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ギリギリの悲愴交響曲

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承前)悲愴交響曲である。予想以上に難しかった。動機の扱い方と曲の構成との関係から運弓指示などのアーティキュレーションなどが係っているからだろう。この曲に関しては、土曜日の本番で体験してから改めて纏めたいと思うが、23日の演奏から分かったことだけでもメモしておかなければいけないだろう。先ずはテムポだが、メトロノームで数えてはいないが、第二楽章のヴァルツァーなどを聞くと、もう少し第一楽章と第三楽章を早く出来るのではないかと思った。

なるほどベルリンのフィルハーモニカ―は、第一楽章主題のヴィオラでの提示などでとても力強い響きで奏でていて、これは断然の特徴であろう。特にこの交響曲においてファゴットやクラリネットの低音部と弦楽、管と弦の掛け合いなどがとても重要な要素となっているから尚更だ。

現在のロシアの交響楽団でも木管や金管の機能的な問題は甚だ多いが、ムラヴィンスキー指揮のレニングラード管弦楽団の演奏などを聞くと芸術以前の響きとなっていて、ヴィーナーフィルハーモニカ―のオーボエを笑える程度ではない。要するにハイカルチュア―の音楽芸術としては楽器が鳴っておらず、今やどこの軍楽隊でもこれよりはマシなのではないだろうかと思わせる。

流石にフィルハーモニカ―の管も健闘していて、座付き管弦楽団とは異なりとても機能的であるが、その響きには嘗てのように特別な響きが無い。しかしながら弦との掛け合いやそのバランスという意味では、今回の演奏で大きな課題が突き付けられた形となっている ― 恐らく、次期監督の狙いとしては早めにこうした課題を明確にすることで、2019年までに底上げできるような指標を示す意図もあったのだろうか?賢明なフィルハーモニカ―であるから、指針さえ示されれば自らが改革していくことが可能ということなのだろう。だから今回の練習は鉄のカーテンの裏側で行われたというのも理解できる。それ故に22日は奏者の緊張のためにフィルハーモニカ―らしからぬアンサムブルの出来だったと想像可能だ。

第三楽章のスケルツォにしても主兵の管弦楽団ならばと思うところは少なくなく ― キリル・ペトレンコは客演としてここでも可成り安全運転をしている、しかし何よりも第一楽章の展開部が数年後にはどのように響くべきかは今回の演奏でよく分かった。週末も同じようなメムバーが乗るとすれば学習効果は出ないこともないかもしれない。とても楽しみである。勿論会場のアコーステックも異なるので、基本テムポに影響する。(続く

フィルハーモニカ―は、今秋東京公演をするというが、次回は少なくとも2021年まではないだろう。そしてペトレンコ音楽監督の日本でのオペラ公演も今回が最初で最後になるかもしれない。あり得るとすれば、バーデン・バーデン祝祭劇場が力をつけて引っ越し公演という場合ではなかろうか。まだまだ三万円ぐらいの席が入手出来るとなると都民が羨ましい。フローリアン・フォークトはダブルキャストとなっていて、最後のコンサートに掛けて訪日するようで、嘗ての初日云々というようなシリーズとはなっていないようだ。中二日、三日? ― ネット情報はダブルキャストが消されてしまっている、理由は分からないが、東京から苦情が入ったのだろうか?私なら歌手などどちらでもよいと言いたい。声が強ければ、スケデュールさえ調整すれば全部歌えるのだろう。



参照:
Tchaikovsky: Symphony No. 6 "Pathétique" / Petrenko · Berliner Philharmoniker YouTube
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
もう一つの第六交響曲 2017-04-01 | 音
ハフナー交響曲を想う 2017-03-28 | 音
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by pfaelzerwein | 2017-04-05 17:25 | | Trackback