ハムブルク行の計画

d0127795_02480988.jpg
天気が悪く薄暗い、遅めに森の中に出かける。公務でないような車が林道を走っている。降りてきてパンツをはいていると横に停まって話しかけてくる。犬が居なくなったので探しているようだった。朝早くに居なくなったというのだが、猟犬にしては不思議にも思った。呼ぶ笛も何もないのだろうか?詳しくはないが、結構な犬が道に迷って迷子になるなどあるのだろうか?少なくとも飼い主のところへは戻ってこれる筈だ。そんなに頼りない犬が猟犬など務まる筈がないと思った。飼い主もそれらしい服装だが、これも何か猟をするような臭覚の鋭さを全く感じなかった。何か間抜けな飼い主と猟犬が離れ離れになったようで心許ない。寒い夜を乗り越えられるのだろうか?

NASに導入したWDのシステムの速度が遅くて、様々な調整を試みていた。しかし埒が明かなかった。あまりに反応が鈍いのでLANケーブルを抜いて違うところに挿してみた。一か所はISDN経由だから赤警報が出た。今まではLAN1だったのでLAN4に入れた。これだけで快適にデータ交換が可能になった。そもそも新しいルーターでは一切ケーブルは使っていないので理由は分からないが、LAN1は何らかの理由でデーター類が詰まっていたことになる。このハウエェー製のドイツテレコムの商品は同じようなことが最初からあったので余程微電流がどこかに流れ続けるかの構造像上の欠陥があるのかもしれない。それとも中共によって最初から時限爆弾がインストールされているのか?

ボンのベートーヴェンフェストから案内が入っていた。ギルバート指揮NDRやエマールのリサイタルなど、全く冴えない。今年は成績が悪く赤字を出していたようだ。しかしヴァークナー博士の責任にまでは言及されなかったのは、現在の仮の会場のアコースティックの評判も悪く仕方がないとされたからのようだ。そもそも改修中のベートーヴェンザール自体が独特の会場で現在の世界の音楽会場からは差がある。決して、音響が悪い訳ではないが、平土間の視界も悪くて、直接音が前の人に吸われているような感じがあまり良くなかった。それで一時は本格的な新会場へとの動きもあったらしいが、予算やら今後の可能性から補修に留まるようである。

嘗ての連邦共和国の大統領府などいくつも音楽会場に使えるような場所がありそうなのだが、上手に使えている様子がない。ヴァークナー博士の芸術的な見識は疑わないとしても、その行政的な特に山師的な企画力は殆ど無いようにしか思えない。パスキエ夫人にしてもアーティストマネージャーであり、中々この一人でという才人がいない。なにか楽匠の能力がその子孫の数だけにバラバラに授けられたような感じがする。子孫が10人集まっても到底適わないような雰囲気である。

ハムブルク行まで三週間ぐらいしかなくなった。今頃になって何か序でを探している。ここからハムブルクは遠く、そこまでいけば滞在費を出してもなにかをしてきたい。しかし冬の寒い時であり、出来る限り室内で用が足りるとなれば、コンサートや劇場である。昼間少しぐらいは歩き回れる。ざっと見ると劇場はオペラで「影の無い女」最終上演は翌日にあり、一晩帰路で安いところに宿泊すれば殆ど金がかからない。一日ハムブルク観光が可能だ。しかし、会場にも興味があるが、私にとっての「影の無い女」はハムブルクの日本公演のものなので比較的評判の良かったケントナガノ指揮ぐらいでは物足りない。ミュンヘンでもコッホらの歌を堪能したので今更の感が強い。更に長い楽劇だから下手な演奏だと退屈して気分が悪くなる。歌手もアジア系の人が半分でドイツ語にも文句が零れるに違いない。そもそもナガノのドイツェオパーには違和感が強い。

今しばらくはエルブフィルハーモニーのお蔭で盛り上がっているのだが、ハムブルクのコンサート水準はフランクフルトよりも下で、今後も各都市共通のプロアルテ巡業程度のエンタメしか期待できない。NDRの交響楽団の程度は皆知る通りで、嘗ての会場ならば逆に面白かったかもしれないがエルプフィルハーモニーで聞くほどの価値がない。近辺の都市も探したがハノファーなどはマンハイムよりも程度が低いぐらいで、ブレーメンに足を延ばしても何を期待できよう。要するに北ドイツで態々出かけなければいけない劇場や大コンサートは本当に限られる。劇場に関しては当然のことベルリン以外ではやはり殆どないに等しい。せめて美術館だけでもと思うがこれも中々見つからない。ハムブルクならばアムステルダムの方が価値があるだだろう。日本でいうと大阪程度だろう。正直移住する前はミュンヘンとハムブルクは同程度と考えていて、劇場もコンサートも選り取り見取りと思っていたが、精々メトやロンドンに匹敵するクラスを考えるとこうした有様だ。

兎に角、今年「ペトローシュカ」を復活祭で聞いて、ハムブルクで「春の祭典」、ルツェルンで「火の鳥」と皆異なった管弦楽団と指揮者で三部作を聞くことになるので楽しみだ。

ミュンヘンで購入したトルテの初めてのはコーヒー豆の乗っているものだった。これも淹れたてのコヒーと合ってとてもよかった。



参照:
隠されている問題 2018-04-19 | BLOG研究
予定調和ではない破局 2018-01-31 | 文化一般
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-15 02:48 | 生活 | Trackback

大団円への大芝居

d0127795_00560161.jpg
昨日の朝の車中のニュースはストラスブルクのテロ事件関連もあった。あそこのクリスマスマーケットがいつも狙われているのは分かるが、放送エリアでは国境を超えて通勤している人が多い。そして犯人らも先ずは国境を超えるなどの逃走をする。同時に国境も検問がなされる。交通の混乱が起こるのは当然で、平素は徐行だけで済む箇所が90分ほどの待ち時間になっているということだった。クリスマスマーケットどころか経済的な影響も広範だ。

承前)新聞にスカラ座の「アッティラ」初日の評が出ているのを読んだ。そこでも話題になっているのはアルプス以北では無いオペラの位置づけであり存在だ。そこが今回の「オテロ」でも最も語るべきところである。そこでその三幕の演奏について記録しておかなければいけない。デスデモーナとオテロの夫婦の対話が始まりカッシオの名前が出ると文字通りアレグロアジタートとなるのだが、そこからの目くるめくテムポの転換こそがまさしくヴェルディの音楽的構造である。それに続いてオテロの独唱へとこの作品のハイライトとなる。その後のカッシオの夢物語から既に触れていた三重唱への収まり感が、エピソードでもある大重唱や短い四幕へと続いて行くのは当然のことである。ある意味クライマックス後の筆捌きにヴェルディの後期の腕が見えるのかもしれない。

ガイダンスではこの構造に関しては話題にはなっていなかったが、少なくともキリル・ペトレンコ指揮の管弦楽が最も電光石火の演奏を繰り広げたところでもあり、流石のこの両者の関係でもこのような打てば響くようなムジツィーレンぶりを示したのはボンでのチャイコフスキーの五番から火花散る「ルスランとリュドミラ」序曲のアンコールにおいてしか知らない。どうしてこのように上手く行くのかと不思議に思っていた。

当夜はマイクロフォンがないゆえの思い切ったアゴーギクの効かせどころでもあり、楽譜上はヴァークナーのように音楽的にではなく、休止などを挟む形となっているので、度重なる加速減速は必ずしもそうした音楽的な腕の見せどころではなく、むしろありふれた劇場指揮者の職人的なマネージメント能力に頼っているだけに過ぎない。しかし、音楽は流れ、そこに劇が発生するとすれば、その絶妙なテムポの交代が劇そのものに違いない。見方によっては、歌手にも小手先の色付けを許さないほどの反射神経が求められていて、本番で四回歌って身についたものが力み無しに出てくるような演技と歌の素地がそこにあり、特筆しないといけないのはやはりヨーナス・カウフマンのその技巧でもあった。批判されるように声に魅力が欠ける部分にこそ管弦楽がしっかりと支えるような配慮が最初から聞かれていたが、ここにきてオテロの独唱までの流れは本当に魅せどころだった。

フィンレーのイアーゴが記念碑的なとの評価もあったのだが、ここでのカウフマンの歌唱は明らかにハイライトを当てられるたものだった。当然、ハルテロスにも声つくりを許さないほどの反射神経が求められたのである。劇的には夫婦の丁々発止なのだが、音楽的にそこまでのスリリングな劇を感じるのは管弦楽団のそれゆえであり、それが劇的になったということでしかない。こうした音楽と上演の関係はバイロイト祝祭劇場のものではなく、やはりイタリアオペラのそれもヴェルディのものなのだろう ー 実際そこでの滑稽味は「ファルスタッフ」の持ち味である。

心理劇で室内劇という評価も、この回の音楽の電光石火を経験すると、全く以ってイタリアの劇の歴史に根差した音楽劇そのもので、家庭劇でありながら大劇となっていたとなる。「運命の力」ならず「音楽の力」である。ヴィデオで観察した演出上の細やかな点も可成り近い席で見ていても全く違和感のない動きとこなれた動作で以って、第一級の芝居にもなっていた。また舞台の色彩も言われたような病的な感じは全く受けなかった。しかしそれでいながら、繰り返すが、この夫婦間の葛藤からこの四幕を残す幕フィナーレの大団円への流れは本当に大歌劇でしかなく、漸く晩年のヴェルディが何を目指していたのかが明白になる三幕であった。(続く)



参照:
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-14 00:58 | 文化一般 | Trackback

許容範囲だろうか

d0127795_23134962.jpg
日本の友人からメールが入っていた。ノーベル賞受賞パーティーディナーのメニューである。彼は外科教授であるから受賞者とは直接の関係は無い筈だ。何事かと思うと、そこに出されたリースリングのアウスレーゼがうちのものではないかという話だ。コール、ゴルバチョフや亡くなったブッシュ大統領の訪れたダイデスハイムの隣の町のワインである。調べると農協さんの甘口だと分かった。通常ならば名門のものが供されるところで、特にバッサーマンヨルダンなどは日本の宮中にも出されまたそこで味をしめた最高裁判事などにも人気がある。しかし最近は高級ワインでは甘口の割合が減っていることもあり、農協産だった。亜硫酸が充分に含まれているのであまり質はよく無い筈だが、それほど出されるわけでもなく、頭痛にまではならないだろう。

ルツェルンからティケットが届いた。昨年の喜びはないが、心配していた価格が想定通りだったのでよかった。何よりもゲヴァントハウスが尋常の価格でよかった。本年の欧州室内楽団と同じ価格のようだ。他の会場よりも若干高めかもしれないが会場の大きさと音響を考えると可成りお得だ。ベルリナーフィルハーモニカーに足りないものを聞くことが可能で、ヴィーナーフィルハーモニカーから欠けるものはそれほどない。東独の経済的な水準が異なるだけでこれだけのお得な管弦楽需要はないと思う。アンドラ―シュ・シフのピアノまでが付いて、バルトークの三番である。

シフのリサイタルはもう行くことは殆ど無いと思うが、こうしたレパートリーを超一流に弾いてくれればそれ以上にはもう求められない。そして後半は場違いのようなドビュシーの「海」に、「火の鳥」が来る。他の管弦楽団ならどうしてもとは思わないのだが、ネルソンズがこうした重要な作品をこの管弦楽団で振るとなると俄然興味が湧く。もう一つのブルックナーの八番よりも刺激的だ。与えられた券もバルコン二列目なので悪くはないだろう。100フランは音響さえよければ許容範囲である。

しかし、ベルリナーフィルハーモニカーの方もバルコンで合唱団の声が通りやすいが屋根の下に入らないか一寸気になる。クラスを上げただけの価値はあるが、その価格からするとバーデンバーデンでの同じプログラムが如何にお得かがよくわかる。演奏は勿論夏の方が間違いなくよく、こちらも二回目なので細かなところまで審査可能となる。もう一つは金券が付いているので、ロンドン交響楽団を注文するときに一座席クラスをアップグレード可能となる。

そろそろこの辺りで来年への計画だ。先ずは、エルプフィルハーモニーでウエストサイドストーリー舞曲と「春の祭典」だ。お勉強が欠かせない。そのあとに、チューリッヒでベートーヴェンの一番とメシアンの二曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲である。そのあとの「フィデリオ」から「レグランマカーブル」を挟んで「ミサソレムニス」である。そこまでを見ながらお勉強計画を立てよう。しかし「春の祭典」はユース楽団とは言いながら結構楽しみだ。



参照:
独墺音楽のコムパクト 2018-09-01 | マスメディア批評
生中継の妙、色々 2018-08-19 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-12 23:26 | 文化一般 | Trackback

大きなレープクーヘン

d0127795_23480977.jpg
夜中に帰宅した。通常ならば午前二時前に帰宅だったが、睡魔に襲われて休み休みで一時間以上遅くなった。仮眠しても駄目な時刻帯である。「オテロ」など休憩一回ならばそれほど長くもないとも考えたが、結局駐車場から車を出した時には22時半を超えていた。

予想された降雪は、引けて出ていた時には止んでいてほとんど影響はなかったが、それでもミュンヘン市内は方々にシャーベットの深い溜まりが出来ていた。しかし高速道路での影響は殆ど無く快調に飛ばしたが、シュトッツガルトが近づいて、午前零時を遠くに過ぎると眠気が寄せてきた。

ミュンヘン、アウグスブルク間では購入したソーセージを二本齧っていて真面な食事をしていない割には元気だったが、なんとなく元気も無くなってくる。エネルギーが足りないのだろう。そこでお好みで選んだ三種類のレープクーヘンの一つに手を付けた。エリゼンレープクフェンと言ってニュルンベルガーの一種らしい。丸くて厚めなのが特徴のようだ。一つ2ユーロほどするが流石に食べ応えがあって、味もその価値がある。少なくとも家まで運転する栄養分は摂れた。

今回は19時始まりで、18時からガイダンスだから月曜に出かけるのにそれほど負担はなかったが、降雪のことを考えて早めに出た。そして来年の「フィデリオ」のティケットを三枚回収してきた。一枚要らないので、一枚は売りに出すことになる。

引き取ってからダルマイールに買い物に寄った。先ずはいつものトルテを四つで20ユーロ近くになった。テリーヌのほかは煮凝りと、レープクーヘンだった。どれもこれも決して安くはないのだが、これは高すぎて価値がないなと思うものは少なくないのがお気に入りだ。

