二週間の予定を何とかこなして

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久しぶりに旧交を温めた。前回に会ったのが2010年6月であるから七年ぶりであった。暑い一日だったが陽射しが良くて、夕飯はナーヘ川沿いのガーデンで食事が出来た。簡単な食事だったが、ソーセージのグリルで少なくとも涼んだ。

流石に先週から今週と1500㎞以上走ったので疲れた。そして暑いのでパンを取りに行っても走れるかどうか分からなかったが、いつものように峠をこなして、汗を掻いて、三回の試飲会のアルコールを流して、すっきりした。

もう一つ、土曜日帰宅後に留守録音が出来ていたのを知って嬉しかった。但しホームページの時刻表が間違っていて三幕の後ろが切れていた。そのあと番組にヤンソンス指揮のジークフリート牧歌が流されることになっていて、要らぬものはカットしたかったからだ ― 木曜日のミュンヘンからの帰りにはバイエルンの放送交響楽団のペトロ―シカなどが流れていたが、その音楽の稚拙さに、一時間前には聞いていたタンホイザー音楽演奏とのその知能指数の差が甚だ顕著に表れていてげっそりした。それでも必要なのは一幕だけだったので、AUDACITYで録れていたのでそれをそのまま不要な部分をカットして一幕だけに編集した。

それどころか、録音した16Bit4800kHzをそのまま16Bit出力するだけでなくて32Bit floatでも保存した。そもそも24Bitでも録音できるようだが、絶対の確実性からまた生中継でないことそして放送局のネット放送の質からして16Bitでと判断したのだった。実際に生中継での中断はないもののそこで入っていたシグナルとしての電気ノイズが確認された。結果としてはある程度満足できる水準だ。

32Bitfloatで書き出した方が明らかに瑞々しさがあるが、それでもライヴ録音した断片には遥かに及ばない。放送での質がそもそも異なるのだろう。それどころかバイエルン放送にあるダウンロードともそれほど変わらない。如何にミュンヘンからのライヴ放送のストリーミングの音質が優れているかが分かる。それでもAUDACITYは、入力にWASAPIを選択することも可能であり、ハイレゾリューション録音すれば大きな可能性があるのかもしれない。

「タンホイザー」の新制作の7月9日公演は、フェストでのオープンエアーと共にネット放送だけでなくてARTEで放送されることが決定したので、その公演にも大きな期待が集まっている。更にいつものように完全生中継ではなくて、21時45分始まりの録画中継なので出先先から帰宅後に録画し易くなった。



参照:
とても峻別し難いロマン派歌劇 2017-05-27 | 文化一般
先ずは週末までを準備する 2017-05-25 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-05-29 03:47 | 生活 | Trackback

デフォルメされた秀峰の数々

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エミール・ノルデの美術展に出かけた。「グロテスクの数々」と題したヴィースバーデンでの展である。美術館に出かけるのは記憶する限り残念ながら2008年「クラナッハ」以来で十年ぶりかも知れない。今回出かけたのは、いつものように新聞に記事が載っていたからだが、その見出し写真の「マッターホルンが笑う」を見て、記事は兎も角、新たな関心が芽生えたからである。

その自費で製作して金銭収入にしようとしたという絵葉書シリーズから観た。1895年のアルプス登山から、一連のデフォルメされたヴァリスから東部アルプスまでの秀峰が描かれている。当然のことながら、後年のクレーへの影響などは無視できないまでも、同時にこの展のグロテスクと同時に次の時期に突き進むファンタジーの世界そして表現主義へとの繋がりが興味尽きない。

ファンタジー集として集められた黄色と黒の昔話シリーズなどは絵本などでも慣れ親しみのある挿絵のようなものだが、これも表現主義との関連だけでなく、その後の所謂ウェットインウェットという水彩画法つまり絵具を水で流すような方法と固着での作法との関連でも興味深い。

出展数絵画30展、その他80展で、朝一番に入場して待ち合わせの13時前までじっくり見て回り必要な写真も撮ったので、詳しくは改めて纏めたい。

折からの美術館工事で駐車などもう一つ不便に感じたが、朝一番では二三組の入場者しかなく、昼頃になっても無人の部屋で写真等も写せた。日曜日は込んで避けたいと思っていたが、この程度の入場者であればほとんど問題なかったであろう。

エミール・ノルデの作品は、バーデン・バーデンのフリーダー・ブルマ美術館にも常設展示されているということなので ― そこでは2013年の特別展に80展が紹介されて絵画数は多かったようだ、何れ訪問したいと思っているが、今回の展示会である程度その作風を一望できたと感じられた。その点今回は、寧ろ絵葉書など初公開の作品などに関心が向かった。因みにノルデ展がパリで最初に開かれたのは、2008年10月のごく最近のことだった。(続く



参照:
お手本としてのメディア 2008-01-20 | 雑感
情報巡廻で歴史化不覚 2008-10-27 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-05-28 22:50 | 文化一般 | Trackback

とても峻別し難いロマン派歌劇

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ミュンヘンの新制作「タンホイザー」二日目を体験した。今後まだ四回の公演があり、最後のオペラフェスでのものは野外中継且つネット中継されるので、また初日の録音等が存在するので、演出面を加えて音楽面では初日との差異などを中心に先ずはメモ代わりに書き留めておこう。しかし、この作品の本質若しくはヴァークナーにおけるこの創作の意味合い否ドイツェロマンティックにおけるこの創作の意味合いについては触れざるを得ない。

演出面を加えてと書いたが、音楽面とこれを峻別するのは難しい。それは、声楽と奈落にある管弦楽を峻別するのにも似ている。今回の立見席は視覚的には悪くはなかったが、音響的には決して良くはなかった。だから序曲から、その演奏の細かなところも十二分には聞き分け難く、そのテムポも初日よりも遅く感じた。そのような控えめな座付き管弦楽の響きを耳にすると同時に、おっぱい丸出しのバレー団が次から次へと登場するので、我々のような百銭練磨の強者でも、折角の音楽に心が中々回らない。

この演出を観ていると、バイロイトの音楽を邪魔にすると言われたカストロフ演出を思い出さずにはいられなかった。しかしそれに比べると情報量は少ないので、批評にもあったように目を瞑っておけばよいかと言えば、なかなかそうはいかない。何といってもエロスである。

そうこうすると今度はまた誰もが触れなければいられないエレーナ・パントラコーヴァが歌うヴィーヌスの丘の場面で、中々難しい歌を歌うのだが、それ以上に奈落の弦と木管の掛け合いなどが驚くべきバランスで吹いているのを聞いて、初日の放送事故の中継では聞こえていなかったものを確認する。そしてラディオでこそ聞けなかったのは、舞台裏のブラスバンドであり、当然ながらのその位置感でありその音響効果なのだが、愈々巡礼での合唱でのそれは圧倒的で、ここにきて漸く管弦楽団がそれ相応の大きさであり、ロマンティシェオパーとしてのバランスが示されているのを認識する ― 正直そこまではNHKホールの方が綺麗に鳴るのかもしれないが、東京では一幕後に高額席を捨てて立ち去る人も出るのではないかと思ったぐらいである。

しかし、この公演はそれだけでは到底済まなかった。つまり二幕になると管弦楽を抑えた効果が明白になってきて、二場のヴォルフラムの「静かに」の指定のある叙唱の効果などまるで彼のストラ―ラー演出の紗の中で演じられる「シモンボッカネグラ」を思い起こさせる遠近効果が甚だしかった。勿論そのスーパーオパーの歌唱技術が際立つということでもある ― FAZなどではリーダー風に口を開けずと揶揄されている。 

そしてゼンガークリークの場面から二幕のフィナーレへと進むのだが、そこだけについて言及するだけで、論文を二つ三つ書くに充分なほどの内容が示されていた。それは圧巻だった。(続く



参照:
昇天祭のミュンヘン行 2017-05-26 | 暦
先ずは週末までを準備する 2017-05-25 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-05-26 21:42 | 文化一般 | Trackback

昇天祭のミュンヘン行

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昇天祭だった。ミュンヘンに新制作「タイホイザー」二日目に出かけた。それほど暑くもなく、陽射しも手頃で、朝10時に出たので、一時間ほどは道中でピクニックをするつもりだった。しかし、折からのシュトッツガルト21にも絡む工事渋滞で、途中で車を止めて一時間ほど楽譜を勉強するどころか、ノンストップですら一時間前に地下駐車場に入れなかった。ミュンヘンに通い出してから少なくとも新制作シリーズでは開場になってから入るのは初めてだった。いつもは開場になるのを外で待っているのが普通だったのだ。

つまり総計して一時間ほどは渋滞待ちをしていたことになる。休日だからトラックはなかったが、行楽シーズンで交通量が多く、想定外だった。あれほどフランスからの車を見ることも珍しい。よって、ピクニック用の握り飯や茹で卵、ミニトマト、桃などを走る車中で平らげた。車中で身繕いする時間もなかったので、そのまま劇場の地下駐車場に乗り入れた。

ピクニックの余裕をもって10時過ぎに自宅を出発、劇場到着が15時過ぎだった。渋滞は燃費に良くないが最初から経済運転を心がけていたので、100㎞当たり往路8.6L消費、つまり32Lほどの消費だった。復路の下り370㎞はある程度飛ばして、3時間半ほどで一時過ぎには帰宅した。下りに関わらず33Lほど消費した。15時間の旅だった。今回はほぼ満タンで93ユーロ支払ったので、やはり85ユーロほどの燃料費だったろうか。駐車料金が21ユーロなので、交通費は車両維持費を除いて100ユーロ以下となる。

今のところ危惧していたブレーキディスクの警報が出ていない。これに関しては交換までの距離が延びれば伸びるほどお得になる。それは後輪のタイヤにも言えて、雨でもない限りそれほど問題はないので、同じ時に交換するまではゴムを使い切ることになる。双方合わせるとかなりの金額になるので、経済的負担が大分軽減されている。その分ワインに注ぎ込んでいるようなものだ。



参照:
思ったよりも早く失せる 2016-02-07 | 雑感
経済的に降臨するミュンヘン 2015-05-26 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-05-26 16:15 | | Trackback

先ずは週末までを準備する

就寝前に鍵盤で合わせ乍らタンホイザー三幕の変二の音符を見ていると、これは移調楽器でないと吹き難いだろうなと思った。だから半音階的なパッセージを合わせてなるほど楽匠が最後までこだわった意味合いが分かって来た。またはロ長とか五つもシャープが付いていたりしている。

そのような事情もあってかネットにはラディオ生中継を聞いて、木管楽器奏者陣に、それどころかペトレンコ指揮に初めて失望したというのがあったが、なるほどそのように響く原因がこれで分かった。やはり音階を指で押さえることで感覚的に分かることもある。

