スキー場をかすめるツアー

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スキーツアー二日目且つ最終日は車でタンハイマータールの標高1000㎜のスキー場に向かった。オーストリアであるが高度もあり、始めはスキー場を上がるので登るのが早い。スキー場でいえばツェベルンに当たるのだが、当日はFISのコースで大回転もやっていたぐらいに、三ツ星にしてはなかなか良いスキー場だった印象がある。それほどスキー場の大きな斜面を上がるのに汗を掻いた。そこから林間に入って、次の大きな谷に出る。そこから頂上稜線までも空荷の割に結構苦しかった。標高2000㎜になると傾斜が強いとやはり息苦しい。高度順応とはまた異なるようだ。昨年のモンスーンにアンナプルナ地域を三週間かけてトレッキングしてきた弁護士がいたのでペースが落とされていたのでなんとかなった。若い人だけとなると息が上がっただろう。どうも前回の気管支炎症の影響が残っていたのは帰宅後でも早く走れないことからしても説明がつく。来年ぐらいにはスキーパンツも新しく軽くしたいと思う。傾斜が弱ければ足を前後させるだけなので重さは感じないが上に上げる形になると重さと嵩張りが邪魔になって来た。呼吸器を冷やさないためにもマスクなども考えた方が良いかもしれない。

それでも頂上到着は滑れる場所であり全く問題はなかったが、引き返し尾根の鞍部に下りて昼休みには風を避けなければいけなかった。陽射しが強く春スキーのような塩梅だったが、尾根筋に吹く風は強く冷たかった。どうしても下部で汗をびっしょりと掻いているので、こうした時の保温などももう少し小まめにやらなければいけないと感じた。最近は嘗てとは違ってそれほど汗を掻かなくなったつもりだが、平素のランニングでもある程度以上の負荷を掛けると発汗するのと同じく、陽射しの強い時の冬のアルプスでは発汗も考量しなければいけない。

出発する時に気づいたのだが、前夜のごたごたの移動の時にストックの皿が一つ外れてしまっていて使い物にならない、そこでお休みしている親方のレキのものを借用した。先にバネが付いていてショック吸収できるものなのだが、少し重く振りが良くない。それほど問題はなかったが、バネは雪の上では不要に感じた。

徐々にバックルを締めれるようになってきたので、この日一日中は三つ目を比較的しっかりと締めた。それでも最初の急傾斜の谷状のところでは岩が出ていて雪を落とすだけで上手に滑れなかった。その下の広いところも上手く板が抜けなかった。コケはしなかったが息が上がった。まだまだ上手く滑らせていない。

その下の斜面では先ほどまでヘリコプターが着地して怪我人を収容していた。そこを止まらないように滑り降りて、登りで通った樹林帯に入る。思っていたよりも板をコントロールできたので、一度枝に引っかかる以外には転ばずにスキー場まで下りてくることが出来た。弁護士も一度足をとられていた。スキー場の斜面を下りながらやはり疲れを感じていた。昨晩の長く希望の無い下りの谷で疲れたのだろう。



参照:
やらかしてくれる人 2017-02-21 | アウトドーア・環境
頂上へと一気登り降り 2017-02-17 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-26 20:44 | アウトドーア・環境 | Trackback

春の気分に満ち溢れる

春の気分に満ち溢れている。ワインの地所は霜が降りて、陽射しに照らされている。森の中ははまだまだ冬の気配である。どうも今年になって初めての峠攻めのようだ。前回は大晦日らしい。どれぐらい体調が復活しているかなと思ったが、走り始めると左足の土踏まずに血行の悪さを感じるほどだったので決して良くなかった。登り21分45秒、降りて来て34分は予想よりも悪かった。前回よりも悪かった。一方体重はスキーから帰って来てから70㎏を割っているようで喜ばしい。そして以前のように力が入らないでスカスカするようなこともなくなってきている。あのスカスカ感はある程度の年齢にならないと分からなかった感じで、40歳代になるまでは感じたことが無かったものである。あの感じが最近は無くなってきているので基礎体力がついてきているのだと思う。幾ら痩せてもあのスカスカ感があると健全なダイエットとは言えない。

幼稚園児のような感じだったのが、彼女とやっと最近は漸く高校生のような感じになって来た。幼稚園児のような気持ちになれるならば、それよりはハイテーンの方が年齢的には近いのだが、まさか胸キューンものの気持ちになるなどとは思ってもみなかった。映画などでは回想シーンで描かれるところなのだが、記憶を呼び起こすようなそうした感情ではないのだ。そこで自分が正に体験しているのである。そして特定の過去の記憶に結びついていないのを確認するような体験なのである。

ユリアの方を見つめていると、少し時間をおいてこちらを笑顔で見返した ― 前回は視線を彼女の背景にやっていたのだが、彼女が自分が見つめられていると思って、こちらを向いて視線を確かめた、そして今回は確信をもってその視線を享受していたのだった。彼女の満足そうな表情には抗しがたい。私は一瞬にして高校生になってしまった。彼女の実年齢は、なるほど、そこから数年しか経っていないわけだが、まさか自分自身が郷愁でもなんでもなしにそのような気持ちになるとは想像だにしなかったのである。

なるほど既に20歳半ばにもなるとそのような純な気持ちを持つこともなくなっていたのである。とても不思議で、タイムマシーンとかなんとかで主体が過去に旅をしたりとかとは異なる全く未曾有な感覚なのだ。それにしても彼女とここまで信頼関係のようなものを築くのにとても時間が掛かっている。なるほどこちらもとても用心深いのであるが、彼女がそれ以上であるのを認識した思いである。

先日来インターンの女医さんやら学校の先生やら同じ年齢層の女性とも過ごす時間があったのだが、なかなかこうした情感を持ち合わせているような女性は居ないだろう。そして今回のような経験をさせてくれた。そのような彼女を放っておくことなどは最早考えられない。



参照:
ヘアースタイルフェティシズム 2017-01-13 | 女
手に取るポッケの小石 2016-07-19 | 女
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-02-25 22:18 | | Trackback

春の準備をするこの頃

久しぶりに森を走った。雨などが降っていたので帰宅後はじめてだ。スピードコースを試した。坂を上がり始めると直ぐに厳しく感じた。気管支の痒みも消えていないので咳が出るのだが、走り続けるとそれ以上に全身が厳しくなってきた。足の土踏まずも以前ほどではないが左足に少し違和感を感じた。酸素が回らなくなって来たりと普段ではありえない厳しさがある。どうしてこうなのかは分からないほどの久しぶりの辛さであった。理由は分からない。疲れなのかもしれないが時間も経過している。気温は摂氏8度と高かったが、風が強く、パンツを脱ぐ気は全く起きなかった。

春の強風が夜中中吹きまくっていた。明けるとと晴天で陽射しがあったので、気温はそれほど上がっていないが、久しぶりに籠もり部屋を出て、デスクに座る。冬の間でもこうした木漏れ日を楽しむような時があるのだが、今年はあまりにも春らし過ぎる。謝肉祭が後にずれれているので余計にそのように感じるのかもしれない。二月も終わろうとしているから、四旬節で寒の戻りとなる感覚とは大分違う。

このような時に備えてラズベリーパイも設置してあるので、籠もり部屋のノートブックをそれのVNCで中継する。文句なしに使える。但し久しぶりに目の辺りにするベンキューのモニターの位置が高過ぎてまぶしく感じるので、そろそろウィッシュリストに入っている机に固定するモニタースタンドを準備しておかなければいけないと思った。

暫く温度計としてしか使っていないと元に戻す方法を忘れてしまっていたが、何とか時計もターミナルも戻すことが出来た。要は、.config>lessental>LXDE-piでターミナルをオートスタートしないようにして、データーの書き出しを.bashrcを編集して元に戻しておけばよい。そしてインターネットに接続して時計を合わせるために、 dhclient -r wlan0で IPアドレスを解放してdhclient wlan0で再設定する。序にソフトのアップグレード、アップデートもしておいた。これでまた直ぐに冬篭りから戻れる準備となる。



参照:
弁証法的な辛い生活 2016-12-10 | テクニック
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-02-24 21:09 | 生活 | Trackback

夏タイヤについてのファクト

自動車会社のマンハイム支店から電話があった。預けてある夏タイヤが擦り減っているので準備しておこうかというオファーだった。価格を聞くと一本180ユーロという。既に書いているようにブレーキディスクを交換しなければいけないのでそれを優先に考えていて、まだ冬タイヤで走るので全く考えていないと、一週間先にもう一度電話して貰うことにした。交換のアポイントメントなどとは別の話で準備しておくということだったが、問題になっているのは後輪の溝の深さだった。左右其々2mmと3mmということで法律上の規制値1.6mmまではまだあるが、それ以下となると警察沙汰になるというのだ。

つまり後輪二本を交換すれば事足りる。但し同じプロフィールでないとあまり良くない。面倒だが資料を調べてみるがコンティネンタルの商品名が思い出せなかった。それでもネットを調べると大体分かった。こうした事務仕事が面倒なのだが、電話が掛かって来た時にファクトを話せる。

ネットで購入するとコンティプレミウムコンタクト5の同じ大きさのものが100ユーロ以下で買える。つまり二本で360ユーロと190ユーロでは大違いだ。取り外しなどの一回の手間を入れてもまだ安くつく。電話が掛かって来たので、先ずは商品名を確認した。その通りだった。「あまりにも高すぎるから自分で調達する」として「先に持ち込もうか」というと、それならば「もう少し走って夏場に取り換えればよい」ということになった。最初からそれならばブレーキディスクの方が高額となるので、要らない心配をしないで良かったのだ。200ユーロの買い物予定と、タイヤ交換時に470ユーロの出費では全く意味が違う。

ヤフー日本を見ていると最年長指揮者の死亡記事が載っていた。スクロヴァチェフスキーというポーランドの指揮者でポップス管弦楽団と合併されたザールランドの放送交響楽団を指揮していた人である。車中で同地のラディオ放送からブルックナーの交響曲を明晰なサウンドで指揮しているのは何回か聞いている。しかし2000年以降になってネット情報が日本からも充分に入ってくるまでは正直全く知らなかった指揮者である。アメリカのミネソタで名を挙げた指揮者で欧州に戻って来るまでは無名だったのだから当然かもしれない。

バイエルンの放送協会の朝の番組で死去に伴うインタヴューが少し流れていた。最も興味深く聞いたのは前の大戦で爆弾が近くで炸裂したために両手を怪我して志望していたピアニストになれなかったことについて、「幸運だった」というところである。理由は技術がそこまで至っていなくて、技術を学ぶことに興味が無かったからだというのである。こうした言い方がまた「ドイツの正直さ」とは異なる「朴訥なポーランド人」らしさである。そして、作曲をしたかったのだが生活が出来ないので経済的理由から指揮者になったというのも面白い。少なくともこのインタヴューからの印象はとてもよい素直さで、同じ程度の指揮者ならば世代は異なるがヤノスキーよりもこちらの方に関心が向く。

ブルックナーとの出会いも六歳の時に窓の外から聞こえてくる七番のアダージョだったと言う。要するにヴァークナーへの葬送曲である。兎に角、ブルックナーを得意にしていたのはこれで分かるのだが、ヤノスキーに比較するとミネソタで死亡したことを見ると欧州でよりも合衆国での方が過ごしやすかった人なのだろう。そうした人がブルックナーなどを得意にしていたというのも面白い。



参照:
再び安全なゴム使用の話 2006-11-26 | 雑感
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-02-23 19:13 | 雑感 | Trackback

春の躁がやって来た

春がそこまでやって来ている。春一番である。色々と準備をしなければいけない。先ずはロシア音楽勉強をチヤイコフスキーの悲愴交響曲で一旦終えることになる。まだその復活祭まで四旬節の期間があるが、これもあれよあれよという間に日が経ってしまうだろう。この曲も最後に生で聞いたのはレニングラードフィルハーモニーをムラヴィンスキーが指揮した時だった。今回のお勉強で深く楽曲に迫れるだろうか。少なくとも第五番をキリル・ペトレンコ指揮で体験したので、それを参考にすれば予め第六番も楽譜の読み方が大分わかる筈だ。

バーデンバーデンでの発券状況に不思議に感じた。何と最初の二三ヵ月殆んど出てしまったキリル・ペトレンコ指揮の演奏会よりも出だしが悪かった翌日曜日のサイモン・ラトルの方が殆んど売り切れている。状況からすると他のオファーと組合されて買券されたようで、業者が纏めて購入したのだろう。やはり、多くの大衆にとっては今でもサイモン・ラトルの方が知名度が高いから当然の市場の構造なのかもしれない。やはり、バーデンバーデンは、ミュンヘンともベルリンとも違うのは当然だろう。

そのミュンヘンの歌劇場の2017/18のプログラムの先情報が出ていた。先ずは関心のあるキリル・ペトレンコ指揮の新演出は二つで、その他は「ニーベルンゲンの指輪」再演ということだ。集客力があるので経済的な意味も大きいのだろうが、そこまで再演するとなるとライヴ録音でも残すのかもしれない。クリーゲンブルクの演出はケント・ナガノ音楽監督時の新演出だったが、再演でこれだけ集客力があればとても効率が良い。2018年7月のオペラ祭りに合わせて来るのだろう。カーネーギーホールの為の「ばらの騎士」も三回ほどあるに違いない。