早めに駐車場に戻ってから、服装を整えて、駐車料金を前払いに行った。するとどうだろう、もう窓口ではカードを扱っていない。カードで払うときはミュンヘン市内にあるように暗号番号付の自販機しか使えない。するとカードがどうしても決まってくる。今回は18ユーロ超えと比較的安かったが高い時は25ユーロほどになるのでやはり不便だ。

まだ時間が十分にあるので、ガイダンスへと向かったが、初めて最寄りの入り口に向かうと長い列が出来ていて驚いた。いつもは正面玄関から入って、ぎりぎりに入るだけだが、今回は初めて普通に入場した。その内容はまだ改めて語ることがありそうだ。

劇場ではスープが無くなっていて、仕方がないのでよく出ていたどんぶりのアイスの球を二つ食した。素材も悪くないのが、5ユーロ50の価値はあった。結局一日中、朝食を除いて甘いものばかりを食べた一日だった。



参照:
気に入るということは 2011-12-21 | 料理
十七時間後に帰宅 2018-06-30 | 生活


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-11 23:53 | 料理 | Trackback

やはりライヴに来て

d0127795_21133944.jpg
やはり生でなければ分からないことがある。これはメディアを幾らかは知っている者にとってはとても考えさせられる。ミュンヘンで11月23日に初日だった新制作オペラ「オテロ」を生放送で聞き、録音して、更に12月2日の第三回公演を映像を含めてストリーミングで見てDLした録画を道中流していた。そして第五回公演を訪ねて改めて経験した。ミュンヘンでの初日シリーズをストリーミングの後で出かけるのは初めてかもしれないが、その影響があったのかどうかはよく分からない。なるほど録画したその映像も流していただけなので、正しいメディア需要ではない、それでも明らかにそこに欠落していたものがあったと思う。言い訳をさせてもらえば、その欠落の存在を初めから何となく感じていた。

今回の制作は、「アイーダ」や「椿姫」作曲で有名なジョゼッペ・ヴェルディの晩年の作品「オテロ」であり、そのシェークスピアの「オセロ」との関係にも公演前のガイダンスで若干触れられていた。因みに今回の講者はオペラ劇場のドラマトュルギーを担当しているマルテ・カースティング博士である。ペトレンコ指揮制作の重要なスタッフである。ガイダンスは何度か訪れたがいつもあまりに哲学的に抽象的で全く価値がなかったが、流石にカースティング博士の場合は音楽と演出の双方のドラマを司っているためにとても具体性が話の裏に感じられた。

この制作の価値を測る場合に、その創作の依頼やその工程にまで言及するのはとても重要だった。要するに一度は筆をおこうとした作曲家の再びの創作意欲や動機をそこに想像しないといけないからだ。音楽的に詳しくは来年の復活祭のバーデンバーデンでの準備まで時間があるのでゆっくりやっていく、しかしそうした詳細な作曲技術的なアナリーゼよりも後期のヴェルディ作品を読み込むときにはやはりその「オペラ事情」を考えるべきだ。

簡略すれば、影響を与えたリヒャルト・ヴァークナーはバイロイトにおいて理想を音楽劇場として創作した。それならばヴェルディは、ただそうした音楽的な方法を利用しただけで、ただイタリアの「オペラ」を創作しただけなのか?これが問いかけとなる。

音楽の詳細には一挙には触れないが、キリル・ペトレンコと管弦楽団が劇の土台を形作ったとするような論評は正しかった。これも具体的には分かりにくい表現なのだが、例えば指揮に対して楽団が敏感に判断して出来上がるドラマとは、ヴァークナーではあるのか、それならばヴェルディではと考えるとこれはとても音楽的に深入りすることになる。前日に客演したヴィーンでは全てが無視されているような演奏だったが、流石にここではベルリナーフィルハーモニカーが羨む六年目の関係は只者ではない。指揮に食らいついてくるだけでなく、それ以上に敏感に音楽的な反応がなされる。まさしくペトレンコが理想とする「共にムジツィーレン」がそこにある。

ミュンヘンの座付管弦楽団が、その各奏者が真面目に準備してとかの心構えの問題ではなく、私自身が学ぶことばかりなのでお勉強をして準備するのと同じように、残された機会に如何に多くの音楽を学べるかと貪欲になっているからだ。

具体的には、一幕におけるとてもシャープな不協和とヴァイオリンのピアニッシシモのダイナミックスと音色の相違も甚だしく、予想以上に声が通ったカウフマンのオテロの第一声も決してドミンゴの第一声に引けを取らなかった。その背後にはとても制御された管弦楽があるのだが、その自然な流れ、二幕へと更に淀みなく、自由度とその劇的効果は初日、三日目を上回っていた。その二回との比較すれば、やはりその間にフィッシュ指揮の公演が挟まった影響もあるかもしれない。なにか自由に指揮棒に反応するような見事なもので、楽員の各々が自らの表現意思のようなものを発散させていた。このような指揮者と管弦楽団との関係は今まで知らない。

二幕はとりわけ素晴らしく、ショスタコーヴィッチの「レディ―マクベス」での引用を感じさせる一幕以上に、古典的なイタリアオペラ劇の造形美を堪能した。ヴェルディの扱いは三幕の大掛かりな対位法のみならずに、初期からのそのオペラ劇場的な骨子が音楽的に嵌められていて、シェークスピア劇へと最後の「ファルスタッフ」への道程がはっきりする。批判されていたデズデモーナのハルテロスもその点を留意していて更に修正していたのは確認されたが、それどころか舞台の印象もコケットさをもう少し落としたような感じで、恐らく歌声で留意した分デズデモーナの推定年齢が下がったような印象だった。ただ一つクライバー指揮のスカラ座の上演と比較して至らなかったとすれば合唱団の若干暗い歌声で、やはりイタリア語文化圏の中での声は輝かしさが違う。それは逆も真であるのは当然だ。(続く



参照:
PTSD帰還士官のDV 2018-12-03 | 文化一般
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-11 21:14 | 文化一般 | Trackback

客演のための課題曲

d0127795_00030313.jpg
ヴィーンからの生中継を聞いた。先ず後半のブラームスはソファーに座って真面目に聞いた。悉くミュンヘンでの表情記号が無視して演奏された。勿論同意の上だろう。テムピも明らかに二割ほど遅めに感じたが、実際はアコースティックと間の取り方が大きいと思う。強弱記号まで無視されていて全く異なるバランスで演奏されたので驚いた。ここまで妥協するには明らかな意思が働いていた筈だ。そもそも一昨年のデビュー定期公演からして今回の再演がありえないと思っていたが、キリル・ペトレンコは腹を括っていたのだろう。放送で「好きなようにやらせた」というその通りだった。

我々などは、あれだけルーティンで演奏するなら、指揮者無しで演奏会をすればよいと思う。しかしそうはいかないのだろう。そのように考えると、ああして素人相手のように指揮してくれる人がいるとやはり正確に演奏するようになるということらしい。その辺りはペトレンコも意識していて、ヴィーン流で何が出来るかを考えて振ったものと確証する。客演指揮者としてそれ以上のことは不可能で、同地でオペラに客演していた時も同じだったろうと思う。その意味からしてもこの曲の正しい演奏は待たなければいけない。素人交響楽団には無理だ。一昨日放送されたハムブルクで客演で指揮したNDRの放送交響楽団が少なくとも同じような年齢でバイエルンでデヴューしたフルサ指揮の放送交響楽団よりも遥かに上手に演奏していたので、座付管弦楽団と交響楽団の差や指揮者の仕事がよくわかる事例となった。

話しによるとこの曲と集中して練習したのがルディ・シュテファンの曲だという。これはペトレンコは2012年にベルリンで指揮している。曲想自体も後期ロマン主義的作品なので独自のサウンドが欠かせない。その意味からヴィーナーでの演奏を期待していたが、それなりの価値はあったと思う。少なくとも六年前のベルリンより良かったのではなかろうか。ベルリンのコンツェルトマイスターサルヴァータの演奏も決して悪くはなかった。

さて二曲目のリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」の演奏は、嘗ての日本の映画評論家淀長さん的に一点だけ誉めておきたい。最後の葬送の和音が出るところでこれはとても良かった。あとはヴィーナーフィルハーモニカーに課題曲を与えたようなもので、弦楽陣だけでもこれをしっかりと音化出来るようにならなければ、幾らペトレンコが今後振っても詮無いことだという宣言にもとれる。あの会場でどのように響きと線をしっかりと響かせるか。全く独自のアンサムブルの問題でこれに簡単に手を突っ込める指揮者はいないだろう。少なくとも客演はさっさと逃げ帰った方がよい ー 既にキリル・ペトレンコは帰宅しただろうか。天気も悪いので自転車にも乗れず、精々疲れを残さないようにして欲しい。

キリル・ペトレンコが継続的に客演する楽団は今までも限られていて、ベルリンに移れば更に絞られるかもしれない。イスラエルフィル、RAIトリノと並んでヴィーナーフィルハーモニカーとなるかどうかは分からない。フォアアールベルクの交響楽団だが、これはマーラーシリーズが終わるまでだ。因みにラディオでも親父さんがそこで活躍したとあったが、楽団の前身とを考えると若干複雑だと思う。

但し今回は前回とオーストリア放送協会の紹介の雰囲気が変わっていた。つまり、最初から「ともに音楽をすることが、そこで報われることが」と始まり日本での記者会見の内容を二三度繰り返していた。要するにお言葉拝聴から始まるという如何にもオーストリアの公共放送第一らしい敬意の表し方だ。前回はまだまだヴィーンで修業したフォア―アールベルクにやってきた移民音楽家の倅の腕を見てやろうぐらいの扱いだった。やはりベルリナーフィルハーモニカーのザルツブルクでの登場が扱いを変えたと思う。



参照:


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-10 00:04 | | Trackback

しっくりこない感じ

d0127795_18263554.jpg
いらいらする。しっくりいかない。先ずは「オテロ」お勉強の三幕まで再び通したが、見えてくるものが少ない。後期のヴェルディは複雑だ。ヴァークナーの影響が強過ぎて、その手法が見えてこない。あれ程明白に和声付けをしていながら可成り外してくると今度はその運びがしっくり来ない感じがする。

特に先日スカラ座からの「アッティラ」上演のような初期作品の面白さを再確認すると余計に繋がりに目が行く。因みにその上演は録音録画をDLまでしたので、改めて鑑賞したいが、その直前に考えていたことを思い出した。つまり指揮者のシャイーは、あの記念碑的な「シモン・ボッカネグラ」や「マクベス」上演のクラウディオ・アバドの芸術にどこまで係っていたかという疑問だ。それに気が付くような演奏で、アバドのようなあまり練習しないような指揮者にはアシスタントの力が大きく、それでなければあれだけの上演の後でミュンヘンで同じようなキャストで27歳の若造が新制作を振るわけがないと思った。要するにミラノでの「シモン・ボッカネグラ」上演もシャイーの力なしでは存在しなかったのではないかという仮説である。それを感じさせた。そして映像を見ていたら、私を初期にフェースブックに誘った友人が第一プルトで弾いていたようだ。長く顔を見ていなかったが、スカラ座でも二代目の演奏家だ。再度録画を確認してみよう。先日そこのソロ奏者と仕事をしているという別の友人に「その人とは私の友人は別人のようで、どの位置で弾いているのか知らないけど」と話していたところだった。その位置はソロなのか副なのだろうか?

序でながら、その音楽談義の中でドイツェオパーでも演奏していた彼に、「マイスタージンガー」ではドイツ配置なんだぞとミュンヘンの自慢をしたら、「それはないでしょう、コンサートは分かるけど、奈落では見たことないよ」と話していた。私も逆に驚いた。なるほど「マイスタージンガー」などはベートーヴェンの交響曲の編成ぐらいだから問題なくても、大編成となると難しいだろうなとは思った。逆にヴァークナーのバイロイトのための楽劇は対抗配置は当然だ。勿論バイロイトの奈落の深い劇場のように反射板が上にないので、第一ヴァイリンがよく聞こえるように左右を入れ替える必要はない。その話し手の彼も助っ人でミュンヘンで「ローゼンカヴァリエ」も演奏したというのだが、あの当時はズビン・メーターが監督だった筈だが、どうだろう。

兎に角、春に彼の演奏するコンサートに誘われているので、そこで再会したときにでも、中々こちら側からでは気が付きにくいことを尋ねてみようと思う。正直、彼自身もそうだったと思うが、こちらも昔は座付楽団のノウハウなんてことに興味がなく、精々音楽的な表情をどう出しているかぐらいにしか関心が向かわなかった。そう言えばもう一つの話題で、座付楽団が遅れて出る話しは、メストが語るように、「一呼吸の吸気のタイミング」は彼の口からは出ずに、ミュンヘンのヴィオラ奏者が語っていたように、パワーが出るというどちらかというと合気道的な感じで気を入れる感じがするらしい。この辺りは指揮者がどう見るかと楽団員がどのように感じているかの差であって、とても興味深い。要するに、主体客体の相違だろう。

もう一つ、もはやオペラ漬けだが、メトからの生中継を一部聞いた。開幕の日に会場に来ていて、インタヴューに答えていたオポライスが修道女アンジェリカを歌う叔母さんのいじめシーンからだ。流石に昨年今年とヤホの歌で再三録音録画を流し二度聞いただけのことはある、よく頭に入っている。ミュンヘンでのミヒャエラ・シュスターの圧巻のド迫力は例外としてもあまりにもアンジェリカと叔母さんの声が近過ぎる。そもそもオポライスも自国語でしゃべるととても感じがよいのだが、英語やそして歌声になると力みがあるのかあまり魅力的ではない。更にここでは太過ぎて、なるほど私生児の母でとなるが、良家のお嬢さん上がりには聞こえない。ヤホの精妙なヴィヴラートと比較されると気の毒ではあるが全く対抗出来ない。

指揮のデビリーもミュンヘンでも活躍しているが、ここではまるで事件もののようなおどおどろしい音楽になっていて全く感心しないばかりか、管弦楽もコヴェントガーデンよりも大分悪い。あの時はペトレンコ指揮でなぜここまでも印象派風に音を細やかになるのかは不思議に思ったが、こうした問題点が解決されていたことは間違いないと改めて思う。特に二度目の訪問などは舞台など一瞥もしていないぐらいだがその歌唱や演奏を想起してその美しさに浸る。