土曜日には日曜日の中継放送の録音がドイツュラントラディオで放送されるようだ。一幕を録音し直したいが、生憎一日中出かける予定なので、タイマー録音を考える。もしそれで上手くいけば場合によっては今後初日にも再び訪問可能となる。現在使っているストリーム放送用ソフトではスケデュール録音できないので、新たなものを探す。一つ試してみたが、サムプリングレートなどの関係で録音速度が変わってしまって話しにならない。ポップスを録音しているような人はピッチが少々変わっても気にならないのだろう。そこで今まで編集に使っていたAUDACITYを使うことにした。これならばある程度の質のWAVで録音できるようだ。

時間がない中で先週も今週も最低の距離は走っている。気温摂氏18度でも陽が陰っていて、森の中の風はヒンヤリしていた。先週の30度を超える中でのこの冷気は今年の夏の過ごしやすさが出ていると思う。この時期には暑い年は完全に夏らしいが、今年は夜は涼しいので、きっと涼しい夏になると思う。

走りの質は相変わらずだが、一時の不調は乗り越えたかのようにも思う。しかし丁度1年前に歯茎が痛んだように、どうもこの時期になると炎症が進むようで心配である。兎に角、そろそろ今年の夏の過ごし方を考えていけないようになってきた。



参照:
鍵盤の音出しをして想う 2017-05-24 | 音
楽匠の心残りから救済されたか 2017-05-23 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-05-24 19:56 | 生活 | Trackback

鍵盤の音出しをして想う

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鍵盤の音出しをした。合わせて10時間ほど掛かっただろうか。ソフトシンセサイザーを使うのは初めてであり、無料のソフトを使うのだから、なかなか難しい。ネット情報の助けを借りて、先ずは有線で音出しが可能となった。無線の方は、使用しているノートブックがブルートュース4ではないので、読み込まない。そこで昨年購入したアダプターを使ったのだが読み込んでもシンセサイザーソフトSTUDIO ONE3と交信しない。速度が問題なのか何が問題なのかは分からないが、更に研究が必要そうだ。やはり無線でないと気軽に音出しが出来ない。

その他の問題は、出力のサムプリングレートなどを合わせてやらなければいけないので、平素使っている音楽ソフト録音再生向きのアップサムプリング設定を変更しなければいけない猥雑さがある。いずれ新たなノートブックを購入する時までは若干煩わしい。

一番苦労したのは、鍵盤とソフトが交流していても、音を出す方法がなかなか分からなくてリズムボックスだけが暫くは流れていたことだ。そしてオーディオ再生に「音」が欠けていることに気が付いて、ようやくプレゼンスという音の素材のデータベースに行き当たった。しかしそこの楽器のリストを見つけるのにまた一苦労した。

しかしそれら無料のソフトの出来は今まで知っているハードのシンセサイザーと比較して予想以上の出来だった。鍵盤のタッチも悪くは無く、調整も可成り可能なようなので、少なくとも電子ピアノとかエレクトーンとかいうようなものは完全に無用になっているのを実感した。それどころか大きめの鍵盤を使えば専門的にピアノを研究しない限りこれでも充分だと思わせる。少なくとも私が知っているようなピアノの音大生徒程度ならばそもそもピアノなど要らないのである ― かの兼常清佐の有名な「猫が鍵盤の上を歩いても同じだ」という痛烈な皮肉を繰り返しておこう。

少し運指なども練習したいと思わせるほどに、楽譜を読み込んでおけばこのようなピアノでもかなり音楽が出来るのは確かであり、イングリッシュホルンなどの旋律やペダルの無いオルガン程度などはこれで充分に表現できそうだ。

ピッチの調整やその他の音の微調整の可能性も可成りあり、正直音合わせのつもりで購入したが、和音も問題なく響かせて、更に様々な楽器のアーティキュレーションも試してみることが出来そうで、ピアノ譜にあたるというよりもどうしても総譜から弦楽器ならば弦調や奏法などにもどうしても思いが至るので、とても勉強になりそうである。

まさかこうしたことが数千円の投資で出来るようになっているとは思わなかったほどの質の高さであり、やはりこれもデジタル技術の恩恵ということが言えるだろう。そこで作った音をスピーカーで流すと馬鹿にならない音響である。数年前までは小さな携帯用のキーボードを買おうかと思っていたが、こうした形態の方が拡張性があって遥かに高品質なのだ。



参照:
決して民衆的でない音楽 2008-12-09 | 歴史・時事
蜉蝣のような心情文化 2008-05-14 | 文学・思想
GEWA' GEWA' PAPA PAYA 2013-02-11 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-24 02:49 | | Trackback

楽匠の心残りから救済されたか

承前)「タンホイザー」新制作のミュンヘンからの中継を聞いた。前番組で中継事故があったので心配になっていたが、一幕は数十分ごとに二分間ほど中断された。冒頭から数回の中断と放送事故を防ぐためのテープが流れた。そのようなことで二幕、三幕も危ぶまれた。このようなことになるぐらいならば初日を良い席で聞けばよかったとも思った。しかし幸いなことに二幕、三幕は完全に中継障害が無くなって完璧な放送が楽しめた。あれだけの音ならば平土間の良い席と変わらないだろう。

仕方なく一幕はMP3程度のものを二週間ほどダウンロードできるもので補った。だから全体を真面な音響では充分に聞けていない。それでも二幕のフィナーレを聞けば、なるほどいつものように初日では完璧な演奏は不可能だが、上手くいけば初演150年以上経過して初めて「ヴァークナーの心残り」が晴れるかもしれないと感じた。

書いたように一幕を細かく聴いていないので、音楽的な成果に関しては実際に劇場で聞いてみて判断したいが、少なくとも版に関してはこれ程すっきりした解決法は無いと思わせた。一部管弦楽法上の修正はありそうだが、ダウンロードした楽譜からは、今回の演奏のように、なぜ今まで演奏されなかったが理解できないほど、しっくりと決まっている。大きな挿入部分は所謂パリ版と呼ばれるヴィーン版にゼンガークリークでのヴァルターの歌を加える1861年版部分が採用されている。

なぜこの引用がしっくりくるかといえば、所謂劇中音楽のようにあの「マイスタージンガー」のように吟遊詩人風のパロディーであるからそもそも後期のヴィーン版での修正とは関係が無い。歌手の負担などの実際的なことでの短縮と語られているが実際にそうなのかどうかはもう少し調べてみないと分からない。しかし今回の解決法は今後一つの模範になるだろう。それは叙唱風の箇所でも上手に管弦楽をつけていてその後の作風のように違和感が無くなっていたからである。

初日の歌について触れておくと、ハルテロスの歌は情熱にあふれて充分にドラマティックであったが、この歌手のいつものようにリズムが綺麗に取れていないので充分なヴァークナーになっていなかった ― ティーレマン指揮のジークリンデでは目立たないのはそもそもしっかりしたリズムが打たれていないからだ。恐らく苦労してドイツ語も上手に喋り、開演前にホールで生放送に出場するなどの努力は天晴だが、ドイツ語アーティキュレーションを最優先にするばかりにリズムが確り出ていない。外国人の悲哀さえ感じさせるのは、ゲルハーエルが見事にリズムを固持しながらも自由自在にドイツ語のアーティキュレーションを歌い切るのとは対照的だからである。

そのヴォルフラムの歌は二幕でも三幕でもピカイチで、この新演出シリーズの歌でのハイライトであることは間違いない。ゲルハーエルのために作曲されたようだという声が聞かれるが、見事というしかなく、遅いテムポをとっても律動が崩れないペトレンコ指揮と相まって歌の頂点だろう。

タイトルロールのフォークトも予想以上にリリックな声だったが、この場違いのようなタンホイザー役をとてもよくこなしているようで、演技と共に実演で楽しみである。その他、マイスタージンガー再演でポグナーを歌ったツェッペンフェルトのバスも最低音で厳しかったが立派に歌っていた。パンドラトーヴァ共々何回か歌っていくうちに可成りはまり役になりそうだ。

総合すると、ゲルハーエルは欠かせないが、エリザベートは替えが利く配役である。東京では二人とも出ないので、前者の飛車落ちだけで済むだろうか。しかし圧倒的なのは合唱団で、今まで決して悪くはなくても圧倒的な成果を示したことが無かったが今回はベルリンの録音に比べるまでもなく最高級の合唱だった。

終演後のブーイングが激しかったカステロッチの演出に関してはバイエルン放送では評価しており、恐らく理解が高まって評価が高まっていく可能性はありそうだ。これも実演を体験してからコメントしたい。



参照:
1861年版のドイツ語上演とは 2017-05-16 | 文化一般
愈々初日のタンホイザー 2017-05-21 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-22 18:27 | | Trackback

異次元の大ヴィーナス像

承前)少し興奮状態で朝起きした。夕刻の初日の総稽古風景を観たからである。快晴になって横になってはいられない。早くから出かけるとパン屋がまだ開いていなかったのでその前に一汗かいた。まだまだ「タンホイザー」は頭に入っていないが、自身にとっても作品にとっても殆んど初演のようなものであることは、幾つもの演奏の録音を聴いていて分かっている。なぜこの作品の演奏が難しいのか、それともあの頃のヴァークナーの創作の問題なのかはよく分からない。恐らく、バレンボイム指揮の演奏のようにオペラ業界の伝統や慣例の中で上手にお茶を濁しておいた、つまり作品自体が作曲家の最後までの心残りであったことに関係しているのだろう。

ミュンヘンの新演出タンホイザー初日である。バイエルン放送で放送された総稽古の様子を観る。キリル・ペトレンコ指揮の演奏が次元が違うことは何時もの通りであるが、演出も次元が違っているようだ。但し成功するのかどうかは分からない。

ヴィーヌスをパンクラトーヴァが歌うという意味を知った。なるほど考えてみればヴィーナスは美しい女性でなければいけない。だからおばさんが「(今後ともお呼びがかからない)興味がない役柄」ということなのか?兎に角、肉襦袢を着ないでも充分だと思うのだが、「今までのタンホイザーとは次元が違う」ことは間違いないと保証してくれている。それにしてもおばさんのヴァリコフスキー演出「影の無い女」のバラックの妻の歌唱を思い起こせば、今回も立派な歌を演技を披露してくれるだろう、正しく体当たりの「大歌手」である。

それにしても自らフィッシャーディースカウの亜流というゲルハーエルのインタヴューを聞くと、結構面倒なことを語っている。エリザベートのハルテロスなど豪華キャスティングなのだが、どれもこれも一言ありそうな歌手陣で、指揮者は余程ずば抜けた力量が無いと纏まらないことは明らかだ。正しく、現在のミュンヘンの歌劇場でスーパーオパーが上演されている所以だ。いずれにしても、「影の無い女」の演出同様、そこで救済などされなくても、昨日から今日、今日から明日への時の流れがそこに河のように流れ続けているという感覚は共通しているようだ。

