美食家が誇るヴァルスの音色

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一年に一回観るTV放送がニューイヤーコンサートと知って愕然とした。嘗てならこんな中継放送にそれほどの価値を見出さなかったであろう。もちろんその前に流れていたドイツプロテスタント教会理事長マルゴート・ケースマン女史の礼拝風景や音響や映像にも感動を受けた。

今年のそれを観てその意味が良く分かった。フランス人ベテラン指揮者プレートルの指揮するそれは今や欧州の代表的音響芸術になりつつあると。

犬猿の中のヴィナーとパリザーがこうして共感しあえるのは、音楽実践という肉体を使った演奏で、観念を越えた芸術表現が出来ると言う証明であろう。そもそもヨハン・シュトラウスの創作には観念的なものはないが、ワルツ「ワイン、女、歌」冒頭での上げ弓での躊躇のその表現を耳にすると、こうした感覚的な共感に根ざした文化が世界中で享受されることで我々の将来は必ずしも悲観的ではないと教えられるのである。

最初から飛ばした、フォン・カラヤンですら達することの出来なかった空前絶後のノイヤースコンツェルトのヴィーナーフィルハーモニカーの響きは、恐らくマイクロフォン技術の進展と共にこれほどまでにこれほど美しい響きを伝達した事は嘗てなかったであろう。一部終了後の、通常は興味の無いオーストリア紹介のプログラムも自家用機で飛び廻るバレンティーノやドイツ語で練習するプレートルの楽屋裏を見せる事で見逃せなかった。

オーストラリアを観光紹介するよりも、そうした「背景」を紹介する事は右翼ポピュリストハイダー博士無きオーストリアを象徴しているようで素晴らしい。逮捕迫る?小沢無き、― 自己資産を使い切っても「ゴルバチョフ革命」を為すという覚悟ならば ― 鳩山政権を支持する日本人も少なくはないであろう。

こうして飲んでいるソ-ヴニオンブランなどのワインの繊細さと、この響きの美しさの差異が世界中の人々に理解されるようになればと、心から願わずにはいられないのである。言うなれば情操教育と呼ばれるものであろう。ヴァリスに住むロジャー・ムーア夫妻が映されていたが、まさに彼とスウェーデンで催物の際出会ったビュルックリン・ヴォルフ醸造所の個人客販売支配人トム・ベンス君の紹介するワインの繊細さこそがそれなのである。わかるかなー。

来年からは、ベルリナーフィルハーモニカーのジルフェスターコンツェルトの代わりに新任のティーレマン指揮でのドレスデンのシュターツカペレでのそれがZDFで中継されると言う。なるほどベルリンのそれは技術的にはEUトップである事は間違いないが、ドレスデンの「下手」なその美しい響きの方に遥かに芸術的価値を見出すのだ。時代は、ここに脱工業化を迎えている事が欧州の芸術として示されている。そしてそこに我々は新年に際して将来への希望を感じる。指揮者ジョルジュ・プレートルの「2015年にもう一度招聘されればもっと上手にドイツ語を喋るよ」と言う会見の台詞に拍手を贈るものは少なくはないだろう。兎に角、水泳をして柔道をするこの指揮者のシャマントな芸術とその感性は新年早々とても気持ち良かった。
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by pfaelzerwein | 2010-01-01 21:36 | | Trackback
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