ペトロール香と紙一重

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2014産グローセスゲヴェックスをもう一本開けた。ザールのツィリケン醸造所のラウシュである。アルコールが11.5%である。だから期待できないので早めに開けた。キャラメル風味でペトロール香と紙一重であるが、焼けた木のような味でリズラーナーのような趣である。結局はその色合いで分かるように昔のシュペートレーゼのような趣だ。つまり蜂蜜香は致し方ない。こうしたグローセスゲヴェックスを試して、GGがそのようなものだと考える外国人がいたら大間違いである。要するに真面なグローセスゲヴェックスになっていない。そしてアルコールが弱いので既定の収穫量まで落としていても酒質が弱すぎて全く駄目である。個人的には透明なミネラルな液面の上の海原のようなそよ風感が良くてこれを購入した。

こうしたGGを飲むとモーゼルザール流域で本格的なグローセスゲヴェックスを醸造出来ている醸造所はどれぐらいあるのだろうかと思う。筆頭のファン・フォルクセム醸造所でもまだ本格的にそれを名乗るのを躊躇っているぐらいであるから、彼の地方では本格的なGGが実るのはドイツのシュペートブルグンダーと同じように十年に何回かはそのチャンスがあるかどうかというぐらいだろうか。それ故に今でも真面なブドウ栽培と醸造法が充分に身に着いていないのであろう。

食事もあまり力強くないものを考えた。肉団子を温めたものにした。ホースラディッシュを使うことも無く生の味で食するようにした。ワインが弱弱しいとそうしたものの方が合う。

日本のヤフーを見ていると、フライブルクのビオデザインという会社が出てきた。デンマークでの発明家によるバラバラ殺人事件に関して、30年前の日本人女性のバラバラ死体遺棄事件が連関されているからだ。その女性を欧州に招聘したのは所謂開発のためのテスト会社でベーリンガーの子会社らしい。シュピーゲル誌1987年32版にその事情は詳しい。個人的に興味を持ったのは、2005年にここでも紹介して、同様の実験者募集を独日協会を通じて広報したことがあるからだ。

シュピーゲルの記事には、日本の中絶数が多く、その薬事法の貿易障壁があることから、つまりアジア人は酵素の関係で欧州人と同じような実験結果を利用できないとして、また日本の製薬会社がこうしたサーヴィスを利用しているとある。

実際は知らないが、酵素の影響が云々というのは日本政府が語っていることで、本当に広範な試験が必要なのかどうかもとても疑問である。ここで扱ったのはハイデルベルク大学の募集だったようだが、この手の試験への疑心暗鬼は消えない。



参照:
交差する実験予測と命題 2005-08-13 | 数学・自然科学
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-08-25 20:44 | ワイン | Trackback

スマートに行こう!

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ブレーキディスクを交換した。後輪のタイヤも新しくした。ブレーキの利きの精妙さが増して、後輪の粘りが出来てハンドル捌きも精妙になって来た。BMWほどではないが精妙に車を制御できるのが嬉しい。d0127795_2032535.jpg
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半日間、スマートを借りた。久しぶりでカヴリオーレタイプである。印象からすると当初のモデルより質が落ちている感じがした。何よりもエンジンを掛けた時の振動と騒音は昔のスバル360並みである。今時このような車が許されているのが不思議だ。この価格帯では到底電気自動車化は無理だろう。

エンジンが騒がしい割には加速も悪いが、高速で135㎞超えると風切り音が轟音となって来て落ち着かない。到底二輪車走行の快適さには至らない。運転感覚も以前感じたものよりも悪く、車幅感が取りにくい。だから思うほど駐車が容易という印象も無い。燃費もそれほど良くなかった。

何かいい点があったかと考えてみるが、あまり浮かばない。以前はそれなりに面白い車だと思ったが乗っているのがうんざりする。操舵性が良くなく、走らせる悦びが全くない。これならばシトロエンぐらいの方が走りが良かった。




車中のラディオは、ドキュメンタという催し物で「砂浜のアウシュヴッツ」という展示が中止になったとあった。背後事情はこれからとあったが、FAZは二大政党だけでなくユダヤ協会からも懐疑の声が出されていてと報じ、車中で思ったようにAfDの仕業ではなかったようだ。

先日触れた前首相シュレーダーの反論に対して、メルケル首相は「政治家を辞めてからも経済界で役を得ない」と宣言して、シュレーダーの行いは間違いだと断言した。メルケルの個人的な立場とシュレーダーのそれは全く異なるが、何人もの別れた嫁さんに慰謝料を渡そうと思えば金に貪欲でなければならないのだろう。社会民主党の党首か保守党の党首がどちらがどっちか分からないようなことになっている。

夜はBR-KLASSIKでルツェルン音楽祭初日の演奏が流れていた。偶々だったのでリヒャルト・シュトラウスプロを聞いた。同音楽祭管弦楽団の指揮者になったリカルド・シャイーは頂点にいる指揮者であるが、なるほど管弦楽団は悪くは無くその指揮も立派だと思うが、このような音楽をこのように演奏してどんな価値があるのだろうかと疑問に思った。更にこの指揮者がこの管弦楽団を指揮することでなにか他とは異なる芸術的な価値が示せるのだろうかとそうも疑問だった。あれだけオペラを振る指揮者が、シュトラウスをこのようにしか振れないことにも失望する。

コンタルスキー兄弟のアロイスが火曜日に亡くなったとある。ブーレーズ作曲スチュラクチュア―でも有名なピアノデュオのお兄さんである。アルフォンスの更に下の弟が「兵士たち」の指揮で有名な指揮者である。手元には兄弟のブーレーズ以外にもリゲティやベルント・アロイス・ツィンマーマンのLPが手元にあるがソリストとしては知らない。シュトックハウゼンなどを弾いていたようである。



参照:
ライフスタイルに合わない 2015-03-12 | 生活
新Aクラスのターゲット 2013-08-23 | 雑感
正しく共有されない情報 2015-09-08 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-08-24 20:06 | 雑感 | Trackback

Go home & never come back!

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承前BR-Klassikのページを読んで驚いた。そこには、ザルツブルクでタイトルロールのティートを歌い、「いいね」をくれたラッセル・ト-マスのエピソードが載っている。今回の演出には一人の南アフリカ出身ゴルダ・シュルツとアフロアメリカンのアニーオの役のジィニー・ドピックの二人の歌手がいたが、その一人が訪れたモンドゼーで一人の爺さんに大声で侮辱されたというのだ。「恐らく、アラブ女性と見られたようだ」とある。行楽地でありアメリカ人を含む世界中からの観光客が集まるザルツカムマーグートでこのような野蛮行為があるとは容易に信じられない ― 少なくともドイツでは証拠さえあれば侮辱罪で刑事訴訟は免れない。するとミュンヘン在住でドイツ語も喋るに違いないゴルダ・シュルツがヴェールか何かを被っていたのかもしれない。彼女がモスリムかどうかも知らないが、少なくとも外見からしても攻撃を受けるような対象ではない。そしてドピックにしても明らかにアメリカ人と分かるだろうと思う。

暴言を吐いた人物が、ドイツからのまたはオーストリアの旅行者なのかまたは東欧からのそれなのかも分からないが、少なくとも連邦共和国民ならもしかすると滞在地での法の隙を知っている法律家なのかもしれない。典型的なAfDの支持者層であり、二流指揮者クリスティアン・ティーレマンらのPEGIDAも皆同じ穴の狢である。そしてこのようなことが合衆国でもなく西欧で発生することは恥でしかなく、ヴァージニア州知事のように「恥じろ、出ていけ」 ― Schäme dich!Raus!と叫ぶべきなのである。実際その場にいたら、言葉が出なくても、少なくとも大切な証拠となるVIDEOを回す位のことは出来るではないか。

私たちウルトラリベラルな者であっても、「どちらもどちら」とトラムプのような姿勢はとらないが、意見の相違があってそれを取り立てて激化させても解決には向かわないと考える。このシャルローツヴィレにおいても両陣営が警察を挟んで対立していたのも事実であり、事件前から暴力沙汰になっていたのも間違いない。しかし、ネオナチであろうがネトウヨであろうがAfDであろうが、彼らの言動を寛容のもとに許容することはまた別の問題である。

それらの行動や発言に厳しく反応することで議論が可能となる。またキリスト教民主同盟などの保守政党の立場のように、奴らを非合法化して地下に潜らせないことの方が重要だとする見解も理解するが、厳しい批判は欠かせない。PEGIDAの主張も尤もなことで許容していた。しかし一連の世界の動きを見ると何も旗印を明らかにする必要など無いが、「許容できないことには許容しないと声を上げる」ことは欠かせないと思うようになった。

安倍政権批判に堪りかねて在フランクフルト日本国坂本総領事が殴り込んだドイツの高級紙フランクフルターアルゲマイネが、このAfDにも執拗な批判を続けている。文字通りには誰もが納得するような党のスローガンの裏に潜む事実を暴き、警鐘を鳴らし続けている。

ラッセル・トーマスは、上のエピソードに関して「この制作の焦点ではないが、間違いなくこの経験が皆に反映している」と語っている。彼のフォルテで一本調子と評されたティートの怒りの歌の激しさを見るとなるほどと思わせて、私が最初に考えていたような「合衆国の人種を投影させている」というような静的でドラマとして様式化された表現形態を超えて、そのもの情的で肉体感を持った表現意思が演出されていたとすると更に驚愕させられる。

以下のようにリツイートした通り、見事な歌唱と演技でthe painを表現していて、まさにこの南アフリカ出身の教育を受けた歌手がそのもてる技術と感性を活かして表現している芸術というものを私たちは見極めなければいけないのだ。

今年上演された音楽劇場作品でとびぬけた価値を見出せる上演であり、それを無理して破廉恥な音楽を生で聞かないでもネットで流されるそれを見れば充分に体験可能である。こうした上演に際して、それを体験して批評できない様では、音楽劇場などを幾ら体験しても無駄でしかない。

Golda Schultz‏ @SchultzGolda  4. Aug.
Just #thankyou #petersellars for helping me find the #beauty in the #pain #clemenzaditito #GoldenMoments #blessedbeyondmeasure



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
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# by pfaelzerwein | 2017-08-23 20:03 | 歴史・時事 | Trackback

金ではない、そこにあるのは

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新聞に各国首脳の給与の比較が出ていた。トップはトラムプで半ミリオン以上、メルケルは360T、フランス、イギリスのメイがメルケルの半分で180Tある。少ないか多いかといえば、一般企業の重役からすればとても少ない。またその激務を考えれば決して多いとは思えない。勿論この後にプーティンなどが続くように、金脈を握ってしまえば給与などどちらでもよいことになる。

激務に拘わらず何期も務めるとなれば最早金の問題ではないとなる。長くやれば長いほど金脈を掴むことになるが、そもそも人の寿命などは分からないので結局は金の話しではなく権力の話しでしかないのだろう。公職などは多かれ少なかれそういった所がある。

涼しかったので夕方スーパーに出かける前にボルダーに出かけた。陽が欠けると寒いぐらいだったが、無酸素運動をしても汗を掻き難い。「ロッホムスター」を更に下から綺麗に熟そうと思うが、名前の通りの穴だけを使おうとするとバランスもとり難い。最初の一手が難しいのはその横の難しい課題でもよく似ている。その後に「ウォーミングアップ」を綺麗に熟した。それでも腕肩に掛かる負荷が大き過ぎる。

現在使っているクレッターシュ―「ソリューション」の爪先がそろそろちびてきた。ゴムを張り替えを考えると今でも爪先に力が入り難いので、そのサイズ38.5よりも大きめの39を購入した方が良いと思うようになった。靴自体はとても良いので、もう少し足が楽になると小さな岩場で限界までを登るときはそれでも使えるような気がしてきたからだ。

靴と同じ2015年春に購入したが、フランスのデカトロンで購入したシモンのクライミングパンツもお尻が破れているのを発見した。通常は下にショーツを履いているので問題がないが、街でも履けるということで使っているので、新調しなければいけない。割引で30ユーロで購入して二年間使えたので御の字である。標準価格で40ユーロ、但し今回は二年前に無かったサイズMがあるので、店頭で先ずそれに膝を通して見ようと思う。

翌朝の森は、摂氏13度ぐらいで、そして陽射しがあって気持ちよかった。前日の筋肉痛などもあって身体解しだけの走りだった。森には普段見かけない顔が敷物のようなものをもって林の中に入っていく。クワガタを落とす訳でもないので、なりかけた青い栗を集めているのだろう。

承前)セラーズの「ティートの寛容」を改めて流した。3Satの「ハイヴィション」で流すと肌の凹凸まで見える。デジタル技術は恐ろしい。1280x738で大きくはないが通常のモニターサイズでは十二分過ぎる解像度である。音響はCDレヴェルだが、音楽はどちらでもよい。それにしても通常の最後のフィナーレの扱いは見事だった。この制作ではその後にティートが倒れて、フリーメーソンの葬送音楽となるのだが、劇作的にここはそもそもこのオペラセーリアもどきが敢えて開いたままにしてある創作となっていて、所謂音楽劇場作品であり、ドイツ歌劇「魔笛」から更に一歩を踏み出しているところである。それがセーリアもどきにイタリア語で書かれているのだ。

この制作では具体的に、負傷したベット上の独裁者ティートがテロリストのセストらを恩赦する。しかしここは元来必ずしも単純なハッピーエンドに書かれている訳ではなく、重唱の中でティートは「(この裁定が)ローマの意思に沿わない限り、殺してくれ」と叫んで、生命維持装置を外していく。要するにモーツァルトはその寛容をも聴衆に問いかける形で、登場人物が各々現実の社会に降臨させる形になっている。音楽劇場の目指す、劇場の壁を乗り越える作品である ― 恐らく今回の指揮者を含めて、多くの人に天才モーツァルトを理解不能にしているのは、そのBGM的なエンターティメント性に他ならない。

