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難攻不落の重量級の強い意志

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パン屋に行く早朝の車のラジオで、バッハ作曲のルターによる「堅牢な城は我々の神」カンタータが流れていた。今日はルターの宗教改革の日である。実はこのバッハのカンタータよりメンデルスゾーンの交響曲を思い浮かべた。第五交響曲のそのもの「宗教改革」と呼ばれる曲である。この曲には、このルターのメロディーだけでなく、ドレスデナーアーメンと呼ばれる舞台神聖劇「パルシファル」でも使われた聖歌が含まれている。バッハのカンタータだけでなく、ヘンデルの曲にも使われているのは知らなかったが、マイヤーベーアーの「ユグノー教徒」のそれは聞き覚えがある。

さてこの交響曲であるが、オスマントルコへの抵抗歌ではないかとも言われるこの元唱を「宗教改革のラマルセーユ」と表したハイネによって、この交響作家のその信仰性に疑問が投げかけれれているが、こうしてその堂々としたフガートの賛歌や、織り込まれるこれらのメロディーの使い方をみると、これはなかなか上手にそのプロテスタンティズムの本質が、いかにも複雑なユダヤ人のしたたかな視線で表現されていると思わずにはいられない。

乾いた連休が予想されていたが、冬時間に戻り、雨が降った。回復傾向にあったが、どうせ行く予定もなかった岩場は濡れたままであったろう。ケーキを受け取って、そのまま何時もの駐車場へと向った。昨日の疲れが残っていたので若干迷いはあったが、ゆっくりと川沿いを走り出した。

美しく黄色く色づいた林道を行くが足が前に出ないどころか、直ぐに息苦しくなる。それでも川沿いの終着点には十二分後に到着しており、昨日に続いて全く歩調が遅くなっている様子は無い。さて、そこからが山登りであるが、息を絶え絶えに歩いているうちに、駆けて上がりたくなった、少し試してみると、足元が滑らない分、靴を前に出してやるだけで、上体が上へ上へと自然に上がる。まるでアプト式の機関車のようである。流石に休んだり駆けたりで、五分も走ったぐらいであったが、上に着いた時は、通常よりも早かった。いづれは走って上がり通せる見込みがついた。この道をはじめて歩いたときには息絶え絶えで上に着いたことを考えれば大変な進歩である。

そこから重い足を引き摺りながら、最後の下りの上へとやって来た。新しい靴でのはじめての本格的な下りである。案の定、軽快感は皆無で、足が前に出ない。なるほどごつごつした場所へと突っ込んでも足や膝には堪えないが、強引に捌ける強さは自分の足には全く残っていない。これは結構時間が掛かったかなと思ったが、実際は少々の遅れで、全体では八キロを一時間以内で今までよりも十分近くの短縮が出来ていた。不思議なことに新しい重めの靴を履いたことで下りよりも上りで走行速度が増している。

プロの一流選手ではないが、時間を競うことは全く関係なくとも、A地点からB地点へと早く移動が出来る限り、この靴は競技用として間違いなく優れているのである。つまり、こちらの肉体への負荷が高まり、体力を必要とすると言っても、それは体力強化で補うべきことなのである。日本のスキージャンパーの「技」や日本車の軽量化が所詮欧州の一流選手やドイツ車に及ばないのと極似している。

我が身にそれを当てはめれば、なるほどこの重めの靴を履きこなせる様に上体を強化して、上背がない分は一メートル以上に発達させた胸囲で補うことも出来るだろうと考える。スキーで言えば、滑降の高速カーヴィングの回転における遠心力との戦いにも似ていて、横からつつかれてもビクともしないような軸の定まりが要求される。



参照:
われらが神はかたき砦 2005-03-04 | 文学・思想
養成ギブスのように体を使う 2010-10-30 | 生活
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
ゆっくり出来なかった昼休み 2010-10-28 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2010-11-01 00:41 | | Trackback
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