塩チョコにリースリング

d0127795_4473328.jpgワインを取りに行った際、間違った商品を手渡された。ばたばたしていることもあり、車を車庫に一度入れながら、そのまままた交換しに行った。

間違った理由は分かり、無駄足を運ばさないと、ワインに合うチョコレートを貰った。

各種洋酒などに合うように様々な種類があるようだが、嬉しいことにリースリングに合わすチョコレートというものがあるのには驚いた。

さて、家に持ち帰って早速リースリングに合わせて齧ると、独特な味がしてその南国の果物の味だけでなくなんとなく懐かしい味がするのである。

よくみると塩入チョコレートとある。なるほど懐かしい味は大西洋の海の塩であった。どうして大海は人類にとって懐かしい味とみえる。

ネットを観覧すると、BLOG「雑に」に「塩チョコ」と題して記事が投稿されているではないか。どうも愛好者がいるだけでなく、最近は流行しているようである。

昔から、チョコレートボンボンは当然のこと、ウイスキーやカルヴァドスなどにチョコレートを楽しんだ。以前は飛行機にもこれにコーヒーが組み合わされて勧められたものだが、最近はカルヴァドスは少なくともルフトハンザから消えた。

しかし、塩チョコレートにリースリングがつきものとなると、今後が楽しみである。間違いなく新しいリースリング愛好者の市場が広がるに違いない。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-25 04:51 | 料理 | Trackback

バロックな感性の反照

先日体験したテレマン作曲のブロッケス受難曲においても、信心の三重唱などがあって、ややもするとその扱いによってはかなり誤解を招き易い描写となっている。それを後期バロックとカテゴリー付けしてしまえばそれで終わるが、その中身を覗きこむことが肝要なのである。

そうした観察を難しくしている時代の流れと、謂わば当然のように連なる反動的な文化的進展は、同じく反動的な立場で議論を展開するアドルノのシェーンベルク擁護などにも見られる。そこで図られているのはハイドン以降の欧州の芸術音楽の美学の総否定的決算である。

先日来幾つかの好事家のブログ等でも話題となっているのが、ヴァイオリン協奏曲がその終焉にあたって歴史上初めて構造的に完成したとされる、シェーンベルクが米国亡命後に完成させた協奏曲の新録音である。

該当録音は未聴であり、その機会はないが、先ずはその新聞評などを読んで、この名曲であると同時に難曲を観察してみる。

この曲はハイフェッツを脳裏に描いて創作されて結局その難解さから断わられたように、その本格的なヴァイオリン演奏にブラームスやマーラーを聞くとするのが、若いヴァイオリニスト・ヒラリー・ハーンが録音した制作に対する新聞評である。

この若い女流ヴァイオリニストはお写真しかみた事がないのでなんとも言えないが、この評にて大体の傾向は想像出来る。そして、其処で比較として挙げられているルイス・クラスナーとミトロプウーロス指揮のケルンとミュンヘンでの録音は知らなかったが、それらよりはヴァイオリンの技術は優れていると言う。

さて、当方のリファレンスレコーディングとの比較では、ピエール・アモワイヤル演奏でブーレーズが指揮したものよりも速いテンポで演奏されているようである。この女流自身が語るように、伝統を逸脱したポジション取りや早いアルペジオの稽古に年月をかけたと、正しく発音することがなかなか伝統的な教育を受けた器楽奏者には梃子摺る代物であることを示している。

それがアモワイヤルの演奏では、恐らく奏法の相違からももたされているであろうフランス人の十二分に「弾ききれていない発声」に違和感を感じつつ、軽いテンポのブーレーズの指揮と相俟って上手く流しているのとは対称的に、ラファエル・クーベリックの支えを受けたツヴィ・ツァイトリンの録音では、この新聞評でも動機的な明晰さが指摘される。

特にこの一楽章においては、楽曲分析で度々取り上げられるカデンツァ後のヴァイオリンの連続する三連音による管弦楽の受け渡しに、ヴァイオリンでは十二分な音の積み重ねとそれに対応する管弦楽の対位法的な展開が然るべきフィナーレを形成するのだが、その部分におけるクーベリックの指揮はその精妙な面白さを十二分に伝えていない。

後年のピアノの協奏曲ではあれほどの効果を挙げたラファエル・クーベリックの演奏が12音の音列作法の分析的な繊細を活かしきれていないのが驚くに値しないのは、器楽奏者がそうした伝統的な技術教育を受けているのと同じく指揮者においてもどうしてもその楽曲解釈のよりどころが古典ロマン派的な調性機能が基本になっているからだろう。

それと比較すれば、女流を支えるエサペッカ・サローネンは、ロンドマーチなどでも、鳴らない音列にダイナミックスを与える事に全てを懸けている風情が容易に想像出来る。

その点から、シェーンベルクの編曲で知られるヘンデルにおけるバロック技法とともにこうしてテレマンのそれを平行して考えてみる機会となったのである。それをフランスのリュリからラモーへのまた当時の楽典議論によりどころを見つけても、ただ単にオブリガートによるその旋法を見ても良いが、音楽愛好家としては何よりも出来る限り後年の価値観に侵されていない音感覚を取り戻したいと期待するであろう。

反対にシェーンベルクが、第四弦楽四重奏曲の作曲を挟みながら二年越しで完成させたこの音列による創作がヴァイオリンと言う宿命的な調性楽器のために作曲した意味を ― 後のいよいよ自由闊達な境地にその作曲家自身の境遇を垣間見せる12音平均率のピアノ協奏曲と比較して ―、考えるだけで、アカデミックな音列の分析をして府分けしていくよりもこの曲を理解する鍵を多く与えてくれるかもしれない。

今回の録音が、話題を提供して尚且つ、技術的な水準に達していることから、次世代の演奏実践に繋がる、それ以上に多くの音楽愛好家にこの創作の真価を少しずつ伝える契機になりそうである。



参照:
シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲 (♯Credo)
バッハの無伴奏ヴァイオリンおよびチェロのための作品 (西部戦線異状なし)
同じ考えの人が他に6人もいた (4文字33行)
ハーンのシェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 (ピースうさぎのお気楽クラシック)
ルソー
ルソー (現象学 便所の落書き)
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# by pfaelzerwein | 2008-03-24 00:00 | | Trackback

多様な価値感を履く

靴を買いに行った。冬の間使っていたブーツが冬の間使っていたブーツががたがたになり、夏場使っていた同じく安売りの靴もボロボロで磨いてもしかたない。スーパに行くにも具合の悪い代物となってしまった。

そこでまた、この地方で靴街道として有名な南プファルツのレットアウトが集まる場所へと遠足をした。50KMを三十分もかけて高い燃料代を使った価値があったかどうかは怪しいが ― 途中の小山や古城に残る春の雪は美しかった ―、二時間ほど廻ってなんとか一足の靴を見つけた。

価格以上に、普段履きでありながら、ジャケットに履いてもおかしくなく、尚且つワイン畑を歩いても汚れ難い物を探した。十年ほど以前はそうした用途に英国のクラークスのものを愛用していたので、それを見ようと思ったのだが、価格はどれも90ユーロに近く高めで売れ行き不調なのか以前よりも品揃いが減っていて、奇抜なものかありきたりの物しかなく選ぶことは出来なかった。ドイツだけのことかも知れないが、あのような商品を出している限り、経営状況は決して良くないようにしか思えない。昔からの愛好者がいる銘柄であるが、なんとも高級車ジャグァーもしかり、こうした製品や産業を見る限り英国経済が好調な理由が全く分からない。

結局、ドイツで最も売れていると言う銘柄から、見た目は悪いがとても履き易い物を見つけた。これならば紳士物を別に旅行に持っていく必要がないので大変助かる。価格は、55ユーロとかなり廉いので、いつまでマトモに使えるかなどはあまり考えていない。少なくとも最初だけでも紳士靴として使えれば、後は突っ掛け代わりに気持ちよく使えると思っている。

クラークスの評価に戻れば、昔は直ぐ内装が破れたりしたが、あのなんともふてぶてしい感じが気に入っていたのである。しかし最近のデザインによらず、足入れなどがもう一つと気がつくようになってきて、こちらの靴文化が一ランク上がると、個人的評価ではその銘柄の靴も一挙に価値が下がってしまった。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-23 04:21 | 生活 | Trackback

食後のグランクリュ試飲

お誕生日会のグランクリュ・ワイン試飲はなかなか上手く行った。特に2006年のカルクオーフェンは、評判がよく、幾らでもすいすいと飲めるという評価が男女二人づつ一致した。

その次に2001年産のペッヒシュタインが講評されたのだが、その香りは最も気高く高評価であった。その期待に応え切れずに、味の方は少し抵抗があるとする意見が多数で、ただ一人朝から試飲したお蔭で口の中が荒れているに係わらずその特殊性を問い続けた。正直言えば購入の際の試飲の時とは異なり口内や喉に若干抵抗を感じたのは事実である。黒パンを摘んだが、それでは戻らなかった。

勿論、美味しいと誰もが言うのだが比較の中で若干、こぼれたようであった。おなじ年のウンゲホイヤーは、その点フローラルな香りが十分に受けて、「お花畑の中のよう」な気分を皆さんに味わって頂いた。

結局、最初の新鮮なワインの飲み口が良過ぎて、評価はひっくり返ることがなかったのだが、皆さんに楽しくワインの土壌を勉強して貰えて大満足であった。

そのことをこのワインの選択に智恵をかしてくれた醸造責任者に話してみた。すると、カルクオッフェンのそのあまりに飲み易いと言う高評価には若干異論があったようで、ペッヒシュタインの細身のクリアーさをやはり推薦していたようであった。これは試飲会前の予想であった訳なのだが、その結果は若干異なった原因は今一つ分からない。考えられる条件は、この試飲を始める前に食事に四種類ほどのワインを飲んでいたことであろうか。つまり、口内が若干食事などに影響されていた可能性である。

ワインの選定と食事、そしてその条件作りは途轍もなく難しい。だからその晩の食事もソムリエによって選ばれたものであったのだった。



参照:
誕生日ワイン会の計画 [ 生活 ] / 2008-02-02
花園に包まれていたい [ ワイン ] / 2008-03-04
倹約家たちの意思の疎通 [ 生活 ] / 2008-03-05
ワイン地所の王道を行く [ ワイン ] / 2008-03-09
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# by pfaelzerwein | 2008-03-22 00:19 | ワイン | Trackback

世界平和へ改心を促す

冷たい雨のカーフライタークである。日蝕の空である。ヴァチカンでの昨晩の教皇の復古調儀式は大問題となっている。一貫した復古主義は、現在のカトリックの政治文化的な位置付けを考えれば必ずしも悪くはないと思われる。