その音楽的な構造や創作のその背景についてはまた見ていくとしても、今回のセラーズが指し示した劇場を超えるものは、一つには現在われわれが生きている社会での苦悩でもあり、オペラセーリア的な勧善懲悪や啓蒙思想に根差した理想とする古典的な世界観でもない。ドイツのこうした音楽舞台作品を見ていく上で、「魔笛」のみならずモーツァルトの作品はその礎となっているのが益々分かるようになる。オペラを知りたいと思えばバロックオペラを知ること無しには理解は不可能だが、音楽劇場を考えるときにモーツァルトの「魔笛」や「ティートの寛容」無しにははじまらないだろう。それを、エンターティメントの形としてセラーズは示すことになっていて、もしかするとザルツブルク音楽祭が始まって以来のモーツァルト再考の快挙ではないかと思うようになってきた。音楽自体はとても器用な指揮者が小憎らしいほどに上手くつけていて、この人こそが音楽芸術に何一つ貢献しなかったフォン・カラヤンの後継者ではないかと思う。とても二流の音楽監督に出来るものではない。



参照:
伸びる仏印ジーンズを購入 2015-04-09 | 生活
26CMで解決へのもう一歩 2015-03-15 | アウトドーア・環境
ボールダーで新技術習得 2017-08-16 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-08-22 22:16 | 雑感 | Trackback

ピリ辛感が残る最後

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ザルツブルクのセラーズ演出ティート役ルッセル・トーマスから「いいね」を貰った。ORFで観た動画のサイトの写真をリツィートしていたからだ。その写真には彼が大きく映っている。この月曜日が楽日のようでその前日の日曜日にホテルで時間があったのだろう。

彼のサイトを見ると、自分では書いていないので丁度私のメインサイトとよく似ている。オフィシャルホームページにも歌うアクターともなっていて、この人は現実をとても厳しく見ている人らしい。それでも驚くにアンドリウス・ネルソンズなどとも共演している。この指揮者も奥さんのクリスティネ・オポライスなどの関係もあって歌手や劇場とはまた別の繋がりもあるのだろう。なるほどその動画でも新聞評などでもその歌唱には限界があった。それでもリー将軍の像らしきものがなぎ倒されているニュースがリツィートされている。どうもご本人はヒラリー支持だったようだ。

殆んど有名人お断りなサイトなのでフォローしようかどうしようか迷ったが、今回のシャーロッツヴィルの騒動はこのまま終わらないと思っているので、それらの巷の情報を追うためにもフォローした。序にそこに二月にローゼンカヴァリエで口パクをやって、今回はヴィテリアの名唱で輝いていたゴンドラ・シュルツの記事をリツイートしておいた。そこにミュンヘンでの上演のセストを歌ったアイルランド人のサイトも見えたがこちらはヴィデオでしか観ていない。

やはりザルツブルク音楽祭の「ティートの寛容」は本当のイヴェントになったと思う ― 何十年ぶりのことだろう。そしてこの公演だけは最初から唯一注目されていたプログラムだった。ピーター・セラーズのインタヴュー等は見ていないが、とても今日現在をその透徹した芸術的な視線で制作しているからこその成果で、合衆国が世界が良く見える舞台だった。当然のことながらトーマスをザルツブルクに推薦したのはセラーズに違いない。するとその演技を歌を度外視にしてもう一度見てみなければいけない。そもそもここではあの三流の音楽を消して耳を塞いでオペラ鑑賞しなければいけないのだ。3Sat放送分をもう一度落として比較してみよう。

先週も通常量だけは走れた。特に週末は涼しくて、日曜日は摂氏13度だったので気持ち峠を攻めた。まだまだスピードを出せるような状態には無いが、涼しくなると気持ちが良い。走りの爺さんとも気持ちよさを共有した。それでも先週はここ数年としては最も大きな体重を計測した走ってからあと73㎏を超えていた。理由は全く思い浮かばないが、例年の癌症状の夏バテ時の夏太りらしい。発汗量が減って、寒さで頭が痛くなるぐらいだから、水気が体に溜まるのだろうか。

週末は1998年もののメドックでステーキも食したが、その前にはソ-セージをリースリングで食した。リースリングを合わせるつもりではなかったが、開けたナーヘのデーンノフの2014年デルヒヘンのスパイシーさがとても似合った。

これはグローセスゲヴェックスであるのでまだ瓶詰後二年を迎えたところで時期尚早ととされるが醸造所オーナーに言わせると早くから飲めるのがデルヒェンということだ。初日はまだ新しいので酸が前に立ちはだかったが、黄色味がかったリンゴの香りがあり、そして僅かの蜂蜜香がある。若干のポトリティスを感じさせるが場所柄仕方がないだろう。そして、チリのようなピリ辛が最後に残る。酸はこなれている。但し、素晴らしい土壌だとは感じるが、充分なテロワールの表出があるかどうかというと若干疑問である。グリルしたソーセージにはそのチリのスパイシーさがばっちりだった。こういうGGの楽しみ方もあるのだ。



参照:
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-21 20:09 | ワイン | Trackback

ホタテの道の金の石塁

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承前)カステルッチ演出「タンホイザー」を、その前に「兵士たち」のヴィデオを観たことで、よりよく理解した。細かな謎解きは幾らでもありそうなのだが、それが音楽の本質に根ざしていて、創作を理解することにどこまで役立つかのかどうかはとても疑問である。そして、先にアップした一幕の写真の金に輝く岩のように理解に役立つ意匠はそれほど多くは無い。

その巨岩に関してはプログラムには触れられていなかったが、劇場が後になってその意味するところをネットで謎解きしていた。それは、最近も益々「自分発見の旅」として人気の絶えないサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道(通称ホタテの道)にあるクルツデフェローの十字架の立てられた石の山を意味するということだった。その石の山は巡礼者によって運ばれた石で築かれていて、今でも多くの人々がそこに世俗の罪の石を棄てていくということである。そうして築かれた丘を岩を意味する。

そして三幕一場で、ローマから戻ってきた巡礼者たちは最早巨岩でなくて両手で抱えるような金の石を各々が携えている。そしてそれを携えたまま去っていく。その巡礼の列にエリザベートはタンホイザーを求めるが見当たらない。

タンホイザー役のクラウスと記された石棺に少し大きめの金の石が置かれたままだ。そこから永久の変容が始まる。ヴォルフガングが「おお優しい夕星を」と歌い、闇に染まるヴァルトブルクの谷の上に広がる天を見上げる。そこから途轍もない時が流れ、悠久の変容を重ねていく。ありとあらゆるものは掌から零れ落ちる砂と帰す。

実はクリーゲンブルクの「兵士たち」演出での黙示録的光景の中で、十字架によるカトリック秩序と過去から現在、未来への時間の推移が円環をなして、原始的な普遍的構造を有するという発想がここでも活きて来る ― ここでは時間は矢に表される。とんでもない時の経過を示すテロップが示すものは普遍的な存在を示すことになる。背後の環の中で蠢くものは生物であるのかもしれないが、必ずしも人類とは限らない。そう思うと二幕における意味不明の芋虫ごろごろのバレー団のマス演技も幾らかは理解できよう ― まるで日本の初等教育におけるお決まりのタンホイザーの音楽が流れる運動会風景であり、カステルッチは9月の東京引っ越し公演にこれを合わせたとしか思われないぐらいである。

そもそもこのオペラの内容自体が、ラインのロマンティックなどを超えて遥かに形而上のものであり、その音楽的に限られた素材の中で、楽匠を死の直前まで苦慮させたものである。今回の新制作のプログラムには御多分に漏れず逐条的、意匠ごとに言語的定義付けが試みられているが、そこから創作の苦慮が解き明かされるとは思わないのは、カステルッチ演出の謎解きの徒労と同じである。

とどのつまり音楽の抽象的で歴史文化的な面から内容を観察しないことにははじまらないのである。だから音楽的にも筋書的にも重要な要素である巡礼が時間的空間的な構造を定めているのは当然かもしれない。丁度それとは相容れないような形で、二幕の歌合戦の場では「芸術」と記された半透明のボックスが置かれて、その中の「営み」が具象化される。そもそもの一幕における乳出し祭りとその白い衣装は所謂ニンフのそれであって、エルザの白い衣装や何かを隠すヴェールにも共通していて、それがまた営みの発動となっている。当然のことながら「狩りの悦び」へ繋がれるのは、プロテスタントのクラナッハの「寓話」に描かれているそのものでしかない。なるほど、イタリア人でなければヴァークナーの「救済」にこれを描き出せなかったのかもしれない。それは二幕の「ローマへ」のフィナーレにおいては効果的に機能していたのだろう。

そのように辿っていくと、一幕での聴衆に与える一種の焦燥感と肉塊が、三幕では諦観と死体の腐乱へと引き継がれて、劇としての効果を上げていた。しかしそれが音楽劇場的な効果ではなく、エリザベートを歌ったハルテロスの渾身の役への同化的な芝居的効果となっている。結局は、音楽的な効果を待つことなくしては幕は一向に下せそうにない。(続く




参照:
聖なる薄っすらと靡く霧 2007-11-03 | 暦
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
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# by pfaelzerwein | 2017-08-20 23:01 | 文化一般 | Trackback

ストリーミングの昨日今日明日

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そろそろ新制作「タンホイザー」の続きを語らなければいけない。その間に、ベルント・アロイス・ツィンマーマン作曲「兵士たち」を観た。新音楽監督就任後三つ目の新制作だった。残念ながらこれは最後の2014年11月4日の上演も見逃している。既に7月にバイロイトの「指輪」でその稀有な才能に出合った筈なのだが、ミュンヘン詣ではクリスマス前の「影の無い女」まで持ち越された。この辺りの判断の遅れは、やはり二十年ぶりの歌劇場訪問でまさかそこまで上質な上演が平素行われているとは知らなかったからである。書いたものを調べると、その時に初めて指揮姿を観たことで詣でを決心したのだろうから、バイロイトであれだけの体験をしながらも見過ごしてしまう理由はあったのだろう。

しかしこの5月25日の新制作公演は、初日からとても評判が高く、その新聞記事の内容も覚えている。それでもバイロイト体験する前であるから、なぜこの曲がケント・ナガノ指揮で演奏されなかったのかと残念に思ったぐらいだった。ケント・ナガノ指揮ならば出掛けていたかもしれないということになる。今手元にあるのは、DLした4.93GBの5月31日上演のストリーミング録画である。音質的にはもう一歩もの足りないので、生で体験できていない分を埋め合わせることは叶わない。

クリーゲンブルクの演出も上出来で、また主役のバーバラ・ハンニガンも素晴らしく、誰がその代わりに歌えるのかも想像つかない ― 本日朝のラディオではルールビエンナーレでのメリザンドの歌唱と演技が評価されていたが、女性の非をも扱っている演出としていた。ツィンマーマンの戦後の多層的な音楽は、指揮者オクサーナ・リニヴをアシスタントとして高品質な演奏が繰り広げられている。新聞批評にあったように「そのシーズンにあった(世界のオペラ劇場での)新制作とは距離を置いて断トツの上演だった。」というのはとても上手に表現されていたと思う。要するに座付き管弦楽団がこの作品を演奏する場合の模範的上演ということだろうか。今回は、トレーラーにあるのと同じゲネラルプローベ時の映像などが新たに見つかったので、再度全曲を流してみた。

オープンVPNを便利に使えるSoftEtherVPNというPC向けのソフトをノートブックにインストールした ― LINUXにもインストールしなければいけないかもしれない。基本はアンドロイド用アプリと変わらないがPC用なので多機能で使い易い。なによりも同じリストでもViewが異なるのでその所在地まで分かる情報も書かれていて、別途調べる必要もなく、リストから直接所望の場所でのサーヴァーを選択可能となる。希望する所在地のサーヴァーにアクセスして接続すれば、PC全体がその土地にあるのと同様にネットサーフィン可能となる。リストは偏りがあるながらも世界的なネットになっているので、安定しているサーヴァーさえ選択すればOPERAのVPNサーヴァ―よりも遥かに可能性が広がる。RADIKOもブラウザーを開くとご当地の参加ラディオ局のリストが表れる。どこかに接続した場合はラディオ日本ぐらいしかなかったので可成り地方にあるサーヴーを選択したようだ。

VPNゲートに接続して、また必要なければ断続すればよいので煩わしさは殆んど無い。つまり通常のネットストリーミングと同じように使える。このまま進めばTVステーションというのが今後も存続するとは考えられなくなる。一方では日本の家電などが落伍したように高品質ハイヴィジョンがあって、一方にはネット配信しか観ないという人が殆んどになって来ている。ドイツの公共放送はネット配信を積極的に推し進めたので、聴視料も強制的に世帯事業所ごとに徴収するようになって、そして聴視料を払っていない限り海外では見られないようにブロックを掛けた。しかしこうしてVPNを使うとその効果も無くなる。やはり、報道などのネットワークも国際的な網を掛けないとグローバル化が思い通りに進まなくなる。そうしたネットワークの構築の弊害と混同されているのが著作権やその著作権徴収団体などだが、実は全くそれとは関係が無い問題なのである。因みに上記の劇場作品は著作権がまだ活きているので、地域限定で徴収するとその場合はやはり著作権料の徴収に問題が出る。



参照:
オープンVPN機能を試す 2017-08-19 | テクニック
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
「ある若き詩人のためのレクイエム」 2005-01-30 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-19 21:04 | 文化一般 | Trackback

オープンVPN機能を試す

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海外在住の日本人には興味があるかもしれない。先日から日本の熱心な音楽ファンが中華資本に買収されたOPERAのVPN機能つまりOPERAが無料で提供している中継サーヴァーを利用することで地域限定の情報がダウンロードしていることについて触れた。しかし我々が、逆方向に日本の国内向きのそれにアクセスしようとなると、OPERAは日本にはサーヴァーを有していない。それならばということで他の方法を模索した。NHKに関しては若干異なるが東京一極集中型なのでそれほど問題はない。しかし馴染みのある地域のラディオなどを聞こうと思うと所謂RADIKOというのを使わなければいけない。

以前に例えば在阪局のネット配信などを聞いたことがあったが、その後に上のシステムになってから海外はおろか地域限定のネット配信がなされるようになって、受信は余計に難しくなった。ある年齢以上の世代は短波放送で世界の裏側まで聴覚を伸ばしていた訳だが、まさかネット時代になってこうした地域限定のローカリズムに出くわすとは思ってもいなかった。そこで全く関心が無くなったのだが、今思うところもありRADIKOを試聴した。

