前提とは理念を再認識すること

パンを取って、四千歩ジョギングした。日曜日から三日ぶりである。天気も良くなく、時間も無かったのだが、何よりも足が疲れていた。二十八分ほど走った。結構飛ばして出発したが、結局上体を上手に使う運動で楽して走り通した。靴下を厚めにした分足の収まりも良くなったが、ますます上体を使った走り方に磨きが掛かってきたようである。これならばハーフマラソンぐらいはいづれ走れるようになるだろう。それよりも一汗掻いて帰ってくるとあとで体にこたえた。脛の打ち身は未だに膝がつけないほど傷んでいるようだが、上肢への負荷は恐るべきものである。午前中からとても眠くなる。

日本の政府の支持率が落ちているというが、中共包囲網を築けずに、ノーべル平和賞に関して強い支持を示さずに、嘗ての自民党のときのように日和見主義の外交方針を採っているようでは政権交代した意味など全く無い。強い理念を打ち出すべきで、国連外交やこうした国際的な機関を重視する日本政府外交のそれすら打ち出せずにはどうしようもないだろう。

必ずしも後出しジャンケンが戦略的に悪いとは思わないが、そうしたことを繰り返して失敗に至っている訳で、その理念と照らし合わせて正しいと思う方向へと早めに舵を切らないことには、ブッシュ時代の小泉政権の判断と全く変わらない間違った方向へと進んで尚且つ責任を取らない政権となるだけである。それだけでも自民党政権と何ら変わらない。

平和賞自体がとても政治的な賞であることは従来のその受賞者のリストを見れば明らかなのであるが、それに関して強い疑念も挟むでもなく、強い支持を示すのでもない限り、外交理念を一体何処で示すと言うのだろうか?アメリカ合衆国との強い連携関係は契約であり、それは外交と呼ぶには当てはまらない。

更に何よりも問題なのは、事情は詳しくは知らないが、幼稚園と保育園の一本化とか何とか、まるで共産主義社会のようなことが議論になっているのは西側工業先進国ではこの島国ぐらいではないのだろうか。先ずは弊害の無い市場競争が出来るような自由化と民営化が基本で、その市場淘汰があってこその社会事業整備なのである。情報も市場もそれを妨げる規制がある限り、立派な社会事業は成立しない。

社会保険も健康保険も年金も本来ならば無用の長物であることを再認識することが大前提である。
[PR]
by pfaelzerwein | 2010-11-18 07:30 | マスメディア批評 | Trackback
トラックバックURL : https://pfalz.exblog.jp/tb/12295905
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 青色だけでは出発進行ではない 実験資材の激しいバラつき >>