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社会的情念の暴力と公共

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新演出の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第四回目公演に出かけた。初日のラディオ中継との比較と舞台演出の感想を纏めておこう。もう一度体験する機会があるのではないかと思わせる可能性のある新制作だと感じた。ミュンヘンでの初演からの12回の歴史の中で、そのエポックメーキングな譜読みだけでなく、今回のものが完成作品となる可能性はなくはないからだ。

ブーイングは、初日同様にその夜も生じていたが、それは終幕のどんでん返しのようなベックメッサーの自害にある訳で、ある種の衝撃とその意味するところの理解によっては成功作となるのである。私自身その悲劇の落ちは聞いていたが、最後の最後の幕が下りる前の急展開で、それだけ喜劇の中の悲劇には効果はあった。

音楽的にも今回は、三幕が特に上手く運んでいて、第四場においてエーファがザックスをその朝に訪ねるところから、ヴァルターの歌、そして有名な五重唱までがクライマックスとなる。特にエーファを若いヴァルターに追いやる場面の激しさは、その後にパロディーとして鳴らされるマルケ王の嘆き以上に激しいのだ。まさにここでIntimの親密な世界から公共や自主へと世界が広がっていくところなのである。

それはハンス・ザックスに投影される楽匠自身の解決であり、それは芸術信条を歌いあげる最後の演説へと、その社会を通して羽ばたいていくのがこの幕であり、その芸術だった。同時に苦労をして付け加えた演説の場へと、ハンスリックが初演当時から批判しているような音楽的な単純さこそが暴力そのものであるともいえよう。

このインティームから暴力への激しさは、二幕において夜の町の騒動の暴力として動機化されて音楽化されているものであり、今回の演出では二幕の幕尻の暗転直前のベックメッサーに振り上げられたこん棒で十分に表れていたものであり、当然の帰着としての最終幕の落ちだった。その暴力のありどころこそが、この楽劇にあるとするならば、それは楽匠が扱っていた「音楽の大衆性と芸術的な精華」の美学的関心は、そのもの20世紀へと引き継がれる「社会的暴力機構」のカノッティー的なまたはマックス・ヴェーバー的な社会学的考察ともなる。今回の制作で音楽的な必然性はここにあるのと同時に、流石に天才指揮者の譜読みと指揮と感心するところである。

因みに戦後の西側体制を音楽的に虚飾して体現したフォン・カラヤン指揮演奏では三幕のそこは完全に灰汁抜きされていて、クナッパーツブッシュ指揮のそれに遠く及ばない。そうした大雑把の対極にある戦時中のフルトヴェングラー指揮は、室内楽的な繊細との対比で、そこのフォルティシモへの爆発は優れているのだが、その後の運びがいつもの痙攣状のアチェレランドのフルトヴェングラー節になってしまっていて興醒めしてしまう。

そして最終情景でハンス・ザックスが芸術について演説するときの背景にまるで記録ニュース映画を想起させるような抽象的な映像が映し出されて、舞台の照明は丁度舞台全体に、その白黒フィルムのノイズをちりばめたように「ミラーボール照明」のフィルターを掛けることで、間接的ながらも20世紀の社会学を抽象映像化していた。これは決してナチズムを具体的に扱ったものでもなく、そうした社会と人を一般化、相対化した表現である。

音楽的な裏付けとして、事例を幾つも挙げることは出来るかもしれない。有名な前奏曲から音楽監督のキリル・ペトレンコは脱パトス化を果たしたと評価されているが、実際にあの残響の豊かな劇場で聞くとマイクを通したものとは異なって、早いテムポも丁度良い印象で決して早くは感じさせない。なぜ、MP3程度の実況放送は決してライヴの感覚を伝えないかの音響技術的な好例である。それゆえかどうか初日よりもずいぶんと早く終演を迎えている。一幕では回数を重ねるにつれて更に明白になってくるに違いない。

歌手は、問題だったエーファを歌ったサラ・ヤクヴィアックも批判された歌詞の明瞭性に神経を注いでいたようで、技術的な問題もあるのだろうが、大分よくなっていた。既に述べた三幕の核心部では立派な歌唱を披露していて初日とは大分違っていた。ベックメッサーを歌ったマルクス・アイへも上出来で芝居を含めて評判も大変良かった。ポーグナーやパン屋のコートナーなども十分すぎる出来であったが、なによりもヨーナス・カウフマンはその名声だけの歌唱は披露していたに違いない。しかし予想に反してミュンヘンの劇場ではそれほどバカ受けするようなことはなく、断然ハンス・ザックスを歌うヴォルフガンク・コッホへの喝采が圧倒的だった。歌唱的にもバイロイトのヴォータンで見せたように力配分などは繰り返すうちに更に良くなると思うが、十二分な存在感があり、オペラファンは満足したであろう。