先ずは、PCはこれに関して除外しておいて、ANDROIDタブレットで試みた。必要なRADIKOアプリがダウンロードできない。グーグルプレーストアーに回されると、たとえプロキシサーヴァーでIPアドレスを誤魔化していても、駄目なのだ。そこで調べてみると古いヴァージョンならば他のサイトで入手可能というのである。ヴァージョン5台も試してみたが日本外では使い辛いようだ。恐らく携帯電話受信ならば契約次第では上手に使えるのかもしれない。そこでそれ以前の4.03をDLした ― 正規のもの以外のそれは怖いという人がいるが、丁度写真のところでGPSをオンにするように、マルウェア―よりも携帯電話のGPSを常時入れておくとその位置情報などの方が遥かにスパイウェア―であることを知るべきなのだ。

それ以外には地域ごとのオープンVPNを容易に使える筑波大プロジェクトのサーヴァーにあるVPNゲートのリストだけでなくそのアプリをインストールする。これは問題なくプレーストアー経由でDL出来た。これで完了である。関西のラディオ局からの放送が聞けた。在京のそれはVPNの数が多いので更に容易だ。地方局のそれはリストからその地域内のVPNサーヴァーを探すのが更に難しくなる。関西でも関東からすれば大分少ないのでそのアクティヴな時間帯などは慣れないと見極められないかもしれない。

以前からTorとかProxyとかはその匿名性から使われてきたが、最近はそれほど匿名性は無くともVPNなどのより質の高い接続が一般となったばかりか、Proxyにおいても使える速度になって来たのを感じる。以前は小さなファイルのDLだけでも難しかったのと大違いで、中継サーヴァー経由でもStreaming視聴が可能となって来たのに驚かされる。これは同時に、違法ストリーミングの視聴もEUの最新の判例で賠償指示が出された技術的背景でもある。それからするとOPERAの機能は会社側の情報提供の判断如何によっては係争問題になるかもしれない。

結論として、在京のラディオ放送を海外で携帯電話やタブレットで視聴するのは嘗ての海外放送の短波以上に容易になった。そしてオンタイムで全放送を流せる。その他の地方もノウハウを重ねるとストレスなく聴視できるようになるだろう。技術的にはこのように解決するが、地域限定を乗り越えることでの民事法的な問題は未解決のままである。

ミュンヘンの劇場のアジアツアーに関する動画を幾つか観た。引っ越し公演である東京公演のプロモーションフィルムが一番内容がある。それでも二つのオペラにコンサートまでを販促しているので音楽と画像があっているところは少ない。それでもイゴール・レビトとのラフマニノフやマーラーの一部の映像は未公開の映像である。ラディオ放送の時かもう一日のどちらかに撮られたもので、全プログラムの記録が存在しそうである。カメラはオペラを含めて屡々回しているので未公開の映像はいくつか存在する。

台北では二回のコンサートがあるのだが、なぜかベルリンでの家庭交響曲の障りをデジタルコンサートの画像をもとに短く切ってある。日本向けのヴィデオにおいて歌手のナジが「ゴーイングトュ」まで語って切ってあるのは三カ国を名指ししたので日本の招聘元が切ったのだろうか。韓国のそれは「神々の黄昏」の昨年のツアー向きプロモーションを使っていても折角の音楽が入っていない。あれは最も素晴らしいセクエンツだっただけに音が出ていないのは残念だ。やはり両国とは日本の市場は大分異なるということだろう。フォークトは、バイロイトのインタヴューでもご当地ビールに言及したが、その人間味が出ているグリーティングになっていて中々よい。



参照:
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
ロビーや市民感情を乗り越えて 2012-08-11 | 文化一般
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
辺りをふらついてみる 2017-08-07 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-08-18 20:16 | テクニック | Trackback

文化需要の光と影のその間

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日本語のテュイッターをみたら面白いことが書いてあった。北欧で昼日中からヘッドランプを点灯しているので、「法的拘束があるのか」という投稿だった。それを読んで思ったのは日本では昼間にライトをつけるのは二輪車ぐらいしかないのだろうということである。なるほどドイツでも陽が落ちてから無灯火で走る馬鹿者が時々いるが、北イタリアなどで冬季の灯火が義務付けされてからドイツでも白昼の灯火は増えた。

日本はそもそも陽射しが違うので灯火の効果が限定的なだけでなく、夜間の明るさが異常である。夜間の高速道路でも街路灯がついているのはベネルクス三国以外に欧州では他に知らない。ポーランドも今は照明されていると聞いた。アウトバーンであると中途半端な光があると高速は出せない。だからハイビームが自動調整されるシステムが普及すると早く走れるようになる。

そんなことよりも考えたのは光と文化だった。前述の日本の陽射しに気が付いたのは日本に初めて降り立った時で、二三か月の欧州旅行からの帰宅時には全く気が付かなかったことだ。冬を通じて少なくとも数年以上は欧州に住み続けていないと分からない感覚で、若しかすると毎年夏に帰省しているような長期欧州滞在者にはいつまでも分からないのかもしれない。それでも移住を決心する原因の一つに、日本の夜の明るさでは文化的な活動が出来ないと考えたことがある。不夜城と見做されるアジアでも特に明るいのが東京を中心とした日本の大都市圏であるのは今やその衛星写真から皆知るところであるが、それは甚だしい。それでもネットにて夜の光害について扱っている人には一人にしか出会っていない。多くの日本人は気が付いていない様だ。

光の文化は、色彩とかそうした視覚的な印象を語るのだろうが、その影の文化は、遥かに豊かである。殆ど原始的な印象を人はそこに感じる。夜の闇でもある。そのように思うと手元にあるヴァルター・べンヤミンの「ベロリニアーナ」に手が伸びた。19世紀末から20世紀始めの子供時代のベルリンを語っている。とても多くの影が印象されるのはユダヤ人の生活感情の目を通しているばかりでは決してないだろう。そしてソヴィエトを訪れて理想の世界である共産主義国の張りぼての光と影を観て失望して戻って来た。我々が国境の向こうの東独の奇妙なネオン管の光の色に不思議な気持ちがしたのと同じようなものだったろう。

地上の境だけでなく、そこに境があると思う。これは二元論でもなんでもない。そこから芸術が始まるということだ。日本社会から影を奪った責任は松下幸之助にも間違いなくあった、それが豊かさであって、幸せであったのだ。そして近代化の日本社会の変遷でもあったのだろう。恐らくその環境への意識が西欧と最も日本が異なるところで、その文化的需要の質が最も異なるところだろうと思った。日本のE‐MUSIK需要の限界もそこにあるように思う。



参照:
街の半影を彷徨して 2005-12-11 | アウトドーア・環境
影に潜む複製芸術のオーラ 2005-03-23 | 文学・思想
技術信仰における逃げ場 2007-11-06 | 雑感
尻を捲くり立ち留まる 2005-10-29 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-08-17 23:59 | 文化一般 | Trackback

中々ならない鷹揚自若

昨日は仕事にならなかった。疲れが出て、床屋に行ったにも拘らず、一日中気分が冴えなかった。前日にアドレナミンの高揚感があったらしく、その反作用が出た。前日に熟したと思った細かな部分すら気になって完璧ではなかったと思うとぐったりした。完全なホルモンによる精神障害だ。

そして床屋もチップを入れて15ユーロと思ったのが、価格が15.50ユーロで、それ以上何も払わずにおいたのも気になった。夕食もヴァイツェンを飲んでも進まなかった。つまらないことが気になるのも障害である。それでも夜間はぐっすりと眠れた。

走りに行くと膝の調子などもう一つだ。準備体操でも肩に張りがある。軽く走り始めて顔見知りなどがいたりするとどうしてもいい格好をして一生懸命になる。森の気温は17度を超えて湿気があったが、陽射しが無いので暑すぎではなかった。沢の中の河原は虫のざわめきが強くなっている。徐々に秋の風情である。

それでも調子が優れない時こそ走るのが良い。これだけは十代の時に分かっていたらと想うとくれぐれも残念である。その他のことは、なにもピアノを練習していたらとか考えても全く後悔はないが、疲れを解すために運動するのはとても価値がある。とは言いながら当時の環境を考えると、近所の山を駆け上るとしても今のようには続かなかった。「ご精が出ますね」と声が掛かる具合にこうして熱心に走ることなどは難しかっただろう。そもそも日本の夏は何をするにしても暑すぎる。

こうやって体を解すと結構も血液中の酸素量も増えて思考が深まり集中も可能となる。それでも数年前は同程度の運動量でも午後に疲れを感じていたが、最近は昼食も簡単に済ませるのでそれが無くなった。これだけでも継続の成果だろうか。

連邦共和国の総選挙が六週間に迫り、ポスターなどがちらほら張り出されている。脱ディーゼルやE自動車も政策論争になっているが、一方で教育には連邦も州政府も予算の7%支出するとあった。教育に金を掛けるのは二十年先の経済を見ればとても重要なことで、必要な移民とその教育は連邦共和国の将来の鍵である。

シュレーダー元首相がロシアのロズネフトの相談役になって、ビルド紙は一人七億円もの収入があるというようなことを書いたと反論している。クリミヤ併合以降制裁対象となっている国営石油企業である。七人の相談役について書かれているのだが、全ては背後に選挙戦のメルケルがいると批判している。政界を引退しても未だにライヴァル関係にあるのは天晴だ。

ここ暫くCDなどを流していた。実況録音ばかりを流していたので、その音響と制作録音の演奏の精緻さにそれが決まるときは例えバロックであろうともはっとすることがしばしばだ。その意味からはアバド指揮の録音は質が悪いものが多い。ミラノでの「ボッカネグラ」とか「アイーダ」に匹敵するような録音は後年はあまり見つからない。ベルリンで振っているものも先日のザルツブルクのそれまではいかないか騒がしくて落ち着かない音響で雑な演奏をしている。フィルハーモニカ―が最も谷にあったころの記録となっている。欧州室内交響楽団のそれでも変わらない。その後のラトル指揮や今後のペトレンコ指揮のコントロールからするとあまりにも杜撰な指揮が多くて吃驚する。楽員には評判の良いおっさんだったようだが、ある年齢に達してからは余計に野放図な面が出て来て、その後の癌の疾病からは余計に投げやりになったのだろうか。よく言われるような鷹揚自若といういのとは大分かけ離れている。



参照:
頻尿症の夜を乗り越える 2017-08-06 | 雑感
音楽後進国ドイツの野暮天ぶり 2017-08-01 | 雑感
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-08-16 21:06 | 生活 | Trackback

ボールダーで新技術習得

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最低気温摂氏15度ということでぐっすり寝るつもりだった。久しぶりにボールダーで体を動かしたからである。それが五回も二時間おきに小用に立つとは思てもみなかった。水分補給量もヴァイツェンビールを入れてそれほどではなかったが、なるほど汗を掻いていなかった。ボールダーの森の気温は摂氏25度ぐらいと、特に木陰は気持ちよかったのだ。こうなると神経の問題ではなく水分量の問題である。

それでも寝起きは快調だ。屋根が朝露で湿っている。涼しくても晩夏の朝の雰囲気は夏を惜しむ雰囲気で、暗い冬を想うと憂鬱にさせるほどである。本日は当初は摂氏35度とかが予想されていたが、そこまではいかないだろう。だから予定を変更して床屋に行くようにした。

前日も気持ちの良い日だった。朝まではお湿りだったがそして比較的乾燥した空気に、予想される雷雲が綺麗に浮かんでいた。この機会を逃してはと思い思い切ってボールダーに出かけた。前回は三月中旬でこれで今年三回目のようである。この一月はアルプスから帰って来て踵の皮の捲れがあってクレッターシュ―を履くのを躊躇っていて、気候も暑すぎたりで機会を逃していた。それでもここに来てストレス性の胃炎や歯茎の鬱血感などを感じたので思い切って出かけた。やはりマットの上で転がって鼻をかんでいると右の奥から若干出血していた。左の歯茎も右の鼻も親不知を抜いてから問題になっているところなのだが、やはり炎症の起こり方はよく似ている。

先ずは誰も居ないのでいつものように簡単なところから始める。「ロコモティフ」も最初をやり直しただけで通せた。ただ息が上がり、手が痺れそうになった。暫く筋肉を使っていないからだ。そういえば最近急に肩などに違和感を感じるようになっていたのも気温が下がったからか?次に「ウォーミングアップ」をやるが繋がらない。力がもう一つと左へのバランスがうまく取れなかった。次に「ミクロブロー」に左カンテ、その右、そしてロッホムスターを登る。全て簡単な課題であるが、最後のものは今までになく完璧に登れた。傾斜も弱いが、腰を落とし気味に、引くことなしに手掛かりに荷重できたのが大きい。もう一つの技術が身に着いた感じである。機嫌をよくして他も回ったが、斜面下部では湿り化があって手が滑る手掛かりが多く、状態は悪かった。

そろそろ冬篭りの計画を練っている。なによりも寝室のモニターが気になるところだ。HDMI端子付きのスピーカー付きが欲しい。HDMIが付いているとラズベリーを使って遠隔で使えるようになるからだ。つまりドッキングステーションのノートブックはどこにあってもモニターだけで仕事が出来るようになる。測ってみると机の奥の窓枠が49㎝幅しかないので現在使っている21Zoll52㎝幅ではそこに納まらないことが分かった。勿論アームで自由自在に使うので、縦にすればPDFやA4などの原稿もスクロールせずに見やすくなる。つまり動画などを見るときにはアームで引き出して、横位置にして見るということになる。それ以外は縦位置で、窓枠に押し込んで使うならば可能だ。そもそも動画といっても広げてみるとなるとHD動画なのでネットで観れるものが必ずしもそれほどの高品質であることは多くは無い。

若しくは19Zollを購入すると窓枠に綺麗に収まるのでそれも良いかなと思って、適当なモニターがないかと調べると、従来の正方形もあったがワイドを縦に使えば最早その狭い幅以外に利点は無い。またBenQを調べてもスピーカー付きが見つからない。そもそもスピーカーがついているモニターはあまりない。理由は全く分からないが、どのような使われ方にしてもスピーカーが付いているととっても便利であり、HDMI端子付きでスピーカー内蔵しない方が不思議である。恐らくPCのスピーカーとの比較で性能が期待できないということなのだろうが、モニターに内蔵していることほど使い易いことは無いのである。どうせ高音質は再生はDACにクロームキャストで飛ばさなければいけない。結局最も使い易そうなのが現在使っている21ZollのBenQであり、それは購入した一年前よも5ユーロ高価になっている。先ずはスタンドにするアームを購入してモニターを移動させて試して見るしかないのかもしれない。そのうちに安売りになるのを期待しようか。



