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まるでとても可愛い男の子

冬模様で寒い、なによりも体が冷える。久しぶりに美しい女性の話としよう。暫くご無沙汰していたのには理由があるのだが、そのハイデルベルクのブロンドの女学生の事はもう少し時間を置いて書こう。その代り、可成り良い感じの女性に出合ったのは昨年の秋だったろうか。それから大分経つが実際にお目に掛かったのは三回ぐらいしかないのである。

声を掛ける女性との年齢差がますます広がるのは致し方ないのだが、それに拘わらず所謂化学的親和性つまり相性の良さをお互いに感じるとなると、これはまた全く話が変わるのである。お互いに笑みが自然に溢れ出る感じはこれはどうしようも隠しようがないのである。なにも特別なことをしないでも関係が進んでいくのである。

よくよく彼女の表情などを観測するのだが、なにも今までのトップ美人のマドンナではない。外見を公平冷静に見て、その欠点のようなものも指摘出来、美人度としては精々同点二位ぐらいである。年齢としては中肉中背、茶系の髪と170CMほどと、ドイツ女性としては極平均的であるが、今までのマドンナの中では最も大きい方になるだろうか。それでも大きさをあまり感じさせないのはそれほど骨太な感じが無いからであろう。それらのマドンナに共通する傾向を見ると、どの女性も比較的眼孔がそれほど広く大きく無いような傾向があり、勿論それほど深いタイプはあまり親近感を感じないようである。口元も大きくないのも共通している。

彼女はどちらかというと若い女性にしてはマルティタスクにあまり優れていないような傾向があって、決して不器用ではないようだが、手が遅い感じが強い。しかし同時に長女などに特有の落ち着きがある訳ではなく、もしかするとこの傾向から一人っ子に近い可能性もある。

その意味からすれば結構自己中心的な雰囲気があるのだが、一般的なドイツ女性からするとその物腰や自己の出し方が可成り軽快で、押しの強さよりもフランス女性的な柔らかさがある。それでもフランス女性のコケットさよりも、健康さの方が強く出る。時々見せるその横顔を見て、表情筋などを観察すると、もう少し顎周りの肉付きが良くなるぐらいが美しいだろうと想像する。

その一方、以前に言及したことのある美人度トップの当時十代終わりごろだった女性とは大分異なり、明晰で理性的な対応が、その恐らく教養や教育程度の違いを示しているようだ。そのあたりも、実は前述のハイデルベルクのドイツ語学科の女学生に比較して最初からとても安心できるところなのである ― 彼女にそこまでの教養を感じることはなかった。だから決して過剰に即物的な態度にならないで、とても自然な対人をするところがとても魅力なのだ。そのように考えると家庭環境もある程度推測できる。

彼女の佇まいを想うとどことなく子供のころ最初に恋心を抱いた女の子のことを思い出した。なるほどどこか似ているのだ。なんとも自然で直截な表情が似ているのかもしれない。原体験的な恋心であり、今更とは思うのだが、いやに懐かしいような口の周りにこびり付いたようなキャンデーの甘みのようなものを感じるのである。

会う機会はあまりなくとも最小限必要な時間は経過しており、ある程度の馴染み関係が生じているのも悪くはない。何か彼女を前にすると、自分自身が幼稚園の男の子のようになってしまっているのを感じる。その時は、とても可愛い男の子に違いない。



参照:
自意識の有無の認識 2014-06-04 | 女
囀りましょうか? 2005-06-01 | 女
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by pfaelzerwein | 2016-02-29 20:42 | | Trackback