放送で感動した二幕のザックスは、反対に抑え気味の歌唱であった。実は行きがけの車の中で二幕と三幕をサヴァリッシュ指揮の録音で聞いていたのだが、その二幕などはやはり可成りロマンティックな要素が強くベルント・ヴァイクルの歌声だけでなくて、管弦楽が表情に富んだ音楽をやっていた。それに比較すると、なるほどバイエルン放送局で二幕の後半の舞台が成功していたとあったが、ベックメッサーを作業用リフトに乗せてセレナードを歌わせて、その後の暴力的な騒動へとフィナーレを築く構造は、音楽的にも情感的に計算されたものであることが分かる。

つまり、美学的にみて、そうした情動的な効果こそがポピュリズムであり、高度な芸術がそれによって初めて広い層の人々を動員する働きかけになるという社会学的な構造へとも投影されるところなのである。今回の新演出のプログラムにおいても前記したの三幕の有名なエーファから導かれる五重唱において、各々のソリストが社会の各層つまり音楽的には対位法ともなる層へと進展するように創作されていると書かれている。同様に、ヴァルターが歌う優勝の歌へと導かれるザックスの工房での歌には憧憬やファンタジーはあっても現実性に欠けていた歌が、楽匠の最も示したかった自由な創意によってそれを確保できたとしていることは、まさしくこの楽劇の本質に繋がる繰り返される主題だったのである。

この楽劇は、近代の課題を扱っていることは確かでありながら、同時にそうした課題を台本にも音楽にも有していたのは今回の舞台と演奏によって再確認されたことになる。20世紀の後半には、ナチズムのこの作品の政治利用からの脱却しか、この作品が生き残る可能性が無かったのであるが、ナチズム自体をこの創作の背後にある近代化の一諸相と見做す時に今回のような演出が示したものは必ずしも間違ってはおらず、まさしく自己崩壊のその社会システムを体現したのがベックメサーでしかないともいえる。

音楽実践でまた面白く聞いたのは、ポリフォニーのホモゲニ―な響きであり、ペトレンコの「指輪」指揮から予想されたような声部の分離の良さよりも、この創作の基礎にあるベートーヴェンの交響曲の編成と変わらない管弦楽団の織りなす響きが丁寧に鳴らされていて、この曲の楽譜がトリスタンやジークフリート以降の作品とも以前とも異なっていることを実感させたことである。同時にそれは通俗性へとの足場となっていることから、劇場の奈落で可能な響きとしては新鮮であり、そうした通俗性と表裏にある退屈な響きの対極にあるものだった。



参照:
「マイスタージンガー」の稽古 2016-05-17 | 音
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
生放送ものの高解析度ぶり 2016-05-23 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-05-31 18:46 | | Trackback

索引 2016年5月


土産になる高品質甘口ワイン 2016-05-30 | 試飲百景
オバマ大統領、安倍を譴責 2016-05-29 | マスメディア批評
まったりとした聖体祭 2016-05-28 | 暦
リーマンショックの前? 2016-05-27 | 雑感
モンサント買収の意味 2016-05-26 | アウトドーア・環境
MACアドレスの安全策 2016-05-25 | テクニック TB0,COM2
ワインに合うパリ風棒々鶏 2016-05-24 | 料理
生放送ものの高解析度ぶり 2016-05-23 | 音
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境
軽重が秤に掛けられる 2016-05-21 | 雑感
精霊降臨のハイビット処理 2016-05-20 | 暦
モンサントの種はどこへ? 2016-05-19 | 雑感
聖霊降臨祭明けの再訪 2016-05-18 | 試飲百景
「マイスタージンガー」の稽古 2016-05-17 | 音
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 | 歴史・時事
「亀の甲より年の功」な健康 2016-05-15 | テクニック
鳴り響く中世の街の影絵 2016-05-14 | 音
富の再配分より機会均等! 2016-05-13 | マスメディア批評
スギ花粉アレルギーの時 2016-05-12 | 暦
ヨハネの日のそわそわ感 2016-05-11 | 音
全然飲み飽きないワイン 2016-05-10 | 試飲百景
五月の週末の過ごし方 2016-05-09 | 生活
花崗岩の標高700mの風 2016-05-08 | アウトドーア・環境
指先もどこもかもが熱い 2016-05-07 | アウトドーア・環境
ベルカントで歌うこと 2016-05-06 | 音
廃炉、最終処分の費用分担 2016-05-05 | アウトドーア・環境
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
同軸RCAラインケーブル 2016-05-02 | 音
ホッホハイムで初試飲会 2016-05-01 | 試飲百景

