現代保守政党の課題

環境問題は、国民経済の中で重要な要素となってきている。先日のキリスト教民主同盟の環境政策要領に遅れながら、本格的にキリスト教社会同盟は環境国民政党としての側面を強く押し出してきた。党首ベックシュタインのあとを受けたゼーダー氏が多くの国会議員の要請を受けて纏めたものである。

前者の環境政策・温暖化対策は、環境の名の下の新たな産業育成政策に見せる「幼稚な思考」が強く批判されている一方、後者は保守政党としていかに国民の生活と環境・気候を護っていくかにその環境政策の柱がある。

化石燃料依存からの解放を掲げて、地熱利用などの循環燃料利用を技術政策の核として推し進める。同時に生活環境を尊重して消費者保護を徹底させて、公平な世界の確立と動物愛護やエコ農業推進と共に、バイオ農業を時期尚早としてバイオ研究にそれを制限するのは、女性首相が推し進める兄弟政党との政策の不一致を明らかにする。保守政党のあるべき姿である。

ハンブルクでは、緑の党との民主同盟の連立関係が批判される「自転車の利用推進」など成立しているが、今後は州政府単位もしくは国政において、緑の党の支持者を先ずは説得させるだけの素地が出来てきている。

しかしそこでもプロテスタンティズムの影響を受ける民主同盟とカトリシズムの社会同盟の視差が大きく表れていて、前者が創造物としての世界の社会的進化を信仰しているのに対して、後者はより創造物の一部である人類の尊重から、極端で子供騙しな家庭内や社会生活でのエコ生活を推進することを諌め現実的な対応を良しとする。

実際、バイエルン限定ながら環境国民政党としての横顔を整えて、環境意識の強いリベラル層の支持獲得を狙っている。要は、18歳から45歳までの女性を多く含む市民のライフスタイルに訴え懸けると言うことでもある。

今後は左翼党と社会主義者がお互いに支持層を食い合いながら推移することが予想されるので、緑の党はイデオロギー重視の政府主体の秩序よりも戦略的により自由党などのリベラルな支持者層にも食い込む必要がある。



参照:
代替エナジー政策の展開 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-06-16
温暖化への悪の枢軸 [ マスメディア批評 ] / 2006-11-17
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# by pfaelzerwein | 2008-06-25 13:49 | 歴史・時事 | Trackback

脳みそが萎えた一日

外気温は三十度を越えたぐらいでそれほど高くはない。それでも朝から蒸し暑い気がする。昨日昼過ぎに雷鳴を聞いたがが雨が降らなかった。湿度もそれほど高くはないのだが、散髪した頭が熱をもっている。

こうなると日本にいた時のようになにも手につかない。能率が悪いだけでなく気力が失せる。昨夜は寝室の窓を開けて寝ていたのでどうしても眠りが浅いのか、食事をすると眠くなる。

回顧してみても熱い時期にあまり創造的な活動をした覚えはない。汗をかきながら適当に人に会ったりしてそれらしきことをした覚えは多いが、回想してみて記憶に残るような知的な活動をした覚えがない。

昼過ぎにイランの文化ラジオを聞いてみると、なかなか微妙な音楽をやっている。楽器はインド音楽のような編成であるが、そのアドリヴの妙とは異なる音の妙が良い。但し、まことに残念ながらライブストリームの音質がよくない。それでもワールド音楽ファンには無視出来ない放送局であろう。

スペインのRNE2チャンネルでマドリッドの放送交響楽団の中継録音を聞いた。そのアンサンブルはやはり物足りなく、フーゴ・ヴォルフの曲のその独特のアーティキュレーションの癖が苦になってしかたない。サッカーはなかなか強そうだが、纏まりはあるのだろうか?

やはり、オランダのラジオ4で流れる放送交響楽団などの演奏は立派である。流しているトン・コープマン指揮の室内交響楽団の中継録音ライヴも良いが、十年間の程の放送録音がオンデマンドで提供されているのは圧巻である。コンセルトヘボウ管弦楽団のライヴも本年から提供されているのは素晴らしい。それにしても著作権が生きている楽曲もオンデマンドで流しているのには恐れ入る。

ボストンのWGBH放送局がBBCの中継を大分流しているのは東北海岸がどうしても旧世界に向いている事を表わしているのだろうか。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-24 05:05 | アウトドーア・環境 | Trackback

煎茶で深い眠りに落ちろ

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薩摩茶と云うのを女性からプレゼントされた。ここで書いたように、本来宇治茶消費者なので「地方」の茶所には潜在的に偏見があるかも知れない。

それもハーブティー商などが扱っている緑茶などは飲めるかと言う気持ちもある。しかし、そこは悪からぬ女性からの贈り物となると簡単に可笑しな無駄な力が抜けてしまうのである。

先ずは包装をじっくりと怪訝な目つきで眺めてみる。二度摘みの半影の緑茶で「出一」と命名されている。葉振りの良い新芽のみが初夏に摘みとられて、新鮮なトーンの味に繊細な香り漂う高品質の茶になっているとかいてある。

更に本物の特級日本茶とも書いてある。さていつもの宇治茶のように煎れる。茶も抹茶が混ぜてあるような様子はないが、少々茶葉は荒い感じがした。静岡のそれのような清涼感もありながら、見た目も味も香りもむしろ宇治のものに大分近い。云えば宇治の方が少し濃くが深く、旨味がありより楽しめる煎茶である。

しかし、それにしても指定の物しか飲まないと云う人間に、態々日本茶を贈り物するとはなかなか良い度胸をしている。もし、我がご愛用品の方が、万が一不味かったとしたら、面目丸潰れであったと胸を撫で下ろす。

薩摩茶について調べると、平坦茶園で栽培されて四月には早くも茶済みが始まるとある。戦後に盛んになって急成長している茶どころとある。なるほどこうした所でバイオ農業で茶作りがされているならば、大量に消費される日本国内で供給されるものよりも付加価値をつけて海外でも流通させることが出来るのだろう。実際の産地については確証はないながら、偶々、今回は宇治の方に軍配が上がった。

50グラム入りの袋は日本で包装されているようで、ドイツでの小売価格は少量消費品であり、我が愛用品の倍以上の価格はするであろうと想像する。ただ、我が宇治茶は、日本からのお土産として、日常消費に相応しいいくつもの銘柄の中から選んで残った銘柄に親しんでいるだけなのである。それは空港では販売されているが、有名銘柄の中では日本国内の市中有名デパートでも比較的探さなければいけない銘柄なので供給量にも限度があるのだろう。

「煎茶も美味しくないと直ぐに飲み飽きる」とワインの時のようなそのような判断基準を挙げ「特に飲酒のあとに、就寝の前に緑茶を楽しむと快眠出来る」と語ったのだが、そのコンテクストを辿れば、やはりこの贈り物には「要らぬことを考えずに早く寝ろ」と叱責のようなメッセージが含まれていると考えるのが妥当だろうか?それはまるでオペラ「トューランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」の反語である。

そのためか最近は夜の帳が下りる頃には魔法にかかったように深い眠りに一気に落ちてしまうのである。



参照:
緑茶に想う影響する土地 [ 雑感 ] / 2007-10-17
俄かサボテン愛好の憂慮 [ 女 ] / 2008-05-16
深く流れる情感の意志 [ 女 ] / 2008-05-12
パラダイスに覗く花 [ 女 ] / 2008-04-24
茶緑から青白への相違 [ 生活 ] / 2008-01-01
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# by pfaelzerwein | 2008-06-23 03:23 | | Trackback

情報の収集と再構成

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最近RSS リーダーのための情報を送らないサイトが多い。何を隠そう自らのミラーサイトの方が一月ほど更新していないことになっている。そのためか訪問者数も減っている。自らのものは構わないのだが、リーダーにて更新した知らせが無いとどうしても知らず知らずご無沙汰してしまう。気になって覗きに行くと変わらず更新されている。

先日、VISTAの日本語環境を整えたお礼に手作りにチーズケーキなどを更に頂いたが、同時に独文の満月の俳句風の短詩を貰った。

勿論それを俳句にしなければいけない。ベレー帽を被ったオレンジ色の満月に雲がかかって行ってついには満月を包み隠してしまうと言う内容である。

早朝の一時間ほどを俳句化に思慮を巡らした。先ずは、原文が安易な言葉であまり凝らない構文であるので、出来る限り我々が知っている一茶の俳句のような些か滑稽味のある俳諧を目指す。

そのためには五七五のみならず季語にも気をつけた。重要な語句を並べると、満月、月、バスク帽、ベレー、オレンジ、雲、夏至、夜空と言うことになる。勿論最後の三つは前提条件として暗示されているだけで用語化されていない。

さらにこの原詩の核は、隠喩化された言語の滑稽味であるが、寧ろここでは意味論的な面白さとなる可能性があることに留意した。

一つには隠されている、夏至の時期のなかなかくれなかった夜空であり、それは雲に隠れて行く月の情景の時間経過である。

それらを表わす言葉として、オレンジの色目に拘って夏橙の夏蜜柑を入れて一句、また夏至と雲のベレーを織り込んで一句、バスク帽と夏で一句と詠みなおした。

視覚的にはやはり色がついている一句目がよく、滑稽味も十分にある。二句目は、時間経過が盛り込まれていないのでイメージの広がりはないが、その分情報量が多く季節感は強い。三句目は、ことばの響きがよく尚且つ滑稽味に欠かない。

ご本人に早速返したので驚かれたが、幾ら時間をかけて推敲してもレヴェルが挙がらないことを知っているのでそれで良しとした。どの句が最もまともでまた本人にも気に入るかどうかはなんとも分からない。

