偏屈者の国際市場戦略

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レーブホルツ氏は変わり者である。昨年、氏の醸造所を訪問しようと電話をした節、1990年のワイン女王である奥さんが電話に出て、なにが試飲出来るかと尋ねると「全然ない」と答え、その後の試飲会への誘いもなかった。

なんと商売っ気のない醸造所かなと思ったのだが、今年はレープホルツ氏が会長を務めるVDP-Pfalzの記念年であり、是非押し懸けるために、電話で予約を入れておいた。追い返されるような状況を心配したからである。

電話口の親仁さんの声も支部長と言うよりもどこか職人風の一途さを感じた。いざ、出かけてみると、小さな町にあるワイン街道沿いの醸造所の門の前で道路工事をしていて車線が狭く駐停車出来なくなっている。変わり者は決して好かれないと思うのだが、それを自覚して、パンフレットにはメインストリームを避けながら世界的な支持を得ていると言うようなどこかの誰かが言うような能書きが見られる。

門を入ると奥さんが挨拶をするが、こちらもこうなれば負けずに変わり者である。「リストは何処にある」と、「あとのことは如何でもよいわい」と、リッターワインから試飲を早速始める。一グラムを切る残糖のリースリングは木で鼻をくくったようなもので、あまり感心しなかったが、少し以前ならば酒場などで糖尿病ワインとして飲まれていたものにも近い。次に、「雑食砂岩のキャビネット」に移るが、これもかなりの辛口で、なかなか頑固である。親仁の酌のついでに、「2005年の雑食砂岩キャビネットは自然発酵と聞いたが」とそれについての見解質すと、「無理してやらない」と言うことで、これは一筋縄ではいかず、なかなかやるなと感じたのだった。

シュペートレーゼへと移っていくと、流石に旨味が少しづつ出てくるが、素っ気無さは変わらない。ロートリーゲンデ層に続いてムッシェルカルク層へと味付けが濃くなっていく。

折からのインフルエンザらしき腸の不調から休み休み試して行くが、到底甘口などに行くほど元気はなく、休みながらサンドイッチなどを摘んで再びキャビネットに還ってくる。すると、食事への相性はまことに見事であり、雑食砂岩の味気無さががとても美味い。

予告されていた17時からの「レープホルツの講話会」では12種類の新旧のワインがコメントされながら試される。その中で、24時間の積み取りジュース「マイス」のつけおきなど、健康な葡萄からのエキスを残らず吸い取る方法が提示されて、そのワインの「ミネラル質の塩」の量がここから導かれていることを示唆していた。

また1996年を筆頭とする古いワインをそこに混ぜることで、ワインの成長の行くへを示し、新しいワインを「思春期のワイン」として扱うなど、ここのワインのあまりにもの突っつきの悪さを解消すべく、土壌の味覚を体験させながらの紹介となった。それは、思春期の二年ほどを経て落ち着いて来たワインらしいワインの対語であり、翌日訪れる会長のクリストマン氏の用語「思春期」とは若干異なる。また、三度目の飲み頃の山を四年からとすることが多いが、レープホルツ氏は五年からとしていたのが興味深い。その時点で、石油臭くないことが重要としているようであった。

貝殻質土壌のグランクリュ化への意欲は同時に市場の拡大を意味していて、生き様を見せるのではない、本物の偏屈者振りを示していたのがおかしい。なるほど、リースリング以外のムスカテラーなどを美味く作るコツを得ていて、市場を逃がさないのは、決して氏がヤクザな人間でなく、一途な職人としての生き方を知っているようで、その人間性に好感が持てた。

結局、この醸造所の最もスタンダードである雑食砂岩のカビネットとシュペートレーゼを、各々四本と二本注文すると、PCの前で「(ワインソフト)の画面が大きくならん」ともたもたしながらも、注文のために住所名前を書き入れた「票を置いて行ってくれ」と、同類の匂いをかぎ取ったようだった。

特筆すれば、これほどある種の食事に「旨味」を示すキャビネットはないわと、近い内にまた買い足しに行かなければいけないと考えさせるリースリングであった。リースリング以外の葡萄にも土壌の味を付ける文字通り「塩味」に満ちた「レープホルツのワイン」は、料理に味を添えるのである。



参照:
南北にワイン街道行脚 [ 生活 ] / 2008-05-24
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
活き活き横たわる五月鰈 [ 生活 ] / 2008-05-25
聖体節の百年際試飲会 [ 暦 ] / 2008-05-23
ドイツ旅行記2008年5月(第6日目:5月8日)その2 (DTDな日々)
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# by pfaelzerwein | 2008-05-28 03:21 | 試飲百景 | Trackback

誠に貴重なご意見番

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ルフトハンザから手紙が届いた。なにも備品を頂戴した覚えはない。フランクフルト到着時に狭苦しい座席の忘れ物を点検するためにイスのクッションを外して小姑のようにゴミを見つけたが、また大阪到着時に旅行中の読みものにと雑誌類を探ったが。

スチュワーデスを口説いても、またストカー行為も場合によってはありえるかも知れないが、よく問題となるセクシャルハラスメントは信条に反してありえない。

先日のご意見への回答であった。ご意見の内容は既にここに紹介した通りだが、読み難い字を丁寧に読んでくれたようだ。

要約すると、「大阪への飛行の印象を提示頂き有難うございます」と始まって、「お客様として大変お贔屓にして頂いており、ご意見はまことに貴重なものとして伺います」と、会社と顧客の関係を明示している


「この度は、飛行中の食事とワインの質に関して、お客様の機内での常時快適を心がける我々の機内サーヴィスが、期待に応えられなかったことを残念に思います。」と苦情に遺憾の意を示す。

「お客様のルフトハンザに対する要望は、特別に役に立つもので、非常に真剣に受け止めておりますことをご確認くださいますようお願いいたします。」と苦情の内容を、「よって、お客様方のご指摘を我々の今後の製品の向上と開発に活かすべく、担当の部署に早速批判として報告しました。」と型文を書き添え、最後に次の様に結んでいる。

「この度のご不快をなにとぞお許しくださいますよう宜しくお願いいたします。そして、今後ともお客様の信頼の翼としてあることを願っております。」と、そして更に次の搭乗を期待して文を結んでいる。

ドイツ企業としては特別に丁寧な文章で、航空業界の特異性が見えて来るようだ。なるほど今回も「様々な都合からフル料金を支払っていたら」とする立場に立っての批判であったが、今後A380などの大型旅客機導入においては、飛行の安全の次に客室サーヴィス内容は益々重要を増してくる。

ザウマーゲンやエルステゲヴェックスを提供しろとは言わないが、新鮮なリースリングや気の利いたジルファーナーやソーヴィニオン・ブランなどを美味いドイツ料理に合わせて欲しいものである。

これで廻りまわって、少しは、ドイツワイン業界の援護射撃になっただろうか?世界中の乗客にドイツワインの実力を紹介して、それとなく広報するのは、最終的には良いドイツワインの経済的な仕入れにも繋がり、更に決して小さくない経済効果を生み出すと思うのである。



参照:クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
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# by pfaelzerwein | 2008-05-27 01:29 | 生活 | Trackback

スパイシーな相互感応

五月の試飲を終えた。木曜日から日曜日までで六箇所の醸造所を巡った。各々非常に勉強になる試飲であった。最終日は予定していた一家族が子供の不調故に参加を見合わせて、もう一家族もお母さんと子供だけの参加で、一日代理お父さんのような按配となった。

自宅から歩いての試飲会は健康的で優に一時間半以上は歩いた。途上、ホールンダーの白い花などを指摘され、なるほど一人で歩いているのとは情報の収集能力が異なり情報量も遥かに多いだろうと、これまた植物や地質などに見識のある人物と散策すればさぞ学ぶことも多いだろうと、それを希求するのである。

それにしても、この数日間の出会いや学びの多かったことは試飲行者行としては特筆すべきである。最終日にはザールのシュロース・ザールシュタインが、ゲオルク・モスバッハーで試飲会開催しており、これまた大変学ばして貰った。

ワイン発注の返事を待つ緑家さんの「奥さんに直訴してくれ」との指令を受けて、そのワインともども奥さんにも迫ることが出来て最初からかなり踏み込むことが出来た。ワインの果実風味がここ地元にあるものとはことなり、その1966年と1943年の古い葡萄から醸し出されるものは意外にも新鮮なヴァイタリティーに満ちたものであり、その葡萄のクローンを感じさせる。これまた、全面的に奥さんの予想や緑家さんの評価を信じて成り行きを試すことにした。こうした機会を素直に受け入れることも学びや出会いには肝要であろう。