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by pfaelzerwein | 2016-05-31 00:03 | INDEX | Trackback

土産になる高品質甘口ワイン

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週末には予定ではいけなかった試飲会に出かけた。丁度日本からのお客さんもいて価値があった。それでもなによりも価値があったのは昨年より今年の方がナーヘのデーノッフ醸造所がVDPのテロワールを強く押し出しようになったことを確認したことである。

今まではグローセスゲヴェックスの三種類の地所と土壌は光っていたのだが、それ以下の地所では充分にプレゼンテーションが出来ていなかった。これを明白にすることで、テロワーの描き方に以上に配慮することになる。

正直、グローセスゲヴェックスに比較するとそれ以外の地所では魅力が薄過ぎるので、2014年産などはグランクリュ以外は一本も買えなかった。しかし2015年は違う。それでも、甘口のブリュッケなどを除く、カーレンベルク、ホェーレンプァートなどは今後ものになるかどうかは分からない。可能性あるのは、土壌の組成によるシリーズ化か、ナーヘリースリングなどの広域化だろうか?

その中で二週間前にホッホハイムで試飲した時には酸が足りないと思ったトーンシーファーが素晴らしかった。なるほど酸は足りないが葡萄の熟成度と清潔さが気に入った。少々酸が薄くとも食事に楽しめるだろう。ライステンベルクの炭素分の多い灰色のスレートが美味い。

グランクリュでは、フェルツェンテュルムヘンはグーツリースリングのようにイガイガ感があって、如何にも果実の健康に問題を感じた。その意味では昨年の綺麗さが無かったのもヘルマンスホェーレも長く熟成させる価値はなかった。その意味からはデルヒェンは清潔感があり瓶熟成が楽しみだ。

そしてとても興味深かったのはこの醸造所を超一流にする甘口のリースリングである。適当に何種類か試してみた。昨年試飲して、所謂昨今流行の甘口もしくは殆ど飲まれない甘口の中でもある程度の国内市場もある軽い甘口がとても上手に造っていたのに感心した。軽快ではあるのだが土壌感やミネラルなどテロワーが表現されていたからだ。

その流れでアイスヴァインなどで有名なブリュッケやラーゲンヴァインを試して、アウスレーゼなどを試して、断トツに素晴らしかったのはヘルマンスホェーレ2015年のシュペートレーゼだった。価格もアウスレーゼなどよりは高価な27.50ユーロだったが、これは見事にそのテロワーが楽しめる。甘さよりもミネラルを感じる甘口である。

要するに昨今流行のそれほど甘くなく軽いアルコールの甘口もそれだけならば清涼飲料水と変わらなくカロリーばかり高くて、コーラよりは健康的かもしれないが、アルコールが入っているだけキッチンドリンカーになりやすい。

そうした炭酸飲料類のものとは全く対極にあるのがこの甘口で、これならば食事によれば合わせるかもしれなく、決して甘いとは思わせない味わいが楽しめるのだ。勿論単体としても食前酒としても食後のデザートワインとしても楽しめる。そして何よりもミネラルを吟味して、香りなどを楽しむことで、本格的なリースリングを嗜む切っ掛けにもなるようなものだ。エゴンミュラーのシャルツホフベルクなどよりも土壌も明らかに優れている。女性三人もいる家庭へのお土産には文句無しだ。通常瓶も直ぐに空いてしまうだろう。



参照:
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
これもリースリングの神髄 2016-01-06 | ワイン
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by pfaelzerwein | 2016-05-30 18:06 | 試飲百景 | Trackback

オバマ大統領、安倍を譴責

オバマ大統領の広島訪問は18時の車中のラディオのトップニュースだった。一部が流れていたが、20分に亙る演説で、予定通り謝罪はなかったとしても、その態度から大統領の意志は分かったとする報道だった。そしてなによりも、「広島がいつもになく静まった」と、鎮魂の時に耳を澄まさせた。

因果を論じたり、相対化することの出来ない原爆投下を思い知らせる静けさだったように思う。そうした報道があったからには間違いなく、そのことは全世界に伝わったに違いない。謝罪しないことに対する抗議行動があったのかどうかは知らないが、そのような行動などとは比較できない静けさが伝わって、事の重大性やその広島の鎮魂の凄みを感じた。