参照:
否応なしの動機付け 2017-03-19 | 生活
ボールダーリング事始め 2017-03-17 | アウトドーア・環境
三つの穴を埋めた気持 2016-09-01 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-08-15 19:01 | アウトドーア・環境 | Trackback

胃がん風に表れる夏の疲れ

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土曜日は短くスピードコース、日曜日は峠攻めを走った。それだけなのだが腰が張っている。気温が関係するのかもしれない。そして短いコース二回ながらも四回も走っている。ここのところリースリングの酸も堪えたのか、それともストレスか、コーヒーでも若干胃に感じるようになった。毎年残暑に感じる胃がん状態である。少しホルモン不足かも知れない。デートにでも行かなければいけないだろうか、健康のためにも。

ネットで先週始めにヴァルター・レヴィン死去の情報が流れていた。新聞の訃報記事を待っていたが金曜日になってからだった。それも短めの記事だった。その時差が気になった。直ぐに書ける人がいなかったのだろうと思う。コッホ氏が纏めているが、やはり楽器を置いてから後のことに触れようとするとセミナーなどに参加していた人でなければ難しいのだと思った。私は一度だけ短く挨拶した程度だが、その教授風の人柄は直ぐに感じ取れた。

新聞記事は60年代末から80年代初めまでの初演の数々を挙げていて、録音としては新ヴィーン楽派全集やケージ、ルストワフスキー、リゲティなどを挙げている。最初の二つは愛聴盤であり、これは二十世紀音楽の代表例として人類の歴史的遺産であるに違いない。

そして1987年に四重奏団を解散してからのバーゼルなどでの後進の指導の成果は、今現在まだまだ開花している。アルバン・ベルク四重奏団を筆頭にそのラサール四重奏団から手ほどきを受けていない弦楽四重奏団は珍しいかもしれない。録音等で知られるところの声部間の透明性と後期のベートーヴェンで響かせた多声楽的な側面はまさに二十世紀の中盤の響きである。

技術的な面も含めて多くのレパートリーでは、アルバンベルク四重奏団の録音の方が優れていたり、若しくはジュリアード四重奏団の名演奏あったり、更にエマーソン四重奏団以降の世代の四重奏団の演奏した録音に取って代わられるが、上の全集の価値は時代の記録であり続けると同時に、私も最後まで手離せないLPボックスであると思う。

LPのステレオの溝の分離度とかがこれまた微妙な音盤文化なのだ ― 容赦ないデジタル録音となるとまた別のところに耳が行く。関連するかのようにトュイッターで小澤征爾が録音の声部の分離に疑問を呈した発言をしているというようなことを読んだ。事実関係は知らないが、これもなかなか面白い。要するにそこでは分離ばかりを考えると声部間の和音の累積が和声音楽として綺麗に響かないということであろう。

そもそも小澤の指揮演奏はボストンにおいてもその透明な声部が見通せる管弦楽演奏指揮に定評があり、それも最終的にはそれ以上の和声的な精妙さに繋がらないとして飽きられたと理解しているのだが、当時からカラヤンサーカス客演の節はそのアンサムブルと同時にカラヤンサウンドをも上手にパレットとして使っていたのである。そして今、所謂そのカラヤンサウンドが二十世紀後半の特殊な管弦楽サウンドであったというのが明確になってからその大量の録音が美学的に見て過去の遺物になって仕舞った経緯がそこある。それとはちょうど反対の形で上のベートーヴェンの演奏録音なども乗り越えられてしまうものとなっているのである。その反対に上全集のシェーンベルクなどはなかなかこれを超える演奏は今でも見つからない。



参照:
走り抜ける黄金の森 2016-11-06 | ワイン
初秋のメランコリーに酔う 2012-09-04 | 暦
ズタズタにされた光景 2007-08-10 | 音
袋が香を薫ずる前に 2005-07-14 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-14 21:08 | マスメディア批評 | Trackback

音楽芸術のGötterFunke体験

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夕食を済ましてからザルツブルクからの中継を見聞きした。午後に行われたものをラディオもTVも時差を置いてゴールデンタイムに流した。arteのこの種の放送としてはミュンヘンの「タンホイザー」が話題だが、制作に手間暇を掛けているかどうかが問われるところだ。

新聞評はムーティ指揮のヴィーナーフィルハーモニカ―が健闘しているとあまりに強調していたので、折角ならとラディオ高音質録音を試みた。しかしBRクラシックで今まで経験したことが無いぐらい最初から最後まで秒以下の中断があったりして、尋常ではないアクセスの集中が推測さられた。要するに我々が熱心になる「スーパーオパー」とは異なり「オペラ」上演ということで「三人のテノール」ファンのような人々までの関心の広がりがあるのだろう。出来るだけ拘わりたくないものであるが、1月のシカゴ交響楽団との演奏会での趣味の良いエンターティメント性はこのマエストロのオペラをも無視できなくした。

そのように期待してあまり十分でない放送を聞くと、座付き管弦楽団の下手さ加減だけが耳について楽しめない ― 最近はベルリンのフィルハーモニカ―とかペトレンコ指揮のスーパーオパーしか体験していないのでもはや普通の名演などでは耐えられなくなっている。モルティエ時代にしても結局は記憶にしっかり残っているのは、コンセルトヘボー管弦楽団の「モーゼとアロン」であったりするので、ヴィーンの座付き管弦楽団が真面に演奏していたのはカール・ベーム博士指揮の時ぐらいしかなかったことを思い出す。

但し、ヴェルディの書法を熟知したマエストロの指揮は流石であり、デビューで大成功をしたこの作品においても歌手の間合いなどをさきさきに見通しながらのテムポ設定や色付けそのドラマテュルギ構築が見事としか言えない。なるほどシカゴなどの超一流の交響楽団からの音楽と、座付き管弦楽団からの音楽では比較にならないのだが、普段のヴィーンの歌劇場ではなかなか体験できないオペラ上演がなされるのがザルツブルクでありその点でも最上質のエンターティメントに他ならない ― まあ、昨年の復活祭の「オテロ」とは流石に世界が違う。

お目当てであるアンナ・ネトレプコについては、売り出しの頃にゴールデンタイムのゴッチャルク司会のZDF番組で歌っていたのをいつも思い出すのだが、その時の印象は今回も変わらなく、技術的にもしっかりしていてということで、新聞評でも高いCとかピアノのAsとかの話しつまり声楽的な技術の職人的な評価が全てである。オペラファンというのは、コンサートゴアーズが指揮棒の上げ下げを云々するような感じでそうした職人技に関心がある人が少なくないのかもしれない。我々音楽愛好家からすれば、歌手のそれやオペラの音楽的な不正確さなどに言及するとなると上演などなり立たないと考えるので、あまりそれには関心が無いのである。

その意味からもマエストロのエスコートぶりは本物の名人芸である。ネトレプコは、TVで現在はオーストリア国籍とされていたが、指揮者のゲルギエーフと同じくプーティン支援者の代表的な存在で、たとえ厚遇されたとしてもスイスではなくオーストリアというのが興味深い。兎に角、この人気オペラの実演をバーデンバーデンで体験するようなことがあるようには思わないので、またその映像も手元に無いので先ずはDLしておく。HLSストリーミングファイルをストリーミングと同じように落とすので、3.256GBのDLで上演時間だけ時間が掛かった。三幕以降しか生で観れなかったので ― なぜかそれでもラディオよりも安定していた、初めて動画を流すことになる。

世界が違うと言えば、ボンのベートーヴェンフェストから冊子Ludwig!が届いていたので、それを捲ると昨年のPVの様子が写真として掲載されていた。当日会場にいたので海外放送局ドイツェヴェレによるそれは観れていない。だから探している ― ネット中継されているのでDW以外にもどこかに全中継コピーが存在する筈だ。これはと思って早速探すとやっぱりDWに障りがあった。これだけでもとても貴重である。個人的な思い出ではなく、あの時のテムポが記憶でなく記録として示されることで、可成りの部分が再現可能となる。あの特にチャイコフスキーからアンコールまでの流れは、キリル・ペトレンコ指揮演奏会の中でも屈指の量子的な飛躍のあった演奏で、まさしくGötterFunkeの体験である ― 永く音楽会に通っていてもこういう飛躍の時というのは稀であり、フルトヴェングラー指揮演奏会のようには行かない。

チャイコフスキーのコーダ近辺のテムポの推移などは基本テムポとその設定から演繹するしかないが ― この指揮者の演奏実践上でのテムポ設定とその維持また推移には恣意や偶然は無く、あるのは音楽構造であるから演繹可能となる ―、この短い障りからでも他の会場での録音のテムポとその会場で感じた体感の比較は可能となる。アンコールの「ルスランとリュドミラ」もカルロス・クライバー張りの管の短い跳ねなどは聴けないが、ややもすればムラヴィンスキー指揮のあの超高速のそれをどうして思い出してしまうので、ここでの快速の障りだけでもとても有り難い。

オペラの上演とコンサートの上演の体験の質は全く異なるが、エンターティメントの体験と芸術体験というのは往々にして相容れないということも確かであろう。だから私などは芸術体験の前には一切アルコールを口にしなくなったのである。演奏家がほろ酔い機嫌でヴィーナーヴァルツァーのようなことは出来ても、芸術などは全く表現できないのと同じことである。例えば同じ芸術表現でもレナード・バーンスタイン指揮の演奏会では体験できなかった芸術というのがそこではとても重要なことになる。



参照:
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
なにか目安にしたいもの 2017-04-22 | 雑感
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
管弦楽演奏のエッセンス 2016-09-14 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-08-13 19:19 | 文化一般 | Trackback

DOTでゴムの耐久を確認

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タイヤが届いた。半額で、最も安くアマゾンで購入した。調べると売り手はドイツ最大の自動車部品販売業者らしく、ワイン街道でもノイシュタットに支店がある。本店の倉庫は軍事基地があるオバープファルツの東ドイツのと旧国境近くの町である。水曜日に発注して金曜日に配達となった。

ContinentalのContiPremiumContact 5というヒット製品で、ここ暫くはこれを使っている。それでも開発から大分経っているので、燃費はCクラス、タイヤ音も71dbと比較的高めで、エンジン音を相殺する感じになっている。但し雨降りでのグリップはAクラスで、コーナリングも厚さの割には悪くはない。直線安定性も優れているので現行モデルであり続けているのだろう。

早速セロファンを捲って、製品を確認すると同時にDOT番号を確認した。今回の発注で唯一気掛かりだったのは、配達されるタイヤの製造年月日だった。棚卸とはいっても、今年の夏タイヤとは限らないからである。販売店や卸業者は皆同じように三年以上古いものは売らないとしている。しかし時々は古いものを売りつけられたとの苦情もある。

ゴムであるから新しい方がその性能は良いには違いないが、業者が確り保管していれば五年ぐらいはなんでもないという。劣化を極力抑えれるということだろう。しかし十年以上も経てば廃棄しなければいけないことには変わりない。だから出来るだけ新しいタイヤを安く購入したいのだ。そして今回のオファーは底値だった。そこが知りたくなるのは当然だろう。

DOTが書いている場所を調べてフォイルを破った。見えたのは1917である。つまり17年の19週目である。五月の第二週目である。二つ目も同じだ。これならば充分な新品である。現在使用しているのが1313、1413なので四年使用となる。パンクなどしなければこれが後輪の最後の夏タイヤになるだろう。

これで10日ほど後に取り換えて問題なければ万々歳である。森に走りに行って、濡れた坂道を下りてくるとやはりグリップが弱いような気がする。もう少し我慢して走らなければ、事故でも起こしてしまえば無駄になってしまう。ブレーキの利きも比較すると落ちているのだと思う。もう少しの我慢である。

2014年シリーズからゲリュムペルを開けた。通常のこの価格帯からするとGGに近いように熟成も瓶詰め時期もGGに近いので二年にはまだやや早いかもしれないが開けてみた。ペトロール臭が若干あって、色も若干黄色味を帯びている。通常ならばあり得ないのだが、飲んでみると2014年としてはトップクラスの酸が効いていて、まだまだ新鮮過ぎる。それでもそのミネラルの複雑さは恐らく開けた2014年の中でピカイチだ。だからデリカテッセンにも楽しめて、高級感は強いが、もう少し熟成してしまう方が単体でも果実風味などが楽しめるようになるだろう。2013年産と比較すると、ミネラルと酸で大熟成する傾向はあるが、熟成させないとつまらないかもしれない。



参照:
秋雨で10月のような気配 2017-08-12 | 雑感
Coffee or Tea? 2016-06-21 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-08-12 19:27 | テクニック | Trackback

秋雨で10月のような気配

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秋雨で10月の気配である。例年でもこの頃は夏が終わって天気が悪くなるが、今年は秋が早いので、晩秋の雰囲気すらある。それでも気温は摂氏17度とそれほど低くは無く、まだTシャツが使える。雨が上がるとまた夏のようになるらしいが、残暑である。とても過ごしやすい。長袖のパジャマが要らない位が一番嬉しい。

夜中に目が覚めたが、尿意を催しても運動をした夜はそのまま寝てしまう。なにが異なるのかは分からないが発汗量よりも交感神経の問題ではないかと思う。就寝前に幾ら水気をとっても、運動した後はそのまま朝まで小用に立たないでもよいのだ。運動をしていないと尿意となって起きることになって、完全に睡眠が中断する。ある程度の年齢の男性の尿の問題は良く見聞きするが、その中にはこうした影響もあるのではないかと疑う。

そう言えば音楽会などで、開演前にトイレで苦労している人は屡々いる。大昔は一時そのようなことが気になった時期もあったが、最近は全く無くなった。理由は分からないが、音楽会での音楽の聞き方が変わったからかもしれない。具体的には、例えば交響曲の音楽構造でもある時間の流れというものを積極的に把握しているのと、そうではなく流れる楽興の時に身を任してというのでは、全くその神経の働き方が異なるだろうという仮説が成り立つ。要するにあれは神経的なもので、生理的なものではないということになる。

ユーロの貨幣価値に伴う外国旅行でのその購買力比較がFAZ経済欄の第一面に載っていた。夏休み時期らしい記事である。それによると2015年からの変化ではアルジェンツィンリラなどが107%も落ちていて、この一年でも26.5%落ちて、旅行に良いとなる。二つ目がトルコのリラで、三番目が日本円である。二年前よりは高くなっているが、この一年では15.9%安くなっている。反対に高くなっているのはチェコのクロネ、ロシアのルーブル、ハンガリーのフォリントなどだ。

