なにかちぐはぐな印象

車が森にかかると、進行方向に親子らしきバムビがいた。速度を落として近づく。道の真ん中でこちらを見ている。あまりにも動かないのでカメラを取り出した。もたもたして撮り逃がした。人の気配で逃げ回るバムビであるが、車が近づいても警戒しない。先日のバイパスでの事故もそうだったが、やはりどうも奴らの脳が小さそうで、犬が人間の七歳ならば奴らは三歳ぐらいではないかと思う。三歳ぐらいの幼児ならば人間でも車に不用意に近づく、あの感じだ。

二本目の「フリュータウ」を開けた。シェ―ンレーバー醸造所の以前は「フリューリングスプレッツヘン」の下位のものだったが、その名前はグランクリュとしてしか使えないことになったので、名前替えしたものだ。名前が変わると有難みも薄れて、2016年ものもあまり冴えない。香りは枯れた藁で殆んどビオワインのようだが、この醸造所はまだまだそこまでは踏み込めていない珍しいVDP醸造所である。要するに培養酵母を使っている。そしてミネラル味は強く出ていて、林檎やナッツ類の趣が楽しめるが、どうしても藁の趣が出て来て、総合的には春の雪解けの泥道の感じである。正しく名前の通りで、2016年はナーヘ全般に悪かったようだ。2017年はさらに悪い。

バイエルンのシュターツアンツァイガーとインゴルシュタットのドナウクーリエのローカルニ紙に書いているマルコ・フライ記者が、東京の「タンホイザー」初日の反応を全く別の視点から報じている。それによると、三幕では当惑した拍手だったが、一幕、二幕は日本のそれによく合ったと見えてとても好意的に受け入れられたとある。彼の感想は、幾ら日本人が丁寧で演奏会での熱狂ぶりを示す人達であっても、やはり拍手でその評価判断が分かるのだという。それによると、上野の演奏会では終わり無き拍手が続いたというが、「タンホイザー」終演後にキリル・ペトレンコとその管弦楽団に英雄へのように喝采したが、その後にクラウス・フォークト以下の歌手が続いただけで、どこか冷めていたという。

少なくともネットから窺うのは、ピットに押し寄せる平土間の人達とキリル・ペトレンコとクラウス・フォークトへの喝采があるが、どうもこの記者の感じたのは違っている。「演奏時間の長さとヴァークナーのへヴィーさが原因ではないだろうか」と、そしてもう一つ、三幕の恐らく主人公の二人がまだ動いているのに砂になるまでの時間の演劇的な提示の腑に落ちなさだと考えているらしい。この点に関しては、少なくとも私自身も天井桟敷から見ていたのではあまり合点がいかなかった。要するに白服を黒服に替えてとか細かなところをヴィデオで何回か見直さないと時間経過さえ分からなくなるところである。確かにネットでも一人だけこの落ちの不可解さに言及していたが、どうでもよいような気がする。そんなことを言い出すと限が無くて、あの切れた足はなんだとか無駄な時間を費やすことになるだけだろう。

もう一つこの人が書いていることで不明なのは、奥行きが浅くなって幅が広くなって舞台を修正している分、NHKホールではよりコムパクトな舞台になったというのだが、あの演出で浅くなって照明だけで調整したとしてもコムパクトな印象よりも、薄っぺらくなるのが当然だろう ― 3400人の巨大空間では対象物はコムパクトになるかもしれない。どうしてこうも頓珍漢な印象になるのかは不思議なのだが、もう一人の報じる南ドイツ新聞は有料なので比較のしようが無い。やはりこうしたものも通常の音楽評とすべきだろう。なぜならば我々はどのような演奏が繰り広げたかでその聴衆の反応も大体分かるからなのだ。その意味からも日曜日のコンサートは上出来だったことは証言されていることになる。

南ドイツ新聞は演奏会表以外の報告は無料公開しているが、練習風景ならば興味深く嬉しいが舞台裏の話しとなると態々紹介するほどでもない。ネットでその当事者からの情報が沢山上がっているからだ。それでも興味深かったのは、ゲネラルプローベが予定通り厳格に22時に終わったことで ― 流石キリル・ペトレンコということらしい ―、そのあと朝の4時まで舞台裏の撤収搬出の仕事が続いたということだ ― 各々の出し物に対してコンテナ11個分。そもそも週末に公演が出来なかったのはNHKホールの使用環境からで、舞台道具を片づけておくところも無い巨大なTVスタディオだという表現がとても分かり易かった。そしてそのために席が埋まっていないこともそろそろ話題になっている。ミュンヘンでは絶対あり得ないことで、もはや再演も含めてキリル・ペトレンコ指揮の上演は立ち見どころか楽譜席まで売り切れてしまうような状況になっているからだ。



参照:
Der Blick aus der Ferne, Marco Frei, 22.9.2017 (Bayerische Staatszeitung)
ロメオ演出への文化的反照 2017-09-23 | 文化一般
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-09-23 18:11 | 雑感 | Trackback

ロメオ演出への文化的反照

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東京での「タンホイザー」初日の朝だ。朝一番で走りに行く。森の中は摂氏6度しかなかった。早めに切り上げる。汗を流してPCの間に落ち着いて座ると、一幕後の幕間に感想が入って来る。否定的なものが目についた。これもある程度想定内だった。自分自身もあの演出では腑に落ちない面が多くあったからで、録音で聞いても弓を引く音などがいらつかせた。ようやく最近になって録音録画を繰り返して聴くうちに落ち着いて評価出来るようになったぐらいである。それ故かどうかわからないが、一幕終了後に多くの聴衆が退場していったことを後で知り、バイエルン放送はそのことを報じている

立ち去った人たちは自身で大枚を叩いて券を購入した人は少ないのだろうが、たとえ企業やその他の関係で招待されていても最後まで観ずに会場を後にするということは全く以って理解出来ない。難し過ぎて面白くないとかいうことだろうか。勿論そうした聴衆の比率はオペラ劇場では少なくなく、それでも雰囲気を楽しむエンターティメントとして社会に定着している。もしこれが「魔笛」の上演ならば帰る人は少なかったのかもしれない。なにが楽しめなかったのかは興味深いが、もしミュンヘンでも全く知識無しにBMWの招待で同じ「タンホイザー」に人を集めたとしてもやはり似たようなことはあるのかもしれない。バイエルン放送は、「五時間の時間が長すぎるのか、それとも演出が気に食わなかったのか」と「クラシック音楽好きの日本人が」と驚いている。

前記のようなあの落ち着かなさは裸体の羞恥にあるかと思っていたが、もしかすると全体の舞台の与える印象もあったのかとも思うようになった。FAZの新聞評などには、「舞台上のスペースが空き過ぎでまるでヴィーヌスとタンホーザーが遠くでディアローグしているようで登場人物への演出が希薄になり」とかあったが ― 実際に劇場で見るよりもVIDEOの方が演出が効いていた ―、舞台構成上での印象も影響しているのかもしれない。背後の壁を穿つサークルも眼でもあり、カステルッチが解説するように眼の中のまた瞳があってと、これまた見られているようでの落ち着かなさが助長されている。

この演出について、皆が思うように、更に考えたいなどと露ほども思わないのだが、心理的な影響はかなり強く、無意識層に働いているのは間違いない。そのように気が付くと二幕、三幕とこの演出家の魂胆のようなものが見えて来る。この演出に腹立つ思いがするのは一幕で、そのあとは舞台への諦観もあるが、三幕まで筋が通っていて、そうでなければあの三幕の落ちは只馬鹿らしいだけのものになる。実際に録画を繰り返して見ているうちに、三幕が納得出来るようになった。正直最初に見た時はこの三幕の演出にはなんら関心が無く、新聞評の通りだった。

その点、密かに期待されていたように、バッハラー支配人が「何も日本に合わせて演出した訳ではない」のだが、三幕への支持は初日幕直後から強く、どうも全くその受け取り方がミュンヘンとは違うようだった。この三幕は、ショペンハウワー的な「仏教が再解釈されている」というロメオ・カステルッチの言葉が最も具体的に表れるところで、あの永遠の死の様な光景は、新聞では「母体より出でた時から始まる死」のルターの言葉をそのまま批評としていた。

その反対に、二幕のアンサムブルや最もこのオペラの山となるエリザベートの歌からフィナーレに掛けてへの言及が日本では全く見られないのは、嘗てあり得ない質のアンサムブルが技術的に巧くいかなかったとは思わないが、このオペラにおいて最もプロテスタン的な意志を以って最も心理的で情動的な部分なので ― 勿論音楽的にもここが頂点である ―、やはり文化的な視座が異なるのかとも考える。

もし今回の「新制作」を引っさげた引っ越し公演が、文化芸術的に何らかの意味を持ち得るとするならば、やはり様々な社会におけるこうした文化的な受容というものに注目しなければいけない。それは日本の西洋音楽界にとって、パンダの顔見世興業ではなく、その近代西洋音楽の在り方や音楽劇場の可能性についてまで考察しなければいけないということだ。台湾や韓国でのそれとは全く異なり、日本社会の教育やその文化の受容という意味でのその反響は、やはりこちらにとっても自らの文化的な視座を確かめるための音波を跳ね返す対象物のような意味さえあるのだ。その意味からもなかなかの文化芸術的な道具を与えて呉れたのはロメオ・カステルッチである。ミュンヘンの劇場らしい演出だ。

NHKホールの舞台の幅や奥行きに合わせて照明などの変更があったが、何よりも三幕のヴィーナスが歌う隠れた場所が無くて、「オルガンの中に入って歌って背後の反響が嬉しい」とカステルッチに代わって日本での修正にご満悦なパントラトーヴァ女史の様子をラディオは伝える。なるほど、この演出を通して歌手の一人一人までが明白な意図をもって舞台を完成させていると音楽監督キリル・ペトレンコの言う通りだ。



参照:
「全力を注ぐ所存です。」 17-09-04 | 音
母体より出でて死に始める芸術 2017-05-30 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-22 20:14 | 文化一般 | Trackback

キットカットにリカヴァリー

d0127795_2356437.jpg壊れたタブレットが何とか直った。アンドロイド4.42つまりキットカットと称するシステムが立ち上がらなくなっていた。既に書いたようにPCのadbを使ってそこから修復を試みた。結局工場出しに戻したが、このUSB接続があることだけでとても安心感はあった。要するに文鎮のように重しにしか使えないという状況は避けられる可能性が強いからである。実際にリセットしても想像していたような新品で購入した時のようには動いてはくれなかった。何十回も、百回ほど再起動を繰り返しただろうか、そのたびに前進するのだが、再びシステムのファ-ムウェア―を送り込もうとするが上手くインストールとならなかった。二三度リセットを繰り返しアンドロイドが立ち上がるのだが、「ROOT大師が起動を試みて失敗」のエラーが出る。これでほぼ今回のシステム故障の原因はルートに隠されていたこの大師だと想像がついた。

そこで出来る限り早い時期にこ奴を消去してしまおうと思ったのだが、ルートが開いていないとこれが消去出来ないことになっている。つまり先ずはルートを開いてその上で大師を消去することになる。そのためにルートを開く同様のソフトが必要になる。そもそもこれが問題になったのは、その前の4.22のジェリービーンを使っている時に使いはじめたのが、アップグレードしてからこれではルートが開けなくなったのである。しかし探してみるとどれもそれ以上に怪しそうなソフトしか出てこなく ― シナを信用するかロシアを信用するかの究極の選択となる -、それらをPCにインストールするのも怖かったので、思い切って4.22を書き込んでみた。そして出てきた隠れていた大師を使うと綺麗にルートが開いた。

そこで今度は所謂冷凍アプリと称するような、アプリを氷漬けにしてしまうアプリをインストールして、大師を凍らして、更に消去してしまった。その他のスーパーUとかその手も凍らして、不要なものは消去した。そしてアンドロイドのアップグレート完了も確認しておいた。これで安定してきた。相変わらず落ちやすい傾向はあるが、普通に使える状況になって、そして充電して床に就いた。そして翌朝上げてみると二度と落ちることは無くなった。

これで殆んど復帰してアプリケーションも幾つかインストール、設定すれば元通り、もしかするとそれ以上に安定してくる可能性が高い。タブレットを使い始めると、もはやこれ無くしての生活など考えられなく、急遽購入しなければいけなかったのだが、一先ずこれで助かった。ここまで来ればハードが壊れるまでは使いこなせそうだ。そして消去したアプリ類も記憶がある限りは戻せる。また殆んどないが個人データ類はSDカードに入れているので消失感も殆んど無い。寝床で少しづつアプリを整備していくぐらいだ。そして今度はルートが再び開いているので、凍結や特にグーグルの要らないアプリを消去出来るのが何よりも有り難い。



参照:
ペトレンコ記者会見の真意 2017-09-21 | 雑感
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
アンドロイドのルートを再開 2017-03-31 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-09-21 23:56 | テクニック | Trackback

ペトレンコ記者会見の真意

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日曜日の文化会館でのコンサート直後の会見について、南ドイツ新聞の特務記者の報告である。因みに19日付のコンサートについてのそれは有料にしてある。そちらの方は当初からの反響、バイエルンのローカル紙の報告で概ね分かっており、更にヴィデオで断片で音響として確かめられる。しかし会見の方は音声による一部と写真でしか知らない。この報告では、特にキリル・ペトレンコの表情を追っている。

記者は、限られた時間の顔見世のその盛況ぶりに、一瞬上野のパンダと飼育師のようだと思ったと書く。キリル・ペトレンコ音楽監督とバッハラー支配人のことらしい。そして笑顔を終始絶やさずに、自らの使命を弁えての会見だったと感じている。その背景には、欧州では会見の機会がないのにこうして特別にお目見えすること、そして広告塔として歌手陣が居並んだことを考えたようだ。

その売券の状況には触れていないので、知ってか知ってぬかは不明である。それでも一流の管弦楽団としての技能を示したコンサートが終わったところで、楽団員を差し置いてなぜぜ歌手陣が出てくるのだと訝るが、ここから初めて上演されるオペラ公演の宣伝を兼ねてであると綴る。そして歌手陣の中でも日本通のアネッテ・ダッシュが、「センシティヴな歌に聞きこむ心構えの出来た日本の聴衆」について語り、ヴォルフラムを歌うマティアス・ゲルネは、「初めから批判を準備しているような聴衆でない」と日本のそれを語り、記者はミュンヘンで評価の割れたカステルッチ演出の「タンホイザー」への言及と取る。つまり、バッハラー氏の導入同様、端から警戒線を張っているのだと理解する。

