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お目当てのヴィデオ

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先日試飲購入したロベルト・ヴァイル醸造所のオルツリースリング「キードリッヒ」を一本開けた。まだまだこなれてはいないので最後に喉に刺すようなのが個人的には傷に思うが、熟れて来ればどんどんと開いてくるものが分かる。それでなくてもこのミネラルは秀逸で、この醸造所のリースリングとしては最高のミネラルの年となっているのがこれでも分かる。塩気さえ感じさせるので魚料理にも嬉しい。それもどちらかといえば充分に味のある魚でもいいだろう。

スーパーでツナ缶が安かったので久しぶりに購入した。油浸けではないのでツナ飯にすることにした。簡単に人参とネギとキノコを加えて炊き込みとした。いつもの安物の米を無洗米モードで二合炊いたのだが、出来上がりはまるでアルファー米のようであり乍ら全く重くならないのがとても気持ちよかった ― 最近は日本食にも日本の水稲米は重すぎて味も良くないと感じるようになっている。

醤油ベースになっているので、通常はあまりリースリングに合わないのだが2015年の強い太陽で、そして水不足からこれだけミネラル風味が強ければ全くびくともしない。天晴の相性である。初日には豚のステーキとも合わせたが、寧ろツナ飯の方が繊細さが膨らんだような感じだ。恐らく諸外国では薄作りのカビネットや若干甘造りのグーツリースリングの方が売れるのだろうが、本国ではこのキードリッヒは様々な食事に合わせやすくて人気が出そうである。

ネットサーチを続けていて、お目当てのヴィデオを見つけた。先日録画出来なかったミュンヘンからの生中継の一部である。散々鳥肌ものと話題になったリヒャルト・シュトラウス作曲「最後の四つの歌」全曲である。これは間違いなく出てくると思っていたが、YouTubeに上がるとは思わなかった。消去されるかもしれないので急いで確保しておいた。

画質は悪くはないが、残念ながら音声はバイエルン放送協会と同一乍らその生放送のものと比較すると質は大分落ちている。要するに画像も邪魔して充分には音楽が聞き取れないかもしれない。だから第二曲「秋」においても弦楽器のさざめきなどが実感的にあまり感じられない。どうしてもソロやソロ楽器が視覚だけでなく聴覚的にも強調される傾向があるので折角の織物のような混ざり合いが感じられ難くなる。まさしく芸術であるべき、そこなのである。

それでも着物仕立ての舞台衣装などが見れるので、こうした映像は広範な人に訴えかける力は大きいだろう。特に第三曲「眠りにつくとき」の歌謡の盛り上がりは口元も分かり否応なく感動させる。

第四曲「夕焼けに」は既に触れたが、ここまで来れば発声も殆ど神がかり的で、この四曲が初演後六十年以上を経て初めて真面な形で今回演奏されたことを確信するに至る。

リゲティ作曲「ロンターノ」もチャイコフスキーも見直したいが、さて出てくるのだろうか。少なくとも前者は一見の価値があるのだが。この世界最古と称する座付管弦楽団が「今年の最優秀管弦楽団」に選出されたというが、この演奏だけでも間違いなくそれに値する。



参照:
12本選択するとすれば 2016-09-26 | 試飲百景
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-09-30 20:29 | 文化一般 | Trackback

索引 2016年9月


笑ってしまう靴下の右左 2016-09-30 | 生活
深圳からの直送便 2016-09-29 | 生活
碧眼に気づくとき 2016-09-28 | 女
使えるような体幹を 2016-09-27 | アウトドーア・環境
12本選択するとすれば 2016-09-26 | 試飲百景
シーズン前に総括される 2016-09-25 | 文化一般
ありのままを受容する 2016-09-24 | 歴史・時事
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音
慢性病に苦しむ図 2016-09-22 | 雑感
デジタル演奏会の品定め 2016-09-21 | マスメディア批評
価値ある管弦楽演奏会 2016-09-20 | 音
つけたり、はなしたり 2016-09-19 | 雑感
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
2015年アルテレーベンの出来 2016-09-17 | ワイン
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
身体に堪える今日この頃 2016-09-15 | アウトドーア・環境
管弦楽演奏のエッセンス 2016-09-14 | 音
斜陽のボンに涼むとき 2016-09-13 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
今こそ睡魔と戦う時 2016-09-12 | 音
検問逃れの試飲会帰り 2016-09-11 | 試飲百景
雑食砂岩での怪我の功名 2016-09-10 | アウトドーア・環境
国際的競争力が無い実証 2016-09-09 | 雑感
収支決算をしてみる 2016-09-08 | 生活
限界まで出せる登攀実力 2016-09-07 | アウトドーア・環境
一寸した料理でさえも 2016-09-06 | 料理
乗り越えただろうか 2016-09-05 | アウトドーア・環境
再び夏のアルゴイの山へ 2016-09-04 | アウトドーア・環境
Bluetoothアダプターを試す 2016-09-03 | テクニック
オフロード最高時速に挑戦 2016-09-02 | アウトドーア・環境
三つの穴を埋めた気持 2016-09-01 | テクニック

