午前一時の騒々しい夜

二日続けて夜中に目が覚めた。前日は食事の時刻や飲酒の仕方が浅い睡眠を齎したので自業自得でしかたない。しかし昨晩は、八台以上の消防車のサイレンで一時ごろに深い眠りから叩き起こされた。


騙し騙し、近くはないと思っていると、青いちかちかとした非常灯が目に入って起きざるを得なかった。窓から覗くと既に白い水蒸気状の煙が黙々と上がっている。

眠い目を擦り、眼鏡をかけガウンを羽織、再び窓を開けると幾らか煤臭い匂いが強い風に吹かれて感じられた。駆けつける消防車が路地を曲がるときに路上駐車の車を壊す破壊音が聞こえ、更に数台の消防車が駆けつける。

百五十メートルほど先の現場は明るく投光器に照らされているが、煙も少なく、火の手も見えない。鎮火のようだが、シャンペン工場の出荷倉庫からシャンペンの瓶が大量に動かされる甲高い音が続く。

その音を聞きながら風に吹かれていると流石に完全に目が覚めた。結局一時間ほどシャンペンの瓶の音が辺りに鳴りひびき、そして元の静寂に戻っていった。

前回の火事は2004年5月のことであった。今回は小火とは言いながら、こんな小さな町の割には比較的多く火事騒ぎを経験している。さて、ルートヴィヒスハーフェンの九人死亡の火事原因はどうなるのだろう。

結局再び寝付いたのは、夜中の三時過ぎで、朝八時には国際電話を掛けなければいけなかった。本日はグッスリと寝させてもらえるだろうか?
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# by pfaelzerwein | 2008-02-28 03:30 | 生活 | Trackback

西洋酸塊の棘にやられる

またしても、失敗をやらかした。被害は無いと言えば無いが、集中力がなによりも欠けているのである。

今日も色々なことをいっぺんに片付けようとして、頭に行動を描いて出かけたのである。

なにも緊張することのないルーティンな用件を予定通りにこなして、またまた試飲室にやってきた。

そして連絡を受けていたお目当てのソーヴィニオン・ブランを試飲する。スグリの香りが漂い、外の天気がもうひとつなのが恨めしいほど、気持ち良い初夏の太陽を感じる。もう四週間ほどすれば尚素晴らしくなると言う。瓶詰めから既に四週間、そして更に四週間、すると春たけなわである。

昨年は四月に電撃的に販売されて、瞬く間に売りきれた。今年はまだ暫らく入手可能の様である。

それから、膨らみがありながら清潔なフォルスター・シュティフト、苦味があって構築性のあるエルスター、少し甘みの勝つファインヘルプのヴァッヘンハイマー・オルツヴァイン、どれも2006年度産より良さそうである。

しかし、評価を下すのはまだ早いと諌められ、エルスターが最も既に落ち着いているが、シュティフトなどは早過ぎると言う。

先回に購入したミュラー・テュルガウがイタリア料理などにはかなり良かったので、ソーヴィニオン・ブランにそれを二本ほど混ぜる。

さて、想いは叶い、試飲などをしている内に、頭の計画図がぼやけてくるのである。大型トラックの後ろに付いて路上駐車の車を避けている内に最後の目的地の床屋を通り過ぎていた。

入店前に財布を確かめ細かなコインを見る。ほろ酔いでもないのに、床屋の回転イスの上で喋り尽くして、支払いを済ませようとすると、コインを見間違えしていて、40セント不足していた。

「次の機会でええよ、態々来ないで良いから」と、またしてしくじりでこうして一日が終わった。



参照:
計画後のルーティン行動 [ 生活 ] / 2008-02-25
裁判所の裏のマンホール [ ワイン ] / 2008-02-24
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# by pfaelzerwein | 2008-02-27 04:28 | 試飲百景 | Trackback

掛け値無しのLA大舞台

AP通信が三浦さんのことを世界に流している。雄一郎よりも和義の方が遥かに報道価値があるに違いない。後者の独特のキャラクターを改めてアーカイヴVIDEOにみると、これから恐らく始まるであろうロスアンジェルスでの大舞台での裁判劇は、日本では当然のことながら、LAから暫らくは世界に話題を振りまくに違いない。

CNNにおいてもシンプソン騒動の時に、ライヴの法廷劇が流れっぱなしになっていたが、所謂ロス疑惑での日本のマスメディアの過熱振りは当時を知る者には忘れ難い。ネットには、当時の状況を振り返ってその国民心理のようなものを非難しているものもあったが、さてどうだろうか?

今改めて、最初にTV視聴者が三浦さんを見かけた病室や事件現場でのインタヴューや米軍のヘリコプターを迎えて駆け寄る姿を繰り返しみると、その声を微妙に上ずらせての大変オーヴァーな言動はどうして大変興味深い。それが殆どの人に不審を抱かせる映像だったのは間違いないが、一方表向きは気の毒な被害者として迎えられたと現在でも記述されている。

当時の日本のマスメディアのパパラッチ振りを思い出して、編集されているとは言いいながらも、その後の会見の表情や昨年の窃盗の現場VIDEOなどを見れば、なるほどこれほどメディアにとっては商売のネタになる人物もないと思い知らされる。最も近頃は同姓同名のサッカー選手の方が有名と書かれてはいる。

昔話の「狼少年」の如く、人の注目を集めるための狂言癖や盗癖などというかなり本質的な人間性が、マスメディアを使う愉快犯であり同時に冷血な人間性を加味しているとすると、マスメディアにとってはそれほど面白い対象もないであろう。

そうした人の好奇心を刺激して発行部数や視聴率を上げるべく面白おかしく扱うのが、ブルーヴァード紙や三面記事新聞であり、今や速報性の機能等をネットに奪われたCM収入で息を繋ぐTVでしかないありえない。

しかし、一方でこうした特異な人間の行動を社会性のある事件として扱うなど、「自ら報道と呼ぶ狂言」を演じるマスメディアが存在して、エンターティメントを社会的事件として扱う大衆新聞などがあることに留意したい。

そうしたメディアは、生まれてこのかた、その商業的な機構によって資質が定められているのであり、如何に批判されようが、倫理に反しようが、なんら苦にかけないのである。これをして、消滅するまで変わりようがないマスメディアの犯罪癖と呼べるのではないだろうか?



参照:
ロス疑惑 時効の壁も問われている - 産経新聞 (2008年2月26日)
三浦元社長逮捕 偏見なく見守りたい - 中日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 2国間捜査のルールを明確に - 毎日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 27年前の事件に米当局が動いた - 読売新聞 (2008年2月25日)
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
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# by pfaelzerwein | 2008-02-26 04:49 | マスメディア批評 | Trackback

熟慮後のルーティン行動

初めてクレジットカードを紛失した。無くなっていたのは微かに気がついていたが、確かめずに二三日放って置いた。最後に使った場所は判っている。買い物のついでに気がついて直ぐにそのガソリンスタンドへと走った。

そこで確かめると、カウンターの前の喉飴の中に落ちていて、直ぐにカード会社に電話して停止して切り刻んだと言うことであった。そのまま返してもらっても良かったのだが、模範的な対応だったので感謝するしかなかった。

それからカード会社に電話して、早急に再発行して貰うように依頼した。電話の相手に状況を手短に説明すると、幾らか強圧的に響くスラブ訛りのRの発音で所定の事を尋ねられ、すんなりと要を得た。

店の者は、名前やサインではなかなか判定出来なく、写真が付いているといっても他人が使えてしまう可能性は高いと言う。

一日に幾つかの要件が重なっただけでしくじりをやらかしてしまう。ルーティンとなる場合は問題がないのだろうが、最初から最後までが多くの新たな事象に遭遇するとなると、何処かで誤りを犯すことがあまりにも多すぎる。以前あったチューリッヒの一日の車の鍵の閉じ込めもそうであった。

それも今回は帰りにいつものように燃料が底につきかけていることが判っていての、緊張アウトバーン走行で、給油後に店の者と燃料代のことを話していて余計に気が解れて仕舞っていたようである。



参照:
あぶら汗掻く暖かい午後 [ 生活 ] / 2007-02-02
困った時の時計職人の技 [ 雑感 ] / 2005-04-07
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# by pfaelzerwein | 2008-02-25 03:57 | 生活 | Trackback

裁判所の裏のマンホール

d0127795_2471669.jpg先日二時間ほどかけてセントゲリヒトと呼ばれる地所を歩いた。もともと、裁判所の建物を囲むように、二十世紀の初頭ダルムシュタット公がワイン作りに、新種の種をここで栽培したようである。

土壌的には特に特徴があるとは思わないが、そのような按配で適度な傾斜や西日の当たる地形は植物にとって好都合なのであろう。それに夜間の冷えも充分に期待できそうなのである。

下から見ると上部のシュテムラーやシュタインコップも一望出来るのだが、とそこを歩き出すと位置が分かりにくくなるのである。

さてそこで2006年に収穫されたリースリングを試してみる。第一印象は、赤ワインとも共通するあまり愉快ではないマティニーのベルモットのような土壌の味であるが、酸味がスモモの甘露煮風に甘みをもってひろがる。そして、口の脇に残る酸に再び舌や口蓋につく味に土壌の特徴が出るという感じである。

食事も燻製類などが合いそうである。飲み残しを飲むと上の特徴が強調される以外に、へこたれ方も比較的早い様子で価格6ユーロ60セント相当である。

山を一回りしてきて下から写真を取ろうとして、マンホールの上に乗り移ると、マンホールの蓋が見事にひっくり返る、その中に落下した、カメラを握りながら、何かにつかまると葡萄の棚の針金で手の甲の親指と人差し指の間に5センチ以上の擦り傷を負った。落ちた右足の脛を強く打ち、左足の片膝を立てると、下は十メートルほど深かった。幸い、何もそこに落とす事はなかったが、大変危険な撮影であったのだ。

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# by pfaelzerwein | 2008-02-24 03:07 | ワイン | Trackback

格差是正への熱い圧力

先日ある会合でケーラー大統領を褒める者がいた。選出時の政治的な不信感に関わらず思いのほか良い大統領になったと言う意見であった。ここでもエリート教育問題を移民問題に絡めてそのインタヴューを紹介した。

そして今週も様々な時事問題がニュースとして流れた。コソヴォ独立やトルコのイラク侵攻などは限定的とは言え世界情勢をよく示しているようにも思える。

相変わらず、新聞の片隅にはHASS(嫌悪)と大書きされたトルコ人住居の不審火などが小さく報じられている一方、先日のルートヴィヒスハーフェンでの調査結果が来週にでも発表されるようである。