索引 2016年2月


足踏み状態の今日この頃 2016-02-28 | 文化一般  TB0,COM2
フォンデューにリースリング 2016-02-27 | ワイン
バッハ最前線から現状報告 2016-02-26 | 音
厳戒態勢ではない国境線 2016-02-25 | 生活
痛めた左足で苦行の大滑降 2016-02-24 | アウトドーア・環境
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感
チーズフォンデュの準備 2016-02-22 | 料理
最後のグレーフェンベルク 2016-02-21 | ワイン
雪崩救助作業装備重量 2016-02-20 | アウトドーア・環境
怪我後初めてのジョギング 2016-02-19 | 生活
バーデンバーデン復活祭まで 2016-02-18 | 暦
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
隣人愛ザウマーゲンチョコ 2016-02-16 | 歴史・時事
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
否の無いスマートさ 2016-02-14 | 雑感
無アイゼンのピークハント 2016-02-13 | アウトドーア・環境
ドナウヴェレという菓子 2016-02-12 | 料理
新品を使ったスキーツアー 2016-02-11 | アウトドーア・環境
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
緑の屋並みにはいない泥鰌 2016-02-09 | ワイン
アクセスをインタープリート 2016-02-08 | 文化一般
思ったよりも早く失せる 2016-02-07 | 雑感
ナヴィで目指すところ 2016-02-06 | 雑感
いつものおばさんの戯言 2016-02-05 | マスメディア批評
雪崩救助用ショヴェルを購入 2016-02-04 | アウトドーア・環境
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
エネルギー消費を再審査 2016-02-02 | アウトドーア・環境
初めてのスキンを装着 2016-02-01 | アウトドーア・環境

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by pfaelzerwein | 2016-02-28 22:12 | INDEX | Trackback

足踏み状態の今日この頃

体調が思わしくない。なによりも足が不自由なので、身体のバランスを取るだけで大変だ。かなり全身に来ている。スキーツアーで二日目にあれだけ疲れたのにはそれだけの原因があったということだろう。実際に降りてきてから山小屋でも心臓への負担などを感じていて今までにはなかったことであった。それでも何とか動けたのは基礎体力があるということなのだろう。帰宅後も色々な負担があって独特な疲労の仕方が気になる。足の調子さえよければ一っ走りして体の調子を整えるところなのだが無理は出来ない。

スーパーに行くと、このところの野菜の値上がりに驚く。キュウリなどは、ドイツ製であろうがスペイン製であろうが、同じようなものが倍近くの価格になっている。その他の安い物を探そうにも概ね二割り増しか、物がとても悪いものになっている。仕方なくブロッコーリーとザワークラウトとチェリートマトを買っておいた。野菜は最終的には八百屋に行くからである。

チーズ類は、折からの四旬節で安売りも出ているが、もう一つである。コーヒーやヌードルは安売りを逃さずにしっかりと買い置く。肉類は、スベアリブがグリルしてあったのでこれも買う。トイレに洗剤などを加えて、直ぐに30ユーロになってしまう。日本などはなかなかデフレを抜けきれないというが、こちらは直ぐにインフレムードとなる。但し燃料や、シナからの輸入ポメロなどは価格が落ち着いているので、そうしたチャイナイムポート品に頼ることになる。そうしたことで、もはやドイツからシナへのエクスポートは減少して、世界最大の輸出国の交代の事情が顕著に表れている。

兎に角、体が弱っているので、今晩辺りは滋養強壮のために肉でも食して、サンテミリオンでも開けなければいけないと感じている。陽射しは強くなって、春らしくなってきたが、気温は朝晩の冷えで氷点下前後を上下している。運動が出来ないことで体調管理がとても難しい。まさに足踏み状態なのである。

来週からは新酒の樽試飲が始まる。2015年産のワインである。2014年産もまだまだこれからなので、いろいろなワインが楽しめる反面若干煩雑になってきている。数年経たないとこうした供給の仕方に消費者として慣れないだろう。

この十日間ほどでの最も話題となったのはウムベルト・エコ逝去のニュースだった。エコと聞くと、その記号論とRAIでの音楽プロデューサーとしての仕事をどうしても思い出す。その前にはベルリンで、ブーレーズ逝去を記念してのクルターク作品の初演などもあったようだ。いづれにしても、先日のバッハ組曲の演奏実践にしても記号論とは切り離しては全く議論が出来ない。

再三にわたって2009年の感想を読み返してみると、バッハの現代における価値がまさしくこうした記号論的な次元において輝くのであって、それもバッハ以後の読み替えではなくて、バッハ自身が伝統として受け継いだそれの読み取りであるとするここでの議論が漸く一つの結論に達しているのを感じる。勿論天才少年キット・アームストロングの教育程度からそのようなことが前提となってリゲティ―との組み合わせが行われたのであって、それはバッハ以前を強く意識していることと同義であったのだ。今、これを書きながら、アンティカ・ケルンのアルバムからバッハのそれらの組曲を流しているが、こうして比較するとサヴァールの知的な感覚はやはり隅に置けないと思う。