そして、質問が集まるペトレンコは、「コンサート形式での一幕だけのヴァルキューレ公演は次善の策で、ヴァークナーの意思からすれば甚だ間違いだ。」と語った。当然のことであるが、それでもこうして最終的に指揮をする訳だから、質問が無ければ決して話さなかったことだろう。記者は、このような会見でのその笑みの裏にペトレンコの居心地の悪さを感じ取ったようだが、それはどうだろうか。この天才指揮者は、喋り出すと何処までも本当のことをペラペラと話してしまうから会見はご法度になっているのだ。正しくこの「ヴァルキューレ」の裏話はそのもの本音トークなのだ。もしこの指揮者が語り続けると業界の全ての構造は一挙に壊れてしまうだろう。悪戯坊主が爆弾を抱えているようなものなのだ ― そしてその本音は、その真実みと凄みで、故チェルビダッケのそれとは影響力が全く異なる。

そして話題の「指揮者の秘密」というのを誰も質問しなかったと嘆いている。稽古やらその他のことを語っている訳でそれほど意味のある発言ではなく、冗談ごかしだと思うが、この記者は一体何を知りたかったのだろう?もう一つの「指揮者は楽員が自主的に演奏できるほどまで練習で意思を合わせておいて、本番ではその作品と演奏者と、聴衆の仲介の役を果たせばよいだけ」の言葉も「指揮者はコンサートでは意味をなさない」とやはり話した通りを挙げておく方が良いだろう。要するに翻訳すると意訳になりかねない危険性があるからだ。やはりこの人は一般大衆に向かっては何も語らない方が安全だろう。

引き続き合間合間にタブレットを弄っている。漸くPCの新しいHDDにSDKソフトを入れ直し、PCから制御出来るようにする。それ自体はDLなどに時間が掛かり容量が大きいものの一度インストールした経験からPATHを通すだけで比較的容易に解決したが、実際にリカバリーモードでのADBとかで制御可能なコマンドは限られていて、ルートが見れないので、出来るのはレノボのサイトから落とした純正のROMファームウェアーをPCから送り込むしかない。同じことはSDRカードでやっているのだが、どうしても二つのZIPがインストール出来ない。それ以上バグを調査して弄るとなるとアンドロイド開発者の知識が必要となりそうなので、到底無理だと思い、結局は工場出しまで戻す決心をする。それでも一度はアンドロイドがインストールされたようだったが、先には進まなかった

朝早くから弄っていて、雨上がりの誰も居ない森を走り始めて、手順を考えていたのだが、その時にはPCからどれほどのことが可能になるかは分からなかった。結果思ったほど使いこなせなかったが、少なくとも所謂文鎮化はそれで避けられるだろうと思った。しかし実際に工場出しに戻してもループするところが一つ先に進むだけで、アンドロイドのシステムをインストールし直さなければいけなかった。それでも数限りなく再稼働するうちにアンドロイドが開いて、少しづつ安定する気配がある。



参照:
"Es sollte noch etwas von einem Geheimnis haben", Egbert Tholl (Süddeutsche Zeitung)
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
文化会館でのリハーサル風景 2017-09-19 | マスメディア批評
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# by pfaelzerwein | 2017-09-21 02:17 | 雑感 | Trackback

上野での本番などの様子

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早朝から霙交じりになるのではないかと思うほど肌寒かった。就寝時からタブレットが立ち上がらなかったので、走りに行くことなく、弄っていた。何かの拍子にシステムが壊れたらしいが原因はまだ分からない。簡単にリセットして仕舞えば立ち上がるだろうが、折角だから時間を掛けてPCに繋いで復旧作業をしてみようと思った。時間が掛かるのは、リセットしてそれを元通りに戻すにも無駄な時間が流れるから同じだ。それに比較すれば、結果は分からないが、復旧作業をする方がアンドロイドを学ぶことになり、上手く立ち上がればそれで終わりだ。そして以前よりも自由自在に動かすことが出来るようになる筈だ。丸三年間使ているものであり、この機会を逃しては徹底的に弄る機会はなかなか訪れないだろう。問題はこの寒い時に寝床の中で出来る作業ではなく、また直るまでタブレットが使えないが仕方がない。

そうした早朝に見つけたのが日曜日の上野でのコンサートの断片映像である。ラフマニノフの終わりから拍手までである。カメラの関係もあるが会場がとても明るく、音以上に明るいのかもしれない。日本の音楽会場ってあれほど明るいとは思ってもいなかった。恐らく舞台の照明の関係で文化会館は特別明るいのかもしれない。あれならばそのまま客席で楽譜が読めそうである。それにしても、自身の記憶以上に日本の特に東京の聴衆はクールで、演奏者はその静けさと共にさぞかし緊張するだろうと思う。

バイエルンのローカル紙が、そのリハーサルから記者会見そして本番までのことを纏めている - そしてこれからのタンホイザーの反響待ちのようだ。演奏は、マーラーの交響曲の演奏としてヤンソンス指揮放送交響楽団をドリームチームとしながら述べているが、先ずはスリル満点であるアンドレアス・オェットルのトラムペットのファンファーレと、三楽章のヨハネス・デングラーのホルンソロを称賛している。そして、その間のヒステリックに暴走しない「嵐のような動き」は、形式感を与えて且つその地下にどよめく動きを示してくれたとキリル・ペトレンコを称賛する。

キリル・ペトレンコのテムポの正しさと要を得た指揮は、多くの指揮者がテムポを弛緩させてしまうアダージェットにおいても流れを絶やさずに、それどころか世界中で月並みなマーラーの演奏実践の指揮者の勝手なルバートやテムポ変化などの垣根を取り払ってくれて、それによってコラージュがテムポの対比ではっきりと輪郭付けられたという。それらによって、空っぽの大見えやお涙頂戴で安物のおセンチ無しに、力漲る構成的でありつつ弁えた、マーラーにしたとある。

それにも益して三者の幸福な共演であるラフマニノフを挙げ、指揮者とピアニストであるイゴール・レヴィットのなりそめについて触れる。三年前のイスラエルでのベートーヴェンで、ピアニストの想定を超えた共演となって、今後他の管弦楽団との共演が今回との比較対象となってしまうとの大きな問題となった。どうも、最初は天才指揮者と座付き管弦楽団を少し軽く見ていたような感じを個人的には持っている。自身も語るように彼がとてもいい経験をしたのは間違いないと思う。まだまだ若い。

このピアニストが典型的なドイツのユダヤ人ならば、やはりキリル・ペトレンコは大分違う。これは年齢だけでなくて、移民としての環境も異なったのであり、今回の記者会見での第一声も殆んど外交官のように考えつくされていた。残念ながら同時通訳の限界でこの指揮者の言葉の選び方や心境までは即座に日本語に出来ていない。一部しか聞いていないが、何よりも感じたのは、言葉の背後には、「フクシマ禍を乗り越えて来て生きている人々への大きな畏敬のようなものを表明しており ― その背後には劇場支配人と六年前の大キャンセル騒動とその影響への危惧が話されているのだろう ―、同時にソヴィエト時代のシベリアの果てにおいて恐らく親戚などからも聞いていた日本の現状などへのイメージが、殆んどドイツ共和国大統領の第一声の様な練られた言葉で語られていた。あの人はいつも自分でメッセージをしっかりと自分で生真面目に書いているに違いない。だから、継ぎ足しに冗談にふった日本食などが強調されたのは忍びない。ドイツ側からしてみてもあまり触れたくないことなので敢えて聞き落そうとする心理が働いている。



参照:
Ein vertrauensvolles Miteinander, Marco Frei, Bayerische Staatszeitung vom 19,9,2017
上野での本番などの様子 2017-09-19 | マスメディア批評
指揮台からの3Dの光景 2017-09-18 | 音 
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# by pfaelzerwein | 2017-09-20 04:48 | 文化一般 | Trackback

文化会館でのリハーサル風景

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週末には2015年のゲルュンペルを開けてみた。試飲していないので初めて口にするものだ。半ダースあるので無駄でも良いから一本開けた。2015年産であるから強すぎて楽しめないと思っていたが、PCながらGCのような感じで楽しめた。勿論熟成はこれからなので、本当の味は開いていなかったが、充分な複雑なミネラルと共に完熟感と清潔感があって決して悪くはなかった。20年もつかもしれない酸であるが、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のリースリングにによく有り勝ちな明くる日になるとバランスが崩れていて、全く飲み頃が分からないという難しさもあった。これで安心して予約した2016年産を引き取りに行ける。

引き続き東京から様々な情報が入って来ている。先ずはキリル・ペトレンコへの接近の任務を得た南ドイツ新聞の記者が、少なくともリハーサルに潜り込めたようで、その報告をしている。ミュンヘンに本拠のある新聞社で日本の朝日新聞と提携している左派の全国紙である。その記者でさえ、今までにリハーサルに入れたのは「サウスポール」の時の1時間だけだという ― 前回の欧州ツアー時にもシャンゼリゼなどで取材の機会を設けていた。

キリル・ペトレンコがやって来ると、「こんにちは」と日本語で挨拶してから、軽く冗談を言って、早速冒頭のトラムペットソロが鳴り響き所謂サウンドチェックの音出しである。「ここは響きがとっても明るいから、暗くと考えてください。」と指示する。

それから一楽章の一部終わりから激しいトリオへと移る前の経過的な151小節は3度も繰り返したようだ。レントラーでの第一ヴァイオリンの高音の「イントネーション」をまるで歌のように指摘して、上手くいったところで日本式にお辞儀をして見せたとある。その反対に、トラムペットに「余り歌わないで」と、そしてアダージェットに際して「記憶の彼方のように、もっと軽く、地球から離れて、無重力のように」と述べたとある。実際に本番ではここは消え行くようで、ペトレンコのマーラーはセンチメンタルとはならずにとても雄弁だとしている。

通常のツアー中の指揮者と違って、ペトレンコは楽員に自身の希望を一方的に伝えるのではなく、試して見るといった塩梅で協調して音楽つくりをしているように感じて、この指揮者の言葉は尋常ではないほど的確で、何かオーラによって指令するというものではないとしている。

朝日新聞が、キリル・ペトレンコを「若手指揮者ペトレンコ」と表したとあって話題になっている。その意図は分からないのだが、ジャーナリスティックなことではないように思った。要するに、朝日新聞らしい、その背後には巨大な経団連企業の束縛から抜けられないという事情があるのだと思う。そこにはソニーを代表とするような巨大メディア産業の締め付けがあるのだろう。

つまり、キリル・ペトレンコは飽くまでも「新鋭」や「気鋭」であって「大師」などであっては困るのだ。市場は、なぜそんな「大師」がCDもDVDも専属契約で制作していないのだとあからさまに声を上げると、もはやそれらのメディア企業は立つ瀬がないからである。そのようなマスメディアは新聞などとの名称を止めて朝日大広告社と名前を直ぐに変えるべきである。つまりメディア専属契約をしていないような芸術家はどこまでもアマちゃんとして扱いたいのである。

そしてそのような広告媒体における音楽評論記事などは読む前から分かっている。そもそも比較対象にもならないようなメディアで売り出したい二流の指揮者など対抗軸に挙げて、これはこうだがあれはあちらの方が良いとか何かを書く限りは商売になる広告になるのである。

バイエルン放送局も同じような音付きの報告をしているが、インスタグラムには文化会館でのリハーサルに小澤征爾が駆けつけている写真がある。あとは皇族のご臨席だけだろうか。



参照:
twitter.com/pfaelzerwein
指揮台からの3Dの光景 2017-09-18 | 音
「全力を注ぐ所存です。」 2017-09-17 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-09-18 22:54 | マスメディア批評 | Trackback

指揮台からの3Dの光景

夏時間の今日この頃は朝起きも大変だ。通常ならばまだまだ気温が高いので気持ちよい筈だが、冷えて来ると布団を離れがたい。それでも思い切って出かける。東京では、キリル・ペトレンコのデビュコンサートのリハーサルが始まっていた。フェースブックに載っている指揮台からの3Dの光景が面白かった。すでに御馴染みのアジアツアー向きのミュンヘンの座付き管弦楽団の陣容で、オペラが始まれば再編成となるだろう面々を指揮台から見る。文化会館の舞台の写真はやはり今までのそれとは違ってちょっと緊張した面持ちで、音楽監督の立場なら上手く解し乍ら、ザッハリッヒに要点に持ち込んで部分部分を修正していかなければいけないところだろう。

緊張を解すには肝心の実務に熱心になるのが一番良い。汗を掻くのが一番良い。上野で開演の頃に家を出て、ラフマニノフをイメージしながらパン屋に駆け込み、駐車して走り出すころには「トリスタン」のアンコールが間違いなく頭に響いていた。坂を走りながら、ピアノのレヴィットのアジアでのそれまでの三回のアンコール曲の選び方を考えていた。台北での一日目はその客層などを考えて「エリーゼ」だった。二日目はベートーヴェンの夕べなので、今度はゴールドベルク変奏曲をもってきて、ソウルでは意外にもショスターコーヴィッチだった。東京はミュンヘンと同じ「トリスタン」だと確信していた。何よりも15時始まりで時間的に余裕もあり、この管弦楽団との最後の演奏会だったのでこれしかないと思った。通常よりも長いアンコール曲であるので台北での聴衆には絶対無理と考えたのは当然だろう。また時差ボケのある中であれを聞かされると管弦楽団も緊張感が飛んでしまうかもしれない。

外気気温摂氏7度ほどと充分に涼しかった。それでもなんだかんだと考えながら峠から走り下りてくると汗を充分に掻いていた。上野では今頃葬送行進曲が始まったかなと思った。座付き管弦楽団の各々の準備万端の顔を見ていたので、大きな事故は無いだろうと思っていた。

自宅に戻ってPCを覗くと休憩時に幾つものとても肯定的な感想が載っていた。ここまでは想定内である。その後のマーラーの交響曲がどうなったのかに気を揉みながらシャワーを浴びて、朝食を摂る。終了して続々と感想が出て来る。

そもそもミュンヘンでの同じプログラムの演奏会にも出かけておらず、そのアカデミーコンサートもこの10月に初めて出かける位で、寧ろこの一流座付き管弦楽団の演奏会よりも二流のフォアアールベルクの交響楽団のマーラープログラムの演奏会の方が興味があったのだ。もちろん後者は多くのエキストラを加えなければ事故続出でしかなかった訳だが、実際に放送された録音を聞いても叱咤激励されながらも座付き管弦楽団とはやはり違った演奏をしていた。それでも手兵の座付き管弦楽団は、昨年九月のボンでの欧州ツアーの演奏会など何回かの本番を重ねるうちに素晴らしい演奏をすることは分かっており、ベルリンでの家庭交響曲と並んでボンでのチャイコフスキーの第五交響曲は名演だった。

