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音楽後進国ドイツの野暮天ぶり

久しぶりに8キロコースを走った。バーデンバーデンへのお誘いもあったのだが、暑さと湿気があるのでそれは次回に譲り、長目に走ることにした。目標は一時間だが、どんなにゆっくり走っても1時間は掛からない。勿論谷登りを歩けばそれぐらいかかる。昨年6月以来の踏破であるが、全区間を走るのは二三年ぶりだろう。なにが億劫かというと一気に300メートル以上の高度差を登るので歩いていても息が切れる急坂なのだ ― プファルツの森の中で知っているところとしては一番きつく長い。だから山登りコースよりもずっとスピードを落としていても上に着くまで息がつけない。

沢沿いをゆっくりと走り、余力を残して谷に入る ― 丁度そこの泉に立ち寄るバムビの親子が見えた。まだまだ小さな子を二匹ほど確認した。木陰の陽射しが背中から射して、思ったよりも涼しくない。リズムを崩さないようにした。流石に沢を詰めるあたりの急坂は足が前に出ないが、今までの中では一番真面な足取りを踏めた。20分ほどで坂を上り終えたので結構早かった。

週末は金曜日から三日続けて走ったことになる。総計して18㎞ほどなので大したことはないが、夏場に集中して汗を掻いたのは良かった。七月は休みがちだったので何とか帳尻を合わせられた。お陰で夜中も目が覚めずに眠れた。

先日購入したCDを大体流した。シュピ-ゲル誌の特選集盤は演奏時間が短い感じがしたが、しかし調べてみると70分超えどころか、「冬の旅」などは78分を超えていた。最近は三時間以上のオペラなどをファイルで流しているので、CDでさえ細切れな感じがするのだろうか。

モーツァルトの一枚は、演奏会の合間のプローベとして録音されているのかどうかは分からないが、アバドが音楽監督になって、先ほど亡くなったクスマウルがコンサートマイスターとして呼ばれた直後の時期の雰囲気が良く出ている。カラヤンサウンドを壊すばかりにアンサムブルも荒い印象が強く、思いのほか暴力的なモーツァルト演奏である。アバド指揮の録音も持っていて、今回初めてCDで購入したヴィヴァルディの「四季」がまた面白い。

ターフェルムジークと称する団体の演奏だが、ここまで和声の線が楽しめると如何にヴェネツィア楽派が洗練されていて、北方のバッハらの辺境の音楽家達が、そこから「モダーン」を学んだのかがよく分かる。練習曲のような、インヴェンションというのが正しいのかもしれないが、その颯爽としたテーマは、現在でもヴァネッサ・メイなどがビキニ姿でポップスとして弾いても、格好の良い楽想になっている。これまた如何にも売れる名前のイムジチ合奏団などの演奏では到底気が付かなかった精妙さは、まさしくバッハらが胸をときめかしたであろう音楽となっている。それはYOUTUBEでこの半世紀間のその演奏実践の趣味を比較すると明らかで、イムジチとメイが一番似ていて ― 要するにアレンジャーたちには世界的メガヒットのイムジチの演奏に肖ろうという気持ちがあったに違いない ―、如何にも戦後の経済成長期といった塩梅だ。上のCD制作録音は、1990年代初めの録音だが、当時の最先端で、テオべのアタックがガツンと効いていて、古楽器の美しい和弦が楽しめる。

二十世紀後半には「四季」はそのように通俗名曲になってしまったが、こうして改めて聞くと「名曲」に違いないと思った。但し9枚組のビヨンディ指揮のCDを購入しても曲ごとに意識して楽しめるかどうかはあまり自信がない。それにしても音楽後進国ドイツではそれから半世紀ほどしても通奏低音のごつごつした器楽を奏でていたことを考えると、その野暮天ぶりの原因はルター派のミサをはじめとする生活文化としか考えられない。



参照:
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2017-07-31 21:22 | 雑感 | Trackback