お目当ては、三部のジャンニスキッキをメトデビュー五十周年のドミンゴが歌うことだろう。なるほど登場から拍手が沸き起こる。そしていつもの歌声が温かみがあっていいのだが、こちらはまたアムブロジオ・マエストリの名唱をまた管弦楽団の巧妙さを比べると、なにもこの役を歌う必然性を感じなかった。なるほどメトの普段の上演のキャスティングも凄いと思うが、ミュンヘンの新制作を選んでいけばそれ以上に豪華なキャスティングであることを改めて知る。そして最近はいつもあんなものはもはや通常のオペラ上演でないとは思いながらも、その演奏水準が高く、とても幸せな気持ちになる。



参照:
思えば遠くに来たもんだ 2018-12-04 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
企業秘密の領域へ 2018-10-09 | 音


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-09 18:28 | 文化一般 | Trackback

不整脈辞退を受けて

d0127795_19415925.jpg
スカラ座からの放送のテストを流そうかと思っていた。そこに入ってきた情報は待ちに待ちかねた朗報だった。来年のバーデンバーデンの復活祭は史上最も賑やかになる。現役指揮者の大物二人にキリル・ペトレンコが勢揃いする。ズビン・メータにリカルド・ムーティとなれば現役ではこれに匹敵するのはもう少し若いバレンボイムしかいない。MeTooでアムステルダムで解雇された指揮者はローマの音楽監督に就任したようだが、流石にベルリンは切った。先日登壇したバイエルンの放送交響楽団はそもそもスタディオに引っこんでいれば話題にならないが、やはりドイツを代表するフィルハーモニカーには具合が悪かった。

急いで席を押さえた。監視していたので出券状況は大体分かっていたが、その二月前とあまり変わっていなかった。始めから狙うようなお得な座席が買えた。先ずは一枚押さえた。そもそも復活祭の「オテロ」はムーティ指揮でという希望だったが指揮者が練習時間が取れないので難しいと固辞した。そこでその代りにバーデンバーデンだけの特選プログラムとして聖週間に「死者のためのレクイエム」を二回振る - 個人的にはジュリーニ指揮の名演をフィルハーモニーで聞いて以来だ。その代りにコンセルトヘボーの監督である筈だったガッティが「オテロ」を振ることになっていたのだが、指揮者としてよく知らないうえにそのコンサートプログラミングなどを見ていると底が浅く興味がなかったので、今回は一切オペラは購入していなかった。ミュンヘンでの後につまらないものは聞きたくなかったからだ。

そこに今最も時間が溢れている指揮者ズビン・メータが入る可能性は強かったのだが、ミュンヘンでガッティがそのまま登場していたので、更迭するにはそれなりの説明が必要だったのだろう。しかし今回はバーデンバーデンの祝祭劇場の発表によると指揮者ガッティが「健康上の理由で辞退」とある。そもそも最初から話しをつけておかなければカレンダーが真っ白のメータ氏でも直ぐには発表には至らない。つまり裏ではやり取りがあって、12月4日にも就任するローマで開幕の「リゴレット」キャンセルしたようだから何か動きがあったとするのが自然であろう。5日のバイエルン放送協会によると「不整脈」とイタリアでは報道されているそうだ ー 4日は振ったとか、どうも情報が錯綜していて、ガッティ側の混乱ぶりが伺える。

恐らく腹切りのようなところがあって、辞退を条件に少なくとも祝祭劇場から「絶縁することなく」という言質を取ったので、交渉があったのは間違いない。興味深いのはベルリナーフィルハーモニカーがもしくはツェッチマン支配人が隠れているところで、これもガッティと楽団の間で合意に至ったとする方が正しいかもしれない。つまり楽団にとっても難しい決断をすることなく、一先ず様子見を続けられ、ガッティ側にとっても一先ず凌ぐことになる。見方を変えれば、復活祭には日程的に限界なのでツェッチマン支配人が迫ったと推測する。

これで一先ず復活祭へと駒を進める。そこで個人的にはたと気が付くのは、「オテロ」の音楽がもう一つ頭に入っていないことで、これは週末塗装の修理でもしようかと思ったが順延する。なぜならば、予定していなかった復活祭に再び「オテロ」となればよほど勉強しておかないと判断が難しくなるからで、今回のミュンヘンの上演に全力を傾けなければいけないからだ。演出のロバート・ウィルソンは今まで感心したことがないが - そもそも今回のミュンヘンでの質には対抗しようがない -、 これもまた話しのタネにはなる。

朝一番で峠を攻めて帰宅した。降雨と降雨の僅か30分ほどの時間を活かしたかったからだ。これでミュンヘンから帰ってくるまでは運動しないでもなんとかなる。週末はヴィーンからの放送と「オテロ」勉強に全てを賭けたい。干し物などしている場合じゃない。



参照:
呪術から抜けられずに 2018-08-12 | 文化一般


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-08 19:44 | 文化一般 | Trackback

Wブッキングの逡巡

d0127795_23231400.jpg
2Tの外づけHDDをコピーした。三日間ほど掛かった。一夜は徹夜で働かせた。いちいち内容を確認することなく、次はこのHDDを初期化して、3Tの内容とコピーした内容を合わせて再構成する。手動で判断しないといけないので更に時間がかかるだろう。性格上、無駄なコピーかもしれない動かしていないハードがあるのが精神衛生上宜しくない。かといってコピーを無暗に整理するといつか困るときもあるかもしれない。

YouTubeで演奏風景を見たので、改めて録音を流す。リサ・バティシュヴィリが弾くチャイコフスキーの協奏曲である。放送を聞いて録音を流して、夏のザルツブルクやベルリンでの録音風景と伴奏が違うのは当然だが、それ以上にガルネリ・デルジェスの響きの違いを感じた。何か弓の圧力が強そうな感じで、実際に胴音が鳴るところがあった。バレンボイムの若い時からのダラーとした棒に更に年期で益々何事にも動じないような指揮で上手に合わせていて感心したが、フィラデルフィアでのネゼセガンは遥かに細かくロココに合わせてくれると想像していた。

実際とても敏捷でよいのだが、例えばペトレンコが悲愴の二楽章で弦楽陣に弾かせたようなあまりにもの名人芸の洒脱さに匹敵するものは聞けなかった。丁々発止とこれでもかというぐらい合わせてくるので余計にソロの方も同じような感じになっていると感じた。しかし繰り返して聞くと、何よりもの違いは管弦楽団の基本ピッチだと今頃になって気が付いた。結局デルジェスもそれに合わせて弾くとあのような響きになるのだと漸く分かった。どちらがどうとは簡単には言い切れないが、勿論ピッチが高い方が華やかで瀟洒な感じが出やすい。名人芸が要求されることには変わらないが、アメリカの交響楽団を聞く場合はこの辺りも留意してく必要があると思った。

週末は、先ず金曜日のミラノからの実況放送が終わって、日曜日のヴィーンからのマティーネーがあり、フィラデルフィアからは昨年のオ-プニングコンサートが再放送される。曲自体は欧州ツアーとアジアツアーに演奏されたオルガン協奏曲とチャイコフスキーの四番で前者は生で後者はツアーの放送を聞いている。前者も放送で聞き直して、後者はホームでどの程度の水準で演奏しているか確かめてみたい。

ルツェルンフェスティヴァルの「アボカルテ」が来週ぐらいには発送されるだろう。予約状況にまだ余裕があるらしくお便りが来ていたが、一体全体、個別の券の価格が未だに書かれていない。流石にスイスとは言いながら中々な商売である。希望したベルリナーフィルハーモニカーは大体の額は分かっているが、ゲヴァントハウスが不明だ。本来ならば大分お得な筈だが、ルツェルンではロンドンシムフォニカー並みには取るのではないかと予想する。直接二つの管弦楽団を比較するのも目的なので、席は敢えて変えるが、余分に払うのは仕方がないとも覚悟している。

それにしても先日からNDRが流していたキリル・ペトレンコ指揮のスークの録音がCD化されているコーミシェオパーのものではなくてNDRであの当時に演奏していたのは知らなかった。前半のピアノ協奏曲はムストーネン演奏で既に録音しているが、アスラエル交響楽は珍しいので録音が欠かせない。但しイタリアからの放送とのダブルブッキングになって頭が痛い。二台同時に録音してもよいのだが、信頼性が高いのはLINUXであり、音質も申し分ない。

詳しく調べてみるとRAI3のオペラは20時30分までになっている。NDRが20時始まりで、協奏曲ぐらいが重なる。その後オペラはARTEで21時45分から放送である。22時までがNDRなので、ARTEの方は大抵はオンデマンドで綺麗に落とせるのでそのままWINで流してもよい。

つまり、18時から休憩の19時まではオペラをLINUXで録音、そして19時13分からの後半はWINで録音となる。イタリアの時計がそれほど正確とは思わないが、20時からはNDRをLINUXで録音すれば右往左往しないで済むだろうか?NDRの放送を32Bitで録音してみたいのである。協奏曲もベルリンでのおかしなテムピのラルス何とかのピアノよりも遥かに良かった。

ピアノで思い出した。車中のラディオが盛んにシュヴェツィンゲンの音楽祭の前売り開始を盛んに広報していた。そもそもSDRのフェスティヴァルであり昔日本で憧れた音楽祭だった。プログラムを見るとクラリネットのオッテンザムマーなどがレジデンスとなっていて、SNNでも話題のピオトール・アンデルジェフスキーのリサイタルは18ユーロならと思ったが、紹介文を見てやめた。何やらバッハでもなんでも音響を聞かすようなので今更プレーバッハは興味ないと思った。他のプログラムならとも思うが、例え500人規模の小ホールとは言いながら18ユーロは高めだ。同じ時期にアムランを9ユーロで聞くことを考えれば交通費は半分としても腰が引けた。



参照:
スカラ座からの初日中継 2018-12-06 | 文化一般
イアーゴに騙されるな 2018-11-06 | 文化一般



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-07 23:25 | 生活 | Trackback

スカラ座からの初日中継

d0127795_23032206.jpg
車中のラディオがミラノの街の様子を伝える。スカラ座シーズンオープニング前の街の清掃などのお話だった。ハプスブルク家の歴史的なことに触れつつのミニドキュメントだった。金曜日にミラノからの中継があるのでSWRバーデンバーデンやARTEのジャーナリストが前のりしたのだろう。兎に角、金曜日夕方からの「アッティラ」中継が楽しみだ。なぜならばイタリア人指揮者シャイーのオペラは1980年2月9日のミュンヘンからの中継録音放送しか聞いたことがないからである。その印象は間違っていなくて、オペラでそれほど成功していないらしい。

そしてこれを書きながら手元にあるエアーチェックのカセットテープを回してみる。ドルビー無しで録っているようだが、サーのノイズにあまり気にならない一方、音も割れていない。なぜか上手に録音していて、オリジナルの質も何かすごくいい。先ずこの演奏がお宝ものだ。

最初のプロローグのさざ波のテーマからして驚くほど明晰な音を出している。サヴァリッシュ時代だと思うが監督がこれほどまでにシャープな音を出した覚えがない。指揮者のシャイーは僅か27歳になる数週間前である。しかし歌手陣はまさに決定版のストレーレル演出のアバド指揮のそのままの陣営だ。つまり、カプリッチリ、ギャウロフ、フレーニ、ルケッティというとんでもないキャストで、恐らく新演出だったのだろう。調べてみるとオットーシェンク、ローゼの名前が載っていて、二日前に初日を迎えている。そして管弦楽団が現在の水準かと思う以上にシャープな弦を弾いている。

まさにこの世界一のトレーナ指揮者の特徴が出ているが、それにしてもあの会場で当時の録音でこれほどまでにエッジの立った響きを実現させる手腕は今考えると驚異だ。当時はアバド指揮よりも率直なカンタービレで驚いたのだが、当然のことこれらを位置付けるだけの知識もなかった。しかし、その後にコンセルトヘボーやゲヴァントハウスを再び世界の頂点に持っていくだけの手腕はこの若造指揮者に宿っていたことになる。そうした手腕を持たない同じように若いうちから起用されたベルント・ハイティンクが若造を妬むのも当然だろう。

歌手との辛みでは大歌手に合わせながら自己主張もしていくというような協奏曲指揮のような塩梅に聞こえるが、それにしても見事だ。コンセルトヘボーの指揮者ガッティがMeTooで失脚したが、そもそも前々任者36歳のシャイーに比較すると大きな期待はできなかっただろうと思う。そのアバドの下でアシスタントをしていた指揮者のスカラ座でのこの三年ほどの成果が聞ける。それどころか時差で映像が楽しめる。これまた見逃せない - 後日NHKでも放映されるらしい。



参照:
生中継の妙、色々 2018-08-19 | 雑感
親しみ易すすぎる名曲 2017-10-24 | 生活




[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-06 23:05 | 文化一般 | Trackback

一先ず軽快さを満喫

d0127795_21271148.jpg
一先ずノートブックを常時SSDで使えるようになった。ミニノートブックの方もSSDの容量消費していくと動きが悪いのではないかと思うようになった。録音はAudacityを使っているので、そのプロジェクトのままで記録しておくと、細分された音声ファイルゆえにとてもコピーに時間が掛かる。その割にメディアサーヴァーでは使えない不便さもある。

新しいNASストレージを手探りで弄っていくと、大体どのようなアプリケーションでどのようにバックアップしていくかが分かってきた。先ず基本として、フォルダ同調とバックアップの差異を更に研究すると、ウィンドーズでは前者のシンクロニゼーションがバックアップとされているのは例外的なようだ。つまりオリジナルを如何に消去してもコピーはストレージに残るというのが正確なバックアップであるとなっている。ストレージのウエスタンデジタルもだから二種類のシンクロとバックアップの二種類のアプリを用意している。

しかし実際にはその両方ではなくコピープログラムを使えばよい。どのコピーのアプリが良いかはわからないので、何種類か試してみた。その中でオリジナルのSmartWareというのは使いやすく信頼性も高そうだ。最初はどうしてもマニュアルで保存してしまう。今まで使っていたHDDのDディレクトリーに入れていた800G相当のファイルが大きい。音楽だけだけでもAudacityとして保存してあるのでとんでもない時間が掛かりそうである - 結局三日以上を費やした。