昨日出合ったライヴストリームでは、ボストンのWGBH局が面白そうだと思った。何よりも金曜日におとずれるボストン交響楽団の生中継を改めて聞いてみたいと思わせる。聞いた時にやっていたのはワシントンのオペラ劇場からのサンサーンスの「サムソンとデリラ」の中継録音であった。こうした米国の実態を知ると幾らドイツ連邦共和国が文化に全予算の九パーセントと国会の運営予算以上の額を投資しているからと言って米国にはとても適わないと思わせる。予算を更に整理して重点化して行く必要を思わせる。

晩にローマのRAI5チャンネルで耳にしたのは、指揮者クラウディオの兄、マルチェロ・アバードの管弦楽のための曲である。息子ロベルトの指揮でRAIの交響楽団の定期公演で演奏されていたが、意外によく出来ていたので驚いた。この作曲家の管弦楽曲を耳にする事はあまりないので徳をした気になった。


写真は、夏至23時10分過ぎの 北 の空と山影。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-22 13:11 | | Trackback

面白いパブリックレディオ

新たに面白いラジオステーションを見つけた。サンフランシスコのKQED局である。ニュース解説・社会話題主体の番組構成であるがノンコマーシャルのコミュニティーラジオであるが流していて邪魔にならない。

何よりも車で聞いている独SWR2などの文化放送風の雰囲気が良い。ニュースソースはパブリックニュースのNPRであるようだが、その扱い方やコメンテーターの選択などがなかなか良いようだ。

まるで車で流すようになにかをしながら流しているだけなので、まだ十分にはその切り口が判っていないが、コメンテーターとモデレーターの会話の内容はかなり文化的で気持ちが良い。

そのローカル社会の一定の社会層の感覚が直裁に出るような話しの進み方にある特徴を見出す楽しみと同時に、西側市民社会での良識や学術的な常識のようなものを感じられるのはなによりもこうしたあるコミュニティーを映し出した放送の聞き所だろうか。

そうした考え方への興味ばかりでなくて、兎に角話題がキューバについてやオバマからイスラム、ハイスクールのセックスからメディアへとニュースを挟みながらスピード感を持って進む番組構成は秀逸である。どうしても耳をそばだててしまう。

しかし、こうした淀みの無い番組構成は膨大な録音を準備して繋いで流しているとしか思えないのだがどうなのだろう。TVではないので、画像が無い分限られた予算で番組制作出来るのだろうが、それにしてもやはり米国は予算が違うと思わせる。

床屋に行くと、親仁は関心なくEMのTVを見ていないと言う。なにもドイツの全員がサッカーをみている訳では決して無い。メディアにおける大衆市場を見直していく時期に来ていると感じている。



参照:
NPRのライヴストリーム番組一覧表
前に広がる無限の想像力 [ 音 ] / 2008-06-17
世界の机の前に齧り付く [ テクニック ] / 2008-06-15
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# by pfaelzerwein | 2008-06-21 23:30 | マスメディア批評 | Trackback

アラーとかパンソリの世界

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意固地にTVを見ない。EMの結果は試合前から打ち上げられる爆竹やゴ-ルの度の花火で判る。昨晩のトルコ対クロアチアのあとはなにも聞かなかった。朝起きて見ると屋根の上に見つけたのが写真の光景である。それにしても静かだったのは、恐らく昨晩は満月の次の夏至の前なので宗教的な戒律があったのだろうと想像する。ドイツ対トルコの修羅場はどうなるだろうか?

先日来ラジオをかけていても必ずしも面白いものを数多くの中から瞬時には探せない。しかし興味ある曲などが生演奏されているとどうしても耳を傾けてしまう。

ブルックナーの交響曲八番の大作が流れていた。少し聞いているだけで、科を作ったいやらしい弦楽と管の響きなどあまり聞いていられない代物と感じた。フランスの放送管弦楽団であることは放送するラジオ局から殆ど分かっていたのだが、それにしてもこれほどおかしな響きはレニングラードの交響楽団がムラヴィンスキーで演奏したもの以外に知らない。

いつもこれほどおかしな演奏をする管弦楽団ではないのでホームページを覗く。すると、サンドニの音楽祭からの実況中継で韓国人の指揮者チュンの演奏と分かった。その指揮者のメシアンの曲を演奏したCDは嘗てザルツブルクでプレゼントされた事があるので所持しているが、ドイツ音楽をこれほど滑稽に厭らしく演奏するとは思ってもいなかった。小澤氏の浪花節でもそうかも知れないが、そうしたパンソリの世界感にへきへきするだけで、なんら普遍性が無いのは確かである。

ブルックナー協会の会長であった指揮者フルトヴァングラーが記念演説の中で、その二面性での一方の土着性を語っているが、そうした側面がなんら東アジアのそれと共通性を持たないのは明らかで、中欧ドイツ語圏以外のそれらの音楽家どころか聴衆もこうした内容を理解するのは不可能だとするのはある意味正しい。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-21 14:27 | | Trackback

人為的ではない理想像

日本からの荷物に九十年代半ばのオーディオ雑誌が入っていた。読んだ覚えもなく、日本に一切入国していないその十年以上の期間なので、購入を依頼しておきながら中身を読んでいない代物である。

何故必要だったかはよく思い出せないが、何か手伝い仕事の内容が掲載されていたような気がするが、十年以上も前のことなので十分に覚えていなく、未だに調べる気もしない。あまり過去の事には拘らない性格だからだろうか。

それを居眠りしながら見ていて、まだあの時代はオーディオなどと呼ばれる趣味が存在したのだなと驚いている。なるほど当時の仕事仲間にハイエンドを目指して居た者がいて、ニシキヘビのような太いスピーカーコードを持ち歩いていて皆の笑いを誘っていた。

そして今一寸思いあたって、土壌とワインなどという趣味もこうした滑稽なオーディオ趣味とそれほど変わらないなと感じたのである。例えば、可聴範囲外の超高音が出ているだとか、和紙が揺れるような低音が出て居るとか、小林秀雄が五味康祐の狂人振りを綴るが如く、リースリングのなんたらとか宣のはそれに良く似ている。

音の解析度とか空間再現度、音量や音質に、全周波数域に素直な特性などと言うのは、リースリングで言えば、酸と糖とアルコールのハーモニーと呼ばれるものに極似している。

そしてそれをつき詰めていくと、分析値などは全く役に立たずに、純粋に感覚を磨いて自己のすべてを注入して判断するしかなくなるのも同じである。だからこそ興味が尽きなく、永遠に楽しめるホビーとなるのである。

それでもオーディオ趣味にはよりオタクで周りから見ていると馬鹿にしか見えない間抜けな感じがあるのは何故だろうか。「スピーカーをマイクロファイバーの眼鏡拭きで磨いて」などと読むとどうしても真似をしてやってしまうのだが、これなどは「新月の夜に樽詰めしたり」するビオディナーミックの感覚でしかない。信じる者は幸せである。

ワインの場合の救いは、その出来上がったものには消費者は手を加えることが殆ど出来ないことで、精々間違いない保存環境を整えてやりデキャンターや温度や飲み頃を計ることことぐらいである。実際の醸造所内の判断は、基本コンセプトに従って間違いのない調整を施すのだが、その収穫された葡萄の素性を隠すことは出来ない。

実は、オーディオの場合も録音の入口まで遡ると、HIFIオーディオにおける「幻想を働かせる余地」は全くなくなってしまう。つまり会場や用具の選択やマイクロフォンのセッティングや調整で既に理想は人為的に定められてしまっている。そして所詮、音波を機械によって変調したものを再び変調してあるだけに過ぎないと実感すると、まどろみの無い所から夢も生まれない。

蛇足ながら、人為的に十分に制御できない雑音や例えばライヴ録音などの環境音をオーディオにて取り出して楽しむ一種の「覗き趣味」が存在するが、これはある意味その環境全体を捉えようとする試みであって、通常のHIFI趣味よりも高尚とする考え方もある。しかし、所詮最初の機械的な音波の変換が介在する限定が存在していて、現実の人間の固体が感じる体験とは異なる擬似空間である事を肝に銘ずる必要がある。謂わばワインスノビズムにおける、「ああ、このワインはあの太陽と風を受けて、何々の樽で熟成された味がする」と宣ような馬鹿らしさがそこに漂う。

そこがワインにおける不思議さと全く異なっている。勿論ワインの醸造におけるコンセプトは人の匠であるが、真のワイン愛好家はそのようなものよりも年度や地所による相違にこそ興味があるのだ。

オーディオにおいても典型的な例として挙げられるのは、加齢による高音の難聴であり、一般生活では気がつかないだけで四十過ぎれば二十歳台とは同じである訳がない。要するに、電気的な変調の過程を通らなくとも、生でそのまま聞く音自体が既に各人各様であって皆が同じように聞きとれることはない事実は、人間の固体差の問題であり、よく言われるオーディオ機器やワインの固体差以上に深刻な問題なのである。だからこそ、人を追い詰める永遠の課題のようなものがそこに止揚される。

其々の趣向があって初めてそこに趣味の世界が生まれるのだが、同時になにも皆がアシミレーションしているゾンビ人間でなくともやはり普遍的な趣向と言うものが存在するからこそ、そこに価値観や市場が生まれてくる。

