経験とは一体どういうことか

岩登りでは二つのグループに入っている。一つのグループを水曜日グループとすると、その一人に写真つきメールを送った。先々週に金曜日のグループと登ったスイスの岩壁の写真である。それに対して、「あそこは知っている、乾いて素晴らしい」と返答してきていた。

そして、本日石切り場への道で、上部岩壁の話をしていると、どうも下部岩壁で敗退したことを漏らし出した。最後のハーケンにザイルを掛けようとする時に足を滑らしたと言うのである。

「雨でも降ってきた?」と尋ねると、

「湿気が凄かったのだ」と答える。

「何時頃のこと?」

「八月の終わりから九月の初めだ」と。

「晩夏だよね」

その話を反芻して想像してみると、どうも下部の摩擦で登る部分で足を滑らして、意気消沈してしまったのだろう。スポーツクライミングとか称して永くそれに従事している者に限らず、こうした状況は昔からよくあるのだ。我々の昔の仲間でも威勢良く、当時日本有数の難しい壁のルートに挑んで、間違いなく戻ってくると評判の者もいた。

そこには意気地が無いというよりも遥かに複雑な心理状態があって、そのような状況になる場所とか状況とかというのは全く同じように誰もが感じているのであるが、そこで心が折れてしまうか、踏ん張れるかは、実はそうした精神論的な根性とか頑張りとかいうものだけでなくて、客観視できる経験とかが分水嶺になっていることが多い。
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by pfaelzerwein | 2010-10-07 04:32 | アウトドーア・環境 | Trackback
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