索引 2017年7月


寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | 雑感
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活 TB0,COM2
「笛を吹けども踊らず」 2017-07-29 | 文化一般 TB0,COM2
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
意地悪ラビと間抜けドイツ人 2017-07-27 | 文化一般
大工仕事が得意な素人 2017-07-26 | 生活
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-26 | 生活
楽劇「指輪」四部作の座席 2017-07-24 | 雑感
鑑定士による査定の程 2017-07-23 | 雑感
一寸だけ危そうな場所 2017-07-22 | アウトドーア・環境
普遍的なネットでの響き 2017-07-21 | 音
スパゲティソーメンを食す 2017-07-20 | 生活
ドイツ製掃除機の吸い込み口 2017-07-19 | テクニック TB0,COM4
素材にも拘る男着 2017-07-18 | 雑感
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
コーディロイの袖を通す 2017-07-16 | 文化一般
GPS分析に見る登頂から下山 2017-07-15 | アウトドーア・環境
秋から冬に備える今日この頃 2017-07-14 | アウトドーア・環境
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
新車に乗り移れない理由 2017-07-12 | テクニック
こぢんまりとした山小屋 2017-07-11 | 生活
延々と続く乳房祭り 2017-07-10 | 文化一般
恋する人は恐れを知り 2017-07-09 | アウトドーア・環境
ナイロン編みロープの末端処理 2017-07-08 | テクニック
現地天気予報をみながら 2017-07-07 | アウトドーア・環境
アウトバーンでの救急車両 2017-07-06 | 雑感
上半期に買って良かったもの! 2017-07-05 | 生活 TB0,COM2
荷物量や食事量を考える 2017-07-04 | アウトドーア・環境
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
ダートウィンを調整する 2017-07-02 | アウトドーア・環境
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般

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by pfaelzerwein | 2017-07-31 14:55 | INDEX | Trackback

寛容の海を泳ぐ人々

朝一番で銀行に行くと、中に自転車が荷物をつけて置いてあった。最もモダーンなライフスタイルの野宿おばさんである。自動引き下しのところに行くとガサガサ音を立てて寝返っていたようだが、見ないようにしておいた。

その後いつものようにパン屋に向かい、森に向かった。久しぶりの峠攻めである。前回はアルプスから帰宅後、パン屋が夏休みに入る前の7月9日だった。高度順応はかなっていても踵の皮が捲れていて、上りに23分以上かかっていた。今回は気温17度ぐらいで比較的涼しくて21分ほどで上がった。徐々に走れるようになって来ている。二日続けて走った。

気になっていたのは車の燃料で、銀行に行く前は燃料計が一度下がっていて、スタンドに向かおうかと思ったが、また上がったのだった。そして予備燃料を示しているということで残り1リットルになったらうスタンドに駆け込もうと思っていると、見る見るうちにその値になった。仕方がないが回り道してスタンドによって20リットル入れる。すると25リットルを指している。兎に角これぐらいの余裕をもってこれからは走りたい。帰りに地元に戻るとそこのスタンドの方が安かった。態々遠回りする意味はなかったのだ。

特段言及するつもりはなかった。それでも車の南西ドイツ放送局文化派SWR2ラディオは、とってはかえで異なる人が、木曜日のザルツブルクの「ティートュスの寛容」を絶賛する。なるほどピーター・セラーズの演出は面白そうだが、なんといっても局の楽団の次期音楽監督テオドール・クレンツィス指揮の音楽もセンセーショナルと感動して語る。即座におかしいと思った。更に南ドイツ新聞の援護射撃まで紹介するとなると異常事態である。

その指揮者に関しては、キリル・ペトレンコの指揮技術に関する記事で比較対象として挙げられていた。だからどのような音楽をするのかは想像が付いている。そしてこのザルツブルクデビューに関しても知っていた。但しあまり興味が無いので生放送は聞いていなかった ― 悪い音質で今も全曲が聞ける。新聞に評が出ていたので障りも聞いてみた。予想通りだった。

FAZに「このご時世の市場で既に多くのフォロワーを持っている」と書かれているように、要するに短絡に刺激を求める大衆人気を示しているようだ。モーツァルトの演奏実践に関していえば、嘗て脚光を浴びだしたアーノンクールの演奏をして顔をしかめたカール・ベーム博士を思い出す。それとは異なるのは、こちらは明らかに指揮者としてのプロフェッショナルであって、更に多くの聴衆を魅了する能力を持っているということだろう。半分は聴衆に対しても指揮をしているようなところを含めて、歴史に残らないであろう天才音楽家マゼールをも想起させる。

しかし同時に「ブレーキ、アクセルばかりを、モーツァルトをまるで鞭を入れ支配するかのように自身で制御する」ことで生じる「深淵も結局は荒っぽい印象を残す」演奏実践と書かれる。放送局にとっては二つの放送交響楽団の合併の汚名を払拭すべく、次期監督を持ち上げることで二倍以上の芸術的市場価値を獲得して、少なくとも経営的に成功させることは最低の条件であるだろう。とても強い圧力が掛かっているようだ。

そしてこの指揮者の演奏をこうして垣間見るととんでもないことになりそうな気がするのである。今回のモーツァルトのテムポ設定にしても一体どこに根拠をおいているのか、はたまたどのような楽譜校訂どころか読みをしているのかもほとんど分からない。まさか二流指揮者のように正しいテムポを保持できないとは思わないのだが、要するに信用するに足らないのである。丁度テュィターでメッセージ送り続けるどこかの大統領のようにである。肝心の動画は8月19日3SAT放送となっている。



参照:
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
ギアーチェンジの円滑さ 2016-03-04 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-07-30 18:37 | マスメディア批評 | Trackback