フランクフルターアルゲマイネ新聞は第一面筆頭に抱き合う写真を載せて、その横に短報として、広島訪問を伝える。そこには、トルーマンの命令を批判も容認もしなかったとあり、更に安倍晋三と拍手して間髪を入れずに、「日本の戦争責任を譴責」して、「単純なことから起こった紛争を原因とした支配や覇権への同じ衝動的なもの」と大統領は語ったとしてあり、これは輝く一節だ。

他の面に詳しく伝える「広島よりも南京」と訴え日米関係を牽制する中共や韓国人、また一部で「謝罪」を求めたデモンストレーションもあったと伝え、また握手をした坪井氏の若者への語りの内容も伝え、氏が金曜日には非核への具体性が無いとして失望したことも伝える。その坪井氏が「人類の過ち」であり課題だとしたことに対して、大統領は笑って答えたと語ったとある。

漸く緑の野菜が安くなり出した。サラダの季節だ。先日の好天が幸いしたのだろう。ここまで安く成れば、高価なホウレンソウや薬草サラダやルッコラなどを購入必要が無くなる。また赤い大根が大きくて比較的安かったので購入した。三本は酢漬けにした。葉っぱは菜飯にした。残りは昆布や鰹節出汁がらと煮つけておいた。これで週末の夜食の準備が出来た。

また、キプロスやイタリアのそれに代わって地元の新ジャガイモが出だした。より新鮮な地元のジャガイモが出るようになるとこれも試さずにはいれない。

先日新聞に連邦共和国での人口減少は避けられないとあった。つまり幾ら移民を入れても現在の人口を保てなくなるというのである。高齢化が進んで年金などへの信頼度が無くなってくるのは日本などと同じ現象である。



参照:
リーマンショックの前? 2016-05-27 雑感
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 歴史・時事
夢: トランプ大統領誕生→日本放棄 (glimi
生きること:過去と未来とエスペラントと)
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by pfaelzerwein | 2016-05-28 17:49 | マスメディア批評 | Trackback

まったりとした聖体祭

本当は一日中出かけてクライミングのつもりだったが、取り止めになって、夕方一時間ほどボールダーをした。先週の石切り場で疲れてから、試していなかったので、中々力が入らなかった。筋力が落ちている訳ではないが、両方ともを上手く練習にしていくのは結構難しそうだ。力の入れ方や疲れ方などが全く違う。

一昨日散髪に行った。本当なら今週はフレンキッシュユラでクライミングキャムプを張っていたところだが、参加者が集まらずにお流れになった。であるから出かける前に散髪だったのだ。今年の夏は暑さ寒さが繰り返す2013年並みの凌ぎやすい夏となるのだろう。

日本は輸出量が落ちているらしい。為替の問題だけでなくて、シナやアジアでの需要の落ち、合衆国への輸出の落ちが効いていて、欧州での伸びを食ってしまっているらしい。

先日出かけようと思って、オーディオ機器の棚を見たらなんとなく傾いているのに気がついた。これはいけないと思って、特に可動部のある装置は棚の左右真ん中あたりで、左右に傾かないように若干場所を移動させた。そこで気がつくのはレコードプレーヤーのターンテーブルである。手元にあった水準器を昔は使っていたこともあるが、嘗て使っていた時は針が綺麗にトレースするために水準を計っていたような記憶があって、少なくともターンテーブルに掛かる引力まではあまり考えていなかった。

購入したUBS-DACの電源が貧弱だと言われている。最初は変圧器から100V供給していたが、電極の差し替えもあり、220V供給でも試してみることにした。常識的には220Vの方が有利だからだ。先ずは電極を差し替えてみた。この相違は、電圧以上に分かり易かった。一方は驚くことに左右のバランスまで変わっていて、空間表現が歪になっていた。アースによる影響と思うがアナログのそれ以上にその差を感じた。次に電圧の変えてみると、予想通り220Vの方が明白になった。これも空間表現が異なっていて、220Vにすると若干広がり過ぎて若干まとまりに欠ける帰来があったが、元の調性が分からないので、明晰な220Vが優れているということだろう。

アマゾンで休日前に何を発注したか?シャワーのセットである。シャワーと言ってもシャムプーセットのハットとかではない。簡易なシャワーなので、水の出口のバーを上下する形になっていて、その取っ手を手でも持って外せるタイプである。その120CMほどの長さのバーの留め金が壊れたり、支えが緩くなって、上下反転させたりしてだましだまし使ってきたが、その取っ手も落とすことが多く、その根元のホースから水が漏り出し、支えも一部破損したことから取り換えることにした。安物であるが26年使ったことになる。

