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あまり機能的ではない展開

日曜の朝のラディオは日本での「閉じこもり」取材が流れていた。なによりも興味深かったのは、日本ではそれらを称して「機能障害」と診断するという言葉である。その単語はファンクションであり、まさに中共で言えば共産党幹部ということになる。要するに社会が機能するための歯車ということであり、それに不適応と診断するのがこの機能障害なのだろう。日本の社会はもはや追い付け追い越せでもないのに、そうした機能性が要求されているということの証であり、日本社会が真面な社会として落第であることを彼らの存在が示しているということになる。しかしその奥は深く、如何に日本社会が近代化の中で病み続けてきたかという事だろう。そして明治維新以前もその社会はあまり変わりなかったのかもしれないとすると、なんら可能性の無い社会となる。日本独自の社会が優れているとかどうとか以前の病弊のようなものだろう。

フランクフルトのアルテオパーでのプログラムが変更になっている。アンドレ・プレヴィンが自作自演でロンドンのシムフォニカーを指揮することになっていた演奏会で、恐らく動けないのだろう。バイエルンの放送交響楽団は、フランクフルトで演奏してから関空に飛ぶらしい。西宮で同じプログラムを演奏するようだ。

承前)引き続き「マクベス夫人」の全曲盤の残りを聞き通した。ストラヴィンスキー並に民族的なものも豊富に取り入れる一方グスタフ・マーラーのパロディーのようなところもあるが、基本的には表現主義的なものを狙っていて、そこが西欧モダニズムとして批判されたのだろう。場の通し番号も参考になるが、もう少し映像の資料なども集めて繰り返し調べてみたい。最後の最後までおいしい所が用意されていて、作曲家の才気を再認識するとともに、充分に楽譜が音化されていないのも確認した。可成りしっかり合わせないとグロテスクで終わってしまう所もあるので、初演からこの方もう一つ真意が聴衆に伝わっていないところがあるのかもしれない。この時点で具体的にキリル・ペトレンコ指揮に期待できるのは、なんといっても重なり合った音響での丁寧なバランスで、今までは聞けなかったサウンドである。それに値する創作をしているということでもあり、サイモン・ラトル指揮の交響曲の痙攣したフォルテシシシシモとは異なる柔軟な鳴りが期待出来るということでもある。ラトルなそうした楽曲の読みが本当に正しいのか、それとも解釈に過ぎないのか。

その意味からはこの世界初録音盤は限られた目的を達成している。また感じたのは1970年代のEMIの優秀録音でアナログステレオの完成期の録音の優秀さである。同時代のDGでさえも立派な録音が出ていた時代である。カラヤン指揮録音などはあまり良くないのだが、ここでは成功している。それでも効果音などの不器用な扱いはデジタル時代でなくても考えられないほど稚拙である。

ソコロフのリサイタルツアーが始まっている。シューマンの作曲技法に関心を以てその準備もしたいと思う。上手くいけば今回でシューマンのそれが大分分かるようになるのではないかと期待しているのである。あまり時間がないので参考素材など早めに集めなければ間に合わなくなる。いつものことであるが、付け焼き刃とならないようにしなければいけない。



参照:
陰謀論を憚らない人々 2016-03-29 | 暦
笑ってしまう靴下の右左 2016-09-30 | 生活
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by pfaelzerwein | 2016-10-31 20:25 | 文化一般 | Trackback

索引 2016年10月


スキーに向けての身体作り 2016-10-30 | アウトドーア・環境
見た目よりも本当の実力 2016-10-29 | 女
一月前に発注した部品 2016-10-28 | 生活
経験のトロイの馬 2016-10-27 | 雑感
一様に誤解なく伝わる芸術 2016-10-26 | 音
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
自己記録のゴールドラッシュ 2016-10-24 | アウトドーア・環境
消滅したエポックの継承 2016-10-23 | 文化一般
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
原典回帰というような古典 2016-10-20 | 文化一般
マンハイム、対岸の火事 2016-10-19 | 雑感
flacをクロームキャスト 2016-10-18 | テクニック
スピードランニングの道 2016-10-17 | アウトドーア・環境
思春期のホルモンの様 2016-10-16 | 雑感
篭り部屋での最初の夜 2016-10-15 | 生活
ガス抜きの指導をする 2016-10-14 | 生活
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
滋味溢れる響きの経路 2016-10-12 | 文化一般
脳裏に浮かぶ強制収容所 2016-10-11 | 歴史・時事
ミュンヘンのマイスター 2016-10-10 | 雑感
冬場に楽しめる生活 2016-10-09 | 生活
キャストによるデーター転送 2016-10-08 | 暦
ラムプが切れて冬支度 2016-10-07 | 暦
はっとするレアリズム 2016-10-06 | アウトドーア・環境
酔狂の二本のリースリング 2016-10-05 | ワイン
DLしたファイル形式ts. 2016-10-04 | テクニック
英国製の高価な買い物 2016-10-03 | 生活
釣べ落としの秋の競争曲 2016-10-02 | 暦
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般