参照:
バッハ最前線から現状報告 2016-02-26 | 音
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
バラの名前の閉じられた世界 2011-06-21 | 女
外交官なんて不要か? 2010-12-21 | 文化一般
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-02-27 22:40 | 文化一般 | Trackback

フォンデューにリースリング

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痛めた足の調子が良くない。滑降のクラストした雪でこけたときにまた捻ったのも悪かったのだろう。もう少し長引きそうで嫌になる。登りも無理して体を動かしているのでちょこちょこと違和感もある。これも仕方がない。

この一月ほど前から話題になっていたのは、モーツァルトの新曲の発見の事であるが、その新聞記事もあまりよく読んではいなかった。先日のフランクフルトへの途上のラディオでその小さなカンタータが流れていた。サリエリとの共作でもあり、その作曲よりもあのサリエリ事件の否定の方がこのチェコでの発見で話題になっているのである。要するにとてもよく面倒を見ていたサリエリのパトロンのような立場である。

スイスでは、三食自らの賄で夕食とした。二回はヌードルのスペッツェレで、一人はシュツッツガルト出身だったのでレンズマメスープのソースで食した。私自身もシュツッツガルトの人から習ったレンズマメソースはスープではないので、これは極一般的なスープに近いものだった。それでもソーセージなどを混ぜて、ヴェギタリアンは菜食ソーセージで、それなりに楽しめた。

最終日は、ケーゼシュペッツェルでそれにサラダを付けた。初日はチーズフォンデュだった。生憎、フライブルクのグループが一緒で、彼らが態々ヌードルを自家製で造っていたものだから、時間が掛かって可成りストレスが溜まった。

ワインは、それに合わせて2012年産ゴールトベッヒャエルを別けて貰って持って行った。通常ならばリースリングの酸がチーズには合わないのだが、瓶熟成で落ち着いていて、尚且つフルティーさがあるので全く違和感はなかった。勿論キルッシュヴァッサーは忘れずに持って行った。

今回の最大の問題は誰も本格的にビールを持ってきていなかったので、ビール党の私には少し寂しい感じがあったが、足を怪我していることでもあり、少なくとも飲み過ぎになることは無くて、その点はまずまずであったろう。



参照:
チーズフォンデュの準備 2016-02-22 | 料理
似て非なる地方の名物 2008-02-16 | 料理
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by pfaelzerwein | 2016-02-26 23:06 | ワイン | Trackback

バッハ最前線から現状報告

フランクフルトのバッハの会では、ヴァイマール・ケーテン時代の管弦楽が中心に演奏された。今シーズンから始まった会員向きのオリエンテールングでは歴史的演奏実践にも触れていた。冒頭は遅れて聞けなかったが、面白かったのは1930年代のコンセルトヘボー管弦楽団演奏の組曲二番ロ短調の録音だった。演奏自体はとても優秀な演奏で、メンゲルベルク指揮の管弦楽団がベルリンのフィルハーモニカ―などとは違う程度の演奏をしていたのを確認した。とてもあれだけのアンサムブルは新世界でも当時なかったであろうと思わせて、そのバッハ演奏の歴史的な意味を改めて知った。

要するに楽譜を正確に音楽しているのだが、バロック音楽における研究や演奏実践が戦後にベネルクス諸国でリヴァイヴァルしてくる源泉のようなものをそこに紹介した。組曲における舞曲的な要素を、その音楽リズムの記譜化されていないものを、ヴィーナーヴァルツァーの三拍子と比較して説明する手腕も中々優れていた。もう一つの柱は、チェンバロ協奏曲の音楽とそのカンタータへの発展の説明だったが、様々な楽器の使い方と、装飾の付け方などへとなかなか意欲溢れる内容で、短い時間ながらなかなか充実していた。

当日の演奏は、ジョルディ・サヴァール指揮する「再統一の味」と名付けられたプログラムであった。そこで再統一されるのは、バッハが倣ったイタリアとフランスのバロック音楽としてもよいかもしれない。そこで演奏されるのはロ短調とハ長調の組曲二曲とニ短調のチェムバロ、二つのヴァイオリンのための協奏曲である。