印象としてはUSB外付けに比較して全く早くない。所謂RAID1とされる方式で二枚のHDDに同じようにコピーするからだろうか。それは安全で結構なのだが、一部にその二枚のHDDの一つが壊れるだけでなく、システム自体が壊れてしまうとデータを呼び出すのが面倒だとあった。なるほどファイルにアクセスするにはそれなりの方法がいる。Linuxベースなので何とかなるとは思いながら不安になる。更にそうしてコピーした筈のAudacityをテストしようと思うとWinもLinuxでもどちらでも読み込まない。これには焦った。そもそも端末に限らず使えるものでなければ保存しておく価値がないからである。これは完全に買い物を間違ったと思った。

そして以前のHDDに戻して同じことをするとこちらでは同じでデーターを読み込んだ。Linuxの方でも読み込めたので相関性が確保された。どうも片方のPCが接続されている状態か何かで読み出しを邪魔していたようだ - 結局Audasityのプログラムが上手くインストールされていなかった。それでも読み込み終わるまでの時間は今までよりも長い。この辺りもしばらく使って調整していかないとなんとも判断しかねる。

データーの移動に時間が掛かるのはある程度許容可である。なぜならば早くても今までの例からして上手くコピーできなかったこともあり、信頼性が重要だからだ。それでも先ず最初のコピーは量も数も多いことからかなり時間が掛かりそうである。

そうこうしているうちに、USB3.0を二つ差し込めることが分かり、USBNASから直接コピーとなった。やはり早く確実だろう。それならば前記したようなシステム崩壊時の問題をこのUSBで接続した外付けHDDで解決できそうだ。すると、三つのHDD合わせて6TBを上手に使える。従来と同様にNASとして2TBを使うと、残りは1TBと3TBとなる。そこにシステムと3TBの特別バックアップをすれば先ず当分は用足りるではないか。なにかバックアップのバックアップのようでまるで神経症のようだが、なによりも今までの投資が有効に使えるのが嬉しい。

小さなアプリケーションはまだ幾つかあるが、殆どファイル無しで70GB使用済みだ。因みにNASストレージは2Tほど消費している。残り6TB切っている。重なるものは整理するとしても小さなものを買わないでよかった。

音楽界の実力者ネゼセガン指揮のフィラデルフィアとニューヨークメトでの活躍は目が離せない。そしてこの人のフランコーネの英語の喋りがとても軽快でいよいよ好調だ。結構真をついた楽曲解説もしているのだが安易な言葉使いながらその仕事現場からの声がそのまま伝わる内容で、全く虚飾が無い。なるほど音楽つくりも、言葉と同じように訛りながらも、誠実。先日のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の一楽章の後での拍手を利用して更に中断して一言話すようなしゃべりたがりだが、ジュークにしながらチャイコフスキーの真意まで考えさせる。そのフィラデルフィアが現在最もエキサイティングで音楽的に最高品質の交響楽団定期であることは疑いようがない。



参照:
NAS回転音の審査 2018-11-30 | 生活
次をリストアップする 2018-11-09 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-05 21:30 | テクニック | Trackback

思えば遠くに来たもんだ

d0127795_23334355.jpg
部屋着に下ろしていたジーンズが破れた。足の指をひっかけた。数年履いているから仕方がない。色目も薄いが生地も薄かったので重宝した。しかしこのところ自宅で足が寒かった。限界まで薄くなっていたのだ。幸い箪笥を探すともう一つ前のが残っていて、それで冬場を凌ぐ。新たな余所行きジーンズを今度はまた薄目を探す。現在のは厚めで夏には向かない。安売りが出るのを時間をかけて探しておこう。

久しぶりに日差しが嬉しい。古いHDDの個人のデーターは全てコピーした。三日ほど掛かっていたので完璧にコピーしていて当然だろう。どうしてこのWDのNASが遅いのかは分からないがミラーにしているから倍の時間になるのだろうか。まだまだ解せないところがあるが、新しいSSDともども十分に設定が出来ないのだと思う。

冬タイヤに交換した。最後の冬タイヤだと思う。まだ車検が通っていないので警察が来れば罰金ものだ。だから自動車会社の方も知らぬ振りをしている。部品が探せないなら他の方法を考えるべきだ。まだ20年も経っておらず健全に走っている車もあるので部品がないのは本社も具合が悪いと思っているのだろう。自分としては解体屋からとってきた中古部品で数か月もってくれれば十分なのだ。これでミュンヘン行きの準備には入れる。

音楽監督キリル・ペトレンコは週末のヴィーナーフィルハーモニカーの定期演奏会の準備に入っただろう。二回目の登場であるが今回はブラームスの第四交響曲だけは少し期待したい。なぜならばミュンヘンでの演奏はまさにその音の繋がりが上手くいかなかったからで、ペトレンコの意志を忠実に演奏可能ならば名演になると思う。前半のプェルツァ―のルーディ・シュテファンの作品もベルリナーよりもヴィーナーの演奏の方があの荘園で漁師町ヴォルムスのユダヤ風の味がよく出るかもしれない。日曜日の放送が楽しみだ。

完全放送は無いかもしれないが、今回はBMW主催の待降節チャリティーコンサートを劇場でも紹介している。曲目は前回のようにオペラからのアリアで登場歌手からすると「ジャンニスキッキ」からなどだろうが、教会演奏会とはいいながらもガラコンサートで100、120ユーロの価格設定は絶妙だと沢沿いを走りながら思っていた。この価格で寄付を一文も出さないでも寄付額の土台になって、その内容如何では、もっと出そうと思う人も少なくない額である。勿論ドイツ一の資産家女性のBMWオーナーも懐から一万ユーロぐらいは出すのだろう。BRも協賛しているので少なくともニュース報道映像ぐらいは出るだろう。

二日に録画した音声部分はRealtekともう一つの通常の入力が重なった可能性が強く千分の何秒単位のエコーが付いたようだ。音声は使えないが映像もろとも消去せずにいつか気が向いたら32Bit高品質録音から尺だけを合わせてWAVファイルを前半後半二本作ってシンクロさせればよい。MP4の映像も素晴らしいがコピー映像も捨てるのは惜しい。

再び初日の録音を流すと大分異なっている。冒頭の嵐のシーンから初日はまだまだ旧態的な演奏だったが、更にアンサムブルを合わせたことでくっきりと団子にならずに漸く初めて楽譜が音化された印象だ。これで次はフィッシュ指揮の四回目上演が挟まるが、監督が帰ってからその精度が再び上がるのかそれとも悪くなるのかも聞き逃せない。初日のバイエルン放送協会のマイクロフォンもストリーミングの日のテストも兼ねていた筈だが明らかにラディオ放送用で、ストリーミングのそれがそのままライヴ制作ものになるようなものとは大分異なる。後半も日によれば録画をするのではないかと思う、あれだけの出来ならば必要な編集をして記録制作する価値は間違いなくありそうだ。

初日と三日目の録音との最も大きな違いは、その明確度だけでなくて、ダイナミックスの大きさとまたまた激しい一撃の鋭さだ。32Bit録音を流していると驚かされる。バイロイトの上演でも奈落の深さを変えたのかと驚かされたが、今回のオテロも強烈な音響となっていて、ベルリンのフィルハーモニカーでなくとも、座付楽団とはおもえないほどあまりにも鮮烈さを実践している。

思えば遠くへ来たものだと思うほど、ミュンヘンでの上演の厳しい響きが増している。二月の「指輪」ではまだまだドライ過ぎだと思ったのだが、オパーフェストでの「ジークフリート」、フィルハーモニカーとのオープニングツアーを挟み、記念上演の「マイスタージンガー」とその棒は激しさを増していて、さぞや大指揮者ムラヴィンスキーが若いころはあのようではなかったのかなと思う。全く技術的な考察ではあるが、壮年期であのように無駄の無い鋭い指揮をする人はやはり稀だ。



参照:
PTSD帰還士官のDV 2018-12-03 | 文化一般


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-04 23:36 | 雑感 | Trackback

PTSD帰還士官のDV

d0127795_23341545.jpg
ストリーミング中継を流した。録音録画をしているとどうしてBGM程度の視聴になる。なるほどライヴ放送の醍醐味は異なるのだが、暖かい部屋でいい音でと思うとどうしても画像と音声がズレて臨場感が薄まる。特に今回はまだ生体験が済んでいないので、本当の臨場感はまだお預けだ。

ざっと見た感じでは予想以上に演出がよかった。詳しくは生体験する前に書いても仕方がない。しかし、コンセプトとしてPTSDを持った帰還士官とその家庭内暴力とすることでこのシェークスピアからの名作が新たに生き返る。それが20世紀に盛んだった古典の読み替えを感じさせない。それは表向きの設定の読み替えや辻褄合わせに拘っていないからで、音楽の本質的なところへと解を求めているからだ - こうした演出と比較するとコンヴィチニーやバリー・コスキーのそれなどはただのイデオロギーでしかないことに気が付くだろう。だからシェークスピア解釈ではなく、やはりボイートよりもヴェルディ解釈に近い。なるほど音楽監督のキリル・ペトレンコが気に入った筈だ。

だから拘りはこれでもかこれでもかと音楽に合わせて細かな演技をつけていく。ここまで細やかにそして構成的に演技をつけているオペラは初めてだ。舞台構成という点ではクリーゲンブルクの演出なども立派だと思うが、これほど精緻な仕事はしていない。

初日の批評で批判されていたこの女流演出家アメリエ・ニーマイヤーのいつもの色使いなどだが、そのグレーの色調は想像していたようには重苦しくも病的でもなかった。寧ろ、有名なゼッフィレッリの鉄枠のような構成やその権力構造を強調表現するために観念恐怖症に訴えかけるような舞台美術に依存するようなものでは全くなかった。それ以上に細やかな心理劇となっていながらも夜のTV放送のようにメロドラマになっていないところが見事だった ー イプセンとする評も見かけた。

歌手ではやはりイアーゴのフィンレーがよかった。なるほどバルテロスもカウフマンも細やかな演技指導の成果を披露しているが、前者は初日の問題点に留意していて、後者もよくなっていると思ったが、私が出かける日にはもう一つよくなって欲しいと思う。カウフマンのオテロにとってはこれ以上にはないと思うほど最適な演出で、企画としても大成功だと思う。但し私にとってはもはやカウフマンはベルカントのヴァークナー歌手でパルシファルの方がよかったと思う。トリスタンに更に期待したい。その意味から、フィンレーのイアーゴもどちらかといえばシェークスピアのそれで、南欧的ではない。しかし新聞が書くようにこのイアーゴの表現は今後とも一つの基準になるものと思う。シェークスピアを読み直してみたいと思わせる。

しかしなるほどこの演出での最後のどこか晴れない拍手の雰囲気もよく分かった。管弦楽は見事でアバド時代のベルリンのフィルハーモニカーの音と比較すると遥かに音楽的で完全に程度が上である。初日よりも良くなっていると感じた。そしてストリーミングがよかった。

技術的には一二度映像が一瞬乱れたが、伝送エラーのようなもので今までで最も安定していた。音響的には録音を聴くと若干会場のアコースティックが濁っていて喧しさがある。恐らく小さな音に合わせるために設置した補助マイクロフォンのミキシングで濁りが出ているのだと思う。特に映像の方は48kHzで録音したが最初のバッハラー支配人の解説から若干エコーがかかり気味で落ち着かなかった。理由はインプットのRealtekでのミキシングかどうかは分からない。試しに32Bitフローティングで録音したものは流石に一皮も二皮もむけたような音声となった。

そこでオンデマンドから1KのMP4をダウンロードする。5.1GBと2時間45分番組としてはまずまずだ。画像は申し分ないが、音声も252kbs出ている。 エコーも殆どなく落ち着いている。これは使いやすそうだ。因みに32Bitの録音は二部合わせて3.5GBになっている。映像は8Gほどになった。どれが使いやすいのかは色々試してみなければいけない。



参照:
待降節最初の土日 2018-12-03 | 暦
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-03 23:37 | 文化一般 | Trackback

待降節最初の土日

d0127795_22233163.jpg
本日は初めてSSDのシステムでストリーミング録画をする。プログラミングが正しくインストールされていれば従来のHDDよりも書き込み速度が速いので上手く録画出来る筈だ。先ずはテストで試してみなければいけない。もう一つのLINUXで実験的に32Bitで録音も試して見ようかとも思う。先ずはストリーミングが上手く流れるかどうかだ。

アバド指揮の「オテロ」の1997年5月のトリノでの演奏、最初はとても感心したものの二幕では大分荒が見えていたが、後半は更に悪い。なによりも管弦楽が下手で、恐らく現在のミュンヘンの放送管弦楽団程度の実力しかなさそうだ。その一方嘗てのカラヤン時代の楽員が残っているのかどろどろとおかしなアンサムブルをして頗る様式的にチグハグニなっている。特に気が付くのは最も自慢の第一ヴァイオリン陣からしてしっかりと歌い込めていない。

想像するにこの淡泊さは、現在も定年間近で活躍しているザルヴォータではなく、勿論クシュマウルでもないとすると、安永徹ではないかと思う。その影響で弦楽陣がどこまでも今一つなのにチェロが強く出たり、ここぞとヴィオラがしゃしゃり出るアンサムブルはあの当時にベルリナーフィルハーモニカーのはしたなさそのものだ。要するに音楽芸術的にもはや超一流ではなかったころである。その管弦楽の下手さは監督とはいえカラヤン体制から切り替えなければいけなかった指揮者の責任の全てではないのだろう。

しかし、一拍の中でのフレージングの明晰さのない個所や歌手との絡みになると極端にその指揮のコントロールが弱くなる。これは好悪もありながら後任のラトル時代にはなかったもので、この指揮者がこの交響楽団に対してそのオペラ演奏に関しては余興以外の何物でもないと思っていた節がある。そこがカラヤンの強引なオペラ演奏法とは異なるところだったのだろう。どうしても私などは今後のペトレンコ指揮の復活祭公演を考えて、今のフィルハーモニカーならばここはこのようにと思ってしまう。そうした弦楽陣の思いがけないほどの不味さに加えて管楽器群も冴えない。オーボエ族などは座付楽団並みにビーと太い音を出している。兎に角、下手な演奏で閉口する。オペラ劇場的な問題でなく、楽団として今日のミュンヘンの座付がどれほど上手く演奏しているかがよく分かる下手さ加減だ。