肝心のモスバッハーのワインは、2007年産は明らかに上を目指しているリースリングであり、ロープライズ狙いではそれを見逃してしまう可能性がある。例えば、ヘアゴットザッカーなどは秀逸で、そのスパイシーな味わいは絶賛できるフォン・ブールのものと比べても十分に対抗できるのである。そして価格は1ユーロ30セント廉いが、こちらの方が長持ちするに違いない。

一連の試飲において、交じあった協会役員や醸造所の面々、さらに熱心な顧客達との交流は、当方が受けたのと同じだけ先方にもなんらかの感嘆や情報を与えている訳で、こうした相互間の刺激合いは、本年が記念年であったと言うだけでなく、ドイツワインの大きな活力となって必ずや大きな力となって収斂してくるものと確信している。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-26 14:05 | ワイン | Trackback

活き活き横たわる五月鰈

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前日のVDPプファルツの支部長のお話に続き、VDP会長の案内でワイン地所を散策する。午後三時に醸造所を三十人ぐらいで出発して、カペレンベルク・マンデルガルテン・ビエンガルテンを通ってイーディックへと一時間以上かけて到達。そこの茶室跡でピクニックとして、四種類の軽食に古いグランクリュワインなど七種類のワインを会長の酌と進行で試飲する。

食事と参加料金ならびに醸造所へ帰還後の購入などで批判も聞かれたが、その案内内容とワインでは賞賛するしかない。その内容については多岐に渡るので改めて書き記さなければいけないが、会長自らの意志と意欲が大変伝わったことだけでも明記しておかなければいけない。

その前に個人的に日本でのドイツワイン体験報告をした際、日本人が求めるようなお役所依存型の甘えた市民社会の封建体質と諸外国の政府機関の取り組みとドイツ連邦共和国におけるそれの比較において、「本当は自ら団体自身が十分にやらなければいけない課題なのだが」とする考えを聞き出せたのは大変有意義であり我が意を得たりの心境である。具体的には、なかなか難しい問題が横たわっていることは周知であるが、ドイツワインを代表する立場として自由主義社会の団体としての覇気を示してもらいたいものである。

その後、五月の鰈を食して、五月の試飲も日曜日の最終日を残すのみとなった。一向に腸の調子は悪く、帰宅後トイレに駆け込むのは変わらない。シャワーを浴びて出てくると電話が鳴った。東北から友人がワルシャワでの学会を訪れた帰りにフランクフルトに寄ったので、「先日、神戸から東北への電話のお返し」と電話をしてくれた。

「一体何処に墓を作るのだ」といつもの調子で縁起でもないことを言うので、

「墓などは残された家族のもので、自分のものではないから」と少し近況を話しておいた。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-25 15:40 | 生活 | Trackback

南北にワイン街道行脚

醸造所を二件廻った。その前にお土産のザウマーゲンのお買物に付き合う。ミニザウマーゲンを栗や茸入りを中心に選ぶ。ロゴをつけた帽子を被って、なかなかのセールスマン振りである。

一軒目では、グランクリュワインの極みを示そうとしたのだが、ならなかった。試飲者の好みとして、辛口のリースリングになんらかの旨味がついている柔らかめのリースリングを考えていたので、少々分厚目ではあるが、内包するものが詰まっているグランクリュを勧めたのである。

趣向の第一点は適合すると考えたのであるが、第二点の柔らかさを失念していた。要するにアルコール度の高いものはピリピリするとして受け付け難いようであった。我々常習の飲酒者からすれば、アルコール度が高くとも飽きずに幾らでも飲めるリースリングは嘱望の的であり、存在感があるボディーがあって更に悪酔いなど一切しないグランクリュ・リースリングは高嶺の花であり続ける。また、数年後の開花を期待して備蓄しておく楽しみもある。

そして結局アウスレーゼやベーレンアウスレーゼの甘口が選ばれた。勿論それらを二十年ほど取っておく喜びは捨て置けない。

そしてガーデンでスープなどを食べ腹を整えて再出陣した。二件目は当方にとっても初訪問のVDPプファルツ支部長のレープホルツ醸造所である。二十数キロの距離ではあるが、その南ワイン街道に位置して雑食砂岩のリースリングは痩せており態々そこへと試飲に足を運ぶ事はなかったのである。

谷奥から流れた地盤の集積地であるその一帯の土壌の恩恵を極力絞り出す必要があり、まさにそうした一途な試みがこの醸造所に世界的な高名を授けた。

試飲記や内容は改めて纏める必要があるのだが、子沢山の大家族総出で催す田舎の醸造所が如何に特徴的な製品を作り出しているかを知るのは大変興味深い体験であった。同行した女性方にとっては途轍もない極辛リースリングであったのだが、それでもムスカテラーなどを買わせるラインナップにもモットーは曲げないまでもなかなかの手腕を見せた。

それにしても予想通りの職人とそのワインは、我々かなり行ってしまっているリースリング愛好者を擽る人間性と哲学を示していた。その思春期の娘や末娘などが我々に親父に似た独特の人間性を見て、親近感を持つのもむべなるかなである。

ダイデスハイムに戻り、久しぶりにシュロースレストランに行き、お互いの無事を先代の奥さんと確認して、レヴァー団子やアスパラガス、フィレの細切れなどを食す。流石にヴァイツェンビーアすらなかなか口に入らないほど、皆アルコールで体内がやられていた。

久しぶりに連夜外食するが、どのレストランも、レーブホルツの説明にある「ワインの塩気」以上に、料理の塩気が強いと感じる。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-24 15:35 | 生活 | Trackback

聖体節の百年際試飲会

VDPの五月の恒例行事から試飲週間の山場に掛かっている。昨日は百年際で立食パーティーなども開かれていたが、フォン・バーッサーマンとフォン・ブールの両方で試飲した。

同行した女性の一人は、甘み・アルコール・酸の均衡した辛口ワインが好みで、さらに特別に甘口のパラディースガルテンをお馴染みであるバッサーマンで購入した。もう一人の女性がキーセルベルクを評価しているのに対して、まだ十分に味が纏まっていないウンゲホイヤーに、それでも先行投資する究極の嗜好が散見される。

そして、続けて訪ねたフォン・ブールでは、既に売りきれたキーセルベルクに代わってヘアゴットザッカーが注目を浴びていた。驚いたことに今や飲めるワインとなっているのである。日本へは若過ぎるのを承知で持ち込んで、緑家さんに特別に試飲して頂いたが、通常の人には勧められないものであった。

それが今や誰もが注目できるリースリングとなっており、バッサーマンのキーセルベルクは買えない女性がヘアゴットザッカーは即六本買い出来る商品となっているのである。そしてこのワインはまだ一年ほどは十分に楽しめるのだ。そして幾らか上のものよりも廉く大変お徳なのである。

その後、ヴォイバウワーの親仁と嫁さんの給仕で食事をする。フロンライヒナムの祝日に因んだ訳ではないがプファルツ民族料理のザウマーゲン・ブラートヴュルスト・レヴァー団子の「三位一体」の皿をお二人に試してもらう。


その後、グラインヒューベルからホーヘンモルゲン、キーセルベルク、カルクオッフェンを通っての散歩後、イタリアンアイスで締めくくった。二人を最寄の駅に送ってから帰宅する。腸の具合が悪く、結構試飲は厳しいが、明日に備えて体調を整える。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-23 14:02 | | Trackback

問題児対策にみる成熟度

町の問題児について、住居オーナー共同体と管理会社の会合で、また話題となった。二十年近く繰り返されている恒例の話題である。

問題児と言っても八十を遠に過ぎた彼の爺さんである。彼がまた、弁護士を使って住居の不備を訴えて、その騒音から寝られないので改善しろと主張している。その問題は先頃彼の家を訪れた時に説明された事象である。

問題児の憎まれ爺さんは、いままで数え切れないほど住居者を追い出してきている。我家を訪れた者で彼を知らない者は殆ど居ないであろう。人の駐車のスペースまで彼が一手に管轄するだけでなく、役所でも何事にも一言かまなければいられない。かなり病んでいる。偶々、子息の嫁さんが日本人なのでこれ以上は書けない。訴えられるといけない。

いや、私は数少ない彼の支援者の一人であり、先日も日本からお土産を携えただけでなく、今回も一言コメントしておいた。なるほど、部屋を貸している大家の立場や隣近所に住んでいる者のように、甚大な被害をこちらも直接受けていれば、大問題なのだが、今まで受けた被害は数えるに足らない。