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by pfaelzerwein | 2016-10-31 16:54 | INDEX | Trackback

スキーに向けての身体作り

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疲れた。19キロ歩いたからか?兎に角、帰宅した時は履いていたランニング用靴下のお蔭で足の裏が痛かったぐらいだ。それ以外はなんともなくて当然だった。天気も良くなり、汗も掻くことなく、五時間近く歩いただけなのだ。距離からすれば二時間も走るぐらいでそれほどの疲れとはならないことは想像できる。それに運動の激しさが違い過ぎる。歩くにしても九月には重い荷物をもって何時間も歩いている。なるほど距離はそれほどは無かったのだが、高度差が違い過ぎる。今回は精々250mほどで九月は1100m以上の標高差だ。それならばなぜ疲れたか?

風呂に入って、胸から上腕までの筋肉が燃え出した。そして床に入るとインフルエンザの高熱のように熱をもちだした。このような感じは最後には何時味わっただろうか?正直、なにがなんだかわからなかった。夏時間が元に戻って一時間余計に眠れた筈だが、朝起きれなかった。どうしたことか?

それでもパンを取りにも行きたいので頑張って出かける。靴下だけは足の裏にひりひり感があるのでランニングの厚めのものを履いた。流石に前日に使ったものは底が固くなっていた。パン屋にはいつもの日曜日とは比較にならないほど沢山の男どもが並んでいる。一時間の違いがこれほど人の生活を変えるのか?自分自身は身体が全く冴えない。

それでも駐車場に行くと久方ぶりの晴天の割には車の数がそれほど多くは無い。外気温が摂氏5度しかないからか?そして柔軟体操を始める、そして筋肉に熱を感じだしたころには少しずつ生気が出てきた。柔軟体操は有難い。そして走り出しながら考えた。どうせ記録更新は不可能だ。身体の芯がしゃっきりとしない。そこで気がついた。前日の行程の四分の一から三分の一ぐらいが塗装道路だったことが思い浮かんだ。それならば疑問が解けるのだ。腰と背骨の合わせの辺りが痛い。通常の運動ではあまり感じたことがない部分である。

強化不足が部位によって現れてきたかと思ったが全く違うようだ。要するにショックアブソーバーのバネが壊れている車輌で走り続けているようなものなのだ。身体に害があって得るものは無いと思う。改めて、森林ランニングを提唱したい気持ちになる。恐らく塗装道路で走っていれば健康を害しても、健康的ではないと確信する。身体を痛めるだけだ。

予想通り峠まで21分を要した。来週からは日曜日にはこのコースは走らなくなる。パン屋は来年の夏時間まで日曜日閉店となるからだ。だから更なる記録を樹立したかったが、これからは平日の午後ぐらいが最も有利になるだろう。

一日ゆっくりと歩いて期待したのは左膝が少しでも調子よくならないかという事だった。もう一つ違和感が消えないからだ。使って解すしかないと思う。中に出来ている傷が擦れるのだと思う。来年一月二月のスキーツアーの計画が決まった。それまでに膝を完治させないといけない。なぜか最近は体重が安定している。食事や水気の接収量と排出量が少なくなっているからだろうか。通常は数キログラム内の変動が平常なのだ、がここ暫くは72㎏の前後100g内に安定してしまっている。まさか摂取排出量が200gということはあり得ない。不思議で堪らない。

目標は定まったので、その前に一度滑ってみて膝の調子を判断しないと大変なことになる。もう二度と今年のような事は御免である。肩がリハビリできたので次は膝である。



参照:
痛めた左足で苦行の大滑降 2016-02-24 | アウトドーア・環境
靴を雪上で徹底テストする 2013-07-22 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2016-10-30 21:08 | アウトドーア・環境 | Trackback