特に印象に残ったのは、あまり知らなかったチェムバリストのピエール・アンタイで、恐らく今までも楽団の中で弾いていたのを聞いているのだろうが、今回は協奏曲を含めてその音楽がアンサムブルの中で中核を占めていた。流石にレオンハルトの弟子である。一楽章アレグロでのヴィオラとの絡みは、今まで経験したことのないバッハ演奏で、グールドがピアノで弾く時よりもそのチェムバロの鋭く早い音響が中音域のオブリガートと織なす、ピエール・ブーレーズ作曲のライヴエレクトロニックばりの音響を試していた。そうした現代的なサウンド感覚も含めてレオンハルトには全くない種のもので、その意味からは完全に師匠を超えているのかもしれない。

明らかに緩いアンサムブルのサヴァールの音楽がこのような通奏低音によってもしっかりと支えられることで、フルートトラヴェルソを吹いた兄弟のマルク・アンタイの演奏する組曲においてもなかなか微妙なバランスとテムポを表出できていたのかもしれない。通常のフルートでは音が立ち過ぎるのだが、このように演奏されることで、なるほど従来の演奏形態よりもサウンドが豊かになることも事実だろう。

コレルリ、ヴィヴァルディとそしてフランスのルイ王朝の音楽がどのような形でバッハによって統合され結実しているかを音化する演奏会としてはこれで大成功といえるのだろう。このような演奏よりも遥かに精妙な古楽器演奏アムサムブルは幾らでもある訳だが、決して鄙びた響きでもなく、超現代的なサウンドがこうして齎せるのはやはりサヴァールの音楽性ということに違いない。

最近は大ホールで活躍が目立つ演奏家であるが、反面嘗てのようなビックリおもちゃ箱のような奇想天外さは影を潜め、その一方でこうした純器楽的なバロック演奏を披露しているのであるが、同時に際物にならないようなぎりぎりの線をしっかりとこうした演奏家が守っている感じが強かった。

そして、2009年の同じ楽団の演奏会の記録を読み直す。その時はブランデンブルク協奏曲ではブーイングが聞かれたようだったが、なによりも組曲では結果が逆になるのは分かっているようなものだ。そのもの楽譜には一切表現されていない舞踏の音楽こそがその中心であるからだ。メンゲルベルクが意外にもとても素晴らしく楽譜に忠実に演奏をしていて、そして今では全く楽譜に書かれていない音楽こそが学術的に忠実な演奏解釈なのである。そして、そのリズム感覚などの際どさこそがサヴァールの最大の持ち味であることは間違いない。

先日のキット・アームストロングのリサイタルに続いて、十分に刺激的なバッハ演奏実践で、もし現在のバッハの最前線を体験しようと思うならば、このフランクフルトの演奏会シリーズしか他にないだろう。



参照:
開かれた陽画の舞踏会 2009-01-23 | 音
きっとアームストロング 2016-01-15 | 音
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2016-02-26 02:24 | | Trackback

厳戒態勢ではない国境線

久方ぶりに、フランスからスイスへと廻った。滞在先はベルナーオーバーランドだった。先ずはエルザスへの国境がこのところのテロ騒ぎと難民騒ぎで道路が狭められていた。それでもそこには誰も居なかった。帰りも同じだった。完全にフリーだった。

またエルザスからバーデン・バーデンへの再入国も全く国境が無いのは同じで、通過スピードもカーヴで速度が落ちるぐらいで早くなる傾向は全く変わっていなかった。パリでの非常事態宣言とは異なって全く出入り自在だった。情報が流れたときだけコントロールをするのだろう。それでも完全開放からは後退していた。要するにああしたコントロールはせいぎょうされて居るということでしかない。

ドイツからスイスへの入国も従来と一切変わっていなくて、顔パスで通過した。これも何十年も変わらない態勢である。ドイツ再入国もスイスからの入国なのでこれまた全く何十年も変わらない状況である。

寧ろ、フランクフルトのアルテオパーなどの出入りが以前よりは少し気を使っている感じはある。正直テロ注意は、危険度が高まらない限り気が付かない。実際には危険性は低くは無い筈なのだが、なんとも言い難い。