晩年にマーラーの八番の交響曲指揮を拒絶したように、クラウディオ・アバドの音楽の理解はとても幅の狭いものであったかがよく分かる演奏だ。「ボリスゴドノフ」のようにあれほど素晴らしい録音を残している反面 ― 後任者のラトル指揮にはそれほどのものがなく、その演奏を凌駕するのはペトレンコ指揮しかないだろう -、とても出来不出来が極端で、この指揮者が病魔に倒れずにそのまま君臨していたら更に酷いことになっていただろうと思われる。これはやはり今回のストリーミングを研究すると同時に、ミュンヘンに出かける前にカルロス・クライバー指揮のミラノスカラ座での演奏を一通り復習しておく必要があるかもしれない。

あまり重要ではないが、デズデモーナのバルバーラ・フリットーリはしっかり歌っていて、余計にホセ・クーラのいい加減さが目立つ結果になっている。この歌手に関してはその後に変えたとか何とかいわれるが、あのデビュー時点で明らかな欠点があって、本人も作曲するとかあるのだが、楽譜の真意を表現できない不器用さが目立つ。初めからメインストリームからは落とされるその芽ははっきりしていた。現在の一流歌手に要求される基本的な技能が欠けていたことは明らかだ。

最初の待降節土曜日だった。所謂クリスマスマルクトが始まりそれ用の飾りつけが点灯するということになる。四本の蝋燭を点火していく家庭も少なくないだろう。今年は最初のヘンデル曲のブラスの演奏だけであとは歌が引き受けた。ブラスのレパートリーもあるかもしれないが他所に回った可能性が強い。歌はどうも女性牧師が引っ張っていたようだ。珍しくそれほど寒くなく窓を開けて録画が出来た。



参照:
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
昨日の雪は昨年の雪 2012-12-08 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-02 22:24 | | Trackback

公平に選り取り見取り

d0127795_21044522.jpg
引き続き「フィデリオ」のティケットを購入した。三枚目である。二回は出かけるつもりだ。最初の一枚を購入するのに待ち番号34番がタブレットで出て、ログインに失敗して結局400番台で購入した。だから最終日も50番以内でなければ買わないつもりでいた。模擬試験ならば東大理三狙いだった。それが一番と二番と十六番を貰った。流石に会場の光景は写真が示すように違った。

新システムになってから裏口が閉鎖されたが、どうも正面口が工事中で普段から塀の隙間から出入りしているような人しか入れなかったようだ。つまり前回の「指輪」の時は明らかに裏口から入って安いツィクルス券を購入したが、今回は殆ど誰もいない正面から堂々と入場した。今までで一番買い放題だったのは言うまでもない。

その事情が分かったのは一つ目のPCを森に出かける前に開いていたが、いつものように二つ目のPCは帰ってきてから開ける準備をしていた。システムからすればいつ開けておいても同じだが、敢えて待ち時間を変えるのはこのシステムのフェアー度を試すためだ。そして汗をかいて帰ってきてシャワーを浴びる前に並ばそうと思って開けるとリンクが開かない。これはどうしようかと思ったが、一つ目のURLを書き取って入れると直ぐに並べた。ここがみそだった。要するに普段から準備している人はすんなり入れて、そうでない人は到底並ぶこともできない様な入口規制になっていた。敢えてしているのかどうかは分からない。オパーフェストのやり方も若干それに似ていて分かっている人は問題なく買える。

以前の方式は明らかに裏口だったがこの方式はいいと思う。但し私自身も一つ目を開けていなければもう少し苦労していたかもしれない。短い時間で何とかはなっただろうが、焦ったと思う。結局二つ目のIPでの登録は八分前ぐらいだった。つまり数分並べば一番にいたのだった。ランダムのシステムは頗るフェアーに作動している。そして二時間以上待った方も一番だった。こうなれば入口規制している分悠々とお買い物である。銀座三越10時1分のりだ。しかし中の壮観さは大分違った。

あれも欲しいこれも欲しいという一度座ってみたかった席も並んでいるが、既に二枚購入していることでもありつまらない再演でもあり、またこれだけ人気がないと心配になって適当な席を購入した。本来の申し込みはもう一つ上のいい席で籤に外れたのだが、より安くともそれほど変わらないギャラリーの最前席を購入した。一度「サウスポール」の初演時に最前列に座ったことがあるが、今回は大分真ん中寄りである。なんといっても最上階は音が良い。「パルシファル」の時に下階の端の方に座ったが横からの反射があってよくなかったので、それに比較してよいのは間違いない。更に今回の演出は上で歌わすようなので丁度良いのではなかろうか。因みに「ミサソレムニス」は第二バルコンを分け与えられたので、合唱団の歌詞がはっきり聞こえる筈だ。

あとは「オテロ」に出かける前にティケットを取りに行くだけだ。その時までにどれに行こうか行かないかを考えておけばよい。人気がないと心配になったのはキャストなのだが、指揮のキリル・ペトレンコは本拠地で休んだことがない。但しオールスターキャストなので初日はともかく、二日目、三日目は穴が開く可能性はある。カウフマンの休みもいたいが、カムぺは休まないと思う。コッホは半分ぐらいは休みだろう。グロイスボェックも一度も聞いたことがないかもしれないので聞いてみたい。二日行けば一通り何とかなると思うがどうだろう。

兎に角、私にとっては二度目の「フィデリオ」だが、先ずは徹底的に曲をお勉強したい。「フィデリオ」、「ミサソレムニス」そして第九と来れば、今年の七番に続いて、ペトレンコ指揮のベートーヴェンの可能性が明らかになる。その次は三番だから、これで先ずペトレンコのベートーヴェンは一息つくのでなかろうか。ツィクルスなどは考えていないのだから、あとは十年ほど掛けて一つづつだろう。その前にフィルハーモニカーが音響的に練られていく必要がある。



参照:
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
19世紀管弦楽の芸術 2018-09-04 | マスメディア批評



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-12-01 21:05 | 雑感 | Trackback

索引 2018年11月

NAS回転音の審査 2018-11-30 | 生活
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評
指揮者アバドの思い出 2018-11-26 | 文化一般
WLAN構築準備開始 2018-11-24 | 生活
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
ステップバイステップ 2018-11-22 | テクニック
またもやガチャ切り 2018-11-21 | 生活
何度も繰り返した挙句 2018-11-20 | 雑感
敵はクローム・グーグル 2018-11-19 | アウトドーア・環境
無用の長物TV受信機 2018-11-18 | 生活
利益背反のドレスナー 2018-11-17 | 文化一般
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
客家入りの喉飴 2018-11-15 | 雑感
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
オペラとはこうしたもの 2018-11-12 | 文化一般
論理逸脱にドラマあり 2018-11-11 | 音
無色透明な音の世界 2018-11-10 | 音
次をリストアップする 2018-11-09 | 雑感
アップデートの数々 2018-11-08 | テクニック
邪魔になるZDFクルー 2018-11-07 | 文化一般
イアーゴに騙されるな 2018-11-06 | 文化一般
もぞもぞとした地所の味 2018-11-05 | 試飲百景
狩りの日だった土曜日 2018-11-04 | 生活
赤みが薄い今年の紅葉 2018-11-03 | 生活
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感

[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-30 20:48 | INDEX | Trackback

NAS回転音の審査

d0127795_23434281.jpg
森に行くと週初めにトランクの位置に落ちていた鍵が無くなっていた。その時見つけて場所を考えて置き換えておいたものだ。家の入口用のようだったから直に戻ってくるかと思っていたが24時間後にもそのままだった。合鍵なのだろう。そしてその鍵を置いたところに紙が貼り付けてあって、Dankeと書いてあった。その場所に車を停める人は皆顔見知りで挨拶をしている。勿論鍵とホルダーだけでは誰か分からなかった。落とし主も誰が拾ってくれたのかなと思っていたのだろう。

先日日本yahooの記事で読んだ通りだ。amazonの将来はないだろうというのを実感する。昨年ぐらいにドイツェポストが配送に対応出来なくなってきたという問題が表面化した。ブラック労働になるアマゾンの倉庫だけでなく、配達が追い付かなくなっていた。そこで自身のネットを構築すべく各地方の業者を集めたようだが、これが全くうまくいかない。そしてポストの子会社DHLを動かしても昨年までとは比較にならないサーヴィス低下となっている。それならば他の業者に発注しようかという気になっている。それでもアマゾンに発注する利点は、気に食わなくて送り返すなどの方法が容易だからだ。

今回発注したNASストレージも最終的にはルーターに有線で繋いでそのファンの回転音を聞いてみないことには判断がつかない。勿論使ってしまうと返品は難しくなるが、その価格だけの性能が伴わなければ話にならない。そして発注したのだが、その後にもう一パーセント値下がりしたのでキャンセルしようとしたら遅かった。更にプライム会員にしか売らなくなった。私が発注した後はいつもそうなる。それだけいいものを購入していることには違いがないが、二つ目を買わした方が得ではないだろうか。それだけ他との競争力に自信があるのだろう。

そして配送ならなかった。DHLが配達せずに最寄りの局に預けてしまったからだ。勿論文句を言いながら引き取ってきたが、更に安いものがあれば取りに行かなかった。返送されればよいとも考えたが、先ず一つ目は返品も考えて、受け取った。

大体の重量やら大きさは知っていたが、その想定よりも軽く小さかった。これならばノートブックの方が重くて大きな箱に入っていると思った。早速ブートしてみた。その音は可成り大きく、それが収まらないようなら送り返そうと思った。しかし直にそれが収まって、HDDが動く音がした。大きさが違うので全く異なる太い音だ。その音が静まらなければ送り返そうと思った。暫くして落ち着くと、可成り収まった。机の上だと振動があるが床の上ならば殆ど問題にならないだろう。まだどこに設置するか決めていないが、喧しいようならば屋根裏部屋までケーブルを伸ばして隠しておけばよい。この最初のエミッション程度ならば使えるだろう。今までのUSB接続NASに比較して特別喧しいことはない。但し低音振動なので共振しないよに設置しないといけないだろう。



参照:
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-29 23:45 | 生活 | Trackback

イガイガをすっきりさせる

d0127795_23231981.jpg
スーパーで先日紹介したのど飴の違うのを発見した。日本薄荷入りのど飴だ。前からパン屋で見たことがあるような気がするが、いつものルッコラのど飴よりも安いので試してみた。正直日本の薄荷ってどのように違うのか思い出せなかったからだ。包装には長く引く味とあったが、実際試してみると、先ず鬢づけの油の感じがした。そのようなものは使ったことがないのだが、なんとなくそのように感じた。口を変えてから改めて舐めてみるとタイガーバームガーデンのナンキン油を思い出した。中に入っているどろっとしたのはあれだ。どこまで日本風かは何とも言い難いが、なんとなく懐かしい味というのだろうか。

NAS用のストレージを発注した。8Tx2の16Tで、550ユーロ以上する。ノートブックの価格である。ノートブックにはもう一年ストレス無しに働いてもらいたい。何とか逃げ切れると期待している。流石にその容量には躊躇したが、同じ機械で同じようなエミッションならば特に空冷のファンの動き方があまり変わらないようならば大きい方が価格的に得になる。

私の計算方法は、外付けが3Tで90ユーロだったので、二倍で180ユーロ三倍で270ユーロとなる。実際には半分の容量しか使わずに残り半分はミラーになるので使える領域は8Tのみである。先日計算したように50Gのブルーレイ映像は160本しか入らない計算となる。要するに加速度的に大型化が進めばこれも数年ももたない。それ以前に何年動き続けるかである。上手くいけば十年ぐらいはHDDも稼働するかもしれないが空冷などが喧しくなるのではなかろうか。その時までのことを考えると4Tx2ぐらいでは二年限定で大変高価なことになりそうだと思った。そして容量当たり割高になる。

ストレージに投資したのもクラウドには不安があり、それ以外のコムピュター機能は安く使えることを聞いたからである。つまり、面倒な計算をさせようと思っても、具体的にはプログラムを走らせるだけになるが、月々の僅かな費用で可能だと分かったからである。今後は高速の端末とストレージさえあれば何でも出来るということになる。何時まで経っても構築が進まないデーターベースもその方法でよい。

またストレージが重要性を帯びるようになった背景にはディスク離れがあるように思う。最後にDVDを購入したのも二三年前で、殆ど使わなくなった。むしろCDROMの方が便利なぐらいだ。つまり大きな映像などはもはやDVDの4GB程度では用がなさなくなくなってきた。要するに1Kに満たない映像も価値を失った一方、音楽に関してはまだまだCDに市場価値が残るというような状況がある。実際に24Bitで録音したもので通常は十分だからだ。それ以上はHiFi趣味となってしまうからである。そこで大きなストレージでこうしたメディア類を一挙に扱うというプライヴェートクラウドのNASの価値が高まったという状況がある。

そこで早速、録音や録画の質を上げる準備をしている。そもそもネットストリーミングの質などとバカにしていたが最近はどんどんとそれへの信頼性が増して、何も遠慮して録音録画の質を落とす必要がないことに気が付いたからでもある。ストレージ容量が用意されているならば、Audacity録音も32Bit96kHzに上げてもよいのではないかと思った。問題はPCが音飛び無しに稼働してくれるかどうかである。この辺りは実験を繰り返さないと数字だけでは分からない。

そこで何をどのようにストレージしていくかの基本構造を考えている。自動的なバックアップ機能を使うと同時に、出来る限りテムポラールな形でデータを処理して、逸早くストレージに移し替える方法を探っている。例えばWINのバックアッププログラムは本体を消去するとバックアップも消えてしまうので、専用のソフトを使うべきだろう。更に従来使っていたNASも目的を限定して併用する心算だ。3Tまでの容量があれば10G以上のファイルを除けば十分ではないか。そもそもこのルーターにUSBで接続したNASでは1Kの再生能力が限られている。



参照:
WLAN構築準備開始 2018-05-01 | 生活
2015年アルテレーベンの出来 2016-09-17 | ワイン


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-28 23:25 | 生活 | Trackback

生誕250周年への準備

d0127795_23220731.jpg
徐々に来年のお出かけの日程が決まりつつある。一月初旬のエルブフィルハーモニーに続いて、チューリッヒ、そしてミュンヘン、もう一度チューリッヒ、またミュンヘンとなる。かなりの走行距離になりそうだ。一番期待しているのはミュンヘンのミサソレムニスである。座付楽団のアカデミーコンサートは日本からの凱旋公演で初めて出かけたが、あまり満足できなかった。ツアーなどに比べて弾きこまれていないのはブラームスの交響曲4番で明らかだった。そもそも期待の一曲目のマーラーの歌曲のゲルネの歌唱が不満だった。来月冒頭のヴィーナーフィルハーモニカーはもう少しは上手く演奏するかもしれない。しかし今回は主役が合唱団であり、歌手陣がそのままローマでの第九と新シーズンオープニングツアーとも重なる。先ずはマルリス・ペーターセンの歌も注目したい。