そしてその1ユーロの購買力は、ドイツと比べてポーランドでは1.88、トルコ1.84、ハンガリー1.74、メキシコ1.62、チェコ1.53などが続き、逆に購買力が無いのがアイルランド0.60、スイス0.64、ノルウェー0.74、オーストラリア0.79などで、英国が0.90、米国0.91、オランダ0.93、なんと日本が0.95となっている。デフレデフレとか言いながら日本はドイツよりも物価が高いとなる。

なるほど、このサイトを読んでいる人は如何に安く生活が出来るかと思っているかもしれないが、恐らくネットショッピングなどを含めてドイツは良いものが安く買えるのは事実だろう。以前ほどには日本の商業市場の複雑で無駄な構造は無くなったと思うが、ネット販売一つにしても欧州で生き残りを掛けていると言われる楽天のオファーを見ると話しにならないような高価な価格がついていて、全くイーコマースで勝負になっていない。だから一度も楽天経由で購入しようとしたことなどは無く、今後も無いと思う。この業者の欧州営業撤退は、その税金対策を除くと、時間の問題だと思う。

直に発注したタイヤが届くようだ。運送業者DPDが届けるがそのライヴトラッキングシステムが面白い。GPSを使って刻々とその運送者の動きを配信している。上手く作動すると、とてもうまく機能すると思う。

新聞の文化欄は、ザルツブルクからの評が続いている。「ヴォツェック」の公演に関しては、この秋に日本でも歌い、帰国後のミュンヘンでの演奏会でも歌うマティアス・ゲルネについて大きく触れられている。ミュンヘンでの「タンホイザー」を経験してしまうとどうしてもゲルハーエルと比較してしまうが、見た目とは異なってなかなか器用な人らしい。10月のコンサートでの「魔法の子供の歌」が楽しみになった。

それに比較するまでも無く、現在キリル・ペトレンコと技術的に双璧とされる指揮者のウラディミール・ユロウスキーについては最小限度にしか触れられていない。そこから窺えるのはなかなか手堅い指揮者のようで、経験を積むと可成りの大物になるだけの弁えがあるような指揮者のようだ。土曜日20時からのムーティ指揮アンナ・ネプレプコ主演のアイーダの放送も楽しみになって来た。



参照:
反レーシズム世界の寛容 2017-08-11 | 文化一般
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-11 18:32 | 雑感 | Trackback

反レーシズム世界の寛容

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四川の重慶に電話をした。嘗ては日本軍が絨毯爆撃をした揚子江の中州にある大きなハイテクの町だ。要件の序に、地震のことも尋ねると、成都の親戚は揺れたということだったが重慶では感じなかったという。先にメールを送っていた件も尋ねた。シナで先日のarteの乳出しヴィデオが見れるかどうかということだ。中共はそんなものには関心が無くて検閲は政治的なものだけという話しだった。これが中共であり、我々からすれば性事も政治も芸術も容易には線引きが出来ないが、中華人民の文化程度ではそのような高尚な話にはならないのである。

来週3Satで放送されるピーター・セラーズ演出の「ティーテュスの寛容」を一足先にORF2で観た。国内でしか観れないようになっている。そのセラーズもジェラルド・モルティエの時代にはモーツァルトどころか古典の演出さえもさせてもらえなかった ― 当時からそのモーツァルトヴィデオは知られていたが、パトロンとしてもそれを受け入れられたとは思わない。それがまさかザルツブルクでこのようなモーツァルトが上演されるとは思いもしなかった。ザルツブルクは少なくとも二十世紀の後半はお行儀のよいカラヤン好みのスノブなお客さんが集うところで、同時にとびっきり上等なモーツァルトが上演されていた。

それでもセラーズはやはり天才的な演出家で、その上演にはとても感動させられた。古典に帰りながらの現実投影という意味で、アラブのテロを舞台として黒人を多く集めた歌手陣にアメリカの人種を反映させる。どうしても西欧の聴衆にはそれが意識され、当然それが大きな効果として計算されている ― ザルツブルクはロスではないのだ。そのアフロアメリカン的な個性や ― 実際には南アフリカ出身の歌手もいる ― 表情などがとても印象的に利用されているのだが、セラーズの演出はその個性的な表情や人種的な特徴が全人格的な普遍的な表現に変容していく様を見せる。恐らくこれがアメリカにおける人種というものなのだろう ― 少なくとも西欧から見るとそのように映る。それがここでは中東における歴史的、文化宗教的な葛藤に大きな網を掛ける形で劇場表現される。

要するに、劇のあるべき本来的な姿、つまりここではとても情動的な表現とセラーズの儀式的で様式化された体の動きが相まって普遍化されるものが示される。そしてモーツァルトの音楽はクレンツィスの指揮によって情動的で脱様式化された音楽に編曲される ― 作曲家が晩年どのような創作をしたかなど知ったものではなく、モーツァルトなどはショービズのための唯の道具で衣装でしかないということだ。なるほどこの指揮者は、その自由自在の指揮からして、その技術は一流なのだろうが、音楽家としては三流としか思われない ― だから今回の公演でSWR内部が色めきだったに違いない。まだその交響楽団の指揮者に就任していないがその契約を全うできるのかとても怪しい。金満の工業都市シュトュッツガルト市の音楽文化など所詮その程度である。

フランス人のマリアン・クルバッサのセストは従来のザルツブルクでも充分に通じる演技と歌唱であり、二月にミュンヘンでゾフィーの口パクを歌ったゴルダ・シァルツのヴィテリアも素晴らしかったが、重唱などでは駄目な歌手陣だった ― ゴスペルではあれほど合うのにまるでその気がない様だ。しかしその情動的な音楽運びもアンサムブルも全て指揮者の責任である。8月4日の四回目の上演では、初日とは大分状況は違ったのではなかろうか ― アンサムブルはやればやるほどに悪くなるのか?終演後のそれは全てセラーズへの称賛のように聞こえた。そしてFAZやSWRが伝えたような初日のファンの集いが無かったのか、この収録日には指揮者はピーター・セラ-ズのようには聴衆の喝采を浴びることはなかった。明らかにこの指揮者がそうした大衆コマーシャリズムの中で虚像として存在していることが明らかになる証拠である。

次は、ムーティ指揮の「アイーダ」が放送されるらしい。アンナ・ネトレプコが黒塗りで登場するが、決して人種的な問題がが音楽に持ち込まれないのは間違いない。マエストロはそんなことには全く興味がないから、そんなことは初めから分かっている。

こうして無料でDLしてこのような「ロスアンジェルスオペラ」を一気に観てしまったが、これを何十ユーロかの入場券を払って態々フェルゼンライトシューレの駐車場まで車を飛ばしたかというと答えははっきりしている。やはり昔のケント・ナガノが振ったり、ブーレーズが振っていた時のような価値は無い。



参照:
寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | マスメディア批評
同一化批判の新ドイツ人 2015-02-22 | 歴史・時事
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-08-10 15:57 | 文化一般 | Trackback

ブレーキを踏み込まなかった一年

漸くの思いでブレーキディスク交換の手配をした。一年前の車検で指摘されてから、その後の冬タイヤ装着、フォグライト交換時にも指摘された。警告が出るまでは使えるということでそのままにしていたのだ。二月頃の交換かと思っていたら、結局冬タイヤ時期を乗り越えてしまった。それでも通常の使い方からすると距離が伸びないのか、未だに警告が出ていない。

そして夏タイヤ交換時には今度は後輪のタイヤの擦り減りが指摘された。夏まではもたないだろうといわれ、警察に罰金取られるぞと驚かされながらも、ブレーキ交換時期までと引き延ばしてきた。タイヤ交換前に一本180ユーロのオファーを受けたのだが、ネットで調べてみると遥かに安く買えることが分かったので断った。古い車になると如何にランニングコストを落としながらも、道端で立ち往生することなく長く乗るかが課題になる。

しかし、ここに来て夏タイヤも底値の一本90ユーロとなっている。これを買えば、二本で180ユーロの節約となる。半額である。そうなるとタイヤに関する作業とレンタカー費用もこの差額で賄えて更に余る。あとは肝心の前輪のディスクとパッドの費用と交換作業費である。作業費は押さえて貰うようになっているので、純正品の価格が問題となるだろうか。

ネットで見ると数十ユーロからあるが、少なくと二組で300ユーロは覚悟しておかないといけないだろう。全費用で1000ユーロは超えることはないと願っているが、数百ユーロのどのあたりになるかだ。まあ、交換を止めてから少なくとも一万キロは乗ったとして、キロ当たり数十セントは浮かしたことになる。決して小さくはない額である。

そのように坂道でもどちらかというとエンジンブレーキを掛けるようにして、ブレーキを深く踏み込むことなどはなかった。ミュンヘンを往復するのにも時間を掛けて長目のブレーキ距離を心掛けた。上手な走り方をすれば安全性も燃費も高まり、何一つ不便はなかった。

勿論最初の考え通りに警告が出てから全てを手配しても良かったのだが、今年の夏タイヤもそろそろ棚卸であり、うろうろして九月に入ってしまうと、新たに夏タイヤを交換するのもばからしい。とはいいながら早めに冬タイヤに履き替えるとランニングコストが上がり、冬タイヤ購入が早まる。そこまで警告が出ないなどは考え難い。

九月になると車が使えないのでは不都合になる。予定が月末まで入っていない時に合わせて、思い切った。タイヤも発注した。遅くとも来週明けには着くだろう。もし問題があってもまだ対応できる。

夜は冷えた、森のなかも摂氏14度ぐらいで走るのが大分楽になって来た。兎に角、上手く冷却が出来ないとパワーが上げられないので、涼しくなると大変助かる。お陰で下りもある程度のスピードが出せた。これで前夜のように夜中に起きずに今夜は涼しい中でぐっすり眠れるだろう。



参照:
鑑定士による査定の程 2017-07-23 | 雑感
昇天祭のミュンヘン行 2017-05-26 | 暦
夏タイヤについてのファクト 2017-02-24 | 雑感
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
遠近両用眼鏡用モニター 2016-08-17 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-08-09 20:38 | 生活 | Trackback

デジタルコンサートの新シーズン

先日、ベルリンフィルハーモニカ―から新シーズンのデジタルコンサートプログラムが送られてきた。年末までの一週間の無料券が入っていた。それは有り難いので、シーズンを通してこれはというものを探してみる。

4月13日のペトレンコ指揮のコンサート、その五日前にバーデンバーデンでの「パルシファル」のキャスト違いのコンサートである。興味深いのは、クンドリーをミュンヘンで歌うニーナ・シュテェムメが登場する。因みにバーデンバーデンで予定されていたヘルツィウスが既に降りている。それ以外では、10月14日のラトル指揮セラーズ演出ヤナーチェック「賢い狐」のコンサート上演、5月19日にはシューマンの「パラディースとぺリ」がある。音楽監督送別ということでその辺りに面白い企画ものがある。

1月21日には小澤征爾指揮のコンサート中継があって、奇跡的な復活などは期待し難いのに、なぜか結構なフルコンサートが組み込まれている。日本でも高額の券が売られていたりして、一体どのようなマネージメントがなされているのかは不可解であるが、指揮者本人の晩節を穢すようなことになっていて、ファンにとってもとても残念なことであろう。とても質が悪い。

ということで、無料券を使えるのはヤナーチェックぐらいで、それがアーカイヴになってから、8月25日のハースの新曲や「天地創造」と共に楽しむぐらいだろうか。その他のアーカイヴは殆んど分かっているので、それ以上興味深いものはあまり見つからない。やはり、上のプログラムにしても同じ頃に生放送されるオンラインのラディオ中継で充分なことが殆んどだ。それでも少なくとも一度は新シーズン中にも券を購入することになるだろう。

新聞を見るとザルツブルクでのゲルハーエルの歌曲リサイタルの評が載っている。シューマンプログラムでラインガウでやったらしいものと同じなのだろう。やはりその歌の効果は劇場空間的で、オペラ出演においては歌曲的と貶されるのだが、実は音楽劇場的というのがより正確だろう。バーデンバーデンでもベルリンでも登場するライヴァルのジェラード・フィンリーが挙げられて、更なる活動が期待されているところである。

雨が降って、朝がなかなか起きられなかった。久しぶりにしっとりと眠った。夜中に窓を開けていたものだから、冷えた湿気が体を包んだのである。前日は走っているので快い疲れもあるのだろう。久しぶりに朝寝をした。同時に夏の疲れだろうか脱力感もあった。不思議なことに歯茎の腫れにこうした日には気が付く。



参照:
需要供給が定めるその価値 2017-04-19 | 生活
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-08 22:32 | 雑感 | Trackback

シルヴァン・パタイユのマルサネ

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この夏は短く、六月が一番陽射しが厳しかったが、観天望気通り七月は涼しく、ここに来て湿気が増すとともに陽射しも穏やかな晩夏になっている。気温も晩夏から初秋らしくなって来ている。帰りに立ち寄った肉屋ではステーキを購入した。五月にフランスのスーパーで購入した2012年マルサネを開けるつもりだ。同行していたSAARWEINEさんに日本でも有名な作り手のものと教えて貰ったものだ。付け合わせはニンジンとエリンゲの茸クリームソースにしようかと思う。

そのマルサネは、シルヴァン・パタイユのマルサネそのもので、日本でも5000円ほどで入手出来るようだ。ビオ農業を徹底している若い人で、アドヴァイザーとして指導に当たっていたようだが、評判が良いということだ。実際に開けてみて、まだ少し早いと書かれているが、既に評価得点も高く、決して早すぎるという感じではない。

コルクを開けたと同時に開いていて、価格の割にはあまりにも馴染みが良過ぎる。チェリー味にカシスとそれほどの複雑さは無く、12.5%のアルコール感も比較的ある。同時に鼻にも酸を感じるほどなのだが、とてもこなれている。その後に広がるのは薬草臭であったり、二日目のスモーク感で、そのタンニンと相まってとても上手に纏めてあり、若干小賢しい感じすらもあった。

スーパー価格は25ユーロほどだと思ったが、そもそも土壌のミネラル感などは薄いのかもしれないが、複雑さに欠けるという印象もある。ドイツのシュペートブルグンダーと比較して、果実は綺麗に乗っていてドイツでは十年に何度しかない程度であるが、ビオの難しさも感じさないであまりにも小奇麗過ぎる感は否めない。この価格帯ならば仕方ないのかもしれないが、なるほど口当たりの良い万人向けのピノノワールと言えよう。

