ペトレンコにおける演奏実践環境

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承前)ベルリナーフィルハーモニカ―のデジタルコンサートホールのティケットを初めて購入した。なによりも前回お試しした時に生で再生不可だったミュンヘンの座付き管弦楽団の演奏会中継後半の録画は無くなっていてがっくりした。仕方がない。とは言ってもアンコールの「マイスタージンガー」序曲だけのことで、あとは音声や動画など全て手元に保存してある。またどこかで欠けているものも出るだろう。

今回の主目的は先週生放送された「ハフナー」と「悲愴」の交響曲がジョン・アダムスの作品を挟む構造のプログラムである。ラディオと同じく録音技術的な傷はあるが、充分に使える音質でラディオよりも明晰である。ドイチュラントラディオは昔からRIASのものと比べて明晰さを犠牲にした音質で流していたのが今もなぜか傾向が変わらない。それもこれもマイクロフォンは同じ筈だが各々が別のミキシングをしているのだろう。

動画では悲愴交響曲の運弓などが確認できて助かるのだが、まだもう少しその辺りを纏めてみたい ― しかしその回答はインタヴューに奇しくも用意されている。ハフナー交響曲に関しては既に書いたが、キリル・ペトレンコのインタヴューでそれらが裏打ちされた感じになる。要するに、ハイドンに関しては言及していないが、ヴィーナークラシックにおける古楽器などのサウンド志向に対して、モーツァルトの場合はオペラをオリエンテーリングしながらアプローチすることで本質に迫ることが出来るということだ。同時にビーダーマイヤー的な快い響きに対して、もう少し刺激的な同時代的な感覚が折衷されるということだろう。コン・スプリトーソの展開部の短調へのその前の休止が、ラディオ放送とは違って、はっとさせないのはそこに視覚があるからだが、まさしく天才アマデウスの本質はピアノ協奏曲に表れるような歌劇におけるようなそうした心理の音楽構造となる。それを如何に交響曲として、その構造として明らかにするかということである。

このインタヴューにおいて興味深いのは楽員とのムジツィーレンとその演奏実践との関係への問いかけがフィルハーモニカ―からなされたことであろう。これはまさしく時間を掛けないと解決しない問題であり、ペトレンコがミュンヘンで実現していることが客演のベルリンでは出来ていないという当事者からの認証ともなる。特にフィルハーモニカ―の場合は、発し発しとそれでもクールに合奏することをカラヤン時代から旨としてきたことから未だに抜け切れておらず、これが次期監督に期待して、脱皮する可能性が希求されている点である ― そもそもサイモン・ラトル指揮の弱点と見做されているのは、ライヴにおけるムジツィーレンの現象への懐疑であって、ペトレンコがそれを埋め合わせることが期待されたのだ。歴史的にはフルトヴェングラー時代のフィルハーモニカ―はその点で全く違った訳で、現在特に弦などは楽員が高齢化しているようなので、新監督が二三年も仕事をすれば大分変わるのではなかろうか?

そこでは指揮者の職人的技術を超える話しとなっているのだが ― パブリックコミュニケーションが苦手とされる新監督は、話し出すとどうも止まらないような感じで、寧ろ自らかん口令を布いているとしか思われない ―、新聞はその職人的技量を他の指揮者と比較している。先ず同世代の指揮者の中で、キリル・ペトレンコはウラディミール・ユロスキーとその指揮技術の経済性と明晰さで双璧とされる ― 名前は聞いているが、そもそも指揮者など全く興味が無いことなので、正直だからどうだということになる。そして、アンドリウス・ネルソンズ、ヤニック・ネゼ・セガンやクリスティアン・イェルヴィなどのような無駄が無く、テューガン・ソキエフのように焦点が定まらぬことも無く、しかしながらテオドール・クレトツィスのように、表面的な無造作な音響に賭けるということはしないとされる。

インタヴューで本人も、指揮者の職人的な技量そして楽員のそれを日々問いかけながら仕事をしているというのは、既に周知であるようにその客演の状況によって ― つまり管弦楽団の技量や質、その演奏する環境によって、制約の中で狙いを定めていることがここでも語られている。演奏実践の難しくも面白いところは創作の抽象的な解釈や再現だけでなくて、芝居でも同じだがコンサートもある種の劇場の壁を超えた劇場空間のそうした固有の環境に存在するということであり、はからずもキリル・ペトレンコは創作事情をして、歴史的社会的なコンテクストの中でのそれを理解することとしている。まさしくこれは、創作における環境から影響を受けたインプットと、それが演奏実践されることでのアウトプットにおける環境への影響ということが出来るであろう。(
続く




参照:
Mozart: Symphony No. 35 “Haffner” / Petrenko · Berliner Philharmoniker YouTube
Interview Kirill Petrenko im Gespräch mit Olaf Maninger (Digital Concert Hall)
デジタル演奏会の品定め 2016-09-21 | マスメディア批評
陰謀論を憚らない人々 2016-03-29 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-03-29 18:05 | 文化一般 | Trackback

爪先で荷重可能な喜び

気温が摂氏20度近くになった。アーモンドが咲き乱れるワイン街道は、折からのバイパス拡張工事で昔のような交通量になっていて、騒がしい。そのうち慣れない大型車が立ち往生して軒先を壊す事故が起こるだろう。早く再び静かになって欲しい、空気が悪い、環境が悪い。

時間を掛けてそこを通ってボルダーに向かった。暖かいので今年になってから試していない庇の下の課題に向かった。今年になって誰もやっていないようで、チョークの痕が全くなくなっていた。暫く挑戦したが肩が痛むので適当に断念した。

そうなればその近くにある課題を試みる。これは庇の腕力系と異なり壁登攀系なので全く異なる。難易度も高くはないが、はめ込まれていた石が剥がれてからはもう一つしっくりいっていない。幸いにも靴を履いていても暫くは痛まなくなっていて、爪先荷重がまだできる、そこで試してみた。

以前苦労していた右手の手掛かりをとるときのバランスが、左の足先を斜めに押し付けるようにすると重心が外に逃げずに上手く手掛かりを変えることが出来た。そこで、左手を上の頭の首元に置き変えて、左足を上げて小さな石の突起に擦りつける。上手く左手の摩擦が効いたが、右手の子頭の上の手掛かりが安定しない。そこで思わず、左足をボルダーの肩へと上げてしまった。そのまま右手を探ってさらに上部の手掛かりに掛けて終了。

これでは如何にも正しく登ったことにならないので、登り直そうと思った。同じ課題を繰り返すのは特に小さな靴で爪先が痛んで厳しいのだが、それが出来るようになった。今度は左足を上げることなく、右手の頭の上の手掛かりを安定させてから、左足に荷重しながら、上部の足場に右足を掛けて、更に最上部の手掛かりを掴んだ。完璧だった。技術よりも繰り返せたことが何よりも嬉しい。流石に足が痛んだ。終了。

前日晩のボールダリングの疲れがあった。遅くなったが走りに出かける。新しい靴で初めて沢沿い往復である。動機つけは充分である。あまり傾斜の強くないコースであるから通常のランニングに近くなる。疲れが残っているが森の陽射しの中を駆け抜ける。スピード感はある。テムポを保っている。しかしピッチが伸びない。それでも往路10分45秒で自己記録の39秒に迫っていた。但しそのあとの折り返しが遅く、スピードが乗るまでに時間が掛かって、それでも往復23分24秒で昨年11月並みに戻った。

平地でも石が出ているところなどは新しい靴で走りやすい。そして何よりも爪先からの返しの感じが強く蹴れるようで、スピードランニングの可能性もこの靴で出てきた。問題はそこまで蹴れるだけの跳躍力に欠けることのようで、こうした靴でトレーニングすることで跳躍力も付いてくるだろうか?改めて、この靴は本格的なトレイルランニングシューズだと再認識した。今度この靴でスピードコースを走ろう、どうなるだろう。



参照:
「天才ソコロフ」の響き 2016-11-17 | 音
二度と繰り返せない制覇と達成 2014-11-17 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-28 21:11 | アウトドーア・環境 | Trackback

ハフナー交響曲を想う

目覚ましはいつの間にか夏時間に変更されていた。しかし比較的新しい壁時計はまだ冬時間の儘だ。いつになったら変わるのだろう?電波が上手く届いていないのだろう。もう一日変わらなかったら、取り外してバルコンに持ち出してやろうか。

先週のベルリンからの放送録音を聞いた。次期音楽監督キリル・ペトレンコが五年ぶりにフィルハーモニカ―を振る演奏会の二日目である。第一印象は、交響楽団が編成を切り詰めて大ホールで演奏する、牛刀割鶏の如くの問題の多いモーツァルトのハフナー交響曲が殊の外上手くいっていたことだ ― 前日は楽員の緊張のため大分ホルンなどに乱れがあったということである。

第一楽章アレグロコンスプリトーソでのファゴットとフルートと弦の上昇音型のバランスなども見事であり、また主題がニ短調へと、展開への八分音の休止が一息置かれて大きな効果を上げていた。新聞評などはこうしたことを含めて可成り視覚的と言及するが、こうした近代的な管弦楽でモーツァルトを演奏する場合、結局譜面の深読みしかないのではなかろうか?

なるほどカール・ベーム指揮ベルリナーフィハーモニカ―の録音はそうした演奏形態での歴史的な頂点であったろうが、自らモーツァルト指揮者では無いと自認するキリル・ペトレンコ指揮でモーツァルトの交響曲形態があからさまにされることは喜びである。アーノンクール指揮などの演奏を楽譜を前に聴くとその演奏の出来に失望しないまでも、天才作曲家の交響曲としての価値の再認識までには至らない。その意味からもメヌエット楽章トリオでのクレッシェンド指示の弾かせ方も中庸なものとして、明らかに表現すべき主体がそこに如実に表れていると感じられる ― 正しくそこがサウンド的なものだけではなくて、古楽器演奏でも如何にアマデウスの創作意思に迫れるかということでしかない。

コーミシェオパーにおいての連続上演でも批判もあり、ミュンヘンでただ一つ大成功となっていないモーツァルトのオペラセーリア「ティートスの寛容」の演奏実践であるが、敢えてここで選曲されたのも、既に分かっている2019年夏のザルツブルクデビューやルツェルンへの客演を先行したものだというのは理解できる ― するとバーデンバーデンと同様に2018年はまだ客演指揮者が振るということである。サイモン・ラトルにおけるハイドンの交響曲までの意味は持たないとしても、モーツァルトの交響曲が、少なくとも選りすぐりの交響曲が次期監督の指揮で演奏されて、現代のモーツァルト演奏実践を代表することになるともいえよう。するとミュンヘンでもモーツァルトのオペラ公演が2020年までに取り上げられる可能性も高い。

二曲目のアダムスの曲に関しては、なぜ現監督サイモン・ラトルがこの作曲家を取り上げることにしたのかは一向に分からないと改めて思わせた。なるほどラトルは武満作品を頻繁に取り上げていて、それと比較してということになるのだろう。指揮者の選曲としてはまあまあ聞かせどころを用意したということでもあろうか。客演指揮者としてのレパートリーとしてはまずまずだろう。

お待ちかねの悲愴交響曲に関しては、新聞評などでは ― 恐らく初日のものが多いのだろうが ―、予想通り充分にフィルハーモニカ―が演奏出来ていないことが指摘されていて、放送のものはそれよりはよくはなっているのだろうが、まだまだミュンヘンの座付きのようには上手くいっていないのは明らかだ。それ故ではないだろうが、ミュンヘンから座付きのソロオーボイストのグヴァンゼルダチェがエキストラとして入っており、アカデミーの助っ人は完全締め出されたと書かれている。それだけでなく、通常は練習会場に楽員は入れるのだが、特別の身分証明書を出してそれが無いと入室も出来ないようにしてあったと書いてある。

座付き管弦楽団ではないので、そもそもの目標とされる程度が全く異なるのは当然としても、最初からとても高い実践が求められていればこそ、ミュンヘンで行ったようにまたバイロイトでもあったように本格的に要求に応えられるようになるには何回もの演奏会が繰り返されなければならないのは周知の事実である。少なくとも今回のプログラムで、バーデン・バーデンではもっと上手くいくようにと期待したいところは幾つも散見されるのである。(続く



参照:
時間が無くて焦る日々 2017-03-23 | 生活
否応なしの動機付け 2017-03-19 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-03-27 23:44 | | Trackback