ソウルでの反応にも座付き云々の話はあったが、それはドレスデンでも先日生放送のあったベルリンの対抗馬でも同じで、前者もシノポリ指揮でマーラー六番の内声部が混濁してしまい、後者も重い和音しか弾けないので実力はそれほど変わらない。ピッチ外れのヴィーンが特殊なだけで、「音が汚い」という感想は、クリーヴランドやフィラデルフィアともその辺りの放送管弦楽団とも違うので、ある意味正しいのかもしれない。やや重めのそれがどのように奈落で響くかとかが基準となるので、交響曲演奏上のそれは座付き管弦楽団の評価には当たらないことになる。

逆に、ベルリンのフィルハーモニカ―も現状のままでは十二分には音が出せていないことは悲愴交響曲の一楽章の展開部で示唆されており、新監督就任までの課題となっているに違いない。そのようにものになるまでは超一流交響楽団でも時間が掛かることを確認すれば、現在この座付き管弦楽団の演奏は如何に的を得ているかということが理解できる筈だ。そのような意味から、10月のブラームスの交響曲でも聞いておこうと思った次第である。今回の上野での演奏は大きな事故も無かったようで、本番5回目であるから可成りな程度に達していたことは窺えた。そのマーラー解釈に関しては、劇場の冊子にペトレンコの手記が付いていたようで ― ボンでもソウルでも笑顔の広報の同じ女性が配っている ―、その多声的な捉え方など、実際にこの10月に生で体験してみないと断定できないが、幾つかの感想の中に書かれている通りバーンスタイン編のシャブ中的なものからは遠い。交響曲の中心においているグスタフ・マーラー作品の演奏実践にこの指揮者の交響曲解釈の基本があると思う。

それは、昨年のリゲティの演奏でも示しており、または「マクベス夫人」でも、グロテスクに陥ることでの創作の歪曲とは程遠い演奏実践であることは間違いない ― 前者をノット指揮、後者をヤンソンス指揮と比較すればどちらが正しいかは故人である作曲家に聞くまでも無く一目瞭然だ。もし何らかの聞きなれない小節や拍があれば、先ずは楽譜に当たってみてその成否を吟味することが、この指揮者の演奏実践を批評する意味において最も有効で容易い方法に違いない。少なくとも日刊紙においても批評を生業とする者であれば、十二分に楽曲を勉強しておいて、その「ペトレンコ先生」の演奏を楽譜で確認してから何かを発言すべきである。日本での評論を楽しみにしている。少なくともこちらを訪れて真面な発言をした専門家も居ないようで、今回も呼び屋さんがこの指揮者を「気鋭」としていたのには驚いた ― その後「世界が注視する」と直されていた。台北で大師と呼べるのはメディアからの束縛が弱いからだと気が付いた。



参照:
https://twitter.com/ ペトレンコ
Nach Tokio! Nach Rom! 2017-09-15 | 音
「全力を注ぐ所存です。」 2017-09-17 | 文化一般
身を焦がすアダージェット 2017-05-10 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-18 01:16 | | Trackback

「全力を注ぐ所存です。」

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ミュンヘンの歌劇場のアジア公演に関して一段落して、様々な感想が載っている。劇場のHPにはまた別のマーケッティングの人がここまでの旅行記を書いていて、台北とソウルから東京到着までについて短く旅行記としている。

18時間の移動の果ての六時間の時差ボケがあるにもかかわらず翌朝10時に入りで、キリル・ペトレンコがやって来ると120%の集中力で稽古に入り、意気が上がっていたことが語られる。結局二回の稽古で、全ての曲が通して演奏されたが、一小節に数分掛かることもしばしばだったようだ。台北の会場の音響には慣れる必要があったが可能性を充分に活かすことも可能だったとある。

面白いのは、台北の若くラフな薄着の聴衆で、楽団についても音楽監督についてもなんら聞いたことが無いという具合だった驚きである ― これについてはヴィデオで短パンの若い女性に気が付いたが、流石にその気候如何に拠らず欧州の夜の文化ではやはりあり得ない。台湾の呼び屋さんも親切な女性ばっかりで世話に当たったようである。 

コンサートでの喝采は、両手を上げてといった感じで ― ヴィデオで見た通り二通りの聴衆の一つだろう ―、とても直截なもので、最初の緊張感は一挙に解れたとある。ペトレンコ指揮管弦楽団とレヴィットの組み合わせで、台湾では知られていなかったのがこれで一挙に知られることとなったとあり、少なくとも二回目のコンサートへの入りで、コンサートが始まる前から我々スタッフにも拍手が送られたとある。そして劇場のロゴの入った手提げが20分で売り切れてしまい、「台湾人って手提げが好きなんだなー」と思ったとある。

食事の面では臭豆腐については評価は分かれたが、意外にもソウルでのBQが人気だったようである。但し旅行前にはそこでの滞在に関しては大きな不安もあったようだ。翌日のフリーには六人がゲーテインシュティテュートのコンサートとマイスターコースを開いたようでカメラが入っているのでいずれ断片が観られるのだろう。

コンサートホールは、僅か90分の稽古でも入るや否やご満悦で、本番では二曲各々にロックコンサート並みの喝采があり、翌日の早出を忘れるほどの反響だったという ― 聴衆の撮ったヴィデオを見返すとこちらでとは異なって、なるほどいい演奏をしたのだろうが楽団への喝采と指揮者への喝采の差はミュンヘンなどよりも遥かに小さい。韓国の聴衆はオタクも間違いなく多いだろうが、やはり東京などとは違ってミュンヘンの古い座付き管弦楽団初来演ということで訪れている人も少なくないのかもしれない。また台北とは違う意味で東京とも違うということだろう。そして喜びに溢れての東京到着で、どこか古い友人に再会したような馴染みの東京、各々が自由に出かけたとある。そして二週間ほど過ごすホテルに落ち着いたようだ。

同時に、南ドイツ新聞も東京に人を送って、ペトレンコ接近を試み、タンホイザー演出の日本での反響を見る。しかし様々に提供される写真には綺麗にキリル・ペトレンコの肖像は切られていることからすれば、写真家の専属権もあるがマネージメントがしっかりと防御をしているのは間違いなさそうだ。それでも音楽誌「クラシックホイテ」のHPには以下のような音楽監督のメッセージらしきが出ている。他には見当たらないのでプレス向きに出されたというよりも、日本向けの冊子やプログラムに掲載されるのかもしれない。

Generalmusikdirektor Kirill Petrenko gibt mit dieser Tournee sein Asien-Debüt: „Ich war noch nie in Japan. Daher bin ich sehr gespannt auf unser großes Gastspiel im „Land der aufgehenden Sonne“! Auch auf Wagners Tannhäuser freue ich mich schon sehr. Kurz vor unserem Gastspiel hatte im Mai unsere Neuinszenierung von Romeo Castellucci Premiere, da ist so vieles Neues zu entdecken, für alle Beteiligten! Wir werden jedenfalls alles dafür tun, den Erwartungen gerecht zu werden, und wollen unser Bestes geben. Ich freue mich sehr auf diese Reise!“

 ― 日本は初めてで、「陽が昇る国」での客演大公演がとても待ち遠しい。そして、ヴァークナーの「タンホイザー」をとても楽しみにしています。今客演が始まる前の五月のロメオ・カステルッチ新演出初演で皆に沢山のことが明らかになりました。ご期待に沿うよう全力を注ぐ所存で、最高の成果を示したいと思います。とても楽しみにしています。 ―

先ずは、日曜日の演奏会の出来とその反響に私達の関心は集まるところである。この「インタヴューは時間の無駄」と言い切る指揮者の類稀な藝術に対する真摯な姿勢とそのマネージメント能力は、既にこのアジアツアーでも端々に表れていて、しょてっぱなから東京の聴衆に問うてくるのは間違いない。ラディオ中継が無くて本当に残念である。



参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
Nach Tokio! Nach Rom! 2017-09-15 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-16 21:42 | | Trackback

少し早めの衣替えの季節

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寝床のシーツを替えた。夏の間のよれよれが余計に寒く感じたからで、厚さは変わらないがアイロン掛けしてあるものを使うとしゃきっととして暖かくなるかとも思ったからだ。それでも態々半袖半ズボンのパジャマで通した。そして翌日になって、室内でも半袖が寒くなって、長袖長ズボンに替えた。こんなに涼しい九月は知らない。

そこで世界最大のワイン祭りヴルストマルクトもお手上げのようだ。寒さに増して雨が降ると客足は遠のく。そこでスタンドをやっている人に聞くと可成り酷いようで、その準備の仕事量や投資に合わないことになりそうだ。

そしてそれよりも何よりも気になるのは天候が悪く雨勝ちなのでリースリングが弾けてしまわないかという心配で、パンパンになっていた果実は駄目になるかもしれない。

先日ナーヘで取って来たリースリングを開けた。五月に試飲会ではあまり気に入らなかったものである。珍しく売れ残っていたのでグローセスゲヴェックスの序に購入してきたのだ。デーノッフ醸造所のカーレンベルクである。それはバートクロイツナッハの地所で、クヴァルツとレームの土壌である。やはり飲んでみると辛口乍らレームのどろっとしたものが喉に残って残糖のように感じて気持ちよくない。クヴァルツでもロベルト・ヴァイル醸造所などのそれとは大分違う。良く言えばミネラルが良く抽出されている訳だが、バランスが今一つである。ミネラル味としては、苦いアーモンドのような味である。2016年産は出来が悪かったのかホェーレンプファートと称するロクスハイムの地所のもあったが、これはロートリーゲンスに近い地所なので余計に重くなって好まない。

この醸造所の本筋は、川の脇の斜面の傾斜地の葡萄からのリースリングだけで、その他のものは同じナーヘのシェ―ンレーバー醸造所のものからするとバランスが悪い。反対に甘口となると恐らくドイツの最高峰の一つではないかと思う。要するにそのミネラルの深さや強さに合うだけのバランスが辛口では充分に取れていないということになる。18ユーロ前後の価格ならば、フォルクセム醸造所のアルテレーベなどの方が遥かにお得で、レープホルツ醸造所やその他のリースリングとの勝負は難しい。

韓国での音楽会評をグーグル翻訳機の助けで読んだ。日刊紙などの常として専門的な音楽批評にはなっていないので、通常のジャーナリズムとしてその指揮者の風貌とか指揮姿が語られている。それでもそれなりに伝えられることはあって、そもそもの先行情報とかみ合わせて書かれている。二千人以上入る会場はほぼ満席だったようだ ― それでも入券の困難なドイツでは考えられないことなので、極東での情報の伝わり方という面でとても参考になる。そして少なくともミュンヘンでのトラムペットの事故などは無かったようで、管楽器も称賛されているので、大分更って本番の数を積んでいる成果は読み取れた。面白いと思ったのは、その指揮者の風貌について「玩具の兵隊のようだ」というのがあって、ああブリキのあれかなと思った。

キリル・ペトレンコの名前を最初に聞いたのは、2007年ごろのブログ「ドイツ音楽紀行」での紹介と推薦だったのだが、そこでは「海賊ゲームの吹っ飛ぶ首の親仁」が「上向きでも下向きでも同じ顔の騙し絵」という話しになっていたが、玩具の兵隊はなかなか今でも言えてると思うが、どうだろう。

10月初旬のアジアツアーからの凱旋コンサート訪問の予定が定まって来た。兎に角、当日スキーを預けに行く。ツアースキーのシールを固定するリングが外れたからで、春から問い合わせしていたのだが、持っていかないといけないのでコンサートの日程が定まってからも、引き取りの日程などが定まらなかったから決定は今になったのである。結局スキーのサーヴィスもして貰ってしばらく置いて貰うことになったので引き取りはシーズン前になる。この冬は指輪四部作の上演もあるので序を計画しながら平素以上にミュンヘンに通うことになりそうである。

そういったことで、しばらくお休みしていたが、週末ぐらいからまたお勉強をしなければいけないかと思う。凱旋コンサートは、日本で最初の本番として演奏される「子供の不思議な角笛」とブラームスの四番である。「不思議な子供の角笛」を最後に熱心に聞いたのはフィッシャーディースカウのピアノ伴奏盤以外ではバーンスタイン指揮、クラウス・テンシュテット指揮とかシノポリ指揮とかではないだろうか。要するに最近演奏されているのをあまり聞いたことが無い。



参照:
死亡事故20年で解消した疑問 2017-09-02 | 雑感
土産になる高品質甘口ワイン 2016-05-30 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-09-15 23:23 | | Trackback

Nach Tokio! Nach Rom!

