感覚麻痺のバイリンガル

零時過ぎに目が覚めてしまった。お抹茶を飲み過ぎたせいか、そのタンニンのせいで味覚も皮膚感も麻痺しているようだ。そして目が疲れる。

床屋談義では、日本の気候以外に建築景気とその実体経済、トヨタ景気の中京経済と関西地盤沈下、老齢化による人口の都市集中が話題となった。前日のマンハイムでの話しでは、日本人の「世界観」恐怖症を話題とした。

前者は工業先進国共通の現象である反面、アシミレーションの進んだゾンビ化は日本に顕著であるとする。ライフスタイルや女性の草履顔コスメティックのみならず若い男性のモロコシ髭頭の漫画顔作りの特異性に、後者におけるその世界観が現れているようである。

日本人の流浪や転生の心情の典型を「方丈記」に見るのも良いが、そうした時空間がどのように現在のそこの風景に現れているか?それを環境と見るのかそれとも文化と見るのか。

床屋の親仁が言うように、時差の影響で集中力が無く、新聞も目を通すだけで精一杯である。携えた日本語の活字も流石にその字面といい内容といい段々と興味が失せた。こうして日本語を綴る事がなければ大分と離れて仕舞っているに違いない。

子供の頃からのバイリンガルは知らないが、文化的な根本までを含めると、本当のバイリンガルと言うのはありえないのではないかと考える。勿論言語によって、ものの言い方が変わる。

雨に濡れて今まで拡げていなかった先週の土曜日の新聞に「北京関係」の記事が出ている。長野の善光寺が聖火リレーの出発点を断わった事実とその背景、並びにコーラやサムスンなどのスポンサー企業の非協力が記事となっていた。なぜ、日本企業が自粛をしないのかなど伝えられずに不明の点は多いが、その後の善行寺への落書きの事件はまだ起きていないようだ。あの犯人は見つかったのだろうか?

北京大学では、外国人学生の夏休み中の厳しい国外追放が計られてれいると言う。企業駐在員や一般旅行者へのヴィザの交付も厳しくしてきていると伝えられている。その一方、上海中心に民主化への言論活動が活発になっているらしい。

日本語と欧米語のバイリンガルに比べても北京語と欧米語のバイリンガルは不可能に近いのがこうしたことからも証明されている。



参照:
Die größte Aufruhr der Geschichte, Mark Siemons FAZ vom 22.4.2008
史上最大暴乱记实 (凤凰論壇)
善光寺「宗教家として筋…」(毎日新聞)
哲学を破壊せよ(A Prisoner in the Cave)
中国共産党の綱渡り (tak shonai’s Today’s Cracks)
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# by pfaelzerwein | 2008-04-25 00:04 | アウトドーア・環境 | Trackback

パラダイスに覗く花

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階下に二月頃から住んでいる女性に花を頂いた。引越しの時に見かけていて、勿論若いスカッとした女性のこと、どうしても関心が募る。

旅行前に、留守中の事など野郎どもになにかを頼むのも面白くないので、彼女に声をかけた。その期間の彼女の仕事の事もあり快諾にも敢えて退散して、結局近所に永く住む爺さんに留守中の事を依頼しておいた。

そんな経緯で、爺さんには一寸したお土産を持参したのだが、残念ながら彼女にはなにも携えなかった。

そして、昨日朝、呼び鈴で起こされると郵便局のいつものおばさんが、先日日本を立つ前に送った小包を届けてくれた。そして、階下の女性へのアマゾンの配送を受け取ってくれないかと言う。大抵は、そのあたりに置いとけば良いものなのだが、それも本意に反するので大切に受け取っておいた。

そして、それを彼女が取りに来るのを待っていたのである。一言二言甘い言葉でも掛けてとおけば先ずは無難な対応かなと思っていたところ、思い掛けずのプレゼントを差し出された。

女性への贈り物としての花は決して考えない事もなくその効果などについてはしばしば話題になるが、女性からの花束は特別な機会でもなければ経験がないので虚を突かれた。先日の誕生日祝いの鉢への水やりを彼女に依頼しようと思っていたのであった。

そして、その花束のプレゼントには、予想以上に心が揺さぶられる。一輪挿しにはならないその花束を、今回携えた穴が開いている木箱の中に押し入れると、なんとぴったりではないか。

機嫌をよくして、早速野点を気取ってお薄を煎れる。明日はまた弓道名人による「侍の神話と真実」の講演がある。

「一体ここは何処なのか?」と時差ぼけの頭で考えるが、床屋の親仁と声を合わせるように「パラダイス」と言う外ない。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-24 01:35 | | Trackback

行ったり来たりの逡巡

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帰宅後初めてマンハイムに車を走らせた。隣接するルートヴィヒスハーフェンと合わせて五十万人のドイツの大都市である。二百万人を越えるベルリンの超大都市をのけると決して小さな町ではない。最初に欧州大陸を踏んだ節にも列車で通過して、このような汚い町には住めないと思ったものである。

実際、駅前の車の騒音などは日本のそれとは異なる重量級のものでディーゼルのチリなどを含めてあまり気分がよくない。こうして町に出かけると自宅のあるワイン街道が恋しくなる。

町を通る人々もフランクフルトのようにインターナショナルで洗練する事もなく、シュツットガルトのような活気やミュンヘンのような雰囲気もないのでつまらない。

車を運転しているとどうも視神経が上手くついていかないことに気がついた。ふらふらとして視野が狭まる感じがあり気分がよくない。なるほど、日本に到着した直後あまり表示などが読めずに苦労したのもこうした視野の狭窄などにもあったのだろうか。

そこで時差について話していると、時差一時間につき一日の順応期間が必要という説を聞いた。なるほど英国と大陸を行き来すると一日程は調子が悪い。

五日目の午後は、体温の上昇に気がつき温度の順応が難しく、眠たく、六日目の朝は四時過ぎに目が覚めた。

今回の旅行前に、壊れていた旅行鞄の取っ手を修理した。革で作れば良いとか、メーカーに修理させるのが一番とかいろいろな意見があったが、結局。であたりばったりで、日曜大工センターで一時間近くかけてネジなどを物色した。そして使えそうなものを試し買いした。

早速帰宅して、ネジ止めした場所に何を取っ手として使おうかなと考えていると、ガレージの奥に立てかけてあるスキーのストックに想いが行った。もしや開いているリベットの穴にネジが通るかと思ったら、案の定通った。これで決まりである。二つをかさね合わせると丁度取っ手となる。そして長さまで調整出来るのである。二時間を越える準備購入と作業であった。

時間に余裕は無くあせりながらも、あれやこれやと考えて、それを見つけ出したのは全く偶然であった。この取っ手を見た者皆の関心を引いたようで、このオリジナリティーはフランクフルトで大阪でこの荷物に携わった者皆の印象に残ったに違いない。

元々、取っ手を持って歩く時間などは限られているのだが、取っ手がないとやはりどうしようもなく扱い難い。そして、三十キロを越える荷物を運搬するとプラスティックを留めるアルミを使った部分は簡単に壊れてしまった。

内装の一部に穴を開ける事になったのだが、強度は以前にもまして強くなり、自重も少しばかり減ったようでまずまずこの成果には満足している。



参照:
多様な価値感を履く [ 生活 ] / 2008-03-24
世界を支配する秩序感 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-22
ハイ、そう思います! [ 文化一般 ] / 2008-04-03
ない、ありません! [ 生活 ] / 2008-04-04
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# by pfaelzerwein | 2008-04-23 17:26 | 生活 | Trackback

クレーマーの楽しみ方

d0127795_14474516.jpgやっと朝まで熟睡できた。夜九時過ぎには、腎臓を含む煮豚を安物リースリングと共に楽しんだためか、起きていられずに就寝した。そして、朝五時前に目が覚めた。

日本からの帰路は、エコノミークラスのそれも幾らか空きのある後ろ部分に席を取らせた。勿論席が空いた場合は多数の席を独占するためである。しかし、嘗て有ったようにジャンボ飛行機で四つの席をベットにして使えるような状況では全くなかった。

するとエアバスの細身は、座席の狭さとして乗客に不便を強いる。飛行機自体は、そのエンジンの騒音も少なく飛行挙動も大変快適であるが、流石に座席は狭い。体格にもよるが、座って旅行するだけなら問題ないのかもしれないが、往路のように就寝とか、座席での業務とかとなると絶望的である。カメラひとつ置く場所がない。

ファースト然とした二メートルほど前があいている頻繁に使う最前席との差は甚だしい。早速ルフトハンザにご意見を認めた。客室乗務員達が厭な顔をするようなエコノミーに対する意見ではなくて、往路のビジネスクラスへのクレームを書いた。

