返るべきであろう。そこには、今日のジャ-ナリストとして ― またはありとあらゆる科学的な理性の学徒として、決して譲ることのできないイスラム主義への抵抗が沸き起こるに違いないのである。そもそもこの一連の件で、民主主義や表現の自由に懐疑したりするのが間違いなのである。

そこで、日本の報道を観察するととても興味深い。モスリム教徒への特に西欧における旧植民地出身や出稼ぎ労働者のモスリムへの共感が示されることが多い。その真意は分からないが、そのような発言をするのが、外交特権ヴィザで世界中で特権階級として滞在した元外交官などだとすると、その真意を問い質すべきだろう。このような視点での共感は、モスレムに向けられるのでもなく、イスラム圏文化に向けられているのだろうか?それとも非西洋の日本国の近代人としての共感なのだろうか?そうなると、大東亜共栄圏も直ぐそこではないか。ここにもパラドックスが表出する。それが、マルキストがアラブ民族に連帯を示すのとほとんど変わりがないという時代錯誤の視座も見え隠れする。

少なくともこの二十年だけを振り返っても、連邦共和国におけるイスラム問題は、重要な労働力となったトルコ人問題として、何度も繰り返し国会等でも扱われてきた問題である。だからあまりにもポピュリズムの巣窟としてのPEGIDA運動にしても、同様にドレスデンなどの自己意志で判断の出来ないドイツ民主主義共和国出身の人々特有の漠然とした社会への恐怖心 ― 社会主義体制は人民を覚醒させることなく、社会主義の蛹の中に人民を眠らせ続けていたのである ― を煽ったイスラム主義への嫌悪が炸裂した形となった。

東京新聞社がモスリムによって抗議運動を受けて、例のカヴァーの転載を説明しなければいけなかったという。こうした事態は今後繰り返される。日本は外国人労働者の労働力無くては国内産業は壊滅するに違いない。その時になって、日本社会自体が覚醒しなければいけなくなるのである。そこでは、モスリムの宗教的生活観の尊重などと呑気なことは誰も言わなくなる。十年ほど前、緑の党が政権に入ったときマルチカルチャーなどと薄っぺらい言葉が叫ばれ、今もメルケル首相は「モスリムはドイツに含まれる」とぶち上げて各界から批判が絶えない。現在のモスリムがモスリムらしく西欧で生活するときに、西欧の社会は崩壊していくのである。そこには基本的人権も近代的理性も秩序も消え失せてしまうのである。現在のギリシャがとんでも無い社会であるよりも ― だからギリシャ人はEUにおさまっていることをとても自慢に思っているという、東欧のロシアよりも、そのイスラム化した社会は退化してしまうのである。



参照:
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事
己の文化程度を試す踏み絵 2015-01-14 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2015-01-23 04:40 | 歴史・時事 | Trackback

ライン中州の冷却水の恐怖

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日本からの小荷物が税関で止まった。昨年の変圧器以来だから、頻繁に止められた。40KMを35分も掛けて車を走らせなければいけない。マンハイムに行く序があったので、時間をかけて回ってきた。税関は開封して中身を見せるだけで終わった。そこから、前回はライン河へと向かったが、今回もそこで入手したカメラを弄っていると、中州に原発の水蒸気を見た。ここまできているので、二号機が稼働中のフィリップスブルク原発に向かった。向かったと言ってもあまり近づきたいとも思わないので、水蒸気の風下を避けながら、地元の町や対岸の町を走って回った。

37KMも離れたところからあれほど大きく見えるのだが、近づくと思ったほど大きくない。ここの特徴は、中州にあるので両岸も直ぐに水がつくような場所である。車の走る道も水溜りが多く、とても車から降りて歩き回れるような場所ではなかった。もしここで事故が起これば、水の処理がとんでもなく大変なことが分かる。つまり北海まで大量の汚染水が流れ込むことになるので、アムステルダムは全滅だろう。

地震や津波に関しては、日本の原発は恵まれていないが、ドイツの原発が事故を起こしたら、とんでもないことになるのは、こうして現地見学をすると実感することも少なくない。どのような化学工場でも事故が起きたときの水質汚染を考えて、外には漏れない構造に土手が作られているのだが、原発の冷却水の量は火事や事故のその量ではないことを知った。つまり、ここでも冷却系に不都合が起こったときは、福島以上に大事故になるということだ。



参照:
原発の水蒸気塔の見える町 2011-04-09 | アウトドーア・環境
原発銀座の四つの水蒸気塔 2012-04-08 | アウトドーア・環境
裏町のパブリックな対応 2008-02-18 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2015-01-22 05:59 | アウトドーア・環境 | Trackback