39.99ユーロという額

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パン屋の帰りに洗濯屋に寄った。開店が病院訪問で遅くなるということで後先逆になった。沢沿いを往復した後だ。26分以上掛かった。外気温は18度ぐらいで気持ちよかったが、二度寝の体調で仕方なかった。汗をポリタンの水で流して、再び洗濯屋に向かう。折角だから違う経路を通って、山を下りていく。先ずはパン屋の道へ入る上の通りを入っていく。予定では住宅街を通るうちに向こう側の道に出れると思っていたが、バートデュルクハイムで最も高級住宅街を過ぎ抜けるとそのまま向こう側の道に通じていた。知らなかった。流石に高級住宅街だが、広さ共にヴィラらしい家は殆んどなかったが、基本としては大企業のボーディングメムバーの自宅並みの住居が寄っている。見晴らしも良く道も上手く通じている。しかし対向車を待ってストップすることなく走れる道ではない。要するにVIPの警備上も問題のある道路事情である。

電動歯ブラシの替えブラシを買わなければいけなかった。フィリップスの古いタイプを使っているので、高価過ぎて、前々回はそれどころか二つ組の一つが壊れていた。最初は一つで10ユーロもしなかったのだが、今や充分に超えるため、ミニのを買ったりして自分を誤魔化していた。しかし最早一本10ユーロ越で三か月ぐらいしか使えない。もう駄目だと思った。そこで、代替の歯ブラシを探すとフィリップスのイージークリーンというのが40ユーロであった。これならば替えブラシ四個分以下で、それに対応する純正替えブラシが6ユーロぐらいで買える。つまり、ブラシ一つ7ユーロほど安くなる。同じように使えれば、年で28ユーロは安くなる。製品保証期間二年間使えれば資は十二分に取れる。

調べてみると実は経済性だけではなく、もしかすると問題の歯茎の炎症のために良いのではないかと思った。力を入れないでも綺麗に歯磨きが出来るとすれば、問題の多い物理的な圧力を避けることが出来て、一進一退の炎症の影響を好転させていけるのではないかと期待するのだ。但し大量消費品だけに製造コストを落としていて、接触不良などのトラブルも多いという。実際配達されて、ブラシを捻じ込んでみると上手く嵌まらない。本体とブラシの間に溝が開く。早速代替を送らせることにした。しかしその他の面は悪くはなさそうで、壊れなければ使い易そうだ。中華製ということで皆が不安に思う。

実はこの40ユーロという額は、アルプスに行く前に注文して違うサイズが届いたので送り返した靴下の38ユーロとほとんど変わらない。如何にその靴下が高価過ぎるかということである。素早く金を返さなかったのでアマゾンに直ぐに紛争処理を申し出た。その靴下を使っていたとしても靴ずれを防げたとは思わないが、こうして公にすべきと思ったほど出品業者の事務処理が悪かったので腹立たしい思いをした。明くる日には全額返済された。

洗濯屋で六月に下して初めて洗濯したシャツを回収した。冬にピンクのシャツを購入したお陰で回す色シャツに余裕が出来てとても嬉しい。これで長袖時期が来たならば一着を部屋着に下せる。寒くなると袖があるシャツが有り難い。

日曜日午前10時から、2008年7月バートキーシンゲンでの録音から、キリル・ペトレンコ指揮の放送交響楽団の演奏でトュリーナの曲などが放送される。二曲目はレーピン独奏のスペイン交響曲は既に聞いたが、もう一度聞いてみよう。後半は交響的舞踊が演奏されてYOUTUBEには出ているが高音質ではまだ聞いていない。但し、どうも保養地の雰囲気でざわざわした印象があってあまりよくない。




参照:
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
ネットでも価値ある買物 2008-11-05 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-07-29 19:42 | 生活 | Trackback

「笛を吹けども踊らず」

新聞に先日の2017年バイロイト音楽祭初日「マイスタージンガー」の評が載っている。終わりまで読んでおかしいなと思ったら、期待していたおばさんの評ではなかった。あれほど、ここだけでなく方々で叩いたので主幹から落ろされてしまったのだろうか。まあ、私と同じように、本当のことを語ってしまうと ― 音楽的に百点満点中五十点と生放送で言い放った ―、 批判対象である指揮者もパリのオペラ座の音楽監督をしているようだから、劇場との関係が悪くなるかもしれない。更にヴィーンのシムフォニカーの指揮者も務めているようなので驚かされる。