管理会社の第三者の一人が、彼が少年達に自転車の手入れを指図するのを観察していて、とても好々爺に見えたと感想を述べていた。他の一人も病気後勢いは大分弱っていて以前ほどの問題はなくなってきていると語った。

私が好意を寄せる女性も「料理中にも食事中にも、況してや床に入ってから、私は一切応対しないからね」と三回にも渡る挑戦をあっけなく撃退して、構って貰わなければいけない老人として彼を扱っていた。

少し引いてその情景をみていて、当時者の怒りも十分に理解出来るが、絶えることなく衝突を繰り返す爺さんの訴えを、先入観なくどのように解決するかに興味を持った。

結論は、直接攻撃を受ける住人は、決して爺さんに直接対処せずに管理会社へと苦情を回すこと、そして法的手段に訴える爺さんに対して出来る限り苦情を聞いて対処する姿勢を管理会社が示すなどの対処策が決められた。

如何にはぐれ者で厄介な人間であろうが、受け止めてやることが、相手を叩くことよりも肝要なことが確認されたのである。さて爺さんが、出した刀を、適当な所でどのように鞘に収めるかがみものなのである。

はずれものに対して厳しく対処することは馬鹿でも出来るが、なんら効果をあげるとは限らない。寧ろ、そうした者を社会が囲い込んで仕舞うことが出来れば、それは成熟した社会に値するに違いない。

こうした対処の仕方に、その社会の程度やその構成員の人間の各々の程度が表れる。「いつまでも活動的に、政治などにも関わって行かなければ」と語る爺さんが、ありえないがもしアルツハイマーなどに倒れると悲しい。皆は、爺さんも長くはないとみているが、「憎まれっ子世に憚る」を地で生きている。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-22 06:17 | 生活 | Trackback

シュヴァーベンの隣人

神戸の隣人の話。野外灯を燈したまま明けた朝、近所のドイツ人がやって来て、注意を促す。

「夜中中外灯がついてました。勿体ないですね」

珍しく積雪を見たある日、そのドイツ人は、ホースを使って水をかけて雪を溶かしているご近所さんを見かけて、

「水をかけてはいけません。凍結しますから」

余分なことをお節介に云うドイツ人の典型でもあるが、雪を知って倹約を云うのはシュヴァーベンに違いないと察した。

先日の日本訪問では日系二世の親戚がおいて行った形見代わりのベースボールキャップを使った。それでは何処に行っても日系人にしか見られなかったので、新たな帽子を購入した。プファルツからの人間と直ぐに判るロゴが入っている。旅行には今後これを使う。

それを被って海外に行ってもあまり声は掛からないかもしれない。特に日本に駐在しているものにはシュヴァーベンが多いだろう。「計算づくし」は、世界共通の言葉だからである。プェルツァーは少数民族である。



参照:三世紀を架ける思い出 [ 雑感 ] / 2008-03-26
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# by pfaelzerwein | 2008-05-21 06:12 | 生活 | Trackback

静かに囁く笑い話

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葡萄の中を歩いていて先日仕入れた笑い話を思い出した。


友人の公認会計士が語った:

ある会計事務所で日本人の受託者が、その内訳などについて会計士と相談していた。


「分かりました。それなら支払い書などを集めて提出してください。税務処理しますから」

「それでは、旅行費用はどのようになりますか?」

「え、なんですか?」

「leise Kostですよ」

「一寸待ってください」とドアを閉めに行き、周りを見回してから、席に戻って小声で囁く。

「それは、一体どういう性質の費用ですか?」

「いえいえ、旅行した時の、ほら、宿泊代とか」

「ああ、Reisekostenですね」

「そうですよ」


完全にバイエルン式のRの発音になっていると言われ、いやはやRとLの発音の区別は日本人にとっては難しいという話題になったときである。

Reiseは「旅行」を意味する名詞であるが、leiseは「静かな」を意味する形容詞なのである。

故桂枝雀の「かぜうどん」を思わせる情景である。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-20 02:52 | 生活 | Trackback

森の泉の渋味の世界

ブュルックリン・ヴォルフのランゲンモルゲンをアスパラガス料理に開ける。この2006年産ワインの少量収穫の中、その一部を逸早く確保したのである。醸造責任者の勧めに応じて、まるで水のように流れるこのリースリングを購入した。

その後落ち着き始めると、初めに感じた静的な印象が強調されて、アルコールやミネラル味の裏に酸が隠れるような不思議な味となった。個人的には若く弾けるようなリースリングが好みなので、こうした着物を着た大和撫子のようなワインは苦手であり、既に三本以上を試したが一度も満足出来なかった。

そのような趣向もあり、元々若年寄りのような謂わば舞妓さんのような雰囲気のリースリングであったので、どうも手が伸びずつまらない思いをすることが多かった。しかし、先日2007年産を試して、その強く元気な酸に興味をもって半ダース購入したので、比較対象にこれを試すことになった。そして、もうそろそろ飲み干すべきだと言われたのである。

今回は、最初からハーブティーで口を整え、デキャンタをして一滴も無駄にせずに試そうと思ったのである。その味の傾向からアスパラガスが合うことは分かっており、万膳を期した。

今までの印象は覆されること無く、その森深くにあり人知れず水を湛えた泉のような静的なおとなしさは変わらないが、評価は変わった。何よりも深みが違う。決して底無し沼のような深みではないのだが、ざわめき一つない平らな面の下にいくつもの層が眠っているようだ。

全く酸が表に出て来ない不思議は、村の七不思議のような趣があり、今まで感じていた苦味はまさに玉露の甘みである。そして何を思い出したかといえば、日本でご馳走になった熟れたザールのスレート土壌のリースリングである。あの海藻のような代わりにここにあるのは、雑食砂岩の基調であるが、あたかも珊瑚礁のような静けさである。

あとに出て来る酸の重い圧力にゆったりと揺らぐ味の中には様々な土壌の味が滲み出てくる。是非、日本食にも合わせて頂きたいと思わせる。

このように考えてくると、人の好みも様々でそれはそれで良いのだが、上のような静的なものに見出す美観は、受ける方が見出してやるものかといえばそうとも言えない。動的で弾けた若さを受け止めるのは、こちらに体力があれば必ずしも難しくは無く、それを判断するのは容易である。

しかし、動きの少ないものを観察して細かく受け止めるのは、試験者に同じように平静さが求められる。試験者は生物であるので、全く静止することは出来ないのだが、こうした細やかさを受け止めるだけの自己コントロールが出来ていないと判断出来ない。

まるで、「雪国」を一向に読み進める事が出来ない読者が、渋味の世界を探っているようなもので、そうした良さが解るようになるには個人的にはまだまだ四半世紀ほど掛かりそうである。


参照:ランゲンモルゲンとはこれ如何に (新・緑家のリースリング日記)
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# by pfaelzerwein | 2008-05-19 14:53 | ワイン | Trackback

飽きない気持ち良い生活

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昨日、一昨日とやっと本を読む時間が取れた。一滴もアルコールを摂取しなかったことが大きいだろうか?日本旅行、フランス旅行を挟んで、その準備や時差以上に思考の転換が必要だったことが、集中力の低下に影響していた。三月以来初めてやっと落ち着いた気がした。

その症状が老人性更年期障害かと思ったぐらいであるが、実際には関心事の三大モットーに集中していて、至ってヴァイタリティーを向上させているのである。ここ数年の傾向と水準からすれば、明らかに上昇傾向が感じられるが、今世紀になってダイエット生活を始めた以前の活力へと近づくのか、それともその是非なども検討しなくてはならない。ある程度低カロリー低消費の方が今日のライフスタイルには適しているように思うが如何であろう。

バッサーマンヨルダンの試飲会に参加した。念を押していた醸造蔵見学が無いと知って気落ちしたが、試飲は十分に出来た。しかし、蔵内での試飲はワインの色なども判断出来なく、心理的にもあまりよくない。昨年はワインの温度に苦言を呈したが、今年は他のことを苦言しなければいけない。やはり、企業家などに握られると先行きは暗い。

ワインの方は、ライタープファードも良い評価を得て、やはりキーセルベルクと言う声も喜ばしかった。先週からこれで二人の女性の味覚によって、ここで今年になってから何回も書いたことが再び確認された。

ウンゲホイヤーも一片の砂糖味が気になるが評判は良く、今回良いと感じたものにグラインヒューベルのこってり感がある。またアウフ・デア・マウワーのキュヴェーが、自然酵母で醸造されているなどそれなりの商品開発をしていたのは注目された。このあたりは改めて試飲しなければいけない。