見た目よりも本当の実力

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日本の女流登山家田部井女史の逝去は新聞にもしっかり記事として載っていた。間違いなく日本の登山界やクライミング界まで全てを入れて、最も世界的に高名な登山家だったことは間違いない。それに続くのは槇有恒ぐらいだろうか。その他の有名登山家も名前が浮かぶのは今井通子や植村直己など極少数であろう。それぐらいに田部井淳子は別格であり、恐らく今後も歴史的に名前が残ると思われる。

そして調べるとてっきり授与されているものと感じていた日本の国民栄誉賞も貰っていない。もし彼女が貰っていないとすれば三浦雄一郎などを含めてアウトドーアの関連で賞与するに値する者などいる筈がない。正直個人的な感覚からすれば登山技術的に感心することを為したわけでもないので、その活動には詳しくないが、その実績は比較しようがないほど歴史的である。

フランクフルターアルゲマイネ新聞には七月に富士山を目指したが登頂を断念したとある。大分体調が悪化していたのだろうが、あれほどの活動をしてきたご本人にとってはどのような気持ちだったろうかと思い巡らす。

どうもまたまた記録樹立のようだ。短いコースでスピードコースと称している下りがあるものだ。今までの記録が15分30秒だったが、14分49秒で片付けてしまった。残念ながら高速直線からカーヴのところで減速して時速10kmを割ったが、その他の林道部分では短い加速区間を除いて達成していた。気温摂氏5.5度だった。

準備体操をしていると二人のお母さんがタイツ姿で峠コースに向かって行った。後姿を見ているとスポーティーからは程遠いが、注目している美人のおばさんなどと比べると若く、まだ40歳台かも知れない。なるほど足取りは体つきの割にはちょこちょこと軽い。身体を熟して、走りだそうとすると、砂利を蹴るような音が上部から聞こえてきた。小さな方が「ゆっくり行こうよ」と言っていたので、こちらが森の中を上がりそして林道を下りに掛かるころに出合うだろうと思って走り始めた。二分以上は経過していた筈だ。

目標もあってテムポも早く蹴りも強めだ。最初に胸が厳しくなるところからも歩みを緩めなかった。そして下りである。計測では7分と充分な早さだった。下りも直ぐに加速態勢を取り、そしておばさんたちと出合う筈の林道に入った。上部にも人影はない。そして加速する。時速10kmを超えてからも人影がないのである。これはおかしいと思いながらさらに飛ばしカーヴで減速して走り抜く。おばさんたちの車は停まったままだ。どうも私が六七分で通過する脇道に入って下りていくのが人気らしい。なるほどその道は長く緩やかに下の谷間へ下っている。

失くさないうちに宝物の写真を掲載しておこう。サレワ製のプルージック補助金具だ。アルミで重量は殆ど無く、扱いやすい。そしてこれに代わる製品はまだ出ていない貴重品である。再度製品化をして貰うようにしたいと考える。アルミであるから何時かは首も千切れるかもしれないが、そもそもそれほど負荷が掛かるものでもなくそれ程に危険性の高いものでもない。欧州で登山活動をするようになってから懸垂下降時のプルージックが必然となり、改めて重宝し出したのである。それまではこれほどの必携だとは思わなかた。



参照:
ヒューマニズムの挑戦 2006-05-29 | アウトドーア・環境
秘密結社フライマウワーに肖る 2010-09-04 | 雑感
パイプを燻らすパイオニアー 2010-10-04 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-10-28 23:16 | | Trackback

一月前に発注した部品

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一月ほど前に発注した部品が届いた。メーカーの対応に殆ど呆れて諦めていたが、それはそれなりに嬉しい。これを愛用しているのも電子レンジ代わりに小さな蒸し器として使っていいるからだ。意外に対抗商品が無い。だから設計上の問題とは考えても拘りたかったのだ。しかし送料に10ユーロ徴収するとHPにはあって、製品代が2ユーロしないのに割が合わないと思っていた。

届いた商品は欠陥を修正してあるようには見えない。但し送料は4ユーロで、価値税を含めて7ユーロ以下で入手出来た。これもとても嬉しい。送料が高くても部品が欲しいというお客さんを無視するようではメーカーとして終わりは近いと思ったが、これで再び気分よくこの茹で卵器を使える。

