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索引 2016年4月


タイカレーにはメドック 2016-04-30 | ワイン TB0,COM2
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
初めて暖房をいれる北半球 2016-04-28 | 雑感
珍しい五月間近の冠雪 2016-04-27 | 暦
同軸ケーブルを物色する 2016-04-26 | テクニック
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
四月天気に狂わされる 2016-04-23 | アウトドーア・環
一挙に五課題を再解決 2016-04-22 | アウトドーア・環境
一望するのは難しいけれど 2016-04-21 | 雑感
薩摩に迫る振動域 2016-04-20 | 雑感
ヴィガーニズムワインとは 2016-04-19 | ワイン
とても心配になる微動 2016-04-18 | アウトドーア・環境
熟睡できない群発地震 2016-04-17 | マスメディア批評
活力源の筋力強化運動 2016-04-16 | 生活
シェフにお任せの斬新性 2016-04-15 | 文化一般
首を垂れないケリー長官 2016-04-14 | 歴史・時事
コラーゲンをたっぷり摂取 2016-04-13 | ワイン
達成しそうなインフレ目標 2016-04-12 | 生活
さらばフランクフルトマイン 2016-04-11 | 生活
とんとん拍子でない帰還 2016-04-10 | 文化一般
なんでもありのこの世 2016-04-09 | 雑感
「愛弟子の帰還」生放送 2016-04-08 | マスメディア批評
空が明るくなって来ると 2016-04-07 | 生活
寂しき春の想いなど 2016-04-06 | 雑感
起き得ることなのだろうか? 2016-04-05 | 雑感
ペトレンコ指揮に音をあげる 2016-04-04 | 音
BGM程度に聞いてみる 2016-04-03 | 生活
賞味期間の表示を廃止? 016-04-02 | 生活 TB0,COM2
ジョンハーリンルート核心部 2016-04-01 | アウトドーア・環境

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by pfaelzerwein | 2016-04-30 20:02 | INDEX | Trackback

タイカレーにはメドック

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肌寒いのでタイカレーにする。それに合わせてボルドーワインをワイン蔵で物色する。木箱に入っていた12本箱の上の6本はサンテミリオンの隣のサンジョルジュの1998年物だった。比較的お得でありながら果実風味が美しいサンテミリオンだった。特に98年物は酸が効いていたので薄口ながら長持ちしたので喜んで飲んでいた。そして最後の一本を取り除くと、まだ六本あると思っていたのに、その下には1996年物サンテミリオンのグランクリュが隠されていた。全く忘れていたワインで、その石灰質の白い地下蔵を思い出した。嬉しい発見であると同時に、お気に入りはどうも最後の一本を残すのみとなった。いずれ買い出しに出かけないといけないと思った。

グランクリュを試してみようと思ったが、1996年物であり慌てる必要はないと思った。そこで再びメドックのポイヤックの瓶醸造のワインを開けることにした。これも1998年物である。フィルターも何も通していないので澱が多いので上手にいい角度で保持しておいてグラスに注がなければいけない。レストランで籠に入れておくのと同じ感じである。

味はいつものようにとても固いのだがエアーリングでとても香ばしくなり、果実風味が思っていたよりも強く出てきて、予想外に長持ちで決して悪くはなかった。調べてみると98年はのちに高評価を得ている。試飲の時には果実風味と酸がよかったのだがボディー感が無く、あまり現地でも評価は高くなかったのだ。

さて食事との相性は、ヤシの実ミルクが、丁度ミルク煮の上品な感じになって、メドックとの相性は決して悪くはなかった。より果実風味の強いマルローのサンテミリオンの味よりも、メドックの方が合いそうだ。そもそも七面鳥の肉だったので、これもワインと上手に調和した。

ドイツ評論家協会がドイツ評論家レコード賞をフランソワ・サヴィエー・ロート指揮で録音されたライヴものに大賞として選んだと連絡が入った。その録音自体は知らないが、SWRバーデン・バーデンでの演奏実績は大賞に値するものだと思う。来週の土曜日のレートナイトコンサートが楽しみである。

