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没落への日本近代史を読む

日本の政府高官は何処までとぼけているのかそれとも官僚のサボタージュで泳がされているのか釈然としない。本日の枝野経産相は新任の挨拶記者会見でフリーランスの田中氏の質問に答えて ― 先日の鉢呂氏辞任会見での時事通信記者への叱責や熱血漢らしい質問がせめてもの涼感である ―、スピーディーに関してはサボタージュであることを説明した。これは大変な重要証言である。

事故を起こしたマルクールの設備にはアレヴァの実験施設が併設されているようで、ここで再処理されたMOX燃料が福島へも送られているということである。事故は低濃度の廃棄物の処理施設で起きたようだが、場所が場所だけに最終的な安全宣言はまだ出ないだろう。

さて六ヶ月経過で、FAZ新聞にいくつもの記事が出ている。19日の行動に向けての大江健三郎らご老体の活動記者会見でのあまり意味の無い取材は含まれていない。所謂「九条を護る会」が中心になっているようなその活動に関しては、その記者会見を見れば明白で、あまりにも時代遅れで、まるで三島由紀夫の盾の会のそれの雰囲気を思い出す。ノーベル賞文化人がこうした反核市民運動に名を連ねるのは良いが、彼らこそが京大の小出氏が自責を表明する以上に日本社会の没落の一躍を朝日新聞らと担っていたのではないか?戦前世代として戦後処理から現在を読み取る「自小説」などはもはや不必要なのである。ヴァイツゼッカー氏が大統領だったのはもういつのことか?そのときでさえ若者には重荷を掛けまいと明確に声明している。いみじくも日本の指折りの文化人である。なにも文明批評を期待するとまでは言わないが、オピニオンリーダーであるためには「私の史観」では困るのである。

先日来ベットで読む「小さな日本史」がとても面白い。権力の分散から統合へと、丁度西欧の中世から近代への流れと重ね合わせられて、それが地政学もしくは社会学的な視座を以って端的に語られるとき、戦後の「大正デモクラシーの発見」と反対方向にさらに長い時間的座標を以って、安土桃山時代から二十世紀後半の日本へと一気にその発展が見通せる。そして福島へと、昨年の秋に発行されたこの書物は引き継がれるのである。

賢明な読者は既にお分かりになったと思うが、大江氏が敗戦に続いてメルクマールとして福島を挙げているようではお話にならないということである。新聞記事に関しては改めて纏めよう。



参照:
2011/09/12 枝野幸男経済産業大臣 就任記者会見
2011/09/10 鉢呂経済産業大臣 辞任会見
2011/09/06 「さようなら原発」一千万人署名市民の会 記者会見 (岩上安身オフィシャルサイト)
Le CEA Marcoule
Den schwarzen Schiffen war nicht zu entgehen, Manfred Osten, FAZ vom 2.8.2ß11
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評
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by pfaelzerwein | 2011-09-13 00:14 | 歴史・時事 | Trackback
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