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愈々、ミュンヘンの座付き管弦楽団は東京へ移動する。日曜日にラフマニノフ、マーラーのプログラムでのコンサートで、同時に木曜日「タンホイザー」初日への稽古に入るのだろう。ピアニストのイゴール・レヴィットは帰国して、次はボンでのリサイタルだろうか。同じように帰国する人もいるのだろうが、歌劇場本隊は直接東京入りなのだろう。

ソウルでのコンサートの様子は、流石に携帯電話大國だけのことがあって、インスタグラムの量が凄く、劇場から直接上げているようだった。それを見るとトラムペット奏者も喝采を浴びているようで上手くいったのだろう。明らかに台北の初日とは違って落ち着いた感じがあるので、恐らくかなりいい演奏になったのではなかろうか。因みにレヴィットのアンコールはショスタコーヴィッチのバレー組曲一番「ヴァルツァー」となっている。

兎に角、今までツアーの状況をSNS等で追ってくると、旅行計画自体もとても完璧に思える。何といっても台北初日の時差ボケの興奮状態と、二日目のベートーヴェンでの反響を見ると、想定以上に順調に進行している様子だ。寧ろ管弦楽団の夏休み中の準備かどうかは分からないが、昨年の欧州ツアー時よりも一段と管弦楽団として成長しているようにしか思えない。それは、ピアノ協奏曲三番の断片を見ていても、なるほどベルリンで共演したピアニストとは違って、指揮者とピアニストの間の意思疎通が顕著で、遥かにフィルハーモニカ―との演奏時よりも素晴らしそうだ。交響曲の方も練習風景で見たように、またコーダの風景のテムポを見ても中々のもののようで、楽団員が聴衆以上に満足しているのは時差ボケの興奮とはまた違うだろう。

台湾では、「ミュンヘンは南国的なキャラクターで」と書いてあるのを読むと、なるほどその台湾の雰囲気が分かるようで、そこで二回のコンサートから始めたのは大成功だったのではなかろうか。打楽器奏者が言うように、「ペトレンコは可成り這入り込んで」いて、時差ボケの興奮だけでなくて、やはりこの指揮者はこうした一種のアジア的な多幸感というかそういったものも自身の気質として持っている人だと感じる。時差ボケでのマーラーの指揮風景などを見ていると首を痛めて東京公演は大丈夫かなと心配になるほどで、「楽員に確りと視覚的に伝えることに留意している」と言うが、それにしてもあの七番の第二主題部のステップは真似の出来る指揮者はどこにもいないのではないか? ― 流石に卒寿にして益々足取りの軽い指揮者ブロムシュテット爺でも難しかろう。

表題のように、楽器がソウルのアートセンターの楽屋口から東京へと向けて運び出される報告にコメントしたが、まさしく巡礼がローマへと叫ぶように、管弦楽団にとっては管弦楽市場のメッカでもある東京への巡礼でもあり、そしてその二幕フィナーレで叫ばれるように「タンホイザー」へと流れる。担当者と劇場として二つもいいねを貰ったが、とても大きな期待が膨らむアジアツアーもいよいよ佳境に入って来る。そう言えばソウルの会場で冊子を配っていた広報の笑顔を絶やさない女性とはボンで言葉を交わした。



参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
漸く時差ボケから解放される 2017-04-08 | 暦
圧倒的なフィナーレの合唱 2017-06-05 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-14 23:19 | | Trackback

ハイナー・ガイスラーの訃報

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爪先が冷たくなった。靴下を履いても駄目なので内履きをサンダルタイプからスリッパタイプに替えた。冬でもサンダルを履いていたことを考えると今年は寒いのだろうか。仕事机に座っていても半袖では寒くなってきた。内履きを新しくする必要もありそうで、レープホルツ醸造所に行くときなども計画しなければいけない。

室内を閉め切るようになって、ノートブックのファンに気が付くようになった。夏の間、プリンターの上に置いていたので、やはり下に風通しの良い状況を作るべきだったかと思う。冬篭りの体制が整っていないことから、何とも言えないが、出来るだけノートブックの場所を動かさないようにして、遠隔で使用したいとも思っている。モニターをどのようにするかなど解決すべきことがありそうだ。

庭の木が屋根に当たるようになって久しいが、流石に放っておけなくなった。このままならばいつか屋根雇が壊れる。そこで早速管理会社に連絡しておいた。一年ほど前から注意喚起していたのだが、これ以上放っておいて破損などしたら責任問題だろう。丁度陽射しが弱くなることであり、葉刈り枝刈には都合が良い。夏の間はこれで大分涼しかった。

イゴール・レヴィットのサイトにハイナー・ガイスラーの記事が引用してあったので何かと思ったら、新聞一面トップに顔写真が載っていて、亡くなったようだ。ドイツ山岳協会の顧問のような大政治家で、コール政権の大番頭として、また後年もリベラルな保守政治家として、丁度現在の連邦共和国政治を体現するような人物だった。十数年前にもツーグシュピッチュェの岩壁を登攀していて、同じ年齢で同じクライミングが出来るかどうか、とても目標となるアマチュア―アルピニストでもあった。

想い出の映像で気が付いたのだが、南ワイン街道のガイスヴァイラーに居を構えていて、1980年から南プファルツの奇岩地帯の中心であるダーンに事務所を構えていたとある ― 内履きを買いに行くところだ。なぜか今までそれについては知らなかった。元々プファルツの人ではないので岩登りも雑食砂岩よりもドナウの石灰岩でならったようで、実際に岩場でもアルパイン協会関連でも一度もお目にかかったことが無い。ランダウ支部に入会していたのかどうかも知らない。

その雰囲気や喋りからしててっきりシュヴェービッシアルペンのヴュルテムベルクとバイエルンの間ぐらいのイメージがつよく、プファルツの大臣時代など全く分からないので、訃報を読んで今回驚いた。それにしても狭いようで広いワイン街道で、まだまだ知らない人がまだたくさん住んでいるようだ。

ソウルでのコンサートが開催されたようである。可成り入っているようで、最終的にはつまったのだろうか?会場のアートセンターの会館の屋根が朝鮮の帽子のような形をしていて面白い。韓国も日本と同じように録音媒体からの影響が強そうで所謂オタクといわれるような人が殆んどのように感じる。さてどのようなコンサートになるのだろうか。反響が楽しみだが、台北とはまた異なるのだろうか。楽団長のゲルトナーが、台北には二種類の聴衆がいて、一つは音楽に没頭してしまう聴衆と、一つは演奏後に歓声を送るコミュニケーションの出来る聴衆、原語は無いのでそのように理解した。所謂オタクは前者で、エンターティメントを楽しむ層は後者となるのだろうか?

正直、欧州で催し物に行くようになって気が付いたのは、日本ほど静かな会場は珍しく、それはドイツ語圏でさえ日本とは異なる。要するにメディアに根差したオタクが少ないということになる。自分自身もその立場がら集中度は誰にも負けなくなった。また分析的な耳が鍛えられているので、没頭して聴く必要などは無くなって、どんなに遠いところからズームの耳でその経験と脳で音を補えるようになっている。だから、昔の大フィルの笑い話ではないが、「半音ぐらい負けえといてーな」ならず「一小節ぐらい聞こえなくても良い」ぐらいなのだ。さて、どうなることであろうか、木曜日に愈々東京入りで、日曜日にコンサート初日、更なる木曜日オペラ初日までにプローベということなのだろう。



参照:
#바이에른슈타츠오퍼오케스트라 (Instagram)
twitter.com/pfaelzerwein
謝謝指揮大師佩特連科! 2017-09-12 | 文化一般
ミニスカートを下から覗く 2007-09-17 | 文化一般
公共放送の義務と主張 2005-12-24 | マスメディア批評
石頭野郎にぶつけろ! 2007-06-07 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-09-13 23:28 | 雑感 | Trackback

「ファースト」とは少数派のもの

車が快調で喜んでいる。新車の時とは比較できないが、それでもその辺りを走っている車の多くよりも静粛性が高そうだからだ ― ただしバネはロールスロイスやBMWのようにはいかないので、次は空気バネが欲しいと思う。だから警告が点くとがっくりする。忘れたころに点いたのはエンジンオイル不足だ。まだ量を測ってはいないが、前回の交換から時間が経っているので、その燃焼と共に粘度が高まって来たのだろう。走り出して暫くして下りになると警告が点いたりする。先ずはいつも使っていたエンジンオイルの三本目を発注する。ここ二三年で僅か3リッターの購入であるが、ランニングコストとして計算しないといけないので新車にはない古い車の維持費には違いない。幸い乍ら油漏れは無く滲み出す位なのでその面では気分が良い。送料込みで10ユーロぐらいだ。

気圧配置が悪くなると雨が降らなくとも最近は朝からぐったりとする。夜中もぐっすりと長目に眠っている筈だが、目が覚め難く、中々血圧も上がらない ― 十代の時には朝の血圧の低下などは感じたことが無かった筈だ。無理してパンを取りに行って、森の中を走る。兎に角身体も重く頭が冴えないのでジョギングするしかないのだが、それでも走っているうちにやる気も出て来る。気温も低く、復路の日差しで漸く汗が噴き出してきた。そうなれば本気になるが、なんといっても歩みが遅すぎる。まだまだだ。

そのような塩梅で10月以降の準備も始めなければ遅くなるが、中々始められない。いずれにしても、この木曜日金曜日までにある程度の見通しをつけて置かないと、秋から冬の計画が立て辛くなって来るので、何とか無理をしてでも気を盛り立ててやって仕舞おう。

不思議なもので、夏の間は夜中に目が覚めて頻尿の夜があったのが、涼しくなって戸締りして早めに床についても朝まで起きられなくなってきた。全ては太陽の日照時間の影響だと思う。陽を浴びる機会が少なくなっているので、意識して陽に当たらないと駄目なようだ。例年はこのように感じたことは無いのだが、今年は何か事情が異なる。影にいた時間が例年より長く、年間の量が足りないように感じる。

選挙の張り紙が方々にある中で、みすぼらしいAfDのそれに初めて目が行った。ドイツの何とかのためだったが、殆んど意味不明だった。「何とかファースト」と言うのと一緒で、そもそもそのキャチフレーズには意味がない。選挙権を持っているのは「何とか」だけだからである。それでも態々「何とかのため」を強調するのはそれ以外の市民の排斥でしかないことは少し考えれば誰にでも分かる。

ポピュリスト政治として「何とか」を掲げるならば、その「何とか」は少数派であるべきで、選挙前から多数派である「なんとか」を強調するのはやはり排斥運動でしかないである。法務大臣がAfDのプログラムは憲法違反の疑いがあり、信教の自由などを奪うものだとAfDの危険性に注意を促した。

同時にSPDは、ここに来て「大連立でメルケルを入れてやっても良いが、こちらが出向いてもいい」というような大口をたたくようになっている。新聞はこれによって野党になるSPD支持者の棄権を避けたいようだとしている。またCDUは「FDPが連立を成立させずにSPDとの所謂緑赤黄色の信号連立を考えている」というのに対して、FDPは「緑との移民政策が上手くいかない」と言明して、同時に「SPDとの其れは実際上あり得ない」としている。政治的な有権者への駆け引き合戦だが、そもそも移民に厳しくしてもAfD票をどこまで削れるかはとても疑問で、なにがなんでも連立入りするぐらいを強調しないでも再び全員落選にならない自信があるのだろう。下部組織が確りしているということだろう。



参照:
謝謝指揮大師佩特連科! 2017-09-12 | 文化一般
Digitalisierung ändert Alles!? 2017-09-08 | BLOG研究
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# by pfaelzerwein | 2017-09-12 23:54 | 雑感 | Trackback

謝謝指揮大師佩特連科!

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ネットで教えて貰って20年ぶりぐらいでバレンボイム指揮の中継をBGMで流した。キッチンで仕事をしながらなので細かくは分からないが、バスにしっかり積み重なるような和音をベルリンのスターツカペレが奏でていた。この音響は到底ミュンヘンどころかヴィーンでもドレスデンでも聞かれないなと思い、見事だと思った。バレンボイムのブルックナー演奏はLPでシカゴでのそれをリファレンスとしているぐらいなので信頼しているが、シカゴ響やパリ管での演奏と異なって到底細かな音符まで読み取ることも無く、結局は超優秀とは言いながら座付き管弦楽団に演奏させている以上のものではなかった。バイロイトでの指揮が如何に優れていても所詮BGM的な美しい音楽以上の楽譜を読み込むところまではいかないのを確認していたのと同様に一流交響楽団でないと指揮者としての化けの皮が剥がれてしまうようだ。それ故に今回の交響曲九番だけでなく、同じ座付き管弦楽団で録音した大量のメディアでこれといった成功した制作は殆んど無い。八番などもDL出来るようなので序に聞いてみようと思う。しかしそこにはそれ以上に素晴らしい音源があって、アンサムブルアンテルコムテムプランやパリ管などがある。面白いのを探してDLしてみたい。

それにしてもコンツェルトマイスターが前に立って調弦をしてという様がまるでプロシアの軍隊式で、現在のフィルハーモニカ―がインターナショナルな雰囲気に溢れているのに対してまるで東独のそのままの趣で驚いてしまった。この座付き管弦楽団はスイトナー指揮のモーツァルトのオペラやカール・ズスケの独奏や四重奏ぐらいでしか馴染みが無かったので吃驚した。いづれベルリンにも仕事の拠点を作ろうと思っていた矢先なので、あのようなプロシアの軍事指揮を見せられると嫌気がさした。そもそもベルリンは外国人ばかりなのであまり住み易そうでも無く、週末のラディオで十五万人のユダヤ人はドイツでのユダヤ居住地となっていて、イェルサレムと姉妹都市を結ぶフランクフルトとは大分違う。チューリッヒのようにオーソドックスのユダヤ人がうろうろと目立つことはないと思うが、下着の洗濯とか何とかラディオで聞くととても面倒でそれには到底付き合えない。

そうしてこうした皆がもっている本心をポプュリズムに乗じて政治的な発言としてちらちらと見せることで票を集めるのがAfDという政党である ― 要するにぶっちゃけトークで人気を集める話し手でしかない。選挙が近づくにつれてあちこちで反AfDへの運動が盛んになっている。そうした種明かしの抵抗がどこまで功を奏して奴らの躍進を出来る限り最小に抑えることが可能なのか?

反AfDと言えば、ピアニストのイゴール・レヴィットが拾ってきたネタに、政党のキャムペーンポスターを揶揄するものがあった。そこには、水資源をドイツの手にと言うのがあって、如何にも反グローバリストにも受け入れられやすいコピーであるが、写っているのが海岸の波打ち際で、「これは塩水です。飲んではいけません。」と投稿者は書く。要するにAfDなどはそれほどのギャグの政党である。どこかで同じような程度の主張をしている二流指揮者がいるのを思い出してもらえばよいだろう。

台湾の音楽会主催者が、キリル・ペトレンコ指揮演奏会二日目の数時間後には批評をサイトに載せていた。驚きでしかない。前日の分と合わせて用意していた原稿があるにしても日本の新聞批評に匹敵するようなもしかするとそれ以上の内容を直ぐに纏めている。殆ど徹夜で仕事をしているのだろう。

一番興味深かった専門的な批評は、ヴィーンの大学で17年前にペトレンコ指揮を聞いていたという作曲家の林芳宜のコメントである。特にベートーヴェンの第七交響曲の序奏四拍子(poco sostenuto)から六拍子(vivace)への経過句についてのどの録音よりもゆっくりと生き生きした緊張感で聴かせ、それに続く第一主題を分かり易く気持ちよく響かせる手腕を第一に挙げている ― その主題部は練習風景のヴィデオで充分に確認できる、その歌と分析の確かさがペトレンコの演奏解釈であるとしている。前日のマーラーに比較して、その柔軟性とテムポが、ベートーヴェンにおける古典的な声部間のバランスと共に称賛されているペトレンコ指揮の演奏実践である。但し作曲家はマーラーにおいては十二分にラインが出ていなかったと批判している - 座付き管弦楽団の限界を含ませている。次に二楽章のアレグレット指定のテムポが早く感じられたがそれは楽譜通りで、その「原光」が聴きとられなかった始まりも、弦の粘度を下げるような弓使いで、徐々に軽さを増していくようで、とても楽しめたとある。そして、その流れの良さに反する持続性にも感嘆していて、要するにそのリズムとテムポの自由自在のことに他ならない。

この作曲家がフルトヴェングラーの録音を比較したかどうかは分からないが、大管弦楽団でのベートーヴェン演奏実践において、それに作曲家も楽しみにしているベルリンのフィルハーモニカ―とのキリル・ペトレンコ指揮ベートーヴェンがそれ以上に意味が生じるとは容易には思えないが、このように聞くと少なくとも漸くそれに比較可能な演奏実践がなされる期待が膨らんでくる。兎に角、欧州ではまだ暫く待たなければいけないことなので、こうしていの一番にペトレンコ指揮のベートヴェン解釈について触れることが出来るのはなんとも羨ましい限りだ。イゴール・レヴィットの「エリーゼのため」にはまるで禅味と表現していて分かり易い。

その他、二日目はゴールドベルク変奏曲の一部が演奏されたようだが、その他には管弦楽団はアンコールを弾いていない。東京では一体どのようなアンコール曲がレヴィットにより弾かれ、更に最後に何かあるのだろうか?