ベルリンナーフィルハーモニカ―の来シーズン2016/2017のプログラムが発表になったが、最も注目されたのは改めてサイモン・ラトルが2018年以降もベルリン在住の身からして継続中のプロジェクトに関わっていくとした点ではないだろうか。次期監督ペトレンコ指揮はバーデン・バーデンの前に僅か二回だけ同じプログラムを振り、バーデン・バーデンで三回目で終わる。これを受けてバーデン・バーデンの券は残券を200枚を切った感じで、ここ暫くで完売するかもしれない。一回は定期シリーズFに含まれるようで、料金などを見る。45ユーロの席が六回で140ユーロほどでこれはお得だ。少なくとも割引率は我がバッハコンサートとは比較にならないほど大きい。しかし、Fシリーズに毎回日帰りで往復できると仮定しても、出かけてもよいと思わせるものは殆どない ― そもそも悲愴やハフナー交響曲のために六時間以上も走る気は起らない。全体でもリゲティー「ル・グラン・マカーブル」などの作品のラトル指揮のプログラム二つ三つは興味深いが、それでもエッセンやドルトムントまで出かけないといけないようなものでもない。ベルリンから一時間ほどのところに住んでいたとして、定期券は買っていたとして、どれだけ行くかはとても疑問だ。精々三回四回ぐらいだろうか。



参照:
太陽の恵みを謳歌する時 2016-01-23 | ワイン
復活祭音楽祭ペトレンコ登場 2016-03-19 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-04-29 20:38 | ワイン | Trackback

思わず感動するお勉強

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の勉強を先週あたりから始めた。一通り、三四回に分けて先日入手した四枚組CDを、一幕から三幕まで通した。ダウンロードしたこれまた初見の楽譜を前にこの作品を最後まで流して、思わず感動してしまった。なにも録音されている音源がそれほど感動させるものなどでは決してなく、寧ろ感動させないように演奏録音したかに聞こえるものだ。この世代のドイツ系の指揮者の典型かもしれないが、非ナチを貫く芸術を目指したかのように、上手くツボを外したものである。

指揮者ヴォルフガンク・サヴァリッシュといえばフィッシャーデースカウを代表とする大歌手の伴奏を務めたピアニストでもあり、ミュンヘンに君臨した監督であるが、不思議なことに制作録音にあたっても、十分に統一的なアーティキュレーションなどを、ミュンヘンのアンサムブルの歌手と打ち合わせていないかのようでさえある。助手にもそこまで徹底させていなかったのだろう。しかしながら各々の歌手がそれだけ高い芸術歌唱を繰り広げている訳ではないので、勿論音楽的には大分物足りない。

こうした音楽監督の在り方もその時代性なのかもしれないが、本人の個性だったのかもしれない。考えようによってはあの当時はまだまだミュンヘンなどではバイエルン方言で音楽をやれる土壌といったものがあって、現在のように外国人の歌手や演奏家などを一から指導して統一しなくても何とかなったのかもしれない ― そうした事情はヴィーナー方言でも同じであり時代は変わっていっているのだろう。

今回は録音などの逐一の聞き比べは出来そうにもない。理由は、この制作録音からだけでも数々音楽的な聞きどころが浮かび上がってきたことで、その一つ一つを洗い直していくだけで手一杯になりそうだからである。予想を超えて遥かに手応えがありそうで、フゲットだとかそうした音楽構造的な作曲技法を超えての対位法的な書法などもこの創作の匠となっていて、まさにこの曲をして楽匠ヴァークナーをみる想いである。

楽譜を眺めているだけで、初日が迫っている今回の上演で予想される音響が鳴り響く。なによりも目立つのはヴォルフガンク・コッホの歌うザックスであろうが、なぜこのように楽匠がザックスを描いたのかは追々見ていかなければいけないが、今回のベルカント唱法の親方役のために出てきた歌手のように思えるほどに楽しみだ。嘗ての当たり役は一体誰だったのだろう?そこにヴァルター役のヨーネス・カウフマンの声が重なるかと思うとオペラ的にも匹敵するようなものは少ないほどの魅力である。なによりも感動させるのは、思いの外錯綜した楽譜を過不足なく鳴らすことが待たれていて、漸くまたここでキリル・ペトレンコ指揮で多くのことが実現しそうだからである。まさしく音楽的な感動は楽譜の中に存在していて、中々音響として実現されていなかったに過ぎないのである。

それ故にこの楽劇が、上塗りされ、あちこちに滲みや汚れがつけられて、芸術や匠とは遠く離れた近代のマスの中でナチズムに都合よく利用されたのであろう。如何にこの楽劇をまともに上演することが音楽的に難しいかである。色々な誤魔化しやまやかしのような演出や上演などが戦後も長く続いたが、漸く今回この楽劇の全貌が、丁度名画が蘇生されるような感じで、輝かしくドイツの匠として蘇りそうである。音楽的にお勉強していくと、もはや中継ラディオを聞かないでも、上演を立見しないでも十分に満足してしまいそうになる。ここまでの妄想になると我ながら可成りの重症患者のように想う。