興味津々の二つの新演出は状況からするとヴァークナーはないだろう。リヒャルト・シュトラウスは伝統を立て直して継承するという意味で、まだ一つ二つはあるのかもしれない。過去のミュンヘンでの演奏実績を見ると音楽監督就任以前からロシアオペラもボリス、オネーギン、ピケダーメなどやっている。チャイコフスキーやムソルグスキーを就任中に新制作する可能性も強いがさてどうだろう。「モーゼとアロン」は是非取り上げて欲しいが、その他にも20世紀の古典が存在する。いずれヴェルディなどイタリアものも一つぐらいは加わるのだろうか。古典ではハイドンなどは指揮のテクニックからしても興味深い。

ヴィーンでの「ばらの騎士」のヴィデオ映像を観た。カルロス・クライバー指揮で日本でも公演したものと同じであろう。予想通り、ミュンヘンでのそれよりも価値が低かった。なによりもヴィーンそのままで上演されているのでパロディーの在り方が全く時制的な視座の相違だけになってしまっていて、そこで奏され歌われるヨーデルもヴァルツャーもなんら意味を持たなくなってしまっている。なるほど日本の聴衆がその夢のような響きに陶酔したのも分かるそのもの観光地の歌芝居のような次元になり下がっている。まるでオーヴァ―アマルガウの四年に一度の受難劇と変わらない。そこで思い出すのが日本では録音やヴィデオで得た複製品の情報のそのままを芸術の本質と認識して、その通りの本物を目の辺りにして満足するという芸術需要の特徴がここでも当てはまる。観光情報のそのままを現地で確認してその他の現実への感覚を遮断して満足するというあれであり、芸術における感性とは一切関係が無い。それにしても天才指揮者カルロス・クライバーはどう見ても躁鬱の病に侵されていたとしか思えない映像で、流石に日本公演の後は躁の自身の非芸術的な行いを考えるとより鬱に落ち込んで仕舞ったのがよく分かる記録である。



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-02-22 19:21 | | Trackback

日本国民への警鐘

フランクフルターアルゲマイネ新聞は、音も無く迫る日本国の変革に注意を促している。それはフランスのルペンや合衆国のトラムプのようには目立たないが、確実にやってきているというのだ。この新聞としては珍しい名前が出ていて、ハムブルク大教授ガブリエレ・フォークトへの取材と、ジェフ・キンストンら専門家共著の新刊「現代日本の報道の自由」(Press Freedom in Contemporary Japan)などを参考に記事を綴っているのは編集者アクセル・ヴァイデマンである。

フォークト教授が言うように、今進められている回帰的なつまり安倍首相の「日本を取り戻せ」のスローガンに代表される日本会議や伊勢神宮を代表とする神社本庁の考え方を日本国民の多くは支持していないとして、現在音も無く進む変革への警句としている ― これは一部で囁かれている右翼革命であるという認識に近い。

具体的には、憲法九条に代表される合衆国占領以降の骨抜き教育や社会を21世紀に適応した憲法に変えようとする動きである。それに対してプロパガンダ組織である日本の報道機関が全く手も足も出なくなってきているということへの強い疑念が示される ― この件に関してはガウク前大統領が日本訪問した節の発言では事の軽重が逆になっていたが、なぜ今こうした見解がこの政財界にも大きな影響を与える新聞で大きく紹介されているのかがとても興味深い。

恐らくそれは前記の新刊本に書かれているようなNHK司会者の更迭やそこに存在する黄色本とよばれる政府に対して配慮したハンドブックの内容がジャーナリズム業界で大きな話題となって、また朝日新聞のような未だにリベラルと思われている新聞のお手上げ状態を見かねての発言であろう。我々ジャパンウォチャーにとっては今更と思うことでもこうした研究本が出ることで世界の言論になるということだ。

また「日本会議の研究」著者菅野完への日本会議の正会員からの脅迫電話がYOUTUBEにアップロードされているとして、それを取り巻く状況を紹介している。また、アパホテルの客室に置いてあって、シナの「微博」で炎上したような内容の書籍でも日本では問題にならないこと、そうした正会員が2014年秋の時点で全国会議員722人中289人もいるというニューヨークタイムスの記事も紹介している。それでも大多数の日本国民の抵抗の声はいつものように静かであるとしている。

2014年秋に発生した坂本フランクフルト総領事のFAZ本社強襲事件以降この新聞の安倍政権への批判記事は巧妙なジャーナリスト的な記事に終始していたが、ここにきてガウク大統領訪問以降にベルリンの外交部の日本担当で何かの変化があるのだろうか?あり得るとすれば、トラムプと安倍の関係からEUの新たな軸足のあり方に変化があるのだろうか?題して「国民不在の島国」。



参照:
Kein Volk ist eine Insel, AXEL WEIDEMANN, FAZ vom 21.2.2017
自虐的国家主義安倍政権 2015-07-24 | マスメディア批評
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
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# by pfaelzerwein | 2017-02-21 23:05 | マスメディア批評 | Trackback

やらかしてくれる人

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予定より一日早く帰宅した。予想通り、あとで追加参加した家具親方がやらかしてくれた。石切り場でどうなるだろうと話していた通りになった。自分自身は準備しつつ慎重に完走の可能性を考えていたが、そこまで分かっている者ならばこのようなことにならないとは言えないのがこの世界であり、不慮の事故の可能性を下げることはアウトドーアスポーツの基本中の基本である。

早朝3時30分起床、4時30分に親方の家前で集合、40分四人同乗で親方の運転で出発、6時15分シュツッツガルト空港でスキー教師女性をピックアップ、ヒンデンランクの駐車場に到着、バスでオーバーストドルフへ移動、世界的に有名なスケートリンクの横のロープウェー片道で登山、そこから出発した。スキー場上部の新雪スキーの出来る斜面の横を登り、鞍部上のところから先へと進む。そして雪原を超えて向こうの谷への鞍部に登りつく。休止を挟んでニ時間半ほどだったろうか。

そしてシールを剥がして初滑降の準備である。自身の靴の調子は履き始めから気温が高かったのかとても良かった。期待が高まる。それでも最初の斜面では息が上がって仕舞った。滑りが悪い。それでも前回の総オープンとは違って三つ目のバックルを締めれるようになってきたので大分スキーがコントロール出来るようになっている。シールを付けたまま少し斜面を滑らせても安定している。荷物もこの程度ならば滑りには影響しないが太腿には堪える。

谷向こうの大きな斜面の頂上の岩山の下に今夜の寝床の小屋がある。先ずは降りる谷が覗き込めるようになるまで滑り降りた。降りてそして長い登りが待ち構えているのである。スキー場の荒れた上級者コースのような小さな滝があった。雪が悪いのかと思って落ちていったが重めだったが普通だった。そして親方を待っていると。躊躇しているようだった。そして意を決して降りると思うとこけて「糞ったれー」と、いつもの悪態をついた ― 大抵この使い方をする者は自分自身が「糞ったれー」であることに気が付いていない。何でもない歩くほどのスピードで膝を捻っているだけだったのだが、15㎏近い荷物で足を痛めている ― 技術が無いのに体力でどうにでもなると考えているのが話にならないのだ。そのようなことははじめから分かっている筈なのだ。それが予想出来ないのがこの手の人に多い。自分自身も「やらかさないことはない」のだが、流石に山に関しては経験が上回っているので大抵の状況は想定可能である。そして山登り関連では最もこの想像力が重要であることを習ってきたのである。だから通常以上に準備を怠らない。

厳しい山登りの経験があまりなく、そうした想像力が働かない者はかなり多い。所謂カミカゼ登山者と呼ばれる者で、それは独アルパイン協会のメソッドを網羅しても駆逐できない。それは全ての危険性が数限りないからで、経験値が高い登山者ならばそうした一つ一つの小さなエラーが致命的になることを知っていて、そのようにして初めて想定外の事象に備えることが可能になるのである。逆に言えば、そうした不慮の事象を如何に避けていくかのゲームもしくは確率論的な精査がアルピニズムの醍醐味なのだが、スポーツクライミングによる大衆化で嘗てのエリートによるそれが共有されていないのは致し方が無い ― 経験豊かな者がそうした手合いに厳しい眼差しを送るのはこれゆえであり、それらは自然淘汰される者と考えられても不思議ではない。一般社会を見ればわかるように、やはりそこまで想像力豊かな人々は広義の意味でエリート層でしかないということである。

結局親方はスキーを断念するどころか歩いて降りることもできない。下の林道の終わりに辿りつくまで、事故発生から救助隊のスノーボービルに収容されるまで二時間が経過していた。結局我々も10㎞ほどの谷を滑り、スキー靴で歩いて降りて来る。ヘッドライトで凍り付いた地面を照らしながら下の町に辿りついたのは19時過ぎだった。親方が収容されてから更に四時間以上経過していた。その後車までタクシー移動して、インネンシュターットの病院の緊急搬送棟に親方を迎えに行き、親方と夕食にする。ギリシャレストランでラムを食した。

スキー教師の友人のインターン女医の住んでいる看護婦寮に皆で泊めてもらう。本来の夕食であったスパゲティートマソースを食して雑魚寝する。薄着では寒かったが山小屋よりは暖かかっただろうということで、朝食も予定通りのものを各自が食する。予定外のシャワーを同行の弁護士は浴びたが、殆んど山小屋と同じような感じで二日目を迎えることになる。

親方は松葉杖で街に居残ってもらい我々は軽装で一日だけの代替の目的地を目指すことにした。朝食も充分の量が取れて、予定外に前日にラムと赤ワインまで楽しめたので、想定外の長い下りの疲れなどはあるものの体調を壊すことはなかった。



参照:
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
メスナー爺さん世代 2017-02-19 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-20 21:26 | アウトドーア・環境 | Trackback

完走するための栄養分

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今回のスキーツアーは久しぶりに食事を持ち込む山登りである。前回は十代の時だったと思う。最後は単独で冬の壁に挑もうといた時だった。あの当時読んでいたボナティーの本などに壁の中での食事のことなども書いてあったと思うが、欧州ではどのような食料を持っていくのだろうかと思い描いていた。日本では当時はまだまだ朝からインスタントラーメンに餅を煮込んだ力ラーメンのようなものが一般的だった。

今回も軽く乾いたパンを探したのだが、メスナーが地元のパン屋で調達するようなものはなかった。色々と考えているうちに、パンにはバターやその他を塗らなければおいしくないので、あっさりとそれは断念した。色々と探して朝食に問題なく食せそうなのはワッフルで、それだけでは重くなるのでそれを補足する軽いものを購入してみた。もう一度数などを厳選してみたい。ソーセージは一対は焼き太ソーセージを干したものだから、それを食すると同じだけの栄養がある。朝食に少しでも齧れれば結構な力になるだろう。

行動食はいつものようにナッツ類とドライフルーツとジーフィーである。夕食は二食用意されていて、スパゲティーともう一夜は何になるのかは分からない。アルコール類が無いので出来るだけ清涼感を得るためにもいつも使っているハーブティーを行動時と共に小屋でも飲めるようにしておく。また朝食時にはリプトンのティーバックがあるので、四袋あれば濃い紅茶を楽しめるはずだ。スーパーで時間を掛けて探してレモンのエキスを購入したが、これも何かに移して重量を更に抑えたい。ポケットにはのど飴も持っていきたい。

その他では最小の衣服以外には、旅行用のサンクリームと歯磨き粉のミニュチュアーサイズを購入した。安くはないのだが重さには代えられない。歯磨きはどうしようかとも思ったが清涼感にも結び付くので持っていくことにした。タオル類も断念する。その代わりに濡れトイレットペーパーが全てを補ってくれると期待している。それだけである。

夕食の荷物分け前と飲み物二リットルがそれに加わるのである程度の重量にはなる。初日に夕食は半分になり朝食も半分になるので、二日目には少しでも身軽になるのを期待している。荷物を背負って登って、滑り降りて、最後まで完走出来るか?

