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なかなか死ななかった死

クリストフ・シュリンゲンジーフが亡くなった。昨日21日土曜日にベルリンで家族に囲まれた最後であったようだ。第一報はARDの夜最後のニューで伝えられたようで、それを夜中に知った。十月に五十歳の誕生日を向える予定であった。しかし、既に五月には肺がんの転移が確認されて、ルールでの舞台仕事をキャンセルにするにあたって、引退届けが出されていた。

十月にはベルリンでのノーノのイントレランツァの上演がバレンボイム指揮での歌劇場の仮宿シラー劇場での公演が予定されていたという。それに先立ち九月には、昨年の癌闘病記に続いて、自らの集大成を綴った書物が出版される予定であった。しかし、執筆に時間が掛かったのか予定よりも遅れていて、自らによる完成を見ずに遺稿集となる予定である。

氏の芸術家としての業績の評価は未だ時を待たなければいけないが、少なくともドイツ語圏においては最も「騒動」を起した芸術家であることには異論は無く、それだけでも賞賛に値する現在の芸術家であったことには間違いない。

2008年当初に肺癌が発見されて片肺の摘出手術がなされたが、同時に限られた余命が与えられていた。周りに肺癌を宣告され手術をせずに過している人を称して、先日も「肺癌は、なかなか死なないね」と友人の外科教授と話していたのだが、そうした事象を見て、また癌患者が比較的最後まで精力的に仕事をしている様子を見て、健康と称される者よりは少なくとも集中的であっても同じような時が流れていると感じたものである。

しかし今回の場合も転移は、「若しかすると五パーセントの再発しない癌患者のアジア人の血を引くか」と期待した本人にとっても家族にとっても新たな次元となったようで、「残された時間が無い」とする悲痛な叫びを残して逝ったが、生前に語っていたように「母親をひとり残す」こと以上に病から開放されたたことが全てではなかったのだろうか。

香典は最後のプロジェクト「アフリカの歌劇場」に寄付される。



参照:
Christoph Schlingensief ist tot -
ARD/Tagesschau
ZDF/heute journal
ZeitOnline
SpiegelOnline
FAZ
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評 
by pfaelzerwein | 2010-08-22 17:58 | 文化一般 | Trackback
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