参照:
まだまだインドーアライフ 2016-03-31 | 生活
My Star Singerの経済的効果 2016-03-12 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-04-28 17:24 | | Trackback

初めて暖房をいれる北半球

寒かったが短く走った。運動不足解消のためである。向こうの峰には前日まで雪が積もっていたものだから吹き付ける風が冷たい。まるで三月はじめごろの感覚である。ショーツ姿で手袋なしで走ったが、長くはいられない。最も短いコースを流しただけであった。

スペインのタリフからモロッコまでのジブラルタ海峡15KMを2時間53分で泳いだとして、ドイツ資産コンサルタントAGの創始者ラインフリート・ポールの孫ナタリーが新聞の三面記事に紹介されている。女性記録のようだ。写真を見ると小柄でぽっちゃりした21歳の娘さんだが、浮かび良さそうで流体系の身体が、水温16度の荒波をやすやすと乗り越えそうだ。三年前から始めた遠泳だというが、大したものである。我々のように時速15kmで走れる走れないとか言っているのとは大分違う。

日本のネットには沖縄先住民問題があった。国会で質問があったとある。沖縄の歴史を知れば知るほど、普通の日本人が琉球王国として知識で得ていたものとは違う沖縄の本当の姿が見えて来る。その琉球処分によって日本になるまでの経過も分からずには軽率に先住民族云々を語るべきではない。流石に昭和天皇はそれを知っていたかからこそ最初から最後まで一貫してよそ者扱いをしていたのだろう。それ故に沖縄の米軍基地問題が解決されるまでは、日本人のアイデンティティも十分に確立されないのかもしれない ― 沖縄人のアイデンティティーと翁長知事が発言する通りである。

昨晩は流石に寒かったので暖房をつけた。光熱費をケチって体調を崩すよりも良いと思ったからだ。それでもこの時期の暖房はこれまた体温の調整を難しくするので気を付けなければいけない。初夏になろうかという時期に、この冬のシーズンで初めて居間の暖房をつけることになる。冬場は寝室に篭っていてつけなかったからだ。

dbxというノイズロダクションシステムを思い出した。ベートーヴェンハレでの放送録音のエアーチェックを探して、見るとこのシステムでカセットテープで録音していた。当時はドルビーCをスタンダードとして使っていたので、これは違和感があってほとんど使わなかったものだ。実際に再生してみるとドルビーとは全く異質のもので、サーノイズは若干あるものの殆どデジタルのそれと同じように楽器が浮かび上がる。SN比を95db、ダイナミック110dbとなっているのは嘘ではない。当時のチラシを見ると「訪れるデジタル時代にふさわしく」となっている。

あの当時感じた違和感は一体何だったのかと思うと面白い。一つにはデジタル時代になってこちらの耳も慣れてしまっていて、テープヒスの中で音楽を聞く習慣がなくなっている。同時にデジタル録音の楽器や弦やリードなどが浮かび上がるような響きに慣れていて、音楽の聞き方ももしかするとより細部を注意する聞き方になっているのかもしれない。逆に当時は全体の雰囲気などを重視した試聴態度があったので、楽器が浮かび上がるようなそれには違和感があったのだろう。なるほど当時気がついていた楽音と環境音の間で若干の歪のようなものがあるが、当時と比べるとそれが目立たないのはHiFi装置自体の反応速度が速くなっているからだろうか?

そこに録音してあるのはヴェルナー・ヘンツェ指揮編曲の「ヴェーデンデュンク歌曲」で、こうした録音で聞くと当時は響きが混ざらない感じでおかしく感じたところが、響きの精妙さとして楽しめるのである。1980年代と2010年代では同じ音響が違って聞こえるということでもある。この相違が、誇張していえば、この期間での音楽芸術の発展なのかもしれない。どこまでが技術的な発展での社会的な影響なのか、どこまでが美学的な発展なのかは一概に断定できないのだが、それはとても興味深い議論でもあろう。

肝心のホールの響きは、拍手の音が結構散ってマイクに捉えられているのから特別な癖のないホールトーンのように思われ、比較的よく響いても残響もそれほど長くはなく体育館のようには鳴っていない。活き活きとした明快さを感じるので楽しみである。但し大管弦楽団では鳴り切ってしまうような風情もあって、平土間でヘッドスペースは十分あってももう少し立方積があった方がよいのかもしれない。同様な小さ目の大ホールはルートヴィッヒスブルクのコンサートホールでも経験している。マーラーの第十交響曲をサイモン・ラトル指揮バーミンガムの交響楽団で聞いた。