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by pfaelzerwein | 2016-09-30 14:09 | INDEX | Trackback

笑ってしまう靴下の左右

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思わず声を出して笑ってしまった。まさかと思ったからである。先週出かけるときに靴下を履こうとすると足首のところに指が掛かってそのまま穴が開いてしまった。散々使って洗濯しているから、化繊が多くてもいつかは破れる。問題は片方がまた使えることで、但し左右が指定してある靴下なので、右が破れたので左だけが残った。この靴下は二足組で安売りしていたスイスのローナーの物なので質はいいのだ。だから以前破れた片方も保存してある。但し探さなければいけない。

探す序にもう一つモンブラン山群などに履いて行って機能に不満を持った靴下もゴミ袋に発見した。機能の問題で、底は薄くなっているが街履きよりも厚めで、特に冬場には使えそうだとゴミ袋から敗者復活させた。肝心のもう一足は探す気力なく放っておいたのだが、ここは勝負と思って一寸探すと見つかった。そしてなんと反対の右側が残されていた。笑いが抑えられなかったのだ。

二年ほど前に破れた靴下であるから記憶が定かではなかったのだが、保存しておいても稀に役立つという事だ。捨てるばかりでなく先を見る目が大切だ。それでも上手く左右異なる方が破れたのは確率的にも偶然だろうか。一般的に足の使い方は変わらないので破れる方はいつも決まってはいないだろうか。通常は左右対称になっていないので気がつかないだけである。手の指で破れたのはそれとも前回も同じだったもしれない。という事は今度破くときも同じようなことになりそうである。長持ちさせる方法はあるのだろうか。兎に角、スポーツ用品は紳士ものと異なって耐久性と機能性があるので、初期投資は大きいかもしれないが、使い方によっては大変お得になるものが少なくない。最近は走るような服装でうろうろすることが増えてその点では安上がりである。

バーデン・バーデンからお知らせが届いた。そのマガジンにソコロフのピアノリサイタルが19ユーロとあったので興味を持った。2008年頃に天才指揮者キリル・ペトレンコが天才ピアニストとインタヴューで称しているのを読んでしまうと、この価格では無視できなくなった。日時も適当であり、プログラムもシューマンなので調べてみると、その価格の券は売り切れていて、29ユーロの比較的良い席が一枚だけ残っていた。散々迷ったが ― 正直チャイコフスキーコンクールの優勝者でどれだけの素晴らしい音楽家が居るかと考える ―、ネットの録音では分からないところが聞きたくなって先ずは席を確保しておいた。昨冬にはマウリツィオ・ポリーニのリサイタルが同じように25ユーロで最後の一枚が残っていたのだが、あまりにも最近の演奏会の評判が悪いので断念したのだ。少なくともそれよりは良さそうだ。調べてみるとロシアの爺さんと思っていたのだが、その見た目とは異なって50年生まれとまだまだ若い。節制をしている人ならばここ数年で売れてきてもそれほど悪くはなっていないだろうと考えた。スイスとヴィーン以外にドイツ全国ツアーである。近辺ではフランクフルト、シュトッツガルトや足代の掛からないBASFでも同じリサイタルがあるのだが ― つまりファンならば最低四回は同じプログラムを聞ける ―、しかしそこでは最低の席が40ユーロ近くと比較的高価で、ホールは改造されたと聞くがそれでも空間容積は変わらないので音響的に疑問が残る。足代で最低20ユーロ以上余分に掛かるバーデン・バーデンの狭く仕切った会場の方が音響は明らかに良いのではないかと思ったからだ。もしこのピアニストが本当に良いならば将来はバーデン・バーデンを本拠に演奏すればよいだろう。11月の鬱陶しい時期のお出かけとなる。



参照:
ハイテク製品の収集効果 2015-05-01 | テクニック
温度調整つきの環境 2013-07-15 | アウトドーア・環境
インタヴュー、時間の無駄六 2016-08-13 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2016-09-29 14:22 | 生活 | Trackback

深圳からの直送便

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一月前に発注していた商品が届いた。中共の深圳からの直送便である。HDMIのアダプターを繋ぐもので、アマゾンで2.29ユーロ支払った。現在は値下がりして2.20ユーロで買える。そして送料無料というのが凄い。チャイナポストの履歴を見ると八月の終わりには大韓航空に引き渡されていて、その後は消息不明になっていた。それでも一月掛かることは最初から分かっていて、多くの購入者が大満足している商品である。そもそもこの費用で送料まで出ているのが凄いのだ。同様商品の三分の一の価格で品質は同じである。