その他の評は、日本の評論のオタクの様な程度で、微に入り細にベートーヴェンのテムポに触れたりしているが、あまり参考にはならず、結局はペトレンコはオペラ指揮出身だからと未だに全く頓珍漢なメロディーを聴いている人もいるようで、同時に楽団員長のギド・ゲルトナーの「交響楽団と座付き管弦楽団」への言及も載せていて何とかバランスを取っている。この辺りは、日本などは専門家よりもいい加減な音楽文筆業界が広く存在するために、余計にオタク状態が激しい。まさしく上の作曲家が言うように、こうした機会に演奏に興奮するだけでなく音楽を本当に学ばなければいかんと言うのが正論に聞こえる。

因みに牛耳藝術の牛耳は、ドイツ語ではスポックの様なSpitzohrとか英語のナイフイアーズとかになるが、審美眼の眼ではなく、耳が尖っていることを意味するようだ。



参照:
MNA超級樂季 完美開幕 (MNA 牛耳藝術)
作曲家林芳宜的五分鐘非樂評! (樂樂文化・HM網 Happy Music)
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
土曜日から日曜日のハイ 2017-09-11 | 雑感
台北での第七交響曲練習風景 2017-09-10 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-11 21:15 | 文化一般 | Trackback

土曜日から日曜日のハイ

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前日のことがあるので朝目が覚めると同時に、タブレットを弄った。どうも日曜日であるだけでなく、台北では前日の打ち上げのためか動きが無い。それでもコンサートが終わってからの幾つかの写真などが上がっている。

何よりもオーケストラと花束を抱えたキリル・ペトレンコとの写真の表情が良い。このようなオーケストラの表情の写真は珍しい。それを伝えていたイゴール・レヴィットの報告だけでなく、道理で、主催元のフェースブックに書き込まれていた聴衆の反応でその状況が知れた。

それによると、弦楽団員だけでなくお互いに抱き合っているのは初めて見たと、驚いていて、成功を祝しつつ、男よりも女を抱く機会を求めているのがみえたと、とても好感がもてたと結んでいる。

ベートーヴェンの練習風景でも分かるように、楽員が夏休み中に ― 恐らくバイロイトなどで小遣い稼ぎすることなく ― 充分に準備をしていたのが窺い知れる。そして時差ボケで殆んど興奮状態のままに予定が進んでいるのだろう、その高揚した雰囲気がよく伝わるのだ。

録音などをして冷静に審査すると荒があるのだろうが、生の公演では数少ない玄人しかあまり気にしないような傷はあっても、なによりも皆が満足できるような音楽会であれば大成功である。終演後にビールを傾ける写真なども上がっていて打ち上げの雰囲気がよく伝わる。

こうしてみるとやはり日本での初日の文化会館でのコンサートはかなり期待できそうだ。最初は時差ボケが取れる一方、こうした興奮状態から旅行の疲れのようなものが出てどうかなとも思ったが、ミュンヘンでの演奏会から五回目の同一プログラムの演奏会であり、その楽員の準備から見ると録音が欲しいような演奏になりそうである。

土曜日のコーダの一部の映像が出たが、予想通りの熱狂で、一寸ハイの感じは否めないが、流石にテムポも落ち着いていて、寧ろ台湾の人達にとっては物足りないぐらいなのかもしれない。

土曜日は、朝から雨が降っていて、走ることも出来なかった。前日の試飲会の疲れも残っていたから仕方がない。それでも運動不足となると、下腹の具合も悪くなって気持ち悪い。夕食にアルコールを抜こうかと思ったが、結局金曜日に購入したリースリングを開けた。

そうしてちょこちょこと出て来ている台北での反響を横目に、パン屋に出かけ峠攻めに行く。森の中は摂氏10度で涼しく、前日の湿り気がある。パンツを脱いで走り出す。体温が上がらないので蒸かせることが出来る。これならば久しぶりのタイムを狙えるかと思う。上りはどうも駄目だったようだが下りて来て34分を切ったのは4月以来のようだ。まだまだ56秒だから33分割りには上りの記録が必要であるが、ようやく調子が戻って来た。

しかし帰宅後体重を測ると74㎏もあって、春よりも5㎏ほど太っている。これには驚いた。夏太りは毎年の傾向だが、我慢して走る距離も増やしているぐらいなのだが、クライミングが減っているのか、肉食が増えているのか、ビール消費量かは分からないが太った。様子を見て方針を決めないと困ったことになる。



参照:
台北での第七交響曲練習風景 2017-09-10 | 音
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-09-10 21:16 | 雑感 | Trackback

台北での第七交響曲練習風景

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未明、寝床でタブレットを弄っていると、昨日のキリル・ペトレンコ指揮のプローベでの七番の交響曲のヴィデオが出てきた。驚いてとび起き上がってPCで4.13MBのMP4を落とした ― こうなるとコレクター趣味の病気である。昨日見た台北の國家兩廳院でのプローベの録音は、どうも劇場の記録宣伝用で、報道ではなかったようで、その位置からヴィデオが撮られている。想像以上に空のホールの鳴りが素晴らしいが、それ以上にベートーヴェンの管弦楽の引き締まった響きに驚いた。クライバー指揮の同じ名前の管弦楽団とは思えない、旅先とは思えない素晴らしい響きを奏でている。再来年辺りにベルリンのフィルハーモニカ―の演奏でも、ザルツブルクなどの各地のフェスティヴァルで鳴り響くことだろう。

劇場のサイトを見ると、昨日までアップロードしていた担当者はNHKホールに先乗りしていて、ピアニストのイゴール・レヴィットがその任を請け負っている。更に自分自身のサイトもアップしているのでとても小まめだ。

演奏会中継はないようで残念だが、徐々に様々な映像が出てくるかもしれない。上の映像もペトレンコ指揮の練習風景としては、先頃の映画での「マイスタージンガー」とトリノでの「指輪」のほか短い断片しかないので、僅か54秒の風景も貴重である。先ずは、ラフマニノフ、マーラーでのプログラムの初日の反響が待ち遠しい。

ナーヘでのワイン試飲会の帰路、ラディオからベートーヴェンフェスト初日の中継が流れていた。なによりもの話題は、指揮者ゲルギーエフが登場ということで反対運動が盛り上がったということだ。そしてそのデモンストレーションは予め予告されていて、主催者側も「思想の自由」ということで運動を肯定的に解釈したということである。それでもボン市長や州の大臣などに並んで開会の挨拶に立ったニケ・ヴァークナー女史は、ゲルギーエフの言葉を引用して「演奏会は、演奏者と聴衆がお互いに理解し合って成り立つ、だからベートーヴェンの第四交響曲に続いてロシア音楽の名人としてチャーミングなシェーラザードを楽しみにしよう」と拍手を貰っていた。

一曲目の「ローエングリーン」の一幕への前奏曲が流れるが、そもそもペテルスブルクの管弦楽団の力量やそのレパートリーを考えれば、勿論ミュンヘンの交響楽団でもそれほど変わらないが、なぜこのようなものを初日に持ってきたのか分かりかねた。なによりも低予算でテーマを示したいというお手軽な手配だったのだろうが、これがパスキエ女史の手腕ならばもっと興味深く問題の無い演奏者を集められたのではないかと思う。

プーティンをロシア人として支持するのは構わないのだが、そしてその政治的な立場を表明することも構わないが、結局その音楽家や芸術家は思潮的にもそれによって値踏みされるどころか、音楽や芸術が分かる者ならば其奴がそもそもその程度の表現しか持ち得ていないことを知っているのだ。それ故にこの指揮者に開幕をさせた主旨が不可思議なのである。



参照:
文化の中心と辺境の衝突 2017-09-09 | 文化一般
外から見計らう市場 2017-09-07 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-09-09 18:28 | | Trackback

文化の中心と辺境の衝突

台北からの写真が幾つか入って来ている。一枚は劇場のテュイッターで、もう一枚はイゴール・レヴィットのもので、お昼ぐらいから始まったリハーサル模様だ。最初に交響曲七番のプローベのようで、副調整室のようなところからピアニストが写しているので、その後にピアノ協奏曲ハ短調なのだろう。ベートーヴェンプロは10日日曜日なので、明日9日にこの6月に演奏されたプログラムのプローベなのだろうか。

このピアニストに、そんなそこからでも ― なぜ客席からではないのかは分からないが -、「ペトレンコ指揮の七番は圧倒的な響きだ」と書かれると、こちらまで興奮してしまう。ペトレンコ指揮によって特別な音響が響きわたる訳ではないが ― 中華圏ではインタヴューでの独自の響きに話題が集まっているようなのが彼らの西洋音楽受容として興味深い ―、カルロス・クライバー指揮のそれなどよりは圧倒的に引き締まったベートーヴェンが響くに違いない。そしてああした音楽がアジアでどのように響いて、立錐の余地なく入った会場で響くのを想像すると文化の衝突というようなものをどうしても想起するからである。

それは何も台湾、朝鮮からだけでなく、東京からにおいても注目される現象なのだ。今更ながら交響楽演奏世界のメッカの様な日本において改めて文化の衝突を想起させるのは、やはりペトレンコ指揮の管弦楽団の演奏行為が歴史的な源流を遡る行為だからであろう。特に、台湾、朝鮮などの管弦楽演奏はフォンカラヤン以降の管弦楽を抜きにしては語れないので、漸く本物の西洋近代音楽がその地で奏でられることになるのだろうか。

リハーサル会場にはドイツからの報道カメラが入っているようで週末には報じられるだろう。ソウルや東京にすれば日常のルーティン化されたシュービズの一風景かも知れないが、こちらからすると違うということだ。意味は全く異なるが、「もしあのフルトヴェングラーが幻の東京オリムピックに合わせてフィルハーモニカ―と凱旋していたならば」とか考えてしまうのである。文化の衝突の様な興奮をそこに感じる。

新聞に、エステルハージのアイゼンシュタットで開かれていた「ハイドンの日々」が今年からその州の援助のもと郊外へと追いやられた話が載っている。その音響的中心にあったハイドンフィルハーモニカ―は気鋭の指揮者の下エステルハージ財団の元の場所で演奏続ける一方、その生みの親である大物指揮者アダム・フィッシャーに率いられた自兵のこれまたデンマークの放送協会から駆逐された私立の管弦楽団が、ここで再び駆逐されて郊外の町で、その一件の怒りに燃えて演奏したことが伝えられる。そこでは、70歳になろうとする指揮者は、嘗て批判されたようなものをかなぐり捨てて、「その年齢に達したと見えて、なりふり構わぬ演奏を繰り広げた」ように響いたようだ。テムポ、パウゼ、音量の変化、挑発的な奏法などが、交響曲などでと同じように宗教曲でも強調されることから、明らかに楽天的で欺瞞に満ちた信心のように響き、まさしく宮廷から野に放たれたようだと結んでいる。こうしたローカルな演奏行為にありがちな普遍とはならない音楽行為の典型かも知れない。



参照:
twitter.com/pfaelzerwein
bayerischestaatsoper (Instagram)
Bayerische Staatsoper,
MNA 牛耳藝術#bmw大7之夜,
誰是佩特連科? -談出身、成名之路、人格特質、音樂風格 (facebook)
Digitalisierung ändert Alles!? 2017-09-08 | BLOG研究
外から見計らう市場 2017-09-07 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-09-08 17:13 | 文化一般 | Trackback

Digitalisierung ändert Alles!?

文化や芸術については書いても、殆んど政治については語らない。それでも総選挙も近づいてきたことであり、最新の世論調査と新聞記事を読んで一言。最も興味深いのは、難民大量流入問題以前の状況に戻ってメルケル首相の人気が復活したことだろう。その背景には、ハンガリーのオーバン首相やオーストリアの右翼やトルコのエルドアン独裁の様な悪い連中のお陰がある。メルケル首相は女性的な狡さで天才的な政治をしているように思えてきた。

そして国民の主要話題は、お天気だけでなくて、トラムプ、難民、トルコ問題、ディーゼル、アンゲラ・メルケルと四年前よりもより政治的になっているというが ― 実際政治談議ではなくてもこの辺りの話題は立ち話に上るようになっているが、それは身近な切羽詰まった問題であるよりもTVワイドショー的な世間話しでしかない。

それでも数少ないSPD支持者の中では、社会の公平、若い子育て世代への政策、年金と所謂社会民主的な政策も期待される。しかしリアル政治の中では、ドイツ経済の景気とか社会の全体の楽天的な気分の方が大切なので、誰もSPD政権に期待していない。実際に自由党と緑の党の所謂ジャマイカ連立政権となるのかどうかは分からないが、メルケル政権への支持は揺ぎ無いようだ。経済に関してもマイナス金利から正常化へとソフトランディングへと向けて動いているだけで、なにも自由党がそこに必要ではないだろう。

そもそも大連立の第二党には勝目が無いのだが、それ故に新たな候補を立てて、旗手回生を狙ったようだが、SPDの長期低落傾向の中ではシュレーダー前首相程度の余程の人物が出てこないと政権は狙えないということだろう。兎に角TV討論会なども生温くと書いてあるので、結局はシュレーダー、メルケルの討論やその後のZDF攻撃などの闘争は全くないということだ。

面白いのは、極東へと向かったピアニストのイゴール・レヴィットがトランジットのバンコックまでの隣席の空いている飛行機内でも「一体誰がFDPを選択するのだ」と呟いていて、そうなると緑の党はどうしても連立に入らなければいけないということになる。FDPだけならば詰まらない政策も出てくるかもしれないが、AfDよりも弱い緑の党でもそこに入るとやはり違うだろう。AfDに対して「ナチス」と攻撃して、流石に考えたのか、その反対は、「左翼のいい人」ではなくて「普通の思慮深い人」というのを取り上げている。そもそも彼が左翼であることは了解しているが、ソヴィエト出身の人間としてはメルケル首相と同じく左翼党の支持者であるわけがない。

そして、「I Am Not Your Negro」を五回も見たとして、再びAfDに今度は静かに批判する投稿を扱って、ジェームス・ボールドウィンに言及する。勿論その背景には合衆国における時事があるのだが、私がAfDへの立場を表明したのと同じように「奴らの言動」に対する激しい気持ちがそこから浮かび上がってくる。正しく、自らが命題を述べるまでも無く、引用によってそれ以上に大きな表現が可能になるというとても芸術的な表明となっている。流石に一流のまだ若い芸術家の表現である。



参照:
Twitter.com/pfaelzerwein
IfD Allensbach
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-09-07 20:39 | BLOG研究 | Trackback

外から見計らう市場

テュイッターを見ていると、DACAの復活が話題になっていて、再びトラムプの政策が合衆国の分断を招いているようである。要するに違法移民の子供として育った合衆国市民の権利の問題である。トラムプ支持者を纏めてレーシストと十羽一絡げにするのは、先のシャルロッテンヴィレでの一件があるからでもあろう。それにしてもオバマ政権の救済策などを全て元に戻そうとする政策とその支持者が多いということは、トラムプに票を投じた人たち全てがオバマには票を投じてはいないと思わないので、いつの間にかそれら全てが不満に変わってしまったのだろうか?