今回のラテン語によるミサでは、「ユダヤ人への改心の促し」は宗教としては当然の行ないに違いない。しかし、ヒトラーユーゲントの過去をもつベネディクト16世がこれを行ない、ドイツのアウグスブルクなどの教会がこれを儀式とするとやはり大問題となるのである。

キリスト処刑の加害者ユダヤ人の日蝕の記載を大分修正してあると言うが、ユダヤ教会にとっては「放っておいてくれ」ではなく「許されない」事となるのである。年に一度の祈りの儀式的言葉であるが、ユダヤ人を屈辱したとされる。

この問題に対して、教皇のアドヴァイザーが記事を投稿している。それをみると若きラッチンガーが1962年から取り組んでいたテキスト改正の詳しい進展が分かるのだが、何よりもユダヤ人迫害の歴史が強制改宗としての過剰反応を起こさせているとするのは間違いなかろう。

ローマ人の使徒への手紙11章が根拠とされ、そこの「イスラエルの再興」に示されているように、「この計画とは、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、その後全イスラエルが救われると言うことです」。聖書に次のように書いてある。

「救うかたがシオンから来て、
ヤアコブから不信人を遠ざける。

これこそ、わたしが、
彼らの罪を取り除くときに、
彼らと結ぶわたしの契約である」。

要するにキリスト教信仰におけるユダヤ人と異邦人の関係はそのドグマに定められているので、容易には切り除くことはできないが、一神教内での対話が道を開くとするものである。

余談ながら、メルケル首相のイスラエル訪問は成功理に終わったようであるが、イスラエルとドイツ連邦共和国との歴史的な契約とは別に、偽りのない強いプロテスタント心情がこの女性宰相の胸には確信を持って隠されているだろう事も見逃せない。

今後の反響によっては、謝罪や訂正などに追いやられる可能性もあるが、所詮カトリックの教義自体が現代からすれば大きな問題を抱えていることであり、ドイツカトリックのヴァチカンに対する批判も、なにもこの問題だけに留まらないのは事実である。

反対に高度な議論を尊ぶ教皇とは言えども、最近になって出揃ってきたラッチンガーの私書「ナザレのイエス」に対する反論とは異なり、こうした儀式に関しては強い指導性を示していかなければならないに違いない。

カトリック教会自体がそうした微妙な伝統感覚のなかでしか生き残れないだろうから、こうした態度は仕方ないように思うのだがどうだろう。そして、チベット弾圧に関して中共政府を非難した教皇の発言に、「内政干渉だ、放っておいてくれ」と反論する中共政府がある。問題は、同じように対話を繰り返して理解して行くだけの共通の素地があるかどうかである。もし、そうしたものの存在に否定的な見解を支持するとすれば、そもそも各々が国際協調どころか平和や友好などという言葉を使うのも馬鹿馬鹿しい。

各々のドグマから容易に解き放たれる訳ではなく、ひっそりと仕舞われて各々の立場が出来上がっていることは確かなのである。聖金曜日の天候は、一時間おきに、霙交じりの悪天とカンカン照りが繰り返されている。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-21 23:52 | 雑感 | Trackback

金網越しの文化的虐殺

人から教えて貰い独第一放送のチベット特集を観た。座談会部分は見なかったが、少ないラサの映像に加えて、中国国内での報道映像に独自に取材した街でのインタヴューを交えて、十分ほどにまとめていた。

その視座は、中国国内でのネット報道規制が示す中国社会の現実と中国人の教育やその報道規制から生まれる飼いならされた社会性を如実に映す事で、我々がこうした人民とどのように付き合えば良いかを問い掛けるものであった。

親中派を自認する者としては、その実態の示し方は誤りではないと思い、また我々の問題として捉える場合の参考になる視点であったように思う。

特にその中華思想は、攘夷でもある民族主義でもあるが、それが情報操作というソフトな情報鎖国にあるとき、その進む方向はコソヴォなどにみられるもしくは第三帝国に見られるようなジェノサイドに至るのではなく、ダライ・ラマが呼んだような「文化的虐殺」に繋がるのだろう。

お馴染みのマルク・ジーモンスが、これを中国最初の「反近代主義への反乱」と呼んでいる ― 暴徒化した若者達が破壊する信号機や自動支払機などのこそがその対象なのだ。つまり、五億七千万人民元に及ぶ中央政府のチベット振興策は、ラサを中心とした経済成長を齎し、嘗てないほどに鉄道のみならず仏教寺院などが観光の対象として整備されて来たようだが、その実は元来そうした近代化にそぐわない密教文化を破壊するものであって、これに対する蜂起こそが中国で最初になされた反近代主義の事件とする意味である。

TVに映された恐らく北京であろう街角の漢民族の反応は、「野蛮人の反乱は大きな中国の中で大した意味はない」とか「オリンピックボイコットなどは、スポーツの政治化で受け入れられない」とか、その与えられている情報のみならず与えられた教育のなせる技で、サファリパーク化したチベットどころか中国大陸の人民が共産党一党支配の下で上手く飼いならされていることを映し出していた。

我々の視点も、その与えられた情報を吟味することなく容易に判断すれば、こうした檻の金網の内側にいるのか外側にいるのか直に定かでなくなるが、少なくとも公に声を上げて議論する素地がある限り、その立ち位置を確認することが出来る。

各地でのデモンストレーションは、その意味からも自由民主主義度の一種の確認作業に違いなく、特にインドにおけるチベット亡命政府筋のそれは、対中国関係からも慎重を期されていて、ダライ・ラマ自身もその政治生命を懸ける必要に迫られている。

チベット入りを禁止されている登山家ハンス・カメランダーは、「破壊のチャンピオン」と中共を呼ぶ。旅行者との個人的な接触を規制され奴隷のように扱われるチベット人を語る。そうした前近代的な植民地政策こそは、毛沢東自らが「宗教は麻薬」と断言していたダライ・ラマ支配の封建社会から、チベット人民を解放した統治政策の結果なのである。

しかし、それは拡張主義的で人種主義に彩られた中華思想そのものであり、そこに米国風の市場原理主義のグローバリズムが加わったことで、文化大革命の残照を残したかのようにイスラム原理主義よりも明らかに文化破壊を推し進める危険思想となっている。

北京政権のダライ・ラマ攻撃はかなりのレヴェルに達しているように見えるが、対話相手として彼以外の人物がいないことからすれば、北京がその影響力を恐れるダライ・ラマの首を替えることで、チベットの運動はいよいよ過激化暴力化して本格的な独立運動になるのではないか?



参照:
Museum des Hasses, Mark Siemons, FAZ vom 18.3.2008

青藏鉄道 (私は日本映画が大好きです)
軽視されるチベット文化 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
思いを巡らす (うたた寝の合間に)
今日も風邪気味 (日々雑録 または 魔法の竪琴)
それはチベットから始まった (アヴァンギャルド精神世界)
チベット平和の為の署名を!! (Hodiauxa Lignponto)
チベットでの暴動について (Die Sorge)
チベット自治区暴動への対応 (ポラリス-ある日本共産党支部のブログ)
言論統制してもいいことないのにね。 (Famiglia Nera[ 妖婦の日常劇 ])
不愉快な北京オリンピック開催 (ドイツ日記 Les plaisirs et les jours)

麻薬である信仰-2008? [ マスメディア批評 ] / 2008-03-18
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# by pfaelzerwein | 2008-03-20 01:35 | マスメディア批評 | Trackback

様々な銘柄への批評

先日東京の水産庁の捕鯨政策を批判した。それに対してオーストラリアのカンガルー政策の記事を読んで、コメントをした。そして、本日になってまたその肉が健康食として欧州でも入手可能と知って驚いた。

前輸出量の八割過多は欧州向けでドイツも主要輸入国という。個人的には、今世紀に入ってから肉食量が減ったので代用牛肉も必要なくなった。だから未だに食していない。油が少なくBSEフリーで野生肉の味で健康的というが、元来牛肉を愛するので、現地でならいざ知らず、今後とも冷凍ものを態々食する気もしない。

アボリジニーの食事としてあったのは日本における鯨の食用と同じで、その繁殖力とラムやビーフに比べて人気が無いことから、今や海外に輸出されているのはやはり不思議である。

Australusと名付けられたカンガルーの肉は、オーストラリア政府の後押しで産業化しているところも鯨肉の場合と全く同じようだ。当然ながら、ポール・マッカートニーやブリジット・バルドーなどという反捕鯨で名の挙がるような反対者が運動していることを付け加えておけば充分だろうか。

ついでながら、先日来吟味したワインについて加えておく。一つは、フォンブール醸造所のムーゼンハング・キャビネットで、そのグレープフルーツ味に絆されて購入した。なるほど斜面の上部にある地所だけに、朝晩よく冷やされてかその酸が素晴らしい。まだまだ瓶詰め後日数を経ていないとは言いながら、大変瑞々しく、現在の状況でその酸の強みに言及されても、まずいと言う者は殆どいないであろう。

しかし、翌日には既にバランスが崩れていて、その落ちた酸のあとに糖などが残された感じがして良くない。勿論、まだ若すぎると言う事実があるにせよ、許容範囲なのであるが、その幾らでも清涼飲料水のように楽しめる前日との差が大き過ぎる。最初のピークを先ず楽しんでしまうのも悪くはないが、9ユーロの価格設定からすると、もう少しあとで試してみるのも良いかもしれない。

もう一つは、ミュラー・カトワール醸造所のMCリースリングと呼ばれる最も廉価なリースリングである。試飲した時の印象と同じで、上のものと最高を争そうほど今までに試飲したワインの中では最も鋭い酸が特徴で、尚且つ気持ちの良い酸である。これも初日は大変楽しめたのだが、明くる日に残りを試すと、完全に落ちて仕舞っていた。しかしこちらの方は、一本6ユーロであり、その価格からすれば「村醒め」度には腹が立たない。しかし一人で飲もうが、二人で飲もうが一晩で消費するとなると、決して廉くはない。また、これは夏までの最初のピークに消費してしまわなければいけないような気がするワインである。



参照:ハイドン作曲、交響曲第84番 (yurikamomeの妄想的音楽鑑賞)
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# by pfaelzerwein | 2008-03-19 04:16 | ワイン | Trackback

麻薬である信仰-2008?