夏時間最初の七時間

下りを楽しみ過ぎた。新しい靴で山道を下り走るのはとても楽しい。流石にアルプスでも走れる靴だから、通常のハイキング道では快適だ。爪先が当たって痛むこともない、小石や枝なども苦にならない。本格的なトレイルランニングシューズである。今まで履いていた旧モデルとは雲泥の差がある。それで頂上から下りて来て56分15秒だった。上りも35分35秒で両方とももう少し記録を狙っていたら完全自己新記録樹立になるところだった。少なくとも下りを30秒短縮するのは可能だった。

しかし、頂上に辿りついたとき吐きそうになった。あまりに負荷を掛け過ぎたのだろう。脈拍は軽く180を超えていたと思う。帰宅後シャワーを浴びてコーヒーを飲むと急に胸に応えた。神経がまだ落ち着いていなかったようだ。これはいけない。

最初からとても足取りが軽く、爪先が靴のバネで上手く荷重できるので攻めるのが楽しい。どんどんとスピードは落ちて行ったようだが、頂上までテムポを保つように心がけた。それどころか下りもそのテムポを意識したので、無理な加速をしなかった。歩幅で負荷を調整しようと思ってもそれ以上に蹴りが効くので、推進力が維持される。凄い靴だ。101ユーロはとんでも価格だった。

夏時間が始まった。無線時計が上手く変更になっていない。二つの時計がそうだから電波が届いていないようだ。冬時間最後の夜は九時前に床に入った。前夜の寝不足が効いて、朝七時ごろまでぐっすりと寝た。八時間以上は意識が無かった。

この二日ばかり寝不足ゆえか歯茎の調子が悪かったのだが、走ってきて昼過ぎに行者大蒜のジェノヴェーゼのスパゲティーを食して、前日の残りのポイヤックの古酒を飲むと調子が良くなった。やはりこれも循環器系の調子のようだ。



参照:
出遅れた朝の記録 2016-11-27 | アウトドーア・環境
ALPINA仕様のランニング靴 2017-03-24 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-26 23:36 | アウトドーア・環境 | Trackback

まずまずの成果だろうか

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今秋日本公演のあるオペラ「タンホイザー」新制作の席が漸く確定した。正直これ程入手困難な理由が分からない。所謂ヴァークナー狂信者が多いということだろう。確かに、昨年の楽劇「マイスタージンガー」と比較をすると、パリ版とドレスデン版を取捨選択した版を使うということでの専門的な関心は高い。しかしこうした発券状況はそのようなコアな聴衆ではなくてただ単にロマンティックオペラ好きという層が多いことを示しているのではなかろうか。登場する歌手の主役のフォークト、ヴォルフラム役ゲルハーエルなどへの期待などもあるのだろうか?個人的にはヘルマン役のツェッペンフェルトが楽しみだ。

今回も初日のラディオ生中継が楽しみで断念したが、初日なら最前列などの可成り条件の良い席が入手可能だった。文字通り若干プリミエ割高となっていることと、中には同じように放送が楽しみの人もいるのだろうか?今まで入場券の入手に苦労したのは、カール・ベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカ―日本公演とアバド、クライバー指揮のミラノスカラ座の割引券の入手ぐらいで、それに匹敵するような困難があるとは思ってもみなかった。同じ出し物の三回ある日本公演はとても高額なのだろうが金さえ出せば買えるのではないのだろうか?それに比較しても、なるほど初日シリーズ五回とオペラフェストは豪華キャストなのだが、高額席の240ユーロまでが一瞬にして完売してしまうのはやはり本場というしかない。バーデンバーデン辺りではありえない。

ミュンヘンの劇場のネットによる発券システムもこちらも経験を重ねてノウハウが貯まって来たが、正直その需要過多には驚いた。なるほど常連さんが簡単に購入する席などが入手困難なのはよく分かるのだが、こうした完売状況を見ると凄い。なるほど高額の席でも特別に良い席ならばとは思ってもこれだけ競争が激しいとなかなか入手が難しいということである。

という事情で、いつものように立見席をなんとか獲得した。何時もの配券とは違うので今まで立ったことのない場所であるが、舞台への視覚は良さそうである。音響に関しては、ラディオ放送もあり充分に情報を取捨選択可能なのであまり問題ではない。またネット放送も7月にあり、都合三回以上あらゆる角度から楽しめることになる。券代21ユーロ、駐車料金の方が高くつきそうであるが、交通費、プログラムなどを入れて120ユーロの観劇トリップならまずまずではなかろうか。



参照:
お得なバーデン・バーデン 2017-03-21 | 生活
バイロイト音楽祭ネット予約 2017-02-14 | 雑感
バイロイトの名歌手たち? 2016-03-11 | 音
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# by pfaelzerwein | 2017-03-25 20:25 | 生活 | Trackback

とても豊かな気持ちの清貧

この時期は天候が悪くなると緩怠感が起こる。陽射しが無いと外気温が強くても肌寒い。そうなると赤ワインそれもピノノワールが美味い季節だ。それでもワイン街道はアーモンド満開である。以前は赤ワインを飲むとあまりに血管が膨張したような気持がして、落ち着かなかったのだが、この冬辺りは指先の抹消血管などが詰まって来たのか冷えるように感じた。そのために室内履きも一昨年辺りは指を出したサンダルを冬でも履いていたのだが、この冬は通常のスリッパに靴下までを履いている。冬山でも手の指が凍りそうになった。慢性的なものか一時的な健康状態なのかは分からない。少なくとも厳冬期でも半袖を着たり、ショーツで走ったりすることが出来るので通常の人よりは暑がりなのだが、抹消に関してはどうも違うようだ。

そのようなことでピノノワールを開けることが増えているが、同時にリースリングが飲み頃になるまで寝かさないといけないとなると、ピノノワールと比較して全く早飲みではなくなってきている。先日はクリストマン醸造所で購入したこの赤ワインのギメルディンゲン2014年を開けた。同時に購入した裾ものと比較すると、流石に高級感がある。何よりもテロワーを感じる。それもリースリングと同じような酸とその土壌を感じる。大した土壌ではないのだが、嘗てはカペレンベルクなどからのSCと呼ばれていた時よりもその個性は綺麗に出ている。なるほど色も薄めで、21ユーロならばフランスものでもあるが、質は決して悪くないと思う。なによりも雑食砂岩主体の地所というのがいい。

以前は冬に入る前の秋の寒さが堪えた。体が慣れていないからだろうが、ここ数年は記録的に暖かい秋などが続いていて、知らないうちに暖房が入っているような生活になっている。個人的には籠もり部屋に冬篭りするようになってから、暖房をあまり入れなくなった。昨日は車中のラディオで夏時間の弊害などが毎度のように話題になっていた。知らぬうちにこの週末に迫っている。四月末かと思っていたが、20日が春分だったのでそのあとの今月末となる。光熱費を節約するというのも狙いのようだが、放送では朝早く暖房を入れれば夜の電気使用が相殺されるというような話になっていた。それからすると、嘗ては復活祭以降でも暖房を入れていたことを思い出す。それどころか夏でも暖房を完全に切っていなかったぐらいだ。

それが今はどうだろう。三月になってからは必要な時だけ洗濯物の近くで暖房を入れる位で基本的には全切になっている。なるほど手足が時々冷える筈だ。しかし嘗てのように暖房の調子が悪くて寒くてもなかなか温まりなかったり、必要のない時でも直ぐに温まらなくなるのでいつもお湯を流していた時よりもとても豊かな気持ちで安心である。



参照:
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
旅行負担の総決算 2017-02-12 | 雑感
腰痛日誌五日目、柔軟 2017-01-11 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-03-24 20:09 | | Trackback

ALPINA仕様のランニング靴

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いきなり出た!新シューズで30分34秒で自己記録32秒と殆んどタイ記録である。そして峠上りはどうも新記録で18分40秒のようだ。今年に入ってから20分超えだったが、昨年秋のゴールドラッシュでも一度しか出せていなかった18分台である。そして下りて来て驚いた。上りで20分割り、下りて来て今年に入ってからの壁35分を割ることは予想していたが、ここまで伸びているのは想定外だった。

入念に準備体操をする。足入れなども異なるが、何よりも紐の締まり方が違う。包まれる感じなので結構強く締めた。靴の性能を見るためだ。そのためか走り出して暫くして下からの突き上げを感じるようになった。それでも痛い訳ではない。そしてなによりも走り出しと同時に高下駄効果を確認した。高みからピッチが伸びる感じて歩幅が伸びて早く移動している感じである。これならばと思い攻めるが、反発力で楽に走れている訳でもない、そして足元の感じは可成り跳ね返りがあって、爪先走りであると、その分揺らされる感じがある。それでもしっかりと上から加重出来ている。想像していたのはもう少しクッション効果で沈むと思っていたが異なり、少なくとも爪先走りではしっかりと足元を定めていかないといけない。その分蹴りは問題なく効いている。

そのような感じで加速感はなく、結構苦しい思いをしたが攻める走りとなった。折角の新しい靴であるから充分に使い込みたいという気持ちも強く、動機づけとなる。上り最後の直線となって、なんとしても20分を割りたいと思ったので、ここで加速しようとするが思うようにならなかった。そして下り入っても結構苦しくスピードに乗らない。その分、足元の感じを確認しながら走る。流石に下りになると硬めの靴が気持ちよいが、それでも思っていたようなクッションを感じない。寧ろ左右の安定と蹴りが入りやすい感じで、攻めようと感じさせるが、体が中々ついていかない。それでもある程度の速度では走れた感じがあって、実際に時速10㎞を超えて長く走れた。

懸案の窪みなどは同じような感じで左右の安定性で乗り切れ、それどころか左右への移動でも足を挫きそうにならない。想定以上である。駐車場に下りて来て息を整える。気温は摂氏8度を超えていた。最後の下りで少しばかり腰の張りを感じたが、今までの靴であったら腰を痛めて駄目だったと思った。

新しい靴は完全なメジャーチェンジだった。これを履きつけるともはや古いタイプには戻れないかもしれない。これほどの高下駄効果と左右への安定性は予想していなかった。ガシガシと悪路を乗り越えていく靴かと思ったが、実は可成り細かく足元を操作していかないといけなくて、攻める楽しみのある攻撃的な靴だと分かった。車で言えばBMWである。カラーリングからしてもALPINAだろうか?なにか久しぶりに攻撃的なBMWにも乗ってみたくなるような靴である。汗びっしょりになった。



参照:
足元からパワーアップ 2015-04-29 | アウトドーア・環境
待望のランニングシューズ 2017-03-22 | アウトドーア・環境
ポルノオペラは御免だ 2016-11-22 | 音
新フォームで記録に挑戦 2015-12-17 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-03-23 23:13 | アウトドーア・環境 | Trackback

時間が無くて焦る日々

車中のラディオは、今週末に選挙があるとするとザールランド州では赤赤のSPDとLINKSの連立政権が生まれるとの世論調査が紹介されていた。その状況が全州に通じるかどうかというと必ずしもそうではないというのだ。ザールランド州は、ラフォンテーヌ元州知事の影響で左翼が強く、SPDが現在高評価になっていることが積み重なったものとされる。メルケル首相も二重国籍は避けるような方針を語ったことから、トルコ系だけでなくリベラル層は若干逃げているかもしれない。しかし国籍条項位でAfD支持者がCDUに戻ってくることは考えにくい。

明日はベルリンから二日目のコンサートの放送がある。ハフナーと悲愴の両交響曲をお勉強しないといけない。そして思い出したのは、バーデンバーデンでそのコンサートの翌日にはマーラーの第六交響曲があるのだった。つまり少なくとも三曲を勉強しておかないといけないのに気が付かなかった。いつものことであるが、まだまだ時間があると思っていると、八月三十一日状態にいつも陥ってしまうのである。ちょっと焦りだした。22日のコンサートが放送されないことの背景で気が付いたことがある。今回はデジタルコンサートが映画館などでも有料で放映されることで、23日は中継転送技術的にもかなり力が入っているのは確かである。副調整室の方はラディオ放送と映画館向きは異なると思われるが、同じマイクロフォンを使うのであるから、通常以上に手間をかけることになっているのだろうか。

冬タイヤの交換の日程は定めた。それまでにブレーキディスク交換とはなりそうにないので、ちびた夏タイヤで暫く走ることになる。車も古くなってきているので、金を掛けずに何処まで上手に走るかになって来た。次の車も気になるところであるが、現在の走っている車でこれといったものが無いので、近々モデルチェンジなどがあったとしても、落ち着くまで数年は掛かるので、それまでは今の車を引っ張らなければいけない。すると二十年ほど古い車に乗ることになってしまう。オールドタイマーになると中古車でもまた高く売れるかもしれない。雪道走行の後の洗車をしなかったので錆びだけを出してしまったのが惜しまれる。次に車を買ったら留意する点である。



参照:
否応なしの動機付け 2017-03-19 | 生活
復活祭音楽祭ペトレンコ登場 2016-03-19 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-03-23 03:05 | 生活 | Trackback

待望のランニングシューズ

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待望のトレイルランニングシューズが届いた。早速足を入れてみた。皆が語るように踵が若干高下駄感覚だ。そして踵部と蹴り足の部分が分かれている感じがあって、ローリングシステムと呼ばれる底の形状が使い易そうだ。同時に岩場で求められる爪先の加重感覚がはっきりする。気になるのは、今までとサイズは一緒なのだが、爪先荷重がより出来るものだから、もう一つ小さければ岩登りも出来たのではないかと思うことだ。つまり、もしもう一つ下のサイズだったらどうだったろうかという懐疑である。

現在の靴で塗装道路をダッシュしてみた。全く感じが異なる。塗装道路ではスピードが簡単に出るのである。そして爪先が上手く当たる。今度のモデルMTR201IIMAXはライケル・マムートのトレイルランニングシューズとしては最もハードな感じである。しかし実測計右324G左332Gと現在使っているMTR201ProLowと同じである。つまり底を分厚くした分だけ他を軽量化していることになる。そして、なんとメードインチャイナからヴィエトナムに変わっている。これは驚いた。シナでの生産に経済面だけでなく他にも限界を感じたのだろうか?