流石に石灰も溜まり気味であり、見た目も悪くなっていた。そこでネットで探すと、バーも少し短めの90CMもののメーカー品のセットが半額で出ていて、飛びついた。バーの上の留め金は新たにドリルしなければいけなく、今の穴も塞がなければいけないが、それぐらいの問題だ。あとはセットになっているホースが今までより30CMほど長いので邪魔にならないかどうかである。それでも購入者の公表によると半年で参ってしまったという失望の批判ある。価格がセットで38ユーロなので使ってみて都合が悪ければ部品を交換すればよいと思っている。



参照:
精霊降臨のハイビット処理 2016-05-20 | 暦
「亀の甲より年の功」な健康 2016-05-15 | テクニック
五月の週末の過ごし方 2016-05-09 | 生活
仏老朽原発停止への判断 2016-03-09 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-05-27 20:08 | | Trackback

リーマンショックの前?

安倍首相はG7で「リーマンショックの前の状況」と述べて反論が出たという。当然であろう、メルケル首相の連邦共和国などは予想外の好景気となっているからだ。そこでインフレ率も達成して、減税すら政治課題になっている。選挙に向けて人気取りの増税延長をなんとか理由づけしたいようだが、誰もそのようなことは信じない。

沖縄の強姦殺傷事件は中共でも大々的に報じられたようだ。勿論反米宣伝にもなる訳だが、沖縄が、日本が虐げられているということは客観的な視点であろう。あるのは中共支配か、米国支配か、本土支配かの相違だけである。それにしてももう沖縄は黙っていられないだろう。残虐な性犯罪者はどこにでもいるが、これだけ軍属が犯罪を犯すとなれば世界中どこの国でも住民は駐留を決して許してはおかない。

LPをかけていて面白いことがあった。購入後、珍しく新品だったと思うが、長く上手く鳴らなかったブラームスのヴァイオリンソナタ全集を回していて、袋に戻そうとして手を滑らして絨毯の上に落とした。そもそもそのLPが上手く鳴らなかったのは静電気の起き方が激しく埃が上手く拭えずに、針も上手くトレースしなかったからである。それを化繊の汚れの溜まった絨毯の上に落としたら堪らない。これは酷いことになると思って、手に持って埃を拭って、ターンテーブルに乗せてクリーナーを掛けると、やはり埃がとり切れない。針を下して鳴らすと驚くことになぜか今までなかったようにしっくりと鳴っている。上手く放電してくれたのだろうか?

予想もしなかったように綺麗にトレースしている。そして埃は上に乗っているだけでどうも溝にはあまりに食い込んでい無いようで針音もしない。このような発見は初めてだった。

そのブラームスは、しらけとして有名なバレンボイムがピアノを弾いてズッカーマンがヴァイオリンとヴィオラを持ち替えている全集ものである。こうして聞くと、なるほどジョン・ケージ風のブラームスと呼ぶべき演奏で、ここまで徹底しているととても面白く、記録的価値のある録音ではなかろうか。

先日3ユーロ安くアマゾンで出ていたのでjpcで買わなかったCDボックスを他の注文のついでにアマゾンに発注した。なんとチャイコフスキーの交響曲全集である。来週になれば9月のチャイコフスキーの交響曲五番のお勉強となる。手元には殆ど資料はなくてエアーチェックも殆どない。まさかチャイコフスキーの交響曲全集を十年前のショスターコーヴィッチ、二三年前のシベリウス、プロコフィエフ、昨年のラフマニノフに続いてベートーヴェンを含む七つ目の交響曲全集として購入することになるとは思わなかった。共通しているのは音楽後進国ロシアとフィンランドの作品である。今まで知ってはいても充分には関心を持たずに勉強もしないでいたかが分かる。それで充分と思っていたからである。

勿論チャイコフスキーの有名曲は何度も体験している筈だが、今回の五番の交響曲のようにただ一度だけでそれ以降は出来る限りコンサートに行かないようにしていたようなものがあって、その体験は深まることも無く、避けていたのである。しかし今回は腹を括って、真面目に勉強してみようと思ったのだ。シカゴでクラウディオ・アバドがショルティ―音楽監督時代終盤に録音したものである。態々ディスクを買うかどうかが議論になる所だが、ディスクが無ければ一生涯興味を持たない曲がある。六枚組14ユーロ、文句はないだろう。



参照:
アベノミクスの責任回避 2015-04-03 | マスメディア批評
東京の失われた時の響き 2016-03-06 | マスメディア批評
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
絶頂の響きの経済性 2015-02-27 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2016-05-26 21:05 | 雑感 | Trackback