三月にはバーデン・バーデンへと出かけるので、平素はこの程度の態勢ならば助かる。しかし一度ことが起きると閉鎖擬きの渋滞なども考えなければいけないだろう。なにも起こらないことを願うしかない。



参照: 
ガブリエリ・ルッペに学ぶ 2013-07-23 | 文化一般
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-02-25 17:55 | 生活 | Trackback

痛めた左足で苦行の大滑降

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今回のスキーツアーも昨年のフランケンジュラでのクライミングと同じようなことになった。やはり膝と脚の捻挫はきつかった。何とか登れたが、全く滑れなかった。それでも無理してでも全力を絞って登ってしまえるので何とか降りて来るのが大変だった。こんなことになるとは考えてもみなかった。

それぐらいに歩けたのは逆に凄いことだと我ながら思う。足首が固定されていて、技術もある程度身についていて、上半身も上手に使えるので、体力がとても要る。だから二日目はこの五年感じたことが無いほどにバテバテになった。一時は頭から血が失せそうになった。肺に無理に酸素を取り込んでも、全く効果が無かったのも初めてで、殆ど高高度を登っているような感じさえした。

登り初めの沢部分で陽射しが強く完全に汗を掻いたので、それが冷えたのもあまりよくなかった。まるで日本の冬山を思い出すようなベルナーオ―バーランドだった。振り返れば、前夜の山小屋が満杯でストレスもあったのと、早朝にトイレの序にシャワーを浴びて、二度寝をしたのも悪かったのかもしれない。どちらかというと人混みに酔ったのだろう。兎に角、意識薄弱になりそうなバテ方で、心肺機能には全く堪えなかったのも不思議だった。

そして下りになると、前日はあまり気にならなかったのだが、頂上直下から厳しい分厚い固い層の雪のためもあったが、直ぐに左足首を捩じる動きが入って駄目になった。そのあとは何とか降りていくだけで一杯だった。その傾向はどんどん悪くなってきた。

それでも登るのは出来るものだから三日目も頂上まで登ってしまえて、それも決して悪くはないペースで三人の二十歳代と登ってしまえるので、余計に下りに困り果てた。確かに日頃の鍛錬の成果が出ているのだろう。足さえ普通に使えれば今までにないペースで登れる可能性があることすら感じたぐらいだ。

通常ならば、苦労して登って、後はお楽しみだけで素早く滑ってしまうだけなのだが、どうにもならなかった。林道を下るのさえ厳しく、直滑降も真っ直ぐ走れないのである。こんな思いは、スキーを始めて最初の一週間ぐらいにしか感じたことが無い辛さであった。歩く方が早いぐらいだった。

スキー靴の中でどうしても捩じる動きが働いていて、それどころかどちらのターンも引っかかるようになってきて、左足どころではなくなって来たのだった。息が上がる、登りではない様に息が上がるのだ。全く苦行でしかなかった。流石に最終日はお休みにした。二日目はリーダーの数学屋の兄貴が難しい雪面で右足を挫いて、丁度足を左右入れ替えようとなったが、どちらがどちらの足をもらうかが問題だった。



参照:
怪我後初めてのジョギング 2016-02-19 | 生活
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
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by pfaelzerwein | 2016-02-24 20:37 | アウトドーア・環境 | Trackback

都合の悪い真実を窺う

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ツアースキー用のクラムポンが届いた。分かってはいたが手に取ってみるととても軽くて、コムパクトな装丁がとても嬉しい。これならばリュックサックに忍ばしておいても苦にならない。それどころか案内状には、その中に非常用に救急セットを一緒に収めるようになっている。それならば救急セットも購入しておきたいと思わせるに十分である。それでもショヴェルと同様に尖っていて固いものであるから、持ち運びに気を遣うことは変わりない。特に滑降に伴うツアースキーの問題というか煩わしさの最たるものだろうか。