もし、政治的な放火が確認されれば、一大政治問題となり、ドイツ社会が新たに熱せられるに違いない。ゾーリンゲンでの放火事件の際も市民によるキャンドルの輪などがこの町でも呼び掛けられたが、今回は近隣のことであり、「犯人探し」と共に前回以上の運動にならなければ不思議なのである。勿論当時の社会状況とは打って変わって、こうした反社会的な行動が政治的な基盤となる様相は皆無なので、その「本当の犯人」を追求するのはむしろ困難を極め、市民の態度も自らに働きかけるよりもトルコ系市民等との連帯を示唆して、最終的にはヘッセンで下されたような政治的な判断を示すしかないであろう。結果を固唾を飲んでいると言っても良いかもしれない。

最も新しい政治意識調査では、左派党の躍進が引き続き確認されて、東ドイツでは30%と堂々の第一党となっている。更に、ヘッセンの選挙などで確認されたように西ドイツでも社会の不公平是正を訴えたその声は強く受け止められて、8%と勃興している。

連邦共和国全体でも第三党を狙う勢いで得票率11%辺りを自由党FDPと争そっている。それに引き換え28%と伝統的国民政党社会民主党SPDの凋落傾向は止まらず、シュレーダー政権でその伝統に終止符を打ったような感すらある。その理論的な政策も実際の支持組織も双方とも時代遅れの感さえあって、EU内で共通しているように見えるがどうだろう。

ヘッセン州議会も再選挙の可能性もある不安定な政治地図は、総合して左翼勢力の増大とキリスト教民主連合の国民政党としての貧弱さから、今後とも当分は選挙の度に繰り返される様相となりそうである。

G8などで国際ファンドの規制などが協議されていてもその効果が表れないうちは現在の左派党の躍進は止まらず、強い野党として立場を誇示するように思われる。それほどに、グローバリスムの新自由主義は嫌悪されているに関わらず、未だに効果ある政策や秩序を取り返せない保守政党は、今後メルケル首相が候補の時のように再び左派と対決する形で自由経済主義を謳うのは不可能に思われるがどうであろう。その分、自由党が今後も支持を拡大させそうである。

反対に、35%の得票率のキリスト教民主同盟CDUが「真ん中」に位置して、国民政党として政権をになうためには、現在のベルリンの大連合下のメルケル首相が行うような舵取りが今後とも要求されそうである。要するに自由党よりは遥かに社会主義を貫いて行く必要が生じる。その場合、外交的にはパートナーであるバイエルンのキリスト教社会同盟やローラント・コッホのような発想は押さえていかなければ、広い支持層を獲得出来ないに違いない。

そのような意味合いからもSPDは、先ずは左派党との間の境界線を整えて差別化しなければいけなく、現在の大連立第二党の立場ではあまりにも困難でしかないだろう。



参照:
Die Sogwirkung der Linkspartei, Professor Renate Köcher
得票率グラフ表示, FAZ vom 20.2.2008
脱思想・脱原発・脱体制 [ 歴史・時事 ] / 2008-01-29
ローランド・コッホ負ける [ 生活 ] / 2008-01-28
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
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# by pfaelzerwein | 2008-02-23 02:35 | 雑感 | Trackback

場所を定める比較対照

d0127795_54211.jpg歩いたワインの地所の印象を残しながら赤ワインを試飲する。ピノノワールもしくはシュペートブルグンダーは赤ワインとは言いながら土壌の味が最もワインに出易い。

既に書いたようにオーデンヴァルトの盛り上がりは、貝殻層に砂や泥のローム層が乗っていて、ワイン土壌としては一般的にはつまらない。ダルムシュタット周辺では火山性の隆起もあるようだが基本的には、石灰質が上に出るぐらいの単調な土壌である。

そのような理由からシュペートブルグンダーは、リースリングとも代わり映えしないが、それはそれなりに特徴がある。推測するに砂地層がこの葡萄の生育に寄与しているものが多いのだろう。

細かくは確認出来なかったがセントゲリヒトの斜面の中には乾いて白っぽい珪素の比較的多い土壌が乗っている場所もあり、こうした土壌がベルクシュトラーセに散在する限り同様な特徴を持つ赤ワインが期待出来るのである。

今回開けた2005年産のシュペートブルグンダーは、少量の飲料でも腸が痺れる程のタンニンが強く利いているが、アルコール臭さにベリーの香りが旨く隠れていて、甘さを全く感じさせないのが良い。

実はこれを書きながら同じ地所のリースリング・キャビネットを開けた。それについては改めて記すとしても、やはり土壌の味が顕著にそして微細に出るのはリースリングワインであり、その味を参考にして再びピノノワールを吟味するとその特徴が浮かび上がってくる。

要約すると、ミネラル質の味のきらめきが薄い分、果実風味などがそれに変わって表に出てくるとどうしても甘みを感じるのだが、これらのワインにはそうした柔な味はなくて、あくまでも土壌の味が深く潜んでいるのである。

その味は、モーゼルのスレートでもラインガウの花崗岩質でも、ナーへの火山性でもプファルツの雑食砂岩でもないどんよりとした灰色っぽい味なのである。それでも最も一番近いのは、ラインガウだろうか。

翌日になって、古くなったバナナの香りが出てくる一方、新鮮な香りが消えると、些かとっつきが悪く仏頂面のワインとなる。これに更に旨味をつけるとザクセン地方のシュペートブルグンダーにも似ている。

だから、このシュペートブルグンダーは、味の強い鹿料理やイノシシ料理にはもってこいであり、肉の苦味をすっきり消してくれるのである。バーデン地方のカイザーシュテュールの火山性の土壌の赤ワインも捨てがたいが、食事をもっとも楽しませてくれて、赤ワイン独特の胸が一杯になるような重さを感じさせず且つタンニン豊富で深みのあるベルクシュトラーセのシュペートレーゼは最もブルゴーニュに近い食事に嬉しいドイツの赤ワインではないかと考えている。



参照:
裏町のパブリックな対応 [ 試飲百景 ] / 2008-02-18
西日のあたる森の開花 [ 暦 ] / 2008-02-19
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# by pfaelzerwein | 2008-02-22 05:05 | ワイン | Trackback

楽天主義が支配する時代

承前)新聞記事を読んで要約を書きながら、いつまでも気になることがある。マン事件からその後の1968年紛争への問題もあまりにも多様で、なかなか手がつけられなかったばかりか、次から次へと気になることが出てくる話題である。

1933年の楽天主義に関しても、frostcircusさんからコメントで、指摘されたのでこれも上の記事に戻って、そこから逸脱しない範囲で書き逃していたことを要約する。

ラインラント・ボンは、そもそもプロイセンの帝国の地方として、また第一次世界大戦の敗戦によるヴェルサイユ条約で非武装緩衝帯にあり、国家社会主義が支持され易い地盤にあった。だから自治の大学と言えどもこの影響は受けていたと考えられる。

さらに1933年になってのプロイセン文部省の再編成に伴う予算の削減が、ボンの哲学学部を直撃した背景がそこにあるようだ。1935年の学部長選挙は否定され、1937年には文部省から派遣されたナチ親衛隊のシンパであるカール・ユスティス・オベナウワーが学部長に全会一致で着任している。

その間の1936年12月19日付けでトーマス・マンの名誉博士号の剥奪が決定されているのである。表向きは、既にチェコの市民権を獲得していたマンがドイツ国籍に相当しないという説明が付け加えられている。

そうした亡命を含む多くの関係者は、既に戦後直ぐの1945年、1946年にはあらゆる名誉回復が試みられていたのであるが、1960年代にはそれが既に忘れ去られていたとされる。

同時に、1958年に提議された非常事態法が、社会学的にヴェルナー・マイホファー、トーマス・エルヴィン、ユルゲン・ハーバーマスなどの専門家の強い反発を招いて、1965年5月にボン大学に1100人を集めて「非常事態における民主主義会議」が開かれる社会情勢を加味しておかなければいけないだろう。

これを以って、1933年と1945年に蔓延した楽天主義の様相の一部を垣間見得たのではないだろうか。

Change, we can believe in!



参照:
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10
脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
希望へ誘うオバマ候補 [ 雑感 ] / 2008-01-15
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# by pfaelzerwein | 2008-02-21 07:08 | 歴史・時事 | Trackback

68年への総括の道程

68年問題の一つの考え方がここにある。FAZの記事として彼此二月も前に載っていた記事である。戦前のトーマス・マン事件に対するボン大学の総括を巡っての議論である。

その詳しい状況は何冊も本を漁らなければ判らないが、幾つかの重要な現象を追うことも出来、尚且つ68年の学生運動へ向けての核心をそこに見る事も出来るようである。

戦後のドイツの歴史を見るときには、復興期のアデナウワー保守政権とシュピーゲルスキャンダルというような防衛機密漏洩の反逆罪に問われた多くのジャーナリストの「報道の自由」を護った強い意思を抜きにしては語れない。それは同時に所謂学術文化における連邦共和国の実力を象徴しているかのようである。

そのようにこの名誉博士号を剥奪されたマン事件の総括は、なにも中世からの長い歴史を持つ大学府の自治権問題のみならず、大衆化への流れにあった高等教育の場でのエリートの使命でもあったと言えるだろう。

ボン大学の校風が他の南や北ドイツのそれとは異なり、近隣の中央党支持者の多いカトリック圏ケルンのそれとも異なっていたのは想像し易い。そうした中で、1933年から1945年にかけて大学を去ったユダヤ人学者やカトリックの物理学者ハンリッヒ・コーネン、またバーゼルへと追いやられたプロテスタントのカール・バルトなどが、ナチスを認めずに反体制派の学者となる一方、ナチスの旗を掲げハイル・ヒットラーと挙手をして大学に残った学者がいたのである。

彼らは、多くの公務員がそうであったように戦後も居続けていたのであるが、1964年10月のツァイト紙の告発によって、新たに学長となったゲルマニストのフーゴ・モーザーが先ず槍玉に挙げられた。そしてドミノ崩し的に連鎖して過去が暴かれる事となったのである。

学内での様々な議論と声明から一旦終結に向ったようだが、それを「ナチス時代のあらゆる学術的な研究の責任を解除する行為」としてロマン学者ハリー・マイヤーが批判したことから再び火の手は昇った。1865年以後ボンの哲学学部において最悪の時とする批判から、本来あるべきヒューマニズムの牙城としての大学が強調され、教職陣のナチ協調の責任が再び指摘される事となる。

こうした議論は、最終的に学術的には非常事態における立法議論に導かれるのは予想通りであり、それは非常事態における執行力の崩壊の可能性を連邦共和国においても顕著化させる。こうして上のシュピーゲル・スキャンダルの法治国において、ボン大学の63人の教授陣は厳しく批判されることになる。