爪先の蹴りの反発力もあり、同時に下りで山靴のように爪先に負担を掛けずに降れそうだが ― もちろんリュックサックを担いでの入山下山には都合が良いが ―、登りでの蹴りが無駄なく入るか、それは試してみなければ分からない。爪先のボックスの容量が増やされたのは間違いないので、サイズを小さめにするとそこにあたるとしても今まで以上に硬い。すると蹴りの時に無駄が出なくても抵抗が増えるような気もする。どちらかと言うと車で言えば、BMWよりもメルセデスといった感じである。

改良された細くなった締め紐の構造はとても良さそうで、今までとは違って締め上げると全体にフィット感が上がる。靴べろの素材などに改良が見られる。またいつも剥がれて来る踵の支えが剥がれ難い形状に変わっていて、更に踵が強化された素材になっている。山小屋などで暗闇で履くときは踵が入れ難くはなったが、靴の踵を踏むようなこともなくなるだろう。

沢往復は25分10秒、往路11分代で復路が頑張った筈だが伸びなかった。まだ疲れが残っていたのだろうか。スピードコースは、上りは7分台、下りて来て15分52秒とこれはまずまず。新しい靴で峠を攻めてみたい。現在の靴はサイズ42で丁度だった。さて今度はどうなるだろうか?



参照:
トレイルランニング準備 2017-03-01 | アウトドーア・環境
否応なしの動機付け 2017-03-19 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-03-21 21:33 | アウトドーア・環境 | Trackback

待望のランニングシューズ

車中のラディオは、ハノヴァーでのCeBit開催開会の様子が流れていた。メルケル首相の話しに続いて、ゲスト国安倍首相の挨拶も流された。新聞を読むと合衆国とEUの関係はイラク侵攻時のシュレーダー首相とワシントンとの関係以上に悪いかもしれない。安倍首相は合衆国側の手先として何をしようというのだろうか?

2018年復活祭音楽祭のティケットを予約した。本当はキリル・ペトレンコ指揮のスーパーオペラを待望していたが、ミュンヘンの劇場のカーネギーホール初登場となれば仕方がない。一時はムーティー指揮「オテロ」が候補に挙がっていたとされるが、そうなるとサイモン・ラトルが結局引き受けたということになる。実際にロンドンと往復であるから、それほどこちらで時間を作る予定はなかったと思うが、2017年秋の極東旅行といい適当な代わりがいないということなのだろうか?

2018年は、「パルシファル」のサイモン・ラトル以外には指揮者としてダニエル・ハーディングとイヴァン・フィッシャーがコンサートで登場する。プログラムなどを見ると結局ラトル指揮の一夜が最も興味深く、その他は保養地向けの客演指揮者のポピュラーコンサートのような感じになっている。

「パルシファル」公演は、ピエール・ブーレーズ指揮でバイロイトで体験してからは一度も出かけていないが、いつかはペトレンコ指揮で思う存分勉強出来るものだと思っていた。正直ラトル指揮のオペラはもう十分だと考えていたのだが、「グレの歌」で素晴らしかったステファン・グールドの歌で、ディーター・ドルン演出ならば、59ユーロで買わずにはいられなかった。ペトレンコがこの舞台神聖劇を振るのは「トリスタン」などの後になると思われるので、その比較のためにもラトル指揮で体験しておくのも悪くはないだろう。いずれにしても個人的にはヴァークナーの中では、ケント・ナガノ指揮のものも含めて、最も体験回数の多い作品である。

実は密かにより期待しているのは、「ドン・ファン」、ベルク「七つの歌曲」、ラヴェル「シェーラザード」と「ペトローシュカ」のプログラムである。なぜかこのコンサートだけ入場料が5%かた高価になっている。39ユーロは安くはないが、ベルリンの本拠地よりは音響的にもお得だ。ソリストのギャラの影響でも無し、アンサムブルの大きさでもない。演奏時間が長目だろうか?後任のペトレンコでこのプログラミングはあまり考えられないので、前音楽監督の含蓄を示してくれるのではないかと大変期待しているのだ。

序に、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートのティケットを購入した。保守的なプログラムであるが、五月のヴィーナーフィルハーモニカ―を振るブロムシュテット指揮に期待してのことだが、先ずは五月にライヴで聞いてみないと分からない。それでも放送などの動画を見ると保守的であっても、もしかするとそれ以上の体験ができるのではないかと期待している。ゲヴァントハウスの管弦楽団も昔のクルト・マズーア時代とは違って、独自の伝統を将来へと引き継ごうとする意思は、前任のリカルド・シャイーやアンドリス・ネルソンズに監督を託す姿勢にも窺い知れるので、ドレスデンの座付き管弦楽団よりも面白いのではないかと考えるようになった。兎に角、ライプチッヒまでコンサートやオペラに行くような予定はなく、近場で19ユーロで聞けるならば買わずにはいられない。フランクフルトはもとより、ミュンヘンでもベルリンでもこれほどの高品質の音響でこれだけお安くこのようなプログラムを楽しめるところはどこにもない。どうも2017年に続いて2018年も可成り良い席が極安で入手できた。

先日バーデン・バーデンで開催されたG20は、合衆国の無理強いで殆んど壊滅状態になったと言われているが、ク―アハウスを中心にして開催されて町の人は不便もあったようだが、利点もあった筈だと書かれている。観光の保養地であり、世界に名前がアナウンスされることは決して悪くはない。考えてみれば今やクーアハウスのベナツェトザールや歴史的劇場、そして祝祭劇場、容れ物は十分であり、こうした国際会議においてはアルプスの小国のザルツブルクとは異なる。フランス語も通じやすく、ロシア語も強みであろう。



参照:
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
復活祭音楽祭ペトレンコ登場 2016-03-19 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-03-21 21:32 | アウトドーア・環境 | Trackback

お得なバーデン・バーデン

車中のラディオは、ハノヴァーでのCeBit開催開会の様子が流れていた。メルケル首相の話しに続いて、ゲスト国安倍首相の挨拶も流された。新聞を読むと合衆国とEUの関係はイラク侵攻時のシュレーダー首相とワシントンとの関係以上に悪いかもしれない。安倍首相は合衆国側の手先として何をしようというのだろうか?

2018年復活祭音楽祭のティケットを予約した。本当はキリル・ペトレンコ指揮のスーパーオペラを待望していたが、ミュンヘンの劇場のカーネギーホール初登場となれば仕方がない。一時はムーティー指揮「オテロ」が候補に挙がっていたとされるが、そうなるとサイモン・ラトルが結局引き受けたということになる。実際にロンドンと往復であるから、それほどこちらで時間を作る予定はなかったと思うが、2017年秋の極東旅行といい適当な代わりがいないということなのだろうか?

2018年は、「パルシファル」のサイモン・ラトル以外には指揮者としてダニエル・ハーディングとイヴァン・フィッシャーがコンサートで登場する。プログラムなどを見ると結局ラトル指揮の一夜が最も興味深く、その他は保養地向けの客演指揮者のポピュラーコンサートのような感じになっている。

「パルシファル」公演は、ピエール・ブーレーズ指揮でバイロイトで体験してからは一度も出かけていないが、いつかはペトレンコ指揮で思う存分勉強出来るものだと思っていた。正直ラトル指揮のオペラはもう十分だと考えていたのだが、「グレの歌」で素晴らしかったステファン・グールドの歌で、ディーター・ドルン演出ならば、59ユーロなら買わずにはいられなかった。ペトレンコがこの舞台神聖劇を振るのは「トリスタン」などの後になると思われるので、その比較のためにもラトル指揮で体験しておくのも悪くはないだろう。いずれにしても個人的にはヴァークナーの中では、ケント・ナガノ指揮のものも含めて、最も体験回数の多い作品である。

実は密かにより期待しているのは、「ドン・ファン」、ベルク「七つの歌曲」、ラヴェル「シェーラザード」と「ペトローシュカ」のプログラムである。なぜかこのコンサートだけ入場料が5%かた高価になっている。39ユーロは安くはないが、ベルリンの本拠地よりは音響的にもお得だ。ソリストのギャラでも無し、アンサムブルの大きさでもない。演奏時間が長目だろうか?後任のペトレンコでこのプログラミングはあまり考えられないので、前音楽監督の含蓄を示してくれるのではないかと大変期待しているのだ。

序に、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートのティケットを購入した。保守的なプログラムであるが、五月のヴィーナーフィルハーモニカ―を振るブロムシュテット指揮に期待してのことだが、先ずは五月にライヴで聞いてみないと分からない。それでも放送などの動画を見ると保守的であってももしかするとそれ以上の体験ができるのではないかと期待している。ゲヴァントハウスの管弦楽団も昔のクルト・マズーア時代とは違って、独自の伝統を将来へと引き継ごうとする努力は、前任のリカルド・シャイーやアンドリス・ネルソンズに監督を託す姿勢が見えるので、ドレスデンの座付き管弦楽団よりも面白いのではないかと考えるようになった。兎に角、ライプチッヒまでコンサートやオペラに行くような予定はないので、近場で19ユーロで聞けるならば買わずにはいられない。フランクフルトはもとより、ミュンヘンでもベルリンでもこれほどの高品質の音響でこれだけお安くこのようなプログラムを楽しめるところはどこにもない。どうも2017年に続いて2018年も可成り良い席が極安で入手できた。

先日バーデン・バーデンで開催されたG20は、合衆国の無理強いで殆んど壊滅状態になったと言われているが、ク―アハウスを中心にして開催されて町の人は不便もあったようだが、利点もあった筈だと書かれている。観光の保養地であり、世界に名前がアナウンスされることは決して悪くはない。考えてみれば今やクーアハウスのベナツェトザールや歴史的劇場、そして祝祭劇場、容れ物は十分であり、こうした国際会議においてはアルプスの小国のザルツブルクとは異なる。フランス語も通じやすく、ロシア語も強みであろう。



参照:
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
復活祭音楽祭ペトレンコ登場 2016-03-19 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-03-20 20:01 | 生活 | Trackback

ロールオーヴァーべートヴェン

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チャック・ベリー死亡の記事があった。名前だけは聞いている。まだ生きているとは知らなかった。代表作の一つとされる「ロールオヴァーベートーヴェン」のヴィデオを観た。なるほどと思った。1950年代である。20世紀後半においてはベートーヴェンの音楽などは直截的な芸術的な意味などはもはやなかった。その意味では、作曲家ブーレーズが指揮した運命交響曲などの演奏よりもこのロックの方がベートーヴェンの名声への20世紀後半におけるリヴァイヴァルだったのかもしれないのである。

朝起きて、雨が降っていなかったので、山登りコースを走ろうかと思ってトイレに向かったが腰の張りに気が付いた。木曜日以降疲れが取れていないどころか可成り後遺症がある。まだまだ力が入らない。新しいシューズが届いて天気さえ良ければ、夏時間までには走る機会がある。無理する必要はないと断念した。