実は最終日にはミュンヘンからのラディオ中継があると思っていたのだが、そのアカデミーコンサートは二日分を三月に改めて放送するようだ。今まではそのようなことはなくてただの生放送であったが編集の可能性を残すことになる。少なくとも良い方を選択できる。理由は分からないが、音楽監督キリル・ペトレンコがそれを望んだということには間違いない。演奏上で危ないところがあるというのだろうか、それとも何か永久保存の目的があるのだろうか?兎に角、生中継ではなくなったので、スキーツアー最終日に村に下りて早めのバスに無理して乗って駐車場まで戻ってこないでもよくなった。



参照:
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# by pfaelzerwein | 2017-02-20 00:00 | アウトドーア・環境 | Trackback

メスナー爺さん世代

先のスキーツアーでの我らがメスナー爺さんのことも書いておかなければなるまい。1947年生まれそうだから本物よりは三つ若い。影響を強く受けずにはおれない世代だろう。我々の世代の時には岩に関しては全て終わっていたので、ヒマラヤに行かない限り直接の影響は限られていて、精々ソロクライミングと七級概念がまだまだ通用している一方、既にヨセミテからの影響を受けていたので、直接的な影響は殆んどなかった。しかし親仁の場合はプファルツの岩登りなどでもああした孤高の試みというのを無視できなかった筈である。

だから今回若い室内から始めたクライマーとの議論は大きな世代間ギャップを明らかにした。若いお兄ちゃんは言う。プファルツの砂岩地帯の「一本目のハーケンが遠くて危険で仕方ない」と、少なくとも「室内から室外へと全く繋がりが無い」と苦情する。勿論親仁は、「登れない者はそれだけだ、終わり。」と切り捨てる。

これには事情があって、現在の地域を管理する組織は過去のパイオニア時代を尊重して必要最小限のハーケン等しか設置していない。その過去というのは何も開拓時代だけでなく、鉄の時代を通しても決してハーケン連打とはしなかった地域のフリークライミング志向があって、同じ砂岩のザクセンと共通している。つまりそうした支点の設置は砂岩においては自然を壊すものでしかないとなり、フランケンのユラそれとは大いに異なるのである ― だから言う「フランス風にハーケン連打されている国境を超えたエルザスに入って登れ、終わり。」。反面、メスナーの指す七級以上の核心部にはまた確保のスタンドにはハーケンが打ち込まれている。

しかしクライミングホールで始め世代にとっては最初の支点に至るまでが何もなくて簡単に試すということが出来ないようになっているので苦情しているのだ。また旧世代にとってはそれをどのように対処していくのかがノウハウであって、クライミング談議はそれで盛り上がるのは今でも変わらないのである。

メスナー爺さんの面白いのは、世界中の山を登っているようだが、自慢のようにしてビバークの話が加わることで、如何にメスナー世代のそれであるかというのがよく分かる。メスナー自体もスピードを上げるためにもソロ登攀となっていったのではあるが、当時の感覚としては時間切れ日没でビバークなどというのが結構話題になっていたのも事実である。自分自身も壁の中で何夜寒い夜を過ごしただろうと考えると、充分に重い荷物を背負ってゆっくりと登っていたことが思い出された。

新世代の人にその辺りの事情まで分かる筈がないと思うが、その若い世代も氷河を適当に渉って、その後に直ぐドイツからの登山者が同じ場所で氷河に落ちて遭難したという話をしていた。「偶々幸運だった」というのが皆の感想で、トレースを残して後の者が落ちたという責任もあったかもしれないというのはあり得ることなのだ。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-19 00:00 | アウトドーア・環境 | Trackback

北壁登攀の準備?

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沢沿いをもう一度走った。最近は20分以上走っていないので峠を攻めよううかどうか考えたのだが、夕方に出かけなければいけないこともあり、前日の散髪でもう一度シャムプーする気もなかったので、沢沿いでお茶を濁そうと思った。それも奥まで行くならば20分は超えるので週に何度も走りたくはないのだが、まだ樵作業で通行禁止になっているなら手短に終えられる。但し20分には満たない。走り出して、ペースを上げようかどうか考えていると、直ぐに向こうから歩いてくる広告屋の親仁に擦れ違って、「奥までいけるぞ」と声を掛けられた。それならば丁度良い走りになる。沢の対岸では伐採作業で倒木の音がしていたが、こちら側の斜面は作業は終わっていて、大分森がすいていた。往路は結構いいペースで走れたようなので、復路も頑張った心算だがお辞儀をしていて、25分掛かった。23分台で走れているかと思ったが予想以上に速度が落ちていた。パンツの影響もあるのだろう。やはり上り勾配となると足の上がり方が重要になるようだ。

スキーツアーのリーダーから石切り場へのお誘いがあったので出かけてきた。通常はこの時期にはいくら暖かいといっても北壁である石切り場で登るのはまたどこかを壊しそうなので怖いのだ。それでも親元に帰っていて暇そうなので付き合った。勿論ツアーの食料買い付けの情報を得る目的もあったので、昼過ぎに約束した。

思っていたように隣町から自転車でやってきた。前回のツアーの後でティロルでアイスクライミングと雪を見に前の週末にもアルゴイに出かけているので、我々とは全く条件も何もかも違う。それでも気温が摂氏二ケタとなっていても前日は放射冷却で森の中の水溜りが完全に氷結していたように冷たい思いをするのではないかと思った。「北壁でもやる準備か?」と聞いたのは当然である。陽射しは強くてもまだ二月である。

身体を壊さないように出来るだけ力を使わないで登ろうとしたが、苔むした感じで摩擦が効かないので手が滑りそうになって余計に力が入った。六級のルートに苦労しただけでなくて、それ以外のも全く簡単ではなかった。それでも七級マイナスに挑戦しようというのだから恐ろしい。流石に断念した。夏と比べれば条件が悪くてどのルートも一つ二つは完全に難しくなっている。誰も登りに来ないのは当然であろう。

身長が2メートルほどあって体重が100㎏を超えているので、最初のハーケンで直接の体重を受ける金具を購入して、既に室内壁に二回ほど試したということだった。バウワーというメーカーの商品で、実際に使ってみると一挙に体重が掛からないので確保者が飛ばされないので良い。勿論自身の安全のために購入したようだ。

靴もサイズ50なので33㎝である。するとドイツでも市場でも限られているので、中々安くは手に入らないようだ。決していいことばかりではないというが、やはりクライミングなどでは手が上に届いたり、足が突っ張れたりするのは有利だろう。

腕や手の力を否応なく使ったので、入浴して揉み解しておかないと酷い目にあうかもしれない。直ぐには肩には来ないと思うがストックを持つ手が震えたらどうしようかと思う。兎に角もう故障だけはしたくないのである。



参照:
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
釣べ落としの秋の競争曲 2016-10-02 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-02-17 20:43 | アウトドーア・環境 | Trackback

頂上へと一気登り降り

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最終日は一番厳しかった。理由は小屋から林道を滑り降りて、駐車場で荷物をまとめて更に1000m以上を登り、降りてくるという行程であったからだ。それも二人が最初から断念して、残りの四人は二人が30歳以下で、もう一人が40歳そこそこなのでペースが早い。それに二人が下で待っていて、帰りの時刻があるので、途中でたった一回しか休まなかった。頂上でゆっくり腰を下ろせたのが幸いだった。

それでも頂上稜線に出るところの最後の登りも間隔を開けて登っていくのだが、前の者が登るのを見届けるのに足を止めても、自分の番になるとそのスピードで急いで登り終えると、足を止めても息が激しくなる。それが何度か繰り返されて稜線に出ると思わず息を付くしか法が無かった。頂上だと思っていたのに、まだ稜線を絡めて進んでから岩山に登らなければいけなかったのだ。

頂上を目指すスキーツアーこそが醍醐味だと思っているが、岩の下にスキーをデポして頂上に登るまでの20mほどの雪壁が厳しかった。標高は2550mほどしかない筈で、初日にその標高には既に達しているので高度順応している筈だった。それが慣れないスキー靴でそこを登るとなると息絶え絶えになってしまった。原因は分からないが、それなりに酸欠状態に近かったのかもしれない。ラッシュタクティクスの厳しさだろうか。壁の登攀の場合は確保するときに休んで、息を整えることが可能なのだが、所謂連続登攀の形になるととても厳しい。

頂上で写真を撮ったり行動食を片付けていると息は完全に正常に戻ったのだが、降りるとなると雪壁で足元が上手に定まらなかった。フラフラするようなことはなかったので稜線自体は問題なく歩けるのだが、スキー靴で雪壁を降りるのに少し苦労した。正直ピッケルが欲しかった。靴に慣れていないこともあるのだが、そのつもりで選択した靴であるから不甲斐なかった。雪壁を下りてからもう少し先の方へとシールを剥がしてからスキーを滑らせて降り口へと向かう。滑りはもう一つだったが、谷に近づくころには何とかなって来た反面 ― 初日は腰が引けていたけど大分よくなったと若い兄さんに言われても ―、足が大分疲れて来ていた。それでも駐車場を後にしてから二時間半ほどしか経っていなかったので、可成りのスピードで1000mを上下したことになる。道理でばてた筈だ。居残りの二人が、「だから行かなかったのだ」と嘯いていた。助手席に乗って帰るだけだった。帰宅は渋滞に巻き込まれても20時頃着で、スイスの山の頂上に登って降りてきたとは信じがたいほどの感覚も山スキーらしいスピード感である。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
スイスの山小屋で露天風呂 2017-02-15 | アウトドーア・環境
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-16 17:29 | アウトドーア・環境 | Trackback

ヴァレンタインの朝の夢

ヴァレンタインの朝、夢を見た。どこかのパーティーに行って、フランクフルトかミュンヘンかは知らないが、キャリアー志向のビジネスウーマンと歓談している。結構大柄でビジネスの枠乍ら可成りパーティーに合わせたボディーを強調する服装である。

辞去して派手な女性なので様子を見ていると、奥の方に行って、年寄りの相談役のような会長職の人たちに挨拶し乍ら、こともあろうに爺さんたちのズボンのサイドを掴んで下に摺り下しているのである。爺さんたちは驚きながらもこの女性の笑顔と愛想に相好を崩しておろおろしているだけである。それを見ていてとても品が無いドイツ女性の行儀の悪い典型で、とにかく元気なキャリアー女性だとは思い乍らも、なぜかその屈託無さと笑顔に魅惑されていたのだった。

自分も彼女の後を追って奥の方の嵌め殺しの窓に近づいて、彼女とバーを囲む形になった。足を組んでいる向かい側に座ると更にコケットな表情をして魅惑するのである。これはもう抵抗出来ないなと、会場から連れ出そうとしたところで夢が覚めた。

その彼女の顔は初めて見る顔なのだが馴染み深いのである。しかし、なぜその顔になっているのかは正直分からなかった。身長も心当たりよりも明らかに大きくほぼ180㎝に近く、そのままモデルになりそうな肢体なのである。とても不思議に思った。どうも昨晩に食した豚の顔などの栄養が効いたようで、これで完全に健康体を感じれるようになった。兎に角、スキーツアーに間に合ってよかった。

予定通り、朝一番で床屋に行った。相変わらずヤリ手婆ばあ一人で、入り口に髪結い募集の張り紙がある。当分一人で回すようで、予約以外の床屋などはこうして朝一番で押しかけないと時間もないであろう。

耳が隠れているということで、少なくとも二ヵ月はそのままになっていた筈だというのだが、どれぐらい空いたかはピンと来なかった。調べてみるとマダムが言うように、11月の末にミュンヘンでの「マクベス夫人」に出かける前だった。流石にプロはよく分かっている。髪形を作ったりするのは娘よりも大分下手であるが、まあこれは仕方がない。それ以前とはそれほど悪くはなっていないからである。

「一月は寒かったし、あまり邪魔ににならなかったからね」と言っておいたが、実際にあれだけ寒いと髪だけでも暖かかった。しかしこうして春の日差しが感じられるようになれば、寒くても鬱陶しいだけとなる。なによりも今度の山スキーは無人山小屋で素泊まりの三日となるので、極力軽快感と清潔感を保っていたかったのである。



参照:
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
オージーの天狗裁きの朝 2016-12-22 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-02-15 21:48 | | Trackback

スイスの山小屋で露天風呂

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前回のスキーツアー以降風邪をひいたので更に無精になっていた。三回目のランニングだった。前回同様に沢沿いの奥が樵作業で封鎖されているので短いコース取りしか出来なかった。しかし前回とは異なり奥まで走り抜く意欲もあった。そして戻ってきたら軽く汗を掻いていた。漸く普通の運動が出来るようになった。まだ少し気管支に軽い炎症のようなものは感じるが、前回よりも標高の低いスキーツアーで問題になるようなことはないだろう。但し今回は荷物を担いだままであるからそれだけでも苦しい。

その間、熱を出したが大変苦になっていた歯茎の腫れがあまり目立たなくなっていた。この冬の寒気はこの炎症にあると考えているがこのまま炎症が少なく成ってくれるとありがたい。目下健康上の懸案になっていることであるからだ。それでもスキーツアーでの間には一日中全く感じなかったことを考えても心理的なものもあるようだ。少なくとも一日中運動をしていれば血行が良くなっていることもあるに違いない。

この辺りでジャクジーの写真でもあげておこう。まさかスイスの山小屋で露天風呂に入れるとは思ってもみなかった。地質学の学徒と一緒に浸かりながら、日本の火山地帯の話をしていた。要するにプレートの境には山があって温泉が湧いていて、アフタースキーにつきものだということだ。自分自身は山ほどにはスキーにはのめり込んでいなかったので、日本の大スキー場は知らないのだが、こんなスイスのスキー場もない山奥で露天風呂とは考えてもみなかった。それも予約さえしておけば無料でお湯を沸かしてくれるのだ。

燃料はどうしているかというと、ただ薪で沸かすので二時間近く掛かるようで、あとはモーターでバブルにしているだけだ。自分自身はシャワーを浴びてから入ったことになるのだが、後でシャワー室をのそくとシャワーを浴びていて、汚い連中と同じ湯につかったかと思わず叫ばずにはいられなかった。サウナでも同じなのだが、ジャグジーとなると無精なことをしている。風呂の浸かり方から教えてやらなければいけない。日本の温泉のことを話すとサルの湯治の映像は皆が見ていて、なるほどと思った。

日本にスキーツアーしたという人のまた聞きでは森林地帯が多かったというので北海道で滑ったのではないかと説明していた。実際に日本アルプスのスキー場で森林限界以上のピステはどれぐらいあるのか知らないが、二月の西穂高のスキー場を歩いて降りた印象では充分に森林限界の上だった記憶がある。



参照:
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-14 20:56 | アウトドーア・環境 | Trackback