参照:
珍しい五月間近の冠雪 2016-04-27 | 暦
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-04-27 21:13 | 雑感 | Trackback

珍しい五月間近の冠雪

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寒い、このままならば四月馬鹿ならず五月馬鹿になりそうだ。週初めから零下に届こうとしていたが、陽射しもあってそれほどではなかった。但し太陽が沈むと寒い。暖房を切った室内はぞくぞくとしてきた。雨勝ちになり、夜中に降雨などもあると、布団の中から出られなくなる。

明け方目を覚まして小用に立つと寒かったのは当然だ。そして珍しく膝が痛んだ。左の怪我のあとも、それどころか右膝まで違和感があった。山の上が冠雪している。晩にはあられ模様であったことは知っていたが、まさか冠雪しているとは思わなかった。

四月の雪はそれほど珍しくはないかもしれないが、五月となると話は変わる。日中でも漸く摂氏二桁へと届こうかという気温ではあまりアウトドーアでは動けない。冬の気温としてはふつうであるが、こちらの体が春になっているので、運動で体を痛めそうで怖い。

標高60mほどのワイン地所の上には100mほどの稜線が見える。稜線を登って行ったところ辺りがいつものランニングの山である。稜線の後ろには標高600mほどの稜線が白くなっている。いつものボールダー地帯の下に当たる。これでは到底登りに行けない。少なくとも陽射しが燦々と注がないと無理である。

週末は、血のソーセージと緑アスパラガス入りミニザウマーゲンにアスパラガスなどを付け合せに、リースリングを開けた。フォンブール醸造所2012年産ウンゲホイヤーが箱の中に入っていた。大抵は購入していないがこの年はよかったのだろう。あまり期待せずに開けると、やはりその通り味も素っ気も無かった。翌日はうって変わり、果実風味も出てきて、ミネラルがしっかりと楽しめた。2012年はどこのリースリングも若干弱含みの中で、比較的しっかりしていた。反面薄造りで、後任ほどではないにしても十分に糖を落としているので、吟味も難しい。要するにグロースゲヴェックスとしてはどうかということだ。しかし価格も20ユーロ台であり、ミュラーカトワールのものと勝負になる。

糖を落とせばそれだけレーブホルツ醸造所のように深くエキスを出さないと旨みに欠ける。糖を落とせばすべてを解決できるわけではないが、塩気も感じさせたのでその点は評価できる。やはりフォン・ブール醸造所の前体制はVDP醸造所の中でも十分に中位に至っていた。残念ながら未亡人の指揮の下では、フォン・バッサーマン醸造所もフォン・ヴィンニンゲン醸造所もどこも顕著に力を失ってきている。熱意はあると語られるが、この三つの醸造所が復活する可能性はかなり薄いと思われる。新しい投資をしただけに特にフォン・ヴィンニンゲンを格上げしようとしている様子は見られるのだが、二十年以上はかかる見当で当たらないと墜落は間違いない。とてもその価格設定など評判が悪いのだ。



参照:
四月天気に狂わされる 2016-04-23 | アウトドーア・環境
復活祭日曜日の動機付け 2015-04-06 | 暦
'12年グローセゲヴェックセ? 2013-09-11 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2016-04-26 20:08 | | Trackback

同軸ケーブルを物色する

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USB-DAコンヴァーターを発注した。購入にあたり、付属していないデジタルケーブルを探した。その手のものは購入したことが無かった。理由はデジタル伝送は光学ケーブルを使っていたからである。勿論同軸ケーブルを使うことも出来たのだが、当時は光学の方が目新しく、同軸を使う必要は感じさせなかった。今回も光学も使えるのだが、同軸を試してみることにした。

更にアナログ変換されたオーディオ信号のためのRCAプラグ付きHiFiケーブルも一つ必要になる。今回は1mもあれば充分だと思って、探してみると適当なものが手元には無い。そこで現在CDプレーヤーとコンソールを繋いでいるケーブルを今回のコンヴァーターに使うことにした。それは長さが足りなくて、倍に延長してあるので接点が多過ぎてよくないからだ。それなら2m長の適当なRCAケーブルを新調するべくCDプレーヤー用に探す。安い物だが今使っている付属品のようなものよりは間違いなく良いだろものをウィッシュリストに入れる。そしてコンヴァーターには今まで使っていたものを回す。