チベット紛争はどうなるのだろう。19年振りの大掛かりな紛争となっているようだ。その実態は報道管制からなかなか流れて来ないようで、TV放送などは映像が無いと報道機関として全く役に立たない。

暴動が起きて、中共軍が警察隊として制圧にあたっているのは間違い無く、ダライ・ラマがオリンピックを前に最後の勝負に出たのも充分に予想される。しかし米国の態度やダライ・ラマ自身の発言などから、今一つその戦略が見えて来ないのは何故なのだろう。

北京オリンピックのボイコットも囁かれるが、映像を含めた報道によって虐殺行為などの実態が伝わらないと、世界の世論は今一つ盛り上がらない。ベルリン政府なども修復したばかりの対中関係から、慎重な態度と共に本来のオリンピック開催までの山場を見極めているような感じがある。

つまり、ボイコットは世論が盛り上がれば、最後の最後まで待って、無駄な費用が掛からない内に決定すれば良い。先ずは、北京政府の対応を注意深く観測するのだろうか。突発的な衝突による死傷者や見せしめ的な弾圧はあっても、組織的な大量虐殺の危険性は少ないのかもしれない。

現時点では、根本的な解決を促す形で、北京とダライ・ラマ亡命政権との対話を求めて行くのが正しいだろう。その過程にて、陰謀や虐殺に繋がる実態が国際社会に知れるようになれば新たな解決方法が生じてくる可能性がある。

ボイコット問題に関する「オリンピックのボイコットは正しいか?」と問うフランクフルターアルゲマイネ紙のネット投票があったので、一票を投じた。上から、

「ボイコットは、スポーツ家を犠牲にするだけだ」、
「中国は世界の若者の祭典を催すべきではない」、
「過去のボイコットは、何ら効果がなかった」、
「中国を制裁出来るのはこの方法だけだ」、
「スポーツと対話は、隔離以上に役立つ」、
「スポーツも政治的な責任がある」とある。

迷ったのは六番目と二番目だが、二番目に投じた。

1936年のナチのベルリンオリンピック、1980年のソヴィエトによるアフガニスタン侵攻、そして中共によるチベット虐殺となるのか、どうかは判らない。ただ1980年を思い起こせば、まだ当時はアマチュアリズムが一部には信じられていて、上の選択肢でも一番上に投票した人は今よりも多くいたように思う。そして六番目の選択肢の代わりに「スポーツと政治を切り離すべきだ」とする「信仰」があったに違いない。

これに近い発言は、リーフェンシュタールの「純粋な肉体の祭典」を演出したナチス政権のように、オリンピックを政治プロパガンダに利用する北京筋が逆説的にこの「言葉の組み合わせ」を用いて、またオリンピック協会などの事業主である「胴元」が、メディア産業やスポンサー企業を代弁して、今でもこれを主張している。両者が詭弁するこの理屈は非常に似通っていて面白い。

また、冷戦下でのアフガニスタン侵攻には、その事情を察する余地もあったように思い、鉄のカーテンの向こう側との交流を望み、五番目の選択肢も支持を受けていたように思う。

しかし、ナチ政権に対する三番目に含意される効果が無かった様に、何よりもこれ以上の犠牲者を出さないように圧力をかけつつ、それを武器化するならば上手に使わなければいけない。少なくとも北京は、あらゆる分割問題には一党独裁体制をかけて強い覚悟で臨んでくることは必至であり、死を掲げた武力的抑圧には躊躇しない。

四番目の制裁方法は事情によっては幾多あるのでこの場合はあたらないだろう。六番目の選択肢で、「商業的な責任」以上に「政治的な責任」があると期待するのは、そもそもお門違いの信仰ではなかろうか?



参照:
Ist ein Boykott der Olympischen Spiele richtig? 
96%が北京五輪ボイコット支持 伊紙調査 (IZA)
金網越しの文化的虐殺 [ マスメディア批評 ] / 2008-03-20
好んで求められる選択 [ 文化一般 ] / 2007-11-20
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
国益と理想の内政干渉 [ 歴史・時事 ] / 2007-09-26
風が吹けば、気が付く [ 生活 ] / 2007-03-05
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# by pfaelzerwein | 2008-03-18 01:56 | マスメディア批評 | Trackback

知的エリートの啓蒙芸術

演奏実践は予想を遥かに越えていた。受難曲公演としては珍しく、最上段席が閉鎖されるなど、作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン不人気か、これほど価値ある公演に充分な観客が集まらなかった。そのお蔭で二階席の四列目で、十年に何度も無いような画期的な演奏会を体験出来た意味は大きい。現代におけるテレマンの芸術の受容の限界を考えつつ、唯一無二の演奏実践を振り返ってみる。

この受難曲は、フランクフルトの有志の会のために、「パウルス教会」の前身「裸足教会」で1716年に初演された「ブロッケス受難曲」と呼ばれるものである。この当代随一のドイツの作曲家による受難曲の中でも、これの存在は、ヘンデル等の作曲があるに拘らず、恥ずかしながら全く知らなかった。残念ながら、当日のプログラムには、この受難曲の重要な作詞家であるハレで法学と哲学を修めたバルトールト・ハインリッヒ・ブロッケスのプロフェィールについて詳しいが、この受難曲オラトリオについては短くしか紹介されていない。そこには、当時のフランクフルトの市民貴族の団体に九年間務め、英国で名声を掴んだヘンデルと並ぶ大作曲家になるテレマンの毎週土曜日の入場料を取った演奏会と、そのシリーズでただテキストブック販売だけで催されたこの受難曲オラトリオの上演が記されている。そして招待客の太っ腹な寄付金が語られる。

そして、今回のフランクフルトのバッハ会員には、これがどのように受け止められたか?その前に、このオラトリオで女性ソリスツによって歌われる、主観性をもつ「シオンの娘達」を紹介しておかなければいけない。この二人は、旧約聖書でエルサレム市を意味するのだが、ここでも擬人化された形で、市民つまり依頼主であり創作活動の中心となっているフランクフルト市のパトリオリズム団体が「受難」に対峙していることになるのである。

先ずは、それが実際にはどのように響くかをみていこう。このオラトリオでは、リリックなソプラノとドラマティックなソプラノの二人が登場して、リリックな歌声はオーボエやブロックフルートのオブリガートに支えられて長いメロディーを切々と歌い上げ、ドラマティックな声はオペラで典型的なそれを適度のアクセントが加えられた管弦楽上で表現する。この二人が、各々信心Iと信心IIさらに乙女IIIと乙女IIを担当するように考え抜かれた配役マネージメントが施されている。

其処に三人目の女声である「イスカリオテのユダ」がキリストの死に直面して俄然重要性を増してくるのだが、このメゾソプラノの声は同じく、信心IIIと乙女Iを担当する。この役柄の意味深さは、例えばユダがタールや硫黄の気配が雷や地獄と共にテキストに暗示されるときのみならず、信心IIIが命の水の泉と歌う時のオブリガートの鮮烈さは、二百年以上後になってリヒャルト・シュトラウスが表現したそれ以上であり、その意味するところの効果は比較にならないほど深みを有している。モーツァルトのそれとテレマンにおけるそれを、「主観性の発露」と「環境への反照」として比べてみたくなるのである。

そしてそれは、一体何を示すかと言えば、まさにテレマンが死後急速にその名声を失って行ったのとは反比例して、啓蒙思想が異なる方向へと芸術が「疾風怒濤」の方へと向って行った社会背景の変化とすることが出来るのだろう。

つまり、ルイ王朝下に咲き放った「ヴェルサイユの芸術」のエッセンスを引き継いで、主観に容易に奔らない、高品質で最高に知的な芸術を具象化したドイツ最高レヴェルの知的文化人であったに違いないこの大作曲家は、英国で大成功をしたヘンデルのエンターティメントとは異なり、また中部ドイツの伝統的なルター教徒のバッハの至芸とも異なる、知的文化を体現していたのだろう。

その差は、批判されながらもドイツ音楽の伝統として組み込まれていくようになる、このオラトリオのシンフォニアにみる和声進行や、福音師家とキリストのレチタティーヴなどにみられる殆ど二十世紀のパロディーであるバッハ作曲「マルコ受難曲」の突き放した「ビックブラザー」に共通していて、テレマンが頭に描いた聴衆が、ロマン派時代や近現代の教養ある音楽大衆とは大きく異なり、如何に知的水準が高かったかが察せられる。

現代においてもこの作曲家の真意が今一つ広範に伝わらないのは、その客観的な視点を尚且つ多感様式と呼ばれるような繊細な表現で、それに相当する管弦楽法を駆使して声楽を支えていると言う技術的に高尚な卓越以上に、其処で描かれている一般的には啓蒙主義思想と呼ばれる「ライフスタイル」がエリート中のエリートの市民層から何時の間にか異なる支配層へと移って行った社会変動にあるとする仮説が成り立つ状況があるからではないだろうか。それをスノビズムの氾濫と呼んでも差し支えなかろう。

その仮説で議論されるエリート層の再構築こそが現在連邦共和国で教育問題として最重要視されている問題なのである。元来、王侯貴族から市民層へと芸術のパトロンは移って行った訳だが、その結果現在公費を費やして育成され助成される芸術文化活動は、大きな経済システムの中で娯楽以外の何物でもなくなってきている。だから本当の「教育価値」というものが見失われている中にあって、劇場文化を市民の教育の場として活かし、芸術を育んでいく必要がある。

それにも拘らず、「素晴らしかった」と歓声をあげるフランクフルトの良き聴衆は、有閑の高年齢層となってしまっていることが現在の問題なのであり、働き盛りの若い聴衆こそがこうした知的で感慨深い芸術に接してこそ、本当のエリート層が現代社会を支えることになるのである。

音楽芸術の化身となったバッハの受難曲オラトリオやエンターティメントの代弁者であるヘンデルの芸術が現代社会において広く一般的に受け入れられる一方、テレマンの芸術の価値が充分に知られない現代社会は、ますます何処かで履き違えた啓蒙主義を引きずっているとしても良いのかもしれない。

啓蒙思想家レッシングがこの作曲家の芸術を批判した言葉「テレマンにおいては、音楽が描くべからざるものまでを模倣するという悪趣味にしばしば陥っているのである」は、今日においてどのように読み解く事が出来るか。

敢えて言えば、こうした中庸な視点の芸術は数多くの優れた啓蒙思想家の創作にあるのみならず、おそらくエラスムスの思想などに共通するものをここにみる事が出来る。

ここまで書けば、その力強い合唱の力と繊細を極める音楽実践で、演奏者も想像がつくかもしれない。ルネ・ヤコブス指揮、三十人を越える古音楽アカデミーベルリンの演奏で、六人のソリストを加えてリアス室内合唱団が歌った。



参照:
それは、なぜ難しい? [ 音 ] / 2007-11-10
正統的古楽器演奏風景 [ 音 ] / 2005-11-13
企業活動という恥の労働 [ 雑感 ] / 2008-01-25
ケーラー連邦大統領の目 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-02
襲い掛かる教養の欠落 [ 雑感 ] / 2007-07-27
周波の量子化と搬送 [ テクニック ] / 2007-02-26
地域性・新教・通俗性 [ 音 ] / 2006-12-18
漂白したような肌艶 [ 暦 ] / 2007-04-02
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
楽のないマルコ受難曲評I(14.1-14.11) [ 暦 ] / 2005-03-22
楽のないマルコ受難曲評II(14.18-14.44) [ 暦 ] / 2005-03-24
楽のないマルコ受難曲評III(14.45-14.72) [ 暦 ] / 2005-03-25
楽のないマルコ受難曲評IV(15.14-15.47) [ 暦 ] / 2005-03-26
ヘンデルの収支決算 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-20
滑稽な独善と白けの感性 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-10
われらが神はかたき砦 [ 文学・思想 ] / 2005-03-04
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# by pfaelzerwein | 2008-03-17 05:17 | | Trackback