モンサント買収の意味

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バイエル社モンサント買収へのオファーは55ミリヤーデンオイロ(66ビリオンダラー)だったが、それは拒否された。この額は過去二月間のモンサント社の株式総額の三割増しとなっている。その拒絶を受けて、再度財政状況を精査してオファーがなされるとするのが朝のラディオのトップニュースだった。

バイエルの目論見は、合衆国でも特に農業が外国人の手に握られるとの危惧があるようだが、そのバイオ種子技術の売り上げはここに来て初めて縮小していて転機にあることは間違いなく、モンサントの買収は避けられなく、そして農業の産業化も一方においては1960年代からの発展が終焉して同様に転機に立っているとされることが背景にある。

欧州においては、その影響での環境のモノトーン化から多様化へとエコ農業へと方向は変わって行ったが、まだまだ世界の人口増加を補うための農業の産業化は必要とされている。アジアやアフリカの貧しい地域を中心に飢える人は後を絶たないが、その多くは生産量の問題であるよりも均等に国内に食料が行き渡らないことにあるとも言われている。

要するに農業の産業化はまだまだ避けられないだけでなく、それだけでは土地辺り僅か4%の収穫上昇しか計算されないが、実際には46%以上の穀物量の増加が必要とされている。バイエル社のこの分野における世界戦略はこのように明快である。

昨日書いた納豆の話はそのように実は奥が深い。EUの原産地認証など、例えばチーズを例にとると分かるように、細かな相違を明確に定義することでその地方性を守るということになる。地方性とは地方文化であり、グローバル化と対抗する概念である。実際は国単位や民族単位などではなく地方単位であることからこのローカリズムの話が始まる。要するにグローバル化に対抗するのは地方でしかないということだ。その地方のものがスタンダード化するときにその地方特有の文化はグローバル化して消滅すると考えてもよいだろう。

今回日本から入手したかったものは、「鮒ずし」であり「くさや」だった。残念ながら前者はあまりにも高価なので断念した。後者は八丈島からの直送品を入手した。そもそもくさやの想い出は十代の時にしかなく、八丈島も知らない。実際に焼いてみるとやはり臭かったが、記憶にあったものよりも上品なもので、納豆と同様にそれほど疑われるようなものではなかった。

くさやにミュラーカトワール醸造所のグラウブルグンダーを合わせてみる。ブルグンダー種は殆ど買わないが、この醸造所のピノグリは以前にも買ったことがある。その時は酸が効いていたからだが、2014年産が一年経っての味わいはバランスに尽きる。酸が効いていない分苦味がアーモンドのようでありヘーレンレッテンの石灰質の土壌を反映していて、リスリングでは好みの分かれるところとなるが、これにはフランス人も全く文句が無いだろう。そしてグースベリーの趣は秀逸である。高級ピノグリである。それでも試飲会であったようにマグロと海藻の和え物にあったように。くさや飯にも納豆にもそれほど問題はなかった。但しそこらじゅうが匂うような状況ではやはり繊細な香りや味は分からなくなった。d0127795_20395467.jpg



参照:
MACアドレスの安全策 2016-05-25 | テクニック
モンサントがバイエルになる 2016-05-22 | アウトドーア・環境
芳醇なバラの香りの白ワイン 2012-03-24 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2016-05-25 20:32 | アウトドーア・環境 | Trackback

MACアドレスの安全策

先日から来客者が我がLANに入れなくて困っていた。昨年からなにかWifiの設定を変えた覚えは無かったが、パスワードが異なると出てきた。そこで暗号コード変更などをしてみたが駄目で、所謂MACアドレス制限の設定がなされていたことを確認した。それを外すと問題なく入れた。昨年の秋にLinuxの設定などをしている時に新たに設定していたようだ。少々時間が掛かったが、学習効果があり、改めて他のカメラなどのログインなどの時にも留意しておかなければいけないことを認識した。

要するに、二重三重にセキュリティーが掛かっていることになるので、容易に戸外からログインすることは、高度なハッカー技術が無い限り、かなり難しいことが分かった。MACアドレスとは、Wifi接続な可能な世界中のあらゆる機器に与えられている固有の番号ということなので、ある番号に成りすますしか不正ログインするには方法はないということになる。また訪問者などがあったときは臨時でMACアドレス規制を外しておけばパスワードだけで自由にログイン可能になる。先ずはこれで満足だ。