ざっと計算すると、製品仕入れが70セント、送料も70セントとして、包装代が20セントとすれば、まだ60セントほどは儲けが出る。最大一ユーロの儲けならばまずまずかも知れないが、中共も物価が上がっているので結構厳しい数字ではないだろうか。今や東京よりも上海の不動産の方が土地がついていなくても価値があるという時代である。

早速繋いでみると完璧である。皆が満足する筈だ。このような商品が中共から押し寄せて来るのであるから、中途半端な日本製などには世界的に競争力が無くなってきている。メードインジャパンは少なくともジャーマニーよりも高品質でなければ売れない。そのような商品など限られる。

最近は中華製品の愛用品が増えている。レノボのヨガタブレットに続いて、ベンキュのモニターは初期作動として文句無しである。ヨガの方も使用三年目に入っているが、自慢の蓄電池も殆ど性能が落ちていない。もう一年このまま動いてくれれば文句はない。同じように台湾製品の方も保証期限を超えて正常に作動してくれるようならばもはやどこの国のモニターも勝負にならないのではなかろうか。アナログ時代に購入したソニーのトリニトロンのTV受信機はまだ正常に動いているようだが、年に数時間も電気を流さないので新品同様である。このTV受信機が自身の最後の受信機となるのだともはや確信している。

公共放送の受信料のことから独第二放送局を閉鎖するという話が出た。それに対しては強い反対が寄せられたようだが、そもそも問題の多い放送局でありスキャンダル報道しかしないので閉鎖に賛成である。閉鎖しないとなると受信料を値上げするいうので、腹立たしい限りである。第一放送局をもう少し強化して地方ごとの独自性を強く出す方が理に適っていると考える。ラディオ放送と同程度に州毎の独自番組を制作するぐらいでないと駄目だろう。

国ごとに同じような番組やドラマを観て云々するような社会はおかしい。時代に合わないのである。それ故にTV放送などは一挙に意味を失った。我々世代は最初からTV中継があったので一番TV世代と呼ばれる筈なので、余計に飽きたという感じもあるのかもしれない。どうも上の世代となるとネットへの切り替えが充分でないようなので逆にTV文化にしがみ付いているようなところがある。といったところで、モニターは今後とも複数を使いこなしていくことになりそうで、冷却の問題が解決されればプロジェクターも欲しい。

タブレットと同時期に購入した炊飯器で、最も手軽な米を無洗米モードで炊くと日本風のご飯の炊き上がりになることが分かった。要するにぱさぱさせずに適当にふっくらするが粘ることが全くないのである。この可能性は面白いと思った。もう少しごはん食を試してみたい。



参照:
三つの穴を埋めた気持 2016-09-01 | テクニック
明けても暮れてもタブレット 2014-09-18 | テクニック
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by pfaelzerwein | 2016-09-28 19:08 | 生活 | Trackback

碧眼に気づくとき

視線を絡ませたとか書いた。それがどうだろうか、なにも見ていなかったのかもしれない。そんなことがあるのだろうか?一体何を見ていたのだろう。ユリアの眼が碧眼だとは気がつかなかった。まさか着色コンタクトレンズを入れているとは思わないのだが、なんとなく茶系と思ったのは何故なのか。光の加減で若干変わるのかもしれない。

所謂虹彩の色はつまりアイリスの色は、瞳孔が開くことで目立たなくなるという事が分かった。交感神経・副交感神経が、其々瞳孔を開け、またそれを縮めることにアドレナミン作動性とコリン作動性がホルモン分泌で調整されているので、虹彩が目立たなかったり目立ったりとなるようだ。

なるほど今までは瞳孔開かれっぱなしの興奮状態で視線を絡ましていたことになるのだが、偶々その時は閉じられる方向にあったという事で、どのような神経が働いていたのかは分からない。しかし、こちらの方は開かれっぱなしだった筈だ。無意識にこのようなときは女性の警戒心のようなものを感じるのだが、最終的に相対するときには再び虹彩が目立たなかったのを記憶している。

なるほど、彼女のそぶりに以前より落ち着きのようなものがそこにあったのは事実で、関係がこれから深まっていくのかどうか、とても興味深いところである。これまでがあまりにお互いに興奮状態だったので、これは男女関係としてもあり得ない。

碧眼というのは当然寒色であるから熱気よりも冷静さを感じさせる眼の色である。今まで口説く対象となった女性を考えてみる。意外に多くはない。背後に色々な血が混ざっているとなると更に様々な色合いがあるので容易に色が特定できなこともある。寧ろマジャール系などの複雑な色の眼の方が印象に残っている。但しその色が熱を帯びていたからといってもただそれだけのことで、こちらが勝手に誤解するのに近いのだ。

そもそもドイツ女性といってもブロンド碧眼というのは北ドイツのスカンジナヴィアなどに近いところを除くとそれ程の多数ではなく、本当のブロンドも多数ではなく、この辺りでは一般的には茶色と答える。そのようなことから碧眼の印象というのも実はそれほど多くはないのである。そして今回のようになるほど印象が残っていないとはこういうことだったのかと分かった。