杯が進まない燻し味のシャンパンやワインは、その折角の各々のチョイスに関わらず全体として清涼感を与えないものであった事、そしてそれが経費節約を乗客に押し付けたようにしか感じなかった事、名門ホテルのシェフがイタリア人と言っても何故にイタリア料理をドイツナショナルフラッグで食さなければいけないかなどを分かり難い字で書き殴った。

通路に立ちながら、日本円を片付けながら、ユーロと入れ替えている時に、落としたコインの残りを備え付けの袋に入れて募金に協力したのでそれをも一緒に渡した。コインが機体の後ろまで転がって行ったのは水平飛行に移っておらずベルト着用がまだ消えていなかったようだった。あの掲示も分かり難い。

帰りに出たリースリングはバーデンの安物でも悪くなく、ゼクトも甘いがいっぱいだけならそれほど悪くはない。エコノミーならそれほど文句を付けれないだろう。更に、乗客乗務員達は遊び呆けているので、物がある場所はバーとしてセルフサーヴィスに解放されている。A380のサルーンを髣髴させるそれは楽しい。兎に角、座っているとなにも出来るスペースがないので、出来る限り歩き回る用件を見つける。

幸いながら北海道までは気流の流れが悪く比較的揺れや小さなエアーポケットがあったが、その後は安定した。入口では、通常の三紙が提供されていたが、前席のオヤジさんが読んでいるFAZは見つからなかった。

搭乗後の出発が遅れているに関わらず、歓迎ドリンクが出て来ないので喉が渇いたのは不満であったが、食事は往路よりも復路の方が文句はなかった。トイレも地階の方が場所も多く、前部よりも快適と感じる。元は取れたか?

乗客は、廉いチケットを購入したフランス人旅行者も目に付いたが、多くは関西人だったようである。



参照:経費節減お粗末さま
[ ワイン ] / 2008-03-29
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# by pfaelzerwein | 2008-04-22 14:51 | 雑感 | Trackback

世界を支配する秩序感

d0127795_0492581.jpgいよいよ山場のようだ。夕食後無性に眠くなり、三日目は22時どころか20時過ぎにはベットに入った。日本時間で徹夜明けの時刻である。ちょうど身体はそのような疲れで、夏時間で外は暗くなりかけている。寝ずにはいられない。

そして目が覚めたのは、未明の四日目の二時半であった。流石に前日の二度寝の後のように、目覚めた時に一体何処で寝ているのか分からず戸惑うことはなくなるだろうが、朝になって上手く起きれるかどうか、さてどうなるだろう。

身体の状況としては、前日と比べても日本時間ならば本来すっきりと目が覚めてしまうのではなく、やはり身体がだく、眠い感じがある。そして、脈がどうしても高めのようである。軽く頭痛があり、腹具合も収まりがもう一つ良くない。反面、滞日中は、特に多かった旅行前に比べるまでも無く、普段以上にアルコール量も少なく健康的だったのは事実である。

こうなると煎茶の出番である。夜中でも薄めにいれて一服とする。つい先日までの日本時間との差異は、その現実での差は実感出来るが、例えばネットの動きなどに見られる副次的な時間、謂わばヴァーチァルな時差はなかなか把握し難い。同時にそこでの生活感も少しづつ身体から抜けて来ているような感じがする。

湘南で、嘗て隣町に住んでいて尚且つエッフェル塔の下にも住んでいたエンジニーアが、「あそこはゆっくり時間が流れる」とこちらの時間を称していた。今こうして数多くの電話をこなして、片付けをしていると思いの外はかどる。体が軽く疲れ難い。一つには慣れた生活に戻ったせいもあるが、机の高さやモニターなどが気持ち良い高さにおかれて、電話一つが掛け易い環境にあるからだ。これはなにも特定の事務用品や事務所によらず、ドイツの生活は全てが秩序立っていて合理的に出来ているからである。

部屋を見回しても、良い物を安く売っていた頃のIKEAのソファーが快適におかれて、その高さや硬さが良いばかりか、お茶室効果までを出している。それに引き換え近代日本でのバランスは電線が這う家並みや乗用車のみならず全てが滑稽なアンバランスで見苦しい。

それは、裕福層がEクラスメルセデスの3.5Lの黒塗りの車を走らせようともそのステータスに匹敵する美しいシルエットを提供しないことにも典型的にも表れる。折角のハイヒールを履いていても室内に上がれば台無しである。

合理的な生活は、時間を長く感じさせるのみならず、美学の基礎でもあるようだ。なるほど、プファルツの町に車を乗り入れるとそこを歩く農民達の姿はどうしようもなく野暮ったい。それでも、東京銀座よりは遥かに全てが洗練されていて美しい。迎えに来た東ドイツ人が図らずしも語った。「あまり大きな都市には住む気はしない」と。それが意味するものは、ライフスタイルというよりもやはり「あるべき世界観」であるように思われる。秩序が支配する人間的な世界なのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-22 00:51 | アウトドーア・環境 | Trackback

滞日暴飲暴食忘備録

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滞日期間、選んで魚を食した。前回は鳥などを中心に食したが、今回は魚類かざるそばとバケットを食さない日は殆どなかった。

刺身は、都合数回食した。一夜はワインと一夜はビールや焼酎などと楽しんだ。刺身は、新鮮さだけでなくやはりある程度ネタを選ぶことが再確認出来た。

生魚に対する印象以上に途中から、廉く食せる焼き魚や煮魚に興味が移った。焼き魚定食などと嘗てならば全く食指が向かなかったものを熱心に探した。ネタの新鮮さも程ほどに食べられるのが良かった。

番外では、湘南のシラス丼など初めて食するものがあり、最近ネットラジオなどでよく耳にした「いかなごの釘煮」とは全く異なる新鮮な魚を楽しむ。いかなごも本物の新鮮な物を家庭で釘煮にすれば格別なのだろうが、なかなかそうもいかない。うなぎを日本橋でまた帰路の欧州上空で食した。

その他、季節がら竹の子やたらの芽、また茸など青梗菜が珍しい食材だったろうか。

薩摩揚げやはんぺん、揚げやとうふや納豆なども喜んで食したが、反対に肉類やトマトやルッコラなどには手をつけなかった。特に最後のものは、こちらの物とは写真で観る限り見栄えも違い、ゴマ味もしないようだ。

手の込んだ日本食もご馳走になるが、やはり珍しい食材ほど嬉しいものはない。また新しい日本酒も頂き、最高級な京の塩昆布も見た目以上になかなか量感があって未だに手元にある。

早速、帰宅後に米を炊いてみたが、見た目は異なってもなにひとつ日本のコシヒカリと変わらない。炊き方によるのだろう。価格は既にここに書いた。

アルコールは、手持ちのワインが限られていたゆえ、休肝日すら取れた。ビールはドライ系が最も上手く、冷しても飲めるのが特徴であろう。しかし、そのアルコールの質は必ずしも極上とは思えなかった。日本酒の中にもある程度の質を保ったものがあったのは確かであるが、ワイン以上に選択が困難な様子。焼酎類についてはなんとも言えないが、出来れば暖かくしても飲めるものが良さそうである。

日本の飲食は、冷たいもの熱いものが極端で、生ぬるいものなどが倦厭される。気候のせいと言ってしまえばそれで終わるが、寒いときには熱いもの、熱いときには冷たいものと、冷暖房の手薄な面を直接食事で補う感が強い。プロ登山家の故長谷川恒夫が山での食事を沸騰させずに適温で調理して燃料を節約したのは有名なエピソードだが、普通の日本人はそれが我慢出来ないのである。

また素材を味わうとした薄味の料理には改めて注目した。なるほどそれからすると強い味付けをするドイツの肉料理は味が強いとなる。しかし、肉を食するとき決して日本食も味が薄い訳ではない。むしろ醤油などが強くしつこい。一方塩気が多いと風評のドイツ料理においても、生野菜などになにもつけずに食することも多い。要は、煮豚や煮たザウマーゲンのように薄味で食するものはなかなかそこいらのレストランではお目に掛からないと言うだけである。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-21 01:09 | 料理 | Trackback

女子供文化の先祖帰り

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飲食・飲酒して夜十時前には眠くなった。煩雑で面倒な荷物を持って総武線から都内へと乗り継ごうと、一旦下車するとドアがしまって戻れなかった夢を見て目が覚めた。未明の三時過ぎである。しかし電車は赤かった。いつもの進行方向とは異なるが、なにやら乗り損ねた電車があったとは意識していなかった。

そこで躊躇して乗り遅れる原因となる荷物や一端下車した理由こそが肝要なのだ!