午前中にあるバイエルン放送交響楽団の番組の中で先ほど亡くなった指揮者スクロヴァチェスキー指揮のブルックナー交響曲二番が放送される。あのハ短調の響きが魅力的な曲であり,中々名録音が無いので夕刻の予行練習として録音してみようかと思う。(続く



参照:
感動したメーデーの女の影 2017-05-03 | 文化一般
入場者二万五千人、占有率93% 2017-04-21 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-21 19:51 | 文化一般 | Trackback

愈々初日のタンホイザー

承前)バレンボイム指揮の2014年ベルリン制作「タンホイザー」を最後まで観た。楽譜はパリ版のように始まり、結局はドレスデン版の演奏であった。ゼンガークリーグでパリ版に直された部分があったが、古臭いロマンティッシュオパーのレチタティーヴが異様で、それに合わせるかのように三幕のテムポを落としていて長いヴォルフラムとタンホイザーの歌唱が続き、眠気を誘う。

なるほど歌手陣も管弦楽団も立派であるが、指揮者の設定したテムポなどは、この指揮者の常とは言いながら、美しさの反面角が落ちてしまっていてネオロマンティズムのようなものを感じさせてあまり愉快ではない。ザイフェルトの歌唱は、二幕ではまるでトラムプヘアースタイルになっていて馬鹿にしか見えないのだが、三幕では落ちぶれた姿で歌を聞かせる ― 演出の力が大きい。ヴォルフラムの声が威圧的過ぎて、まるでバスのように響く。合唱団がなぜ今一つ上手くないのかは不思議だった。

そのような版でもパリ版のヴィーナスの丘を入れていて、邪魔になるバレーがまるでピーター・セラーズの手の動きなものをひっきりなしにしているようで、バイロイトのカストルフ演出以上に邪魔になる。古典の新たな再生のような演出意図なのかもしれないが、モーツァルトなどのオペラのように扱うのは間違っている。そもそもこの版でこの曲を聴くとどうしても後年の作品群の習作のようにしか聞こえない。

いよいよパリ版にヴァルターの歌などが追加されたような版が楽しみになって来た。一方、ミュンヘンのヴィデオの続きがアップロードされていて、演出に関しては益々分からなくなってきた。演出家カステロッチがおかしなことを語りだしているからである。肉を描くとなるとどうなるのか、それも皮と中身の違いとなると触感が無くなることになる。よっぽど無機的な演出をしようというのだろうか?可成り危ない。(続く)



参照:
「タンホイザー」パリ版をみる 2017-04-27 | 音
様々なお知らせが入る 2017-05-13 | 文化一般
阿呆のギャグを深読みする阿呆 2014-08-04 | 音
RICHARD WAGNER: "TANNHÄUSER" (BR-KLASSIK)
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# by pfaelzerwein | 2017-05-21 01:28 | | Trackback

2015年産のお見事な出来

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二年ぶりのザール行だった。昨年は急遽取り止めになったからである。そして、2015年産のリースリングは、ナーヘだけでなくザールでも偉大な年になっていたことを再確認した。大成果である。他のより日照時間の長い地域に比較すれば2015年陽射しがとても効果があって、乾燥した長い秋が功を奏したのは明らかだった。

なるほどより容易に楽しめる2016年産に比較すると明らかに力が均衡しているのは他の地域とも変わらないが、既に大物ぶりの偉大さを示しているのを確認した。

ファン・フォルクセム醸造所のグローセスゲヴぇックス「シャルツホーフベルク・ペルゲンツクノップ」を初めて試した。2015年は購入したがその出来は分からなかったが、これで確信した。恐らく今までのザールリースリングの中でもトップクラスの出来だと確信した。

あのくゆるほどのスモーキーさと均衡する酸が後に伸びる余韻は、今まで知る最高級グランクリュ、キルヘンシュテュック、ペッヒシュタインやグラーフェンベルクなどの特徴を超えていた。そもそもシャルツホーフベルクはエゴンミュラー醸造所によって甘口としてその存在は知られていたのでそのテロワーに関しては懐疑の方が強かった。しかしこれが示しているのは間違いなくドイツ有数のテロワーであるのだ。お見事な出来というしかほかに言葉が見つからなかった。



参照:
これもリースリングの神髄 2016-01-06 | ワイン
苦み走るようでなければ 2017-02-13 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-05-19 22:40 | 試飲百景 | Trackback

ドイツを代表する花崗岩のワイン

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デュルバッハ訪問は二十数年ぶりだった。片道150キロほどでそれほど遠くはないのだが機会がなかった。高速道路から少し離れていて、谷の奥が行き止まりのような場所であるからだ。何よりも、その土壌が綺麗に反映するリースリングは当時はなかった。

VDPのテロワーを重視する方針から、今回は期待した。なぜならばドイツではほとんどない花崗岩土壌であるからだ。それでも多くの人は未だにバーデンのワインは、その高温の気候やカイザーステユールの火山性土壌から、ブルグンダー種の地域だとか酸が効いていないとか一面的で間違った迷信を信じている。勿論バーデン地方では昔から最高のリースリングはデュルバッハと決まっていた。

さて期待に応えたか?これはVDPの成果と言えよう。これならばもはやコルマールのそれを珍重する必要などは毛頭なくなった。今回訪れたアンドレアス・ライブレ醸造所で、2016年グーツリースリングと樽試飲として「シュタインレッセル」、2015年グローセスゲヴェックス「アムビュール」を試した。それで充分だった。

グーツリースリングでこれほどまでにミネラルを感じさせてもらえれば文句は無い。買えて楽しめるリースリングだ。そしてラーゲンヴァインは更に凝縮される。グローセスゲヴェックスは、2015年の弱い酸ゆえに既に楽しめる。そのミネラルは格別だった。

「アルテレーベン」らとは比較にならないような樹齢とクリスタル成分を含む花崗岩に根を伸ばしたミネラルは喜びである ― 花崗岩岩壁を登るクライマーには分かってもらえるだろうか。一体どこの誰がバーデンのワインは酸が弱いなどといったのだろうか?これ程のシャープさは雑食砂岩土壌のリースリングと並ぶリースリング愛好の渇望の的でしかない ― 細かに拾う手掛かりに刺さる結晶や足掛かりのような研ぎ澄まされたあの感覚である。

幸いなことに2017年産の霜被害も三割方の減産に終わりそうで、これまた期待が出来る。バーデンバーデンから30分ほどで買い付けに走れるので、ぜひ次の機会を活かしたいと思った。

醸造法はステンレスを使った単純なものだが、炭酸なども綺麗に落ちていてとても落ち着いたワインだった。しかし赤はもう一つな作りで、これは仕方ないと思った。


参照:
フランススーパー売りのワイン 2012-10-09 | ワイン
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
体が焼けそうな花崗岩 2014-10-20 | アウトドーア・環境
黒い森の花崗岩を吟味 2014-10-07 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-05-19 22:34 | 試飲百景 | Trackback

プロフィール画像をアップ

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プロフィール欄に画像を入れた。子供が学校で製作した紙切りである。長く探していたが、古い雑誌類を整理していたら見つかった。道理で手紙類や写真アルバムを探していても見つからなかった筈だ。自身のプロフィールにしようと思って探していたのだ。

製作した本人が小学生であるから、かれこれ二十七年前のことである。ブロンドの髪になっているのはその色しかなかったのか何か知らないが、全体的に中々感じが出ているのだ。足の感じや髪の感じなど、小学生の視線は鋭い。

それどころかこうしてよく見てみると、パジャマのようなものを着ていて、内履きに分厚いものを履いている。すっかり忘れていたがあの当時に履いていたものを思い出した。当時は気が付かなかったが、可成りの観察力と子供の記憶は凄い。

あの頃はフライブルクに通う冬の間、毎日のように遊んでいたから当然と言えば当然なのかもしれないが、その当時の写真以上に子供の視線が活きていてとても素晴らしい。シュヴァルツヴァルトの谷間の小学校の図工の課題などと馬鹿に出来ないなと思う。



参照:
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
目前の時を越えた空間 2012-02-13 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-05-18 15:07 | 雑感 | Trackback

教育がナットラン!

床屋に行った。どうも二月以来でまたまた三か月経過しているようだ。子供のころは毎月行っていたような気もするが、こちらでも二月間隔だった筈だ。本当に三ケ月於きになったとすると何かが変化している筈だ。髪の伸び方が遅くなったのか?それとも常時短くするような傾向になっているのか?なるほど最近は美容院なのでバリカンを思い切り入れて貰っているので確かに短いところはかなり短く刈り込んでいる。いずれにしても暑くなると髪が鬱陶しい。今秋は気温が摂氏30度近くになると言われているので、刈り込んでおくと安心だ。

朝一番で出かけたのでヤリ手婆さんに「助っ人はどうなった」と尋ねた。その言葉も可成りのプフェルツァー訛りで恐ろしいが、要は一度は見つけた助っ人は駄目だったので、辞めたということだった。結局口を聞かされるのだが、中々よい人が見つからなくて、需要供給が違っていて、応募する方はネットで情報を交換するから怖いというのだ。

つまり誰かを辞めさせると、直ぐにネットで「あそこの婆」はなんだかんだと書かれて、いいことは殆んど書かれないと愚痴する。つまりお客さんの前で揉めるようなことをするのが経験の無い二十歳から二十五歳ぐらいの子で、教育がナットランという。年代からすると1990年代に育っているのでなんとなくその感覚は分かるのだが、いつの時代も何処でも同じではないかとも思う。

それでも新聞で読んだところでは、職人にへのなり手が無くて困っているというので、現在ならではの問題もあるのだろう。婆は、「インダストリーパン」しか食べられなくなるしということで、これに関しては全くお話しが合うのだ。なるほど婆の主張である「街の美容室」に勤めれば残業も増えるしというのは結構反論になっていて面白かった。



参照:
ヴァレンタインの朝の夢 2017-02-16 | 女
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
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# by pfaelzerwein | 2017-05-16 21:40 | | Trackback

1861年版のドイツ語上演とは

承前)週末はやくざな上演モンテカルロからの録画「タンホイザー」で腹立たしい思いをした。結局三幕まで通して観て、楽譜に目を奪われていて観ていない演出動画は美しそうだが、短縮のヴィーン版というものをフランス語で上演したものと理解した。ヴィーン版とやらを改めて調べないでも良さそうで、そこで上演されているように折角新たなに筆入れした音楽があっても、あのような上演形態と質ならばほとんど何も効果を上げていないことも確認した。寧ろその管弦楽の演奏からバランスが悪いような思いは強く、なるほど死の直前、ヴァ―クナーがコジマに「この世に借りを残したままだ」と気にしていた理由も分かる。あれほどの楽匠でも長い期間をおいての古い作風への筆入れが面倒な課題だったことがよく分かる。