もう一つはPCとコンヴァーターを接続するUSB-AとUSB-Bプラグのついたコードが必要になる。これは人が置いて行った古い1.8mmものが手元にあるのだが、金メッキではないので新しいものを探してみた。アマゾンのオリジナルが格安であったので、これをウィッシュリストに入れた。前回購入したUSBとマイクロUSBプラグのものがとても良いのをタブレットの充電時に知っているからだ。

さて同軸の方はコンヴァーターとDATカセットデッキの接続に使ってみることにする。知らなかったのはデジタル用にケーブルの特性インピーダンスで75オーム以上へと上げられていることである。嘗ての短波のアンテナなどに使った高周波用のものと変わらない。そして最近はオーディオ同軸のケーブルはこうしたものが普通になってきているらしい。

すると今度はLPプレーヤーのMCカートリッジとプリアムプを接続するフォノケーブルに関心が向かった。現在は付属してきたのだろう安物のアースコード付きのRCAケーブルを使っている。音量を上げるとハウリング音のような雑音が気になるのだが、そもそもプレーヤーの回転振動自体も馬鹿にならないので気にせず使っているのである。しかし、これも低抵抗のシールドの効いた同軸ケーブルを使えばよくなるかもしれないと考えた。

そこで調べるとモガミの比較的安いケーブルが検索に引っかかる。嘗て使っていたモガミではあるが型番号などは分からない。今でもマイクロフォンケーブルとしては定評があるようで、これはフォノケーブルにも良いかと思った。もっと短くても困らないのだがメートルものが安いのでそれを発注する。その型番2354というのは、芯線四本でメーター当たり0.083オーム、シールド部が0.012オーム静電容量94pFと数値的には悪くはなさそうである。



参照:
達成しそうなインフレ目標 2016-04-12 | 生活
変遷と過渡期を想う 2015-11-14 | 雑感
美しい世界のようなもの 2016-03-28 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-04-25 22:57 | テクニック | Trackback

取るに足らないAfDの自由

「ドイツの恥」と名指しされたAfDへのフランクフルターアルゲマイネ紙の攻撃は激しい。今回も文化欄にカールツルーヘの元憲法裁判所判事の投稿が載っている。どうもAfDがイスラムは連邦共和国基本法に反しているので教義を変えなければ認められないと求めたらしい。それに対しての反論である。法的な議論なので要約は出来ないがその論理に沿って読んでいく。

先ずは、そもそも基本法はイスラム教にそのようなことを求めるようなものではないとして、その反対に宗教の自由とあらゆる信教の自由を保障するものだという。それはなにも各々が一つの宗教への信仰告白を指すだけでなく、その告白の中身、信心との関係を自ら定めることをも指している。

国は、ある宗教を定める権利を有せず、禁止も出来ず、その基本法のもとに信心に応じての宗教的義務に従うことや、またはそれを間違いと見做すことも許されるのである。それどころか、迷信と闘う宗教的義務を守ることも可能とする。

もし、基本法とその宗教的教義の合意が必要となればドイツのキリスト教は大変なことになるという。その真実の唯一神とその教えに従うとすれば、先ずそれ以外の神を認めることが不可能となり、最初の掟に逆らうことになるからだ。カトリックにおいても女人禁制や妻帯の禁止などがあるので、これは民主的な基本法に反する。それぞれの国の憲法に準ずる国際宗教は不可能となる。

国は、信教の自由だけでなくて、それが土着民のものであるか、移民のものであるかに係わりなく保護義務を持っており、それが国の価値観に準ずるか背くものかであるかには係わりない。つまり、信教の自由は、公共の場からの排除しようとする第三者からの保護のみならず、それどころか宗教への世俗的な原理主義を取り除く。国は、真実に関与することなく、そうした分に関与しないために、あらゆる真実への権利を堅持する。

そこで信教によるどんな確信が民主的な国の受け入れられるのか、もしくはなにが禁止されるかの問い掛けがある。信教共同体が自ら定めた信心とは、共同体がそれをなんら限りなく実現化可能にするということではない。掟に従って生きるということは、信教の自由の基本法のもとで権利化されている。その権利は、他の信教やその共同体、また重要な公共財と、一般的法との衝突となり得るのは、信教の中身の自己規定がその制約よりも尊重されるからである。多様な宗教の社会では、信教の自由とは、その真実が一般的な規約とならない限りであるということになる。