Saar Weineさんにお土産で貰った納豆を楽しむ。納豆と言えば水戸、水戸と言えば福島、栃木北部同様の茨城北部の汚染地帯である。そしてネットで調べると老舗と思しき製造者が藁に包んで販売していて、そのHPには一切放射能については触れられていなかった。まさしくこれこそが風評被害の原因そのものである。それどころか原料に拘るとして原産地を国産としか表現していない不埒な業者もある。しかし良心的な業者は確りとベクレルの証明書を明示していてその配慮ぶりを示している。これだけその対応が異なれば、不埒な業者には不買運動で、良心的な業者には応援で応えるべきだ。なるほどバイオテクノロジーによる大豆も問題だが、放射能ももっと大きな問題である。

そうしたことがあってかどうかは知らないが、全国納豆連合会とかが再びおかしな日本食キャムペーンを官僚とつるんで行うらしい。所謂「納豆」擬きが世界の市場で優位に立っているので納豆の世界基準の認定を要請しようとしているらしい。なるほど最近もアイスクリームの中に赤い色をした納豆が混ざっていたとか直接聞いた。小豆か納豆か分からないようなものがあるらしい。しかし、日本の業者が日本食を幾ら選別化しても、そもそも世界中の日本人以外の人は本物の日本食などには関心が全くない。要は安全で健康な食事が美味しければよいだけなのだ。

だから、上のような不埒な業者こそ排除しなければいけない対象であって、先日も産経新聞が埼玉の小学校で地場の400Bqセシウム入りのタケノコが給食で出されたと報じていて、朝掘りのそうした「野草、キノコ類に準じた」ものがなんらの禁止処置も無く流通している事を知って愕然とした。

実は大分の無洗米というものを入手したが、その袋には農薬を半分以下に抑えてと書いてあった。これは正直な表示であるが、有機ではとても採算が合わないのだろう。そしてその炊き上がりはどうも巧くいかない。少なくとも水気があってさっらとは炊けないのは日本の水稲の特徴だとしても、やはり胃に重すぎると感じる。そしてまだ試していない寿司でも作らない事にはその有難さは一度も感じない。現在購入している米は、キロ100円ほどである。今回のは400円ぐらいらしい。スーパーに同じように並んだら誰も買わない。日本食とはそうしたものであることを知らなければ馬鹿である。



参照:
「亀の甲より年の功」な健康 2016-05-15 | テクニック
安全デマ被害補償の一時金 2011-08-19 | マスメディア批評
山小屋の朝の味噌汁に舌鼓 2009-07-31 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-05-24 15:43 | テクニック | Trackback

ワインに合うパリ風棒々鶏

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スイスのローナー社の新しく購入したランニング用靴下を試してみる。普段ランニングにも使っているコムプレッサータイプのランニング用だった、二年前に購入したそれはダクロンと綿主体のものは、足入れもよく気に入っていたのだが、耐久性が無く弱かった。もう一つ買ってもよいと思って調べると20ユーロ以下では入手が難しく、その時の14ユーロとは大分状況が異なる。一年に10ユーロ消耗は高価過ぎる。

そこで新しいものを探す。ランニング用のハイテクというのを試してみることにした。これは約半分のタクテルとナイロン主体で、他の四分の一ほどに綿を入れているぐらいだ。タクテルはインヴィスタの商標で、薄く、通気性とその軽さが特徴のようだ。足入れが良いのはこの繊維の特徴のようだが、更にフィット感が抜群で、足の形が浮き出てビックリする。これをアパレルが使うと極限のボディーコンシャスになることは想像できる。

これを履いて、二回走った。履いた時に少し熱を持つ感じはナイロンの特徴で仕方がない。また真面な靴でないと滑りやすいので大丈夫かと思ったが、愛用のトレールランニングを履くとフィット感が素晴らしい。全く滑る感じが無いどころか、靴までフィットする感じが良い。

走っている間の感じは全く素晴らしく、不満は全くないが、靴を脱ぐと、綿が少ない分、汗を吸い取ってくれる感じはない。水溜りは経験していないが、上から下へと抜けていく感じだろうか。ナイロンで、前回のポリエステルとは全く異なって長持ちは間違いなさそうである。購入価格14ユーロはお得だったろうか。もう一つ使っているポロエステル主体のトレール向きのものと上手に使い分けていく必要があるかもしれない。

週末は金曜日の石切り場、土曜日の沢沿い往復、日曜日の峠攻めと、腰などの痛みをこれで解消できたらとゆっくりと走った。降りに道の先を動くものが見えたのでてっきりミミズかと思ったら、大きさも太さも違って小さな蛇だった。このコースで蛇を見たのは初めてだった。この辺りはそもそも蛇は少ない。急いでハイキング道を渡っていた。なにを急いでいたのだろう。その後直ぐ、コツコツと音がするのでなにかと思って振り向くと、合流点からライヴァルの婆さんが歩いてきていた。下で車を見ていたので何処で出会うかと思ったら、息子と一緒ではなくて一人だった。