送料免除の裏希望商品表

朝早くアマゾンで注文した物がPOSTによって配達された。先日来ネットの情報漏洩で日本で問題となっているようである。BLOG「日々雑録 または 魔法の竪琴」でも記事を見つけ、お怒りの様子が分かる。


各国のシステムはよく似ているようで、その実この機能をほとんど使った事はないが、ドイツのサイトも調べてみた。問題となっている「お望み商品メモ」頁の設定を調べて見ると、「自分だけに」にチェックが入っていたので問題ないことが分かった。

しかし一番上の欄には、「私を詮索する皆に知らせる。(サーチマシンでヒットする場合も注意ください)」とある。二番目は、「許可した人々にダウンロードできるように」とあり、その意図が明瞭なので三番目を選んでいた。

現時点で日本のサイトをみると、設定は、「設定内容を変更する」のリンクより変更できます。とありながら、全くそのリンクも機能も存在していない。かなり混乱をきたしているようだ。

ドイツにおけるアマゾンは、書籍を除くとその仕入れルートに大変問題があり、EU統一化も進んでいるようだが、全幅の信頼を置けるネットビジネスには程遠い。特に外部の販売元の商品が並ぶようになってからは、オークションネット最大手のEBAYサイトの安売りなどと競合となっていて、ネットビジネスの拡大と頭打ちが感じられる。

米国アマゾンの流通資金不足が解消されたのかどうか判らないが、こうした大きなネットビジネスを使う場合はおのずから、こちらにとって大きな利得つまり先方にとってはあまり割に合わない注文しか段々と出さなくなってきっているのも事実である。

つまりこちらにとって都合の良い商品だけを選りすぐって注文して、本当に欲しい商品はむしろ他の専門的なネットショッピングなど使う事が多くなって来ている。それでもクレジットカードでの支払いなど今まで取引があり問題がなかったネットとしての価値もあることは否定出来ない。

EBAYオークションも、あまり売りたい物もないので使ったことはないが、廉く購入できた物は間違いなくあるがこれの使い方も限られて、アマゾンでの第三者からのオファーも使った事は無い。

さて、今回注文したのは、暮れに購入した掃除機の使い捨てゴミバックである。スーパーでは、純正品はなく、逆に高価であって、先ずは純正品をアマゾンで注文した。それだけならば送料がかかって不利益である。其処で数年前から頭の片隅の「希望リスト」に入っていた文庫本の易い物を加えてみた。本は送料無料なので、全てが送料無料になるか試してみたのである。送料はまだ加算されている。

そうなれば、最低20ユーロのラインを越えなければいけない。あれやこれや考えてもう一冊を探し当てた。古典的な名著であればペーパーバック化されていて易いのだが、何も急いで買う必要が無い。其処で見つけたのが、南ドイツ新聞の20世紀文学シリーズの限定販売商品である、其処から幾つかが候補に上ったが結局いつかは買う可能性の強いW・G・ゼーバルトの作品「アウステリッツ」を選んだ。

このようなハードカバー本が、5.90ユーロで入手出来るのも喜びで、これで送料無料である。そして送料を無料にする「個人的ウィッシュリスト」に何年も入っていたのは、バーナード・ショウの「ピグマリオン」つまり「マイ・フェアレディー」の英文であった。



参照:
私に適ったガラテアちゃん [ 女 ] / 2004-12-12 08
観られざるドイツ文学 [ 文学・思想 ] / 2007-11-07
帰郷のエピローグ [ 暦 ] / 2006-12-10
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# by pfaelzerwein | 2008-03-16 16:26 | 生活 | Trackback

瞬間に拡がって、伝わる

d0127795_3175166.jpgここ二日ほどの新聞を斜め読みする。何よりも一般的な話題はシシーと言えばロミー・シュナイダー、ロミー・シュナイダーと言えばシシーでそれ以外は思い浮かばない人も多いに違いない。その彼女がフォンカラヤンと競演しているプロコフィエフの「ピーターと狼」が記念CDボックスの中でも特に話題となっている。その自然なナレーションが、ワルター・レッグの門下の考え抜かれたディクテーションとは異なり、活き活きとして素晴らしいというのだ。

同時に其処で思い出すのが指揮者のライヴァルでベーム博士の子息カールハインツ・ベームの今回のフンデルトヴァッサー賞受賞とシシー映画での共演での大成功だろう。アフリカでの活動は、その継続性以上に大きな成果を齎しているようだ。

ドイツで最も急進的な作曲家であるハンス・ヨアヒム・ヘスポスが七十歳の誕生日を迎えたとある。十年以上前になるがカールスルーヘのZKMで友人に紹介されたことがある。名前は聞いていてもその実践はよく知らなかったのだが、その直後の上演と違わぬ印象を、その人物像に未だに懐いている。その後、ハノヴァーのエキスポなどで再会する機会を逃して、二度とその実践にも接する事はなかったが、そのパワフルな印象は所謂多くの閉じた完成した作品を創作するゾンビ化したような作曲家とは一線を隔している。

新聞にあるように無調時代のシェーンベルクやベルク、ヴェーベルンの表現主義をその開かれた作品に示していて、ベルリオーズやムソルグスキー、アイヴスやエドガー・ヴァレーズのアンチ・システム・アカデミズムの系譜をエルンスト・ブロッホのモットー「音楽は、言葉の無い言語 ― その現在はまだ訪れず」をもって実践しているとするのは誤りでは無いだろう。こうした創造は体験しかないというのが、その体験であり、次の機会を期待したい。

マスメディアに関して言えば、合衆国のヴィザの扱いを巡っての報道の時間差に気が付いた。BLOGにて一報を聞いてから新聞に載るまで三日ほど時差があった。その理由は判らないが、切り崩しにかかる合衆国のEU戦略と、それを受けてのバルト沿岸諸国との二国間協定の内容の勘ぐりなど、外交における裏情報の流れる時間差にあるのだろうか?いずれにしても、その内容は憶測の域を出るものではなく、遅れて掲載された報道の内容にそれが充分生きているようには見えない。要するに、バルト海から合衆国に入国する者のみならず、トランジットする者までに合衆国は興味を持っているようで、そのバルト海からの出国のシステムを含めて、「様々なビジネス」が存在しているようなのである。

先日のトルコ問題と似通っているのは、こうした外交問題がEU内での暗黙の了解である「二流国」の立場や英国やアイルランドの特殊性を浮き彫りにして、我々が立つ位置を確認させてくれる事実と効果である。

そのような事を考えながら、2007年産では逸早く昨年の暮れに購入したライタープファードがいよいよ飲み頃になってきたのを記録して、その時差と瞬間の撮影としておく。青林檎の香りは、どのように鈍感な鼻にも漂い、その土壌の些か硫黄臭い味の上に華やかに羽ばたいている。



参照:
Der ungepolsterte Ausdruck, Gerhard R. Koch,
Selbstentflammt von der eigenen Süße, Eleonore Büning,
FAZ vom 13.März 2008 bzw. vom 11.März 2008
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# by pfaelzerwein | 2008-03-15 03:19 | マスメディア批評 | Trackback

自由民主主義への忠誠

新聞にエルドガン首相のインタヴュー記事が掲載されている。非常に興味深い。この政治家をポピュリストと考えているが、一体それは正しいのだろうか?

先ずは身近なルートヴィヒスハーフェンでの火事から追ってみると、ケルンでの大集会で穏やかな対応を呼びかけたことに対して、「地元や連邦の細やかな気遣いの各氏への礼」とともに先ずは沈静化を図りながらも、その後「十件もの放火騒ぎがあり、郵便桶にマッチを入れられた脅迫等があった」ことを問題とする。

そして、トルコでの過激なメディア報道に対しては、「ドイツ政府が、釈然とした対応をしていない」と批判して、「同地でもネオナチの落書きが長く置かれているのを確認」して、「ドイツ在住の親戚も怯えている」ことを指摘、さらに「創造主に創造された者を愛す市民の愛と平和」を強調して、「両国間は緊張した状況に無い」と断言する。

最もこのインタヴューで大きく捉えられて大タイトルとなったのが、2月10日でのケルンの集会へのエルドガン首相のメルケル首相への招待である。一旦は受け入れたようだが、結局ベルリンの首相官邸でのパネルディスカッションを逆提示されたとして、「メルケル首相は、私が集めた注目と同じように、大観衆の前で直接語りかけることが出来たのに残念」として、「在独トルコ人の動機付け」のためにも「彼女が望めばまた開催しますよ」と言う。

ここまで読んでなるほど先月のこの「偉大な政治家」への新聞の扱いの微妙さの理由がよく解る。イラクへ侵攻することになったPKK一掃作戦や同地方へ現地入りしての同和活動をも説明して全く抜け目が無い。

その関連で、「母国語を習い、使える」クルド人少数民族政策への取り組みを、またアラブ語やペルシャ語での公共放送TRTでのチャンネルなどの先進性を語る。当然のことながら、これは問題となり「思い掛けない批判」を浴びたドイツでのトルコ語での教育へのコメントとなっている。

「ドイツ語をマスターするためには母国語が先ず充分に出来ていないと」と、「母国語が出来ない者は、他の言語も出来ないとするのは、言語学上の鉄則で、これを言っただけで、誤解されたのですよ」と弁舌鮮やかである。

これほどに頭脳も明晰で、その主張に隙が無いのは、現在のEU首脳陣と比較しても引けを取るどころか、完全に上回っているような気がする。ああ言えばこう言う。

そしてその主張の根源には、EU加盟上問題となっている憲法301条の「トルコ条項」があるらしいが、これもスカーフ問題で審議が遅れたが継続して討議されるとして、決してEU加盟に否定的な見解は示さない。

その反面、ライツィストの政教分離観を「どの宗派に対しても距離を置く」と「スカーフ許可」を定義付ける一方、八十万のトルコ系ドイツ人には「双方の国に忠誠を求める」。

それをして、この新聞FAZの社説は、「85%のトルコ系ドイツ人が、78%の在独トルコ人がメルケルを信用していないことから、二万人の観衆の中でメルケル首相を庇えばエルドガン首相に怪物的な印象を与えたのが想像出来る」として、今後ともそのような、フランスやドイツでのドゴールとアデナウワーのような機会はありえないだろうとする。そして、主張される二カ国への忠誠は全く新たな認識を必要とするとしている。

その一方現実にはイスラム団体やその構成員を扱う場合、国籍条項の差異なくモスレムが扱われている事から、ヴァチカンなどの外的な影響力を排したプロテスタンティズムの国ドイツにおけるイスラム信者の扱いはまだ定まっていないとしている。この点に関しては、ここでは政教分離の徹底を述べている通りである。