傘下協賛としてシュヴァルツ氏のキュヴェーや本人もそこに居たが、ミュラー・カトワール当時もであるが、氏の仕事振りは一般に言われるほど関心しないの一言に尽きる。当時のビュルガーガルテンも必ずしも今と比べてそれほど優れていた訳ではない事をここに明確にしておきたい。そして強く長持ちするリースリングでは必ずしもなかった。

今回、比較的評判の良かったものにアイスヴァインやトロッケンベーレンアウスレーゼさらにショイレーべのアウスレーゼなどがある。比較的飲み易い糖度で上手に作ってある。しかし、この分野においては先代の醸造親方ヘーネ氏のあの分厚くて強い掌を髣髴させる強烈なリースリングは今は無い。今も蔵に眠っている二十年以上経ってから飲めるようなワインは消え伏せた。

現在のリースリングのトレンドは、繊細で早飲みして美味いものと、グランクリュのように上手く経年させて楽しむものとの二傾向であると思われる。その中で甘口もか細く早飲み出来るものが作られているようだ。所詮甘口リースリングの消費量は限られていて、隙間商品には他ならない。

帰りの車の中で、キーセルベルクを一押しした女性と話した。幾ら飲んでも飲み飽きない、何時までも気持ち良いリースリングがやはり良いワインであると。

低消費とは矛盾するが、糖価を押さえて、無理なくアルコール化した良質のワインは、本来の意味でのバイオ商品であり尚且つ今日のライフスタイルに合致していると考える。



参照:
昨年とは異なる今年 [ ワイン ] / 2008-04-27
不思議な風景と惜別の情 [ 雑感 ] / 2008-04-20
小雪ちらつく強い花並木 [ ワイン ] / 2008-03-07
特産品を特別に吟味する [ 試飲百景 ] / 2008-03-03
プァルツの真の文化遺産 [ ワイン ] / 2008-01-13
吹っ飛んだ休肝日 [ 試飲百景 ] / 2008-01-09
桜は咲いたか未だかいな [ 試飲百景 ] / 2007-11-30
道に迷って思わぬ出会い [ 試飲百景 ] / 2007-10-08
フランケンシュタイン蔵 [ 試飲百景 ] / 2007-05-17
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# by pfaelzerwein | 2008-05-18 12:18 | ワイン | Trackback

蝸牛が殻に篭るように

幾つかの興味深いディアローグがあった。対立する意見の並置あり、さらに止揚されるべきテーゼあり、視差に事の本質を垣間見せるたりありで様々である。

その内容に関しては、どれもここで比較的よく扱っているような話題なので、繰り返しになるような自らの私見はここでは述べない。しかし、掻い摘んでその要点だけを指し示しておく。

一つ目*は、日本社会における個人と社会の関係で、我々からすれば自己犠牲とされるものも個人の自由として、― おそらく生甲斐やライフスタイルとして ― 考えるべきだとする意見である。もちろん、そこには無制限の自由はないという自明があるのだが、その甚大なる価値を社会の各々がどのように扱い議論して行けるかが要点であるように思われる。

二つ目**は、上の件にも関わっているが、己の食生活までをも社会の規範の中で位置付けようとするかのような「解放されていない社会」の存在である。そこでは適当な市場を形成して、仮想社会を経済と言う現実社会に見せ懸ける事が可能なのである。明らかにボトムアップの決定と志向がそこにはなく、トップダウン式の封建社会が未だにそこに存在している証拠であろう。その目的のために日本では歴史的に稲作が為政者により利用されているのは周知ではないか。

三つ目***は、最も複雑な話題なのであり、容易に争点を纏めることはできないが、重要な点である自己と外界との関係とその提示に関する。つまり、認知不可能なもしくは制御不可能な現象に接するとカタツムリが殻に篭るように外界から仮想の自己を遮断するのである。その仮想自己の世界が心情となる。

自己と環境の関係は、システムの把握方法に他ならなく、それを認知するものが世界観と言えるのだろう。



参照:
日本人の働く目的は* (クラシックおっかけ日記)
VDP新酒試飲会 in マインツ** (モーゼルたより)
蜉蝣のような心情文化*** (Wein, Weib und Gesang)
「『ロハス』ということ」 (関係性)
蜉蝣のような心情文化 [ 文学・思想 ] / 2008-05-14
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# by pfaelzerwein | 2008-05-17 02:31 | BLOG研究 | Trackback

俄かサボテン愛好の憂慮

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毎日サボテンを観察している。何時の間にサボテン愛好家になったかって?そう、訳ありだ。先日、今や最も気になる女性に手渡しで貰い、早速植えつけたのである。しかし、ワイン地所から失敬して来た土であり、最初に水を十分に含ませたので、未だに表面にも湿り気がある。根腐りは起きていないかと毎日気になって仕方がないのである。

夕方、買物を済まして帰ってきて、郵便桶に向かうと、何時も以上に活き活きとした表情の彼女がそこに立っていて、先般の緊張の最初のガス抜きのあと初めての予期せぬ再会である。

「元気?」

「今日は蒸し暑いから早めに切り上げてきちゃった」

「ああ、そう」

一瞬の沈黙も待てぬかのように、お互いに郵便桶に向って仕舞い、なんとなく周りの空気が固まってしまう。

一旦分かれたが、このままではと思い、荷物をおいたあともう一度彼女が戻って来るのを待って、プレゼントのサボテンのことを切り出した。

「あのプレゼントを植えつけたよ。でもね、大丈夫かなと思ってとても心配でね」

「結構平気なのよ。根がつくから」

「それでも、土が湿っていてね。根腐れしないかなと思って、初めから根の所、赤味がかかっていたかな?」

「大丈夫、期待しているから、私たち」

「そう、上手く行けばいいな、ありがとう」


今日の音楽:
ベートーヴェン作曲 「ラズモフスキー四重奏曲」第三番ハ長調Op.59-3



参照:
深く流れる情感の意志 [ 女 ] / 2008-05-12
清々しく熱い潮流 [ 女 ] / 2008-05-10
パラダイスに覗く花 [ 女 ] / 2008-04-24
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# by pfaelzerwein | 2008-05-16 04:17 | | Trackback

工業成形される人生基盤

アルバン・ベルク四重奏団のお別れ世界ツアーの途上、フランクフルトで最後の演奏会が開かれたようだ。ヴィオラのココシュカ氏が死去してから、女性の弟子が入っていたが、間近の終焉は十分に予想出来た。

今回の演奏評でもピヒラー氏の冒険に満ちた演奏態度に触れられているが、ああしたトップを支えるのは、これまた亡くなった氏のような強烈な演奏態度が必要だったのに他ならない。

初期のLP録音の特に新ヴィーン学派の演奏は印象深いが、テレフンケンの独特の録音によるモーツァルトやシューベルト、ドボルジャークなども忘れがたい。その後、メンバー交代後に一般的に知られるEMIの録音へと続いていく。

EMIへの録音では、更に大コンサートホールで四重奏の夕べを大々的に開いていくこの四重奏団の過去のヨーロッパの伝統とは一線を隔した演奏実践が記録されている。その後の若手のアンサンブルが彼らに学んだものも大きいが、それ以上に弦楽四重奏を芸術的に大掛かりなものとしてしまった責任はこれらのコンセプトにある。

結局、そうした演奏形態は、決してその音楽の可能性を拡げた訳でもなく、大管弦楽団に起ったような、工業化されて規制化されたような平均率的な音を奏でて、恐らくそうした音楽の試みは六月にお別れコンサートの開かれる中国大陸の音楽生活などに引き継がれるのだろう。

個人的には、ザルツブルクのモーツァルテウムでの新旧ヴィーン学派の連続演奏会の印象が今後とも記憶として残るであろう。そこで見聞きしたものは、まさに後進の音楽家達が薫陶を受けた音楽作りであり、新聞評にはそれを称して、「結局、感覚的に且つ精神的な行程 ― つまり人類に重要な人生基盤の存在を伝えようとするもの ― の形成・形態」であったとしている。

要するに、彼らの音楽実践は、偶々弦楽四重奏と言う伝統的なジャンルにおいて、生まれ故郷の歴史文化に則って、つき詰めて表現した古典音楽と言うことになるだろうか。

そうした人生基盤が、近代工業技術と同じく、欧米以外で同じ意味を持つのかどうかの懐疑を、商業音楽活動の中でそれが特に盛んであった日本などへの演奏旅行で示していたに違いない。



参照:
Der weite Reise zum langen Abschied, Gerhard Rohde, FAZ vom 13.5.2008
ズタズタにされた光景 [ 音 ] / 2007-08-10
袋が香を薫ずる前に [ 文化一般 ] / 2005-07-14
蜉蝣のような心情文化 [ 文学・思想 ] / 2008-05-14
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# by pfaelzerwein | 2008-05-15 02:07 | マスメディア批評 | Trackback

蜉蝣のような心情文化

小林秀雄関連は興味のある人が多いようだ。私などこれについてとやかく言う筋の者ではないが、何度も書いているように、自ら氏の著書「モーツァルト」関連の書籍を集めていたのを全く忘れていた事が発覚して愕然としている。一体、どうした経過だったのだろうか?

