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力関係を体現した名スザンナ

アレクサンダーからルチア・ポップが出てきたので、序につまみ食いしてしまった。このオペラ歌手については、比較的馴染みがあるのだが、パリでの有名なストレーレル演出のスザンナには驚いた。なるほど当時はベームの指揮においても決り役であって、かなり歌い込んでいることは誰でも分かったが、比較的古典的な演出では今ひとつ分からなかった表現がこの演出では大変納得できる。

それにしても、ストレーレルの演出の芝居やオペラを「シモン・ボッカネグラ」などを除いて十分に体験できなかったのは残念であるがこうしてVIDEOで観てもやはり素晴らしい。どこに視点が据えられているかが常に興味を引く演出で、そこで描かれているものが、そのものモーツァルトのものでもある。

それはその音楽表現を汲み取れば、証明されているので、この場合スザンナのその歌が描いているものを理解しようとすればするほど、途轍もなく奥行きが深まり且つその劇場空間に向けられた(我々の)視線が更に問われる。繰り返すだけに終わるがモーツァルトの天才というのはそこにあって、こうした音楽劇が生まれ、こうしてそれを見つめる視線が存在すると言うのがまさに奇跡的なのである。

ルチア・ポップのデビューの当たり役である「夜の女王」をシュヴァルツコップは「奇跡の動物」と些か意地悪な言い方をしたようであるが、上の演出でのその表現は殆ど奇跡的なはまり役となっていて、中欧から東欧にかけてのとても一筋縄ではいかないような社会や構造が当時の革命後の天才作曲家の視線と重ね合わされているのがこれまた奇跡的な成功となっている。伯爵とのデュエットは圧巻である。

おまけに比較的晩年のインターヴュー画像を覗いた。なるほど、晩年にリヒャルト・シュトラウスやシェーンベルクだけでなく、シューベルトなどまでも歌曲を熱心にリサイタルで聞かせていたが、このインタヴューにあるような心境のみならず、歌曲に於いても独自の視座を披露していた。死因は胃癌だと思っていたが、脳腫瘍とあると余計になるほどと思う。十五歳下のザイフェルトにもケルビーニに対するような力関係があったのかと思うとこれまた興味深い。とても記憶に残る東欧女性であった。モニカ・レヴィンスキー事件が起こるのはまだ先の事である。



参照:
Non so più,
Porgi Amor,
Voi che sapete,
Venite...,
Susanna, or via sortite,
Act II 2nd trio,
Crudel, perchè fin'ora,
Susanna non vien... Dove sono,
Sull' aria,
Deh vieni non tardar,
Duet Figaro&Susanna & Final,
Lucia Popp Interviewfragments 1987,
Lucia Popp's Sense of humour (Deutsch & English).
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - Fruhling,
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - September.
Lucia Popp - Strauss Vier Letzte Lieder - Beim Schlafengehen,
Lucia Popp - Strauss' Vier Letzte Lieder - Im abendrot (YouuTube)
by pfaelzerwein | 2011-02-18 04:04 | | Trackback
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