ただ、繰り返すことになるが、オーディオの場合はかつて使われたハイフィデリティーHIFIの原典が人為的もしくは端から存在しないことから、そこに大量消費の市場が発生してまた消滅していく。ワインの場合は、工業生産物でないので当然の事だが、その原典を人は誰も定める事が出来ない自然の恩恵なのである。葡萄の品種の改良は出来るが、それはあくまでも副次的な技でしかない。醸造は自然の恩恵をある前提の中で如何に利用するかの点で作曲活動など創作活動に近い。しかし、良い職人がなせるのは良い愛好者が自然の恵みを実感出来るワイン作りの匠にほかならない。



参照:
酸フェチにはたまらない1本 (新・緑家のリースリング日記)
カートリッジ騒動 (KOAな生活)
懐かしのオーディオ機器のカタログを発見 (電網郊外散歩道)
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# by pfaelzerwein | 2008-06-20 14:00 | ワイン | Trackback

殆ど確信に近い再生

連日肌寒い日が続いている。氷河には新雪が乗っていることだろう。夏日よりは遥かに楽とは言っても、半袖で居ると風邪を引きそうで、気温の変化に体調の維持が難しい。

さて、気になるサボテンの生育であるが、平たい方の髭のように生える緑が繁殖して来ていることで順調な生育を見せている一方、懸案の薔薇状のものは相変わらず赤インキが沁みたように精彩がない。

それでも落ちつきをみせており、土の上に元々根が生えていた根元が露出しているので、思いきって植え替えることにした。そしてそっとそれを土から上げると、なんと茎状のところに幾つかの根が伸びていた。

つまり茎状の所が今度は根として新たに機能することになる。これで、根腐りからの壊死が避けられている事が確認出来た。今度は、地面を解し綺麗に均して、根を痛めないように、再び土の中に今度は深めに埋め直す。

薔薇の部分の赤味ともう一つの株の髭の赤味は、どうも土壌から来る影響のような気がして来た。何を隠そう、この土壌はバイオダイナミックスのそれなのである。

こうして植え直した植物は更に根を伸ばし、いづれはしっかりと土壌に根を下ろしていくことは殆ど確信に近く予想出来る。赤味のかかった薔薇状の緑がその新鮮さを取り戻し力強く茂るのが待ち遠しい。



参照:俄かサボテン愛好の憂慮 [ 女 ] / 2008-05-16
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# by pfaelzerwein | 2008-06-19 22:51 | 雑感 | Trackback

解消されるまでの創造力

バイロイト音楽祭のヴォルフガンク・ヴァーグナー監督辞任を受けて次期監督の候補者募集が期限付きでなされている。特に候補となるヴァーグナー家の跡継ぎは、孫の二兄弟ヴィーラント筋とヴォルフガンク筋との間で候補者が一致しなければ、スポンサーであるバイエルン州、連邦などの代表がそれを支持することはなさそうで、代替案が考慮されている。

専門家の代表として、ドイツ語圏の三大歌劇上の支配人が大きな発言力を持っている。西ドイツ時代の有限会社バイロイト音楽祭の法制化に従って、ヴィーンの国立歌劇場、ミュンヘンの歌劇場の支配人に続いて、ベルリンのウンターリンデンの劇場ではなくベルリンドイツオパーの支配人がここに上がると、現支配人がイドメネオ騒動を起こした張本人であることが見落とせない。

そのような理由から、識者・同業者達にフランクフルター・アルゲマイネー新聞が「ヴィジョン」を挙げてもらっている。

現在連載中の記事であるが、一番新しいものでは今度ライプチッィヒの歌劇場に里帰りする有名な演出家のコンヴィチニーの意見が載っている。

「先ずは僕がバイロイトの監督になってから、あなた方は一体何をすべきか出来るかを聞くことが出来るでしょう。」

得意の一発ギャグは放っておいて、また仔細な他の同業者の希望リストもみるまでもなく、作曲家ヴォルフガンク・リームの意見を読む。

「リヒャルト・ヴァーグナーのアイデアが解消されるまで、まだ実現化する可能性がある」と、アイデアを以って築かれたバイロイトになにも他のアイデアを持ちこむ必要はないと主張する。

25年前の「パルシファル」の唯一の公演体験にて知識や熱意を持ち合わせた知り合った人々と同じほど表面だけの何処にでもいる訪問者達を振り返りつつ、リヒャルト・ヴァーグナーへの集中を何よりもとする。

そして、追伸として、如何にこの管弦楽が埋められた劇場が「パルシファル」の上演のためにこそ存在して、反対に室内楽的な「マイスタージンガー」の上演などにはどうしようもなく不向きかを語っている。

ここで殆ど同じ意見の指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがヴァーグナーについて語ったものを読んでみると、そこでは主に「ニーチェのヴァーグナー」が痛烈に批判されている:

ニイチェは、すべての「ワグネリアーナー」がそうであったように、ただ素材的なものの中にとらわれていたのです。しかし、私たちはそれをこそ、のり越えてゆかねばならぬと思います。そののり越える道は真のワーグナー、すなわち「芸術家」ワーグナーを知ること以外にはありません。そのときはじめて、私たちはワーグナーに対する真の創造的な関係に立つことができるでしょう。そのときこそこの国において、この芸術家は何ものであったかを、はっきりと知ることになりましょう。

この指揮者は、ヴァーグナー芸術におけるマテリアルの高度で尚且つ大衆性に再三触れているのだが、作曲家が「トリスタン」との鮮やかな対照を築いたとする「マイスタージンガー」の演奏実践においてこの指揮者は実際にはナチスに利用されており、戦後のイタリアやレコーディングにおけるその実践は同じような対照を見せている。

先日から流しているLPにおいても、録音に聞くヴァーグナー指揮者ハンス・クナッパーツブッシュとは比較するまでもないが当時としては現代的で、その録音の手法の恩恵を得て、後のカール・ベームの戦後を代表するバイロイトでの演奏実践よりも遥かに多彩で、またより精緻で雄弁なフォン・カラヤンのそれに比べても遥かに創造力豊かな演奏実践となっている。



参照:
民主主義レギムへの抵抗 [ 文化一般 ] / 2007-08-25
妻フリッカの急逝とその娘 [ 女 ] / 2007-12-01
下馬評に至難な金科玉条 [ 文化一般 ] / 2007-09-30
オーラを創造する子供達 [ 文化一般 ] / 2007-09-24
次から次へ皹の入る芸術 [ マスメディア批評 ] / 2007-07-28
襲い掛かる教養の欠落 [ 雑感 ] / 2007-07-27
アトリエのビッグシスター [ 女 ] / 2007-07-26
栄枯盛衰に耳を傾ける [ 雑感 ] / 2007-07-08
骨肉の争いの経験と記憶 [ 生活 ] / 2007-06-10
臨場のデジタルステレオ [ 音 ] / 2006-12-02
前に広がる無限の想像力 [ 音 ] / 2008-06-17
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# by pfaelzerwein | 2008-06-18 05:00 | 文化一般 | Trackback

前に広がる無限の想像力

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ネットストリームを、机にしがみついている時は、相変わらず流している。通話の時などにミュートにする。

世界中の文化番組も面白いが、音楽番組の特に生中継番組はこうした放送局を聞く醍醐味である。世界を時計方向に廻っていくとアジア地域を外せば、大西洋の東西でコンサート中継がひっきりなしに聞ける。

今これを書きながら、イリノイ大学の管弦楽団の中継録音を聞いている。一時美人歌手として話題となったオランダのフレデリカ・シュターダがこんな所で歌っているとは思いもよらなかった。サムュエル・ラミーなどとテノール歌手ジェフリー・ハードリィーを記念した演奏会の中継ものであった。

シカゴは午後八時過ぎのようだ。スポンサーの活動を散々聞かされるが、当地の交響楽団のBP提供の中継コンテンツなどもこのWSMTが行なっているらしい。

床に入る前は、お馴染みのフランス・ムジックで放送交響楽団のフランス初演やリゲッティーの「アトモスフェアー」などを堪能していた。フランスの放送局の音響周波数特性は、独特のその言語の様に国民性が表れているようで、車のラジオですらそれを感じるが、パリでの録音はマイクロフォンセッティングなどなかなか優れていた。

こうした音楽放送の良さや、なんと云っても臨場感溢れる新鮮な音響は、ラジオ放送とその簡易なラジオ機器に相当したものであるのが分かる。

その前に聞き流していたオーストラリアの放送局ABCがシドニーのオペラハウスから生中継するのは、ピニアニストのエマニュエル・アックスを迎えたコンサートであった。ピアノや休憩時のインタヴューなど面白ろく良かったが、管弦楽団のシベリウスの演奏と云い、その録音音響と云い今一つであった。ABCと聞くと嘗ての日本のBCLファンは、その英語を思い浮かべる人は少なくないであろう。

実は、先日からそうしたラジオ放送向きにローマ放送局で制作されたヴァーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」を聞いている。スピーカーと同じように日本から船便で送ったものである。愛蔵番号1815の入った指揮者フルトヴェングラーが1953年にイタリアの放送交響楽団の選抜で行なった録音を纏めた19枚組みのLPである。戦後のミラノのスカラ座での録音も存在しているようであるが、今回長い年月を隔てて久しぶりにこれに針を置くと、思いがけずに素晴らしい録音であることが知れた。

何よりも興味深いのは、後任のフォン・カラヤンがザルツブルクでの復活祭音楽祭で始めたような、座付き管弦楽団ではなく交響管弦楽団を駆使しての楽劇の演奏でラジオ制作された利点が最大限活かされていることである。このもともと高名な考古学者の下に生まれ育った作曲家志望の指揮者は、ロマンティックなヴァーグナーの音楽をキャリア最初期には敬遠していたのだが、後年にはその音楽構造に熱中していたと云われる事情をここに聞きとることが出来よう。