そうした反応の中で、1966年には当事者のヒュービンガーによってトーマス・マン事件が纏められて、ボンにおける特異性が明らかにされるようだが、そこではトーマス・マンの、プロイセン帝国で好んで読まれた第一次世界大戦後の「ブーデンブロック」を非政治的に扱い、やはりボン大学長の子息クルト・ヴォルフが同時期に出版した「ウンテルタン」を著した兄のハインリッヒとの諍いが強調されている。

その報告書の後書きにて、ボン大学の哲学部の「罪」ではなく事件を導いた「責任」が指摘されるのみとなっているようである。こうした1964年から1966年にかけての執行猶予の事態が、来る1967年から1968年のさらに大きな紛争を招いた状況が示されている。

1933年と同じように1945年のオプティミズムが支配していると、ハリー・マイヤーが指摘したようだ。当時若きユルゲン・ハーバーマスは、この騒動に直接関与しているようである。


追記:楽天主義が支配する時代 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-21



参照:
Thomas Mann und der Fall der Universität Bonn,
Matthias Pape, FAZ vom 15.12.07
「実録・連合赤軍―あさま山荘への道程」 (ベルリン中央駅)
異端への法的社会正義 [ 女 ] / 2007-02-20
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
ポスト儒教へ極東の品格 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-05
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
死んだ方が良い法秩序  [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
天皇陛下のための硫黄島 [ マスメディア批評 ] / 2007-02-23
野蛮で偉大な時の浪費 [ 歴史・時事 ] / 2006-12-06
福音師の鬼征伐 [ 文学・思想 ] / 2006-10-14
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
近代物理教の使徒の死 [ 文化一般 ] / 2007-05-02
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# by pfaelzerwein | 2008-02-20 05:16 | 歴史・時事 | Trackback

西日のあたる森の開花

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土曜日には既にこうして開花していた。オーデンヴァルトのヘッペンハイムにあるワイン地所セントゲリヒトで写した。日陰は、水で路上が凍結しているに係わらずである。

朝晩は、零下の日々が続いているが、日差しが強く、サンルームなら気持ち良く裸で日光浴が出来そうである。

オーデンヴァルトは、プフェルツァーヴァルトとライン平野を挟んで向きあって、南北に伸びている。ライン河の右岸がバーデンヴュルテンベルク州からヘッセン州へとヴァインハイムからヘッパンハイムへと跨る。

反対の左岸がプファルツで、両世界大戦後にフランスに編入されたり、管轄を受けた地域である。先日遊びに来た子供も、ジャンと名付けられていて、フランス綴りであるが、プファルツの名前として役所でも認められているという。

アルペン協会でブルゴーニュ・マコンとの姉妹提携があり、フランス語の話を市民大学の人と話したときに、今でもこの地域ではルートヴィヒスハーフェンなどの都市部と比べて比較出来ないほどフランス語学習熱は強いと聞いた。

しかし、町中ではフランス語はおろか外国語に堪能どころか標準ドイツ語もめったに耳にすることが出来ないこの地域なので大変不思議に今でも思っている。個人的には、地元出身の者でフランス語堪能な人間は一人しか知らない。一体他に何処にいるのだろうか?

何れにせよ、地質学にも左右の盛り上がりは異なり、何よりも気候が違う。それは、朝日が当たるのと夕日が当たる相違だけでも大きい。つまり、春夏秋冬穏やかな気候はプファルツのワイン街道の特徴であるが、オーデンヴァルトの麓のベルクシュトラーセは熱も持ちやすく朝晩の冷えは強いかもしれない。

ワインも、土壌の特徴を無視すれば、プファルツのワインは果実風味が豊かで、ベルクシュトラーセのワインは酸も強く、アイスヴァインなどの収穫にも適している。因みにこちらでは、まだ蕾を見る季節ではない。陽射しもハイデルベルクなどの谷間を除くとベルクシュトラーセの方が強く感じる。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-19 02:58 | | Trackback

裏町のパブリックな対応

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町裏にある醸造所を訪ねる。昔からのワイン醸造所や業者が居並ぶようなその道は嘗て散策したことがあるのだが、今回初めての訪問となる。ネットで幾つかの情報を集めて、夜ハイデルベルクに行くまでの時間に試飲をして、ワインの地所を歩く事にする。

お昼十三時まで開いていることから、十二時前に到着して、三台分のある駐車場に車を停める。最近は、ドイツ国内では初めて訪問の醸造所へ行くことは少なく、前調べのみならずラインガウにあるヘッセン州立の醸造所の姉妹醸造所なので事情は知れ、凡の検討がついているながら、少し期待が高まるのである。

試飲の対応をしてくれるのは予想通りの女性で、ワインのみならず試飲後に散策する地所や組織機構について訊ねても、充分な情報が提供出来るようになっているのは流石である。

そのような前口上に続いて、辛口のリースリングを中心に試飲グラスが並べられる。先ずはリッターヴァイン、シェーンベルガー・ヘーレンヴィンゲルトと呼ばれる地所の二割かたグラウブルグンダーの交じるリースリングである。2007年産なので新鮮なのは良いが、やはり混ぜものをする利点は感じられない。両方の葡萄の種の味が分かる者にとっては、度の違う眼鏡を覗くように落ち着かなく、気持ちが悪い。しかし、なにも考えない愛飲家にとって旨いのかどうか?二つ目は、ラインガウのように「クラッシック」と呼ばれる辛口でも半辛口でもないリースリングで、地所は明記されていない。2006年産の物であったが味が充分に凝縮していない。

三つ目はシェーンベルガー・ヘーレンヴィンゲルトのリースリングであるが2006年産でここのラインガウのワインにもあるような個性の無さが、ベルクシュトラーセのリースリングの味の特徴と相俟って逆に個性となっている。さて、そこで出されたのが、ベンスハイマーのカルクガッセと石灰の名が入っている地所である。そこは、ヘーレンヴィンゲルトとともに、かつて散策したこともあり想像しながら楽しむ。その横に五つ目のヘッペンハイマーツェントゲリヒトをおいてくれて、2006年産のこの二つを比べるように勧めてもらう。

なるほど前者がカルクを少し交えた土壌で単調なベルクシュトラーセリースリングとしては充分に土壌の個性が出ている。そのためか口当たりが甘く感じるのだが、さらっとして薄っぺらいのがまた面白い。そして後者こそが典型的なこの地方の殺風景なリースリングを凝縮したような味でそれなりに味が濃くボディーがあるのだ。なかなか良いリースリングである。

それを更にシュペートレーゼとして濃くしたのがヘッペンハイマーのシュタインコップのシュペートレーゼである。アルコール12.5度の2006年産のワインは、この醸造所の実力を示していて、尚且つ8.5ユーロの公共性をもった価格に感動させられるのである。私立ならばこの価格では決して売らないであろう。

試飲している間、一件は試飲無しに特定のワインを取りに来て、そして子供づれでこれまた試飲無しでワインを取りに来る父親などがいたが、始めにヴィノテークに入った時にいたお客さんが赤ワインを試飲していたのをみて、ベルクシュトラーセのシュペートブルグンダーを思い出す。そこでこれも一通り試飲させてもらう。

先ずはリッターヴァインである。アルコール度13.5%は魅力であるが、単純な赤ワインにありがちな甘みがあり、決して価格6.3ユーロのCPは悪くないのだが、態々買う必要は感じない。二本目はヘッペンハイマー・ツェントゲリヒトで、これは2005年産でもまだタンニンが利いていて、充分な力強さがある。13%のアルコール度と酸は流石に2006年度の銀賞に輝くだけのことはある。また8ユーロの価格は大変嬉しい。

同じ地所の同じヴィンテージのシュペートレーゼは、上のものを更に強くしたもので、通常はレストランなどで飲むことが出来ない質のシュペートブルグンダーである。まだ十年ほどは置けると同時に今飲んでも14度のアルコール度はどんな肉料理にも負けないだろう。ワイン街道においても南の方ではアルコール度の高いこうしたワインが作られているのであるが、土壌の味からどちらに軍配が上がるか、またバーデンのカーザーシュテュール周辺のものと比べてどうかなど、興味は尽きないのである。明確に言えるのは、ワイン街道のハールトの土壌は、こうした素っ気無い味のピノノワールを栽培するには果実風味があって旨すぎると言うことではないか、などと考えながら、このワインを贈り物の一本として選ぶ。兎に角、10.5ユーロはお買い得商品に違いない。

最後に試したQbAのバリックは、上手に木樽の味を付けているがそれ以上のものではなかった。

そして国内に進物として送りたいと相談をしにくる高齢のオヤジさんへの懇切丁寧な対応を見ていると、州立醸造所のベルクシュトラーセの支店は民生委員を兼ねている感じするぐらい、パブリックなものであるのが知れるのである。



写真:先日の州議会選挙で争点となったビブリスの原子力発電所を名うての地所キルヒベルクから望む。管制塔やタービンなどを見学してあそこの従業員食堂に招かれたのは良い思い出である。老朽化で取り壊しの早い施設であるが、この辺りにはフィリップスブルクとビブリスの両原子力発電所を望める地点が多くあるようだ。



参照:
ドイツ旅行記第2日目(8/18)その2(DTDな日々)
地所の名前で真剣勝負 [ 試飲百景 ] / 2006-02-06
葡萄の地所の名前 [ ワイン ] / 2006-01-21
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# by pfaelzerwein | 2008-02-18 00:00 | 試飲百景 | Trackback

松陰の記憶のカーペット

大学の町マールブルクは古い町並みが保存されている。その家並みは太陽熱発電が義務付けられて、改築には最低5000ユーロの費用が必要になるという。条例に反して太陽発電を設置しなければ8000ユーロの罰金が処せられるようになるようだ。

幾つか情報が偶然に重なってある人のことを思い出した。あまりここでは個人的な思い出などは、興味をもって読む人も居まいと、書かないのだが、あまりにもネットの検索で引っかからないので、少しだけ触れておこう。思い出したが吉日である。

亡くなって三十年ほど経つのだろうか?有名なレコード屋のご主人であった増田豊太郎さんの思い出である。戦前戦後のこともよく語っておられたが、最後まで店を出されていた三宮駅北側の対面販売の狭いマスダ名曲堂のカウンターに腰掛けて聞いた色々な話を少しづつ思い起すと無性に懐かしい。

数少ないネットでの言及のみならず氏の描いた絵をみる事が出来て、記憶の片隅にあった情報を結び付けたりしている。帝展については良く聞いていたので、ご本人が応募したような話としてしか覚えていなかったが、ネットで見ると師匠の鈴木清一が「何回も入賞していた」ことについて語っていたようだった。

その長男鈴木藍作がブライスガウのフライブルクに近い国境の町ブライザッハ在住の陶芸家と知って驚く。あの国境の町に最後に出かけたのは確か2001年9月11日だったと思う。記憶の中に多くのことが沈んでいる。