それにしてもあれだけの綺麗な舞台を制作していて、態々ヴィーン版をフランス語上演しなければいけなかった理由は納得できないのだが、最終的には音楽的な趣味の悪さということになるのだろうか。ストッツマンという女性指揮者は歌手として成功していて小澤指揮で最近までアルトで歌っている映像があるが、そのような清潔な音楽が出来るような指揮ではなかった。管弦楽団だけでなくて指揮者にも責任があるのは間違い無さそうで、拍節がはっきりしないでも完全にアンサンブルが崩壊してしまわないのが見事である。それはタンホイザーを歌うホセ・クーラの歌唱も指揮者の責任だけではないのは明らかだった ― 昨年のザルツブルク復活祭で「何を歌っているのか皆目分かっていない」と非難された歌の伴奏がティーレマン指揮だったのも偶然ではなかった。

小節を利かした歌唱をも包み込んでしまうような拍節が無くなるような音楽運びが、所謂「オペラ指揮の妙技」というものなのだろう。このような塩梅だから音楽愛好家はオペラ劇場などというものには足を運べなくなるのである。タイトルロールがマグロのように横たわっているのを見ると村芝居にもなっていない。

うんざりしてそうこうしているうちに、ベルリンでの1861年版らしき上演のヴィデオが見つかった。序曲から流してみたが、流石に座付き管弦楽団でも同じ首都でも流石に質が月と鼈の違いである。バレンボイムの指揮はいつもの通りだが、これは全曲聞いてみなければいけないと思った。

ミュンヘンの「タンホイザー」の新たなヴィデオが公表された。「弓と矢」の象徴らしい。矢に射抜かれるのはいつもタンホイザーらしい。ハープと弓の関係は面白いが、個人的にはやはり矢の運動性だろうか?

ヴィーン版をフランス語で上演するのに対して、ミュンヘンではパリ版をドイツ語で上演するのだという様子なのだが、ベルリンのそれとはどのように異なるのかの方が関心事になって来た。(続く)



参照:
「タンホイザー」パリ版をみる 2017-04-27 | 音
美学的に難しい話し 2017-04-25 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-15 23:53 | 文化一般 | Trackback

モンテカルロのやくざな上演

承前)モンテカルロの「タンホイザー」は偉大な詐欺公演だった。パリ版と銘打ってフランス語上演されたそれはどうも後年短縮されたヴィーン版をフランス語で歌っただけというお粗末なものだったようだ。勿論フランス語の歌詞はヴァークナーが1861年のパリでの上演のために翻訳を依頼して、それに合わせたアーティキュレーションを変えたものがパリ版と呼ばれるようだ。そしてそれがこの上演で期待された訳だが、序曲からヴィーナスの丘へのみならず多数の短縮がある。つまりフランス語に翻訳された箇所も全部歌われていない。そもそも真面にフランス語で歌った歌手は殆んどいないようで、少なくともドイツ語版の楽譜を見る限りヴィーナス役のフランス人だけが真面に歌っている。それでもフランスの評ではスタイルが一人だけ異なると言われているので、なにか楽譜上の問題もありそうで、楽匠が苦心したそれが活かされているようには思い難いのである。

どの歌手も管弦楽もいかにも場末の演奏水準であったが ― 嘗ての首都の関係からかボンの劇場が共同制作しているので、斜陽のボンのみならず連邦共和国の音楽劇場の文化程度の問題が浮き彫りになる ―、フランス語が充分に歌えていないと評される主役の歌の通りに記譜されているとは誰も思わないだろう。

折角録画したのだが、三幕を続けて観てから消去するしか意味がなさそうだ。結局はネットではシノポリ指揮のパリ版だけが1861年版で、それが最も来週演奏されるミュンヘンの「タンホイザー」に最も参考になるようだ。(続く)

色々と言いたいことはあるが、そもそもマフィアのマネーロンダリングなどの泡銭で高度な芸術を期待する方が間違いで、幾ら財力があっても結局は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」のように、カジノ経済などは文化を一切支えない。カジノへの横の入り口から400人の劇場に数十人が集ってのオペラが呆れる。関係者を除くと数人しか物好きが来ていない勘定になる。こんな劇場と関係を結んでいるボンの劇場とは一体どのような劇場だ。

朝の雨の後に峠を攻めた。調子は一向に上がらないが、気温摂氏15度ほどで雷雲の下で汗びっしょりになった。若干胸元も苦しい感じもある。今年初めて初夏の陽射しを感じた。今年は新緑をあまり感じられなかった。このような年はどうなるのか。少なくとも暑い日は今までなく、今日が最も暑い日と感じる位だからである。ここまで気温が落ち着いていると夏も涼しくなるかもしれない。それを期待する。


参照:
様々なお知らせが入る 2017-05-13 | 文化一般
美学的に難しい話し 2017-04-25 | 文化一般
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-14 22:54 | | Trackback

新たなファン層を開拓する齢

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承前)ブルックナー交響曲の版にまでは話は及ばない。しかし三楽章のスケルツォでどうしても、今回は演奏会前半に演奏された変ホ長調のそれを思い起こしてしまうのは仕方がない。ひき続けて交響曲演奏会などに出かけると、どうしても古典派から後期ロマン派と呼ばれる交響曲までの大きな流れの中でしか一つ一つの創作を認識出来なくなってくる。交響曲という形式の宿命であり、それ故にこうした古典的な演奏会形式というものが200年以上の長い期間催されていることの根拠でもある。

抽象的な表現の為には自ずから形式が存在しないことには、創作自体が自己完結することもあり得ないのだろうが、管弦楽団という同じ楽器を使って演奏されることで更にその形式の枠組みが定まって来るということだろう。四分の三拍子であり、三部形式であり、ソナタ形式であり、それが形骸化しても腐っても鯛なのかもしれない。

今回のブルックナー交響曲四番の演奏はやはりヴィーナーホルンに否応なく耳を傾けることになるのはそのホルン主題からして致し方ない ― そして初めて補強のホルンが第二ホルン者とソロホルン奏者を囲むようにして、テューバの横に座ることを知った。前回この曲を聴いたのはサイモン・ラトル指揮ベルリナーフィルハーモニカ―の演奏だったが、流石にピッチの高いヴィーンの響きは華やかで、ベルリンの抑制の効いた音響とは対照的で ― ラトルはマーラーよりもブルックナー向きのデジタルに媒体する指揮者だと思うが ―、作曲家は本当にこんなに派手な音響のバロックオルガンのようなものを想像していたのかと思った。調性の関係もあるかもしれないが、前回八番ハ短調をメータ指揮で聞いたときは感じなかったのはなぜだろうか?

ブロムシュテットの指揮はここでもとてもリズミカルな軽やかな足運びで驚愕するしかない。あのよれよれリズムのヴィーナーフィルハーモニカ―がこれ程軽やかなリズムを刻むのを聞いたことが無い。2013年に85歳でヴィーナーフィルハーモニカ―定期公演デビューというが、オペラ指揮者でないからヴィーンに呼ばれることも少なかったのだろう。

当夜は七割ぐらいの入りだったので、前半に目星をつけておいて、二階正面バルコンの前から数列目の真ん中近くに座ってみた。左右は分かっているが真ん中は初めてだった。ブルックナーの場合には想定通りその音響効果は大きく、テューバとトロンボーンを挟んで右にトラムペット、左にホルンの掛け合いはステレオ効果満載で、作曲家はどこまで意図したのだろうかと感じさせる。勿論右奥のヴィオラの旋律が圧倒的で、これも管などとの合いの手がとても効果満点に聞こえる。

さて、今回演奏された1878/1880年版と呼ばれるファクシミリ整理番号19476はハース版として手元に東独ブライトコップ社のものと同一である。しかし細かく見ると二楽章の強弱などは手書きには今回演奏されたように書かれているようだ。指揮者ブロムシュテットはファクシミリを参考にしているのか新しい校訂版を参考にしているのかは分からないが、可成り調べて正確に演奏しているのは間違いない。リズムをはっきり明確に切っていて、16分音符のスピカートが動機を刻むようにつけられていて、ブルックナー動機のゴリゴリした動機の形状が音化されている ― まことに残念ながらブルックナーを得意としたカラヤン指揮ではリズムが暈けてしまって全くそのようになっていない。当然のことながら弱拍に付けられたアクセントなどがとても活きる。

そのように主旋律と対旋律や動機などの組み合わせがとても上手く噛み合っていて、これが座付き管弦楽団の演奏であったことを忘れさせて見事というしかない。当然ながらスケルツォの躍動感も驚くほどで、同時にテュッティーでもギュンター・ヴァント指揮のように音像が野放図に解放されてしまうことが無くコントロールが効いていて多声の造形が崩れない。気になっていたルバート気味にトュッティに移行する傾向はブルックナーの場合は殆んど全休止の意味と同じように使われているような感じで上手く嵌まっていた。

そのような指揮のお陰で ― 真ん中の席のお陰だけでなく ― ブルックナーの交響曲における声部間の掛け合いや合わせ方がとてもよく分かる演奏だった。一般的な評価のように必ずしもブルックナーの管弦楽書法が不器用なだけとは言い切れず、ヴィオラの中声部の活かし方やファゴットなどの残留音などなるほどと思わせた。

そして、最終楽章のフィナーレコーダに至るのだが、これが如何にも後年の曲に比較するとストンと終わるのは良いが物足りなさを感じることになる。それでも、前記した金管楽器の掛け合いなどはとても「見応え」のあるものだった。このコーダーを含めて全体的にこの版の形でそれなりの均衡は保っているというのがこの版に関する感想で、これ以上制御の効いたシックな演奏となると前回のラトル指揮ベルリナーフィルハーモニーの求心的な響きしか対抗できないと思った。

最後に付け加えておかないといけないのは、当日の会場は今まで見たことが無いほど押し車などの補助無しに動けない爺婆たちが来ていたことだろう。売れ残りがあったので、身障者に券を配ったかどうかは分からない。しかし少なくとも90歳になろうとする同年輩の爺さんの指揮姿が健康への動機づけになることは間違いなく、この指揮者には新たなファン層が開拓されるのを感じた。秋にはゲヴァントハウス管弦楽団とのブルックナーの第七交響曲が楽しみで、出来ればまたヴィーナーフィルハーモニカ―でも聞いてみたい。(終わり)



参照:
ブルックナー交響楽の真意 2017-05-08 | 音
聖金曜日のブルックナー素読 2017-04-15 | 暦
モーツァルト:交響曲第25番/バーンスタイン=WPh (Zauberfloete 通信)*
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# by pfaelzerwein | 2017-05-14 00:28 | | Trackback