その翌年の1954年の死の床まで制作準備に取り組んでいた第二夜「ジークフリート」に先立つ、最後の仕事となったヴィーンでの第一夜「ヴァルキューレ」以上に最高の録音と誉れ高い「トリスタンとイゾルデ」を髣髴させるのである。特にラジオのこちら側で聞いていたらさぞ楽しかったと思わせるような、ラジオ劇場「ニーベルンゲンの指輪」的な雰囲気と面白さが満載なのである。平行して名プロディーサー、カルショーの制作などの徹底した楽劇の録音芸術化が試みられ、また一方バイロイトでの中継録音や映像などが存在するが、今後ともこうした本格的ラジオ劇化は不可能と考えるとこの録音の唯一無二の価値が理解出来る。

様々なメディアが存在する中で、ラジオブロードキャスティングの秀逸は、そのCDやDVDのように繰り返し再生には存在しないオンタイムのライヴ感覚と、映像が奪ってしまう音により広がるイマジネーションの飛翔に違いない。それが、ネットによって電波の伝播を考えずに地球の裏側にオンタイムで届き、尚且つ朝日が昇る無限の創造力の地平線が目前に広がる光景は圧巻である。



参照:
on the air:ハイティンク/シカゴ響のマラ6 (庭は夏の日ざかり)
世界の机の前に齧り付く [ テクニック ] / 2008-06-15
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
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# by pfaelzerwein | 2008-06-17 12:36 | | Trackback

代替エナジー政策の展開

温暖化対策を牽引しているベルリン政府で、代替エネルギー政策が議論されている。何よりも顕著になっているのは、「太陽熱エネルギー支援は非経済的で、過去の梃入れは誤りであった」とする見解である。

下の数字を見ればそれがなにを示すかは一目瞭然である。太陽エネルギーには今後も一キロワット時あたり43セントの補助が出され続ける。幾らかは削減された分は、今度は風力に9.2セント、効率化を達成した従来の発電に対して8セント、風力の場合は余分に0.5セントがボーナスとして与えられる。

同時に新たに建築する者には最低15%のエコエネルギーの利用が課される。反対に新たに屋根の上に太陽熱を設置する場合はその費用の一割が支給されるなど、歳出は補助金による取引価格の上乗せのみならない。

これらは2020年までの四割の炭酸ガス削減とその業界での従事者の倍増を狙っている大連立の社会主義者の理屈である。当然のことながら、キリスト教民主同盟と社会同盟内の経済的良識のある者からは、三割の補助金の削減が要求されて、激論が交わされたようである。当然のことながら消費者に負担をかけるとして自由党は反対して、緑の党は環境行政を忘れていると批判する。ただ、左派党のみがこうした計画経済政策に賛意を示している。

太陽熱発電に限れば、そもそもドイツにおける日射量が問題となっていて決して有利な地理的条件にないことがその将来性を奪っていることには間違いない。風力発電は共同体単位でも必ずしも問題なく発電可能とならないところが問題であろうか。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-16 03:22 | アウトドーア・環境 | Trackback

世界の机の前に齧り付く

楽しみにしていたスピーカーの音出しが出来た。スピーカーは三十年以上前に手に入れたミキサー台に載せるモニタースピーカーである。今でもラジオスタジオなどでは音像定位のモニターにオシロスコープと一緒に使われている「オーラトーン5Cモニター」と呼ばれるスピーカーである。

入手した当時はTVの副音声など幾らかマルチメディア機能やホームシアターの概念が一般的になってきた頃で、このスピーカーもそのような目的で増産されて販促されていたように思われる。実際、既に始まっていた外国語放送の副音声のためにTV受信機につけた副音声分派機に、音声増幅器を通して、これを取り付けたように覚えている。

そのような理由から、このスピーカーのまともな音は当時は殆ど聞いたことがなくて、その定位感すらあまり馴染みなく、若干押し付けがましい音の周波数の中域の張った印象が強い。

元々がFM放送などの声を含む放送の至近距離でのチェックにも充分に使えるゆえに、この度の目的であるネットラジオの聞き易い環境の設定に貢献するべく、PCで使えるように音響増幅器を注文した。

抵抗値8オームのスピーカーながら音量は十分である。音質もサウンドボードと電源部からのヘッドフォンでも確認出来る所謂僅かなブーミングは避けようがないが、それをいうならば通常のPCで至らずスタジオ用のマッキントッシュなどを購入しなけれないけない。

そうした前提条件においては、このモニタースピーカーを十二分に気持ちよく鳴らすことが出来る。ネットラジオの音質のレヴェルを確認できる。車のラジオでもなかなか優れているフランスの放送局などでの管弦楽団のプレゼンスとホールの空間の再現などなかなか素晴らしい。

ポップスにおける人為的な音場も苦にならないのが、本格的なオーディオ装置に比べて勝っている。同様に、ナレーションが胴声にならずに子音も聞きやすく、映画DVDの効果音や台詞も明白に響く。これはスピーカーの個性にもよるのだろうが、過不足なくバランスよく鳴らす増幅器には感心する。その音響に劣らず迫真に満ちた巨大モニターかプロジェクターが欲しくなるぐらいである。

また不思議なことに、スピーカーを壁に近づけて机の上において設置していても篭ったような低音の感じがなく、自然なバランスで響く。これならばスタジオの調整卓の上で響く音響とそれほど変わらない。

ジャズのベースなども心地良い。こうなると世界中のラジオでいろいろな言葉や音楽が聞きたくなる。何やら昔少しやっていたBCLの世界のようで、益々机の前にかじりついてしまうようで運動不足が心配である。



参照:
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
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# by pfaelzerwein | 2008-06-15 13:10 | テクニック | Trackback

あと味のインターフェース

ハイデルベルクの近くの町に午後出かけた。1963年に三鷹のキリスト教大学に留学して、ドイツの日本学で博士号をとったご婦人の所でヌードルをよばれた。

VISTAを使っていて、日本語の入力が分からないと言うことなので、VISTAを触りに少しお手伝いに行った。

結局、XPとさして変わらないメニューであったが、調整が必要なメニューなどは目に付き難い色合いを取っていて、「なにも分からない馬鹿は弄るな」という按配で、ますます表面を厚塗りしたグラフィカルユーザインタフェースとなっているように感じた。

インターフェースは、音声入力を含めて、様々な可能性がある方が良いに決まっているが、VISTAの評判がすこぶる悪いのは何故なのだろう?

多くの「使い手」がリナックスへの傾倒を強めるように、インターフェースが背後で行なわれている「計算」をユーザから遠ざければ遠ざけるほど、情報の掌握者と情報に踊らされる人種の格差が増してくるように思われる。

嘗ては、TVにネットを接続して、それによってコンピューターを生活に近づけようとする試みが盛んであったが、そうした市場は、全てファミリーゲームなどの主な購入層を見つけ、それらの購入層が必然的に社会の弱者であったことから、そうした市場の脆弱性が明らかになるや、そうした市場を主力の業務に持つ企業の脆弱性をまで露呈した。

さて、お呼ばれしたのは、ナシゴレンにかしわと木綿豆腐に竹の子やトマトを入れたソースとイタリアカラーきし麺がメインで、その前にはアスパラガススープが出た。殆ど二杯もお替りしたので、腹の皮がはつきれそうになったが、お土産にその出来上がったソースを頂いてきた。

レモンの枝の香料が清涼感を与えるので幾らでも食が進み、さらにあと口も良いが、ニンニクなどが強く効いていることには変わらない。大蒜や玉葱は日常的に食するがそうした食事が主となるやはり暑い地域には生息できないとその料理を食して感じる。イタリアや東南アジアは苦手である。

デザートの前に仕事にかかったのだが、竹から孟宗の言葉に居たり、漢字の本来のの発音や漢詩や中国史へとサ-チマシーンを使いながら話しが高度な方へと飛んでいくと、こちらは流石に知識の限界が見えてくる。

食後には、前の晩に焼いたストロベリークーヘンと持参した抹茶の葛餅にアイスを混ぜて食したが、手作りのカスタードプリンを片付ける余裕がなかったのは悔やまれる。お土産のケーキは半分ほどは既に平らげた。流石に夕飯は予定していた食事の味身だけにしておかないと、体がもたない。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-14 13:17 | | Trackback

食後の雨上りの散歩

昔から夏場に異常食欲で太る性質である。今年は今その症状が出ている。兎に角、食欲に限度がない。しかし、以前と異なる点は、胃潰瘍気味のせいか腸に大変負担がかかって、あとが苦しい。

それでも食欲に歯止めが利かない。目の前に餌があると平らげてしまう。就寝前にも気がついたように食事をしてしまう。明くる日の腸の不具合を考えれば抑制をしなければいけない。

ここ十年間ほど続いたダイエットの季節は過ぎ去ろうとしているようで要注意である。再び肥満に傾けば、体重は今度は百キロを越えてしまうかも知れない。運動不足を解消のため、涼しい今日は陽の高い内に散歩をしようと思っていたが、雨に降られて諦めた。

そして夕食後に再び陽が出てきたので、九時半までゆっくりと歩く。半袖にチョッキ型の上着を羽織り、思わず前のファースナーを閉める。雨上がりの空気が気持ちよく、クロアチアに負けたドイツの町はいつもより静かである。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-13 12:31 | | Trackback

初夏の合間の筋肉痛

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腕がだるい。平素、本より重い物を持たない人間が力仕事をすると翌日に全身に筋肉痛が残る。