増田豊太郎の絵を見て思い出した。「僕はな、手入れされている庭よりもな、雑草の生えた自然が好きなんや」と妙なことを言うと強く同意は出来ずに思っていたが、この絵を見て当時見せて貰った絵を微かに思い出して、その気持ちが幾らかは分かるような気がする。

絵は戦前の須磨の月見山周辺の赤松林の下の緑のカーペットのようだが、確かにああいう光景は、戦後の神戸では作者が確か移り住まれた鈴蘭台方面など限られた新興市街地域にしか見られなくなったかもしれない。空き地などの余地が都市部では殆どなくなり、埋立によって海岸の松林は無くなって行った。



参照:
マスダ名曲堂の思い出(スーさんの熱血うなとろ日記)
いのちの曲(ニコニコ堂)
マスダ名曲堂(宝塚の風日記)
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# by pfaelzerwein | 2008-02-17 00:00 | BLOG研究 | Trackback

似て非なる地方の名物

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レンズ豆のヌードルを久しぶりにお呼ばれした。シュヴェービッシュ料理で、その他の地域ではあまり知られていない。一度ご馳走になってから、数え切れないほど作ったが、何時の間にか似てもにつかぬ料理になっていた。

明治時代に入った洋食が日本の伝統と合体したような変容を、いとも容易に遂げていたのには驚いた。シュヴァーベンの人にこれでもてなすことがないのは当然とはいいながら、今まで気がつかずにいたのには驚く。レストラン等でもこの料理を食べるには地元に行かなければならないから、こうして本物を食する機会がないとその変容に気がつかなくなる。

同じ地方料理のマウルタッシェもアジアの餃子とは大分異なるのは当然であるが、比較的似ているのが逆に不思議に思える。

さて、本物と偽物の違いは写真を一目見て比べれば直ぐに判るように、本物は、汁気がたっぷりとあるので、豆の皮が破れ崩れべとべとにならずに、いつまでも美味しい。

ワインは予め持ちこむことにしてした。この料理を食することを知っていたので軽めのリースリングを選ぶ。豆とシュペッツェレではどうしても喉越しを綺麗にすっきりとさせたいのである。だから、あまり引っかからずにスッキリとするリースリングが良い。ヌードルだからと言って甘みが喉に残るようなものなら駄目である。

そこで、時期的にも飲んでおきたい一本として、フォン・ブール醸造所のヘアゴットザッカーを選んだ。この選択は容易で、今でも他に適当なものは思い出せない。喉越しである。これは間違いなく飲むとして、その他にもう一本お土産に選ぶのは難しかった。あまり古いワインであると、現在の状態が判らなく、もしかすると続けて開ける可能性を考えると、なかなか難しい。2007年度産の一部はもう少し寝かせて置きたいものが殆どで、今飲めるリースリングは、先日試飲したフォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所のこれまたダイデスハイムのヘアゴットザッカーなのである。既に昨年の11月末に瓶詰めされていることから、非常に落ち着いた新酒である。

前者は、炭酸が残っており、ステンレスの醸造の問題を説明する必要があったが、味の方は昨年秋に飲んだときとは大きく変化して、完全に上手く熟れたワインとなっていた。炭酸が清涼感を補いつつまろやかさが出ていたので、料理には予想通り文句無しの取り合わせとなった。

食事後に後者を開けることになり、どうだろうかと思ったが、これまた炭酸も皆無に落ち着いていて尚且つベリーの味が指摘された。そして、二つを比べてもらうと、やはりこの地所を名物にしている前者の方に軍配が上がるという至極当然の結果となった。後者には、バッサーマンの旨さであり、2007年の特徴のような少し甘さが感じられて、食後ワインとしては良かったのだが、こうして両者がヴィンテージは異なっても直接比較される事となった。



参照:
シュペツレ好きの麺類 [ 料理 ] / 2005-10-06
倹約のレンズマメ [ 料理 ] / 2005-09-26
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# by pfaelzerwein | 2008-02-16 02:42 | 料理 | Trackback

北から張り出してくる寒気

d0127795_1502832.jpg久しぶりにまた冬らしくなった。朝から霧が立ち込めているが、初冬のような鬱陶しさはない。ヒーターをかければ、直射日光が無くとも、なかなか気持ち良い。

丁度一週間前には、今まで見た事もないほどに、ルートヴィッヒスハーフェンからスパイヤーまで、工場の煙突や原子力発電所の冷却塔から水蒸気が真っ直ぐと空高く上がっていた。

そして今、北海からバルト海上の高気圧が天候を支配しているようだが、寒冷前線の張り出しで、朝の霜が霧化したした気配で、一日中ガスは晴れなかった。一種の大気の潜りこみのような状態であろうか。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-15 01:51 | | Trackback

出稼ぎ文化コメディー映画

トルコ語の「出稼ぎ」をキーワードにして、探していた映画のタイトル「メルセデス・モナムー」に巡り合えた。独仏文化放送波ARTEで嘗て観たものだ。途中から観て、最後まで観てしまい、録画出来なかったのをあとで後悔した映画である。

そのスプラスティックな展開とペーソスが強く印象に残るコメディーである。トルコ語原語版がいまYOUTUBEで観られる。吹き変えや字幕が無くとも、主役のイリアス・サルメンの演技は一流でその語りの内容は大体理解出来る。

粗筋は、トルコ最東部アナトニア地方からの典型的な出稼ぎ者(GURBETCILER)を描いているようで、アダレ・アガオグルの原作「Fikrimin Ince Gülü (Delicate Rose of My Mind/1976)」が仏独トルコ合作として映画化されている。

その舞台設定は、ドイツに出稼ぎに来た田舎へと、故郷に錦を飾り予てからの女性に求婚するため、道路清掃をするミュンヘンの町で買ったブロンド色のSクラスメルセデス350SEを走らせる道中ものである。街道の途中の風物やあとにして来た近代社会のドイツからの旅を、そのもの高級車が物質的な世界を代表して、前近代的な世界へと文化のギャップを越えていく物語となっている。

それゆえに、旅は順調にはかどる筈はなく、その悪態をつきながらの車中風景は、故郷から出稼ぎへの道程や、もしくは子供時代の回想が散りばめられる一人旅なのである。故郷へ近づくにつれての一種の興奮状態に、そのものスプラステックな展開となるのみならず、近代社会から離れるに従って、いよいよ物質的な衣装が一つ一つ脱がされて行き、そして故郷に戻る頃には….

一級の文化批評映画となっている。今世紀になって初めてこうしてこの映画を見る機会になったと思うのだが、大分自分自身の見る視点が変わってきていることに気がつく。同じような時期に東独の終焉を描いた「ゴー・トラビー・ゴー」シリーズが話題になっていて、このメルセデス映画の真髄を見損なっていたような気さえするのである。特に以前は、この映画の終り方が気に入らなかったのが、今はとてもよいと感じるようになった。


追記:この映画を楽しむためには、当時のメルセデスコンパクトシリーズ、つまり現在のEシリーズがトルコ人車として、トラビが東独人の車として町に溢れ、屋根に荷物を積んで高速道路を走り回っていた状況を知らなければいけない。

邦名メルセデス、わが愛(いとしのハニーちゃん)、ベイ・オカン監督



参照:YOUTUBE
I Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 1/9
II Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 2/9 
III Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 3/9
IV Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 4/9
V Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 5/9
VI Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 6/9
VII Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 7/9
VIII Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 8/9
IX Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 9/9

反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
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# by pfaelzerwein | 2008-02-14 03:26 | アウトドーア・環境 | Trackback

反面教師にみる立ち位置

アンカラとベルリンとの外交問題は内政問題となってきた。メルケル首相が「私はあなた方の首相よ」と言うように、連邦国内にいる十万人を越えるトルコ系ドイツ人に直接語りかける必要が出てきたのは、百七十万のドイツに暮らすトルコ人にエルドガン首相がアンカラの次期選挙を睨んで綱引きを始めたからと言っても良い。

SPDや緑の党では、長くトルコ人票は配慮されてきたが、キリスト教民主同盟ではこれに充分に対応して来なかったばかりか、同化への政治的圧力をかけ続けて来たことが、今回のルートヴィヒスハーフェンでの火災に端を発するトルコでの政治的なネガティヴキャンペーンとなっていて、それを利用するポピュリスト、エルドガン首相の政党AKPが背後に暗躍しているようなのである。

しかし、この問題は世界の各地で勃興するナショナリストの国際政治地図として片付けられる問題ではなく、イスラム文化ともしくは非西欧文化と西欧文化との確執になっているのが解決の困難性となっている。

エルドガン首相は、欧州民主トルコ会議(UETD)の、その五万人のトルコ人会員をオランダやフランス各国からケルンのアリーナに集め、推定三十万オイロをトルコ大使館などから集金して決起総大会を開催した。

「統合は推奨されるが、同化は人間性崩壊である」と厳しく非難し、「トルコは、君を誇りに思う」と西欧における小トルコの砦を高らかに宣言し、ドイツの統合政策を非難し、トルコ語によるドイツでの高等教育の実施をメルケル首相に対しても再三に渡って繰り返したその意味は途轍もなく大きい。トルコ語では統合を「UYUM」と呼び、これは調和することを意味して統合される事ではないようだ。

当然のことながら、それは「統合」という意味の「西欧のイスラム化」への試みである以上に、小トルコはドイツ社会でそのまま隔離・確執を招きゲットー化への流れを加速させる。トルコ人が気勢を挙げるように「昨日はユダヤ人、明日はイスラム」となるのが予想されるのである。

そして、我々はそこではたと気が付くのである。我々の立ち位置は、一体何処にあるのか?主義主張から解放されて、そう1968年の文化革命を経て我々は今何処にいるのか?

一体、我々は、最大公約数的に多文化主義の何を受け入れることが出来るのか?ここでも書いたように、もしくはカンタベリー主教が発言,したようにモスリムにはシャリアが必要ならば、それを受けいれろと言う反面教師なのである。

五百万人にのぼる西欧のトルコ人は、これに対して文化的に何を受け入れ、なにを提供するのだろう?

西欧型社会主義思想は、そのソフト面においても役に立たないことは自明である。ケルンにあるUEDT本部の開設式にはエルドガンとゲルハルト・シュレーダーが並んだ。そして、その日和見なビジネスマン外交の結果に対して前首相は何を言うのか。在独トルコ人出稼ぎ者(GURBETCI)を積極的にドイツ国籍化して一体何が得られたのだろう?最終的には、如何なる民族であろうとも少数民族保護をしなければいけなくなるのである。

CSU党首フーバーは、「エルドガンの考えは統合への害毒である」と、またSPDの国会議員ラレ・アクギューンは、「子供達の体はここで、気持ちはトルコにおいておきたいのだ」と批判する。550人のトルコからのトルコ語の教師にヴィザを与え、五十万人の生徒がトルコ語で授業を受けるドイツ連邦共和国は既に小トルコ化していると指摘される。

そうした事態を避けるために連邦共和国は存続を懸けなければいけない。そのためには、自己犠牲も避けられない。ありとあらゆる政教分離を貫くことこそドイツ連邦共和国の使命ではないだろうか。必要ならば教室から十字架を外さなければならない。

信仰の自由は、あくまでも個人の問題である。しかしその社会のなかでは、トルコ人の五万人の会員を持つ人種主義的宗教的団体ミリゲェーリュスは公安の監視下に置かれる。共産主義者と同じように監視されなければいけないのは当然なのである。エルドガンは、同じようにトルコでクルド民族を監視して尊重するのだろうか?