今年初めて行者大蒜を購入した。一束の価格は同じだったが量が手頃になった。暖かくなったからだが、更に暖かくなると量が増えすぎて味も涼しさが無くなって来る。所謂草生した感じに近くなるのだ。早速ペストを作ってスパゲティーにした。癖もそれほどではなくとても楽しめた。新鮮な感じがとても良い。御初物がこうして楽しめるのが嬉しい。

先日、リースリングを探して、フォンブール醸造所のペッヒシュタイン2011年を開けた。その前にウンゲホイヤーを昨夏に開けていた。瓶を開けた初日は分厚くて、果実風味は感じてもミネラルを感じられなかった。そしてあくる日になると全く変わっていた。バサルト土壌らしい抑えられた果実風味に代わっていて、明らかにミネラルが感じられた。そしてあの膨らんでぶくぶくした感じが可憐に変わっていて、ルーヴァ―の昔のカルトホイザ―醸造所のリースリングのように静かささえ感じられた。当時のフォンブールは試飲の時からペッヒシュタインのエレガントさはなかなかであったのだ。そして2011年の難しい年度に関わらずある程度の成果を出している。特に過熟成果実の肥大な2011年の場合ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のものがまだまだ飲めるような熟成をしていないので驚かされるのだ。



参照:
倭人を名乗るのは替え玉か 2016-07-04 | 歴史・時事
休肝日が続く今日この頃 2011-03-08 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-03-19 22:40 | 雑感 | Trackback

否応なしの動機付け

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ボールダー二日目は十二分に厳しかった。朝峠攻めのランニングをしたのは関係ないと思うが、全く力が入らなかった。出かけに予想しない税金請求が入っていたのも意気消沈させた。その法人税は払わないでいいのもにしても、地元の共同体が試してみようと思って税金を請求するのが不愉快だった。そのような塩梅で、出かける前はきっと上手くいくと思った課題の数々が全く解決できなかった。座り込んでマットの上に寝転んでシューズを見ていると、破れを二か所、踵の支えの外れ出しを複数などを発見してしまった。そして靴底は右側の土踏まずから蹴りに掛かる外側が特に摩耗していた ― 更に左足の踵を擦っている。今まではなかったので ― 古い靴にはその傾向はない、半年以上左膝を故障させて走っていた時にバランスが崩れていたのだろうと思う。そして足首の当たるところなどのテキスタイルがすれて草臥れ解れていていて、この靴の寿命が来たことを悟った。購入したのが2015年4月末であるから少なくとも二年近くは使っている。初代のモデルからすると寿命が倍々になっている。98ユーロで購入したようだ。仕方がない新モデル101ユーロなら買いだろう。四年使えるとは思わないが、二年使えれば御の字だ。

新モデルは、山靴に近いフォームで、土踏まずが大分絞られている感じがする。そして踵が楔形に大分高くなっていて、ショックアブソーバ機能が強化されている。走りには視覚的にも感覚的にも懐疑されたようだが、実際に岩山などを走るととても良いとある。実際に、今まで靴であると林道を走って下りるときも爪先だけでなく、突起があると本格的に走るととても地面からの反発が厳しく、石などで思い切り痛い思いをする。新しいシューズで間違いなくこれでまた攻めて走るモティヴェーションが上がるだろう、楽しみだ。

そろそろ復活祭音楽祭のお勉強を仕上げないといけない。バーデンバーデンにはまだ時間があるが、来週にはベルリンで同じプログラムが演奏されてラディオ放送される。デジタルコンサートと同時放送で二日目の23日分が放送されるので、22日分は公開されない。デジタルコンサートの方は映像があってなかなかライヴでの再生が難しいので、録画を観るつもりである。よって、お勉強を一度仕上げないといけないのだ。悲愴交響曲はすでに素材を準備したが、ハフナー交響曲の方は楽譜を先ずダウンロードする。音源は手元には二種類ぐらいしかない。ドレスデンとヴィ-ンの座付き管弦楽団のものなので、古楽器楽団か何かのものをもう一つネットで探してみよう。キリル・ペトレンコ指揮の「ティートスの寛容」は全曲のヴィデオがあるので、どのようなアプローチかは想像可能である。そもそもハフナー交響曲を生で聞いた記憶が無い。もしかするとザルツブルクのマティネーで?それもムーティー指揮だろうか?



参照:
足元からパワーアップ 2015-04-29 | アウトドーア・環境
消えた踵のエラ張り 2014-01-31 | 雑感
三段論法で評価する 2017-02-28 | 文化一般
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# by pfaelzerwein | 2017-03-18 21:02 | 生活 | Trackback

ヴィスコースジェルの座布団

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モニターの高さに合わして椅子のクッションを購入した。二種類を発注して、最終的に最初に発注した方を購入することにして、二つ目を送り返す。二つ目を発注したのは、一つ目が椅子の大きさよりも大分小さく、太ももが外に出てしまうからだった。そこで3㎝ほど幅の広い二つ目を発注したがカヴァーの材質が写真にあったように悪く、そして中の素材が普通のウレタンだった。座ると全く弾き返されるような感じであり、カヴァーの素材と合わせてこれは夏は暑苦しいと思った。

そこで一つ目のものを比較すると、カヴァーはメッシュで空気が通りやすく、中の素材はヴィスコースジェルなのだ。初めて使う素材で知らなかった。NASAの開発とかいろいろ書いてあるが、使ってみなければ結論は出せない。特徴は、可塑性が良いのだが秒単位で元の形状に戻る形状記憶の機能があるようで、結果3Dフィッティングとなることだ。つまりそこに座るとお尻の形がそこに形作られて、立ち上がると再び瞬く間に元に戻る。

従来のウレタン系と比べると弾かれるような感じではなく包まれるようになるので、支えは良いのだが、密着性が良くなるので、空気が上手く抜けてくれるかどうかが大きな問題である。だからメッシュの生地のカヴァーになっていて、その効果を期待したい。例えばベットなどであるとある程度硬めに調整していないと寝返りが打てなくなるだろう。兎に角、座布団で試してみよう。最初に問題になった大きさは、抑え込んでしまえば太腿の形も形成されて、横にも広がる感じになるのであまり問題にならなくなった。昔の古くよれよれになった綿の座布団を椅子の上に置いているような、ちょっとだらしない感じも感じられるぐらいである。高さは9㎝あるのだが、座ると半分ぐらいの高さになるので、モニターの高さからすると丁度良い。椅子の高さ調整が壊れていてもそれぐらいの高さはこうしてこれで稼げるのである。

夏の通風感以外にも、腰痛への好影響とか、姿勢がどうなるかなどのチェックポインツは多いが、車椅子向けに開発されていることを考えると長く座っていることには問題が無いのだろう。但しトラックの運転手などは全然駄目だというのは、運転している時の姿勢の変化と車いすの走行などは違うからだろう。少なくとも姿勢を動かすとなると次に姿勢で納まるまでは抵抗があるので姿勢が自由になるクッションではない。しかし同じ姿勢を長くとっていても鬱血などがし難いという特徴があるのだろう。



参照:
トレイルランニング準備 2017-03-01 | アウトドーア・環境
フリッカーフリーの実感 2016-08-24 | テクニック
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# by pfaelzerwein | 2017-03-17 20:41 | テクニック | Trackback

ボールダーリング事始め

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今年初めてのボールダーリングだった。夕方になっても摂氏16度ぐらいだったので、試さずにはいられなかった。自転車や二輪は通るがハイキングの人は見かけなかった。駐車場に着いたのは16時前だったので、一時間以上簡単なものから肩慣らしをした。ロッホムスターやその横のカンテなど完璧ではなくても強引に登れるのが良かった。靴に足を入れて苦しくはなかったが、爪先に荷重するとやはり厳しかった。それでも一年前よりは楽になっている。少なくとも一課題づつは熟せそうだ。踵の辺りなどがきついのは足の方が慣れていないからだろう。そこで三課題を熟して、変化をつけて四回登り、ロコモティーヴを一発で完璧に熟した。これ程簡単に熟せたのは初めてだと思う。指先もうまい具合に摩擦が効いた。岩の状態がすごく良かったのだろう。その勢いで正面の突破を試みるが上部の手掛かりが分からずに安全を期してクライミングダウンした。頭からひっくり返ると怖い。そこで初めてウォーミングアップ課題を試すが、力尽きた。最初から飛ばし過ぎたのだろう。それでも飛ばせるというのはとても得難いことで、瞬発力が出るのは素晴らしい。帰宅後計量するがそれほど軽くはなく71㎏を超えていたので、筋力も落ちていないということだろう。考えられるのは左膝の調子も良くなったので体全体の切れが良くなって、斜面を下りるときでも昨年のように年寄りのような動きにならない。やはり昨年は怪我が影響していたようだ。兎に角怪我に注意して乗り越える必要がある。幸先の良いスタートで、寒くも暑くもない陽射しの中で体を動かした。

帰ろうとして手を洗っていたら車がやって来た。昔山崎製パンに機械設置したパン親方である。年が明けて初めて顔を見る。一月末から二月にかけて二週間ほどケープタウンに滞在していたらしい。テーブルロックを登って来たと話していた。コンドールで700ユーロで往復してきたらしい。ホテルもブッキングコムで予約したらしく、食事は安く、15ユーロでワインとステーキを食べれると話していた。日本人も沢山来ていたというのでシナ人ではないかと尋ねたが確証はなさそうだった。オランダ人の金髪の大きな奴が沢山だと小柄の親方が話していた。

前日の疲れを感じながら、朝起きして峠攻めのコースを走った。気温は摂氏3度ぐらいだったが、陽射しが強く気持ちよい。パンツを脱いで入念に前日の筋肉をほぐしてから走り出す。朝一番であるのでペースを加減して走ったが、昨晩も運動しているので体の切れが良い。途中でもう一つ負荷を掛けても良いかと思ったが、晩には再びボールダーに出かけたいので抑えた。それでも峠に20分31秒であるから前回よりは少し遅かっただけである。下ってきて、32分41秒は昨秋の10月以来の早さである。上りを再び短縮すれば再び31分台に持ち込める。寒くも暑くもないこの季節で空気さえ乾いていれば秋に続いて記録を狙えるだろう。ちびっている靴底だけが少し残念である。



参照:
釣べ落としの秋の競争曲 2016-10-02 | 暦
秘められた恋の温もり 2017-03-12 | 女
自己記録のゴールドラッシュ 2016-10-24 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-16 20:47 | アウトドーア・環境 | Trackback

日本人妻たち対慰安婦たち

みんなのブログ欄からBLOG「拝啓 福沢諭吉様」に入った。所謂ネトウヨサイトというものだろう。そこから今年になってから話題になっていた欧州初の「慰安婦像」設置に関するリンクを辿っていくと面白いサイトに到達した。「なでしこアクション」という日本会議風の活動サイトである。ネットで「ドイツの慰安婦像」については聞いていたが興味が無いので詳しくは知らなかった。そしてこのサイトを見てどのような運動が行われているかがよく分かった。私自身の立場もあり知っておくべき内容だった。

フランクフルターアルゲマイネ新聞で「日本会議の研究」の著者菅野氏が取り上げられてから、その名前が頭に入っていたので、先日の籠池氏記者会見風景からその活躍ぶりを注視していた ― IWJのまとめサイトの情報なども実際には菅野氏の取材情報が流用されていたようである。そして独占インタヴューのヴィデオもYOUTUBEで最初の450回目以内の呼び出しで観ることが出来た。それは大臣の首を一つ獲るほどの事件報道としては大した仕事だった。そして、左翼のシムポジウムでの講演を聞いて、外国人特派員協会での籠池氏の会見が待たれた。目覚ましを掛けて就寝したが残念ながら延期になった。

既に述べたようにこれを機に世界中に外報が流されて、恐らく安倍内閣辞職への詰めへの一手が示されると思っただけに残念だった。まさに一挙手一投足が注目されるところで、一挙手遅れると籠池氏のような人が逮捕されたり、国税庁長官迫田のような人物が訴追されるのか、それとも誰かが脱税で家宅捜査されるのか、更なる変死者が出るのかなどと局面が変わって来るのだろう。兎に角、安倍晋三がやってきた政治手法は海外でも有名であり、トルコのエルドアン大統領のように法規を逸脱した人治主義の政治家であるから、何をしでかすか分からない。