それでも本日は一日中涼しかったので、また少し重いものを上げ下げした。どうしても夏の疲れが出て眠気をさそう。

リースリングの開花を伝える記事が方々にあったので、遅れまいと昨晩のまだ昼の熱気の残る中を散策した。

モーゼルやライヘッセンで既に開花しているといっても、当方はこのぐらいで、天候の相違があるのだろうか。2008年度は、一度の雹を除くと例年並のような感じもするがどうなるのだろうか、まだまだ判らない。

一時間ほど歩いて九時半前に戻ってくると薄っすらと汗をかいていて、温めのシャワーをさっと浴びた。しかし、本日は対象的に上着を羽織らないとTシャツ半ズボンでは肌寒い。

PCにモニタースピーカーを接続するように、音響増幅器のボードを注文した。振り込み先をみると、当方と同じ銀行の同じ支店の口座であった。近々、商品は届くだろう。

接続などには問題は起らない筈だが、スピーカーをデスクの上に位置を定め、スピーカーコードなどの準備をしておいた。技術的な問題がなければ、配送から二十分もすれば音出しができるだろう。

LPを片付け、楽譜類も整理した。しかし数は少ないとは言いながら書籍は中身を改めて流し読まないと、置き場所が定まらないものが多い。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-12 12:48 | | Trackback

脳冷却利かず思わず暴発

三十度を優に越える真夏日である。昨日は湿気が高く蒸し暑かったが、本日は乾燥していて室内にいると気持ちが良い。

元々日本の夏の生活が耐えられなくて移住した欧州であるが、やはり温度が上がると脳の冷却があまり利かない体質が暴露される。

朝から二回ほど頭の線を切った。そう云えば先週にも一つ苦情をした。嘗て、共同場所の掃除婦を、顔見知りと言う理由で直接叱ったことから、掃除会社が契約解消したので、それ以後は自分では直接苦情をしてくれるなといわれて今回も管理組合会社に苦情しておいた。

今朝は薄っすら予想していた日本からの船便が到着して、都合悪く二度寝の床を起こされた。その重量は、〆て五十五キログラムを越えていた。若い女性の体重ほどもある。これを高度差十メートル近く挙げるには興奮する必要があるのだ。

このての宅配で一番問題となるのが、集合住宅の場合何処まで運ばせるかである。確か、住宅の入口までは運ばせる必要があった。よろしい、上の階までは自分で運ぶ。しかし、本日のDHLの配達は若い女性で、入口のしたの階段の途中までしか持ってこなかった。

「分かってるよ、重いのは、でも持って来ない限りは受け取りの書名はしない。持ってきなさい」とぶちかましておいて、

「手伝ってあげるから」とせっせと荷物を運んだ。そして息を弾ませ、「受け取れんよ」と叫びながら、

「なんで署名しなんですか?、訳分からない」と言う声を無視して運びあげる。

最後に階段の中間まで持ってきたのを受け取り、署名をする。こういう場合、先に署名をしてはいけないのである。

さて、それから約束をしていた銀行に行き、昨日誤った送金の調査依頼をしていた件などを本筋の話の後に改めて苦情する。過去にも何度か誤りの送金などがあり、叱ったことがあったのだが今回は銀行側の誤りの証明があるので厳しく叱る。それでも、まるで異なる支店の誤りは役所からの文章を受け取っていなかったからとか、単純な誤りを認めようとしないので、銀行ジャックを試みる。

「それは、あなたがたが理屈をつけるだけで、エラーはお宅にあるのは明白じゃないですか。そもそも公文書を受け取っていないとは何事か」

「受け取っていないのではなくて、見落としたといえんのか」と大声を張り上げて、店頭の客達を驚かす。

「報告させていただきますから」と驚いた顔のおばさんのことばに被せて「報告は良いから直ぐに400ユーロを返済してくれ」と突っぱねる。

「サーヴィスというなら、正確な仕事をしてくださいよ」と叱咤激励して店を出る。

これ以上嘘の報告やいい訳がなされたならば、金融機関としては信用問題であると考えて、更に公に圧力を加えなければいけないと思っている。

それにしても上まで担ぎ上げた六月のインターナショナルな花嫁さんは予想通り重かった。



参照:
秋葉原で (たるブログ)
事件 (ライン河のほとりで)
春雨じゃ,濡れて参ろう [ 雑感 ] / 2008-04-11
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
問題児対策にみる成熟度 [ 生活 ] / 2008-05-22
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# by pfaelzerwein | 2008-06-11 14:28 | 生活 | Trackback

外人権利と依存する大衆

地元外国人の会が新たな外国人法の説明会をするので覗いて来た。直接関心があった訳ではないが、友人の帰化問題や国籍問題などに触れるにつけ、また世界の趨勢をEUのガイドラインの中で探るために話を聞いた。

長く名前を忘れていた地元の外人局の担当者で現場の声と、州から使命を受けている外国人権利を訴えているスペイン人の話は、それらに対する質問ともども興味深かった。

前者の話では、EUガイドラインに則って新設された外国人待遇として、EU全域で有効な資格への変更の勧めが注目を引いた。

また、家族呼び寄せの規制は2005年度から厳しくなった外国人法によるのだが、その前提条件であるドイツ語力や呼び寄せるドイツ人の立場の相違への規制は、ドイツの基本人権法に抵触する可能性がある事が示された。

具体的には失業者の生まれつきのドイツ人が、アジアから子供を養子縁組する場合と、帰化してなったドイツ人が失業して、本来の故郷から妻を迎えたりする場合との差が示された。つまり後者は呼び寄せの結婚などが承諾されないのである。

要するにドイツ人の中に二通りのドイツ人が存在して、一方は生まれつきのドイツ人で、一方は移民したドイツ人となる。これは、基本的人権に抵触する恐れが強いが、実際にはこれはトルコ防御壁として機能している。

おかしなことにそうした新ドイツ人が第三国の異性と結婚する場合や結婚相手が然るべき教育を受けたキャリアーを持っていたり、研究者やグリーンカード対象者の場合は結婚が許可される。

実際にトルコ人が殆ど強制的に故郷から妻を迎えようとすると、まずトルコにてドイツ語の基礎を学び試験を受け、尚且つ迎えるトルコ人男性の所に自由意思で来ることが求められている。

このEUのガイドラインを逸脱する処置は批判を受けて大きく改正されて2007年7月以降に施行された。すると、外国人妻のヴィザ申請は三分の一に減少し、トルコ人妻のヴィザ申請は半数以下になったとされる。つまりこの新法は成果を挙げている。

同時にドイツ国民のこうした出所によるセレクションは、アーリア人種と非アーリア人種との差別を行なったナチの政策にも相通ずる可能性があるとの指摘は当然であり、法案作成に関与した連立与党SPDでさえその改正の必要を認めている。

大きな流れとしては緑の党との連立政権時に二重国籍を前提とする案が出されて、ローラント・コッホが反撃に出て以降、現在のショイブレ内相の些か病的な外国人への扱いへと連なっている。

EU内においては二重国籍が前提となってきていることから、実際にドイツ国籍が価値を持ったりはしないのだが、EU外の特に不都合な国籍を所持する自らが考える東欧からの移住者にとってはドイツ国籍は今でも喉から手が出るほど価値があるようだ。

しかし、ここでの大問題は、ドイツ人内でのセレクションであり、憲法判断を仰ぐ必要がある聳え立つトルコ防御壁の異様さである。外国人がその母国から家族を迎え、家庭にてその母国語を一義的に使うような状況は認め難いが、それは移住先の外国から再び迎え入れられる帰国ドイツ人家庭にも当てはまり、英語しか、ロシア語しか出来ないもしくはポーランド語しか使わないドイツ人家庭は認めるべきではなかろう。

そしてここで再び、二種類のドイツ人が存在して、一方では失業者でもアジアなどから適当に妻を迎え、英語などで日常を暮らすドイツ人家庭が存在することになる。実際に、それに近い家庭が独日協会の会員にも存在することを考えると、上の前提を強く主張することは出来ない。

外国人の権利はひいてはその国民の権利でもあり、ドイツ文化の規定が困難を極めた状況と相似していて、嘗てのようにもしくはアメリカ合衆国のように、国に対する忠誠と寄与を宣誓するような国籍は益々現実の社会から遠ざかっていくことが感じられる。

もしそのような愛国心に縋り付き社会に依存する国民や帰化人は俗に一般大衆と呼ばれるものではあるかも知れないが、その実は精神的もしくは経済的に恩恵を受ける社会に加護や庇護を求める人種であり、それらは社会の中での頭数でしかありえないことがそこに語られる。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-10 12:25 | 生活 | Trackback

ロリータな感覚の体験

ここ暫らく「思春期」と言う言葉をよく耳にした。男性によって使われたのは、「若いワイン」との比較、また女性によっては「自己の体験」として語られた。

何故そうした発想が集中したかは分からないが、やはり今年の春から夏の環境に関係があったのだろうか?