アングロサクソン系のスパイ小説などのベットシーンで男の碧眼のその虹彩の深さに落ちていくというような記述が良くあるが、なるほど弛緩とその時の虹彩の拡張を表現しているのである。その前後は逆に目立たないという事を語っていることにもなる。

碧眼という言葉が、比較的使われる背景には、他の複雑な色彩に比べて単純でそして普段は見落としてしまうことが多いので、そこに特別な色彩を見出すとなればそれはそれで表現になるという事のようだ。一般的には深い海だとかいう表現になるのだろう。



参照:
視線が絡むということ 2016-08-02 | 女
生への懐疑の反照 2005-11-15 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-09-27 20:06 | | Trackback

使えるような体幹を

久しぶりに良い感じで走れた。外気温は摂氏11度だったが陽射しがあって気持ちよい。乾いていて身体が軽い。軽く柔軟体操してから走り出すととても足取りが軽く感じた。自宅を出る時は疲労感もあって、なんとか峠をゆっくりと目指すだけと感じていた。時計もどちらでもよいと思ったぐらいだ。その足取りで、これは少し頑張れるかなと思った。最初のカーヴまで厳しささえ感じずに快調なテムポで走れたからだ。理由は分からないでも、こうなればこのテムポを最後まで続けるだけだ。中間地点ぐらいでも、下りの速度を想像したりで、余裕がある。そして頭の中では最近は見かけないそのコースを走っていた爺さんを思い出し、それよりは早いかなと思うぐらいだった。そして、汗もあまり掻かないぐらいで、肌寒くもない丁度良い気候を感じながら走り続ける。そして最後のカーヴをまだかまだかと思っていても知らないうちに過ぎていた。この辺りで、これならば五月以来の20分割れは達成できるという気持ちになった。それでも慌てないでテムポをキープすることだけに留意する。想定内の印象で峠に到着、降りに入る。50mほどは息が切れていたが、徐々の落ち着いてきて、降りでもしっかり走るように留意する。顎が上がるころに、向こうから登って来るライヴァルの婆さんと擦れ違う。息が上がるが、最後の長い下りまで我慢する。汗が噴き出して、そのままゴールだ。時計を見るとジャスト33分。自宅で確認すると登りも19分40秒で一月以来の記録であり、33分は記録のようだ。

勝因は何よりも気候であろうが、最初から足取りが軽く感じたのは何故なのか?準備体操が活きているのは間違いないが、正しい快適なテムポが最初から刻めたことだろうか。前日は軽く夕食を取った以外は試飲会のワインだけだから、比較的体重が軽かったこともある。それ以外には膝が若干柔軟性を帯びて来た感じがしたことが挙げられる。その他の睡眠などは通常通りで決して良くはなかった。そして通常ならば足取りが重くなって来るようなところでも呼吸を含めてスムーズに推移した感もある。手の振りも悪くはなかった。そして降り坂でのスピードトレーニングを始めた成果も出たようだ。もう少しそれが身に着くと32分台を安定して出せるようになるかもしれない。登りはもう一分短くなるので32分割れが目標となる。登りのピッチがもう少し長くはならないものだろうか。Tシャツ、短パンで走れるうちにどこまでできるだろうか?

いい記録が出た後、腹筋と腰の裏が疲れていた。もう一つ肘の上がクライミングのあとのように疲れていた。前者は体幹を使う走り方に近づいているという事かも知れない。ネット情報を見るとそれによる効果として、肢体の動きが良くなるという事なので、意識はしていなかったのだが柔軟体操の後の足取りの軽さはここから生じている可能性が出てきた。あの軽く足が出る感じが体幹を使う走りなのか?柔軟体操のやり方ももう少し改良すると同じ時間でこの体幹の動きに関与する筋肉が使い易くなるのかもしれない。どうも今やっているのではラディオ体操の応用のようなもので今一つだ。それでも習慣付いて来たので、忙しいときでもその二三分が待てるようになった。

実はクライミングの課題も同じようなところにあると思っている。今課題にしているボールダーの技術がこの辺りのトレーニング無しには出来ない。最終的にはクライミングでは天井をスパイダーマンの様に這う技術となるのだが、これがボルダーでまだ全然出来ていないのに気がついたのだ。初心者が陥り易い腕力と間違えていると体を痛めるだけなのだ。肩を痛めてより強い自覚となった。どうもこれも体幹を使う技術である訳で、山スキーにも活きる訳で、何とかものにしたいのだ。



参照:
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
カラカラの状態の結果 2016-01-26 | 生活
以前のものと比較する 2015-06-17 | 生活
雑食砂岩での怪我の功名 2016-09-10 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-09-26 16:47 | アウトドーア・環境 | Trackback