スイスから先ごろ亡くなったクラリネットの名人エドワルト・ブルンナーを偲ぶ会へのお知らせが入っていた。ハインツ・ホリガーも一曲吹くようだ。スイスは音楽の拠点も幾つかに分かれているが、その人脈などは外からは正直分かり難い。要するに邑なのだ。

ミュンヘンのオペラ座のアジアツアーが始まろうとしている。中国語や韓国語のネット情報を見ていると面白い。台湾と大韓民国を比較したことが無かったのだが、大体台湾の二倍が大韓民国ぐらいの感じのようである。それでも大管弦楽団演奏会は一度しかない。台湾出身の音楽家は殆んど知らないが、韓国出身は多彩である。

その代わりソウルでは、ゲーテインスティテュ―トが係っている室内楽演奏会が行われる。選り抜きメムバーで、ハイドンの弦楽四重奏、リヒャルト・シュトラウスのティル、モーツァルトのクラリネット五重奏曲が演奏される。何時も第三プルトで弾いている金さんも二曲目のリーダーのようだが、彼女がデュッセルドルフ生まれと知って興味深かった。もしや日本企業に関係していたのだろうか?

室内楽は相乗り企画のようで、BMWのスポンサーリングとは関係が無い。つまり、BMWは台北で二回公演をする価値をしっかり計算しているということだろう。少し考えればソウルなどではBMWが売れるわけがなく現代で充分で、自国産業のない台湾は期待できる市場なのだろう。地図で見る限り沖縄とは違って、車を走らせる場所もあるのだろうし、なんといっても経済がいい。少し無理してでもイスラエルぐらいでしか行っていないベートーヴェンプログラムをペトレンコが指揮して、レヴィットが弾くだけの市場があるのだ。90年代の日本にも似ている状態なのかもしれない。

劇場の台湾向き、韓国向きの宣伝ヴィデオをようやく見つけた。ピアノのレヴィットが国名を言い直させられているのが面白いが、映像の一部にマーラーの交響曲五番のフィナーレがあって、これは初物である。



参照:
BAYERISCHES STAATSORCHESTER IN KOREA (GOETHE INSTITUT SOUL)
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-09-07 00:11 | 雑感 | Trackback

黒い森の女への期待

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車中のラディオでは、ベルリンの新インテンダンティン、アンドレア・ツェッツィマンのインタヴューが流れる。冒頭から驚いた。彼女の故郷は、私が冬に通う氷瀑の町だった。あの辺りのシュヴァルツヴァルトに詳しい者は、そこの医師の娘として音楽を学んでと聞くと、とても多くのことが思い描ける。初対面でも沢山のことをお話しできるそうだ。そして彼女が創立されたグスタフ・マーラーユース室内管弦楽団のマネージャーとして、アバドに見染められて、その「偉大な才能」が奨励されたとあり、その後のHR放送管弦楽団、そしてハムブルクの放送管弦楽団、エルプフィルハーモニーに係りながらも結局ベルリンに来ることは定まっていた様な感じさえする。

そして最初の一年間はサイモン・ラトルと仕事をしてそこで受け継がれるものと、そして新しい時代を築くキリル・ペトレンコとのエーラへの橋渡しをとても喜んでいる。「ほかの何処にもいない、楽譜への作品への深い理解を示す指揮者」への驚愕と、「細部への拘りからどのような管弦楽団へもの非常な要求は、ベルリンのフィルハーモニカ―との共同作業で、その可能性からして尋常ならざる成果を示すだろう。」と語るのは、コンツェルトマイスタリンとして管弦楽団を率いていた経験もあるこの女性マネージャーである。

勿論、その自意識の高いフィルハーモニカ―であるから、容易に物事が進められるわけではないが、それに関しても、その通常よりも権限の限られているというポストでも「充分に各々の裁量の範囲はあって、要はどのように持っていくかであって、自分自身の二十年の経験からあらゆる組織を知っているので、自分自身は十二分にやれる。」と、とても心強い。

あの土地柄をよく知る者としては、決して目立つことをすることなく、確りと粘り腰で仕事をしてくれるものと期待できる。特に管弦楽団と指揮者、そして外部の取引においてとても重要な機能を担ってくれそうだ。

そして個人的には、こうしてバーデンバーデンの放送局がインタヴューしたように、そのアルマン語の喋る口だけでなく同じメンタリーティーでバーデンバーデンとの関係もより一層強く太いものにして欲しいと願うのである。バーデンバーデンの監督は、ハムブルク出身のベネディクト・スタムパとなり、とても芸術的な進化が期待されるところだ。

彼女が開いたエルプフィルハーモニーのロビー脇の部屋から、ヒーターの管が破れて水漏れしたのは4月だったようだが、そこにカビが生えてきたので、壁ごと仕切り直すようだ。ああした多目的な大きな建造物だと幾ら会場が改良されて行っても、いろいろな問題が起こることは今後ともあるように思う。やはり音楽会場は独立している方が良い。

シャワーを浴びて天井を見ると、ラムプのシェードに錆びの様な色が見えた。白色だから埃が目立つことは知っていたが、赤さびのような色は気が付かなかった。天井は黴取りで綺麗になったが、これも明るいうちに外して、ラッカースプレーで白く直しておきたい。コードを外したりするのが面倒なのだが、冬は長いのでここ暫くがチャンスだろう。

腰回りが張っている。理由は分からないが、可成り酷い。下半身がぶよぶよする感じで、殆んど大腸癌か下腹部の癌のようで気持ちが悪い。そもそも休むことなく走るようになっているのも、下半身をすっきりさせたいからだが、その疲れもあると同時に、胃の調子などが悪いとどうしても下腹部への負担も強くなっているに違いない。



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
原典回帰というような古典 2016-10-20 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-09-05 22:05 | | Trackback

楽しい2016年産「アルテレーベン」

2016年産ザールヴァインを飲んだ。2015年ほどではないが決して悪くはない。今回は、5月にファン・フォルクセム醸造所を訪ねて樽試飲したワインを、予約したクランクリュワインとともに合わせて12本送って貰った。つまり6本の「アルテレーべ」と呼ばれる、斜面の古い葡萄からの収穫ものである。苗が古いと収穫量は落ちるが長年に生やした根が深く上手いところに張っている。だから吸い取る栄養分がミネラル分豊かで、土壌の表面では出ない土壌の深いところのミネラルを反映するワインが出来上がる。果実を齧ってみても風味が違うのである。

箱が金曜日に届いたが、一日寝かせてあげた。新鮮なリースリングであり、数はあるが樽試飲していて、今度は出来上がったワインとして楽しみたかったからである。土曜日にリースリング煮凝りに冷やしたこの瓶を開けた。グラスに注いで香りが出て来る、五月の印象を思い出すと同時に開いて熟成しているワインを感じる。

ミラベル、黄色の林檎など楽しい香りに、典型的な火打石のそれがある。記憶通り酸が円やかでとても馴染みやすい万人向きのリースリングであると同時に、次から次へと味が楽しめる。ネギに続いて、長めの後味にはミントの香りが漂うと、どこまでも楽しめるリースリングになっている。

2015年は酸もしっかりしていて深みもあり大きな熟成が楽しみな素晴らしいリースリングだったが、2016年はとっつきやすいと同時に汲みつくせないほどの悦びがあるリースリングで、飲みなれない人も飲み飽きているような人も同じように満足させてくれるワインなのだ。

2016年産は決して悪くはない。特に酸が充分な量感がある地域のワインは単純さとは異なるリースリングであり、偉大な熟成さえ考えなければこの数年で最も素晴らしいリースリングになっているかもしれない。但し地域によっては決して良くない。

そしてファンフォルクセム醸造所の「アルテレーベン」は現在までのところ最も素晴らしい2016年産リースリングだと思う。金曜日の夜は、これを開けなかったので、2014年産のグローセスゲヴェックスを開けた。ミュラーカトワール醸造所の「ブロイメル」を開けた。評判の良かったビュルガーガルテンの上位のものだ。これも基調はハーブ味で、最初はアルコールがかっていただけだが開いてきている。但し果実風味は感じられず、ミネラルのそれだけである。食事にも単体でも楽しめるが価格の割には複雑さが足りない。



参照:
楽しい2016年産「アルテレーベン」 2017-09-03 | ワイン
2015年産のお見事な出来 2017-05-20 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-09-04 22:14 | ワイン | Trackback

定まるテムポの形式感

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道理で朝起きするとガウンが欲しかったぐらいだ。日曜朝の森は気温摂氏8度しかなかった。流石に肌寒かったが、反面運動するには気持ちよい。峠を攻めて降りてきたが、気持ちよい汗を掻いた。少しづつ攻めれるような雰囲気になって来た。やはり暑さはかなわない。帰りには摘み取りのトラクターなどが走り出していた。ブルグンダー種などはぼちぼち収穫なのだろう。

新聞にルヴィヴ(独レムベルク)の音楽祭のことが報じられている。キリル・ペトレンコの助手として活躍した指揮オクサーナ・リニヴが開催する音楽祭「LvivMozArt」である。モーツァルトとは、父親の影響からオーストリア帝国の東端へと逃れてきた末の息子フランツ・サヴァ―のことで、ソヴィエト時代には公式歴史から消されていたという。このグラーツの音楽監督になった女性指揮者がそのバロック都市の音大で学ぶ頃のことである。今回そこで演奏したウクライナとドイツのユース管弦楽団がボンのベートーヴェンフェストでもドィチュヴェレのプロジェクトでほぼ同じプログラムで演奏する。

承前)キリル・ペトレンコ指揮「タンホイザー」三幕である。TV放送されたものは完成度が高く、予めお勉強していた歴史的録音を聞いていても、このように上手くいっているものを知らない。楽譜の版は異なるが制作録音されたものよりもこれは遥かに完成度が高い。フォンカラヤン指揮のものは聞いていないが、真面なヴァークナー解釈という意味では今回の録画以上のものは無いであろう。なるほど制作録音ならばテークを重ねなければいけない箇所はあるが、このように繰り返し聞かない限り生では全く問題にならない。

この前奏曲からその音楽的題材は、巡礼の主題と救済の主題を楽匠がどのような調性でどのようなテムポでどのように組み合わせているかでしかないのだが、今回のような正しいテムポとリズムを適格に振れる指揮者でないとその構図が綺麗に浮かび上がってこない。そのようなことでニ回目の公演などでは重なる管がごっそり落ちてしまったのであろう ― 明らかにその原因はハルテロスの歌につられてしまったのであるが、ここでは素晴らしい歌唱を繰り広げている。

要するにテムポにおいてもメトロノームでいえば10とかのスカラーの相違が作曲時点でその調性変化と同じようにまた二拍子系と三拍子系の変換などで整えられていて、救済へと変遷するために所謂ロマンティックと呼ばれる形式をそこに与えている。当然のことながら巡礼から救済また巡礼へと大きなヴェクトルを描くことで、この作品を文字通りロマンティッシェオパーとしている。

そしてその形式感というのは、そのヴェクトルがドラマテュルギー的にもしっくりこないと、感じられない。正直この録画を何回も繰り返して楽譜を見乍ら聴くことで初めて手に取るように分かるところも多くて、ここでどのようなテムポ指定と変調がなされるかを具に観察していかないと楽匠の創作意思が分からなかった ― 三幕が繰り返し演奏されるごとに良くなるのはそうした形式感の問題だろうか。

後期の楽劇などに比べるとその過程が手に取るように見えるのは、叙唱のテムポ指定などでもあり、やはり音楽素材の扱い方が異なるということなのだろう。その反面、このような書法を観察することで、まさしく最後のパルシファルのそれが透視可能となるということで、この作品が今回敢えて取りあげられるようになったのも理解できた。

繰り返しになるが、作曲家が最後まで心残りだったその作風の苦心はまさにその形式感にあって、スカラーで二小節三小節とコピーアンドペースト消去出来るようなものではなくて、この三幕に表現されているようなバランスであるということだ。その意味からすると今回の演出の時間感覚への示唆は些かけったいな感じもするのだが、必ずしも的外れの視点でも無いだろう。

それにしてもこうしてペトレンコ指揮のように正確に楽譜から創作の主題を細やかに表現して呉れないと、何度「名演奏」を繰り返し聞いていても楽匠の創作意思などには到底触れることが出来ないと教えてくれる。九月に三回も東京で演奏されるそれが放送されないのはとても残念であるが、キャストが変わってもテムポが定まれば定まるほどそこで表現される音楽構造が定まってくることは間違いない。(終わり)



参照:
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
音楽芸術のGötterFunke体験 2017-08-14 | 文化一般
オクサーナ・リーニフさん (Zauberfloete 通信)
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# by pfaelzerwein | 2017-09-04 05:24 | | Trackback

残り一本の2014年「雑食砂岩」

2014年シリーズを開けている。それも九月に近づくにしたがって単純なリースリングからグローセスゲヴェックスへと変動している。先ずは中間帯のレープホルツ醸造所から「フォムブントザントシュタイン」である。なぜか残り二本しかなく、一本を開けるのに躊躇した。二年前は三本ぐらいしか購入していなかったのである。要するに購入するワインの価格帯が上に徐々に上がって来ている。VDPの思うつぼである。