宗教共同体の絶対的な権利は、公共に対してではなく、共同体における内部において権利を持つのであって、自由意志のもとでそれに従う限りにおいてである。世俗の国は、その強制力を宗教的な規定の実行に用いてはならなく、自由意思による服従も限界を設定する。つまりその限界は、基本法が譲れない基本規定としてそれによって引かれていて、それは何はともあれ人間としての尊厳ということになる。宗教がこの権利に衝突することを求めることは内的関係において認めることは出来ない。宗教がこの最高規約に背くとき、国は信者を宗教共同体から守る義務が生じる。

それ以外にも、信教の求めることが一般的な法規に抵触するとき、その問題は一方に有利になるように解決されるでもなく、また信教の自由のもと、宗教共同体の有利に解決されてもいけないとなる。信教の自由が基本法の唯一でも最高規範ではないからだ。他の基本権と同様に制限があるからである。信教による一般的法規への抵触があるとき、公共的な利害と信教の自由が秤にかけられることになる。宗教に譲歩することもあるということである。

その基本法は、信教の自由、思想の自由、報道‐、表現の自由との関係において特に微妙なこととなる。それらは信教の自由と同じく、その基本的保護を受けている。宗教への保護は、それに対する批判を免除するということではない。情報化の社会でより重要となる。宗教が公共の秩序に影響を与えようとすればするほどその衝突は増える。それは、それらがその人々の信教によってその人々の尊厳を傷つけられない限りにおいて、風刺などにもあてはまる。つまり信教は基本法と合意する必要などなく、同時に宗教が求める全てが基本法のもとで実現化されることではないとなる。

こうして法学者の見解を読むと、AfDの主張はごく一般人の感覚に近いのであるが、その矛盾を指摘するにはこれだけの見識が無ければいけないことになる。それ故にAfDを支持して支持される政治家の生半可な教育程度では十分に議論が出来ない。ポピュリズムが世界を席巻するのも無理が無いのである。要するに高等教育を受ける大衆が増える中で実際に学術的にものにできる割合は限られていて、修正主義者などに代用される似非エリート層が社会を席巻しているからである。



参照:
Grundgesetzlich irrelevant, Dieter Grimm, FAZ vom 22.4.2016
四月天気に狂わされる 2016-04-23 | アウトドーア・環境
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-04-24 22:44 | マスメディア批評 | Trackback

ボンで「ロンターノ」1967

車中のラディオはVWの役員報酬について伝えていた。株価が上がればそれ相当に報いる方法がとられたようだ。問題の車両は買取をしても最終的には十分な利益を出せる企業ならば何でもありということになる。日本の三菱自工などは不正で責任問題となっているが、この差は大きい。要するに経済的に勝てば官軍なのだが、VWの場合は歴史的にも半官半民のような面もあり釈然としない。社会への波紋は大きい。

ミュラーカトワール醸造所の2012年産「ブロイエル」を開けた。2011年と比較してアルコールが強くて、前者の柔らかさとは異なっていたもので、そろそろ飲み頃と判断した。その通り果実風味も薬草風味も出てきていて、最初の試飲では十分に楽しめなかったものである。色もゲオルク・モスバッハ―醸造所の「雑食砂岩」のようには黄色くなく、流石にグローセスゲヴェックスの貫録をその新鮮さに見せてくれた。そして同時に瓶熟成も始めていたので文句はない。なるほどさらに開くのを待ってもよいが、酸も鋭くまだまだ清涼感があるうちに飲み干す方が豪勢である。価格が30ユーロに至らないことを思い出して、また更に美味しい。

金曜日は予想通り天候が今一つでそれ以上にバイオウエザーが悪かったようだ。要するに低気圧が迫っていて、湿り気があって、空気が重くなって、気温はそれほど下がらないののだが、陽が射さないので意気が全く上がらない。色々と用事もあり、夕方は石切り場に行こうかと思っていたが結局冴えないので取りやめた。こんなことならば木曜日に無理して運動をしておけばよかったと思うが時すでに遅しである。

九月にボンで開かれるベートーヴェンフェストに出かけることにした。ニケ・ヴァークナー博士が監督になってから注目していたのだが、昨年は予定が合わなかった。今年はミュンヘンの座付管弦楽団が欧州ツアーの一環でそこを訪れて、他の都市でよりも興味深いプログラムを演奏する。ベルリンでは後半に家庭交響曲で更にもう一つ良いのだが、この管弦楽団にすると可成り厳しいプログラムかとも思う。その代りのチャイコフスキー交響曲五番はつまらないのだが、前半はリゲティー作曲「ロンターノ」に続いて、バルトーク作曲ヴァイオリン協奏曲一番がツィンマーマンのソロで演奏される。これならば出かける価値があると思った。