12本選択するとすれば

秋晴れの気持ちよい試飲日和だった。例年ならばこれほど気温は低くないので、陽射しが丁度気持ちよかった。ラインの渡しでも例年とは異なる快適さがあった。ラインガウの湿り気も感じることなく、キードリッヒへと車を進めた。車を町に向けるとグレーフェンベルクの斜面が大きく剥ぎ取られて茶色に輝いていた。植え替えである。目指すロベルト・ヴァイル醸造所だけでなく近辺の地所と一緒に土壌改良へと動いたという事だ。グランクリュの15%ほどがそこに含まれている。今までの葡萄は40年ものだったようで、まだまだ上質の土壌を準備したものではさらさらなかったであろう。それどころか十二分に化学肥料などを沁み込ませていたに違いない。そのことは話さなかったが、ビオデュナミなどの素材などの話に及んだ。要するにラインガウでもそろそろビオヴァインでなければ勝負にならなくなってきているに違いない。

先ずは、グーツリースリングを試す。予想に反してミネラル風味があって清涼感がある。逆に言うと例年の酸が表に立たずに引っ込んでいるという事である。案の定、酸と糖が8g程度と半辛口仕立てになっているのである。そして階級が上がるにしたがって辛口へとその内容量が変わって来る。同じような傾向でオルツリースリングのキードリッヒも、予想していたように暑い夏の2015年にしてみると、それほど重くはないのである。アルコール12.5%であるから丁度良いぐらいである。そして酸もミネラルも明らかになって来る。

その次が黄土層のクロスターベルクである。これは流石に粉っぽいミネラルで、リースリング好きにはまるでラインヘッセンのようで若干げんなりする。それでもそれほど悪いとも思わなかったが、繰り返して試すことはなかった。そしてお目当てのテュルムベルクである。これはグラーフェンベルクの上部にあり、勿論風通しもよく気温などの点で暑い夏には有利である。前回このリースリングが良かったのは2009年産だった。傾向は似ているかもしれない。

そしてグローセスゲヴェックスのグレーフェンベルクである。これまた想定外の柔らかさである。例年ならばもう少し硬質で二年ぐらいは寝かしておかないと飲めないものである。要するに木樽による酸化で熟れ過ぎているような印象を受ける。それ故に期待されるミネラルの強さは感じられない。今年は前予約をしていないので無理して買わなくてよかったのだが、現時点ではリースリング好きには物足りなさを感じさせた。要するに柔らか過ぎる。

今年からは試飲会は一人12本を購入して初めて無料となるので、12本を選ぶ。先ずはキードリッヒかグーツリースリングかとなるが、六本買うならば前者で決まりだ。後者は飲み頃で飲みやすいが六本も開けているうちに飽きが来るだろう。そしてしばらくすると甘さが勝ってくるかもしれない。そして価格も割高である。もう六本は最もミネラルが確りしていて、例年ならば酸が充分にこなれていないテュルムベルクでいいだろう。安くはないが、今年の一本となるならこれだろう。その証拠にお替りを貰う常連さんもこの辺りに集まる。勿論飲みやすさではグレーフェンベルクなのだが、それは味が現時点で開いているということでは決してない ― もしそのようなことなら二年後には駄目になる。

その他で印象に残ったのはやはり甘口テュルムベルクのシュペートレーゼで、これも甘口グレーフェンベルクよりも酸が効いていて良かった。その他ではシャルタを試したが、苔臭いような感じで明らかに健康に熟成した葡萄というのからは遠い感じだった。若摘みだろうか。その他は試す価値もなさそうで、常連さんの人気も全く無かった。



参照:
ヴィルヘルム・ヴァイルのワイン 2010-09-05 | 試飲百景
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
ラインガウへの途上で 2015-09-27 | 試飲百景
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by pfaelzerwein | 2016-09-25 19:27 | 試飲百景 | Trackback

シーズン前に総括される

文化欄に先日終了したベルリンのフェストシュピールの総括が記事となっている。そもそも私にとっては同時期に開かれていたベルリナーフェストヴォヘには何度も足を運んだが、それが最近フェストシュピールに成っていることに気がついたばかりである。なにが異なるのか、なぜ名前に変更がなされたのかは分からない。2004年から名称が変わっているようだ。恐らく広範な芸術祭になっているのだろう。

その中で興味深かったのは、ベルリンのフィルハーモニカ―が指揮者アンドリス・ネルソンズの指示を無視したという事である。それによると「最後のタクトが終わってからも暫く弓を当てておけ」と指揮者は望んだようなのだが、半数はそのようにはしなかったというのである。この交響楽団のあまりにもの自意識過剰な姿勢は最近は話題になることが多いが、明らかなサボタージュをしたようだ。先日も言及したところだが、このラトヴィア人への信頼は、ボストンでのショスタコーヴィッチシリーズをライヴ録音で売り出すというように、メディア市場では大きいようだが、現場では既に足元を見られているようだ。上の指示の妥当性や芸術的な意味合いは分からないが、今や高学歴のフィルハモニカ―を納得させるほどの説得は出来なかったのだろう。管弦楽を鳴らすという事に掛けては秀でた指揮者で、その音楽的才能もトップクラスの人ではあり、バイロイトの初代音楽監督とはものが違うのだろう。それでも方々で虐められているのかもしれない。ベルリンのフィルハーモニカ―に関しても、ここ暫くも多くが語られていて、次期監督はその自意識過剰な集団を如何に手中に治められるかといういう話だった。