その年齢からするとチューリッヒぐらいで会っていることもあるかもしれないが、テムポの保持も難しそうな伴奏指揮者がなぜそこまで活躍しているのか一向に分からない。あまりにも劇場慣れし過ぎているという指摘もあり、実際にfazは三幕の五重唱を幾ら盛り上げようとしても歌手が付いてこなかったとある ― 笛を吹けども踊らずである。態々繰り返して聴き返してみることも無く大体の印象はその通りで、動かなかったのはそもそもリズムも悪くテムポが安定しないので、その設定にオーソリティーが無く、始めから歌手の目線などを見ていてもその結果は想像できた。Wikiを見てスイスロマンドとの繋がりが漸く分かった。あれは親父さんアルミン・ジョルダンだったようだ。「パルシファル」の廉価全曲録音などで名前は知れていた。今で言うところのナクソスムージシャンだ。なるほど。

今更バイロイトの音楽的水準に改めて触れる必要はないが、初日の日の新聞の文化欄全6面の4面はバイロイト特集だった。しかしそれ以上に面白い情報はその前日に載っていた。ヴィーラント・ヴァークナー記念公演に関する記事だった。そこでは、指揮者ヘンへェンが初めてベルクとヴェルディの作品を祝祭劇場で演奏したことなどよりも、カタリーナ―が従妹一人一人の名前を挙げて呼びかけたことがなによりも注目されたというのである。

その背景には、昨年末、ニケ・ヴァークナー博士が起こしていた現在の劇場貸与契約つまり執行体制への異議を、有限会社バイロイト音楽祭とバイロイト財団を相手取り、申し立てて破れたことがあり、それは決してカタリーナ体制の勝利を意味するのではなくて、ニケ・ヴァークナーが根拠とするヴァークナー家の既得権益が法的に限定されたことを意味するらしい。つまり、現在の体制を定めた根拠の中で資金を出し長く過半数の採決権を有しているバイエルン州と連邦政府の議決権が重要視されるということのようだ。

なるほど、だからニケが「もはやバイロイトには興味を失った」、「ヴァークナーばかり扱うのでは退屈だ」と言い出したのはこういう法的判断が背景があったことになる。そして初代音楽監督もカタリ-ナも昨年までのようにスキャンダルを起こしていたのではもはや務まらないということらしい。財政問題などはその一つであって、何か問題が起これば益々公の手が入って来るということなのだろう。おとなしくしていろと法的に鈴をつけられたことになる。

ある意味、バイロイト市をはじめとする当事者にとっては、ヴァークナー音楽祭はノイシュヴァンシュタイン城の様に観光収入源でもあり、その期間の世界中からの観光客を見逃す訳にはいかない。コスト対効果で安定した収入を上げていくことが肝心なのだろうと思う。音楽祭の規模も飽きられることが無いぐらいに適当に活気をつけて、いずれはシナからの大観光団も呼び寄せられるようなオープンエアーやパブリックヴューイングなどが成功するように整備されるのだろう。まあ、そこまでもやらないでもあのオバーフランケン地方としては充分な数の数寄者達が押し寄せて、弁護士や医師に代表されるような経済的にも余裕のある層が充分なお金を落としてくれればそれでよいのだ。

そもそも我々のような芸術云々や音楽美学とかなんだかんだとほざくような輩は金を落とさない。地元当事者の立場になって考えれば単純明快な答えである。芸術的な価値など腹の足しにもならないのである。漸く腑に落ちた。



参照:
意地悪ラビと間抜けドイツ人 2017-07-27 | 文化一般
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般
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by pfaelzerwein | 2017-07-28 18:56 | 文化一般 | Trackback

Simple is the best.

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RSSリーダーと称するものをいつも使っている。ライヴドアーのものが500件を超える登録先にも対応していてて重宝していたが、来月末でサーヴィス終了となるので、乗り換えの必要が生じた。これが何よりも便利なのは、トュイッターとか特別のSNSものに限らずWEBサイトの多くをお気に入りにしておけることである。以前から使っていたリストが膨大化する中で、終了に伴い紹介された同様のサーヴィスへの移行を試して見た。

大きなリスト規模ではINOREADERというのがよさそうである。しかし最初は更新順序で整理されるまで時間が掛かりそうで、二週間ほど回して見なければ使い勝手は分からない。少なくとの調整箇所は多いので、最初は使いこなせなくてもい基本動作さえしっかりしていれば大丈夫だろう。Freedyというのよりははるかに良さそうだ。同調したアンドロイドでも上手く使えそうだ。まだ一月あるので色々試して見よう。

発注したCDが届いた。それらを廻す前にいつものようにあまり記憶に残っていない同様の録音を流してみる。ヴィヴァルディのオペラ「バジャゼット」RV703でビヨンディ指揮のヴァージン制作である。トルコとティモール人との間の話しだが、モンゴル・ティモール側からの「タマレーノ」と呼ばれる作品も多いようだ。興味深いのはオペラにおけるナポリ派とヴェネツィア派の間で、ハッセが前者に含まれているとあったことだ。