このタイプつまりデュナフィットの締め具にハルシュアイゼンを付けるには、締め具の前部の駆動部に付けることで踵を挙げたときには雪面から外れて、降ろした時には雪に食い込むようになっている。そのためには全部のバーを締め具の溝に横から嵌め込むようにスライドさせていく。つまりそのバーを支点にして回転するのである。なかなか上手に考えてあって、従来のタイプのような太い嵌め具が必要ない。これもとても優れた面である。

先日ドナルド・トラムプ候補の町カールシュタットについて話題にした。その町のトリュムプ氏の事を聞いた。その男性は、遠い親戚であって、移民したフリードリッヒの父親筋の人なのだろう。兄弟ならば三代目ならばはっきりと分かる筈だからだ。自分自身の場合でも、父親筋の祖父の兄弟までは分かるが、その父親の兄弟の子孫の事までは知らない。

そしてその男性は、トラムプ家は合衆国でも有数な金満家だと吹聴しているらしい。どの程度の資産まで築いたかは知らないが、ニューヨークのマンハッタン島の広大な土地を所有しているのだろう。そこまで資産があれば、大統領選挙にでも打って出るのも悪いことではなかろう。

速報で流した住友化学の責任問題の記事は、ユーレットという株式情報サイトでもリンクをされたようで、少しは株式情報としても役に立ったようである。既に一月末から修正期にあったようで、現在の株式市場の状況からすればそれほど顕著な影響は与えないようだ。そもそもなぜこの会社の業績が良くなってきているかは分からない。それ以上にアマゾンの原住民の千人やそこらの補償ぐらいはこうした大企業には経済的な影響は与えないとみられているのだろう。ブラジル政府を押さえている限りは安心と高を括っているのだろうか。人命の価値には差が無い筈だが、経済的に補償するとなるとそこに大きな差が生じるということだろう。

そして、日本人が注意しなければいけないのは、通常は諸外国のニュースをそのままに横流しにしているマスメディアや独立しているかに見えるジャーナリスト擬きの顔をしている連中がこうした情報を横流ししない事実である。その通りである。連中には金蔓が最も重要なので、こうした危険な情報は見て見ぬふりをして、反対にドイツの社会では問題とならないようなことを知ったかぶりして日本へ流すのだ。それがまさしく商業主義というもので、そうした姿勢はジャーナリズムとはそもそも関係ないものなのだ。

序に書き加えればSWR2は、環境問題には敏感な放送局で、同時に恐らくドイツのラディオ派として最も文化程度が高い文化波である。フクシマ禍に関しても日本よりも早いぐらいに情報を流し、SWR自体が日本に特派員を置く高級新聞FAZと双璧の親日のマスメディアである。それ故に今回の住友化学禍に関しても受け売りの情報とは少し違うものがあると感じている。



参照:
ジカ熱被害の住友化学の責任 2016-02-17 | マスメディア批評
雪崩救助作業装備重量 2016-02-20 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-02-23 00:00 | 雑感 | Trackback

チーズフォンデュの準備

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今回の山小屋は賄が付いていない。だから三食分を準備しなければいけなかった。問題は、その中の二人が比較的に若の菜食主義者なのである。だから肉食が入るとどうしても二種類の準備が必要になる。勿論それ以外の四人は肉食者であるから折衷策を考えないと面白くない。少なくとも三回とも別々のものを食していたのではあまり意味がないのだ。

そこで他の菜食者にも相談すると、簡単なものでは煮物とかで、家庭内で入れるものを簡単に調整できるようにするとか聞いた。そもそも上の二人の兄弟は菜食主義者ではなくて、なんとなくその考え方も分かるので十分に理解を示しているのだが、例えば家庭内の子供ではそのようなことは偏食となりかねないのだが、大人になってからのそれはまた異なる。ここでも何度も菜食については扱っている。正直、個人的には無理せずに菜食に慣れるならなりたいと思っているぐらいだ。

菜食にも二種類あって、牛製品や魚類など植物以外は食さないヴェガナーと称するものがあって、昨今はそれを謳うワイン醸造団体までできている。ワインに関しては、丁寧な綺麗な醸造法を使えば自然にそのようになるのだが、それを謳うことで市場を開こうという魂胆である。