流石にこれは良かった。はじめからよかったならばなぜ半ダース買わなかったのだろうか。そして調べると六本購入して四本を飲み干していた。四本目は昨年五月である。これは参った。結局は上手ければ我慢できないで空けてしまっている。上のガンツホルンも三本しかない。最初から開いていて飲み易いと二年間も待てないのである。

そして二年間待った。結果は流石に今まで感じたことが無い薬草風味が強く出ていて、若干のクロロフィル的な新鮮さとその正反対の枯れた感じがあって、素晴らしいハーブ風味である。2013年が黴臭いような香味ならば、2014年はカラッとしていて枯れ藁の趣もある。但し果実風味は殆んど無くて、雑食砂岩のミネラルがナッツ類のように感じられる。酸は綺麗に分解されていて、とても心地よい酸が広がっている。充分な量感で食事にも単体でも両方楽しめる高級リースリングである。これでまた今まで開けた2014年産の最高峰に新たに輝いた。2014年は良年であったことを実感する。

2016年産は、日常消費用に下の「オェコノミラート」の12本目までを予約しておいたので、雑食砂岩6本と予約のガンツホルンを合わせると19本も取りに行かなければいけない。ザールから12本300ユーロも既に届いており、寝かせるものと消費ワインとのマネージメントが更に複雑になってきた。

それにしても筋肉痛が治らない。天候的には走れたが週三回目の走りもパン屋への行かなかった。気温のためか可成り体調は低下していて、所謂夏の疲れと呼べるものだ。昨年とは大違いで不安を感じる。確かのこの週は天候が優れない中で走ったりしたので筋肉に無理が掛かったのかもしれない。そしてシンナーなどの揮発性のものも吸い込んだ。この週末はしっかりと体調を戻したいところである。

体調といえば新しいフィリップスの歯ブラシを購入してから、徐々に歯茎の炎症の状況が良くなってきたのを確認できている。今朝もは若干出血していたようだが、その炎症の範囲がとても小さくなって来ているような感じがある。少なくとも歯磨きでの違和感も気が付かなく忘れてしまっていることが何回かあって、それ以外の時の違和感も逆に思い出すような感じで上顎に触れることがあるぐらいで、時々思い出しては忘れといった塩梅になって来ている。食事などの時には完全に忘れているので、逆に気をつけないといけないぐらいである。40ユーロしなかった歯ブラシであるが、最初の替えブラシを10月末に注文する頃には完治している可能性も出てきた。すると今度は春までに一度歯医者で歯石取りを考えよう。そこで完治である。右側の鼻も同じように明らかに好転しているので右と左が繋がっているのかもしれない。



参照:
反動で動き出す週末 2015-09-21 | 試飲百景
全然飲み飽きないワイン 2016-05-10 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-09-02 23:40 | ワイン | Trackback

死亡事故20年で解消した疑問

筋肉痛が酷い。それほどの負荷を掛けたわけでもなく、無理な姿勢を取り続けたわけでもない、地べたに座ったりして塗料を塗ったり、拭いたりしていただけである。どこか身体が悪いのかと思うぐらいに肩から足まで筋肉痛である。少々仕事をして思ったのは自分には職人的なことは全く向かないということで、椅子に座って歩き回ってソファーに寝そべる以外の仕事は辛いものでしかないということである。誰もやってくれないから自分でやるだけでそれ以上のことはやはりしない。それはものを直したり、達成感とかなんだかんだの悦びとはまた違うことで、仕事となるととってもやっていられないということだろう。

それだから椅子に座って、10月に迫る演奏会のお勉強をしようかと思えば、またそれはそれで中々億劫なものがある。まず最初に、マーラー作曲「子供の不思議な角笛」とブラームス交響曲第四番ホ短調である。前者も後者も楽譜が手元にあるが後者は真面目にお勉強したのは十代の時ぐらいだろうと思う。生で体験するのも二度目か三度目かでしかない。前者は全曲は初めてではなかろうか。

パリの人々には忘れ去られているダイアナの死亡事件であるが、二十年で漸く疑問が晴れる話が新聞に載っていた。疑問は、何よりもSクラスメルセデスでの死亡事故で、安全ベルトを締めていなかったことと助手席の用心棒はエアーバックで助かったということだ。もう一つは速度120㎞ほどでの三人の死亡と、その車が僅か2.8lほどのエンジンしか積んでいなかったことである。

事情は、記事によると、ホテルリッツからパパラッチを避けるために大型リムジンを二台囮に使ったので、事故車はホテルのカウンターで都合したもので、その前歴はスクラップ同然の事故車だったということだ。盗んだ薬中者が大事故を起こし、また直前にも盗難にあって分解されていてと究極の訳有車だったということである。これならば全ての疑問が解ける。

元オーナーが語るように時速60㎞ほどでの直線走行性に問題があったということならば、運転士がアルコールと薬を飲んでいなくても、初めての車で突然の車特有の反応に対応不可なのは当然であり、高低差のある地下道で時速120㎞ならば素面でも事故を避けるのは厳しい。そもそも加速性能の悪い車でそこまで加速するのにも時間も掛かっているので、簡単に事故を起こす筈はないと思っていた ― 後輪にトルクが掛かるフルスロットル状態である。要するにフランスの車検に通るほどの車両の不都合は、シャーシの歪みなど事故後の調査でも事故原因とは解明されないのだろう。

そして当時の乗り物としては、BMWの潜水艦に対し戦車と呼ばれた最高の安全性を誇る車両であり、三人死亡には大きな疑問があった。所謂陰謀論が世界中を駆け巡ったのにもそれなりの理由があったのだろう。それにしても事故直後に通りかかった緊急医が見た時は「オーマイゴット」と意識があったが、直ぐに意識を失い、心臓が右側に移動するほどの大きな衝撃だったという。内出血による典型的な交通事故死のようで、車両は完全に操舵性を失なって柱に激突したようだ ― ブレーキを踏み込むチャンスは無い。安全ベルトに関しては、運転手を別にすると、護衛と後部座席などは1990年代はまだ締めていないことは充分にあり得た。流石に最近は後部座席も着用が義務付けされているが、当時はまだ街中では締めていなくても当然だった。全席エアーバックやサイドエアーバックなどもまだまだなかった時代である。



参照:
民主主義の品格の欠乏 2014-11-18 | 歴史・時事
出稼ぎ文化コメディー映画 2008-02-14 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-09-01 20:26 | 雑感 | Trackback

手作業での車の塗装

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注文していた塗料が届いた。既にやすり掛けもしてあったので、下地から試すのみだ。先ずその前に自慢の汚れ落としで汚れを拭う。そして15本入りの筆から一番硬い幅広を下ろす。タイヤに布でカヴァーをして、蓋を開けた缶に漬ける。筆先を拭い、端の上方から塗布していく。

筆先が硬いために筋が付いた塗り方しか出来なかったが、旅行用のヘアードライヤーで乾かしてからやすり掛けをする。二度目はより柔らかい筆先で出来る限りフラットにするように心掛ける。まるで油絵の制作をしているような気になる。予想以上に綺麗に塗れて、偶々注文した板塗りのグレーでも走らせられるぐらいに色差があまり大きくない。これならば修理の価値があるどころか、気にならないで車を走らせれるようになることを確信する。

記憶を辿れば以前のBMWの時も同じ場所を色塗りしたことがあるがごく小さい範囲の傷だったので今回のように準備万端を整えて修理にあたることなどしなかった。メーカー支店のパーツ売り場で購入した小さな塗料容器の刷毛で塗っただけだった。それゆえに逆に色違いが目立っていたような気がする。それに比べると遥かに広範囲なのだが、塗料を使うまでも無く色の差を余り感じない。

充分に乾かした後で今度はK600の紙やすりで更に平坦にして、端の余分な塗料を拭き除く。愈々、顔料である。振り回してから、今度は比較的硬めの幅広で、一気に塗布する。流石に下塗りの色とは違って色が出ている。一度塗って、まだ境の段差が大きいので二度塗りするが、周りの錆が浮いたところなどの方が気になるようになってきた。因みにあと五カ所ほどは今回のように塗料が脱落する可能性のあるところがあって、今回の経験が役に立つだろう。

そして温風で乾燥させてから、いよいよ仕上げの透明のラッカー塗りである。その前にパン屋の前で傷つけられた部分で修復を試して色の相違を見る。案の定仕上げのラッカーで下塗りが剥がれてきたりして色が濁ることも確認。それを計算して、そのまま仕上げ作業に入る。

一部だけ、下塗りが厚くなって、押したところが濁った。下塗りの素材が表面に滲んできていたのだろうか。仕上げのラッカーが無いぐらいの方が色目は良かったが、改めて瞬間接着剤を使った縁もラッカー塗りで強化できたので、これで上の部分が安定して呉れれば問題が無い。

少なくとも錆が浮いているところよりも気にならなくなった。材料費は全部合わせて25ユーロに満たないぐらいだが、慣れない仕事は数時間掛かっっただろう。次回からは手順もコツも分かって来るので早く処理できるだろうが、それでも準備から完成まである程度の労働となる。ぼろ切れを捨てる前に、ついでに車の下の方を水などを付けて拭いた。飛び石による傷は幾つかあったが、錆と駐車場で当てられた部分以外は可成り状態が良く、拭くと新車のような感じになった。序に暇があればやったことのないワックス掛けをしても良いかなとも思わせた ― 水洗いも今までもしたことも無くこの車も最後まで自分ですることはないであろう。次の車からは雪道の後だけは洗車をしようと思った。

なによりもこれで錆びによる塗料の落下も恐れずに最後までカロッセリーも使えることが分かったのは大きい。エンジン等も今回ギアーチェンジレバーの留めを交換するなど立ち往生するようなことが無いように着々と手配しているので、気持ちよく最後まで走らせられる可能性もこれで出てきた。

ブレーキディスクは二枚で131ユーロで全て二割引きにしてくれたので、360ユーロとなった。またタイヤ交換も50ユーロ、変則レヴ―留め54ユーロで、約560ユーロ、レンタカー22ユーロで570ユーロならばまずまずだろう。本来ならば700ユーロほどだった。昨年にやっていたなら合わせて二千数百ユーロだった。一年伸ばした価値はあった。



参照:
乗り逃げ切れるように算段 2017-08-28 | 雑感
新しいシモンのパンツ 2017-08-30 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-09-01 05:13 | 生活 | Trackback

索引 2017年8月


録画録音した中継もの 2017-08-31 | 音
新しいシモンのパンツ 2017-08-30 | アウトドーア・環境
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
乗り逃げ切れるように算段 2017-08-28 | 雑感
調えたいとても快適な環境 2017-08-27 | 女
ペトロール香と紙一重 2017-08-26 | ワイン
スマートに行こう! 2017-08-25 | 雑感
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
ピリ辛感が残る最後 2017-08-22 | ワイン
ホタテの道の金の石塁 2017-08-21 | 文化一般
ストリーミングの昨日今日明日 2017-08-20 | 文化一般
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
文化需要の光と影のその間 2017-08-18 | 文化一般
中々ならない鷹揚自若 2017-08-17 | 生活
ボールダーで新技術習得 2017-08-16 | アウトドーア・環境
胃がん風に表れる夏の疲れ 2017-08-15 | マスメディア批評
音楽芸術のGötterFunke体験 2017-08-14 | 文化一般
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
ブレーキを踏み込まなかった一年 2017-08-10 | 生活
デジタルコンサートの新シーズン 2017-08-09 | 雑感
シルヴァン・パタイユのマルサネ 2017-08-08 | ワイン TB0,COM2
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
頻尿症の夜を乗り越える 2017-08-06 | 雑感
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
キャッシュレス生活の奨め 2017-08-04 | 歴史・時事
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
とっかえ、ひっかえ 2017-08-02 | 生活 TB0,COM2
音楽後進国ドイツの野暮天ぶり 2017-08-01 | 雑感

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# by pfaelzerwein | 2017-08-31 23:57 | INDEX | Trackback

録画録音した中継もの

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先週金曜日のベルリンからの生中継を聞いた。録音してみると、デジタルコンサートの音質よりも良さそうだ。通常は日にち違いでDLFが流すのだが、今回はシーズン初日でARD全局の協力の中継だった。無難にSWRを流した。バーデンバーデンからの中継などでそのネット伝送には満足しているからだ。フランクフルトのARD中央から同じ経路で流された可能性もある。但し中継に傷は何度もあった。

ヴォルフガング・リームに捧げられているハースの新曲「小さな交響詩」も手慣れていた。どうも同じ編成でメインの「天地創造」を継承していて、嘗てのヘンツェやツェンダーなどとは全く異なる方法で前奏の委嘱目的を果たしている。

ハイドンも流石に当代切ってのハイドン指揮者だけあって、その(創世論に関してもの)ユーモア感覚やベルリンのフィルハーモニカ―の弾かせ方も的を得ていて気持ちよい。本当にそれが幸福というもので、それがライフスタイルというものなのである。やはりこの指揮者とこの楽団の演奏は制作録音しないといけない。今回も欧州中で多くの客演をするのでその準備は出来る筈だが、儲からないのでその心算などは無いのだろう。

実は金曜日の夜は同じ時間帯にプロムスでの「グレの歌」の放送もあった。こちらはロンドンのシムフォニカーの演奏で、興味はあったが、ベルリンでのそれよりはよくなる筈はないと直ぐに判断が付いた。あの辺りのレパートリーではロンドンではこの指揮者からベルリンでよりも多くを期待できないだろう。

日本でペトレンコ指揮「ルル」のDVDが発売となっていて、そのフロントの舞台写真の光景は記憶に無かったのでがせねたかと思っていた。しかしベルエア―の発売で本物らしい。同じような映像はARTEで流れたものなどメディチTVなどのクレディットがついているものが沢山あるが、なぜ今「ルル」発売なのかは分からなかった。

手元にあるファイルは2.8GBの劇場のストリーミングを録画したもので、P1080で音質もAAC126kbps、44.1kHzでそれほど悪くはないが低音が抜けない。発売されるものはどれぐらいよくなっているのだろう?ARTEが中継していなかったと思うので、カメラワークはそれほど凝ったものではないと思われるが、勿論上手に切り替えを使っているのだろう。もう一つの2.1GBの方は、940x640で画像は悪いが、音質は160、4.8kHzで改善されている。更にもう一つ1.41GBというファイルが、175、4.8kHzとなっていて、画像が640x360となっている分、更に音質が向上しているようだ。