様々なお知らせが入る

戦後西ドイツを代表する音楽評論家ヨアヒム・カイザーが亡くなったようである ― アドルノやシュテュッケンシュミットはについては今ここには含めない。詳しくは改めるとして、確かにエッセイストとして文章は上手いが ― 吉田秀和よりはましかもしれないが ―、なぜか音楽評論というのは美学的に程度が低い。その理由は分からない。結局文章の上手さではなくて技術的に本質にまで迫れる才能が居ないからだろう。また再現芸術が評論の対象になってしまっているので創作の機微に中々触れることが出来ていないというのもあるかもしれない。

漸くミュンヘンからお便りが来た。「タンホイザー」新制作初日へのお知らせである。週末には先駆けのお披露目マティネーが開かれる。総稽古の準備が出来たということだ。先ずは版の説明があって、これはパリ版採用なのだが、それのドイツ語版としてのヴィーン版に準拠しながら、更に遺言に忠実に従うということだ。つまり1861年版をドイツ語化してゼンガークリークの場面のヴァルターの歌などが補正されるということなのか。新しい響きを生かしヴィーナスの丘の場面の強調とそれに見合った修正が採用されて、短縮されないということなのだろう。

それに演出家は金の円盤を象徴的に取り入れて、日の出などタンホイザーの覚醒の度に表れてくるようで、仏陀の後光のようなものらしい。正直成功するのかどうかは疑わしいが、フォイヤーバッハの肉欲からショーペンハウワーの救済へと根拠は充分に用意されている。言うなればそもそものロマンティッシェオパー題目自体がヴァークナーの最終的な創作意図に合わない。要するにドレスデンでの初演を終えた後の楽匠自身の変遷そのものである。

この週末に「タンホイザー」のお勉強を一通り終わらせないと時間が無くなる。場末のオペラ劇場モンテカルロからのネット中継録画を観始めた。最初の生中継の時はこれはどうしようもないと思ったが、なるほどユダヤ人女性指揮者の無理な指揮や歓楽地の管弦楽団にはうんざりしながらも、とても価値のある上演であるようにも感じだした。とても貴重な記録で誰も見る人がいなかったのか殆んど完璧に録画できたのが幸いだった。

SWR放送交響楽団からプログラムが届いていた。シュトッツガルトとは関係はなくもなかったがバーデンバーデンとのような関係にはなっていなかった。だからなぜ届いたか分からなかった。中を見るとなるほど仲間が指揮をしている。最近はメールも来ていなかったので分からないが、他の関係ではないと思う。中を見て面白いのは、新しいメムバー表で、先ずは横滑りして合弁した形になっていて、両放送交響楽団が合わさった形になって総勢170人以上のメムバーである。どのように削減していくのかは知らないが、何年かのうちに普通規模になるのだろう。恐らくドイツで現時点で一番大きい管弦楽団だろう。

亡くなったと言えば先日名クラリネット奏者エドアルド・ブルンナーの訃報があった。一時は最も有名なクラリネット奏者だったと思うが、そのレパートリーなどから個人的にはあまり興味がなかった。バーゼル生まれのスイス人で享年77歳あった。



参照:
老練の老齢なレトリック 2008-10-22 | 文化一般
時代の相対化のサウンド 2015-12-08 | 音
時間の無駄にならないように 2017-05-09 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-12 20:12 | 文化一般 | Trackback

現時点最高の2015年リースリング

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先日購入した「ハルガンツ」を開けた。これはグランクリュ「ハレンベルク」のセカンドワインとなる。2015年のこれは昨年の秋の試飲会でも評価は高かったが、結局「フリュータウ」を購入した。理由は、そのファーストである「フリューリングスプレッツヒェン」が買えなかったからである。結局そのフリュータウも殆んど飲み干したが、若干物足りなさを感じて来ていた。

そこで今回これを試飲してお客さんが皆気が付いた。2015年の「ハレンベルク」は偉大だったと。三本は購入しているので先ずは安心だ。業者に買い取られてしまった「フリューリングスプレッツヒェン」よりも「ハレンベルク」の方が価格相当に価値があるということだろう。

そして今回購入したセカンド六本は素晴らしい。若干こなれて来るのが早いぐらいだが、力の均衡は最近にはないナーヘリースリングで、20年ぐらいはヘコタレないかもしれない。名前が示す通り、「ハレンベルク」だけでなくレープホルツ醸造所の「ガンツホルン」を想起させても恥ずかしくないリースリングである。

先ず何よりも酸が綺麗に熟れていて、酸が突出するどころか旨味がある。最高の酸であり、暑い夏の力強さに拮抗しているので、驚くべき軽やかさと丸みがあり、静けさまであるリースリングである。パイナップルの香りもしゃしゃり出ることなく、均衡があって、ワインらしいワインである ― 残念乍らコルク臭で香りは判断が出来ない。それでも現時点では2015年産リースリングの最高峰であることは間違いない。

その前に2016年「ミネラール」を開けた。これは当日お披露目だった2016年産の中で「ハルガンス」に続いて最も味が確りしていたもので、価格差ほどの品質差はなかった。要するに2015年の「ハルガンツ」と2016年の差が甚だ大きいということになる。若干お茶を濁す形になったが、2016年のグローセスゲヴェックスの為にも自宅でゆっくり賞味したかったのである。

結論からすると、どれもこれも塩気の効いた「アウフデアライ」以外はそれほど魅力はなかったのだが、「フリューリングスプレッツヘン」のミネラルの清々しさが熟成を期待させたというぐらいである。つまりこのミネラールもリンゴの香りや土壌感は強く出ていても、酸が弱いので苦みとして感じる位で、本当のリースリングの美味さがあまり感じられない。

それでも先日購入した南仏のロゼから飲み変えるとなんともおいしく香り立つ自然の恵みだと感じさせる。若干の押しつけがましさを厭わなければ一本14ユーロのこれでも充分に楽しめるのである。如何にドイツのリースリングがフランスのワインに比較して高価で高品質になったかは言うまでもない。少なくとも白に関しては比較の対照ではなくなってしまった。恐らくEU内でのマーケティングを含めてフランスの方が動いてくると思う。



参照:
2015年産の売れ残りを購入 2017-05-07 | 試飲百景
検問逃れの試飲会帰り 2016-09-11 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-05-12 01:16 | ワイン | Trackback

「白鳥の歌」は常動曲の主旨

承前)ブルックナーの交響曲の前にモーツァルトの交響曲を置いたプログラムであった。90歳になる指揮者ブロムシュテットは、この組み合わせで方々で客演しているようだ。来シーズンもベルリンで同様なコンサートを行うようである。秋にも生誕九十歳記念として、極東ツアーの前に、欧州ツアーの一環としてバーデン・バーデンにもゲヴァントハウス管弦楽団と演奏するが、その時はメンデルスゾーンの協奏曲とブルックナーとなっている。九十歳記念に世界旅行をするというのは聞いたことがあるが、30日ほどの間に各地で20回ほどの演奏会を指揮するなどは聞いたことが無い。

そのモーツァルトの交響曲の演奏自体がとても生半可なものではなかった。ラディオ中継でも聞いたように何よりも細部まで目が行き届いた指揮を心掛けていて、それをヴィーナフィルハーモニカ―も無視できない形にはなっていた。その39番変ホ長調の妙は、天才作曲家モーツァルトのセンスの良い、細やかな筆使いにあると思う。そうした細かな筆入れとか、その前後の楽章を睨んで記譜している時の細かな動機の扱いやアクセントやフレージングの妙が感じられるときに、私たちはこの天才作曲家の実体に初めて触れる気持ちがするのである。

モーツァルトの「白鳥の歌」と呼ばれるこの交響曲を読み込む文字通り暗譜する90歳になろうとする指揮者にとっては、当然のことながらそうした芸術的な動機付けが無し通常の管弦楽団レパートリーとしての演奏会など出来る筈がない。そうした隅々に亘る配慮がなされていた。なによりもスケルツォなどでもテムポがしっかりと弾むのが素晴らしく、その指揮ぶりを見ている限り二十歳代の指揮者でもこれ程生き生きしたリズムを刻めるだろうかと思わせる。

更に立派なのは終楽章の繰り返しが確りと常動曲になっていたことである。全ての繰り返しを行っているのはもとより、スケルツォのリズムに続いてこうして終楽章の最後で元に戻ることで初めて納得させられるものは可成りこの曲の本質である。因みに模範的な演奏であるカール・ベーム博士の演奏は常動曲にもなっておらず、スケルツォは固いリズムで遅い。勿論キリル・ペトレンコのモーツァルトのように表情がついたジョージ・セル指揮と比べても遥かに純音楽的であるのは言うまでもない。

「白鳥の歌」と呼ばれて室内楽版などが19世紀にはとても売れていたようだが、この常動曲にはチャイコフスキーの五番の終楽章や悲愴交響曲の三楽章に匹敵するぐらいの終結感とその続きの関係が感じられる。常動曲の主旨は、チャイコフスキーの「白鳥の歌」とは異なるが、「フォアエヴァー」効果である。

先日ツィッターを見ていて、「進歩などはない」という安易な反進歩主義観が引用されていたが、なるほど啓蒙思想花盛りの19世紀的な、音楽で言えば「魔笛」の、「今日よりも明日の自己の方が啓蒙されて居る」という進歩はないかもしれない。しかし、例えば2013年のミュンヘンでの「影の無い女」新演出上演の「明日が今日より良くなるかどうかは分からないが」少なくとも不可逆な時間軸に沿って「前へと一歩進みでている」ことには間違いないのである。

もしそうした不可逆の時間軸を無視するとすれば少なくとも上の常動性などは意味を持たなく、そもそも音楽などは芸術でもなんでもなくなってしまうことだけは間違いない。(続く




参照:
鼓動を感じるネオロココ趣味 2017-04-10 | 音
天才の白鳥の歌と呼ばれた交響曲 2017-04-29 | 音
感動したメーデーの女の影 2017-05-03 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-10 22:17 | | Trackback

身を焦がすアダージェット

承前)日曜日に録音したキリル・ペトレンコ指揮フォアールベルク交響楽団演奏マーラーの第五交響曲を流している。不思議なことに繰り返し聞くと目立つ筈のあらよりも音楽的な構成や作曲の真意が聞こえて来る。更に不思議なことに繰り返し聞いているうちに実況録音の音質まで改善されているように聞こえる。放送の時よりは録音したものを再生する方がアップサムプリングされていることはあるが、繰り返すうちに改善される理由は無い。あり得るとすれば再生するときの音量などが適格に設定できるようになるからだろうか。しかし技術的には、同じファイルを再生するのでPCにキャッシュとして上手に残ることで、HDDとの受け渡し時の読み取りエラーが減るということだろうか?