ミュンヘンの座付管弦楽団のアルテオパーでのツアー最終演奏会の批評記事も読んだ。興味深いのは、最初に「マイスタージンガー」序曲を持ってきたプログラムでの演奏会の感想だった。アンコールでのそれとは異なり精密でとても管弦楽団にとっては要求の多い演奏で、それでもコーダに掛けて二発三発と加速をしていて、最初のブラヴォーを待つだけとなったとある。そして二曲目の精妙さの極みの「最後の四つの歌」に、うって変わっての休憩後のチャイコフスキーに言及されている。アンコールでの可能性のある「ルスランとリュドミラ」序曲の言及はない。やはり前半と後半とのコントラストへの言及があるので、「マイスタージンガー」序曲を可成り丁寧に演奏していたのは間違いなさそうである。我々は劇場でのそれを聞いているので、どのように演奏されたかは想像がつくが、そのように弾くことはいつものお仕事なので全く訳がないことだろう。

チャイコフスキーに関してはミュンヘンでおかしな評論があった。それによると、キリル・ペトレンコは楽員をしごいていて、その交響曲のフィナーレで聞こえるのは労苦の叫びと怒りいうようなことが言いたいらしい。これに関しては「音楽家で今日より明日を更に上手に演奏しようと思わない人はいない」といういい方が最もしっくりくるのだが、そこまで追い込める音楽集団であるという自負や誇りが無い限り、日常の連夜のお勤めや連日の本番勝負などは出来る筈がない。ボーナスは出るのだろうが、それ以上の動機付けが無いことには音楽などは出来ないのはスポーツとも似ているかもしれない。そしてこうしたおかしなことを書きながら、シュトラウスではダムロウの母音が二三度落ちてティーレマン指揮のハルテロス?かはそうではなかったと本心が出て来る。どうもあの手の人たちは未だに信じたいものがあるようで拘り続けているようだ。理由は分からないが、どうもそこにはメディアの圧力ではない信仰のようなものがあるらしい。

キリル・ペトレンコのフランクフルトとの付き合いも2006年頃に後任音楽監督として歌劇場との交渉に入っていたと書いてある。結局コーミシェオパーを離れてから、その後の「ホヴァンシチーナ」、「パレストレーナ」と「トスカ」を客演するに終わっている。だからバイロイトで「指輪」を聞けた人は幸せだと書く。条件や環境はそれほど悪くは無かったと想像するが、前任地とそれほど雰囲気の変わらないこじんまりとした劇場なので、大きな跳躍板にはならないと考えたのだろうか。

ミュンヘンには、放送交響楽団以外にフィルハーモニカ―があり、音楽監督には反対運動にも拘らずプーティンの指揮者ゲルギーエフが就任している。報道によると予想通り評判が悪い。ロシアものに比べて他のレパートリーでは全然駄目だというのである。そもそもこの指揮者に何を期待したのかは分からないが、西欧の音楽先進国ではあのような音楽では通じないのは当然ではなかろうか。もう一人のマリス・ヤンソンスでさえアムステルダムのコンセルヘボーでは荷が重すぎると言われていたのである。



参照:
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音
インタヴュー、時間の無駄三 2016-07-30 | 文化一般
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
視差を際立せる報道 2008-09-29 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2016-09-24 19:09 | 文化一般 | Trackback

ありのままを受容する

車中の朝のラディオは、キリスト教民主同盟の中での争いが話題となっていた。メルケル首相の難民政策によって、大きく支持を失い、その支持がポピュリスト政党のAfDに移っていることを懸念してのバイエルンの姉妹政党キリスト教社会同盟からの批判を受けてのことである。当然その党首ゼーホファーにしてみれば当然の政治的な戦いなのだが、その「キリスト者優先の政策」には大きな批判が寄せられた。ラディオが伝えるように、頼みのカトリックの大司教がこうした難民への態度を反キリストと「恥を知れ」と叱ったことからその足場が崩れた。更に、メルケル首相がノーベル平和賞でも受賞することになると政治状況は一挙に変わってしまうという事のようである。そして今更ながら冷戦当時のような対抗軸しか出せないバイエルンの地方政党の将来性が問題となる。

文化・芸術・音楽など具に見ていくと、未だに頭の中が20世紀の人々は専門家筋でも少なくない。その人達が完全に20世紀人なのだから当然と言えば当然なのだが、殆ど頭の中がアルツハイマー級の呆けとなってしまっているのである。そうした政治家を戴いているようではお話にならないという事である。

新聞には、蓮舫党首の記事が載っていた。そこでは女性問題よりも国籍問題が日本の右翼筋にとっては重要案件であるという彼らの人種主義を報じていた。その記事を読んで、党首の日本名が村田とあって、初めて聞いたのだが、シナ名は書いていなかった。理由は分からない。日本国民栄誉賞の台湾人王監督のように、もともと国民党系のメインランドの人なのだろうか?