ボンのベートーヴェンハレは、ラディオ放送などで西ドイツ時代は有名だったが。訪れたことは無い。今回調べてみると独特の小さ目の大ホールで昨年拡張工事への結論が出たという。現在は平土間と二か所のバルコンが場内階段二つで結ばれて1900席程度である。消防法的には可成り問題がありそうだ。椅子も移動椅子のようで音響はよいのだろうが、入場料が比較的高い。プログラム違いとはいっても、フランクフルトでは35ユーロの良い席でも ― 最近とても良い席が定期崩れかで一列売りに出ていてお買い得ではある ― 断念していたのであるが、ボンまで二時間掛けて出かけることにした。

今回はベルリナーフィルハーモニカー演奏会よりも高価な演奏会となるのだが、リゲティとバルトークを十分にお勉強できることになりそうなのでこれは嬉しい。バーデンバーデンの方の券は発売後一月ほどで2300枚ほどを売り切っている、十カ月ほど前に完売となるとE-MUSIK界では異例のこととなりそうだ。



参照:
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
最後のグレーフェンベルク 2016-02-21 | ワイン
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感
'12年グローセゲヴェックセ? 2013-09-11 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2016-04-23 21:31 | 雑感 | Trackback

四月天気に狂わされる

先日問い合わせがあった視聴料は免除になった。理由は所帯ごとに複数払う必要が無いからだ。勿論法人の場合は従事者数や保有車両の数などによって、また事業所数によってその徴収金額が決まってくる。だから、ミニマムインカムを提唱している連邦共和国最大手のドラッグストアーチェーンDMの社長が異議を申し立てたのであった。兎に角、不必要な支払いはしないように心掛けないと限がないのである。一度個人の支払いで揉めたおかげでその後の交渉は比較的スムーズに進むようになった。こうしたことは規約があっても実情は千差万別で実態を正しく伝えることも難しく、その運用如何ではどのようにでもなってしまう。彼ら役人族にとっては仕事が増えればそれでよいのだが、対応する善良な市民はそれほど時間が無い。

新聞に興味ある記事が経済欄のトップに出ていた。州ごとの治安に準じた保険金額の差異であった。とても意外なのは想像していたザクセンアンハルとなどのベルリンを除く貧しい東地域で泥棒・空き巣などが少なく、西側のブレーメンやノルトラインなどの人口集中地域で人口比で圧倒的に犯罪が多いことである。この手の犯罪は殆どが東欧出身の犯罪者の仕業だとされているが、それらが多い筈のザクセンなどではとても少ないのである。裕福なバイエルンやバーデン・ヴュルテムベルクで比較的少ないのは分かるのだが、ラインラントプファルツはとても多いのだ。これも予想外である。このような犯罪状況を見ると、なるほど外国人に対する殺人などは東ドイツでは頻発しているとしても、そうした厳しい目があるところでは秩序が守られているということになり、右翼連中の見解が正しいことになる。EU議会議長はAfDはドイツの恥だと言明したが、彼らの主張にも一理あるとするとやはり吟味しなければいけないことになる。

日本においても在日朝鮮韓国人の暴力団や右翼団体での構成比率は高く、犯罪に大きく係わっていることは事実であろうが、そこにある問題は日本社会の問題でもある。同じようなことがここにもあるが、東京都知事が韓国政府と約束をしたということで都有地を韓国学校に用立てるという記事を見た。これなども外交関係への配慮があるとしてもそれは地方自治の問題では無い筈である。トルコ大統領が再三、連邦共和国でのイスラム化教育などの要請をしているが、既に多くの学校で宗教の時間としてそれが行われており、十分であるとするのが当然の見解である。所謂外交官特権に準拠するようななんとか外国人学校なども最小限の 必 要 悪 であって、そうしたものは存在しない方がよいに決まっているのであり、需要も社会的な意味も限られているのである。

