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多神教の政教分離をみれば

昨晩のラジオニュースで、イスラムの宗教学習が連邦州の公立学校で行われると聞いた。カトリックやプロテスタントのそれが行われている限り、ある意味当然なのだろう。それでもこの処置はなんとなくアリバイの臭いがする。

それに関係するかどうか分からないが、天皇制とその宗教性がFAZの文化欄で取り扱われている。つまり、日本国憲法一条におけるその戦後における位置付け、さらに二十条における宗教教育の禁止と政教分離との矛盾とその間に横たわるグレーゾーンのあり方である。

またそのような状況が発生した原因を占領軍の日本統治政策に求めている。当然のことながら歴史的な背景を説明して国としての統治構造へと触れる。

そしてそれは、所謂保守党と呼ばれる自由民主党の支配体制であり、現政権の民主党が否定しようとしている国事決定への手順なのである。それは、実際に明治天皇の時世から行なわれて脈々と続いている方法であり、その顕著な例が明仁天皇の戴冠式のありかたであったと述べる。

国政においては官僚が作文して来た立法案を大臣が閣議において署名するだけで、そこではなんらの議論から裁定がされないことを挙げている。典型的な「良きに計らえ」なのである。つまりそれは、神道の祭祀である天皇の背中越しに日の丸を仰ぐ国民の一体感から導き出される構造なのである。

この記事を理解しようと読み進むと自ずから一神教における世界観が客観的に浮かび上がってくる。それがこの記事の真意であろう。



参照:
Ein Kaiser ruht, solange die Summe der ihn betreffenden Kräfte null ist – Die politische Trägheitslehre Japans: Sind die Rituale des Tenno verfassungswidrig?, Ernst Lokowandt/Anna Gielas, FAZ vom 30.09.2009
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by pfaelzerwein | 2009-10-01 04:47 | マスメディア批評 | Trackback
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