今回、その文庫本から「モーツァルト」・「表現について」・「ヴァイオリニスト」・「バッハ」・「蓄音機」・「ペレアスとメリザント」・「バイロイトにて」を流し読んで、日本におけるその影響力の大きさを改めて考えている。

好悪はハッキリとしているのだが、何故それがいまだに影響力を持っているかの方が重要な問題のような気がする。

幾つか、他の当時の日本社会との対決もしくは提示として、興味ある記載を見つけた。その箇所を挙げると、メニューヒンの来日とその演奏会訪問印象記に兼常清佐のピアニスト不要論に言及している箇所と、五味康祐の毎月の雑誌への「(オーディオ)気違いの寝言」という部分であろうか。

それらの部分において、ジャーナリスティックな扱いを徹底的に避けて、前者ではそれの口実として該当の事件に言及することで係わりあいを「サンボリック」に暗示していて、後者ではハイフィデリティーを「気違い」の言動に上手く語らせることで事なきを得ている。

全体を通して、この高名な文化人がこれらの簡単な書きものをどこに残したのかはわからないが、それらのレトリックは、日本の大衆新聞の文化欄にあるような、典型的な翻訳文化ジャーナリズムやアカデミズムのようで、それらの衣装を引き剥がして行った時に残る蜉蝣のようなみすぼらしいオリジナリティーを影絵のように浮かび上がらせるためにこそ存在しているように思える。

一体、そうした障子に映る空ろな影に、その心情を映し出すような文化の本質は何処にあるのだろう?



参照:
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28
女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20
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# by pfaelzerwein | 2008-05-14 15:24 | 文学・思想 | Trackback

深く流れる情感の意志

「折角、僕のモットーである美しい女性が居れば、他にはなにも要らないと思って、疲れる話は避けて、場をほぐそうと努力したんだけどね」

「堅いのをほぐせと言われても、できるものじゃないわ。ちょっと、考えてみるけど」

立て続け二晩のランデヴーは楽しかった。次回は何週かしてありそうだが、そのようなことは如何でも良い。こちらの年齢のゆえか、それとも相手のクールな人間性のゆえか、興味深い男女の緊張関係があって面白い。

それにしても、嘗てあまり知りあったことのないほど共通性が見つかる女性である。その分、どうしても批判したくもなり、その批判が同時に自己批判にも繋がる。あまり共通点が多い男女関係もつまらないが、その思考は理解し易く、当然のことながら差異にこそ関心が集中する。

彼女が八年間も高等教育を受けて地質学!から植物学、法学まで学んでいるので、面倒なことをしばしば話題にして顰蹙をかうこちらに引けを取らず、彼女の会話は、突然話題が硬くなる。なるほど、そうした女性のお相手をするのは血気盛んな学生か、学識経験者か、私のようなモットーを掲げる男だろうか。

流石に知識も豊富で、その上に興味旺盛で学習意欲は大変高く、一度こちらが何か言えば必ずや更に意欲を燃やしてくるような貪欲さがある。まさに当方の批判点は、そうした蠎のような方向の定まらない冷静な知識欲で、このBLOGにおけるプロテスタンティズム批判にも繋がる思考である。

つまり彼女の魅力である凛とした姿勢は、なかなか開かないカタツムリの殻のようなものに包まれている自我でもあるが、どうしてぎりぎりの所までの接近を試みようとすると防御壁のようにそれは固まっている。

批判点は、お互いが親近感を以って、語り懸けるときにその反照がしっかりとその柔らかい核を反映したものとなっているかどうかが、その対象がカタツムリの殻となると意味ある反照となって戻って来ないことにある。それならばどのような意志があっても、燃え盛る岩山の頂にはいっこうに到達できないジークフリートのようなものである。

その一つとして、精神と肉体の分離を理念としているとなると、どうしても各々の両面において完成した生にならないのみならず、情感を抑圧することにならないだろうか。

もう一つ面白い心象風景を絵画などのイメージから教えてくれた。それは、白い壁のようなものの前に一人立つと言うものである。白い障子のようなものを考えても良いだろうか。それは、未来であり、希望であることは分かるのだが、キルケゴールのように向うものは一体何なのだろうか?

そして、学習の可能性と動機付けされた意欲は、コインの裏表のように存在する重要な運動法則にも見えるが、そうしたものがどにように裏打ちされているかなど、興味がつきなく、同時にヴァルキューレの鎧の堅く身を包んだ隙間に見せるブリュンヒルデの意志を形成するようなその深く流れる情感のようなものがとても愛らしい。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-12 23:14 | | Trackback

座標軸の定まらぬ思慮

聖霊降臨祭の祝日である。復活祭から第七週目とすると、日本へ旅行してから矢張り同じぐらいの期間が経つ。その間、三週間は日本、数日はフランスであったので、地元には三週間ほど居た事になる。

ここ数日は夏日和で二十七度を越える暑さだ。乾燥していて喉が渇くが、まだまだ白昼夢見るような気候ではないが、夜放射冷却で冷えてくると肌寒く、窓を閉め切って気持ちよく就寝する事が出来る。

南ブルゴーニュの旅の隠された目的、クルニーの町の修道所について手短にまとめておかなければいけないが、その前につまらないエピソードだけを書き留めて置いて旅の思い出としておこう。同室で寝泊りしたマコンの医師からメールで写真を送りたいからこのアドレスで良いかと尋ねてくれた。

彼の息子さんが東京のフランスの海外事務所に駐在していると言うことで、盛夏にそこを旅行するアドヴァイスと参考資料を送ってあげると約束していたのである。あれやこれやと考えている。

墓場の横でリースリングゼクトをそこの水場に冷してそれを空けた時のことを思い出した。冷やそうとしていた酒飲みが、水場のたまりの後ろを覗きこんで叫んだ。

「おいこんなところに、エスカルゴ焼きの鍋があるぞ」

そこへ行く途上に必至でエスカルゴを探して、一人が何処からともなく見つけてきていたのだった。

「おい、あれは何処へやった」と道端に戻しておいたエスカルゴが急に惜しくなってきたのである。

「帯びに短し襷に長し」を、ドイツ語などではどのように言うのだったかなと考えているのだが、なかなか思い出さない。

旅行の道程や移動距離、陸路にしろ空路にしろその描いた軌跡が残像のように脳に残っていて、一寸混乱したような気分にある。新聞に目を通していても内容を漫然と理解しているだけで、もう一つそれ以上に分析的となれない。なにか、ジャイロコンパスの軸が壊れたナヴィゲーションシステムのような、ずれた空間が重なっているようで気持ちが悪い。

日本旅行前に獲得した書籍など、いくつもの集中して目を通したいものがあるのだが、そうしたものに集中する時間的精神的余裕が無い以上に、なによりも上の座標軸が固定も移動もしないと言うような 高 度 な状況に陥っている。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-11 14:59 | 雑感 | Trackback

清々しく熱い潮流

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お花を貰った女性とのランデヴーを前に、短く書留めておこう。本日車に乗っていて偶々彼女が歩いているのを見かけた。暑い最中であり、こちらに気がつかなかった様子なので、態々戻ってきて、送り届けてあげようと思ったのだ。

その暑さ故にか心なしか不機嫌そうな表情を浮かべ、今まで見せていたクールで落ち着いた表情とは違った情感を醸し出しているのを見た。先方には気がつかれていないとは言いながら、なにか見てはいけないような表情を垣間見てしまった気がした。

そのためか、こちらの情感も刺激されて些か不愉快な気持ちになった。帰宅途上ではない事が察せられ、声を掛けずに終わったが、その状況も幾らか推察して、そしてつまらない事をあれやこれやと考えてしまうのであった。

夕食後一杯引っ掛けてから、いつものように散歩に出かけると、昼間の27度を越す炎天下に暖められた土壌に、熱気が浮かび、そして冷たく流れる潮流を感じた。

焦燥感の交じった火照りが温度差のある潮流を越える毎に、仔細な事柄は段々とどうにでもよく思えてくる。見てはいけなかったものを見た訳ではなく、有り体に見えるものを見て留意するのみなのである。