菅野氏の講演で特に興味深かったのは、日本会議をそこいらのマッチョな政治好きのおっさんたちのネトウヨ団体として捉えていて、それ故にフェミニズムを感じさせる慰安婦問題が最も大きな声になっているというところである。我々からすると今時女性同権の運動などは大きな課題などとは思っていなかったので、まさかあれだけの右翼の市民運動であり、国政を動かしている日本会議がそれほど下らないもので、まさしく反被差別運動へのアンチテーゼということで在特会と根を同じくする活動だとは気が付かなかった ― 恐らくそれは菅野氏のような被差別側の視線を持ち合わせることでしかなかなか気が付かないのかもしれない。

そこで前記のオバープファルツにあるヴィーゼントの私有公園への慰安婦像の設置、そしてフライブルク市への設置の断念などについて書かれているサイトを興味深く覗いた。特にフライブルク市に関しては無関係でもないので経緯が気になっていたことでもあり、そのサイトにあるバディシ新聞の市長へのインタヴュー記事を読んだ。勿論、念のために原文を、幸運にも残っていた新聞社のサイトで読んだ。そしてこのインタヴュー記事を添えてドイツの当局や当事者に設置しないようにと運動を展開していこうと意気込む活動の馬鹿さ加減に呆れた。

ザロモン市長はインタヴューで極常識的な見識を語っている。つまり、友好都市であるスオン市との関係から平和を願う慰安婦像を受け入れようとしたのだが、知らされぬままに「野壺に落とされたようなものだ」と怒っている。つまり、嘗てトルコ人とクルド人が連邦共和国内で闘争したように、朝鮮と日本の争いごとに巻き込まれて非常に不愉快だと表現している。しかし最も肝心な一節は、日本の友好都市である松山や日本領事館そして世界中の日本人から反対運動の攻撃を受けて、「日本や米国やドイツ国内の日本人から受け取ったメールは、日本社会が暗黒時代のこの歴史を十二分に整理しているという希望を抱かせるには至りませんでした。慰安婦問題はインターネットの陰謀論などではないのです。日本政府も朝鮮人婦人の被った苦悩を正式に謝罪して、補償の為の財団を設立しているのですよ。」と、日本社会が慰安婦問題において歴史に向かいあえていないことを嘆いている。そこを、このサイトの日本語訳は、全く反対に訳している。

この市長のこうした考え方は当然で ― 名前がユダヤ系であることを示している ―、「ドイツでも我々が暗い歴史に立ち向かうことがどれほどに苦しいプロセスであるかということを学んでいて」とその意味合いを強調しているのだ。それ故に「戦時下での婦女への暴行はなにも日本の刻印をおされるものではなくて、二十年前のユーゴスラヴィアでのドイツ国防軍、ISにおけるヤジリへのそれなど起こっているのです。だからこの像が優れた警示となるべきだったのです。」とまで語っている。要するに日本側からの抗議で酷い目にあったということでもある。それさえなければ、今も日韓の中での大きな外交問題であるとは知らなかったということである。

兎に角、ここに相当する「異訳の誤魔化し」は各自に確かめてもらうとして、この運動をしている日本人らしき日本人妻の人々がこのインタヴュー記事を添えて抗議しろと息巻いているのを見ると、あの慰安婦像を運動をしている朝鮮人と変わらない位馬鹿な人々であるのが一目瞭然で、なるほどなと思わせる。真面な日本人や朝鮮人からすればこのような双方の運動自体が恥さらしなことは明らかなのだが、昔ならばこうした声が外交の場で反映することはなかったのだろうが、通信や交通の発展で三級市民の声も直接間接に外交にまで影響するということなのだろう。こうした現状があるからこそもはや嘗ての国の概念や国籍条項などは意味を失ってきているということでしかないのである。



参照:
日本国民への警鐘 2017-02-22 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-03-15 19:26 | | Trackback

多重国籍の奨めと被選挙権

スピードコースをショーツ姿で走る。上り7分20秒、下りて来て15分30秒はまだまだだ。それでも大分調子は上向いていて、走れるようになってきている。森の中を登り乍ら足元に幾つも木屑らしきが落ちているのを見かけた。上りで10箇所ぐらいあった。樵が仕事した様子ではないのだが、なぜ道沿いに点在しているかを考えながら走っていた。道沿いは森が開いているところで、その面は光が入るので啓蟄が早いのだと感じたが、方向は斜面が北向き斜面なので木の向きは想像していたように南向きではない。それでも風が抜けて春の訪れが早いのだろう。兎に角、木屑を落としたのはキツツキとしか思われない。それにしても木屑の量が掴めるような量なので、あれだけ音を立てて仕事をしているのだから、それぐらいは削れるようだ。仕事量に見合ったよほど美味いものにありつけるのだろうと想像する。

車中のラディオはメルケル首相のワシントン訪問や中共の会社による空港買取の話に並んで、トリアーへの中共政府によるマルクス像の献呈の話があった。6メートルもの巨大な像を立てるのはどうかということで、せめてエンゲルス像の3メートルなら許可しようという話である。トリアーのようなローマ人の古い街に巨大なマルクス像は似合わないのは確かだ。トリアーも無下に断れない。なぜならばシナからの観光客はマルクス目当てにトリアーに押し寄せるのであり、最も大切な観光客だからである。

もう一つは一連のトルコ政府と連邦共和国並びにEUとの非友好的な関係の激化に伴う一環として、どうしても国籍も選挙権もある在独トルコ人のステータスが話題になっていた。要は、ごく一般化する二重国籍などへの見識が求められる時点になってきており、恐らくそれへの認識がここにて広がる気配があるということだ。これからの世界は二重国籍はもとより、両親が二重国籍保持者となれば五重国籍位はあり得ると考えるのが普通である。個人的には保守的な考えからそのようなことなど考えていなくて、二重国籍よりも無国籍の方が理想的と考えていた方であるが、もはやこの流れには逆らうことが出来ない現実になってきている。

問題は今回のトルコの選挙や国民投票に係る選挙権である。個人的には、今後は国籍よりも納税の義務をつまり居住地を重視すべきと考える。年に半年以上居住する社会での選挙権を第一義的に与えるべきだ。要するに逆に国籍があっても海外での投票などは認めないのを基本とするのである。これに従えば在独トルコ人はドイツで選挙すべきで、トルコの選挙には関係が無くなる。より問題になるのは被選挙権であろう。



参照:
移り変わりの激しい日々 2017-03-03 | 雑感
不法移民、強制退去の祖父 2016-11-25 | 歴史・時事
ありのままを受容する 2016-09-24 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-03-14 21:37 | 歴史・時事 | Trackback

核廃棄物最終処分の戯けた法制化

土曜日にはアーモンドが咲いていた。来週にはギメルディンゲンのアーモンド祭り開催で間違いないだろう。森の中はまだ摂氏5度だったが、陽射しに誘われてパンツを脱いでTシャツでと全く真夏と同然の姿で沢沿いを走った。それでも奥に入ると空気が冷たくて手足が凍り付くような感じになった。木材を運び出すトラックや車など往復三台の車をやり過ごしたためか、往路11分20秒、往復24分56秒で、全く気持ちほど早くは走れなかった。やはり足元が気になるようになってきたので逸早くせめて送料分ぐらいの安売りで新シューズを購入したいのだ。

先週の新聞にはドイツ連邦共和国においても漸く高濃度核廃棄物最終処分が今月中に法律化されるとあった。最終処理とは十万年を指し、五百年後に埋めかえるのだ。このような戯けた法案が現実主義のドイツでも通るのは、如何に原子力発電というものが合理的なエネルギー政策からはかけ離れた、軍事的な目的をもって稼働されたかということかの証明ではないか。2031年までに全原子力発電所は停止されるがそれまでは新たに核廃棄物を増産することになる。

そしてそれらが中間貯蔵されて、長期保存されるところが定められることになる。これまでの塩岩土壌での試験結果から、もはやその土壌の特性は限られる必要が無いことが分かり、今まで挙がっていた候補地よりも広範囲に最終貯蔵地が探されることになるという。全く馬鹿げた廃棄処分であり、五百年先の高度な科学技術に期待するというのだから話にならない。原子力発電自体が非科学的な手段であったことが歴史的に確定される。

福島県におけるホールボディーカウンターの結果の話が日本のネットに載っていた。そこでは子供などにはもはやセシウムの影響が検出されないということだった。なるほどグラフを見ると、春先と秋に大人を中心として検出されている。当初はプルームによる直接の吸入があったようだが、それは半減期の三年も待たずに落ちていて、土壌などに定着してしまっていたのがそのグラフで想像出来る。そして、季節時には茸や森の食料から一部の人が強い内部汚染を繰り返していたのが想像できた。子供たちはそうした野趣あふれるものを口に入れることも少なかったのだろう。聞くところによると汚染地域ほど食料への配慮などがされていると聞くので、福島県の中で小売りされている飲食物は比較的安全なのだろうと思う。それでもその規制値は決して金を出すような代物に相当する値ではない。

沖縄やマイノリティーを中傷、嘲笑する番組の検証番組とかをネットでやっていた。問題の核心は分かっているつもりだったが、実際に見て驚いた。検証番組ではなくて更に中傷誹謗を強化していたようだ。なによりも若い女が乳の谷を見せるようにしてゲラゲラと笑う悪質下劣なショー番組で、あれをアメリカナイズというのだろうか - 「性の悦びを知りやがって、何がグラドルだ!」。それも有線放送のアングラ番組程度であった。流石に世界のメディアの中での後進国日本の姿をまざまざと見る思いだった。嘗てはお色気番組の11PMでもなんでも遥かに高尚だったと思う。兎に角、同じ人が出ていてもチャンネル桜の方が遥かに真面で為になるネット放送である。要するにサプリメントを購入して、TVなど観ている市民は三級市民ということなのだろう。

それにしても数少ない許認可を受けた放送局が正々堂々とドイツでいえばAfDのような政治思想をジャーナリズム顔をして、メディア批判を含めて、少数派弱者批判を放送するのを許しておけば、いづればユーゴスラヴィアなどと同じように民族浄化へと突き進むことは間違いない。もし日本がEUに存在していたならばもはやこれを看過しておくことはないだろう。



参照:
Endgültiger Lagerplatz für Atommüll gesucht, FAZ vom 9.3.2017
三段論法で評価する 2017-02-28 | 文化一般
廃炉、最終処分の費用分担 2016-05-05 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-14 00:16 | アウトドーア・環境 | Trackback

ラズベリーのアップグレード

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記念切手を注文した。久方ぶりだ。調べると前回は一昨年らしい。昨年は記念年になる興味のある事柄が殆んどなかったようだ。それでも一年遡って、昨年発行の自然シリーズのザクセンのアルプス砂岩地方の切手を購入した。45セントで使い易いことと、一昨年のプファルツと並んでこれも揃えておきたかった。昨年中の博物館開館もあったのでフェルメールの名画「ワイングラスを持った少女」が発行になりこれも買った。70セントが欲しかったので丁度良い。もう一つはエルブフィルハーモニー開館に因んでの切手だが、こちらは1.45ユーロである。残念ながら価格に反して画質があまり良くない。

そもそも切手収集などは子供の時にしかやっていなかったのだが、オーボエ奏者の渡辺克也のマンハイムの下宿を尋ねた節に新しい記念切手を額縁に入れて使っていたのを見てから購入するようになった。それも収集目的以上に仕事で多くの郵便を出さないといけないときにそれを使うようになった。だから一時はかなりの量を購入した。多くの世界中の未知の人々に郵便を出すときにとても力になってくれたものと思う。

二月にラズベリー・パイ3を使ったときにアップグレードをした。するとプリインストールのVNCソフトが無くなってしまった。そこで先ずは使う必要のあったヴューワーの方をインストールしたが、他のTightなどのソフトはダウンロード不可になってしまっている。要するに無料のオファーが少なくなっているのだろう。そして、今後のことを考えてサーヴァーの方を探した。これが無いと、他のPCからラズベリーを遠隔操作できないので、いつもモニターを点けていないと使えないことになり実用的でなくなる。結局コマンドアドレスrealvnc-real-serverを見つけて、Realvcn6.02のインストールとなった。

アップグレードで不便があったが、少なくともYOUTUBEなどは完璧に映るようになった。ラズベリーで画像メディアは難しいと思っていたが、スムーズ以上に映った。この装置でネット動画が完璧に映されるとなると、もはや動画の為にはPCは要らないということになる。現在のところキーボードとモニターは別途必要になるが、後者はどこでもHDMI接続可能なので前者のキーボードもしくは音声入力端末があれば完璧だ。