エルドガン首相の発言は、そのIDの示し方やトルコ国内での支持の受け方で、イェルク・ハイダーや東京都知事などの「出来もせぬ事を言うだけ」のポピュリスト政治家や小泉首相の短いセンテンスのコミュニケーションで背後の動きを隠し単純化した政策やラフォンテーヌのイデオロギーを単純明確化した弁舌で、浸透度と支持を得るポピュリズムとは一線を隠した、遥かに優秀なポピュリズム政治家であることが知れる。

その差異は、もちろんトルコ人の秀逸な国語力やメディア批判力にあるのでもなく、工業先進国には無い教育上の大きな社会格差にあるように見えるがどうなのだろう。しかし、こうした大きな支持を集める政治家が登場する背景には、やはり宗教に代表されるような成文化されない社会規範や封建主義的な世界観が根底にあることも否めない。だからこそ自由民主主義が我々の立ち位置なのであるが、思いのほかそれが定着する素地はなかなか限定されるのも事実なのである。



参照:
Banzai for Democracy 民主主義、万歳! (Rakugo Performer ハリト)
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09
階段の踊り場での懐疑 [ 生活 ] / 2008-03-02
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
調査と云う似非文化問題 [ BLOG研究 ] / 2008-03-10
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# by pfaelzerwein | 2008-03-14 05:36 | マスメディア批評 | Trackback

五里霧中のアップグレド

航空券のアップグレードの件で動いた。昨年の今頃、発券させていたものを使おうと言う魂胆からである。詳細はまだなんとも言えないが、兎に角エコノミークラスをビジネスクラスにアップグレードした。

廉くしつつ尚且つアップグレードの価値を味あうためには色々と努力しなければいけない。少なくともネットでホームページだけを漁っていたのでは、安売りビジネスクラスに比べて中途半端なお徳感しか得られず、その利用を躊躇していた。最終的に、半額まではいかなくとも、それに近い額となったので努力しただけの甲斐はある。

買物のついでに立ち寄った旅行会社の店頭で話しをしていると、マイレージに関しては旅行専門家は逆に十分に把握していないことが判る。それでも今書いたように、ネットでは見つけられない航空券が入手出来ることを知ったのは大きな収穫である。

前回はルフトハンザのHPで直接買う方がお得なことが判り、折角相談にのって貰いながら、結局航空会社で直接購入するほうが廉かったので、今回の可能性はあまり期待していなかったのである。それでも旅行業界にはキャッシュバックなどの様々な「裏取引」があることは予てから聞いており、もしかするとと思ったのであった。

アップグレードの複雑さは、航空券を発券させて後に、それが始めて可能となるシステムにあり、なかなか旅行業務に慣れているなりの経験が必要とされそうな気がする。

それも人によるかも知れないが、様々なチケットクラスの販売価格の差の大きさみると、どうしてもその裏側を勘ぐりたくなるのが人情である。更に、アップグレードなどのサーヴィスの価値や質など、これは最終的に飛んでみないとなんとも言えないが、興味津々な点は大いにあるのだ。



参照:
アトランティックの夕焼け [ 生活 ] / 2005-01-10
人工衛星のインターネット化 [ テクニック ] / 2004-11-17
特別なアトモスフェアー [ テクニック ] / 2004-11-17
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# by pfaelzerwein | 2008-03-13 05:53 | 生活 | Trackback

新旧の今日的信仰告白

d0127795_4334433.jpg
承前)近代的な醸造法において、木樽においても温度管理を徹底しているのは、今更強調する必要はない。摂氏12度から14度の醸造や、摂氏9度の熟成など、冷却と過熱の双方から温度か保たれる。

そうした近代的な醸造法には、栽培技術における温暖化気候に都合の良い成長過程を示す葡萄のクローンの選定同様、最も効果的な酵母の選定などが含まれる。後者は、過去に遡り1920年代には11月中旬に摘み取りしていたようなクローンに比べて、現在では昨年にみるように8月終りから始まり9月中旬には多くの摘み取りが終える事の出来るクローンへと替えられているなど、環境に適合したワイン栽培が図られていることを指す。前者では、一部モーゼル流域などで試みられている百年もの古樹などが特別な価値をもって栽培され醸造されていることにも関連するが、また其処で採用されているようにその葡萄の天然酵母をそのまま醸造に使う方法とは対照を成している。

なるほど培養酵母を使わないままで美味いワインが出来上がるかどうか?、また古樹が力を落として収穫量が落ちているのとグローセスゲヴァックスのように収穫量を落とすのが同じ効果を持つのか? ― これらは一つの「信仰の認識」なのである。

また、名門フォン・ブール醸造所は、2005年からバイオワインの道を歩んでいて、2008年度にはEUのバイオ農産物のサーティフィケーションを獲得する。機会があれば、2005年産から明らかに明確なコンセプトを以って栽培・醸造されている、そのワインの新旧の明確な差を誰もが各自実感出来ると思っている。要するに、それは「バイオ信仰」の徹底以上にISOにみられるような明晰な作業工程の追求が齎す品質改善と言い換えても良いだろう。d0127795_435765.jpg

例えば、写真のグランクリュワインの樽には、発酵過程を終える二酸化硫黄水溶液を加えた日付が明示されており、各々一月四日、二月六日と二種類の過程が示されている。これが何を意味するかといえば、新月に迫る日時なのである。

奇しくもワインの熟成にどのような影響を与えるかの質問が飛んだが、化学的には返答の仕様がない。しかし、我々のバイオカレンダーはこうした影響を受けていることはなにも健康な女性だけでなくて皆がよく知っている。しかし、この醸造所の考え方は、その筆頭であるA・クリストマンやブリュックリン・ヴォルフとは異なり人智学に距離をおいているので、バイオ・ダイナミクスのような特別な団体には加入しないと言明している。

しかしながら、今や同じ傘下にあるフォン・バッサーマン醸造所との差異が、そのワインの味のみならずこうしたところにも表れる。当然ながらこうした「信仰」に、もともとの伝統である新旧教の世界観の差異が伺えるのである。(終わり)



参照:
Dr. ローゼン試飲会 (モーゼルだより)
技術信仰における逃げ場 [ 雑感 ] / 2007-11-06
飼料は遺伝子操作済み [ アウトドーア・環境 ] / 2007-07-25
現代オカルトのビオ思想 [ 文学・思想 ] / 2007-05-24
シュタイナーのエコ農業 [ アウトドーア・環境 ] / 2007-05-22
市井の声を聞いて改良 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-11-06
そして白樺が終わる頃 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-07
化け物葡萄の工業発酵 [ ワイン ] / 2005-12-23
政治的棲み分けの土壌 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-09-22
市場でなく、自然に合わせろ [ ワイン ] / 2005-09-09
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# by pfaelzerwein | 2008-03-12 04:38 | ワイン | Trackback

イヴェントの豊かな後味

投光されたグランクリュ地所三箇所を観た。バート・デュルクハイムの観光の中心地にあるミヒャエルスベルクは、車から見え手っ取り早く見えるのだが、車だけ出なく光が多く、俗っぽさが災いしていたようだ。その地所を歩いての感想と変わらなく、ワインの味もそのようなものだろう。

日曜日にはSWRシュトッツガルト放送交響楽団のブラスセクション(VIDEO)によって、19時から音楽が奏でられたケーニクスバッハのイーディクに見学に行った。なんと言っても盆地状の地形にその音響効果を期待したのである。d0127795_4421375.jpg

金管アンサンブルは、上部の石垣の前に陣取った。照明もその高さと石垣の上部に当てられて、赤い色の投光器など幾つかの投光器が使われていた。聴衆は下から見上げる形で充分な音量が得られていた。予想通り、低音楽器の音は良く伸びていた。

選曲は、ポピュラーや映画音楽のみでせめて一曲ぐらいは著作権のないファンファーレかなにかを入れるべきではなかっただろうか?実質三十分ぐらいのレパートリーであった。

あまり見通しが聞かない照明を見て、音楽聞いて、一杯飲んで体を温めれるようにスタンドが出ていた。お馴染みの新鮮な顔を見つけて、ついつい先週買ったばかりのミュラーカトワールのヴァイスブルグンダーやA・クリストマンのグーツリースリングを二杯も飲んでしまった。一杯二百円はお試し価格で小売としては安い。

グラスを返して、次の演奏地ウンゲホイヤーへ行くと断わって、急いで辞去する。ウンゲホイヤーの照明は前日見ているので、勝手をよく知っていたが、前日とは打って変わって二百人以上の聴衆を集めていた。d0127795_443327.jpg

楽師の面々は、ワイン山の中をジープで移動したのだろう。ここでもまたお馴染みの顔を見かける。やはりインサイダーや事情通の者が多いようで、本日のローカル紙は場所が判らなかったなどの苦情なども伝えていたようだ。

基本的には金をかけずに、効率良く、グランクリュを印象つけて新コンセプトのテロワールを広報する目的が達成されていたが、こうして巷でも一等区画グローセスゲヴェックスが囁かれるようになれば大成功だろう。

投光されるのを観るのは一生で一度のことだという声も聞かれたが、金をかけずに広報が出来るならば機会があれば今後も実施する価値があるのかもしれない。

音響効果の方も、ウンゲホイヤーにおいても予想したほど悪くはなく、何よりもマドンナ像とウンゲホイヤーの斜面の投光の効果が素晴らしい。既に同じプログラムを聞いているので、演奏中にマドンナ像の足元まで上がり反対側に降りてきた。

演奏の方は、途中で一杯やってワインが廻ってきたのか、先ほどよりも集中力が欠けてさらにお気軽なものとなっていた。

前夜のゲオルク・モスバッハ家が道案内する家庭的な雰囲気の中での落ち着き静まった雰囲気を思い出しながら、こうしてイヴェントを堪能して帰路についた。



参照:フォルスト・ウンゲホイヤー [ ワイン ] / 2008-03-09
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# by pfaelzerwein | 2008-03-11 04:45 | ワイン | Trackback

調査と云う似非文化問題

鯨などにはあまり興味がない。それでも日本のネット情報からみるに、かなり熱い議論となっているようだ。過去二十年間の捕鯨に関する推移はよく知らない。だから、日本政府が調査捕鯨と称して、過去二十年間に七千頭近くの鯨を捕獲して、それを市場に流すことで、従来の捕鯨産業を保護している様子はただ驚きでしかない。

南極海での阻止活動もあの手の狂信的な自然保護団体の常套手段ではあるが、今後とも粘り強く妨害が続けられるのは充分に予想される。広範な世論から集められる寄付金で潤沢な資金が確保されればされるほど、遠く南極の海での調査と称する捕鯨活動には勝算はないであろう。恐らく、現在のような妨害を掻い潜っての捕鯨では、商業的には採算が合わないに違いない。それともそれほど商業的に面白い産業なのであろうか?