この交響曲の演奏は、東京公演や台北公演に先立って、6月6日にミュンヘンで行われされて中継放送されるので、詳しくは改めることにする。それでも行進曲の密なテクスチャーのところの見通しや普通は余りに技巧的になって音楽的な意味を取りにくい箇所もとても音楽的に処理されている。今までテンシュテット指揮のものも含めて何度か実演でも聞いている曲であるが、バレンボイム指揮パリ管やシカゴ交響楽団よりもあの圧倒的なショルティー指揮のそれを想起させるのが面白い。それほど徹底して微に入り細をうがつ ように指導しているからで、超一流の管弦楽団でなくても楽曲の本質に迫る技は今までの経験の賜物だろう。弦合奏が充分に芯のある音を出せないでも誤魔化しをしていないことで成果を上げている。流石に管楽器などはソロが怖いので助っ人がボーデンゼー沿岸から集まってきたようで、芯を形作っている。

そして鬼気迫るような指揮のアダージェットは、殆んどあのバーンスタイン指揮を想起させるが、どんなに強く歌い込んでもリズムが滞らないので、今まで聞いたことのなかったような焼けつくような愛の歌になっている。恐らく今まで演奏された中で最も燃え上がる歌ではなかったろうか。終楽章ロンドにしてもチェリビダッケ指揮のように拡大鏡で覗くようで、バレンボイム指揮ではなされ得なかったことがここで実現している。それでも殆んどのユダヤ系指揮者がフォームを崩して独墺系の聴衆に嫌悪されるようなグロテスクにはならない。とても清潔で清々しく客観的な面を決して失わない。そのテムポ設定に関しては6月に再び検証してみないといけないだろう。

「若人の歌」で感じた特別な雰囲気は、ここでもいつもの客演の枠を超えないながらも、必死で棒を振ってテムポが甘くなりそうなのを鼓舞している様子が聞こえる。「故郷の管弦楽団」でなければ業界基準として下手な演奏がキャリアー上で不利になるようなこの程度の管弦楽団では指揮をとらせないのだが、多感な時代に「労働移民」の父親がそこで弾いていた裏側を見ていた天才指揮者としては尋常ではない思い入れがあるのは当然だろう。そうしたあらゆる要素がマーラーの交響曲の隅々にまで表現されていて、そうした要素が、通常はどんな名指揮者でも音符と格闘するだけに終わっているものが、過不足無く過敏に表現されいたのがこの演奏だ。



参照:
ストックの石突きを購入 2017-04-30 | 生活
入場者二万五千人、占有率93% 2017-04-21 | 文化一般
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-05-09 18:06 | | Trackback

時間の無駄にならないように

週末は天候が悪く、重い空気の中で汗を掻いた。相変わらず調子が出ない。毎年この時期は運動能力が落ちている。理由は分からない。

キーボードを発注した。25鍵盤のMIDI鍵盤である。二オクターヴで和音を鳴らすには充分だろう。従来使っていたROLANDのシンセサイザーにMIDI変換ケーブルで繋げるかどうかは分からないが、ブルーテュース仕様なのでUSB以外にも電池で電源を取っている。

ケーブルが無く、膝の上に乗せても音が出せるのは嬉しい。PCのソフトシンセサイザーを使ったことが無いので真面にハモるような音が出るのかどうかは分からない。それほど時間的なずれはないということなのでストレス無しに使えるのではなかろうか?なによりも紐付きではないので、必要な時だけ手元に引き寄せるような使い方に向いているのではなかろうか。

もう一つ良さそうなのがLINUXでも使えるということで、将来性もあるような気がした。

音楽のお勉強もこれで再び歌劇「タンホイザー」に戻ることになる。初日まで二週間を切ったが、まだ公式のお知らせが出てこない。産みの苦しみがあるのだろうか。

ハムブルクのエルブフィルハーモニーの来シーズンのカレンダーが発表された。結局昨シーズンと変わらず態々出かけるまでのものは、ニューヨークに飛ぶ前のキリル・ペトレンコ指揮のコンサートしかなかった。そしてそれも、忘れていたが、バーデン・バーデンでの舞台神聖劇「パルシファル」の初日が重なっている。あとは態々遠くまで出かける必要のあるそうなものは皆無だった。精々クリーヴランドの交響楽団演奏会ぐらいである。フランクフルトのアルテオパーのカレンダーを見ると殆んど同じようなもので、如何に非芸術的な興業こそが商売になるかということしか感じさせない。ケント・ナガノは盛んにコンサートを振る機会が与えられているようだが、座付き管弦楽団を幾ら振っても詮無いことである。

お陰で無駄な交通費も掛からない、動かないことで環境も守れるので助かる。なによりも時間が無い。年に三回ミュンヘンに出かけて、バーデンバーデンに数日出かけるだけでも、お勉強している時間が無い。なんら準備せずに出かけていたものの多くが忘却の彼方に行ってしまっていて、プログラムなどを発見しない限りすっかり忘れてしまっているものが多いのである。如何に無駄な時間と金を費やしたことだろうと反省するのである。

以前はそれにアルコールなどをオペラや音楽会前に引っ掛けていたものだから、まさに娯楽つまり時間の無駄でしかなかったのだ。そのような時間があるぐらいならば生産的ではなくとももっと快い時を過ごしたいものである。



参照:
復活祭音楽祭のあとで 2017-04-13 | 生活
復活祭音楽祭の記録 2017-01-21 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-08 22:36 | 文化一般 | Trackback

ブルックナー交響楽の真意

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ブルックナー交響曲4番「ロマンティック」を聴いた。今年90歳になるヘルベルト・ブロムシュテット指揮ヴィーナーフィルハーモニカ―の演奏だ。19世紀後半を代表するブルックナーの交響曲は、その後のマーラーの交響曲に比較すると、今でも世界的には充分に理解されていない。理由ははっきりしているのだが、それよりも先にブルックナーの本質的な要素に触れたのがいつものようにシマンスキー氏の公演前のオリエンティーリングだった。

第九番のときにもそのスケルツォをして、蒸気機関駆動としてのイメージを挙げていたのだが、同じ主題の交響曲を書き続けたこの作曲家の場合、当然ながらそれを遡る形でここでも産業革命時代を代表する交響作曲家としてのブルックナーを読み解くことになる。しかし、当然ながらそれだけではないのは当然で、まさしくこの交響曲四楽章コーダーに、一挙に再起する主題群つまり、弦のトレモロの機械のカムの回転音、ホルンの日の出、呼び出しの主題と各々が三位一体をなしていることになる。

自然主義の日の出や鳥の囀りなどは、ブルックナー自身が当時の聴衆に説明した霧の中に浮かび上がる中世のお城の騎士の世界や狩りのホルンのロマンティックな夢想と決して相性は悪くが無いので、比較的馴染みのある純粋音楽へのイメージであろう。しかし、呼び出しの主題、つまり第一楽章でのホルンの響き自体が呼び出しであり、ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」とあまり変わらないことになる。その後半の三連符の上昇もまさにそのものとなる。そして何を呼び出しているかになるのだが、この作曲家のスヴェデンボルグ同様に神との遭遇を記録している神秘主義で密教的な書付けから、それは明らかとなる。つまり本人のビーダーマイヤーの世界観に訴えかけた解説では充分に言い尽くされていない部分である。

しかし恐らく一番問題になるのは、産業革命後の蒸気機関の響きがどこまでメカニックな形でこの交響曲作家の音楽主題になっていたかということであろうか ― それがなぜベートーヴェン的な動機処理ではなくなるのは容易に理解できるであろう。マーラーに至っては市電に乗り続けていた所謂てっちゃんであったことは知られているが、寧ろ音楽的にメカニック的なところはブルックナーの交響曲のようには目立たない。勿論ブルックナーの創作過程を見るときには、同時に例えば「タンホイザー」におけるヴァークナーとその後の「ジークフリート」のかなとこの音楽などを並行して観察することが助けとなるに違いない。つまりこの交響曲が作曲されたときにはまだまだヴァークナーはそこまでの近代的な創作をしていなかった。

いずれにしても産業革命の蒸気機関に代表される圧倒的な力こそが、密教的な感覚からしてもカトリック信仰の見地からしても、最も重要な時代の鼓動だったことには間違いない。そのメカニズムもエンジニアリング的な発想であればあるほど本質的となる ― それはコペルニクス的な発想に近いかもしえない。そうした意味で、ブルックナーの動機の扱いこそがデジタル的であり、アナログ的なマーラーの主題とは対照的とする考えは半世紀ほど前からよく知られていたが、それは強ち間違いではないであろう。(続く



参照:
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-05-07 22:29 | | Trackback

2015年産の売れ残りを購入

ナーヘのシェ―ンレーバー醸造所に試飲に行った。例年は秋に行くのだが、今年は都合が悪そうなので、予約価格でグローセスゲヴェックスを注文出来ることでもあり、先ずは駆けつけた。ジュニア―の家族が増えたこともあり立派な新居が出来ていた。所謂二世代家族が同じ敷地に住むという日本にあり勝ちな家族環境である。流石に屋根だけは別になっている。未だに先代が醸造所で権威を保っているからだろう。

その先代に霜被害の話をすると、「それは止めて2016年を楽しもう」と言うので、そのダメージの大きさを窺い知れた。実はその前に先代の奥さんと話していて事情はよく分かっていたのだ。斜面御中腹がやられていて、ハレンベルクは全滅している。そのあとの芽が果実をつけるかどうかは分からないという。バーデン・ヴュルテンベルクでは、ワインと果実栽培の被害を補償するとあったが、ランプファルツも珍しいほどの大きな被害となったようだ。

先代の奥さんに歓迎ゼクトについて尋ねると、最後の瓶詰め以外は完全にシャンパーニュ方式であることが分かった。するとその価格が極安であることが分かって、二本購入しておいた。じっくり一本呑んでその評価をしてみたい。

我々のすることは、いいワインを早めに購入しておくことで、少々財布のひもを緩めても購入しておくことが、業者に儲けさせるのではなく、醸造所も助けることになるのではなかろうか。さて、2016年の出来はどうだったか?