バイロイト音楽祭ネット予約

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バイロイト音楽祭のネット予約を試みた。興味本位の試みであるが、流石に狙っていた初日のチケットは無く、それどころか新演出の「マイスタージンガー」は六回とも売り切れていた。すると興味あるのは格安ティケットであるが、一番安いのは150ユーロの「トリスタン」の一回目があった。これが「パルシファル」なら購入していたが、カタリーナ演出と初代音楽監督の公演では高価過ぎる。「パルシファル」の方も200ユーロを超えていたので駄目だった。それを購入するぐらいなら先に安いのを発注しておけば買えたかもしれない。一番人気は新演出、二番人気は二年目の「パルシファル」、三番人気は「トリスタン」で、2013年以来の「指輪」はなかなか完売しそうにない。

「トリスタン」や「指輪」などはそれどころか王のロージェの最前列を何枚も購入出来て、スポンサーなどの招待にもキープしてあるのだろう。受ける人がいないとなると幾らでも空いているようだ。価格も280ユーロぐらいなので東京で引っ越し公演の席よりも安いのだろう。だからバルコンの最前列の150ユーロは出し物さえ良ければお買い得だと思った。

それでも三時間ほど経つうちに「ヴァルキューレ」ばら売りも含めて、四部作「指輪」を除いては売れて行ったので、転売目的の購入もあるのかもしれない。毎年のように出かける人は新しい演出から購入していくので、また一年目はそうした枠があるので中々券が入手しにくいのは変わらないであろう。昔から三年目ぐらいに録画取りなどもあって、演出も音楽も整ってくるので質が高いと言われたがそうした伝統も壊されてしまったので、益々売券が難しくなってくるかもしれない。

ネットを探していたら、2015年バイロイトの「ヴァルキューレ」の比較的質の良い録音がYOUTUBEに出ていた。昨年亡くなったヨハン・ボータを偲ぶメディアとして出ていて、都合16分も聞ける。この年は当初録画が計画されていたのである程度残るものとして準備されていて、今一つ上手くいっていなかった「ヴァルキューレ」では特に成功していた。2014年にも「死なねばいけないのか」とジークムントが宣告される景は充分に効果を挙げていたが、恐らく死の病におかれていた歌手の歌は更に打たれるものかもしれない。

バイロイトの合唱団員として見込まれてトップソリストまでにのぼりつめた歌手であったが、2014年にも完全にぼてが入っていて年齢の割には動きも悪く不健康な感じがしたのも事実で、体ほどの声の威力は感じなかった。寧ろここの場面の切実な歌が深く記憶に残っている。


4. Szene Akt2


(Brünnhilde, ihr Roß am Zaume geleitend, tritt aus der Höhle und schreitet langsam und feierlich nach vorne. Sie hält an und betrachtet Siegmund von fern. Sie schreitet wieder langsam vor. Sie hält in größerer Nähe an. Sie trägt Schild und Speer in der einen Hand, lehnt sich mit der andern an den Hals des Rosses und betrachtet so mit ernster Miene Siegmund) 

Schicksals-M. 
Todesklage-M. 
Walhall-M. 

Brünnhilde:
Siegmund! Sieh auf mich!
Ich bin’s, der bald du folgst.

Siegmund:
(richtet den Blick zu ihr auf) 
Wer bist du, sag’,

Todesklage-M. 

die so schön und ernst mir erscheint?

Brünnhilde:

Nur Todgeweihten taugt mein Anblick;

Schicksals-M. 

wer mich erschaut, der scheidet vom Lebenslicht.
Auf der Walstatt allein erschein’ ich Edlen:

Walhall-M. 

wer mich gewahrt, zur Wal kor ich ihn mir!

Siegmund:
(blickt ihr lange forschend und fest in das Auge, senkt dann sinnend das Haupt und wendet sich endlich mit feierlichem Ernste wieder zu ihr.)

Schicksals-M. 

Der dir nun folgt, wohin führst du den Helden?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Zu Walvater, der dich gewählt,

Walhall-M. 

führ’ ich dich: nach Walhall folgst du mir.

Siegmund:
In Walhalls Saal Walvater find’ ich allein?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Gefallner Helden hehre Schar

Walhall-M. 

umfängt dich hold mit hoch-heiligem Gruß.

Walküren-M. 

Siegmund:
Fänd’ ich in Walhall Wälse, den eignen Vater?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Den Vater findet der Wälsung dort.

Walhall-M. 

Siegmund:
Grüßt mich in Walhall froh eine Frau?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Wunschmädchen walten dort hehr:

Freia-M. 
Walküren-M. 

Wotans Tochter reicht dir traulich den Trank!

Walhall-M. 

Siegmund:
Hehr bist du,
und heilig gewahr’ ich das Wotanskind:
doch eines sag’ mir, du Ew’ge!
Begleitet den Bruder die bräutliche Schwester?

Todesklage-M. 

Umfängt Siegmund Sieglinde dort?

Brünnhilde:
Erdenluft muß sie noch atmen:
Sieglinde sieht Siegmund dort nicht!

Siegmund:
(neigt sich sanft über Sieglinde, küßt sie leise auf die Stirn und wendet sich ruhig wieder zu Brünnhilde.)

Liebes-M. 

So grüße mir Walhall, grüße mir Wotan,

Walhall-M. 

grüße mir Wälse und alle Helden,
grüß’ auch die holden Wunschesmädchen: –

Freia-M. 

(sehr bestimmt) 
zu ihnen folg’ ich dir nicht.

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
Du sahest der Walküre sehrenden Blick:

Todesklage-M. 

mit ihr mußt du nun ziehn!

Schicksals-M. 

Siegmund:
Wo Sieglinde lebt in Lust und Leid,
da will Siegmund auch säumen:
noch machte dein Blick nicht mich erbleichen:
vom Bleiben zwingt er mich nie.

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
Solang du lebst, zwäng’ dich wohl nichts:
doch zwingt dich Toren der Tod:

Todesklage-M. 

ihn dir zu künden kam ich her.

Siegmund:
Wo wäre der Held, dem heut’ ich fiel?

Brünnhilde:
Hunding fällt dich im Streit.

Schicksals-M. 

Siegmund:
Mit Stärkrem drohe,
als Hundings Streichen!
Lauerst du hier lüstern auf Wal,
jenen kiese zum Fang:
ich denk ihn zu fällen im Kampf!

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
(den Kopf schüttelnd) 
Dir, Wälsung – höre mich wohl:
dir ward das Los gekiest.

Siegmund:
Kennst du dies Schwert?
Der mir es schuf, beschied mir Sieg:

Schwert-M. 

deinem Drohen trotz’ ich mit ihm!

Brünnhilde:
(mit stark erhobener Stimme) 
Der dir es schuf, beschied dir jetzt Tod:
seine Tugend nimmt er dem Schwert!

Siegmund:
(heftig) 
Schweig, und schrecke die Schlummernde nicht!
(Er beugt sich mit hervorbrechendem Schmerze zärtlich über Sieglinde.) 

Geschwisterliebe-M. 

Weh! Weh! Süßestes Weib!
Du traurigste aller Getreuen!
Gegen dich wütet in Waffen die Welt:
und ich, dem du einzig vertraut,
für den du ihr einzig getrotzt,
mit meinem Schutz nicht soll ich dich schirmen,
die Kühne verraten im Kampf?
Ha, Schande ihm, der das Schwert mir schuf,
beschied er mir Schimpf für Sieg!
Muß ich denn fallen, nicht fahr’ ich nach Walhall:
Hella halte mich fest!

(Er neigt sich tief zu Sieglinde) 

Brünnhilde:
(erschüttert) 

So wenig achtest du ewige Wonne?

Schicksals-M. 

(zögernd und zurückhaltend) 

Alles wär’ dir das arme Weib,
das müd’ und harmvoll matt von dem Schoße dir hängt?
Nichts sonst hieltest du hehr?

Siegmund:
(bitter zu ihr aufblickend) 

So jung und schön erschimmerst du mir:

Todesklage-M. 

doch wie kalt und hart erkennt dich mein Herz!
Kannst du nur höhnen, so hebe dich fort,
du arge, fühllose Maid!
Doch mußt du dich weiden an meinem Weh’,

Todesklage-M. 

mein Leiden letze dich denn;
meine Not labe dein neidvolles Herz:
nur von Walhalls spröden Wonnen
sprich du wahrlich mir nicht!

Brünnhilde:
Ich sehe die Not, die das Herz dir zernagt,

Todesklage-M. 

ich fühle des Helden heiligen Harm –
Siegmund, befiehl mir dein Weib:
mein Schutz umfange sie fest!

Siegmund:
Kein andrer als ich soll die Reine lebend berühren:
verfiel ich dem Tod, die Betäubte töt’ ich zuvor!

Brünnhilde:
(in wachsender Ergriffenheit) 
Wälsung! Rasender! Hör’ meinen Rat:
befiehl mir dein Weib um des Pfandes willen,

Liebes-M. 
Entsagungs-M. 

das wonnig von dir es empfing!

Siegmund:
(sein Schwert ziehend) 

Dies Schwert, das dem Treuen ein Trugvoller schuf;
dies Schwert, das feig vor dem Feind mich verrät:
frommt es nicht gegen den Feind,
so fromm’ es denn wider den Freund! –

(Er zückt das Schwert auf Sieglinde) 

Schwert-M. 

Zwei Leben lachen dir hier:
nimm sie, Notung, neidischer Stahl!
Nimm sie mit einem Streich!

Brünnhilde:
(im heftigsten Sturme des Mitgefühls) 
Halt’ ein Wälsung! Höre mein Wort!
Sieglinde lebe – und Siegmund lebe mit ihr!
Beschlossen ist’s; das Schlachtlos wend’ ich:
dir, Siegmund, schaff’ ich Segen und Sieg!
(Man hört aus dem fernen Hintergrunde Hornrufe erschallen) 
Hörst du den Ruf? Nun rüste dich, Held!
Traue dem Schwert und schwing’ es getrost:
treu hält dir die Wehr,
wie die Walküre treu dich schützt!
Leb’ wohl, Siegmund, seligster Held!
Auf der Walstatt seh’ ich dich wieder!

(Sie stürmt fort und verschwindet mit dem Rosse rechts in einer Seitenschlucht. Siegmund blickt ihr freudig und erhoben nach. Die Bühne hat sich allmählich verfinstert; schwere Gewitterwolken senken sich auf den Hintergrund herab und hüllen die Gebirgswände, die Schlucht und das erhöhte Bergjoch nach und nach gänzlich ein) 

Geschwisterliebe-M. 



参照:
創作の時をなぞる面白み 2015-08-11 | 音
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-02-13 21:04 | | Trackback

苦み走るようでなければ

旅行に出かける前にリースリングを飲み干した。早くから開いていたファン・フォルクセム醸造所の2015年アルテレーベンである。残りが少なくなってパイロットワインとしての機能を果たすかどうか怪しくなってきたが、一本ごとに変化があるので楽しく、参考になる。酸はしっかりしているが、ミネラルは全開になってきて、若干粉っぽいのだが、スレート特有のおかしな味筋ではなく、底に固まっているような焦点の定まらないミネラルである。地所もアルテンベルクなどに近いことから赤スレート系の暈けたミネラルで、辛口にはどうかとも思わせるが、それはそれで開いてくると楽しいだろうと思わせる。それを感じさせるだけ充分に糖を落として醸造するようになってきているということで、モーゼル流域でも上質の辛口として恥ずかしくないものである。

そして苦みを感じさせるそれがまた深みを与える。苦み走ったとかいう言葉もあるが、これは比較的女性的な味筋であるので全開になって果実風味とのバランスが楽しみとなるということである。日本などでは甘いリースリングが云々とか批判されたモーゼル流域のリースリングであるが、酸とバランスをとるその残糖以上に重要なのがこの苦み成分であるミネラル風味である。このミネラル風味が綺麗に表出されない限り高級ワインとしての体を成さない。

食文化の味の中で「旨味」だけは日本の専売で世界語になっているが、嘗ては日本でも味の極意として苦みが愛されていたと思うのだが、ファストフードや人工甘味料などの味覚の汚染でアメリカ風の苦みなどの無い味が好まれるようになっているのかもしれない。そうなると苦みの極意などというものも分からなくなってくるのだろう。土井勝先生の「甘みは旨味」はあらゆる意味で誤りであったというのが結論となっている。

再び音楽に戻って、作曲家リヒャルト・シュトラウスの自作自演の「アルペン交響曲」を久しぶりに聞いてみた。ここに「苦み」はないのだが、ミュンヘンの宮廷座付き管弦楽団の音が良い。その楽器を駆使して楽譜に書き込んだ音符を忠実に弾かせているのでそのもの作曲の意図がよく分かる。そして指揮者としても一流で、朴訥としたテムポ運び乍ら揺ぎ無いテムポ運びとなっている。それにしても戦前のドイツの管弦楽はこうした響きだったのかと思わせ、現監督ペトレンコもこうした響きを可能な限り取り戻して後に伝えていくことにも留意しているのだろう。弦楽の合奏だけでなくて、木管も金管もツボにはまった音色を再現するための努力をしているのはオペラ公演でも聞き取られて、それなりの尽力をしているのが分かるからである。