初めて、水産庁捕鯨班HPを覗いてみて、予想以上のいかがわしさが知れた。結局、調査捕鯨の建前に、科学やら統計やら文化やらの御託が並べられて、誤字脱字が示すようなこじつけた下手な独善的な文章で主張されているのは、広範な商業捕鯨とその貿易による従来の水産産業の復活でしかない事が一目瞭然なのである。

逐一、その滑稽さに触れる気もしないが、公海での商業捕鯨のみならば、IWCを 脱  退 することで即可能に違いないが、それを日本の国内市場で捌くのみならず、否応無しに収穫を輸出することを旨としていることから、脱退をも是とせずに、調査という「科学」を持ち出してきている。まさにG8の一つの政府の其処の偽りこそが現在国際世論の批判の的となっている。そのゴリ押しの論理は、ブッシュ政権によるイラク侵攻にもどことなく似ている。

そればかりか、伝統文化・食文化というような高尚な概念を持ち出しているのが大変場違いである。それに対して少数民族保護の立場からの譲歩しているにも拘らず、表向きは「人種差別に繋がるので反対」とする詭弁を用いている。本来ならば伝統文化としての食文化や既に廃れつつある捕鯨文化を、文化として保護すれば良いのであるが、其処で割り当てられる予想される二桁台の捕獲割り当てでは、日本政府が意図している水産業保護の目的には至らないのであろう。そもそも重金属で汚染された沿岸捕鯨などでは産業にならないのだろう。

その一方、日本の新聞の社説やネットでの議論は、食文化と民族主義的な主張がその隠された意図以上に「日本民族の被害妄想意識」を刺激する世論形成のために強調されているようにしか思われない。その論調はエルドガン政権のトルコの状況をさえ想起させる。現在、鯨を日常的に食用とするのは世界でもまた日本でも少数派であることから、少数派保護には相違ないと思われるが、否応にも南極まで船団を連ね其処で捕獲した鯨を国内市場で大々的に捌き、あの不味く今でも思い出すだけで吐き気を催させる鯨肉給食を復活させ、希少価値をもった鯨を海外へと高く売る叩こうとする魂胆はどうにも隠しようがない。

日本国内での様々な情報操作とは一線を隔して、現在の熱を帯びる日本の捕鯨報道を客観的に見るとこうなる。犬を食することに対するのと同じで、鯨を食することを止めろと活動する者が存在することと、大規模の商業捕鯨を禁止することとは意味が異なる。だからこそ調査捕鯨という隠れ蓑を着込み、大規模の捕鯨を展開して、国内市場のみの流通では飽き足らず、それを大々的に貿易しようとするのは、全く解せない。

水産庁の主張を裏読みするとこうなるのだが、日本国内での一致した論拠は「民族主義的な文化問題」と政治的に故意に擦りかえられているところが大変危なっかしいように思える。捕鯨の問題は、あくまでも米問題に深く関わる食糧自給率問題と同じように国内産業保護政策なのだろう。



参照:
消化不良 (雨をかわす踊り)
環境テロリスト (夕暮れのフクロウ)
シー・シェパードの暴力行為 捕鯨問題 (JUNSKYblog2008)
二枚舌のパタゴニア日本支社公式見解を嗤う (月山で2時間もたない...)
若者の保守化とは何か? (モンゴルから見えるアジア)
物言わぬ国民性 (私の勝手な主張!!)
シー・シェパード (ヤマシログ)
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# by pfaelzerwein | 2008-03-10 06:02 | BLOG研究 | Trackback

ワイン地所の王道を行く

d0127795_16224722.jpgVDPプファルツの記念行事が始まった。金曜日晩のワイン地所の照明は、パーティが開かれたルッパーツベルクのみであったようだが、土曜日にはフランス国境シュヴァイゲンからグリューンシュタットまで名だたるグランクリュ地所が投光器で様々な色彩に彩られた。

ウンゲホイヤーの地所ではヘアゴットザッカーに包まれる一角である醸造所ビッファーの地所が照明され、其処へと至る道筋には灯火が灯された。ゲオルク・モスバッハーの若夫婦によって、丁度自らの地所の一角で案内されていて、家族的な雰囲気を醸し出していた。

其処では最終日の日曜日の夜間には、SWRシュトッツガルトの放送交響楽団のブラスセクションによって音が奏でられる。どんな曲が演奏されるだろう。

その前に、朝からダイデスハイムの試飲会に出かけた。その大きな名前を復活させつつある伝統のフォン・ブール醸造所である。試飲自体は、現時点ではまだまだ銘柄が揃っていないので来る五月のそれの様な賑わいはなかった。

それでも、十年振りぐらいになる醸造蔵見学は、昨今のその商品の質の向上を包み隠さずあからさまにしていて、何度も覗いた同じ蔵が殆ど初めてのような感じで強い印象を与えた。

嘗ては、日本から研修で派遣された従業員も居り、突然その蔵を訪ねて仕事中を驚かしたことなどもあり、また当時日本からの資金でステンレスの樽が新調されてそのきらびやかな近代性が強調されていた時期を思い出す。

その当時もなるほど見学時には古の樽に蝋燭が備え付けられて、安物観光向けの趣が与えられる一方、そのワインが語るように近代化された醸造法こそが金科玉条となっていたのである。その炭酸の強く残るワインに、ラインガウのドイツ一と言われるロバート・ヴァイルの醸造法が目標にあったゆえに、皮肉にもその目標に明らかに勝るとも決して劣らない地所の秀逸性が充分に示されない結果となっていた。

そして、その現在の様変わりようは、醸造の素人であろうとも、整備されたグランクリュワインの新しい木樽やピノノワールの並べられた多種多様の木樽に、またステンレスの樽が隅に落ち着いて収まっている様子に、もしくは伝統を戻したゼクト作りの棚に、十二分に表れているのである。

言い変えると、その整然とした醸造蔵は、如何に職人の神経が行き届いているかが判るといっても良いぐらい、其処で出来上がるワインの質を語っている。d0127795_20524750.jpg

樽に関してだけに端的に言及すれば、それは、1970年代には老朽化して近代的なクリアーなワインが出来なくなった木樽が、1980年代になって漸く新規交換されて、1990年代の外資による近代化へと繋がって行ったのである。そして、その後は上のサントリー社が資金援助をしたロバートヴァイルと同じように清涼飲料化したリースリングは、その炭酸によって高級感を損なった。そして、今新たな木樽による熟成へと再び王道を歩むことになった歴史にも通じるのである。(続く
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# by pfaelzerwein | 2008-03-09 16:23 | ワイン | Trackback

フォルスト・ウンゲホイヤー

d0127795_10431465.jpg
照明されるフォルスター・ウンゲホイヤー。

VDPプファルツ百周年記念行事から。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-09 10:44 | ワイン | Trackback

キウイのような揚げ菓子

d0127795_2445241.jpg絶食週間の食べ物を結構紹介している。今回は、米国のドーナツの先祖ポーランドのポォンチュキのドイツ版であるジャム入りのベルリナーの変形である。

地方性があるのかどうかは判らないが、中には甘みのあるチーズの一種であるクヴァークが詰まっている。

それをQUARKを合成語にしてQUARKINIと呼んでいる。キウイを思い出すような語感だが、確かに同じような形である。

中身は若干ヨーグルト風なので、カスタードクリームが入っているこの手の類似品よりもあっさりして旨い。


参照:
クーリックで祝う謝肉祭 [ 暦 ] / 2007-02-17
ヨーグルトとトッペン [ 料理 ] / 2005-10-05
チーズと甘味とワイン [ 料理 ] / 2005-12-07
元祖ケーゼクーヘン [ 料理 ] / 2005-11-18
仏ピッザ・フラムクーヘン [ 料理 ] / 2005-09-27
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# by pfaelzerwein | 2008-03-08 02:45 | 料理 | Trackback

小雪ちらつく強い花並木

d0127795_4333837.jpg試飲のついでに久々にビュルガーガルテンを歩いた。有名なワインの地所である。塀に囲まれた一帯のリースリングは、ミュラーカトワール醸造所の看板商品としてその薔薇の香りと共に特に誉れが高い。2006年度は映像に記録したように、腐りが酷くエルステスゲヴェックスとして発売されずにシュペートレーゼとして格落ちされた。

2007年産は、大変期待出来るのは最下位のMCリースリングを飲んで確信出来た。なんと鋭く厳しい酸であろうか。瓶詰め一週間後でまだまだばらばらの状態であるが、その化学分析の数値が示す意味が今年は明確である。本年試飲した中では最も鋭く、期待出来る。

上のワインは、ビュルガーガルテンとは関係がないが、この地所を歩くと他の醸造所の地所の悪さがよく分かる。この地所に関しては、塀に囲まれた一帯のみが特別な地所と地形的に納得できるのである。d0127795_4345554.jpg

帰りに、小雪がちらつくギメルディンゲンのあの台風にも耐えた美しく開花するアーモンドの並木を通って、先日来話題となっていたダイデスハイムのキーセルベルクの広い尾根筋を歩いた。なぜあれほどまでに、隣り合った地所でも味が異なるのかを確認したかった。

なるほど、比較対象となるフォン・ブールとフォン・バッサーマン・ヨルダンの両醸造所のキーセルベルクの地所は、前者が南側へと落ちる斜面にライヘーレと並んであるのに対して、後者は尾根の上のふくらみにその地所を占めている。

フォン・バッサーマンの尾根の続きにはゲオルク・モスバッハーの地所があり、彼らのグラン・クリュワインの地所である。その南へ落ちる斜面側にはフォン・バッサーマンのグランクリュ地所ホーヘンモルゲンがあり、A・クリストマンのグランクリュが先のフォン・ブールのキーセルベルクの地所との間に挟まれている。



参照;
特産品を特別に吟味する [ 試飲百景 ] / 2008-03-03
微妙に狂った設計図? (新・緑家のリースリング日記)
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# by pfaelzerwein | 2008-03-07 04:36 | ワイン | Trackback

政治における時間差とは

d0127795_4102820.jpgやっと、ヘッセン州の政治地図が見えてきたようである。社会民主党のイプシランティ女史が、左派党に閣外協力を求めるようだ。投票前の左派党除外の公約には反するが、ローラント・コッホを頭に据えておく事は出来ないのが投票者の意思で、自由党が協力しないかぎり、左派党に首班指名の協力を仰ぎ、更にその後の少数与党を当分は持ち堪えれる様に左派党に戦略的に政策協力を仰ぐことになるようである。