正直、酸が効いていない。水っぽく、想定したような果実風味も少ないのはナーヘでは仕方がないのかもしれない。そこで見直されたのが売れ残っていた2015年産である。この日のヒット商品は、2015年「ハルガンツ」だった。昨年の秋の試飲時にはまだ買えなかったが、こなれて来ていて、その濃くが素晴らしく、殆んど「ハレンベルク」のように楽しめる。二年ぐらいかけて楽しむか、購入してした「ヘレンベルク」のパイロットワインとなろう。

それに比較すると、2016年のそれは水っぽく中抜けしたような塩梅だ。酸も薄く、飲み易いが本当に楽しめるリースリングとはなっていない。それ故にどちらかというと、「ミネラール」や「ハルガンツ」、「ハレンベルク」の方が「レンツ」や「フリュータウ」、「フリューリングスプレッツヘン」よりも楽しめる。逆に力が弱いので、樽試飲の「フリューリングスプレッツヘン」のミネラル味は、開花した時の楽しみを期待させた。その意味ではオークションワインの「アウフデアライ」における塩味は秀逸だった。

総論すると、ナーヘにおける2015年は決して悪い年ではなかった。酸も充分で、下位のワインでも将来性がある。逆に2016年は上位のワインでもそれほど長い保存は考えない方が良いワインである。

ザールから来た夫婦と最後まで話していたのだが、ザールワインよりもデーノッフ醸造所の方が美味いということで、またファン・フォルクセム醸造所が2013年以降良くなったことも知らなかった。灯台下暗しのようである。

何時ものアールのアデノイヤー醸造所の最高級のGGシュペートブルグンダー2012を飲ませてもらったが、初めて満足のいく赤だった。上の夫婦はナーヘの赤には懐疑的だったが、これは出汁に合う赤ワインと理解した。33%の樽以上にシーファーの味がにじみ出していた。



参照:
検問逃れの試飲会帰り 2016-09-11 | 試飲百景
雨のナーヘの谷を回遊 2014-09-14 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-05-07 05:31 | 料理 | Trackback

LEKIの皿留め部品を入手

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シュヴァルツヴァルトに発注していたLEKIの部品を入手した。早速ストックに嵌めてみる。先ずは一番細い内径10ミリの留めを差し込んだ。予想に反して、恐らく力を掛けて差し込んでも3㎝ほどしか刺さらないようで、皿から下がそれだけ短いと雪渓でも使い難いのではないかと思った。勿論冬のスキーには口径の大きな皿を付ける予定なので、これではほとんど役立たずで、雪面に先端だ刺さらない。

次に一番大きな11ミリ径のを差し込んでみる。これは予想通り、8㎝ほど上で固定されて、皿から先端までがあまりに長過ぎて、これまた先端が刺さり過ぎる若しくは皿が殆んど用をなさないことになる。

そこで真ん中の10.5ミリ径を差し込むと、先日購入した先端付きのものとほぼ同じ先端から5㎝ほどのところに皿が固定されることになる。また、以前使っていたものもほぼその位の位置に皿が付いていたので、先ずはこれで良いだろうと思った。

意外な結果で、最初からこの大きさだけを選定することは不可能だった。三つを同時に発注したのは正解だった。さて、同時に発注した夏のアルプス用の皿は62ミリ径で、以前アルパインスキーで使っていたものに近い。普通の山靴で歩くような積雪ならばこれでも充分だと思う。

さて肝心の重量は、留めプラスティックが約2グラム、皿が約6グラムで、想定を可成り下回り、ストック共々240グラムにしかならない。つまりLEKIの通常のものよりは軽く、今まで使っていたものよりも6グラム軽量化している。

更に良いのは皿が回転しないので、立ちながらで、皿を使って作業が出来ることだろう。勿論冬のツアーになると、そこで締め具の登行補正角度を変え易くなる。今までは面倒だからあまり変えられなかった。そして深雪の為に大きな皿に付け替えられる。重量も軽量化が果たせるので、投資の価値は充分にあったと思う。

新品を購入すればそれで終わったのだが、カーボン素材の方が折れるときは折れやすく、それほど目立った大きな傷がないアルミ製は簡単には折れ難いと考えた。先ずは夏山で思う存分使いたい。



参照:
ストックの石突きを購入 2017-04-30 | 生活
スキー場をかすめるツアー 2017-02-27 | アウトドーア・環境
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
ドロミテ行備忘録四日 2006-07-25 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-05-05 18:45 | アウトドーア・環境 | Trackback

芸術の行つくところ

新聞に新しいドレスデンのコンサートホールが紹介されている。旧民主主義共和国文化宮内のホールが、ワインヤード型に一新されたようである。多目的に使われるようだが、ドレスデン市の名門フィルハーモニーカーがそこを本拠地としているらしい。そして興味深いのはエルプフィルハーモニーのそれとは正反対の音響を備えているということで、ユリア・フィッシャーのソロと管弦楽団は分離して聞こえても、全奏となるとプルームになるらしい。そもそも上手な管弦楽ではないのだから演奏が下手なのか、はたまた会場が悪いのかは分からないのではないか。所謂19世紀の和声の響きを美しく導き出すとすれば、現存の指揮者としてはハイティンクなどが有名なようだが、管弦楽団が超一流でなければただの場末のバンドになってしまうからどうしようもないのではなかろうか?

フラッターエコーなども目立つということで調整は必要であり、土間席では頭上を音が過ぎていくので、ベルリンのように舞台の高さを低くしなければいけないと書かれている。現在の指揮者ザンデルリンクは契約を延長しないことには変わりない。その名前の親父のインタヴューを偶々見た。エフゲニー・ムラヴィンスキーについて語るインタヴューである。キリル・ペトレンコの指揮台に落とされる視線を見ていてどうしてもムラヴィンスキーの指揮ぶりが気になったからである。そしてチャイコフスキーでも譜捲りをしているのを見て、全く同じだなと思った。執拗に練習する時間もとれたのであり、それだけの権力を持っていたのだから、その芸術の行きつくところが恐ろしい。

そのペトレンコは、来シーズンベルリンでプロコフィエフの協奏曲以外にリヤードフ、シュミットのプログラムを指揮するらしい。それぞれコーミシェオパーとケルンの放送管弦楽団での録音でYOUTUBEでは御馴染みである。四月にニューヨークから帰ってきて殆んど勉強する時間が無いのだろう。興味深いのは協奏曲にシナ人の若い女性をソリストとして迎えていて、まるで追い出すランランの代わりにシナでの市場でも反感を買わないように配慮しているかのようだ。

会見でサイモン・ラトルは、キリル・ペトレンコが後任として選ばれて、「とても幸せだ」として「彼は大物で、素晴らしい音楽家」と称賛した。そして、今後も自ら指揮台に登場することを示唆して、またブリクズィットについては、「破局、百難有って一利無し」と正直に言明している。現時点でもそのような声が出ることがやはり英国の苦悩はまだまだこれからと思わせる。来年六月にサイモン・ラトル監督のお別れ興業として欧州ツアーが組まれている。どうしてもそのあとのザルツブルクとルツェルン音楽祭のプログラムが気になるが、2018/2019年シーズンの初日と同じになる筈で、一体誰が指揮者でどのようなプログラムになるのだろう。

今最も請われている実力派指揮者と言えばルツェルン在住のあの人しかいない。来年91歳を超えるヘルベルト・ブロムシュテットである。初めてのその指揮ぶりを楽しみにしているのだが、さてどうだろうか?先週末の録音を繰り返し聞く限り、ここぞというところで一息入れて貯めて棒を振り下ろすような感じである。フルトヴェングラー、トスカニーニ、ヴァルターの影響を受けたという指揮者であるが、実演ではその癖はどのように聞こえるのだろう。折角正確に譜面を読み取っているのだから、ペトレンコのように律動を維持しながらアクセルとブレーキを自由自在に掛けられれば問題ないのだが、さてその真意はどこにあるのか。



参照:
エルブの容赦無い音響 2017-01-16 | 音
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
インタヴュー、時間の無駄四 2016-08-03 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-05-04 22:40 | | Trackback

2016年産の果実風味への期待

本格的な試飲会シーズンが始まる。その前に情報が集まって来る。速報としては先月20日から24日にかけての寒気の霜で大分やられたようだ。少なくともブルグンダーは壊滅的だろう。リースリングも収穫量が落ちそうである。霜が降りる場所と風通しが良くて寒気が溜まらない場所があるが、厳しい年度になるそうだ。水浸しの春と初夏だった2016年の果実風味に賭けた方がよさそうで、来年はまた価格が上がるだろう。インフレである。

その2016年産は、ミネラルにはあまり期待できないとしても余り黴臭くなければ良しとなろう。そしてフォムフォルクセム醸造所のように天然酵母を重視するとどうしても瓶詰めの時期も遅くなる。ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のように一年遅れが通常の瓶詰め時期になっていくかどうかは分からないが、こなれたリースリングが益々評価されるようになっていくであろう。

そのヴァヘンハイマーオルツリースリング2015年を試飲した。はじめであるが、まだまだ若過ぎるとしても、あの暑い夏のお陰で酸が表に立ちはだかりミネラルが後ろについていくようなものよりも、ミネラルが先に出てくる感じで清涼感は例年ほどではない。それならば綺麗に熟して葡萄らしくられば良いのだが、半年以上もしくはもう一年寝かさないといけないかもしれない。但し、酸が強く出ないのでリースリング指向以外の人にも勧められるかも知れない。

2016年グーツリースリングも試したが、こちらは若過ぎて酸が前に出て、どちらが高級ワインか分からないような塩梅だ。それでも充分に酸が効いているので時期がこれば表彰されるかもしれない。半年ぐらい待たなければいけないが、同じように2015年グーツリースリングが既に売り切れているので先行投資するだけの目利きが必要となる。少なくとも現時点では、一年前のオルツリースリングの方が飲みやすいという奇怪な現象になっている。

その意味からは2015年ダイデスハイマーオルツリースリングは嘗てのバッサーマン・ヨルダンノラーゲンヴァインを想起させるようなテロワールが楽しめて、14ユーロはなかなか良い価格だと思う。

予約していた2014年フォルスターオルツリースリングのマグナムを回収しに行った。残念ながら通常のスクリュー瓶は売り切れていてパイロットワインは数少なくなってしまった。二年が我慢できないと駄目である。マグナムとなると少なくとも5年から10年は寝かしておかないと綺麗に開かない。それでもグランクリュの半額以下の価格である。

2015年産に比較すると2014年産は色々な意味でお得だと思うが、2016年産は酸がどれぐらい聞いているかが購入の目安だと思う。基本的には安物のワインほど酸が効いていないようで、雨の影響が早摘みワインにより多く表れているということではないだろうか。



参照:
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
三分咲はまだかいな 2017-02-07 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-05-04 00:32 | ワイン | Trackback

感動したメーデーの女の影

メーデーの晩は、楽劇「影の無い女」を観た。手元にヴィデオは保存してあるので、折角のARD中継だからと、小さな画面を観乍ら録音だけをした。出だしの景と染物師バラックと嫁さんのいい場面を観ていて気が付いた。今まで観ているものとはカメラアングルが異なることに気が付いた。嫁さんの美しくないお尻を掴む場面で、そのあとにキリル・ペトレンコの指揮姿が映っていたのが、放送では綺麗な角度でそのまま舞台が映されていた。

調べてみると、ARD-Alfa放送のHPには12月1日の上演録画となっている。初日が2013年11月21日であるから、いつものように初日シリーズの最後の方で生中継録画されている ― 初日はラディオ放送があったのだろう。通常は劇場のネットストリーミングだけなのだが、このときは劇場再開50周年並びに音楽監督初新制作ということで通常のARDチャンネルで生放送されたようだ ― 残念ながらオペラなどには関心が無く、TVも観ないので全く記憶にない。つまり、今回放映されたのは、手元にあるフランスで生放映されたものとは、一部異なり、画像のみ編集されているのだろう。