今回懐かしい銀座有楽町を訪れたのは全く偶然であった。嘗ての都営丸の内線での行動範囲に図らずも戻った。それほど長くない期間であったが中央線沿線に暮らしていた事を思い出した。

これで、富士山は見えなかったが、通天閣・京都タワー・東京タワー・神戸ポートタワーの全てを眺めた。横浜の桜木町の銀行街も叔父の所に歯を治しに行ったのが懐かしい。痺れた口元で頭取さんにも紹介された記憶がある。

北極圏遊覧飛行を経て、蒲焼をひつまぶしにして食べたあと、フランクフルトにザクセン上空から侵入した。出掛けの想いとは別にいつもの様にその美しさに感極まるものがあるかと思ったのだが、意外にそれはなかった。北極圏の光景があまりにも圧巻だったからだろうか。

あのアジアの雑然と混沌を逃れ、ハングルや簡略中国語が聞こえ見える日本は益々混迷を極めているとしか言いようがない。本物の民族主義者は、このような事態に文化的な発言をしているのだろうか?似非多文化主義や容易な先祖帰りは許されない。

どうしようもない感傷に溢れ、主観を持って「環境を洞察」する無秩序な日本の文化人は恥を知れ!

町を歩けばその管理された無秩序に目がついていかない。情報を整理されて始めてその内容を伝達する。アジア的無秩序は、無関心を呼びその環境を捉えがたいものにする。だから彼の文士が語ったように、「非常事態の最後に残るものは性欲という愛国心」しかないのである。

ハイデルベルクから車でプファルツを廻ってワイン街道に戻ってくると、なんとも人間臭く、歩いているものの姿が田舎臭い。初めて訪れた時の印象を髣髴する。しかしその田舎は、そこの方言と同じように、作られて保存されているものと直に気がつく。

ゴッホの絵のような肉眼で見れるガスに色づく太陽と強い日差しやベルクシュトラーセの緑の丘や山城のシルエットは、その軽く羽根が生えるような大気に何一つ感傷的な主観を与えない。そこにあるのは齎された秩序でしかない。自らの与えられた手をもって、意思をもって、計画されたパラダイス環境そのものなのである。

銀座のカウンターで「世界観」という言葉に身を震わせ布団を被って押入れに母体回帰をする、未発達なそれから自らの環境すら見れない婦女子の世界はここにはない。

何故に日本の宗教感は幼稚を極め、その思考や文化は幼稚なのか?その社会は、成人していないのか?

本棚に見つけたまだまだ処分していなかった「日本の文化人」の多くの本を船便で送る一方、未発達な思考の小林秀雄のものを持ち帰り、親日派としてそれを研究している。



参照:
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19
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# by pfaelzerwein | 2008-04-20 12:10 | 文化一般 | Trackback

不思議な風景と惜別の情

d0127795_2585482.jpg訪日前には、なぜか「帰ってくるのだろう?」と宣う者までいて、なにやらおかしな雰囲気を醸し出していたのかなと今思う。以前と比べても、旅行前になにやら特別感傷的な想いがなかった訳でもない。我ながら不思議に思っている。

敢えて言えば、日本での日程や段取りが直前まで決定していなかった状況を反映していて、出た所勝負の旅行であったからだろう。だからか上空からみた日本の不思議さ以上にドイツの空を離れるのが忍びなかった。

そして、今回は日本国内を旅行する予定は皆無であった。それでも建築中の写真などを見せてもらっていた友人の新築の家に、「どうぞ日本間を使ってください」と招かれていて、時間があれば立ち寄りたいと思っていた。

結局、第二週目に帰路のブッキングを変更して、滞在第三週目のフライトを予約した。滞在を延長するならば湘南の家を訪問する可能性を伝えていただけに、延長後直ぐの週末に訪問を決めた。その近所には、妻帯後初めて会う友人も住んでいて、残った最後の一本のワインを皆に飲ませたいと思ったのである。

既に報告した鎌倉見物はおまけのようについて来たのだった。今回の滞在の中でも予定外ということもあり束の間の休日を味わうだけでなく、旧交を温める事が出来て新鮮なワインの味も格別だったのである。

そして、新婚当時にドイツに滞在していて、スキーツアーにも何度もご一緒した奥さんやそこで生まれて十歳になる娘さんにも再会した。なんと言ってもそこで出された食事の数々は、その当時に一度お呼ばれしたものが、更に進化した料理の腕で図らずしも特にリースリングワインに推奨できる日本食の皿となって出されたのには感激した。

一つはたらの芽の天ぷらであり、もう一つは鯵の梅酢サラダであった。前者の苦味はむしろ苦味のきついジルファーナーなどの白ワインにも合うが、後者の梅酢との組み合わせは野菜独自の香味と共にリースリングにはなんとも見事な一品であった。

前者はフォン・バッサーマンヨルダンの2007年産キーセルベルクと食されて、この些かの素っ気無さを旨みに変える苦味を与えてくれたようで、現時点で最高のリースリングとして紹介したワインが日本で高い評価を得て満足している。後者はライタープファードの青林檎ともニワトコの花とも言われるフルーティーさを梅が押さえつつ際立たせてくれた。

その他に手作りのさつま揚げも素晴らしく、今後当方でレシピーを貰い研究する事にした。ちょっとした工夫で日本料理もドイツリースリングに合わせる事が出来るのである。

日本間の蛍光灯の下で旅の荷を紐解き、息子の嫁に感謝して胸を一杯にする三国連太郎紛する田舎から出てきた親父のような気持ちになって、蛍光灯の紐を引っ張って床についた夜であった。d0127795_394886.jpg
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# by pfaelzerwein | 2008-04-20 03:01 | 雑感 | Trackback

古の都の薄い文化

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二度寝から目が覚めたのは八時過ぎだった。少し頭が痛いようなおかしな感じがする。旅行中の土産話については、想い出にに耽りながら後記するとしても、先ずはそこでお騒がわせし、お世話になった皆様にお礼の気持ちを書き記しておきたい。

時差のみならず、土地や気候や文化の差異を体に残っている内に、それを記録しておきたいと思っている。その意味からも九千キロを12時間で移動する経験は貴重である。

日本へと持ち込んだように幾つかのお土産を自宅へと携えた。自分の為には茶碗を持ち携えたので、早速購入したお茶と空港で買った八橋を楽しむ。その徳力牧之助作の茶碗は、その油落としの技法からエンジニアの友人にプレゼントしようと思ったのだが、その薄い焼き物と特別な感じに気がついて自分でお薄を淹れてみたくなった。

お茶の缶に書いてあるように茶こしを通すといつも以上に泡が立ち甘みが増した。

徳力牧之助は、西本願寺の絵所の家柄で彦之助の四男とネットにある。この茶碗の面白さはなんと言っても油を流してある部分が緑に発色していて、お茶のように見えるところだろう。肉厚の薄さもその洗練に反して、扱い難そうと感じたが、思った以上にシックリと来て、持つ手も啜る口元も熱くはない。

その友人には悪かったが、お薄を淹れながら、これからもこれをマイ茶碗の列の筆頭に置いて楽しみたいと考えている。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-19 21:50 | 生活 | Trackback

白夜に近い時差との戦い

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帰宅して時差と戦っている。欧州と日本の時差で苦しんだ経験はそれほど多くはない。その数回にも至らない中でも、特に「旅先の欧州」での時差経験は後にも先にも一度しかない。二度目の欧州訪問から欧州に移住したからである。その後、新居住所から生まれ故郷の日本を往復して以降、欧州に永住している。そして、新しい故郷から日本へと旅行した経験すら今回を含めて二三度しかない。だから、欧州夏時間に伴う七時間「戻りの時差」は、この方三度目の経験である。

時差が人体に与える影響は大きく、その一回当たりの時差順応における寿命の短縮は医学統計上にも示されているように、あまり頻繁に経験するのは良くないとされている。三回でどれぐらいの寿命が縮まったことだろうか。三か月ぐらいだろうか、それとも半年ぐらいだろうか?