それでにノートブックやタブレット代わりに使おうと思えば結構細かな調整をしないと平素使うには都合が悪い。通常のLINUXに比較してこの辺りの調整がそのソフトウェア―の関係から中々手間がかかる。一度思うように使いこなすようにすれば、本来の教育効果があるのかもしれないが、時間が掛かりそうだ。



参照:
熟成濃厚味醂つけ切手 2008-07-10 | 暦
どこから来てどこへ行くの 2005-04-09 | 文学・思想
切手の図柄に思いを馳せる 2011-02-27 | 雑感
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# by pfaelzerwein | 2017-03-13 03:33 | テクニック | Trackback

秘められた恋の温もり

漸く走れるようになってきた。峠攻めで、上り20分15秒、下りて来て33分15秒は中々だ。気温摂氏3.5度でパンツを脱いでとはいかなかったが、この数字は今年になってからの記録だと思われる。上りで20分をありそうになったが残念だった。それでもまた希望が見えてきた。理由は分からない、着けていた心拍計も順調な数字になっているので、気管支炎が治まったからだろうか?それでも足元は靴底がちびって来ているので若干不安定だ。陽射しがあったので汗をしっかり掻いて、計量はそれでも70㎏を超えていた。

最近は早寝するので二度寝が普通になってきていて、その分たっぷりと夢を見るようになった。彼女が掃除をしている。皆で後片付けだ。トイレ掃除までを受け持っている。終わったら、ゆっくりとさせてやりたいと思った。片付けが済んで、皆が集まって憩っていた。長椅子に彼女が座っていて、そこにやって来た掃除の小母さんが端に腰を下ろした。私は彼女を挟むようにして小母さんと反対側に腰を下ろした。話しを聞くと、小母さんの旦那が病気かなんかで帰宅時刻をそれに合わさないといけないので、片づけものの仕事をして連絡が入り次第急いで帰宅するので、彼女が車で送っていくというのだ。そこで私は間髪を入れずに、夜の外の空気を吸いたいので、自分が車を出すから一緒に乗っていけばよいとオファーを出した。勿論彼女もその旨を理解したようだ。秘められた恋である。彼女の左手と私の右手が腰の横で絡まった。向かい合って左に仲間が立っていて、その手に気が付いたようだったが、見て見ぬ振りをしている。そしてなぜか彼女は右手でタバコを吸っていて、そしてソフトドリンクを飲んでいる。そして、出かけるのに身繕いをするから、出かける段になったら知らせてくれと言って自室へと戻ろうとした。その時に、DuにしようかIhrにしようか、つまり「君の準備が出来たら呼んで」と言うべきか、「君たち」と言うべきかを迷っていると、教会の鐘が六つ鳴って夢だと分かった。

右手の温もりや発汗の感じが残っていて、中々気持ちの良い目覚めだった。「君たち」というのも本来は小母さんが帰宅準備が出来たらというのが口実なので、本当はおかしいのだが、「君」というときは彼女に「出かける準備をしておけ」と言うことになる。つまり小母さんはただの口実ということが明白になる。秘められた恋なので、繕っているところもあるのだが、折角の夜のデートなのでという気持ちもあるのだ。何故か同時に深夜のラーメン屋に出かけようというようなことも考えていたようなので、それが夢の面白いところである。

先日以前口説いたことのある女性に会った。その後の二度目の再会である。口説いた時から少なくとも三年以上経っていて、彼女は口説いた女性の中ではその時点で大年増の30歳前ぐらいだったので、幾ら若々しい彼女でもふられた男からすると老けて見えるようになる。更にどうしてもより若い女性と比較すると瑞々しさが足りない。もともと美貌の女性ではないが、ハンドボールをやっていたという女性なので身のこなしはやはり躍動感がある。但し彼女も変わった女性で、それ故かおぼこいところがあって、私に対して若干硬いところがあるのが面白かった。昨年はこちらの方が硬かったのかもしれないが、今回は完全にゆるゆるだった。

今回不思議に感じたのは彼女が小さく感じたことである。視座の違いということになるのか、今までで最も上背のある女性を口説くようになると、どうもこちらの姿勢が良くなり背中も伸びるようで、決して小さい方でもない彼女を小さく感じるようになったのだ。加齢で軟骨が押されて身長が小さくなっていくような話しは聞いたことがあるが、背中が伸びるようになるというのはあまり聞いたことが無い。錯覚だろうか?



参照:
厳冬の大晦日の過ごし方 2017-01-01 | 暦
春の気分に満ち溢れる 2017-02-26 | 女
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# by pfaelzerwein | 2017-03-11 22:37 | | Trackback

獅子唐と梅干しでゴロゴロ

朝、森に入るとキツツキのノック音が止まない。啓蟄とかいうのだろうか、木の上でも虫が動き出しているのは間違いない。窓枠の外で蝿がうろうろしているぐらいだからじっとしていられないのだろう。写真を撮ってやろうと思うのだが肉眼でも確認できなかった。緑が茂っていないと気であるから見えそうなのだが、木の上の方で遠すぎる。とは言っても外で思う存分体を動かすには気温摂氏十数度ではまだ身体が緩まない。難しいところである。

今年に入ってからスパムメールが入るようになった。全て同じ犯人のようで、金銭のことで名前を変えてなんだかんだとドイツ語で書いて寄越すだけだ。こなれたドイツ語の感じなので国内犯の可能性も強い。独テレコムの場合はごみ箱に捨てるだけで通知機能が無いので、テレコムの方でフィルターを掛けないとこちらからはどうしようもない。毎日ではないのだが、固まって同じ日に幾つも来るので邪魔である。サブジェクトと名前で容易に判断できるので構わないのだが、消去するのも面倒である。

ここ暫く獅子唐辛子が安かったので何回も購入して食したが、どうも腹がごろごろするようである。辛みが胃袋で反応しているようだ。朝鮮人ではないので無理してそれになれる必要もないと思うが、確かに血行などに影響があることを感じていて、新陳代謝などをよくする働きはあるようだ。食するときはそれほどの辛みはないのだが、ピーマンなどとは辛みの性格が違うのだろう。就寝時刻がずれてきているのに加えて腹具合がしっくりこないと余計に生活リズムが狂う。そう言えば久方ぶりに梅干しなどを食したのが良くなかったかもしれない。塩気も厳しいので胃が吃驚してしまったようだ。今春は体調も何か今一つのような感じがする。ストレスかも知れない。

日本人居住区デュッセルドルフ駅で暴漢が斧を持って暴れたと日本のネットに書いてあった。車中のラディオでは精神疾患のある人のようで現在は負傷して入院中だとあった。薬を常用していたので罪に問うのは難しいのだろう。先日も複数を殺害した犯人が同じようなことで施設に収容されることなく再び社会に戻っているというようなことがあったが、被害者関係だけでなくて近所に住む人はやはり怖い。



参照:
増える射殺される人々 2016-07-21 | 雑感
「ドイツ生まれのドイツ人」 2016-07-25 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-03-11 03:47 | 生活 | Trackback

取り付く島もない女性の様

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VDPプファルツから最新のマガジンが届いた。先日の樽試飲試飲会でも見かけていたが届くと思って取ってこなかった冊子である。いつものように五月のマイシュピッツェと言われてきた試飲会週の日程が、年間スケデュールの中に載っている。個人的には出かける会が決まっているので日程は例年の通りで分かっているのだが、予め計画を立てるのに助かる。自宅に居れば毎年出かけるのはレープホルツ醸造所の試飲会である。購入するワインも決まっているのだが、今年は状況を見て数を吟味しなければいけないと思っている。基本はグローセスゲヴェックス予約の為の試飲会である。同じような試飲は他所の地域のリースリングにも通じるのだが、春に瓶詰めされたリースリングは夏以降のものよりも価値が低くなるという傾向が強くなってきているのでこの辺りも考えどころである。

2014年の同じマガジンと比較するとVDPメンバーの入れ替えがある。既知なのはトラムプ家の故郷カールシュタットでドイツの赤ワインの技術アドヴァイザーとして活躍したケーラールップレヒト醸造所の脱退であるが、会長のクリストマン醸造所のお隣のムッグラー醸造所が脱退している。恐らく市中の人にはクリストマン醸造所よりも人気がある醸造所で、いつそこを通ってもムッグラー醸造所には買い付けのお客さんがいるがクリストマン醸造所には誰もいない。何か会長の弁護士先生の政治的な圧力が働いているのか?

そのようなことではない。口当たりのよいワインと高級ワインとはそもそも異なり、特に現体制でブルゴーニュシステムが採用されたことで、高級ワインと安物ワインとの差異が益々開いてきているからである。一つ減った席には、フラインツハイムのリングス醸造所が入っている。そもそもは果物などを作っている農家だったようだが、1990年以降ワインを始めて息子の代になって2001年からワイン醸造所として品質を目指してきたらしい。

面白いのは2014年にはプルーガー醸造所やシュピンドラー醸造所、アッカーマン醸造所、ポルツェルト醸造所などと八人の若きタレントが選ばれていたが、その四人は脱落した形で、現在残っているのはユルゲン・クレブス、シュテファン・シュヴェートヘルム、アンドレアス・マイヤー、フィリップ・キーファーの四人のみとなっている。正直、アルパイン協会関係の二人が結構な地所からのワインを醸造しながら脱落してしまっているのは残念だが、その分残りの四人の実力が或る程度推測可能となる。ザンクト・マーティンのキーファー醸造所を除くとフラインスハイムやホイヘルハイムクリンゲンなどそれほどの地所ではないと思うのだが、後者のキーファーはリースリングファンということである。山の方に近づけば雑食砂岩であることは分かっているのだが、地所はどこにあるのだろう?

開けれるリースリングが無いので2013年ゲリュンペルに手を付けた。近隣の地所の2013年物には濃くがあるために開けられないものがあるが、これならば熟成はしている筈だと思って決心したのだ。前回開けたのが一年前の月末なので、確りと変化していた。どのように?

初日に感じたのは完全に間違っていた。二日目に嘗てのスレンダーな娘が、二年半の内に社会のトップに上り詰めようとするキャリアー志向の女性に代わっていたのに気が付かなかった。第一印象と、付き合ってみての印象が全く異なるり、もはや鼻の高い女性どころの印象ではなかった。この時期にこれほど厳しい酸を印象させるリースリングに出合ったことが無い。その量感と全く崩れないプロポーションは一体どういうことだ。だから最初に感じた砕けた印象は取り繕っていただけなのに気が付いた。付き合えば付き合うほど、甘い横顔などを見せない。とても厳しく、そして上昇志向まっしぐらである。取り付く島もないリースリングなのだが、まだまだ将来を考えると楽しみで仕方がない美しさがある。この時点で全く崩れが無いので、最低十年、へたをすると本格的に熟成するのは二十年先かもしれない。凶年の2013年産なのに、感心するしかない恐るべきPCである。そして、鴨の胸肉の燻製と獅子唐のグリルを摘み乍ら飲んでいると、やはりとんでもなく美味い。これ程高級感のあるワインはドイツには見当たらない。オタク向きのリースリングではないが、エリート向きの高級な味覚に合う凛としたリースリングだ。こうしたライフスタイルに似合うエリート女性のようなワインということになる。



参照:
スレンダーながら多層的な23歳 2014-10-16 | ワイン
刺激するための方策 2015-02-14 | 生活
原発警備強化の物的根拠 2016-03-26 | ワイン
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# by pfaelzerwein | 2017-03-10 02:49 | ワイン | Trackback

悦に入る趣味の良さ

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先月末に催されたミュンヘンの劇場でのコンサート中継録音を聞いた。予想に違わずニコライ・メドナーのピアノ協奏曲二番の演奏が素晴らしかった。こちらの放送局でもそこでピアノを受け持ったフラコーネカナダ人マルクアンドレ・アムランのショパンの葬送ソナタが車中で流れていたが、なるほど一挙に注目を浴びている訳が分かった。ハイぺリオンレーベルでソロアルバムが出ていて、ミュンヘンのARDコンクールにも課題曲を作曲していたようだが知らなかった。リンリンランランの業界においてその対極をなす本格的なピアニストに違いない。ソロコフやアームストロングにはない超絶技巧があるようだ。