しかしあくまでも主役は合唱団である。キリル・ペトレンコ本人の言葉を待つまでもなく、この合唱団がペトレンコ時代の可成り大きな意味を持つのは当然で、今回の「オテロ」、「タンホイザー」、「マイスタージンガー」と音楽的に重要な役目を果たしている。日本公演でも批判されていたように現代の室内合唱団のような性格である筈はないのだが、バイロイトやヴィーンのそれと比較して独自の個性が拓かれてきたのは管弦楽団の場合とよく似ている。合唱指揮者の仕事が大きいのだが、やはり舞台の上での芝居を含めた歌劇合唱団としての評価をしたい。今回は芝居は無い訳だが、とても良い歌を披露してくれるのではないかと大変期待している。第九は誰が歌ってもよいが「ミサソレムニス」は合唱団を選ぶと思う。将来ペトレンコがこの曲を指揮するときにどれだけ他に理想的な合唱団が存在するだろうかと考えると、意外に見つからない。

ベートーヴェン続きで、オールスターキャストの「フィデリオ」だ。既に二枚は確保したが、まだ日程がはっきりしない。もともとは最終日に焦点を合わせていたのだが、籤運悪く、ネット買いとなった。初日の待ち番号はなんと30番台を貰ったが、結局その座席は時間切れで買えなかった。あまりいい席ではなく、タブレット操作でログインに失敗したからだ。結局もう一つの待ち番号400番台で視界制限のある立ち見席を18ユーロで購入した。108ユーロよりも遥かにCPが優れていた。

ここから証明したのは、二時間前にネットに入ろうが、二十分前でも待ち番号とは関係ないという、ランダム選択がグループ別け無しに機能しているということであり、まことにフェアーなシステムになっている。このことを証明したのがこの日の大成果だった。二日目の席は、待ち番号220番台と500番台で、前者で適当なところで押さえておいたが、これもあまり良い席ではなかった。最終日によほど良いものが入れば購入するが、その場合待ち番号で50番以内は欲しい。

恐らく皆同じような行動をしているらしく、カウフマンファンなどのファン層は初日で勝負を掛けてきていている。そして我々のような音楽ファンは何よりもクラスSという価格付けがとても気になっている。要するに特定のファン層は高価な席から購入するが、音楽ファンは安い席から漁っていくことになる。

しかし私にとっての覚醒はそこではない。第九、ミサソレムニス、「フィデリオ」と来れば、250周年にミュンヘンでは「フィデリオ」新演出がないことが分かる。それならば2020年バーデン・バーデンは「フィデリオ」で決まりだと思う。今までなぜ気が付かなかったのだろう?やはりどうみても冴えない演出で、ガッティが態々ナガノに代わって振っていたようで、それとほぼ同じキャストで再演される。舞台練習はそれほど必要ないが、四回の公演で、翌シーズンにもう一度やるのだろうか。やるとすればオパーフェストでオールスターキャストか。そこである、バーデンバーデン復活祭ならば、カムペではなくて、恐らくヤコブス指揮「レオノーレ」で歌ったペーターセンの再演だろうか。するとキャストは全く重ならないので、上演占有権を犯す可能性もないだろう。

来年からのキリル・ペトレンコのスケデュールを考えると、いかに合理的に練習時間や勉強時間を嵌め込んでいくかにかかっているようで、コンサートレパートリーの拡大と同時にミュンヘンでの二つの新制作を基本に、再演を振るとしても次ぎのレパートリーとの関連でしかないということが分かって来たからだ。古い演出を四日そしてもう二日ぐらいのためだけに準備するとは到底思えない。更にバーデンバーデンではロシアものとか大掛かりなものよりも中編成のベルリナーフィルハーモニカーをスーパーオペラ向きに仕込むには使える曲である。出来れば演奏会形式を予めベルリンでやってきて欲しい。

バーデンバーデンの劇場にとっては予算も少なく、フロレスタンにフォークトなどの人気者を呼べば間違いなく経済効果大の話題の上演になる。そもそも最初から面倒な出し物をやる必要などはなく、精々コンサートでの第九も合唱団もそのままでみっちりと合宿して貰えば、上質な上演を安くあげられる ー いやいや「ミサソレムニス」をジルフェスタ―に続きバーデンバーデンに入れる方が正解だ、それなら合唱団はフィルハモニアヴィーンでいい。

シカゴ交響楽団をサロネンが指揮したマーラーの第九の一部を聞いたが、予想以上に悪かった。嘗てはもう少しメリハリの効いた指揮が出来ていたと思うがどうしたことなのだろう。プロムスからの中継も酷かったがまさかシカゴでもあまり変わらないとは驚きだ。この人ほど老化の早い指揮者を知らない。その売りがなくなると殆ど聞くべきものの無い指揮者でしかないと思うのだが、なぜかシカゴはこの人を頻繁に呼んでいて、まるでムーティの後を任せるかのようにさえ映る。前番組で流れた演奏などは昔の素晴らしさが聞かれたが、一体いつ頃からこんなに悪くなったのだろうか?前々回の二十年ほど前にバレンボイムが振っていた時はまだまだアバド指揮のフィルハーモニカーより上だった。



参照:


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-27 23:22 | | Trackback

玄人の話題になる評論

d0127795_22594973.jpg
最も権威のある独語新聞ノイエズルヒャー新聞がオテロ初日の批評を書いている。オペラ批評としては秀逸で、音楽的にここまで演者と聴衆双方にとって参考になる記事は少ない。比較的長めなので全訳はしないが、音楽ジャーナリズムに興味のある人は読んで欲しい。理由は書いたように参考になるからだ、これを読めばお客さんも含めて全て係わりのある人が何かを考える切っ掛けになるからだ。高級紙はどちらかというと高踏的になり過ぎて哲学的な社会学的な考察へと進んでしまうのがオペラ批評の常であるが、この昨年日本へも同行したマルコ・フライ記者のザッハリッヒでとても具体的な記事は音楽的で更に専門的な考察を促す。

実はアバド指揮のオテロ上演を二幕まで聞いて、色々とつまりその重要なイアーゴのクレドのシーンが上手くいかずにチグハグニなっていたのに驚いていた。考えられるのはアバドの指揮があやふやになってきていたとしか考えられなかった。当時はまだそれほど体調を崩していなかったと思うのだが、どうなのだろう。折角のライモンディーのイタリア語の輝く声も役に立たず、勿論若いクーラが支えられる筈もない。森を走りながらもオペラ指揮者の職人技とも関係がないなと考えていた。そして先週の初日のそこを聞き返すとあれ程声の威力が足りないと思っていたフィンレーのイアーゴとの音楽運びがばっちり決まっていることを発見した。

なにも贔屓の引き倒しのために一度下げてから上げようなんて思っていないが、まさしくフライ氏がそこから書き始める。「二幕のそこまで聞けばこのカナダ人フィンレーの歌唱がこの制作の抜き出た存在でまさに新発見だった」とまで賞賛している。そこまでの確信は私は持てなかったので更に読み進むと、ペトレンコの指揮とも深く係っていることが分かってくる。その点に関しては上のクレドにおける難しさをアバド指揮で知り、同時に恐らくフォンカラヤンならば強引にべとべとにペイントを塗り込むような演奏をしているのが想像されるからだ。

しかしペトレンコの指揮は、殆ど印象派風の音色で - つまり筆者はヴァークナーと異なりヴェルディーはライトモティーフではなく、それによって楽曲を構成しているとしている、敢えて私のように調性と言わずにに色のコムポジションでってところだろうか - イタリアの楽曲をミュンヘンの座付楽団に深いところで引き寄せたとしている。私などはこれを読むとぞくぞくとして、生ではどのように響くのだろうと興奮してしまうのだ。似通った例はプッチーニの「三部作」にもあったが、あれの方がむしろ放送でもよく分かった。

そしてフィンレーが有効に使った指揮者の与えた表現空間を、二人の現在最高のペアーが使い切れていなかったと鋭く迫る。つまりデズデモーナのハルテロスとオテロのカウフマンについてである。前者に関しては「声がでか過ぎる」というような馬鹿な評論も見かけたので、それは流石に「何も分からないおばさんがジャーナリスト顔して書いているわい」と玄人筋には思われるだけだが、少なくとも本人も目を通すと気分もよくないが気になる筈だ。それでも全く参考にはならない。

しかし高品質なジャーナリズムはポイントをつく。今までの期待からすると明らかに色褪せていて、特にハルテロスは頂点を超えたとする。「バイロイトのエルザでも中音域が危なく、暖かく色気のあるヴィブラートも色あせていた」としっかりと聞いているからこそ批判できることを書く。そしてミュンヘンの「オテロ」では、前半で可成りのイントネーションの問題が表出したと批判する - まさしくアーティキュレーションの問題で、声を作るために問題化していたと私が指摘したその通りだ。

そしてカウフマンの問題を分析する。「こちらはロンドンでも既に問題化していた通りだが」と前置きしながらも、バリトンに近いつまりドミンゴに近い暗めの声ながら、ドミンゴがバランスの取れた技術と中音域の稀なる色彩に依存したのに対して、カウフマンは柔らかな高音に苦労して殆どニュアンス豊かな透明な表現が出来ないとバッサリ切る。そしてカウフマンのオテロには求められないとしている。それは暗い声質のカウフマンのディレンマであり、この二人の劇での夫婦の亀裂が音として聞こえるようだとどこまでも辛辣だ。しかし、この記事をお二人とも読んで嫌だなとは思いながらも恐らく本人たちが実感していることであり、今後の仕事への方向性にも関することなので破り捨てはしないだろう。そのような二人ならば歌手としてあそこまでの域に達していないのは当然だからである。そしてここまで書ける記者の取材ぶりには敬意しかない。問題点を明らかにすることこそが次への可能性を開く唯一の方法であるからだ。

そして、ペトレンコのイタリアものレパートリーについて2015年の「ルチア」との比較で、あの時はまだまだブレーキを掛ける手綱捌きがあったのだがとその問題点を指摘しつつ、今回はあらゆる面への自由を与えつつ、決して統率を失うことなく、イタリアものの時には本当に気持ちよく指揮していると完全に克服したとしている ― ヴェルト紙の阿保おやじに限らず「鞭を入れ」とかの表現が目立った中でとても明白な反論をしていて溜飲が下がる。これに関しては私は本番まで時間があるのでコメントは避けたいが、氏が書くようにイタリアものへのこのようなプロフィールを強化すべきかどうかも先ずは保留したい。正直、放送だけではまだ聞き取れていないことがまだまだありそうだ。

この記事を読んで、シリーズ残りの上演のなかで何か対処可能なことは殆どないかもしれない。しかし、少なくとも次の公演からはやはり心理的にとても影響される。こういう玄人筋の話題に上るようなものであると同時に、一般の聴衆にとっても色々と音楽のことを考えさせてくれるジャーナリズムでなければいけないというとても好例だと思う。



参照:
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
なにかちぐはぐな印象 2017-09-24 | 雑感
ARD真夜中の音楽会 2018-02-09 | 音


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-26 23:01 | マスメディア批評 | Trackback

指揮者アバドの思い出

d0127795_03270467.jpg
今更ながら「オテロ」の音資料を調べている。ネットから適当に三種類の全曲盤を落とした。その内一つはゼッフィレッリの演出の映画で昔から有名なものだったが、マゼールの指揮なので先ずは要らない。同じドミンゴのオテロで私が聞いたころのクライバー指揮のものである。これは存在を知らなかったが、なぜか映像も悪く、演奏も生のごたごた感が強い。後年のこの指揮者のいい加減さもあるのだが、やはり棒がしっかりしていて、当時の印象がそれほど間違っていなかったことを確認したい。その前に一番聞きたかったのがアバド指揮の復活祭上演のもので、これは出張公演をピエモントでやっていてオープンエアーでベルリナーフィルハーモニカーが演奏している。

先ず一幕を流す。演出は何とも言えないが、若いホセ・クーラがまともに歌っていて、その後のようなおかしなことにはなっていない - まさしくザルツブルクでティーレマン不要になったのは急遽これを歌ったこの歌手の出来の悪さも影響しているかもしれない。ライモンディのイアーゴもとても良い感じだ。しかし何といっても最初の一拍からアバドの譜読みがとても冴え渡っている。当時の印象からしてアバド時代のフィルハーモニカーは低迷期だったことは間違いないのだが、これだけしっかりとフレージングをさせて、歌手の細かなアーティキュレーションを定められると崩れようがない。オープンエアーの悪い録音画質で期待していなかったが、どんどんと吸い込まれるように一幕を見終えてしまった。

言葉の端々のアクセントの付け方などはイタリア人ならばムーティでも出来そうだが、やはりその音楽性が大分異なる。想定していたように立派なもので、どうしてこのような録音しか残っていないのか不可思議である。最後まで聞いてみないと分からないが、よほど指揮者自身が満足いくような演奏にはなっていないのだろうか。最初はドミンゴが歌っていたようだから、指揮者との間に齟齬があったのだろうか。とにかく拍打ちも明確で、とても自然な音楽になっていて、ベルリナーフィルハーモニカーが重々しくない - 恐らくカラヤン指揮のそれとは正反対にいるものなのだろう。

アバドといえばネットに上がったインタヴューでツェッチマン支配人が、故人をよく知っている立場から思い出を語っていて、「記憶の中では理想化されているが世間的には中々難しいところがあった」としている。特に「若い管弦楽団に対しても厳しくて、その印象を引き摺っている」と語るが、私が聞いている話では「そこらのおっさんのように慕われていた」となる。どうも彼女が創立したマーラー楽団の時とそれ以前のユース管弦楽団の時とでは雰囲気が違っていたのかもしれない。

そのインタヴューに、栄誉指揮者を称号をという話で、ヤンソンスが「あんたがたがクラシック界の牽引車だから、みんな注目しているよ」と語ったとされる。その文字通りの意味だけでなくて、真意を考えると「中々、分かっているじゃないか」と思った。

個人的にはこの指揮者の演奏会もオペラもそれほど強い印象は残っていない。それどころか先日まで完全に忘れていたルツェルンでの演奏会もあったぐらいだ。「理髪師」、「ヴォツェック」も「グレリーダー」も聞いているのだが、細部まで思い出すものは限られて、結局当時失望にも近かった「シモンボッカネグラ」とやはり怒り心頭の「エグモント全曲」ぐらいが一番印象に残っている。