そのように推測していくと、ベルリンのフィルハーモニカ―もクラウディオ・アバドの時代に音響の機能性をものにしたが、サイモン・ラトルの指揮でもまだまだ音響面でつるつるてんてんな面も残っていて ― ランランなどと共演しているようではどうしてもそうなる ―、今後はピエール・ブーレーズが示したような弦の強靭なサウンドの特徴にもう一つ今日的な深い音色などが試されるのだろうか。少なくとも楽譜の読み方が20世紀後半のようなフォン・カラヤンを代表するような流線型やまたは一筆書きの落書きのような読み方からは変わってきているので、管弦楽団の音響としても文化芸術的な成果を期待したくなるところである。北アメリカや極東などにもあるような音響だけでは欧州文化としては成立しない。そのためにも新しいサウンドを含んだ同時代の作曲家の作曲を遅れずに演奏していくことが重要なのである。



参照:
2015年アルテレーベンの出来 2016-09-17 | ワイン
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音 
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# by pfaelzerwein | 2017-02-13 00:43 | ワイン | Trackback

旅行負担の総決算

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買物に出かけると方々で同じような咳が聞こえる。パン屋の奥さんも居なかったので寝込んでいるのだろうか。これほど目立つ流感はここワイン街道では記憶にない。救いは陽が長くなって来ている春の兆しだろうか。ミュンヘンよりはこちらの方が本格的なようだ。体調はまだまだ完璧ではなく寒気がすることが多い。それでも鼻水はもうこれ以上でないと言うほどかんだ。肌が渇いてくるほどに出したつもりだ。

旅行から帰ってきて止めていたバスルームの暖房をそのままにしておいた。すると階下が冷え冷えとした。広い空間の端の方で、薄く暖房をつけておくだけで室内温度が大分異なるようだ。暖房フィンが温まるかどうかという程度なので倹約は充分であるが、バスルームのヒートショックを避けるためだけでなく、ドアを開けておくとこれだけ温度が違うとなると、無理して消しておく必要もないと改めて思った。充分に倹約しているので、それぐらいの暖房は無駄ではないだろう。難しいのは暖かくなってきた時に消してしまう好機を逃すことである。

今回の旅行ではミュンヘンのナイトライフも楽しみにしていた。それぐらいの体調にはなっていたのだが、先ず劇場で食したサーモンなどのカナペーが良くなかった。ダルマイールのケータリングものだから安心していたが、空き腹に直ぐに反応した。胃袋からガスが膨張しだした。下痢となるまでには時間があったが、ガスの溜まり方が尋常ではなく、風船を抱えているようになっていた。カプチーノとエスプレッソを幕間に飲んだ。それでも引けてから向かい側のバーに出かけて、牛グリルのサラダなどを食してビールを二杯飲んだ。価格は深夜営業なので高価で決してお得ではないが、劇場の駐車場から便利で、落ち着くのでそれはそれで許容範囲だ。

腹具合は落ち着いたが、更にガスが溜まったようだった。宿に戻って午前二時まで眠れなかったのは当然である。出すものを出したら楽になり、翌朝からは問題はなかった。空き腹に慣れないものには要注意である。

今回の旅行経費は距離が伸びた分、燃料も約40l増しとなった。但しミュンヘン市内の格安エッソスタンドで満タンにしたので58ユーロで済んだ。リッター13.09は当日の格安で、郊外では13.90だったので、スタンドの親仁が「いい給油をしたね」と言ったのはその通りだった。ホテルの価格は決してお得ではなかったが、お湯を使い放題使ってシャムプーまでした。朝食抜きにして、サーヴィスエリアで水を買い、靴屋の隣のパン屋で朝食のパンを購入したので安くついた。結局その日は帰路のアルゴイのサーヴィスエリアでコーヒーとアッペルシュテューデルを食しただけだった。但しエリアでのオーストリアのアウトバーン通行税ヴィニェッテはカードで買うと1ユーロ増しで10ユーロ越だった。

旅程が定まらなかったので、劇場のティケットは二種類購入して一枚を放棄した。立見席なので二枚で25ユーロだったが、席は決して悪くはなく、指揮台から第二プルトが見える位で、下手な二列目よりも視界も良く、音響も死角になる高弦を除くと悪くはなかった。舞台も必要ならば伸び上がれば切れているところも大分見えた。今まで購入した立見席の中でも前回の真ん中で音響抜群の「マクベス夫人」の時よりも視界は良かったかもしれない。また2014年の「影の無い女」の時と同じで第三幕では最前席の座席に潜り込んだ。こうなるとこれ以上音響の良い席は可成り高価な席である。


写真:ドイツ最高峰ツークシュピッツェ



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-11 23:47 | 雑感 | Trackback

苦みの余韻の芸術

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リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」観劇は思いがけない価値があった。今まで実演のオペラとしてザルツブルクとバーデンバーデンで、其々ヴィ-ンのアンサムブルとベルリンのフィルハーモニカ―公演で体験しており、その他もサイレント映画などでも観ている。しかし、初演当時にドレスデンへの臨時列車を運行するほどの人気に匹敵する芸術的な価値にまでは思いが至らなかった。恐らく時代の雰囲気とか環境にその齟齬感の起因を無意識に求めるしかなかった。

当夜の公演も女声三人の二人が変わっており、マルシャリンは代役が、朝起きたら声が出なくなったゾフィー役は陰で代役に歌って貰うという舞台であったが、そのオットー・シェンクの演出に初めて感動した。何度も映像で見ている筈だが、細部の演劇指導も異なるのか素晴らしい場面が幾つかあった。帰宅後調べてみると1974年に東京でもクライバーの指揮で上演されていて、柴田南雄は案の定批判していて、その前にミュンヘンで体験したクライバー指揮の古い演出の方がよかったと書いている。東京では濃厚でやり過ぎの演出だとなるが、古い方の演出では管弦楽はあの酔っ払いの指揮だった筈だ。

ペトレンコ指揮では第一幕冒頭のテムポも早く、木管のパッセージも音を充分に制御できずにホルンの吹き上がりのエクスタシー以前に、既に音が弾けてしまっていた。なるほど幕が開いて二人はベットで戯れているのだが、「マクベス夫人」の真っ只中とは異なって余韻のようなものである。柴田の語るものとの相違が既にここにあり、ホルンの吹き上がりは暗示程度に抑えられている。その後の展開もテムポの変化にメリハリがつけられていて、早いパッセージは早く、遅いところはとても快適なテムポとなるころにやっと落ち着いて来る。座付き管弦楽団への要求としてはとても高く、来年までに何とかなるぐらいの目標であろう。そこでベルリンの楽団の演奏と比較するのも間違っており、またマゼール指揮のヴィ-ンのそれではとても上手に解決していたように記憶する。この点に関してはペトレンコ指揮は容赦が無く、ヴァークナーの演奏でも回数を重ねないと音が飛び跳ねるような危険があるのだ。

それにしてもオックス男爵の場面においても、「神々の黄昏」のギービッフンゲン家のパロディーを示唆したり、「アリアドネ」に繋がる当時の作曲家の書法がとても上手に出ていると感じさせるのは正しいテムポが室内楽的な書法を綺麗に響かしているからに違いない。要するに厚塗りすればするほど訳が分からなくなる音楽と声楽の絡みがとても上手に再現されていたことには違いないのである。

マルシャリンとオクタビアンの幕終わりの場面は殊の外素晴らしかった。「真夜中に目が覚めて」のところで、チェレスタの時報に続いてトロムボーンがピアノで変ロ調の中抜け和音が印象的に響いた ― 気になったのでクライバーのそれを比べるとpが音量として解釈されているようでしっかり響いていなかったのに対して、ベームの録音では正しいpが発声されていた。そこからリタルタンドを挟んでの展開まで、全くキッチュさとは無縁で、その点ではベームのそれと双璧だが、声との絡みではリズムが柔軟なだけに遥かにスムーズであり、硬軟の転換が鮮やかでとても音楽的だった。再度ベームのドレスデンでの録音を比較すると、マルシャリンが全くもってヨーデルを歌い、その前にオックス役のクルト・ベーメが全くヴィーン訛りで歌っていることと合わせて、指揮者がプロデューサーと共に意識してオーストリア風を表現している。

第二幕においては銀の薔薇を携えてのオクタビアンの登場が少女漫画的な情景となるのであるが、ここがキッチュな情景とならないためには正しいテムポ運びが肝心であるということだろう。そしてそこから続くゾフィーと薔薇の使者との場面が銀細工のようなとても細やかな多感な音楽であることを初めて気が付かされた。正しく高品質な音楽芸術なのだ。

そして薔薇の使者がオックス男爵に剣を抜く場面となるのであるが、その後のヴィーナーヴァルツァーの場面におけるパロディーが見事だった。オックス男爵の歌がここまでハーブに響いたことがあるだろうか?カール・ベーム指揮の録音でもそこまでは至っていないので、我々は作曲家本人のそれを想像するしかないのである。管弦楽の書法の響かせ方にしてもペトレンコ指揮に最も近いのはシュトラウス自作自演指揮ではないかと思う。その技巧化され、外されたヴィーナーヴァルツァーの綾が苦みを含んだ響きへと変わっていくところの妙、これが今まで充分に聞き取れなかった。管弦楽の書法の綾である。リズムの精査でもある。まさにサイモン・ラトルが語った「気が狂うほどの和声の精緻さ」となる。

第三幕は、前半の男爵が起こすスキャンダルと後半の三重唱へ連なる場面との対照となるが、前半での和声の進行に当時の作曲事情にも思いを馳せ、後半は当然ながらこの作品における今までの書法の決算となる。歌われるということに関してもその管弦楽と相まって明白になるところである。要するに正しく歌い、それが演奏されることによって作曲家が目指した楽劇の姿が示される。その演奏実践が精緻であれば精緻なほど正しくその真意が伝わることになる ― なるほど幕前の休憩時に常連らしき三人のおばさんたちが話していたが。「ペトレンコにテクストのそれまでは求められない」と一人が語ったのでこちらも少し反応したようだ。つまり、作曲家が目指した言葉が聞き取れる歌唱ということになる。逆にそれならば、テロップ無しでそれが出来たのはいつ頃のどのようなアンサムブルかとなる。指揮者では一番近いところではベームやカイルベルト指揮となるのかもしれないが、少なくともそれでも戦前とは全く違うだろう。今回の代役のマルシャリンは北ドイツで活躍して日本の二国劇場でも歌っているミシャエラ・カウネという人であったが ― ポートレートの写真は見た覚えがあり、バッハか何かを歌っていたのか? ―、リハーサルを充分できていなかったにしても、ハンディーを差し引きすれば十二分の出来だった。あれだけ明瞭ならば問題が無いばかりか、演技指導もしっかりと身に着けていて特に第一幕では感動させた。ゾフィーが口パクの幕切れとなったので、マルシャリンの歌でほぼ終結を迎える ― 「最後の四つの歌」の声と管弦楽が織りなすアンサムブルを思い浮かべればよい。そしてそれに続くデュオにてこれまた当然ながら第一幕における低声部の「夢の気配」が伏線となっていて、ここでは「まるで夢のよう」へとそのリズムが変容されている。

ここでヨーデルの寂寥感、ヴィーナーヴァルツァーからコラールへのセマンティックな展開を考慮すると、カール・ベーム博士の見識は正しいとなる ― そもそもホフマンスタールとシュトラウスの往復文書を読むまでもなくパロディーの主点をどこに置くかである。その一方、今回のような所謂含み味の苦みは感じられない。それは木管を中心とした音色と和声の精査が充分ではなかったということになるのであろうか ― ベーム指揮の扱きまくった即物的な弦の響きだけではやや片手落ちになっていたということでもある。マルシャリンの苦みに劣らず、男爵のそれにも苦々しさが溢れていた。こうした音楽芸術は、日本で繰り返し繰り返し披露したクライバー指揮「ばらの騎士」には全く欠けていたものであり、カラヤン時代には忘れ去られていたもので、インターナショナルな市場では甘く、口当たりのいいものしか受けなかったということでもあろう。正しくミネラル風味を感じさせない口当たりの良いワインと同じ市場であったのだろう。



参照:
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-02-11 06:10 | | Trackback

雪道でツアースキー靴を試す

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自宅を出たのが水曜朝10時、省エネ走行を心掛けて、いつものエリアで小休憩して、ミュンヘンの町を回り込むようにしてローゼンハイムの方へと車を進める。古いCDROMにはデーターベースに取り上げられていないような村で、ネットの情報から辿りついた。それでも村への進入路を間違えてた。15時のチェックインを待つために路肩で休憩して、20分以上車も通らなかった。フランケン地方で車を止めている時もこのようなことはなく、我が市の知る人ぞ知る舗装道路でもこのようなことはない。あり得ない。要するに、そこは日本でも有名な少年合唱団のバートテルツ地方なのだが、どうしようもない田舎である。翌日木曜日進行方向のアウトバーンの乗り口まで行くと、列車事故の起こったアイブリングの近くを通った。丁度一年前の事故の時にもそこを通り、今回もそこを通った。偶然にしてはとても縁があるのをラディオニュースで聞いて、事故から一周年だと知った。

ホテルもネットの評価点数ほどのことは全くなくただの田舎の旅籠で全く加点要素はなかった。オーストリアの田舎なら半額だろうかと思うが、ミュンヘンの旧市街から33㎞30分で到達できるのは意味があり、更に朝早くのラッシュアワーを避けて更に移動できる良さは間違いなかった。バイエルンのアウトバーンと田舎道であるから、現地でナヴィに現在地を入力した。劇場への往きに通っただけであるが、夜更けのミュンヘン市内も走りやすく、最初から方向を間違えて進んでも、アウトバーンもどこからでも乗れて、ナヴィの威力で一杯引っ掛けた酒気帯び運転でも全く問題なくホテルに戻って来た。