曲に関しては、折角楽譜をDLしていても、時間が無くてものの数分で最初から最後まで超早送りで目を通した。勿論正しい音が取れる訳でもなく動機の扱いを中心としての全体の構成を見通しただけに過ぎないがとても役立った。あれでも役立つならばやはり知っているような曲でも最初から最後まで目を通しておくだけでも、音楽の認知の仕方が全く変わるのだなと今更ながら改めて思った。何というか数学や物理などと同じで音楽も言葉では表そうとすればするほど本質から離れて夾雑物が纏わりつくことで更に内容から離れてしまうようだ。

そのように最初からトッカータ主題の扱いなどに大きな期待をしていたのだが、予想以上に素晴らしかったのである。ラフマニノフに捧げたとあったが、なるほどそのラフマニノフとはああしたピアニズムをマスターしていたピアニストなのかなと思い、ラフマニノフの自作よりもなにかラフマニノフのピアノ演奏技術が彷彿されるような気がする。そのようなピアノをアムランは弾く。ロマンツェにおいても思い切ったアーティキュレーションと自然なフレージングは、指揮者キリル・ペトレンコとの間で十二分に打ち合わされたに違いない。今まで聞いたソリストとの競演の中でも特にスリリングだった。あそこまで柔軟に器楽的なアクセントをつけられると、管弦楽の方も負けじと合わせなければいけないのだ。ディヴェルティメントも見事としか言えない。ロシア音楽の歴史的なものと同時に民謡的な要素も織り込まれていて、こうして正しく演奏されると、圧倒的なロシア音楽文化の懐の深さを感じることが出来るのである。

2013年オェールベルクを堪能した。三日間ほど残しておいたが、流石に新しいワインなだけに全く変化はなく、最後の一滴まで新鮮さと熟成を楽しめた。2013年はリースリングにおいても難しく悪い年度と思われているが、あの薬草のような風味は2004年産にも通じて、とても嬉しいリースリングの年なのだ。なるほど20年寝かすとかいう年でもなく、寧ろ早めに柔らかくなってしまうのだが、それはこのシュペートブルグンダーにも全く当てはまる。30ユーロで簡単にこれだけの香味を楽しめるピノノワールはブルゴーニュでもなかなかないだろう。それほど涼しさもある赤ワインだった。色も既に縁が剥げてきていてワインを知っているものなら誰も寝かそうとは思わないのだ。だからこれを今開けて楽しむのが愉悦なのである。本当の贅沢というものではあるまいか?そしてとても趣味が良いなと自画自賛して悦に入るのである。なるほど30ユーロのワインは決して安くはないが、日常消費ではなくここぞというときに開けるワインとしては消費可能な価格であろう。そしてこれだけの価値のワインはなかなか見つからない。芸術も全く同じで、趣味が良くなければどんなものでも全く価値の無いものなのである。



参照:
日曜は一寸した祝祭気分 2017-03-06 | 暦
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-03-09 00:33 | ワイン | Trackback

気が付かないスイスの揺れ

久しぶりに心拍計を着けて走った。パンツを履いたままで速度は期待できなかったのだが、心拍計で体調をみたかった。結果は前回前々回並みだが、なぜか心拍数が上がりっぱなしになっていた。まるでリミットが入っているかのように172で一定であった。計測が狂っている様子もないので体調に原因があるようだ。気管支の炎症らしきは治まっていて、それほど胸の苦しさは感じない。それでも速度を上げないのに負荷がいつも以上に掛かっている。気温は摂氏5度で、陽が射していないので、パンツを脱ぐ気にはならなかった。更に左足の土踏まずの感覚はまだ押さえられる感じがある。そして靴底が、グリップには問題が無い乍ら、薄く感じられるようになってきている。条件は悪くなっている可能性はある。それにしても秋のベストの時よりも2kGほど体重が落ちているのは走っていて感じることがある。これは可能性を感じさせるが、パンツを脱いで走ってみるまでは何とも言えない。計量すると70Kgは超えていたが、基礎体重として前回割れたのは2014年12月のようだ。体重で気が付いたが、基礎体重が落ちれば寒さを感じやすくなるのは当然かもしれない。

車中のラディオでは、月曜の21時にスイスでM4.7の地震があり、南ドイツでも有感地震となり、警察に通報が相次いだようである。記憶を辿っても全く揺れは感じなかった。震源地はルツェルンの四国湖のシュヴィッツの谷のようだ。なるほどあの辺りはウィリアム・テルの絵にあるように若干複雑な地形で震源地が隠れているのは想像出来る。ここからは直線距離でも200㎞以上あるので揺れを感じなかったのは当然かもしれない。余震を含めて可成り揺れたことからスイスの反原発運動が再び声を上げたようだ。今回はアーガウの原発はどうも緊急停止までには至っていないようだ。

最近は夕食後暫くして床についてしまうことが増えている。最も大きな要因は朝の日の出が早くなったので、早起きになってきたことである。真冬は朝起きが辛くてどうしたものかと思っていた。その点からするととても喜ばしい状況で朝のランニングも時間的に余裕が出てきている。それとは反対に晩も九時ごろになると床に就きたくなるのだ。ナイトライフどころではない。するとどうしても夜中に目が覚めることが多くなる。盛夏のように薄着で就寝していないのでトイレに駆け込むようなことはないが、それでも二度寝するために用を足す。既に六時間近く寝ていて起きてしまえるならばよいのだが運動量が足りないとそれほど熟睡が出来ていない。結局明け方おかしな夢を見ることになったりする。

先日は小さな小屋の半地下のようなスペースでコンサートを主催している夢だった。なぜその夢を見たかは前夜に入っていたメールが原因だと直ぐに分かったが、なぜか演奏家が朝鮮のグループで本プログラムが終わってから何やら朝鮮のフォークソング大会のようになって、最後にはおつまみを出すような塩梅になっていた。これも先日から昔の京都のフォークソングなどをなぜ自分自身の韓国遠征の時に誰も歌わなかったのかななどと考えていたからだった ― 同行メンバーに当時学生生活などを送っていた者も一人ぐらいはいたのだが。そしてこうしてまとめて書くと、まさしく上のメールを寄越したスイス人こそが北朝鮮に複数回出かけて行っていた人物だった。表向きは文化交流なのだが、勿論背後にはベルンの外交筋が強く係っているのは想像していた。なるほど、金正恩のスイス生活をサポートしていたのはそこの外交部であり、それ以上に国外資産の扱いなど親密な繋がりがあることは当然なのだ。



参照:
日本を照らす原子力! 2012-03-11 | 生活
今年最後の氷瀑日和 2012-02-12 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-08 01:04 | 雑感 | Trackback

原因と結果の科学的な認識

日本のネットを見ていると科学的と感情的との言葉が反対概念として並べられている。そしてそうした場合決まって科学的な根拠やその考察については一切触れられていない。既成事実としての科学的な結論らしきものに対する不信感を抱く気持ちが感情的と定義づけられているようだ。特に健康問題などであると、安全と安心と対語になって使われるらしい。

そもそも自身で確認できないような原因と結果は信じられないのが当然であって、その過程を追う考察を以ってはじめて因果関係を認識するのが科学的な思考というのだが、どうもなんらかの政治経済的な理由で安全とされるものに懐疑することが非科学的と見做されているようである。所謂安全神話と呼ばれるものである。311が近づくと取り上げられる話題であり、科学的な思考が問われている。

つまり一つはフクシマ禍に関することで、本来ならば居住不可能な飯館村に居残らなければいけない人々の不安に真摯に応えようとするならば、先ずは移住補償を推進して、それでも居残る人に健康被害の危険性を説明したうえで、健康な食生活や健康な生活を少しでも長く続けれるようなアドヴァイスを与えるべきなのだ。その範囲は郡山辺りまで広がることは間違いない。そして向こう三十年ほどは変わりない。もう一つは医療被曝の問題であろう。結局は医療は大きな市場であることが前提となっているので、医療被曝で高年齢化と共に癌患者などが増えれば増えるほど市場が大きくなるのである ― よって一律的な国民皆保険制度は明らかに誤りである。つまり、医療被曝による癌発症リスクを説明したうえでしか、もしくは癌検査による生存率変化のないことを説明することが重要である。

しかし、癌による死亡率が上昇しているのは何回も被曝を重ねている日本だけではないのである。連邦共和国でも癌による死亡率は増えているという。理由は様々あるだろうが、高齢化以外にも考えられることは様々である。核実験による今までにほとんど存在しなかった核物質の拡散だけが癌の疾病率を上昇させているとは思わないが、ありとあらゆる無視できないファクターを可能な限り虱潰しに排除していくしか方法はないのだろう。

その意味ではここ暫く話題になっているシュツッツガルト市内へのディーゼル車締め出しへの州政府の動きは正しい。この冬だけでも何回かアウトバーンで同地をかすめる度に塵警報が出ていたのである。それも平日ではなく土曜日の朝からの警報であった。たとえスピード制限しても市内の盆地での排ガス量を減らすことなどはできない。渋滞すれば更に増える。なるほど一律にディーゼルを規制する以外にも方法はあるかもしれないが、既に各大都市圏は排ガス規制がなされていて一台一台検査認可されていない限り市内へは通行不可となっている。その結果ディーゼルには出さないということであるからほかに手の打ちようがないのであろう。

ドイツ企業といえばドイツェバンクの壊滅的な状況が外国でそれも日米などで盛んに流されていたが、先日話題となっていたポストバンク身売りはしないというようなことが報じられている。原点である銀行業務へと業務を集中させようと思えば各地にあるポストバンクの意味は大きいに違いない。従来の銀行の顧客や地域的にも重ならないところも多く、補う形で双方で銀行業務が出来る筈だ。



参照:
検診自体が疾病の証拠 2012-12-04 | 生活
被曝が不健康な医療保険 2012-06-20 | 生活
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# by pfaelzerwein | 2017-03-07 00:12 | 雑感 | Trackback

日曜は一寸した祝祭気分

火曜日の夜はバイエルン放送協会で中継録音が流れる。先月21日にミュンヘンの劇場で演奏されたアカデミーコンサートの録音である。プログラムは、スクリャビン「夢想」、ニコライ・メッドナーピアノ協奏曲二番ハ短調、ラフマニノフ「交響的舞踊」の純ロシアンプログラムである。ピアニストのフランス系カナダ人アミランも評判が高く、初めての曲である。

早速楽譜をダウンロードしておいた。協奏曲は初見で目を通しておこうかと思う。交響的舞曲は既にキリル・ペトレンコ指揮でバイエルンの放送交響楽団との演奏がYOUTUBEに出ているが、それと比べてどうなるだろうかも楽しみである。批評を見るところによると可成り突っ込んだ彫りの深い演奏になっているようだ。

先月「ばらの騎士」最終日に誕生日を迎えて45歳になった天才指揮者に毎度乍ら特別なコンサートが期待されるとされている。献呈されたラフマニノフのその友人であるメドトナーの1926/27年の作品が組み合わされている。

興味深いのは、最初の予定では二日分を録音して、どちらのどこが放送されるか分からなかったのだが、20日の演奏が流されるということで、曲毎取り換える必要が無いほど、それなりに上手くいったということだろうか?