現在の連邦州全体でSPDのおかれている立場からすれば、積極的に連合協力を仰いで行くことは決して悪くはない筈である。

さて当町でも、スーパーマーケットの建設問題で揺れている。数週間内の町議会で採決される。そのことで、先ほどSWRのTV第3波から議論が生中継された。

色々と建設場所の噂は聞いていたが、売却されて縮小された老人ホームの横の戦没者記念碑のある中世の町の壁際に作られるという。よって環境破壊と歴史的財産の保護が争点となっている。

もう一つは経済的な視点であって、現在ある スーパーマーケット自体がその前に親しまれていたコープが店仕舞いしてから、やはりあまり旨く行っていないことが挙げられる。その店には店代わり後正直一度も行ったことがない。車で行くならば隣町に行く方が良いからである。

結局はグロバリゼーションによって小規模の上質の店がなくなり競争力の高い大規模スーパーマーケットが生き残る形となっている。つまり、少々規模の大きいものを作っても隣町に比べ良いものが買えない限り用はない。

存在価値が残るのは特産物を扱っている上質の小売店だけなのである。また地元が環境も整え、市民生活をよりよくするほどの財源はない。

お年寄りには、毎水曜日にやってくる移動市場で充分ではないか。それが拡大されればそれで良い。車があるものは少し走るだけである。潰れかけるスーパーマーケットなどは要らない。

それにしても、衛星の生電波が届いて放送されるまでに四秒ほどリレーの時間差が生じていた。政治にもそれぐらいの時差が存在するようだ。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-06 04:11 | マスメディア批評 | Trackback

倹約家たちの意思の疎通

ドケチと言われようが、金の計算に余念がない。

地元のVDPの百周年催しに因んで、久々に誕生日祝いにある未亡人を招待する。すると、希望するプレゼントを尋ねられた。今まで希望商品を提示した経験はあまりないので、色々と考えた。そして、メインとなる宴席の費用から、略同額額を設定して、記念になるものという前提で今欲しいものを探した。昔その友人からは、グラッパやシャンペン類を貰ったことがあるが、記憶に残るものであっても記念になるものではなかった。

最初から書籍やメディア類を考えたが、あまり廉いものならば、いつでも簡単に買える。お買い徳DVDなら自分でも買え、割高商品ならば貰っても少し無駄な気がしてあまり嬉しくない。廉くクラッシックな内容や豪華本の書籍もネットサーチしたが、本当に欲しいものは自ら買えて、もしくは買えないほど高価であって、プレゼントとしてあまり実際的ではない。

そして新聞の文化欄に載っていて、その紙面を取っておきながらその内容を読まずにいたある作家の名前を思い出して、それを古新聞の束から探した。その作家の初期の成功作は今も大事に手元においてあるが、今回の新著は自分にはあまり馴染みのない時代・世界の文学に関するもので、内容を把握するのが億劫でその記事に目を通さずに重ねておいたのである。

そして今、新著が丁度発刊されることを知り、ちょうど好都合な価格なのを知った。もし自分で買うとなれば、敬遠していたかもしれなく、仕事関係で購入する事もなかった書籍なのである。そうなれば、この新刊ほどプレゼントに相応しいものはない。本年発売されるドイツ語の本のなかでは間違いなく、話題になる本なのである。

そう思うとどうしても欲しくなり、初版本なら更に嬉しい。今年のクリスマス前には沢山プレゼントとして購入されるであろうこの書籍を、こうして早い時期に手元に置ける幸せがあるのだ。

その希望商品をネット上のリンクと共に、招待の概略としてメールにて送ると、先方からまた大変嬉しそうな返事が返ってきた。宴席の費用も隠さずに明白に書かれている広範な情報であるから、シュヴェービッシュ人の彼女は、こちらと同じようにきっちりと 計 算 したに違いない。

そして、こちらの 計 算 をしっかり把握して、最も好適な商品を選択したことを喜んでいるのである。なんとか間に合わせて入手出来るかどうか楽しみだと書いている。

前日高齢出産のキャリアー人生を歩む娘さんの引越し手伝いに疲れた声を電話で聞き、心配した所であるが、そのメールの文章はなにか弾んでいる。

ここに、同じ金額を支出するにしても、招かれる方は自費で宴会に参加しても決して面白くなく、招く方は新刊書を自費で買う気もしないという平衡関係が成立している。そして、招かれ贈られの経過にあるプラスアルファーが計り知れない。

そしてなによりも金の有効な使い方と計算は、こうしたシュヴァーベンの経済学をもってして初めてその恩恵を実感出来るのである。これはやはり金の文化なのである。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-05 04:21 | 生活 | Trackback

花園に包まれていたい

ワインの試飲について書かなければいけないことは数知れない。昨日の試飲者を念頭において、この大変貴重な体験から学べることを書き記しておく。

所謂ワインスノビズムのようなものを嫌悪していることから、鉄則とかいったようなものはここには一切書かない。しかし、試飲や消費の上で少し考えてみると参考になり、積み重ねの経験になるような類のことは、自らの感応体験で示唆しておいても良いだろう。

今回のヘアゴットザッカーは瓶詰め一週間で俗に言う樽試飲に近いものである。さらにポンプアップして瓶詰めしてあるので、現在の状況は重症のワインシック状態である。逆に、これを樽試飲とワインシックの重なった状態として把握すると、この試飲の経験が充分に意味を放つ。

それでも判るピーチの香りと酸の鋭さは、このワインの魅力を語って憚らない。謂わば、ロンドンでの展覧会のポスターでも問題となったようなクラナッハのヴィーナス像の一糸も纏わないあまりにも露な姿なのである。

そうした殆ど色香の無い、蒸留水のようなたおやかな香りこそが、その素性を示して、純粋さに限りなく近いものを感じさせる。新鮮さと些かそれが分裂したこの視差にこそに、主観と客観の緊張を解く秘密がある。化学的には、様々な結合の平衡に戻る方向への分散と言えるのだろうか。

通常の空間移動に置けるワインシックは、それに経過した時間だけをおけば元に戻るとする、一般的原則が存在する。しかし、ポンプアップのストレスは一月以上の時を要すると言われるが、この期間を認識するには大分の経験が必要である。

そして、ワインが落ち着いた時に、最初の飲み頃のピークが表れるのは、白ワインならば、大抵感じられる。新鮮であれば、なにも他には要らない。しかしである、その質の高さや高貴さ、そしてなによりも素性や性格のよさが背後にやられて、偉大なそれどころか、見掛け倒しの性質の悪さも隠されてしまうことを、特に鈍感な男達は肝に銘じなければいけない。

リースリングに関して言えば、一年以内に草臥れてしまうものは、高級とはもはや言えない。しかし、一年後には少し落ち着いた新妻のようになるリースリングも少なくはない。そのときに新たな良さが見え隠れしてきて、惚れなおせるものはやはり素晴らしい。そうして、瓶詰めから二年経過後位には持ち得る素晴らしさが開いて、偉大なものには奥行きと高貴さが底光りしてくるのだ。

ここまでが一般的な高級リースリングに当てはまるもので、そうして、出産と育児を迎えてのやつれのような時期を過ぎると、今度は熟成の時となる。それは同時に、辛口リースリングで愛される新鮮な香りの衰退と消耗を進める。つまり、四年過ぎたリースリングでは、甘口においてはジュースからやっと酒らしく飲める時期であり、辛口においては新たな時を迎えることになるのだ。

甘口のリースリングは、そのコケットな魅力から甘さが消えて一種の清々しさへと飛躍して行くものもある一方、肌艶が失せて厚化粧の甘みが分離して行く場合も少なくない。

そして辛口では、この時点からは本当に選びぬかれたリースリングだけが、高貴な香りをお花畑のように醸し出し始める。それは、蜜に満ちた雌しべの周りを彷徨うような蜜蜂の飛翔の時を我々に約束するのである。様々な鮮やかな、可憐な、得も知れぬ花が辺り一面に咲き乱れ、媚びることもなく、ゆったりと風に吹かれる情景を思い浮かべる愉悦の時なのである。

蒼い空の下で緑の草原に横たわり、ありとあらゆる色香に身も心も委ね、うとうととして、あるがままに一面の花園に包まれていたい。



参照:
埃被ろうとも侮るべからず
ハークもかなり鉱物的 (新・緑家のリースリング日記)
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# by pfaelzerwein | 2008-03-04 03:09 | ワイン | Trackback

特産品を特別に吟味する

嘗てここにも登場した試飲者が、再び訪ねてきた。既に15時を過ぎている。17時には日本へ帰るフランクフルトの空港で待ち合わせしていると言う。近くのエラーシュタットで、こちらのスタッフと前ワイン街道のワインを試飲購入後の訪問である。

こちらは、リースリングしか勧める気がないので全く別世界の話であるので、そこで購入した三本に想像を巡らし配慮することなく、醸造所に直行した。

予め電話をかけると、お目当てのヘアゴットザッカーは本日発売開始と言うではないか。一週間前の瓶詰めというから、まだまだ落ち着いていないのは周知である。

喜び勇んで、車に同乗して門を潜る。本日は嵐が過ぎ流石に街道で行き交う車も少ない。

さて、試飲室に入り、持ち帰り難いリッター瓶を外して辛口リースリングを試飲する。既に感想を書いていたフォンブールリースリングは素晴らしくなっており、賞賛の声が聞かれる。最後に些か苦味が残るのが難であるが、現時点では果物の苦味の様で問題がない。もしかすると2007年産で話題となる若い種の苦味かもしれない。

その次に勧められたのがムーゼンハングのキャビネットであり、これはグレープフルーツの香りと風味が素晴らしく、酸も活き活きとして有無を言わさず気に入ってしまった。試飲者には少し辛口過ぎると言うので半辛口方面へと方向展開をしようとするが、私が許さない。

そして次に比較として、ヘアゴットザッカーが出される。そしてモモの香りと示唆されるのは、この若い殆ど天然水のような透明な飲みものに、視認の為の色付けをしたようなものである。

そして、現在は最も落ち着いてバランスの取れたキーセルベルクが供される。これが最も試飲者に気に入った様で、流石に前回にもフォン・バッサーマンのキーセルベルクの良さを指摘しただけのことはある。

なるほど、彼は果実風味よりも、むしろこうしたストレートなワインを好んで、あまり柑橘類を好んで食さないことを思い出す。しかし、バッサーマンのそれを一押しで勧めているので、やはりここではヘアゴットザッカーに注目してもらうため、それを一押しした。

醸造所の勧め方は真っ当で流石にプロである。しかし、他の醸造所との比較において、そしてここの実力を思う存分示すためには敢えてそれに逆らった。仮に、二種類のキーセルベルクを比べた場合、バッサーマンの旨味にそれも日本の食生活では間違いなくブールのそれが引けを取ることが分かっているからだ。そう、基本的には米食をして時間の経ったリースリングしか入手出来ない日本の重い大気の中では酸が軽やかに飛翔することが難しいのか、辛口白ワインはどうしても重く沈み苦味を感じる。