今後は、使い方の問題も分かったので、その点には注意して扱いたいと思っている。つまり卵などの重めのものをこれで持ち運ぶときには必ず支えるとか、特にソーセージ類の場合はこれを使わずに中のトレーで持ち運びするなどに気を付けるということだ。それでもプラスティックの加水分解は避けようがないので、二三年はもってくれたらよいと思う。

それにしてもここまで時間を掛けたのはああした中小企業ではエンドユーザー対応の部署と部品などの部署との連絡が上手くいっていないのだろうと思う。更にそのそも小口で発送する部署となると、恐らく普段はその辺りで倉庫番などをしているおばさんなどが、倉庫の片隅にある机に戻るのが面倒で、更に伝票まで準備するとなるとデーターバンクが上手く入力できないとかの様子がまるで見えるようだ。

勢いでLINUXPCの掃除を始めた。システムスペースが満杯になっていて、手動でスペースを空けていくしかないのである。だから夏の間は放っておいた。そしてラズペーリパイ仕事の勢いで着手した。なかなか上手く推移して、一時は上手く作動しなかった古いフラットスキャナーで高品質の画像が製作できて大満足だった。しかし様々な削減策の実行も追い付かず、案の定ついにスペース100%を迎えた。いよいよコツコツと消去していくしかなくなった。

恐ろしいことに余裕が30kバイトから7バイトほどまで縮小したのには驚いた。勿論残り二ケタ台となると通常のログインは出来ず、なんとかコマンドの窓だけを開いて、TMPなどから消していった。最初に消去した時は1%の余裕つまり170Mほどのスペースが出来て一安心したが、その後にSUSEのプログラムで片っ端から消去していくとまた100%に増えているのだ。その後も同様の繰り返しだった。そして最後には消せるものの種も尽いて、何とかログファイルを消去することで100M超えのスペ-スが出来た。

残された可能性はSUSEのプログラムの問題点を探して、消去していく中で、機能を少なくしてもプログラムのスペースを広げていくしかないと思っている。自動的にアップデートしていたのでこのように成ることは分かっていたのだが、明らかにこうした使い方は決してLINUX向きではないと認識した次第だ。



参照:
サフランライス、主夫の喜び 2014-09-04 | 料理
付加価値期待の卵茹で器 2014-06-30 | 料理
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by pfaelzerwein | 2016-10-28 21:01 | 生活 | Trackback

経験のトロイの馬

先日の消去したトロイの馬の感染経路が分かった。再度試していないが、先ずはSDカードフォーメーションソフトに違いない。それをインストールしようと思っても出来ずに強制終了することになったからだ。それから調子が悪くなった。大したトロイでは無かったようだが要注意である。PCだけのことならば慎重になるのだが、ラズベリーの準備で軽率にリンクを信用してしまった。

ラズベリーパイの次のお題はSAMBAサーヴァーのインストールと運用であった。つまり、PCなどとは直接コンタクト出来なかったものをSAMBAで接続するものだ。これも読み込みは比較的容易だったが設定などは若干時間を要した。それでも先日のVNCよりも見通しが良いのはLINUXのお蔭かも知れない。但しNASの運用まではまだ行かない。

こうなれば試しにラズベリーからPCにある音楽ファイルを読み込んでクロームブラウザで再生して、クロームキャストを試してみる。クロームキャスト自体はプラグインをインストールするだけで全くPCと同等に可能になった。YOUTUBEを再生すると問題なく再生できた。そして48kHzのWAVの再生も全く問題はなかったが、やはりVIDEOは駄目である。つまりネットからの再生とLANからの再生では条件が異なるということになる。しかしこれで生中継の画像ストーリミングの場合はPCを使わなくてもこれでも視聴可能となる。九月のようにラディオと並行の場合はラズベリーで音楽も楽しみながら、一方PCでは録音が可能となる。但し、クロームキャストではアップサムプリング出力は不可なので音質自体は通常程度になる。

このラズベリー導入でなによりも嬉しいのはLINUXに親しみ易くなったことである。つまり今まではウィンドーズと同じように使うことが目的だったのだが、そもそもこのガジェットには特定の機能しか期待しない。だからLINUXの一番良いところだけを使って扱えることになる。要らないプログラムを排して骨と皮のプログラムをインストールするだけなのでコマンドを与えるにしてもその必要最小限のものだけを扱うことになる。だからLINUXが凄く分かり易くなる。見通しが良くなる。