考えてみればファリネリの先生であるポルポーリとドレスデン楽長の地位を争ったとされ間柄を考えれば同じナポリ派だと分かる。オペラ愛好家には常識的な事なのだろうが、モンテヴェルディやヘンデルを除けばバロックオペラを系統的に聞き出したのはこの二十年ほどなので、それもヴァルサイユ楽派からであるから、実感としてそれほどなかった ― そもそもバロックオペラを語らずにオペラ云々しても徒労でしかない。それでもCDの棚には年代毎に並べてあるので、ハッセの「クレオパトラ」の横に置いてあった。双方ともこの二年ぐらいの間に安売りで購入したものだ。それにしても独特のアクセント感やサウンドのビヨンディ指揮の演奏は、イタリア語の会話同様に喧しく落ち着かない感じが強い。

銀行に金を引き出しに行くと、自転車が停まっていてその横に見たことのあるピンクのスチューワーデスバックがあった。まさかと思ったが戻ってくると、例のいつも銀行で寝ている宿無しおばさんだった。いつの間にこれ程の所帯道具を自転車に乗せて動く機動性を身に着けたのだろう ― 私自身未だに自転車を買えずにいる。結構な自転車を見せられて、益々気になって来た。おばさんはこちらのことを気にかけているようなところがあり、つい挨拶してしまうが、何か態とおばさんがはぐらかしたところがあった ― 自慢気な自転車が恥ずかしかったのか。これで機動性があるので、いつか追いかけられるのではないかと一寸怖くなった ― そう言えば今年になってから私の車に興味を持っていたようだったが、まさか私と同じようなことは考えて、なにかライフスタイル的にお互いに影響しあっているとは思いたくないのだが。

それにしても我々が清貧などと幾ら格好をつけても、あのおばさんのシムプルな生活態度には到底及ばない。要らぬものを買わなければいけない消費生活からも逃れられない。そのつもりはなくても生活必要品として購入しなければいけない。少なくとも所帯道具はバックに入れて持ち歩けるような質量では全くない。



参照:
一足先に秋枯れの市場 2015-08-27 | 雑感
ヘンデルの収支決算 2005-03-20 | 歴史・時事
バロックオペラのジェンダー [ 音 ] / 2005-02-20
ヘテロセクシャルな胸声 2015-11-22 | 女
いつものフェードアウト 2014-10-09 | BLOG研究
RSSリーダーを新調する 2009-07-29 | BLOG研究
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by pfaelzerwein | 2017-07-27 19:12 | 雑感 | Trackback

意地悪ラビと間抜けドイツ人

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バイロイト祝祭「マイスタージンガー」初日を観た。NHKとの共同制作であるので、ドイツ国内でしかネット放送は観れなかったようだ。日本に住む人はNHKに苦情すべきもので、貴重な聴視料がこのようなところに浪費されている。しかし我々連邦共和国市民ももネット視聴料を強制的に徴収されていることも間違いない。

初日は、王のロージュに待ち構えたバイエルン放送協会のインタヴューアーがメルケル首相とスェーデン女王やバイエルン首相にコメントを取っていた。メルケルは、「個人で来るときは平土間で、招待はロージュ」ということだった。今回招待を受けた理由は、バイロイト音楽祭初のユダヤ人演出家で幕開けすることによるものだったろう。要するに問題の多いカタリーナ体制でこの首相に招待を受けさせる大きな口実だった。

オーストラリア出身の演出家バリー・コスキーはベルリンのコーミッシェオパーで仕事をしているようで、指揮者のスイス人と同じようにドイツ語をよく喋る ― このジョルダンと称するスイス人指揮者は全くの書き言葉ドイツ語を喋っているので名前通り完全にフランス系である。そしてとても意地悪な発言通り、とても人の悪い演出を繰り広げていた。流石に終演後は演出チームにブーイングが飛んでいたが、私なら一幕から徹底的に意思を示していただろう。こんなものに拍手するドイツ人はやはり自虐的で間抜けである。

コ―ミシェオパーの様子はキリル・ペトレンコ音楽監督時代のものを見ても、如何にも東独人民が喜びそうなソープオパーには違いなく、今回はそれに管弦楽も歌手も合唱も同じような体で合わせていたのには驚いた。バイロイトの管弦楽が良いという人もいるが、今回のそれを聞けば、とても一流どころの座付き管弦楽団とは比較にならない、その通りドイツのローカルな中都市のオペラ劇場の管弦楽団程度だとよく分かるだろう。これほどまでに下手な演奏は流石に残っている録音では聞いたことが無く、要するに我々が体験している音楽劇場というものがスーパーオパーであるということを示している。問題は、上演後の出口でのいつもの評論家の立ち話ではないが、ミュージカルとオペラの差ぐらいに似ても非なる通常のオペラ公演とスーパーオパーとを同じようなジャンルとして認知している素人のみならず専門家までが存在することであろう ― 珍しくFAZのおばさんが私と同じく批判的で、楽匠が「何を作曲したのかが重要である」と、まるで私の批判記事を読んでいるようだ。