参照:
„Ich bin auch die Kanzlerin der Türken“,
Die türkische Frage“, Berthold Kohler,
Integration ja, Assimilation nein, Reiner Hermann, FAZ vom 12.2.08
Assimilierung „Verbrechen gegen die Menschlichkeit“, FAZ vom 11.2.08
中野宅にて―日本のイスラム化 (伊斯蘭文化のホームページ)
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
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# by pfaelzerwein | 2008-02-13 06:31 | 歴史・時事 | Trackback

牛褒め上手の子を褒める

子供のお客さんがあった。一歳十か月である。生後暫らくして、母親から電話ではその様子を聞いていた。大きな青い目をした男の子とは聞いていたが、父親をよく知らないので、イメージは湧き難かった。

目を手で隠しながら初体面する表情からして、完全にこちらの予想を上回った人物像を示してくれて、聞くところ玄関を入るなり「わあ、すごい家だ」と叫んで子供にすればふわふわな絨毯にご満悦だったらしい。

こちらと言えば、出産のお祝いもしていないので、昨晩からあれやこれやと幾ら包んでやれば良いかなと小さな金にも思案のし通しで、夜も眠れなかったのである。生来のけちな性分に幾らか気前良くみせたいという色気があって、「これだけのワインを我慢すればよいか」などと思いに伏せってしまう人間なのである。

兎に角、機嫌の良い表情の豊かな男の子で、これまた少し無理して買った「牛裏出し革ソファー」の大きな方に母親から離れて座るなり、「これはいいや」と言うのである。

こちらは、子供も居なくあまり子供好きではなくとも、大抵は母親の手前、落語の「子褒め」宜しく、褒めて点数を稼ぐのであるが、何もかも子供に先越されてしまった。こちらは古典の「子褒め」で挑んだのだが、子供の方はこれまた上方落語の「牛褒め」で返したことになる。

こうなると、こちらは相好を崩れっぱなしのみならず財布の紐も緩みっぱなしである。封筒に入れた札を数えながら渡すと、母親は「それはいけません」と固辞するが、子供にやるのだからと言うと、母親は「貰う?」と子供に尋ね、これまた子供は「うん」とはきはきと答える。

封筒の中身を見て「お金」と言い、しっかり握って最後まで放さない。ふと時計を見ると時給としては、こちらと変わらない稼ぎをしている。そもそも、こましゃくれた子供は嫌いで、そのようなときはいつも親馬鹿の顔を見ながら子供の将来を憂うのだが、今回はこちらが人間的に完全に劣っている感じで気遅れしてしまった。

大枚叩いたマウスまで褒められそうになったので、流石にこちらも早めに警戒して「コンピュータープロフェッショナル」と持ち上げておいたが、道路を通るトラックの音に耳をそば立たせ「トラック」と言い当てるのを見ているとまたまた居心地が悪くなる。

ポーランド語とのバイリンガルであるようだが、標準ドイツ語を覚える時期で耳からどんどんと入ってきているようで最近は抽象言語「恐れ」という言葉を覚えて好んで使っているらしい。

先日のブッレッツェルを勧めると、嬉しそうにミニカー共々持込のゴム菓子「ハリボ」と皿に乗せて、それも生え揃って強そうな前歯で噛み切り歯脆さを楽しむ。ホワイトハウスのいい歳とった息子よりも余程賢いに違いない。それに、屑をソファーの上にこぼすようなことはしない見事さなのである。

母親も妊娠を知らずにつわりを感じたそのときを覚えているのだが、隣町からやってくる間に、どこかで時間が飛んでしまったことがあって、その感覚の連続性と非連続性を床の上に座って話したことを思い出した。因みに父親は、昨年十月ごろから独立して、ソーラーシステムを扱っているらしい。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-12 05:01 | 生活 | Trackback

月謝先払いする酔狂かな

ブュルックリン・ヴォルフのグーツヴァインをオルツヴァインに続けて空けた。アルコール度12.5は、その価格8.6ユーロからして満足のいく濃さである。

試飲の際気になっていた苦さは、やはり感じるのだが、抜栓直後はオイルを交えたような香りが強くあまり感じなかった。特に食事には、全く苦にならず、むしろ酸味がルッパーツベルガーよりも表に出て快適なのである。

その辺の按配は、如何に高級ワインと言えども食事の相伴と考えると、その評価の与え方が一定しない。試飲の節に話題となっていた、新鮮なワインの強さというか独特の自己主張の仕方が問題なのだ。

食後に口を濯いでから再び飲み始めるとやはり苦味が気になった。その後、醸造責任者と顔を合わせた節に、ルッパーツベルクの甘みとグーツヴァインの苦味について尋ねた。

前者の印象である丸い酸は、実際は2007年度の傾向として充分に尖りがあり、長持ちするワインの特長があると言うのだ。その酸の性質は、個人的にあまり覚えは無いので大変勉強になるヴィンテージだと思っている。そして、その甘みは、その酸とのバランスだけでなく若干はQbAとしての性質によるとしたが、後者の苦味を含めて瓶詰め直後はまだまだワインシックにかかっており、二三週間してからでないと判断は下せないと言われた。

その点から、2007年産のワインを既に15種類ほどは試しているが、全てにそれが当てはまるかと思うと、一見無駄なようなもしくは大変為になる月謝を払っているようなものである。確かに各醸造所やその様々なワインに共通した酸のイメージは、落ち着いていない印象があったのは事実である。これは二月のテーマとなりそうである。

全く話題は変わるが料理に使うヴィーンのドナウ河畔のグリューナー・フェルトリナーのワインが2007年産になっていた。これを茸のスパゲッティに香り付けするついでに試すと予想通り新鮮で再び飲用に堪えるのである。1ユーロ49のこの価値は高いと、食前に飲んでいた6.5ユーロのリースリングのリッターヴァインからこれを変えて飲む。すると、食前酒よりも味がイタリアの白ワインに似ていて、パスタに合って巧いと感激して、杯を進める。しかし、案の定食事が終わる頃には、グラスに残る液体が恨めしくなるのである。

この差が高貴なリースリング葡萄の酒とその他もろもろの白い葡萄の酒との違いなのである。いつまでも飲み飽きない酒こそがリースリングワインなのである。



注ぎ置きの

鮮やかな酒

三口まで

虚酔
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# by pfaelzerwein | 2008-02-11 05:27 | ワイン | Trackback

安全保障に反する支援

ISAF(国際治安支援部隊)のアフガニスタン派兵の問題に関して興味深い記事を読んだ。ライス女史などがNATOの会議の席上、ドイツなどに向けて一層の軍事的国際協力求めたようが、ドイツ連邦国防軍としてのあり方を改めて討議しないといけないとするNATOブリュッセルの政治局責任者ミヒャエル・リューレの紙面一面に及ぶ投稿記事である。

「ドイツがアフガニスタンに派兵するということは、脅迫や危機や国の安全保障の問題ではないのだ」と断定して、「武装した開発援助というのは、もはや虚像でしかない」、それにも拘らず「クラウゼヴィッツの国には、時機を得た議論は見られない」と訴える。

氏の立場からの主張と訴えは全文を翻訳しなければ正確に伝えることは難しいが、それを読んでそこから考えさせられた点を要約する。アナーキストに近い平和主義者から国連信仰に近いタカ派を通じて、またスーパーナショナルな自由主義者から平和信仰の社会民主主義者までに問いかけられている現在の世界が直面している安全保障への視座の一端をここに示せることが出来るだろうか。

ドイツ連邦共和国が1994年に憲法判断を仰いで、コソヴォ紛争に派兵したことは、現在もネット上でも、特に平和主義者やその信仰者からの批判が多い。当然ながら、軍事的な行動には犠牲を伴うが、その例外的な派兵は欧州の安全保障上必要であったと今考えても間違いないだろう。そして、この論文においてもドイツ連邦共和国防軍がボスニアとコソヴォで好意的に受け入れられ、事故による犠牲者しか出していないことが証明として示される。何よりも人道的な派兵の意味は、あの激しい国会での議論やリベラルな緑の党の党大会での騒ぎを経て、国民の自覚の中に刻まれている。

そして、その後短期間のコンゴ駐留や、レバノンでの安全な任務を果たし、今やEUの、NATOの中でドイツ国防軍は最も重要な派遣軍事力となって、バルカン半島からアフガニスタン、ホーン岬からレバノン沿岸まで、その部隊は展開している。

バルカン半島への派兵にてルビコン河を渡った。そして、アフガニスタン派兵は新たなルビコンを渡ることになるのだと言う。しかし、国民も国会も政府もそれどころか国防の責任者ですらそれだけの意識が無いことを警告している。

それはなぜか?そこには、所謂ピースキーピングとしての軍事介入の意味と安全保障の国防の意味の混同があるらしい。つまり、従来の武装した開発援助なり平和維持においては、元来派兵される国際軍は紛争当事者で無く、あくまでも第三者であったが、米国の主張するイスラムテロリストとの戦いは紛争当事者でしかないと言うのである。

開発援助のためにダムを作り学校を作ることこそが、タリバンやイスラム原理主義者と戦うことになるとする、西欧社会民主主義者の信念と信仰こそがテロリストの攻撃対象となるとして、そこで開発援助も平和維持もお互いに矛盾すると言う考え方である。

つまり、「世界への貢献」こそがイスラム原理主義者との戦いの当事者となることであり、それは「世界への貢献」に軍事介入する当事国の安全保障政策と相反することとなる。更に、ドイツ連邦共和国国防軍のハード面の老朽化は激しく、今後こうした「世界の警官」としての軍事的貢献は不可能とするのが専門家の意見だと言う。

そして、ここには安全保障を軍事・外交・内政などのあらゆる政治活動を組み合わせた考え方が一般化していて、社会工学として軍事介入が予算化されている事態は、軍事介入に批判的な従来の国防や安全保障の専門家にとっても根拠となっていることが指摘される。当然のことながらそうした軍事介入は、直接の軍事的な反撃ではなく核武装による攻撃どころか近代社会のネットやエレクトロニクスの社会基盤への攻撃が予想されるために、国防軍が国内で活動する事態が構想されていることをも指している。そこでは、平和的な紛争解決と総合的な安全保障とが背中合わせとなっているのである。