木曜日までは十分に暖かかったのだが、週末は場所によっては雪が降るかもしれないという。四月天気と呼ばれるものであるが、今年の狂い方は可成りのものだと思う。まさかここでは雪がちらつくことはないかと思うが、木曜日から月曜日にかけての気温差の20度は充分に大きい。水曜日のボールダーの疲れから、木曜日は気温は上がったが違和感を感じてお休みとした。プロスポーツ選手がそのようなことをいう理由が分かるような気がした。体が資本であれば違和感などがあれば安全を期して休むことが生活に結びつくからだ。勿論続けて運動するには問題が無いが、再び故障だけは避けたいとの気持ちが偽らざる思いである。なるほど疲れが残っていたのが筋肉痛などから分かった。再び同じように使っていたならばまたもや慢性疲労に近づいてしまったかもしれない。なんてことはない、久しぶりの最大パワーを使ったので下腕や手などの筋肉痛が直ぐには出なかったようだ。なるほど天候の影響もあるが体が怠くなった。



参照:
初めての蕁麻疹らしき 2015-08-05 | アウトドーア・環境
向上心は悪くは無いのだが 2014-10-27 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-04-22 18:37 | アウトドーア・環境 | Trackback

一挙に五課題を再解決

二度目のボールダーだった。外気温が午後になって摂氏17度ほどになり、陽射しも強かった。前日午後も乾いていたので、前回とは大違いに乾いた砂岩だった。

先ずは一つ目の課題ロコモティーフを前回より上手に解決。次に前回のコーナーの横にあるロッホムスターを試すが、自信が無かったので、前回の繰り返しでコーナーを先に片づけ、更に上手に解決。そしてロッホムスターを今までで最も上手に解決。靴が徐々に足に慣れてきたのか、もしくは両腕が上手く使えるように故障が治ったためか、完成度が増した。三つの課題を解決して、その横の手掛かりを試すが滑って、これは到底無理だった。未だに未解決の四つ目は断念。

場所を変えて五つ目と六つ目を試すが、体が重くてこれも断念 ― 帰宅後計量すると72㎏を超えていた。気持ちを変えて、ウォーミングアップの前回解決したものを更に完璧に解決。これで課題を四つ解決。その後苔むした摩擦登攀は足先が痛く、この靴で無理して登るまでも無いとして断念。

八つ目の課題に懸案のトラヴァースをするが体が重くて到底無理。その横の簡単に登るところから上に出るが手掛かりが自信なくクライミングダウン。全身運動を敢えてしたので筋力使い初めにはちょうど良い運動だった。その後で周りを見学後に最後の課題フェリックスを試すが、到底最初の右足が掛からずに、滑らしてピンピンに小さな靴の中で張っている爪先を擦って泣きたい痛みである。靴を脱いで暫く休憩後に、本日最後の勝負として、もう一度気を取り直して繰り返す。足が掛からない。最後の最後と思って荷重すると左足が浮いて、上の足場に掛かると思ったと同時に右足が滑った。それでも左足が足場に無事荷重して問題解決。この日は計五つの容易な課題を解決した。今まで以上にバランス感覚はよかった。足早に急斜面を登って車に戻ると二時間半ほど経過していた。足の指の付け根が全部が焼けるようだ。暫く使い切っていなかったので、軟になっているようだ。

流石に疲れたが以前ほど筋肉に熱を感じなくなったのは何故だろうか。クールダウンが上手に出来るようになった感じがある。もう一つは最後の課題でのように、全身の調整力が若干増してきたようで、筋力の使い方が少しづつでも上達してきているように感じる。足を滑らせる前に、もうひと足に乗り移るような上級技術は我々の世代ではほとんど練習をしていない。どうしてもシュタイクアイゼンでもしくは少なくとも山靴で登れないような技術では本格的な大岩壁には役に立たないという意識が強すぎたからである。

何とかラマのビッグウォールを登る映画を見ていたら、頂上直下で大きな転落をバンジージャムプのようにしていた。ザイルも痛み、資材のことも、またその危険度からして御免だと思った。バンジージャムプをするのは慣れているのだろうが、確保していなくても、見ているだけで心許なかった。

翌朝は、一番短い森の中コースを走った。登りも降りも結構早かったようで、最高時速12kmを超えていた。陽射しが強くなってきて、日陰を走る方が走り易くなってきた。上体が思いがけず締って、筋肉質になってきている。これはもしかすると二年間の故障とこの半年ほどの休息は、それほど否定的なばかりではなかったかと期待しはじめている。それでも多くの課題が容易に解消するとは思えない。兎に角、まだまだ体が重い。



参照:
活力源の筋力強化運動 2016-04-16 | 生活
木曜日の案内の下準備 2014-03-07 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-04-21 21:42 | アウトドーア・環境 | Trackback