それでも細かな台詞や演技指導などに職人的な腕を見せていて、BRクラシックもそこだけは評価している。例えば二幕のザックスのイライラでハンマーを叩いて次にはもう叩けない様子や台詞と演技の調和がとても取れていた。なるほどミュンヘンなどで、常連のおばさんらが「ペトレンコ指揮には台詞の精妙さは求められない」と話していた意味は、こうしたオペラ的な細やかさのところを指すのだと理解した。要するにその瞬間瞬間場面場面を繋げていくようなオペラ芸術の日常オペラとスーパーオペラの差異だろう。同じように、皆が「なにがニュンベルク裁判だ」と思いながらもユダヤ人演出家の前には強い異議も示すことが出来ない一方、ザックスが最後にニュルンベルク裁判の証言席で歌う場面はそれなりに説得力があった。

今回一番批判を受けていたのはエーファを歌った歌手であるが、あれならば外見までも批判された昨年ミュンヘン初日のそれの方が体格も声もあった。そして序曲からトレモロで体を上下に刻んだりする動作をエーファに最後までさせていたのには意味があるのだろうか? ― あれはコケットという動作ではない。まるでクェーカー教徒かアスペルガー症状の様にしか見えなかった。そのような意味不明の細かな演技指導も含めて、あまりに程度が悪いとしか思えなかった。要するにバイロイトの監督陣の知能程度以上の上演は出来ないということだろう。

ここでもヴァークナー狂信者とかオペラ愛好家とかというのは、高等な音楽芸術や音楽劇場とミュージカルの差異も分からない教養の無い人たちでしかないということが明白になっただけだろう。オペラ演出家はまだ芝居を村芝居でもミュージカルでも立派に上演できるが、上のスイス人のようなオペラ伴奏指揮者などが真面に音楽を奏でることがないので、音楽愛好家がオペラ劇場を嫌煙する所以である。「オペラ劇場では目を瞑って楽しむ」とか分かったようなことを書く人が少なくないが、我々から言わせると「耳を塞いで舞台を楽しむ」ぐらいがオペラ劇場ではないかと思う。d0127795_17192347.jpg




参照:
楽劇「指輪」四部作の座席 2017-07-24 | 雑感
ミュンヘンのマイスター 2016-10-10 | 雑感
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by pfaelzerwein | 2017-07-26 17:21 | 文化一般 | Trackback

大工仕事が得意な素人

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寒くて、Tシャツ、猿股で過ごしていると、頭が痛くなってきた。室内気温は摂氏15度以上だが、運動をしている訳ではないので寒い。戸口の金具が剥がれやすくなっている。理由は、ネジ穴が二つ以上開けられていて、更に気密度を増すためにパッキングを張っていたものだから、力を掛けないと外から閉め難くなっていたからである。応急処置として太いネジを探して上の穴に捻じ込んでいたが、それもいつの間にか緩くなっていた。

金具が剥がれると外からドアを閉められなくなる。何回か金具をボンド付けしたりしているが、力を掛け過ぎると剥がれるのだ。最近はパッキングの影響も弱くなっているので、鍵が回り易くなってそれほど無理は掛けないでもよくなった。そこで、再びボンドを落として、つけ直した。

美観上、上のネジがシルバーなので、ゴールドのネジを買い物ついでに探してきた。残念ながら、購入した6ミリ径40ミリ長はネジ穴に入らなかった。だから予備に購入した5ミリ30ミリを下の穴に捻じ込んだ。これだけでも少しは助けになる。上のネジは5ミリ35ミリでもゆるゆるで効かなかったので、次に40ミリを試して見ても良いかと思うが、恐らくネジが効かないだろう。それ以上長いのも恐らく難しい。試しに5ミリ径45ミリ長があれば試して見よう。四本買って〆て90セントだった。

よく考えてみたら、ゴールドの真鍮色も光り輝いている訳ではなく、ドア自体が階段を上りきった踊り場にあるので、暗くてそれほど色合いの差異には気が付かない筈だ。気にしているのは住人だけかも知れない。写真を写すと、ネジの色よりも開け閉めで鍵が当たる場所の黒墨の方が気になる。そもそもこのドア自体が、この建物に使われていた古い百年以上前のドアを作り直したものなので、木材も古くそれほど強い固定などは出来ない筈だ。あまり無理をしてもはじまらない。