そして今回の同行者にはそこまで拘るものが居ないので、チーズフォンデューが浮かんで、それを提案したことで準備することになったのだ。スイスの仲間たちとスキー場で囲んだそれを思い出したからで、決してちゃらけたものにはならないことを経験しているからである。今回出かけるところとは谷の裏表になるのだが、そこはスキー場の中のヒュッテだった。そして近所のスーパーで半額でパッケージが売られているのを垣間見た。

スーパーでそれを探して歩くと残り物が隠すように押し込んであった。二人用を三箱購入した。一人90セントも掛からない。そして、付け合わせのキュウリやらっきょなどの瓶詰め、そして甘いパプリカなどを買い足した。勿論キリュッシュヴァッサーも忘れない。

瓶詰め類などが結構高くついたが、キリュシュヴァッサーを含めて、一人頭5.50ユーロだからまあまあだろう。パンを加えても6ユーロほどか。あとは、ワインを調達することになる。基本はチーズを溶かしている白ワインとなるが、こちらから持って行くのでどうしてもリースリングとなる。一本はチーズを柔らかくするのにも付くだろうからグーツリースリングも余分に持って行かなければいけないか?

なによりもの問題は現地で新鮮なバケットなどの白いパンを購入することで、それは現地に行かないと何とも言えない。朝食も各自三食持って行かなければいけないので、いつものパン屋で少しだけ購入するが、現地で手作りがあれば塩気が強くとも上手い黒パンがあるのは知っているので、是非そちらを試したいのだ。



参照:
一口グラスで飲む葡萄酒 2006-01-17 | ワイン
スイススキー事情 2004-12-16 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-02-22 00:00 | 料理 | Trackback

最後のグレーフェンベルク

二種類ワインを開けた。一つはブルゴーニュのフィクサンの2011年物で、もう一つは同じ年のラインガウのリースリングだ。前者は空けるのは二本目だったが、前回と同じくとても満足できた。20ユーロ以下でドイツのピノノワールでこれほど楽しめるものはない。ブルゴーニュでも割安として有名なものだけに気軽の楽しめて、深みや複雑みはなくとも自然なピノノワールの香味を楽しめる。また異なる年度のものを試してみたい。2011年はピノノワールには悪くはなかったのであろうが、もう少し角が立っていても悪くはなさそうだ。

さて、ラインガウの方は最後のグレーフェンベルクと呼べるもので、2012年以降はグローセスゲヴェックスとしてしか出なくなった、嘗てのロベルト・ヴァイル醸造所の目玉の商品である。

それ故にまた2011年という年度から残しておいた。グローセスゲヴェックスもあるので、パイロットワインとしても使いたかったものである。そして開けてみて理解できた。2011年はリースリングとしてとても難しい年度だったということである。要するに葡萄が過熟成の傾向が強い。

ヴァイルのグレーフェンベルクは分厚くなることは少なく、その姿の良さが売り物のリースリングなのであるが、これは明らかに過熟成の葡萄から太り気味のリースリングになったとしか言えない。

2011年のミネラルの豊富さなどと試飲時には感動していたのだが、今やミネラルどころではなくなっている。当時はグローセスゲヴェックスよりも評価していたぐらいで、この変わりようは何だろうか?木樽などはほとんど使っていない筈なのだが、瓶熟成もしないかといって暈け暈けになってしまったリースリングなのである。二年待てと書いたが、四年になると駄目になったので、これでは敵わない。

同じ傾向のミュラー・カトワール醸造所のグロースゲヴェックス「ブロイエル」 と比較して、正直何らかの取柄はなかった。価格差もそれほどないのだろうが、こうした結果を見ると、VDPの方針通りグロセスゲヴェックスに限ってグレーフェンベルク産を提供するのは成功だったとしか思えない。これで余計にそのグローセスゲヴェックスを開ける時期を見定めるのが難しくなってきた。

2011年産ではその気候ゆえか土壌ゆえか、スレート土壌のナーヘのシェーレーバー醸造所のヘレンベルクなどの方が成功しているようだ。まだまだグローセスゲヴェックスは開けていないが、今後も気になる2011年産である。比較すれば2009年産がいかに簡単な年度であったかが分かる。



参照:
CPのとても高いピノノワール 2014-03-22 | ワイン
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
木樽とその不可欠な効力 2015-05-24 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2016-02-21 00:00 | ワイン | Trackback