結局ホテルに帰ってきて2時に床について、6時に起床、7時前に出発、9時にブレンナー峠だった。10分前後の相違で殆んど予定通りの旅順でことが進んだ。一番想定外だったのは、靴親方のところで中敷きをバインダーで削るだけで靴下も履くこともなく15分も滞在せずに調整が終わってしまったことだろうか。要するに一日中インスブルック周辺で過ごす予定が無くなった。想定外に靴が手元にあるので、近くでスキーを出来たのだが、板だけは持って行ったがパンツが無かった。装備さえあればスキーが出来たのだが、前回訪ねた谷の奥まで行って、試しに靴を履いて板も履いてみた。バインダーで底を削ったので、少なくとも親方が言うように靴のシェルの中でのスペースが広がった。当たる場所が変わったようで今までとは違う押され方で、以前使っていたものと若干似てきた。締め具を少し締めれるようになった。

シールを持ってきていないので、靴だけ履いて雪道を歩いてみた。15分ほど歩いただろうか。写真を写しながら立ち止まったりしていると徐々に足に馴染んでくる感じはあった。今までは左足で立って右足を休めるような傾向があったが、当たるのは左足で右足で積極的に立てる感じになって来た。まだまだであるが、親方が言うようにまだインナーシューズが新品同様なので、もう少し試して段階を経るべきだというのも理解した。更にシェルを加熱して広げてしまえば、それはそれで使い物にならなくなる可能性があるからだ。

計測した時の靴下と比べて今使っているコムプレッションタイプの靴下は厚みがあり、その分だけでも違うであろう。以前のスキー用の靴下では山スキーではやはり冷たくて耐え難い。そのような点も含めて検討しなければいけない。駐車場から雪崩注意の方向へと南ティロルのイタリア人二人が山スキーで先の方へと進んでいった。日帰りの軽いツアーのようだった。(続く)



参照:
高熱に魘されて計画する 2017-02-02 | 生活
初めてのツアースキー靴 2014-12-23 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-10 03:57 | アウトドーア・環境 | Trackback

銀の細工の仇の薔薇

「ばらの騎士」のお勉強をしている。前回は著作権の関係で楽譜は見ていなかった筈だ。今回は楽譜があり、どうしても同じ演出で同じ劇場で演奏されている定番であるカルロス・クライバー指揮の二種類とその後にヴィーンで演奏されているものを参考にしたいと思った。現監督キリル・ペトレンコにとってもミュンヘンの劇場にとってもそれを抜きには考えられない。天才的な輝きでも比較されて、もう一つのヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」同様に、聴衆の多くは双方を比較することになる。

クライバー指揮の「ばらの騎士」も録画は見ている筈で、その他にも幾つかの映像なども残っているので見かけたことがあるものだ。先ずは簡単にDL可能だったのは1970年代の新制作の後のそれで、初めて聞いたと思われるが、びっくりした。この天才指揮者の生も体験していてそれなりの評価をしているどころか、ドレスデンでの楽劇「トリスタン」もとても興味深く聞いていたので ― これは調べていると指揮者が歌手と衝突して投げ出したので編集してあるとあり、なるほど巷では絶賛されていなかった訳だ ―、このラディオ中継のとんでもない出来には大変失望した。まるで酔っ払い運転のような指揮で、これならば控え陣のシュナイダー等指揮の方が真面だったろうと思わせるほど水準以下の演奏をしている。当時の音楽監督はサヴァリシュだったようなので、あの程度だったのだろうか。

気を取り直して後のミュンヘンでの映像を聞く。基本的には変わりないが水準は大分上がっている。音は録りなおして繋げてあるのだろう。それでも拍節よりも指定したフレージングを軸にして、まるで父親が初演したアルバン・ベルクの楽譜のように解釈していて、最初から最後までがそのフレージングの繋ぎ合わせとなっている。これが音楽が湧き出てくるようだと絶賛されている天才の解釈ぶりのようである。

批判すれば限りないのだが、どうしてもアーティキュレーションでも無理がかかる場合があって、言葉詰まりのようになって折角作曲家が目指した言葉の聴きとれる演奏実践から外れている。比較的成功しているのは叙唱部分であったりする。なるほど芝居としてはブリギッテ・ファスベンダーを中心にそれ故に成功している面もあるが、その他のギネス・ジョーンズやルチア・ポップなどは音だけを聞いている限りそれほど成功しているとは思えない。

兎に角、音楽的には荒っぽいので、折角書き込んだ音符が正しく演奏されることが無い。座付き管弦楽団を熟知した作曲家が書いたものであるからそのように記譜されているとは言っても残されている作曲家指揮の録音などからすればこのような酔っ払い運転は想定されていない筈である。カルロス・クライバー指揮の演奏は恐らくフォンカラヤンの時代をとても反映しているものとして記録されるのだろうか。それでも一部にはこの指揮者を神と仰ぐような向きもあって、現監督が未だに半神であるからその威光は甚だしい。音楽愛好家に熱狂的に受け入れられたのもそのネオエクスプレッショニズムの面であるが、今回その代表的な録音を聴いて、その活動自体が時代の仇花のようになってしまったのにも気が付いた。



参照:
熱帯びた鬱陶しさ 2017-02-05 | ワイン
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-02-08 03:57 | | Trackback

三分咲はまだかいな

一月ともなると手元にとっておきのリースリングが無くなっている。2014年産は今開けるのは惜しく、2015年産の自宅試飲も三巡目位で、残りが二本づつぐらいなってしまっている。飲み干せばそれで終わりで、瓶熟成のパイロットワインとはならない。

勿論飲み頃と判断すれば飲み干しても惜しくはない。一番困るのがまだまだ飲み頃ではないリースリングで、そしてその瓶熟成の可能性もそれほど大きくないものだ。例えばミュラー・カトワール醸造所のビュルガーガルテンは六本買ったが酸が強いだけで飲み干してしまうと何をしていることか分からなくなる。同じような傾向にはロベルト・ヴァイル醸造所のテュルムベルクがあるが、これも五年以上の瓶熟成を考えると飲み干してしまうと間抜けである。その点、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所の2015年物は未だに殆ん木樽の中で眠っているので安心だ。2014年もまだまだ開いていないものが多くて、レープホルツ醸造所のフォムブントザントシュタインと同じように二年間我慢しなければ意味が無い。

それでも手元に飲み代が無くなったので手を付けた。2015年産は六本購入していたので余裕が少しある。その成長度を吟味した。昨年の春から今まででの瓶熟成はゆっくりだが確実に期待を大きく膨らませた。春以降一度秋には閉じ気味で酸ばかりで味気が無くなったのだが、先日は初めてそのねっとりしたようなミネラルも砂岩特有の味質も確認出来た。数か月前には全くなかったものなので、二年経って完全に開くと一番最初の時のあでやかさも出てくるだろうから可成りのリースリングとなることが予想される。

まだまだ三分咲にもならないようなこの時点での美点を感じておけると全開となった時にどれほど楽しめるだろうかはご想像通りである。ワインの瓶熟成の楽しさはこうした時間経過の中にあり、飲み時に最高価格を出して購入しても味わえない喜びなのである。だから真面なワインは少なくとも六本は購入し置かないと駄目と言うことなのである。

週明けに備えて、風呂桶に浸かって、薬を飲んで寝た。風呂桶に浸かったのは、一つには右足の裏が痒くなってきたので念のために足の二度目の酢酸浴をしたからだ。同時に靴親方のところに行くので序の足の手入れも出来るからと思ったからである。夜中に寝苦しさを感じて目が覚めたが無理して睡眠を貪った。恐らく薬で喉が渇くなどの反応が出ていたのだろう。副作用は十分だ。寝起きは比較的良かったが、夜分からの雨が少し残っていたので走りにはいかなかった。そこまで全快していないのが事実だった。



参照:
プルトニウムはまだかいな 2011-03-24 | アウトドーア・環境
全然飲み飽きないワイン 2016-05-10 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-02-07 03:21 | ワイン | Trackback

小屋から出でて小屋に入る

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山スキー三日目である。前日は、シャワーに入り、静かな時をもって、ジャグジーに入り、飲み食いして、部屋で仲間とワインを飲んでじっくりと就寝した。体調万全な筈である。先ずは小屋から登るが、バスタオルと一緒に干していたスキー手袋を忘れていることに気付いた。それでもシナ製の絹の手袋とマンムートの通常の手袋を重ねれば大丈夫だろうと考えた。稜線まで登ると日蔭は寒かったが、直に陽射しが差し込んできた。

冬季初登攀が盛んな頃に日本の冬山の雪量や天候に比べればアルプスのそれは容易いというような印象を持っていた。最近スキーツアーで標高の高いところで活動するようになると、氷河スキー場でのそれとは異なる厳しさを感じるようになった。それは濡れてもいない手や足先が凍りそうになる冷たさであり、そこで登攀するとなるととんでもないということが分かるようになったことである。日本の精鋭登山家が三大北壁などでグループで移動しながら手足を失っているその意味が分かるようになったのである。日本の山の条件とは陽射しも気圧も風も気温も異なり、アルプスの方が厳しいことが身に染みて分かった。

朝の陽ざしでいくらかは温まり、滑降の準備を整える。三日目ともなると切り替えを忘れたり、締め具が締まっていなかったりということは無くなって来るが、痛むので靴のバックルを締めれるわけでもなく、板をコントロールするまでにはならない。まだまだしっくりこないことばかりである。標高が下がっていくので雪の感じも悪くなってくる。面白くない。

林道に降り立って、今度はシールをつけて反対側斜面を登り直しである。これでどれぐらいの動きが出来るかである。下りて来て足も膝も使ったところで真面に行動できるかである。林道のようなところを登り始めてからは、七人の列が伸びて来る。第一集団の二人が見えなくなってからそれを一人で追っかける。最後には我らのメスナー親仁が尻を務めていたようだ。前日はクライミング談議で気を吐いていたので疲れたのだろうか。

鞍部の小屋について昼飯となる。一汗掻いた。陽射しが強く、谷から一気に一時間ほど飛ばしてきたのである。体調はまあまあだった。頂上へは同じぐらい登らなければいけないので、陽射しを浴びてじっくりと休んだ。出かけようとするとまたまた家具親方が「くそったれー」と叫ぶ。また何をやらかしたかと思うと、ここ掘れわんわんと雪を掘っている。ストックの先の皿が雪の中から戻ってこないようだ。スコップを出して片っ端から掘り始める。見ていられない情景である。結局誰かが持っていたスペアーを使うことになったが、15分以上掛かっていた。

メスナー親仁が遅れて「ここで待っている」とか言い出すので、「お得意のビヴァークでもしたら」とからかってやる。結局遅れがちに最後の尾根へと登りついて日没時刻などを計算する。そして、バーゲンで購入したスキーセットのシールが幅が合わないとの言い訳で ― 結局シールを滑らす技術を未だにマスターしていない ― お得意のハッシュアイゼンを着けようとする家具親方のアイゼンが氷化して取り付けられない。結局登頂は断念となり、私も「ああ、残念」と罵るしかなかった。そのあとはトラヴァース気味に小屋へと下り過ぎないようにして小屋に辿りつくだけの終結となった。



参照:
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-05 20:15 | アウトドーア・環境 | Trackback

熱帯びた鬱陶しさ

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熱は大分下がったが、目がぐりぐりしたりしてきた。回復への一歩だろう。小水も色付きしていたということは老廃物が出てきたということか。治りかけとしても、結局は通常の感冒ではなくて、インフルエンザであったということか。誰からうつされたかというとはっきりしている。道理で熱が続いた筈だ。

その一方長引いていることから気管支炎でも起こしているのではないかとの怪訝もある。治りかけたので就寝前に思い切って薬を飲んだ。食後に熱が出たからだ。効果はあったが起床後も完全ではなかった。続けて三錠までは飲むことにしているので、もう一日様子を見る。もし本日インスブルックに朝早くから出かけるようなことになっていたら車で事故を起こしたであろう。まだまだ運動が安定しない。

体調は悪い乍らも「ばらの騎士」が気になるが、以前はロシア音楽に感じていたような億劫感がそこにある。この作品は丁度マーラーの交響曲八番なんかと同じように初演当初から成功するような通俗な個性を持ち合わせていて、ヴァークナーの楽劇「ヴァルキューレ」などと同じように俗受けするところが芸術的に難しくしている。それと同時にそうした背景があって、成功したフォン・カラヤンによる演奏実践などのようにそれが更にレヴューすれすれのやわな音楽になっているという印象が、嘗て持っていたロシア音楽への見解と似ているのだ。これについて深く触れていくと作品の本質に係ることである。