テロ被害にあった合衆国への義理でアフガニスタンに派兵している国防軍の意味と今後の不可能な軍事的国際貢献の現状をもって、本格的に議論される必要性を主張している。それが、本当の安全保障政策であることは間違いない。

国際会議において、判らない英語の同時通訳のヘッドフォーンを外し、ニタ笑いして七千人の派兵を決める国防担当者の無責任さを問うている。



参照:
Am Rubikon der Kampfeinsätze, Michael Rühle, FAZ vom 4.2.08
Kurzmeldungen zur Friedens- und Sicherheitspolitik,
Winfried Nachtwei (Bündnis 90/Die Grünen)
グローバリズムの領域侵犯の危険 [ 歴史・時事 ] / 2004-12-10
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
脱資本主義へのモラール [ マスメディア批評 ] / 2006-05-16
人のためになる経済 [ 文学・思想 ] / 2005-04-11
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# by pfaelzerwein | 2008-02-10 07:29 | マスメディア批評 | Trackback

熱い猜疑心の過熱と着火

ここ暫らくの新聞記事などじっくり読んで整理したいものが多い。ルートヴィヒスハーフェンでのトルコ人火事焼死も第一報から社会問題化する気配はあったが、外交問題となったのには驚いた。

昨日曜日の市内の火事で、死者九人は激しい空爆を受けた約二十五万人を誇る同市内での戦後最悪の火事となった。当日は家の前をカーニヴァルの行進が通るので招かれた客人を含めて通常以上の人間が建造物にいたようで被害を大きくしたらしい。

住人である二人の子供の目撃や前々からの脅迫電話を伝える情報もあることから、極右の狂人の放火の疑いも持たれ、大問題となったゾーリンゲンでのトルコ人焼き打ちの事件と重ねられた過熱報道がトルコ国内で反独感情に火をつけたようだ。

そしてそれが地元のトルコ人社会にも飛び火して、サボタージュをしたとされる有志消防団までが危険に曝されて、警察の護衛を受けたとされる。

現場にやって来たトルコ政府エルドアン首相は、トルコの大学での女子学生の頭巾を認めるなどの内政問題を抱えており、余計にこの事件を政治問題化したがっていると言われている。ルートヴィクスハーフェンにて、「我々は双方とも一神教を信ずる」と今後の友好関係を強調するのが今のアンカラの政治姿勢を示唆している。

さらに、ヘッセン首相ローラント・コッホの選挙前の移民に対する問題発言は、本来は政敵であるラインラントプファルツ首相SPD代表のクルト・ベックの「早期の事故判定」をも外交問題とする国際状況を醸し出したようである。

特にYOUTUBEで観られるような救助消火作業のサボタージュ指摘は、その実状よりも政治的な煽りが前面に出ているようで、ここにもアンカラの問題が映しだされているようにしか見えない。

消防救助活動における実際の初動活動の遅れはなんとも言えないが、その時刻からしてカーニヴァルに待機していた者が殆どであろうし、態々遅れて活動に入る状況などは考えられない。更に映像を見る限り、アマチュアが初期のものを映したものは皆無で、一挙に下階からの炎が上階を包んでいる様子で、既に火事が認知された時点で火が廻っていたのは頷ける。

階段が焼け落ちて、三四分試みたと言う中からの救助作業が出来なかったとするのも、木造の階段であれば納得出来る。しかし、昼間に突然これほど火の手が挙がったのは、ガスや油などの発火しか考えられないので、原因は建造物全体の倒壊の危機が避けられてから解明されるだろう。

それにしても、トルコの恐らく近親者などの様子を映す映像を見ると、放火されて見殺しにされたと信じた様子を伝えるトルコのメディアの報道の過熱が強く窺える。

米国の同盟関係にあるトルコのこうした様々な映像を観るだけで、如何に米国風民主主義や西欧社会主義風民主主義がこれらの諸国に容易に根付く可能性が殆ど無いことが知れるのではないだろうか?

因みに犠牲になった家族らは、イスラム・アレフ派に属し、これはドイツ国内で八十万人居るとされるリベラルな信仰グループでトルコ本国では正式に認められていない。つまり、今回急遽放送中止になったSWRのTV事件簿で取り上げられるような、リベラルな二世と狂信的な本国からお迎えされたトルコ人妻などの家庭にしばしば起きる、アジア的不条理の世界での家族不和による近親殺害や家族心中などとはあまり関係ないようである。それだからこそカーニヴァルの行列を高みの見物としようとして客人を集めて楽しみにしていたのかと思うと、犠牲者をはじめ被災者には大変お気の毒でもあり、原因究明が待たれる。



参照:
Ludwigshafen - 9 Tote bei Hausbrand
Ludwigshafen - 9 Tote bei Hausbrand 2
Großbrand in Ludwigshafen
Neun Tote bei Brand in Ludwigshafen am 3.02.08
Ludwigshafen - Almanya'daki yangın - Erdoğan
Ludwigshafen - Almanya'daki yangın -ikinci Solingen vakasi mi
Ludwigshafen - Almanya`da ölen ailenin ardinda kalanlar
ブレッツェルピーの脚質 [ 生活 ] / 2008-02-07
ドイツ語単語の履修義務 [ 女 ] / 2007-07-16
文化に見合った法秩序 [ 文化一般 ] / 2007-07-06
法に於ける信教の自由 [ 歴史・時事 ] / 2007-06-23
民主主義の政治モラル [ 女 ] / 2007-05-05
映像投稿ポータルの価値 [ マスメディア批評 ] / 2007-03-20
鮨に食い尽くされた鮪 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-27
土耳古系人の信条告白 [ 歴史・時事 ] / 2006-05-01
お得意さん向けの壁 [ 雑感 ] / 2005-04-14
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# by pfaelzerwein | 2008-02-09 03:26 | マスメディア批評 | Trackback

模範的オルツヴァイン

d0127795_3492842.jpg
今週購入の2007年産のワインをじっくり賞味する。ブュルックリン・ヴォルフ醸造所のルッパーツベルク産のリースリングである。

戦後の民主化されたドイツワインの指導的立場にあったことは、断わるまでもないが、バイオダイナミックスを信奉するA・クリストマン醸造所のシュテファン・クリストマンが、後継としてVDPの会長の座についた事から、再びドイツワインの模範を期待される立場となったドイツ最大手の個人醸造所である。

上のワインについて触れる前に、それが属する先ずはVDPのカテゴリーを説明しておく。ルッパーツベルクという部落の名が示す通り、これはオルツヴァイン(ORTSWEIN)と呼ばれるカテゴリーである。

その規定は、所謂グーツワインとは変わらなく、VDP推薦の伝統的で名産の葡萄種が少なくとも八割方を占めている地域が限定され、一ヘクタール当たり最高75ヘクトリッター以下の収穫率に切り詰められなければいけない。

つまり、ルッパーツベルクを命名するということはリースリングヴァインでなければいけないのである。そしてその地所から出来上がる葡萄の特徴は、ここでも度々繰り返している。

さて上のワインの特徴は、何よりも丸みのある酸と優しい旨味である。アルコール度が12.5に至っているとは誰も思わないであろう。それにグランクリュ地所ライタープファードの特徴である青林檎系の香りと味が清々しさを与えつつ甘みを醸し出して、尚且つグランクリュのホーヘブルクやガイスビュール特有の味の濃くがある。

特にライタープファードは、十年以上を懸ける土地の浄化中であって、その地所からはグランクリュワインの醸造は自己規制されていることを考えれば、この瓶の中身に含まれている質の高さが想像出来るだろう。

アルコール度とその糖化からしてシュペートレーゼ級であるのは間違いないが、それ以上に凝縮度が高く驚いた。ドイツワインはこの方向に進むのかと少しショックを覚えた。

更に、今後は一切のリッターヴァインやセカンドラべル等の大量消費ワインを断念して、ラインナップはグーツヴァインから始まりオルツヴァイン、そして名地所の名を戴いたラーゲンヴァイン(LAGENWEIN)と並びグローセスゲヴァックス(GROSSES GEWAECHS)で頂点を築くカテゴリーに沿って商品が供給される。

そのように聞いて、何だ昔と同じではないかと思い出す者は、かなりリースリング愛飲年数が長い。以前の辛口や半辛口や甘口がなくなってスッキリしたのは更に昔に遡るだろう。

その分、極甘のトロッケンベーレンアウスレーゼなどは、2007年産も楽しみであるが、甘い辛いの判断以上に内容量の凝縮度こそがそのワインの価値を決めることになる。

上のワインに関して言うと、その酸の丸さがその量感を感じさせないので、化学的データを見ないとなんとも判断しかねる。しかし、小売価格の9.3ユーロはお買い得品に違いない。最終判断は醸造責任者にインタヴューしてからにしたい。


写真は、ルッパーツベルクの町を背景にした小さな丘の上のホーヘブルク周辺。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-08 03:50 | ワイン | Trackback

ブレッツェルピーの脚質

d0127795_3503213.jpg結局、未明の四時近くまでCNNを観てしまった。結果は、番組開始の二時間以内には大勢は判明してしまっていたのだが、合衆国内部の時差によるカウントダウンなどがあるとどうしても待ち受けてしまう。

難しいお話は色々あるようだが、そのようなことをあまり考えれないほど寝不足となった。これまでの予備戦でも世界中の関心を集めることはあったが、子ブッシュ政権の世界に及ぼした影響を考えると、米国大統領の政治的基本姿勢には今まで以上に注目している。

世界の文化に与える影響は、誰がなるにしても今まで以上に大きいような気がするがどうであろうか?西洋が一枚今になって事に当たるだけでなく、先進工業国の置かれている世界の共通の政治課題を議論して行くその土台が築かれることが望まれる。

夜更かしグッズとしてピーナッツに加え、子ブッシュ大統領がホワイトハウスで喉に詰めて倒れたスナック菓子のブレッツェルの袋を開いたのである。塩からいのはしかたない。それでもピーナッツを混ぜて食すると柿の種ピーナッツのように止まらなくなるのである。別けて食べるよりもお腹に優しい感じがする。

あまり長寝も出来ずに、朝起きて、CNNをつけるついでに、ZDFのいつもの選挙の顔の面々がワシントンから伝えているのを聞いた。民主党の最終結果の代議員の数の差が百以下にあることで、僅少さとなる意味を説明していたようだ。

オバマ候補が尻上がりに力をつけて来ているので、ヒラリー候補よりも可能性は高まってきている感じはする。さらに、共和党の方も最終的な対戦相手によって、戦略を替えて行かないといけない難しさがあるとすると、大外回りから最後の直線にオバマが追い込みを懸けることが出来るのだろうか?