初日5月25日の中継放送は会場にいて録音できていないが、6月6日中継分の終了後の指揮者の表情がもう一つ冴えていないのは何故かなと思った。通して聴いてみないといけないが傷以上の音楽的問題があったのだろうか。その月末22日にベルリンでラトルの後任に推挙されることになるのだが、10日過ぎにはパスキエ女史の排除とそれに抗議する書簡が出されるなど、「ティーレマンの陰謀」が丁度大きな負担になっていた時であろう。

そして、最後のバイロイトでの指揮が終わってから、9月に予定を変更して三回「ルル」を追加で指揮している。その代わりかどうか秋の「ヴァルキューレ」はシモーネ・ヤングに指揮を任せたという経過があった。やはり、新ヴィーン楽派の一つとして音楽実践的にやり残したものがあったのだろう。キリル・ペトレンコのレパートリーとしてはアルバン・ベルクの作品はシェーンベルクなどに比較するとそれほど主要なものになるとは思わないが、しかしあれまでにこの制作が注目されていなかった原因は未だに分からない。うかうかしていて少し遅れてから注文しても適当な券が簡単に入手出来たぐらいであるから、その後の入券の困難からすれば、考えられないぐらいだ。そしてなぜか、「ルル」は人気オペラである筈なのに、殆んど注目されていなかった。



参照:
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-08-30 21:23 | | Trackback

新しいシモンのパンツ

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デカトロンに注文したシモンのクライミングパンツが届いた。店頭で試したので大きさには疑問が無かったが、新しいのを履いてみるとスッキリする。最初は長めに感じて裾を折り返そうと思うが、前回のSでも同じだったので、綿の経糸が洗濯をしているうちに縮むのだろう。

前回のモデルに比べるとおしゃれ志向になっていて、ストレッチなどが入ったり、ポケットが二重になったりしている。ベルト通しまでついたので重量は増しているだろうが、サイズを上げたので足は上がり易くなった。何よりも改良されたのは、歯ブラシ状の掃除ブラシを差し込むスリットが刻まれたことだろうか。

買物に行く序に紙やすりを購入してきた。錆で剥がれた車の塗装の下の地ならしをするためにである。先ずは注文した塗料を塗ってみようと思う。出来るだけ浮いた部分を剥がさないようにして最小限の手当てを試みる。地塗り用のグレーの塗料も発注したので、筆が足りないので15本組4ユーロを購入した。紙やすりはK40の可成りごわごわとしたもので布製があったのでそれを二枚購入して、細かなK120とK600の仕上げ用を二枚購入した。

兎に角、剥がれたところに錆を浮かして走るのは恥ずかしい。日本の自動車学校で車の整備について教えられたが、傷めたままにしていると更に運転も状況もひどくなるというようなことだった。その傾向は、ドイツと正反対のフランスなどで顕著で、車を駐車する度に当てるためのバムパーとして使っていると車も運転も更に酷くなる。そして錆が浮いたままであるとまるで車全体が錆びているような印象になって、運転も荒れるということだ。

そこで少なくとも錆が浮いていない状態にすれば色も赤茶色から黒っぽくなって目立たなくなる。更にそもそもの色を上手く塗布できれば、浮いている部分は目立っても、少なくとも今しがた剥がれたようには見えなくなる。あとは砂ぼこりで汚れればそれほど気が付かなくなるかどうかだ。

もし今回の処置で上手くいくならば、傷つけられた部分も化粧直しが可能となる。塗料を含めて三種類のものと送料を合わせて18ユーロしなかった。それが使えるならば足りなくなれば更に追加投資が出来る。錆など怖くないぐらいになれば大したものだが、誤魔化しが可能ならば嬉しい。少なくとも対処の方法が決まったので、諦めムードから少し気が上向いた。車の作動が調子よくその辺りの新車よりもはるかに優れているので、金を掛けるつもりはなくても気持ちよく最後まで乗りたい。少なくとも新車から、乗り慣れて、そろそろ弄り時となって来た。乾かすためにドライヤーを使わなければいけないので涼しい時に時間を掛けてやりたい。

買い物帰りに試しにガレージでK40 を使って剥がれたカ所の錆を擦ってみる。見る見るうちに赤味から鉄のような色に近づいて来た。そして表面が平らになって来た。それだけでも見た目が良くなったので凄く期待できるようになった。

更に欲張って、走りながら考えていた剥がれかけの浮いた塗装部分の処理を試す。一般的にはバリバリ落としてしまうのだろうが、塗装屋でもなく無理に仕事量を増やすことはない。そこで浮いた部分を瞬間接着剤でくっつけてしまう。丁度上から見ると膨らんでいるところなので、これを落としてしまうと剥がれも目立ちやすい。綺麗に接着出来たので、やすりで面取りをする。

もう少しK120で磨いて、自慢のマニュキャ落としで汚れを取れば、下塗り準備完了である。下塗り乾燥を繰り返して、オリジナルな塗装の色が浮き上がるかどうかが勝負だろう。日焼けの色違いは今回発注した塗装の色の程度ほど問題にならない。これだけ広範囲な上塗りが修正が可能なのかどうかは分からないが、逆に目立つことにはならないだろう。



参照:
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
伸びる仏印ジーンズを購入 2015-04-09 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-08-29 19:28 | アウトドーア・環境 | Trackback

イゴール・レヴィットのルジェスキー

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フレドリック・ルジェスキーとイゴール・レヴィットのリサイタルを聞いた。小ホールに一杯の聴衆だったが近くでスタインウェーを堪能した。勿論前者のピアノは作曲家のそれだったが ― しっかりと楽譜を確認しながら一音一音丁寧に弾く ―、まず最初にドイツ語で黒沢明の名作「夢」にインスプレーションされた創作として曲「ドリームス」を紹介した。彼に言わせれば「音楽の形を与えただけだ」となる。

正直驚いたのはドイツ語を話したことで、恐らく周りの聴衆もゲットーの繋がりを直ぐに想像してしまったと思う。ベルギーのアーヘンに近いリェージュで長く教鞭をとっていたことからドイツ語もと思ったが、やはり両親はドイツ語を喋っていたのだろう。仲間が彼にコンタクトしていた時もドイツ語だったとは聞いていなかった。2曲目の「カブリオ―レス」もシモーネ・ケラーに献呈されているようで、退職のメールも貰ったピアニストでもあるケラー氏の娘さんなのだろう。髭のヴェルナ―・バラッチュにも習っている。

第1曲はそのもの「ドリーム」で、3曲目の「アメンシュ」はドイツ語だが英語の不定冠詞がついているイディッシュ語のようだ。アメリカのアクションアーティスト、スティーヴ・ベン・イスラエルに捧げられている。ラグタイムやジャズ即興風がまたとてもユダヤ風だ。前半最後の「失われたイリュージョン」が一番素晴らしかったが、英国のピアニスト、イアン・ぺースの委嘱作となっている。

後半は、最前列で一緒に聞いていたレヴィットが今度は壇上に上がる。上体を屈めた姿勢が印象的だったが、ペダルを含めてとても拘りのピアニストだった。流石に作曲家のピアノとは楽器が変わったかと思わせるほど違うが、この春に先行してキリル・ペトレンコと共演したカナダのアムランなどと比較するとピアノの名手であるよりも拘りの音楽家であって、少しピーター・ザーキンをイメージさせた。なるほど「ドイツのピアニスト」としては、ブッフビンダーやシュタットフェルドまでを含めた中で、第一級の名人であることは間違いない。キット・アームストロングなどとは違って完全に完成しているのも全く異なる。

それでもフィナーレ第8曲のフォークソングのウッディ―・ガスレーの「ウェークアップ」などでの変奏などはとても見事だった。後半最初第5曲目の「ベルズ」の鐘の余韻のような響きの制御も聞かせどころで、勿論リズム的な精査が流石である。第6曲目の「蛍も」黒澤のそれを印象させるが更に心象世界は広がっていて、中々怖い曲だ。第7曲の「廃墟」もトレモロなどが多用されるがより対位法的にも複雑になっていて全曲の集大成のようになっている。このような曲のこのような演奏を聴けば、この作曲家のピアノ作品がこうして一流のピアニストで弾かれるべきなのも分かり、この若いピアニストがこの作曲家に傾倒したのもよく分かった。そして二部はハイデルベルガーフリューリングなどの委嘱で2015年初演のレヴィットに献呈されているとは知らなかった。

一番話題になっていたであろう1970年代から高橋悠治などは弾いていたようだが、こうして聴くようなことになるとは全く思ってもいなかった。79才であり自作自演を聞ける機会はそれほどないと思うが、それと同時にこうして拘りのピアニストの演奏実践が聞けるとはなんと幸運なことであったろうか。そしてそのピアノ芸術を堪能した。

レヴィットのツィッターを今回も見たが、反プーティンなどにも熱心で流石である。兎に角、おかしな連中には東京に引っ越してもらって、文化の吹き溜まりのようなそこで糊口を凌んでいただきたいと思うばかりである。レヴィットは、東京から戻って来てから今度はヴァークナー博士のベートーヴェンフェストで三度ほど演奏会を開く。



参照:
時間と共に熟成するとは? 2017-04-24 | 文化一般
自身もその中の一人でしかない 2017-06-07 | 生活
広島・長崎を相対化する福島 2011-08-06 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-08-28 19:49 | | Trackback

乗り逃げ切れるように算段

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ヴィースバーデンから深夜帰って来て、翌日パン屋から移動して走るために駐車場に停める。先日ブレーキディスクを取り換えて、タイヤを交換した後輪の上の塗装が剥げていた。錆が浮いていたから洗車したことで脱落を早めたのだろう。これは流石に駄目だ。新車の購入を検討しなければいけない。折角修理したのだから、それほど慌てて処理したくはないのだが、カウントダウンである。

新車発注から納車までの期間を考えると半年から一年ぐらいの感じで乗り続けなければいけないので、それなりの投資は必要なのかもしれない。一つの方法は、錆の色を目立たないようにして目立ち方を少なくするために、剥がれている部分だけ紙やすりで擦って、底塗りしてから色を付ける方法で、材料費は30ユーロぐらいだろうか。もう一つの方法は、近所の塗装屋で誤魔化す方法を尋ねてみるしかないだろう。300ユーロぐらいならば仕方ないかもしれない。このままにしておくともそれでなくてもこの数か月で駐車場で当て逃げされたり、ぶつけられたりで散々な状態になって来ているので、でもでも近くの路上であったら横転放火されても仕方ないような塩梅になって来た。ここはもう一年価値の無い車両保険も支払って、新車に備えて無事故年数を増やして、上手く乗り切れるかどうかである。

近所の人にこの惨状を見せたら、一昔前までは錆は日本車の特徴で車両価値がすごく落ちてしまうことが有名だったが、最近はドイツ車も駄目だということになった。イタリア車と変わらないということである。暫くこの状態でメーカー支店にも持ち込むようになると隠すように扱うようになるのではないかと思う。16年間洗車することなしに冬の雪道を走っていたのだから仕方がないのかもしれない。

ヴィースバーデンはレートナイトコンサートだった。ラインガウフェスティヴァルで初めて使った会場だったようだ。小ホール規模で音響も決して悪くはなかったが、場所を見つけるのに汗を掻いた。内容については改めて記すとしても、22時半まで集中してから帰宅すると、睡眠を十分にとっていてもとても眠い。夜遊びと音楽会ではまた劇場などの内容でも大分違うが兎に角眠い。



参照:
スマートに行こう! 2017-08-25 | 雑感
DOTでゴムの耐久を確認 2017-08-13 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-08-27 22:24 | 雑感 | Trackback

調えたいとても快適な環境

ステューワーデスバックの野宿おばさんがいた。朝早いので予想はしていたが、丁度出かけるところだった。銀行に入ろうとすると入り口でお出かけの準備中だった。面倒な時にかちあったなと思ったが、仕方がない。荷物が出入り口にあるので、ドアを支えていたが、ぐずぐすしているので「閉めてよいですか?」と結局渡した。

現金を下ろしていると、出口で声が聞こえて、男が手伝おうかと尋ねている。おばさんを知っているというよりも荷物を持った年寄りと思った可能性もある。それでも親切な人が沢山いるものだ ― 殆んどミヒャエル・エンデの描くような世界だ。そして車を出そうとしていると、高速で前のカトリック教会の方から走る人影が見えた。おばさんである。朝一番からのダッシュを見ているともしかすると40歳代ではないかと思った。入り口にバックを置いてあるので急いだのだろうが、それにしても身の動きが素早い。

人が言うところによると、廃墟になった近くの家を所持していて、朝食はカフェーで摂っているというので金はあるのだ。同じような境遇で金は持っていてもアル中で生活費をそこに注ぎ込むものだから宿無しで過ごしているという爺さんお話もある。

このおばさんの場合は間違いなくライフスタイルなのだが、北ドイツに多いような荒んだ感じからは遠く、少なくとも社会の受け入れ方が違うので、生活感は分からないがそれほど悪くはないのだろうと思うようになった。

ネットサーフィンで、2010年のメトロポリタンでの「ナクソス島のアドリアネ」の録音を見つけた。キリル・ペトレンコ指揮では2005年にディアナ・ダマロウがツェルビネッタでデビューしたようだが、2010年はニーナ・シュテムメがアリアドネを歌っている。コーミッシュェオパー時代の2003年にレハール「メリーウィドー」でデビューしていて、2007年に「魔笛」、「ホヴァンシチーナ」を2012年にも振っている。

ペトレンコ指揮「アリアドネ」は、2015年10月23日のパリ公演後のストリーム中継録画が存在するが、10月17日の公演よりも大分アンサムブルが良くなっている。歌唱も良くなっている。それに比較するまでも無く、メトでの演奏はとても甘口の弦などがMP3乍ら聞こえて趣が大分違う。もう少しましな音質ならば評価が出来るかもしれないが、音質が悪いと細かく聞く意欲が薄れる。演出は知らないが、管弦楽団も特徴が全く違うようだ。シュテムメの安定も良いが、ライアンのいつもの不安定ぶりがまた退屈させない。

ペトレンコは2013年からミュンヘンの音楽監督になって、それ以降は限られたコンサート以外はヴィーンでの予約分しかオペラ劇場では指揮していないが、2015年ベルリンの指揮者に就任することになってミュンヘン以外ではオペラ指揮をしないので、バーデン・バーデン復活祭を除くと、2021年以降オペラ指揮は封印になっている。こうして客演の録音などを聞くと、2021年以降もオペラ劇場への客演はしないで、バーデンバーデンでのオペラ上演以外は今後は振らないのだろう。スーパーオパー上演は客演では無理だからだ。



参照:
寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | マスメディア批評
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-08-26 20:35 | | Trackback