神戸を朝の8時前に出発後、大阪の高速道路の交通事故の為か飛行機への物資の搬入が遅れ、定刻より三十分以上遅れて、やっと11時前に飛び発った。季節がらか採られた大変北よりの航空ルートは、北海道沖へと北上したのみならず、シベリアを更にその北辺をかすめるが如く北極圏へと向い、バレンツ海や北極圏遊覧飛行を堪能した。思えば、初めて欧州に渡ったのがアンカレッジ経由の北極回りであったが、ロシアの北辺を飛んだのは今回が始めてである。

しかし、当初の遅れは季節風を北から避けても取り返せずにフランクフルトに到着。変則的な着陸ゆえか、Cターミナルに到着後、初めから八つ目ぐらいに荷物を降ろしてもらいながら、予約していたバス停についたときには既に16時半を十分ほど過ぎていた。

急遽、停まっていたハイデルベルク行きのマイクロバスの空き席を、ギリシャ・スパイン系の米国人とブロンド米国人娘他の米国人やルフトハンザのスチューワーデスに続いて乗車する。急いでマンハイムでのお迎えの約束をハイデルベルクに変更して19時過ぎに無事帰宅する。

入浴後に軽く食事をすると22時にはどうしても起きていられなくなる。目が覚めると三時間後の土曜日の未明一時にこれを書いている。



参照:
薄ら寒い夏時間への移行 [ 生活 ] / 2008-03-30
時差ぼけ日誌四日目 [ 生活 ] / 2008-04-01
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# by pfaelzerwein | 2008-04-19 10:08 | | Trackback

自由や世界観の体臭

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「のぞみ」には生まれて初めて乗った。新幹線には当初から乗っている。その前には「こだま」と呼ばれる特急にも乗車した記憶がある。しかし「ツバメ」は知らない。

「のぞみ」の最新車両N700を選んで乗車した。やはりまだ新しい車両なので比較的満席に近いと言うことだった。元々鉄道ファンでもなんでもないが、最新の科学技術には興味があり、一度ケンブリッジに滞在中の日本国鉄のエンジニアーにも「新幹線の伸び悩みの元凶」についてのお話を伺ったことがあり、その世界競争に興味がある。

一本しかないパンダグラフのみならず、その走行音などに違いを感じさせる。実際、外から見ていて新幹線は、在来線の日本の車両を代表するかのようにその猛烈な加速度で行き過ぎた軽量化を感じさせるのである。

例えば在来線における駅での特急通過速度は湘南地区などでは大変危険な高速であり、駅での死傷事故が盛んに言われているが、客観的にみてあの混雑した狭いプラットホームでは、もし国鉄の管理者責任を問われても諸外国の通例としては司法係争となるのではないかと思えるほどだ。

あの通勤混雑における日本の過密化と秩序は見ものである。そして、より進む車両の軽量化と恐ろしい加速度に度肝を抜かれた。

N700もネット上で試乗記が散見されるように、乗り心地において特に500系との比較において賛否両論ある。今回も帰路は後者に乗ったのでそれを踏まえて纏めると、N700は大変進化はしているようだが、手放しで絶賛は出来ないと思われる。

何よりもその走行感はグリーン車に隣り合わせる車両でも、殆ど中型の旅客機のようにエアーポケットに入るような浮き上がり感が強く、人に言わせるとトヨタ車のようなふわふわ感がある。これは、そのトヨタ車のように外から見ていても顕著な上下動は、そのサスペンションの作り方や車体の剛性のみならず空力上の考え方のような気がするのだがどうだろう。

兎に角、N700の走行感は大変気持ちが悪く、― 500系で比較的顕著な ― 執拗に避けられている車両間の連結きしみ同様に否定的に感じられる点である。その点から、ドイツのICEは重々しく、良く言えば安定感、悪く言うと鈍重さがあるように思われる。

それにしても新幹線が実営業上世界一加速減速度が大きいといわれる阪神電鉄のような加速度が必要なのか、また関西人の歩く速度の異常な速さはその経済地盤沈下とは反比例して更に早くなっているようで「なんだろう」と思わせる。阪急電鉄のブレーキの鉄の焼けたような匂いも構造的な問題のようで完全な環境破壊にしか思えない。

日本人の特に女性の歩く姿勢は、随分と向上したように思われる一方、今でもその足元からは「ぽっくり」のような歩行音が聞かれて、巷で散見されるそのマスクのように面白い。流石に百年以上の靴の使用の歴史や生活習慣の変化が変えたものは大きいように思われるが、その体臭のようなものはなかなか変わらないのも事実であろう。

そうした体臭こそが、例えば顕著である就寝前の入浴習慣や食生活などの生活習慣から来る民族的なものであるとも言えるが、結構そうしたものは変化するものとなかなか変化しないものとがあり、ライフスタイルや生活環境と相俟って国民性を基礎から形成している。

だからこそ、民族性や国民性などと言われるものは、元来上から定義するものではなく下から形成されているものが多い。ただ、銀座で偶々居合わせた日本で最も大阪弁の流暢な外国人女性を尻目に、「自由への闘争」や「世界観の形成」をアジテートした際にも、その前者に反応するか、後者に反応するかの性質はおそらく国民性と言われるもので、戦後教育を更に徹底させて自由主義教育を施すことで前者への意識を高め、民主主義教育を徹底させることは後者への覚醒を促すことになる。

再度技術的な洗練の方向や市場の好みの傾向に目を向けるとき、明らかに後者の世界観に左右されるものが多く、俗に言われる「文化の相違」がその環境の捉え方の相違によって生じていることに違いない。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-17 04:33 | 生活 | Trackback

吹き溜まりのような島国

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外国人観光のメッカの感のある鎌倉の大仏を見学出来て幸いであった。しかし、その膝元の参道の道の狭さや車の交通量に驚いて、空気の悪さに閉口した。

観光客相手の店が並ぶ中、何の変哲も無い蕎麦屋に飛び込み、簡単に昼食を済ませ、いよいよ大仏参観料を支払う。

なるほど野外に鎮座している大仏は、「大魔神」の様で、背中には窓が開いていて「魔神ガーZ」の様な風采を見せている。奈良の大仏よりも顔が良く見えるのが面白い。

同時に膝元に集まる人々の様子を観察したりしていると、天気も良くなかなかの観光となった。そのような週末の印象を思いながら、帰りのひかり号に小田原から乗り込むと、流石にジャパンレールパスを使っている外国人観光客に車両が埋め尽くされていた。

大グループは、ポーランド語を喋っているが、大変おとなしい。どうも楊子を口に銜えて歩き回ったりする添乗員は日本語が堪能のようだ。日本人妻を持つ「一寸不良外人」なのだろうか。

別な日に飲み屋で飲み始めると、紙箱を持った頬を赤く染めた娘がなにかをやっている。どうも金を集めているらしい。一瞬顔を見て宗教団体の勧誘かと思ったが、その界隈では「マッチ箱の少女」と呼ばれているらしい。

本人に質した訳ではないが、その丸顔の愛らしい顔つきからして東欧系の少女なのだろう。オーソドックスでなくフランシスカーナなのだろうか?こうした事情は何とも不可解だが、托鉢をするブロンド娘はプロテスタントの国々では殆ど見かけない。

イタリアの交差点に集まる物乞いにしてもいかにもジプシー風の者が多く、フランスのそれも少し違う気がする。確か、駅前でも外国人が新聞を売っていたような気がするので、日本は中国や朝鮮半島からの平時は目立たない同化している外国人を含めると世界の吹き溜まりの感がある。

それも経済的に地盤沈下が激しい関西に見られるとなるとやはり日本の経済力と社会の特殊性がこうしたものを招いているようだ。

訳あって銀座でカウンターを叩き、アジ演説をやらかしたが、親中派としての中共批判や親朝鮮派としての朝鮮文化批判ともならない日本の食生活の実状への警句すらタブーとなっている東京が異常なのである。

ドイツにおけるポーランド人の労働者の姿を恥と思うポーランド人の友人もいたが、日本におけるそれらの姿を見ると英国におけるそれらの姿よりも抵抗があるのではなかろうか。またまたポーランド人たちへのお土産話がふえた。

そして、そうした吹き溜まりを拵えているのは他でもない日本社会なのである。経済程度は大きく異なるが、文化程度はそれらに近いので、こうしたコントラストが甚だしく浮かび上がるような気がする。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-16 05:27 | | Trackback

日本語喋ってるでー

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ニッポンを東進した。その可能性はあったのだが、計画は立てていなかった。だから、ジャパンレールパスと呼ばれる日本人などが欧州大陸で使えるユーロレールパスの日本版を購入して来なかった。

急遽一週間の滞在延長をしたので、友人たちを訪ねて湘南へと鎌倉へと向かった。そうなると交通費が問題となる。予てから興味のあった金券ショップで安く乗り継ぐ方法である。通常ならば、最寄の駅から新大阪駅へと向かって、そこから新横浜へと新幹線に乗り、横浜経由で鎌倉へと行くのであるが、先ずは京都までお昼に乗れる「とくとく切符」を買い、そこから新幹線に乗ることで節約しようとしたのである。

その新幹線の切符は最寄の駅では入手できず、結局京都駅前で金券ショップをバス関係者に教えて貰う。横断歩道を渡って見つけた店は閉まっていたが、自動販売機が置いてある。なるほどどうしても乗りたいのぞみの指定席券が安売りされている。

どれほど自由席に比べて高いのか安いのかが分からず、ボチボチやってくる人たちに尋ねた。予約は緑の窓口で出来ると言うことで券を買った。12250円は、通常料金より千円ほど安い。