これで懸案の満杯になったLINUX機の清掃を始めてみる気持ちになった。不要なものを消去していける気持ちになった。それでも現時点でラズベリーのROOTは5Gで20%占有になっている。BOOTも20Mで31%占有である。RUN2%、MEDIASetting2%である。

沢沿い往復記録23分5秒が出た。あと五秒で22分台に突入だ。4キロ切れるのだから20分台が最終目標である。出だしはそれほど臍走りが出来なかったが、スピードを落とすことなく、つまり時速10kmを維持して五分ほど走れた。緩い右カーヴがあってそこで減速してしまったが、その後の上り勾配を9km台で走り抜けた。今後可能なのは最初の減速までの距離を延ばすことである。そして折り返しのあとも粘って、加速して時速10kmへと至るが、一分ほどしかキープ出来なかった。これももう少し長く出来るだろう。

その後の上りは流石に厳しかったが、車とすれ違うことが無ければもう少しスピードをコンスタントに保てた筈だ。五秒は損をした。いつもの犬を連れた広告屋の親仁に擦れ違うところで、苦しそうに走っていると、「そんなにひどいことはそんなにないぜ」と声を掛けられた。心拍数は170を超えていた筈だ。御尤も。それでも記録への感触は最初からあったのだ。兎に角、クーパー走の12分で2KMを超える走りを常習化させたい。つまり平均時速10kmで、自身の感覚からするとその辺りの速度がジョギングからランニングへの境界域だと思う。



参照:
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
実験に値するのか大洪水 2015-06-25 | 生活
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by pfaelzerwein | 2016-10-26 22:39 | 雑感 | Trackback

一様に誤解なく伝わる芸術

承前)一寸安心していると風邪を引きそうになる。特に食事が足りなく寒々したところで仕事をしていると頭が痛くなってきて駄目だ。気温があまり下がっていない時が注意。

日曜日は午後に陽が二三時間出た。幾らか温かみがあるので、暖房の無いリヴィングでLPを鳴らすことが出来た。お勉強中の「マクベス夫人」の第二面から第四面までを聞けた。第一幕三場への間奏曲から第二幕四場と第三幕五場である ― 改訂版のこの通し番号の意味合いは?。

パン屋への早朝のラディオでニコライ・ゲッタ歌唱のバッハのオラトリオが流れていて、あの当時はこういう人が西ドイツでも重宝されていたのだなと感じた。ここでは夫人と情事を持つセルゲイの声が聴ける。

譜面を見乍ら音を流しているが、それとは異なる可成り短縮されたところが演奏されていた。確かめてみるとロシアのサイトからDLしたのは歌劇「カテリーナ イズマイローヴァ」に改定されているものだ。なるほど、強姦のところが短縮され、その他も激しいところが切り取られている。

しかしここで演奏されている音楽は昔感じていたようなものではなくて、例えば交響曲四番などと比較も可能だが、寧ろ抒情的で分かりやすく明晰な音響である。自分自身正直驚いている。調べると1934年初演なので、当時の作品群と比較するとなるほどシャープなところもあるが、ヒンデミットやブリテンなどと比べて抒情的な直截的な美しさに溢れている。

なるほど交響曲四番的な音楽は修正されるに充分な美学的な根拠があったのは追体験できる。その点に関しては作曲家も鉾を収めるに吝かではなかったのではなかろうか。モーツァルトをこよなく愛する独裁者スターリンに至っては到底受け入れられなかったであろうが、我々が興味あるのはそこではなく作曲家の創作態度である。

今ここで初演版世界初録音盤を途中まで聞いた。楽譜には明晰な音符が書かれていて、おいしいところが何事も無く演奏されている。初演のようなものだからそこまでの表現には至らなかったのは理解できるのだが、プロデューサーの突っ込みどころ満載の録音である。当代最高の大チェリストとして精緻乍ら大ホールをも唸らす演奏をしていた指揮者ロストロポーヴィッチの演奏は、なるほどそのチェロも粒の揃った音色で新素材の弓を使っているようにまるで凝縮され磨きをかけられたようなものだったが、同じように指揮者としても二十世紀後半の特徴である綺麗な放物線を描こうとしているためなのか肝心の音楽が響かない。更に自分で演奏するのとは違って、指揮のテクニック上の問題か、音にするのが精一杯といった感じで、特にテムポのメリハリなどその演奏の精妙さまでは、健闘しているロンドンのフィルハーモニーからも引き出されていない。タイトルロールを歌う奥さんのヴィシネススカヤの歌もその領域を出ないのは、ラフマニノフなどよりショスターコヴィッチの音楽に共感を持てないということだろうか。

