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「革命」は似合わない言葉

予定通りであった。日本の歴史的政権交代を世界のメディアは逸早く伝えている。それゆえか十分に原稿は準備してあったようで、夜八時のNHKの開票速報を待って、ペーター・シュテュルム記者はFAZ紙に社説を打ったようだ。

革命という言葉は日本には似合わないが、実に革命的だったとして、鳩山の大勝利が、「それによって全てが変わる訳ではない」と直後に宣言した事に触れて、「ひょっとするとその数の多さが鍵になるかも知れない」と述べている。

これは結局其処まで至らなかった320の数字を意識した、口幅ったい言い方をすればアナウンス効果による有権者の賢明な判断であったかもしれない。つまり、この社説でも触れられる「伝統的」な政党社民党と、国民新党との必要な連立政権が外交的な問題を引き起こし、鳩山政権としては外交が最初の変革になるかも知れない ― 生活に不安な有権者は一先ずなんら関心を持たないだろうが ― とする見解である。

この意見はなるほど核心を衝いていて、55年体制の自由民主党体制を支えた一方の「護憲」の考え方が伝統的であるのは当然であり、今回の選挙でも継続性ある革新としてのそれが重石としてある種の安心感を有権者に与えたのだろう。同時に日本共産党は今回の政権交代の影の立役者であって、一部で囁かれていた自由民主党を支えた「日本の近代伝統となっている唯物主義者結社の片棒」としての汚名を返上した。

社説は、民主党が、ここ十年来自民党への審判が行なわれるべき時にも、信頼を得られなかった理由はそもそもその多くが自民党へと叛旗を翻した一派であって、近頃も自ずから問題を起していたからだとする。具体的に小沢一派の議会での影響力が強まったため、閣外のでその力の行使が最大の問題点であると説明する。

昨日行なわれた連邦政府の総選挙の前哨戦となるテューリンゲンやザクセンそしてザールランドの州選挙においても国民政党のひとつであるキリスト教民主同盟が敗北しており、長期凋落傾向にある社会民主党と共に、脱構造時代にはもはやイデオローギー的な対抗軸が築けない二大国民政党時代の終わりを告げている。持つ者の楽園と認める「自由主義を標榜する結社」と持たない者の理のある具体的な「要求を代弁する左翼政党」が躍進して、そこに「環境政党」がキャスティングヴォートを握るようになって来た。要するに二大政党制と言うのは絵に書いた牡丹餅のようなもので、彼のディヴェート形式の茶番を演じる政治形態なのである。

この点、日本の政治はここに来てはじめて議会制民主主義における政権交代を経てそのスタート点に立っただけなのである。金の掛からない選挙制度改革から始まったそれは、駒を次ぎに進めて、労働運動特権なども含む権力構造の癒着を刷新して、数多くの圧力団体の構築法制化など、既に壊れている社会構造の抜本的変革に取りかからなければいけないだろう。さもなければ将来性のない財政再建もできないまるで百貨店のような大政党では同じような癒着構造を再構築するだけなのだ。「全てが良くなると思っている有権者の失望は確かであるが、それだからと言って直ぐに自由民主党へと回帰したいとは思わないだろう」と社説は結んでいる。


 
参照:
Kontinuität im Wandel?, Peter Sturm,
Klares Mandat,
Machtwechsel in Japan, Petra Kolonko, FAZ vom 31.08.09
自民党、やっぱり壊れた (tak-shonai’s Today’s Crack)
日本が変われる?変わるかも?これから変われるかも! (くまさんの自立)
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by pfaelzerwein | 2009-09-01 00:00 | マスメディア批評 | Trackback
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