暖気にも、谷から吹き降ろされてくる冷たい空気の流れを感じながら、その清々しさの中に、熱い温もりをまた感じているのである。



参照:
パラダイスに覗く花 [ 女 ] / 2008-04-24
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# by pfaelzerwein | 2008-05-10 07:43 | | Trackback

安定と静粛の乗り比べ

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メルセデス・ベンツのAクラスに乗った。ディーゼルで大変喧しく、挙動が落ち着かない。

ここでも何度の批判しているのであまり言いたくはないが、パワーステアリングもふらふらで良くなく、市場に合わせる前の最終調整が大変雑な印象である。

当初からスキャンダルに包まれた車種であるが、結果としてはなんとか市場に収まった。それでも、トヨタ車などに比べると辛うじてと言う印象しかない。

フランスに同行して同室に寝泊りしたシカゴ大のMAは、ハイブリッド・レクサスを二週間前に買ったので自分の車では行きたくないと言った。結局上手く乗合いで小さなトヨタで大人四人が千キロ以上を往復した。

その小さなトヨタの挙動や座席は、間違っても快適とは言えなかったが、高速道路の路上が良いと最新型新幹線と、風切り音の「あたり」と妙なエアーポケットのような感じと総合的な環境つくりがよく似ていた。そしてその内装は古い車の割に軋まない。

エアコンの壊れたAクラスを降りて、目許の涼しい女の子になんだかんだと言いながら鍵を返す。点検清掃後の自らの車に乗り移ると、流石に走行感が全く別世界のものである。嘗て乗っていたBMWや更に硬質のスポーツカーとは異なるが、やはりその地面に張り付くような硬性感と重量感は、大型のエアバス旅客機に通じるような落ち着きがある。

シンガポール航空A380での飛行体験の話を聞いたが、ボーイング社の新しいスカイライナーはいざ知らず、エアバス社の機体の静かさと挙動の快適さは嘗てのB737やB747とは比較にならない。

上のバイエルン人は言う。「米国商品で自由市場で十分に売れるものはどれほどある?」、「トヨタはダイムラーメルセデスより間違いなく良い」。なるほど、しかし、トヨタは、軽量化や数字的な静粛性において優れているかもしれないが、嘗ての12気筒のジャグァーなどにあったある種の音作りされた落ち着きとは甚だ遠いと言え、それでもまたICEの乗車感が新幹線のそれより好ましい様なドイツ車にある独自の安定感と静粛も、そこにはない事を見逃せない。

それにしても70キロほど走っただけで、ディーゼルでさえ八ユーロも燃料費が掛かるなら今や高くて乗れない。上の女の子は言う、「車を走らせるのが、ちっとも楽しみでもなくなちゃってしまいましたよね」。


写真:フレンチの軽やかさ



参照:
自宅よりも快適な車内 [ 歴史・時事 ] / 2005-02-14
完全自動走行への道 [ テクニック ] / 2005-12-02
剰余商品価値の継承 [ BLOG研究 ] / 2006-05-05
再び安全なゴム使用の話 [ 雑感 ] / 2006-11-26
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
皮膚感覚のフマニタス [ 雑感 ] / 2006-11-29
搭乗への期限が延びる [ 生活 ] / 2007-04-03
追撃迫る自由競争市場 [ 歴史・時事 ] / 2005-08-11
特別なアトモスフェアー [ テクニック ] / 2004-11-17
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# by pfaelzerwein | 2008-05-09 10:37 | 雑感 | Trackback

新幹線の国際的競争力

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フランスではTGVのトンネルを何度か潜った。交差点にその模型などが見られる自慢の超特急である。穏やかな急流を行ったり来たりしていると、その通過風景に何度も出くわした。

そのモーター音は凄まじい。風きり音とは違って、騒音性が強いように感じた。速度はそれほどでている区間ではないと感じたが、それでも無意識にはいられない。

昔の小田急のロマンスカーの音楽騒音を少し思い出す。意外であったのはその交通量でそれほど時間が経たない間にまたやってきていた。上下線が交差する事も少なからずあった。

ドイツのICEの乗り心地は素晴らしいが、羊を轢いたぐらいで脱線するようでは怖くて安心して乗っていられない。日本の新幹線のように頻繁に飛込みがあっても跳ね返すだけのスカートが必要なのだろう。

TGVは、フランスの全ての工業製品がそうであるように、当初のアイデアとコンセプトは素晴らしいが、老朽化してそのままにされているようだ。

保守やその他の問題があるとしても、トヨタの車のような乗り心地とは言っても新幹線は進歩していて、国際的競争力はやはり高いように実感した。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-08 03:06 | テクニック | Trackback

価値のある満足行く試飲

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石灰質のドロミテに似た岩場から降りてきて、ワインを試飲した。そこを通る観光街道はボージョレー街道などと書いてあるが、シャドネーが栽培されている。ブルゴーニュであるから赤ワインとも思うが、ボージョレーに繋がる南ブルゴーニュのそれはピノノワールとは違いガメー種である。

その地方のガメーはスイスのそれとは異なり酸も薄く飲み易いが、口の中に広がるガメーとした草ぽっさは変わらない。安物のボージョレーなどに共通するそれである。

その点からすれば、シャドネー村にも近いそこでシャドネーを試すように催したマコンのアルペン協会の仲間の判断は正しいだろう。

若いオーナーの演説は、錯綜する土壌による差を如何に各々のワインに出すかと言うモットーと、バイオクラシックから出来ればバイオダイナミックへと進みたいとする強い意志を示していた。そして、全てをバリック樽による熟成をすると言うのだ。

さて、地下見学に向うと、我々仲間から、何故またバリックかと言う声が聞かれる。赤ならば分かるがと言うので、「ドイツでもブルグンダー種を中心にバリック仕立てを試みたが、不味くて売れなかった」と情報を流した。

最後までこの疑問は我々の中にあって、「土壌の違いをバリックの同じ味付けで薄めているのは何故だ」と声が飛ぶ。「それは売りの良い口実でしょう」と意見の述べておいた。様々な点で、合点が行かなかったが、まあ、それはそうとして試飲が始まる。

そしてとても嬉しい事に我々の仲間にも、ワインの試飲会に17ユーロを投入して70種類のリースリングなどを飲み干す兵まで出てきた。プフェルツァーも量だけで無く質にも拘るようになって来たのだ。

彼らは言う「そりゃー値段も違うが、スーパーで売っているワインと見本市のそれを比べるのが間違っているわな」とウンゲホイヤーの名前などが出てくるから益々嬉しくなる。

試飲は、2005年産を含む2006年産の三段階の六種類が提供された。大量の人数なので全くその程度の量しかなかったが、それなりに試すことが出来た。一挙に雰囲気は宴会ムードとなる。

我々の中に、大きく好みを二分割する二グループが出来上がった。一グループは、リースリング愛好家で、シャドネーでも清涼感のあるものを評価した。もう一つは、丸みが上手くついているシャドネーを評価したグループで、普段リースリングの産が苦手なグループである。興味深い事に両グループとも「自らが気に要らないワインのグループ」を各々が「バリック臭い」とこぼす。

こうして、盛り上がりを見せると尻を叩かれるように注文票に書き込み、帰宅へと急がされる。決して、ここの33haほどの醸造所のワインの評価は悪くはなかったが、醸造の方向と市場選択には疑問が残った。

価格においても、ドイツリースリングの比較的早飲みで大変良いものがある八ユーロを挟んでいたり、もしくは十ユーロ以上の濃くのあるものを提供している。それなりに楽しめる事とは別に、リースリングのそれと比較をするとワインとしての質は、醸造技術栽培技術共に全く足元にも及ばないと見た。

それでも、米国やアジア市場ではこうした質の低いワインの方がドイツのそれよりも珍重されているのだろう。ルフトハンザで提供されたワインではないが、こうしたワインは量が飲めない分価格も高い。そして質も低い。経済とはそうしたものだろうか。シャラクセー。

誰かが言った:「天から与えられた葡萄を今更また味つけする事はないよ」。

一つのグループの選択と感想は、「大変価値のあった試飲だった。なんと言っても我らリースリングの世界競争力が確認されたのだから」と言ったものであった。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-07 02:38 | 試飲百景 | Trackback

とても幸せな脳の人達

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またしても、ドンチャン騒ぎの南ブルゴーニュの日々を過ごしてしまった。幸せな人たちの車には、ごっそりとヴァイツェンビーアやリースリングなどが積み込まれている。一汗かいたと思うや、どこららともなく取り出されたワインなどが墓場の井戸や洗濯場などで冷やされる。