譜面にはもっともっと沢山の楽想が詰まっているのだが、逆に言うとそれが私にでも読み込めるほどに単純明快な創作がここに為されていて、これこそが社会主義リアリズムだなと再び納得させられるのである。要するに誰にでも誤解なく伝わる芸術音楽ということになる。(続く)



参照:
六十禁が必要な場合とは? 2011-11-05 | 文化一般
瞳孔を開いて行間を読む 2006-10-22 | 音
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by pfaelzerwein | 2016-10-25 23:16 | | Trackback

未来へのルーティン

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土曜は、早朝に買い物を済ませ、午前も午後もPC周りを弄っていた。課題であるラズベリ―パイ3の運用である。次に遣りたかったことは、キャスティングである。具体的には、ラズベリーパイをリモートコントロールすることはVNCがインストールされていたので初日に済ませた、それとは反対方向つまりPCをリモートコントロールすることである。手っ取り早く、やはりVNCを使うことにしたが、PCではヴューワーは使っていてもサーヴァーの方はインストールしていなかった。理由はハッカーに備える安全性を優先させていたからである。それでも常時使う訳ではないのである程度の制御可能かと考えた。

先ずはレアルVNCと称するソフトをダウンロードするがインストール出来ない。先日もフォーメーションソフトがインストール不可だった。また先日からPCの動きが悪く、何かおかしいと思っていたので、復帰プログラムを使ってPCを十日前ほどに戻す。この間沢山のソフトを試してみたからである。結局埒が明かないので午前中二時間ほどかけてデフェンダーを回す ― 結局二巡目も回しもう一つを消去、翌日三巡目はフリー。お目当てのトロ―ジャンを一つ見つけて、消去したので期待したが、PCの動きは良くなったが、インストール不可なのは変わらない。そこでウルトラVNCと称するより大きなものをインストールする。サーヴァー機能などが充実していて、レアルともコンバーティブルである。

案の定、一度はログインしたが、セキュリティーやパスワードを調整しているうちに入れなくなった。それもパイの方をサーヴァーに前日に完了したリモート操作によって、今度はそのパイの中のヴューアーから、自分の操作しているPCをリモート操作するという「往って返っての操作」が成功したことになる。そこからが前回同様に試行錯誤の設定調整に時間が掛かった。

そして、両方向からリモコン操作が出来るということは、写される画像が鏡の中の鏡になるということに気がついたのである。勿論このルーティンを永遠にコマンドするだけの勇気は無い。そもそもどこまでそのループが続いて、物理的にどこかに限界があるのかどうかも想像がつかない世界である。通常のエレクトロニクスものならば何かが焼け切れる筈だが、この場合どこに負担が掛かってくるのかも正直分からない。兎に角写真を撮る。写真だけでも恐ろしい。

兎に角、これでノートブックを移動させることなく、ラズベリ―パイ3を付けたHDMIモニターのクローンの画面で操作可能となり、ノートブックでと同じように仕事が出来る。但し動画だけはかくかくとして使いものにはならない。ネット素材ならば直接ブラウザでストリーミングすればよい。冬の陽射しの強いときなどはその中で暫し仕事をする目的はこれで完全に熟せる。この先はそこからの直接のNASの利用とか、クロームキャストの可能性などを試してみればよいが、それほど重要ではない。其処を遊びでパイを持ち運ぶとき以外の冬場の常設とするので、電源をスイッチ付きのタップに取って置く。

ガジェットとが、ドングルとか呼ばれる製品は多いが、この製品は名前の通りマイクロコムピューターで、価格も少し上回るが、可能性はとても大きい。LINUXを知らなくても、もう一つのPCやアップルやタブレット等代わりに、これを使うことが出来る。そのためにもお洒落なケースに入れて購入してもまだまだ四分の一ほどの価格である。そして英国製となれば、とてもお値打ち品である。21世紀は20世紀よりも素晴らしいと思わせる製品である。