マサチューセッツ選挙区のCNNの解説は面白かったが、ブルーカラーに信頼されるヒラリー像も興味深い。ラテン系に食い込めないオバマ候補の事情は知らないが、トルコ系ドイツ国籍者を頭に描くと、必ずしも緑の党が支持される訳でなく、自由党の右翼などに近しいものが多いのは同じではないかと考えた。

このように世界が共通の課題に直面する時だからこそ、「教育や社会に平均化や持ち込むのは誤りで、均質化こそが罪悪に違いない」と考えながらカウチブレッツェルピーナッツと相成ったのだ。



参照:
Primaries and Caucuses (CNN)
Super Tuesdayの中学校(虹コンのサウダージ日記)
亀田の困った話?! (壺中山紫庵)
イングランド教育の不思議+イスラム雑感
(小林恭子の英国メディア・ウオッチ)
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# by pfaelzerwein | 2008-02-07 03:45 | 生活 | Trackback

謝肉祭の熟れた火曜日

d0127795_4585185.jpg
銀行に行くとカウンターは閉まっていた。町が静かだと思うと、カーニヴァルの火曜日であった。半ドンである。買いものはスーパーが開いていたので、静かな中を用が足せたが、パン屋でパンを取りに行くことは出来なかった。帰りについでに醸造所を覘く。

こちらも思い掛けなく週前半から店を開けるようになって、さらに2007年度産が店頭に並んでいた。昨日から売り始めたと言う。

ピノノワールを楽しんでいた英国人の二人組みをやり過ごす。いよいよ、2007年産のグーツヴァインから始める。途中、夫婦つれが入ってきていたので、旦那でなく奥様と試飲をご一緒する。

オイリーな匂いは、ヴァッヘンハイムからバート・デュルクハイム間に広がるケーニックスヴィンゲルト、フックスマンテル、マンデルガルテン、ルーギスガルテンなどが交じっているようだ。気になった苦味が昨日飲んだ安物のリッターヴァインと似ている。手摘みでもこのような味が出るとするとその原因は?

そうこう考えている内に、奥様は次のルッパーツベルク・リースリングを試して、甘いと仰る。それで、熟れたワインを持ってこさせる。私がこれから試そうと思う、ルッパーツブルクを片付けられてはいけない。もう一度もってこさせて、じっくりと香りを嗅ぐのだ。

香りも違うが味も違う。しかし、直前にご婦人に甘いと言われるとどうしても気になるのだ。「甘いといえば甘い」。確かに2007年産は、酸が丸い分、甘みを感じる傾向があるかも知れない。その分アルコール度も12.5度と高い。

奥様は、熟れた2005年産の古い葡萄から作ったリースリングを、お気に召されたようである。緊張して力んでワインを試すこちらの横顔を、恐らく口元を大きな目で睨まれる。そちらを向くと、まるで遠くを見ているかように焦点を変えられる。そうなるとどうしても気になってしまう。

「失礼ですが、甘いと仰いましたね。糖が多すぎますか?それとも、酸が弱いからバランスが悪いと思われるのでしょうか?」

「いえ、そうじゃないの。フルーティー過ぎると言っているの」

「なるほど、新しいワインですからね」

「ホラ、こちらのが好いわよ」と声を潜める。

それに対抗するかのように少し大きな声で、「分かります。新し過ぎるのと、熟れたのとは全く違いますからね。私もそちらを試してみます」ときっぱり。

すると奥様は、すこしウインク気味に「そうしなさい。こちらの方が好いわよ」とまた声を潜める。横にいた筈のご主人は完全に黒子状態である。

またまた声を上げて、「なにも 良 い ワインは、 新 し く な い と いけない訳ではないですからね」と敢然と言い放つ。

奥様は、「さ か な に は、 こ の ワ イ ン よ」といよいよコケットに仰るのだ。

こちらは最後まで相好を崩さずにいる。奥様は、帰りがけに背中を向けながら、ご主人よりも大きな声で間をおいて「アウフ、ヴィーダーゼン」と、わざわざこちらに張りのある大きな声でご挨拶なさる。

ご主人も小柄で少し老けて見えるが、彼女が特に後妻さんとは思われない。奥様に試飲をさせてワインを選ばせる、自らは運転を心がける、専門職風の恐らく開業医師風の穏やかそうなしかしどこか弱弱しい声のご主人である。奥様も元看護婦さんと言う雰囲気とは程遠い元「医者のお嬢さん」風である。

今後の発売日程など店の者に聞くと同時に、試飲台の上に出ている英国人が試したピノノワールを舐めて、自宅でじっくり試飲のために上の三本を購入する。二本目に飲んだルッパーツベルガーは、若々しくつとに素晴らしい。ライタープファードやホーヘブルクなどが含めれている。青林檎の味もあり香りもそしてふくよかだ。そしてなによりも果実風味に富んでいる。

当然のこと三本目の2005年産の熟れかけた味のあるグーツヴァインも忘れずに購入した。店のものに聞いた。

「後一年ぐらいは楽しめるかな」、「そりゃ、なんとか」

奥様のイニシャティヴで事が皆すんなりと進んだようである。昨日のローゼンモンタークの朝焼けは情念に満ちあふれていた。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-06 04:59 | 試飲百景 | Trackback

硬くクネーデルンする

d0127795_159489.jpgレバークネーデルについて質問があった。調べて見ると最もスタンダードな調理例の写真がなかった。ザウワークラウトを温めるついでにその上に乗せてレバー団子を温めている。

地方によっては、玉葱を炒めてソースにしてこの上に乗せるのが最も代表的な調理例かもしれない。プファルツでは、これとブラートヴルストとザウマーゲンの三点セットをザウワークラウトにつけ合わせるとプフェルツァーテラーとなる。

レバークネーデルには、大きく二種類あるように思われる。一つは大きめでつなぎが多いのか火のかけると直ぐ壊れやすくなるタイプである。これはマッシュポテトを付け合せたり、スープに入れると食べ易い。もう一つは、小さめでつなぎが少なく硬く捏ねて(クネーデルンで)あるので、薄切りにして焼いたりするのに適す。後者はプファルツでも意外と手に入り難い。

写真にあるのは、後者の小振りタイプである。料理の可能性が多くお徳である。



参照:
厚切り咬筋と薄切り肝臓 [ 料理 ] / 2005-12-01
レバー団子/Der Leberknoedel [ 料理 ] / 2004-12-21
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# by pfaelzerwein | 2008-02-05 01:59 | 料理 | Trackback

誠心誠意批評するとは

人の悪口を言うのは好まない性分である。出来る限り直接批判するようにする。勿論自らが直接間接にメディアで批評されると、誰でも神経を尖らす。特に勘違いと言うか適当に批判される時は弁解の必要を感じるのが普通である。

その点からも、ネットにおける批評は、当事者に聞こえる可能性も高く、出来るだけ誠実に批評しようと思う。誰でも気になるので、自ら世に問うたものをネットでリサーチするのは普通なのである。

ネットの場合は、商業や専門的な枠組みがないのは素晴らしいが、殆ど攻撃や嫉妬に当たる、同程度の理解の範疇での議論ではなくこき下ろしに近いものまであるので、正当な批判として受け取れないものも多いかもしれない。そうした愚の衆合に落ちいるだけでは、大衆を代表するオピニオンとはならないのみならず、同時に批判の対象になんら影響を与える事もない。だから批評は的を得ていなければなにもならない。

さて、先日から試したワインの感想を纏めておく。生産者にとっては、単純なワインと言っても、この批判は棘があるかも知れないが、そうした批判をしておくのは重要と思われる。

ゲオルク・モスバッハーのグーツヴァインと呼ばれる一リッターのワインは、決して悪くはない。しかし、どうしてももう一つ上の0.75リッターの本物のグーツリースリングを期待させてしまう商品である。食事を流しこむにはこれで誰も文句は言わぬだろうが、この醸造所らしいフルーティーな香りの特徴が殆ど無い。

勿論大量生産の商品とは異なるのだが、ミネラル質などの凝縮を感じさせないのは少し残念で、これだけを飲んで楽しむには些か物足りない。価格の5.4ユーロは他の醸造所の6.5ユーロとの差を際立たせている。反対に、この価格ならば他の格下の醸造所のものと比較できる。それでも、剥き出しのコルク栓を抜いてから三日ほど経っても充分に飲めるのは大したものだ。

それと比べて、買いつけた葡萄で作ったリースリングは、流石に質が落ちる。機械摘みらしい枝やらが交じったような味の悪さを久しぶりに自宅で飲む。巷で飲むこうしたワインは味を調えられて、悪酔いさせるように作っているのだが、これはその欠点をそのまま出しているだけそれほど悪くはないが、全く旨くもない。食事を流すには気にならないが、これをちびちびやっていると直ぐに嫌気がさす。

そこで、こうした安物を量飲む義務もないので、もう少し良いものを少量飲んだ方が幸せと言う結論に至る。その方が健康に良く、無駄もない。いやいや飲酒するなどは最低である。

さて、いよいよ最も廉価なミュラーテュルガウのリッターヴァインである。この葡種にもっている印象よりも酸が利いていて果実風味が良いと喜ぶのも束の間、如何せんリースリング種の風味や深みがなく、つまらなくなって行く。

緑家さんにコメントで鋭く指摘されたように、リースリング愛好家にとっては、「二割増しでもリースリングを買え」と言うぐらいリースリング種は高貴なのである。ミュラートュルガウをワイン酒場で選ぶ人は多い。リースリングの酸に弱いという地元の人も多く、これを好む人もいるがどうしても半辛口になる。決して悪い品種ではないが所詮つまらない品種なのである。

しかし、トマトソースや大蒜などのパスタを食するなら繊細なリースリングは惜しくて合わない。そう、ミュラートュルガウが良いのだ。そうした飲み別けも重要である。

結局、個人的には現時点では、グーツヴァインは酒代節約精神で買えるが、ミュラートュルガウならばスーパーでの手ごろで単純な南国イタリアワインなどとの競合となる。

勿論そうした判定は、個人個人によって事情が異なる事を前提として下すのである。だから、ワインに、その購買・競争力に相対的な点数などはつけれるでなく、つける意味もない。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-04 02:18 | ワイン | Trackback

引き出しのグラフ配列

BLOG「4文字33行」にて「CD整理」と題してその方法が語られていた。面白いと思ったので、自らの場合を、第三者的に解析紹介してみよう。

先ずは、子供時分からのLP盤の収集もあるので、その今後は増殖させないでおこうと考えているLP盤の分類について触れておく。EP盤やSP盤は身近に幾らかあったが収集することはなかった。