週末の樽試飲会の疲れが残っている。瓶詰めされていないものなどは検査も通っていないのでケミカルの入り方も分からない。そのような影響もあるのかもしれないが、白と赤を行ったり来たりしたのでアルコール量が増えている可能性もある。

モスバッハ醸造所で昨年12月にテレコミュニケーションのセミナーで一週間神戸に滞在した人がお酌していた。神戸ビーフを楽しんだようだ。それも鉄板焼きを三回も食したというから可成りの出費になった筈だ。彼に言わせると霜降り肉は素晴らしかったが、ワインは薄くて頂けなかったということだ。最近は神戸でどのようなワインが醸造されているかは知らないが、日本ではどうしても甘みを残したワインが売れるので本格的なワインを醸造するまでには至っていないのだろう。しかし、彼に言わせるとビールのスパーアサヒドライなどは美味かったようで、小規模のブロイライの話しになった。アメリカなどでもレストラン付きの英国タイプのそれが流行っているようで、日本でやっているような小規模の新鮮なヴァイツェンなどは最早ドイツではなかなか飲めなくなっているという話になった。

2013年オェールベルクを開ける。食事のメニューを考える。材料であるのはジュースに浸かっているツナ缶詰である。それとほうれん草を合わせて炒め卵を絡めてみよう。ゴマ味でもマヨーネーズ味でも構わない。キプロス産の新ジャガがあるのでこれを蒸そう。付け合わせには獅子唐辛子炒めのバルサミコソースにしてみよう。香ばしいシュペートブルグンダーを、迎い酒代わりに楽しめればそれでよい。それでも小腹が空けばヌードルを残りのソースにでもつけて、茸でもまぶせば充分ではないか。一寸した祝祭気分である。



参照:
まろみが嬉しい自然な呼吸 2017-03-05 | 試飲百景
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
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# by pfaelzerwein | 2017-03-05 23:42 | | Trackback

まろみが嬉しい自然な呼吸

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樽試飲会を回った。結局二件しか行けなかった。一件目のVDP会長クリストマン醸造所で蔵見学までして時間が掛かってしまったからである。ミュラーカトワール醸造所には行けなかった。それはそれで仕方がない。飲み代が無かったので2015年ビュルガーガルテンでも買い足ししようかと思ったからである。しかし結果的には2015年を購入するぐらいなら2016年の方が価値があると思った。

2015年のリースリングはやはり分厚過ぎてエレガントさに欠ける。なるほどザールなどではバランスが取れていたが、ラインガウなどではバランスが良くない。ナーヘの2015年もエレガントさからは遠い。リースリング好きにはあまり喜ばれない年度であろう。それに引き換え2016年のそれは凝縮度も高く、繊細さに欠けない。2014年は丁度その中間ぐらいだろうか。だから2013年よりも良さそうだ。2001年のようになるとは思わないが期待したい。2014年産もまだ市場には十二分にあり、2015年産よりも2016年産へとリゾースを集中させようかと思う。要するに2015年は赤の年で白の年ではなかった。

だから、クルストマンの2015年グーツリーングを試すがとても分厚くて話にならなかった。ギメルディンゲンなども雑味があってどうしよもない。それに比べると樽試飲の2016年の清楚なことは感動させるに足る。蔵見学で、ビオデュナミに関して農薬関連のことも重金属とケミカルも話題になっていたが、個人的には酵素と称して結局は発酵に足りなう分は補われることなどは原理主義者の醸造所の方法として興味深かった。更に興味深かったのは、手摘みの代わりに機械を使ってセレクションする方法に関してである。手摘みの場合は経験者の摘み取り手の采配が最も重要となるが、摘み取ってから下から光を当てて工場でやるようにアウスレーゼすることでより効果的に仕事ができるという説明で、今までは赤ワインでの選定作業として写真などで見ていたものの説明である。

この方法の欠点は機械で摘み取ることの傷みであろうか。バッサーマンヨルダン醸造所のウンゲホイヤーのような量があればセレクションするのも不可能となるが、傷みが激しくて収穫量が少ない時に機械で痛んだものも一緒に運び込むのもとても不経済である。結局は摘み取りの人出が集まらないということに尽きるのだろうか。

シュペートブルグンダーはお目当ての2015年はなかったが、2014年は予想以上に悪くはなかった。あの年はバイロイト詣でをしたので記憶にある。涼しい夏だった。そして熟成を待たなければいけなかった夏だったのだ。それでも2012年よりも色もあり、濃くもあるようだ。そして2013年のオェルベルクは今すぐにでも飲める状態になっていた。これは直ぐ祝い事にでも使える。寝かして楽しむ気は到底起こさせないが、2013年の特徴である薬草臭が嬉しい。

そしてここのシュペートブルグンダーがお得なのは、ゼーガー醸造所のピノノワールのベーシックと異なり100%木樽で熟成させていることである。2014年のシュペートブルグンダーを二本購入した。グローセスゲヴェックスでは50%の新樽なので、これは古いものになっているがそれでも自然な酸化をしたものはやはりまろみがある。

二件目は帰りにモスバッハ醸造所に立ち寄った。2016年産に関わらず下位のワインがなぜここまで甘くなるのかは分析値を教えてもらっても分からない。そして上位のものもミネラル風味からはほど遠い。それでも2012年シュペートブルグンダーを賞味させて貰った。2013年をまだ寝かしてあるのでとても参考になった。色は薄くて致し方が無いがまだまだ新鮮に繊細さを楽しめた。これならば2013年はまだまだ寝かせても大丈夫だと思った。

両醸造所とも先代と話すこともできたが、前者でもその年齢が気になっていたが元気そうで、奥さんを連れて車で買い物に出かけた。流石に年老いてから家庭を持つだけ若い。奥さんの方が大分若い筈だが旦那の方が元気そうだ。後者の「ジムフェルプス君」ことピーター・グレーブスは今しがたアンダルシアから帰宅して、疲れたので一杯飲もうと出てきたということだった。ゴルフ三昧で歩き通だったということで、帰宅日はワイン街道の方が温かかったとご満悦だった。



参照:
原発警備強化の物的根拠 2016-03-26 | ワイン
第二回ユングヴァイン試飲会 2016-03-10 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-03-05 18:57 | 試飲百景 | Trackback

モティ―フという動機づけ

「音名」の朝のラディオの一週間の二日目は、ジャン・パプテスト・リュリから始まってブラームス、レーガーへと話が流れた。ブラームスのFAEはよく知られており、レーガーの話は曲に興味がある人はそれほど多くはない。リュリに関しては、ルイ14世のバレーの話があって、15歳の時の太陽の役がその後の太陽王を決定づけたというとで、全く知らなかった。当然ながら音名はSoleilのSolでソである。リュリのオペラもマルク・ミンコスキー指揮で上演録音されてそれ以降十年ほどの間に安売りのフランスバロックオペラ全曲録音を大分集めたが殆んどはラモーのオペラである。それでも太陽王へのリュリの作品の明晰な響きには適わない ― そのあまりの明晰さこそが芸術作品として批判される。

このシリーズの音名がなぜ興味深いかというと、それはやはり創作依頼者や献呈者へのおべっか使いというのを超えて、なによりも創作の動機つけとしてのそれになっているということであり、まさしく基本音型はモティーフと呼ばれて、モティヴェーションとなっている。漢字でも動機と動機付けがそのまま当てはめられている所以である。

創作に関わる人は皆同じように考える訳で、依頼や機会があればそこからテーマを絞ってそれを動機として創作にあたり、それを如何に作品にするかということに技量が注がれる。作曲の場合も全く同じであって、なるほどその動機がなによりも先行していたり、本歌取りであったとしても、そこから如何に芸術を編み出していくかが問われる。その綴り方の方法がスタイルとか呼ばれるものなのだが、最終的には出来上がりが問われたり、その提供の仕方が問われるものなのである。

そして出来上がりは、陶器や道具などの場合は使い易さや使い心地が問われるのと同じように、作曲も出来上がりを吟味できる筈なのだが、少なくとも特別な教育や経験がないと楽譜を見ただけで判断するのは難しい。それどころか演奏されてその出来を吟味することすらも通でなければなかなか難しいのである。

そのような事情もあってリュリの音楽に対する現代への影響は限定的なものであり、それどころかイタリアのモンテヴェルディのバロックオペラとは異なり、バロック音楽における偽ギリシャ古典主義のような精神もあまり顧みられることはないのである。それ故にこうした動機づけから出来上がりまでの工程を追っていくことで初めて分かる芸術的な価値があることも間違いない。

最近は段数の多い楽譜に目を通すことが多くなった。ベルリンのフィルハーモニカ―のバーダー氏が天才指揮者キリル・ペトレンコに「一体どのようにしてサウンドを楽譜から思い描くの?ピアノ?」と疑問をぶつけていたが、我々が真面に音が描けないのは当然である。なるほど室内楽などである程度楽器に馴染みがあればたとえそれが移調楽器だとしても音は描けるだろう。安物のキーボードを買おうと思う。

二オクターヴあれば充分だ。但し、手元に古いローランドのMIDI入出力のシンセサイザーとATARIのコムピューターもあるので、USB-MIDI変換ケーブルで繋げれば可能性が膨らむ。とは言っても基本は音を鳴らしてみるだけの用途なので、ノートブックで簡単な音が出せたらいいだけなのだ。



参照:
海原にそよぐ潮風のよう 2017-03-02 | ワイン
最後の四半期の落穂拾い 2011-10-09 | 暦
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# by pfaelzerwein | 2017-03-03 23:50 | | Trackback

移り変わりの激しい日々

相変わらず移り変わりの激しい天候である。シャワーと強風とその間に晴れ間があり、強い陽射しに冷たい強い風が吹く。週末は幾つかの樽試飲会がある。2016年産の新鮮なものには興味が無いが、飲み代が無くなったので、いくらかは確保してきたい。情報もそれ以上に重要だ。

週三度目の走りは一週間も経たないうちに再び峠攻めとなった。気温は先日来の摂氏8度には至らなく6度なので風が吹くと寒い。実際に走り出すと風が抜ける道では苦しめられた。ゆっくり走っているので息苦しくはなかったが、何とか峠に21分台で到達する。下りて来ても35分掛かっているので前回よりも悪いが、体調は良くなってきている感じがする。様子を見よう。

車中のラディオは、シュヴァルツヴァルトのガゲナウでのトルコの法務大臣の選挙演説への反響を、伝えていた。連邦政府とエルドアン政権は、ヴェルト新聞の記者逮捕から外交関係がぎくしゃくしており、オバーハウゼンに続き二度目のエルドアン閣僚の国内での活動を阻止しようとする声が強いということだ。四月に行われる連邦共和国内の百六十万のトルコ人有権者の国外投票への活動に伴うものとされている。またフランクフルトハーン空港の売渡がダイデスハイムの中華企業への売り渡しが決まったとされているがその企業体の実体には疑問が残っているとされている。

フランクフルターアルゲマイネ新聞はトルコの外交方針転換について社説を掲げており、もはやEU加盟を断念して東方のパートナーとの世界構築に動いているとしている。パートナーはロシアであり、中共ということである。特に後者は新シルクロード構想があって大きな意味合いがあるとされる。先日も同新聞には、価値観の異なるトラムプ大統領の孤立政策を受けて、習主席が新リーダーとして世界に語り掛けていることが取り上げられていて、「価値観の相違をそのままの世界構想」と見做していた。

先日も連邦共和国の外交指針が合衆国の変化によっても修正を余儀なくされている可能性について触れたのだが、なるほど安倍政権のようなおかしな価値観を日本なども掲げるとするならば今までとは違った外交指針が必要になって来ることは当然であろう。大阪の国有地格安売却スキャンダルについては欧州の名門老舗新聞であるノイエズルヒャー新聞が最初に扱ってからスイスの新聞が扱っているがドイツでは見守っている状況が続いている。報道されるような時は安倍内閣退陣に繋がる新情報が出てきた時だろうか?



参照:
「誇りを取り戻そう」の戯け 2016-11-19 | 文学・思想
脳裏に浮かぶ強制収容所 2016-10-11 | 歴史・時事
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# by pfaelzerwein | 2017-03-02 22:18 | 雑感 | Trackback

海原にそよぐ潮風のよう

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車中の朝のラディオ番組で音名の作曲を特集している。印象に残ったものを紹介しておこう。一つ目は、天才作曲家ジョスカン・デ・プレの作品である。フランドル派の作曲家の循環ミサの基礎音型については留意していても、その多くは俗謡などであるその出所についてである。Missa Hercules Dux Ferrariaeの場合は以下のようになっている。

レドレドレファミレである。これがどこから来ているか?

Hercules Dux Ferrariaeの母音を取り出すと、eue、u、eaieとなる。これをラテン語の音名に置き換えると、re-ut-re、 ut、 re-fa-mi-reとなる。

2012年フリューリングスプレッツヘンを開けた。最後の一本なのでグローセスゲヴェックス用のパイロットワインとして残していたのだ。しかし飲むワインが無くなったので開けてみた。瓶詰後四年になるのでこの辺りで判断したいとも思った。

初日は駄目だった。その土壌からか香りも強く押しつけがましく分厚いもので、熟成香はないものの熟れた感さえあった。しかし味筋はまだまだ綺麗なのだが、果実風味による甘みすら感じさせて食事には合わせにくかった。これならば稀に見る貴腐のは要らない良年といわれるナーヘの程度が知れる。しかし翌日は香りは変わらないものの甘みに若干のニュアンスが広がってくる。そして味筋は果実風味や前日に感じたペパーミントの風味とは違って、後味に塩味のミネラルを感じたかと思うや否や、海の潮風の清々しさが広がって来た。これならば全く問題はない。清涼感といい、その優しい鮮やかさは想像を大きく膨らましてくれる。



参照:
我々が被った受難の二百年 2010-04-04 | 音
'12年グローセゲヴェックセ? 2013-09-11 | 試飲百景
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
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# by pfaelzerwein | 2017-03-02 02:59 | ワイン | Trackback