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明るく昇っていく太陽

先週も三回走った。最後の峠攻めはゆっくり上がった分早く下りれて33分28秒で帳尻を合わせた。このところの不調は四旬節の食事が絶食まではいかなくても肉食が普段より減っているのでもう一つ意気が上がらなかったこともあるのかと思う。菜食でも先日のクライミングのパートナーでありツアースキーのリーダーのように二メートルの巨漢の元気な人がいるが、どうも私の場合は血圧が上がるようでなければ駄目なようだ。

失われたとされていた楽譜が確認されたという。グスタフ・マーラー作曲「亡き子を偲ぶ歌」のピアノ版で、管弦楽版として知られているものだ。「今しがた、太陽が明るく昇っていく」という第一曲で、残りの四曲とは異なって、ピアノ版が失われていたものである。道理でフィッシャーディースカウの全集に含まれていない訳だ。当時のアルマと作曲家が通っていたヴィーンの音楽サロンを催していたコンラート家の娘さんがミュンヘンへと移ったことで、見つかった楽譜もその時に搬送されたとされる。そのノートから、1901年から1904年に作曲されたこの第三曲、第四曲と同時期の作曲とされる ― 第六交響曲に関連して、アルマによって縁起でもないと言われていたリュッケルト詩に付けた曲集である。

承前)三月のペトレンコ指揮のコンサートをベルリンで体験して、それを称して「猛獣ショー」と書いている東京の人がいるようだ。その旨はなんとなく分かる。つまり、ベルリンのフィルハーモニカ―に戦後付き纏っていた高度成長からのイメージが被るからである ― 当時は合衆国のビッグファイヴもレニングラードもどこも同じようなものだった。そこの入団試験を受けたかどうかは知らないが、現在ミラノのスカラ座で弾いている二代目の団員がフィルハーモニカ―を称して語ったことを思い起こさせた。つまり彼に言わせると「そのアンサムブルの在り方や雰囲気が特殊で」と、所謂我々がイメージする戦後の西ドイツのあの雰囲気がアバド時代でもあまり変わらないとした見解であった。どこの交響楽団も、座付き管弦楽団とは当然異なるが、所謂ドイツの合理主義的なものに、これまた根源的な闘争心のようなものが加味された雰囲気である。そうした雰囲気が先入観念を形成しているのだろう。

しかし現実には、先日のバーデン・バーデンでも「冷たい音楽」と評されていることに関してその仲間の音楽家に話すと、モーツァルトの演奏のあとで即座に「楽員は充分に温まっている」と反応があったぐらいである。つまり誰が見ても分かるように、それどころかベルリン初日には緊張した楽員が上手く乗れなかったことを評して「とても人間的だ」という批評もあった位で、思い込みと現実の間には大きな隔たりがある。

芸術的な見解としては、先日のインタヴューで「音楽することと楽曲演奏実践の関係が議論」となっていた訳だが、現監督のそして同時にフィルハーモニカ―の弱点としてもこの問題が立ち覇だかっていて、前者の責任としては正しいテムポを絶えず与えたとしても、それを状況に合わせて、更に音楽作りをしていくということに関してつまり恐らく指揮のテクニックであり、その音楽的才能に弱みがあるということになるのだろう。この問題は、この指揮者のデビュー当時から我々のような熱心なファンは分かっていたのであり、それは将来とも変わら無いと指摘されていた。それでも演奏実践の完成度やそのプログラミングなどを含めて彼以上の才能が居なかったのも事実であろう。そこで、まさしくそこが自由自在の次期監督が選出された訳で ― 一例としてバイロイトでの楽劇「ジークフリート」当該箇所での歌いこみを挙げれば充分である ―、その棒に付いていくことが求婚した側として至上命令なのである。それによって、戦前戦中を引き摺る反作用としての戦後のクールなイメージから抜け出て、例えばフルトヴェングラー時代以前の恐らくニキシュ時代の新生交響楽団の一夜一夜完結するイヴェントであるようなコンサートが出来るようにという目標が設定される ― 例えばペトレンコ指揮コンサートのプログラムは、古典的なプログラム構成で、休憩前に協奏曲などを入れて、力の入れ加減を調整していて、演奏上の注意力などが失せないようになっている。それだけに120%も求められる高い目標が設定されている。「猛獣ショー」とは勿論カラヤンサーカスから観念連想する言葉であるが、実際には甚だしく的外れな言葉であろうことは、この事情からまたその目指すものからも明白であろう。



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by pfaelzerwein | 2017-04-17 22:19 | 文化一般 | Trackback