車中のラディオで、歌手のゲルハーエルのインタヴューが流れていた。ラインガウフェストに登場するため、ヘッセン放送が流しているものだ。声の出し方の話しをしていて、いつものオペラ歌手の胴声をまねてその恥さらしさを示していたが、それ以上に経歴などの説明が興味深かった。子供の時からの少女趣味のような合唱で鍛えたアマチュア―であり、手先が器用でハムマーを持つのが好きで大工になろうかとも思ったようだが、結局アビトアー後に医学部に学んだとある。それ故にミュンヘンの音大の方は副専攻だったので、しっかりと音楽学を学びつくしていないのを今でも語っている。この辺りも面白いと思った。勿論本などを読んでとても勉強熱心だとは語っていた。あれだけの歌唱を示せばもはや何を語っても「御冗談でしょう」となってしまう。そもそも歌手の職業に教育などは要らない。



参照:
柱のお札のようなもの 2016-08-06 | 生活
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-07-25 22:04 | 生活 | Trackback

漂う晩夏から秋の気配

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週明けからパン屋が開く。そこで最後の日を利用して、山登りコースを走る。どうも前回は3月26日だったようだ。新しい靴で記録を狙えるようなスピードで走っていた。今回は、気温も摂氏20度前後で、完走するというよりも先日のアルプス登山から1時間の持久力走りを第一にゆっくりと走った。ペースを抑えていただけに、初めの急坂も緑のベンチ通過も、山場である第一合流点から第二までの間もある程度ゆったりしたテムポを守れた。頂上直下は厳しかったが、我慢して降りてきた。想定通り66分経過していた。

帰宅して階段を上るのが億劫だったように、酸素が上手く足の筋肉に廻らないのを走っている時にもその後も若干感じた。同じような感じはアルプスの3000m近くでも感じたので、明らかに血中の酸素濃度と関連すると思った。それが今回も感じたのだ。以前は時々あったような状況だが、最近はあまりなかったのでどうしたのだろうと思った。特に明け方の場合は睡眠中の呼吸の問題もあると思っている。その後昼食に続いて昼寝するなど、昔ほどではないが、やはり一寸疲れた感じがした。週明けは朝から雨降りで、合間に走るようにパン屋から森に向かったが、雨脚が強くなって断念した。夏の終わりの晩夏から秋への気配である。陽が出ないと寒いので窓を閉め切る。

忙しくて発注していなかった恒例の第3四旬期のCD落穂ひろいをした。もしかすると籠に入れていた雑誌シュピーゲル盤のセールが日曜日に終わってしまうかと危惧したからだ。今時期は二八の時期なのでバーゲンであるが、意外に八月になってしまうとあまり良いものが見つからない経験もあるからだ。

三枚買えば15ユーロで、ヴィオラダガムバ曲集とゲルハーエル歌うミューラー曲集二種を籠に入れていた。すると最初のものが売り切れていたので、入れ替えた。ゲルハーエルのものは「冬の旅」とシューベルト「曲集」とした。「水車小屋」はフィッシャーディースカウのものもあったので、CD二枚とも曲が重ならない方が良いと思った。「冬の旅」は多くの録音が出ているが、今まで実はあまりこれと思ったことはなかった。理由は分からないが、あまりに名曲だけになにか歌伴奏とも大劇場向きの感じがする録音が多いからかもしれない。ネットで障りを聞いてみるとこの上のピアノも歌もかなりインティームな感じで良いと感じた。

ゲルハーエルのの歌に関しては今回のタンホイザー公演で初めてその芸術性が分かった。あのような歌をオペラ舞台でやられると、その歌唱への評価以前にとてもそこから学ぶことが多い歌唱であることは門外漢にも直ぐに分かる。録音は2000年代前半のものなので、如何ほどのものかは分からないが、それはそれでとても興味深い。

もう一つのCDの代替はクラウディオ・アバド指揮のベルリン初期のモーツァルト曲集とした。リンツ交響曲とポストホルンセレナードであるが、特に後者の演奏が気になった。

もう一つの目玉は、以前からウィッシュリストに入れていたエンゲルベルクコーデックス314と称するCDである。エンゲルベルクの谷のベネディクス修道院で見つかった中世音楽の曲集の録音である。それが今安売りとなって5ユーロしないので買わずにはいられない。

買い逃したくなかったのは、四枚組10ユーロしないヴィヴァルディ―の曲集である。同様なものに9枚組20ユーロのビヨンディー演奏の曲集があったが、ビルスマらの演奏の録音の方が丁寧に作られているような印象を持った。「四季」だけでなく、チェロの協奏曲などが面白いと思った。ヴィヴァルディ―は重要な作曲家であると思うが、意外に良い演奏の録音などがそれほど多くは無く、手元にもあまりLPもCDも揃っていない。

以上、全CD8枚、割引を入れて〆て23.98ユーロ、まあまあの買い物ではなかろうか。



参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
マニキュア落としの効果 2016-07-07 | 雑感
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-07-24 18:18 | 生活 | Trackback