喜び勇んで京都タワー撮影を堪能しようとカメラを取り出していると、道行く日本のおばさんに「タクシー乗り場は何処ですか?」と声をかけられた。

「いえ、一寸分かりません」と答えると、後ろから来た二人づれの男性の声が聞こえた。

「日本語喋ってるで」

「なんかアジア系やとは思ってたけど、日本語喋るとは思わなかったな」

こうして日系人は京都で新幹線の最新車両にわくわくしながら乗り込むのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-15 07:33 | 生活 | Trackback

芸者の銭洗い弁財天

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天候に恵まれて初めての鎌倉見物を堪能した。なんと言っても外国人の訪問地としても最も有名な日本であって、大仏さんは見逃せない。

ツールストインフォメーションで、お決まりのコースを教えてもらい、早速江ノ電に乗る。北鎌倉のお寺参りなどよりも何よりも大仏さんである。

京都からのぞみに乗って、それ程掛からずに到着した鎌倉の印象は京都の貴族文化とはまったく異なるものであった。

大仏さんからそのハイキング道を、足を汚さぬように歩いて、見つけた銭洗い弁天さんの光景は、大仏さんとはまた異なる強い感嘆を与えた。

線香と共に売られている、笊の意味が分からなかったが、興味深くみていると老若男女が洞穴の中に流れる清流に、紙幣やコインを入れてお金を清めているのである。

見るからに小市民層の人々は、「一体なにか悪いことをしてお金を儲けたのか?」と想像しながら観察した。

やはり東洋人にとっては、お金を儲けることは罪悪であるようだ。もちろん、それだからこそプロテスタントやシトー会などの考え方が西洋には存在するのである。

しかし、どうしても彼女らが弁財天を守り神とする芸者とは思えなかったが。



参照:
ミニスカートを下から覗く [ 文化一般 ] / 2007-09-17
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
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# by pfaelzerwein | 2008-04-14 12:55 | | Trackback

春雨じゃ,濡れて参ろう

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狭い所で傘などさすなと言いたい。小雨にも拘らず、コートを羽織っているの拘わらず、皆律儀に傘をさしている町並みは、マスクをしている人々以上に笑える。

それにしても、やはり気がふれるような社会らしく、町を歩いていて怒鳴っている者がいても、一瞬びっくっと驚きながら、誰かが刺されたりしない限り、町の日常風景は変わらない。

何も無かったような顔つきで道を行き交う人々の方が異常で、非人間的である。日本国において気がふれていない者ほど、冷血的で非人間的な動物に違いない。

怒鳴っているオヤジさんの方が遥かにヒューマニティーに溢れているような気がする。このようにちょかちょかと動いている社会は、蟻の生態を観測するときに見えるそのものであるようだ。

先進国として最も市民のゾンビかが進んでいる社会のようである。顔が似てる、何もかが一体化してアシミレーションしている社会である。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-11 21:28 | 雑感 | Trackback

気がふれぬ中にお暇する

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そろそろ、お暇する時期かと思っている。見るもの聞くもの珍しさは、珍奇さでしかなくなってきた。これ以上長居してもいけないような気がしてきた。はやばやとホームシックである。あの美しい、ワイン街道、ああ、我がプファルツ!

文化の典型としての食生活にあって、いよいよワインの底がつくとなると、致し方ない。胸がむかつき気味で、胸の痛みへと繋がりそうである。食事が合わないと言うことは、水が合わないことで、空気が合わないことでもある。

それにしても、食生活をみるとそこの文化の全てが分かるような気がする。一体、肉料理も麺類もなべも何もかもにキムチやら何やらが入る日本の朝鮮化は解せない。幾ら帰化人が為政者となって築いた日本文化と言っても、今更の先祖帰りのような食生活は一体なんだろう。

自宅のワイン街道と比べて惨憺たる野菜の供給は、BLOG「ザ大衆食つまみぐい 」のエンテツさんが農水省の食料自給率の偽装とする異なる視点から検証している。

しかし一体あの細切れにされた屑のような野菜の高値はどうしたことか。あんなものを食していてバイオなどとはおこがましい。泥がついたものはそこで捨てれば良いではないか。兎に角、供給量や購買量はドイツの半分にも至らないであろう。結局、煮ても焼いても、日本人の野菜摂取量は少ないようであり、白米で腹を膨らましているだけではないか?

魚も思ったほど良くない。生で食せるだけ新鮮なのだろうが、その量や質は都市部では限られているような気がする。その価格から予想したほど消費されていない気がする。

切り身の魚などは、重量あたりの価格も重量も明示せずに売りつける生協などをみて、それを店頭で質問しても真っ当な回答が得られず、腑に落ちない気楽さは一体何なのだろう。消費者保護どころか消費者を愚弄しているとしか見えないのだ。

如何につまらないものにつまらない金を投じた生活をしているのか、日本社会の不思議さはそこに凝縮されているかの感さえある。

止むを得ず ― なかなかこの表現には正直不可思議な感慨があって、この時間あのバルティック海にさしかかろうとしていたかと思うと、あの美しい欧州の空が目に浮かぶ ― 滞在を延長したが、これにて寅さん映画ならば上演時間は既に一時間を優に越えて終幕へと向かうころである。

電車に乗ると、押し迫る家並みに気分が悪くなり、町を歩けば、目に飛び込んでくるアジア的な奇抜な看板は目に突き刺さり痛く、横断歩道やスーパーでは、馬鹿な音が流れ耳が痛い。

よくも気がふれないことよ。

昼食は、鰈の煮つけと米にぶっかけそば。夕飯は、切り身にしていない鰹のたたきと1993年物のマルゴーか。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-10 21:20 | 生活 | Trackback

最終電車の未知を乗継ぐ

興奮状態でタクシーに乗り込む。駅で降りると、急いでもと来たような階段を駆け上がる。そこは暗闇でシャッターが下ろされ、駅へとは侵入できない。急いで足を踏み外さないよう階段を下りて、明るい方へと向かう。周りは既に、「最終」へと急ぐ人がちらほらする。難波までの切符を求め、改札口で呂律の回らぬ口で、梅田まで到着の可能性を質問。手許にあるものなどを確認してもらうが、難波への連結までの情報しか定かではない。

何れにせよ、そうこうするうちに、一台見逃して、難波行き最終に乗り込む。難波への最終から梅田までの到着は問題がなかろうが、一体何時に着くことか。兎に角、難波での南海電車から御堂筋線と大阪のメインルートに乗り込むか、どこかで大阪環状線に乗り込む方が早いのかも自信無く、梅田到着を目指す。

難波乗換えすら往路では経験せずにいたので、南海と御堂筋線の乗り換え距離すら想像がつかない。まさか難波の町を歩く筈は無いが。

難波に到着時にも、梅田への最終電車連結への場内アナウンスが流れる。急いで切符を買い、再び改札で、東海道線への連結を尋ねる。最終電車の時刻を知り、梅田駅から大阪駅の乗換えを急いでくださいと言われる。

梅田乗換えは、多少の土地勘があるので、最前列に近い、それらしい人の集まる場所に乗り込む。この辺りとなると、流石に酔いは興奮状態へと達している。

最終電車のオンパレードである。場内放送が「最終電車」を繰り返し、梅田駅は走る客がに溢れる。改札を出ると、「阪急乗り換えはお急ぎください」と場内放送。もちろん、可能性の高い東海道線最終を目指す。

階段を駆け上り、最終電車の快速に飛び乗る。意外に空いており、腰掛けてやっと落ち着く。向かいの座席には二人の女性が同じ白いコートを羽織って喋っている。間に合って、こちらも余裕が出ると、車内アナウンスのアクセントが気になってくる。

独特の符丁とは別に子音などの発音がおかしいのである。そうなると何度聞いても気になる。我慢がならない。向かいの女性方は一向に気にかけずにおしゃべりをしている。

「一寸失礼しますが、このアナウンスおかしいと思いませんか」

「いいえ、聞いてませんでした」と、小顔の娘さんは思いのほか落ち着いた対応で答えた。

「ほら、中国人が日本語を喋るような」と私見を開帳すると、それには答えなかったが、通路を挟んで隣りのはす向かいに座っている男性は首をかしげて考えていた。どうも、気になる人はいないようである。

実は、この若々しいお二人が気になっていたのである。最終電車で帰ると言えば、こちらと同じ酔っ払いとするのが我々の感覚であって、「この時間に一体何処で働いていたのだろうか」と考えていたからである。なるほど、ああした言葉使いをするのは、学生ではなく、結構まともなお勤めなのだろうと感じた。それにしても、おかしな社会である。

こうして無事最寄の駅に到着して、夜道を徒歩で進むと煌々とコンヴィニエント・ストアーの光が輝き、駆除灯に集まる害虫かのように人を誘う。なにやら、即席中華麺を買って帰宅する。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-09 11:45 | 生活 | Trackback