参照:
ルツェルンの想い出?? 2018-05-24 | 雑感

[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-26 03:30 | 文化一般 | Trackback

ドライさとかカンタービレが

d0127795_00114362.jpg
「オテロ」初日の中継の正直な感想を、ざっと流しただけだが、書き留めておこう。自身の参考としたいからだ。来月二日にはストリーミング中継もあり、自身が出かけるのはそのあとなので、かなり印象が錯綜して時系軸が狂いそうだからだ。先ず、カウフマンのオテロはロンドンのそれはまともに聞いていないが、今回の公演の方が様々な角度から上手くいくのではなかろうか。どうも舞台も室内劇になっていて、音楽も前回経験したミラノスカラ座のゼッフィレッリ演出のそれとは正反対のようだ。つまりカウフマンがドミンゴに勝負を挑む必要がなくなった。同時にライポールト氏が言うように明るく軽い声のインテリのフィンレーのイアーゴも無理する必要がない。これだけで成功へのお膳立てが整っていると思うが、更にデズデモーナを主役にしたことで上手くバランスがとれていたのかもしれない。個人的にはハルテロスの歌はその声質の聞かせ方で音楽的な犠牲も少なくないので好ましくはないが、ヴァークナーの時のようには批判するつもりなどさらさらない。エミーリア役の若いウイルソンの声が清涼感になっていた。ロビーインタヴューを見たかった。

音楽的には更に詳しく見直したいが、少なくともフレージングの素晴らしさは統一されていた。ただしデスデモーナを代表的にアーティキュレーションとなるとそこまでは十二分に整備されていなかったのではなかろうか。おそらくこれは指揮者がそこまで徹底できるだけの経験に欠けたということかもしれない - キリル・ペトレンコはヴェルディのオペラを今回初めて指揮した。先ずアバド指揮の全曲盤を比較してみたい。管弦楽の精度も高いのは明らかなのだが、もう少しオペラ的にしっくりこないかと思った。アバドがどのような指揮をしているのかは初期の作品から演繹的に想像するしかないのだが、かなりドライに演奏してもカンタービレするところが、おそらく故人の最も優れた音楽性だと思うが、それに匹敵するだけのドライさか、カンタービレがあったかどうかの疑問である。

前回聞いたのがカルロス・クライバー指揮のドミンゴのオテロなので、既に言及したようにそれとの比較をする必要がないことが喜ばしいが、最終的に確認しなければいけないのは、まさしく、そうしたごつい演奏実践に比較して、どれほどその創作に新たな光を注ぐことが出来たかということである。恐らく来年のバーデンバーデンの上演はMeToo指揮者ガッティが振らなくなってもごつい管弦楽の響きが聞かれそうな一方、勿論今回の公演のようなオペラ上演としての高品質さは求められないわけだが、一方にはカラヤン指揮とまでは言わずとも大向こうを唸らすだけの上演が歴史的に存在したことでもあり、そこが最終的な評価のしどころだ。正直現時点ではそこまでは確信を持てなかった。少なくとも、「マイスタージンガー」や「タンホイザー」公演のような歴史的な意味を持つ上演とは言い切れない ー ミュンヘンでは私の知る頃のクライバーがこれを指揮している。

録音は二つとも成功したが、LINUXの方は四幕のフィナーレの手前で一秒ほど放送が飛んだ。WINの方もフィナーレでパルス音が二度入るが、飛んだところは確認しなければいけない。音質は、第一印象はWINの方が倍音が伸びて気持ち良く響くが、なにか位相がもう一つ合わない感じがする要するに喧しい感じがする。それに比較するとLINUXの方は未だかつて聞いたことがないほどの定位感で、奈落の楽器の位置が手に取るように分かる。あそこでの録音のCDでもこれほどのものが聞いたことがない。高音云々以前にこれで決まりである。LINUXの方がはるかに良い。こうなるとFUJITSUのノートブックにLINUXをインストールしてみる価値を見出す。NASストレージが完了して、全てのデーターの移行し終えたら、HDDにLINUXをインストールしてみてもよいかもしれない。更にもう一つSSDを購入するのも方法だが、USB経由で外付けHDDからブートしてもよいかもしれない。



参照:
血となるワインの不思議 2018-07-06 | 文化一般
ペトレンコが渡す引導 2018-01-14 | 文化一般


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-25 00:13 | 文化一般 | Trackback

WIN録音システムの進化

d0127795_21172513.jpg
「オテロ」初日の録音準備をしていた。そして気が付いた。前回のバイエルン放送生中継は会場にいたので留守録音だった。そしてノイズに気が付いた。デジタルの同調ノイズのようなもので、大抵は気が付かないが生放送のダイナミックスレンジが広いとプチプチと邪魔になるものだった。その後調査するとこの放送局に特有のもので他所では一度もなかった。どうもあまりにも音質重視で解決出来ていないものがあるらしい。そのノイズに再び気が付いたのだ。前回は外出中だったから後の祭りだったが、今回は何とかならないか試してみた。

色々なストリーミングのURLを試してみたが、結局はストリーミング自体の鮮度を落としているURLでは目立たないもののそれでは意味がない。それならばオンデマンドに近づくだけだ。最初から音質を落とすよりも可能な限りよさそうなところでもう一度試してみる。会場の音が大きく録れていればそれほど目立たない。それに期待するしかなさそうだ。

準備をしていて確認したことがある。技術的な問題でしかないが、SSDのノートブックのAudacityで録音しようと思うと音が入力しない。設定を見れば、入力段がややこしいことになっている。なぜならばウィンドーズでHdmi出力をスタンダードにしていたので、その回路がマスターになっていたからだ。Hdmiの画像はデジタルだが、音声はモニターに送るので、アナログ扱いとなっている。しかしもう一方の出力もノートブックのスピーカ行きならばアナログだ。この辺りが最もLINUXと異なる面で、機械を直接制御できない。一番顕著なのは、Audacityで入力を絞れるかどうかで、Hdmi入力では明らかにアナログ制御だった。

それが今度インターフェースをWASAPIにして、入力を再生時の出力と同様にスピーカーへのRealtekHDに送るものをループバックしたものにすると、音量制御が出来なくなった。WASAPIにしていても複数の音源からの音が出ていることからミキサーを通っているには違いないが、Realtekのデジタル出力を録っている可能性がある。今回はそのドライヴァーをFUJITSUからの古いものではなくて最新のものを入れたので変わったのかもしれない - そもそもLINUXではRealtekを使っていない。

確かに聞いた感じでは問題のプツプツ音は出ているのだが目立たなく感じる。更に調べるとインターフェースのPortAudioV19は、Audacity2.04からWASAPIで24Bit録音が可能になったとある。つまり、そのままのデジタルを録音したようだ。これはHDDの時に為せていなかったもので、現在使っているものが2.3.0なので、これだけでも間違いなく録音システムが進化したようだ。



参照:
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
次をリストアップする 2018-11-09 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-24 21:20 | テクニック | Trackback

初日に間にあったSSD

d0127795_23011993.jpg
いよいよ「オテロ」の初日だ。今回は遅めの第二クールに出かけるので若干のんびりしている。だから先ず三幕四幕の楽譜に目を通す。キリル・ペトレンコのイタリアものとしてはミュンヘンで三作目である。ヴェルディはこの先の「トリスタンとイゾルテ」を鑑賞する前にとても参考になるかもしれない。「トリスタン」で成功している指揮者はこの作品でも成功しているかもしれない。そのあたりも初日の楽しみだ。

一幕二幕でLPで気になった点は強弱記号が悉く無視されて演奏されていることだった。一体どのような顔をしてディレクターが座っっていたのだろうかと思ったが、三幕ではそうした通常の書き込み以上のとても整理された楽譜が適格な指示を出している。これをどのように無視出来るものだろうか。更にそこにカルロス・クライバーが書き加えさせたように、そのフレージングの扱いさえ守っていれば全く心配がいらないはずだ。プログラム紹介の時にキリル・ペトレンコは作曲家自身が正確に書き込んだ文献を漁るとしていたが、なるほどこの楽譜の決まり方を見ているとそういう気持ちにさせる。またそこで指摘されたように大器晩成のまさしく経験豊かな筆は、なにも三幕の三重唱のあまりにも素晴らしい筆さばきや「ファルスタッフ」を思い起こさせる拍、拍節だけにあるのではない。

和声の適格さもこれほど素晴らしいオペラはそれほどないと思われる。反面このLPで聞かれるものは、まるで旋律のサビに向けてまるでブルックナーのように生成しているような演奏である。おそらくそのように聞こえるのにはそれなりの原因があるのだろう。しかしはっきりと今日の演奏に期待されるものは、楽譜を徹底的に正確に音化することであり、読み方としてはおそらくパパーノでも出来ていることでも、実際に音にするのはとても難しいと思う、そこである。少なくとも楽譜を見ていればそれほどおかしな演出などはできないと思う。それほど正確に書き込まれている音楽作品だ。

ぎりぎり初日前にSSDのノートブックが使えるようになった。想定よりも一日余分にかかったが、後の問題はヴィジュアルC++関連と見通しがついていたので加速して問題解決した。先ずはキャストで音出ししてみると以前のHDDよりも音がいい。低音がしっかりして有線のLINUXと似た感じになってきた。勿論ディスクが音を変えるのではなくて、出来る限りデジタル放送信号を弄らずにアウトプット出来ているのだと思う。結局レアルテックもインストールして使っているが、無駄な調整などなくマイクロソフトのプログラムの中に織り込まれる形になっている。取り立てて短絡出来たような様子はないのだが、音質が変わっているのは確かだ。今回はメディア再生・録音にも最初から留意するようにインストールしていったので、よかったのかもしれない。やはりミニノートブックとはまた違った透明性もあることに気が付いた。

これで初日の放送は単一回線から二種類のコムピューターで録音を試せそうだ。LINUXの方は動作が安定しているので放っておいても完録出来るだろう。SSDの方は様子を見ながらだが、以前あったような音飛びがあるかどうかが判断点だろうか。クリーンインストールとはいっても既に46GBと消費している。HDDの方が六年目ほどで50GB以下であるから、基本的なオペレーションシステムやアプリケーションでこれだけの大きさになるのが分かる。こうなれば逸早くNASを新調して、データ類は直ぐに机上から片づけるシステムに改めなければいけない。



参照:
無用の長物TV受信機 2018-11-18 | 生活
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-23 23:02 | 生活 | Trackback

ステップバイステップ

d0127795_23573926.jpg
一つの問題は解決した。つまり双方向からのリモートコントロールを可能とするVNC機能を無事整備した。想定通り二日掛かりになった。初日は眠くて対処不可能だった。古い動いていたHDDの方の設定を確かめてみなければいけなかったからだ。

結局小さな設定の誤りなどが重なって、最初から躓いたことになる。一番明白な誤りは、どこかのサイトを見て慎重を期そうと思ったばかりに、ウィンドーズ向けのネットでの設定を優先させてしまったことのようだ。HDDの方の設定を見るとそこがしっかりと外されていて、すっきりしていた。勿論、消去、再インストールで問題個所を除去しなければいけなかった。SSDの良さは再稼働が速いので、ストレスが少ないことだろうか。これでベットの中のタブレットからも操作が可能となり、使い勝手が大分向上した。

完了して祝杯と行きたかったが、まだ先に進めると思って、再び落とし穴に落ちた。今度はマウスとキーボードの調整をするロジテックのSetPointというソフトのインストールが上手くいかなかった。初めて見たStepByStepコンフィギュレーションがダメで開かないというの警告だ。調べると所謂マイクロソフトのヴュジュアルC++のインストールが出来ていないということらしい。そもそもSSDで限られた容量の中で縮小化を目指したので切り詰めたインストールをしていることから、また無理をしてWIN8.0から8.1へとアップグレードしていることからインストールされていないものは間違いなくある。

そしていざ消去インストールを繰り返して、いくつもの種類のC++を試しているうちに夜が更けた。これは想定していなかった落とし穴だったので、途中でこんなことならウィンドーズを最初から諦めてLINUXにすべきだったと後悔しながらの作業をした。

その問題はウィンドーズにあるメニューから曲がりなりにも開いて設定可能だと分かったので、ソフトが開く必要はなくなった。それ自体は構わないのだが、同様に今後小さなソフトでも問題が起こるようだとウィインドースを使っている意味が殆どなくなってしまう不安に陥った。

Audacityは問題なくインストール出来て動きそうだが、キャストではffmpegが開かないなどの問題が生じた。まだまだ完全移行には時間が掛かりそうでめげそうになる。それどころかメディア再生時などの挙動も悪く、マルティタスクも動きが悪い。ドライヴァー等はそれほど不足していないはずだが、それ以外のハードの問題は考えにくい。

「オテロ」初日に向けて準備完了か。懸案になっていた冬タイヤの交換日も仮押さえしておいたので、これで積雪があっても何とか出かけられる目安がついた。初日開演前に三幕四幕の楽譜に目を通したい。手袋をしてバンダナで耳を隠して、沢沿いを往復した。降雪があれば直ぐに積もる。気温はまだ三度以上あるが、いよいよだ。体調も相変わらずだが、何とか近々に全快に持っていきたい。



参照:
敵はクローム・グーグル 2018-11-19 | アウトドーア・環境
何度も繰り返した挙句 2018-11-20 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-23 00:00 | テクニック | Trackback

またもやガチャ切り

d0127795_23534869.jpg
My name is…. Microsoft technical department. Do you understand?XXXXXXX

何じゃこれは、大抵は電話に出ないが、待っているものもあったので出るとスローイングリッシュでインド風の訛りで語りだした。ガチャ切りした。いつものことだが、バカらしい。だから数種類の電話番号に鳴る呼び出しに出ない。私ほど繋がりにくい人もいないが、それを電話番号の数で割れば可成り上位に入ると思う。そもそもマイクロソフトに電話番号を出した覚えがない。電話帳からかもしれないが、あの手のものに出れば何かを売りつけられるだけだ。流石ガチャ切りでは何もしないだろう。