食事にも悪くはなかったが、複雑さが無いために、味覚が敏感になり食事の繊細さが際立つとかいうような要素は無く、ご相伴ワインと言った感じである。これならば同じ価格で良い年ならばドイツのそれの方が遥かに高級食事酒となる。もう一本同じ瓶を買うかどうかと言うと、他のものを試した方が勉強になると思った。

横腹を押さえると硬くなっているのに気が付いた。数年前までは贅肉が付いていて中々落とせなかった所だが、カチカチになっているのに気が付いたのだ。ランニングの体形になって来ているということだろうか。先々週は四回走ったので膝などに違和感があったが、今週はどうなるだろう。朝の森の中は気温14度で清々しかったがスピードは出なかった。まだ何かが足りないようだ。

どうも夏場の運動能力が上がらないのでいろいろ調べたいと思っている。要するに直射日光などで照らされると体温が上がって、発汗すら追いつかない傾向がある。とはいっても日射病で困ったことは殆んど無いのだが、暑いのが辛いだけで、これだけ代謝を上げてもやはり気温が高いと運動能力が低下してしまうのである。調べても効果的な対処法が無さそうで困っている。汗を掻いても結局苦しいのは変わらないのだ。



参照:
時間と共に熟成するとは? 2017-04-24 | 文化一般
価値のあるなしを吟味する 2017-04-05 | ワイン
悦に入る趣味の良さ 2017-03-09 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-08-07 21:31 | ワイン | Trackback

辺りをふらついてみる

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久しぶりにワインの地所を歩いた。パン屋に行ったが前日の足の疲れが抜けきっておらず膝も違和感があるので、葡萄の写真を撮りに歩いた。緑が輝いて如何にも最乗の風情が遠目にも分かったからだ。病気を避けるために粉の汁などが撒かれていたようだが。若干実が密集しているかというだけで、現在柔らかくなっている葡萄以外は全く問題がないと思われる。寧ろ例年に比較して実りが良いようだ。

前日はステーキまで食して、窓を閉め切って就寝して様子を見た。お陰で運動も足りていて夜中に一度目が覚めたが、小用に立つことも無く一時間ほどして再び眠りについたので、比較的よく熟睡した。それでも週四日目の走りとなると総合してハーフマラソンの距離になり高度差も大分になるので二週連続は負担が掛かり過ぎそうだった。

夜中に放射冷却したように天気が良く日蔭と日向の温度差は激しかったがとても気持ちの良い朝のサム歩になった。ワイン地所の木陰に虫箱が吊るされていた。ミツバチのためのようでもありその他のためなのかよく分からなかった。このような光景は一生懸命走っているとどうしても目がいかない。先日森の中で「ご精が出ますね」と言われたが、確かに熱心に走っている。ボールーダにも通いたいのだが天候が変わるのでどうもうまく時間が合わない。

ミュンヘンの劇場のサイトに先日のarteの「タンホイザー」ヴィデオがオンデマンドになっていると知って覗いてみた。全く同じヴァージョン3で、劇場が中継したものではない。三者の協調関係がはっきりしているようだ。本来ならばarteが出てくるとZDFであるからARDは関与しないのだが、劇場との関係からバイエルン放送協会と協調している。更にこれに合わせて日本公演の券の安売りが行われるなど販促体制が整っているので驚いた。序に「オベロン」のヴィデオまでオンデマンドにあったので落としておいた。これはとても興味深い。

ネットサーフィンしていると、以前は見つからなかったキリル・ペトレンコのシカゴ交響楽団デビュ演奏会の録音が見つかった。この四月にアップされていた。最初のムソルグスキー以外はソリスツのインタヴューぐらいしかない様だが、世界最高の管弦楽団を世紀の指揮者が振るとどうなるかのとても貴重な記録だと思う。2013年3月の忙しい時期のデビュー公演の週末二日の為の僅か二回のリハーサルだったということだが、2015年にベルリンの監督に推挙されたときに最も大きな反応を示していたのがシカゴだった。ラフマニノフの三番交響曲、ショスタコーヴィッチをアムランと合わせる前に「ホヴァンシチーナ」から小さな二曲がそれもショスタコーヴィッチの管弦楽版で演奏されている。これがまたとても面白い。我々はこういうのを聞くとどうしてもムラヴィンスキーの指揮を思い出してしまう。



参照:
疑問を投げ掛ける認識 2008-09-24 | アウトドーア・環境
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-08-06 22:48 | 生活 | Trackback

頻尿症の夜を乗り越える

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夜中の寒気に三度も手洗に立った。頻尿症である。晩夏の寒気が堪えるようになってきた。それでも窓を閉め切ると暑くて眠れない。熱帯夜の続くような夏とは大違いである。流石に三回も起きると睡眠不足になる。最初は殆んどレム睡眠の途中で意識が朦朧としていた。二度目は三時過ぎだったが寝不足を感じた。三度目は五時過ぎだと思ったがまだまだ起きれなかった。

パン屋に出掛けようとGPS時計を見ると充電切れだった。先日ボタン電池を購入した万歩計を持ち出して、パン屋に行った。折から上等のポルシェに乗ったユダヤ系風の見かけない親仁が先に入った。前々回そこでユダヤ系の親仁の車に当てて280ユーロほど払ったことを思い出す ― 私は違う親仁から1000ユーロとった。その親仁も住んでいるのは谷の中だったが、その地域にはプロテスタントの錬成所はあってもユダヤ系のそれは知らない。恐らく歴史的な背景があって、住んでいる人も少なくないのだろう。我が市にもユダヤ墓地があり、嘗て強制連行されて今は殆んど居住区は無いようだが、その近辺はなるほどそのような感じである。近所ではダイデスハイムのシナゴーグの教会が今は記念館となっている。大きな地域では歴史的にも文学などでも、ヴォイツェックのダルムシュタット、ロスチャイルドの本拠フランクフルト、マインツ、ワイン業者のビンゲンからプファルツの谷筋などを囲む地域は歴史的にユダヤ居住が集中しているといっても良いのではなかろうか。

なんだかんだと考えながら森の中を峠目指して走る。寝不足に拘わらず足取りが軽いのは涼しいからだろう。しかし摂氏18度で湿気があるので、峠からの下りに汗が噴き出した。北斜面の森の中と違って南斜面は陽射しが無くても温度が違うのだろう。下りにいつものようにライヴァルの白毛女とその息子に擦れ違う。下りて来て34分掛かっていた。まあ、そんなものだろう。

有名人気メーカー「ライフハイト」の物干しを四種類愛用している。大中小様々だ。最も大きなシーツでも干せるものの足が外れた。バルコンの日除けの足にも常時使っているもので、壊れたらどうしようと思った。応急的にネジを直して頭を巡らすと、そのシャフトの代わりに同じぐらいの長さのネジを入れて、ナットで締めればよいと気が付いた。探すとそれに使えそうなものが見つかったので、試して見た。上手く嵌まったが、締めすぎると足が折り畳めなくなる。そこでどこで覚えたのか記憶に無いが、ナットをダブルにして使うことにした。これも幸いに二種類のナットがあったので締め込んだ。上手くいった。これでもう一つの足が壊れても対処可能となった。ネジとナットを幾つか買えば事足りる。

新聞は、バイロイトのカストルフ演出、ヤノスキー指揮の「指輪」が厳しい暑さの中でとても人気を博したことを伝えている。そもそもカストルフの演出は子供にでも分かるということでギャグが幅広い層に語り掛けるのだが、同時に東独ノスタルジーまでもがここまでの人気になるとは思わなかった。そこで不思議に思うのは、そこまで人気があるならば、キリル・ペトレンコ指揮で2015年実現化しなかった動画中継をすればよいように思うのだが、予算が出ないということだろうか?そしてユニヴァーサルもヤノスキーでは商売にならないと判断したというのだろうか? ― その音楽はとても分かり易い点ではカストルフのそれに対応しているが、音楽劇場に求められる劇場の暗闇を超える効果が無いと放送でも批評されるのは当然かもしれない。私も含めて只ならばダウンロードなりコピーなりしてしまうのだろうが、金を出して買う人はあまりいないということなのかもしれない。まさか来年ドミンゴ指揮で「ヴァルキューレ」だけ生中継されるということなのだろうか。それじゃあまりにもつまらない。

キリル・ペトレンコ指揮「タンホイザー」東京公演が安売りで出るという。A席40000円、B席36000円らしい。これならば320ユーロ、270ユーロとすると、席は知らないが、ルツェルンのアバド指揮よりも大分お得だ。日本旅行の序があれば間違いなく購入しただろう。また、ヴァルキューレ一幕の公演がNHKラディオとTVで放送されるということなので、これもぜひ見聞きしてみたい。もしかするとこちらでもなんらかな形で放送されるかもしれないがまだ分からない。

ネットで日本の人のキリル・ペトレンコに関する感想が、arteの動画から漸く真面な感想が出てくるようになった。如何にそういうものが広い観衆層に語り掛けることで初めて反響を得るかということである。要するに如何にそれを扶持としている専門家が業界の意向とか忖度の中でしかものを発言できないかの業界事情を炙り出している。それはドイツにおいても変わらないが、地域性やジャーナリズムの独立性があるので、日本などのように単一的になることはないのである。



参照:
旧ビジネスモデルをぶっ壊せ 2017-08-05 | マスメディア批評
室内で効率よい洗濯干し 2015-11-05 | 生活
お披露目、忌憚のない感想 2015-07-12 | マスメディア批評
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-08-05 19:11 | 雑感 | Trackback

旧ビジネスモデルをぶっ壊せ

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ダウンロードしたVIDEOを流している。色々と面白い ― 余談ながら、ザイテンロージュに映されていたのは、音楽監督キリル・ペトレンコのお母さんのようだ。音楽的に二幕の続きは、演出を一通り見極めてからになるが、DLしたMP4ファイルのオーディオはAAC4800kHzで出ているようだ。新鮮度が足りないのは16Bitだから仕方がないのかもしれない。

やはり画像が良く、真剣に見ていると今度はWifiで出しているために音声と画像がずれるのが気になって来る。これはプレーヤーで同調を調整するが限界を超えているので中々完璧には音を先に進めるのは難しい。クロームキャストオーディオ再生の限界である。

そして現代の映画ファンがするように細かなところまでを繰り返し確かめたりできるのがHDの解像度のお陰である。そもそも舞台ではTV的なアップなどでは誰も見ていないのだが、演出のカステルッチが語っていることが、カメラでこそ捉えられていることもある。

例えば自身の眼を鏡の反射など無しには観察できないというようなやや哲学的な観想にあるように、舞台ではオペラ歌手でも役者として演じているのをズームしたカメラが捉えている。要するにこのヴァージョンは殆んど音楽劇場Videoになっていて、中継放送の枠を超えている。

例えばアップなどが続くと舞台の枠組みが分からなくなったり、オーケストラピット内が映されたりすると今度は全く別な映像になってしまう。そのあたりのカメラカットの使い方が中々凝っているのだ。それ故に舞台作品としての演出についての印象とはまた異なってくるところもあり、他の二種類の違う角度からのカットを異なる動画で改めて確かめてみなければいけない。

こうした完成度の高いヴィデオ制作を、我々は聴視料を払っているとしても、無料でダウンロードできることはやはり素晴らしいと思う。なるほどオンディマンドでDLする時、自分のPCで鑑賞するのと同じことで、一定のDL速度に上限が決まっているということである。だからDLとオンライン試聴の相違は、その伝送速度に関わりなく時間を掛けて高品質で落とせるかどうかで、視聴中に固まったりして不愉快なことが無く後でゆっくり楽しめることだ。

そうしたダウンローダーを昔は使っていたが今はフィアーフォックスをDL専用に使っている。クロームでもダウンロードヘルパーのAddOnを使えば同じなのだが、こちらの方が視覚的にも大変使い易い。都合Win8に三種類のブラウザーを使っている。メインはオペラを使っているのだが、先日プロキシが用意されていて使い易いと知って試して見ると、そこに組み込まれているのはドイツやオランダ、カナダ以や米国以外ではシンガポールしかなかった。なるほど日本の人はドイツ経由にしてこれが使い易いのだろうが、こちらからシンガポールや米国のものを経由してもメディア産業が強い国だけにあまり役に立たない。同時にスパイソフト疑惑が噂されているが、少なくともAddブロックを使って、それのブロックなどは使わない方が良いのかもしれない。

ソニーなどが幾ら立法府に圧力を掛けてコピーなどの利用に制限をつけても、コピー防止の方策を練っても無意味である。私は立場上も決して以前勃興した海賊党の支持者でもないが、こうした公共放送局が限られた予算の中から撮影したものを少々弄って製品化して売り込もうとしても最早無理である。そうした殆んど汗を掻かないメディアと言うだけの従来のビジネスモデルは成立しない。市場も無く、金も無く、自主制作も出来ないようなメディアが何をか謂わんかである。

そのように上のオンディマンドのヴィデオは十二分に芸術的な制作になっている。必要ならばハイレゾリューションの音声を合わせて、各々の言語のテロップを入れて、自分でブルーレイ―化すれば今市場に出ているこの種のオペラヴィデオと比較して推薦ものでしかない。これ程の完成度の製品はそれほど出ていないと思われる。



参照:
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
膿が出来らない限りは 2013-05-17 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-08-04 15:58 | マスメディア批評 | Trackback

キャッシュレス生活の奨め

経済欄を見ると面白い比較表が出ていた。各国のキャッシュレス化の度合いが国際比較されている。レスといってもこの場合は現金払いの割合だ。想定通りアングロサクソンのポンドなどは上位で3.42%、その次のトルコのリラ4.85%、アメリカンダラー8.37%などが続く。トップはスェーデンクローネで1.24%ということは殆んど現金を見ないということだろうか?ユーロよりもスイスフランが10.17%と下回っているのは意外だった。円は21.94%である。

大体予想通りだが、スカンディナヴィアのキャッシュレスは知らなかったが、乞食が生計のための印刷物を売るのにクレディットカード払いを受け付けているという。機械は教会が提供していて、乞食に恵むのもカード支払いらしい。個人的には英国のそれが印象に残っていて、スーパーでも現金を使う人が殆んどいなかった。今は自分自身もスーパーではクレディットを使用しているが、昔は態々サインしてまでと思ったものだ。