オート・コート・ド・ニュイのピノノワールはのボトルを開けたのは購入したその日だった。ある程度想像がついており、全くもって2014年産と若いので、兎に角開けた。もう一種類は蔵にしまった。予想していたよりも酸が効いていて驚いた。年度の特徴かもしれない。かと言って2009年物を購入する気もなかった。13ユーロほどの価格なので、ドイツのシュペートブルグンだとの良い比較になる。やはりこの価格ではこれ程の熟成は難しく2014年産では考えられないだろう。標高が高いということでの清涼感はあって、タンニンなどよりも何よりも酸である。しかし全体のバランスはとれていて食中ワインとしては贅沢で、石灰のミネラルも感じられた。食事はスパーで購入してきたキッシュロレーヌで、全くチーズ共々文句はなかった。リースリングでこの価格で楽しめるものは限られてきていて、その意味からは食事に合えば日常消費ワインとしては悪くはないという印象である。しかし現地に買い付けに行ってこの程度のものをケースで購入してくるかと言えば否である。それほど時間を掛けて楽しめるものではないからである。



参照:
リースリングの賞味期限 2014-05-29 | ワイン
高熱に魘されて計画する 2017-02-02 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-02-05 00:01 | ワイン | Trackback

Alternative facts

どうもこれは今年の流行語のようだ。ホワイトハウスが唯一の事実を述べる訳ではなく、長くもう一つの事実らしきものを語ることは皆の知るところである。だからポストトュルース時代の流行語とはいっても、真実などはそこにないことを明白にすることで、とても意味がある。名言だと思う ― 所謂「主催者発表」というような鍵カッコの事実を指す用語である。

ホワイトハウスはもう一つのそれらしい話をしているが、実際はどうなのだろう。フランクフルターアルゲマイネ新聞は貿易収支について経済欄第一面で扱っていた。それによると、狙われている日本の貿易黒字並みなのが連邦共和国にも当てはまっていて、殆んど同額なので決して日本が突出している訳ではなく、十倍規模の突出しているのは中共だけだった。それが事実である。

数値を挙げると、合衆国から中共は423B$入、104B$出、日本は120B$入、58B$出、連邦共和国は105B$入、45B$出、メキシコは271B$入、212B$出、カナダはB$255入、246B$出となっている。

ホワイトハウスのピーター・ナヴァロに言わせると結局ユーロに隠されたマルク安となるのだが、トラムプ大統領が乗っていた売りに出されたメルセデスのようにメードインジャーマニーとなると新たな価値が出る。しかし、反対にメキシコで造っていたものをデトロイトで造ったとしてもシヴォレーが欧州で売れる訳が無いのである。その問題が今度は翌日の経済欄のトップとなっている。

つまり、ホワイトハウスが日本と中共を同じく為替相場操作犯としたことである。日本は早速反論して、2011年以降は介入していないことを声明する一方、中共はこれには反応していない。一週間前にメルケル首相に李首相が電話したように世界の輸出強国二大国として安定化にスクラムを組んでいくということだ。実際には2000年代の中共は人民元を操作していたが現在では一概にはいえないとされているようだ。

そして、社説は書いている。来週にも安倍首相がトラムプ大統領を訪ねて経済問題を中心に釈明することを念頭に置いて、日本の緩和政策はそもそも世界経済の枠組みの中での政策であった訳だが、トラムプ大統領によって改めてスケープゴートに名指しされたことから、今後もそのような立場であるだろうという社説である。シナ人の人権はとても軽かったが、シナは再び超大国になろうとしている。それに比べれば日本を思うように扱うことぐらいはわけないことなのである。これを示すのが来週の安倍とのゴルフ会合ということらしい。これが真実であろう。本当に能力があり志がある人間は早く日本人をやめるに限る。

余談ながら、その前日の新聞にはメイ首相が英国民に向けて、合衆国の入国禁止令に反対の意を示したが、それによって「英国国籍または市民権を持っている当該のアラブ人も合衆国へ歓迎する」と合衆国は方針を変えた。これの意味することは、国民世論が確りしていればその市民権の価値が高まるということでしかない。



参照:
Das Weiße Haus nimmt Deutschland ins Visier, FAZ vom 1.2.2017
Jetzt wirft Trump Japan Währungsmanipulation vor,
Sündenbock Japan, Patrick Welter, FAZ vom 2.2.2017
可処分所得三割増の一年 2016-12-16 | 暦
三世が見るトラムプ像 2017-01-03 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-02-04 00:19 | 歴史・時事 | Trackback

山小屋での静かな休息

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スキーツアーの二日目は小屋から出発した。朝七時半の朝食は前日に四時起きだったので完全に目が覚めていた。朝は少しだけ早く目が覚めて二度寝それぐらいで丁度良かった。昨年度の二日目に比べると調子は良かったような気がするが、実際に歩き始めると昨年の印象は続いていた。それでも天気が良かったのでまあまあで次第に調子が出てきた。斜面を見上げると何処までも続くように見えていたが、意外に問題なく頂上に達した。滑りも前日よりはマシだったがまだまだ板をコントロールできない。

下りの途中で積雪の検査をしたのはとても勉強になった。何回もやっているが天気も良く、繰り返す度にその内容が理解できてくる。その都度状況は全く異なるのだが、そこで調べようとすることは回数を重ねる度に蓄積となって来る。

この冬は11月ごろの根雪がしっかりとした層になることなく気温が上がったので悪い。そしてその間に氷の層が出来たりして、初めて一月初旬に降雪の層が出来た。それがまだ層として定着していないことから新雪が降っていなくても、風で飛ばされて溜まっている雪の層は滑り落ちる可能性が強い。雪崩警報3の意味はそういうことになる。そこにドイツアルパイン協会が作った危険指標が組み合わされることで行動指針が生まれる。リーダーがスイスでも研修していた地質の学徒であることもこのフィールドワークの意味を価値づけていた。d0127795_17234377.jpg

そこから小屋に滑り下りて来てもまだお昼過ぎでジャグジーの風呂が沸くまで二時間以上ある。そこで朝登った斜面を登り直して滑り降りてからということになった。先ずは1948年生まれの世界中の山を登っているメスナー爺さんと家具親方がいかないと言い出すので自分自身も迷った。初日の疲れもありまだこれからの日程も考えると休憩しておきたかったからである。結局同じ斜面なら止めようとなった。元気な四人だけが出かけた。

日曜日から月曜日の山小屋は静けさを取り戻した。大部屋は我々だけで独占することになった。シャワーも只で使い放題で、身繕いをしてから持ってきた二日分の新聞の金曜日版を広げた。二時間近く窓を開け放って、雪景色を見ながら愉悦の時を過ごした。山小屋でこれ程静かな時を過ごすことは今まであまりなかったような気がする。夏の場合は人通りも多く、雪が無いので静けさもない。通常のスキー宿はスキー場の喧騒から逃れることが無い。



参照:
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
雪崩救助作業装備重量 2016-02-20 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-02-03 17:25 | アウトドーア・環境 | Trackback

高熱に魘されて計画する

完全な風邪ひきである。ここ暫く熱を出すことはなかったが、今回は喉の痛みから倒れるようになってしまった。高熱が二日ほど続いた。昼間も熱は下がらなかったが、普通の生活は可能だった。但し、能力は三分の一以下だろう。なんとか買い物には出かけられたが、見ず知らずの人が顔を覗き込むところを見ると足元がふらふらしていたのだろう。

寝つきが悪いと解熱剤などを飲もうかと思うが、飲んでしまうと体調が分からなくなって、その後の運動能力に問題が出そうなので敢えて飲まなかった。起きていれるほどなので高熱とは言っても摂氏40度とかの高熱ではなくて、精々38度ぐらいだったろうからそれほどの危険性はないと考えた。

熱に魘され乍らスキー靴の調整修正のことを次のスキーツアーの為に計画していた。スキー靴を調整するためにはオーストリアのインスブルックからブレンナー峠の方に向かった村の靴屋に出かけなければいけない。先代から甥が継いでからはそれほど拘らなくても良いのだが、2014年12月にそこで作ってから初めての調整なのでそこに行くしかなかった。勿論500㎞も離れた場所に出かけるのであるから、ほかの用事と組合さなければ意味が無い。そこでミュンヘンのオペラの予定を見る。残念ながら見つからなかった。

これは難しいかなと考えていたらラストミニッツでキルリ・ペトレンコ指揮「ばらの騎士」が入手できることになったので、靴マイスターと連絡を取った。残念ながらミュンヘンでの世界一のスポーツ見本市ISPOに出かけるために都合が合わなかった。そこで期待せずにいたら他の日の上演の券が入手できた。そこで新たにアポントメントをとった。最近は宿もネットで探せるのでこうした計画変更が容易になった。

最初の計画ではミュンヘンのアウトバーンを下りたところで一泊39ユーロで安かったので、オペラが引けたあとビ―ルでも呑んで、そこに泊まってから翌朝朝食抜きでブレンナーを目指して、9時頃に工房に入る予定だった。しかしその価格のオファーが無くなったので、翌日の朝の混雑を考えて宿泊場所を探した。高速道路経由でミュンヘンの向こう側に朝食抜きで45ユーロの部屋が見つかった。評判も良くダブルをシングルで使えるのだが、残念ながら滞在時間は短い。

立見席12.50ユーロ、初日の自宅から宿への走行距離が395㎞にそこからオペラ座への往復66㎞、翌日は宿から工房まで189㎞に工房から自宅まで474㎞である。オーストリアの通行税を払うので9ユーロほど加算される。

来年の復活祭にミュンヘンの劇場アンサムブルがニューヨークデビューするとあったので調べてみると、ユリア・フィッシャーとのブラームスのドッペルコンツェルトとマンフレット交響曲の一晩、次の晩には「ばらの騎士」のコンサートとなっている。来年のバーデンバーデンにはムーテー指揮の「オテロ」が企画されたとか読んだが、それは実現しなかったようなので、どうなるのだろうか?

序が無ければ古いユルゲン・ローゼ、オットー・シェンク演出のカルロス・クライバー指揮で有名なそれに出かけることはなかったと思うが、どうせ舞台も完全に見えない席であり、音だけでも聞いて判断は可能であろう。ベルリン時代からポピュラーな演目でありペトレンコ指揮レパートリーとして定着している演目でもあるようだが ― 逆に言うとこの指揮者が振る新制作は当分無いということであるかもしれない ―、今回も来年も人気プリマドンナのアニヤ・ヘルテロスが歌わないことなども興味をそそるところである ― どうみてもあのおばさんが物分かりが良いとは誰も思わないからである。

2014年12月に靴屋の帰りに寄ったミュンヘンでも「影の無い女」を聞いていたので、日程は前後逆になっているが今回もほぼ同じような感じでなにかは聞いてこれるのではないかなと楽しみにしている。何よりも宿も近いことであり、あとはこの機会にオペラが引けてから朝食の分も含めて飲み食いしてくることぐらいか。



参照;
日本社会の文化的後進性 2013-02-21 | マスメディア批評
つまらないには短過ぎる人生 2012-03-19 | 雑感
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
インタヴュー、時間の無駄五 2016-08-07 | 文化一般
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-02-02 23:22 | 生活 | Trackback

喉を鳴らし書類を置く

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一週間ぶりに身体を動かした。アイスクライミングを逃したこともあるが、やはり疲れもあったのかもしれない。久しぶりに走ると体が重かった。風邪気味で喉が痛み、咳が出ることからも体調充分ではないのだが、その足取りはとても重かった。計測でも知れるが、とても厳しかった。それでも身体を動かすと体調も分かってよい。

走ると今まで感じたことが無いように左の足のくるぶしまでに違和感があった。普段の生活では分からないのだが、爪先立ちで坂を走ると足首から下の違和感を感じたのだ。スキーで捻りなどの運動があって無理が掛かっていたのだろう。次回のスキーツアーに備えてとても良い情報になった。

注文した荷物が届いたので、早速新しい電球を取り付ける。陽は長くなってきたがそれでも冬場のライトは安全上とても大切である。一緒に発注した書類入れは予想通り良かった。流石に事務用品のトップメーカーライツが、恐らく敵対会社を吸収して出した商品だけのことはある。以前から使っていたものからすると何ミリが高くなっていて、重ねても手が入りやすいので使い易い。新しいものを事務机の横に置き、古いものを籠もり部屋に設置しよう。

予想外に良い買い物になったようなのが二枚組のCDである。ワーナーのヴェリタス廉価シリーズなのでてっきりヴァージン録音だと思ったがERATOとWDRの共同制作のようだ。ブクステーデ作曲カンタータ集であるが、これまた想定外にトン・コープマンが至極真面目に音楽をしているようだ。録音自体は1980年代なのだが ― 遠いマイクロフォンでハノーヴァーの北の村の冬の教会の空気がそのまま捉えられていて、あれだけのアンサムブルをこうしたおちょくった方法で敢えて録っている、先頃の記念年には全集録音に取り組んだだけバッハの憧れの作曲家の作品にとても打ち込んでいるようだ。恐らく、バッハのそれ以上に共感するものが多いのだろう。

ドイツのプロテスタンティズムバロックは、バッハファミリーを含めてセバスチャンの前には、嘆きの音程を代表とするような嘆き節に尽きるのだが、この演奏録音では少年合唱を含めてそこが上手に洗練されて表現されていて、恐らくそこがセバスチャンが徒歩旅行でもそれを聞きに行かなければならなかったブクステーデの豊かな音楽性の面目躍如なのだろう。

今回の山小屋で一番良かったのはジャグジーを無料で使えたことであるが、問題があったのは備え付けのサンダルを裸足で履かなければいけなかったことだ。勿論水虫が怖い。帰宅後むずむずして痒さがあったので早速風呂に浸かる前に食用米酢に足を浸けた。それで痒みは止まったので先ずは大丈夫だと思うがもう一度違和感があった繰り返さないといけない。米酢は捨てるほどあるので困らないのだが、冷たい酢で足が凍りそうになった。