週末同行した19人のメンバーの中に一人のローティーンエイジャーの娘が居た。年齢は聞いていないが、参加者一人の娘のような若い奥さんの継ぎ子である。誰もが少し年の離れた姉妹としか見ないほど服装派当然のこと、体つきまで雰囲気が似ていた。

平均年齢が五十に近いグループの中では異色な存在であったので、そのなかなかロリータな雰囲気と自分を含めた周りの様子を観察していた。

特に気がついたのは母親世代以上の女性が、こうした若い娘に接する雰囲気で、予想すると母親が祖母のような接し方になるかと遠くから見ていると、意外にも若い娘に肩を並べる彼女らの方がどこか思春期の娘のような雰囲気を醸し出してくるのである。

つまり、どちらかと言えば大人の方がなんらかの影響を受ける割合が多いのである。その時点では親子関係などよりも、大人の方に時間を遡らせるような効果が認められる。

ハイロマン趣味の絵の描かれた壁やワインのクラッシックな絵のエチケットの瓶を話題にしていたら、道中の畑の中に幾多のステンレスの骨で丸く人間型の案山子が設置されていて、上記の娘がそれを叩いてみたい衝動に駆られていたことが継ぎ母から語られた。なるほど、現代芸術の価値にはそうしたインターアクティヴな面が付け加わっていることを明示しても構わない。

運動性を持った殻を破る好奇心に溢れ経験や知識に囚われないからこそ時代は進む。

それで自らはと言うと、丁度ローレライを上から望む対岸で、この娘をローレライにし立てて写真を撮影した。リュックサックに体をねじって懸ける手元が、魔法の竪琴を奏でるかのように自然に仕草を作って呉れた。こちらの意図を余すことなく感づいて対応できる機敏さが、こちらの如何にも古ぼけたアイデア以上にこの一葉の写真に新鮮さを齎してくれている。



参照:『ロリータ LOLITA』 (クララの森・少女愛惜)
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# by pfaelzerwein | 2008-06-09 16:22 | BLOG研究 | Trackback

浮かぶ、あり得るべき姿

ドイツ社会は情報の権力構造で揺れている。ドイツェテレコム幹部による諜報活動指示は、情報の保護の面から、先日連立政権で可決した政府への情報の啓示と管理のための電話等の情報の記録保持の義務延長の法案のその廃案へとの論議を過熱させている。

会社幹部が従業員の会話等を盗聴したりスーパーの従業員更衣室をヴィデオで管理したりしていたスキャンダル以上に、旧東独シュタジ専門家の会社へと業務を指示していた旧公社であり現在も政府が大株主であるこの企業のあり方が問題となっている。

ジーメンスなどが海外で行なった使途不明金の裁量を持つ幹部やESDA社の元代表のインサイダー取引疑惑逮捕などをみても、こうした大企業の幹部の倫理問題が問われているのだが、それ以上に今回のスキャンダルは国の内務機能と一体化した金の動かない大疑獄として、情報が権力と直結する実際と今後の社会のあり方に警鐘を鳴らしている。

ベルリンの内務大臣であるショイブレ博士が進める管理体制は、角度を変えれば特定政治家や特定企業人への権力の集中と掌握を進めることであり、それは保護されるべき個人情報の政府管理に他ならない。社会秩序の安定のための寄与は、嘗て今までにない情報の管理者である大権力者を生み出そうとしている。

これほど複雑化した社会において、カオスとならない情報管理が超高速の電算機によって可能となっているが、同時にまだそうした電子情報化されない差異にこそ、各々の市民が価値を見出すことが権力の集中への最大の防御策であるように思われる。

社会によるできるだけ少ない情報の掌握を保障する憲法の必要性が緑の党などによってベルリンで訴えられている。情報の開示を進める事は同時に個人情報の保護を意味するとすれば、そうした憲法上の保護は必要と思われる。

現在、情報漏洩による罰則がただの30万ユーロでしかない事からそれを千倍ほどにする必要が囁かれる一方、企業幹部の倫理の確立が保守党から叫ばれる。しかし、この恵まれた時代においてああした組織エリートのキャリアー自体がそのもの権力欲に根ざしたもの以外ではないことを考慮すれば、大組織の頂点に立つ者に倫理を求める事そのものが誤りに違いない。

つまり、現在社会において最もエリートと称される輩が持つ価値観を真っ向から否定して、市場捜査によって消費と市場が動かされる消費社会を破棄し、従来型の市場や権力者には経済的恩恵が行き渡らないような社会作りが急務とされている。

それは現在の原油高騰の責任が追及されるOPEC等への国際的な制裁への動きにも共通していて、あり得るべき社会秩序は、資本主義社会の終焉へと向って、その像がぼんやりと見えてきているような様子である。



参照:ケーラー連邦大統領の目 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-02
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# by pfaelzerwein | 2008-06-08 13:40 | 歴史・時事 | Trackback

香りの文化・味の文化

シュロース・ザールシュタインのワインを12本受け取った。特別な試飲会であったので送料無料になるどころか、即支払えば少し廉くなる。嬉しい限りである。

ここのワインをこうして即決購入したのも、既に八百本もの様々なリースリングを飲み、更に同数の貯蔵のある緑家さんの高評価と奥さんのなかなか説得力のある販促を鵜呑みにしただけでなく、試飲した印象が大変良かったからに違いない。

さて早速、キャビネットを開けて試してみる。試飲の場で感じたのと同じような比較的簡易なリースリングであるが、その豊かなフルーティーさはお友達のゲオルク・モスバッハー醸造所のそれに変わらない。

この二つを比較すると、ザール・ヴァインとプファルツ・ヴァインの特徴がよく見えてくるだろう。

ザールのそれは、やはりスレートの味が旨く、独特の酸が強く出ている。地元の店先でも話していたのだが、酸の質がプファルツのそれとは異なるというのである。確かに、量感と言うか重さがある酸で、大目の糖と均衡させてある。

数値的には、それほど酸の量には差がないと思われるが、残糖に拮抗する酸とフルーティーな味に隠れる酸とは官能の仕方が異なる。

なによりもプファルツのそれに比べて、香りが少なく単純なのが確認できる。プファルツの半辛口程度の香りしかない。逆に、プファルツのそれは比較的高いアルコールで香りが発散して、大変動的な印象を与えるのが特徴だろうか。

シュロース・ザールシュタインよりも明らかに素晴らしい2007年産ザールヴァインが話題となっているが、現在までの限られた経験から言えるのは、モーゼル・ザール・ルーヴァーヴァインの特徴は、一にも二にもその味であって香りではないようだ。

それに引き換え、プファルツ・ヴァインの特徴として、沸き立つ香りと淡白な雑食砂岩にいろいろな土壌の要素の交じった味の複雑さにあるだろう。その点からすればラインガウにも動的な軽やかな芳香が香る。

モーゼルワインが日本で人気を集めている理由に、そのスレートの味の強さと静的な穏やかさが挙げられる。同時に低めのアルコール度数と十分な残糖は日本の食生活に合致しているようだ。

確かに日本の食生活に慣れている者は塩味の強さなどの味についてはよくコメントするが、香りについてはあまり言及しない。気候風土からこうした感覚が身についたのだろうか?しかし同じ湿気の高い地方でもコリアンダーを楽しみ、タイの薫り高い米などを食する文化も存在して、一様にはなんとも言えない。



参照:スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
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# by pfaelzerwein | 2008-06-07 16:29 | ワイン | Trackback

バイオ燃料による値上げ

ミルクを買おうとしたら、いつもの格安のJA商品はなかった。既に九日続いた酪農家の配給停止ストライキは終わったが、明日にでも並ぶ商品は値上げされている筈である。

仕方がないので、暑い折であり高価な生ミルクを諦め、保存の利くミルクをそれでもいつもより二十セントほど余計に出して購入した。

ミルクが中国人の乳製品消費で需要不足などといわれたが、今回は酪農の飼料が高騰した理由で、ミルクの買い取り価格の値上げを実力行使で訴えた。出荷停止した搾り立ての生ミルクが畑に肥料として捲かれている風景が報道されていた。

先日から切れかかっているひまわり油を買おうとしたがいつもの廉いJA商品がない。なにやらその植物油も値上がりしているようで、暫らく待っていたがまだ入荷しない。仕方なく、通常の植物油を購入した。

バイオ燃料の可能性は良しとして、米国やその同盟国が図った市場戦略は一体何だったのだろうか?急激な価格変動や経済的影響と問題は十分に予知されていた筈だが、敢えて食糧供給問題を引き起こした。

インフレ圧力が強まり欧州銀行の利上げが語られる。



参照:
特徴 (☆ ドイツに憧れて ~ in Japan ☆)
ミルク缶が冷やされる時 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-05-29
保護観察下にある休耕地 [ マスメディア批評 ] / 2007-08-01
不毛の土地の三つの星 [ テクニック ] / 2005-02-13
ラインを望む牧草の鳥居 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-06-04
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# by pfaelzerwein | 2008-06-07 11:59 | 生活 | Trackback

非公認ガイド修行の午後

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日本から訪ねて来た人を二日間案内した。こうした時に限って予定外の仕事が入るもので急いで午前中に片付けたりと忙しい朝を過ごした。

その分、午後は殆どホリデェー感覚でワインの地所を合わせて十キロほど歩いた。初日はダイデスハイムの斜面を全て観察して、二日目はヴァッヘンハイムから昨日通った附近までフォルストを通って往復した。

初日には、用意していたフォン・ブールの2007年産ヘアゴットザッカーとシュヴァルテンマーゲンをパンに挟んで楽しみ。二日目にはザウマーゲン・ハンバーグライスに焼きレヴァー団子を添えた。ワインは、炎天下ではなくいつでも降りそうな雷がなる中でより冷えたビュルックリン・ヴォルフのグーツリースリングを楽しむ。