難民問題に関していえば、先日新聞に載っていた一覧表に驚いた。それによると受け入れ人数では流石に連邦共和国は多いが、それ以上にアルプスの小国オーストリアなどでは人口比では一割を簡単に超えていた。スェーデンとは比較にならないとしても、スイスでもそれほど比率は少なくないのだ。なるほど国民にとっては不安になるのは致し方ない。それらが移民志願者であるのか、只の難民であるのかでも大きく異なるが、その数字は予想以上であった。

また、新しい記事には、世論調査の結果が載っていて、政党別の意識調査が興味深かった。それによると、緑の党の支持者などは移民の比率も多いのかもしれないが、そもそもの「ドイツの国民性」などというものは「あるならばある」と多くの支持者が考えていて、予め規定されているものではないという事だ。恐らくそれは正しいのだろう。

このような状況を見ていると自分自身も完全に20世紀人で未だに構造主義的な思考態度から抜け出せないのではないかと思うようになった。三宅洋平の選挙スローガンではないが「ありのままの姿」に対応できないとなると、とても馬鹿らしいと感じる。無限に広がる水平線の彼方へと意識すらも向かわなくなるからだ。その彼方にはどれほどに豊かで広大な風景が広がっているかもしれないのである。そうした希望すら無くなってしまうようでは生きていることすら損なのである。現実のポピュリスムが勃興する世界において、それへの対抗として提示出来るものこそが、こうしたありのままを受け入れる姿勢でしかないのではなかろうか。



参照:
自分らしくあれる社会 2016-07-03 | 文学・思想
多義的ではない多様性の焦燥 2009-11-22 | 女
旨味へと関心が移る展開 2009-11-07 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-09-23 18:53 | 歴史・時事 | Trackback

九月の四つの最後の響き

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火曜日の晩はミュンヘンからの中継に耳を傾け、そして眼をやった。私にとってはラディオ放送とヴィデオストリーミングの同時中継は初めての体験だった。いつかヴィーンのノイヤースコンツェルトでTVとの同時中継のタイムラグが話題になった。同じように覚悟していた。なによりもラディオを高音質で録音したいと思っていたので、画像は二の次だった。装備的に同時録画・録音は困難なので、決して交換サイトでは見つからないラディオ録音に集中する。それもどうしても聞きたかったリヒャルト・シュトラウス作曲「最後の四つの歌」が狙いである。これで無理して欧州ツアー最終日のアルテオパーに駆け付ける手間も時間も費用も省けた。

先ず驚いたのがど迫力の動画だった。4Kを使っているぐらいの肌の形状が掴めるような大写しが続いて、普段はピットで隠れている楽員さんを気の毒に思うほどだった ― 永久保存のアーカイヴ化する予定なのだろう。そのアングルはあまり音楽的な必然性があるかのようなズームはしておらず、ある意味では無関係、ある意味では邪魔にならないかもしれない ― 先日のベルリンからの中継のそれが楽譜に沿ってと言いながら、なぜか若いブロンド女性にズームインしていたので、楽譜のどこにそんなことが書いてあるのかと再三溢したかったのだ。なるほど座付管弦楽団には前の方にも若い奏者の顔が目立つとして話題になっていたのは事実である。

指揮者も大写しになって、先日の宣伝映像の続きのような殆どカラヤン映像のような英雄的なアングルもあって、恐らく同じ監督の映像だったのだろう。不自然さもあったが、「ロンターノ」の静けさやトレモロの美しさのようなものが綺麗に捉えられていた。三つの演奏会を比較対照すると、流石に劇場の音が混ざりあう響きの中での、乾燥したボンとはまた異なる美しい柔らかな響きだった。そしてラディオの響きも、とても細かな弓の当たる音なども捉えていて、オペラ「南極」のあの響きに匹敵する精妙さだ。

