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消し去ることの出来ない無理

週末の試飲会でパッサウなどバイエルンから来た二夫婦と話していた。二年ほど前に日本旅行をしたことがあるということで、日光や京都、広島に新幹線の話をした。もちろん福島関連はいつものとおりである。ARDのシェーラー氏の話をしたのだが、バイエルンの土壌とCSUの緑の運動などとの関連は中にいるのでもうひとつ客観的な視野は得られていないようだった。それでも日本における緑の運動への動きへの期待感は強いのだが、さてどうだろうという話となった。

日本人の凄さは、広島長崎でモルモットとなり、先の東海村の臨界事件ではモルモットを排出して、そして福島の特に子供たちを世界の人体実験の道具にしようとするその非人道的な判断だろう。なぜそうしたシナ人顔負けの蛮行が可能なのか?人道教育や啓蒙の欠如なのだろうか?

安定化への作業工程を盾にして ― その工程も東電幹部によって当然ながら「無理との見解」がドイツでも報道されたが ― 政府行政は時間稼ぎをしているのは分かるのだが、未だに原発全廃への期日どころかその意志すら示されていない。それとも二酸化炭素排出現象を軸とするための改正された計画を
示すかといえばそれも示されていない。そのような状況下で再生可能エネルギーへの寄与をG8で謳っても誰にも相手にされなかったのは当然の帰着であったのだ。

そしてそれ以上に福島の子供たちへの具体的な援助すら発表されていない。事件直後の枝野や菅の寝ぼけたような政府発表を見ていれば期待するほうが間違っているのだろう。しかし、これからの福島原発の不安定状態とは無関係に、児童や青少年の地域的な疾病率は行政や経済のみならず政治的な課題となって立ちはだかることは明らかであって、出来る限りそれを軽微にするためにあらゆる施策が必要となる。未だに子供手当て等のばら撒き行政を廃止して全てを福島周辺へと投入することすら出来ていない。

しかし行政や政治家がどんなに苦労しても被曝の事実やその量を消し去ることは出来ないのである。不可逆な事象だからである。だから政治家は出来ることを今するしかないのである。それが責務であり、少なくとも最大の謝罪の方法に違いない。



参照:
昨日「やさと温泉 ゆりの郷」で購入した食材です。 (saarweineのワインに関して)
Strahlendes Erbe von Tschernobyl: Verseuchte Lebensmittel (Greenpeace)
福島なんて取るに足りない事故 2011-04-12 | アウトドーア・環境
by pfaelzerwein | 2011-05-30 22:04 | Trackback
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