やはり食事には後者のワインが素晴らしく、高級レストランではべらぼうに高価な味覚をこうして簡単に味わう。

さて今回の案内は略VDPの現在のコンセプトに沿った土壌の相違を体験してもらうものであった。初日のダイデスハイムからフォルストにかけての五種類の地所 ― ヘアゴットザッカー・キーセルベルク・ラインヘーレ・グラインヒューベル・ウンゲホイヤー ― つまり試飲したワインの地所をピクニックを交えて二時間ほど、グラインヒューベルからパラディースガルテンを通り、ランゲンモルゲンからルッパーツブルクの地所を遠目に確認して、キーセルベルク、ホーヘモルゲン、モイスヘーレとカルクオーフェンからヘアゴットザッカーなどを遠くに見て戻って来た。

二日目は、ヴァッヘンハイムのベーリック、ルッパーツベルクのホーヘブルク、ヴァッヘンハイムのアルテンブルクやゲリュンペルなどを試飲 ― アルテンブルクのムーゼンハングに匹敵する酸は素晴らしく、2007年産のゲリュンペルはよくなってきている ― して、フォルストに向って行進する。

雷鳴が轟き雨の降りそうな天候ながら、ウンゲホイヤーの上っ面でのピクニックは、終りに数滴の雨を感じた以外は落ち着いてグーツヴァインを食事と楽しめた。そこからの眺望は格別で、天気こそ優れないがフォルストのキルヘンシュトックを真下に望む気持ちは豊かである。

ヘアゴットザッカーからモイスヘーレの新たに建造されているトロッケンマウワーを過ぎる頃には明るくなって気温が上昇して来た。折から元旦にTVで観た、見るからに失業者風のオヤジが仕事をしていたので声を掛けた。

これが所謂「乾いた壁」と言うやつかと「TVで観たから」と尋ねると、「セメントもなにも使わないんだ」と少し自慢げに端的に教えてくれた。これでまた非公認ワイン地所ガイドとしてよい経験をした。それにしても新調したロゴ付きの帽子が人の視線を引くのを感じる。

エルスターからフロイントシュトュックを通ってフォルストの村に出て醸造所ゲオルク・モスバッハー・エルベンの前を通ってシュピンドラーのガーデン・レストランで腰を降ろす。一休み後には、今度はキルヘンシュトュックからウンゲホイヤー、イエズィーテンガルテンをへてペッヒシュタイン、ゲリュンペルへ戻りルーギンスランドを通って三時間半ほどをかけて、ワイン地所ツアーガイドを終えた。



参照:文化的土壌の唯一性 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-03
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# by pfaelzerwein | 2008-06-06 13:02 | アウトドーア・環境 | Trackback

環境ゾーン設置の大都会

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マンハイムでも環境ゾーン自動車乗り入れ規制が始まっている。ベルリンなどに少し遅れて今年一月から導入されたようだ。

環境保護のためにフィルターのついていないディーゼル車などが乗り入れを拒否される。先ずは導入のためにその車の環境基準を示すステッカーを貼ることで乗り入れが許可される。ステッカーは有料で支給される。

比較的新しいガソリン車はEU4相当のグリーンのステッカーを貰えるが、ドイツで過去十年ほど爆発的に売れたディーゼルは最近のチリフィルターが標準装備されたもの以外は、黄色とか赤色のそれしか配布されなくて、いづれ市内には入れなくなる。

ディーゼルエンジンの特徴がその廉い燃料だけでなく、長持ちするエンジンとすると、フィルター装着の遅れたドイツ車を買わされた国民は、今後買い替えや装着を迫られて、折からのディーゼル燃料の高騰と共に馬鹿をみる。

特にまだ数年しか乗っていない新車を購入した者は腹立たしいに違いない。ドイツにおいては如何にも賢い選択のような判断が、社会の趨勢で一転して否定されてしまうようなことが多いように思える。

勿論、多くの懸命な消費者は、後装着のフィルターの価格などを計算して、自らの過ちを自己欺瞞を含めて納得するのだが、現在のディーゼル価格の高騰を考えると全く嫌気がさすに違いない。

因みに、ステッカーが無く市街地の環境ゾーンに乗り入れると、40ユーロの罰金とフスレンスブルクの罰則センターでの減点一を覚悟しなければいけない。

マンハイムは、それほど先立つような都会であったろうか?そんな大都会の衛星都市に住んでいたとは少しも気がつかなかった。郊外に住む者にステッカーを売り、さもなくば市内の公共交通機関の使用を強制して、もしくは罰金を摂取する。環境への効果はまだ分からない。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-05 13:55 | アウトドーア・環境 | Trackback

ラインを望む牧草の鳥居

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ミッテルラインでの初めての大休止を崖の上で取った。バーベキューなどができるような小さな場所がある。

そこで昼食を採る。濡れた上着を着替える、初めてジーンズから半ズボンに着替える。

放建て小屋の周りにあるベンチを長机に寄せて食事とする。まだ新鮮な食事は進む。パンに挟んだスライスチーズが予想以上に蕩けていて、挟んだ野菜の水気と流れて具合が悪い。

それでも手を汚しながら大分を平らげる。ラインを望む崖の上に立って、戻ってくると先ほどから見えていた木の干し台が鳥居に見えてくる。牧草を干すのだろう。そう云えば屋根のついた干し台の下で女性達も着替えをしていた。

二つ建っている。向きは異なっているが形は殆ど同じである。鳥居の奥に教会の塔が見えて面白い。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-04 16:24 | アウトドーア・環境 | Trackback

ユネスコ文化の土壌

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昨年に続いてミッテルラインのユネスコ指定地域で週末を過ごした。荷物のためか、熱さのためか、はたまた雨にあったせいか今年一番の運動をした気がする。距離にすればしれているが、マウス城の対岸にあるヒルツェナッハの駅を降りるなり、靴もズボンも履き換えることなく、サンダルとジーンズで数キロ歩いたのがいけなかったのだろうか。

その後も一日中サンダルで過ごしたためか、今日になっても足に堪えている。翌日は、前日の傘をさしての行程とは異なり、予想通り温度が上がり結構厳しかったが、今度は十分に支度をして挑んだ。

ただ、前日にオファーヴァーゼルの宿の蔵出しで飲んだスレート地盤のリースリングは、質が低く、脳に雲の張ったように残った。足を引き釣り、冴えない下腹の調子に気分を害しながら、辿り着いたのは昨年の終着地バッハラッハであった。

今回は北側から町へと降りて行くので、この地方で最も良いワインの斜面を近くでみる事が出来た。四十年を越えるような古い幹がスキー場の斜面のようなスロープをがっしりと支えている。

ここには世界的に有名な醸造所も何件かある。昨晩に飲んだリースリングも同じようにもしくはそれ以上に手間をかけて蔵出されているのだが、その質の差と価格は甚だしく大きいだろう。労働効率の悪いモーゼルなどの通常レヴェルの地所が買い手も付かずワイン作農から撤退して行く流れは止めようがない。

この地域のワイン作りも嘗てはテラスが形成されていて、現在のような斜面ではなかった。作業効率を上げることは出来たが、グローバルの世界の中では通常の商品を作っていてはこうした「貧しい土地」ではとても生き残れない。

宿の壁にプレートが飾ってあった:

「働く者にはきっと神は一目置く。しかし神は歌を歌う者を愛する」

まさに、カトリック圏である。現代社会において「働けば報われる」などとお人よしな信仰を擁く素朴な現代人もいないだろうが。



参照:
栄枯盛衰に耳を傾ける [ 雑感 ] / 2007-07-08
文化に見合った法秩序 [ 文化一般 ] / 2007-07-06
理性を埋める過去の美化 [ 文学・思想 ] / 2007-07-05
指定されたラインの名物 [ ワイン ] / 2007-07-04
意外な再発見 (新・緑家のリースリング日記)
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# by pfaelzerwein | 2008-06-03 05:10 | アウトドーア・環境 | Trackback

音響増幅ボードへの期待

日本から送った荷物を待っている。たいした物は入っていないが、書籍や楽譜、LPに加えて卓上小型モニタースピーカーなどが重い。50キログラムほど三箱を船便で送って、送料は三万円を越えている。

到着したら何処に片付けようかと考える。書籍はあまり役に立つものではないのでそのあたりに積んでおくとして、また楽譜の場所は所定の位置に、LPは収集を終了しているので拡張することなく場所の入れ替えをしてどこかに収納するしかない。

検討しなければいけないのはモニタースピーカーの処置である。現在使っているアウディオ装置にはそれは不用なのでマルチメディア機能として使うつもりであったのだ。とは言いながら、ホームシアターやTVには無縁の人間なので、事務用のLANの中のPCワークステーションに組み込みたいと考えている。

精々ネットラジオを聞いたり、趣味の映像の編集やDVDのチェックなどに使うだけであり、現在は内臓のスピーカーで事足りている。それゆえステレオ効果はヘッドフォーンでしか確認できなく、廉いスピーカー無しのモニターとともに現状はマルチメディアには程遠い。

マッキントッシュのスタジオシステムとは異なり、所詮PCのシステムはその程度と言う先入観念もあって、なにも期待していない。そしてネットをみると、外部出力にメインアンプを繋ぐ方法がよく議論されているが、そのような増幅器もなく興味もない身にとっては、格安に組み込める増幅器のボードを探した。

40ユーロほどで、所謂アクティヴスピーカーと同じぐらいの価格のものが見つかった。USB2仕様で、これならば煩わしい電源も要らない。PCとは別に電源をいれるのは、PCをマルチメディアステーションと考えていないゆえ、とても辛抱出来ないのだが、これならばソフトウェアーも不要な上にスピーカーを接続しておくだけで、PCの方でいつでも音量など全てを制御できるのが嬉しい。