そして冷えるまでに赤ワインがプラスチックのワイングラスに注がれ、地元のチーズやソーセージなどと振舞われる。こうして、昨晩の続きが始まるのだ。

前日の晩は、四十人ぐらいの姉妹都市関係にあるマコンとノイシュタットのアルパインクラブのメンバーが会食した。既にその前にはチーズなどでアペリティフを楽しんでいたのだが、カシスのシロップを入れたキール風シャドネーで二度目のアペリティフをやり、地元のガメーと共に散々飲んで、鳥のクリームになどを食した。またまたそれを食せない者がいると、残飯係を仰せ付けられて、ワイルドライスと共にたらふく食する。

そして、フランスの仲間達が去ったあともまた飲み続け、前日からの宿泊組み故に宿への案内を仰せ付けられて、宿に還るとスイスからの高校生達が鍵を開けてくれる。そして我々愚連帯が取り出すのはスペイン産のセッコ・バラクーダとかなんとかで、静粛に気を使いながら、宿泊所の前庭でまた深夜の宴会となったのであった。

その日の長い行程も半分を過ぎると農家で立食パーティが催されてワインを楽しむ。流石にその夜は食後直ぐに退散させて貰った。

それにしても、プフェルツァー・プェルツァリンは、酒を楽しむ術を心得ていると言うか飲みなれている。余所からワインフェストなど来る者はそれが分からずに泥酔してしまうのだが、我々は飲んで発散させてしまう。フランス人が驚くのでワインを水で割る事は控えるが、兎に角量をよく飲む。

只で飲まして貰って怒る者がいる訳がないと言っても、笑い上戸の女性などは居ても、悪良いして絡む者など酒癖が悪いものが無く、飲んで楽しむ名人ばかりである。脳がアルコールに溶かされるとはこうした症状を言うのだろうか。



参照:
愚連隊が飲み干す [ アウトドーア・環境 ] / 2006-09-01
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# by pfaelzerwein | 2008-05-06 13:01 | 生活 | Trackback

とても幸せな葡萄の光景

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ブルゴーニュの南ワイン街道を走った。通常は北、もしくはボージョレーが有名であり、マコンの北側の石灰岩質のシャドネーの本場と花崗岩のガメーは、其々大変よく似たシャブリやボージョレーなどと比べて世界的にはあまり人気が無い。その意味からプファルツの南ワイン街道とミッテルハールトの特別なワインとの関係にも似ていなくもない。

そのワインについては改めて詳しく述べるとして、その岩質を示す岩壁の下にワイン地所が広がる光景は、残念ながらここプファルツの南ワイン街道には無い。岩場からザイルを使ってワインの中に降りてくるというようなイメージを抱けるのがとても幸せであった。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-05 15:46 | ワイン | Trackback

旨えー、ヤギのチーズ

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ブルゴーニュからヤギのチーズをお土産に持ち帰った。一日中三十キロ近く歩き回った途中立ち寄ったチーズ製造農家でこれを買った。マコンの仏アルパイン協会の歓迎式兼食前酒の集いで、振舞われて大変人気のあったものである。

一般的に牛のそれよりも価格も安く甘んじられる傾向のあるチーズであるが、格別美味かった。

立ち寄った製造所でも三種類が紹介された。一番目は、所謂フレッシュチーズに属するもので、三番目のは反対に硬く乾燥したもので味が凝縮して、二番目のものはその中間である。

我々の評価は、上の歓迎パーティーでも三番目の乾燥して味が凝縮したものに支持が集まった。勿論フレッシュチーズを購入した者もいたが、乾燥したものが圧倒的だった。
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# by pfaelzerwein | 2008-05-05 03:58 | 料理 | Trackback

索引 2008年4月


糞にまみれる環境 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-29 TB0,COM2
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28 TB0,COM0
昨年とは異なる今年 [ ワイン ] / 2008-04-27 TB0,COM11
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26 TB0,COM0
感覚麻痺のバイリンガル [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-25 TB0,COM0
パラダイスに覗く花 [ 女 ] / 2008-04-24 TB0,COM0
行ったり来たりの逡巡 [ 生活 ] / 2008-04-23 TB0,COM2
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22 TB0,COM0
世界を支配する秩序感 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-04-22 TB0,COM0
滞日暴飲暴食忘備録 [ 料理 ] / 2008-04-21 TB0,COM0
女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20 TB0,COM6
不思議な風景と惜別の情 [ 雑感 ] / 2008-04-20 TB0,COM0
古の都の薄い文化 [ 生活 ] / 2008-04-19 TB0,COM2
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19 TB0,COM2
自由や世界観の体臭 [ 生活 ] / 2008-04-17 TB0,COM0
吹き溜まりのような島国 [ 女 ] / 2008-04-16 TB0,COM4
日本語喋ってるでー [ 生活 ] / 2008-04-15 TB0,COM0
芸者の銭洗い弁財天 [ 女 ] / 2008-04-14 TB0,COM2
春雨じゃ,濡れて参ろう [ 雑感 ] / 2008-04-11 TB0,COM3
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10 TB0,COM6
最終電車の未知を乗継ぐ [ 生活 ] / 2008-04-09 TB0,COM2
天下茶屋から堺の茶屋へ [ ワイン ] / 2008-04-08 TB0,COM2
大阪のまぶし飯三様 [ 料理 ] / 2008-04-07 TB1,COM6
エッフェルよりも通天閣 [ 文化一般 ] / 2008-04-06 TB0,COM6
ない、ありません! [ 生活 ] / 2008-04-04 TB0,COM0
近代社会の主観と客観 [ 雑感 ] / 2008-04-04 TB0,COM0
ハイ、そう思います! [ 文化一般 ] / 2008-04-03 TB0,COM4
水平線を越える視界 [ マスメディア批評 ] / 2008-04-02 TB0,COM0
時差ぼけ日誌四日目 [ 生活 ] / 2008-04-01 TB0,COM2

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# by pfaelzerwein | 2008-04-30 01:27 | INDEX | Trackback

糞にまみれる環境

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マンハイムに山のズボンを買いに行った。価格は、169ユーロと張るが良いものが見つかった。

試着キャビンで靴の裏が汚れているのに気が付いた。ワイン地所を歩いているときに付いたらしい。藁に匂いを放つものが執拗にこびり付いている。

先日から、靴の横で髭などを剃っていると、同じような匂いがするので、どこも有機農業をやっているなと思ったのである。

なるほど、ビュルックリン・ヴォルフのアルテンブルクやゴルトベッヒェルは土地改良を今やっている。つまり馬糞などをふんだんにカクテルしてある。

小学生の頃に、園芸の授業と称して、像などの糞にふんだんに親しんだ。それ以後そのような趣味はなかったが、今や町へその匂いを振りまいて出かける身分になってしまった。

お客様カードに住所を教えると、ああ、近くに友達がいると面白がって呉れるのである。全くカウボーイのようになってしまった。

帰りがけに銀行によって、貸し金庫から出て来ると車に35ユーロの警告金催促が張ってあった。いつの間に身障者向き駐車スペースになったのだろう!ああ、!!!

踏んだりけったりである。そのような匂いをさせて、若い女性でも口説こうとしているのが間違いだろうか。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-29 03:52 | アウトドーア・環境 | Trackback

自己確立無き利己主義

「小日本などは原爆を東京や京都大阪に落として、皆殺しにしてしまえ」との言い草は、日常茶飯に博士号を持つような西欧や日本に住むシナ人の醜い口元から発せられる。なにもこれは、冗談でも、自虐的な態度から出ている言葉ではない。シナ人を理解する者としては、これを中華思想として受け止めるしかない。シナ人がこの世から消えない限りは変わらないからである。

「中国が送った三千人の民が日本を文明化した」とする史実はどうなのか、日本史などを学術的に習った覚えもないのでなんとも言えないが、朝鮮からの帰化人よりも直接中国からの指導者が日本を形作ったようである。

「大体、生ものを食するような連中は、野蛮人で、発展途上の文化である」と聞くとなるほどなと、彼らの卑しさが原動力となる「不可能と言う言葉の無い殆どカニバリズムのシナ飯」には勝てないと思うばかりである。

彼らをそうした卑屈な中華思想から、毛沢東でさえ救い出せなかったのであるから、彼らの主張に一利あるだろう。それは、アメリカナイズされたり先祖がえりのなかで行ったり来たりしている日本文化の卑小さのようなものを曝け出しているからである。