しかしそれにしても英語で電話してくるのがそもそも不思議だ。欧州内の他の言語圏ならああいった話し方はしない。そもそもどこから電話掛けているかも言わない。understandなんて尋ねられたのも初めてだ。そもそもドイツ語が出来ないから英語で話している訳で、その物言いだけで通常ではない。こちらの名前も呼びかけない。番号も調べるとおかしな番号だ。マイクロソフトは金輪際使わないぞと言っているような人間に何を言う。

地元独日協会に長年の企業会員BASFから脱退届があったらしい。仕方がないかもしれない。もはや主力は中共であり、人的交流も益々少なくなってくるということでしかないだろう。活気といえば独華協会なのかもしれないがあまり聞いたこともない。私でさえそちらの方が面白そうだと思うようになってきた。私の中華教養などは到底科挙に合格するほどではないのでこれまた役に立たないだろう。

電子メーラーのサンダーバードを整理した。二つのメールアドレスを管理している。それ自体は問題がなかったが、以前数種類のPC等でのメールのシンクロニゼーションが上手くいっていなかった。これが面倒なことになっていて、同じ時期でも二種類の私書箱とアーカイヴが存在していて、その移行の失敗などがあってか殆ど一年間の送ったメールがそこに保存されていない。受けたものよりも重要ではないが、面倒なことになった時の送った送らなかったのことが問題になると面倒だ。そのメールが保存されている可能性のある場所はあるのだが正直面倒だ。

ヒーターを付けるようになって、就寝中も薄ら入れている。昨年も殆ど就寝中は落としていたのだが、今は寒く感じる。しかし外気温は摂氏四度ほどで大したことはない。寒く感じるのは病み上がりだからか、筋力が衰えているからなのかは定かではない。本格的にリハビリをしていかないと駄目である。



参照:
カメラに譲った座席 2018-09-26 | 生活
華為製品を買い物籠に 2018-04-18 | テクニック


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-21 23:55 | 生活 | Trackback

何度も繰り返した挙句

d0127795_23460069.jpg
思っていたようにハマった。SSDへの乗り換えでセットアップUSBまで作り、順調に進んでいたが、VCNの設定でしくじった。実際に一度中断しなければいけないので二日掛かってしまうだろう。動いていたHDDに戻して問題点を研究しなければいけない。ヴュワーの方は順調に動くので、ミニノートブックブックを制御できてもドッキングステーション本体の方をタブレットなどから制御できない。リモート機構が付いていない8.1ホームに付き纏う煩雑な点である。

最初からipconfigで調べておけばよかったのだが、間違ったIP番号を何回も繰り返して躓いた。二種類のディスクを両方うまく使えるようにするのは難しい。再びHDDに戻って、面倒だが電子メーラーなど徹底的に移行する準備を整えよう。

風邪が治らずにお休みしていたが久しぶりに峠を攻めた。とても寒かった。手袋が欲しかった。ゆっくりと上がって下りてきたが、下りも体が重かった。病上がりは体力が落ちているのだろう、洟もずるずると垂れ、まだまだという感じだ。いつものショック療法でと思うが、なるほどランニングハイは感じるもののやはり寒い。

先日のティーレマンの記事に反応して、フライブルクの女性が書き込みしてくれたが、その罪状として四千万円のドルニーに支払う損害額を明記した。因果関係としてははっきりしているのだが、ティーレマンに乗せられた政治家にも責任があるのでその額を全てあの男の責任だとは言わないが、まあ額を出せばその罪状が明らかになるということだろう。もう一つネルソンズ事件の責任にも言及しているが、それを言い出すと私はもう止まらない。むしろこの局面での鷹揚な態度が新たな経済被害を与えるのではないかとみている。年来のティーレマンウォチャーとしては、底についてきていながらも中々根深い人気もあるので、安心ならない。

アムステルダムでの2020年マーラーフェストの発券状況が興味深い。恐らく多くは年来の定期会員向きに担保されているようだが、既に大分出ているようなのも不思議だ。兎に角、一年半ほど先のことであり、幾つかの管弦楽団を揃えるとしてもオペラなどから比べると比較的小さな企画だ。それでも首席指揮者の名がなくても売り込むだけの強気の商売をしている。そもそもマーラーの交響曲を並べても普段の名曲コンサートを並べるようにしか映らないのでその芸術的意義が希薄である。マーラーのアムステルダムとの関係やその他は百も承知のこととしても正直この企画は解せない。如何にもMeToo指揮者の同意もあったような企画にしか思えない。

個人的には、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの二種類のプログラムしか興味がなく、その他も未決定ながらこれはという指揮者がコンセルトヘボーを振る訳でもないので、態々アムステルダムまで出かけ宿泊する気にもならない。両プログラムとも恐らく身近で聞ける筈だからだ。自分自身のマーラーの作品への視座も変わってきていて、最初にヴァルターとかクレムペラー指揮のそしてバーンスタイン指揮のルネッサンスとかを経過してくると、最早どの方向に演奏されるべきかというのは美学的に明らかで、若干食い尽くされすぎた感があるのは否めない。そのような前提で、ネルソンズ指揮のものなどもあるのだろうが、ああした演奏形態は観客の熱狂とは反対方向にあるので、必ずしもシェーンベルクの作品などと比べてポピュラーであり続けるとはいい難いと感じる。要するにヒンデミットの作風ほどではなくても結構神経症的な面は否めないからだ ― フランツ・シュミット交響曲四番のあの作風と比較すれば一目瞭然だ。



参照:
客家入りの喉飴 2018-11-15 | 雑感
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-20 23:48 | 雑感 | Trackback

敵はクローム・グーグル

d0127795_00301807.jpg
再び寒波である。しばらく日差しを楽しんだが、それも無くなった。赤が少ないと言っていた紅葉も最終局面では赤く色づいていた。長い夏を象徴するかのようなとても長い秋で、乾燥した穏やかな時を過ごした。それも終わりだろう。

通常ならば11月の始まりのような天候で、当然ながら籠り部屋へと逃れる。暖房が欠かせない、すると同時にノートブックのSSDへのインストールを完了させて、静かな環境を勝ち得たい。一度SSDの静けさを体験してしまうと元通りには戻れない。つまりストレージのためのNASも発注しないと本格的に移行できない。

早速、クロームをインストールしていて、嘗てのマイクロソフト以上にネットを使った囲い込み体制にたじろぐ。時間を割いていちいちデフォルトのチェックを外していかないとフェースブック以上に個人情報を盗まれることが知れた。もはや敵はマイクロソフトではなくクローム・グーグル財閥だと認識を新たにした。これでクラウドまで総合化させると個人の全てがそこに集約されることになる。恐ろしい犯罪だ。

クリーヴランドからのアーカイヴ中継はとても価値があった。なぜピエール・ブーレーズが監督のジョージ・セルの下で首席客演指揮者を務めていたかの理由を音でも実証する録音だ。基本的には、音符ごとに数えるような演奏をしていたとしても、セルの指揮はリズム的に杓子定規でそれ以上のことが出来なかったどころか、いい加減な録音が残っていると思っていたが、やはりその弱点を補うためにも精緻なブーレーズの指揮が欲しかったというのは仮定として十分に通る。特に1970年の録音などを聞くと、楽団が指揮棒に食いついて行ってるようでぎこちない。

作曲家ブーレーズの指揮は、得意にしている分野においてさえも音楽的に十二分に満足しかねる表現が多いのにも拘わらず、その指揮の精緻さと楽譜を音化することに掛けてはこの人の右に出る人はいなかったと思う。だからこそ今でもキリル・ペトレンコの演奏の比較対象になるのはこのブーレーズ指揮の録音のみであり、そのレントゲン写真に肉付けして3D化するのはペトレンコでしかない。以前はそこまでの意味を見出していなかったが、何度も楽譜を見て録音等を吟味する結果そういう見解に至った。

今回の2005年の「火の鳥」全曲の実況録音においても、今後この曲をお勉強するときの貴重な音資料になるとして間違いない。嘗て日本でBBC響を指揮して演奏したのを聞きのがして、未だに後悔しているもので、こうしてクリーヴランドでの実況録音を確認できて胸のつかえがとれる。


参照:
十七時間後に帰宅 2018-06-30 | 生活


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-20 00:30 | アウトドーア・環境 | Trackback

無用の長物TV受信機

d0127795_23515473.jpg
まだまだ完全復活とならない。週明けに寒さの中で走れるものかどうか。微熱があったようで、膝が痛んだりするので不安だ。日差しがあるので気持ち良いと思ったが、差し込む光の中の椅子の上にあるミニノートブックが気になると同時にその後ろに隠してあるTV受信機が許せなくなった。年に一度しか使わないのに大きな場所を占領している。そして年明けのヴィーナーフィルハーモニカーのノイヤーズコンツェルトでも点ける気もしない。撤収する決心をした。完動品で調べると2004年に購入している。価格は300ユーロ少しだったようだ。従来通りのアナログのブラウン管である。ここまでの15年ほどで総計50時間ほどしか使っていないと思う。オリジナル箱を探して倉庫に片づけてしまうつもりだ。事実上電気荒ゴミだ。

もはやいい格好でTV廃止、完全卒業を宣言する時代でもなくなった。数年前まではまだまだ臨時ニュースなどでCNNを見るつもりでいた。しかしその時代も過ぎた。一体もう何の目的でTV受信機を点ける必要があろう。必要があればネットで観て、必要ならば録画する。それが全てで、そもそも特別なプログラムすら殆どなくなってきている。よほどコムピューター操作が厄介な人以外にはTV受信機の価値は全くなくなってきている。なぜならば画質や音質、その他全ての意味においてネット配信の方が有利になってきているからである。なにも急いで4Kにしようとも思わない。1Kでも十分であり、ブルーレイ映像にも困らない。

「オテロ」を一幕から二幕までざっと楽譜を通した。印象としては幾つかの主題が読み込めて、最初から最後への繋がりも何となく掴めた。参考にしたLPはやはり可成り演奏の質が悪く、正直驚いている。整理して行くほど、どのようにこうした指揮と演奏が可能なのかが分からなくなってくる。指揮者の仕事とは、その際の正しいテムピとリズムを刻めることでしかなくそれ以上は楽譜を様々な資料を辿りながら読み解くことでしかない。だからこのオペラ界の大指揮者だったレヴァインは、少なくとも棒を振ることが可能で、それ以上でも無かったことがよく分かる。限られた時間の中で寄せ集めの楽団でやれることはこれぐらいのことでしかないのが今は分かるようになった。

要するに、先日のマンハイムでの「マイスタージンガー」の摘み聞きではないが、LPを鳴らしながら楽譜を見てここがこう鳴らなければいけないところだという気持ちでしか聞けない。なるほど制作録音としての外れた音とかの傷はチェックして録り直してあるわけだが、その以上でもそれ以下でも無い演奏がそこで繰り広げられていて、我々が期待するようなヴェルディの創作の本質的なところも如何に歌手が幾ら頑張っても限界があると思った。それ以前に管弦楽団が綺麗に鳴らないことだけでもお話しにならない。こうした大掛かりなオペラはこの程度のもので、綺麗に録音しているのはカラヤン指揮のベルリナーやヴィーナーフィルハーモニカーだということになってしまったのだろう。LP時代にも如何にも無駄な録音のようなものが市場を占有していたかというとても良い傍証でもある。

これからクリーヴランドからの放送が楽しみだ。ピエール・ブレーズが振った「ダフニスとクロエ」全曲が1970年の実況録音、「ファイアーバード」全曲が2005年である。先日デジタル録音の箱モノを安く購入したが、そこには「春の祭典」と「ペトロ―シュカ」しか入っていない。これは聞き逃せない放送だ。



参照:
希望も未来も無いTV放送 2006-12-03 | マスメディア批評
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境


[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-18 23:53 | 生活 | Trackback

利益背反のドレスナー

d0127795_22454059.jpg
風邪ひきは、前日よりも楽になったが、買い物に行けなかった。微熱があったがそれはなくなっても、走りには行けなかった。また週明けに取り戻せばよい。しかし週明けからは雪模様になるようだ。まだ夏タイヤを履いているので、色々と週明けに準備もしておかないといけない。

ドレスデンのローカル紙が「復活祭人事」の記事を出した。声を潜めるとされるオーストリアに反して、シュターツカペレのドレスデンで話題を提供し議論の端緒となるものだ。毎度のことながら「指揮者ティーレマンが紙上を賑わすが、問題はドレスデンの人事でもバイロイトのそれでもない」と最初から断っている。新聞としては適切な書き出しかもしれないが、敢えてそうした導入にして匂わせる。勿論地元紙であり、実際に指揮者ティーレマンとよい関係を保っているのだろうから、決して否定的な論調はとらない。

それでも肝心なティーレマンのコメントをとれていないことから、あからさまに圧力を掛けている。つまり脅しまで使って「それなら辞める」と語っていたのに、なぜ辞めないのだと誰でもが思う。そして、そもそも2013年のベルリナーフィルハーモニカーのバーデンバーデンへの移転で、一朝一夜にして復活祭を救ったドレスナーであって、ベルリナーと違って同地でも愛されていると書く。

ベルリナーの北ドイツ的でクールでハングリーなのとは違って、オープンで心からのザクセナーであるからと態々語るのだ。そして、ティーレマンの下、復活祭でその名声を輝かなものとしたと、ザルツブルクでの仕事を総合評価している。その反面、オーストリアの「陰謀に長けた人たちの国だから何でもありだ」と結んでいる。

なるほど地方紙でもこれがマンハイマーモルゲンならばこの纏めは浮く。しかしドレスデンではここが結構効くのではなかろうか。その陰謀とは、バッハラーやザルツブルクに近しいミュンヘンの連中がザルツブルクの政治家と攣るんでいて、「ベルリナーフィルハーモニカーの再誘致の裏取引は信頼性ある噂だ」としている。これも結構火を付けやすい行かもしれない。

勿論東独の人たちは我々よりも新聞の行間を読み解く能力は長けていると思う。はっきりしているのは、この月曜日にティーレマン本人がその前言を踏襲して退陣の記者会見をして、「どこへでもドレスデンと一緒にいる」と言えれば世論は変わったと思う。その反対にここで地元新聞が客観的に「復活祭出演はシュターツカペレにとって栄光の時だ」と宣言している。これだけで、「2021年までの契約とそれの延長がされるべきシュターツカペレの芸術監督」がお飾り物になるのが復活祭であるとしていることと関心事の利益背反となっている。ここが恐らくこの記事の核心だろう。



参照:
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般



[PR]
# by pfaelzerwein | 2018-11-17 22:47 | 文化一般 | Trackback