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備えあれば憂いなしとは

またまた日本は世界の笑い種を提供する。地盤の緩んだ裂け目に樹脂を流すのは良いとしても古新聞紙を刻んで混ぜるとは近所の水道屋でもやらない。まるで原発の敷地の中を出来の悪い庭師が蹲の水漏りの修繕に右往左往しているようであり、ミスター・ビーンの仕事振りにも勝るとも劣らない。

しかしそれだけでは済むまい、環境汚染の犯人として、人道に反する行政として、いづれ「戦犯」として裁かれることは間違いない。国民裁判になるか、国際裁判になるかは日本民族次第であろう。

改めて警告しておこう。そこまでの大気汚染とはなっておらず、小康状態で時間稼ぎをしている今だからこそ、少なくとも百キロ圏の住民の緊急時の避難の指導、二百キロ圏での心掛けを徹底しておくべきである。日曜日に飯屋で見た嘗ての左右対決時の残り香を燻らす扇動的なジャーナリズムの独シュピーゲル誌では、単純に260KMの円を描いていたが、実際に半減期が三十年と長いセシウム137の集積が強い地域が、丁度現在ドイツの気象台のそれでこげ茶に相当する地域であり、炉心から二百キロを超えているのに相当しているのである。それはチェルノブイリから二百キロほど離れた所で、十年後の価として炉心近辺と全く同じ平方キロ当たり40キューリーつまり平方メートルあたり1.48メガベクレルの汚染が広がっていることにも遠隔地の飛び地での汚染が広がることを証明している。丁度今回放出された低濃度の汚水の十倍ほどの放射能度である。そんなものが体内に入り骨に蓄積するとなるととても危険な数字である。実際、八百キロほど離れたポーランドなどでも当時子供たちはヨードを服用させられたのであった。

しかしこうした数値の健康被害に対する認識は大いに異なっていて、基準値を遥かに超える食料を口にしてもなんとも気にならない人も世界には居るらしい。そうした味噌糞同じ人間が、食物をして健康に良いとか悪いとか言うのがさらさらおかしい。

さて、こうした酷い状況が訪れるのは、現在大量の水で飛散が抑えられているだけでなく、緩衝材として放射線量を抑えているようだが、その底が抜けたときに訪れるだろう。またマグニチュード八に迫るような余震が千葉沖などで起きたときには、さらに手もつけられなくなる。そうした備えをしておくのが肝心なのである。

気象台の予想などが話題となっているようだが、それらはあくまでも目安であり、大量の水蒸気から強い放射線物質が一気に立ち上るようなときに、その風向きなどの予想が避難の重要な指針となる。よって、住民にオンタイムでこうした情報を自らのものとさせておくことが冷静な判断を促すことになるのだ。

やはり、日本の官僚主義は前近代の遺物でしかない。隠蔽とタブーの社会、そうした国が先端技術やメディアなどを先導していける訳がないのである。前栽の水漏りを直す庭師が世界の注目を集める所以である。



参照:
読売新聞の4月4日の記事:放射性物質の拡散記事を載せています。 (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
日本人よ、恥じを知れ! 2011-03-25 | マスメディア批評
by pfaelzerwein | 2011-04-05 15:33 | 歴史・時事 | Trackback
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