こうなれば、折角、携えて持ってきた小林秀雄の書籍を読んだのであるから一言二言コメントしておかなければいけないだろう。

端的に評すれば、シナ人が指摘するような未発達の卑小な日本の文化を代表しているようで、その内容たるや女々しくてまともな大人がそれも文化人が書くようなものではないと分かる。

我ながら恥ずかしい事に、著者が亡き母親に捧げたとある名著「モーツァルト」などは、そのスタンダールなどへの本歌とりを辿って文献を揃えていた形跡があり、十代の若気の至りとしても、船便で別送した弟子の吉田秀和のものと含めてあまりにもつまらないものを読んで喜んでいたものだと情ない。

後者の「言うことを言わぬ」どうしようもないものから比べると、小林のものは流石によりその狡猾な叙述法や時代背景をもった論壇での影響力も大きく、唯物主義と戦い、ベルクソンとかフランス象徴派が動員されて、挙句の果ては近代の綻びへと導いていて始末に悪い。しかし所詮は、独特の主観主義と言うような悪しき日本の伝統を築いていて、なんら役に立たない。今その詳細に触れる時間はないが、今日の日本を予測させるにたる文化的内容であると思われる。

現在の日本人は「自己確立していないエゴイスト」と称するのが良いと思われるが、そうした教育を為政者が望み、学術文化人達は環境を故意に曲解して自閉症のようにとどのつまりは其処に留まる。そうした社会を外から見ると、冒頭のような薄汚い罵りが生じてくるのである。

当然ながら、旧共産圏で教育された世界の人々と同じように、シナ人にも自由民主主義教育を施さなければいけないのだが、これはその社会のアイデンティティーに係わり、日本におけるそれと同じように為政者にとっても都合の悪い事なのである。



参照:女子供文化の先祖帰り [ 文化一般 ] / 2008-04-20
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# by pfaelzerwein | 2008-04-28 15:16 | 歴史・時事 | Trackback

昨年とは異なる今年

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一月振りのワイン地所散歩である。少し様子を見るだけに出かけたのだが、一時間半ほどふらふらしてしまった。

何よりも下草の緑が気持ちよく、肥料の匂いなどに交じって、強めの夕日によって草いきれな趣がある。

どのの風景が美しいとかの特別なアングルはないものの、何処まで歩いて行っても気持ちよく美しい。

地所ウンゲホイヤーの上っ面からキルヘンシュトックとの境までやってくると、むっとした大気を感じた。案の定そこの蕾は今にも開きそうな勢いだった。なるほど局地気候とはそれだけの違いがあるのかと今更思うのだ。

そう思って、キルヘンシュトックの南面斜面を見るとなるほど蕾は開きかけているが、その上のイェーズイテンガルテンは未だなのだ。ゲリュンペルなどはまだ硬い。

五月の試飲会のお知らせが続々と入ってきている。その中に、先日の見本市プロヴァインにて、バッサーマンヨルダン醸造所の2007年産ライタープファードがプファルツで一番のお墨付きを得たとある。

このワインを日本で既に飲んだのは、おみあげで三月に持って返り、先日新居訪問の際に開けてくれた夫婦とザウマーゲンパーティーで第三夜にご招待したご夫妻の二件だけで、その他は先ず日本には居ないだろう。

評価は、一押しのキーセルベルクには明らかに届かなかったが、そのライタープファードとウンゲホイヤーが並び称されている事からも、キーセルベルクは現時点で世界最高のリースリングとした賞賛はそれらのレヴェルの高さから眉唾ものではないと言うことが分かっていただけるだろう。

それ以上に、ワインを飲みつけない人でも、正しくプレゼンテーションされれば、専門家諸氏並みもしくは以上に正しい評価を下せる事が証明された。
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# by pfaelzerwein | 2008-04-27 04:06 | ワイン | Trackback

禅の弓の道とは如何に?

d0127795_342396.jpg話題のスパイヤーのサムライ展でアイヒャー氏の講演を聞いた。「侍の伝説と真実」と言っても弓道家の視点からなのでどうしても内容は偏る。弓道関係者以外の一般の聴衆にはどうであったかは疑問であるが、その専門領域における話は大変興味深かった。

アイヒャー氏の関心どころを知っている者としては、質問したい事もあったが、次から次へと質問が飛び、二つのマイクロフォンが飛び交い時間が迫っている事で遠慮した。

最も興味を引いたのはドイツ人オイゲン・へーリゲルと言う「日本の弓術」の作者で原題「弓術における禅」と言う書を認めた新カント主義者の功罪に触れた部分である。

当時弓道であった弓術を禅精神に基礎を置くのは鈴木大拙の書籍の影響が見られるのだが、弓道家阿波研造に教えを請うときに通訳が介した誤りとする「誤解」が語られた。

講演会後、道が禅になる不思議を質問すると、待ってましたかと言うように、ヘリゲルのナチ党の中での立場が説明された。そして、ドイツでは特に弓道の世界では、この書がバイブルとなっていることが説明されて、日本においても筑波の国際日本文化センターの山田奨治教授など若手の研究者によって、その問題が今やっと解き明かされて来ていることが報告される。

まさに、ナチズムの根幹にある鍵十字のイデオロギーは、神道精神よりも葉隠れ、そして禅仏教をこそ尊重する必要があったのだ。裕仁天皇が、ナチとの関係にあまり乗る気でなかった理由は意外にこうした所にあったのかもしれない。

飛行機に乗る前に、空港の座席に座って禅を組む若いドイツ人を見て、尚且つ独自の解釈をするプロテスタンティズムの思考態度を見る時、我々は様々な事を考える。
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参照:
ミニスカートを下から覗く  [ 文化一般 ] / 2007-09-17
白い的へと距離を測る  [ 文化一般 ] / 2007-09-16
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# by pfaelzerwein | 2008-04-26 03:08 | 文化一般 | Trackback

感覚麻痺のバイリンガル

零時過ぎに目が覚めてしまった。お抹茶を飲み過ぎたせいか、そのタンニンのせいで味覚も皮膚感も麻痺しているようだ。そして目が疲れる。

床屋談義では、日本の気候以外に建築景気とその実体経済、トヨタ景気の中京経済と関西地盤沈下、老齢化による人口の都市集中が話題となった。前日のマンハイムでの話しでは、日本人の「世界観」恐怖症を話題とした。

前者は工業先進国共通の現象である反面、アシミレーションの進んだゾンビ化は日本に顕著であるとする。ライフスタイルや女性の草履顔コスメティックのみならず若い男性のモロコシ髭頭の漫画顔作りの特異性に、後者におけるその世界観が現れているようである。

日本人の流浪や転生の心情の典型を「方丈記」に見るのも良いが、そうした時空間がどのように現在のそこの風景に現れているか?それを環境と見るのかそれとも文化と見るのか。

床屋の親仁が言うように、時差の影響で集中力が無く、新聞も目を通すだけで精一杯である。携えた日本語の活字も流石にその字面といい内容といい段々と興味が失せた。こうして日本語を綴る事がなければ大分と離れて仕舞っているに違いない。

子供の頃からのバイリンガルは知らないが、文化的な根本までを含めると、本当のバイリンガルと言うのはありえないのではないかと考える。勿論言語によって、ものの言い方が変わる。

雨に濡れて今まで拡げていなかった先週の土曜日の新聞に「北京関係」の記事が出ている。長野の善光寺が聖火リレーの出発点を断わった事実とその背景、並びにコーラやサムスンなどのスポンサー企業の非協力が記事となっていた。なぜ、日本企業が自粛をしないのかなど伝えられずに不明の点は多いが、その後の善行寺への落書きの事件はまだ起きていないようだ。あの犯人は見つかったのだろうか?

北京大学では、外国人学生の夏休み中の厳しい国外追放が計られてれいると言う。企業駐在員や一般旅行者へのヴィザの交付も厳しくしてきていると伝えられている。その一方、上海中心に民主化への言論活動が活発になっているらしい。

日本語と欧米語のバイリンガルに比べても北京語と欧米語のバイリンガルは不可能に近いのがこうしたことからも証明されている。



参照:
Die größte Aufruhr der Geschichte, Mark Siemons FAZ vom 22.4.2008
史上最大暴乱记实 (凤凰論壇)
善光寺「宗教家として筋…」(毎日新聞)
哲学を破壊せよ(A Prisoner in the Cave)
中国共産党の綱渡り (tak shonai’s Today’s Cracks)
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# by pfaelzerwein | 2008-04-25 00:04 | アウトドーア・環境 | Trackback