参照:
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
篭り部屋での最初の夜 2016-10-15 | 生活
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by pfaelzerwein | 2016-10-24 17:46 | テクニック | Trackback

自己記録のゴールドラッシュ

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やった、またまた自己新記録樹立だ。先週は山登りコースだったので、二週間ぶりの峠攻めであった。気温摂氏6度だが、深い霧で湿っていて、決して有利ではなかった。人気もあまりないが、八時を過ぎている。五時前に目が覚めてうとうとしていたので体調は悪くはない。念のために心拍計を着けて体調をコントロールする。準備体操で筋が伸びる感じが分かり、其々の動きに慣れてきた感がある。パンツを脱ぎ棄て、思い切ってフリースも脱ぎ捨てる。湿り気に鬱陶しさを感じたからだ。

さて出発、いつものように最初の二三十メートルは腕に力が入るが、直ぐに臍を意識して体幹走りに徹する。最初の右カーヴで心拍計は鳴るのだが、息がとてもし易く、幾らでも加速可能な状態だ。以前そこを親爺と並んで話しながら走っていた例の走力のある奥さんのことを思い浮かべる。自分も出来るではないか。坂が始まっても好調だ。出鼻から若干便意があったのだが、意欲を挫かれてもいけないと思って、何を差し置いても出掛けたのだが、丁度下腹などに意識が行くので決して悪いだけではなさそうだなどと考えるが、不安もある。このことでいつも思い出すのがマラソン選手のショーターが日本の大会中にそこいらの河原にかがみに行っても断トツ優勝したことだ。今ならば薬を肛門から入れないかなどとそこまで監視しないといけないだろう。

最初の左カーヴで坂を終えても快調で足が面白いように動き、心拍数の警告に拘わらず余力がある。こんなことは初めてで、これは久しぶりの20分割りは堅いと思った。その後も心拍数に拘わらず快調な足取りで、頂上が近づいたところでジープに抜かれる。如何に、峠を越えてからも心拍数を保ちながら、下りで加速出来るかだけを考える。峠で誤って時計のストップのスイッチを押したが、再びスタートに入れて下りに専念する。以前ならば足元がふらふらして減速するところを加速に切り替える。足元も視界も悪いながら快調である。その分足を引っかけないように慎重に走るが、躓くことなく最後の下りの左カーヴ手前まで来た。前回も下りは早かったので、そこまで早いかどうかは自信がなかったが、心拍数を下げていない自信だけは充分にあった。警告が鳴るが持続を第一に歩を緩めない。記録を見ると案の定最後の十分弱のスパートで最初の十分間と同じように心拍数170を超えていた。年齢からすると高過ぎるのだが、全く不愉快ではなかったのだ。その体調によって感じが違う。

上りは残念ながら18分台には及ばず19分25秒でまずまず、下りて来て31分18秒は四週間前の自己記録を一分半以上短縮している ― 記録を見ると昨年12月に31分台を出していたので、それは記録で無かったことになる。愈々念願の30分割れが現実的になって来た。そもそも体幹の意識はクライミングでの必要性から来たのだが、こうして走り方とその使い方が分かってくるとスキーの滑降も全く同じだと気がつく。それどころか今水泳を練習すれば結構上手くなるのではないかと思う。

体重を量ると驚くことに増加傾向にあって72㎏を超える。下腹や脇などから足の付け根辺りに筋肉がついてきている可能性がある。同時に上体の胸元は締ってきているが、寧ろボリューム感が増しているので、想像するような長距離ランナーの体とはまた異なる方向に動いているようだ。そして意外にいいのが、平素の姿勢が良くなるだけでなく、身の動きに切れが出来てくることである。これは予想していなかったおまけなのだが、とても価値がありそうだ。柔軟体操に加えて身の動きが快活になると可成りライフスタイルに影響して来る。そしてとても健康的に他ならない。

本日は駐車場に続く道での視界が効かなかったのでランニングなどの人たちを見落とし易かった、先日丁度同じところぐらいでシカが道を横切った。危ないところだった。バムビは林道で頻繁に見かけるが、シカは久しぶりだった。やはり奴らはバムビに比較すると半分馬鹿だと思った。