天下茶屋から堺の茶屋へ

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堺筋線天下茶屋駅で南海電鉄に乗り換える。そこから準急に乗ると乗り換えずに目的地の泉北高速鉄道に乗り入ることが出来る。かなり未知の世界で、大阪の有名な住宅地である帝塚山周辺には恥ずかしながら招かれたことも足を踏み入れたことはない。

目的地では、日本食とワインをテーマに緑家さんに席を設けて頂いた。本来ならばワインバーなどの御馴染みのところがあるようだが、それではまた違う方へと批判が向かいそうなので ― 決して日本のイタリア料理などが悪い訳ではないが ―、食材などを考えるとやはり平時の日本食材を試したいと無理をお願いして、ご友人の馴染みの店に御願いした。

ワインも先ごろトリアーから到着したばかりのリッター瓶で始まり、ナーへやラインガウ、ラインヘッセンを交えて、四人で六本だかを空けた。先ず記録しておかなければいけないのは、刺身の魚を味わうと最もスレートの土壌がベストマッチすることを確認できたのは最大の収穫であったことである。

兎に角、醤油で口を壊したくないので、塩を盛って頂いて、出来うる限り醤油味を避けた。そうすることで、繊細な味わいが、口内に幾らか昼に食したマムシの油が残っているとはいえ、楽しめたのは言うまでも無い。

日本食には余り新鮮さの際立たない古酒が良いと言うことで、これも経験上の感覚を確認できた。詳しいワインのラインナップは、主催者の報告にお任せするとして、一言だけ記憶から印象を記しておく。

ナーへの土壌は、詳しくは分からないが、スレートに独特の味が開いた2006年産のリースリングは、ドイツならばサラダなどの食前に合わせられる特殊性と面白さがあり、一人で一本空けるよりもどこかに挟みたい種のワインであった。謂わば、本国では大量需要は期待出来ないが魅力的なリースリングであろう。

シュロース・ライハルツハウゼンの古酒も結構な価値のあるようなもので、なおかつ十分な新鮮さが喜びを与えてくれた。あの長い渡り廊下を通るホテルでの夜を思い浮かべる。

その後、緑家さん愛好のグリューンハウスのリースリングを初めて飲ませて頂く。なるほど、スレートの味が大変海産物にも合い、これならば日本酒感覚でも飲めると納得。しかし、ご本人が指摘したように酸の出方が今ひとつで残糖感を招いた。逆に、それ程、少なくともこの次点までは、我々の口がかなり厳しい判定を下していた証明でもあろう。

その後に開けられたケラー醸造所のGCワインは、流石にバランスが取れていて美味く続けざまにお代りをすると、この辺りから酔いが回ってきて呂律が回り難く感じてくる。

いよいよ無礼講で、ご出席のお嬢さんが現地で購買した取って措きのシュペートブルグンダーへと流れ込む。いよいよクライマックスは近い。これもあの暑い2003年産とあり14度のアルコール以上にやや丸みが増していてグラマーラスさが好みの問題となる。

こうなれば醤油でも何でもありと、レンコンやら泉州名産の水茄子の塩気を批判しつつ呑み進める。すると、机向こうに水泳の授業後の午後の授業であるかのように机に伏せるお友達が見えたかと思うと、こちらも急に効き出して、急に胸がムカついた。

良く思い出せば酒を飲んで、胸が悪くなったのは四年前の寿司などを食べたあとであった。そのときは、その酒量以上に飲んだ酒の質を問題にしたものである。しかし、数日前に辛口の日本酒を最後にあおった節は決して悪くなかったのである。そして今回、超高級のリースリングを飲んでこのようになった原因は食事であると推測される。

つまり、刺身を塩で食したために、醤油の殺菌効果がどころか、わさびの効果も期待できなかったことが、消化を難しくしたようである。しかし寿司を普通に食べても消化が悪いことは何度も経験していて、生ものは幾ら新鮮であってもやはり消化に厳しいと改めて勉強した次第である。

そして、気を取り直してこれからいよいよ興奮状態で本格的に飲もうと考えたのは束の間、最終電車のためにタクシーが待ちかねていたのであった。(続く)
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# by pfaelzerwein | 2008-04-08 06:29 | ワイン | Trackback

大阪のまぶし飯三様

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初めて堺に行く途上、これまた初めて阪急京都線淡路経由で大阪地下鉄谷町線に乗り込んだ。日本橋で降りて予めネットで調べていた所望の鰻屋へ駆け込んだ。

鰻も日本旅行経験者には比較的評判のよい食事である。だから話の種にも一度は食べたいと思った。鰻の店は何処にでもあるが、価格が高い食事でありやはり大阪で食してみたかった。

関東とは異なり蒸して油を落とさずに焼く関西焼の鰻は、たれの味が強いとどうしても飽きてしまう。そこで食したものは「ひつまぶし」と呼ばれるもので、「マムシ」ではないが、鰻が小さく切られて、ご飯の上にのっている。

それを三種類の食べ方に分けて楽しむ方法をジックリと聞いて、これを食した。四席に加えて二席の上がり席があるほどの小さなお店であるが、折から込み合うこともなく、ドイツ並みにゆっくりと給仕を受けて、何事もマニュアルで済ます日本には珍しく接客態度が個人的なお店で感心した。

こういうお店ならば少々価格が高くとも満足が得られるのである。普通に山椒の味でこれを試したあと。わさびとねぎをまぶして食する。そして最後には、ねぎわさびのうなぎ飯に出汁をかけて出汁茶漬けとなる。

この出汁が、蕎麦における蕎麦湯のような効果をあげて結構なのだ。そして、一匹の鰻を尾の先まで飽きさせずに食せる。味の変化のみならず、たれの嫌味が感じられないので後味も悪くはなかった。欲を言えば、もう少し鰻自体に味があればと言うものだが、街中一食2200円で日本製天然の鰻は無理であろう。

ちなみに大阪で鰻食を呼ぶ「マムシ」は、やはり「まぶし」とその形状を掛け合わせた遊び言葉のようだ。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-07 07:30 | 料理 | Trackback

エッフェルよりも通天閣

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通天閣の足元まで行った。有料三十分の待ち時間で、上に登る時間はなかった。

本場エッフェル塔の足元で宿泊した経験はあるが、通天閣を間近に仰ぎ見たのは初めてである。

細部の仕事は比較にならないが、外見は若しかすると本物よりも美しいかもしれない。恐らく日本にあるこの手のものとしては独特の位置を占めるだろう。

そもそも美しいと言ったって、簡単に定義できるものではないが、ここで感じるのは、なんと言ってもあの界隈の雰囲気を象徴していてなおかつそれを作っている芸術性ではないか?

すると本物のエッフェル塔の現在にはそぐわない古きよき時代感覚や京都タワーや東京タワーのウルトラマンが似合う珍奇な近代性など、もしくは東ベルリンのTV塔などの異質感とは全く異なる文化的な土壌にこの通天閣は立っているように思われる。これほど美しいキッチュな塔は、近代でも珍しいのではないか。

それがパリのパロディーや安易な物まねになることなく、南の象徴となっているのは素晴らしい。

うなぎやから今や寂れた日本橋の電々タウンに向かおうとして、方向を失った。そして、他の人が若いペアーに道を訊いているのに答えているのを見て、続けて私も尋ねてみた。

「電々タウンはどちらでしたか?」

「電々タウンって、電気街ね。それならあの交差点を右に入っていけばええ」

「ああ、黒門市場のとこね」

「そうそう」

「有難う御座います」

「ほら、俺、結構詳しいやろう」と連れの女性に自慢する男の声を背中に聞いて、すかさず後ろ向きざまに突っ込んだ。

「ほんまに、おうとる?」

前回の大阪訪問時に道を聞くと、自転車に乗っている親仁がニコニコしながら反対方向を指差して親切に教えてくれたことを思い出した。

プファルツの言葉のピンポンもなかなか絶妙なものがあるが、大阪のそれの文化的な複雑性はそれに勝るとも劣らない。

あの通天閣の姿に、その独特の文化を見てとっても誤りではなかろう。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-06 10:51 | 文化一般 | Trackback

ない、ありません!

「はい」、「いいえ」の話題の続編である。どうしても同じような状況になると耳を硬くして、最後の語尾の否定を聞き取ろうと緊張する。

今度は間違いなく肯定で尋ねられた、そして肯定で答えた。その理解した様子をみていて安心して緊張が緩んだのか、次の質問の答えが大きくずれてしまったようだ。

「生協の組合員書はお持ちですか¬?」

来た来たと内心思った。

「ない!」と元気良く否定した。

理解されたようである。それでも、あとになっておかしな返答だったとやっと気がついた。

もちろん、この「無い」にはNOやNEINやNONがなんとなく含まれているのだが、日本語で「無い」と叫ぶのは出来の悪い学童の受け応えだと今思っている。帽子を被って、障害を持ったおじさんとは思われなかっただろうか?

