理解出来ないこの世の現実味

一寸落ち着いた気持ちで、フランカ・ポテンテ作朗読のCD「十」の続きを聞いた。「鍋物もしくはアイントップ」、「沢山の神々」、「モンスター」の三小品である。

やはり、「沢山の神々」はとても完成度が高かった。描かれている母子家庭の新卒の息子の就職面接への光景である。ここでも、吉本バナナの「キッチン」の如く「食事」はとても日本の生活の重要な位置を占めている。カツ丼から落ちた米粒を追ってしまう青年の姿はとてもよく出来ている。面接前の都内での昼食風景である。神々が宿る数多の米粒を巡ってばたばたする情景はまさに都心の昼食時のそれであり、そこから東京を取り巻く日本の日常茶飯の営みがくっきりと浮かび上がる描写とカットは恐るべき短編となっている。

京都の大学で法学を学び優秀な成績で中堅の会社に就職するとなると家庭状況などからして立命館大学とまで想像させてしまう、そのリアリティーは日本人の書いたいい加減な文芸作品とは大いに異なるように思う。兎に角、裏づけと言うか取材の緻密さが中途半端な大衆小説とは一線を隔していることで、この短編を文学に仕上げている腕の確かさとしか思えないのである。

その話の落ちはある程度で想像がつくのだが、これがまたTVドラマのように最後まで手洗いに立つ余裕を与えない劇構成も憎いのだ。それが東芝日曜劇場的な世界にならないところがまさにドイツ女性の描いた日本小景である。同じように、十分過ぎるような余韻を残す作品が、出て行った夫の温もりを鍋の湯気と匂いに満たされた部屋で包まれる高年の主婦の姿を描いた「鍋物」である。

これも、ほとんど川端康成の如くにも描けてしまいそうな現在の日本のまともな作家なら決して書かないようなまるで私小説的なテーマなのであるが、この女流作家に掛かると台所の引き出しの一つ一つを詳しく分析するほどの観察と細やかな筆使いによってまるでエッチングのように精緻に表現される。炊飯器のピープトーンまで描く細やかさは吉本バナナにはなかろう。

そればかりか、「温熱カーペットで寝ると心臓に悪い」と言う娘の警告が、短編のコーダーにも奇麗に効いていて、とても冬らしい味わいの深い文章となっている。そして、育児ノイローゼの全く何処にでもいる平凡過ぎる主婦を描いた文章とあわせて、幼児虐待だけでなく、世界的に話題となった「幻の高齢者」の昨今の日本発のニュースのその背景をここに読み取ることも可能なのである。

決して、そこに社会学的な問題意識やその解決法や日本の特殊性が提示され暴かれているのではないが、上の高年の主婦がどうしようもつまらないTVのバラエティー番組を見ていて、「全く理解出来ないこの世」と嘆くところに、日本の現在の営みが垣間見えたように思うのだが、どうなのだろう。



参照:
Franka Potente "Zehn" Stories, 3CD Osterwold,
- Nabemono oder Der Eintopf,
- Viele Götter,
- Das Monster
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by pfaelzerwein | 2010-10-16 23:25 | | Trackback
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