暑くなってきたので、鶏をワインに合わせた。頻繁に棒々鶏を食しているが、リースリングにサラダ類を試した。パリ風の鶏サラダである。ソースが異なるだけであまり作り方は変わらない。但しソースは、玉ねぎを炒める必要があり、マヨネーズを混ぜるのでそれほど涼しげではないが、サラダとして十分に楽しめた。なぜパリ風と呼ばれるかというと、シャンペンをソースに使うからで、先ずは試しに料理ワインで作ってみた。必要ならばリースリングで仕上げてもよいと思った。

ホッホハイムのキュンストラー醸造所2015年のホェーレは味が強いので、マヨネーズにも薬草にも全く負けなかった。アルコールが13.5%も高いのに殆ど一人で飲み干してしまうところだった。つまり食事との相性が抜群だったこともあるが、質も悪くはなかったのである。喉が渇く様な感じは一切なかった。



参照:
グラン棒棒鶏で十二分に涼む 2010-07-05 | 料理
ハイテク製品の収集効果 2015-05-01 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2016-05-23 18:11 | 料理 | Trackback

生放送ものの高解析度ぶり

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を三幕まで初日に生録音したものを流した。当日の演奏では二幕がやはり山で、そこが上出来だった。三幕も繰り返されるうちによくなっていくだろう。新聞にもヴァルターを歌ったヨーナス・カウフマンはもう一つのコンディションだったとあり、BRは三幕でのエーファの歌詞が全く聞き取れないほど悪かったとしていて、決して完成度は高くなかった。それでも逆にヴァルターのあとにザックスが歌って〆るような修正した劇的工夫がよく分かる上演だった。

新聞は、何より音楽的な「緊張と緩和、満ち引き」を芸術的にとても狭い通路の中から引き出していたと書く ― そのテムポとリズムの瞬時の切り替えが出来るからこそ、彼のフルトヴェングラーでさえ遣ろうと思っていてもなかなか出来ていなかったことを可能とするのが天才なのだ。そしてマルクス・アイへそしてヴォルフガンク・コッホを絶賛している。コッホの歌唱は生中継から感動を呼ぶものであったが、前者のベックメッサーに関してはその演出における役柄と共に実演に接してみないと何とも言えない。ヨーナス・カウフマンが話しているように、そのよく出来たテキストも読んでみないといけないかもしれない。昨今はテロップが出るので、オペラ観劇にはテキストを勉強していく必要が無くなって、ここ数年オペラのテキストを読みながら音楽を聞くということが全くなくなった。テキスト以上に楽譜を見ている方が内容が分かるからだが、楽譜に書いてある細かなテキストでは到底読めない。

トレーラーなどが新しくアップされている。初演した劇場での12回目の演出に関しては決して批判されるものでは無いようだが、実際の効果は体験してみなければこれも何とも言えない。7月のオペラファスティヴァルが中継されるようなので、アウグスト・エヴァーディング時代のオクト―バーフェスト擬きの演出との相違を確認できるだろう。

録音したものを比較実験のために編集無しでCDに収まる二幕を焼いてみた。デジタル技術的には、サムプリング周波数が4800kHz から4400kHz へと落ちることだけの相違である。

先ずは音場が狭くなり、音が固くなった感じで、丁度CDが市場に出回り始めたときのような鳴り方だ。当時はスーパーマッピング技術もハイビット録音も行われておらずPCM録音は不自然な感じがしたのはスタディオでもそれほど変わらなかったであろう。そのような相違が明らかだ。

そこで2015年のバイロイト祝祭での楽劇「ヴァルキューレ」の一幕の録音をCDとDACで比較してみる。明らかな違いは、音場の相違以外にもCDでは歌手の声が固くなってあまり音量を上げられない、嘗てからのオペラライヴ録音の問題点がDACの方では解消されている。ビット数に関しては16Bitのようだが、去年の録音からDACで聞いているものは明らかにハイレゾリュ―ション録音であることを確信した。

序にLPで古いアナログのバイロイトからの中継録音を鳴らす。フォノケーブル交換で殆どCDとの差異が無く、低弦などがどっしりと締って乾いた音でスピード感を持って流れて、全くアナログとデジタルの差が分からないようにハイレゾに近づいている。それでもDACに敵わない。せめてSACDがCDに代わって標準になってくれることを願う。



参照:
精霊降臨のハイビット処理 2016-05-20 | 暦
ネットでの記録を吟味する 2015-11-30 | 音
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-05-22 17:58 | | Trackback