それゆえに、酸と果実風味がバランスを取るために有用だとする趣もある。そうなると、個人的には珍重している岩石の味と酸が均衡して果実風味では無くナッツやその他の風味の多い辛口ラインガウのリースリングが、こうしたキーセルベルクの砂を舐めるようなクオーツの味に近い。しかし、砂利とあの千枚岩では味の深さが異なる。

結局、持って帰って貰った、フォン・バッサーマン・ヨルダンのライタープファードの青林檎風味と旨味の乗ったキーセルベルク、フォン・ブールのモモの香りのヘアゴットザッカーの2007年の収穫は、其々あと少なくとも一週間・二週間・二か月ほど寝かして置けば充分に各々最初のピークでそれを確認出来る筈だ。

そうすることによって、プフェルツァーヴァインの特産の最高の特別なものが遠く日本でも確認されるに違いない。どうして、同じ葡萄から、青林檎や桃やグレープフルーツの味が表れるのか?こうした興味だけでもこれほど面白い飲みものは他には無いだろう。

合成された青林檎味の飴やガムを口にするなら、それを「神の手」に譲りたい。醸造学が齎した科学の意味は計り知れないが、アルコールを受け付けない人には残念ながら、ワインの文化的な意味合いはやはり途轍もなく大きい。

さて、そのようなことを思いながらラインヘーレのファインヘルブに続いて甘口試飲を固辞して、最後にその代わり2005年産のペッヒシュタインとイエズイーテンガルテンの二種類のグランクリュを試飲させて貰う。鉄の焼けたような匂いを前者にとやや酸が飛んだあとの苦味を後者に感じてもらって、「日本酒に近い」という感想を聞きながら試飲を終えた。



参照:
微妙に狂った設計図? (新・緑家のリースリング日記)
花園に包まれていたい [ ワイン ] / 2008-03-04
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# by pfaelzerwein | 2008-03-03 00:00 | 試飲百景 | Trackback

エムマ台風の足跡

三月一日土曜日、昨夜からの荒らしが朝に頂点を迎えた。突風が吹き霰が積もった。

各地で九人の死亡が確認されたようである。ミュンヘン空港へ向う日本人のツーリストを乗せたバスが、土手に横倒しになって、乗客6人が負傷し、内一人は重症と言われる。

嘗て災害を齎したキリルよりは弱いといわれるが、瞬間的に雷を伴った悪天候は、被害規模よりも強さが目立った感じがした。



参照:
ZDF
BR
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# by pfaelzerwein | 2008-03-02 05:38 | アウトドーア・環境 | Trackback

階段の踊り場での懐疑

突然、呼び鈴が鳴った。誰も訪ねて来る用事もなく当てがなかった。インターフォンで、「家に興味がある」と言う。

地階の一軒が長く売りに出ているのである。持ち主は誰かと尋ねるので、小雨がちでもあり、「まあ、兎に角、お入りなさい」と言った。

そして直ぐに、手元にある管理会社の住所などの入った書類を捜した。そうこうして、ドアを開けると若い中肉中背のスーツを着た男が立っていた。

一瞬、不動産屋か何かの物売りかと思ったが、本当に売りアパートメントに興味があるということで、電話番号をみせながら「ここに聞いてみなさい」と教えた。「表には不動産屋の電話番号がなかったか」と尋ねると、「よく確認出来なかった」と答えた。

そして、「一体どれほどの広さがあるのか」と聞くで、「小さいが、興味があれば床面積を教えて上げる」と聞くと「少しなら待っている」と言うので、ドアを閉めて再び資料を探してそれを教えた。

一切そのアパートメントには関与していないと言ったのだが、あまりにも色々と情報を与えてセールスするので驚いていたようである。売りが長く出るのはあまりよくない。やはり、需要があるように見えたほうが全体の価値にとって良いのである。

その区画は道路際に寝室があって、夜間は交通量が少ないと言っても慣れるまでは気になるかも知れない。しかし、壁や天井の張りなどは古い家らしい趣があり、リヴィングルームの射す緑葉に散乱した光は充分に文化的である。玄関の階段ホールは広々していて決して悪くないのは繰り返している通りである。

階段ホールと言えば、ルートヴィヒスハーフェンで起きた火事の非公式な中間報告が新聞に出ていた。電気などの技術的な発火原因は否定されて、放火につきものの燃焼性の物質の塗布などもないと断言されたようだ。

そして、火が広がり方は大変ゆっくりとしていて、場合によっては一時間ほどかかって発見されたと言うことである。

更に、重要な証言であったトルコ人家庭の二人の女の子の指す、折りたたみ式のベビーカーの階段下の存在は否定された。つまり、見たとされる放火らしき状況は否定された。二人の子供は現在精神医の観察下にあると言われる。
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# by pfaelzerwein | 2008-03-02 03:52 | 生活 | Trackback

春らしさに素早く反応

d0127795_432381.jpgいよいよ一年程が経つ。昨年からワイン地所を歩くようになって、身近な環境に敏感になった。こうして写した開花も車を走らせ、窓から覗くぐらいではなかなか気がつかない。

これでも少しは外界に気がつくようになったかと思うのだが、一年の成長としてはまだまだ覚束無い。後悔と反省ひとしおなのである。d0127795_495595.jpg

失くしたカードが新発効されて、昨日届けられた。活動的であれば、良くも悪くも何かに遭遇する可能性があり、与える影響も多く反作用も多い。偶々、都合の悪いことに出会っても、ついていないと感じたものである。

しかし、最近は、作用の質を考えるようになり、ある程度反作用の量も計算できるように感じる。慎重という言葉は当てはまらないが、ますます注意深くなってきたことは間違いない。

そうした感覚は、究極の合理的で科学的な反応でもあり、理に適っているように思うのだが、どうだろう。環境に優しいと言うような言葉使いも、その本質は実はここにあるようだ。d0127795_471916.jpg
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# by pfaelzerwein | 2008-03-01 04:10 | | Trackback

索引 2008年2月


まま燃えさせておこう [ 生活 ] / 2008-02-29 TB0,COM0
午前一時の騒々しい夜 [ 生活 ] / 2008-02-28 TB0,COM0
西洋酸塊の棘にやられる [ 試飲百景 ] / 2008-02-27 TB0,COM0
掛け値無しのLA大舞台 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-26 TB0,COM4
計画後のルーティン行動 [ 生活 ] / 2008-02-25 TB0,COM4
裁判所の裏のマンホール [ ワイン ] / 2008-02-24 TB0,COM4
格差是正への熱い圧力 [ 雑感 ] / 2008-02-23 TB0,COM2
場所を定める比較対照 [ ワイン ] / 2008-02-22 TB0,COM2
楽天主義が支配する時代 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-21 TB0,COM2
68年への総括の道程 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-20 TB0,COM2
西日のあたる森の開花 [ 暦 ] / 2008-02-19 TB0,COM2
裏町のパブリックな対応 [ 試飲百景 ] / 2008-02-18 TB0,COM2
松陰の記憶のカーペット [ BLOG研究 ] / 2008-02-17 TB0,COM2
似て非なる地方の名物 [ 料理 ] / 2008-02-16 TB0,COM2
北から張り出してくる寒気 [ 暦 ] / 2008-02-15 TB0,COM0
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14 TB0,COM2
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13 TB0,COM7
牛褒め上手の子を褒める [ 生活 ] / 2008-02-12 TB0,COM0
月謝先払いする酔狂かな [ ワイン ] / 2008-02-11 TB0,COM2
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10 TB0,COM0
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09 TB0,COM2
模範的オルツヴァイン [ ワイン ] / 2008-02-08 TB0,COM0
ブレッツェルピーの脚質 [ 生活 ] / 2008-02-07 TB0,COM10
謝肉祭の熟れた火曜日 [ 試飲百景 ] / 2008-02-06 TB0,COM4
硬くクネーデルンする [ 料理 ] / 2008-02-05 TB0,COM2
誠心誠意批判するとは [ ワイン ] / 2008-02-04 TB0,COM2
引き出しのグラフ配列 [ BLOG研究 ] / 2008-02-03 TB0,COM2
誕生日ワイン会の計画 [ 生活 ] / 2008-02-02 TB0,COM2
袋を抱えた渡り学生寮 [ 生活 ] / 2008-02-01 TB0,COM6

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# by pfaelzerwein | 2008-02-29 20:52 | INDEX | Trackback

まま燃えさせておこう

発生の2003年を2004年と訂正して、その時の火事の記録にリンクを張る。VIDEOを撮影していたのだが、流石に今まで公開出来なかった。

YOUTUBEになど公開するつもりはないが、あの不思議な間隙を伝えているVIDEOを今ここに公開する。既に燃えた家は、そのまま改装されている。

それにしても、あの熱気と木材などが燃えて荒々しく弾ける音は今でも生々しく想う。燃え盛るままに静まっていた町は不気味ですらある。

愉快犯の放火が、病的な傾向をもって、火を放つのも、こうして経験すると、なるほどと分かるような気がするのである。燃えるまま燃えさせておこう。



参照:
子供提灯行列 [ 暦 ] / 2004-11-12
魔に憑かれたような時間 [ 生活 ] / 2005-05-30
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# by pfaelzerwein | 2008-02-29 04:57 | 生活 | Trackback

午前一時の騒々しい夜

二日続けて夜中に目が覚めた。前日は食事の時刻や飲酒の仕方が浅い睡眠を齎したので自業自得でしかたない。しかし昨晩は、八台以上の消防車のサイレンで一時ごろに深い眠りから叩き起こされた。


騙し騙し、近くはないと思っていると、青いちかちかとした非常灯が目に入って起きざるを得なかった。窓から覗くと既に白い水蒸気状の煙が黙々と上がっている。

眠い目を擦り、眼鏡をかけガウンを羽織、再び窓を開けると幾らか煤臭い匂いが強い風に吹かれて感じられた。駆けつける消防車が路地を曲がるときに路上駐車の車を壊す破壊音が聞こえ、更に数台の消防車が駆けつける。

百五十メートルほど先の現場は明るく投光器に照らされているが、煙も少なく、火の手も見えない。鎮火のようだが、シャンペン工場の出荷倉庫からシャンペンの瓶が大量に動かされる甲高い音が続く。

その音を聞きながら風に吹かれていると流石に完全に目が覚めた。結局一時間ほどシャンペンの瓶の音が辺りに鳴りひびき、そして元の静寂に戻っていった。

前回の火事は2004年5月のことであった。今回は小火とは言いながら、こんな小さな町の割には比較的多く火事騒ぎを経験している。さて、ルートヴィヒスハーフェンの九人死亡の火事原因はどうなるのだろう。

結局再び寝付いたのは、夜中の三時過ぎで、朝八時には国際電話を掛けなければいけなかった。本日はグッスリと寝させてもらえるだろうか?
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# by pfaelzerwein | 2008-02-28 03:30 | 生活 | Trackback