カンジタの被害は過去に何度かあって、一番最後は小水に糖が混じって危険域にあったときであるから、十五年ほど前になる。それ以外にはやすやすと裸足で歩き回るようなこともないので被害を被らずにやってきている。歯茎が腫れることなどから免疫力が弱っているので注意しなければいけない。

引き続き喉がガサガサしている。雪山にいる間は歯茎の腫れなどは感じることが全く無かったのだが、帰宅すると午後などには腫れぼったくなることがある。やはり生活習慣とか社会でのストレスなどの影響が大きいのかもしれない。雪山で歯がぐらぐらするようなことが無かっただけでも幸福だろうか。微熱がありそうなので、精をつけてゆっくりと睡眠しようと思うが、中々忙しくて儘ならない。



参照:
まだまだインドーアライフ 2016-03-31 | 生活
不法移民、強制退去の祖父 2016-11-25 | 歴史・時事
笑止千万な旧姓に拘る人々 2014-10-15 | マスメディア批評
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# by pfaelzerwein | 2017-02-01 02:49 | 雑感 | Trackback

索引 2017年1月


春も恋しい、寒の緩み 2017-01-31 | 生活
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
フクシマ前消費の半分へ 2017-01-29 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
マエストロ・ムーティに再会 2017-01-27 | 音
パンの美味さは健康の味 2017-01-26 | 生活 TB0,COM2
指向性が良くなるアンテナ 2017-01-24 | 雑感
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
生涯日本滞在時間比率 2017-01-22 | 雑感
復活祭音楽祭の記録 2017-01-21 | 文化一般
スキーツアーの寒冷対策 2017-01-20 | ワイン
核が耐えられなくなる寒気 2017-01-19 | アウトドーア・環境
二週間ぶりのサクサク感 2017-01-18 | 生活
電話ケーブルの再敷設 2017-01-17 | テクニック
エルブの容赦無い音響 2017-01-16 | 音
ドイツ製ゴーグルの対照性 2017-01-15 | アウトドーア・環境
ピエール・ブーレーズの家構想 2017-01-14 | 文化一般
ヘアースタイルフェティシズム 2017-01-13 | 女
腰痛日誌六日目、圧迫感 2017-01-12 | 雑感
腰痛日誌五日目、柔軟 2017-01-11 | 生活 TB0,COM2
腰痛日誌四日目、回復 2017-01-10 | 雑感
腰痛日誌三日目、希望 2017-01-09 | 生活
腰痛日誌二日目、買物 2017-01-08 | 生活
腰が痛くて熟睡できず 2017-01-07 | 生活
年末年始ワインと初買い 2017-01-06 | ワイン
試してよかった初滑り 2017-01-05 | アウトドーア・環境
清貧に準備する防寒 2017-01-04 | 生活
三世が見るトラムプ像 2017-01-03 | 歴史・時事
TV灯入れ式を取り止めた訳 2017-01-02 | 暦
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦

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# by pfaelzerwein | 2017-01-31 06:35 | INDEX | Trackback

春も恋しい、寒の緩み

車の車幅灯が切れた。数日間寒いなかを路上駐車していたからだろうか。トランクに入れておいた水が翌日も凍っていたことからも寒さが知れた。電球が切れただけだったようなので、球を取り出してみようと思うが左側は特に手が入れ難い。不凍液のタンクが邪魔しているからだ。それに車幅灯と遠投ヘッドライトが二つ縦についていて、外からはどちらがどちらだったかも分からずに手を押し込むので更に煩わしい。結局両方を外して下側の車幅灯の電球を外して切れていることを確認した。

述べたように左側が面倒なので、右側と付け替えることで電球だけの問題であることを確認して、且つ電球交換を容易にしようと右側だけに不良を寄せる。序に外したヘッドライトも右側は最近交換しているので左側に新しい方を付け替えてと思って凍てつく中で作業する。そうこうしているうちに、左側のヘッドライトの古い電球が脱落してその中に落ちてしまって、ドライヴァーなどでは引き出せなくなった。異音もしないようなので、電球を諦めて右側を外して左側にリゾースを集中させて、右側二つの電球交換にしておく。

そうこうしているうちに、ラディオも点けっぱなしにしていたので、バッテーリ保護の警報が鳴りだした。寒いところで30分以上も頑張っていると体も冷え込むがバッテリーも冷え込んだようだ。仕方がないので、作業を終えてから、バイパスを通って家の周りを一周して戻って来る。

メーカーのマンハイム支店に行けば直ぐに手に入るのだが、都合も悪く、更に安いものを購入するならばネットでと思い検索する。車幅灯共々二つづつのセットで、各々5ユーロ、9ユーロで、二つも要らないのだが価格は変わらず燃料代を節約出来るので、送料無料の30ユーロに合わせるように品選びをする。それが中々緊急性などを勘案してもなかなかうまい買い物とはならない。週末に冷えが緩んだことであり、手元が汚れないように新たに襤褸を持ち出して、脱落した電球を探してみることにした。

懐中電灯を点けて観察する前に、懸案の不凍液のタンクを外せることに気が付いた。一度外したことがあったようだが忘れていたようだ。すると中が良く見えて、奥に入っていた電球を拾い出すことが出来た。その古い方を右側に付け直す。これで9ユーロの投資が要らなくなった。その分必要なものをアマゾンに発注可能となった。

掃除機の使い捨てゴミ袋と共に二枚組CDに加えて、プラスティックの書類置きを三つ購入した。重ねて使っていたのだが、下に落として割れてしまっていたので、籠もり部屋には書類置きがなかったのだ。籠もり部屋生活もあと二月ほどである。



参照:
ラムプが切れて冬支度 2016-10-07 | 暦
積極性が満ち満ちるとき 2015-09-28 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-01-31 00:31 | 生活 | Trackback

とても魅力的な管弦楽

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承前)リカルド・ムーティ監督下でのシカゴ交響楽団の実力は?

二曲目のエルガー作曲「南国で」は、未知の作品であったが、その通りベルカントに歌う局面のみならず、音色豊かな木管類や金管の抑制の効いた響きがとても美しかった。この交響楽団からこれ程美しい響きを聞いたことはなかったので、なるほど楽団はこのマエストロにこれを期待したのは明白だった。なるほど大都市シカゴにおいて、エンターティメントとシリアスを、新世界と旧世界を、丁度良い具合にバランスをとった上質な音楽を提供するということではショルティーもバレンボイムでも叶わなかったことだ。エルガーの交響的な書法も余すことなく響かせながら、「威風堂々」の月並みやイタリア趣味のそれになってしまわない演奏実践はやはり見事としか思えない。実際に会場でもブラスバンドを期待していた向きも音楽を知っている向きも同じように反応していたことでもその効果のほどが良く知れた。

これを書きながら、フィラデルフィア管弦楽団監督時代に録音されたショスタコーヴィッチの五番交響曲のCDを流している。その響きはオーマンディ時代のグラマラスなそれを引き継いでいるものだろうが、実際ネーティヴなドイツ語を喋る先任の録音が典型的な所謂カラヤン世代のムーディーな音響にしか至らなかったことからすると、ムーティ―指揮演奏はその世代が異なるだけでなく充分に欧州風である。充分に音価をとって歌わせるようにテムポ設定してあるのも今現在と全く変わらないのであるが、それはそれなりに簡略して情報量を落とすようなことをしていない。オーマンディ―がその才能を見染めたのだった。

後半のムソルグスキー作曲の二曲からコルサコフ編曲「禿山の一夜」は唯一勉強していった作品で存分に聞き分けることが可能だった。先ずはリズムが全くなっていなかった。一カ所だけ、鐘が鳴って終結部への弱音器付きのヴァイオリンが出るところで、それに続く終結におけるソロクラリネットのmeno mosso, tranquilloを先取りするかのようにテムポを落としていた。それによって本来は印象的な筈の木管のソロがもたつくこととなっていた。なるほど音色の妙としては印象的だったのだが、益々ムソルグスキーの音楽の土着的な強さから離れる結果となっていた。エルブフィルハーモニーでのFAZ批評ではおしゃれなリムスキーコルサフ編曲と呼ばれた所以だ。

それは同じように次のラヴェル編曲「展覧会の絵」にも如実に表れていて、もはやムソルグスキーなどどちらでも良くて、フランスの新古典主義の管弦楽法の微細さを堪能するだけとなっていた。プロムナード主題も押しつけがましくなく、至ってバランスの取れた軽妙な音楽となっていて、名画を堪能するに尽きるのであった。久しぶりにラヴェルの管弦楽を生で聞いた思いであり、昨年聞いたフライブルクの「ラヴァルス」とは次元が異なった。なるほどこれだけ上質な音楽はこの交響楽団からもなかなか聞けないものだったかもしれない。こうなるとロシア音楽なんてどうでもよいとなる。

つまり芸術性と呼ばれるものでもあるが、マエストロがベルカントで魅力的に歌おうとなると同じようにテムポを落として歌うことになるのである。モーリス・ラヴェルの楽譜にそのようなロシア的な表記があるだろうか?楽譜を調べないまでも違和感を覚えた。アンコールのヴェルディ、そしてマエストロの若い時と全く変わらないキャラクターは、なるほど魅力的なもので、銭をとれる極上のエンターティメントであり、それなりの芸術的な愉悦もありヴェルディなどのオペラの楽譜への見識や批判的な解釈には定評がある。しかしそれだけに余計にこの南イタリアのマエストロが他の立派なイタリア出身のコンサート指揮者とは全く異質な存在であることを感じさせた。

シカゴ交響楽団は、バレンボイムの指揮では背後に追い遣られていたショルティー時代のようなあの締まり切った快い低音も、それにバランスをとるグラスファイバーのように鋭い高弦の超合奏を披露した。ヴィオラトップを中心にコーリアン主体の更に数的に支配的になったアジア人達の弦合奏もとても立派で、管とのバランスを含めて斎藤記念管弦楽団とは似て非なるその芸術性は圧倒的だった。

余談であるが、入りはとても悪かった。指揮者楽団共に人気が無いのである。ティーレマン指揮シュターツカペレよりも人気が無い。折角マエストロが自己評価を自己認識してその長短をバランスとったプログラムであったが、一般的な聴衆にはその面白さや意欲が理解できなかったのかもしれない。また、案の定2017年は間違った座席が間違った価格で発売されていて、どうも二列目の人たちに補償があったような様子はなかった。(終わり)



参照:
復活祭音楽祭の記録 2017-01-21 | 文化一般
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
今言を以って古言を視る 2006-11-02 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-01-29 21:32 | | Trackback

フクシマ前消費の半分へ

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電気代の決済が来た。結論からすると2016年度は1774kWhと、2015年度2316kWhに比較して542kWhも消費が減っている。二割五分に近づく削減である。さてその内容を調べてみる。

一つは冷蔵庫のパッキングを直したのが2015年12月であるから夏の間の効果はあった筈だ。そして今霜が冷凍庫に再び付着しはじめているので、週末の夜に除去してみる。

もう一つはノートブックのドッキングステーション化を8月からはじめて、ワークステーションの通電時間とその後10月からスタンバイ電源も切れるようにした ― 反面、モニターを二つ常時点けるようになったのでその分増えている。ワークステーションの年間使用の半分ほどは2016年中に節約したことになるだろう。電球は切れる毎に低消費のものに付け替えていくぐらいだから限られている。そもそも常時点灯している電球は少ない。

その他では、12月以降に電源スイッチを導入しているので11月末の検針時には全く考慮されていない。増えたものは、前記モニターに加えて、DACの導入による電流と若干オーヴンの使用も増えたかもしれない。その他キャストやラズベリーの使用も電源スイッチをその後入れるなどして微増であり、スタンバイのシャットアウトで増減なしだろう。

2017年の見通しは明るい。スタンバイ電流を徹底的に落としたことから、またワークステーション消費残り半分が実質的に無くなることから、それだけからすればもう二割五分削減となりえると思う。大胆に試算すると1330kWhとなる。試算は初めてであるが、ここまで下がれば殆んど優良電気使用者となり、フクシマ前年の半分以下になる。あれだけHiFiやWiFiだけでなく仕事にも電気を使っていてこの数字に至ると表彰ものとなるが、本当だろうか?洗濯機も週に一回以上、掃除機もアイロンも使っていて、コンロも普通に使っている。そういえば自宅にいても昼食で火を使うことが殆んどなくなって来ている。これは大きいかもしれない。節電強化のPCや電化製品はとてもありがたいものである。勿論相当分返金される182ユーロ、昨年は月掛70ユーロ支払っていたのに対して54ユーロと月々16ユーロ安くなり、これもありがたい。

そして何よりも嬉しいのは、我が市の電源が水力、天然ガスのプールのヒートポムプシステムから41.5%とその他再生可能エネルギー57.5%で完全再生可能エネルギーと僅か1%の天然ガスのみで構成されていることだ。CO2排出はなんと4g/kWhである。勿論核廃棄物零である。これはとても嬉しい。



参照:
一日17時間稼動の労働コスト 2010-02-24 | 生活
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
犯罪行為のオール電化 2012-02-10 | 生活
しなやかな影を放つ聖人 2007-12-15 | 文化一般
我が町のエネルギーミックス 2014-02-15 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-01-28 21:49 | アウトドーア・環境 | Trackback