先ずは、モニタースピーカーが船便で届くのを待ち、その作動を確認してから、これを注文しようと思っている。それで期待するのはつけっぱなしに出来るインターネットラジオの音楽番組を初めとする、車でのラジオ聴取の延長だろう。
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# by pfaelzerwein | 2008-06-02 15:41 | テクニック | Trackback

ケシが咲き乱れる所

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# by pfaelzerwein | 2008-06-02 05:16 | アウトドーア・環境 | Trackback

索引 2008年5月


熟成する力関係の面白味 [ ワイン ] / 2008-05-30 TB0,COM0
ミルク缶が冷やされる時 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-05-29 TB0,COM0
偏屈者の国際市場戦略 [ 試飲百景 ] / 2008-05-28 TB0,COM0
誠に貴重なご意見番 [ 生活 ] / 2008-05-27 TB0,COM0
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26 TB0,COM2
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25 TB0,COM2
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24 TB0,COM2
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23 TB0,COM0
問題児対策にみる成熟度 [ 生活 ] / 2008-05-22 TB0,COM0
シュヴァーベンの隣人 [ 生活 ] / 2008-05-21 TB0,COM0
静かに囁く笑い話 [ 生活 ] / 2008-05-20 TB0,COM2
森の泉の渋味の世界 [ ワイン ] / 2008-05-19 TB0,COM2
飽きない気持ち良い生活 [ ワイン ] / 2008-05-18 TB0,COM0
蝸牛が殻に篭るように [ BLOG研究 ] / 2008-05-17 TB0,COM0
俄かサボテン愛好の憂慮 [ 女 ] / 2008-05-16 TB0,COM7
工業成形される人生基盤 [ マスメディア批評 ] / 2008-05-15 TB0,COM0
蜉蝣のような心情文化 [ 文学・思想 ] / 2008-05-14 TB0,COM0
深く流れる情感の意志 [ 女 ] / 2008-05-12 TB0,COM3
清々しく熱い潮流 [ 女 ] / 2008-05-10 TB0,COM2
安定と静粛の乗り比べ [ 雑感 ] / 2008-05-09 TB0,COM0
新幹線の国際的競争力 [ テクニック ] / 2008-05-08 TB0,COM2
価値のある品定め [ 試飲百景 ] / 2008-05-07 TB0,COM4
とても幸せな脳の人達 [ 生活 ] / 2008-05-06 TB0,COM0
とても幸せな葡萄の光景  [ ワイン ] / 2008-05-05 TB0,COM0
旨えー、ヤギのチーズ [ 料理 ] / 2008-05-05 TB0,COM2

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# by pfaelzerwein | 2008-05-31 00:06 | INDEX | Trackback

熟成する力関係の面白味

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A・クリストマン醸造所は、二つのお披露目に華やかであった。一つ目は、なんと言っても当主がVDP会長に就任しての初めての試飲会であったこと、二つ目は、嘗ての納屋が試飲室としてお披露目されたことであろう。

「息子のマルティンを表に立てて」と、お母さんの強い意志を何度も聞かされたのは十五年以上前の話しである。短期間の内に協会の頂点まで登り詰めるには、それなりの理由がある。しかし少なくとも醸造所の中では醸造や小口販売においては隠れた存在であり続けた。そのような理由で、予測されたとは言いながら、我々を待ち受けて歓迎する当主の姿勢は、こうした顧客に対して通常ならば当然かもしれないことが、祝賀的な気分を交じえて受け止められたのではなかろうか。

そのお蔭で、東京でのドイツワインに対する苦情処理の話やドイツワイン関係者の対外への姿勢を質すことが出来たのは幸運であり、そのあと申し込んでいた三十人ほどの顧客を連れて地所を案内しながら語る様々なワイン農業に関する具体的な内容は今までにない分厚いものであった。

同じく、マンデルガルテンの手前でカペレンベルクの地所をその土地を掘り起こして採取面を見せるにしても、今VDPが取り組むバイオやテロワールを浮き彫りにする高次からの視線が感じられて大変刺激に富んでいたのである。

その一方、叔父さんの土地を譲り受けて新たに拡張して土地を有効利用して行く計画やワイン農協同組合の地所にみる荒れ方と市場の様相を一望する話には、流石に会長だけに視点が異なると感じさせる。

同時に、先代のをそのまま受け継いでいるそのプファルツ訛りの話し振りは、我々に氏が学んだ法学を考え直させるほどの印象を与える。それは、この醸造所が提供するワインの如何とも独自の味覚でもある。それを如何に楽しむ事が出来るかは愛好者の受け止め方によるだろう。

イーディックの茶室跡の丘の上で、供されたワインの数々のなかで秀逸だったのは、イーディックのシュペートブルグンダーであり、その価格32ユーロがその質を語っている。まるで高級辛口シェリー酒のような味のピノノワールである。

2000年産と2005年産のイーディックのグランクリュの飲み比べも注目された。ここでも、9グラム、4グラムの酸や糖のバランス以上に、土壌であるロートリーゲンデのスレートのような味は、なるほど日本食にこれを好む人がいるかもしれないと思わせる類似性を示していた。イーディックのリースリングは、この醸造所のフラッグシップであり、まさにその場所で試飲会ピクニックが開かれているのだが、歴史的な流れと農協による荒れた状況を、区画を少しずつ買い戻して行くことによってその特別な土壌を回復させて行こうとする意志が語られる。

いわばこうしたレコンキスタのような動きは、ビエンガルテンなどでも買い取りが進められて土地改良へと動いている。その土地は、四年毎の土の掘り返しによって、一つおきの畝毎に根掘りはおりと植え替える下草に、バイオダイナミック農の共通した取り組みがある。そのためには葡萄の根も真っ直ぐと下に伸びていくべきなのである。

その摂理は、御得意のビオデュナミークにおける「宇宙の力」を、今はまだ科学的に解からない力として積極的に利用することで、過去にそうであった「科学的前進」を将来にも繫げようとする旨が表明されるとなると、どうしても疑問の声が方々で聞かれる。そこで、「それならば百年後にもう一度ここに集合してその結果を皆で確認しましょう」と再会を期すことになる。

上に暗示したように、この辺りの知的な認識が、明らかに我々とは異なる所以で、そうした違和感がその製品であるワインに表れているのは当然ではないだろうか?あの独特の酸の出方は、上手く経年変化してそこに初めは量感のある酸に隠された糖分を強調することになり、尚且つ同じビオデュナミックを信仰するビュルックン・ヴォルフの有り余る内包量とはまた異なる弱った熟成を示す事になる。糖比重が97度ほどに押さえる独自の判断は、その熟れ方に表明される。

その熟れる前の時期をクリストマン氏は、「思春期」と呼んで二三年のリースリングはニキビ面で様々なものを発散しているとする。つまり、ここにおける熟成は、落ち着きをみせた中高年の姿ではないだろうか。現代社会における青年期は、益々長くなっていることを考えると氏のイメージはかなりクラッシックなものである。

その幾分糖の勝ったフィルンに近づく静的な熟成は、ビュルックン・ヴォルフのいつまでも酸が強く殆ど新鮮で動的な熟成とは大きく異なる。価格面において、後者の強気の価格構成を十分に意識したこの醸造所の政策がどれほど市場で受け入れられているのか、規模が小さいだけによく分からない。



参照:
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
偏屈者の国際市場戦略 [ 試飲百景 ] / 2008-05-28
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23
ドイツ旅行記2008年5月(第6日目:5月8日)その1 (DTDな日々)
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# by pfaelzerwein | 2008-05-30 02:11 | ワイン | Trackback

ミルク缶が冷やされる時

昨晩は初の熱帯夜?であった。寝苦しく二時間ほどで目が覚め、温度計を見ると摂氏23度を下っていなかったので窓を開けて眠った。寝不足気味の朝で、昼が近づくと、益々蒸し暑くなった。

ドイツの酪農家の供給停止のストライキが話題となっている。日本では生協に最後かも知れないバターが入荷した時に購入した。バイオ燃料のおかげとも、中国人が乳製品を需要しだしたからとも言われる世界的におかしな状況が起っている。

今回のストライキによって我々一般消費者が知るようになったのは、牛乳の過剰生産体制と従事者の過剰のようだ。2015年まではEU内での各国に分量の割り当てがあり生産調整が行われていることは承知であるが、リッター当たりの買い取り価格30セントと40セントの間の攻防となっている。

今回の酪農家のストライキも大手のスーパーチェーンや牛乳生産場に取って殆ど影響を与えないと言われる。ドイツで原料を買えなければEU内でそして世界で20セントの牛乳を仕入れればよいだけで、実際に一月以上の貯蓄が可能と言われる。

酪農家にすれば、バイオ燃料の余波をまともに受けた飼料の高騰から生産コストをはじき出すと、現行の価格ではやっていけないことがわかる。一方、スーパマーケットなどの市場の支配と寡占化が進んでいて、生産者を通して酪農家へとその価格圧力が掛かる市場構造を我々最終需要者知らなければいけない。

そしてグロバリゼーションは得体の知れない品質の悪い食料品をスタンダードにして行く。因みに今購入している乳脂肪3.5%の生牛乳は価格上昇したがリッターで70セントしない。35セントで熱処理してパック詰めされて、輸送されて市場に出る。

かなり狭い利潤の可能性しかそこには存在しない。夏にはアルプスの山奥で雪解け水に冷してあるとれとれの放牧の牛乳をみることがある。それが地元で消費されようが、乳製品となって付加価値がつこうが、原価価格は市場の圧力という流通機構の下にある。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-29 01:40 | アウトドーア・環境 | Trackback