実際にここに住むようになってからも最初はデビットカードを使ったり現金だったりしたのだが、今通うスーパーが全く問題無しにクレディットを受け付けるのを知ってから、クレディット化した。あとは外食の安物の店では現金優先なので仕方ないが、高級店になるとクレディットも多く受け付ける。そもそも外食が減ったから現金も要らない。そしてなによりもネットショッピングが中心となると、最早現金は要らない。ざっと月のネットショッピングを150ユーロ。スーパーで100ユーロ、給油150ユーロ等々に対して、現金月100ユーロぐらいとなるので、これだけでも25%で、その他の仕事関連を入れると、ユーロの比率10.34%を下回るだろう。しかし肝心のワイン購入では、最大手醸造所でしかクレディットを受け付けない。それでも周りの様子から見ると現金を使わない方なので、ドイツよりも他所のEU諸国の方がカードを使う割合が多いのかもしれない。実際、フランスのスーパーで現金払いをする人は少ない。

連邦共和国もキャッシュレス化を推し進めて、高額購入は現金払いを認めない方向にある。マネーロンダリングや課税できない現金の流れを抑えるためであるが、カードの支払い上限を上げようと思うとそれなりに面倒で不正使用の危険性もある。不正防止のために様々な方法があるが、不便になればこれまた誰もカードを使わない。

新調した歯ブラシを何度か使った。最初はビギナープログラムがついていてそれが流れている筈だが、四サイクル全部で二分が短く感じる。だから余分に奥歯などに充てる。振動が少なく音も軽やかで軽量なので押しつけがましさが無い。PCモニターを覗きながらでも磨けるのが嬉しい。腕も細身なのでおかしな涎が出にくい。 

歯ブラシも真新しく使い始めなので綺麗に磨けるのは当然かもしれないが、様々な面で使い易く感じるのが良い。形状も以前のものとは異なり、ヴァイブレーションも悪くはない。面白いのは、フィリップスとブラウンの対抗関係で、髭剃りは回転刃を使う前者だが、歯磨きでは後者がブラシを回転させる。ブラウンは今やジレットの子会社であるがこの分野では歯ブラシメーカーが今は販売しているようで、替えブラシはフィリップスのものより安い。フィリップスも中華製となっているが世界中に儲けの出る市場があるようで白物のようには未だに売却していない様だ。一方ブラウンの方はオーラ―ルBと歯ブラシメーカーの商品になっている。



参照:
脱資本主義社会への加速 2016-02-15 | 文学・思想
とっかえ、ひっかえ 2017-08-02 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-08-03 19:11 | 歴史・時事 | Trackback

芸術的に配慮したarte新動画

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久方ぶりに夜更かしした。arteにカステルッチ演出「タンホイザー」がアップされているというのを知ったので、ダウンロードしに行った。7月9日の公演に限っても、劇場のストリーミング約13GB並びにarteの生放送直後にDLしたものの二種類の映像を保存してあり、更に音声は生で24Bit4800kHz約3GBで録音してあるので、先ずは障りを観てみる。直ぐにカットも異なりカメラアングルも未知の部分が続々出てきた。

今回の演出は乳房丸出しなので、arteは、半分は仏国営でカトリック圏のTV放送がそうであるように殆んど裸体自主規制は無いが、それでもZDFが半分であることを考えるとやはり配慮されるものと想定していた ― だから出来ることならば劇場の生放送を鑑賞したかったのだ。それでも生放送分に関しては殆んど配慮は感じられなかったのだが、こうしてアップロードするまでに時間が掛かったのは「芸術的な配慮」によるものと思われる。

実際に序曲からの「乳房祭り」部分では必要最小限にピット内の指揮ぶりと演奏風景が映されて綺麗にカメラのカットが差し入れられる。arteのディレクターは同じ人であるが、まさしく「芸術的配慮」が施されていて、このカメラ扱いならば劇場でいらいらした乳房とその間の無駄な間隙が無くなって音楽に集中できる。その一方序曲部分だけを観てもバレリーナの脇腹の黒子が分かるなどとんでもないHDになっている ― ただし音声の質は悪く、到底生放送時のそれとは比較できない。画質に比較してここまで音質を落としている理由は分からない。

兎に角、オンデマンドからダウンロードするが最初にドイツ語字幕版をクリックしてしまったので、それから映像だけのものと二回続けてダウンロードした。TV局のものなので安定はしているがとても速度は遅く、3.47GBを三時間づつほど掛かった。プロクシを使わないでも海外から落とせるのではないだろうか ― いずれにしてもダウンロードはストリーミングと異なって時間を掛けて後でゆっくりと鑑賞できる。月末まで置いてあるので時間を掛ければいずれにしても観れるだろう。このタンホイザーは、特に演出を更に詳しく観て行く。

高画質TV放送として、arteでは昨年の「サウスポール」世界初演があり、ARDで五月に再放送された「影の無い女」も永久保存版の記録であるが、今回の映像も素晴らしい。こうした非コマーシャルな映像記録制作が可能ならば、バイロイト音楽祭でカストルフ演出「指輪」の中継を認めつつ製品化を拒絶したキリル・ペトレンコの真意は明白だろう ― 要するに本当のイヴェントには公の資材が投入さる。なるほどバイエルン放送協会の予算を計上して準備していた訳であるが、恐らくユニヴァーサルとバイロイト音楽祭の契約に縛られたのだろう。

バイロイト音楽祭と言えば ― パンクラトーヴァや、ツェッペンフェルト、グールドの歌唱の評判が良いが ―、先日の「トリスタン」での遅速で始まり急加速の演奏などについて伝えられている初代音楽監督ティーレマンのことが、フィリップ・ジョルダンがヴィーンの歌劇場の音楽監督に決まったことを伝える記事で言及されていた。それによると、クリスチャン・ティーレマンは、そのヴィーンのポストを狙っていたということらしい。そして数週間前にドレスデンのシュターツカペレの音楽監督の契約延長が発表された際に、「これで、全く問題は無くなった。」とそれを暗示していたというのである。つまりその時点で再びティーレマン就任は消えていたということだろう。なるほどその才は二人とも似たり寄ったりで、そのオペラにおける実力も経験程に差はないと思われるが、マネージャーとしてはジョルダンの方が優れているのかもしれない。そしてなによりもソニーが映像を中心として売り込むにはティーレマンでは困ったのだろう。

ペトレンコ指揮の記録といえば、この間先日のバート・キッシンゲンの二曲も良かった。ラロの交響曲を再び録音してレーピンの音に気が付いた。嘗ては子供のような軽い感じだったがとても良い音を奏でていると感じた。調べてみるとガルネリのデルジェスだったようだ。一曲目も含めて更に良い音で聞き返すと、既に放送交響楽団はヤンソンスが振っていたので仕方がなかったかもしれないが、バイエルン放送協会内ではペトレンコとの関係で今でも複雑な心理があるのではなかろうかと感じさせる。

その他、2003年2月12日にバロセロナでの公演からのセクエンツがあった。ペトレンコ指揮の「ピケダーメ」はヴィーンでの小澤に代わって指揮した放送録音があるようだが、これはそれ以前の指揮者31歳の時の演奏で私が知る限り最も古い録音録画の一つである。その秋からコーミッシェオパーの指揮者になっている。質の悪い映像ではあまり変わらないようで、音楽だけ聞いていてもまた歌手の視線などを見ていても今と変わらぬ厳しい指揮をしているのは間違いない。



参照:
延々と続く乳房祭り 2017-07-10 | 文化一般
「笛を吹けども踊らず」 2017-07-29 | 文化一般
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活
感動したメーデーの女の影 2017-05-03 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-08-02 18:30 | マスメディア批評 | Trackback

とっかえ、ひっかえ

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歯ブラシ機の代替品が届いた。問題の隙間はやはり埋まらなかった。工作精度の問題だと思う ― 取説には間隔が空くと注意書きがあったがそのような写真はどこにもない。暫く使っているとゴムが凹んでもう少し溝が埋まるのかもしれないが、先ずは使ってみるしかない。少なくとも一つ目のものは最初にブラシを軽く差し込めなかった。あまり誰も文句をつけていないのはロット差があるという事だろうか。一つは送り返すのだから苦情はメーカーにも伝わる筈だ。

前のものは余分の充電電源ケーブルを台の裏に巻いて格納可能だったが、今度のはそのような場所も無い。小さく細くなっているので邪魔にならないのは良いのだが、蓄電能力などをみて使い勝手を追求してみないと分からない。小さく軽く、静かになったので、使うのが楽しみである。

先日洗濯屋の帰り、街に差し掛かった時である。街道筋に犬が出てきた。対向車もランナアバウトから出てきたところで、ブレーキを掛け乍ら様子を観ていると、その車の後ろへ回った。また交通事故かと思った。前回は野生のバムビだったが、今度は中型犬である。

その対向車が車を停めて、犬が再び前から出てきた。当たったのかと思っていたら、運転手がドアを開けて犬に呼びかけていた。犬に慣れている人だとは思うのだが、私はいつも犬と接触して思い出すのは「犬の知能は七歳の人間程度」ということである。学術的な分析は知らないが、子供の時の体験からしてもその感情的なしぐさや行動も大体そのようなものだと思っている。すると、やはりあの犬の動きはおかしいと思った。凶暴さは無くても狂犬の可能性はあると感じた。だから運転手の行動も理解できなかった。

言うなれば、犬はバムビよりは賢いから街道筋に飛び出るようなことはしない。しかし出て来て更に車の前を再び折り返すのは異常としか思えなかったのである。そして幾ら呼びかけてもそのような犬がコマンドを聞くだろうか?

「四季」に続いて、CD二枚目の「弦楽のための協奏曲」を流している。初めて聞くような曲が殆んどだが、作曲技法的にもこうした曲があってこそのブランデンブルク協奏曲など北方の後期バロック協奏曲だと思い知る。それどころかミニマルのグラスなどの作品も生まれていなかったのも分かり、少なくとも私の知る限りそれ以前のコレルリの作品などと比較して派手なのだが、その影響力についてはあまり考えもしなかった。

ルネッサンスの多声音楽、中世音楽などから声楽を中心にCDを収集してきたのだが、そのネタも比較的網羅出来たことから、安売りの多いバロックの器楽もちょこちょこと購入するようになった。そのCD棚は声楽中心に年代順に並べていて、器楽は現代の音楽の下に追い遣らててしまっていたので置く場所が無くなって来た。今後ともバロックのオペラやオラトリオに比して声楽や器楽合奏曲を集めていくつもりはないのだが、年代による技術的な流れを分かり易くするためには、もう少しスペースを作って並び替えていけないかと思っている。ルネッサンス音楽用にもう一つ最後のスペースを開けてしまおうかと思う。とは言いながらも、最も興味のあるルネッサンス曲などが目の高さに収まるように、現代ものの分野別けの難しいもののタイトルも見やすいところに置きたいので、どうしてもバロックものが足元になってしまう ― 要するにバロック音楽の録音などくだらないものも多い。この問題を解決するために、どのように配置しようかと考える。



参照:
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活
車の事故に二日続けて遭遇する 2017-06-04 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-08-01 21:53 | 生活 | Trackback

音楽後進国ドイツの野暮天ぶり

久しぶりに8キロコースを走った。バーデンバーデンへのお誘いもあったのだが、暑さと湿気があるのでそれは次回に譲り、長目に走ることにした。目標は一時間だが、どんなにゆっくり走っても1時間は掛からない。勿論谷登りを歩けばそれぐらいかかる。昨年6月以来の踏破であるが、全区間を走るのは二三年ぶりだろう。なにが億劫かというと一気に300メートル以上の高度差を登るので歩いていても息が切れる急坂なのだ ― プファルツの森の中で知っているところとしては一番きつく長い。だから山登りコースよりもずっとスピードを落としていても上に着くまで息がつけない。

沢沿いをゆっくりと走り、余力を残して谷に入る ― 丁度そこの泉に立ち寄るバムビの親子が見えた。まだまだ小さな子を二匹ほど確認した。木陰の陽射しが背中から射して、思ったよりも涼しくない。リズムを崩さないようにした。流石に沢を詰めるあたりの急坂は足が前に出ないが、今までの中では一番真面な足取りを踏めた。20分ほどで坂を上り終えたので結構早かった。

週末は金曜日から三日続けて走ったことになる。総計して18㎞ほどなので大したことはないが、夏場に集中して汗を掻いたのは良かった。七月は休みがちだったので何とか帳尻を合わせられた。お陰で夜中も目が覚めずに眠れた。

先日購入したCDを大体流した。シュピ-ゲル誌の特選集盤は演奏時間が短い感じがしたが、しかし調べてみると70分超えどころか、「冬の旅」などは78分を超えていた。最近は三時間以上のオペラなどをファイルで流しているので、CDでさえ細切れな感じがするのだろうか。

モーツァルトの一枚は、演奏会の合間のプローベとして録音されているのかどうかは分からないが、アバドが音楽監督になって、先ほど亡くなったクスマウルがコンサートマイスターとして呼ばれた直後の時期の雰囲気が良く出ている。カラヤンサウンドを壊すばかりにアンサムブルも荒い印象が強く、思いのほか暴力的なモーツァルト演奏である。アバド指揮の録音も持っていて、今回初めてCDで購入したヴィヴァルディの「四季」がまた面白い。

ターフェルムジークと称する団体の演奏だが、ここまで和声の線が楽しめると如何にヴェネツィア楽派が洗練されていて、北方のバッハらの辺境の音楽家達が、そこから「モダーン」を学んだのかがよく分かる。練習曲のような、インヴェンションというのが正しいのかもしれないが、その颯爽としたテーマは、現在でもヴァネッサ・メイなどがビキニ姿でポップスとして弾いても、格好の良い楽想になっている。これまた如何にも売れる名前のイムジチ合奏団などの演奏では到底気が付かなかった精妙さは、まさしくバッハらが胸をときめかしたであろう音楽となっている。それはYOUTUBEでこの半世紀間のその演奏実践の趣味を比較すると明らかで、イムジチとメイが一番似ていて ― 要するにアレンジャーたちには世界的メガヒットのイムジチの演奏に肖ろうという気持ちがあったに違いない ―、如何にも戦後の経済成長期といった塩梅だ。上のCD制作録音は、1990年代初めの録音だが、当時の最先端で、テオべのアタックがガツンと効いていて、古楽器の美しい和弦が楽しめる。