そういえば、なんとなく日本人化していて余り目立たない西欧人らしき者たちが、カメラをぶら下げてサンフランシスコと書いたキャップを被っている私を独特の表情で注目している視線を感じた。

今後は地元の宣伝を書いた帽子などを身に着けて旅行したいと思った。日本には、自宅のワイン街道よりも多彩な人がたくさんいるように感じている。少なくともワイン街道の自宅付近ではフランス人がバケットを焼いているお店は無い。やはりドイツは田舎なのだろうか?
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# by pfaelzerwein | 2008-04-04 13:06 | 生活 | Trackback

近代社会の主観と客観

日本の新しい出入国管理の実際を見て、必ずしも微笑みの国とは言えないようである。それはなにも外国人に対するものだけでなくて、印鑑を使用するような事務処理は歴史的文化背景を曝していて腹立たしい。

先に記事にした受け応えの問題も単に日本語の文法の問題ではなくて、高度な文化的な問題であることに気がつく。主情的な感覚を尊ぶ文化においてはそこにとってつけたような論理が接木のように近代社会が出来上がっている様子がこうしたところに見て取れるのである。

この点に、日本の近代の問題が凝縮しているようである。

偶然にも「ドイツ観念論」と名づけた思考への批判コメントがあったが、まさにこうした主観と客観のあり方に近代があるのだろう。今でもVERNUNFT(理性)が大書きされるドイツ社会との相違であろう。

大といえばざるの大盛りを大ざると書いてあるので、「おおざる」と言うと「だいざる」と発音するのが正解であったようだ。

書店の店頭に学ぶつまらない書籍は数々あれど、なにか重要な事が社会の話題になっていないようにしか思えないが、ただの旅行者の観察に過ぎないだろうか?
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# by pfaelzerwein | 2008-04-04 13:00 | 生活 | Trackback

ハイ、そう思います!

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食後スーパーで、助六寿司を買った。助六寿司とはなにかをすっかり忘れていた。お好み焼きを1300円ほど食して大変不満であったので口直しに買ったのである。

日本人は声をそろえて、お好み焼きは世界で受けると力説する。しかし、お好み焼きが美味いと感じたことは今までなく、きっと今後もないだろう。

味付けの強いものや油気でべとべとするものはますます苦手になっている。それでも隣で食べている焼そばが美味そうと思ったからモダーン焼を注文したのだ。全くしつこくてモチャモチャとしてどうしようもない。メガネだけでなくセーターまでに油を飛ばされて大変不愉快である。

しかし、あのがんがんに冷やして五百円以上取る生ビールはどうしたものだろう。美味しくなく、器ともども冷たすぎる。強い風が吹いて外は肌寒いと言うのに、何たることか。

だから260円の助六を抱えて、レジへと向かった。レジのお姉さんが、「お箸は要りませんか」と尋ねるので、元気よく「ハイ」と答えた。さて袋から取り出して、ウイスキーを片手に、口直しをしようと思うと、箸が入っていない。いい加減なレジと怒ったが、よく考えると言葉が通じていないことに気がついた。

「ハイ、要ります」と言ったつもりが、日本人は「ハイ、要りません」と理解したようである。

前回の日本滞在に比べるとこうして毎日日本語を書いているので少々自信があった。だから、銀行の女性アドヴァイザーが説明する事象の肯定と否定の言い間違いをその内容から訂正させた。

しかし、こうした単純な受け答えゆえに、平素から慣れていないと切り替えが難しい。

脂っこい粉物を食した翌朝は、テラスにてザウマーゲンなどをたっぽりとブランチとした。ヴァイマールのエレファントホテルの中庭での朝食に勝るとも劣らない。

それにしても、ワインにせよ飲食は、ドイツに比べて日本では何もかも不味く感じるのは重い空気ゆえではないだろうか?

ハイ、そう思います!
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# by pfaelzerwein | 2008-04-03 09:23 | 文化一般 | Trackback

水平線を越える視界

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TVのないところに滞在している。お蔭でつまらないものを見ずに済んでいる。ケーブルで入っている独第二放送のニュースなどが見れなくて残念かと思ったが、よく考えれば自宅でも見ることはない。ラジオは聞いているが、それもウェッブラジオでお馴染みのものだけで、むしろそれを聞いているほうがこちらの都合に合わせることが出来る。

反対に新聞も一切ないので、ネットをよく調べなければ、一万キロメートル離れた自宅にいるときよりも日本の情報が入りにくい。

よく考えてみるがよい、一体我々が受けている情報とは、生活に関わるから関心をもたれるのだが、実はそうした実用的な用途以外に、我々の視野が及ばない地平線の向こう側の様子を伝えることから可視出来る世界観を形成している。そのように考えると、その情報の質とか伝え方が大変重要なものであることが分かる。

そこで、独第一放送のHPからラジオのストリームを選んで結局何時車で聞くような放送を聞いている。新聞は、これもまた購読紙のRSSリーダーを読んでいれば事足りる。それにしてもネットの発達で視界が変わったことを改めて実感させるのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-02 09:42 | マスメディア批評 | Trackback

時差ぼけ日誌四日目

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時差ぼけ日誌四日目・五日目。

三日目の夜は普通の床に入ったが朝早く目が覚めた。四日目の夜にザウマーゲン晩餐会第二夜を催した。

早目に始めたが結局夜遅くに散会した。そして酔いの中を零時には床に入った。

そして、目が覚めたのは9時になってからである。カーテンを通して日が強い。約束の10時には遅れないように、急いで準備をして着の身着のまま出かけ、要件をこなし昼食とする。

昼食にはさわらの焼き魚定食としたが、割り箸ではなかなか魚が捌けない。何とか食して勘定を済ませると急に眠くなる。

さて、この眠気はどうなることか。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-01 15:18 | 生活 | Trackback

薄ら寒い夏時間への移行

ドイツの夏時間が始まった。今回は一時間の時差を感じないですむ。その代わり旅行による時差ぼけを観察している。自身としては比較的珍しい経過である。旅の初めから回想すると、ドイツ時間で火曜日の夜12前には床につき朝5時ごろには何時ものように目が覚めた。それから肉屋などに行き、10時に自宅をあとにした。そして、水曜日の午後2時前にテークオフ、そして翌朝の未明1時過ぎには日本に到着した。

日本では午前中である。機中の飲食の悪さが祟って、頭痛と消化不良であった。その後、シャワーを浴びて町へと出かけ、知人の事務所で話し込むが何時も以上に頭が冴えない。なるほど動き回って飲んで夜中である。当然である。

夕食にざるそばを食し、ビールを飲んで、機内で買ったスコッチをやると夜10時には起きていられなかった。しかし、目が覚めたのは12時ごろで、それから一睡も出来ずに、金曜の朝を迎えた。ドイツの木曜の夜である。

朝から風呂に浸かったに関わらず眠くならない。結局、その日もそのまま過ぎて、夜9時過ぎには立ちながら眠っていた。丁度、徹夜明けの午後1時の感じである。10時には熟睡していた。

そして土曜日は朝早く目が覚めてしまった。そして、午後には急に眠くなったが、飲酒後も気持ちよく、やっと夜半を過ぎて眠りに入った。そして、朝も通常の感覚で目が覚めた。体温が始めて上昇した気がした。土曜日の晩餐会が功をそうしたのだろうか。

そして今、ドイツならば夜中である。ブランチを終えて、初めてヒータを入れた部屋で、また急に眠くなってきている。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-30 12:25 | 生活 | Trackback

経費節減お粗末さま

今回の飛行では、飲食も不満足であった。もし高額のチケットを購入する者がいたとして、現在のレヴェルなら苦情が出るに違いない。

そのメニューには、ファーストビジネスクラスの献立は二ヶ月ごとに異なる著名調理人に作らせているとある。今回は、ヴァイマールのホテルエレファントのチーフ、マルチェロ・ファブリが担当していた。

同ホテルには宿泊したことがあるが、マンの小説でつまり「ヴァイマールのロッテ」で有名な、第三帝国時代は象徴的なホテルであり、なかなか素晴らしいホテルである。

さて、このたびのメニューは、離陸後の歓迎ドリンクに続き、日本食を全く無視すれば二種類の前菜・メイン・デザートが選べる。

前菜には、子牛肉のスライスをツナソースであえたヴィテロ・トナートとスモークド・ザイブリンクのフェンチェルオレンジソースと芥子がついている、肉と川魚の選択で、前者を選んだ。

そしてサラダをつけたメインは、ラムの背肉とジャガイモのグラタンもしくはティラピアから前者を選択。

それに合わせて、ワインを選択する。先ずはアペリティフにシャンパーニュで、、ピノノワール・シャドネー・ピノムニエーのキュヴェーにてスルリーの二度目の発酵の酵母臭さが特徴である。そのためか、ストローの色付やヘテアローマにりんごやウイリアムス梨の味とあるが、シャンペンに求められる爽快さはない。うがった見方をすれば、これならば前回の飛行のように一人で何本も空ける私のような乗客は出ないに違いない。全く嘆かわしい。

それを確かめるように少なくとも四杯ぐらいは飲んだのだが。

そして、前菜には、ケープタウンからシャドネーを試す。燻製香と噛みながら味わうが、なるほど機体はこれをケープタウンで積んできたのだろう。それにしても食前酒と同じ傾向で余り杯が進まない。

そこでやっと楽しみにラインガウの名門シュロース・ラインハルトハウゼンの2006年産辛口QbAリースリングを所望する。これがまた甘くていけない。どうも出す方も分かっているらしく、明らかにコスト削減に奔っている。名前だけ名門だも質が悪いものを安く納入させているのだろう。しかし、こうした商品を出していると、醸造所の名に関わるのではないだろうか?

