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営みに立てる十年単位の大計

朝飯前に8.1KMを一時間半近くかけて歩いた。いつもの回遊コース群では、谷の詰めに最も急坂のある高度差二百五十メートル以上を一気に登るコースである。森の中は、雨降りのような水滴の落下音が騒がしいが、雨は降っていない。昨夜までの雨がゆっくりと地上に落ちて来ている。

温度が低いゆえか、蒸し暑くも、足元が殆どぬかるむこともなく快適である。そして急坂へと足を進める息が軽い。大抵は億劫になる急坂であるが、心拍数は十分にトレーニングになるほど上がり、汗も掻き出したものも比較的軽快に登り終える事が出来た。基礎体力が上向いている証拠でもある。先々週、幾らか高地で過ごした影響もあるかも知れ無い。

最近は、誰それが病気だとかの話題が多く、今日も一人の知人がこの月曜日に亡くなったと聞いた。教職についていた人で年金受給前に亡くなった。昨年の今頃膵臓癌が発覚して、この日が来ることは分かっていたのだが、奥さんやまだ若い娘さん、そして妹さんのことを考えると気の毒である。これから定年後の生活を楽しみ、娘さんやいつかは初孫の誕生などを楽しみにしていただろう。

健康ばかりは本人も含めてこれはどうしようもないが、やはり基本は毎日の生活感が重要であると思う。そのライフスタイルに関しては人其々なのだが、やはり病巣があろうがなかろうが健康的な感覚というの存在する。ここ数年心掛けている散歩もその一つで、消極的には運動不足解消と共に、積極的には自然に増えてくる運動量を加算していくと十年単位ではかなりの体力が養成されることをある程度計算している。

体力強化と称して無理してジョギングなどをしなくなったのも、長く続けられる運動と長期計画達成を目指してのことで、膝などの故障やその他の継続性を危うくする運動を避けているのである。継続は力なりで、こうした手ごろな運動を繰り返すことで、基礎体力向上と同時に様々な運動能力を養うこと並びに将来への能力低下を極力押さえることが可能となる。

それでも不慮の事故や大病の疾病などは避けられるわけではないが、少なくとも健康な生活感が得られる内にそのような生活を営むように努力するのは道理からしても心理的にも決して間違いではないだろう。

買って来たばかりのパンに、これまた取って来たミンチローフの薄切りでの朝食が美味い。
by pfaelzerwein | 2010-05-28 00:45 | 生活 | Trackback
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