二十世紀後半には「四季」はそのように通俗名曲になってしまったが、こうして改めて聞くと「名曲」に違いないと思った。但し9枚組のビヨンディ指揮のCDを購入しても曲ごとに意識して楽しめるかどうかはあまり自信がない。それにしても音楽後進国ドイツではそれから半世紀ほどしても通奏低音のごつごつした器楽を奏でていたことを考えると、その野暮天ぶりの原因はルター派のミサをはじめとする生活文化としか考えられない。



参照:
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-25 | 生活
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-07-31 21:22 | 雑感 | Trackback

索引 2017年7月


寛容の海を泳ぐ人々 2017-07-31 | 雑感
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活 TB0,COM2
「笛を吹けども踊らず」 2017-07-29 | 文化一般 TB0,COM2
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
意地悪ラビと間抜けドイツ人 2017-07-27 | 文化一般
大工仕事が得意な素人 2017-07-26 | 生活
漂う晩夏から秋の気配 2017-07-26 | 生活
楽劇「指輪」四部作の座席 2017-07-24 | 雑感
鑑定士による査定の程 2017-07-23 | 雑感
一寸だけ危そうな場所 2017-07-22 | アウトドーア・環境
普遍的なネットでの響き 2017-07-21 | 音
スパゲティソーメンを食す 2017-07-20 | 生活
ドイツ製掃除機の吸い込み口 2017-07-19 | テクニック TB0,COM4
素材にも拘る男着 2017-07-18 | 雑感
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
コーディロイの袖を通す 2017-07-16 | 文化一般
GPS分析に見る登頂から下山 2017-07-15 | アウトドーア・環境
秋から冬に備える今日この頃 2017-07-14 | アウトドーア・環境
殆んど生き神の手腕 2017-07-13 | 音
新車に乗り移れない理由 2017-07-12 | テクニック
こぢんまりとした山小屋 2017-07-11 | 生活
延々と続く乳房祭り 2017-07-10 | 文化一般
恋する人は恐れを知り 2017-07-09 | アウトドーア・環境
ナイロン編みロープの末端処理 2017-07-08 | テクニック
現地天気予報をみながら 2017-07-07 | アウトドーア・環境
アウトバーンでの救急車両 2017-07-06 | 雑感
上半期に買って良かったもの! 2017-07-05 | 生活 TB0,COM2
荷物量や食事量を考える 2017-07-04 | アウトドーア・環境
若ニシンチラシに合わせる 2017-07-03 | ワイン
ダートウィンを調整する 2017-07-02 | アウトドーア・環境
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般

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# by pfaelzerwein | 2017-07-31 14:55 | INDEX | Trackback

寛容の海を泳ぐ人々

朝一番で銀行に行くと、中に自転車が荷物をつけて置いてあった。最もモダーンなライフスタイルの野宿おばさんである。自動引き下しのところに行くとガサガサ音を立てて寝返っていたようだが、見ないようにしておいた。

その後いつものようにパン屋に向かい、森に向かった。久しぶりの峠攻めである。前回はアルプスから帰宅後、パン屋が夏休みに入る前の7月9日だった。高度順応はかなっていても踵の皮が捲れていて、上りに23分以上かかっていた。今回は気温17度ぐらいで比較的涼しくて21分ほどで上がった。徐々に走れるようになって来ている。二日続けて走った。

気になっていたのは車の燃料で、銀行に行く前は燃料計が一度下がっていて、スタンドに向かおうかと思ったが、また上がったのだった。そして予備燃料を示しているということで残り1リットルになったらうスタンドに駆け込もうと思っていると、見る見るうちにその値になった。仕方がないが回り道してスタンドによって20リットル入れる。すると25リットルを指している。兎に角これぐらいの余裕をもってこれからは走りたい。帰りに地元に戻るとそこのスタンドの方が安かった。態々遠回りする意味はなかったのだ。

特段言及するつもりはなかった。それでも車の南西ドイツ放送局文化派SWR2ラディオは、とってはかえで異なる人が、木曜日のザルツブルクの「ティートュスの寛容」を絶賛する。なるほどピーター・セラーズの演出は面白そうだが、なんといっても局の楽団の次期音楽監督テオドール・クレンツィス指揮の音楽もセンセーショナルと感動して語る。即座におかしいと思った。更に南ドイツ新聞の援護射撃まで紹介するとなると異常事態である。

その指揮者に関しては、キリル・ペトレンコの指揮技術に関する記事で比較対象として挙げられていた。だからどのような音楽をするのかは想像が付いている。そしてこのザルツブルクデビューに関しても知っていた。但しあまり興味が無いので生放送は聞いていなかった ― 悪い音質で今も全曲が聞ける。新聞に評が出ていたので障りも聞いてみた。予想通りだった。

FAZに「このご時世の市場で既に多くのフォロワーを持っている」と書かれているように、要するに短絡に刺激を求める大衆人気を示しているようだ。モーツァルトの演奏実践に関していえば、嘗て脚光を浴びだしたアーノンクールの演奏をして顔をしかめたカール・ベーム博士を思い出す。それとは異なるのは、こちらは明らかに指揮者としてのプロフェッショナルであって、更に多くの聴衆を魅了する能力を持っているということだろう。半分は聴衆に対しても指揮をしているようなところを含めて、歴史に残らないであろう天才音楽家マゼールをも想起させる。

しかし同時に「ブレーキ、アクセルばかりを、モーツァルトをまるで鞭を入れ支配するかのように自身で制御する」ことで生じる「深淵も結局は荒っぽい印象を残す」演奏実践と書かれる。放送局にとっては二つの放送交響楽団の合併の汚名を払拭すべく、次期監督を持ち上げることで二倍以上の芸術的市場価値を獲得して、少なくとも経営的に成功させることは最低の条件であるだろう。とても強い圧力が掛かっているようだ。

そしてこの指揮者の演奏をこうして垣間見るととんでもないことになりそうな気がするのである。今回のモーツァルトのテムポ設定にしても一体どこに根拠をおいているのか、はたまたどのような楽譜校訂どころか読みをしているのかもほとんど分からない。まさか二流指揮者のように正しいテムポを保持できないとは思わないのだが、要するに信用するに足らないのである。丁度テュィターでメッセージ送り続けるどこかの大統領のようにである。肝心の動画は8月19日3SAT放送となっている。



参照:
地方の音楽会の集客状況 2017-01-23 | 文化一般
ギアーチェンジの円滑さ 2016-03-04 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-07-30 18:37 | マスメディア批評 | Trackback

39.99ユーロという額

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パン屋の帰りに洗濯屋に寄った。開店が病院訪問で遅くなるということで後先逆になった。沢沿いを往復した後だ。26分以上掛かった。外気温は18度ぐらいで気持ちよかったが、二度寝の体調で仕方なかった。汗をポリタンの水で流して、再び洗濯屋に向かう。折角だから違う経路を通って、山を下りていく。先ずはパン屋の道へ入る上の通りを入っていく。予定では住宅街を通るうちに向こう側の道に出れると思っていたが、バートデュルクハイムで最も高級住宅街を過ぎ抜けるとそのまま向こう側の道に通じていた。知らなかった。流石に高級住宅街だが、広さ共にヴィラらしい家は殆んどなかったが、基本としては大企業のボーディングメムバーの自宅並みの住居が寄っている。見晴らしも良く道も上手く通じている。しかし対向車を待ってストップすることなく走れる道ではない。要するにVIPの警備上も問題のある道路事情である。

電動歯ブラシの替えブラシを買わなければいけなかった。フィリップスの古いタイプを使っているので、高価過ぎて、前々回はそれどころか二つ組の一つが壊れていた。最初は一つで10ユーロもしなかったのだが、今や充分に超えるため、ミニのを買ったりして自分を誤魔化していた。しかし最早一本10ユーロ越で三か月ぐらいしか使えない。もう駄目だと思った。そこで、代替の歯ブラシを探すとフィリップスのイージークリーンというのが40ユーロであった。これならば替えブラシ四個分以下で、それに対応する純正替えブラシが6ユーロぐらいで買える。つまり、ブラシ一つ7ユーロほど安くなる。同じように使えれば、年で28ユーロは安くなる。製品保証期間二年間使えれば資は十二分に取れる。

調べてみると実は経済性だけではなく、もしかすると問題の歯茎の炎症のために良いのではないかと思った。力を入れないでも綺麗に歯磨きが出来るとすれば、問題の多い物理的な圧力を避けることが出来て、一進一退の炎症の影響を好転させていけるのではないかと期待するのだ。但し大量消費品だけに製造コストを落としていて、接触不良などのトラブルも多いという。実際配達されて、ブラシを捻じ込んでみると上手く嵌まらない。本体とブラシの間に溝が開く。早速代替を送らせることにした。しかしその他の面は悪くはなさそうで、壊れなければ使い易そうだ。中華製ということで皆が不安に思う。

実はこの40ユーロという額は、アルプスに行く前に注文して違うサイズが届いたので送り返した靴下の38ユーロとほとんど変わらない。如何にその靴下が高価過ぎるかということである。素早く金を返さなかったのでアマゾンに直ぐに紛争処理を申し出た。その靴下を使っていたとしても靴ずれを防げたとは思わないが、こうして公にすべきと思ったほど出品業者の事務処理が悪かったので腹立たしい思いをした。明くる日には全額返済された。

洗濯屋で六月に下して初めて洗濯したシャツを回収した。冬にピンクのシャツを購入したお陰で回す色シャツに余裕が出来てとても嬉しい。これで長袖時期が来たならば一着を部屋着に下せる。寒くなると袖があるシャツが有り難い。

日曜日午前10時から、2008年7月バートキーシンゲンでの録音から、キリル・ペトレンコ指揮の放送交響楽団の演奏でトュリーナの曲などが放送される。二曲目はレーピン独奏のスペイン交響曲は既に聞いたが、もう一度聞いてみよう。後半は交響的舞踊が演奏されてYOUTUBEには出ているが高音質ではまだ聞いていない。但し、どうも保養地の雰囲気でざわざわした印象があってあまりよくない。




参照:
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
ネットでも価値ある買物 2008-11-05 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-07-29 19:42 | 生活 | Trackback

「笛を吹けども踊らず」

新聞に先日の2017年バイロイト音楽祭初日「マイスタージンガー」の評が載っている。終わりまで読んでおかしいなと思ったら、期待していたおばさんの評ではなかった。あれほど、ここだけでなく方々で叩いたので主幹から落ろされてしまったのだろうか。まあ、私と同じように、本当のことを語ってしまうと ― 音楽的に百点満点中五十点と生放送で言い放った ―、 批判対象である指揮者もパリのオペラ座の音楽監督をしているようだから、劇場との関係が悪くなるかもしれない。更にヴィーンのシムフォニカーの指揮者も務めているようなので驚かされる。

その年齢からするとチューリッヒぐらいで会っていることもあるかもしれないが、テムポの保持も難しそうな伴奏指揮者がなぜそこまで活躍しているのか一向に分からない。あまりにも劇場慣れし過ぎているという指摘もあり、実際にfazは三幕の五重唱を幾ら盛り上げようとしても歌手が付いてこなかったとある ― 笛を吹けども踊らずである。態々繰り返して聴き返してみることも無く大体の印象はその通りで、動かなかったのはそもそもリズムも悪くテムポが安定しないので、その設定にオーソリティーが無く、始めから歌手の目線などを見ていてもその結果は想像できた。Wikiを見てスイスロマンドとの繋がりが漸く分かった。あれは親父さんアルミン・ジョルダンだったようだ。「パルシファル」の廉価全曲録音などで名前は知れていた。今で言うところのナクソスムージシャンだ。なるほど。

今更バイロイトの音楽的水準に改めて触れる必要はないが、初日の日の新聞の文化欄全6面の4面はバイロイト特集だった。しかしそれ以上に面白い情報はその前日に載っていた。ヴィーラント・ヴァークナー記念公演に関する記事だった。そこでは、指揮者ヘンへェンが初めてベルクとヴェルディの作品を祝祭劇場で演奏したことなどよりも、カタリーナ―が従妹一人一人の名前を挙げて呼びかけたことがなによりも注目されたというのである。

その背景には、昨年末、ニケ・ヴァークナー博士が起こしていた現在の劇場貸与契約つまり執行体制への異議を、有限会社バイロイト音楽祭とバイロイト財団を相手取り、申し立てて破れたことがあり、それは決してカタリーナ体制の勝利を意味するのではなくて、ニケ・ヴァークナーが根拠とするヴァークナー家の既得権益が法的に限定されたことを意味するらしい。つまり、現在の体制を定めた根拠の中で資金を出し長く過半数の採決権を有しているバイエルン州と連邦政府の議決権が重要視されるということのようだ。

なるほど、だからニケが「もはやバイロイトには興味を失った」、「ヴァークナーばかり扱うのでは退屈だ」と言い出したのはこういう法的判断が背景があったことになる。そして初代音楽監督もカタリ-ナも昨年までのようにスキャンダルを起こしていたのではもはや務まらないということらしい。財政問題などはその一つであって、何か問題が起これば益々公の手が入って来るということなのだろう。おとなしくしていろと法的に鈴をつけられたことになる。

ある意味、バイロイト市をはじめとする当事者にとっては、ヴァークナー音楽祭はノイシュヴァンシュタイン城の様に観光収入源でもあり、その期間の世界中からの観光客を見逃す訳にはいかない。コスト対効果で安定した収入を上げていくことが肝心なのだろうと思う。音楽祭の規模も飽きられることが無いぐらいに適当に活気をつけて、いずれはシナからの大観光団も呼び寄せられるようなオープンエアーやパブリックヴューイングなどが成功するように整備されるのだろう。まあ、そこまでもやらないでもあのオバーフランケン地方としては充分な数の数寄者達が押し寄せて、弁護士や医師に代表されるような経済的にも余裕のある層が充分なお金を落としてくれればそれでよいのだ。

そもそも我々のような芸術云々や音楽美学とかなんだかんだとほざくような輩は金を落とさない。地元当事者の立場になって考えれば単純明快な答えである。芸術的な価値など腹の足しにもならないのである。漸く腑に落ちた。



参照:
意地悪ラビと間抜けドイツ人 2017-07-27 | 文化一般
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-07-28 18:56 | 文化一般 | Trackback