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日本社会の民主化に向けて

ZDFの「福島の労働者」と題する例のシリーズが話題となっている。劣悪で不法と思われる労働協約に関して、東電本社で「その内容に関知しない」と語らせる部分がハイライトであろう。恐らく請負を通じた労使関係として東電はそれを主張するのだろう。まるで三池炭鉱囚人労働者のような、もしくは足尾銅山事件のときのような時代と、今政府やテプコを取り巻く環境とは全く変わっていないかのようである。それをして、またジャーナリストや知識人の対応をして「日本の程度」を紹介している。この内容が真実でなければ外交問題であり、直ぐにベルリンの日本大使館を通じてZDFに抗議を入れるべきところであるが、そのような事実に全ての五感と思考を閉じるのが日本政府と官僚組織の311後の危機管理の基本であったのであり、それは今後とも変わらない。

そうした事象を、上のような扇動的な報道姿勢でなく、社会学的に日本の歴史として刻む日本学の専門家やその行動を伝えるのはSWRの文化派放送である。「素人の乱」などに見られる極一般の市民による反原発デモ行進などが数多く催されて、611、911と勢いを増して、広い市民層を行動へと駆り立てているにも拘らず、多くのマスメディアはそれを無視し続けるどころか、警察権力は広がりを恐れて抑圧しようとしていることを社会学的に大問題視している。これに関しても、当初から政府の踏襲している事件の矮小化と虚偽の報道並びに検閲・言論統制として、既に六月の時点でハイデルベルク大学のマックス・ヴェーバー研究所などを中心として分析が進んでおりその中間報告が発表されている。

その反面、例えば岩上氏のIWJの活動のようなネットを通しての事実報道が大きな役割を担っていて、社会変革への可能性を其処に見る向きも少なくない。外圧による近代化への道を歩んだ日本国であったが、国民運動からの真の民主化は未だに達成されていないとする観方は一般的ではなかろうか。三島教授を代表とするような多くの知識人の間では、今回の動きも一過性のものしか捉えられていないようであるが、手安く多くの情報を取捨選択できるような状況は今まで嘗て一度も無かったことであり、なんとかそうした火を消してはいけないと考えなければいけないのである。

なるほど、国政においては様々な障壁が立ちはだかっており、立法府を市民の手元に手繰り寄せるのは必ずしも容易ではない。しかし、ネットなどで見る限り、十分に人材もあり、活動も全国規模で盛んに行われているので、資金的な援助があれば必ず少なくない勢力を国会に送れるようになるのではなかろうか。日本の民主化はそこからが第一歩であり、現在のような許認可を受けたマスメディアや公共事業の寡占からは将来は全くないのである。

前述したSWRの番組で紹介されたフランクフルトの日本学課が先導するホームページがこうした事象を歴史的に記録するかのように纏めている。今後最も重要なのは、何も自由に語ることが出来ないと思われている知識人と称する者達が、自らの出版が差止められても、経済的な不利益を得ても、怯まずに正々堂々と意見をネットなどを通じて発信することでしかない。もしそれが出来ないと言うならば、いずれ無視できなくなるそれなりの責任を彼らは覚悟すべきである。



参照:
Arbeiter in Fukushima (ZDF)
Demonstrieren unerwünscht (ARD)
textinitiative-fukushima (UniFrankfurt)
Vortragsreihe 'Zäsur Fukushima. Zur atomaren Bedrohung der Gesellschaft' (Max-Weber-Institut)
岩上安身オフィシャルサイト (IWJ)
パニックの裏側の集団心理 2011-03-16 | 歴史・時事
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by pfaelzerwein | 2011-10-11 22:47 | マスメディア批評 | Trackback
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