更にヴァルター・ビーボなどとマイスターまで紹介されているとなると始末に置けない。説明には、長く置ける地所などと書いてあるが、もちろん素晴らしいリースリングを作っていてもこの商品とは殆ど無関係である。もう少し冷やさせるて注がせるべきだったか。

いよいよラム肉で佳境に入ってきて、ボルドーメドックを飲むが、これまた同じ傾向である。仕方ないのでスーパーの安売りで御馴染みのスペインのうティエル・レクアナに変える。

そして、最後にはチーズを食べるが、重い気分の悪くなるワインばかりで、家の冷蔵庫を片付けるために持ってきたベルクケーゼがもう咽喉を通らない。胸が一杯である。

そして胸が悪いのを我慢して一眠りするが、目が覚めると頭痛がする。悪酔いである。ワインを飲んで悪酔いなどは何年振りであろうか。

デル・マネゴのワインのチョイスであるが、きっと購入係は名前があって量が進まないワインを中心にチョイスしたに違いない。

朝食にも不味いチーズが出て、乗務員の知っている通り、何もかも落とし過ぎである。こうなると、飛行機の旅などは私のように出来るだけ避けた方が賢明である。

雑誌などの提供品も下がってきているとしか言いようがない。燃料飛行等分を経費削減して、料金競争に耐えているのだろう。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-29 16:10 | ワイン | Trackback

タクシー運転手への寸志

行き掛けにタクシーに乗ったことを書いた。何時もと違う運転手が来た。荷物を入れるときに、「重いよ」というと、「先ごろ手術して」と言うので、「悪いね」と手伝った。

二台の車の異なる方なのだろう。燃料費高騰のことを話していると、八年に一度の料金改正の次の時には再び燃料が上がっているかどうかという話となった。現在の高騰以上に進むとはだれも信じたくないのである。

しかし四年ほど前に比べて、値上がりしていたのが、50ユーロ近くになっていた。それでもバスの移動した発着場所まで走らせ、鉄道の切符を買うまで待たせたので、少しチップを渡した。

さて、日本ではシャトルバスが到着場所はホテルなので、タクシーをドアボーイに頼むと、重い荷物をトランクに入れてくれた。チップを渡すのを忘れたが、流石である。

手荷物とあわせて、全部で34キロほどあったので、小柄な日本人には大変である。

桜の季節は長く知らない事などや昔のその界隈のことなどタクシーの運転手と話しながら、一万円札から釣りはありますかなどと話して、到着した。ドアボーイに聞いていたタクシーの料金よりも安く、細かな金で間に合った。百円ほど足して払うと、日本のタクシーには珍しく車を降りてきて、荷物を出してくれた。重かったので、腰でも逝かしてないだろうか。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-28 07:35 | 生活 | Trackback

縁があるのかないのか

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飛行機会社の倹約振りは予想以上である。マンハイムやハイデルベルクからのシャトルバスは予約乗り合いタクシーになってしまっていた。それも八人乗りなので、もちろん座席はない。同じような間違いを犯した者がいて、そのトルコ人をそこまで乗ってきたタクシーに誘ったが、フランクフルトの空港までの100ユーロの三等分は高いといって断られた。

そこで急遽ドイツ連邦鉄道を利用することにした。乗車時間は三十分ほどなので、殆ど同じ時刻に到着した。

ターミナルのはずれの国鉄駅は始めてであったが、アップグレードには特別にボーディングカードを出してもらう必要があった。なかなか皆慣れていないようであったが、一列目を確保出来て、エアバス340-600が就航した当初に乗った反対側の座席であった。

飛行機もその時に乗ったニュルンベルクと名づけられた機体で、新車の車が古くなるような経年変化を感じた。19機ある中で同じのに乗り合わせるのは縁があるんですよと、パーサーやチーフスチュワーデスに言われて気分よく乗車した。

しかし、乗用車と同じく、内装などのがたつきが酷くなっていて、当初の静けさはさすがになかったがエンジン音やその他は少なく、やはり優れた機体には他ならない。

八年おきの改装というのでまだ暫くこの状態で飛ぶようだ。その日は、ケープタウンから飛んで来ていて、大阪へと向かい、大阪からフランクフルトへとトンボ蹴りをするので、再びケープタウンへ行くのではないかとお話をした。

そして客室乗務委員の方は48時間後に、操縦士は明くる日に、再び仕事をしながら、フランクフルトに戻ると言うことであった。時差を出来るだけ慣らさないうちに戻るのが最も身体に良いと聞いていたから質問したのであった。

決して、最初に挨拶代わりに言ったように、「機体だけでなくて、客室乗務員も縁がある」ということではないのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-27 19:42 | 生活 | Trackback

三世紀を架ける思い出

d0127795_5483923.jpg遠縁の日系二世が亡くなったと知らせを受けた。いつの間にかメールアドレスがなくなり、本人から直接音沙汰がなくなってから、三年ほどになる。その後は、三世の娘さんの家族とのメール交換が主な付き合いとなっていた。

そして、昨年のクリスマスメールには、娘さんの家庭のツリーの横にいる母親である奥さんしか写っていなかった。それから、もしやメールを見落としたのか、それとも敢えて連絡がなかったのかと、ご本人の消息が気になった。

あとから考えれば、思いきって聞けば良かったと後悔している。メールには、一月ほど体調を壊し、たった四日間の入院で安らかに亡くなったという。享年94歳とある。

消息を聞くのを躊躇ったのには訳があった。それは2001年に義理の娘さんの実家のあったコルマーに寄って、シュヴァルツヴァルトを案内したときにも本人が主張していたことが頭にあったからである。神経科医であった彼に言わせると、「うちの家系にはアルツハイマーは無い」となぜか好い加減に確信に満ちて断言していたからである。

なるほど本人が電子メールを打てなくなっても決して老人呆けが急激に進んだとは思わないが、発信するものが少なくなっていた感じはしていた。本人の名誉のために好い加減なことは言えないが、果たしてどうだったのだろう。

実は昨晩、久しぶりにホームグラウンドのワイン地所を散歩して、最後に会ったときのことを少し思い出していた。既にその時86歳になっていた彼は戦後日本から迎えた幾らか若い奥さんと共にとても元気だった。

あの観光地のトリベャークの滝に連なる急坂を息を弾ませ、休みながら登っていた情景を思い浮かべる。昔、京都で習ったと言うドイツ語を駆使して、店などで交流を図る様子は、日本人観光客のぎこちなさとは異なり、またそこいらの野放図な米国人観光客とは異なり、ある種の親近感に満たされたものであり且つその年齢故かなかなか含蓄に富んだものであった。

Ich habe Deutsch in Japan gelernt.

とか、なんとか話し出していたのを覚えている。こちらがまだ三週間ほどしか経っていない新車を試し試し運転しているのを見て、歩道に乗り上げるように路肩に停める時は長く斜めに乗せなさいとか、細かな指示をしてくれたのを覚えている。

お互いに共に過ごした時間はとても限られたものであったが、彼にとっては、百年以上前に太平洋を渡って南米の日本大使館に潜りこみ、その後合衆国に渡り、世界大戦中は兄弟二人を故郷に送り教育させた、亡き父親の面影を私に見たのであった。

と言うことで、どうしても共通の先祖は三代前に遡るがするとさらに分家となってからの五世紀に渡る歴史のようなものを考えて仕舞うのである。それはまさに、昨晩葡萄の生育とその土壌を見た時に感じた、循環する歴史なのであった。

兄の方は戦後米国に帰国して、弟の方は日本に残り医学部を退官後十年ほどして亡くなった。四半世紀ほど前のことである。

故人と最後に会った2001年9月11日は個人的にも忘れられない日付となり、そのとき貰ったちょっとしたものが彼の形見となったのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-26 06:50 | 雑感 | Trackback