楽劇「指輪」四部作の座席

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またまたミュンヘンオペラの券を確保した。今回も苦労した、全てヴァークナー愛好家諸氏の罪である。抽選に落ちたので、またまた早起きをしてネットに入った。今回は春の経験を生かして、無駄な時間を使わないつもりで暗闇の中でPCに向かったが、結局はあまり有効な早起きではなかった。理由ははっきりしている。ミュンヘンの劇場の売券システムのアルゴリズムの問題だ。つまりある数のアクセスが集中すると自動的にウェイティングルームが開かれる。その時に示される整理番号で券を購入する時間帯が決まる筈なのだ。

最初に示されたのが40番台だったか、あまり記憶に無い。なぜならばその番号はどんどんと少なくなって1番になって、強制的に退場させられたからだ。いったい何度1番になって退場を強いられたか?早いうちならばリエントリーしても100番とかが示されるので、その時刻によって大凡のアクセス集中度が推察される。そして、午前10時発売の二十分ほど前に再び叩き出された。リエントリーすると250番位になっていた。今までの経験からして券が買えるのは待ち番号100過ぎ位、午前10時30分までで、200では大抵売り切れている。一体暗いうちから早起きしてなにをしていることか。

そこで、発券カウンターの電話番号や顧客番号などを書き留めて電話の準備しつつ、同時に裏の手を試した。最初にウェイティングルームに入れるようになる前に、上のアルゴリズムの特徴というか条件づけに気が付いたからだ。そして、それを逆手にとっての裏の手である ― 要するにこのシステムは完全自動で作動していることが分かったのだ。リンクを張る時刻は最初にマニュアルで定めて、春の経験からウェイティングルームも同じようにマニュアル時刻で開くのだと思っていた。しかし、これで大凡のアルゴリズムは把握できた。如何に酷い仕打ちを受けるからといってもアルゴリズムの問題なので売券担当に文句を言ってもはじまらない。アルゴリズムを分析するだけだ。10時前には800番ぐらいの番号が振り分けられていたので、世界中からの申し込みがあると思って、四種類の専用電話番号の一つに二三度電話すると完全話し中だった。

裏といっても決してハッカーモドキのことをしたのではないが、売券システムのそれを把握することで、大混雑を掻い潜った ― 大抵どこの劇場も同じようなシステムになっている。そして来年冬のミュンヘンで最後のペトレンコ指揮「指輪」ツィクルスの発券状況を見る。10時3分経過ぐらいだったから、まだまだ余裕があったが、早いもの勝ちなのでマウスの指し指が震える。

最前列も空いていて選択してみるが、皆の希望とぶつかり、いつものように座席お任せにしないと、先にそのクラス自体が売り切れてしまうので、鼓動を高めながら決定する。残り時間は7分である。まるでウルトラマンの世界だ。そこで漸くログインすることになる。カード番号を入れて、あとはその他顧客番号等も問題ない。但し四回券なので氏名と生年月日の入力を求められる。一つ一つの反応時間は、その混雑ぶりを反映して、長く掛かり過ぎひやひやする。無事時間内に購入できた。

調べてみると初めての2.Rangのようで、王のロージュの上っ面ぐらいの高さになる筈だ。四夜の多くても二夜ぐらいしか行けないので、安い楽譜席の何も見えないところでもよいと思っていたが皆同じことを考えるのか真っ先に売り切れていた。舞台が一部見えなくても座れるだけ幸いである ― 同じように四夜とも来ない人も少なくないだろうから、立ち見席からどこかに潜り込んでも良いかと思ったが、価格は50ユーロで同じである。椅子が最初からあるだけ落ち着ける。舞台に近い分、音もそれほど悪くはないだろう。予算は捨て分も含めて上限を130ユーロとしたが、その席も同じその並びの真ん中かサイドかだけの違いだった。先ずは大いに満足だ。

さて、朝早く起きた甲斐があったか?結局10時前になって背水の陣をひいたことで上手く欲しい券を獲得したが、瞬時に柔軟に対応可能だったのは、朝早起きして、途中肉屋に寄って、頭が起きていたからではなかろうか。途中眠かったが、起きて六時間以上経っていたことになる。今回のようなシステムに変更が無ければ、今後とも早起きの必要ないが、もう一つアルゴリズムの裏をかく方法もあることも分かった。電話なども含めて、ありとあらゆる可能性を考えておくしかないということである。キリル・ペトレンコ監督は2021年までオパ―フェストを指揮するということなので、当分券獲得の苦労は続くことになる ― 一部はバーデンバーデンに流れると予想される。



参照:
まずまずの成果だろうか 2017-03-26 | 生活
お得なバーデン・バーデン 2017-03-21 | 生活
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by pfaelzerwein | 2017-07-23 17:14 | 雑感 | Trackback