参照:
新フォームで記録に挑戦 2015-12-17 | 生活
スピードランニングの道 2016-10-17 | アウトドーア・環境
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by pfaelzerwein | 2016-10-23 19:36 | アウトドーア・環境 | Trackback

消滅したエポックの継承

ミュンヘンのオペラ劇場の来年の日本公演に関してのアクセスがあった。九月に発表になっていたようだ。演目が二つ並んでいて細かな日程は書かれていない。何よりも驚いたのはまだ制作されていない「タンホイザー」があることだ。どのような経過で決定したのかは知らないが、演奏されるのはドレスデン版とパリ版を混合した指揮者の要請による版らしい。正直初期のヴァークナーの創作には全く関心がないので分からない。日本公演では小編成にしてエキストラを入れるのだろうか?キリル・ペトレンコ指揮でかなり早いテムポで進むことは予想される。

前回の2011年10月の公演は、四分の一のメンバーが日本旅行を拒否したことで話題になっていた。そのことをネットで見て思い出した。「二度と来てもらいたくない」と言うのもあり、こちらからすれば当然の判断であったので完全に忘れていたが、やられた方は覚えているのかもしれない。今でも自分自身は不要不急の関東圏への旅行は見合わせた方が良いと考えているが、場所を選び食事などに注意することで、決して引き留めはしない。ヨーナス・カウフマンに代わって「ローエングリーン」を歌ったのは先日恐らくガンで死亡したヨハン・ボータだったのも初めて知った。管弦楽団もエキストラが多かったということでケント指揮の評判もあまり良くなかったようだ ― そもそもヴァークナーの演奏解釈は嘆かわしい。

それにしても成功するかどうかも分からない制作を態々東京まで運んでいくのは余程のことである。その前に六回だけ演奏しているが、11月ということは10月にも12月にも再演しないということなのだろうか。それならばその期間こちらでは何があるのだろうか?最も気になるところである。

バイロイト音楽祭での2014年7月30日の「ジークフリート」を繰り返し聞いている。よくもここまでうまく嵌まったなと思う。今後もこれだけの音楽は体験出来ないだろう。指揮者自身もこれだけ荒れた演奏は、今後は条件が揃い過ぎるので、難しくなるに違いない。演奏上の傷も少なくないのだが、何度繰り返しても心臓に堪える。荒れた音質や音響がここぞというときに決まっているのである。2015年になれば綺麗に整えられてしまっている面と、ここまでの集中力が無く、寧ろ粗が目立ったのは事実である。この日の演奏は、こうして録音を繰り返し聞いてみても、歴史的なヴァークナー演奏で、キリル・ペトレンコ指揮のエポック的な演奏だったと記録されよう。よって、バイエルンでは半神になったと言われたのである。兎に角、10分おきぐらいに胸がパクパクしてしまう ― 決して当日の注意書きのように劇の中での「カラシコフの銃声」が心臓に堪えるのではないのだ。しかし恐らくそのエピソードが、舞台にも奈落にも同じように前後だけでなくて全体に亘って影響を与えていたと想像する。

ドナウエッシンゲン音楽祭に関して、「スイスのベックメサー」ことニフラー氏が批評記事を書いている。やはり、合弁後初の管弦楽団には昨年までの冴えは無かったようで、どぎまぎしている楽員も混じっていて、如何せんシュトッツガルトの放送交響楽団の凡庸さを示したようだ。先数年はなかなか落ち着かないという予想をしている。特徴を持たない管弦楽団はまた何時何時消滅するかもどうかも分からない。先日購入した、ミヒャエル・ギーレン指揮の消滅したフライブルク・バーデンバーデンの交響楽団が演奏したCDを流している。やはり通常の管弦楽団作品では聞き劣りしてしまう。なるほど後任のカンブルラン指揮のCDは立派に響いているが、そのような感じでは存在価値があまりなかったということだろう。初演リストからしても歴史的に20世紀後半を代表する管弦楽団となることは間違いないのだが、21世紀に入って消滅してしまって、そうした音楽文化が継承されないというのもそのエポックを表しているのかもしれない。



参照:
溶解したアンナのドタキャン 2011-06-04 | 女
放射性塵で胸一杯! 2011-11-13 | マスメディア批評
情報の隠蔽も未必の故意 2011-07-01 | マスメディア批評
つまらない音楽家たち 2016-07-01 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2016-10-22 23:59 | 文化一般 | Trackback