各々が作曲エポック順に並べられた所謂ジャンル別になっていて、交響楽(バロック組曲を含む)・管弦楽(声楽つき二十世紀音楽を含む)・電子音楽(実音変調を含む)・鍵盤楽曲(オルガン・ハープシコード・ピアノ・シンセサイザー)・室内楽(弦楽四重奏・三重奏・各種)・ソロ楽器を伴う協奏的楽曲・箱物(バロック・交響曲・室内楽・ピアノ・全集類・オペラ・ルネッサンス声楽・バロック宗教曲)・声楽付きオルガンを除く教会音楽・声楽曲・ポップス・ジャズとなっている。

ざっとみると、やはり古典派ロマン派・近現代音楽中心の分類方法であり、この中ではルネッサンス以前や二十世紀後半の音楽は少数派に過ぎない。

さて、CDの分類は、増殖・発展性があるので、出来るだけ適当にしているのだが、やはりこのLPの分類とは大分異なってきている。

先ず、コーナー別に見ていくと、ゴシック音楽・ルネッサンス音楽・バロックオペラ・バロック声楽が作曲のエポック毎に並んでいる。どうしても量的にルネッサンスではブルゴーニュ・フランドル楽派の並びが中心になっているのは否めない。

その横には今度は、二十世紀前半から中盤にかけて作曲された所謂二十世紀の古典が、その名称の如く器楽曲・弦楽四重奏曲・管弦楽曲が作曲家別に区分けされている。謂わば、上の古典的な音楽のジャンル別への繋がりを幾らか示した折衷的な分類であるが、作曲家が優先される傾向がある。そしてこうした群の扱いは作曲家の作曲の意図であることは言うまでもない。

次にオペラコーナーが別にあり二枚のDVDやCD-ROMが付いたHYBRID-CDが横に並んでいる。もう一つは、企画物など管弦楽団を使った録音類で、バロックから前古典派などからショスタコーヴィッチまでが並べられている。

もう一つのコーナーは、ピアノを中心とする器楽曲や室内楽に、二十世紀後半の音楽やサンプルやアーカイヴが並んでいる。下の方には幾つかのジャズやポップス類も納められている。相対的に見て、基本的にはLPを資料的に補う形となっているので、18世紀から20世紀への音楽作品を除くものが収集の中心となっている。

これに比べると書籍は遥かに複雑だ。アーカイヴや資料的な価値のあるもの棚に並べて取り易いように並べている他は、殆ど比喩ではなしに積んである。嘗ては、本棚に仕舞っておくのが好きであったが、積読が増えるに従い、分類があまり出来なくなってきている。

整理分類の基準はどうしてもヒエラルシーの活用でしかなく、上の例では18世紀から19世紀音楽に顕著に表れたカテゴリー別けに踏襲して、一方そうしたヒエラルシーを逸脱するパラメーターの多項化に伴ってポリヒエラルシーな分類方法が必要になってくる。

音楽の芸術的評価を齎す美学がこうした分類の差異を必要としているのに比べると、尚更書籍においては初めからそのような評価基準が成立しない。そのような事を合わせみて、その実際はその人の関心どころや視点を示すようで我ながら面白い。
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# by pfaelzerwein | 2008-02-03 02:48 | BLOG研究 | Trackback

誕生日ワイン会の計画

地元の高級ワイン団体VDP-PFALZが百年祭を催すことは既に伝えた。詳細が判ってきて、この間に自らの誕生日祝いも一緒に片付けてしまおうと言う魂胆が湧いてきている。さらに今年訪れる人があれば出来るだけ、こうした特別な機会を利用したいと思っている。

先ずは三月初めの協会百歳の誕生日パーティーがワイン山のイルミネーションと共に開かれる。これは入場料を支払えばおなじみのワインが飲み放題で、ソフトドリンクなどと音楽バンドが込みとなっている。ワインだけで充分もとがとれるのは分っている。お祝い事である、この入場料では主催者の持ち出しであろう。

その翌日は、ダイデスハイムの五件の醸造所の門が開かれ、様々な試飲が晩まで続く。そしてイルミネーションが輝く夜には、また新たにワインと食事などが楽しめるのである。その日曜日にはイルミネーションと共に、シュトッツガルト放送交響楽団のブラスセクションが二つに分れて野外曲を様々なグランクリュ地所で演奏する。そして近郊の五つの高級レストランがケータリングをして有料で腕を競う。

第二の山場は五月の例年ならばマイシュピッツェと呼ばれるバートデュルクハイムでのワイン見本市を挟む各醸造所の試飲会と催しものが並ぶ第三週第四週から六月のランダウでの見本市へかけての日々である。その詳細はまだ二月の終りまで待たなければいけないようであるが、この期間は例年以上に期待できる。

既に、ダイデスハイマーホッフでパーティーなどの予定が組まれているが、立食パーティーで99ユーロは高い。しかし、三月に開かれるバッサーマンヨルダン醸造所の貯蔵庫から引き出されるワインを交えての食事会一人390ユーロに比べれば大分廉い。それでも、嘗て四十年ものぐらいはただで飲ましてもらったことを考えると、幾ら資本家が全てを買い取って現金化するといっても、この価格はかなりのものである。

嘗ての最盛期、つまりヘルムート・コール首相が世界の主要元首を招き、奥さんが懇意にしていたレストランで一人130DMほどで二人をご馳走したことからすると、このダイデスハイマーホッフでの価格は決してお徳ではない気がする。

その他、ワインの感応の専門家であるシュテファン・ミヒラー博士、ドイツのソムリエのトレーナーであるマルティン・ダーティングなどの試飲セミナーや地所・醸造所見学など盛りだくさんである。

さて、なにをどのように企画しようか、考えどころである。



参照:
プァルツの真の文化遺産 [ ワイン ] / 2008-01-13
VDPプファルツへの期待 [ ワイン ] / 2008-01-07
グランクリュ解禁の反響 [ ワイン ] / 2007-09-14
平均化を避ける意識 [ ワイン ] / 2006-05-08
政治的棲み分けの土壌 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-09-22
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# by pfaelzerwein | 2008-02-02 04:13 | 生活 | Trackback

袋を抱えた渡り学生寮

寒の戻りとは呼ばないのだろうが、また温度が冬らしくなって来た。おかしなものであれほど天気が良いときには散歩をさぼっていたのに、こうなると億劫ながら「エイ」と思い、出かけるのである。

今日は先日よりも風も強く手袋が暖かかった。適当に切り上げて、その足でザウマーゲンとレバークネーデルを取りに行く。散々歩きながら四ユーロで何が買えるかと計算していたのである。チーズの入ったザウマーゲンを久々に試す事にする。

家に戻ってくると、道端に車が停めてあり、荷物配達のおばさんがいた。受け取ってくれるかというので、宛名を聞いて受け取る。

「ここは、学生寮?」

「違うよ」

「普通の家、綺麗な家やね」

「うん」

なるほど、こちらは赤いチョッキに野球帽を被っているので学生さんに見えたのか?確かにこの家は、二百年前はショ糖技術の研修所であった訳で、そのような感じがするのだろう。更に出放っている住人は今でも一人者が多く、田舎としては比較的若い。

そして、こちらもきっと学生さんのような顔をしていたかと思うと少し嬉しくなるのである。最近は、流石に「そこの若いお兄ちゃん」とは呼ばれなくなったので、還暦の赤いちゃんちゃんこと間違われたのではないので喜ばなければいけない。

「良かった、これで今日は仕事終り!」

「ご苦労さん」
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# by pfaelzerwein | 2008-02-01 04:10 | 生活 | Trackback

索引 2008年1月


七面鳥に喰らい付いた話 [ 料理 ] / 2008-01-31 TB0,COM0
六リッターのワインの箱 [ 試飲百景 ] / 2008-01-30 TB0,COM0
脱思想・脱原発・脱体制 [ 歴史・時事 ] / 2008-01-29 TB0,COM0
ローランド・コッホ負ける [ 生活 ] / 2008-01-28 TB0,COM2
Change! Yes, we can! [ マスメディア批評 ] / 2008-01-27 TB0,COM2
暖かい一月の物価高 [ 生活 ] / 2008-01-27 TB0,COM0
批判的に叙述する記録? [ BLOG研究 ] / 2008-01-26 TB0,COM0
企業活動という恥の労働 [ 雑感 ] / 2008-01-25 TB0,COM0
おかしな正月料理の記録 [ 料理 ] / 2008-01-24 TB0,COM3
引きちぎられる携帯電話 [ 歴史・時事 ] / 2008-01-23 TB0,COM0
塩気の欠けた米国の話 [ 生活 ] / 2008-01-22 TB0,COM2
制限されたカテゴリー [ ワイン ] / 2008-01-21 TB0,COM0
お手本としてのメディア [ 雑感 ] / 2008-01-20 TB0,COM2
モデュール構成の二百年 [ 文化一般 ] / 2008-01-19 TB0,COM2
改革に釣合う平板な色気 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-18 TB0,COM6
腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17 TB0,COM2
魔物が逃げ隠れるところ [ 雑感 ] / 2008-01-16 TB0,COM0
希望へ誘うオバマ候補 [ 雑感 ] / 2008-01-15 TB0,COM0
お好味のテュルガウ牛 [ 料理 ] / 2008-01-14 TB0,COM0
プァルツの真の文化遺産 [ ワイン ] / 2008-01-13 TB0,COM0
枝打ち作業の行動様式 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-01-12 TB0,COM2
医者・薬要らずの信念 [ BLOG研究 ] / 2008-01-11 TB0,COM4
三種三様を吟味する [ ワイン ] / 2008-01-10 TB0,COM2
吹っ飛んだ休肝日 [ 試飲百景 ] / 2008-01-09 TB0,COM4
中国式英語で新春日和 [ 雑感 ] / 2008-01-08 TB0,COM2
VDPプファルツへの期待 [ ワイン ] / 2008-01-07 TB0,COM2
天下の場環境の把握 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-01-06 TB0,COM0
ポスト儒教へ極東の品格 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-05 TB0,COM0
ユーモアに佇む齧り付き [ 生活 ] / 2008-01-04 TB0,COM0
文化的土壌の唯一性 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-03 TB0,COM2
ケーラー連邦大統領の目 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-02 TB0,COM4
茶緑から青白への相違 [ 生活 ] / 2008-01-01 TB0,COM2

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# by pfaelzerwein | 2008-01-31 13:59 | INDEX | Trackback

七面鳥に喰らい付いた話

d0127795_3465157.jpg七面鳥の上脛を食す。二ユーロ少々のものであるが、鶏とは違い食べ甲斐がある。捌いてあまった場所をグリルにしてあるものだ。

つけ合わせにはお馴染みのザウアークラウト。

なぜか肉の最後の一欠片まで食せなかった。まあ、労働量が少なくなかったとは言え、充分に肉があったと言うことである。

鳥インフルエンザの危険性は払拭出来ないが、どうしても喰らい付いてしまうのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-01-31 03:48 | 料理 | Trackback