音質は、最初の幕開けのPAを通った演出上の音は割れているが、今まで気が付かなかったようなプロムプターの声がひっきり無しに聞こえる位で、倍音成分も伸びていて、臨場感溢れてとても新鮮であった。だから今までのヴィデオに比して大分良好で、高音質録音した甲斐があった。個人的には劇場中継版で充分であり、演出作品を態々観ようとも思わないが、確かにカメラアングルがすっきりしていた。

今回改めて通してみて、歌手陣は2014年暮れの再演の時からすると初日シリーズは当然良い。そしてこの7月にも再演されるようだが、ティケットがまだ余っている ― 昨年「家庭交響曲」を学習してその影響が活かされる筈だ。少なくともコッホのバラックとパンクラトーヴァの嫁さん役だけでも間違いなく聴きものである。今回も名場面を観ているとこちらも感情が昂るほどの素晴らしい舞台である。そして先ごろ亡くなったボータの皇帝と乳母役のポランスキーが皇后を演じるピエチョンカを更に引き立てていて見事である。

こうして繰り返し観てもやはりペトレンコが「他のシュトラウスのオペラと比べて複雑で多面的で、見落とされがち」と語っている通りに、模倣の作曲家もここで「ばらの騎士」のエンターティメントから抜け出そうと戦っている。そして、7月のティケットが完売していないのにもみられるように、やはり多くの聴衆にとって難しい作品ということであろう ― 「モーゼとアロン」のイデオロギーでも無く、知的程度の高さでも無く、大地に根を張ったような文化やその教養が試されているからかもしれない。偶々予定があるので出かけられそうにないが、これだけ美しい音楽を三時間も楽しめるならば出来れば再訪したいと思う。音楽劇的にも全く古びておらず、内容的にとても新鮮だ。

それにしても久しぶりに三幕まで通して観て ― 三幕だけは天井桟敷の最前列で舞台が見たが、こうしてより新鮮な音質で聴いて、三年前のそれへの記憶が遠くなっているのに気が付いた。こうして良い音色で聞き返さないと感覚的に記憶を呼び起こされなということだろう。しかし視覚的には殆んど覚えていなかった。どうも初めてみる指揮ぶりばかりを眺めていたのに違いない。



参照:
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
入場者二万五千人、占有率93% 2017-04-21 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-05-02 21:20 | 文化一般 | Trackback

特別効果の「さすらう若者の歌」

日曜日晩は予定通りフォアールベルクからの放送を聞いた。4月16日にモンタフォンの谷の出口にあるフェルトフォキルヒェでの演奏会実況中継録音である。演奏するのはフォアーベルク交響楽団で、指揮するのは同地へと移民してきたヴァイオリン奏者の息子キリル・ペトレンコである。交響楽団自体はもともとORFの放送交響楽団を母体としていたようだが解散後に新たに発足した交響楽団のようである。

スキー愛好家には、ザンクトアントンの名で代表されるフォアアールベルクシューレによって日本にもアルパインスキー技術が齎されたように、近代スキー技術のメッカとして有名である。しかし音楽の世界ではブレゲンツの湖上オペラや精々ホーヘネムス城でのシューベルティアーデぐらいしか聞いたことが無いだろう。実際には小さな音楽祭などはあって、そこでヒラーアンサムブルのメムバーなどがうろうろしていたのを覚えている。それよりも、谷を入ったところのブルデンツに名歌手シュヴァルツコップが最後の居を構えていたことで知られているかもしれない。要するに午前中に生放送を聞いた東の果ての帝都どころかハプスブルク家の居城インスブルックからもトンネルを超えて遠い。更に遠いザルツブルク音楽祭にシュヴァルツコップ女史が通っていた時は当然のことながらそこで長期夏季逗留をしていたのだろう。要するに細長いオーストリアの西端に位置して、ボーデン湖を挟むようにドイツ、スイス、リーヒテンシュタインなどが国境を重ねている場所である。

だから言語的にもアレマーニュ方言に近いと思う。そして今回の交響楽団にとってもハイライトとなると、助っ人として多くの名手が国境を越えて集まって来たということである。平常でも最近売れているミヒャエル・ホフシュテッタ―なども指揮をしているのだが、やはりドイツの大都市の管弦楽団とは比較出来ない。それが前半聴取後の感想である。

それでもペトレンコ指揮はとても面白いことになっている。楽団との練習時間も限られていただろうが、全く誤魔化すことにない指導をしているようで、音が十分に出ていなくても高度な演奏を求めているようで、中々演奏することで表現の幅が広がっていくようなことにはなっていないが、ベルリンのコーミッシェオパーでの演奏程度の表現には至っている。特に興味深いのは地元出身でフランクフルトでも歌っているというシュムッツハールトというバリトンが上ずった声で歌い ― そのものバイロイトでジークフリートを歌ったライアンを想起する ―、有名なフィッシャーディスカウの歌などよりも直截な若者の歌になっていて独特の効果をあげている。まるで少年合唱団員が声変わりしたような歌声になるのである。この人もレヴィン事務所の所属のようだが、この人を選ぶところがとても面白い。(続く



参照:
思春期のホルモンの様 2016-10-16 | 雑感
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
阿呆のギャグを深読みする阿呆 2014-08-04 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-05-01 23:28 | | Trackback

あり得ないような燃焼の時

ウーリ・シュテックが亡くなったとある。メスナー以降未だにアルピニズムが存在したとすれば、この人とアレクサンダー・フーバーの存在は欠かせなかったと思う。少なくともこの人がアルプスの三大北壁などのクラシック課題を単独超高速で駆けあがる姿は人類の進化でしかなかった。

当然の如くその目標はヒマラヤの壁へと向けられていたが、前回のエヴェレスト遠征で駆け足で登るその氷が下で働くシェルパの頭上に落ちてきたとして袋叩きにあった。その経験を踏まえて今回は通常ルートから離れて、隣のローツェから下りて来て48時間以内に縦走を成しえる計画で、ホルンバインクロワールをテンジンと登っていたようだ。

享年40歳、6人の救助隊によって、ヌプツェの谷に遺体は収容されたということである。滑落というが、恐らく酸素欠乏の結果としても、あれだけの岩壁を駆け上がる人が滑落するような斜面などはあり得ないと驚くばかりである。

記事が修正されている。事故現場は高度順応のために日曜日の朝に訪れていて、その遺体が収容されたヌプツェフランケの足元へと千メートル落下したようである。単独の行動中とある。最後のターゲスアンツァイガーへのインタヴューで、「完踏して戻って来れる体力があるかどうかでだけで危険を冒してまでやるものではない」としていたようだ。

承前)明け方思いついてヴィーナーフィルハーモニカ―の予定表を見た。思った通り、金曜日のバーデンバーデンのプログラムが週末の定期コンサートで演奏されて、日曜の午前中からオーストリアの放送局で生中継される。前日もブルックナー交響曲4番の版やら演奏を探していてなかなか所望する材料が出てこないのでイライラしていた。それならばブロムシュテット演奏するそれを材料とすればよいと考えた。

急いでパン屋に行って峠まで駆け上がって、録音の準備をしていたが、正直この指揮者の生を聞いたこともなく、座付き管弦楽団のその演奏態度も知っているので、ここでつまらない演奏を聴いてしまうと態々バーデンバーデンにまで燃料を消費して出かける価値が無くなるかもしれないと心配になった。

しかし憂慮は徒労に終わった。詳しくは改めるとしても、モーツァルトのテムポの鮮やかさは90歳とは思えない軽やかさで、肝心のブルックナーも恐らく現役指揮者の中では筆頭のブルックナー指揮者ではないかと思った。何よりも、キリル・ペトレンコまでは至らなくても楽譜の隅々までに目が行き渡っているのは確かで、そこまで適格に指摘されると座付き管弦楽団でも真面目に演奏しなければいけなくなる。その様子が如実に表れていて、明らかにお互いの疎意さえ感じさせたペトレンコ指揮の定期演奏会とは大分趣が異なった。

兎に角、期待して鳴らしたギュンター・ヴァントの演奏もただただ喧しく、各声部を同じ勢いで鳴らしまくるだけで、なるほどペトレンコが指摘したように「焼香臭さから交響的な構造物へ」は分かるのだが、余りに管弦楽が制御が効いていなさ過ぎて話しにならない。やはり、最もブルックナーらしいオイゲン・ヨッフム指揮の演奏録音をネットで探していたのだった。(続く)



参照:
Extrem-Bergsteiger Steck stirbt am Mount Everest, FAZ vom 30.4.2017
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-04-30 22:42 | アウトドーア・環境 | Trackback

索引 2017年4月


ストックの石突きを購入 2017-04-30 | 生活
天才の白鳥の歌と呼ばれた交響曲 2017-04-29 | 音
遊園地のようなラムぺ 2017-04-28 | 生活
「タンホイザー」パリ版をみる 2017-04-27 | 音
力尽きそうになる石切り場 2017-04-26 | アウトドーア・環境
美学的に難しい話し 2017-04-25 | 文化一般
時間と共に熟成するとは? 2017-04-24 | 文化一般
細身の四年ぶりのジーンズ 2017-04-23 | 生活
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感
入場者二万五千人、占有率93% 2017-04-21 | 文化一般
フェイクニュースの脅し 2017-04-20 | マスメディア批評
需要供給が定めるその価値 2017-04-19 | 生活
明るく昇っていく太陽 2017-04-18 | 文化一般
殆んど卑猥な復活祭卵の巣 2017-04-17 | 暦
曇天の聖土曜日の騒々しさ 2017-04-16 | 暦
聖金曜日のブルックナー素読 2017-04-15 | 暦
フランスのチーズとワイン 2017-04-14 | ワイン
復活祭音楽祭のあとで 2017-04-13 | 生活
今日か明日かの衣替え 2017-04-12 | 暦
運命の影に輝くブリキの兵隊 2017-04-11 | 文化一般
鼓動を感じるネオロココ趣味 2017-04-10 | 音
あれやこれやと昂る気分 2017-04-09 | 雑感
漸く時差ボケから解放される 2017-04-08 | 暦
オンドラ、東京オリムピック否定? 2017-04-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
ギリギリの悲愴交響曲 2017-04-06 | 音
価値のあるなしを吟味する 2017-04-05 | ワイン
FFmpeg出力でハイレゾ 2017-04-04 | テクニック
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
購入したDMM社PIVOT 2017-04-02 | アウトドーア・環境
もう一つの第六交響曲 2017-04-01 | 音

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# by pfaelzerwein | 2017-04-30 21:55 | INDEX | Trackback