さて、お目当てのリヒャルト・シュトラウス作曲「最後の四つの歌」である。最も良い高音質条件で録音したいので、ノートブックから響くオンエアー視聴では、精妙なことは分かっても、充分には確認は出来なかった、そして画像などを見ていると些か歌が明晰過ぎるようにも感じられた。そして、リフェレンス録音のジョージ・セル指揮シュヴァルツコップのものと、フォン・カラヤン指揮グンドラ・ヤノヴォッツのLPを比較試聴してみる。前者は録音が悪いのか、客演しているベルリンの放送管弦楽団が悪いのか、とてもリズムも鈍く、なるほどこの指揮者の持ち味である楽譜のシステムが縦にきっちりと浮かび上がるような合わせ方は聞こえるのだが、クリーヴランドでの磨き抜かれたサウンドなどとは比較できない演奏である。この分野では第一人者のシュヴァルツコップの歌は、音符から音符への所謂音間の扱いをまるで装飾音のように囀っている。一方フィルハーモニカ―のそれはカラヤンサウンド以外の何ものでもないが、それはそれで当時は納得させられていたものであり、たとえ音楽的な内容が無いといわれるシュトラウスの曲においても、あまりにも厚化粧の上塗りのようなものでデリカシーに欠け、十八番であった楽劇「薔薇の騎士」のエンターティメントへとどっぷりと浸かっている ― これを指揮者ロートは風呂場の鼻歌と称した。それに合わせたのかどうか、先日ダムロウが語っていたように「それならばヴォカリーズで歌えばよい」と言う程度の歌しか聞かれない。ヤノヴィッツは1970年代ぐらいには一世を風靡したソプラノ歌手で、カラヤンとの共演も度重なるが、双方ともここでは惨憺たる結果となっている。余談だが、今回のツアーも昔通りのレコード会社だけでなく業界の力が背後に強ければ、人気プリマドンナであるミュンヘンのアンニャ・ハルテロスが同行したのだろうが、なるほど、だから余計にダムロウが語るように、今回のオファーは「受け入れるしかないまたとないプレゼント」となったのだろう。

さて、その歌唱は、歌手本人が録音で馴染みのあるシュヴァルツコップとルチア・ポップの歌唱を例にそれを歌えるだけの含蓄の有無を怪訝していたが、それらとは結果は異なる。シュヴァルツコップがマスターコースなどで教える声の発声に関してはなるほどと思わせ、声の質に関してはポップのコロラテューラにも共通するそれらが活きているとは思うが、音符の読み方が大分異なるのだ。それ以上に、ここでは評論家の誰かが表現したように織物の糸が声と共に一本一本織られていくような糸織のように管弦楽団と声が一体化して多彩な音色を織りなしている。

それと同時に、これは歌唱にも深く係わっているのだが、いつものように音符が明白に楽譜通りにハッキリと発音されていて、そこにリズムの確かさがあるので、決して音楽が弛緩することなくゆったりとした時を刻んでいる。雲雀がGGと囀るEsGesEFGGの夕焼けが美しい。ハイデルベルクの暗い谷を雲雀が飛翔する。またある評論家が書くように、この曲の伴奏を綺麗により美しく誘惑的に響かす指揮者の同僚は幾らでもいるだろう ― 作曲家は歌手のフラグスタートに書き添えた、但し超一流の指揮者と歌えと。しかしこれだけ正確に精妙な響きは他にはない。YOUTUBEを調べてみると、セルとシュヴァルツコップは名門コンセルトヘボーでも同様に演奏会を行っているようで美しい録音があるが、やはりリズムが鈍い。そしてシュヴァルツコップの歌唱技術は別にして、音価の扱い方やその進行には疑問が湧いたのも事実である。今回調べてみて知ったのだが、初演はフラグスタートとフルトヴェングラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団だったようで、どうして、ヴァルター・レッグによる制作録音どころか、真面な音質の録音が残っていないのだろう?

チャイコフスキーの交響曲に関しては、ボンの強い印象があるので、成果には疑心暗鬼であったが、楽譜を見乍ら再生すると、あり得る音響空間の違いの相違と同時に、その明白さに新たな驚くべき細部の洗練さが確認された。対・内旋律の活かし方なども全体の構成の、音響の中で綺麗に嵌め込まれていて、なるほど指揮者が示唆するように殆どブルックナーばりの管の連符の咆哮があり、交響的な充実には目を開かされる想いがする。記憶を頼りに比較すると、残響のデットなボンのベートーヴェンハレではよりテムポの俊敏さが感じられたが、ミュンヘンの劇場ではより精妙な響きが聞こえた。

それにしても、管弦楽団としての鳴りは嘗てのカルロス・クライバーが指揮していた時の積極性を超えており、またリヒャルト・シュトラウスの曲においての響きはたとえベルリンのフィルハーモニカ―が将来弾いたとしてもこれほどの深い響きをキリル・ペトレンコの指揮が引き出せるかどうかは分からない、それほどの響きだった ― これに関して歌手は、歌に敏感に反応できるミュンヘンの座付管弦楽団は格別としている。残念ながら生放送とは異なって音質は圧縮されているが、同夜の演奏会の録音が一月ほど繰り返し聞けるようになっている。さて、その音質でどこまでこの音楽会を体験できるだろうか?



参照:
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
眠りに就くとき 2006-08-07 | 女
冬の夕焼けは珍しいか? 2005-01-12 | 文学・思想
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by pfaelzerwein | 2016-09-22 20:03 | | Trackback