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古い名前で未だに出ています

隣国といっても世界観とまでいかなくとも思考方法や趣味が異なる。ジブリ制作の最新アニメ「ポニョ」がドイツではやっと公開されたようである。日本と殆ど同時に公開され、評価も高く、興行成績も良いフランスに比べるその上映時期が全てを語っているのではないだろうか?それでも日本趣味者に係わらず多くの知人がジブリ映画のファンであり、少しでも批判するとても厳しい反応が戻ってくるのはどうもこのアニメファンの世界共通の特徴のようだ。

こちらはその価値も楽しみも良く分からないのでなんともいえない ― なるほど出世作がTVアニメ「ハイディ」だとすると、手塚の「アトム」や赤塚とは違い、はじめから違和感のあった作家に違いない。しかし、ハリウッドにはなかった可能性を示した十年前の「千尋」などに比べるあと、今は特に新鮮さもなく、態々手書きで復古調を目指したその制作も「昔の名前で出ている」老巨匠の手になるものと言うのが分かる。さらに巨匠よりもスタッフの活躍が目立つのも、ウォールト・ディズニー亡きあとの気の抜けたィズニー映画に似ているとするのもなんとなく理解できる。

その記事の横に同じようにフランスで人気のある老知識人エイヴラム・ノーム・チョムスキーを迎えたフランスでの歓迎振りが扱われていて、とてもではないがドイツでは今や受け入れがたい古い左翼人だと理解できるのである。アニメの巨匠のごとく彼の地では英雄的知識人であり、そのタブーを破る「表現の自由」への熱望は殆ど日本の芸能レポーター程度の信念の様にすら思われる。

修正主義擁護はフランスの極左と極右の両陣営共同じくして、こうしたチョムスキーの主張を受け入れる素地があるようだ。七十年代を思い出すまでもなく、左翼はパレスティナ解放のアンチシオニズムであり、右翼は反ユダヤのアンチセミティズムであるから当然であるのだが、こうした左右対決の思想の葛藤が未だに現役である共和国の思潮は既に前世紀の遺物に違いない。



参照:
Fisch gewagt ist nur halb gewonnen, Andreas Platthaus,
Sein Kampf, Noam Chomsky tritt für Holocaust-Leugner ein, FAZ vom 15.9.10
by pfaelzerwein | 2010-09-18 05:12 | 雑感 | Trackback
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